赤色はホントに赤色?2

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458考える名無しさん:2009/12/02(水) 10:07:48 O
何が言いたいかというと共通認識自体が幻想であり嘘
共通反射が幻想の中の共通

けど全部嘘
459考える名無しさん:2009/12/02(水) 12:08:36 0
全ては幻想だなんていってるくせに
まだ「脳の」なんてつけてるところが
馬鹿まるだしw
460考える名無しさん:2009/12/02(水) 12:43:55 O
脳が「感じる」と関係しているのはたしか
意識が「感じる」と関係しているのもたしか
脳=意識とも脳≠意識ともなんともわからないのもたしか

で、お前のその一つが絶対正しい訳をおしえろ
それが他人から五感を使って教えて貰ったのなら幻想は間違いない
まー俺に言ったところで同じか

とりあえず幻想の積み重ねを正しい事実とする根拠を教えてくれ
それが言えないならお前が馬鹿だ
461考える名無しさん:2009/12/02(水) 12:53:35 0
すべてが幻想なら
「脳が「感じる」と関係している 」も幻想なんだけど。
馬鹿ですか?馬鹿なんですね。
462考える名無しさん:2009/12/02(水) 12:57:31 O
馬鹿か?
だから全部幻想だといってるだろ?
わざわざ「脳の幻想」とまで
463考える名無しさん:2009/12/02(水) 13:02:28 0
馬鹿はおまえだよw
全ては幻想だなんていっておきながら
それがなにを意味するのかわかっていない。
なにも理解できてない、ただの馬鹿だよ。
464:2009/12/02(水) 13:06:16 O
赤は赤だ
幻想じゃない
465考える名無しさん:2009/12/02(水) 13:21:38 O
とりあえず、その幻想の中の意味がなんで正しい事実とお前が感じているのか答えてみろ
466考える名無しさん:2009/12/02(水) 13:50:09 0
馬鹿だな。
「全てが幻想だ」なんて言ってるのはおまえのほうなんだけど。
なんでおれに答えを求めるんだよw
467考える名無しさん:2009/12/02(水) 14:03:13 O
まー幻想でないにしろ
正しい事実自体存在しないからな
その答えでいいんじゃねw
468考える名無しさん:2009/12/02(水) 15:25:43 0
馬鹿は自分の言ってる事が矛盾していてもわからない。
指摘しても気付かない。
なぜなら馬鹿だから。
469考える名無しさん:2009/12/02(水) 17:15:43 O
もう疲れた
やめにする
最後に聞くがお前は脳でなく意識が幻想を作ってるといいたいんだろ?

俺は脳=意識、脳≠意識だから
@脳が作った幻想
A脳=意識が作った幻想
B脳が作った幻想を意識が認識
C意識が作った幻想

でとりあえず全て脳を経由しているとってるから
脳の幻想って言い方をとってる


そこのズレか?

違うならもういい
470考える名無しさん:2009/12/02(水) 17:21:54 0
>>468
アホか。>>1のこの問題自体が矛盾した見方から出てるんだから矛盾した答えしか出ない。
歴史的に有名な哲学者たちも矛盾したことしか言えてないぞ。
471考える名無しさん:2009/12/02(水) 17:31:22 0
>>470
ほう、では>>1の矛盾を指摘したまえ。
472考える名無しさん:2009/12/02(水) 23:50:56 0
矛盾というか、意味の心象イメージ説を排したら、問いは無意味。
473考える名無しさん:2009/12/03(木) 10:10:07 O
クオリアって存在否定でしょ?
どぅぃうこと?
474考える名無しさん:2009/12/03(木) 12:39:58 O
>>473
クオリアは存在否定ではない。
ある情報が物理世界から精神世界に伝わる過程で起こる変換のこと。
具体例には、定量的情報が感覚的情報へと変換される。
475考える名無しさん:2009/12/03(木) 14:29:58 O
>>474
ちっと教えて。

