文芸を否定する

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1プントラ
文芸は時として、人々をハッとさせたり、感動させたり、深く考えさせたりすることがある。

だが、それによって人々は正しい判断を失うのだ。

そもそも論理とは、原理から正しい推論で導かれる思考のことだが、
文芸は一定の原理を持たない。突如として目の前に現れるカオスのようなものだ。

明快な論理ではなく、感性的・情緒的な面が優先されるこれらの分野、
いやゆるクリエイティブ全般は、社会にとってまったくの害である。
もっとも、善くあろうと創造され、そのように機能しているものを除いてはだが。

批判精神の未熟な青少年は、簡単にその毒に侵される。

神話や聖書でさえも、人々を殺人の衝動に誘うことがあろう。
現代の神話はRPGか。文芸の熱に侵された人間たちは、インプットされたロール(役割)を演じたがるものだ。

人々の判断や思考を狂わせる、これら無意味な創作物をすべて否定しよう。
2名無しの禅師 ◆gBLpBEN2TQ :2009/08/29(土) 11:56:46 0
解毒としての清浄化は如何に大切なことか。
3考える名無しさん:2009/08/29(土) 14:53:02 O
生きてて楽しみなくなるだろ
4阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/08/29(土) 15:03:26 0
スピリチュアル以上のトンデモ論だな。
5考える名無しさん:2009/08/29(土) 15:20:32 0
>>1は人工知能だ、人間ではない
6プントラ:2009/08/29(土) 16:41:13 0
感情は無意味だ。
感情は人間を無意味な言動に駆り立てる。

今日の怒りも明日には消えてしまう。
そんな頼りないものに、一時でも身を委ねてしまうなんて、考えるだけでも虚しくはないか?
しかし、論理は人間を裏切らない。気が狂わない限りは。

そんな感情も、無理に抑制しようとすればストレスにつながる。

だから、感情をはじめから無意味なものと決めつければいい。
感性も無意味、そして無駄。

当然、感性が源である文芸も無価値になるのだ。
7考える名無しさん:2009/08/29(土) 17:15:08 0
>>6
あなたのやっていることが文芸にみえるんですが。
8考える名無しさん:2009/08/29(土) 17:57:16 O
>>7

そうだ そうだ〜

^^^^
9考える名無しさん:2009/08/30(日) 00:11:22 O
もう夏休みも終わりだぞ!
10名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:47:10 0
まだ正月休み終わってねえ
11名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:31:17 0
にんげんだもの
12考える名無しさん:2009/08/31(月) 16:16:41 0
人間最高!感情論マンセー!文芸LOVE!
13考える名無しさん:2009/08/31(月) 16:35:04 0
笑うためのスレ
14考える名無しさん:2009/08/31(月) 22:17:07 0
 公共力が一切無い、厳密性が一切無い、想像力の産物でしかない

 文芸に行きなさい
15プントラ:2009/09/01(火) 23:00:59 0
ここでいう文芸とは、文学・映画・絵画・音楽などのことである。
そして、これらには意味がない。本質を追いかけるのに役立たない。
それとなく人間の本性の一面を照らし出すこともあるが、直接的では
なく寓意的であり、結果的に事実・真理から遠ざかっている。こうした
ことから、やはり文芸に存在価値はない。
16考える名無しさん:2009/09/02(水) 22:24:26 0
で、哲学には、どうだ?

と一応哲学板なので聞いてみた
17NAS6:2009/09/02(水) 22:49:56 0
神よ
18考える七資産:2009/09/02(水) 22:54:59 0
yaha!
19考える名無しさん:2009/09/02(水) 23:01:25 0
yaha!
20プントラ:2009/09/03(木) 22:28:34 0
>>16
結論から言えば、哲学に存在価値はないとはいえない。
哲学は秩序だった思考をするための手助けになるからだ。
しかし、文芸はそうではない。文芸はむしろ、思考を複雑化させ、
果てしなく分岐させ、最終的にカオス化させてしまう。

