1 :
考える名無しさん :
2009/09/03(木) 21:17:47 0 「言葉の幹は沈黙である」
3 :
考える名無しさん :2009/09/04(金) 01:00:56 0
いいなー、髪フサフサで
4 :
考える名無しさん :2009/09/05(土) 13:45:38 0
>>2 京都精華大学のナントカ記念で作ったDVDだよな。
なんか申込者はタダで貰ったって話じゃんかよ。
オレも欲しかったな。
5 :
考える名無しさん :2009/09/07(月) 12:39:28 0
>>4 その「タダDVD」今日届いたよ。
まだ余ってるみたい。
なんでネットで配ってくれないの?
典型的な衒学者 10年後には忘れられてる
と、20年前から言われてる
9 :
考える名無しさん :2009/09/11(金) 17:14:11 0
司馬遼太郎と吉本隆明は団塊世代の数少ない愛読書として生き続けている
10 :
考える名無しさん :2009/09/12(土) 09:36:43 0
>>9 しかし、吉本自慰サンは
司馬の小説文章を新聞記者流の悪文と批評し、
小説=文体と考える三島や谷崎の観点からすれば
最低の小説家になる、と評した。
自慰サンに言わせると、長編になればなるほど
司馬の文章は度し難くなるそうな。
11 :
考える名無しさん :2009/09/12(土) 13:20:27 0
悪文ではないな。意味は非常に取りやすくわかりやすい。 ただし司馬本人も自身の書いたものが小説であるかどうか悩んでいるぐらいだ。 普通に読めば講談本かな。ただのエンタテインメント 典型的な衒学者というのは司馬遼太郎のほうにうまくあてはまるよ。
12 :
考える名無しさん :2009/09/14(月) 08:59:16 O
森有正や澁澤龍彦を衒学者だとすると司馬はとてもとても・・・
13 :
考える名無しさん :2009/09/14(月) 17:07:13 0
司馬を衒学者と感じるほうが学がなさすぎだろ 吉本を衒学者と感じるのは異論があるが、そう思う人がいても不思議とは思わない
14 :
考える名無しさん :2009/09/14(月) 19:56:54 O
吉本はスノッブなさすぎの天然。 衒学できる要素がない。 吉本を衒学者ってどんだけ〜だわなw
15 :
考える名無しさん :2009/09/14(月) 20:20:33 0
衒いやこけおどしは感じないんだが、造語が多いのには辟易する。しかも定義なし。 既存のスコープにおさまらない概念を言葉にしようとしているのだとは思うが、それにしても辟易。 20年後には誰も読まないだろうという発言も故なしとしない。 誰か吉本用語解説をつくってみては?
16 :
考える名無しさん :2009/09/14(月) 23:44:30 0
言語美あたりまではなんとか普通の言葉で書いていた。 読めるのはそこまでだし残るのもそこまで。 多分その後煮詰まってしまったんだろうと思うよ。
17 :
考える名無しさん :2009/09/15(火) 15:40:22 O
ほら、ドゥルーズが言ってたじゃん。 ここまではいいけど以降は駄目やらは思想家には当てはまらないって。 吉本はキチに違いないだろうけど、残るにしろ残らないにしろトータルでしか有り得ないでしょ。 最近の耄碌したのも含めてさ。 よくさかしらにこの時期(作品)はいいやらのたまうのがいるけど、吉本を辿ってる人間からすると「はあ?」なんだよね。 幕末はいいけど忍者はねえ、と中小企業の社長が司馬を語れば阿呆とまでは思わないまでも、「こいつ小説ってもんがまるでわかってねえな」くらいは思うでしょ? 都合のいいとこだけ抜いた吉本って面白くないんだよねえ。 吉本はもっと出鱈目でしょうが、と。 柄谷や宮台はそれはそれでいいけどさ。 あ、スガは阿呆杉だからよくないw
18 :
考える名無しさん :2009/09/19(土) 11:58:10 0
「吉本隆明1968」って新書が出てるね。 仏文の鹿島さんが永遠の吉本主義者とは知らなかった。
19 :
考える名無しさん :2009/09/19(土) 14:05:15 0
そりゃ、カクマルがクロカンから脱出するには 吉本主義者になるのが手っ取り早いということでしょ
ジジイ二人の対話とか誰が見たがるんだ。
21 :
考える名無しさん :2009/09/20(日) 00:30:19 0
いやあらゆる種類のマルクス主義と擬似マルクス主義から脱出するには吉本が確実でかつ手っ取り早い。
確実であるかどうかは知らないが、イージー(手っ取り早い)ではある もちろん、マルクス主義以下のカルトに落ち込むのは必至
23 :
考える名無しさん :2009/09/20(日) 11:23:07 0
24 :
考える名無しさん :2009/09/20(日) 11:27:12 0
スターリン主義は過去の思想だけど、スターリン主義的な考え方って 今・ここ・に常に生起し続けるんだよな。 自らの考えを検証するためにも吉本思想は必要だよ。
この爺さん、本当は自分でもことばの意味わかってなくて使ってるだろ 「岩波用語」的なことばを羅列して、難解な言い回しをしてるだけで インテリぶったバカどもが釣れる釣れる
26 :
考える名無しさん :2009/09/20(日) 21:57:36 0
>>25 「この爺さん」って吉本のこと?鹿島のこと?
吉本のことだとすると
>「岩波用語」的なことばを羅列して
というのは逆だと思うよ。むしろそういう用語法からは外れている部分が多いんじゃないかな?
独自の考えを表現するために難解な言い回しになってるのか、
講壇思想的な「岩波用語」を避けた結果そうなってるのかはわからないけど。
>本当は自分でもことばの意味わかってなくて使ってるだろ
については半ば同意。
文脈依存的な概念定義とか詩的、比喩的な概念定義とか多すぎるね。
概念の彫琢をしないままさらに複雑な対象に切り込んでいくものだからワケがわからなくなる。
もし鹿島のことだったら知らん。ここで初めて名前を知った。
>668:名74系統 名無し野車庫行:sage:2009/09/12(土) 15:16:04 ID:vvcHLIZZ >最近2chで作家よしもとばななのブログでのクレーマーぶりが話題に >なっているのを読んだが高速バスに文句言っている日記があって、「爆睡した >けど、客は息を詰めている雰囲気だし、運転手に笑顔がないし」って客が静かで >無事着いて爆睡できるなんて、自分なら不満どころか、すごくラッキーと思うw たかピーで叩かれてる割にじつに大衆的だな
ばななの大衆的すぎる悪行 ・知り合いにもらった高級シャンペンを居酒屋で開けて飲もうとする→ 店長に断られる→だからお前は小市民なんだよと激怒 ・高速バスを利用して熟睡→起きたら運転手が楽しそうにしていない→激怒 ・銭湯で小さなバナナの入れ墨を従業員に見つかる→外につまみ出される→激怒 ・家に来た運送屋のおっさんを手伝おうとする→危ないからと言われて 断られる→お前はロボットかと激怒
29 :
考える名無しさん :2009/09/21(月) 17:36:07 0
怒りっぽいところは父親ゆずりだが、 戦う相手が全然ちがうな。
30 :
考える名無しさん :2009/09/23(水) 01:48:57 0
キチガイ柴崎は来るな。
31 :
考える名無しさん :2009/09/28(月) 18:16:26 0
以前批評社から出てた森山公夫との対談集『異形の心的現象』が2009年7月の対談を増補して再度 刊行されましたね。吉本さんの近況ー健康の状況、足の皮膚の壊疽の治療、信頼していた編集者が 予期せぬ変貌をみせたことへの驚き、定期的に開いていた飲み会に来ていた女性が二人自殺したこ と、会が編集者の商売の場になってきたので解散したこと、などーを率直に語っています。また、 現代日本社会からは自分の思想は孤立していると認識しており、丁度60年安保のあとのような孤 立がまたやってきた、と感じていること。など、今の吉本さんの視線がよく分かる内容だと思いま す。それにしても、吉本家で開いていた飲み会がそうなってしまったこを述懐するくだりはとても 、まあ、吉本さんは淡々と喋ってますが、何か、時代のもたらす嫌な空気がそこまで浸透していると もとれて、なんとも言えない気持ちになります。あのくだりだけでも読む価値のある対談だと思い ます。
32 :
考える名無しさん :2009/09/29(火) 01:21:36 0
キチガイ柴崎は来るな。
33 :
考える名無しさん :2009/09/29(火) 18:00:56 0
「517」 前回の続き。ようやく私のPCのウィルスが駆除できました。大晦日に紅白歌合戦と格闘技番組をみながら、 「人類はどこに向かいつつあるのか」ということについて考えていました。 2004.1.07 副島隆彦です。 今日は、2004年1月8日です。 以下の文章は全て、一昨日の6日に私が話した内容をテープに採ったものを、アルル君が素早く文章に起こして(これを、 トランスクライブ transcribe と英語では言います。)、ここのぼやきに載せてくれたものを、ようやく2日間に渡って、 時間を見つけながら少しづつ私が手を入れて何とか、自分の気に入るように加筆して、修正したものです。最小限度の手直し しかしていません。 (中略) これまでは、ただみんなの前で上手に歌を歌うだけの歌手、ミュージシャンという存在が、国民のアイドルであり、 国民的な憧(あこが)れやうらやましさの対象であったのだが、これがどうもウソ臭いということが少しずつ明らかに なってきた。作られた共同幻想(きょうどうげんそう)なのである。全ての共同幻想を解体することが、私たち人類が 向かうべき道なのである。 この「共同幻想(政治や宗教を含めて)を解体することが、人類の向かうべき方向である」という課題については別の 機会に論じる。今も存命である優れた日本の思想家・吉本隆明(よしもとりゅうめい)が打ち立てた。 この「共同幻想の解体」という重要な課題については、後日、正面から論じたい。
34 :
考える名無しさん :2009/09/29(火) 18:02:36 0
[850] 自画像を描くチェンマイの象の映像です。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2008/04/20(Sun) 06:18:47 副島隆彦から 私も、このチェンマイの象が描く絵に感動しました。 仕付けたらこれぐらいは出来る、ということなのか、それとも、高等動物はこれぐらいの正確な外界認識をもともと しているものなのか、と自問します。動物行動学(本当は、社会生物学、ソシオ・バイオロジー)の研究者たちが、 実験観察用に飼い慣らしているチンパンジーやゴリラでもこれほどの描写能力は無いでしょう。 私は、人間は、犬猫などの動物よりも劣る愚かな生物である、という、山本夏彦(やまもとなつひこ)翁の思想に 影響されて、ずっと30年ぐらい、そのように考えてきた人間ですから、さらにこの考えを深くします。 人間は、狂った猿である、と本当に思います。動物には、芸能人も、スポーツ選手も、政治家も、王様も、税金 取りも、官僚もいません。 動物は無益な争いはしません。餌を取る為にしか他の動物を殺しません。生活環境の改善と「生命の再生産」 ( reproduction of life リプロダクション・オブ・ライフ、子育て、種の繁栄)以外のことには熱中しません。 スタジアムに集まって数万人で観戦や芸能に酔いしれるというような馬鹿なこともしません。 人間が持つ愚か極まりない、共同幻想(=集合的な無意識、イデオロギーや宗教などもこれ ) がありません。 西欧人は、近代(モダン Modern )が、はじまった今から丁度500年前から、「狂気としての人類の近代」を 生きざるを得なくなったのだと、私は判定しています。やめておけばいいのに自己の存在の理由を問いただしはじめた。
35 :
考える名無しさん :2009/09/30(水) 00:31:08 O
吉本は小林よしのりに論争で負けたと思う。小林よしのりの「個と公論」で吉本批判をされたがあれで論破されたと私は思った。
36 :
考える名無しさん :2009/09/30(水) 09:26:43 0
>>35 おれは自慰サンは"論破された"とは見なかったな。
単に、"公"の捉え方の違いだけ。
自慰サンに言わせれば"公"は個人の総和が"公"だと。
小林は"公"は個人をも取り込んだ総体だと言ってるだけよ。
37 :
考える名無しさん :2009/09/30(水) 13:29:01 0
吉本がすごいのは、 わかるところだけ読んでもすごいってところだな。 わからないところはどれだけすごいんだろ。
38 :
考える名無しさん :2009/09/30(水) 19:56:15 0
>>36 >>自慰サンに言わせれば"公"は個人の総和が"公"だと。
吉本さんの『私の「戦争論」』で36サンの元ネタ見っけ!、と。
「個人+個人+個人・・・といった個人の総和が公ということであってね。」
「個人と公は対立関係でもないし、個人を超えて公があるということでもありません。」
ついでに引用しとくね。
「西洋でいう「国家」とは、我々がいうところの「政府」という意味合いと
ほぼ同じです。つまり、国家は市民社会の上に乗っかっていて、・・・・
国家はそういう対象化できる機関的な存在なんです。」
「ところが東洋では、国家とは、頭のてっぺんから爪先まで、民衆をスッポリ
包み込んでしまうような存在だと思われているんです。」
あとは筑摩書房刊の『私の「戦争論」』を読んでね。
>>36 ,38
『共同幻想論』の序文か何かにも同様の記述があったかと。
40 :
考える名無しさん :2009/10/01(木) 00:49:35 0
吉本が共同幻想、公、市民社会、国家の関係をどう考えてるのかよくわからん。 個と共同幻想は逆立するけど、個と公は対立しないというのも… 「個人+個人+個人・・・といった個人の総和が公ということであってね。」 って言い方も そのまま受け取れば集団=公ってことになっちゃうし。「総和」の成立過程がわからん。 共同幻想が制度とか機関とかに結実していく過程を積極的に分析したようなものってある?吉本の著作で。
42 :
考える名無しさん :2009/10/01(木) 17:37:38 O
吉本が小林に論争で負けたと言う意味は現実味とか現実的とか言う意味です。吉本の観念的に遊離した傾向を突いた小林の現実的説得力に軍配が上がったのではないか?と言う意味ですが
43 :
考える名無しさん :2009/10/01(木) 17:40:33 O
もちろん小林が論客として凄いという意味ではないですが。最近なんて「天皇論」だし。論外。
44 :
考える名無しさん :2009/10/01(木) 18:49:54 0
>>そのまま受け取れば集団=公ってことになっちゃうし 38氏のカキコで引火されて、「私の戦争論」を図書館から 借り出した。 で、その本のP50には、 「個人が三人以上集まったとき、はじめて集団や社会というものが 発生します。 つまり、二人だけでは集団や社会が発生しないわけですが、 原則で言えば、三人以上集まって発生した集団や社会の 中で生ずる利害問題をどう調整するかということから、 「公」の問題がでてくるんです。 それが、「公」の原型なんです。 別に、個人を超えて公があるわけじゃありません。」 ときたもんだ、と。
45 :
考える名無しさん :2009/10/01(木) 22:40:51 0
>>44 そうか、集団内の利害衝突・調整の場が公。近代では市民社会。
その利害調停と集団の防衛を行うのが国家。
そして国家権力の権威の源泉が共同幻想、と。
ほとんどヘーゲルの枠組みだね。ていうかマルクス?
吉本のイメージでは市民社会と国家とは非和解的に対立する感じ。
国家=暴力装置論に近いのかな?マルクスはよく知らんけど。
そういえば、マルクスの言う上部構造が共同幻想に相当するんだ、みたいなこと言ってたな。
まぁ、国家の暴力性MAXの戦中と、その反動で戦後燃えさかるマルクス主義、っていう時代背景もおさえておかないと
吉本ってよく理解できないのかもしれない。
46 :
39 :2009/10/02(金) 00:35:51 0
吉本ー岸田秀の対談でも同じことが問題になっていて(岸田『二番煎じものぐさ精神分析』所収)、この対談について上野千鶴子が言及していた(『女という快楽』)。
このスレで総和と呼ばれているものは私が挙げた2件では寧ろA∩B∩C∩…の積、交わりとして考えられていて、
A∪B∪C∪…の和、結びの方ではない。岸田の共同幻想は構成員の私的幻想の「総積」だが、上野は吉本の共同幻想については総積の逆写像として図示していた記憶がある。
岸田のモデルでは、私的幻想がすっぽり共同幻想に含まれるケース(p⊆c)が権利上は有り得、この場合は私的幻想と共同幻想との間に何の齟齬も有り得ない。
吉本ー上野モデルでは、共同幻想はcの逆写像なので(私的幻想と共同幻想が同一平面上にあるわけではないので)、そもそも私的幻想がすっぽり共同幻想に含まれるケースが有り得ない。
>>40 の
>共同幻想が制度とか機関とかに結実していく過程を積極的に分析したようなものってある?
は上の逆変換に関係しているはずだけど、俺は古いのしか読んでいないから、「『共同幻想論』じゃダメかい」と言う答えになる。
この問題は「逆立」が要点なんだろうけど、これが分かりづらいので
>>42 のようなことになるんだろうなと思う。俺も未だに呑み込めずにいる。
盲目的な大衆マンセー
48 :
考える名無しさん :2009/10/02(金) 12:16:47 0
>>47 >>盲目的な大衆マンセー
確かにな。
ほんでもやな、フーコーを読めばフーコーに、ヘーゲルを読めばヘーゲルに
程度の差があるだけけで、誰もが盲目的になるんとちゃうか?
"大衆"なんぞまだまだ"相対的マンセー"ですがな。
その点、研究者連中はあきまへんな。"絶対的マンセー"ですがな。
49 :
考える名無しさん :2009/10/02(金) 13:24:40 0
吉本の大衆の原像は、 吉本の育った下町のおじさんおばさんたちだよ。
50 :
考える名無しさん :2009/10/02(金) 13:32:58 0
>>49 ほんで、その"原像"とやらと"実像"との乖離についちゃ、
自慰サンは自覚的なのか?
51 :
考える名無しさん :2009/10/02(金) 17:46:57 0
自覚してないならわざわざ原像なんて言わないだろ。 凡百の大衆マンセー論者みたいにただ大衆と言っていればいい。
52 :
考える名無しさん :2009/10/03(土) 00:31:10 0
>>46 サンクス。「総和」についてはやや納得。『女という快楽』は読んでないけど、上野千鶴子ちょっとだけ見直したよ。
「共同幻想が制度とか機関とかに結実していく過程」というのは
>>46 のいう逆変換、つまり権力が社会構成員に作用していく過程と
その媒体というくらいのつもりだった。こういうのは吉本はあまり触れていないような気がするな。
「言語美」でも表出意識の外化・伝達過程にはほとんど触れていないし。
まぁ、それは政治学、社会学、言語学の個別領域でやればいいことで、吉本に対してはないものねだりってことかもしれないが。
一方、それが写像、逆写像の構造解明の甘さにつながっているのではないかという気もする。
したがって、「逆立」が謎概念となる。
「逆立」というのは自己幻想と、共同幻想の写像・逆写像との間の単なるズレといったものではないように思える。
この言葉はおそらく凸レンズによる倒立虚像からの連想だろうが、もと技術者であり、詩人である吉本が
単なるズレを「逆立」とは表現しないだろうと思うし、おれ自身にとっても「逆立」という言葉は直感的にピンとくるものがある。
そんなわけで「逆立」という言葉をふと思い出すたび、うまく飲み込めずに喉チンコのあたりでひっかかり、また舌にもどしてモゴモゴ、
そのうち酒に溶けて消えていく、みたいな。
53 :
考える名無しさん :2009/10/03(土) 04:02:16 0
自己幻想はむしろ自由でわがままなものであるのに対して共同幻想はそれを束縛する。 極端な場合はそれを押し殺し、身を滅ぼそうとすらするのが逆立。
54 :
考える名無しさん :2009/10/03(土) 06:18:19 0
祝!東京落選。
55 :
考える名無しさん :2009/10/03(土) 06:36:28 0
>>54 スポーツ嫌いかな?
そいとも、外国人嫌いかな?
56 :
逸物君 :2009/10/03(土) 07:14:01 0
だってさぁ、高々一都市の為に国税を使われるなんてなぁ。
なんかさ『共同幻想論』自体がどんなテーマで書かれたかってことが重要なんじゃないかな。 「共同幻想」って言葉を聞くたびに、信者が言葉遊びしてるみたいに見える。 なかなか他所じゃ使えない言葉だw
58 :
考える名無しさん :2009/10/03(土) 19:05:48 O
吉本は本気で「大衆に添い寝する気」があったのかどうか疑わしい。だったらなぜ「啓蒙批判」などするのか?疑わしいぞ
59 :
考える名無しさん :2009/10/04(日) 02:00:41 0
共同幻想という言葉を振り回す奴がインチキ臭いのは確か。 吉本爺さんがかつて便宜的にマルクスのドイデから借りてきて使った言葉だけどな。
60 :
考える名無しさん :2009/10/04(日) 23:45:44 0
共同幻想論は吉本の自立思想から出てきた論考だろ マルクス主義もスターリン主義も反スターリン主義さえも見切った吉本が 自前の掘立小屋を建てたうちの一つが共同幻想論であり言語美なんだろう
61 :
考える名無しさん :2009/10/05(月) 12:38:37 0
要は、吉本信者になるか、無視するか、の二者択一だよね。 反論の理論展開なんて、ほとんど出来てきてないし。 そこんとこいくと、糸井重里なんかお利巧さんじゃん。 四の五の言わずに、自慰サンをネタにCDやDVD売りまくってさぁ。
62 :
考える名無しさん :2009/10/05(月) 12:40:05 0
共同幻想あらため、共通妄想
63 :
考える名無しさん :2009/10/05(月) 19:53:43 0
共通妄想っていうと市民社会での常識に近いような。
64 :
考える名無しさん :2009/10/05(月) 20:26:23 0
共同幻想論ってひと言で言うと 人間の共同幻想は経済的な下部構造とは無関係に それ自体として変化・複雑化していくという論だと思う
1940年代生まれの吉本隆明信仰の強烈さは、肌で感じないと分からん。 吉本、廣松、マルクス、ヘーゲルの4点セットでね、世代間断絶の深さは 想像を絶する。1960年代生まれとなると、柄谷、浅田、フーコー、ドゥルーズ、 デリダの5点セットで、決定的な違いは「ヘーゲルかスピノザか(マシュレー)」。 前者はマジでスピノザを読んでいない(というか、読む価値が無いという刷り込みが強くて、 読めない)、後者はヘーゲルを(同じ理由で)読んでいない。 しかし、最近の出版界の吉本祭りは、非常に不謹慎な商売気の賜物にしか思えない。
66 :
考える名無しさん :2009/10/06(火) 11:17:51 0
>>65 >>しかし、最近の出版界の吉本祭りは、・・・
許してやれや。
余命幾許かの自慰サンへの手向けよ。
好きで、好きで、大好きな宮沢賢治研究の受賞もして、
長女にダダこねてその受賞式に出席したんだ。
もう言い残すことなんざ、ねーだろ。
糸井も自慰サンの余命を計っての販売戦略よ。
マル中からの落ちこぼれらしいが、立派に更生したもんよな。
68 :
考える名無しさん :2009/10/06(火) 11:37:07 0
>68 そうじゃなくて1950年代生まれの吉本に対する立場。
70 :
考える名無しさん :2009/10/06(火) 14:33:52 0
50年代はシラケ世代と呼ばれていたな。 前の世代が全共闘で敗北し敗走の過程で内ゲバも起こって、 運動や思想に対する拒否反応が大きかった。 50年代で吉本本を書いているような人は、成人して「マス・イメージ論」 「ハイ・イメージ論」あたりを読んで嵌ったという人が多いのではないか。
71 :
考える名無しさん :2009/10/06(火) 14:49:17 0
>66 余命いくばくかのって、まだまだ元気みたいじゃん。 同年のうちの婆ちゃんに比べれば、しっかりしてるよ。
>>70 1950年代初期生まれこそが、全共闘で、それより上の全共闘の本質は全学連なんだよ。
73 :
考える名無しさん :2009/10/06(火) 17:50:52 0
>>72 1950年生まれは1968年には18歳だけど
大学受験は1969年なのでは?
全共闘運動って実質1968年の学生運動だろ?
>>73 全共闘運動は、実質的には1968〜1970年だよ。
1968年の全共闘運動は半ば全学連的で、 1969年の全共闘運動が文字通り全共闘的(つまり反全学連的)になる。
76 :
考える名無しさん :2009/10/06(火) 19:00:00 0
吉本って実際のところ全共闘の人たちにはどの程度読まれてたの? 吉本読んでてこんなになるんか?ってくらい権威主義的っていうか権限行使がヘタっていうか そんな人けっこういるんだけど。 プチインテリファッションて感じだったのかな?
