1 :
◆s5bJAQfsDs :
例えば、人物Aに人物Bは親切にする。AのBに対する評価も上がるし、良い印象を受ける。
これを周りで見ていた人たちもよほどのひねくれ者ではない限り、Bに対してよい印象を受ける。
結果的に、Bの利益は上がる。(よく思ってもらえ、この先未来優しく接してくれる可能性が広がる。)
逆に、人物Aに人物Bは何かを悪いことをして利益を得る(例えば、盗み、強姦、騙して金を取る)。
Bはこの時点では利益を得るが、Aは憎意をBに積もらせる。
まだこの時点では一対一であるが、それを周りの客観的な人たちはBに対しての評価を落として
軽蔑と憎意を積もらせる。結果、多数対一になって、Bの利益は極端に0に近づく・・・・
前者は善なる行為と見受けられる、後者は悪と見受けられるが、蓋を開ければどちらも
個人の利益を追随する行為だと築くはずだ。
後者で、利益を得ようとするには、そういう集団(A,周りの客観的人々)から出て行けばいい。
そして出て行って悪なる行為をするものは反社会的な新たな集団を形成し、利益を減らすことなく
そっくりそのまま反社会的な集団に持ち帰ればいい。
「〜すればいい」と言うだけで気が済むのならそうすればいい。
3 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 07:33:12 O
自分にとってのベストを尽くせばいい
大抵の悪は大衆の目を欺くだろ
道徳的に良いから良いことをする
以外の理由で(社会的に良いことをして自分の社会的地位を向上させたいなど)した「良い行為」は全て悪
6 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 11:45:26 0
>>4 その上どんな行動が確実に誰かを救うことになるかも不明瞭
>>5 動機が幾つか被る場合も多々あるよ
つか人間のある行動を1つの指標でカテゴライズするのも無茶
利益を目的とする行為は全て悪。
(利益そのものは悪ではない)
8 :
NAS6 ◆kl1JWE6W72 :2009/06/06(土) 03:53:45 0
私が善であると主張する事は
他人は悪であると主張する事と等価です
他人に罪をなすりつけるのを防ぐために
私は悪であると主張しましょう
他人を裁かない事です
社会という名の悪魔が僕を追い詰める
10 :
考える名無しさん:2009/06/06(土) 04:56:55 0
その昔、小林秀雄が言ったそうだ。
「世捨て人は、世間を捨てたのではない。世間から見捨てられたのだ。」と。
11 :
心の仕組みドットコム:2009/06/06(土) 09:28:06 0
>善と悪について
>>1さん。
憎意ではなくて、憎悪(ひどくにくむこと)の勘違いでは無いでしょうか?
本題に入りますが、物事の善悪は物事の是非に依って弁別します。
物事の是非とは、その行為が「道理にかなうこととかなわぬこと。」かを弁別すると言う意味です。
そして、この是非を決定する心が理非と言う「道理にかなっていることとはずれていること。」で物事の正誤を定め、理解しなければ成りません。
是非と理非は同じ様な意味合いに捕らえがちですが、理非で物事の正誤を定め是非で善悪を弁別すると言う順番が有ります。
理非で物事の正誤を定めるには真理を会得し、真理を会得する為には物事の理を悟る必要が有ります。
この順番は、論理と言う「思考の法則的つながり。」に依って組まれており、何人も違えることはできませんが物事の理を悟ることで全ての論理に通ずることができ善悪についても知ることができるのです。
心の仕組みドットコム は放置、無視するのがいちばんです。
彼の巧みな釣り発言には注意しましょう。
>>11 物事の理はどうやって悟ればいいんでしょう。
先天的なものに行き当たるんでしょうか。
あと、もう少し簡潔に書くと理論が整理されて論理的な思考がしやすくなると思いますよ。
15 :
1:2009/06/09(火) 23:10:01 O
社会という共同体において悪的なことは許されないことだ。
ある人物AにBが悪いことをしてまわりに知れたら
まわりの人々も自分もBに利益を損なわれるかもしれないと思考し
多数対Bとなり追放(刑務所)にいれられるだろう。
昔の村社会の拡大したものと考えてよいだろう。
社会的共同体を構成する人々は各々の利益を保とうとしていくか、利益をあげようとする。
ある程度保たれた状態を平和。悪人は社会的共同体の多数の人々から自分達の利益を損なうと判定されたもの。
多数のお互い利益を保とうとする存在は善人
建前は善>悪だが、追い出されたその悪が集まって善の共同体と同じくらいに膨らんだら同じくらいの力となる。
それが裏社会であり暴力団、マフィアである。彼らは決して悪で弱い立場てははなく
善と表される表社会と同列かそれ以上の共同体である。
16 :
考える名無しさん:2009/06/09(火) 23:32:44 O
くだらねーんだよ
17 :
心の仕組みドットコム:2009/07/01(水) 19:15:55 0
>>14 >物事の理はどうやって悟ればいいんでしょう。
理とは「命を知る・領る」ことで産みだされる意識を指します。
この「命を知る・領る」とは命に関する全てを広く隅々まで自分のものとする意を指します。
具体的に言えば、全ての命の大切さ・全ての命の素晴らしさ・全ての命の美しさと言う命に関する全てを
『自分自身』で熟成すれば物事の全てに通ずる理を悟ることができます。
そして、その心を熟成する手始めに・・・・
....ドット絶命
19 :
心の仕組みドットコム:2009/07/01(水) 20:56:34 0
エッチ君、
君には来るなと言っただろ。
早く隔離スレに帰りなさい。
ドットさん
あなたはどんなトピックに対しても、
いつもの「理を悟る」論を繰り返すだけでしょ!
迷惑だから「ドットコム」スレで展開しなよ
21 :
考える名無しさん:2009/07/01(水) 23:16:43 0
「心の仕組みドットコム」は理を悟ってなどいません。
理を悟っている私には、それがわかります。
↑それはドットさんと同じ論法ですy〜
ご迷惑おかけして申し訳ございません。
ドットは良心が欠落してまして。
理を悟れば、何でも全て思い通り、何でも全てが手に入るなどとぬかしておりまして。
理を悟った者はわがまま、やりたい放題やっていいんだ、などと、とんでもない勘違いをしております。
ドットちゃん、いい子だからあっちに戻ろうねー。
24 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/02(木) 00:05:33 0
>>23 >理を悟れば、何でも全て思い通り、何でも全てが手に入るなどとぬかしておりまして。
正確には、「理を悟ったと宣言すれば」だな。
25 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 05:09:13 0
物事の理を悟った者は道理(人の行うべき正しい道)に叶う思考と行動をし、道理に叶う希望を持ちます。
この道理に叶う希望は真理の法則(いつでも、またどこでも、一定の条件の下に成立するところの普遍的・必然的関係)添ったもので有るからして叶わぬと言うことが矛盾するのです。
つまり、物事の理を悟った者が持つ希望は必ず叶うと言う言葉は、道理の法則に添ったもので有り論理的に無矛盾で有ると言うことです。
26 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 05:50:43 0
理解と言う言葉は理を持って解くことを意味しますが、人が理を持つには物事の理を悟らなければ成りません。
つまり、物事の理を悟らず物事を理解したつもりでいれば、人は一生つもりと言う思い込みお化けを背負って生きるのです。
人科のホモサピエンスが人間(社会的存在として人格を中心に考えた人。)として生きるためには物事の理を悟ることが不可欠です。
君達は人科のホモサピエンスのまま、何も知らず無知蒙昧で人生を終えるのか、物事の理を悟り産みだす智恵で一度限りの人生を人間として楽しむのか、そのチャンスを掴むか捨てるかは君達次第なのです。
27 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 06:37:57 0
少し、哲学の話をしましょう。
愛智の意が語訳され、哲学と言う言葉に落ち着いたのですが、愛智の意と言う愛智の智は智恵の智が用いられています。
つまり、愛知の意とすれば知るを愛すると知恵を愛するの二通りが考えられますが、愛智の意では智恵を愛するの一通りで愛知よりも絞られています。
さて、愛智と愛知の何れが正しいのかを判定するために、哲学と語訳した西周氏の考えを精査して愛智・愛知の意の何れかが正解か割り出しましょう。
哲学の哲とは「道理にあかるいこと。」を指します。
人が物事の道理にあかるく成れば、知と智の働きが活発化し、知能が育ち、知識を集め、智恵を産みだし、知ると言う行為ができるのです。
さて、この法則的流れから智恵を愛する愛智の意、もしくわ知るを愛する愛知の意の何れが正解で有るのか、と言う判定は皆さんに任せます。
28 :
考える名無しさん:2009/07/02(木) 07:21:10 0
ドットさんさあ、道理、道理と言うけれど、
「ああすればこうなる」という発想がおちいるジレンマってわかる?
麻雀の話になるけど、決め打ちって必ず負けるじゃん?
このハイパイならこの手で上がれるはずだ、と思い込んで手を決めちゃうと、
流れに逆らう事になって結局、負ける。
物事はこうである、なんて事は、なにもないよ。
29 :
あめのみやつこ:2009/07/02(木) 07:53:15 O
現実でそんなことすなよ。思った以上に全部は広いから無意味
30 :
考える名無しさん:2009/07/02(木) 08:25:26 0
>1
>蓋を開ければどちらも個人の利益を追随する行為だと築くはずだ
なんでだよ? 動機がどういう動機かわからないではないか・
31 :
考える名無しさん:2009/07/02(木) 09:33:19 0
ドットさん、いい加減にしてください。
あなたの「理」論に傾聴すべき点があれば、放っておいてもみんな自然に目を向けます。
隔離スレがあるようですし、そちらできちんと説明の訓練をするか、
さもなければご自分で「ドットのなんでも相談室」スレでも作りなさい!
33 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 10:46:50 0
>>28 >麻雀の話になるけど、決め打ちって必ず負けるじゃん?
麻雀のように、勝敗を重んずる悟性の話と理性の話では全く別ものなのです。
配碑から三面待ちの天配でダブリーを架けて、流局しても何の不思議も有りませんね。
ただ、同じ様なメンバーでいつも打てば勝つ者は勝ち負ける者はいつも負けと勝敗が偏ります。
つまり配碑や、つも碑、場の捨て碑や流れなどを見極め、時と場合に合わせ打碑に強弱を付ける者が常に勝ちをさらうのです。
闇天の場合にも察知する必要が有りますが、全体を見切っている者には素人では歯が立ちません。
物事の理を悟り、道理に通ずる心を得れば、理性は勿論のこと悟性の動きも全て見通す場所に立つと言うことです。
全てを見通せれば、他の人々が危ない方向に進みそうな場合に止めることもできます。
無理して麻雀に例えれば、君を除く三人が牌を伏せずにオープンで打っているけど君以外は気付かないと言うことだね。
>>31 君が私に指図するのは1000年早いんじゃないか。
約一月、書き込みの無かったスレに私がきた当日に君がくるのは君が私を追ってきた証でしょう。
1000近くのスレタイが有るのだから、君は私と故意にバッティングしないことだね。
34 :
31:2009/07/02(木) 10:57:03 0
>>33 >約一月、書き込みの無かったスレに私がきた当日に君がくるのは君が私を追ってきた証でしょう。
バカですか?