たとえば詩というのは、人それぞれに解釈の違いが出るものだ。
そこではひとつの単語、文章が多様な意味を持つことになる。
しかし、それだと人々にとって共通の解が出てこない。
逆に論理というものは、単純には物事を白か黒かどちらかに
決めつけることだといえる。哲学にしろ科学にしろ、誰もが
同じ結論にたどりつくよう筋道を立てるという点では共通している。
しかし、それが文芸にはない。文芸にはどのような評価も認めら
れるし、許されるのだ。

そのため、論理を重視する哲学と、意味の多様性を認める
文芸とは異質なものであり、片方を肯定する場合、必然的に
もう片方を否定する必要が出てくる。
21考える名無しさん:2009/09/04(金) 04:28:13 O
支援!
22阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/09/04(金) 04:30:58 0
何十年前の話してるんだ、オマエ。
23阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/09/04(金) 04:33:51 0
ロマンを乗り越えたとき、新しい現実が待っているのであって
人は夢(ロマン)と現実の狭間で生きている存在だ。
ロマンに呑み込まれている限りにおいて
人は己の限界を突破することは出来ない。

オマエ程度の言説を振りかざす人間が過去にカオスに飲まれて死んでいった人たちの
精神が汲めるとは到底思えない。荒唐無稽な哲学に逃げる前に、分相応に生きておけ。
24阿修羅無限大落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/09/04(金) 04:39:40 0
論理という概念が成立していった過程から勉強して出直してこい、バカめ。
25名無しの禅師 ◆gBLpBEN2TQ :2009/09/04(金) 06:02:03 0
70年代じゃろか?
26考える名無しさん:2009/09/04(金) 08:14:02 0
寧ろ平凡こそが素晴らしい、という事が有るがなw
チェスタトンを引いてくるまでもないが、理性を否定する者と同じく理性以外のあらゆる物を否定しようとする>>1は狂人という事になり、狂人の論理に振り回されているこのスレッドの住人も狂人、ということになるw
これの対立要素になる物こそ平凡なのではないか? という訳だw平凡に成るのは難しいだろうw誰しもが非凡であろうと努めている世の中にあってはなw
27考える名無しさん:2009/09/04(金) 19:15:02 0
お前だって気付かなかった
28世界普遍価値を広げる者:2009/09/04(金) 19:44:25 0
「809」 副島隆彦の「ミネルバの梟(ふくろう)は夜、飛び立つ」論。

私が原著は12年前に書いた本である「決然たる政治学への道」(弓立社=ゆだちしゃ=刊、2002年)の
P.174に、「本当は学問の体系はこのようになっているの表」で、私は、はっきりと、「フィロソフィー
(×哲学と訳すのは嫌いだ。知恵の学)と数学は、神学(セオロジー、テオロジー)の下女、はしためである」
そして、「サイエンス(ヨーロッパ近代学問)と、この神学が、大きく闘うのである」と書いた。
神学(セオロジー)は日本人には分からない。「神学論争」なる言葉は、日本語になっているが、その中身を
日本人で分かる者はいないだろう。そして、その下に、初級学問=下等学問としての、ヒューマニティーズ
(人文、じんぶん、人間の文字による記録、石碑、古文書の解読、文学部の世界)があるのだ、と書いている。 

「数学は、神学の下女」なのだ。これは、ヨーロッパの学問の体系の中では、はっきりしていることだ。
数学は、決して自然科学(しぜんかかく、ナチュラル・サイエンス)には、所属しないのだ。
ただ道具として多用される。私、副島隆彦がこのように書いて、まだ反論したり、何か異論を唱えることの
出来る、日本人は、誰でもいいから、名乗りを挙げて出来てください
29世界普遍価値を広げる者:2009/09/04(金) 19:45:57 0
この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの
古色蒼然たる百年前、二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。
全くヒドいものだの一語につきる。
日本の八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代ものでも、
かなり癖のある思想・哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は 「人文」である。
文学あるいは文化研究なのだ。政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。
現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、自分たちが、アメリカ
の支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。
副島隆彦「日本の秘密」 P148~149