77 :
考える名無しさん :2009/10/06(火) 20:36:05 0
70年以降の学生運動は陰惨な内ゲバが中心になっていった。 吉本はブントの叛旗派には人気があってよく読まれていたらしい。 埴谷吉本高橋和巳なんかはノンポリも含めて人気があったのでは。
78 :
考える名無しさん :2009/10/06(火) 20:56:54 0
>>76 日大闘争のリーダーが毛沢東をけざわひがしと言ってたくらいだから
全共闘世代でも吉本を読めた人は少数だったろう。
79 :
考える名無しさん :2009/10/06(火) 21:04:36 O
周囲のニーズにあわせて記憶が引き出されるのはいいのかも 脳のメモリーは膨大なんだろうな
80 :
考える名無しさん :2009/10/06(火) 22:17:44 0
人名が読めることとと思想を咀嚼する力とは直に関係しないと思うけどね。 日大の「けざわひがし」氏は「大衆の原像」から立ち上がり、自立のほうへ歩み始めた人なのかもしれないし。
81 :
65 :2009/10/06(火) 22:18:49 0
>>67 >>68 うーん、個人的には1940年代後半生れの人たちの「吉本信仰」が最も著しい、
という経験則から上のように書いたので、実際には1950年代生れの人たちも、
吉本派は多いと思う。あえて「信仰」と書いたのには訳があって、とにかく
この世代の人たちにとって、「吉本隆明」という名前は、強烈なブランドなのよ。
ファッションだったと言ってもいいと思う。
俺は1967年生れだから、実体験としては知らないのだけど、1940年代後半生れの人たちの
吉本隆明に対する絶対的な信頼は、けっこう肌で感じる機会が多かった。
「言語美」「共同幻想論」は必読。ご本人が分かっていようがいまいが関係なく薦められる。
極端に言えば、吉本隆明の名前さえ出せば、会話が成立する。
小林秀雄、吉本隆明、柄谷行人と並べた場合、最も「理解されていないが、愛されている」のは、
吉本隆明だと思う。その辺りの機微は、吉本派の書いた本を読んでも納得行かなかった。
鹿島茂の新書が出て、やっと少し腑に落ちた(気がする)。
逆に言えば「詩人・評論家・作家のための言語論 」を読んでいれば、俺のような後発組でも、
吉本信者(彼らはしばしば、この本を読んでいない)以上に、明快に「言語美」の「解説」が
できるので、やはり「言語美」はそれ自体としては、少数の読解者しか持っていなかったように
思える。(養老孟司経由で読んだ、三木成夫の本は面白かった)
こうした世代間断絶は、今後ももちろん繰り返されるだろうから、思想と世代の問題は大きいと思わざるを
得ないね。
1950年代初期生まれの全共闘の年少派には吉本の影響は皆無に近かったらしい。
すが秀実も、吉本の影響は全共闘の年長世代までだったと書いてる。
年長派は疎外論だから吉本とも結びつくが、年少派は物象化論だから吉本批判になる。
60年代以降の生まれで吉本を評価してる人も結構いる
「ハイ・イメージ論」のライプニッツとスピノザ論は、全く納得できなかったのだけど、 そんなことはない、と言う人はいるのだろうか?原典読んでいる人で。
88 :
考える名無しさん :2009/10/08(木) 10:11:31 0
>>85 最近は対談形式や口述の本が多くて比較的とっつきやすくなった。
この爺さんの言葉、何か心に届くなって感じで10代にも読まれている。
89 :
考える名無しさん :2009/10/08(木) 11:16:23 0
吉本が現代という時代に媚びているからだよ。
90 :
考える名無しさん :2009/10/08(木) 13:41:39 0
オウムは宗教のあり方としてはありとか 時代に媚びてたらこんな発言しないだろ
91 :
考える名無しさん :2009/10/08(木) 16:01:46 0
吉本は基本的に1975年以降、時代に媚びてるよ。
92 :
考える名無しさん :2009/10/09(金) 18:53:34 O
もうあまりに低いレベルで吉本を語りたくない、低脳に付き合いたくない、とでも思ってるのだろうか、ハイデガーの人やらは。 昔の白熱した罵りあいが懐かしいぜ。 ユーモアもあって面白かった。 吉本は死に体ってこともあって「個人的」に秘めやかに読まれていると思う。 団塊宗教体質や思想入門一年生がする議論なんかとは無縁の場所で。
吉本は親鸞論あたりから駄目になったね。
吉本氏がその発声法を重視する美空ひばり、綾戸智絵について、 改めて聴いてみたのですが、その理由がよくわかりません(二人が いい歌手だということはわかります)。 どのあたりに留意してこの二人の歌を聴けば、 吉本氏の理解に近づけるでしょうか?
95 :
考える名無しさん :2009/10/11(日) 00:56:18 0
最近気付いたことがあって。サルトルの晩年のインタビューで「70歳の自画像」というのがあるん ですが、そこでサルトルはこんなことを言っている。 《わたしは、透明さがどんな場合にも秘密に取ってかわるべきだと考える。そして二人の人間が、誰 に対してももう秘密を持たぬがゆえに、主観的な生が客観的な生と同じく全面的に差し出され呈示 されるがゆえに、お互いに秘密を持たなくなる日、そういう日を私はかなりはっきりと思い描くこ とができる。》 《真の社会的な和合が打ち立てられるためには、一人の人間がその隣人にたいして全的にそっくり 存在すること、その隣人の方もこの人間にたいして全的にそっくり存在することが必要だ。》 ここでのサルトルとよく似た発言を実は吉本もまたしている。蓮実重彦との対談の席上、自身に とっての文学の意味について、吉本が喋る場面がある。吉本はこう語っている。 《根底的にいえば、行為する自分があると、自分というのは、体験的にいえば、そのモチーフが決し て人からわかられたり正解されたためしがない。人は喋ることによっても行為することによって も了解不可能だ。しかし、理解せしめられたことはないというこ、あるいはそれをもっと敷衍化し て言えば、人間と言うのは、他者というものを理解することができないんじゃないかという一種の 不可能性の予感みたいなものをどこかで突き破りたい、どこかでそれを解消したいというモチー フがあって、それで書く人、読む人が文学というものに近づいて行くんじゃないか。》 つまり吉本においても、サルトルと同様に、人間同士が互いに遮蔽されずに全体として存在して いること、一個の全体性として理解していることは、思索の根本モチーフとして存在している。吉本における有の理解 というのが、互いに全的に存在すること、理解されて有るにあるのは、明らかなことだろう。人間が 他人にとって秘密ではない、そのような社会をめがけていることは明らかなことである。
96 :
考える名無しさん :2009/10/11(日) 08:01:30 0
>>95 これだけ切り取ったら一種の啓蒙思想だな。
サルトルはそうだとしても吉本はどうなんだろ。
97 :
考える名無しさん :2009/10/11(日) 10:23:35 0
付け加えると、吉本の話から漂ってくる不思議な安堵感というのが僕などあるんですが、 それはどこから来るのかといえば、先に書いたように、吉本における有の理解、人間は全的 に互いに存在可能だ、という有の理解からではないか、というのが僕の理解です。サルトル という人は生前、非常に気さくな人で、まだカミュと論争になる前、二人で周囲が眉をひそ めるような下品な話をしていたというボーボワールの証言もあります。吉本は下品とまで はいかないけども、たえず率直な感じを受ける。それは実はそのような有の理解によるの ではないか、ということです。だから彼の放つオーラから、自分が全体性として、制約を蒙る ことなく存在しうる、と感覚を受け取る。そこが彼の論敵と違うところで、吉本の論争相手 というのは、色んな背景から、党派的倫理を前面に出す。だから、必然として、サルトルや 吉本がいうような全体性としての個体、というところは否定されざるをえない。サルトル という人は、マルクス主義の同伴者であった時期もあったにせよ、どこかでそう単純ではな いと思わせるのが、そのような彼の有の理解があったせいだと思う。サルトルのそのよう な側面ぬきに、彼の哲学も、あるいは吉本にせよ、その批評は論じれないのではないかと 最近、思えるわけです。
吉本には、存在しえないハラハラ感もあるよ。 それを直観して、何かに守られたい党派性の人間が、彼を非難するんだよ。檻の中からね。
99 :
考える名無しさん :2009/10/11(日) 12:02:58 0
もう少しサルトルの言葉を引いてみます。吉本との意外な近さを示すため。 《ー文章表現というのは秘密とか対立抗争から生まれるのではないですか?和合の社会では たぶん存在理由を持たなくなるのでは… サルトル 文章表現が秘密から生まれることはたしかなところだ。しかし次のことを忘れな いようにしよう。文章表現はこの秘密を隠すとか、嘘をつくとかするかーその場合には 面白くなくなるー、さもなければこの秘密について一つの見方を示そうと、他人にたいして 自分がどんなであるかを証言しつつこの秘密を汲みつくすことさえ試みようとするかー この場合には文章表現はわたしの求めているあの透明さの方向に向かうわけだー、その どちらかだということを。》 このサルトルの発言は、晩年のもので、自分のこれまでの活動を振り返りながらのもの なだけに、彼の最終的な境地に近いのではないかと思います。彼は1960年代半ばからフロ ーベール論に打ち込むわけですが、それのモチーフが、一人の人間をどこまで理解できる のか、だと確か述べていた。 ちなみにフローベール論について語る中でサルトルは、この作品のなかで対象を指示する ための概念は同時に自分(サルトル)をも指示する、としています。 《コンセプトというのは外在性にもとづく定義であり、同時に超時間的な定義だ。ノシオン の方はわたしの考えでは内在性にもとづく定義であり、ノシオンの対象が想定する時間のみ ならず、おのれ(サルトル)自身の認識の時間をもそれ自身のうちに含む定義なのだ。言い換 えれば、それは己のうちに時間を導入している思考なのだ。(中略)もしこの受動性を一個の 歴史的全体として捉えようとするなら、どこからこれが生じ、いかにしてこれが発展したか を示す必要がある。さらに、受動性という概念(ノシオン)そのもののなかに、この概念の発見 、ならびに思考ーこの場合わたしの思考ーが徹底的に見てとれることが必要だ。》 つまり、作家論において対象作家をめがける独自の概念が生じるときに、それは批評家自身 の存在検討、有の意味の思索をも意味する。その辺りもまた吉本を連想させるところです。
100 :
考える名無しさん :2009/10/11(日) 15:02:19 0
92が煽るからハイデガーの人参上
101 :
考える名無しさん :2009/10/11(日) 19:20:28 O
ハイデガーの人いい感じだと思うけど、サルトルと吉本ってのはどうも。 それでスガが?な恥を晒していたのも最近だしね。 ハイデガーの人らしくハイデガーとか(これは語り尽くしちゃったかな)フーコーで語ったが現在的な気がする 世代的にサルトルあんま知らんけど、サルトルじゃオウム分かんなくね?
102 :
考える名無しさん :2009/10/11(日) 20:27:11 0
確かに、ハイデッガーと吉本を較べるのは意義があるな 二人とも、ファシストだったという共通点は、もっと注目されていい ただし、若くてファシズムにだまされましたと反省しちゃった吉本より、 反省しなかったハイデッガーは格段にえらいが
103 :
考える名無しさん :2009/10/11(日) 21:32:59 O
吉本は反省してないんじゃない? さかんに内省や罵倒はしてたけど、関係の絶対性的には、ファシズムに捕らわれた人間は悪だ思考はお話しにもならない馬鹿ってことになるでしょ? 一筋縄じゃいかない気がしますけどね。 ハイデガーはツェランを絶望させる程一筋な頑固者なんで、分かりやすいちゃ分かりやすい。 そこはかっこいい感じかも。 けどえげつない。
104 :
考える名無しさん :2009/10/11(日) 22:08:51 0
フローベール論を出版した頃、1970年頃のサルトルは初期の自由・選択・責任の主体としての 人間を強調した頃とは若干違ってきて、インタビューのなかで、相手を唖然とさせるような発言も しています。 《サルトルーある意味で、われわれはみな宿運を定められて生まれてきているのだ。われわれは、あ る時期の家庭と社会とが置かれている状況によって、はじめからある型の行動に運命づけられてい る。(中略)宿運という考えは、わたしにおいて決定論という考えのかわりになるものだ。われわれ は疎外されているがゆえにー少なくとも一時的に、今日のところー自由ではないとわたしは考える のでね。われわれは例外なしに幼年期に自分を見失ってしまう。教育方法、両親・子供の関係、学校 教育等々、こうしたことすべてが自我を与えるのだが、それは見失われた自我なのだ。》 このように、かつての自由の哲学に若干の変更を加えており、それはサルトルによれば、自由は予め 狭められており、選択は自由であると同じに必然性に追い込まれる、ということになります。 《かといってそれは、この宿運のうちにはいかなる選択の余地もないということではない。けれども われわれは、選択をしても選択したものを実現し得ないだろう(必然的なものに包括される)と いうことを知っている。これはわたしが自由の必然性と呼ぶものだ。》 つまり自由は予め狭められて、決定づけられた自由でしかない。人間の人格もまた同様だとして います。それらは吉本でいえば親鸞で論じた不可避という概念を思わせるものがあります。尤も、 こういった変貌は1960年代以降なので、サルトルと吉本をいたずらに等号できないこともまた 明らかで、むしろこの時期にサルトルは現代における自由のリアリティーにようやく到達したと も言えると思います。初期の対自存在の哲学に様々に条件を付加することで。
105 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 00:51:45 0
吉本がサルトルを高評価するっていうのが、どうもピンと来ないなぁ。 『言語美』とか『共同幻想論』の論理の組み方は徹底してヘーゲリアンだと思うし。 政治的にはサルトルと違ってマオイズムなどに傾くこともなかったし。 「関係の絶対性」というなら、むしろ構造主義に接近しておかしくないと思うし。 そういえば、橋爪大三郎が若い頃、まだ日本で出版されてなかった『親族の基本構造』を訳して吉本に送った っていう話をどこかで見たことあるんだけど、吉本はどんな反応を示したんだろう?
>>105 「永遠の吉本隆明」に載ってたエピソードだな
吉本に手紙で「送りますか?」と訊いて
「送って下さい」と返事が来たんだから
関心はあったんじゃないの
107 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 01:07:25 0
>>106 で、吉本は『親族の基本構造』をどう評価したのかな?
それが原因でおぼれたらしいよ
おやおや? まだ理解できないのかな? いいかい? 世の中には因果関係というものがあって、Aがある→Bがあるんだ。 この場合、Aが元祖であり、そして、その逆は成り立たないんだ。 テクノポップ(テクノではない)の場合、 A:スナインコッコスマナラコッサーラ長老 B:クラフトワーク
110 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 06:53:34 O
テクストを構造にして注釈してもダメダメよ、生きた実践を読まなきゃ、とデリダに噛みついたフーコー的機微を吉本は踏まえていると思う。 その辺の吉本は柄谷がいい感じで論じていた。
111 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 07:46:11 0
>>105 サルトルのヘーゲル主義というのも常識だよ
112 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 09:54:56 0
>ハイデガーの人いい感じだと思うけど、サルトルと吉本ってのはどうも。 >それでスガが?な恥を晒していたのも最近だしね。 くわしく
>>111 お前さんなかなかするどい所を突いてるね。
デリダに噛み付いたフーコーを踏まえて言えば、テクノを構造にして
還元してもテクノポップとテクノの間の差延=痕跡を消しさることは
不可避であり、押しなべて世の事象には全て因果関係という物が存在する。
Aがある→Bがある、つまりAが元祖であり、そして、その逆は成立しない。
その辺は柄谷が『探求U』でもいい感じで論じていた。
つまり、デトロイトのアーティスト達が起こした反乱は今現在も世界中に
その種を撒き散らし新たな「革命者」を生み続けている。リッチー、フミヤ、
卓球…そしてこの僕も含めてね。
114 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 11:35:52 O
柄谷は Bがあった→Aが捏造される な感じじゃね?
おっしゃる通り 「Bがあった」=「デトロイトでテクノが生まれた」から「A」=「クラフトワークはテクノの起源」が捏造される デトロイトでテクノが生まれていなければクラフトワークがテクノの起源と言われる事もない おわかりかな?w自ら墓穴を掘ってしまったようだね?ww
116 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 13:36:23 O
結局 Bがあった、Bの根拠が何なのかなど知ったことか、またBはAにもCにもなれた可能性はある、けどBはBでしかなかった、これすっげーよマジすげーよ信じられねぇよのりPだよ って感動出来れば批評のメインストリームはれるんじゃないの。 これないとこで知識振り回しても「あ、はーん?」でしょ。
ご明察 BがBであった=デトロイトでテクノが生まれた、という事実に感動して批評のメインストリームはったのが野田努 『ブラックマシンミュージック』(河出書房新社刊)は全ての人間にとって必読であり、吉本隆明の『マスイメージ論』と並ぶ名著である
118 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 14:21:02 O
スガ本読んで「あはーん?」と感じたのは俺だけではないようだなw
吉本なんてまだ読んでる馬鹿いるの?
120 :
吉本なんてまだ読んでる馬鹿で〜す :2009/10/12(月) 19:52:21 0
>>105 ロシア・マルクス主義の最後のチャンピオンと命名してたっけな。
>>107 すべての民族が近親相姦をタブーとした理由を書くのに
こんな分厚本が必要なのかね、と書いたのを読んだ記憶がある。
121 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 20:17:39 0
この本は、今の時代には珍しく極端に政治的な本である。 『地獄の黙示録』や『ゴットファーザー』、あるいはクリント・イーストウッド、オリバー・ストーン、スパイク・リーなどの監督作品は、 ハリウッドで制作された商業映画でありながら、アメリカ知識人の文脈では「政治映画」というジャンルに分類される。 本書はこれらの優れた政治映画映画を導きの糸として、そこから、欧米の白人社会内を分断するカトリック対プロテスタントの 激しい対立や、リベラル対保守という政治的対立のほんとうの意味を、明らかにしていく。なぜなら、そこにアメリカ社会を理解 するための確信があるからだ。 同時に、欧米の白人社会の間にプロテスタントとカトリックという深い対立と差別の構造があることが本書によってはじめて 明らかにされる。こんなことは欧米の知識人の間では常識なのだが、彼らは絶対にそのことを口にしないから、日本人は これまで誰もはっきりと理解できなかったのだ。 副島隆彦 「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」より抜粋
122 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 20:20:08 0
日本の大学の理科系(理学部、工学部)の教育の1年生の教育では、この「実験の大切さ」を叩き込まれると私は 聞いています。これは優れた教育法だ。実験の授業では、学生が、自分でやった実験の結果や、目視した物、 それから、実験の結果(成果)として得た数値などを、絶対に、ごまかしたり、改ざんしたりしてはならない。 と教える、という。当たり前のことのように思われるが、この実験と観察の、初歩の訓練はきわめて大切である。 自分の実験の結果が、当初の予定から、どんなに外れていても、失敗に終わってもそれでも出現したおかしな 結果や数値を、そのまま、正直に書いて、教授に提出しなければならない。これが理科系の教育の良さである。 この一点で日本の理科系の学部は優れている。これだけ日本の大学教育の実情がひどいことになっており、 見るも無残な現状なのだが、それでも理科系の学部では、まだ、この実験と観察の方法学(メソドロジー)が 生きている。これが日本の優れた技術者を大量に育てた原因だろう。 それに対して、日本の文科系(社会学問系)は、悲惨である。 自分で何か仮説を立てて、それを実験的に考えて、現実の事柄に適用してみて、自分の頭で苦労して考えて、 そこから何かを導き出す、という訓練など、全く誰も、誰からも、全く、教えられていない。頭の悪い日本 の大学教授たちが書いた、どうしようもない硬直した教科書や、自分の思いつきを書きなぐっただけの本を、 ただ読まされる。あるいは寝言のような自分勝手な考えを、講義と称してひたすら聞かされるだけだ。 日本の大学の文科系の教育は腐り果てている。 文科系の学問は、学問対象が、社会や国家や、人間集団だから、簡単には実験の対象にできない。このことを 言い訳にして、それで、欧米で作られた理論をただそのまま「換骨奪胎して」(つまり日本語という言語に 置き換えて、泥棒して)「和魂洋才」で垂れ流しているのがほとんどだ。 副島隆彦「人類の月面着陸はなかったろう論」P216~217
123 :
考える名無しさん :2009/10/12(月) 20:33:04 0
学位(ドクトレイト)は、本来、学者個人が一子相伝で伝えてゆくものです。 大学や教育相が出すものではありません。 フランツ・フォン・シーボルトは、長崎の鳴滝塾で、高野長英や小関英三に彼らが オランダ語(どうもドイツ語らしい)で書いて報告した論文に対して、「ドクトル」 の学位を授けています。 学位とは、周囲の高い評価を得た優れた学者が、個人の名前が出すものです。 福沢諭吉先生の真似を私はそのうちするぞ。日本の土人学者や、「日本的エスタブリッシュメント」 なんか、原住民のまじない師集団(欧米では誰からも相手にされない)に過ぎないから、 私は、呆れ返っているから相手にしない。だが、アキラ君は、このあとも日本のアカデミズム (まじない師集団)の中で生きゆくだろうから、私の知ったことではない。 副島隆彦「属国日本論を超えて」
124 :
考える名無しさん :2009/10/13(火) 00:33:03 0
>>120 ありがとう。
橋爪青年、がっかりしたかもしれないね。
思考パターンがあわないっていうか、構造の形式的表現とか、吉本は苦手なんだろうな。
『言語美』とか一見そんな志向がありそうな感じもするんだけど。
もし日本にアンドレ・ヴェイユがいたら…って思ったりもするけど、いたとしてもその機会が生きることはなかっただろう。
今、そのへんが少しすっきりした。
125 :
考える名無しさん :2009/10/13(火) 11:31:43 0
>>124 120氏もご存知だと推測しますが、
『親族の基本構造』についての吉本隆明のコメントは
120氏のカキコ通りですが、吉本隆明は
同書およびレヴィ・ストロースを評価しております。
126 :
考える名無しさん :2009/10/13(火) 11:44:07 0
だいたい心的現象論序説は、構造の形式的表現そのものなんだが。 まあ後続の村瀬学の方がうまいから苦手なのかもしれないけど。
127 :
考える名無しさん :2009/10/13(火) 12:24:56 0
>>120 >>ロシア・マルクス主義の最後のチャンピオン
とはこれまた懐かしや。
ロシア・マルクス主義最良の部分てな言い方もしてたぜ。
1975年以降の吉本は資本主義翼賛のコピーライターだよ
129 :
考える名無しさん :2009/10/13(火) 16:15:26 0
マルクスの考え方のなかには、資本主義翼賛とも解釈できる一面があるからね。 ただし、あくまでも、共産社会へのプロセスとしての資本主義翼賛だけどね。 吉本さんもある時期には、資本主義がこのまま順調に発展して行って、 それに応じて社会的福利厚生を充実させ、技術革新を順調に成し遂げて行って、 少しずつ共産社会に近づいていくはずだという考えに傾いたんだろうね。 だからそのマルクス主義的技術発展史観を拒むようなエコロジーに猛烈に反対した。 ただしアジア的なものが滅んで行くことに関してはノスタルジーを捨てなかったけどね。
130 :
考える名無しさん :2009/10/14(水) 11:22:20 O
そんな高校生みたいな史観を吉本が? 言葉尻捕まえりゃそう言えるかもだが・・・あんまりでしょw 吉本の資本主義マンセーは社会科学的なタームでみてもしようがない。 欺瞞許すべからず、の倫理でしょ。
131 :
考える名無しさん :2009/10/14(水) 11:45:30 0
高校生みたいな史観? でもマルクス主義者にかぎらず、 いまでも大多数の人々が抱いている史観じゃない? 吉本さんに関していえば、ちょうどその時代に出された 『世界認識の方法』にそのヒントがあるよ。
132 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 08:16:32 O
言葉尻つかまえりゃ 「状況への発言」等でケチョンケチョンな史観だな、とも言えるし、意味ねぇよ。 大前提として、吉本にはそんな教科書みたいな史観ムリムリ。
133 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 08:37:16 0
>>129 それは、かつて吉本が三流スマートボーイと侮った“構改派”と
どこが違うんだろう? 革命を断念し、改革を選んだということだろう?
要するに彼の言う“転向”とはそういうことかな?
本を読むのは平気だけど、ネットだと10行程度の文章読むのもダルい なんでだろ
135 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 09:33:16 0
>>133 吉本さんのマルクス解釈からすれば、下部構造としての資本主義は
科学技術の発展とセットで自然過程と見なされるから。
136 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 10:17:28 0
>>135 マルクスに倣って吉本は「自然過程に身をまかす」ことに抗っていたのでは?
