1 :
考える名無しさん:
世界とは各々の意識の中にあるすべてであり
意識していなければ一国の大統領も自分の世界には存在していないということ。
知らないということではなく、意識の大きさによって自分の世界の中における存在感も大きくなる。その逆も然り。
それは人物、物体にかかわらず、すべての概念に平等にもたらされる。
3 :
idola:2009/06/09(火) 20:25:20 0
>世界とは各々の意識の中にあるすべてであり…
唯心論ですね。私も私自身の根源的な部分では、それを信じています。というよりもそれに至らざるを得ない。
とはいえ、世界が、我々の意識の総体であるなら、われわれの意識を支えるこの場は何なのかという疑問が生まれる。
それもこのように結論付けられるかもしれない。
我々の世界とは、私が認識する、私の意識の中での、我々の世界であると。
つまり、すべては、「私の意識」に還元可能なものに限られる、と。
“各々”の意識と言ってしまえば、聞こえは良いですが、意識は交換不能ですからね。
結局は、個にいかざるをえない。
つまり、各々の意識も、私が意識する限りにおいての、「各々の意識」であると。
そう考えれば、上の言明は、こういう意味になりますね。
「世界は、私の意識のなかにあるすべてである」
でもどうなんでしょう?私の意識の中に無いものは、世界ではないのでしょうか?
「私の世界」においてはそうかもしれませんが。それがこの世界全体であるという意味までは含んでいない。
各々が各々の世界を持っているという意味では、世界を定義づけるのも可能ですが、結局それは、あたりまえに我々の意識が、存在すると言っているだけに過ぎない。
つまり、私が世界なんだ、というという事は意志であり、世界はむしろ、意識でとらえられる側、つまり意識の客体に存するということです。
つまり、世界と、私ですよね。
世界には、二つの「世界」があるように思います。
>>1>>3 さしあたり、「この意識世界の中に、私がいて、彼がいて、誰それがいる」のであって・・・
「まず私がいて、私の中に私に意識された世界があって、その中に彼がいて、誰それがいる」というのは現実の事態と順序が逆、良く言えば反省的媒介の産物、悪く言えば先行判断的近代的世界観ではないでしょうか。
無論、反省・考察を行えば、同じこの世界の自我と言っても「私」と「彼」らとでは大いに違いあること、この世界が「私」と一種の特殊な連動関係にあって、「彼」とはそれほどまでの関係にないこと、は間違いありませんが。
5 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 01:22:33 0
科学的には自分の認識する世界と実際の世界は別物だけど、
じゃあ自分の記憶(認識してきた世界)って一体何なんだと…
6 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 01:59:51 0
個人としての「私」と、意識としての「私」がいると思う。
それを同一とするのは、局所的因果律に基づいた推論だと思う。
意識の中に、個人としての「この人」がある。
「私」という発語の指示対象は、状況によって異なると思う。
7 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 02:08:47 0
>>3 >私の意識の中に無いものは、世界ではないのでしょうか?
意識とは世界そのもの。
あなたのその発言の意味での「私の意識」とは世界の中の存在者。「心」と言ったほうが
適切である。私の心の中にないものも世界の一部だということは当然である。
>7
>私の心の中にないものも世界の一部だということは当然である。
kwsk.
9 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 16:04:37 0
例えば8の身体がどういう姿かは私の心にない。
それも世界の一部。
10 :
8:2009/06/10(水) 16:58:25 0
>9
8は、>8と、この9のレス/コンテキストだけがすべてであり、それを見ている9の「心の中にないもの」ではない。
11 :
8:2009/06/10(水) 17:00:49 0
即ち、「9の心の中にないもの」は、9の世界の一部ではありえない。
横からすまんですけどね、
>「世界は、私の意識のなかにあるすべてである」
だとしてですね、
「私の意識」の内部に「この(私の)肉体(と称するもの)」は存在してるわけです。
で、その「私の意識」内に於いて、対象とする「この肉体」には「私の意識」と繋がる感覚が存在するわけですね。
だから「この肉体」を傷つけると痛いわけです。
私の意識の中の「この肉体」以外にそのような反応を示す対象は存在しないわけです。
なので、「この肉体」と「その他」は私の意識の内部に於いて区別される、というわけです。
ですから、唯心論の「私の意識」は内部構造を持つこととなります。
つまり、「私の意識」の”内部”に「この私」が存在します。
ならば「私の意識」の中の「この私」とは一体なんですか?