上がっているのでこのスレを覗いたら、またあなたが無神経に話の腰を折っている。
他のスレでも同様のことが再三繰り返されていて、
知りたくなくてもあなたのことは記憶に残る。
あなたが私を叡智さんと勘違いしていることも、
あなたが万事それほど執着心にまみれた先入観で生きている輩だということも、
よくわかる・・・
さあ、ここを去れ!
>>33 指図じゃないだろ。
お前はみんなに嫌われているの。邪魔なの。わかる?
お願いだから、哲板から出て行ってくれ。
36 :
考える名無しさん:2009/07/02(木) 11:03:10 0
「心の仕組みドットコム」は理を悟ってなどいません。
理を悟っている私には、それがわかります。
37 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 11:09:20 0
38 :
考える名無しさん:2009/07/02(木) 11:14:11 0
>>33 ドットさんはいつもこれなんだよなあ。久々に話したけど、数年前と全然変わってないね。
この人は、相手の差し出した文脈を無視して論点ずらしするんだよ。ずらしていつもの道理の話に戻すと。
言いたいのは、「道理という思い込みで場をしきることはできない」って事なんだよ。
いちいちこんな説明しないといけないんじゃ会話にならないよね?
で?麻雀の正式な段位持ちのおいらが講釈してあげようかね。
>ただ、同じ様なメンバーでいつも打てば勝つ者は勝ち負ける者はいつも負けと勝敗が偏ります。
ふんふん。麻雀でいつも一人が勝ち続けるというのはありえないよ。
だれか一人が流れをがっちり仕切るという事はありえない。
そう決めてかかるのは勝手だけど、それをやるとやはりジレンマにおちいる。
こういう考えだから、文脈を無視した意見の押しつけという自己模倣にとらわれる。
啓蒙するにしたって、考えなしに同じ事を言い続けるだけでは、ダメなんだよ。
ウィトゲンシュタインでも読んでみたら良い。
それで、具体的に道理とはどういう法則性のことを言ってる訳?
その説明もなしに道理を悟れと言っても誰も納得しないよ。
こういう法則性があるって明示してみなよ。
39 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 11:22:26 0
>>38 麻雀ゲームの段持ちですか。
そりゃあ、大したものだね。
>それで、具体的に道理とはどういう法則性のことを言ってる訳?
辞書でも引きなさい。
そして、自分で考えなさい。
それでも分からなければ私に尋ねなさい。
40 :
考える名無しさん:2009/07/02(木) 11:30:51 0
>辞書でも引きなさい。
そりゃズルいわw
啓蒙するなら自分でかっちり説明して納得させないとw ドットさんおもしろいw
道理って因果律の事言ってるの?
仏教の教え的な事言ってるならまだいいけど、
機械論で社会を悟ろうなんておこがましいよ?
>>39 それじゃあ、お前が辞書のどの意味で使っているかがわからんだろ。
辞書には複数の意味が書いてあって、相反する場合だってあるっていうのに。
なんでそこまで馬鹿なんだ。
42 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 12:11:45 0
>>40 納得できない頭の持ち主に、納得させろと言う無理を言っては困ります。
君は、無理って分かるかな?
理が無いことが無理で、理が有れば無理なことは何もないのだよ。
この深い意味、分かるかな〜。
分かるとは分けることだよ。
何を分けるのかって言えば物事の是非・善悪を弁別することだよ。
つまり、君が分かるためには物事の是非・善悪を弁別する心を持っていなければできないことだね。
この、是非とは道理に叶うのか、叶わぬのかと言うことだ。
>>41 >なんでそこまで馬鹿なんだ。
いやいや、私なんぞ君の馬鹿さの足下にも及びません。
大馬鹿大明神様、、
>>42 そうやって自分で説明することから逃げる卑怯者だな。
45 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 12:22:35 0
>>43 誰か私に説明を求めましたか?
>提示してみなよ。
何て非礼な申し出にわざわざ答える必要は有りません。
無礼者か、卑怯者か?手討ちにいたすぞ。
>>45 答える気がないなら、スレに来るな。馬鹿者。
>>45 卑怯者はドットだろ。
名無しを卑怯者と言いながら、自分はコテハンと名無しを使い分けて、
自作自演して自分を擁護してたんだから。
48 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 12:35:32 0
>>46 >答える気がないなら、スレに来るな。馬鹿者。
お前の答えたスレは何処にあるのだ。大馬鹿者。
>>47 君は私に賛同した名無しさん、全員が私の自作自演だと言っているのですよ。
ドット・・・
おまえ家族いないだろ?
51 :
哲学板の多数の定義:2009/07/02(木) 15:47:59 0
心の仕組みドットコム=悪
心の仕組みドットコム=悪
心の仕組みドットコム=悪
心の仕組みドットコム=悪
心の仕組みドットコム=悪
心の仕組みドットコム=悪
52 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 17:10:27 0
>>49 私が名無しで書き込めば自作自演に成るのかな?
そりゃ面白い話だね。
>>50 他人の家族構成を聞く前に自分のことを言いなさい。
名詞を下さいと言う前に自分の名刺をだすのが常識でしょう。
それとも君はまだその年代に達していないのかな?
>>51 君に善悪の弁別が付けられるのかな?
>>52 名無しで他人のフリをして、自分を擁護する書き込みを行ったから、自作自演だって言われているの。
単に名無しで書き込んだからではない。
そんなこともわからないのか?
>>42 > 何を分けるのかって言えば物事の是非・善悪を弁別することだよ。
> つまり、君が分かるためには物事の是非・善悪を弁別する心を持っていなければできないことだね。
> この、是非とは道理に叶うのか、叶わぬのかと言うことだ。
人類が何をしようと許してしまえる者にとって、是非・善悪・正誤などを分け隔てることは無意味である。
許せない者・心の狭小な者が分け隔てることにこだわる。
>>54 お前のレスに神を見た。悟った人間とは、ドットのような奴じゃなくて、寧ろお前みたいな奴だと思う。
哲板で最も争っているのは誰か。
最も平和を乱しているのは誰か。
無知蒙昧な本人に自覚させるには?
57 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 18:02:42 0
>>53 私が名無しで、君のことを馬鹿と暴露すれば私が自分を擁護したことに成るのかな。
それとも、私が名無しで私のことを正しいと書き込んだとでも言うのかな。
58 :
考える名無しさん:2009/07/02(木) 18:02:46 0
>>56 自分の主張が間違っているという可能性に気づけずに自己完結した持論を他者に持ち出す時点で自覚させることは不可能だろう。
絶対、有得ない、そんな筈はない等の絶対条件は存在しない
心の仕組みドットコム君の主張は云わば「9の人が悪といったからそれは悪なんだ」という長いものには巻かれろ系統の思考停止でしかない
自分の主張する悪が、あらゆる場合、条件でも絶対悪であるという確証が無いにもかかわらず、「決め付け」をして悦に入っているだけ。
>>57 ↓ドットの書き込み
428 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2007/09/14(金) 17:48:28 0
>>426 >所詮ドットのレベル以上にならないから
みんながトッドさん以下だから知恵比べはできないのか。
それもそうだね。
61 :
心の仕組みドットコム:2009/07/02(木) 20:01:28 0
>>60 残念でした。
私の書き込みでは有りませんね。
もっと、最近のスレで指摘してごらん。
そうすれば書き込んだ人が名乗るでしょう。
心の仕組み4でも自演だと言っているスレが有ったよ。
62 :
考える名無しさん:2009/07/02(木) 20:41:38 0
さて、命題「善と悪について」に付いて考えましょう。
アホは書き込み禁止だよ。
>>61 残念じゃないよ。君の書き込みだから。文字コードが証明している。
それともボケたのか?
65 :
考える名無しさん:2009/07/02(木) 22:32:05 0
>>63>>64 もうスレ荒らしは終わりにして、
命題「善と悪について」に付いて考えましょう。
アホは書き込み禁止。
>>65 わかっていると思うが、荒らしているのはドット。
ドットがいなくなれば、ちゃんとした議論が出来る。
まずはドットの書き込み禁止からな。
>>65 考えるのならまだいいが、ドットのように結論ありきとか、自分が正しいというのは勘弁な。
そういうのは議論じゃないから。正しさや主張の押し付けは自分のサイトでやるべきで、板に来るのは間違い。
「心の仕組みドットコム」は理を悟ってなどいません。
理を悟っている私には、それがわかります。
ドットさんの人気がうらやましい。
>>69 ・恥を捨てる
・体を張る
・必死になる
・無心になる
・命をかける
・天に命を預ける
・悪魔に魂を売る
・悪の限りを尽くす
己を放棄すれば、
人気も悟りも力も金も女も
欲しいもの何でも
手に入ります。
簡単なんですよ。
71 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 08:19:14 0
>>68 このスレタイに書き込むなら、先ず命題「善と悪について」に付いて意見を述べてからにしろ。
それが礼儀だろ。
そして理とは如何なるものか、述べてみよ。
ア――――――――――――――――――――――――――――――ホ〜――ガニスタン
「追っかけ」がいるなんて、ドットさんは大物ですね。
73 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 09:02:44 O
善と悪が いつのまにか
正義と悪に置き換わった。
この置換は何を意味するのか。
>>71 わかっていると思うが、荒らしているのはドット。
ドットがいなくなれば、ちゃんとした議論が出来る。
まずはドットの書き込み禁止からな。
それから、意見を述べるのはいいが、ドットのように結論ありきとか、自分が正しいというのは勘弁な。
そういうのは議論じゃないから。正しさや主張の押し付けは自分のサイトでやるべきで、板に来るのは間違い。
75 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 10:01:08 0
>>74 馬鹿
このスレタイに書き込むなら、先ず命題「善と悪について」に付いて意見を述べてからにしろ。
それが礼儀だろ。
>>75 礼儀以前に、ドットの存在はこのスレでは害でしかない。
77 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 12:09:02 O
どうやって「スレタイ」に書き込むんだろうね。
ほんと、ドットって馬鹿だねwww
78 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 13:04:08 0
>>1 「利になること」は善で「利にならぬこと」は悪、というような導入は
あまりにお粗末
79 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 15:56:04 0
「善と悪について」という表題は良いテーマなんだけど
>1の内容がとんちんかんだね
80 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 16:34:39 0
>>76 エッチの光。
ぐだぐだ言わずにスレタイに対して、お前の空っぽな頭で考えたことを書きなさい。
>>77 馬鹿、、
>>78>>79 そこを、諌め理の道に導くのが君達の腕の見せ所だよ。
善とは望ましいもの・人々に求められることであり
悪はあるべきものが欠けている状態を言う。
これらじたいに意志力を付け加えると神と悪魔になる。
ちと安易すぎか
>1については
悪なる行為として盗み・強姦・恐喝が挙げられているが
これがBがジャンバルジャンだったり
ラスコリニコフだったりすると
周囲の評価も必ずしも悪いかどうか疑問だな
そこに哲学する意義があると自分は考えるお
82 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 18:01:11 0
>>81 よく考えていると思いますが、
>善とは望ましいもの・人々に求められることであり
善とは如何なるものか、と言う答えが有りませんね。
善とは、を外して「望ましいもの・人々に求められること」は善だと言うことに成ります。
↓↓これは私が書き込んだものです。
11 :心の仕組みドットコム:2009/06/06(土) 09:28:06 0
>善と悪について
>>1さん。
憎意ではなくて、憎悪(ひどくにくむこと)の勘違いでは無いでしょうか?
