【思考】自我の連続性【実験】

このエントリーをはてなブックマークに追加
1考える名無しさん
ある人間Aがいる。
そのAとまったく同じ人間A'が造られたと仮定する。
もちろん外観上はもちろん解剖学上もまったく区別はつかず、
コピーA'も意識をもっているとする。

そのコピーA'ができた直後にAが死亡したとき、コピーA'が存在する前の世界と
何ら変化はないはずであるが、私がAであった場合、私Aはなくなるのだろうか?
2考える名無しさん:2009/08/15(土) 22:14:17 0
その問いを吟味・受容する必要性がないので偽である。
3考える名無しさん:2009/08/15(土) 23:35:28 O
スワンプマンだな
4考える名無しさん:2009/08/16(日) 04:36:48 O
シックス・デイか
5考える名無しさん:2009/08/16(日) 08:25:44 0
スワンプマンの想像すら不可能だとする意見もあるようですな。
6はげ:2009/08/17(月) 10:51:12 0
そもそも私が2人いるとかありえるのか?
7:2009/08/17(月) 11:16:30 O
何がはげだ。どんだけタイヤあんだよ?過去に戻るこれが普通だ。何が悪い?何も悪くねえ。
8考える名無しさん:2009/08/17(月) 11:19:09 O
しかも何が変だ?全部いんじゃねえかよ?終わんねーのに?
9考える名無しさん:2009/08/17(月) 11:57:57 0
舛添氏 「毛頭ない!」 と大激怒
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1250460109/
10考える名無しさん:2009/08/17(月) 12:33:28 O
運命はもう決まってる。もし違うのならイヌイットしかない。
11考える名無しさん:2009/08/17(月) 15:21:38 0
自分の子供はもう一人の私みたいなもんだろ
12考える名無しさん:2009/08/17(月) 16:59:41 0
おもしろいスレだな。
人間の心にはメカニズムというかこれを考えたあとはこれ
を考え次にあれを考えるというように決まってるいるのかも
しれない。たとえばボールを転がしてまっすぐころがるのだが
ここである人物が蹴ることによりボールの軌道が変わった。
一見ボールの運命が変えられたかのように思えるが。
その人物が蹴りたいとふと思ったことも決してランダムなものでは
なくメカニズムからくるものだとしたら。未来に分枝というものは
なく必然として起こったものだ。
予言者がいてその予言者にアドバイスを受けて本来こうしようとおもって
いたことが別の行動にかわるのだが、予言者にアドバイスを聞こうとした
考えからそのアドバイスを受け行動を変えてしまう一連の流れもまた必然
。これは予言者も例外ではない。一連の流れがあり今という必然が
この先もつづく、水の流れやボールが決まった方向に転がるのとおなじように


宇宙が膨張がとまりまたビックバンでばらばらになった物質やエネルギーが
前回宇宙の誕生と同じ位置に存在したならまた地球ができ生命がうまれ人が出現し
今とまったく同じ光景になってるかもしれない。ひょっとすれば
なんどもこんな状況を無限ループしてるかもしれない。

13考える名無しさん:2009/08/17(月) 17:05:01 0
はぁ?
14考える名無しさん:2009/08/17(月) 18:07:39 0
>私がAであった場合、私Aは…

という以上、これはスワンプマンの問題ではなく、
パーフィット(『理由と人格』)や永井均がよく書いている、
記憶の連続性と自我の同一性の関係の問題でしょう。
つまり、記憶が繋がってさえいれば、同じ<私>であらざるをえないのか?
私の死後のこの世界に、
私そっくりの(今の私の記憶を持った)他人が存在する可能性はないか?
15考える名無しさん:2009/08/17(月) 18:40:09 0
>>14
デカルト的懐疑と同じで、現実離れした空想は偽である。
その問題で何か支障が出るわけでないなら、保留していてもいい。
16考える名無しさん:2009/08/17(月) 19:06:00 0
個人を形成するのは周りの環境だよ。
生命の形状や人格というのは周りの影響をうけて
できあがっていくし個人情報というのは単に住所とか名前だけではなく
生まれて今日まで生きてきた環境してきた行動の違いでも分別ができる。