結局、唯心論と雖も「私の外部」の想定が要請されるので、”唯心”論とは成り得ないのです。
「世界=私の意識」などの言明は、無駄に観念を浪費して無意味に世界を分裂させています。
私はこのような思考には全く価値を見いだせません。
わたしは唯物主義者であり、
それは 「私は世界の一部であり、私が死んでも世界は無くならない」と考える、という意味です。
この境地より外に観念の無駄な分裂を回避することはできないと考えます。
13 :
8:2009/06/10(水) 17:46:28 0
>12
>「私の意識」の内部に「この(私の)肉体(と称するもの)」は存在してるわけです。
>「私の意識」の”内部”に「この私」が存在します。
素直に読めば、(私の肉体=この私)∈(私の意識)。
14 :
8:2009/06/10(水) 17:52:27 0
最高位=抄録
>>13 つまり、「この私」は「私の意識」なるものに含まれるということですね。
であるなら、「私の意識」からは”私”は消滅し、「意識」=「世界」となります。
これは、「意識」と呼ばれる時空間に存在が要請されるものを「世界」とするということであり、
これは実質的に唯物論と同じであります。
>>14 ンな訳ねえだろ〜
自慢じゃねえが 俺様は あんなに根性据わってねえんだよ。
常に逃げ腰よ。もう既に 消える準備はできてる。
17 :
8:2009/06/10(水) 17:58:40 0
>15
>これは実質的に唯物論と同じであります。
これは実質的に独我論。
>>17 なら独我論も結局 唯物論だってこったよ。
19 :
8:2009/06/10(水) 18:02:40 0
>>16 抄録が展開しようとしているロジックは式に還元すれば最高位と同一。
20 :
9:2009/06/10(水) 20:11:09 0
>>10 「8」はそうかもしれませんが。私は「8の身体」(=8のレスを書いた人の身体)
とちゃんと書きました。
21 :
9:2009/06/10(水) 20:18:38 0
>>11 そもそも「9の世界」などというものはありません。
あるのは、「唯一の世界」と、「私の知っている世界」。
22 :
9:2009/06/10(水) 20:29:21 0
>>21 ×「私の知っている世界」
○「9の知っている世界」
私は唯一の世界そのものでありうる。
23 :
8:2009/06/11(木) 11:03:46 0
(9の肉体=9が9であるというところの9の私)∈(9の意識)=(独我論)。
24 :
8:2009/06/11(木) 16:29:11 0
>>22 >私は唯一の世界そのものでありうる。
この言明を批判しているわけではない。
この言明が何故に唯物論なのかを問うている。
25 :
9:2009/06/11(木) 18:04:31 0
>>23 「9の意識」などというものは存在しない。「9の心」という意味なら存在するが、
それは世界内部の存在者。世界そのものであるという意味での意識ではない。
世界そのものである意識は、世界内部の存在者には帰属しない。
>>24 私は唯物論などということは言ってませんが。
26 :
8:2009/06/11(木) 19:03:18 0
>>25 >>21 @そもそも「9の世界」などというものはありません。 あるのは、「唯一の世界」と、「9の知っている世界」。
>>22 A私は唯一の世界そのものでありうる。
>>25 B「9の意識」などというものは存在しない。「9の心」という意味なら存在するが、それは世界内部の存在者。世界そのものであるという意味での意識ではない。
世界そのものである意識は、世界内部の存在者には帰属しない。
これらの言明から、
|(9の知っている世界)=(世界内存在としての9の心=9の存在)|∈(世界そのものである唯一の世界)。
即ち、(ひとつの世界内存在である9)は、(世界そのもの)に包含される。
しかし、(世界そのもの)は、(世界内存在である9)からは、誰のものでもないイデアとして宙吊りにされている。
27 :
idola:2009/06/15(月) 14:26:12 0
>さしあたり、「この意識世界の中に、私がいて、彼がいて、誰それがいる」のであって・・・