それは現在の諸矛盾に目を瞑ることになるからだ。
革命とは、自然過程への爆発的な抗い(自由の極北)を意味する。
それは政治(上部構造)の自然過程(下部構造)への強権的な介入である。
結局、一切は“自然過程”なのか。
それとも、いささかなりとも分け入り改変することがヒトには可能なのか…
137 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 11:33:39 0
自然過程に抗うのが観念=純粋疎外じゃないの? 自然(過程)そのものでいるのは原生的疎外そのままだから。
138 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 11:43:45 0
純粋疎外もまた自然過程だろう? “意図”による産物ではなかろう。 そこまでは、人間的自然である。 その先があるかどうか、革命はその先の話である。 革命も自然過程なら、すべてはあるがままに、でおしまい。
139 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 11:50:51 0
自然過程への介入とその改変は可能か、を問うているのである。
140 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 12:11:07 0
>>137 この辺りは微妙だよね。
ヒトはパンツをはいたけどそれは自然過程なのか、
それとも自然過程に抗ったものなのか。
たとえば吉本のやり方で、現在の日本の政体について筋道つけて説明できるのかっていう・・・
142 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 21:49:32 0
>>129 > だからそのマルクス主義的技術発展史観を拒むようなエコロジーに猛烈に反対した。
これは正解じゃないか。だから環境保護団体を反動的(右翼)だと見なした。
マルクス主義進歩史観に対する反動だから。
143 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 22:02:51 O
一通り吉本読んでる誰もがげんなりして絶句するような話題はそろそろ止めようぜ。
144 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 22:09:28 0
>>143 じゃあ、君が話題を提供すればいい。
ケチをつけるのはクソでもできる。
145 :
考える名無しさん :2009/10/15(木) 23:07:36 0
>純粋疎外もまた自然過程だろう? いや、人間的自然じゃね? 吉本&マルクスの永遠のテーマやね。
146 :
考える名無しさん :2009/10/16(金) 05:54:15 0
これで、アメリカの法哲学・法思想界の対立軸の背景にあるものを説明した。 そしてそれらは、大きく@のナチュラル・ロー(バーキアン)派、Aのナチュラル・ライツ(ロッキアン)派、 Bのヒューマン・ライツ(リベラル)派、そしてCのポジティブ・ロー(ベンサマイト=リバータリアン)派の 四つの対立図式であると考えることができた。 この対立図式はそのまま、政治思想の対立図式でもある。 ヨーロッパ・アメリカの近代政治思想のこのような大づかみな対立図式を知らなければ、欧米知識人の 議論の輪に入っていくことはできないはずである。 副島隆彦『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』講談社α文庫:1999年、原著1995年
147 :
考える名無しさん :2009/10/16(金) 05:56:45 0
マッカーサーが連れてきたニューディーラーの正体 日本の戦後は、アメリカの政界の最も悪質な部分である「ニューディーラー」にたちによってつくられた。 彼らニューディーラーたちは、1930年代のアメリカのリベラル勢力である。彼らの代表がフランクリン・ ルーズベルト大統領であった。この一部が敗戦直後にマッカーサー元師の取り巻きとして日本にも上陸した。 この者たちによって私たち日本人は、敗戦直後から現在までずっと管理・教育されてきた。この事を英文で書くと 次のようになる。 The‘New Dealers'(i.e the prototypical globalists)brought int japan with their ideeas that brainwashed the japanese people duringt the Occupation years.As a result,japan has led a sheltered existence for the past half-century from the rest of the world in terms of prevailing political thoughts,thus creating a one- domineted ruling class. This ruling class then intentionally isolated the country from the outside, in order to maintain control over the japanese people. 上の英文の訳 「ニューディーラー(すなわち、グローバリストの初期の形態)が、占領時代に日本に彼らの思想を植えつけた。 その後、それらの意図的な思想が、日本国民の思考の中に根づいた。だから日本は、この半世紀の間ずっと、 世界中で通用している本物の政治思想や考え方から壁を作られて遮られてきた。そして国内に専制的なひとつの 支配階級をつくった。この支配層は日本国内の支配を維持するために、日本を外側世界と意思が通じない状態に 置く原因をつくった。」 この英文を、自分の友人や知人のアメリカ人やイギリス人その他の英語圏国民に見せてみとよい。 政治問題に 関心のある少し知的な英米人であれば、必ずそれなりの興味深い反応を示すだろう。もし、本当に頭の良い賢明な アメリカ人であったら、「どうして、お前は、このことを知っているのだ?」と驚かれたあとに、さらに多くの 恐るべき真実をあれこれ語ってくれるだろう。 引用は副島隆彦「日本の危機の本質」P33〜34
148 :
考える名無しさん :2009/10/16(金) 08:36:43 0
マッカーサーがGHQに連れてきたニューディーラーの コアなメンバーはアメリカ共産党員だな。日共の野坂も アメリカ共産党に党籍があったしね。 しかし共産党の連中は半年くらいで帰国させられてる。 その後マッカーサーいわく「かわいいファシスト」たちが GHQの主流になっていくわけだ。
149 :
考える名無しさん :2009/10/17(土) 03:49:13 0
キチガイ柴崎は来るな。
150 :
考える名無しさん :2009/10/18(日) 11:13:26 0
ここに副島発言を引用してる人はすごい発見だとか思ってるんだろうが、戦後にマッカーサーの 取り巻きで入ってきた何とか言う一派がなければ今のようにはならなかった、とか、その手の占領 政策問題というのは、昔江藤淳が1980年代に延々やっていた問題で、その江藤は吉本との対談で 「江藤さんみたいな大知識人がその手の問題にかかずらうことはないんじゃないですか」とたしなめ られていた。最近講談社文芸文庫で復刊され吉本隆明×鮎川信夫の『文学の戦後』でもその江藤淳の 仕事について、検討されている。江藤が戦後の日本国憲法の制定に関わった人間とかに一々会って 話をしている情熱については評価されている。しかし評価されるのはそこまで。何で江藤さんほど の人があんなことに、という疑問は語られていたはず。江藤の場合、80年代以降の、吉本のいう高度 消費社会の到来に伴う文化の変貌によって、ひどく落胆し、自信を喪失した部類だと私はとる。江藤 の当時の立場というのは、竹田青嗣、加藤紀洋との座談会でもしきりに主張されているが、要するに 文学の威厳を守れ、とまるで古典芸能の師匠みたいなことを説教することしかできなくなっている。 いわゆるマスイメージにそこまで追い詰められていたと分かる。
151 :
考える名無しさん :2009/10/18(日) 11:52:26 0
日本人が、いつも裏と表の文化を駆使することでしか事に対処できない、というのは最近 でいえば福知山脱線事故の調査委員会のメンバーとJR西日本が癒着して、調査報告が漏ら されていたとかの事件、また、同じJR西日本はこの件についての社員への聞き取り調査に ついて、他の社員はこう聞き取りにたいして喋っている、という資料を渡されていた、とか 、裏工作が為されていた一件にもよく現れている。吉本もたしか、『ひきこもれ!』だったと 思うが、日本社会の中の偽の真面目さについて、これが改善されるかがすべての始まりだと 思う、みたいなことを喋っている。なぜ日本社会はいつもそうなるのか、というのは未だに 続いている問題で、それには様々要因があるのだろう。吉本の専門であるアジア的精神だ ともいえるのだろう。上部構造にたいし、下から変えられる、という意識が育ちにくい、 いつでも百姓根性、うまく立ち回ることこそ至上、と言いくるめられてしまう。こういった 問題への解答の一つとして、江藤がやってた占領政策論とか、ついでに副島某のマッカーサー 取り巻き連の仕業論とかがあると思う。細かくみていくとそういう論の有効性もあるのだろうが、 日本社会論として不十分、不徹底としかみえない。なぜなら占領政策というものを過大評価し過ぎている。 だからそのような論、マッカーサー取り巻きがいて云々、という話が出てくる。占領政策で日本人が 変えられた、というのは楽天的な論理でしかない。日本人の近代化の壁を探る試みの一環として、 その意味でだけ面白いとは思える。
152 :
考える名無しさん :2009/10/18(日) 19:55:46 0
国家は袋のように住んでいる人々を包み込んであるというアジア的な国家イメージと 国家は住んでいる人々とは別のところに政府としてあるという西欧的な国家イメージの違いに 驚いて書かれたのが共同幻想論だったな。
153 :
考える名無しさん :2009/10/19(月) 15:09:56 0
>>129 それじゃ山形浩生と同じやん。同類にするつもりかwwww
154 :
考える名無しさん :2009/10/21(水) 18:41:47 0
普通の日本語の本を読みましょう。
155 :
考える名無しさん :2009/10/21(水) 18:52:52 0
読んでわかる日本語の本を読みましょう。
156 :
考える名無しさん :2009/10/21(水) 18:56:08 0
英訳を読んでみたい。日本語では時間の無駄。
157 :
考える名無しさん :2009/10/21(水) 21:34:07 0
>>151 どこのコピペかしらんが
>上部構造にたいし、下から変えられる、という意識が育ちにくい、
>いつでも百姓根性、うまく立ち回ることこそ至上、と言いくるめられてしまう。
もう少し勉強してる人のコピペしろ。
「上部構造」ねえ
158 :
考える名無しさん :2009/10/22(木) 03:18:40 O
皆さん沈黙が足りませんね。
静かに沈黙してキーボードを忙しく叩いてます
160 :
考える名無しさん :2009/10/22(木) 13:44:05 0
誘拐には誘拐を
なんか爺さん死んだら思想のたがが外れそうでやだなぁ
162 :
考える名無しさん :2009/10/22(木) 17:36:50 0
ポストモダンな軽薄短小言論が持て囃されるだけ。
163 :
考える名無しさん :2009/10/22(木) 19:05:24 0
ポストモダンな軽薄短小言論に負けるヤツって…
このスレだってマルクスもまともに読めないやつばっかじゃん
発売日: 2009/10 異形の心的現象―統合失調症と文学の表現世界 (単行本) 吉本 隆明 (著), 現象から本質へ、そして、本質から現実を透徹した眼差しで凝視し続ける吉本隆明VS森山公夫の心的現象論の新領域。
166 :
考える名無しさん :2009/10/23(金) 10:05:50 O
マルクスもまともに読めない、を一昔前の柄谷言表から拾ったのならまだ救いがあるかな。 スガだったら・・・カワイソす(T_T)
167 :
考える名無しさん :2009/10/26(月) 04:47:22 0
『世界認識の方法』にはショーペンハウアーについての言及はありますか? フーコーとの対談以外に。
168 :
考える名無しさん :2009/10/26(月) 17:10:27 0
早く英訳しろ。スペイン語でもいい。訳者の良心が問われる。(原本が 普通の人間に理解できない。理解できないのがまとも。)
169 :
考える名無しさん :2009/10/26(月) 17:19:47 0
>>165 英訳しろ。まったく、みぐるしい日本語だ。 見苦しすぎるという点では
もせものてきにありだが。現象から本質にーーー
170 :
考える名無しさん :2009/10/26(月) 17:39:03 0
本は売らなくてはなりません。
171 :
考える名無しさん :2009/10/26(月) 17:52:36 0
見苦しさ、異様さ、異化さ、も商品価値がまだあるのでしょう。
172 :
考える名無しさん :2009/10/26(月) 18:01:45 0
そう商品価値、あほが買うのです。
173 :
考える名無しさん :2009/10/26(月) 18:26:25 0
あほども、買えよ。図書館ではだめよ。
174 :
考える名無しさん :2009/10/26(月) 19:30:02 0
「1079」 副島先生の「私たちは、世界の大勢 に逆らったらいけないのである 」論を 載せます。2009.10.26 これまで述べてきたとおり世界は、端的に(A)ワールド・ヴァリューズ(world values 世界普遍価値)なるものと、(B)ナショナリスティック・ヴァリューズ(nationalistiv values 民族固有価値、あるいは、パロウキィアル・ヴァリューズ)なるものからできている。 この章では、現在の「国際社会」なるものを私たちは、大きくどのようにみるべきかという ことと、この国際社会の現実に対して、日本人がどのように対応していったらよいか、 を述べる。このことは、同時に、日本民族あるいは日本国のこれまでの二千年の歴史が、 世界政治の中において持った意味について考えることでもある。(以下略) 『決然たる政治学への道』(第5章)90ページから この本で力説したとおり、世界普遍価値の方が、日本の民族固有価値を打ち破っていくのである。 それが世界史(ヘーゲルが唱えた)というものだからだ。だから、その際に、「七三(しちさん) の構(かま)えの、七で世界普遍価値に従い、国を開き、同時に、残りの三で民族固有価値を 守り通さねばならないとするのが、私の政治思想的な構え(決断)である。 この本で、「政治学とは何か」を書いていたら、次第に自分の関心は、「世界の動きの中で、 現在の日本が置かれている位置」を測定することの方へ移っていった。(以下略) 『決然たる政治学への道』(あとがき)276−77ページから
175 :
考える名無しさん :2009/10/26(月) 19:42:36 0
やらかみ まさつ
176 :
考える名無しさん :2009/10/27(火) 07:05:54 O
今日、保守的な哲学板住人にとって、 レスはいずれもただ一人のためのレスで、 一般的に真理であるようなレスなぞはありえないという ウ゛ァレリイのことばはうたがいようもない常識にしかすぎまい。 いや、副島スレの住人にとっても、 かれが書き込みを体験しているかぎり、 頭はばたばたしながらヘソのあたりで秘かにおしかくしている禁忌であるかもしれない。
177 :
考える名無しさん :2009/10/27(火) 23:21:34 0
↑素晴らしいあほ。
180 :
考える名無しさん :2009/11/15(日) 00:08:13 0
終わったな
人頭切断事件擁護はまだですか?
182 :
考える名無しさん :2009/11/16(月) 21:59:51 0
小熊英二の『民主と愛国』で描かれる吉本は、 戦争体験が人生の一部でしかない大人に 戦争体験がすべてであった子供の吉本が噛みついている構図だな。 噛みつかれた側はさぞ迷惑だったことだろう。
吉本は、三島や村上一郎のように死なず(死ねず)、 長生きしているのは、自分がうまくやったからだ、 と言っているが、そのような「自己分析」を口にすること自体、 「自己肯定」じゃないのかね。 奥崎謙三は長生きしたし、大西巨人は長生きしているが、 この二人が仮に「自分はうまくやった」と思っていたとしても、 それを口にしたりはしないだろう。死ぬまでがんがん攻めていくはずだ。
184 :
考える名無しさん :2009/11/17(火) 19:19:34 0
そういうところが吉本の独特の「誠実さ」なんだな。 罵詈雑言の一方でそういう自分を相対化しているようなことも同時に言ったりしている。
185 :
考える名無しさん :2009/11/18(水) 16:16:00 O
吉本隆明の時代って本面白いですか?
186 :
考える名無しさん :2009/11/18(水) 18:05:19 0
スガ秀実とか、柄谷もだけど、覇権とか、やたら気にするでしょう。どこぞの政治家じゃある まいし、俗物としか思えないですね。全く無意味とまでは言わないが、思想そのものでの議論 がやはり重要でしょう。スガの吉本隆明論だと『花田清輝』一冊で十分。それは絶版なので、『花 田清輝』持ってない人が買うのは分かりますけどね。
自分のチンコの大きさを見せびらかせたい男の屈折した快楽にすぎないんだよな
188 :
考える名無しさん :2009/11/19(木) 02:20:26 0
でかすぎるせいか屈折した心理に理解が行き届かなかった
189 :
考える名無しさん :2009/11/21(土) 21:05:21 0
吉本って今読んでもすごいな。 ハイ・イメージ論を60代で書いてるんだよな 何で書けるのってくらいすごい。
何かにとりつかれたような・・・
>>189 カントだって純粋理性批判は50代で書いてるし。
192 :
考える名無しさん :2009/11/26(木) 13:52:22 0
吉本で大事なのは自然過程という考え方だな。 自然過程とは変えることのできない歴史の流れみたいなもので、 それに反する運動はすべて反動ということになる。 ただ、何を自然過程とするかは、実は吉本の判断次第ってわけで、 そういうところが吉本教と言われる所以なんだろう。
そうか? 自然過程という考え方はマルクスの考え方に基づいたものだろ。 むしろわかりやすいが。
この爺さん、最近見ないけど まだ元気なんですか?
元気だけど、大人しくしているみたいだな。 各出版社は情況への発言みたいな原稿が欲しくてしょうがないんだが、 爺さんが嫌がっている。 リーマンショック以後に情況への発言を書くとしたならば、 バブル謳歌の自身の過去について、猛省せざるを得ないからな。
196 :
考える名無しさん :2009/12/05(土) 10:57:38 0
>>195 今や、お迎えが直ぐそこに来てるような自慰サンだぜ、
売文でも売声でもなんでもするってさ。
なんせ、親友を裏切ってまで奪ったかみサンが病弱とくりゃ、
銭くらいは残してやりたいってのが本音だぜ。
そこを上手く突いたのが糸井重里ってとこよ。
197 :
考える名無しさん :2009/12/05(土) 20:16:33 O
それにね、品性下劣ってーニュアンスが少しでもあったらお前さんも救いがたいねえ、となる。 自己欺瞞(オマエモナー)は爺さん思索し尽くしとります。
せめて、花田に関する早とちりを、早めに本人の口から訂正しておいた方が いいだろうな。 スガの本に説得力があるだけに、今後本人が弁明しないのなら、 死後誰も吉本の本を読まなくなる可能性が高い。
199 :
考える名無しさん :2009/12/06(日) 20:28:30 0
吉本の関係の絶対性は、物語構造の絶対性と考えるとわかりやすい。 英雄物語の中で英雄は、本人の意図とは関係なく英雄として生きざるを得ない。 同じように、人は関係の絶対性の中で、本人の意図とは関係なくある関係を生きざるを得ない。
200 :
考える名無しさん :2009/12/14(月) 09:49:26 0
なんで吉本氏は小沢とか麻原とか 変なのを肯定すんだろな
201 :
労災 :2009/12/14(月) 11:13:57 O
シーラカンスの食わず嫌い王子なのです ひゆうまなのです
202 :
考える名無しさん :2009/12/15(火) 10:45:27 0
>>200 金丸の脱税も脱税なんて大した罪じゃねえよと書いていた
203 :
考える名無しさん :2009/12/15(火) 13:37:20 0
204 :
考える名無しさん :2009/12/16(水) 10:53:50 0
>>203 脱税なんて中小の経営者なら誰でも経験してること
修正申告して税を納めればすむ話だ。
それに政治家に清潔さを求めたって無駄で、政治家
なんてこんなものだって趣旨の文だったと思う。
>>204 いやそういう現実的な話じゃなくて
小沢やら麻原にせよ吉本にしか感じられない(わからない?)「思想的な何か」
を感じ取ってるわけだろ?その両名の人間的魅力なのか
大衆社会の中の一存在としての意義なのかわからんが
それがさっぱりわからない
そんなに生真面目に考えている限り、どうにもこうにもならんでしょ。
207 :
考える名無しさん :2009/12/17(木) 13:50:27 0
>>205 麻原の場合は別に本人を擁護してるわけじゃない。
オウム真理教はただのテロ集団という見方に対して、これも宗教だと
言ってるだけだよ。宗教はその創立の段階では社会と対立することが
多い。オウムもその段階にある宗教団体にすぎないと言っている。
208 :
考える名無しさん :2009/12/17(木) 14:00:20 O
政治も宗教も、ロマンチックに目を輝かせたりその反動でだんまり決めこんだりすんなよってことでしょ。 研鑽してもないのが上っ面で阿保言うな、おれは見極めてんだっ、てね。 それにしても思想入門一年生が、吉本をしっかり読むという時代は完全に終わった気がする。 このスレもそんな雰囲気がぷんぷんw
吉本から思想始めるってのもどうだろう。
210 :
考える名無しさん :2009/12/17(木) 18:24:43 0
吉本隆明の初期(戦後すぐ)や中期(1960〜1970年代)の文章は示唆に富んでいると思う. 特にスターリニズム,ファシズム批判は当時の思想状況を吉本本人が最近の文章で解説しているから あわせて読むと当時の吉本が,敵対していた相手を批判した狙いが良くわかって面白いと思う.個人 的には最近刊行された「情況への発言1・2・3」を読むと,吉本の思想的立場の一貫性が見通しや すく,吉本の真意(彼の思想的行為の意図)を読み解きやすくなる気がする. ただし,80年代の文章(マス・イメージ論,ハイ・イメージ論など)は完全に吉本本人にしかわか らない言葉使いで,かつ,内容も理解しにくい.90年代の文章はあまり面白くない(本人の高齢も理由にある) と思う.おそらく,吉本の世代やその周辺の人間を読者の層にしているからだろうと思う. 話題になっている,小沢一郎や麻原彰晃の,吉本の評価については賛否両論ある(当時も今も). ただし,麻原彰晃については彼の著作「超資本主義」の中でたしか,大衆の原像という観点からはオウムを 全面否定するが,吉本本人の内部の問題としては「それだけで終わらず」,宗教家として評価する軸があると 表明していた.その部分を混同してはいけない,と吉本本人は言っていた.小沢については,小沢の著作を読み 解かないくせに,ファシスト呼ばわりする低脳な左翼や市民主義者を批判しているだけで,小沢を肯定的に評価し ていると言うよりかは,小沢への低レベルの批判についての批判が吉本の主張の骨子であると思う.
211 :
れん :2009/12/17(木) 18:54:51 O
みむ
212 :
詩文学とのマルチですまそ :2009/12/18(金) 06:45:40 0
吉本さん、民主党についてその後何か言ってる? 『現代思想』(10月号 特集・政権交代)のへの談話だと(8月17日)、 ・自民党が負ければ負けるほどいい ・民主党が勝てばいいというのではありません、自民党が負ければそれでいい ・それは大衆の望んでることだから ・選挙の結果には何の興味もない ・ずっと自立的思想を目指してやってきたことへの誇りがある こんなことを言ってました(1ページだけ)。 その後、民主党に関して何か発言してますか? 誰か〜〜
213 :
考える名無しさん :2009/12/18(金) 12:42:15 0
>>212 このスレ住人のレベルは『週刊現代』
誰も吉本の最新の言説を知らない、知ってても理解できない。
214 :
考える名無しさん :2009/12/18(金) 13:19:04 0
>>213 それ自体が詭弁なんだよw
興味がないといいつつ、自分の志向性について語っている
興味がないなら、自分の志向性は黙っとけと
黙らなかった時点で、自分にとって
どうでもいいことでもないし、関係ないことでもないんだよ
自分にとって、どうでもいいことでもないし、関係ないことでもないから
そういった表明をする
基本的にバカなんだよ
つまんね
214によって、213が証明された。
217 :
考える名無しさん :2009/12/18(金) 13:45:38 0
218 :
考える名無しさん :2009/12/19(土) 20:15:23 0
政治評論とか世相評論みたいなのに興味ある人けっこう多いんだね。 おれはそういうのどうでもいいや。反核についての意見とか、さすがだとは思うが。 『言語美』と『共同幻想論』をもっと深めてほしかったな。 正直、この2冊は当時の世界水準を軽く越えていたのではないか、サルトルなど目ではない、という気もする。今となってははるかに手遅れだが。 『心的現象論序説』は図書館で読んだけど、手許におきたい本だとは思わなかったな。なんか、このおっさん方向性まちがっちゃたかな?って思った。 複雑な現象を説明するのに、それ以上に複雑なモデルを使うって、元科学者のセンスとしてどうよ?っていう。
三馬鹿が依拠するフランスの三人の著作の大半が訳されたら、 三馬鹿は終わると吉本は言い、実際そうなりつつあるのかもしれないが、 だからといって読者が吉本に帰ってきたかといえば、 そうではないところに、吉本もそうであるところの フェイク的日本思想の難しさがある。 吉本を読むより、フーコー、ドゥルーズ、デリダの、 及びそれらの研究書の翻訳を読む方がスリリングだもんな。 ちなみに、吉本が上記フランス三人組に敵う存在でないことは、 スガ本で証明されている。
別にスガとその読者がそれで納得しているならそれでいいことだ。 で、スガってその3人と対等に争えられたの?
221 :
考える名無しさん :2009/12/20(日) 09:17:50 O
アキラは置いといて、あとの二馬鹿と吉本の絡みは、スガ程度の視点からは計りえないオモシロがあると思うけどね。 日本思想のやるせなさと凄みが露呈してる きちんと言説たどってる人には瞭然だろうけどさ。
自分は何もしないのにデカイ物言いする奴だけは多いなこのスレ
223 :
考える名無しさん :2009/12/20(日) 17:31:05 O
ま、読者なんてそんなもんだよ
224 :
考える名無しさん :2009/12/20(日) 23:14:57 O
「四人組」を読むって晒すのはスリリングっつーよりはスノビズム、な方に傾いてる可能性大。 あんなの隠れて読むもんだろ。普通。 恥ずかしーでしょ、今更。 勝ち負けとかに至っては穴があったら・・・うあぁぁ、ひぃ!な感じ。 スガな感じ。
225 :
し :2009/12/20(日) 23:24:07 0
おおどうにかしてくれよ。おりゃあ就寝する。 大友大変だな。右翼とかじゃん
226 :
考える名無しさん :2009/12/22(火) 12:39:33 0
右
227 :
考える名無しさん :2009/12/22(火) 12:42:10 0
>>218 「芸術的抵抗と挫折」「マチウ書試論」あたりから読み始めた人も多い。
だから、吉本の“状況への発言”に関心がある。
228 :
考える名無しさん :2009/12/23(水) 11:22:19 0
三馬鹿って誰? 浅田彰、柄谷行人、蓮見重彦の三人?