本題に入りますが、物事の善悪は物事の是非に依って弁別します。
物事の是非とは、その行為が「道理にかなうこととかなわぬこと。」かを弁別すると言う意味です。
そして、この是非を決定する心が理非と言う「道理にかなっていることとはずれていること。」で物事の正誤を定め、理解しなければ成りません。
是非と理非は同じ様な意味合いに捕らえがちですが、理非で物事の正誤を定め是非で善悪を弁別すると言う順番が有ります。
理非で物事の正誤を定めるには真理を会得し、真理を会得する為には物事の理を悟る必要が有ります。
この順番は、論理と言う「思考の法則的つながり。」に依って組まれており、何人も違えることはできませんが物事の理を悟ることで全ての論理に通ずることができ善悪についても知ることができるのです。
83 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 18:48:25 O
何も悟ってない人間が「俺は理を悟った」などと、
下らない自慢をするのは悪だろうね。
84 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 19:14:40 O
>>83 「何も悟っていない」との判断は何処でされるのですか?
「くだらない自慢」だと認定しているのは何なんですか?
85 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 20:12:57 0
何も悟ってない人間が「俺は理を悟った」などと、
下らない自慢をするのは悪です。
「心の仕組みドットコム」は理を悟ってなどいません。
理を悟っている私には、それがわかります。
86 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 20:14:31 0
↑だーかーらー、それはドット論法だってぇ
87 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 20:44:41 0
>>86 仮に論法が同じだったとしても、私は理を悟っており、
「心の仕組みドットコム」は理を悟ってないという違いがありますので。
88 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 20:46:15 0
↑いいよ。すごーくいいよ。
89 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 20:57:02 0
物事の理を悟ると、人は物事を抽象して捉えます。
抽象と聞けば、君達は意味不明な絵画を思い出すでしょうが、俗な言い方をすれば物事の真髄を掴み取ると言うことです。
つまり、有る問題であれば表層の原因を全て取り払い(捨象)その中心に存在する原因を引きだす、と言うことです。
ですから、その原因を処理する方法を見つけだせば問題の適切な処理ができるのです。
それが広辞苑の【智恵】(物事の理を悟り、適切に処理する能力。)と言うことの意味です。
>>89 ドット様、どんな問題の「適切な処理」ができた経験がおありでしょうか?
ささやかなことでも結構です、実例をひとつお願いします
91 :
考える名無しさん:2009/07/04(土) 08:22:39 0
>>90 君の問いは哲学の場に於いて尤も愚かで恥ずべき質問です。
こう言っても、君の脳は何の反応も示さぬほど劣化してると感じます。
大切な話に脳が反応を示さなけば、脳全体の取り纏めを行う前頭前野の細胞が早死にし、
君は若年性痴呆症に陥る確立が高まるでしょうね。
そのカラッポな前頭前夜の部分は、脳の働きには無縁な君の体液に支配され理性を失った
身勝手な者として命の終わりを待つ人生を送るのです。
そう成らないよう、今から正しく脳を使うことを考えなさい。
凡ては法則に支配され、その方法は時と共に姿を変えながら凡てを支配する。
93 :
考える名無しさん:2009/07/04(土) 08:29:51 O
少なくとも2ちゃんでは、適切な処理ができていないようだね、
阿呆ドットはwww
94 :
考える名無しさん:2009/07/04(土) 08:41:19 0
95 :
考える名無しさん:2009/07/04(土) 08:50:38 0
>>91 脳を語るなら脳科学をきちんと勉強しなさい
脳が反応を一切示さないということは有得ないし
脳細胞が早死にすることとは全く関係ないですよ
中身のない糞みたいな文章をバカみたいに長々と書く才能があるよ、ドットには。
真似できないよ。馬鹿馬鹿しくて。一人で勝手に聖人気取っててくれて一向に構わないね。
>>91 人間って、ふつうに体の器官が機能していても、
こんな気持ち悪い性質を帯びることもあるんだなあ,,,
執着や狂信、妬みや恨みや劣等感、これらは一人の人間をこんなに劣化させる...
ドットを見ていてぞっとします
98 :
考える名無しさん:2009/07/04(土) 09:22:54 0
>>95 自分で興味を持てない話に人は無反応に成るのです。
前頭葉を刺激する話に無関心で有れば、前頭葉を含む脳全体の細胞再生が衰え死滅すると言うことです。
脳の彼方此方に隙間が空くのは、その部分の脳細胞が死滅した証ですよ。
ただ、今現在の脳科学では個人の思想と脳細胞の関係が明らかではないと言うことです。
その理由は諸学が哲学を源とせず、一人歩きをしている為に脳科学者も己の脳を使えずにいるのです。
そうでしょ。
>>98 >自分で興味を持てない話に人は無反応に成るのです。
じゃあ、あなたが興味を持たなきゃいけないのは・・・
「執着や狂信、妬みや恨みや劣等感、これらは一人の人間をこんなに劣化させる...」
とかだな。。。
無関心、無反応、無視しているからそこまで重度に精神汚濁が進む・・・
100 :
考える名無しさん:2009/07/04(土) 09:59:55 0
>>98君の言う通りで、ドット君がまさしくそうなのだ。
善と悪について議論しよう。
問題提起: 「善=ドット、悪=その他」は正しいか?
を議論しよう。
102 :
考える名無しさん:2009/07/04(土) 10:50:16 0
>>101 馬鹿に付ける薬はない。
君は、君の不真面目な態度に見合った相応の人生を送るでしょうね。
>>91 > そのカラッポな前頭前夜の部分は、脳の働きには無縁な君の体液に支配され理性を失った
> 身勝手な者として命の終わりを待つ人生を送るのです。
> そう成らないよう、今から正しく脳を使うことを考えなさい。
この哲板で最も身勝手な者は君だと思うが…。
104 :
考える名無しさん:2009/07/04(土) 12:11:03 0
「心の仕組みドットコム」なる人物は
はっきり言って「哲学スレの疫病神」だね。
仮に「名無し」の書き込みによる自作自演を認めるとしても
「スレに参加している人の創造的思索」を全く喚起しない。
自分の立てたスレがあるようだから
そちらで「蓼喰う虫」とのやりとりを精一杯楽しんで下さい。
105 :
考える名無しさん:2009/07/04(土) 14:48:25 0
>>98 話を聞いた時点ですでに反応してるわけで
君の言う脳の隙間っていうのは脳が『不必要、無価値』と判断した情報の処理される場所のことなんじゃないかな
思い込みで持論展開して脳科学に反駁しちゃうとか哲学にあるまじき態度だよね
106 :
考える名無しさん:2009/07/04(土) 16:06:17 0
>>105 話をし、返事を返しても自分の嫌う話題には脳が自動的に閉じるのですよ。
また、情報を受ける脳の悟性が強ければ理性を司る全頭前野の働きは、ほぼ停止するのです。
ですから、この仕組みを解明できるのは哲学を源とし、脳科学に進んだ者以外に有りません。
これは持論ではなく、本当のこと(真実)です。
論法が機械に似てきたぞ、ドット。疲れてるんなら無理しないで休め。ポックリ逝っちまうぞ。
>>89 ドット様、どんな問題の「適切な処理」ができた経験がおありでしょうか?
ささやかなことでも結構です、実例をひとつお願いします
>>90 君の問いは哲学の場に於いて尤も愚かで恥ずべき質問です。
実例を求められるのが最も怖いようだな、ドット爺さんw
109 :
考える名無しさん:2009/07/05(日) 08:29:44 0
>>108 お前の書き込みは、哲学の場に於いて尤も愚かで恥ずべきものです。
>>109 >
>>108 > お前の書き込みは、哲学の場に於いて尤も愚かで恥ずべきものです。
>
つまり、知恵の抜け落ちたドットにそんな質問をするのは、愚かなことです。
答を聞かなくても分かることです。
111 :
餡 ◆R...../mNw @株主 ★:2009/07/05(日) 14:33:06 0
112 :
考える名無しさん:2009/07/05(日) 18:41:28 0
善悪が「脳科学」で決まるとは思えんが・・・
113 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/05(日) 20:29:55 0
>>83 何も悟ってない人間が「俺は理を悟った」などと、
下らない自慢をするのは、「悪」というより、
「恥」じゃないかねえ。
一つの社会や共同体の中では、善悪の判断って大筋で似通うものだと思うけど
世界を見渡してみれば、国によって善悪の判断が違ってる。日本では悪でも、中国では悪じゃない、みたいなことがたくさんある。これってつまり、善悪は相対的である、所詮は価値観であるってことですよね?
善悪は主観的。
現存する我、に対置されるのが悪。
主観が無ければ、善悪は成立しない。
116 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 08:17:29 0
Hannibal
物事の理を悟る、と言うことは「人の脳」が「人間の脳」として正常に働き始めた、と言うことなのだよ。
だから、むしろ物事の理を悟っていない方が恥を感じるべきなのですよ。
>>114 「善悪の判断」と「日本の国での善悪の判断」との違いですね。
この「善悪の判断」でしたら人類全体に通用するのですが「日本の国での善悪の判断」は主に日本人に通用するだけです。
>>115 >善悪は主観的。
善悪は、己を離れた客観的に物事を考査することで見えるものです。
現存する我が主観的に物事を見るのか、客観的に考査するのかの違いなのです。
117 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 08:33:17 0
>>116 「頭の良い人」が必ずしも「善い人」でないのは何故?
118 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 11:00:28 0
>>117 >「頭の良い人」が必ずしも「善い人」でないのは何故?
それは「頭の良い人」の判断基準が狡賢くて私利私欲を目的とする、本当は「頭の悪い人」の事だからですよ。
つまり「頭の良い人」の判断基準を間違えちゃつた、と言うことで「善い人」とイコールに成らないのですね。
>>118 本当は「頭の悪い人」を「頭の良い人」と呼ぶことがそもそもの間違い。
君は論理的に破綻している。
物事の理を悟る=物事を理解する
>>116 人類全体、生物全体に適用されうる「普遍的な善悪」なんてそもそも存在するのでしょうか。例えば、中国人が犬を食べるのは普遍的に悪でしょうか。「だれだれにって悪」とまでしか言えないような気がしています。
↑
×だれだれにって
○だれだれにとって
123 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 13:30:42 0
>>121 >人類全体、生物全体に適用されうる「普遍的な善悪」なんてそもそも存在するのでしょうか。
善悪とは、道理に叶うことを正・善・良とし、道理に反することを誤で道理に強く反することを悪と名付けたものです。
そして「普遍的な善悪」を感ずるには物事の理を悟ることで通ずる、物事の道理をさとり知ることが必要です。
人類が、人類以外の他動植物を生きるために摂取する行為は道義的に許されることです。
牛を食べ、犬を食べ、鯨を食べ、豚を食べ、鳥を食べ等の行為は全て同じ量りに乗せられるものなのです。
宗教のため、経済のためにとか正義のためと言う大義名分を付け、人類同士が争うことは人道的観点からも許される行為ではありません。
124 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 14:41:55 0
そもそも善悪というのは、観点によって全く変わると思います。
例えば戦時中の日本は愛国心が非常に高く特攻隊は、「正義と勇気の結晶」の様なものだったけれど、今では「野蛮な悪の象徴」的な物になっていると、感じています。
この様に時間・空間・性格によって善悪論は多種多様な物になるし、利益を得た人には基本的に正義になり、
損害を受けた側になれば基本的に悪となる。何を悪とし何を正義にする、というので絶対的な物は存在しないと思います。
つまり、あくまでも、善悪は観点によって変わる、と。
125 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 16:29:55 0
>>124 観点によって全く変わる、普遍性を持たぬ善悪の判断は正しいものでは無いと言うことです。
126 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 19:42:23 0
では、普遍性を持った善(悪でも)とは例えばどんなことでしょうか?