「まず私がいて、私の中に私に意識された世界があって、その中に彼がいて、誰それがいる」というのは現実の事態と順序が逆…
だから世界は一つではないと言っているのですよ。あなたが死ねば、貴方の世界は終わりますが、私の世界は存在しますし、人類が滅亡したとしても、われわれの意識を存在させていた(つまりわれわれの肉体を存続させていた)この世界は残る。
だから、あなたと、あなたが語る世界と、そうでない人たちが語る世界とが存在する、少なくとも私の内には、私と、私を取り巻くものとしての世界が存在すると言っているのですよ。
28 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 14:50:47 O
ランクミイになる
>少なくとも私の内には、私と、私を取り巻くものとしての世界が存在すると
>言っているのですよ。
これを翻訳すれば、俺は正義だ、俺の言葉や俺の世界を聞け。
と君は心の中で叫んでいるだけ。
もうちょっと勉強しようね。
30 :
4:2009/06/19(金) 14:43:39 0
(1/2)
>>27 遅れましたが御返信多謝。
おとなしく御意見謹聴しているうちに私に代わって(?)レスを入れてくれた親切な方も現れたようなので、私自信の考えを申し述べます。
>だから世界は一つではないと言っているのですよ。
目の前に現象するこの世界は、どう見ても一つの世界として現れています。そこが哲学的考察の「出発点」である、と言いたかった。
反省を加えれば、「他の世界」がある意味において存在していることを認めるに吝かではありませんが。
>あなたが死ねば、貴方の世界は終わりますが、私の世界は存在しますし、
この世界に「私の死」は知覚されたもの、直接的に見知られているものとして現象していません。それは想像されたものとしてこの世界に現象しています。
>人類が滅亡したとしても、われわれの意識を存在させていた(つまりわれわれの肉体を存続させていた)
>この世界は残る。
相当程度、反省的媒介のうえに反省的媒介を重層的に重ねなければ出ない結論と拝察いたします。そして最終的にはその結論には賛成できかねます。
31 :
4:2009/06/19(金) 14:44:49 0
(2/2)
>>27 >あなたが死ねば、貴方の世界は終わりますが、私の世界は存在しますし、
この世界は私の(身体の)あり方と特殊な連動関係にあります。(首を振ってみれば、この世界全体の見え方が一変します。)しかし、彼が首を振っても、そのような変化は生じない。
この経験を敷衍して反省考察すれば、「私が消滅すれば私と特殊な相関関係にあるこの世界は消滅する」ことは十分認められると思います。
>人類が滅亡したとしても、われわれの意識を存在させていた(つまりわれわれの肉体を存続させていた)
>この世界は残る。
私、彼、彼女、ありとあらゆる「我」が消滅しても存続する「世界」は、この現象する世界の諸事象を説明するにあたって不必要と考えます。
>だから、あなたと、あなたが語る世界と、そうでない人たちが語る世界とが存在する、少なくとも私の内には、
>私と、私を取り巻くものとしての世界が存在すると言っているのですよ。
第一に、それらの諸世界は、考察されているもの、考えられているもの、想像されたもの、として、この唯一の世界に現れています。
この現象している世界が、哲学的考察の出発点であり、終着点であり、不断の繋留点であると考えます。
第二に、御説では、原理的にライプニッツのモナド論の難点を免れないように拝見します。
結局、ライプニッツのように何らかの予定調和によるか、カントのようにあらゆる主観から独立した物自体の世界を構想しなければ、間主観的世界の成立が説けなくなると思います。
32 :
考える名無しさん:2009/06/20(土) 11:16:41 0
>>31 >第一に、それらの諸世界は、考察されているもの、考えられているもの、想像されたもの、として、この唯一の世界に現れています。
>この現象している世界が、哲学的考察の出発点であり、終着点であり、不断の繋留点であると考えます。
>>31の「この唯一の世界」は、
>>27の「私の世界」と同じでしょう?