これ以外に下等学問としての 「人文」というのがある。この人文というのはヒューマニティーズの
日本語訳である。 ヒューマニティーズとは「人間、および記録された文学に関わること」という
意味である。 簡単に言えば現在で言う文学(部)のことである。他に歴史学があり、その内容は
古文書や石碑の文の解説などを行う。これらは、学問としては下等学問である。
これとサイエンス(学問)の区別をつけなければならない。これが日本人にはできていない。
すべてごちゃまぜなのが日本の大学制度である。国家的学問犯罪と呼んでもいい。
大欠陥学問観と呼んでもいい。日本の大学は、世界基準では高等学校程度であろう。
このヒューマニティーズとサイエンスの区別がついてる日本知識人がほとんどいない。
すべてごちゃまぜである。
副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(上)」P324
30世界普遍価値を広げる者:2009/09/04(金) 19:47:19 0
アメリカでは、学問(サイエンス)というのは、「自分の打ち立てた仮説(理論)を、実際の、現実の社会の中でみずから、
ポリシーメイカー(政策立案実行者)として実験してみて、その結果を冷酷に検査すること」なのである。
これを、positivism (人為的実験証明主義とでも訳すか)と言う。このポジティビズムを、「実証主義」などと、訳して、
分かった気になるな。この世で、実証できるのは、自然学問(代表、物理学)系の実験だけだ。これは厳密に同じ条件で
誰がやってみても同じ結果になるものだから、これは本当に学問(サイエンス)なのだ。
ところが、人間社会を対象にする学問、すなわち、ソシアル・サイエンス(私は、社会学者という訳語が嫌いだ)は、本当に
サイエンスとして成立しているか、ものすごく、今でも怪しいのだ。なぜなら、現実の人間社会を使って実験証明(ポジティ
ビズム)するというようなことは、できないからだ。ソシアル・サイエンスとは、それでも、一応、次のようなものだ。
人間社会を刺し貫く諸法則を発見すること。かつそれは、個々の人為や願望から独立した客観であり、同一条件でなら、
世界中どこにでも存在するものでなければならない。そしてそれらを、冷酷に記述することである。
だから、これは、文学即ち、=下等学問=夢の世界との混合=人文(じんぶん)=今の北朝鮮の人間たちと同じ
=カルトの世界=幼児の並みの人々=なのに自分を知識人だと勘違いしている日本の文芸愛好的読書人階級。
これらの、一切を排除したものの考え方のことである。ところが、このソシアル・サイエンス(政治学、経済学、社会学、
サイコロジーの4つ)がアメリカでも、1980年代に、どうも、うまく行かない、ということが、判明し始めて、それで、
世界的に困った事になったのである。アメリカ行動科学(ビヘイビアラル・サイエンス)という、壮大な学問体系は、
50年代にアメリカで起こり、そして80年代には崩れ去ったのだ。

副島隆彦「属国日本論を超えて」P37〜38
31世界普遍価値を広げる者:2009/09/04(金) 19:48:22 0
日本では、戦後、学者・知識人が圧倒的な数で、「科学的社会主義」などという、ソビエト帝国型の考えに
集団で脳を犯されたので、「科学的」といえば「社会主義(共産主義)のことだと信じ込んで、この
「科学的社会主義」という宗教を日本国民に、各種高級学問の振りをして押し付けた。それを商売として
やったのが、岩波書店である。だから日本国民の方が、すっかりイヤ気がして、「科学」というコトバを
使わなくなった。なぜなら使ってみても、ちっとも「科学的」ではないからだ。「君の考えは科学的だね」
と友人に言ってみると、まるで、馬鹿丸出しで、「一体、オマエは何が言いたいんだ」と、相手から嘲笑
されるからである。ソビエト教の信者以外の世界では通用しない。だから、日本人の「科学」不振は物凄く
深い。そこで、私が、「哲学は科学じゃないんだよ」というと、日本人はケゲンな顔をする。何を言って
いるのか分からない。哲学というのは、日本では「文学部哲学科」だから「文学」のお友達で、これは、
絶対に「文科系」だよ、となる。そうではない。哲学は、科学の一種とは違う。神学の一族なのだ。
Philosophy is not a science!
アメリカ人やイギリス人の大卒の人に尋ねてみるとよい。彼らは、必ずこう言う。例外はない。
こんなことも知らないで日本人は、「自分達も欧米人に負けない高等学問をやっている国民なのだ」と
思いこんでいる。日本の大学生が、学制(カリキュラム)として大学で受けている講義は学問などでは
ない。あれは「土人のコトバ遊び」だ。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P171〜177
32考える名無しさん:2009/09/04(金) 20:07:35 O
否定
33考える名無しさん:2009/09/04(金) 23:37:24 0
哲学は紛れもなく文芸なんだが
34考える名無しさん:2009/09/05(土) 00:39:10 0
文芸とはシチューの中の材料を当てさせるゲーム
35考える名無しさん:2009/09/05(土) 01:12:44 O
>>34