127 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 19:54:37 0
>>126 善・悪という言葉を使えるということじゃないでしょうか?
128 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 20:33:51 0
>>126 普遍的な善悪を明確に感ずるには、物事の道理をさとり知り、是非を弁別する心を持たねば成りません。
そして、普遍性を持った善(悪でも)とは道理に叶うのか叶わぬのかで判断しますが、道理に抵触する
場合は誤で強く道理に反する場合に悪と呼びます。
129 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/06(月) 21:09:09 0
>>116 >だから、むしろ物事の理を悟っていない方が恥を感じるべきなのですよ。
うん。だから、何も悟ってないのに「俺は理を悟った」などと、
下らない自慢をしているような奴は、恥を感じるべきだな。で?
なに、寝惚けたこといってんだ? 脳が働いてないんじゃないか?
130 :
考える名無しさん:2009/07/06(月) 21:30:52 0
>>128 ドットさん
私は物事の道理を悟り知っていないので、普遍的な善悪を分かることも不可能です・・・
道理に叶うか叶わないか、または道理に反するのか
それも私には自力では判別できないですが、
例えばどんなことがその好例であるのか、具体的に教えていただけませんか?
ではここで登場
『極限の善の実践により、自称善人で常識者を極悪人にする』です。
例えば。警官や教師が、交通安全を狂信してるならば、
俺は自ら速度を20KMくらいで、信号は手を揚げ渡る。
政治家が、健全な社会を目指すなら、一生、酒飲まずキスもせず
常に真面目すぎる無表情で、服も髪も最高にダサくする。
宗教家が、神への信仰や道徳を唱えるなら、
いっそ原理主義に走って24時間狂信し、米と野菜しか食べない。
教育者が心の育成を唱えるなら、素手で大便器を掃除する便強会を
自ら狂信し、自他共に素手で大便器をこすって洗う運動を進める。
などで、他者を徹底的にモラルのなってない悪人と批判する。
これ。善人のとなえる善を、徹底的に自らが原理主義・狂信者になって
極めて善人を極悪人にするという、英知。OK?
ドットなど私の前では野蛮なモラルの無い極悪人よ、下らぬ話。
さすがは哺乳類か。
132 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 00:21:11 0
Hannibal
人の脳は、物事の理を悟らぬ限り正常には働きません。
この事を知っている者は物事の理を悟り、脳が正常に働いている証拠なのです。
むしろ、物事の理を悟っていない方が恥を感じるべきなのですよ。
と言う意味が分かりますか?
133 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 00:41:45 0
>>130 私の言うことの殆どは、言葉が創られた際の語義(言葉の意味)として、既に証されている真実なのです。
智恵や知識の源である【知・智】の語義は「物事を理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。」と記されています。
【理解】の語義は「物事の道理をさとり知ること。」を指し【是非】の語義は「道理にかなうこととかなわぬこと。」と記されています。
物事を理解するには「物事の理を悟る。」と言う人が【智恵】を産みだす場合と同じ行為が必要なのです。
この「物事の理を悟る。」と言う作業を終えた者が通ずる【道理】「@物事のそうあるべきすじみち。ことわり。A人の行うべき正しい道。道義。」
ですので物事の理を悟らぬ限り、誰も知ることができないのです。
134 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 00:42:42 0
ところで
>>132にとって、この世の中で「物事の理を悟り、脳が正常に働いている」
と思われる者達の総数は、人間全体のなんパーセント位だと感じていますか?
135 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 00:44:34 0
ネオマトリクス
支離滅裂だぞ。気は確かか?
安らかに逝くにはバッテリー残量が残りすぎてるんだろうよ。
電池使い切るまで見守ってあげよう。
137 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 01:15:05 0
>>134 今現在では、総人口の0.0000001lぐらいでしょうね。
人類が平和を迎えるのに必要な人数は、総人口の0.001lですね。
>>133 普遍的な善悪というものは、論理では導き出せないということでしょうか。ああ、わかった、これは道理にかなっている、
と悟ったときにのみ、ある物事が普遍的に善かそうでないかが判断できるが、
他人にはそれがどうして善いことなのかそうでないのか、説明できないということでしょうか。
139 :
1:2009/07/07(火) 05:46:50 O
善と悪という根本的な概念は、共同体が構築されて初めて生まれる。
共同体の人々がお互いの利を認め、守り合い、向上させることは正義であり善という利益であると思う。
つまりうまく共同体を維持運営していくための善であり公であり道徳であり昔は宗教に置き換えられる。
悪とは主観からの共同体の人々の利益を阻害、奪うことから始まっているどちらも根本的な利を得るための行為である。
ヘレンケラーも偉大な人物に変わりないが善なる行為をもって心を豊かにしている。利にそった行為をとっていると俺は見ている。
寺の坊さんでも現世のストレスを逃れ、厳しい修業の中で心の利を得ているのである。
人は皆、自分が一番可愛いのだ
大昔は一族の有機的存在としての部品でありまた自分自身でもあった。なので武士などは切腹したのだ。
140 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 05:53:44 O
子と親の関係も子は自分の遺伝子を次ぐもう一人の自分であり
未来に半永久的に自分を維持していくための希望だ。親は子のため自分のために喜んで死を選ぶだろう。
組織(村、国、家族・・・)の有機的存在としてもう一人の自分である組織のために滅することはなんら不思議ではない利の行為だ
141 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 06:15:22 O
ヤクザの村に少数、法律を守る健全な人は悪になり、イスラムの村に少数、キリストの人は悪になる。
142 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 06:18:07 O
ラクダの家
143 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 06:35:57 O
心の理非とか物事の是非とか何も本質的なことをいっていない抽象的な空の言葉だろう。ドットさん。
道徳も真理も抽象的だから何がいいたいか分からん。
144 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 07:53:23 0
>>138 つまり、善悪を弁別する機能を備えている者でなければ、普遍的な善悪を感ずることはできないと言うことです。
>>143 君は、抽象的という言葉の意味を勘違いしていますね。
【抽象的】「@抽象して事物の一般性をとらえるさま。A現実から離れて具体性を欠いてるさま。」
哲学としての抽象的は@の意味で、Aは一般の人々が抽象を感じるさまを表したものです。
【抽象】とは「事物または表象の成る側面・性質を抽ぬき離して把握する心的作用。」で事物の本質を扱う哲学には不可欠なものです。
己の思い込みや欲望を捨象し、事物の本質を見極めるということが抽象的と言うことです。
勿論、キリスト教もイスラム教も仏教の教えも全て捨象し、事物の本質を見極めるのが抽象的と言う意味です。
145 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 09:47:18 0
辞書の言葉以外のすべてを捨象することが抽象的と言うことです。
146 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 10:24:32 0
>>144 >
>>138 >つまり、善悪を弁別する機能を備えている者でなければ、普遍的な善悪を感ずることはできないと言うことです。
そんな言い逃れが・・・
ってことは、こいつは理を悟ったとかいうことのすべてに関して、
この作戦で自分の神話を支えていくわけか・・・
なんという精神構造w
147 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 11:08:00 0
>>146 >この作戦で自分の神話を支えていくわけか・・・
私の伝えることは、神話ではなく真話ですよ。
以下は、人が物事の理を悟ることで得れる心的作用と、物事の理を悟らなければ得られないものの一覧です。
真理・倫理・善悪の弁別・道理・理性・理解・理論・知能・智恵・知識・知る等々です。
物事の理を悟らぬ者達は、これらの全てを備えているとの「つもり」と言う思い込みで過ごしているのです。
148 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 11:11:11 0
>>146 反論すること自体が「布教活動」の片棒を担ぐことになったりして・・・
どのスレでもドットウィルスの駆除には苦労しているようだよ
149 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 11:18:09 0
>>147 >物事の理を悟らぬ者達は、これらの全てを備えているとの「つもり」と言う思い込みで過ごしているのです。
ああ、そういう人、一人知ってる。
なんとかドットコムって人。
150 :
善人:2009/07/07(火) 12:32:49 0
プラトン風の答え
善とは、自分にとってよいこと、真に自分の利益になること。
真に自分の利益になる事とは、自分の魂のためになること。自分の健康に良いこと。
善いことは、当然、世俗道徳・社会的ルールーに反していることもありうる。
>>144 >
>>138 >つまり、善悪を弁別する機能を備えている者でなければ、普遍的な善悪を感ずることはできないと言うことです。
で、その善悪を弁別する機能を備えている者は
、自分が感じた普遍的な善悪を他人に説明できるのでしょうか?
>
>>143 >君は、抽象的という言葉の意味を勘違いしていますね。
143さんの言いたかったのは平たく言えば、
「あなたの言ってることはよく分からない。」ってことだと思いますよ。だから、別に「抽象的」って言葉の誤用を指摘したところでなんの反論にもなりません。別に「不明瞭」とかでもよかったんですから。とにかく、あなたの話を神話ではなく真話だと判断するためには、
主張をただ列挙するのではなくその主張が正しいと思われる理由と具体例を提示いただきたいです。
152 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 13:20:48 0
好きと嫌いの話だろ?
その中間は嫌いでも好きでもない場合と、嫌いと好きが混在し
せめぎ合う状態ともいえる。
中間だからどちらでもないと結論ずけるのはいいが、
証拠が無ければ存在しないと言い放つ無思考と同じだろ。
153 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 13:48:56 0
辞書の定義だったら、各自が辞書を引けばよいのであって、
ここでは、もっと具体的なことを書いてくれますか、ドットさん?
たとえば、殺人は悪ですか?
殺人者を死刑にすることは悪ですか?
「姦淫」、つまり不倫は悪ですか?
キリスト教でいう「姦淫」には、婚前交渉は含まれていませんが
(とはいっても許されているわけではありません)、
婚前交渉は悪ですか?
キリストのいうように、欲情をもった眼で女を見ることは悪ですか?
キリストのいうように、他人に対し「馬鹿」というのは悪ですか?
>>153 キリストに囚われては、理を悟ることはできません。
貴君の質問はどれも「case by case]」で、これを一般論で答えることはできません。
一般論で処理したことは、キリストの大きな過ちなのです。
155 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 14:43:49 0
>>154 ドット
153にある問いのうち、例えば下から2番目なんかはcase by caseでもないだろう?