違うとすれば、どこがどう違うのかな。。。
33 :
考える名無しさん:2009/06/20(土) 11:21:48 O
意識に関係なく世界は存在する。何故なら自分が死んでも何事もなかったかのように地球は廻るから。
34 :
記念パピポ:2009/06/20(土) 12:24:16 0
バカかお前
自分が死んでも地球が回ることを
証明してみろ
35 :
是路:2009/06/20(土) 14:36:43 0
世界に生み出されたこの体に生み出されたこの意識が宿るこの体が存在しているこの世界
“世界”があって
“自分”は世界の一部として他の一切と溶け合っている
というインスピレーションに囚われる瞬間が究極の幸せ
37 :
31:2009/06/20(土) 23:16:08 0
>>32 >
>>31の「この唯一の世界」は、
>>27の「私の世界」と同じでしょう?
>違うとすれば、どこがどう違うのかな。。。
「指示対象」としては同じでしょう。
その世界が本来的に「私」(先在するものとしての)に帰属し、本来的に「私」の消滅とともに消滅し、これと別に「客観的世界」がなお自存する、とお考えになるか。
それとも、その世界は本来的に自存し、「私」に先在するものであって、「誰それの世界」とはこの唯一の現象世界の、主観(この世界内に現れる)と関係付けられたものとしての“姿態”にすぎない、と愚考するか。
当該指示対象の本質、属性ないし意味内容に関する見解の違いだと思います。
38 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 09:58:36 0
>>37 なんで世界と私との間に前後関係があると考えるんだろう。。。
世界と私には、後先はないと思う。 同時だ。
世界が自分の意識に含まれる。
自分の意識が世界に含まれる。
どちらも正解である。
ただし、両者の世界を比較すれば圧倒的に後者の世界が大きい。
そこには他人の意識も関与する。
更に、意識が関与しない世界を我々は覗くすべは無いのだが、世界そのものが原理、法則により連続するなら見ている世界は見てない世界の一端であるということが出来る。
つまり、これを否定することは原理、法則を否定することに他ならない。
40 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 12:43:08 0
>>39 >世界そのものが原理、法則により連続するなら見ている世界は見てない世界の一端であるということが出来る。
見ている世界は見てない世界とは全然別のものという可能性もある。
(例 現象は物自体の一端ではない)
41 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 17:59:42 O
>>40 現象もまた原理、法則の一端に過ぎない。
シンクロニシティーである。
42 :
是路:2009/06/21(日) 18:49:07 0
同じとか別だとか、分けるのはそれを意識した意識
43 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 23:55:24 O
集合に属さないものは存在しない。
44 :
37:2009/06/22(月) 01:31:45 0
>>38 あるいは私の応答をとっくに先取りしておられるかもしれませんが、もちろん時間的な先後関係を言っているではありません。
アリストテレスが「事柄において先なるもの」「我々にとって先なるもの」と言っている「先」に近い。
現象の認識における「先立つ」というあり方、認識の場における存在の第一次性⇔第二次性、としての「先立つ」というあり方です。
45 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 02:53:20 0
世界という訳ではない各々の意識がある。
各々の意識は狭い世界を飛び出して新しい意識を作り連帯感を持ちたがる。
世界における各々の意識は私たちからすると単なる意識とだけ言い得るものを作り出したのだ。
世界と言えるような限定したところにあるものでは考え得ない。
新しい意識は限定するにはあまりにもバラエティーに富み、世界に納まり切れないくらいの意識
なのである。
もし、それでも世界ということであったなら、彼らは意識を失い気絶してしまうだろう。
ですから、豊富な意識があるとだけ言うのです。
46 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 05:55:32 0