229 :
し :2009/12/23(水) 11:58:43 0
吉本隆明「共同幻想論」の巫女論か?天照の記述はむごいな
230 :
考える名無しさん :2009/12/23(水) 16:57:41 O
確かにウィキくらいの知識であれ当たるとむごい反応しか出来ないw
231 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 06:32:12 0
『異形の心的現象』のなかに、オウム真理教事件のあと、吉本が麻原を宗教家として評価したり、オウム のサリン事件を造悪論とからめて論じたことが(だと思うが)思わぬ波及を生み、それまで懇意にして いたフランス文学者の出口裕弘から何の音沙汰もなくいつの間にか絶交されていた、それがオウム への吉本の評価が原因だと間接的に知らされた、と喋っているところがあるが、出口という人は バタイユの翻訳をして、私などはそれで出口を知ったようなものだが、バタイユの翻訳をするくらい だったらもうちょっと根底的にオウムの凶悪事件とかも考えてみればいいのにと思う。そもそも バタイユ自身が背徳や悪に根底的に意味付けする男だったのだから。それでオウムの悪にたいして ヒューマニストの構えしかできないとなると、ではあのバタイユは一体何だったのか、ということ になる。自然を否定し、そこで生まれる有用的世界をもう一度否定することで、人間は至高となる。 バタイユの思想は悪の意義を突きつける力がある。オウム事件にしてもそうだが、90年代以降の 社会現象は、それまで背徳的な文学を愛好していた人間が意外とヒューマニストが抜けない人間 だったのだと暴露してしまった感がある。
まあ、出口という人の評価なんて、「出口という人」という印象以上になってないからいいんじゃねw? 教員なんてそんなもんだよ。
233 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 14:17:30 0
教員だけでなく、今思い返すと文学者でもその手の不可思議がある。埴谷雄高でも、自分の文学で 生の側でなく、死の側からする目で思想する人間だったのに、埴谷の小説に出てくるジャイナ教とは それですよね。死に近ければ近いほど正しい。そんな思想を描いたにも拘わらず、意外に埴谷自身は やっぱりヒューマニズムが抜けなくて、反核運動に加担したり、第三世界のことを考えましょうみた いな発想にのめり込んだり、ちっとも死の視点からではない。特定の理念をもって、対抗権力を作る 、狭量な理念だし、運動だから数を擁するし、埴谷が1050年代に散々考え抜いた政治の通俗性そのも のに収斂しちまってる。埴谷みたいな文学を作る人間なら、インパクトのない生に徹底するのが 本来だと思うんだが、相変わらず数を擁立して、それで世界を変えていきましょうという発想ー通俗 的な反権力思想に雪崩れ込んでしまっていた。生きてることは素晴らしい、地球は美しい、人類は皆 仲間、とか言う連中と手を組むことなどなかったのに。これまた不可思議だった。そうみると、それ まで構築してきた文学も、結局根底にあったのはその手のヒューマニズムだったのか、と落胆されら れてしまう。あれじゃあ埴谷の思想の意味を自分で帳消ししたのと同じだよね。
234 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 14:20:59 0
間違えた。1050年代じゃない。1950年代(笑)
235 :
考える名無しさん :2010/01/12(火) 22:26:00 0
でもやっぱり歌論は最高。 この点だけは後にも先にもまったく追随をゆるさない。 この人はどうも本質的でないところで評価(or批判)されているような気がしてならない。 死んでから大いに「研究」されるだろうと思うよ。
「まだ死なないか?まだ死なないか?」って書き込む人がいるのが多いのが
吉本の特徴だよね。みんなこの人の思想を早く掴みたがっている気持ちがあるんだろうね。
でも、まだ死んでほしくもない気持ちもあるだろうし。
掴めそうで掴めない状態だな、今は。
>>231 や
>>233 の書き込み読んでいると、そういう人たちは自ら生前に思想的に死んだとも言えるね。
237 :
考える名無しさん :2010/01/13(水) 01:22:50 0
掴めそうで掴めない、というのも、吉本自身が時代の節目で新しい概念を創造し、例えばアフリカ 的段階とかそうだと思うが、そういった歴史の地層を人間の中に見い出すことで、結局人間自体の 概念を拡張してるわけだよね。あの時、「史観の拡張」とか副題がついてたけども、史観の拡張はそれ 自体、人間概念の拡張でもあり、その頃から、現代の人間からすると及びもつかない儀式性を未開の 人間が殺しにたいし付与していたことを、折に触れ言うようになった。それにより、動機の不鮮明な 殺傷をもマスメディアが処理するように異常性としてのみ処理せず、むしろ包括しようとしたと 思う。造悪論も、本来ならそれこそ出口裕弘などがやらなきゃいけないことを吉本が言論界では単 独で言い続けたようにみえる。フランス文学者たちは怖じ気づいたのか、自分達の研究している思 想と関連付けることはない。考えてみれば、1990年代以降、最も悪について、または造悪という思 想について、発言したのが吉本で。思想が悪を語ると、大抵は善を際立たせる素材としてだったり、 或はよく宗教でいうように、人間という弱い存在への慈悲を釈迦は忘れたことはない、的な話にな る。そうでなく悪というのはもっと別の意義を獲得すべきだとした。造悪論というのはバタイユ的 にいう不可能なものだが、しかし、同時に浄土に最短である。という思想ですね。悪をそこまで論じ た、それによりオウム事件に新たな遠近法を付加したのも吉本の功績でしょう。
「芸術的抵抗と挫折」「マチウ書試論」は状況論でもなんでもないけどね。 だから吉本の“状況への発言”に関心を持たざるを得ない必然性は全然ないよ。
239 :
考える名無しさん :2010/01/13(水) 10:26:37 0
>>233 そういう失望感って確かにあったよね。
何やら難解な現代思想の用語を操って言論活動をしていた人たちが、湾岸戦争が起こったとたんに一斉に「憲法9条」を守れと言いだしたりね。
あれ?あんたらの政治思想ってその程度のものだったのという感じがあった。大塚英志はそこで開き直って9条サイコーと未だに言っているか
らまだましだが、他の人たちは戦争が終わったら何事もなかったかのようにいつもの言論活動に戻っていった。吉本のすごいところは、そういう
人を失望させるようなことを決して言わないところにもあるんだよな。
小林秀雄の「私は反省しない。」を批判していたような人達がね。
まあ、いつの時代も知的遊戯に過ぎない人と、そうでないで人とがいるんじゃないかな。
242 :
考える名無しさん :2010/01/16(土) 08:37:50 0
吉本は一時期、小沢一郎を評価していたね。 『日本改造計画』(?)とかいう本を評価していた。 今でもそうかな? 汚職なんて、吉本にとってはどうでもいいことだろし。
243 :
考える名無しさん :2010/01/24(日) 02:26:56 0
吉本隆明さんの詩で、以下の物があると知ったのですが、 ご存知の方がいらしたらこの詩の題名を教えていただけませんか? かれをすてこれをとるか これをすてかれをとるか 世界の掟に背いてきみは かれもこれもすてた
244 :
考える名無しさん :2010/01/24(日) 03:09:10 0
その詩はタイトルが「反祈祷歌」といいます。主に「定本詩集」と名付けられた、「固有時との 対話」「転位のための十篇」、がおさめられている。
245 :
考える名無しさん :2010/01/28(木) 00:18:21 0
谷川さんみたく詩集を文庫本で出してくれ
246 :
考える名無しさん :2010/01/28(木) 18:40:55 0
たしか思潮社から現代詩文庫の1冊として出てることは出てます。上のレスにもある「定本詩集」 を基にして収録してます。あと講談社文芸文庫の1冊で『初期詩集』とかいうタイトルで出てたよう な…。ただ、全部あわせると詩の数も相当なものになるはずで、また、各時代時代の良さもあります からねー。個人的には「日時計篇U」のころのがしびれますが。 最近、吉本さんの思想における大衆の原像について、気になるんですが。既に1985年前後の発言 で、実体としては大衆の原像は消失したことを竹田青嗣との対談で認めて、しかし、にも拘わらず 権力を越える思考は大衆の原像を繰り込む以外にない。でなければ閉じるしかない。それを強調し てますね。具体的には笠井潔、川村湊との座談会で、大衆の原像を繰り込む必要を論じている。たし かに大衆の原像を繰り込むことの重要性は異論はないわけですが。しかし、実体としては、文盲の 人など日本人にはもういない。そこそこの教養も持ち合わせてる。まさに吉本のいうごとく、実体 としては消失した。それは吉本の生まれ育った下町が今や消失しつつあることでもある。しかし、 それでもやはり価値の原点としての大衆の原像は必要なんだと主張、1985年の時点で主張する。 その辺に、吉本思想の立っている特異といえば特異な位置があると思います。価値基底としてのみ 、今やそれはある。それもまた解るといえば解る。そう権力と対峙するには考える他ないという。 宮台とかは知識人/大衆の図式はいまや無効で、よって吉本の思想は無効、とか言ってますよね。 宮台のいう成熟社会-隣人との共通前提は消失した社会-の分析には役に立たないと。たしかに宮 台の言い方はまあ分からんでもない。ただ、大衆の原像について、《人間はそこからの逸脱としてし か生きられない》と1972年に既に語ってもいる。つまり、実体としてあるないと関わらない基底、 根拠だ、というのも確かで、僕はそれがあの概念の意味だと思います。
吉本さんの詩にまた戻るけども。実は詩が分からないと、吉本さんの思想は本当には分か ったことならないんだろう。吉本さんの詩のモチーフというのがあって、それは世界には歪 んだ風景と貧しい風景しか見えない。そうして、そのような世界には<私>を生に誘う如何な る大義名分も根拠もない。そのような認識、つまり真実には、世界には言うに値することなど 何もない、そういう認識があり、そこから何処へ行くのだ、という問い掛けがある。吉本さん の詩はだから、彼の思索の出発点だと思う。そこが分かれば、吉本さんの思索の根底が分かっ たことにはなると思います。
248 :
考える名無しさん :2010/01/31(日) 09:27:34 O
詩もそうだけど、あらかた吉本読むと、他のは全部馬鹿か欺瞞の糞野郎としか思えなくなった院生です。 あ、日本のメインストリームとその周辺の識者みたいな人たちのことです。 正直いってそうじゃないですか?
あまり罵倒の部分を真面目に受け取るなw
250 :
考える名無しさん :2010/01/31(日) 16:27:57 0
まあ知のメインストリームがどこかというのは兎も角、今の宮台、東、北田といった新進の知識 人にとっては吉本の仕事は既に取り上げるに値しない、という扱われ方だと思います。宮台とか インタビューで何度か吉本に「用済み」宣告してますね。使えない、という見方です。248レスさん とか、新進の知識人の吉本用済み発言とかどう見てるんでしょうか。ただ、昔から吉本用済みを 言う人間はいましたけど。柄谷はその筆頭でしたし。今の社会では自明性は消失し、底が抜けてい る。人の心など分かるという前提で話さない方がいい、と宮台が批判する。酒鬼薔薇聖斗の事件への 対応について。吉本の発言をそう宮台は批判する。「少年の心の問題が抜けている、と吉本は僕を 批判する。しかし、じゃあ聞くが、お前には分かるのか、という話です(笑)」と『interviews』で宮 台は吉本を批判している。宮台の方法からすれば当然出てくる批判ともいえる。心の問題というのは 、ある方法をつかえば、完全には分からなくとも、肉薄することはできる、というのが吉本の立場 だったように思う。僕は吉本には心の問題を語るのは可能だし、その有効性もある、ととる。吉本 は30年かけて『心的現象論』とその周辺の問題に取り組んできた。そのレベルも卓越してる、自ら 方法を構築してるのだから、語って正解だろうととる。宮台に個体レベルの分析が欠けているという のは彼の分析から普遍性を奪ってると思いますね。普遍性というか、全体性ではない。宮台はかつて のコギャルがメンヘラーになった理由を社会における過剰流動性のせいだとするわけだけど、メン ヘラーになる理由をそこだけに帰するのは分析として脆弱で、個体幻想の問題をそこで抜かしちゃ まずいとどうしても思える。そこでは宮台の発言こそ脆弱そのものだと思います。
251 :
考える名無しさん :2010/01/31(日) 19:51:10 O
前レスの繰り返しで、柄谷流に言うとテクストを読めない宮台は(村上春樹評など)、もう、まったく、てんでお話しにならないかと。 吉本の例の正真正銘の馬鹿(だったかな)はそういう意味もあるんでは? 宮台が賢そうなこと言っても話し半分に聞いたがいいですよ、根底的に阿呆ですから、な感じじゃないんですかね。 といってテクストを読める福田和也がいいのかってーと微妙ですが。 吉本はちょっと次元の違う人なんじゃないですかね。
えー一時期の宮台なんてすごく吉本的だったじゃん。なんで吉本隆明本人にそこまでこだわるかなぁ。まぁわからないでもないけど
253 :
考える名無しさん :2010/01/31(日) 22:03:43 0
吉本はちょっと次元が違う、という話には同意なんです。50年代の詩からして他の作品 と、例えば同世代の詩人と比べても孤絶してると思いますね。どこからあの世界がきたの か、探るのが難しい。50年代の詩の孤絶がその後もずっと形を変え続いてる…。しかし、今 は吉本とか、読まれてるのか。251さんは相当読んでるわけでしょうが吉本を読みかじる 読み手はもう少ないのではないか。といって、じゃあかつては読者も多かったかというと、 たしかに読まれてはいたろうが、左翼的な読み方をしてたり(柄谷や中上健次がそうでし ょう。埴谷もそうだったかもしれない)または、何らかの型の填めた見方しかせず、読んで る(出口裕弘がそうでしょう)結局、自分なりの吉本像を作って、それに反する言論がみ えると途端に否定する側に回ると言うのが吉本とフォロワーとの関係の多くだったでしょ う。僕にとっては吉本という人は基本はやはり詩人で、そこから出発して思索を深めてい った人ですね。
254 :
考える名無しさん :2010/01/31(日) 22:58:24 O
思索=詩作ですな。 畑に種まいて・・・鈍重に一歩ずつ丁寧に揺るがせなく・・・そんな吉本を掘っ建て小屋に過ぎないと柄谷(や同類)みたくからかっても無駄なんですねー。 思索は、思索を味わえるのはそこしかないですから。 また相対的構造的社会学的にみて心なんて、と鼻で笑う系の宮台(や同類)は、あっさり公的なものに躓くのでお話しにもならないでしょう。あ・ほ・かです。 吉本は読まれていると思いますよ。麻原の著作をきちんとチェックするタイプの人には。まあぜんぜん読まれていないってのと表面的には変わらないか(笑) でも思想ってそんなもんでしょ。
まあ、一応言っておくけど、テロみたいなことが起こったら、それを有名人の発言のせいにする一般人っているからね。 そういう世間並の常識人相手の商売というか、吉本を批判するつまらない批評家なんて、そういう常識人相手のガス抜き商売しているんでしょうね
256 :
考える名無しさん :2010/02/01(月) 00:55:44 O
『共同幻想論』は古事記と遠野物語のテクストのみに定位して論じていく。 スリリングなのはそこ。いや、そこだけ。
装丁が エ ロ 本 に読めてしまうのがイカす。
「ブルータス」2月15日号 吉本隆明特集 630円
259 :
考える名無しさん :2010/02/02(火) 20:16:34 0
このスレで「吉本隆明は読まれているのか」と書いたところへ偶然、ブルータスの特集号が目に入 ってきた。糸井のほぼ日が全面協力で『50度の講演』の内容紹介まで入ってる。どうも特集の前半は 各界著名人の悩みを語らせ、悩みへの答えをくれる存在として吉本を位置付けたいようだ。(と言 いながら立ち読みしかしてないんだがw)特集最後には糸井と吉本との最新対談収録。というわけ で、約100頁、しかし著名人の話を除いた実質特集はたぶん40頁といったところだろう。入門的な 編集なので愛読者にはやや物足りないかもしれない。
260 :
考える名無しさん :2010/02/02(火) 22:05:38 0
吉本の「方法」ってのは他の学者には最初から役に立つわけないんだよな。 これはレヴィ・ストロースの神話分析が他の人がやってもうまくいかないの と同じで一種の芸術なんだよ。 俺らはただその作品を見て味わえばいいわけでね。
261 :
考える名無しさん :2010/02/03(水) 00:04:24 0
『共同幻想論』が当時の学生に熱狂的に受け入れられたかのような話を耳にするんだけど、 一体、あれのどこが当時の学生運動に参加していた人たちをとらえたのか、いまいちようわからん。 国家論ということで、一応読んでみたけど、確かに使えるものはほとんどなかった。 もっとも、使えないかたダメだっていう気は毛頭ない。 『古事記』と『遠野物語』のみに依拠して共同幻想をあぶり出し、自己幻想と共同幻想との逆立という点を 提出したことは、読み物としては面白い。 ただ、吉本隆明が廣松渉の共同主観性と自身の共同幻想論が同じ問題意識で、かつ同じ方向を向いていていたなどと 言うのを聞いたときは、思わず「それはないだろう!!」と突っ込みを入れたくなった。 全然違うじゃねえか!と。 もっとも、共同幻想論も共同主観性論もともには否定的評価かなあ。
262 :
考える名無しさん :2010/02/03(水) 10:15:06 0
「ブルタス」の宮台イカれてたねえ。啓蒙だってw いい感じの高橋源一郎の後だけに無残さが際立っていた。
263 :
考える名無しさん :2010/02/03(水) 11:31:48 0
>>242 > 汚職なんて、吉本にとってはどうでもいいことだろし。
どうでもいいどころか、贈与論をつかってむしろ合理的だと見なしていなかったか?
違法化するのがそもそもおかしいんだと。
264 :
考える名無しさん :2010/02/04(木) 00:12:15 0
変な社会学的分析なんぞより横丁の隠居じいさんの言葉の方が核心をついてることはざらに あると思うなあ。 吉本隆明がそうかといえばわからないけどね。
265 :
考える名無しさん :2010/02/06(土) 19:09:49 0
>>258 まだ近くのコンビニには置いてたな。
本はコンビニでしか買わないような層でも
買ってみたくなるような感じではあった。
一時的な好景気に浮かれて資本主義バンザイした奴だから、バブル以後の世代には人気がないというか、基本的にスルーw
267 :
考える名無しさん :2010/02/08(月) 00:26:27 0
266に限らず、社会も時代も吉本が言ったのと違い、何も変わらなかった、と言いたがる人は多い と思うんだけど、というのも、高次産業化に伴う変化に大衆も為政者も耐えきれず、見慣れた常識 や施策に頼ることしかできないからですね。現在のいわゆる不況報道について、僕は変だな、と思う ところがあって、完全失業とかよく報道されてるけども、しかし、年末に鳩山と失業者が問答してる のをみると、その失業者は事務系の仕事しかやる気がない、それで失業してる。あれをみて不思議な 感覚を持たなきゃ嘘だと思う。要するに、労働意欲、生活意欲の喪失が根底にあり、で、その辺のこと の方が実は本質的で、しかもなかなか報道されない状況じゃないかと思えるわけです。社会の死と 呼んでいいと思うが、そっちの方が実は本質的ではないのか。つまり、不況で失業とかいうと、かつ てと同様の事態だと思われがち。しかし、実はそうではない。もっと本質的で終末的な事態が、メデ ィアに上がらないところで進行している。それを見なければ、何も変わらなかったように見なされ る。しかし、むしろ、社会の死として考えるべき深層の変化があるのではないか。単に不況の一種と して捉えるだけでは零れてしまうものがある。そこを見ないと、復古的な観念に依存し、図式に依存 してしまう。いま、80-90年代の吉本の分析を叩く人はそういうのが多い。かつての図式がいまだ 有効だとしたい人です。しかし、深層で起きている変化、崩落があって、そっちの方が本質的で、象徴 的だということを見なきゃいけない。相変わらずかつての社会図式で済まそうというのがメディアの 対応だと思う。実は、新しい生のイメージを作るよう促されてる段階なようにも思えるわけです。 それも吉本さんのかつての言説にあったと思いますが。
>>267 「新しい生」というと
ロラン・バルトを思い出すね。
『新たな生のほうへ』
同じことを言っているかどうかはべつにして。
>>267 国民総中流とか煽ってたのは吉本じゃねえかw
仮に本当に事務系の仕事しかやりたがってなかったとしても吉本にそれを咎める資格はない。
団塊の糞尿処理とかマジ勘弁www
とにかく吉本には一秒でも長く長生きしてもらって、自分の見通しがいかに甘かったか 認識しながら苦しみつつ死んで欲しい
>>267 今が実際に吉本の言ってた「社会の死」だろうという見方はだいたい合ってると思う
ただ吉本がいずれ来る「社会の死」に対して「新しい生のイメージを作るよう促」したことはなかったし
今もべつだん促してなどいない(
>>212 にある通りだ)と思う
そんなことができるくらいだったら社会は死なないしな
それに「新しい生のイメージ」なんて言ったら、言下に「よせやい」って言いそうな人じゃないか?吉本は
こんな魂の焼け野原みたいな風景のどこを見てそんな気恥ずかしいことが言えるんだって
「社会が未知の段階に入っていった」 とは言ってるね。(「現代を読む」1991)
>>266 > 一時的な好景気に浮かれて資本主義バンザイした奴だから、バブル以後の世代には人気がないというか、基本的にスルーw
でもまあ、80年代初頭かな、情況論のなかでも、世界認識の方法あたりとか、
そしてその後のプラグを抜くシリーズでの産業社会批判で知られるイリイチらの思想を
ふまえた山本哲士との対話とかもあったわけで、
資本主義の到達点を対幻想論とからめて批判的にとらえる視座はやはり保持していたと思うよ。
2ちゃんねるでサイレントテロなんて命名されていることなんてのは、この人が唱えていたことじゃない?wwww
276 :
考える名無しさん :2010/02/10(水) 11:07:50 0
いまこそ吉本隆明があらためて注目されるべき(笑)
長生きするとこうなる、という見本だなw 70年代で死んでりゃよかったのにね
この吉本とかゆうやつ若いときから風見鶏なのに反骨っぽい演技が好きなんだよな
279 :
考える名無しさん :2010/02/10(水) 22:42:54 0
>>275 > 2ちゃんねるでサイレントテロなんて命名されていることなんてのは、この人が唱えていたことじゃない?wwww
吉本さんが予言したとおりになっているな。
風見鶏であり続ける利益を享受しながら、一応保険をかけておいたワケですね^^ わかります^^
橋爪とか原稿頼まなかったのかな
282 :
考える名無しさん :2010/02/11(木) 11:02:54 O
共同幻想論て詩なんだな。タイトルに論なんてつけるから論理的なものかと錯覚してしまう。
283 :
考える名無しさん :2010/02/11(木) 12:43:58 0
吉本さんは80年代後半、資本主義をマンセーしていたわけじゃないぞ。 彼がマンセーしていたのは産業発展。これはマルクスの史観と一緒。 産業進歩を自然史観としてとらえるマルクスの考えに忠実なだけ。 唯物史観とは、その発展にあわせて資本家的生産様式もその自然史的 環境に適応していかなきゃならないだろう、というものだしね。
>>283 要するにその時々でメインストリーム的なものをマンセーとwww
ハッテンは肯定しなければならないしねwwww
豚だろ?要するにww
その証拠に今や影も形も残ってないwwww 歴史的に見ると豚は豚wwwww
そういえば、国鉄潰しに荷担して、民営化は「善」とか言っていたな。
しかし徹頭徹尾時代の犬ころなのに反骨の身振りだけは上手いよww その点だけは認めるww
もはや大衆の原像も実像もないwwそうゆう時代にはっきり恥の意識をたもちながら 老衰死するわけですwwwwwwざまあwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
その程度には歴史の審判を信じている(キリッ wwwwwwwwwwwwwwwww
朝日ニュースターで西部ススムと佐高信がやってる 対談番組・学問のススメは今週吉本隆明がテーマだったよ ほぼこてんぱんに批判されてました。
291 :
考える名無しさん :2010/02/11(木) 18:48:47 O
なんかさあ 吉本のテクストにあたってない人間か吉本を語れる度が増えてきた感じがする。 近年の濫造本も罪だなあ・・・。
>>291 吉本はそれもよしと思っているはずだよ。
有象無象もなんらかの存在ではあるんだろうし。
293 :
その他の登場人物 :2010/02/11(木) 19:50:19 0
かつては、洗足池を一週して大岡山のキャンパスまでランニングするのが在学時の気分転換だった。 その頃、吉本興業の名前をよく耳にした。既に、吉本を読む学生を見かける事は殆どなかった。
>>284 ってか、産業発展を阻害するエコロジーは反動主義だってわけ。
>>295 じゃあやっぱり若年労働者を使い捨てるなとか言ったら産業発展を阻害する反動主義だよねwww
その上党派性がどうとか言うわけだろw?