特定の誰ということではなく、無差別にそのようにする場合をも指すだろう?
逃げ回る習性が身についてしまって、なんでもごまかしてりゃいいってもんじゃないぞ!
156 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 15:21:22 0
>>154 >貴君の質問はどれも「case by case]」で、これを一般論で答えることはできません。
つまり、善い殺人もあれば、悪い殺人もあるということですね?
善い殺人とはどういうcaseで、悪い殺人とはどういうcaseですか?
善い死刑とはどういうcaseで、悪い死刑とはどういうcaseですか?
善い不倫とはどういうcaseで、悪い不倫とはどういうcaseですか?
善い婚前交渉とはどういうcaseで、悪い婚前交渉とはどういうcaseですか?
欲情をもった眼で女を見て善いcaseとは、どういうcaseで、
欲情をもった眼で女を見て悪いcaseとは、どういうcaseですか?
他人に対し「馬鹿」といって善いcaseとは、どういうcaseで、
他人に対し「馬鹿」といって悪いcaseとは、どういうcaseですか?
157 :
156:2009/07/07(火) 15:27:36 0
キリストに囚われているわけではありませんので、
仏教に関する質問もします。
仏教では、貪り、怒り、愚かさが三大悪といわれていますが、 これも
case by caseであり、一般論で処理すべきではないのでしょうか?
殺人は悪である。ただし、やむをえぬ場合は可 やむをえぬ場合とは、
圧政・脅迫など殺される者の存在が殺す者の生存を直接脅かす場合。
殺人者を死刑にすることは
「殺人者は死刑にする」というルールのもとで当然行う処罰なので
その社会の秩序を保つために必要なことである。
ちなみに私は日本の死刑制度には賛成している。
日本の警察は非常に勤勉で優秀だから、その捜査による決定なら
まず間違いないだろうというのがその理由です。
不倫は配偶者にたいする裏切りであり、悪である。
アリストテレスによれば親しい・近しい者に対する悪ほど罪が深いと
いうが完全に同意だ。
婚前交渉は婚前というからには結婚するつもりがあるんでそ。
全然おkと思う。ただ多少じれたほうが後の楽しみが大きいのでは?
欲情をもった眼で他人の妻を見ることは、決して望ましくはないが
悪とまではいかんだろ。ただあんまり露骨だとその夫からパンチを食うと思う。
兄弟に対し「馬鹿」というのは火の地獄ぞと言われているが、
共に神に創られた存在であるのに傲慢だぞ位の意味だと思う。
なんせキリスト教の御父は絶対唯一神なので、不敬には異常に厳しい。
159 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 16:02:22 0
>>151 善とは道理に準ずること。
悪とは大きく道理に反すること。
つまり、善悪の弁別には道理が欠かせないと言うことです。
>とにかく、あなたの話を神話ではなく真話だと判断するためには、主張をただ列挙するのではなく
>その主張が正しいと思われる理由と具体例を提示いただきたいです。
その事は、君が物事の理を悟った時に初めて分かることです。
それまでは「つもり」で過ごして下さい。
>>155 >>154 ドット
ではありませんよ。
160 :
156:2009/07/07(火) 17:54:08 0
>>158 いや、ドットさんに聞いているのであって…
しかし、まあ、そうやって明確にお答えになれるというのは、
曖昧なことだけ言って逃げ回っている誰かさんよりも、
よほど物事の理を悟っておられる方だとは思いますがw
要は
『極論の実践により、他者を徹底した悪人にできる』
これです。これは役立つツール。
例えば。学校で、口うるさい先生がいたら
児童そろって無表情無言を徹底する。すると、その先生の細かな言動を
「非道徳的行為」と批判できる。
こんな感じで、徹底した善を自ら貫けば、
世間の善人に対して厳しく悪人だと言えます。
これは極めて役立つ方法。
議論する必要もない。世間で言われる善を、
ガチムチの極論で狂信すればOK。これで、ドットのような中途半端な
自称善人の悪人を批判できるのですぞ?
実際、俺なんか蚊も殺さず横断歩道を手を挙げて渡り
電車の中では無音で無動作を貫いてます。
電車の中で本を読んでる人がいたら注意するし。
>>161 別に自分が悪でもいいし、批判されても構わないけど?
163 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 20:18:32 0
>電車の中で本を読んでる人がいたら注意するし。
他人に迷惑をかけていなければ注意する必要がないよ。
164 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/07(火) 20:27:36 0
>>132 >むしろ、物事の理を悟っていない方が恥を感じるべきなのですよ。
だから、辞書の編著者が変われば変ってしまうような「理」を後生大事に抱え、
何も悟ってないのに「俺は理を悟った」などと下らない自慢をするような奴は、
恥を感じるべきだな。 言ってる意味がわからないのか?
脳が正常に働いてないんじゃないか?
165 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 20:38:18 0
ドットなんかに関わらないほうがいいですよ・・・
思い込みや執着や劣等感などに囚われて、まともに理性が働いていない人だから・・・
もったいないですよ、時間やエネルギーが。
166 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 20:39:31 0
Hannibal
言葉の意味が、まるっきり変わったら大変なことに成ります。
君は、もう少し冷静に物事を考えなさい。
167 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 20:48:19 0
>>165 >ドットなんかに関わらないほうがいいですよ・・・
書き込みから推測すると、君もかなり関わっているね。
168 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/07(火) 21:05:55 0
>>166 >言葉の意味が、まるっきり変わったら大変なことに成ります。
ほお? 君が後生大事に抱えてる「理」は、辞書の編著者が変わると、
まるっきり変わるわけじゃないが、少しばかりは動揺するわけか。
>君は、もう少し冷静に物事を考えなさい。
君なんぞに言われる筋合いのことじゃあないなぁw
169 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 21:08:22 0
>>154 >貴君の質問はどれも「case by case]」で、これを一般論で答えることはできません。
つまり、善い殺人もあれば、悪い殺人もあるということですね?
善い殺人とはどういうcaseで、悪い殺人とはどういうcaseですか?
善い死刑とはどういうcaseで、悪い死刑とはどういうcaseですか?
善い不倫とはどういうcaseで、悪い不倫とはどういうcaseですか?
善い婚前交渉とはどういうcaseで、悪い婚前交渉とはどういうcaseですか?
欲情をもった眼で女を見て善いcaseとは、どういうcaseで、
欲情をもった眼で女を見て悪いcaseとは、どういうcaseですか?
他人に対し「馬鹿」といって善いcaseとは、どういうcaseで、
他人に対し「馬鹿」といって悪いcaseとは、どういうcaseですか?
170 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 21:32:35 0
ドットにまともに絡んでる馬鹿もいるんだなw
171 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 21:33:37 0
Hannibal
暇つぶしに、つまらん話をするんじゃないよ。
172 :
Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ :2009/07/07(火) 21:58:20 0
>>170 結局、スルーが一番いいのかねぇ、この馬鹿だけは。
173 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 22:23:40 O
>>162が真理を会得した人だな。
自分のことなどどうてもいいと思っている者にエゴは無い。
自分が善であろうとする者は、まだ自分にこだわっている。
自分のことなどどうでもいいとする者は、自分のことで悩むことはない。
自分にこだわる者は自分のことで悩む。
世界がどうなろうとかまわない者は、世界がその人を悩ますことは出来ない。だから、その人は世界に対して何かをしようとすることはない。全てを許す。
許せない者が世界を変えようと平和を乱し、混乱を引き起こす。
何も心を煩わすことがない者は平和だ。
誰の味方もしないから、誰にも敵対することがない。
貧しい者の味方をすることがないから豊かな者に敵対しない。かといって豊かな者に味方するわけでもない。
弱い者の味方をすることがないから強い者に敵対することもない。かといって強い者の味方をするわけでもない。
善や正の味方をすることがないから、悪や不正に敵対することもない。
聖人は全てを包括し、ただ楽だからと、人々の一番後ろ、一番下にいるから、誰も置いてきぼりになることもなく、落ちこぼれることもない。
善悪を分け隔てない者が善である。
174 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 22:35:35 0
>>173 もしそんな人間が実在するなら教えてほしい
175 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 22:39:29 0
肉体が実存として存在している以上は必ず世界に影響を与えているわな。
176 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 22:40:34 0
>>173 もしかして
>>54の人?
批判もあるみたいだけど、良い事書いているなと感心した。
ドットみたいなのじゃなくて、こういう人が議論して欲しい。
178 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 23:13:38 0
エゴの無い人はどうやって生存を保つのだろう。
まずはその議論からだ。
179 :
考える名無しさん:2009/07/07(火) 23:18:08 0
「自分のことなどどうてもいい」と思っている者には確実にエゴが存在する。
そもそも人間が言葉で世界を分断している段階でエゴによる暴力性が潜んでいることになる。
人間は思考している段階ですべてを許すことなどできん。
植物人間の方がまだ善に近いような気がする。
「私は自然と一つになりたい!」
こっち系の議論ですか。
181 :
阿修羅∞落とし ◆zux.LiRqWQ :2009/07/07(火) 23:24:07 0
性欲を捨てて生涯ボランティア活動に従事できる人が善。
182 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 01:39:38 O
139に誰か反論してくれ
183 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 01:56:38 O
見知らぬ二人以上で数滴、言葉をかわしただけでも小さな簡易的な共同体と見れる。
AにBが親切にすれば、AにとってBが良い人に見えて
CにBが不親切にすればCにとってBが悪い人に見える。
しかし、これはミクロでの善、悪であり
これが発展した共同体におけるのが139のマクロな善、悪である。
相対的な丁をなしていて、同一人物、組織からでも善と悪両方発進されることはあるのである。
184 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 02:00:39 O
本当の聖人などいないし、女神のような清純な女もいない。
なぜならみんな自分が一番可愛いから。
185 :
宅急 ◆MAJOUSOou. @株主 ★:2009/07/08(水) 06:13:05 0
186 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 08:28:41 0
>>182 正義や愛という言葉は、全体を対象とした場合にだけ本物に変わるのです。
>共同体の人々がお互いの利を認め、守り合い、向上させることは正義であり善という利益であると思う。
この場合には、共同体以外の人々を否定しますので正義とは言わずエゴイズム(集団的自己愛)と呼びます。
187 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 10:02:58 0
より全体の為に成す行為が善であり、より自己の為に成す行為が悪。
そして人はそれぞれ、その人の力量についても先天的に差があり、
より力量が大きい程、善といえる。
188 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 10:15:58 O
だから、善、悪の概念の成立を共同体(二人以上)から説明しているのであって
全体への善を行い、自らの心が満たされればそれは利にそった行為だろ?
あなたは操り人形で善を行って何も感じないのか?
そして何故自分のための利が悪いのかがわからない。
常に自己愛が見え隠れしてるんだよ。
189 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 10:26:19 O
たぶん、全体への善を行える人はその全体の有機的存在として自分を位置付けてるんだろう。
自分の体を維持するために自分の細胞がミクロ単位で動くように
あなたはあなたを助けているんだよ。
190 :
186:2009/07/08(水) 11:16:37 0
>>188 君は
>>182=
>>1なのか?