もしまったく同じこの世がパラレルワールドとして別の世が存在するなら
その世ができ自分が生まれるまでの歴史が生まれてからも同じなら同じ人間といえるかもしれない。
でも同じ世界で自分が死んだ後にできたそのA'が生まれ例え生まれたときの
状態がもう一人の自分と同じでも環境で体の作りが微妙にちがったり、
そして死ぬまでの行動というものはAと同じにはなれない。だから
同じ世で同じ人間が存在するのは不可能。




なのかもしれない・・・・・


この世はわからない〜♪こ〜とが〜たくさんある〜♪
17考える名無しさん:2009/08/17(月) 19:25:14 0
だまれ糞野郎
18考える名無しさん:2009/08/17(月) 20:03:06 0
2ちゃんてまともに読もうとすると頭狂うなw
19考える名無しさん:2009/08/17(月) 22:41:35 0
自分が一卵性の三つ子の一人であると仮定せよ。
自分は身体に重大な損傷を負ったが、脳は健全である。
他方、残りの兄弟二人は脳に重大な損傷を負った。
このままでは、三人とも死んでしまう。
それを防ぐ手段の一つは、つぎのような手術を行なうことである。
自分の脳は右半球と左半球に分割され、
それぞれの半球が兄弟の一方の頭蓋内に移植される。
このとき、手術の結果、手術前の自分と心理的な継続性と連結性を持つ
二つの人格が存在することになる。
これらの人格が手術前の自分と同じ人格であるとすれば、
同一な二つの人格が存在することになるが、
これは「同一性」の概念に反するので不可能である。
二つの人格のうち一方のみが自分と同一であり、
他方は同一でないとすることには、正当な理由がない。
ゆえに、これら二つの人格はいずれも自分と同一ではない。
したがってこのとき手術前の自分の人格はすでに存続していない。
しかし、この状況では、自分と十分な心理的関係を持つ人格が二つ
存在しているのだから、これが自分にとって通常の死と同じように
悪いとはいえないだろう。むしろそれは自分にとって通常の生存と
比べてそれほど悪くないか、ひょっとするとよりよいとさえいえるかもしれない。
だとすれば、重要なのは、同一の人格の存続ではなく、
十分な心理的継続性および連結性であろう。
20考える名無しさん:2009/08/17(月) 23:00:02 0
仏教説話

ひとりの男が旅をしていた。ある夜、寂れた空き屋を宿としていたところ、真夜中になって、
1匹の鬼が人の死骸を担いできた。程なくもう1匹の鬼が追って来て「この死骸は俺のものだ」
と言い出し、激しい争いが始まった。
 やがて、前の鬼が「こうして争っていても仕方がない。証人を立ててどちらのものかを決めよう」
と後の鬼に提案した。後の鬼も承知したので、前の鬼は、隅で小さくなって震えていた男を引きずり出し、
屍がどちらのものかを証言してくれと頼んだ。
 男は思った。一方の鬼に有利なことを言えば、他方の鬼に恨まれて殺されてしまうだろう。
覚悟して正直に自分の見た通りを話した。案の定、後の鬼は怒り、男の腕をねじ取った。
これを見た前の鬼は、すぐに死骸の腕を取って来て補った。後の鬼はますます怒り、足を抜き、
胴を取り去り、とうとう頭まで、もいでしまった。前の鬼は次々に、屍の足、胴、頭を取って、
全てを補ってしまった。こうして2匹の鬼は争いを止め、辺りに散らばったバラバラの体を食べて立ち去った。
 男は親からもらった四肢も胴も頭も鬼に食べられ、いまやその体の全てが死骸のものである。
一体、自分は自分なのか自分ではないのか、全く分からなくなった男は、夜が明けるや、
寺に駆け込み、昨夜の恐怖の体験を話した。
ところが仏教者たちは、この話の中に、無我の理を感得し、まことに尊い感じを得たという。
21考える名無しさん:2009/08/18(火) 01:14:18 0
>>19
「通常の死」を自明と考えているようですが、それはいったい何ですか。
22考える名無しさん:2009/08/18(火) 05:24:20 0
何の実験なのかな?
23考える名無しさん:2009/08/18(火) 05:49:23 0
スワンプマンじゃない?
24考える名無しさん:2009/08/18(火) 06:05:05 0
同一性問題はどれも似たようなもの。
25考える名無しさん:2009/08/18(火) 10:42:44 0
>>19
>これらの人格が手術前の自分と同じ人格であるとすれば、
>同一な二つの人格が存在することになるが、
>これは「同一性」の概念に反するので不可能である。