297 :
考える名無しさん :2010/02/12(金) 08:54:11 O
たとえて言うなら小林よしのりやら副島キチガイやら宮台(のおしゃべりのみ)の読者層くらいまで落ちてきたって感じかなあ。 濫造本もコンテクストふまえたらイケてるんだけどねえ…やれやれだ〜ね〜w
北海道の三流文学研究者、頭悪すぎw
299 :
考える名無しさん :2010/02/12(金) 15:31:33 0
西部ススムと佐高信w w w
300 :
考える名無しさん :2010/02/12(金) 17:26:57 O
ハアアア〜だ〜ねえ(笑)
吉本自身がそれ以下だってことを認めなきゃw はははは〜んw
302 :
考える名無しさん :2010/02/13(土) 19:35:37 0
「評価」ではない「研究」が登場するのを待たないと駄目な段階だと思う。 「評価」とは別の「研究」が相互に対立するような状態を経ないと、 「評価」のための基盤そのものが成立しないから。
ブルータス買うの忘れてた明日くらいまでか HP見たら悪ノリしてるようにしか思えんがどうせならカードやシールでもつけてくれ
304 :
考える名無しさん :2010/02/15(月) 17:59:08 0
>>296 で、君は、若年労働者を使い捨てるほうが産業発展すると思っているの?
305 :
考える名無しさん :2010/02/16(火) 12:32:17 0
>>304 なにをもって"産業発展"とするのかな、チミは?
306 :
考える名無しさん :2010/02/17(水) 21:43:38 0
ブルータスって、糸井のアザトイ商売? それとも、吉本の収入確保のため?
308 :
考える名無しさん :2010/02/18(木) 21:38:08 0
良くも悪くも、言論人,思想家として、同時代の誰よりも歴史の残ることだけは間違いないだろう。 良くも悪くも、をまたつけるけど、たとえば柄谷行人のように、思想に借り物っぽいところがなく、 良くも悪くも、と三度言うけど、すべて自家製で、手作りのところが「歴史に残る」ゆえんですな。
端的に国家批判は自由主義に見出せたが 資本には無批判にならざるを得なかった この辺りが限界だな
こいつのおかげでバカサヨどもが アナルコキャピタルになったんだな
311 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 05:43:47 O
>>309 >>310 どっかの井戸端会議から拾うんじゃなくてさあ、まずは吉本読むとこからはじめてみ?
一目瞭然だあよおw
たしかに吉本が間違ってたのは信者が崇め奉る経典を読むまでもなく一目瞭然だな
313 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 10:13:26 0
でも実際吉本の著作にあたってる人で
>>309 にまともに反論できる人間っているのかな?
俺みたいなにわかとしては、どの物差しで批判または擁護してるのかアンチも信者も規定してないから
議論にならない泥仕合になるんだと思う。
糸井重里のプロデュースで思想家から面白爺さんと化してる今、吉本隆明に傾倒してた人にこそ
色々と論じて欲しいもんだ。
314 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 10:21:00 O
てかスガる前にさあ、本よむ習慣みにつけてみ? テクストにあたるとスガれないのがよくわかるお(^O^) スガる系の言説は恥ずかしいんだおおw
315 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 10:41:19 0
>>306 自慰サンもちょくちょく書いてるじゃん、
断った仕事は無い、って。
イトイが自慰サンの先行きを読み、
自慰サンもテメーの老いさらばえた現状を考え、
そいつが合致したってことよ。
つまりよくある普通のこと。
ガンガレ! 自慰サン、と。
自家製ってそんなに凄いことかな、日本では珍重されるけど、ピンと来ない。 個人的には、糸井のジイさんへの入れ込みようは ちょっと冷静になってしまうところがある この2人の偉業は、歴史には残ると思うけど 未来に生かされるかどうかは微妙だね。 今、言ってること、やってることもなんか世間の空気とズレてる気がする。 メディア的な空気には合致してるんだろうけど。 糸井も吉本も。成功した人だから古い手法がそのまま生き残ってる感じ。 70年代、80年代の吉本、糸井のリアリティは確かに凄かったけどね。 共感しまくりだった、影響も受けた。 でも今の自分には彼らは相対化できる存在。
317 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 11:29:52 O
一緒に寄り添って考えることができるのが思想家ってフーコー言ってたお いいとこどりで後捨てて、無効だ、相対化だなんて漫画じゃないんだからw そんなのは説得→納得がアリ気な学生向きだあおww
318 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 19:25:00 0
吉本隆明に傾倒してた人って、結局は吉本が何を言っていたかはほとんど問題にしなくなる傾向にあるよな。
だから議論はできなくなる。
>>311 みたいに、お前も読めば分かるみたいな言い方しかできないんだよな。
マトモな頭なら具体的な著作や説を持ってきて反論するところだけど、吉本自身がインディアンの長老然としてきてるから
ファンの認識も曖昧で精神論的になってしまうんだろう。
319 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 19:41:56 O
じっさい読めばわかるもんでゲスよ。 んで読んでない人とはやっぱ話せないんすよw 特にポスモダ三流系引く人ね。吉本に限らずテクストにあたることがまずないw 議論で勝つとか正当性を明らかにするとか、そんなあさましい読みかたせんのですよ、吉本マニアは(笑)
320 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 19:48:30 0
>>319 お前に吉本ファンを名乗る資格はないよ。
読めば分かるって同じ事を繰り返すだけで、議論ができないなら黙ってた方がいい。
吉本隆明の思想をまともに論じることなんてそもそもできないんだろ?
お前は単に吠えまわるだけの負け犬だよ。
321 :
考える名無しさん :2010/02/19(金) 20:18:19 O
まあ読書にいそしむことですよw わっはは(笑)
322 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 07:11:48 0
駿河台の三省堂本店4Fで『50度の講演』と『ブルータス』吉本隆明特集がセットで吉本隆明フェア 的な催しに使われていた。愛読者としては気恥ずかしかったな。ああまで日向に吉本隆明を置かれる と(笑)吉本隆明は俺にとっては“生まれてきたことの怨念”そのものだったところもある。自己の 誕生それ自体への怨念の標だった。自分がどこでも“エリアン”な気がしていたので、吉本の“エリア ン”的詩世界が性に合った。糸井のおかげで日向で語られるようになってきた?のかしらんけど。 吉本隆明ってのはいまだにArienだと思う。吉本を庶民派とか形容する人もいるようだが、思想 の指標として、道標としての大衆の原像とかを対象化できることは大衆の性格を客観視してること であるし、庶民派そのものみたいな人間は大衆の原像なんて取り出さないのではないかな。糸井 のおかげで吉本隆明が日向で語られるようになるのに抵抗はないが、あれは本質的に厭世的で暗い 思想であり、吉本から私は「なんで俺みたいのが生まれてきたんだろう」という地の底からのような 独語が聞こえる気がする。吉本隆明の思想は自己と自己の生誕の和解の試み、てところがあると 思うんです。あの思想は孤独な思想であり、「ブルータス」なりが吉本に「悩みの答え」を発見できる みたいな言い方は新鮮なんだけど、外野の声でしかないと思う。吉本は孤独な人間だし、孤独な思想 であるし。そういう意味では愛読者なんてのも外野です(笑)実は吉本にとっては関係ないのだと 思う。
323 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 08:02:23 O
ちなみに、紀伊国屋新宿店も、吉本特集だったようだもんな。
325 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 10:13:06 0
>>316 >この2人の偉業は、歴史には残ると思うけど
>未来に生かされるかどうかは微妙だね。
賛成だ。
江戸期の儒学や国学と同様、歴史的現象としてはずっと突出した意義を持ち続けるであろうが、
鎌倉期の仏教のように、未来の人々の心に直接訴える力を持ち続けることは決してないだろう。
しかし、なぜそうなのか?が問われるべき問題だ。後半についてだけでなく、前半についても。
326 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 12:43:22 0
>>325 親鸞や蓮如が未だに読まれ新井白石や吉田松陰が未だに
読まれ続けているように
必要な人にはいつまでも読まれるような思想家だとは思う。
327 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 13:22:50 O
そういうの読む人はいつだって秘めやかに、ね。 思想を勝ち負けや正誤で読むこたあないってこと。
爺さんの思想は何らかの形で細々と残るし、いつか再発見されても不思議じゃないな。 糸井は全く残らないと思う。
この人全部二番手って気がするね たぶん死後は完全に廃れるでしょう 合掌
330 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 17:26:57 O
吉本スレでネガレスするのは、そのことを十年後にいたたまれない程の赤面で思いだすであろう学生か、思想的に敗残した団塊親父に違いない。 と思うのはおれだけかな?
331 :
考える名無しさん :2010/02/20(土) 22:40:28 0
二昔前くらいでは、吉本隆明は論争に強いって言うのがわりかし気に入ってた所だったんだけど、
ほんの少しの間で吉本も世の中も結構変わったな。
>>330 多分お前だけだと思う。
332 :
考える名無しさん :2010/02/21(日) 15:05:04 0
329レスのような、“吉本の仕事は全部二番手”という人のいる一方で、“吉本が初めてやったこ と”を指摘する人もあり、しかもそう言うのが柄谷などと並べて語られる時もある蓮実重彦だった りするのが面白い。蓮実はかつて吉本の先駆性を認め、以下のように語っている。 《たとえば転向論の中で、倫理的な価値をパキッと割って捨ててしまう、その割り方ですね。それは 、当時このような視点があまり一般化されておらず、吉本さんが初めてやったという新鮮さだけで はない。よく考えてみれば、吉本さんの思想的=文学的文脈の中で、割らざるを得ないという必然性 があったことは当然なのですが、(…)》 《これ(上部構造と下部構造の並行関係を否定したこと)を論理的に突き詰めていくというより、 むしろ或種の実感としてそうしたものが吉本氏の中にはあって、それがあるとき爆発したという 形で下部構造による革命論を捨てるという仕草を(…)非常に鮮やかに演じたというか、じつは今 なお世界の各地で何かと言うと結局は階級闘争がどうのこうのと言われ続けているにもかかわら ず、1960年代にとにかく言い得たということは、彼の思想的な凄さであると同時に、思念なり何 なりを肉体的に形象化させうる大変な資質だと言えると思いますね。ただし、最終的に言うと 吉本さんという人がぼくにはわからないですね。》(いずれも磯田光一との対談「野性の悲劇への 欲望」1980年より) 蓮実重彦はここで吉本の仕事に疑問を表しながらも、その先駆性と力量を、認めざるを得ないも のとして語っている。蓮実は柄谷や浅田のアンチ吉本性とはどこか違うとは思っていたが、ここま で認めていた、というのは発見だった。昔の本とは読んでみるものだと思う。
333 :
考える名無しさん :2010/02/21(日) 15:43:22 O
ハスミンが爺さんを、必然性がないとこでおどり出てきた狂い咲き、って評したのは慧眼すね。 今の糸井フィーバーも含めて必然性無さ過ぎ(笑)
>>332 蓮實と並べられてもうれしくはないが、当時の年代の文化人は
多くが吉本に影響を受けているから、まったく珍しくも意外でもないよ
332が単に物事を知らないだけ
で、彼等はそのあとどんどん離反していくわけだけど
それでもまだしがみついているのが業界にはわずかに残っているが
もうじき消えていくでしょう
埴谷や谷川雁は100年後にも残っていると思えるけど
吉本は彼らに比べるとどうだかねえと思う
これといえるものがないんだよね
335 :
考える名無しさん :2010/02/21(日) 20:31:15 0
(引用はじめ:副島隆彦『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』講談社α文庫:1999年、原著1995年) これで、アメリカの法哲学・法思想界の対立軸の背景にあるものを説明した。 そしてそれらは、大きく @のナチュラル・ロー(バーキアン)派、 Aのナチュラル・ライツ(ロッキアン)派、 Bのヒューマン・ライツ(リベラル)派、 そしてCのポジティブ・ロー(ベンサマイト=リバータリアン)派 の四つの対立図式であると考えることができた。 この対立図式はそのまま、政治思想の対立図式でもある。ヨーロッパ・アメリカの 近代政治思想のこのような大づかみな対立図式を知らなければ、欧米知識人の議論の 輪に入っていくことはできないはずである。 (引用おわり) この四つの対立図式によって近代(そしておそらく現代)の欧米の政治思想が構成 されているという事実は、日本人(学者)が書いている書物では、あるいはテレビ・ ラジオで語られている評論では、ほとんど全く分らない。 したがって、副島先生を固く信じて読まないと、これは頭に残らなくなってしまう。 他の日本人評論家などを信じる(騙される)心の隙(すき)が少しでもあると、 騙されて、読了後まもなくすぐに、この構図が頭から消え去っていくだろう。
336 :
考える名無しさん :2010/02/21(日) 20:32:40 0
気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板 [852]下の「850」番の自文を 補足・説明しておきましょう。 投稿者:副島隆彦投稿日:2008/04/21(Mon) 07:23:02 再度、人類の政治思想の大きな流れを説明する。私、副島隆彦は、これを何十度でもしなければいけない。学問道場に 集まる人の、まだ、大多数が、私がたどり着いて、日本国内に、導入して、世界水準の知識として広めようとしている ことの中身を、まだ、多くの人が素朴にさえ理解していない。だから私は、これから、以下の説明を、何十度でもやる。 もう遠慮などしていられない。 いくら、私の主著をちゃんと読みなさい、と言っても、なかなか、その水準には到達 していない。 さて、それで、まず、ナチュラル・ラー(natural law 自然法、素朴な自然界の掟を守ろうとする思想)派がある。 これを微分(びぶん)して、ナチュラル・ライツ(自然権、natural rights ジョン・ロックやルソー)派が生まれた。 ナチュラル・ラー派と、ナチュラル・ライツ派の思想の対立を知っている、日本人知識人層(政治学者、法学者を 含めて)は、まだ、まだ、今でもほとんどいない。私の本から何とか学んだ、今の30台から下の、これから、 政治学者や政治思想研究者になる者たち、数百人に、私が、外側世界から持ち込んだ、この「世界の思想の流れの 理解の仕方」が、ようやく理解され始めた段階である。 私の本も読まない、40台から上の、日本の知識人相は、 ほとんどは、アホのままである。 私の本をかじり読みして、私と同世代か少し上の、朝日新聞(に書かせてもらう)知識人たち(私は、彼らのこと をよく知っている)は、「副島隆彦は、右翼なのか、自分たちと同じ左翼リベラルなのか、判別できない」などど、 言いあいながら、困惑しているそうだ。自分たちが、日本土人(どじん、原住民)のまじない師階級であり、かつて のお坊様のような存在なのだという自覚がなかなか生まれない。その段階にも到達しない。そういう自己認識さえがない。
337 :
考える名無しさん :2010/02/21(日) 20:34:52 0
私は、フランシス・フクヤマの本を読んでいて、これだけは、書き留めておきたくなったなあ、 ということがある。それはネイティビズム対ビヘイビアリズムの巨大な対決ということだ。 ネイティビズム「固有主義あるいは生来主義」とビヘイビアリズム「(アメリカ)行動(科学)主義」 の対決ということだ。 このネイティビズムとビヘイビアリズムの対決は近代(現代)学問500年の、成否を決するぐらいの大きな 大決だ。このことを日本の知識人のほとんどが知らない。 このネイティビズム対ビヘイビアリズムの対立というのが西洋学問で、一番大きな対立図式だ、ということを、 日本の知識人でしっているのは、私の他に、この国に何人いるだろうか。 (中略) 私は日本の知識人で、世界基準だと考える優れた学者には、すでに弟子入りしている。 だからそれ以外は、みんな、アホ扱いすることになる。本当にそう思っている。 私は好き嫌いの感情で動かされる人間ではない。世界水準に達して優れている学者と、 そうでないもの、は、はっきりと点数がつくぐらいに区別がつく人間だ。 (中略) ネイティビズム対ビヘイビアリズムの対立、というきわめて簡単な図式が分かると、 もしかしたら私の読者でも、一気に、ひらめくように、この世界がどのようになっていて、 どのように人間(人類)は考えてきたのか、とか、この近代500年の西洋学問(サイエンス)の 全体像が、ハッと分かるかもしれない。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P51〜52
338 :
考える名無しさん :2010/02/22(月) 00:46:28 0
>>325 江戸期の儒学や国学は、歴史的現象としては意義を持ち続けているが、
鎌倉期の仏教のように、未来の人間の心に直接訴える力は持っていない、
という評価そのものの方が、吉本がそうであるかどうかよりも、面白かった。
その評価の根拠をぜひ聞きたい。反論ではなく、実は俺もそんな感じがするんで。
《真理の標識は権力感情の上昇のうちにある。》 《仮象の世界とは、言い換えれば、価値にしたがってながめられた或世界のことである。価値にした がって、すなわち、この場合には、或特定種の動物の保存や権力上昇に関する有用性の観点にした がって、秩序づけられ、選択された或世界のことである。》 《いったいそれ自体でのもののうちに意味があるのであろうか!? 意味は必然的にまさに関係的意味であり遠近法であるのではなかろうか? すべての意味は権力への意志である(すべての関係的意味は権力への意志のうちへと解消されて しまう)。》 《いくつかの表象や知覚の間で戦われているのは、生存(と絶滅)をめぐっての闘争ではなく、支 配(と従属)をめぐっての闘争である》 上はニーチェの『権力への意志(力への意志)』における命題である。ニーチェの晩年のこの研究 で、ニーチェはそれとは自覚せず、20世紀以降の権力の哲学を予告し、提示している。ここでニー チェにより命題化されたのは力の増大のためにあらゆるものを対象化し価値付けする主体であり 、それがニヒリズムの徹底によるその克服として、導出されてしまうという帰結である。ニーチェ の結論は単に一思想家の独断ではなく、歴史的必然を伴っている。よってこの哲学は、ニーチェ一 人の哲学に止まらない拘束性を保持している。それと自覚されることもなく、この哲学の圏内に 、20世紀以降の哲学やイデオロギーははまりこんでいくであろうこと。そのような必然を伴う。 上にあげた命題はこの哲学の拘束力の強固さを物語っている。様々な国家イデオロギーや反体制 イデオロギーは、知らずにこの哲学の圏内に絡めとられていく。それらの変質は、実はとうにニー チェによって予告されていた。日本の新旧左翼も同様であり、また、それらの同伴知識人や 批判的知識人、現代思想系知識人もまた絡めとられたと私はとらえる。彼らの言説に特徴的な身軽 さや、支配的言説への闘争本能はその内実にある意志を証していると私は見る。この哲学の拘束力 から逃れるには真性―何が真であるか―が覆蔵された歴史であることを思考に取り入れることが 必要で、そこを蔑ろにする『批評空間』系は軒並みニーチェの圏内に吸収されている。吉本をめぐる 対立点を私はそこにみる。
それが何であるかは問題ではない。支配的であることが闘争すべき理由となるのだ。打 ち負かし、軽蔑し、逆に従属させる理由となるのだ。それが何であるかは 問題ではない。それが支配的であることが問題なのだ。政治において、闘争の理由となる のはそれである。このような政治の本質はとうにニーチェにより命題化されていた。 《「これは何か?」とは、何か当のものとは別のものからみられた一つの意味定立である。 「本質」「本質性」は、何か遠近法的なものであり、多数性をすでに前提している。根底に あるのは「これは私にとっては何か?」(私たちにとって、生あるものすべてのものにとっ て、など)である。》 《「いったい解釈するのは誰か?」と問うてはならない。そうではなくて、解釈するはたら き自身が、権力への意志の一形式として、現存在を(しかし「存在」としてではなく、過程 、生成としての)一つの欲情としてもっているのである。》 よって、支配的なものは取り敢えず軽蔑し、蹴り倒しておきさえすればよい。それの内実 など気にする必要はなく、欠陥品であることを強調し、軽蔑し、従属させねばならない。 埴谷雄高はかような政治の本質について「政治の意志」として次のように残している。 《(…)さて、私は、この文章の眼目である政治の意志を述べようと思う。これまでの政治の 意志もまた最も単純で簡明な悪しき箴言として示すことができるのであって、その内容 は、これまでの数千年のあいだつねに同じであった。 やつは敵である。敵を殺せ。 いかなる指導者もそれ以上卓抜なことは言い得なかった。》 しかし埴谷を補足すれば、殺すことは力への意志の帰結としてあり、「これは私(たち) にとって何か」という認識によってもたらされる価値評価の帰結である。政治にとっては 、それがあることが私(たち)の力の衰退につながる対象は無に帰するべきなのである。 埴谷が取り出した政治の意志と力への意志は繋がっている。政治における根本原理―権力 感情を上昇させるものが真―を取り出したという意味で埴谷雄高は卓抜である。
341 :
考える名無しさん :2010/02/22(月) 10:06:50 O
青臭ッ! ハイデガー、クロソウスキー、バタイユ、あとおまけで小林秀雄のニーチェに関する言及をチェックすること。 てか「ツァラトゥストラ」を通読することをお勧めするw
342 :
考える名無しさん :2010/02/22(月) 21:47:46 0
阿呆臭ッ!
