◆ 仏教全般 ◆

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719宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk
>>714
「この世とあの世のすべてを捨てて」とは、
この世の生存を最高のものであるとして執着すること
(また逆の、二度とこの世に生れたくないという囚われの意識)を辞めること。
そして、あの世の生存こそ最高のものであるとして執着すること
(また逆の、二度とあの世に生れたくないという囚われの意識)を共に辞めること。

「この世とあの世をともに超える」とは、
これは単に、“ニルヴァーナ(涅槃)はこの世とあの世も超越した境地”であるという意味であって、
「輪廻転生はない」などという意味ではありません。

>そこで私はブッダに従うならば、ゼロ、全くないと思います。

「無い」などといえるのは勝義の視点においてだけです。
これは、その境地に到達した者(覚者)だけの感覚なのであって、
到底、我々のような世俗の凡夫などというものは、
「そっかぁ〜。やっぱり、本当は無かったんだね。
無いと思えばないんだ。よ〜く分りました。もうボクは迷いませんから。」などといったところで、
死後にはちゃ〜んとまた次の母胎へと宿り、輪廻を続けていくのです・・・。
何故ならば、そのような(無いと思えばないといった)表層意識レベルというものは、
輪廻の原動力たる根源的な意識としての「渇愛(タンハー)」とは全く異なるならであり、
そんなことでは渇愛意識を変成することはできないからです。


とか、言ってみるテストw
(お邪魔しましたm(__)m)