これは違うと思います。人格でなくて単なる肉体で考えればわかりますが、
一つの人体を二つに割ったら双方が再生して二つの人体になった、という
場合は、まさに「一つの人体が二つに分裂した」のであって、分裂してできた
人体Bと人体Cは、どちらも分裂前の人体Aと通時的な同一性をもつと考えられますが、
現在は全く別の二つの人体です。通時的な同一性と共時的な同一性は違うので、
これは何ら矛盾ではありません。
人格の場合でも同じことで、自分Aが分裂して自分Bと自分Cに分裂した場合は、
自分Bと自分Cは、どちらも分裂前の自分Aと通時的な同一性をもつと考えられますが、
現在は全く別の二つの自我です。これも別に矛盾ではありません。
「しかし自分は一つしか存在できないはずだ。自分Aは現に自分Bであるか
自分Cであるかどちらかであって、両方であることは不可能なはずだ」というのが
永井均的疑問ですが、これは誤解だと思います。自分A自体は分裂後の時点においては
「存在しない」のです。これは分裂したから存在しないのではなく、過去だから
存在しないと考えるべきです。存在するのは現在だけであって、過去は記憶や記録と
してしか存在できません。通常は現在存在するたくさんの自我のうちの
一つ(自分A2)だけが「自分は過去において自分Aだった」という記憶を
持っているが、分裂した場合はその記憶を持つ自我が二つ(自分Bと自分C)ある、
という、ただそれだけのことだと思います。
26考える名無しさん:2009/08/18(火) 11:02:38 0
勉強不足
27考える名無しさん:2009/08/18(火) 14:53:14 O
>>1

> そのコピーA'ができた直後にAが死亡したとき、コピーA'が存在する前の世界と
> 何ら変化はないはずであるが、

つまらないことをまず一つ書くと、Aという人間が死んで別の人間A'が生まれた(作られた)のだから、
そのぶん違いはあるに決まっているのでは?
仮に「そっくりの人間がいれば、何も変化がない(のと同様)」というのなら、どんな根拠があるのか、
あるいはどういう観点からそういえるのか?

> 私がAであった場合、私Aはなくなるのだろうか?

私Aが死んだのなら、普通、私Aはなくなると考えるんじゃないですかね。
そう考えない根拠あるいは観点があるとしたら、どんなものか?
28考える名無しさん:2009/08/19(水) 05:08:15 0
>>27
可能世界の話だから、違いがあるはずというのは如何なものかと。
29考える名無しさん:2009/08/19(水) 10:26:56 0
まったく状態の同じ世界でも、過去の状態は同じとは限りません。
極論すれば過去は「ない」こともあり得ます。世界何分前創造仮説とか。
世界の中の一個物でも同じことで、過去の人間Aが死なずに存続して
現在の人間A´−1が存在する場合と、過去の人間Aが死んで現在コピーの
人間A´ー2が存在する場合では、現在の状態はまったく同じですが
過去が違います。当然過去の人間Aとの同一性も違います。
「私」の場合でもまったく同じことだと思うのですが、なぜ「私」だけは
特別だと主張する人が多いのか、どうもよくわかりません。

30考える名無しさん:2009/08/19(水) 18:07:36 0
お、こんな所に感嘆子がw
31考える名無しさん:2009/08/19(水) 19:54:21 O
なかなか楽しい見解ですなw
今の状態さえ同じならば、過去がどうであろうと何も問題はないということですか?