意識だけに凝り固まってるのが哲学
47 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 11:09:17 O
まあ確かにそうかもしれん。
要するに当たり前にあるものを分析するだけで意識はそもそもそも分析には左右されない。
無意味な分析といえる。
48 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 13:31:51 0
世界という訳ではない各々の魂がある。
各々の魂は狭い世界を飛び出して新しい魂を作り連帯感を持ちたがる。
世界における各々の魂は私たちからすると単なる魂とだけ言い得るものを作り出したのだ。
世界と言えるような限定したところにあるものでは考え得ない。
新しい魂は限定するにはあまりにもバラエティーに富み、世界に納まり切れないくらいの魂
なのである。
もし、それでも世界ということであったなら、彼らは魂を失い気絶してしまうだろう。
ですから、豊富な魂があるとだけ言うのです。
49 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 13:33:02 0
世界という訳ではない各々の精神がある。
各々の精神は狭い世界を飛び出して新しい精神を作り連帯感を持ちたがる。
世界における各々の精神は私たちからすると単なる精神とだけ言い得るものを作り出したのだ。
世界と言えるような限定したところにあるものでは考え得ない。
新しい精神は限定するにはあまりにもバラエティーに富み、世界に納まり切れないくらいの精神
なのである。
もし、それでも世界ということであったなら、彼らは精神を失い気絶してしまうだろう。
ですから、豊富な精神があるとだけ言うのです。
50 :
世界に意識は幾つあるのかね?:2009/06/24(水) 22:32:52 0
イ三三三三 \
/イニニニニ\ヽ\ゝ_
/イニニニニニ\\V/彡\、
|三ニ>───、\V//彡\ヽヽ
|三ニ|  ̄ \\ヽ|
ハ三シ∠ミヽ, \ミ l
{!レ/ ミゝ.,_ ∠三ゝ |ミ l
| レ 彡ヽ`'ゝ f=・xミ; |ミ/ 3!
'┤ ノ i `'' /}
l ーイ⌒(、 ':i / /
| 《三ヲ`7≦ 〃
ト、 斤  ̄`''キ≧ /´
<| 丶 ヽニ--ソ'" /
ノ| \ \  ̄ /\
/ l / ヽ、ヽミ _彡'´.〉 /\
__/ .ト、ヽ i | / |. \_
>>48 魂はあるが、主体でも、物でもない。それは語ったりしない。
それは実在するものでもない。実在すれば確認できる。
1つの魂という秩序の流れを比喩する為に生み出された言葉である。
魂は多様性のある複雑な秩序体系の高次の現象に付きまとう概念であり
それを低次現象で表現できたり特定できる対象ではないということである。
意識の発生こそ最大の謎だと思います。
生命体に意識が宿らなければ存在は一切の意味を失うと思うのですが・・・
53 :
考える名無しさん:2009/10/07(水) 05:07:07 0
意識って目で見えないからわかりにくいよね
133 名前:名無し三等兵 :2009/10/11(日) 15:52:31 ID:???
海系紳士連合の科学技術水準は、脳ピペドおよび脳ピペド友の会の科学技術水準をやや上回る
それ以外の分野でのリソースの差は、比べるだけ無意味だなw
東大阪など(要するに日本の保守勢力etc)および英米系の保守勢力、例えば米軍に勝てるわけ無いでしょう?
136 名前:名無し三等兵 :2009/10/11(日) 17:10:20 ID:???
集中砲火を浴びせるので宜しく
電磁波犯罪者集団のコアは東大医学系研究科neurosciと理研BSI
脳ピペドの電磁波犯罪を証明済みということの意義は絶大である
ところで日米英の保守〜中道左派の諸勢力、例えば東大坂と米軍に、勝てるんですか?
政府中枢にすがっても、かばい立てする試みを行う人物まで非難批判の嵐を浴びつつ、未曾有の公論の集中砲火を浴びつつ電磁波犯罪者が破滅するという結果となる
かばい立てを求める試み、嘆願自体が、国法を無視し、国を歪める結果となるのだ
統治コストも急上昇してしまう
そのような事態の出来の責任も、犯罪たる実験多数などを強行する一方で、対世論工作を組織的に中規模に狡猾に実施し続けていた電磁波犯罪者集団、事態を無益有害に引き伸ばしたものに帰属する
137 名前:名無し三等兵 :2009/10/11(日) 17:25:22 ID:???