誰かを対象に話をするのなら相手の番号を入れて下さいね。
>全体への善を行い、自らの心が満たされればそれは利にそった行為だろ?
理に叶う、善に添った行為は徳を積むと言い、利の計りに乗せられません。
自分の本心から善を行わぬのであれば、君の言う偽善という行為であり精神的に負荷を受けます。
>そして何故自分のための利が悪いのかがわからない。
利とは都合の良いことを指し、強い利の追求は欲に変貌し、必ず他に痛みを与えます。
よく勘違いするのは、自分が生きるためや普通に満たされた生活を送るための望みと利を取り違えてしまう場合があります。
この、望と利の分け隔てを明確にしなければ君のような疑問が湧いてくるのです。
>常に自己愛が見え隠れしてるんだよ。
その通り、良く見ているね。
191 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 21:13:30 O
では、何故人は善を行うのか?何か超越的な力が働いているとでも?俺は偽善とはいっていない。
生きたい、満ちた生活もしたいというのも欲だろ。
あまり欲が強すぎて周りの共同体の人たちに痛み付けたら
自分の立場を危うくするから人々は枠のなかに納まっている。自己を守る利だ。
人々は自分の社会的位置を脅かずに豊かになろうとしてる。
192 :
考える名無しさん:2009/07/08(水) 22:00:22 0
>>191 人間には善いことをしようとする本性があるんだよ。
「善いことを考えると健康になる」という仮説は科学的に証明されつつある。
193 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 08:12:34 0
>>191 >では、何故人は善を行うのか?何か超越的な力が働いているとでも?俺は偽善とはいっていない。
生まれ育つ段階に於いて、社会から受けた悟性と理性の働きの内、理性が善を求める働きをするのです。
善に利を絡めたものを偽善と呼びます。
>生きたい、満ちた生活もしたいというのも欲だろ。
生きたい、は本能で満ちたりた生活をしたいと思うのは望ですが、その努力をせずにとか人並み以上を求めれば欲に変わります。
>あまり欲が強すぎて周りの共同体の人たちに痛み付けたら
>自分の立場を危うくするから人々は枠のなかに納まっている。自己を守る利だ。
>人々は自分の社会的位置を脅かずに豊かになろうとしてる。
これも先程と同じで、偽善です。
みんなで共に豊になろう、と考えるべきなのですが最近は特に偽善的思考で物事を判断する者達が増えているのです。
その原因は、社会全体に悟性が強まってきたからですね。
なんか漠然と話しているようだけど、
ちいさな善行をひとつつんでいくのは誰でも出来るから対象外として、
たとえば巨大な信念に基づいて善行を行おうとするある国の政治家なんかが
必ず現れるだろう、信念の障害になる人間やものをどうしたいと思うだろうね?
理念のために、その人やものを排除するのがだいたいのしきたりだけど、
排除は善行じゃないだろ?
でも巨大な理念の前の瑣末事だとも言える。
だから、戦争を正当化したり軍備を強化する事を正当化したりするんだが、
この「瑣末時」についてはどう思うのかね?
195 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 09:17:20 O
理性が善を求めるということは善を欲する利益の欲求ではないのか?
俺は善を行い、心が満たされたりすることは良いと思う。ある善を行い、何も感じないのはおかしくないか?
あなたは、望み、欲とわけ隔てて理由ももっともだが俺から見れば
自分の存在を保っていく、向上させる行為についてはすべて利であると考えている。
ほとんどの人は望み→欲のステップを踏むでしょう。
自らの生活、足場が固まっていないのに努力もせずに人並み以上を望むのは愚か者で頭が悪い人がすることでしょう。
ほとんどの人はそんなことをしては自分の利になる確立は低いことを知っている。
ある地点で生活を満足するのも自分のために有効である。でもそれは人それぞれである。
社会のためとか、人のためと善を行える人は自分が社会共同体の有機的存在としての認識が強いから
それは少なからず人々の中にあると思うし、社会的共同体をもう一人の自分として認識してるから。
しかし、現在はさまざまな価値観、考え方、情報が横行しているから
みんなバラバラになり共同体の認識が薄まりつつある。
196 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 09:52:10 O
ほとんどの人は道徳や俗的に正しいとされることを何も疑う事無く神聖と無意識に思っている。
人のために、社会のためにと心を燃やす人に何故と問い詰めても人のために、社会のためとしか言えないだろう。
本質的を忘れて形骸化している。
197 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 09:53:46 0
>>194 罪を憎んで人を憎まず、何て言葉が有りますが私なら罪を哀れみ人を育てる、としますね。
巨大な信念に基づいて善行を行おうとするので有れば、人々の心に理性を育てる智恵を持てば良いのです。
つまり、人(肉体)を排除するのではなく人々の心を悟性から理性に入れ替えれば済むだけの話ですよ。
198 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 10:20:18 0
>>195 人類社会は支配層の都合上、望と欲を分け隔てず曖昧な精神を持つことを良しとし管理維持してきました。
つまり、人々が欲と望を分け隔てる知能を備えてしまったら、人は欲がなければ生きられないとする現体制が崩壊してしまうのです。
常に人々を欲に走らせることで、その欲を利用し人類社会システムの構築がされているのです。
しかし人類はそろそろ、この曖昧さに疑問を持ち理性を備えた多くの新人類が現れるであろうと予測された時代が今現在なのです。
>>196 人間として産まれた義務(使命)が、過去から受けた時を育み少しでも良い時代とし未来に受け渡すことだからです。
ジャンケン最強伝説
ジャンケンしてる子供の頭をひっぱたくカーチャンがいる
200 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 10:41:45 O
資本主義から社会主義へ変わること?
201 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 11:02:19 0
>>200 理性を備えた多くの新人類が現れ、その中でも特に高度な理性を育てた者達が個々の自由と平等を重んじ、世界を管理する時代がきます。
202 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 11:29:35 O
この世界が好きな者は、この世界が嫌いな者よりも人生を楽しんでいる。
人生を楽しんでいる者は、楽しんでいない者よりもこの世界が好きだ。
この世界が大好きだという者からは自然に愛が溢れだす。
理性による善行は、偽善でしかない。
本当に優しい人間は、自分が優しいということを知らない。自分は優しい人でいたいと、優しい人を演じている者が自分が優しい人間だと知っている。
本当の善人は自分が善人だということを知らない。知っているのは善人を演じている者。
これはドット君の大好きな広辞苑から。
【偽善】
本心からでなく、みせかけにする善事。
理性ではなく、本心から行動する方がいい。
無防備に楽しんでいる者から愛は溢れだす。
ジャンケン最強伝説
204 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 13:07:44 0
>>202 どうやら、支離滅裂君が迷い込んだみたいだね。
>この世界が好きな者は、この世界が嫌いな者よりも人生を楽しんでいる。
この世界が好きな者も嫌いな者も誰もが人生を楽しんでいる、と言い
>人生を楽しんでいる者は、楽しんでいない者よりもこの世界が好きだ。
人生を楽しんでいない者よりも、と言う矛盾を羅列しているのです。
理性と善の法則的繋がりはレベルが低すぎ、議論するまでも有りません。
>>197 >人々の心を悟性から理性に入れ替えれば済むだけの話ですよ。
甘いね。教育をすんなりと何でも頭に入れられる、
また積極的に善性の志で自らを理性的に練り上げる、
そんな人間がどれほど少数か社会を見ればわかるだろう。
簡単に理性を受け入れる少数の人間以外の大多数、
その場の感情で物事を処理する人間は、悪ではないが信念の実現の障害になる。
そこで葛藤が起こる、それは小競り合いから世界戦争まで規模はさまざまある。
感情も欲望からくるが、信念だって欲望に規律を与えただけのものだ。
個々人の欲望は、体に個体差があるから完全に合致して解け合う事はない。
人間から葛藤をなくす事は、人間に欲望がある限り不可能だと言っても良い。
>>204 いや、君の論理のほうがおかしいよw
ふつうに考えて。
>>204 >
>>202 > どうやら、支離滅裂君が迷い込んだみたいだね。
ドット君の理解する能力に問題があるのでは?
> >この世界が好きな者は、この世界が嫌いな者よりも人生を楽しんでいる。
> この世界が好きな者も嫌いな者も誰もが人生を楽しんでいる、と言い
誰がそんなことを言ったんですか?
> >人生を楽しんでいる者は、楽しんでいない者よりもこの世界が好きだ。
> 人生を楽しんでいない者よりも、と言う矛盾を羅列しているのです。
どう矛盾しているの?
説明して下さい。
> 理性と善の法則的繋がりはレベルが低すぎ、議論するまでも有りません。
そうです。理性と本当の善の間に法則的繋がりは殆どありません。
理性と偽善は繋がりますけどね。
議論するまでもないですね。
理性(論理的思考能力・推論する能力)が優れていても善人とは限らない。
理性(論理的思考能力・推論する能力)が乏しい人でも善人や心優しい人はいくらでもいる。
法則的繋がりはない。
209 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 17:27:14 0
>>208 同意
理性的であることが善で感情的であることが悪と言わんばかりの主張は
少なくとも日本人の体質には合わない。
日本人から見た「西洋哲学の根本的欠陥」は
「感情の認識論的位置付け」が極めて浅薄であることだろう。
>>204 ドット君は自己愛性人格障害だろ。
いや、ドット君は悪くないよ。気を悪くしないで。病気なんだから。
要は
『善悪で強烈な苦を感じてしまう哺乳類の洗脳』
ゆえの思考でしょうね。下らぬ話。
かような『善悪という、∞通りの中の何通りかの感覚』などは
定義次第で∞通りでありますぞ?
例えば。
地球温暖化に貢献するから貴殿らの携帯・PC使用は極悪!!
ドットもそう!!!徹底した非文明的な集団からすれば
ドットなど自己満足で温暖化に貢献する悪人にすぎませんね。
あと。変態ドMにとっては、
例えば通勤途中に女性にキモイと言われたり
女性に痴漢でっち上げされるのを、強烈な快感だから善と感じるでしょう。
私などそうですのでね。
つまり!善悪など貴殿らの狂信に過ぎませぬ。
貴殿らは悪という感覚で苦を感じる。
よって、その苦の回避の為に、善悪を定義したがる。
重要なのは
『善悪よりも、快楽か苦痛か』でありますぞ?OK?