例えば10年前にAが死んで、10年後に初めてAと同じ性質の人間A'1が作られた(必要な記憶等も作る)場合も、
10年間Aが生存し続けた場合と同じであると?

あるいは別の問題として、A'1、A'2、…A'10と複数作った場合、それは同じ状態といえるのか、
それとも別の状態になるのか?
別の状態とするなら、一つなら同じだが複数ある場合は違う状態になるというのは、どういうことか?
さらには、10人のうち9人をくじ引きで適当にぬっ頃すと、同じ状態に戻ると?w

真面目に言うと、今の状態のみ取り上げるような考え方が前提にあるとすれば、それは、適切なんですかね。
32考える名無しさん:2009/08/19(水) 23:27:10 0
>>31
逆に同じ状態であると何か不都合がありますか?
33考える名無しさん:2009/08/20(木) 08:25:28 O
いやーだって、「これからあなたを殺し、その後家族全員を拷問にかけて殺します。
1時間後にあなたも含めて同じ状態の人間を全員作り直しておくから、問題ないでしょ?」
なんて言われたって、俺は嫌だからねw

とかいうのはとりあえず置いといて、「同じ状態」とか「同じ物」について、おかしなことにならないですかね?
家のテーブルの上にリンゴが1個あるとして、昨日から置いてあった場合も、今日未明に
誰かが食べた上で同じ状態のものを作り直した(?)場合も、今日未明に誰かが食べた上で
隣の家にあった同じ状態のものを盗んできた(?)場合も、今日の状態が同じであれば区別しない、
と、もし言うのなら、それで「同じ物」という言い方はできるの?
さらに、今日現在、同じ状態のリンゴが自分の家にも隣の家にもあったとしたら、「同じ状態」
ということはどう説明されるの?
自分の家にしかない場合とは同じ状態になる、それとも違う状態になる?
34考える名無しさん:2009/08/20(木) 10:11:42 0
>>31
これは>>29に対するものですか。それならまったくの誤解で、まさに
「今の状態が同じでも、過去が違うなら、当然過去との同一性も違う」という
ことを言っているわけです。

>例えば10年前にAが死んで、10年後に初めてAと同じ性質の人間A'1が作られた(必要な記憶等も作る)場合も、
>10年間Aが生存し続けた場合と同じであると?

まさに「同じではない」と言っているわけです。
この場合、10年前とそっくり同じに作るなら、作られたA´1は「自分はタイムスリップした」
と感じるでしょうが、10年分の老化と記憶を加えて作るなら、まさに10年前のAが10年間
生存し続けて現在A´2となっているのと、状態としてはまったく同じです。しかし、
A´1は十年前のAと通時的同一性のない「別の人間」であり「別の自我」ですが、
A´2は十年前のAと通時的同一性のある「同じ人間」であり「同じ自我」だとみなされます。
私が一番言いたいのは、「自我」でも人間でもりんごその他の個物でも、この事情は
同じであって、自我だけを特別扱いする理由はないのではないか、ということです。

35考える名無しさん:2009/08/20(木) 10:14:52 0
(続き)
ここで、たとえば人間Aが文字通り(アメーバのように)二つに分裂して
A´1とA´2になった場合は、二人の人間、二つの自我ともにAと通時的同一性のある
「同じ人間」「同じ自我」だとしかいいようがありません。
ここで「いや、<私>は唯一なのだから、分裂時にAの<私>は、A´1か
A´2か、どちらかの私になっているはずだ。どちらにもなっているという
ことはありえない。だから、自我は他の存在とは違うのだ。」と、こういう
主張があるわけです。しかし、AとA´1、AとA´2は同時に存在することはできない
のであって、Aが存在するときはA´1とA´2は存在しないし、
A´1とA´2が存在するときはAは存在しません。A´1とA´2はともに
「自分は分裂前はAであって、分裂したときになぜか他方にはならずにこちらになったのだ」
と考えるでしょうし、そこには何の矛盾も問題もないのではないか、と、
>>25ではこういうことを言いました。
ちなみに分裂前にAに「分裂後にA´1とA´2のどちらかを殺すが、どちらがいい?」と
尋ねたら「自分はどちらになっているかわからないから、どちらも殺さないでくれ」と
言うと思いますが、これは純粋に心理的な問題であって、それ以上の意味はないと思います。
36考える名無しさん:2009/08/21(金) 08:15:33 O
なるほど、趣旨はわかりました。
すると、一つには、物の同一性と自我とか何とかの同一性は同じなのかどうかが問題ですかね。