これぞ文芸!
36考える名無しさん:2009/09/05(土) 02:19:28 O
文芸ヲ否定セヨ
37考える名無しさん:2009/09/05(土) 03:19:59 0

【Q】在日朝鮮人の出身地を教えて下さい。
【A】99.4%が南部(現在の韓国)出身です。更に17%が済州島出身です。

【Q】どうして99.4%が南部(韓国)出身なの?
【A】日本に近い南部の朝鮮人が、日本に出稼ぎに来ました。もちろん自分の意思で来た訳で、強制などではありません。

【Q】どうして17%が済州島出身なの?
【A】戦後、韓国の李承晩大統領による済州島民虐殺から逃げて、日本に密入国したからです。
日本のおかげで、殺されずに済んだのです。

【Q】在日朝鮮人は強制連行されたの?
【A】徴用者はたった245人です。
大部分(99.9%)の在日朝鮮人は、自分の意思で日本に来ました。
しかも、ほとんど密入国者です。
朝日新聞 1959年7月13日
http://img2.echoo.jp/photo/blog_b/52019453ce69cd3536fa41c3fe15ee29....

【Q】在日朝鮮人は、帰りたくても帰れなかったの?
【A】戦前の在日人口200万人のうち140万人が終戦直後に帰国しました。
つまり帰れました。残った40万人は、自分の意思で残りました。

【Q】どうして60万人は日本に残ったの?
【A】朝鮮で白丁(ペクチョン)と呼ばれた奴隷階層が多く、帰ると差別されるからです。また戦後のドサクサで得た財産を放棄
するのが惜しかったり、日本にいると生活保護などで日本人より優遇されるので、その特権を失いたくなかったからです。

【Q】えっ?じゃあどうして在日朝鮮人が被害者ヅラしているの?
【A】分かりません(笑)
38考える名無しさん:2009/09/05(土) 03:32:36 0
外国の土地に200万人も派兵しておいて、それで『自分たちは侵略などしていない。中国民衆を
救いに行ったのだ』などと、まだ今の今でも思い込んでいる。『日本は正しかった』と言い続ける
愚か者たちがいまもたくさんいる。繰り返し言う。外国に他の国の軍隊が駐留していたらそれを侵
略と言うのだ。歴史的な視点と、国際法の冷静な見方からすれば、それを侵略と言う。反論があれ
ばしてみてください。
副島隆彦「時代を見通す力」
39考える名無しさん:2009/09/06(日) 14:17:28 0
>>1
>正しい判断

・・・

哲学してる人でこういう考え方する人は少ないと思う
40考える名無しさん:2009/09/07(月) 04:25:58 0
文芸こそが人間にとって唯一の真理なんだよ?
41へ理屈マイスター:2009/09/08(火) 00:00:05 O
真理なんて心理でコロコロするよ!?
42考える名無しさん:2009/09/12(土) 02:49:15 0
文毛E
43考える名無しさん:2009/09/13(日) 23:48:40 0
238 :考える名無しさん:2009/09/13(日) 14:22:54 0
>>235

>ただ、けっこうみんなアズまんコしおピーのパパであるピストン浩紀教授の相手しちゃってるんだよな……

>過疎のゼロアカ落選したくせに執筆依頼も来ず、

電波な優勝者が「ゴースト馬鹿の村上氏」だから煽り耐性が低い

抗議するアズまんコ帝國爆乳生売女アニマル鼻フッククレポン稼ぎの良い亭主タンポン挿入の女帝ハード輪姦コア変態マガジンをスケベな村上先輩にかわって編集してる真奈タン一世です。