212 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 21:51:45 0
こんな板哲学じゃない・。みんなしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねおれはさる。
213 :
考える名無しさん:2009/07/10(金) 01:49:41 O
198 俺にとって望とは中世村社会や情報が完全に封鎖され、孤立的な共同体か
強固な意志をもつ共同体しか存在しないと思う。すなわち出来ることに制限がついてくる状態
資本主義以降のすべての門戸、情報が溢れれば制限がなくなってくるのは当然。
哲学板の人なら分かると思うが永遠や永遠の成長というのは宗教的な幻想にすぎない。
いつか人間は滅びたり、適応進化、突然変異により違う生きものになる。
今は、民主主義だが王制、独裁制に変化するのは否めない。
赤子、ラクダ、獅子の三様の変化のように我々は成長じゃない変化の流れのなかに身を置いている。
人間は目的に向かって動的に動くときに五感が刺激され
舞い上がる高陽感がこの世で唯一の正義であり、生きる意味であり、善であると確信している。
人間は自分のことが一番大切なのだよ。
214 :
考える名無しさん:2009/07/10(金) 07:33:07 0
理性とは、事物の本質をとらえる思考の形式的と言う概念のつながりを指すのです。
つまり、理性が稀薄であれば事物の本質をとらえられず、善悪を弁別することなど不可能なことです。
哲学とは、この理性を通して事物の全てを考査することだよ。
ネオマトリクス・君には意味が分からないだろうね。
215 :
考える名無しさん:2009/07/10(金) 07:42:24 0
>>208 >理性(論理的思考能力・推論する能力)
>法則的繋がりはない。
おやおや、論理とは思考の法則的なつながりを指すのですよ。
>>215 理性と善の間には、法則的繋がりはないということだよ。
理性(論理的思考能力・推論する能力)が優れていても善人とは限らない。
理性(論理的思考能力・推論する能力)による思考が苦手な人でも、善人や心優しい人がいくらでもいる。
>>204の説明が欲しいんだ。俺の表現に問題があるのかも知れない。
君がどのように解釈したのか教えてくれないか。
>
>>202 > どうやら、支離滅裂君が迷い込んだみたいだね。
> >この世界が好きな者は、この世界が嫌いな者よりも人生を楽しんでいる。
> この世界が好きな者も嫌いな者も誰もが人生を楽しんでいる、と言い
> >人生を楽しんでいる者は、楽しんでいない者よりもこの世界が好きだ。
> 人生を楽しんでいない者よりも、と言う矛盾を羅列しているのです。
> 理性と善の法則的繋がりはレベルが低すぎ、議論するまでも有りません。
>
>>211 何故、悪に対して不快になるのか。
例えば「モラルを守らなければいけない」という観念に支配されている者が、モラルを守っていない者を見た時、「俺は守っているのにあいつは守ってない。けしからん。」となる。
「これは自分が我慢しているやっているのに、あいつは我慢していない」という嫉妬心である。
最初のうちは自分が損したような気分になり、自分の嫉妬心を自覚することが出来る。しかしやがて、途中の思考は省略され「あいつはモラルを守っていない。けしからん。」と自分の嫉妬心にさえ気付かなくなる。
善に束縛されている者が悪を憎むのは、実は嫉妬心なのである。
218 :
考える名無しさん:2009/07/10(金) 12:34:12 0
>>202 >これはドット君の大好きな広辞苑から。
ならば広辞苑で【智・知】を検索してご覧なさい。
ヒント・物事を理解するのには理性が不可欠です。
>理性による善行は、偽善でしかない。
と言う言葉が如何に支離滅裂か気が付くかな?
対角化できないドットであった。
>>218 >
>
>>202 > >これはドット君の大好きな広辞苑から。
> ならば広辞苑で【智・知】を検索してご覧なさい。
> ヒント・物事を理解するのには理性が不可欠です。
> >理性による善行は、偽善でしかない。
> と言う言葉が如何に支離滅裂か気が付くかな?
そこか?
これは善だからとする善事は偽善。本心からではない。
解るかい?
自然に発生する愛や相手への思いやりから行動する時、それは善だという意識は無い。
221 :
考える名無しさん:2009/07/10(金) 20:05:17 0
>>220 >理性による善行は、偽善でしかない。
と
>これは善だからとする善事は偽善。本心からではない。
はイコールでは有りません。
理性は正や善を司り、悟性は誤と悪を支配します。
従って「悟性による善行は、偽善でしかない。」綴れば正解です。
>>221 >
>
>>220 > >理性による善行は、偽善でしかない。
> と
> >これは善だからとする善事は偽善。本心からではない。
> はイコールでは有りません。
> 理性は正や善を司り、悟性は誤と悪を支配します。
> 従って「悟性による善行は、偽善でしかない。」綴れば正解です。
>
いや、俺が言っているのは、その善の源泉が愛によるものなのか?ということだ。
理知の中、どこを探しても愛をみつけることはない。
理知は表面的なものだ。愛はもっと奥深くから流れだす。
理知による善行はみせかけに過ぎない。
君には理解すら出来ないだろう。
223 :
考える名無しさん:2009/07/10(金) 20:25:34 O
>>221 悟性って言葉で何を意味してるの? ドイツ語の Verstand? 英語の understanding?
じゃあ理性は? reason? 推論(reasoning)する機能としての理性?
>悟性が誤と悪を支配します
とは、どこかの定説でしょうか?
224 :
考える名無しさん:2009/07/10(金) 20:38:19 0
人が善悪を語るほど傲慢な行為はない。
225 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 00:05:05 0
善と悪については何らの論理的関連はない。
文化や文明に拘わるだけである。
226 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 00:17:28 0
>>222 全てを包み込む大きな愛から産みだされる心が、全てを正確に推し量れる理なのです。
その理の持つ性質(理性)が人に物事を理解させ、是非・善悪を弁別する智と知の作用を促すのです。
また、この理性は是非・善悪を弁別するだけではなく善を慈しみ悪を退ける働きをするのです。
そして、智・知の作用とは人の知能を育て、知識を集め智恵を産みだすと言う働きをもします。
227 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 00:26:28 0
>>223 哲学を行うなら日本語で十分です。
>悟性が誤と悪を支配します
これは真実で、定説ではありません。
>>224 >人が善悪を語るほど傲慢な行為はない。
善悪に付いて、鶏や犬が語れますか?
>>225 >善と悪については何らの論理的関連はない。
読みが浅いのですよ。
228 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 00:38:01 0
>>227 >善と悪については何らの論理的関連はない。
>読みが浅いのですよ。
善悪を論理で繋げようとするのは「執着」でしかない。
>>227 そもそも「悟性」というのは、日本語ではありませんが。w
百歩ゆずっても、言葉を明確に定義しなければ
厳密な議論などできはしません
>>226 >
>>222 > 全てを包み込む大きな愛から産みだされる心が、全てを正確に推し量れる理なのです。
> その理の持つ性質(理性)が人に物事を理解させ、是非・善悪を弁別する智と知の作用を促すのです。
> また、この理性は是非・善悪を弁別するだけではなく善を慈しみ悪を退ける働きをするのです。
推し量るのは理ではない。推し量るとは評価しているだけのこと。
是非にしろ善悪にしろ、それはただの評価だ。美醜や優劣・貧富・差別などと同じように、物事に差をつけている。
君は「超自我」とは何か知っているかい?
君の言っている理性は、論理的思考や推論能力ではなく、超自我のことを言っているんじゃないかね?
次は来週にレスするよ。
231 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 09:11:19 0
>>227 >善悪を論理で繋げようとするのは「執着」でしかない。
理性が人に物事を理解させ、是非・善悪を弁別する智・知の作用をもたらすのです。
この流れは、論理という思考の法則的繋がりで組まれているのです。
【理性】A真偽・善悪を識別する能力。
>>227 >そもそも「悟性」というのは、日本語ではありませんが。w
悟性は何語でしょうか?
>百歩ゆずっても、言葉を明確に定義しなければ
>厳密な議論などできはしません
本当は、言葉を明確に定義できる脳が必要なのです。
哲学的に悟性の捉え方は明確では有りませんが、
私の探求では悟性とは理性に対する語としての結論に立っています。
232 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 09:31:29 0
>>230 >推し量るのは理ではない。推し量るとは評価しているだけのこと。
ただ、推しはかるのではなく「全てを正確に推し量れる」と書いてありますよ。
ですから、君の言う評価とは違います。
>君の言っている理性は、論理的思考や推論能力ではなく、超自我のことを言っているんじゃないかね?
超自我とは損得のため無理に己の自我を抑え、世間に合わせる偽善を指します。
つまり、完全に自分を隠し善人を演じ切ると言うことですね。
しかし、超自我は常に強いストレスを抱えていますので、いつ爆発しても不思議ではない危険な精神状態に有るのです。
>>232 ついに、「ドットの理性=超自我」を認めましたね。
それならOKです。
234 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 12:29:56 0
>>233 〃シッシッ〃
馬鹿が移ると危ないからあっちに行け。
235 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 13:17:29 0
>>229 ある言葉について
「意味を明確に定義する」という態度と「意味を文脈から判断する」という態度は
明らかに矛盾するのではありませんか?
君の御都合主義的な主張に辟易しているのは僕だけではないと思います。
236 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 14:03:50 0
238 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 18:06:29 0
理性が肥大化すると独善という化け物が生まれる。
その化け物は他者をことごとく裁き、自身がまるで神であるかのように振る舞う。
BY俺
239 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 18:50:39 O
俺が正しいとかそれは絶対的ではなく、人それぞれ正しいと思っていることに築け。
独善をやる馬鹿は世界が見えてない証拠。なぜなら人は一人一人異なる精神宇宙があるから。
240 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 19:01:33 O
あまり、憎しみや痛みが強くなるとそれに伴うストレスが生じる。
ストレスを発散させるため欲も肥大化する。発散できなければ鬱病となる。
これはスターウォーズのダークサイドである。
それに反し、ジェダイは理性の肥大化により欲を押さえ精神に安定をもたらしているのである。
重要なのは
『善も悪も、∞通りのフラクタルの一種』
ではないでしょうか?
どんな定義が、感覚が=で結ばれ善・悪どうなるか、
『フラクタルとして∞通りに既に存在している』
訳で、貴殿らが何を善と崇めるかも
『∞通りのフラクタルの中の一種』であって、別に善悪は特別な事では無い。
単に∞通りの中で、どう変化するか。これだけ。
変化の仕方は快苦なので、まあ、どんな自称聖人君主も、快苦には負けますぞ?
242 :
考える名無しさん:2009/07/15(水) 07:01:19 0
ネオマトリクス
そりやぁ君、ただ単に脳味噌の問題だよ。
頭が悪けりゃ善悪を分け隔てられず、考えれば考えるほどフラクタル(複雑怪奇)に見えてくるもんだよ。
一番の解決方法は、考えないことだね。
それからメビウスリングの話だけど、輪を一度切り放して捻りを入れて着ければ球体と同じに裏表は無くなるのだよ。
つまり、君の不思議は不思議でも何でもなく君の頭が悪いだけだね。
243 :
考える名無しさん:2009/07/15(水) 10:12:07 0
『フラクタルとして∞通りに既に存在している』
こんなの意味が通らない。
「ネオマトの発言」において「意味が通る」のは、
『ネオマトがまたいつものようにマルチで書き込みする。』ということだけ。
これにおいては「∞通り」の「バリエーション」すらない。
そもそも「∞」ならば「数量」で捉えるものじゃないだろうが。
「1通り」だよ。
「ネオマト」の「支離滅裂な文章」は「文字の羅列」として「ゴミの塊」として「カウント」される。
「ネオマト」が「ゴミの塊」を「てきとうなスレッド」へ「書き込む」という「1通り」だけだよ。
244 :
考える名無しさん:2009/07/17(金) 20:41:40 0
☆善と悪について
誰か、面白い話はないのかね?