343 :
考える名無しさん :2010/02/23(火) 20:08:48 0
わかる日本語の本を読め。
必殺技:○○を読め
1950年代以前生まれのインテリの特徴 吉本信者+小沢信者 andインテリ受けする著名人色々
346 :
考える名無しさん :2010/02/26(金) 12:18:53 0
>>346 「1950年代以前生まれ」つまり団塊世代のことだからそれは古いだろう
「インテリ」というカタカナ語が何事かの意味を持っている最後の世代だ
以後の世代はインテリよりインテルだな
もっと若いのはインテルというとサッカーになってしまうようだが
吉本だとか柄谷だとか蓮實だとかの本を図書館で借りるとき恥ずかしさすら覚えるよw
それなら太宰治でも読んでいればいいよ
>>309 の指摘は正しい。
吉本には柄谷の言うX=アソシエーションがない。
(対幻想、指示表出という概念にはアソシエーションにつながる芽があったが本人が発展させなかった。)
国家|共同(国民)
主義|幻想
__|_____
自由|
主義| X
吉本は左下の自由主義にポジションをとるが、それは自己幻想にすぎない。
(共同幻想は仮想敵として機能するにしても)
吉本は花田清輝等、本当は連携できる人間たちを否定することで相対的な地位を獲得したに過ぎない。
今や吉本はかつての花田と同じポジションいる。
くだらなすぎるwwwwwwwwwwww
糸井重里らが吉本の下町気質を強調する時、それは実は
>>350 の図の右上のネーションの
幻想に吉本を位置づけているのだと思う。
巧妙な配置転換だが、「下町」なるものもまた言説を売るためのマスイメージなのだろう。
吉本もまた、漱石、小林秀雄、ビートたけしといった江戸っ子の系譜に入れることができるかも
知れない。
江戸っ子にはコンプレックスがないから日本では主流派を形成してきた。
ただし、今やその歴史性があらためて問われるべきなのだ。
354 :
考える名無しさん :2010/02/27(土) 22:48:08 0
馬鹿は348の方だろ 恥ずかしさ「すら」覚えるw
今日日思想関係の本とか読むのはイタイやつだろw それを指して恥ずかしいって言ってるんだろ
資本批判が対幻想論だろ。
357 :
考える名無しさん :2010/03/02(火) 21:32:31 0
だろ
359 :
ウの発生・1 :2010/03/03(水) 00:01:20 0
精神元素「ウ」の言霊と古事記。その1。 ●0、古事記神代の巻冒頭百神によって与えられた「ウ」の神名・ 天の御中主(みなかぬし)の神。 神名の解。心の宇宙の(天の)、その宇宙の真中にいて(御中)、 全ての意識活動の主人公である(主)、そういう実体としての神 天の・今此処の心の精神宇宙の、み・御・身・実・実体、な・名・相手・対象・、 か・掻く・、ぬ・貫く・縫う・、し・止・ 神名全体の意味。・天の御中主の神という神名のそのままの意味は 心の宇宙の(天の)真中にいる(御中)主人公である(主)神。 ・今此処の心の精神宇宙の実体(み)とその名(な)が掻き集められ(か)貫き縫い合わされ 統一されたまま(ぬ)求心的に中心に向かって静止している(し)。 言霊「ウ」の意味。 ・我ここに有りの原始的な自覚体。今、此処の一点から始まる活動。 その瞬間の一点にある宇宙の中心で、後に「我あり」の自覚に発展していく。 何一つ現象の起こっていない心の世界。やがて意識の芽を生む。 心の出来事が起こる以前の主体側の母音の一つ。兆し。 目に見えない、現象を起こしていない種々のエネルギーが充満している自然宇宙とそれを見ている人間側の心の宇宙の総体。 心の宇宙にも自然宇宙と同然の感知出来ない心のエネルギーが充満している。そこにあるきっかけが加わると働き始め動き出す。 現象としてはそれ自信は姿を露さない心の宇宙。『独神(ひりとがみ)に成りまして、身を隠したまひき。』 先天構造。先天構造とは「認識論上、経験に先立ち、しかも経験の成立・構成の基礎となる領域」のことです。 ですから人間の五官感覚(眼耳鼻舌身)では捉えることは出来ません。
360 :
ウの発生・2 :2010/03/03(水) 00:05:19 0
言霊ウは全体的な姿を現さないものによって支えられ助けられている、あるいは全体を支え助ける、 原因となり結果となるその始まりの瞬間、瞬発力等の意味合い。 例えば言霊ウからできた現象の浮くの場合、浮く浮いている結果を見るのではなく、浮く浮かすその元となる力を指す。 産む、生む、動くも同様で、それらの結果を催す潜在力、傷が痛くてうずくのう、 美しいものを見てなんと美しいという言葉の出て来る以前の全体の中に隠れているうが情感の中で拡がらんとしているその時のう、 等々現象となって手応えを得る以前のうの事。 現象以前のうは天の御中主(みなかぬし)の神と名付けられてる。現象となったものあるいはその働きとして現象になるものは 建速須佐の男の命、海原(ウの名の付く原)、現象言霊ウの主催者となっている。 言霊ウの心は心の宇宙の(天の)、その宇宙の真中にいて(御中)、全ての意識活動の主人公である(主)を示していて、その心の結び付き方、現れによって、うの名前がつく対象が出て来る。五十音図ウ段のう・クスツヌフムユル・ウの現象子音が発生する。 うは分解分析出来ない一つの全体の姿で存在している。石が沈んで葉が浮いて、では木片はどうなるのかという時、 木片を水面に落としてみると、一端水中に隠れたものがまた顔を出し浮かぶ。この時の最初の浮かぶことを確認する衝動にうがある。 それを結果の方に結んでいくと水は木片を助けて浮かび上がらせ支えて浮いている状態を作っているといえる。 また現象として目前の海を見ている場合、猟師がうと名付けたからうという名前が付いたのではなくて、 猟師の心の先天構造にうが存在していることがまず前提となり、ついで、うと聞くものの心にも同じ先天の構造があるから同調できることになる。 ただ名を付けるだけならへでもほでも構わないわけで、それでは当然日本語としての聞くものが共感感応する海とはならない。 そこで、猟師がうとしてしか、あるいはどこの誰でも大和言葉の範囲内でならウと言わざるを得ない必然性を探すことになる。
361 :
ウの発生・3 :2010/03/03(水) 00:08:08 0
では海『う』の発生に挑戦してみよう。猟師が始めて海を見たとする。それに名前を付けるまでを追う。 ●一、天地初発の時。 猟師は山から海を見下ろし見たのか、突如海岸へ迷い出たのか分からない。始めての青い海原を見た。感動したかどうかも知らない。 海を見た経験がないから経験を確かめたわけではない。だが類似はある。青々とした緑の草原、広々として大きな池、 雲一つない青一色の空等、大きさと単色から来る印象があるだろう。 またそれらから来る有用性、効用等も考えられるかもしれない。いずれにしろ自己の眼前に全面的に対するものの発見である。 ここでもし狙っていた獲物が出現したら、心はそちらへ向いてまた追い始めるだろう。その時は後に印象を回帰して記憶をたぐることになろう。 今はそのまま海に心が向いたとしておく。従って始めての経験が始動することになる。まだ名の着いていない海を見て何かしらの五感感覚はある。 そればかりか、他のものとの類似判別の知性も働かしたであろう。しかし、それをどうするかということは無い。 選択行為に赴くには海の経験がないからだ。一応潜在的な状況はこんなところにしておく。 そこで猟師の側を見て海に対して、未だ経験したことがないから経験次元は除くが、類似への記憶はある。 感動したかどうかも分からないので、情緒次元も除くが、情緒感覚は当然ある。意志によってどうこうするものではないので、意志の次元は除く。 相手の海を選択して二分するわけにも行かず、選択行為の次元も除く。 そこで人間性能のうち残るのは五感による本能欲望次元だけとなる。 これは猟師にとってこうなるだけで、土地の人間はまた別だろうし、肝心なことは土地の漁師達には既に名前が付けられていることで、 遅れてやってきた猟師はそれを確認をすることになるだろう。(わざわざこんな状況を設定しなくともよいが) ここで本能欲望といっても海を食べたいとか飲みたいとかいうのではない。猟師にとって目前のものの名前を付けたい、この名前を知りたいという欲望の方向を取り上げているので、 それは前記の次元のいずれにも属さないということです。関連は後から出て来るので今は取り上げないだけ。 ここで目前の海という客観対象とそれを見ている意識との関係をみる。 ●父韻と欲望次元の言霊−−−
362 :
ウの発生・4 :2010/03/03(水) 00:25:45 0
●父韻と欲望次元の言霊−−−−− 始めて海を見た漁師の精神性能状態によって対になった四つのグループに分ける。瞬間的な意識の記述になります。 ここでは精神活動のどの部分がどのように海と結ばれるかを探ることになる。 父韻チ−イと海に名を与えたい欲望次元の言霊 1a・チ・心の宇宙がそのまま現象として姿を現す動き、となります。 人格宇宙全体がそのまま現象として姿を現わす端緒の力動韻。 チ+ウでツ。始めて海を見た印象の始めは、わけの分からないものの全体的な動きを受けた印象から始まります。 五感のどの部分が強いとか弱いとかはその人によります。同じ色彩を見ても受け取りは違いますが、 当初に受け取ったその始めはハッキリしていないというのは普遍的なことです。 目前の視界に拡がる全体的なものと結び着いたことでしょう。 しかしそれを表現するのにた行タチツテトをもって海と心は結ばれそうもありません。 1b・イ・何の妨げもなく、新たな獲物が出現しないなら受けた印象はそのまま持続します。 注意力もなく関心も興味もなければ受けた印象は立ち消えになるでしょう。その持続が続くなら、 自らの日頃培った智恵・力量・記憶が自然に発揮されます。父韻チの瞬間力動がそのまま持続して行きます。 ・ヤ+ウでユ。イメージとしてまとまる途中のものが湯のように出て来るでしょう。 目前のものは何時までも変わらずにいることを得るでしょう。 しかしそれを表現するのにや行ヤイユエヨをもって海と心は結ばれそうもありません。
363 :
ウの発生・5 :2010/03/03(水) 00:36:16 0
父韻キ−ミと海に名を与えたい欲望次元の言霊 2a・キ・何かを知ろうと、何であるか分かろうと、 掻き繰る動作を示します。何を掻き繰る(かきくる)か、と言うと、 自らの精神宇宙の中にあるもの(経験知、記憶等)を 自分の手許に引寄せようとします。キ+ウでク。 印象が消えないようエネルギーを供給して全体を支える。以上のこと以下のことも同様ですが、 猟師がその場その時に海の名前を付けようと、後からであろうと、四組の構造に変化は無く、 関心注意がある以上は自身に内在する隠れた経験に結びつかざるをえません。 だだっぴろい、静かでいて動いている、何の変化も無いようでそれでいて同じ変化を繰返し、 香を運び風を生み音をもたらす、単音単色の中から常に何かが出てきそうな、感じです。 それを表現するのにか行カキクケコをもって海と心は結ばれそうもありません。 2b・ミ・自らの精神宇宙内にあるものに結び附こうとします。 人は何かを見た時、それが何であるかを確かめようとして 過去に経験した同じように見える物に瞬間的に思いを馳せます。この動きの力動韻。ミ+ウでム。 イメージを実体化する段階でどの相手にするかどこかに向かっていき結ばれようとするか、 自分の方向を探ります。 相手は大き過ぎ、変化が無さ過ぎ、同じ事の繰返し過ぎ、こんな感じでしょう。 それを表現するのにま行マミムメモをもって海と心は結ばれそうもありません。 父韻シ−リと海に名を与えたい欲望次元の言霊 3a・シ・方向が見つかれば人の心の動きが心の中心に向かって 静まり納まる働きが始まります。シ+ウでス。 そして決まった主張見解ができます。そこに静止した全体の姿を作る。 心の何に結ばれようとするのか、何が心と結ばれようとするのか、 固定した特定された特色だけを見つけることができず、 全体がそのまま押し寄せている、こんな感じです。 それを表現するのにさ行サシスセソをもって海と心は結ばれそうもありません。
364 :
ウの発生・6 :2010/03/03(水) 00:42:05 0
3b・リ・それは自他との共有に向けて人間の識別の力が心の宇宙の広がりに向かって どこまでも活用されるよう発展伸張していきます。リ+ウでル。ウが父韻リと結ばれると、 風船が膨らむように、坩堝の中味が膨らむように拡がり出て来る。 特色個性ある規定ができず、単純な変化繰返しを受け入れることになる。 それを表現するのにら行ラリルレロをもって海と心は結ばれそうもありません。 父韻ヒ−ニと海に名を与えたい欲望次元の言霊 4a・ヒ・共有を目指す為の接触面の創設です。文字言葉その他表現精神内容表現が精神宇宙球の 表面に完成していきます。ヒ+ウでフ。具体化の為、潜在性、先天性から抜け出そうと意志を吹き出し イメージを創造しようとします。 海から受けた印象の特定化個性化を猟師は主張したいが心に感じているものは、 動きはあるが小さいもので、繰返し同じことが産まれて来ることであり、 それでいて海は海で自身で独立しているような、こんな感じ。 それを表現するのには行ハヒフヘホをもって海と心は結ばれそうもありません。 4b・ニ・その実行の為心の奥に一つの事の原因となるものが煮つめられて行きます。ニ+ウでヌ。 外にあったものがまた中に入っていく。 こうして海を目前にして(または記憶から甦らせて)得たものから心に煮詰められ現象の種ができていく。 言葉の成立には聞くものにもこれと同じ過程が経過されて反復されることがひつようです。 しかし煮詰める種を創造出来ませんでした。 それを表現するのにな行をもって海と心は結ばれそうもありません。 こうして何らかのアイデアの芽が出ますが、 この段階で他人と共有していない意識構造である場合には誰が何を言おうと通じるわけではありません。 聞いた人が反復了解出来る意識構造が共有されている必要があります。 このように自然に通じ合うことを無視するならば、 言葉を強制強要したり売りつけたり買ったりして共有することもありますが、 それはまた別の話になります。 ここでは猟師はうまく心に同調する言葉を見つけられませんでした。
365 :
ウの発生・7 :2010/03/03(水) 00:45:37 0
そこで、指示をすれば勝手に名前が付くという考えを止めて、言葉としての成立を許す共通の 先天的な場(高天原)を確認しようとします。 こんどはまず、自分の中に自分の主張の場(淤能碁呂島[おのごろしま]己の心の領域)をきずくことになります。 ●二、精神元素「ウ」の言霊と淤能碁呂島[おのごろしま](己れの心の締りの島) 1)先天の要求。 ・自分が感じ考えたから言葉を発するのではありません。 その前に意識の先天部分から言伝えのような命令のようなものがあります。 意識されない頭脳内の先天十七(生命の先天部分)の言霊の原理的な初発の時です。 言葉の発生以前の言語のプラットホームとなっていくものです。 同じ言葉が話されるという事は各人の先天が変わらず、言葉を創造する要素が変わらないからです。 また、黙っていても通じ合うのは体験を共有しているから、その体験を心に描くだけで既に結んでいるわけです。 全人類共通の心、全人類共通の体験のプラットホームとなっている十七の先天言霊の一つ。 異なった言語を話すもの同士が後で通じ合うのも、そこに人間としての共通の十七の先天構造を共有しているからで、 そのために人類の言葉は一つになることができる。 2)準備・ 自分の主張の場を形成する準備がはじまります。ここに自分と海との存在がありますが、 ここでは海を名付けようとする自分とその対象となっている海です。海の印象は猟師が受けとり、 猟師はその印象にこれから向かうところです。ですので、対象は広々とした海ですが、 頭脳内にあるのは受けた印象とそれを名付けようと問題としている狭い範囲内のことです。
366 :
ウの発生・8 :2010/03/03(水) 00:49:13 0
3)自覚へ・ ここで印象といいますが、個人の印象のことではありません。 もし個人の印象を問題にしたのならそこから産まれる言葉は 百人百色となって通じることは無くなってしまいます。また、そこから来るように、海は広くみえるのでもなく、 青いのでもなく、波がくり返し寄せて音を出しているのでもなく、海の香がするのでもありません。 海は広くも狭くもなくそのもので、青くも白くもなくただ光の波長を出しているだけで、 ザーという波動をだしているのでなく音の波動をだしているだけで、塩の香をだしてているのでなく 香素をだしているだけです。それが生物の人間種において、その五感とシンクロしたときに現象となります。 ですのでここで言う印象とは人間猟師にシンクロをもたらす海の何かあるものということです。 相手は海ですが主体側において(猟師側)シンクロを催し媒介する何ものかが必要です。 物質側でいえば光子とか空気、においの粒子とかになるでしょう。一方人間側においては、 物質の受容器官になります。そして受容器官は脳内にて意識に転換されないとシンクロを受けることができません。 さらに、物理的信号は意識の範囲内にて活動をしないと送受信が成り立ちません。その仲介役が先の八つの父韻です。 八千年もまえに既に古代人間はこれらのことを発見していました。古事記の冒頭はそのことを示しています。 恐ろしき古代人です。その秘密は今も皇室内で眠っているといわれます。 (本来の天皇の秘密はここにあります。−−脱線) 4)実行・ そこで己の心の領域(島)では自分の内でシンクロするものを打ち立てることになります。 意識が自他の分別を自覚する以前の何も分からず何も無い状態の中でムクムクとうごめく心がある状態です。 言葉の発生を扱っていますから、ここで音声を母音・半母音、子音、父韻・親韻と分けて 海に何と名付けるかを探すことになります。 ●●●精神元素「ウ」の言霊と古事記。その3。 欲望の領域とそこから出て来るもの−−−
367 :
考える名無しさん :2010/03/03(水) 10:56:39 0
吉本って90年代のバブルがはじけた頃に、 不況を脱するには社員の給料を上げればいいと言っていた。 当時はいいこという爺さんだなと思っていたが今考えるとメチャクチャだな。
>>367 どこがどうしてメチャクチャなんだ?
いま考えると普通にまともすぎるほど凡庸な正義を言っているじゃないか。
369 :
考える名無しさん :2010/03/03(水) 11:16:07 0
経営学的にはフォーディズムのイデオロギーになったテーラー主義への回帰、 はたまたマクロ経済学が目標とすべき基本中の基本を説いているだけじゃないか? それがメチャクチャだというのは、もはや時代錯誤だと言いたいのかい?
370 :
考える名無しさん :2010/03/03(水) 11:47:59 0
好況時に社員の給料を上げて不況時には下げる。 これが経営の基本だよ。 吉本は逆説的なモノ言いが得意でそれがヒットすることもあるんだが、 経営に関しては的外れもいいとこ。
371 :
ウの発生・9 :2010/03/03(水) 17:42:29 0
精神元素「ウ」の言霊と古事記。その3。欲望の領域とそこから出て来るもの 捜し物はいつも見つかるとは限らないし成功するとも限らない。 古事記に則して海を見て名付けに失敗することを見てみましょう。 5)失敗1、子水蛭子。 この場合は女が先に「いい男だね」と言ったから蛭子を生んだということになっています。言葉の発声に関して言えば、 母音を先に発声したからという意味です。母音を先に発声して言葉になるのは母音だけです。 子音はまずKSTNHMYRのイニシャルが頭に付かないと発声不能です。 KSTNHMYRの八つは心の活動の動力となってその様態を表現していきます。 失敗の1は母音に限ってなら発声出来るが、その母音には心の内容が付随していない、ふにゃふにゃの蛭というわけです。 それでも母音の世界はありますから産んでいくということです。 6)失敗2、淡島。 二つ目の失敗は既に出来てしまった領域(島)からまた領域を産み出すということです。 これは普通に言えばわれわれ凡人の考え、学者の考えです。この世のほとんどの考え(良いも悪いも)のことです。 海を見たときおならをしたからあれをへと名付けよう、海と空の二つしか見えないから フと名付けようというようなものです。これらはそれぞれ経験、記憶に助けられて勝手な展開をしていきます。 7)改め、 そしてここから正式に名付け行為が始まります。 KSTNHMYRを頭に付けないと子音は産まれず、母音には魂が入っていないということが分かりました。 では母音だけでもって意味のある言葉はどうなるのでしょうか。猟師はへという替わりにうと言ったかもしれません。 そこで猟師は考えます。母音だけで勝手に名指ししたのでは駄目なので、 生きた母音による名指しは出来るか検討します。 ここでは多くを省略して、子音による名付け、うによる直接的な名付けに失敗したものとします。 そこで、猟師は再度先の父韻を取り上げます。今度は心の動きに合わせ名付けようとします。
いかなる言説も固有の文脈から読まなきゃ仕様がない。 90年代か既に個人消費、しかも必要消費じゃなく不必要消費が日本経済に占める割合が大きくな っている、というのが80年代からの吉本の認識で。不況を脱出するには従って個人消費を何とか して上げる以外ないという文脈。吉本がそう言ったとすればそこで初めて出てきた話でしょう。 文脈を捉えて再考すれば尤もな話として受け取れる。それをやらない人間が吉本にすれば“本の 読み方を知らない人間”となるわけです。アンチ吉本派の殆んどがそれだったことも愛読者にはお 馴染みな話です。
373 :
ウの発生・10 :2010/03/03(水) 17:48:51 0
心(ア)と対象(ワ)との結びつき。 淡島(ア−ワ島)でなく淡(ア−ワ)路の穂の狭別の島に降りました。 猟師が海を名付けるには、自分の心にあるものと対象から得たものとが合致している自覚が必要です。 こういった経験は滅多にあるものではなく、ここから書くものも単なる例えの範囲を出ないでしょう。 父韻チと欲望次元の言霊 下0・海を見ていると、何も始まらないのに何か始まる感じ、だだッ広くて大き過ぎて動きが無いのに 何か動きうごめいている感じ、単調な繰返しで変化を期待出来ないのに何か産まれる感じ、 表面の寄せる波の繰返しだけなのに波の中から何かが生れる感じ等々がある。 目に見えないけど、現象を起こしていないようでありながら、常に揺れ動くものがあって、 何か生れそれから何かを得ることがあるように感じる。動きに乗れば次に何かが来るように思える。 しかし、待てど暮らせど変化は無い。この変化を抑えられている感じ。 海の安っぽい絵画や写真を見ても、海の感じは得られない。水平線ははるか彼方にあり広さはわかる。 しかしそれは不動のスナップで、単純微細な繰り返される動きを感じない。 1a・チ・そのような心の宇宙がそのまま現象として姿を現す動きとなります。 「人格宇宙全体がそのまま現象として姿を現わす端緒の力動韻のチの力を感じます。 それはそのまま現象を目指して動き出します。 2a・キ・何かを知ろうと、何であるか分かろうと、掻き繰る動作を示します。 何を掻き繰る(かきくる)か、と言うと、自らの精神宇宙の中にあるもの(経験知、記憶等) を自分の手許に引寄せようとします。チの全体感が保持されていきます。 2b・ミ・海を見ている体験の中で得られたものを、自分の精神内にあるものに結ぼうとします。 4a・ヒ・共有を目指す為の接触面の創設です。主客の共感感応を言葉にしようとします。 子音での表現はうまくいきませんでした。適当な母音での表現も失敗でした。 ここでは猟師はうを選択しました。
>>267 さんは、blogとか書いているの?面白いよ。
> 鳩山と失業者が問答してる
> のをみると、その失業者は事務系の仕事しかやる気がない、それで失業してる。あれをみて不思議な
> 感覚を持たなきゃ嘘だと思う。
大阪府の橋下知事は、そういう閉そく感を組長として批判しているけど、それに同調する知識人は論外として、
下町の思想家としてどういう発言するのか、興味あるんだよね。
375 :
ウの発生・11 :2010/03/03(水) 17:50:30 0
3b・リ・それは自他との共有に向けて人間の識別の力が心の宇宙の広がりに向かって どこまでも活用されるよう発展伸張していきます。 うを選択して心のうを拡張していきます。自分の経験に合致しているかをみます。 対象である海に投げかけ不都合な反撥が無いかをみます。 4b・ニ・こうして選ばれた言葉が心の中に煮詰まります。 まだ煮詰まる過程ですので特定はできていません。 1b・イ・煮詰められる言葉の出現のために持続していきます。 3a・シ・こうして自分の心と対象である海から得た心が一致し、うに集約していきます。 上0・結論として海はうであり、うは海であることが相互の一致から確認されます。 己の心に海を見てうと名付けるアイデアが浮かびました。これは自分の頭脳内だけのことです。 −−−
376 :
ウの発生・12 :2010/03/03(水) 17:53:22 0
●三、精神元素「ウ」の言霊と島々の生成(宇宙区分、) 今度はそれを相手に伝え共有化しなければ言葉となりません。 名付け指示しただけでは独り善がりの言葉です。 古事記では言葉が相手に届いて了解されまでに三つの領域が設定されています。 津島(つしま)タトヨツテヤユエケメ。まず頭の中で自己確認です。 先天のものがまとまっていく段階。 佐渡(さど)の島。クムスルソセホヘ。考えが言葉に組み結ばれる段階。 大倭豊秋津(おほやまととよあきつ)島。フモハヌ・ラサロレノネカマナコ。 発音されて、聞かれて、了解される段階。 言葉が発声され聞かれました。現象となりました。 しかしまだ社会的な共有性を得るまでの保証はありません。 さらに、古事記によれば間違いの無い言葉かどうかを検討していく過程が次に続きます。 今回はここまで。
>>370 > 好況時に社員の給料を上げて不況時には下げる。
> これが経営の基本だよ。
それだけならバカでもできる。デフレに加担するだけ。
まさか、テーラー主義的経営学を知らないでもあるまい。
378 :
考える名無しさん :2010/03/03(水) 21:17:09 0
>>377 テーラー主義経営って経済が成長しているときはいいんだ
ろうけど、今はトヨタでもそんなことやってないだろ。
春闘でさえ賃上げ要求はしていない時代だってのに。
379 :
ポッポ ◆Q.FQ0/LrYOtA :2010/03/04(木) 00:34:35 0
僕は世界に必要な小説を書きます。 読者に良い影響を与えることのできる、良い小説です。
そして、僕は「哲学的&芸術的」であることが重要だと思っています。
哲学性と芸術性の弱い小説は読者に良い影響を与えられません。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/bun/1267611188/ ↑は僕の書いた小説を載せてます。
小説を書く練習として作ったものなので内容は薄いです、すいません。
会心の作は新人賞に送るつもりなので、公開できません。
日本でこういう作風は自分以外に無いのでは、と思ってます。
2時間くらいで書いた作品です。 詩的であることも意識しました。