44考える名無しさん:2009/09/17(木) 02:24:34 0
文芸中の文芸、これが哲学の本筋。
45考える名無しさん:2009/09/21(月) 12:27:38 O
世界解釈と文芸をどう区別するというのじゃ?
46考える名無しさん:2009/09/21(月) 13:06:22 O
集団が文芸の示す価値の方向に団結するようなことがない限り、危険性は低い

個人にそのような思想が生まれても、結局社会にかき消されることが多い

作家ですら、思想的なものをある種の宣伝として利用しているだけで、実生活は極めて普通であったりする者もいる
47考える名無しさん:2009/09/24(木) 11:10:47 0
やはりどう考えても文芸中の文芸、これが哲学の本筋。
48ゲラゲラゲラ:2009/09/25(金) 07:06:32 0

堵愚慧螺の定義を言ってみなwww
49考える名無しさん:2009/09/26(土) 23:52:35 0
まあ浅田自身がルサンチマンの塊だからしょうがないというか・・・
数学もどきの数理経済学の論文も書けないわけだし。ピアノにしてもしかり。
プロには到底なれないことを悟りながら、
3流ピアニストにしかなれないことが見えていたから没入するのを避けた、
というポーズで虚勢を張る。学問でも芸術でも、1流になれないことが早めに見えたから、というポーズで
没入せずに俯瞰して批評する立場を「選んだ」とねw
まさに、メダルに届かず「1位じゃなきゃ2位でも4位でも同じ(=全て無意味)」とか吼えた中山竹通のごとし。

だけどさすがに彼は、ある程度の能力はあるから、
そのスタンスのとりかたのみっともなさに無自覚ではないし、
一定以上の人には虚勢を張ってるのが見えるということも重々承知してる。
そこで、「中途半端に小賢しい者の悲哀をわかってくださいよ」という空気をちらほら醸し出して、
判っている人には、そっとして置いてくださいよと信号出してるんだよね。

ところがその含羞に全く無頓着で素直に心酔しちゃうようなのが増えてきちゃったというw
そうなると彼も「僕の言うことに賛同してるようじゃだめでしょ」というようなことを
実際に言わなきゃならず、そっとしておいてほしかったのに変な騒ぎになるという悲喜劇に。

50キン肉マン:2009/12/05(土) 22:49:25 0
ラーメンマンとブロッケンJrの教えを実践する時間超人を考えた

・ザイン・ウント・タイム って双子超人だ

必殺技
 世界と一体化して溶け込んで不死身になる
 手元の近くに敵を引き寄せる
 敵の弱点の存在を見極める
 空に舞い上がって地面に叩き付けると点になって見える高さから放り投げる
 放り投げる
51考える名無しさん:2009/12/07(月) 10:39:26 0
論理も一種の思いつきだな。正しいという保証はない。
52考える名無しさん:2010/02/01(月) 03:30:56 0
はたしてそうかな?
だまえらがらいクリだろ?
53考える名無しさん:2010/02/12(金) 09:05:56 0
596 名前:名無しチェケラッチョ♪ :2006/07/12(水) 01:32:19 ID:ToUCwAo6
堵虞慧螺の説明はまだかい?先生


597 名前:名無しチェケラッチョ♪ :2006/07/12(水) 02:09:30 ID:nAbY+RG7
↑バカがまたなんか言ってるな


598 名前:ビガロ :2006/07/12(水) 03:59:46 ID:???

           _||_
         / -  −\
       /        \          
       |-=・=-:',.:.-=・=-;::|リリ     
.        |  `-=ニ=- ' .:::::::|(((   真実は名無しチェケラッチョなんだろw  
      彡\  `ニニ´ .:::::/ミミ
        /\    ./ ´\  
            (((((リ

54考える名無しさん
舞の海から受けた力水を土俵に吐き出すわ
その舞の海に負けて全く礼をせずに土俵を降りるわ
濱の嶋に負けて降りた直後に土俵を蹴っ飛ばすわ
尻の穴ほじくった手でつっぱりして相手をひるませるわ
負けたのに次の力士に力水を付けようとするわ
巡業を重視する協会にとって神様に等しい客(しかも子供)を突き飛ばすわ