なななな^.^
246 :
541:2009/07/19(日) 11:09:40 0
「誰にとって」の善と悪を
語ってるんだオマイラ?
問題提起
犬にとっての善と悪について
アサガオにとっての善と悪について
248 :
考える名無しさん:2009/07/20(月) 07:36:07 0
>>247 どの犬、どのアサガオさんのことを言ってるんですか?
250 :
考える名無しさん:2009/07/21(火) 07:07:51 O
何を善とし、何を悪とするかは多数決で決まる
それだけのこと
司法が決める。
オレ善悪観
合理と不合理。成長と退廃。自由と束縛。
誰だって後者に晒されるのは辛いだろう。
行動を高尚そうな理論で飾る奴は、
「そういう感情が無かったら何もしなかっただろ?」と懐疑してやるべき
世の中に多く溢れる善悪観は、快か不快じゃないか?
自分が気持ちよくても相手が気持ち悪がってたらダメです。
自分を気持ちよくしてくれる人を好きになりましょう、って。
それが正しいと言えるかどうかは、麻薬を正しいと言えるかどうかだ。
255 :
考える名無しさん:2009/07/24(金) 11:13:22 0
787 :名無しさんの主張:2009/07/21(火) 16:36:06 ID:???
長期的に、狡猾に、執拗に社内いじめをしているのにもかかわらず、退職しない弱者社員に対して、
業を煮やした沖電気関係退職勧奨者側が、K谷Aずみ診療の医師と共謀して、弱者社員を退職、自殺に追い詰めた犯罪行為例
まず、いじめ首謀者の一人が、弱者社員から受けたとする虚偽捏造のセクハラ被害を訴える。
退職勧奨者側は、事実確定として、弱者社員の処分を決定。医師に事実として伝え、弱者社員は精神が病んでいるので、
統合失調症の診断をするよう依頼。ここまでの流れは弱者社員不在、事実確認無しの状態で行われた。
その後、事の真相を知り、冤罪を訴えた弱者社員に対して、圧力、強要、脅迫を重ねて、存在しない事件の罪を被せた。
しかも診断書代は弱者社員に支払わせて、診断書は退職勧奨者が取り上げ、返却に応じない始末。
退職勧奨者側は、セクハラ申告者が嘘をつく筈がない。医師が統合失調症の診断をしたから、事実だと主張。
医師側は退職勧奨者が精神が病んでいる社員が事件を起こしたと聞いたからだと主張。
犯罪行為の企画、立案、立役者 実行者 キャリアアドバイザー大・春
256 :
考える名無しさん:2009/08/01(土) 07:45:07 O
中学の時にあれ?と思って高校の時に確信した。
みんな自分のことしか考えてないって
人間はつまらないんだなって、性善説信じてた俺が悪かったわ
どういうのが善かと簡単に分からないから良いんだよ。
何が善なのかなあと考え続けることに意味があるんだ。
258 :
考える名無しさん:2009/08/05(水) 09:18:52 O
端的に人生の目的を言うと
目標に向かって動く動的な働きを介して、脳内麻薬を分泌させて
五感、精神を輝かせることにあるんだよ。
恋愛、夢、ちょっとしたことでもいいから
そして子供を生んで未来に自分を永遠につづかせる期待値を築く
259 :
考える名無しさん:2009/08/05(水) 09:24:35 0
人生の目的とは自己増殖だよ。
>>256 俗に言う善人は単に『他者に快感を与えるのが、快感だからやってるだけ』なので
結局は万人が
『快感だから〜をしてる』だけなのですぞ?
いや、厳密にはそうでなはい。
『意識は観測できず存在できないので
他人の行動は全て物理法則にしたがった結果』です。
他人に意識・心は無い。
善悪は『物理的現象をどう定義するか』で
定義次第で∞通り。これ。これだけ。OK?
DID YOU UNDERASTAND??????????????????
261 :
考える名無しさん:2009/08/08(土) 22:28:42 0
表面的には天使だけど、心の中は悪魔か?
262 :
考える名無しさん:2009/08/11(火) 14:48:14 0
自分の感情を押し殺してでも
他人のためつくし、
それが、自分に対して直接利益にならなくても、
他人に対して良いことなら
「やって良かった」と思うことを出来る人
が僕は良い人だと思う。
263 :
考える名無しさん:2009/08/11(火) 14:54:48 0
264 :
考える名無しさん:2009/08/11(火) 14:57:31 0
他人に対してよい事、でも大勢に対してよい事、にならない場合が多いんだなこれが
○○な人は○○な人よりも良い人
という比較がそもそもの間違い
266 :
考える名無しさん:2009/08/14(金) 14:42:18 O
262
やってよかったと思う快感が報酬だろ。
間接的な自己の利を追求してる。
267 :
考える名無しさん:2009/08/15(土) 14:33:25 0
人間のいう悪とは、
すべての現象の結果であり、社会を形成するにたる要因でしかない。
人間のいう善とは、
悪を、規制することをいう。
268 :
豆パン:2009/08/15(土) 14:58:41 0
人間のいう善とは、
すべての現象の結果であり、社会を形成するにたる要因でしかない。
人間のいう悪とは、
善を、滅ぼさんとする矛盾への闘いのことをいう。
>>267 これでもいい?
269 :
267:2009/08/15(土) 15:05:10 0
おk!!
270 :
豆パン:2009/08/15(土) 15:23:48 0
/\___/ヽ
/'''''' 豆 '''''':::::::\
. |(●), 、(●)、.:|
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::| ←ok出されて薄っすらと喜んでいる感じを表現してみました。
. | `-=ニ=- ' .:::::::|
\ `ニニ´ .:::::/
/`ー‐--‐‐―´\
271 :
考える名無しさん:2009/08/15(土) 15:37:29 0
,.、,、,..,、、.,、,、、..,_ /i
;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゙:.:゙:`''':,'.´ -‐i ←ちなみにこれはエビフライです。
'、;: ...: ,:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙  ̄  ̄
善悪なんかこっちかあっちぐらいの違いしかないだろ
時代に乗り遅れないこと。
善悪の基準。
自分で善悪を決めること。
もちろん可能。
ただし、それ自体がその時代の善であるばあいだ。
つまり、いまの時代に、自分で善悪を決めることはあまり
善とは認められない。
だから、今のところ、既成の善悪を、受け入れつつ、
自分の、善悪を、温め、時代がきたら、一気に、変革。
それが、ぬるぬる。
所詮善悪なんていうのも弱い人や頭弱いやつが文句言う為にわけただけだ
275 :
考える名無しさん:2009/09/14(月) 15:41:09 0
以前は、世の中(世界)がうまく「循環」するのが善で「破壊」するのが
悪だって個人的に決めて(個人の定義)いたけど、
今とは違った世の中になるためには既成の秩序が破壊されなければ
ならないこともあるんだよな。(望まない保守もいるけどね)
自然の原理でもいえる。恐竜の時代の終焉→哺乳類の躍進
人間なんか生まれないほうがよかった? ああ、ムズカ・・・
276 :
考える名無しさん:2009/09/16(水) 05:40:57 0
そう、自然の摂理。
普遍なんてものはない。
人間の存在が悪になるような善悪の基準は誤り
人間の存在そのものが他の生物や地球環境からみて悪ならば、人間のいうところの善とは悪が定義する善といえる。
泥棒で生計立ててる者が電車で老人に席を譲って、「今日は良い行いをした」と自分で納得するようなものである。
279 :
考える名無しさん:2009/09/29(火) 19:49:25 0
偽善者だとか自称するやつ
偽善者だから善い顔もできるし、悪くしても嘘にしておけばいいって言う野郎だ
嘘なんて言わないさ 物事の側面を言い当ててるんであって
自分で言うからにはそうなんだろ
てめえは人前で善い顔し過ぎるんだよ
嘘だとか本当だとか問題にしちゃあいねえの
悪質だから問題になってんだ
それを実は嘘だったから責任逃れしようなんて甘ったれんな 気持ち悪いぶりっ子野郎
悪い影響があったので弁償しろ 判ったか
280 :
考える名無しさん:2009/09/30(水) 16:44:41 0
容姿の美しい人の振る舞いがすなわち善。
容姿の美しい人の犯す犯罪は全てブサの嫉妬から始まっている。
すなわち全部ブサの嫉妬が悪い。容姿の美しい人間の行いこそが善なのである。
史実の悪女伝でも読んでシコってろよ
,.、,、,..,、、.,、,、、..,_ /i
;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゙:.:゙:`''':,'.´ -‐i ←これは善?これは悪?
'、;: ...: ,:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙  ̄  ̄
283 :
考える名無しさん:2009/10/13(火) 17:33:57 O
善と悪について
ととにについて
ついてについて
ていて
284 :
考える名無しさん:2009/10/13(火) 18:29:59 0
善と悪というのは、2人以上の人がいれば発生する。
一人だけの世界ならば、善も悪も基本的には定義は自分である、天に向かって唾を吐けば自分に当るだけ。
2人以上であれば、一人の行動が相手に不利益を与える。これが悪の始まりであるといえる。
利益を与える行動は善であるといえる。
民主主義社会において、善と悪の定義は、大多数の意見が善で、少数が悪といえる。
たとえば、盗みをしても、国民の半数以上が賛成であれば、その盗みは善である。
近代では戦争などが良い例であるといえる。
結論。民主主義社会では、大多数が賛成すれば、なにをしても、その行いは善。
また、逆に、後世に善であると認められても。現代で大多数の人が悪と賛成すれば、
その行いは、どんなに後世では素晴らしい善であっても、悪だといえる。
あー、なんか、めんどくせー
あと、誰かお願い。
>>284 2人ならまだいい。
ケーキが等分割出来る。
3人が良くない。
何故なら割りきれないからだ。
不平等が悪を生む原因に成りかねない。
悪は善と対比される概念である。
元々は「悪源太義平」にみられる「突出した」の意をもつ。突出して平均から外れた人間は、広範囲かつ支配的な
統治、あるいは徴兵した軍隊における連携的な行動の妨げになり、これゆえ古代中国における「悪」概念は、
「命令・規則・誠治に従わないもの」に対する価値評価となった。一方「善」概念は、「皇帝の命令・政治的規則に
従うもの」に対する価値評価である。
なお現在の日本での悪概念は、西欧の価値観に近いものとはなっているが、依然として相違を含んでいる。
人間が善悪を意識、判断する場面は様々だが、家庭での躾から、教育、スポーツ、法律など、秩序を必要とする
あらゆる場面で見出せる。生活に即したものとして宗教で、娯楽や伝承として物語の上で取り上げられることも多い。
その際は、善をすすめ悪を除外すること(勧善懲悪)、善と悪との対決などがしばしば注目される。
善と悪は解釈や判断によって入れ替わる場合もあるため、人間は善であり、かつ悪であるという両立した存在である
と見なせる。規則(ルール)や規範という形で存在するものは、このような混乱を避けるためによく用いられる手段で
ある。
288 :
考える名無しさん:2009/12/22(火) 22:53:54 0
ageんのは悪
289 :
考える名無しさん:
その時々の風潮が抽象的に形成し続ける道徳に沿った行動が善
それ以外が悪