自分のケータイ小説サイトのURLは書き込めないようなので、
リンクしているスレのURLを書かせてもらいます。
縦書きで読んでもらいたかったのですが、手軽にHPを作って公開できるケータイ小説形式を選びました。
380 :
考える名無しさん :2010/03/04(木) 23:31:49 0
381 :
考える名無しさん :2010/03/05(金) 10:32:59 0
> 「君が代・国旗掲揚強制で軍靴の音がry」 > と同レベルの。 いや、それも今となってはそれなりに真実に近かったんじゃないか。 冷戦後の世界においても米国が戦争を仕掛けることがイラク戦争で実証されたし、 で、米軍の兵隊たちにかなりの犠牲者が出ている。 米国と一緒に自衛隊が戦地へ派兵されることになるのも実際に実現した。 いまのところは後方支援だけだけど自民党鷹派にしたら現状は不満だろ。 つまり、我々や我々の子どもたちが徴兵されて戦死する可能性は、 サヨクの脳内妄想ってだけではいまや片づけられそうになくなっている。 いよいよリアルに話し合われる話題に乗ってきたということだろ。 日教組の「教え子を再び戦場へ送るな!」の掛け声には、 今となっては、それなりにリアリティがあったんだよ。
>それなりにリアリティがあったんだよ。 ねえよw
383 :
考える名無しさん :2010/03/05(金) 22:14:09 O
無心に「火垂るの墓」観ればそれで解決。 理論的裏づけが欲しいなら吉本=ヴェーユの言説をたどればいい。 阿呆が阿呆過ぎて悲しくなっちゃうよ。
pppp 阿呆が阿呆過ぎて悲しくなっちゃうよ。
吉本が、かつては一億総中流化が恒常的であるかのように 言っていたのに、いまではそういう発言をしなかったかのごとく 振るまっていたとしても、驚くにたりないけどな。 一例を挙げると、この人は以前から花田が戦前「国粋主義」的傾向のある雑誌に 書いていたのを知っていたのに、花田と「共闘」していたときにはそれを 指摘せず、ソリが合わないと気づいて、初めてそれを今さらのように 「暴露」したというね。 で、花田−吉本論争で、埴谷に無根拠に吉本勝利を宣せられて、 そのときの恩義があるから「コム・デ・ギャルソン論争」のあとも、 埴谷に対する高評価は変えなかったわけでさ。 他方、義理立てする必要のない大岡のことは、 ボロクソに言ってたというね。
さすが3流研究者、ヒマな研究してるわw
そりゃ花田が自分の事を棚にあげて、文学者の戦争責任をあげつらいだしたから 「お前だって東方会の下郎だろ」と吉本が暴露したまでの話じゃないの。
じゃあ経団連の犬よばわりされても文句はいえないねw
へー吉本が経団連の雑誌に原稿だしたり講演やったりして金もらったりしてたんだ
一億総中流とかいう言説がだよw 具体的にどこに投稿してたかなんていうのは些細なこと
吉本=優秀な風見鶏 これがまとめw読む価値なしw
392 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 18:52:13 O
てかネガコメのやつ普通に吉本読んでないの丸見えw 花田に関してさえ吉本の言説フォローしてねえだろ? 恥知らず系が書いた二次資料鵜呑みにすんなよなwww
極右の東方会の中野正剛はもともとジャーナリストで出版社「我観社」をもっており、花田はそこで原稿を書いたり編集をしたりして 金を得ていたんだよ。 その「我観社」を中野正剛の息子がひきついで「真善美社」とし花田清輝が編集主幹となったわけだよ。 吉本のヤジウマ的な不規則発言とは訳がちがうんだなあ。
うるせえよ。3流研究者。 誰もそんなの関心ねえからさ、オホーツクの流氷にでも乗ってどっか行っちまえw
395 :
考える名無しさん :2010/03/07(日) 20:15:08 O
Wikipediaや三流が書いた二次資料はいいからさ。 もうちと吉本読もうぜ。 政治的あるいはイトイ的文脈だけが吉本じゃないことくらいは分かるもんだ。
転向論、マチウ書試論、丸山真男論、カール・マルクス そして「言語にとって美とはなにか」 初期のものは不滅の価値があるよ。
>>385 > 吉本が、かつては一億総中流化が恒常的であるかのように
> 言っていたのに、いまではそういう発言をしなかったかのごとく
> 振るまっていたとしても、驚くにたりないけどな。
しなかったかのごとく振るまってはいないと思うなあ。
『貧困と思想』では、いろいろ過去を振りかえりながら
半分反省文を読ませられているような印象がある。
>>397 そういった振る舞いこそが風見鶏である所以w
> 風見鶏 こんな把握しているから万年3流研究者w 今度は自分で自分の首を絞める番だなwwww
隆明がバナナに教えたことは、酒の席で偉ぶるなということだったそうだ。 ここにアソシエーションの可能性があるのだが、言説の場では活かされていないと思う。 マルクスを経済学を無視して社会思想として取り入れたことに間違いがあったと思う。
吉本がマルクスで最も影響を受けた書は「資本論」
バナナの増長っぷりは俺でも知ってるくらい有名だからな
古書店で『花田清輝全集9 近代の超克』をGET!この巻には吉本との論争文が納められている。 状態も良かったので良い買い物ができた。花田という人は1950年代の論争での中心人物な割 には著書の多くが絶版なので、図書館や古書で読まない限りその論争の中身が検討しにくい。埴谷 や吉本の前に立ち塞がった言説は上から目線、または大人目線で世間知らずの若造を軽くたしな める風情が出てて嫌らしい。
> 上から目線
当時すでに左翼の重鎮であったであろう花田清輝との論争の論点というのは様々あったが、今日 の時点で未だに重要性を失わないと私などから思えるのは、政治における悪−秘密主義・前衛にお ける階級構造・不信を禁ずる禁忌・犠牲−を目的の至上性ゆえに許容すべきか否か、という点であ る。ことあるごとに花田は特に埴谷の言説にたいし「政治を知らないアマチュア」と形容していた。 《『浮雲』にくらべると、『永久革命者の悲哀』などはただただ甘いが上にも甘いというだけのことだ》 (「世の中に歎きあり」) 《平野謙 僕は埴谷の政治談は世間普通の政治談とはちがってると思ってますがね。 花田 それがアマチュアなんだよ。政治に対してアマチュアの人は、あれを政治談だと思っている 。あれを思想家の発言だと思っている。》(座談会「政治家と文学者」) 《−そうじゃないよ。既成のモラルを持ち出して、手段や動機の善悪を論ずるのは、愚の骨頂だと いってるんだ。少なくとも新興階級に属する人間は、目的や結果を、なによりも重要視するね。か れらもまた、モラルを持たないわけじゃない。しかし、かれらのモラルは、階級闘争の過程において 、次第につくりあげられてゆくのだ。》(「ホセの告白」) さらに興味深いのは、階級についての花田の発言である。 《花田 階級性ってのはなくならないんじゃないの…。なかなかなくならない。 埴谷 それはもちろんなかなかなくならないんだ。 花田 革命が起こったってなくならないよ。 埴谷 なくならない証明がこれまでの革命に残念ながらあった。 花田 そういうことは、もう前から君と論争している時から問題なんだけれど、マルクス主義者な らば、自明の理であるんだけれども(…)》(「政治家と文学者」) 前レスで書いたのが、《真理の標識は権力感情の上昇のうちにある。》としたニーチェであったが、 花田に象徴されるのはニヒリズムの完成としての政治意識、力の意識であって、埴谷や吉本は革命 の理念がそれに吸収される事態に異議申し立てしたと考える。
爺さん遺伝子組み換えについてなんか言ってますか? 言ってなければ想像でレスしていいよ。
409 :
紀元一年 :2010/03/11(木) 20:58:32 0
>>405 花田さん、埴谷さん
腹減った、米よこせ、給料値上げしろ、と
金欲しい、報奨金もっとあげろ、雑魚は相手にするな、とでは
どこに違いがあるのですか。
同じ欲の突っ張りあいが出所じゃないですか。
だから上と下が入れ変わっても同じことが繰り返される。
それを指して「なくならない」というですか。
それを指して「残念」というのですか。
それを指して「自明の理」というのですか。
経団連会長と共産党書記長は同じことぐらいマルクスの時代以前から
分かりきった事というのが、普通のことだったのじゃないのかな。
409さんの言う通りなんですけど、ただ、あれだけでは分からないんですが、花田と埴谷では ニュアンスが違うのです。花田は要するに「革命で階級はなくならない。いかなる手段でも階級は なくならない。君が書いている未来の無階級社会など空想以外ではない。それを悟れ」と言いたい 。埴谷は「確かに現存する革命で階級はなくならなかった。しかしだからといってそれでよいとも 思わないし、やはり階級の消滅の方策は見つけられるべきだ」という立場だと思う。この座談会は 講談社『埴谷雄高全集13 文学創造の秘密』に収められているので、実際に読まれるとその辺の 違いが伝わるのでは、と思います。 ―以上です。どうぞ宜しくお願いします。
>>408 特に「遺伝子組み換え」について吉本が何か言っていたという記憶はないな。
ただ吉本は科学技術の研究やその進歩について、それ自体を否定するようなことは言わない。
もうひとついってみたいことがある。燃料は牛のフンでいい、原子力発電所は止める、
緑を守り、田んぼの景観を大切にしろ、アフリカの森林は伐採させるな、牛や羊は
殺して喰べてもいいが、イルカやクジラは殺して喰べるな、科学技術はあまり高度になると
人類に有害だ、この種の言説はもっとたくさん数え上げることができるが、こんな言説を
野放しにして論争を挑むことも、異議申し立てもしようとしないし、ばあいによっては
こういう蒙昧な見解に同調したりして恥じない理工系の大学教師が居るところに、高校生、
若者が志願するはずがないのだ。(「科学離れということ」)
「想像でレス」すれば、遺伝子組み換えについても同じことを言うと思う。
412 :
考える名無しさん :2010/03/12(金) 13:29:59 0
臓器移植に関しては否定的
413 :
考える名無しさん :2010/03/12(金) 15:16:10 0
遺伝子操作といえば、人工受精、人工母胎、遺伝子バンク(精子バンク)といった 女の出産や男女の性関係(対幻想の問題)にかなり深く結びついてくる可能性がある と思うんだけど、吉本思想はこれらが及ぼす社会の変化まで含めてマルクス主義的に 自然(必然?)過程と考える以外にないのかな?
自然過程とか言い出したらなんでも自然過程なんじゃねえの? 現状肯定以外に言うことねえだろw 倫理的契機というか、そういうの大切じゃないかな
その倫理的境界線はさすがの爺さんでも明確には規定できてないと思う。 現代的な問題だし。
416 :
考える名無しさん :2010/03/12(金) 21:16:42 0
科学と技術の進歩、産業と経済の発展、といったことについては自然過程と見做す、 というのが吉本思想の一貫した姿勢でしょう? マルクスの自然哲学を継承した。
417 :
考える名無しさん :2010/03/12(金) 23:21:06 0
浅田のような恵まれて育った苦労知らず、 大学以外で生きられない男に比べたら、 ホリエモンのほうがよほど立派。 堀江は、たくましく生きてきたし、浅田の 憂国放談とやらよりは、よほどまし。 大学=国家制度の寄生虫 それを擁護している連中も寄生虫の世界に 生きてるのか? ナゾのスレッドだ。
浅田が東大だったらそういった批判も多少意味があったかも知れない。 浅田に言わせれば、東京に対する京都というところに二項対立にとらわれ ないズレがあるのだろう(浅田には意外なことに京都人としての自覚は かなりある)。 浅田はかつての吉本の言説(「勝利だよ‥…」)にあきれはてていたことはあるが、 橋本治との対談でもわかるように「職人」を尊重している。 吉本の文壇での地位は認められているのだから、吉本はどんどん浅田から知らない ことを学べばいいのだ。
この人の文章頭悪そうで嫌い
420 :
考える名無しさん :2010/03/13(土) 14:21:20 0
理系の文章力なんてこんなもん(藁)
スガに指摘された、間違った花田の引用を 後年こっそり修正したという一点だけみても、 吉本が卑屈だということは明白である。 この点について正直に弁明しない限り、 吉本が今後も読み続けられるということは、 絶対にないだろう。
元祖2ちゃんねらという気がしないわけでもない もちろん悪しきイメージの2ちゃんねらね 卑屈で自分の殻にとじこもって自己満足的な言葉を上の人間に投げつけるという 初期の詩人としての作品は好きだけど この人が具体的な自我を政治的に出し始めるともう見てられないって気がする
010/03/14 22:00〜23:30 NHK教育
http://tv.yahoo.co.jp/program/83616/?date=20100314&stime=2200&ch=8208 ETV特集・選「吉本隆明 語る〜沈黙から芸術まで〜」
2008年夏、戦後思想界の巨人と呼ばれる文芸評論家・吉本隆明(83)が3時間にわたり自らの思想の核心「芸術言語論」を講演した。凝縮された言葉の魅力を伝える。
2008年夏、文芸評論家の吉本隆明さん(83歳)が講演会を開いた。足腰が弱り、目が不自由になった吉本さん。しかし年齢を感じさせないエネルギッシュな語りで、2000人の聴衆を魅了。3時間にわたり、自らの思想の核心「芸術言語論」を語った。詩人にして評論家。
戦後60年、言論界をリードし「戦後思想界の巨人」と呼ばれてきた吉本さんは、私たちに何を伝えようとしたのか? 講演会を中心に、吉本思想の到達点を描く。
出演
【出演】コピーライター…糸井重里,詩人・文芸評論家…吉本隆明
424 :
考える名無しさん :2010/03/14(日) 20:39:36 0
425 :
考える名無しさん :2010/03/14(日) 23:02:53 0
10
読むだけ時間の無駄
日本人はドゥルーズには甘いけど吉本には厳しい。 フランス語で書いてあるものを批判するのが怖いのが日本人なのだろう。
428 :
考える名無しさん :2010/03/16(火) 01:40:50 0
スガが色々書いてるが、「ユートピアの誕生」の解 釈をするならば、花田の戦前戦中の思想的遍歴が決定的に重要で、そこを抜かしてはあの論争の 意味は見えなくなる。吉本による花田への「コム・ファシスト」という呼称が何を指していたかとい えば、その転向により、戦中の日本独占資本主義を、そこに社会主義との糸を無理矢理に見つけ出 すことで合理化した、ということである。「ユートピアの誕生」はよって、《集団表象や鉄の規律や円 滑な再生産》を「ユートピアの不自由さ」として描いている。また、マルクスによれば、単純再生産は 階級関係と両立する(『資本論』第1部第21章)。「ユートピアの誕生」とは、「ユートピア」という名称 のもとに、当時の日本を容認することを意図している。
当時の日本は拡大再生産なのでは?
431 :
考える名無しさん :2010/03/16(火) 20:44:01 0
>>428 で頼んだのにまだ荒らしスレに依頼か?
いい加減にしろ!
次もやるならお前の依頼つけて荒らし依頼人としてテンプレにするからな
>>429 すがの本さえちゃんと読めてないというか、「当時の日本」=東亜協同体論のイデオローグは、転向左翼の
三木清や大河内一男で(さらには大塚久雄なんかも)、「ユートピアの誕生」は普通に読めば彼らを批判した文章だよ。
花田の転向にどういう問題が見い出せるのだろうか。花田は自らの転向に於て恐らくある時 、日本ファシズムとソビエト国家社会主義との間に幾つかの共通する要素を見つけ出したに違いな い。それが「ユートピアの誕生」で取り出される《集団表象や鉄の規律や円滑な再生産》である。そこ に戦中のファシズム思想から戦後のマルクス主義(日本共産党やソビエト共産党)へ矛盾なく移 行しうる根拠がある。すなわち、<ファシズム=マルクス主義>の互換性である。浅田彰などがたい した意味はないとする《資本制社会の枠内において、まず、いかにしてこの単純再生産の基礎を確 立するか》も上記<ファシズム=マルクス主義>の基礎としての統制全体主義としてとらえるべきだ ろう。
花田清輝の文章には何かを批判することで自己同一性を得ようとする 反体制派とは違う魅力がある。 ユートピア=単純再生産説も思考実験として面白い。 室町に着目するのも時代の先を行っていたと思う。 吉本も実は花田から学ぶところは多かったのではないかと思う。
たいして学ぶ事がないから批判されたあげく、弊履のごとく捨てられたのサ
ただ残念ながらマスイメージには楕円の思考が欠けている。
楕円の思考(笑)
花田清輝の文章にはオノレを賢く見せようという工夫が痛々しいまでに伝わってくる。 しかも内容はスカスカ。 どうだ俺はこんなに知識があるのだと読者を煙にまき、精神的に優位に立とうとする政治的駆け引きが得意だ。 そこのところが読み込めない頭の悪い読者は花田は凄いと勘違いする。これが狙い。 花田と埴谷の論争はこの点も重要。
>>438 吉本隆明の文章にはオノレを賢く見せようという工夫が痛々しいまでに伝わってくる。
しかも内容はスカスカ。
どうだ俺はこんなに知識があるのだと読者を煙にまき、精神的に優位に立とうとする政治的駆け引きが得意だ。
そこのところが読み込めない頭の悪い読者は吉本は凄いと勘違いする。これが狙い。
楕円の思考がないということは複眼的な思考、開かれた対話が出来ないということだ。 中心が二つある考え方が出来ないから、マルクスを理解する際もアウフ ヘーベンを前提に考えてしまう。 これはヘーゲル理解としても間違っている。 その表出論も、自己表出と指示表出は本来は止揚できない2極だったはずのものが、 大衆迎合的なマスイメージの中で一元化し、平板な自己幻想と化してしまった。
複眼的な思考は、他人事思考でも終わるからなあ。
相対主義は、一元化への準備なるとも思うんだよね。
『価値という言葉は、二つの異った意味をもっており、ある時にはある特定物の効用を言い表わし、 またある時にはその物の所有がもたらす所の他の財貨を購買する力を言い表わす。 前者は使用上の価値、後者は交換上の価値と呼ばれ得るであろう。』続けて、 『最大の使用上の価値を有つ物が、しばしば、ほとんどまたは全く交換上の価値を有たず、 また反対に、最大の交換上の価値を有つものが、ほとんどまたは全く使用上の価値を有たない。』 水や空気は極めて有用であり、それらは実に生存に不可欠のものであるが、しかも普通の事情の下では、 これらと交換して何物も得ることは出来ない。反対に金は、空気や水と比較すればいくらも有用ではないが、 多量の他の財貨と交換されるであろう。
いまだに、花田清輝の「ユートピアの誕生」を単純再生産礼賛ととらえているひとがいるのが、不思議。 眞逆でしょ
445 :
考える名無しさん :2010/03/19(金) 18:21:48 0
共同幻想も対幻想もすべて銭次第。カネの切れ目が対幻想の切れ目。
金って共同幻想の権化みたいなもんじゃん
しかも対幻想も一緒ってところが要旨。
相対主義なんて、今、もっとも嫌われる考え方だよな。他人事的態度で。 自然、誰にも注目されなくなったわけだが。
今でも花田なんかにこだわってまだ何かあると思ってるバカがいるのか。 まあ毛沢東とプロ文革の礼賛でもしてろって。
>>448 そもそも善悪というのも相対主義だろう?
451 :
考える名無しさん :2010/03/20(土) 18:34:56 0
>>450 善悪は実在する、という説もある。
阿呆ダンスかいう哲学。
その誤変換には悪意があるのか?
453 :
考える名無しさん :2010/03/21(日) 10:23:57 0
哲学ミューズ池田晶子も、善は実在すると言ってる。 彼女は神の化身だから、これは真実だ。
www
455 :
考える名無しさん :2010/03/21(日) 14:53:45 0
共同幻想=国家、対幻想=恋愛みたいな受け取りかたしてる人、多いね。 吉本自身も混乱してるみたいだからしかたないけど。
456 :
考える名無しさん :2010/03/21(日) 17:07:03 0
おまえは混乱してないつもりなんだなw
457 :
考える名無しさん :2010/03/21(日) 18:17:58 0
あんたの使ってるスレは荒らしスレだ、今後こっちで依頼よろしくっていってるのに池沼か?
代理レスはここへ123
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/operatex/1268992631/9-12 花田清輝は《自らの党派性を維持しながら、時期をあやまたず進んで他の党派と妥協するこ
とが、いかにリアル・ポリチックスに於て必要であるか》(「ユートピアンのむれ」)とし、戦時中自
分がファシズム協力の外見でその実コミュニズムを維持していたとしている。しかし、問題はその
コミュニズムが如何なる性質であったかにあり、内実としてはファシズムと似て非なる疑似コミュ
ニズム(ソ連型コミュニズム)でしかなかった。『復興期の精神』の問題とはこの二つの円環にある。
この円環を花田が越えることは終生なかった。主観的には「協力」の外見の下に「抵抗」であることが
本質的には同じにしかならないのはそのためだ。そのことが花田には掴めなかったし、スガにも
掴めなかった。
共同幻想=国家、党派など共同性に関わる観念 対幻想=家族、恋愛など他人との1対1の関係に関わる観念
459 :
考える名無しさん :2010/03/21(日) 21:09:43 0
>>455 > 共同幻想=国家、対幻想=恋愛みたいな受け取りかたしてる人、多いね。
> 吉本自身も混乱してるみたいだからしかたないけど。
国家にも対幻想の側面があり、家族にも共同幻想の側面があるという意味?
共同幻想・・・三人以上で起こる集団力学。 派閥を作ったり、お互いに疑心暗鬼になったりと、人間関係が多面的になる。 国家の起源。
461 :
考える名無しさん :2010/03/21(日) 22:35:20 0
>>460 うんじゃあ、家族構成が二人と三人とじゃ、前者は対幻想家族、後者は共同幻想家族で、
ぜんぜん位相のちがう家族になるってこと?(笑)
てか、その説明でも不十分のような。
共同幻想=エディプスコンプレックス 対幻想=マザーコンプレックス
463 :
考える名無しさん :2010/03/22(月) 00:22:11 0
>>457 が見えない池沼がいるんだがなんだ?
10/03/21 22:27にも荒らしのスレ使っているキチガイがこのスレにいる
いい加減にしろよ!
日本語が読解できない池沼荒らしか?
もうテンプレ荒らし依頼人としてはいってるがまだ続ける気か?
間違いなら今度から
>>457 にいけ
そこは早い
それかシベリアの郵便局、クラウンのforのついてる代行依頼スレへ
464 :
考える名無しさん :2010/03/24(水) 00:30:18 0
『花田清輝ルネッサンス・プロジェクト』というサイトで湯地朝雄という研究者が戦時中に花田が ファシスト団体の機関紙『東大陸』に書いたという論文「朝鮮民族の史的変遷」を紹介している。湯 地はこれを、日本の帝国主義を否定はせず、しかしそこに社会主義的思想を接続したものとして 評価している。そこに花田はこう書いている。 《統制資本主義は内包的に、先ずブロック内の富の開発による自給自足経済を企図する。かくて増 進せる富をその賃銀化、購買力化によって、ブロック内の大衆一般に均霑しようとする》 《統制経済は独占資本の弊をたわめ、生産を社会的な立場によって合理化し、大衆の購買力増大に よる必需品の生産につとめ、これに伴って市場の拡大を計るものである》 一読して、湯地の言うように、帝国主義に社会主義を接続せむとしているのは分かった。ただ、同 時にその社会主義が、旧ソ連の干渉主義と同様の覇権主義を基礎にしているのも感じ取れた。また 、湯地は言及していないが、ここにあるのは吉本との論争で俎上に上がった単純再生産とイメージ が酷似している経済である。「ユートピアの誕生」はアイロニーではないとここに証されている。
>生産を社会的な立場によって合理化し、大衆の購買力増大に よる必需品の生産につとめ、これに伴って市場の拡大を計るものである>> 拡大再生産じゃない?
466 :
考える名無しさん :2010/03/24(水) 12:51:47 0
拡大再生産と単純再生産は全く無関係ではないんで。『資本論』には“現実には単純再生産は拡大 再生産の一部である(ような場合がある)”と書いてある。延々と同量の生産に同量の消費を強い る、という場合にはあり得ない抽象であるが、そうでない場合、単純再生産は拡大再生産の一要因 である、とされている。あの部分に花田が何を籠めたかが重要で、延々と繰り返される単純再生産 、という概念は、現代ありうるユートピア、という文脈で出てきている。そこに彼が自身の社会主義 哲学を籠めたのは、あの前後の経済統制の重要性を出す手付きによって伺えるわけです。あと、湯地 が引っ張り出した戦時中の論文でも、ブロック経済圏での社会主義(但し帝国主義による押し付け )を出している。ファシズムによる膨張政策の上に築き上げる社会主義、という意味合いが色んな 場面で出されている。それを花田が“抵抗”だとしたことが論点なんですよ。
467 :
考える名無しさん :2010/03/25(木) 10:18:49 0
↑ちょっと良く理解できないのですが、花田清輝自身はユートピア批判ふだと繰り返し言っているわけですよね。 (ex「あたらしい国民文学」1959年)
468 :
考える名無しさん :2010/03/25(木) 22:41:34 0
花田自身は事ある毎に、「ユートピアの誕生」はユートピア批判だと言ってますね。 《単純再生産の表式でユートピアをとらえ、官僚の空想を嘲笑している『復興期の精神』のなかのわ たしの一文を、ユートピア肯定論だと誤解し、わたしに生産力論者という見当違いなレッテルをは ったのは、吉本隆明自身ではないか。》(「大菩薩峠」と戦争責任) 《ユートピアというものを、単純再生産の表式によってとらえ、主として企画院の役人たちにたいす る皮肉をこめながら(…)とかいたことがある。経済学のイロハを知っている人物ならだれの眼にも 、そういう課題に実現の見こみのないことはあきらかなはずであって》(アジア・インターナショ ナル) だけど、花田の終生の信奉対象だったソ連について、その経済の社会主義的計画性を讃えている文 とか読むと、ユートピアを単純再生産表式で表すあの部分はいかにも花田的でもある。だからあの 発言はあまり鵜呑みにできないと思ってました。そこで偶々前記のサイトで花田の戦時中の論文を 読んで、あのなかに「ユートピア」という語彙こそないものの、例えば「ブロック内の富の開発による 自給自足経済」というのがある。そこは花田がかつて書いた「政治的な島」での「単純再生産」に合致 する。やっぱり似たことを他の論文に書いてるんですよ。語彙が別なだけでね。
花田の終生の信奉対象だったのはソ連だけじゃなくて 毛沢東中国共産党とプロレタリア文化大革命もだな。
470 :
考える名無しさん :2010/03/26(金) 08:55:56 0
>>468 自給自足経済というのと単純再生産とはまったく違うんではないでしょうか?