足を無くした人が無くなった足が痛
いってあるでしょ?
これはどこから物理から精神に変換?
これは存在はなくてもクオリアはあるから、全部にあてはめて存在否定にならない?
476考える名無しさん:2009/12/03(木) 23:03:57 0
>>475
その場合は、
・足が痛いという過去に経験したクオリアを思い出した。
・足以外の何かが、足が痛いのと同じクオリアを発信している。
のいずれかと考えられる。
上記は、実生活的な立場で考えた場合の解答になる。
クオリアという言葉は一般的に、精神と物理を想定してて、その間での変換を説く言葉だから、
クオリアを認めた時点で精神&物理を認めることになっちゃう。
なので、どこまで否定するのか分からないが、存在否定には適さないかも。
期待した答えになってないとは思う。
477考える名無しさん:2009/12/03(木) 23:12:02 0
クオリアとか、カメラや録音機で再現されるものと何が違うんだ?
人間には、機械には無い、「認知能力と気分」があるだけだと思うが。
478考える名無しさん:2009/12/04(金) 00:09:45 0
>>477
まず人間を2人以上想定する必要がある。1人だとイメージするのが難しい。
では、あなたが今見えている景色の、赤の成分を青に置き換えてイメージしてくれ。
同様に、青を黄色に、黄色を赤に、置き換えてみてくれ。
(これはフォトショップとかのCGでふつうに出来る。色相をずらしただけ。)
あなたにとってはさぞや変な景色になったろうと思う。
だがもし、生まれた時からこんな風に見えている人がいたとする。
そいつはガキの頃、何の疑いもなく青を赤と名付け、黄色を青と名付け、赤を黄色と名付けただろう。
そして今でも何の疑いもなく生活している。

って感じでどう?
479考える名無しさん:2009/12/04(金) 00:44:38 0
>>478
つか、カメラって、映った通りに再現するじゃん。
脳も、クオリアなんて概念は不要で、映った通りに再現してるだけだと思うのよ。
人間の場合は、生体的な性能差や劣化で、映りがおかしくなったりするだけで。
480考える名無しさん:2009/12/04(金) 07:37:05 O
>>476
ありがとうす。

ではでは
もう少しお付き合いをお願いしたい。
経験のクオリアは例えればデシャブのようなものではないの?(例えぉかしい?)
昔、足をぶつけた→同じような場面に出くわした→痛いと感じる
このよな場合、足が無かったら同じような場面は存在しなく想像のみ。
始まりから終わりまでが想像。


あと、知識のクオリアというか。想像妊娠とか神様とか幽霊とか(これも例え悪ぃ?)
知識は想像だけで存在を肯定できるから、足が無くてもだいじょび。

考え方だけかもだけど上の二つだけでもクオリアは想像でも生じるとも考えること出来てる?
極端、意識だけ引っこ抜いてればからだや世界はなくてもよし。
そんでもってクオリア=存在はいらない。

ってなったら面白いからこだわってます。
481考える名無しさん:2009/12/04(金) 07:38:27 O
夢中でsageman忘れてた。

ごめん
482考える名無しさん:2009/12/04(金) 08:49:57 O
写ったとおりに再現って、ひっどい表現だな〜w
(意図を汲み取れてないのかもしれんが)


あるカメラに写った内容は、写真やビデオ画像を見れば確認できる、とは言えるかもしれない
では、ある他人が見た内容は、確認できるのか?
さらには、自分が見るというのはどういうことか?その内容を確かめるとか何とかいうことはあるのか?
483考える名無しさん:2009/12/04(金) 12:50:53 O
>>479
カメラでいうと、撮影したフィルムは同じでも、人によって現像の仕方が違うって感じかな。
赤や青の光には、そもそも本当に色がついているのか?を考えてみよう。
光はただの波長なのだから、波長の数値の差こそあれ、色彩など本来自然界に実在しないわけだ。
ここで人はというと、意識の中で、それぞれ波長の数値ごとに異なったイメージを与えることで、波長の差を判別している。
これが色だ。
つまり色(色の差でなく、絶対的な色の感覚)は人の精神が作り出したものと言える。