ポイントは慶応の暴落である
東大と慶応の関係もよく知られているが、東大理系生命科学系の暴落は慶応凋落よりも更に大きい
それほどの重大事態であると考えるが、事態の概要がどこまで認知されるかによる
軍板などを精査するとき、興味深い事実、たとえば海洋系諸勢力の本格非公式介入などが看取されるはずですよ
組織的対世論工作を哲板などで某勢力が繰り返していたとするとき
某勢力も複数の派閥がある
展開の予測がつく者たちと、追い詰められたカルト、意外な場所に伏在していたカルト主流派 という構図があるとするとき
57 :
考える名無しさん:2009/10/11(日) 20:28:51 O
組織論 社会的複雑性とサンクション
58 :
し:2009/10/11(日) 20:34:37 0
おまえら言いか?市中引き回しとなぶり殺しがあって全部だ覚えとけ
59 :
し:2009/10/11(日) 20:36:32 0
まあ見てろって科学じゃ勝てんから
60 :
考える名無しさん:2009/10/11(日) 20:41:37 0
て
61 :
58th:2009/10/14(水) 11:07:10 0
世界は内心にて構成されるのではないかと考える
生体コンピュータのデスクトップのような位置づけ?
プリコラージュ方式による表現を模索している
純粋理性批判の骨子とは?
64 :
考える名無しさん:2009/10/17(土) 15:33:27 0
先だろう
65 :
考える名無しさん:2009/10/17(土) 17:30:25 0
あとだろう
66 :
し:2009/10/17(土) 17:37:37 0
市倉様江 さまえ
67 :
考える名無しさん:2009/10/17(土) 17:47:23 0
出会いカフェ柿木やまー
組織的対世論工作を哲板などで某勢力が繰り返していたとするとき
某勢力も複数の派閥がある
展開の予測がつく者たちと、追い詰められたカルト、意外な場所に伏在していたカルト主流派 という構図があるとするとき
69 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 20:32:07 0
御菓子の麩菓子は速水もこみちのおくりものの花のようだ。夏ミカンは赤焼けに焼けた夕日のよう。
70 :
道を示すとこの4つになる:2009/12/02(水) 20:45:18 0
時計の針が35分と日蓮聖人の赤色 大和 −@
吉野家の牛丼は新時代のオレンジ色。−A
コンピューラー関係の宇宙の漆黒の闇と数字−B
やくざの道 内ゲバ −C
鍵と鍵穴=A −D
人間は外界を直接知覚するわけではない
五感などから取得される情報および記憶情報を脳裏・内心にで再構成し、世界を把握する
72 :
あめのみやつこ:2009/12/05(土) 10:30:40 0
ロシアンルーレットはなBとCの間だ。だからDがやくざだな。コンピューター関係やらされていてるだろ?
だからな麩菓子なんか?売れるか?無理だろ・売るんだったらケーキだ・それもやんねえ方がいいんだよ・メロヴィン朝ユーグカペーが夢野さんだよ。
意味不明表現多数によるスレの陳腐化?
結構意味読み取れる。下手な株価予想士よりはましと思う。
でも、全く意味がわからない人が出てくるのは仕方がないかもしれない。
そこはアンタッチャブルでセンシティブな領域だと思う。
変な言い方すると、差別して見放す優しさがあるんだと思う。
そうだな、知ったら後悔するというのを知らないままで知りたいと言ってる人は弾かれる、みたいな。
75 :
考える名無しさん:2009/12/12(土) 22:45:34 0
ママミ島でとれる神秘の露について
1 :考える名無しさん :04/08/25 19:13
近年発売された科学情報誌「ダ・ヴィンチ」によると、未だ世界には3000
もの無人島、未確認の島があるという。そして先日、無名の科学者バンバン氏
(フィリピン在住・51歳)によって、不老不死になる成分を含む水がある島が
発見された。この島はニュージーランドから南東へ約180KM進んだところで
発見された。なぜ未だに発見されなかったのか、今のところ有力な説は南極の雪解け
で不定期におこる潮の流れと、温度差蒸発の上昇気流による積乱雲で衛星では捕らえ
られなかったことだ。ちなみにこの雫の成分の一部が南極の雪解け水の成分と一部
一致したため、関係性の解明も急がれている。
島と液体の名前はバンバン氏の亡き妻ママミィ婦人の名をとってつけられた。
76 :
考える名無しさん:2009/12/18(金) 00:31:11 0
77 :
考える名無しさん:
みんな孤独に死ぬんだよ