471 :
考える名無しさん :2010/03/26(金) 22:02:40 0
確かに言葉だけ並べてみれば、「自給自足経済」と「単純再生産」のどこが同じ?となります。しかし そこで『資本論』第二部 資本の流通過程 第20章 単純再生産 第二節 社会的生産の二部門 という 節をみると、そこでマルクスは社会の総生産物をT生産手段とU消費手段にわけ、各々の分野での 現物(使用価値)が労働者や資本家により購買され消費される過程を不変資本c、可変資本v、剰 余価値mの表式で表しています。その過程を貫通する原理が〈その社会で生産した使用価値を同じ 社会で全て購買し消費する。〉という完結した経済であることが分かる。それは花田が「ユートピア の誕生」で書いているとおりです。「自給自足経済」という語彙だけなら分かりませんが、前レスに 引用した抜粋の全体をみると、花田が使用しているふたつの語彙が重なることが分かると思いま す。問題は戦時中の花田の問題意識とは何かであり、日本帝国主義の発展の上にソ連型社会主義― 階級的搾取による発展という意味でファシズムと同じ―の基礎を築けるか、だった。そこをスガも 浅田彰も見逃しており、よって花田の根幹が掴めていないし、“花田=吉本論争など何の論点もな い”とかの悲惨な読み方しか出ないわけです。
472 :
考える名無しさん :2010/03/27(土) 08:41:17 0
またまた、質問ですみません。ご教示ください。 <その社会で生産した使用価値を同じ 社会で全て購買し消費する。〉という完結した経済 『資本論』の対象が「一国」(イギリス・モデル)か「世界資本主義」か、はたまた花田的「ブロック経済」かを問わず、 それは拡大再生産を資本主義の本質としているわけです。 冗談ぽく言えば、世界資本主義は地球規模で自給自足しながら拡大再生産しているわけですよね。 なお、「全て購買し消費する」というのは、どんな社会でも、それが再生産過程を前提にしている限り不可能です。
貿易に伴う経常収支を無いものとすれば これは恒等式でしょう 国民総生産 = 消費支出 + 投資支出 + 政府支出
横からスマソ 単純再生産というのは、剰余価値を蓄積しないことでしょう? マルクスは、単純再生産表式を拡大再生産表式へと展開するための 論理的前提として示しているだけで、それが現実的に存在するとか考えていないでしょう。 ファシズムとか社会主義とは何の関係もないのでは?
>吉本隆明『日本近代文学の名作』 >江戸川乱歩『陰獣』が収録されております。 >「現代物なら、内田康夫が好きだ。浅見光彦シリーズなど、ほとんどすべて読んでいる」となんだか意外なことをおっしゃる。 「陰獣」は別に意外ではないが、浅見光彦シリーズ読んでるって聞くと、さすがに暇なんじゃないかと感じる。
476 :
考える名無しさん :2010/03/28(日) 01:15:09 0
不変な規模での単純再生産は抽象でしかない。よってユートピアの不可能性をあそこでは言いた かった、というのが花田がのちに書いたことで、スガもそれを踏襲している。しかしそれにしては 花田はここで、《このような表式をはっきり意識している人々》に感情移入し過ぎている。《彼らの 思い描いているユートピアは、倫理的=社会的な、いわば精神的ユートピアとでも称すべきもので あった。おそらくそれは、彼らが整然たる再生産過程の進行を妨げるレッセ・フェール(自由放任 主義)の弊害を痛感し、自然的=技術的な、物質的ユートピアとは反対のものに憧れているためで あろう。》としてますが、これは花田自身の志向と同一なわけです。別の場所で花田は書いている。 《組織する力としての理知は、本来、自然を変革する、人間に特有な労働の所産であり、今日の段階 におけるがごとく、必ずしも選ばれた人間にのみ属するものではなかったが、マニュファクチュア 以来、理知はブルジョアジーの側に移行しており、人民の側には、一般に、自然成長性のみが目立つ にいたった。したがって、現在、我々の周囲のエリートに課せられた任務は、あらゆる領域において 、様々な角度から、反自然的傾向のいかなるものであるかを明らかにし、理知を人民の手に奪還す ることである。》(「目の鱗」) 花田における自然成長性への否定性と、強固な統制による再生産概念は明らかで、「ユートピアの 誕生」で何故単純再生産がユートピアの条件として出てきたのか、というのも、それが現実的か否 かは問題ではなく、花田における上記イデオロギー的志向の一環として出てきたとみるべきだろ う。で、そのイデオロギー的側面で、花田はファシズムへの転向がコミュニズムの棄教を意味しな いと考えたわけで、まさにそこが吉本が指摘した花田の問題点だった。そこを読まなければあの 論争は読めないのと同じでしょう。
>>476 もちろん文脈もあるんだろうが
「倫理的=社会的」「自然的=技術的」という言葉はずいぶん杜撰に見えるけどね。
目に付くともう文章を辿ろうなんて思わなくなる。
>>474 の簡潔さが好ましいな。
バカは冗長な駄文を書くからね。
479 :
考える名無しさん :2010/03/29(月) 12:33:43 0
ま、こざかしい吉本批判本を鵜呑みにしないって事だな。 だいいちその手の本ってぜんぜん面白くないしね。書き手の品性が疑われる ってーか、知識に憧れる学生向けってーか。 ハスミンの言うとおり吉本のが断然面白いんだよね。
「ユートピアの誕生」というのは、ファシズムへの転向の過程でマルクス主義(ロシア・マルクス 主義)との橋をかける、それにより合理化する、という動機があり、そこを摘抉できなければやは り分からないエッセイだと思います。つまり、転向の形式ですね。そこでファシズムとコミュニズ ムのアマルガム(融合)が機能し、互換的になる、という。 そこがモチーフで、それは『復興期の精神』の到るところにみられる特徴である。そこで、反自然 生長性、統制国家社会を体現する擬似コミュニズム的好例としてトマス・モアの『ユートピア』を 取り上げた理由がある。花田があのエッセイを書いた時代、「資本制」とは日本独占資本のことであ るし、そこで「単純再生産の‘基礎’を確立」するのが課題、とされた場合、強固な統制主義、すなわ ち当時の総動員体制や独占資本制の合理化にしかならないのは当然な話である。しかもそれが、『 資本論』の引用により、社会主義的外見を装って為されている。花田の後の抗弁がスガ等によって 再度主張され、説得力をもった背景には、花田における転向問題やファシズム=コミュニズム問題 などが風化したことがあるんでしょう。
>>479 見てるほうが恥ずかしくなること書くなよ
恥知らず
花田の戦時中の思想で唯一、分からなかったのが、京浜工業地帯を歩きながら、「ハチマキ生産に 対立してテーラー・システム(科学的経営管理法)を強調したりする」ことだったが、「転向ファシ ストの詭弁」収録の神山茂夫論文「1940年末の政治的情勢と天皇制」によれば、《絶対主義(農本主 義)が専制主義的恣意と、封建的慈恵政策をもって大衆にのぞむに反して、ファシズムが国家社会 主義的政綱と一連の社会立法をもって現れること》となっており、再生産を維持しうることを条件 に、封建的思想にたいし合理的方式を主張していたことが分かり、そこの謎も溶解した。 花田清輝という思想家の戦中戦後の変遷―戦中はファシスト団体に寄生し、戦後はソ連共産党に 寄生、そこでファシズム擁護ともソ連擁護ともとれる言説を残す―、ファシズムとロシ ア・マルクス主義の親和性、など、論点は多々あるにも拘わらず、「何もない論争」であるかのよう に1980年代以降スガ等により主張されてきた。その背景には当時の論争文―吉本の「アクシスの問 題」「転向ファシストの詭弁」、花田の「ノーチラス号反応あり」など―が入手しにくい、という背景が ある。唯一スガの『吉本隆明の時代』だけがあの論争に触れられる文献だという有り様である。しか しあの論争のなかの論点は、スガの言説の中では触れられず、実際に花田や吉本のテキストに当た るしかない。特に吉本の2作は重要である。それが簡単に読めない、というのは残念な事態だと思う 。
少しは読みやすく書きましょう どっかからのコピペ?
484 :
考える名無しさん :2010/04/11(日) 12:31:23 0
花田=吉本論争での論点、国家社会主義(ファシズム)と社会国家主義(スターリニズム)の近 接性、或は互換性、というのは1960年代前半の『丸山真男』の後半に丸山らのファシズム研究の欠 陥を指摘した形で書かれている。その後、1990年代前半の『甦るヴェイユ』の「革命・戦争」の章で また改めて、ヴェイユの思索をなぞる形で書かれている。国家の廃絶を課題として含まない限り社 会主義はファシズムと近似値的な国家をつくるしかない。これを改めて論じた。
485 :
考える名無しさん :2010/04/13(火) 07:48:35 0
486 :
考える名無しさん :2010/04/14(水) 13:12:22 0
論争の中で吉本が花田の核心部として、また戦時中の社会ファシストの思想として抉った独占 ブルジョアジーの寄生体としての社会主義―生産過程の合理主義、前衛による労働統制、厚生福祉 、資本制への無批判―といった側面は、なぜかこの後の文芸批評の中では取り上げられることが なくなった。80-90年代の座談会『近代日本の批評』でもこの側面は全く回顧させなかった。それは 、ソ連型社会主義再評価の中で、邪魔であったためではないか、と私はとらえている。元々文芸哲学 界に巣くっていたマルクス主義者にとって、あの論争の論点は邪魔でしかなかった。とい評価を感じる。
翼賛体制でのファシズム転向に際してマルクス主義との橋を掛け、労働者への福祉を含 む労働統制、物資統制、としてファシズムを合理化する、それを以て戦時下での抵抗だと する。それは見様によってファシズム協力ともソ連協力ともとれる、鵺(ヌエ)的な思想 だった。しかし、花田に象徴される、‘戦時中の社会ファシストから戦後の労働運動ボス’ への思想的互換性は労働運動やその周辺のとって、あまり公にはしたくないことだった。 花田が吉本との論争を切り上げ、反論を打ち切った背景にも、吉本によってその周辺― 戦中から戦後への奇妙な思想的円環が俎上に上げられたせいかもしれない。それが論争に 上がった途端に花田は論争を中止したわけで、花田のみならず、花田的な思想的経歴を もつ人間にとって隠しておきたいことだったことが伺える。花田=吉本論争の核心部、 論点を帳消しにしたい心性に、そのような、所謂ファシズム=マルクス主義の問題がある。 後の左翼があの論争の論点を曖昧化した背景に、左翼による計らいの存在を感じる ということだ。
なるほどね。 勉強になりました。
なるほど、それで吉本さんは資本主義マンセーに転向したのかww
実はマルクスも資本主義マンセーなんだけどねwww
マルクスは、しかし吉本さんと違って新自由主義マンセーではないだろう もっとも、マルクスの時代に新自由主義はなかったわけだがねwww
吉本がいつのまにか新自由主義マンセーにされている件
493 :
考える名無しさん :2010/04/17(土) 13:14:52 0
自慰サンが資本主義マンセーへと変節したのは確という件もある。
吉本自慰さんの言う超資本主義というのは新自由主義のことではないのか? 確かに、新自由主義は古典派・新古典派経済学の定義を超えた資本主義概念といえる
495 :
考える名無しさん :2010/04/17(土) 19:36:28 0
496 :
考える名無しさん :2010/04/23(金) 00:47:05 0
柴崎はキチガイ
たしかマルクスの国家について知ったとき 吉本がものすごい勢いで青ざめたはずなのに 全然青ざめなくて青ざめたよ。どうすれば青ざめるだよ。
498 :
考える名無しさん :2010/04/23(金) 21:03:21 O
ネトウヨくらいの馬鹿が読んだら(読めたら)真っ青だお
499 :
考える名無しさん :2010/04/24(土) 13:16:26 0
王=浅田彰 長嶋=柄谷行人 原=東浩紀 星野=栗本慎一郎 川上=小林秀雄 野村=吉本隆明
500 :
考える名無しさん :2010/04/25(日) 02:06:05 0
それでおれがいま一番いやな奴だと思うのはさ、おれエリートで 秀才だみたいに思っててさ、それでもっておれマルクス主義者だ みたいなこと言う奴はもう、おれ大嫌いなんだよね。我慢ならない。 こういう奴はもう生かしておけねえみたいに我慢ならないわけです よね(笑)。僕がいま一番嫌な奴だと思うのはそれですね。
501 :
考える名無しさん :2010/04/25(日) 10:07:31 0
ピンぼけ?
502 :
考える名無しさん :2010/04/27(火) 14:14:11 0
503 :
考える名無しさん :2010/04/29(木) 18:49:18 0
バブル頃の”情況”への発言をいまごろコピペするのがボケボケだと。
>それは違うよ、と言いたい。
505 :
考える名無しさん :2010/05/08(土) 03:16:01 0
唐突ですが、吉本さんは霊感が強いというか、勘が鋭いんですかね?
霊感が強いのは、あらゆる現象を「科学的」に説明しようという スタンスをとる彼の娘二人でしょ。全く、どういう教育をしてきたんだか。
霊感とかに興味はあると思う。 遠野物語を素材に使ってみたり、心的現象論序説なんか読むと霊感などを自分なりに解明しようとしているからね。 「引き寄せの構造」とか読んで時々嗤ったよ。
『思想の危険について―吉本隆明のたどった軌跡』 (田川 建三)
最近、論敵柄谷の『ダイアローグ』シリーズを読み直してみたんだけど、リアルタイムでは判然と しなかったんだけど、何かほとんど知識のひけらかしや前世代への実のない敵意や普遍性のない 空話ばかりしてたんだ、てことが露になった感があります。吉本さんの『情況への発言』が一見流 しているようで、実は情況と相わたっており、未だに読めるのとはかなり差がある。これが論敵み たいな顔してたのか、と思うと寂しいかぎり(笑)吉本氏の得意なボクシング喩えでいえば世界王 座をめぐる戦いと、実際はそんなに強くないんだけど海外遠征して名前を売っていたボクサーの 違い。あと、三馬鹿と呼ばれる中では、蓮実だけ、磯田光一との対談にあるように、吉本にたいする 関心を1990年ころまで失わずフォローしてたことも分かってきた。結局浅田彰など、けなすこと しかできない、しかもロクに読めない人間に合わせたりするから自分も同類だと思われることに なってたんだと。
随分また古いの引っ張り出してきたな。
蓮實はジャーナリストとしての吉本を評価しているだけであって、 理論家としての吉本については、認めていない。 前者についても、その書かれた内容にではなく、吉本がかつて覇権を 握ったことがあるという、過去の現象に興味があるだけ。
蓮實もクズなんだけどね
俺達はどうなるんだwwww
514 :
考える名無しさん :2010/06/08(火) 19:05:50 0
「覇権を握った」というのは論敵たちが作り出した単なる妄想ですよ。
いわゆる‘三馬鹿’を、変な話、以前は一緒くたにしてて、確かにあの有名な『近代日本の 批評』をみると、一緒くたに見えるんだけど、どうも三者各々の違いがあって、それが目に ついてきた。浅田と柄谷というのは感性的にマルクス主義が抜けなくて、下部構造が変わ らねば文学など論じても意味なし、という立場に収斂していったと思うわけです。政治 優先に。吉本のタームでいえば幻想は幻想で独自に発展しうるし、論じれる、というのと 一線を画すようになった。それがあの人達の‘先祖帰り’たる由縁で、反吉本思想たる 分岐点である。徹底的に吉本に反論せざるをえない根拠であり、花田清輝を持ち上げる 必然もそこにある。1950年代に逆戻りしていく必然がある。蓮実とは知性の復権、てとこ ろまでは一致していたけど、1990年代以降、先の‘先祖帰り’には距離をおいたんではと 思います。柄谷との対談で、蓮実は、《数少ない機会でしたが、吉本さんに会って話したとき も、とても充実した時間でしたし、(中略)この人が書くものには最後までつきあわなけ りゃとか、この人に清々しくなってもらえたらなあ、という気持ちを、吉本さんにも江藤 さんにももってしまうんです。》(「現代日本の言説空間」)という。少なくとも浅田や柄谷 なみの目先の覇権重視や政治優先はこの人にはないと思えるんですけどね。まあ、買い被 りかもだけど(笑)
こういう文章書く人でもら抜き言葉使うようになって来たか
ら抜き言葉は、芥川龍之介でも使ってますよ 何かを恥ずかしいと感じるようになるのは、人から恥ずかしいですよと言われたのを鵜呑みした瞬間から始まるでしょう。 しかし、そのようなものに何の根拠もないのです。
518 :
考える名無しさん :2010/06/10(木) 13:16:05 0
で、自慰サンはいつお迎えが来るんよ? もうそろそろお声が掛かってもいい時期なんとちゃうの?
519 :
考える名無しさん :2010/06/14(月) 18:55:13 0
>>518 今日の朝刊にインタビュー記事を載せてるくらいだから
まだまだよ。
520 :
考える名無しさん :2010/06/16(水) 19:47:26 0
父の像 吉本 隆明 著 漱石、鴎外、賢治、芥川、太宰…好きな文学者が描く父子像を検証し、自身の父親の人生をもふりかえりつつ展開する父子論。 ちくま文庫定価:714円(税込)刊行日: 2010/06/09
週刊金曜日』 2010.06.18 ■インタビュー 吉本隆明、八五歳の現在 聞き手 北村肇 本誌編集長 「戦後最大の思想家」「知の巨人」などと評される、詩人で思想家の吉本隆明氏。 半世紀以上にわたって執筆活動を続け、85歳の現在もまだ「現役」を自負する 吉本氏に、いま一番言っておきたいことを語ってもらった。
523 :
考える名無しさん :2010/06/22(火) 01:28:54 0
とりあえず日本の20世紀に吉本隆明がいてくれてよかった。 感謝。 加えて21世紀の吉本隆明には長生きをしてもらいたい。
>>522 筑紫と井上が死んだら、
自身が嫌う市民主義の雑誌にも
出るということかね。
525 :
考える名無しさん :2010/06/22(火) 12:35:54 0
>>524 つか最近は見境無く喋りまくってるぜ。。
こうなると、あれほど毛嫌いしてた岩波の軍門に下るのも時間の問題と。
518氏じゃないが、お迎えが近いこと察知して、
残るカミサンのために蓄財をおッ始めたかな。
526 :
考える名無しさん :2010/06/22(火) 13:59:29 0
>>525 しかたないよ。
「戦後最大のナントカ」って言われても基本は売文家じゃん。
それが書けなくなったら、残るは喋るだけ。
イトイ何某って興行主に任しとけば、世界記録にも記載されたし、
結構今を楽しんでるよ。
年齢を考えると、これって線香花火のお終いの輝きだよ、きっと。
527 :
考える名無しさん :2010/06/22(火) 14:55:24 0
「戦後最大の思想家」ってのはいつ頃から言われ出したのか分からないが 爺さんは昔から自分のことは「売文家」だといってるよ。基本の基本でしょ。 爺さんが今を楽しんでくれているとしたら、それは結構なことだよ。 「売文家」とか「楽しむ」についてカチンとくるほど倫理的に痩せ細ってる証拠だぜ。
528 :
考える名無しさん :2010/06/22(火) 15:56:26 0
一般的にカミサンのために蓄財するのはいいことだけど それくらいの貯えはすでにあるんじゃないのかなあ。 ってか他人のフトコロを詮索するのはさもしい根性だと思うよ。 そういう奴ほど線香花火ほども輝かないで消滅してしまうカスにしかなれないんじゃね。
529 :
考える名無しさん :2010/06/22(火) 17:14:58 0
つかカスのなれの果てはマツダに突っ込んだバカってこと。 オケ。
530 :
考える名無しさん :2010/06/22(火) 20:04:23 O
すが秀実『吉本隆明の時代』は必読ですか?
531 :
考える名無しさん :2010/06/22(火) 21:38:19 0
俺は読んだよ。 スガもハスミンに見はなされてからパッとしないんで読んであげれば。 ヒチュドクでしゅ。
【自民党清▲和貝=2▲ちゃん運▲営の北朝鮮カルト統▲一京会信者】
2ch規制→シベリアなどのレス代行スレに人が集まる→待たされるのにうんざりして△を買う→
→じつは2ch運営のカルト統▲一京会信者がレス代行人をしてる(つまり2chに人と金の両方を集めるための、2ch規制とレス代行スレ)
はい言論統制が始まります。
今年の7月から東京にあるネッ▲トカフェはすべて会▲員制になります。匿名書き込みできなくなりました。
警察が、ユ▲ダヤ(統▲一京会)や薩▲長連合のためにイ▲ンターネ▲ットカフェ規制をした。
↓【参考:洗▲脳支配 苫▲米地英人(著)】↓【参考:マ▲インドコントロール 池▲田整治 (著) 】↓
・ 第二次世界大戦時、油田のないドイツに石油を販売していたのは、英国女王支配下の石油会社。
・アメリカ軍から「日本の水道水には塩素が入ってるので飲めない」と言われた。
GHQのマッカーサーが日本人を弱らすために水道水に塩素を入れた。古い水道管から溶けだす鉛や、
農薬や有機物質と塩素が化合し、トリハロメタンやMX等が猛毒の原因にもなっている。
■いま日本の最▲高権力者は薩▲長連合(鹿児島県、山口県)たちです。日本はいまだに武家社会です■
・明治維新はテロだった
薩▲長土肥の戦費・・・・・ユ▲ダヤのロンドン支店が資金を貸し出す(年利18%)
幕府の戦費・・・・・ユ▲ダヤのパリ支店が資金を貸し出す(年利18%)
借金を型に最新兵器を売り、彼ら(ユ▲ダヤや貴族)の派遣した軍事教官をもって教育し、最新武装の洋式軍隊を作ればいいだけだ。
・総理大臣、大蔵大臣、外務大臣や公安、警察、自衛隊の歴代トップは鹿児島県、山口県、 高知県、
佐賀県、 長崎県出身者ばかりです。国策捜査は、薩▲長連合とアメリカのための捜査です。
↓
2▲ちゃんねるに書き込めないレス
http://m ▲egalodon.jp/2010-0527-2135-09/anchorage.2ch.net/test/read.cgi/s▲iberia/1▲274526803/2▲96
↑ 新しい掲示板に移動しよう
北朝鮮カルト統▲一京会=2▲ちゃん運▲営=自民党清▲和貝=薩▲長連合=ユ▲ダヤ権力
2▲ちゃんねるは統▲一京会の世●論工作所として作られてる。あとI●P集めが目的。
533 :
考える名無しさん :2010/06/24(木) 00:53:17 0
▲▲▲の●●は■■の陰謀だ! 心して聞くべし!
534 :
考える名無しさん :2010/06/27(日) 00:05:07 0
他人の著作物を勝手に転載してるだけじゃねえか
>>534 、
>>535 他で読めないから貴重だわ。
twitterではbotの著作権問題は黙認だろな。
吉本お墨付きの心的現象論愛蔵版を買えば序説も本論も読めるのに…… 著者に印税も入るのに…… ふびんだねえ。
週刊金曜日のインタビューを読みましたが、 どうして労働時間の短縮が、「今」重要な問題なのか、わかりませんでした。 技術(コンピュータ等)の発達で、労働者の生産量が以前より 増えたにもかかわらず、労働時間は短縮されず、 賃金もアップしない、つまり余暇が足りないというのは 今に始まったことではないと思うのですが。・・・ この問題が昔も重要であったし、今も重要である、というのなら 話はわかるのですが。
読んでないからわからんけど、吉本理論からすれば 選択消費が50%超えてる以上それを消費してもらわないと 経済がうまく回らなくなるので金と余暇を与えろということ じゃないの
540 :
考える名無しさん :2010/07/20(火) 11:58:22 0
>>535 それはごく普通に、ワークシェアが必要という意味で考えていいんじゃないですか?
週刊金曜日のインタビュー記事でショックだったのは、週刊金曜日の編集長に「吉本さんも僕も下町の生まれで、
根っから庶民の味方なんですよ」みたいなこと言われて、吉本がうなづいちゃってるとこです。
>>538 読んでないけど週休3日になるのがベストだみたいなのは二十年くらい前から言ってたような気がするよく覚えてないけど
543 :
考える名無しさん :2010/09/04(土) 19:41:20 0
>>542 >>週休3日になるのがベストだ
というより、
週休3日が完全普及されたら、それは革命だ、
って論調だと記憶してるが、間違ってたら堪忍な。
それは発言の時期によって違うのかも まあいずれにしても今の技術の進歩や仕事が減ってる現状や余暇の消費促進には良い案かもね