例えばAに別人Bの記憶を植え付けた(ついでに体を改造したり周囲の人々の記憶をいじったり
適当に調整した)として、Aが「自分は間違いなくBだ」と考えるに至ったとする。
このような場合、物(体)としてはあくまでAと連続しているから、自我とか何とかもAでしか
あり得ないのか、それとも別の考え方があり得るのか?
37考える名無しさん:2009/08/22(土) 12:30:50 O
自己レス
このような場合は多分、Aということになるんだろう。
Aの記憶が変だ、とかAの頭がおかしくなった、とか扱うのだろうから。
いきなり「私はナポレオンだ」とか言い出す人がいたって、ナポレオン扱いはしないよなw

周囲の人々の記憶等もいじって、当人を含め誰も「Aと物(体)として連続している事実」に
気付かなかったらどうなるか、と思わなくもないけど、それは、一般にみんなが実際の事実と
違うことを信じるようになったらどうなるか(そもそも事実とは何か)という問題であって、
自我とか何とかの問題ではないだろう、多分。

これを>>1に当てはめると、Aが死んで、別人A'(たとえ記憶その他が同じだとしても)が作られた、
というだけで、他人にとって区別が難しいというくらいしか問題はない。

めでたしめでたし…と、なるのか?w
38考える名無しさん:2009/10/08(木) 00:47:12 0
Aが死亡って、Aっていう自分が死ぬことでしょう
自分Aが死ねば、Aの世界終了なのでは?
39考える名無しさん:2009/10/13(火) 01:22:36 0
でも他人からみたら変化なしというジレンマ
40考える名無しさん:2009/10/14(水) 01:22:32 O
地球にAが住んでいる。
実は宇宙の彼方に地球'が在り、そこにA'が住んでいる。
ある日、地球がフリーザに襲われて、Aは死んだことにも気付かない速さで瞬殺された。
A'は何事もなく暮らしている。

うまく言えないが、そんなことを考えた。
1もこれと一緒じゃないかな。
つまり1のAとA'も赤の他人な関係。
私であるAは死んで終わり。
41考える名無しさん:2009/10/16(金) 03:07:42 0
全く同じものは複数存在できない
2個以上カウントできたら、位置情報がちがうってことだから
その時点で別物ってことになる
位置情報が同じものは無限個あっても、1個しかカウントできない
42考える名無しさん:2009/10/16(金) 11:14:43 0
要するに、
自分とまったく同じ記憶をもった(ついでのその他の点も同じである)他者というものが可能か?
という問題ですね。
>>15は、「現実離れした空想は偽である」と言う(正確には「無意味である」と言うべきだが)が、
実はそうともいえない。
なぜなら、パーフィットはこの議論から多数の倫理的帰結を導出し、森村進は刑法上の「時効」の論拠とさえしてるのだから。
もちろん、永井は逆の立場に立って逆の帰結を導き出しているのはご存知の通り。
だから、この問題は現実離れした形而上学的であるどころか(and/orと同時に)われわれの現実を構成している実践的問題でもある。
43考える名無しさん:2009/10/17(土) 13:11:05 O
>>41
そこまで厳密にしたら、同じものは二度と造れないってことになる。
このスレは自我の連続性が主題なので、自我さえ同じになれば、他の要素は違っていてもいいと思うんだがな。
2つにカウントされても問題無いと思うがどうだろう。
44考える名無しさん:2009/10/17(土) 15:49:36 O
それよりさ。昔の自分と今の自分は脳細胞の種類も数も違うじゃん?
なのに何故「同じ自分」と認識してるのかな?
45考える名無しさん:2009/10/17(土) 16:41:40 0
視力がさがった同じ自分じゃない
記憶力も落ちた同じ自分じゃない
環境性に左右される自己思考自体を俯瞰できない
同じ自分かわからない!!
46考える名無しさん:2009/10/17(土) 17:07:18 0
認識主体が細胞個体に存在するという設問
47考える名無しさん:2009/10/17(土) 17:10:30 O
>>44
自分の変化を捉えてるからじゃないかな。
意識のあるときはたいがいの変化を捉えられるから、自我の連続性を疑うような事態は起こりにくいと思う。
でも寝てるときとか、意識のないときは変化を捉えられないので、
朝起きて物凄い変化に遭遇したら自我を疑う気がするな。
俺は男だけど、起きてるときに体が女になっても、俺は俺。
朝起きて、女であることに気付いたら、俺は俺?
みたいな。
48考える名無しさん:2009/10/17(土) 17:16:23 0
892 :名無し三等兵:2009/08/28(金) 08:34:43 ID:???
エリーツの決戦