人間の構造は皆さん基本的に一緒なのだから、色の絶対感覚も同じだろう。
と予想してみる気持ちは分かる。
484考える名無しさん:2009/12/04(金) 13:11:18 O
>>480
言いたいことは分かる。
クオリアを感覚全部とするか、変換されたものだけとするかは、学者達も意見が分かれているようだ。
もし前者とすれば、クオリアという言葉自体が感覚と同義になってしまい、わざわざクオリアという言葉を設定する意味がなくなるため、
俺は後者の立場をとっている。
あなたは前者の立場でレスしているので、クオリア=全ての感覚 と捉えており、
全ての感覚は妄想かもしれない→存在否定
という理論を展開したわけだ。
これはこれでアリだと思う。
単なる言葉の定義の相違に過ぎないと思われ。
485考える名無しさん:2009/12/04(金) 14:29:15 0
>>483
単なる波長であっても、波長によってエネルギーが異なるから
感光したときに、その違いが色として現れるわけでしょ。
フィルムもしくは感光素子は、それを忠実に表している。
人間と機械の違いは、網膜から脳へ至るシステムか、フィルムもしくは感光素子か、の違いがあるだけで。
あと、人間はそれがブラックボックスになっているわけだが、そのことが将来技術的に解消されたら
問題だと思われていたことが、実は全く問題ではなかったってことがわかるかもしれない。
486考える名無しさん:2009/12/04(金) 18:44:14 O
>>485
人の場合は、網膜から脳に到るシステムのもう一つ先に、脳から意識に到るシステムがある。
そこがクオリアの論点になる。
487考える名無しさん:2009/12/04(金) 23:20:47 0
んー、パソコンなんかも、カメラ付けたら、映っているところは
クオリアなんか無くても、ちゃんと認識してるよね。能動的な解釈ができないだけで。
能動的な解釈は、クオリアとは別物なんじゃないかな。
488考える名無しさん:2009/12/05(土) 01:29:11 O
>>487
ちょいごめん。

「パソコンにデジカメを接続したら、撮影された画像データはちゃんとパソコンに認識されてるしモニターに表示も出来る。
パソコンは光の波長を色で表現することが出来たと言える。クオリア?」

という解釈で合ってるかな?
489考える名無しさん:2009/12/05(土) 01:29:26 O
みなさん、ファジー理論をやっているバカですか?
490考える名無しさん:2009/12/05(土) 01:32:45 0
>>488
そんなところだな。
逆に、クオリアを認めたら「パソコンにクオリアあったら人間になれるの?」とも言える。
491考える名無しさん:2009/12/05(土) 03:01:27 O
>>490
なるへそ。おそらく言いたいことは理解した。
人の脳内には意識領域と無意識領域があって、俺達は意識領域でのみクオリア(とりあえず感覚としといて)を感じてるわけだが、
パソコンはというと、常識的見解では無意識領域しか持たないから、クオリアはないと思われている。
これが一つ。

次に、もし万が一、脳の無意識領域の活動でもクオリアが用いられていたとすると(ただし意識領域と情報交換するときは除く)、パソコンにもクオリアがあることを認めざるを得ないな。

眠くて変なことを書いてる気がするので起きたら見直させて。
492考える名無しさん:2009/12/05(土) 14:07:23 O
起きた。
後半について、無意識でもクオリアが用いられているとは考えにくい。
パソコンにクオリアはないようだ。
493考える名無しさん:2009/12/05(土) 20:50:09 0
パソコンのレベルじゃまだまだ駄目だろう。
情報を意識のある人間に入力してもらわないといけないからね。
パソコンは無意識で、パソコンを扱っている人間に意識がないと動かない。
意識の発生までは、まだまだだ。
コンピュータがコンピュータを動かしながら動かされる関係を持つレベルじゃないと。
494考える名無しさん:2009/12/05(土) 23:25:53 0
遅くなってすまんね。
クオリアが、受動的に作用するものではなく、能動的に作用するものなら
クオリアではなく、能動性が問題になるのでは?
結局、カントやフッサールに回帰してしまうような。
495考える名無しさん:2009/12/05(土) 23:31:25 O
哲学はフッサールからやり直すべきじゃないだろうか。
496考える名無しさん:2009/12/06(日) 00:01:11 0
物理学との融合の試みとして、意識に科学的客観性を持たせるため、クオリアなるものを措定した場合
それが受動的に作用のであれば、物理学との融合の可能性もあるのであろうが
それが能動的に作用するというのであれば、やはり物理学との融合は不可能だ、という話になってしまうと思うぞ。
497考える名無しさん:2009/12/06(日) 00:38:55 O
ちょい待って
いま言う能動的、受動的とは何を指している?

