12 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :
■なぜ東、アガンベンらはフーコーの生権力を誤読してしまうのか。
形而上学的二元論としての「動物」
規範、法というのは「人間」を管理する方法だ。フーコーが生権力というのは、管理方法が
生=人間の動物面=「人間」の最小公倍数(様々な文化、思想は排除されて残るのは身
体的な機能)へ代わっていることだ。
ここにあるベースは形而上学的二元論だ。人間/動物、精神/身体。人間は、完全な動
物=身体的な存在になわるわけではない。法、規範が溶解し、アーキテクチャ(物理現
象)、市場(数値秩序)で管理される。だからある種の例外状態だ。例外状態は、シュミット
で有名だが、戒厳令下、非常事態など、通常法が使えない状態をいう。
フーコーの生権力は自由主義=市場による統治。東がいう「動物化」もここに繋がるが、
フーコーよりもコジェーブの影響から、市場にゆだねた生管理をある種の幸福状態と考える。
アガンベンは生権力をアガンベンは、フーコーの生権力をより広義に、極限へ拡張する。す
なわちより真なる例外状態へ。ホモサケルのようなギリシア時代の奴隷や、そしてナチスの
収容所へ拡張する。このためにより形而上学二元論の構造を広く展開する。「開かれ」など
読めば、すてきな二元論的世界を楽しめる。ボクは好きだが、このわかりやすい広げすぎ
は一部では不評だ。
法・規範−−−人間
−−−−−−−−−−
自由主義統治、市場、アーキテクチャ−−−生、動物
−−−−−−−−−−
奴隷、収容所(例外状態)−−−ムーゼルマン、ホモサケル