893 :名無し三等兵:2009/08/28(金) 16:16:21 ID:???
挑発と成りすましの巧い医学部院生のゲリラ活動などがお盛んだった

895 :名無し三等兵:2009/08/29(土) 12:08:30 ID:???
それぞれの学問と、それぞれの視点

896 :名無し三等兵:2009/08/29(土) 13:02:21 ID:???
内部での穏健派と強硬派の攻防も激しかったらしい

944 :名無し三等兵:2009/09/11(金) 23:24:57 ID:???
より正確には、社会主義的エログロナンセンスコミューン?
※コミュニストの使用する「細胞」という独特の概念
49考える名無しさん:2009/10/23(金) 11:38:52 0
>刑法上の「時効」の論拠とさえしてる

とはどういうことですか?
42でなくてもどなたか簡単につながりを説明していただけるとありがたい。
50芥川しげる:2009/11/19(木) 00:51:37 0
ごちゃごちゃ考えんなよ。

考えなければ答えでてるだろ。お前ら知ってんのに気づかない振りしてるだけだよ。
51考える名無しさん:2009/12/24(木) 11:36:00 P
>1
なんだ、おれとまったく同じことを考えてる人間がいたんだな。
「物質転送機が理論的に可能」という記事を読んでから考え続けてるんだよ
(さっき、別のスレにも書いちまった、マルチじゃないよ)。

答えは簡単であり難しい。
簡単な方の答は「いま思考しているあなたは<完全に死ぬ>」コピーされた
Aダッシがコピー前のAが経験できなかったことを経験した瞬間からそれ
は別の人格だから。Aは完全に死ぬ上、Aダッシによって完全に葬りさら
れいなかったことにされるので最も悲惨な死といえよう。
難しい方の答えは、世界は何にもかわらない、それは間違いない。Aとい
う人間に予想される変化のすべてをAダッシが引き継ぐから。つまり世界
にとってはAはなくならない。

あ、「ダッシ」はわざとな。


52考える名無しさん
これまでに「俺=指導者的立場」「絡んでくる奴=生徒的立場」と
上下関係を作った。(以下、絡んでくる奴を「アメ」と呼ぶ)
ちなみにアメの人数は関係ない。問題はアメが「いる」という事実
※正直、いい迷惑だが「邪魔者は必ず出てくる」という教訓だと肯定。

アメは下の立場に無理やり固定されたので、俺への反発がさらに強まる。
そこで俺は「無視」する。これで一歩通行になり、アメの反発はさらに強力になる。

その結果、アメは「俺の成り済まし」を行い、俺を貶めようとするだろう。
これはIDとコテがない事から起きる合理的な反発。
しかし、それも結局、俺がアメを「操作」した結果でしかない。

これを「自律」や「他律」で考える。
アメの行動は「自律/他律」のどちらなのだろうか?