痛いなどの感覚が意識に入力されたときクオリアが生じる→受動的
腕を動かすなどの指令が意識から出力されるときクオリアを用いる→能動的

なのか、

パソコンは受動的、人の意識は能動的。

なのか。
後者かな?
498考える名無しさん:2009/12/06(日) 01:16:47 0
>>497
クオリアが「機械的に」作用することで、意識になるというのであれば
クオリアが完全に解明された暁には、パソコンでクオリアが「機械的に」作用するようにすれば
パソコンにも意識が生じるということ。
人間が意識的になるにあたって、長きに渡って言われてる、意思なり志向なりが必要なのであれば
クオリアとは別の、「能動的な何か(これまた未解明なものだが)」が必要で
これは物理学とは相容れないものだろうと。
499考える名無しさん:2009/12/06(日) 02:04:36 O
>>498
なるほど。
クオリアは意識が先天的に持っている言語のようなものだから、
その言語を操る能動的な者の存在があるはずだということか。
そしてその能動的な力を手に入れない限り、パソコンはパソコンに過ぎないと。
もっともだ。
この能動的な力こそ意識の真骨頂だと思うが、意識ってのは無意識の支配下にあるはずだ。
失神した人もそのうち勝手に起きるからな。
意識の秘密は無意識の中にある筈だ。
ちょっと無意識がエスコートする夢の世界に行ってくる。
500考える名無しさん:2009/12/06(日) 02:23:05 0
おやすみなさい。
夢の中の質感に、クオリアは作用しているのしょうか…
501考える名無しさん:2009/12/06(日) 09:51:14 O
おはよう
調査結果を報告する。

眠りに落ちていくとき、クオリアは徐々に消えていった。
眠りに落ちるとはよく言ったもので、本当に落ちていく感覚がある。
高い所から飛び降りた場合には重力を感じないが、それがゆっくり起こる感じである。
これはもしかすると、眠る際には、重力を感知する生体機能を意識が切り離す為に、無重力と同じ感覚が生じるのではと推察した。
また、超眠くなった頃を見計らい、目を開けて眠ることを試みた。
すると、見えている景色が徐々にブラックアウトする形で、景色が見えなくなっていった。
しかし、目が乾くので、そのまま眠りにつくことは俺には出来なかった。

眠りに着いた後、夢を見た。
下記は夢の内容説明。

朝起きると雨が降っていた。
時計を見ると8時半。
薄暗い部屋の中にいた。
テレビを点けたとき、誤ってトンガリコーンをベッドにぶちまけてしまった。
片付けるのも面倒なので、全部食べてしまうことにした。
食べ終わると雨が止んでおり、窓の外を隣の兄ちゃんが歩いて行くのが見えた。
ふと天井を見た。
この部屋の真上には両親の部屋があり、この部屋でHしたら聞こえるだろうなあと思い、
夢から覚めた。

以上が夢の内容である。
トンガリコーンの色、質感、重さ、臭い、味は見事に再現されていた。
また、雨で空気が冷んやりしているのや、テレビの音声も再現されていた。
むしろ再現されていない感覚の方が少なかったが、
明らかに再現されてなかったのは重力感。
あと、微妙なのは慣性力。
話のストーリーは、現実とは異なる箇所がかなりあるが、そのことには気づかなかった。
502考える名無しさん:2009/12/06(日) 16:32:11 0
眠っている時ってのは、どういう位置付けになるんだろうね。
普通に考えたら、「無意識の状態にある」ってことになるんだろうけど
そうなると、夢の中の質感は、無意識でもクオリアが作用するということを示していることになる。
下世話な話、淫夢を見て射精してしまうこともあるわけで、夢の中の質感が、具体的な生理作用をもたらしている。
何かが能動的に働きかけているように思えるのだが、その能動的な働きの源泉がよくわからない。
503考える名無しさん:2009/12/06(日) 17:35:36 0
>>502
俺はトンガリーコーンの夢を覚えているから、
夢の中の意識と、起きている時の意識が繋がっていることは断定できるはずだ。
夢は無意識によって用意されるけれども、その中に意識がちゃんと存在するってことになる。
夢精については経験が無いので何とも言えないな。
寝小便は経験があるが、その時はだいたいオシッコする夢を見てる。
しかも、夢でオシッコした時間ピッタリに現実でも排尿が起こっているんだよな。
夢の中でオシッコした瞬間、違和感を感じて跳び起きると、まだ排尿中だったりするから。
夢の中にも、生理作用のクオリアは割り込んで来れると見るべきだろう。
夢を見ずに眠ってる無意識な状態でも、オシッコしたいクオリアだけが意識として突如発生し、
夜中にトイレに立つなんてことはしょっちゅうある。
最初に能動的な働きをするのは生理作用で、
クオリアとか意識はそれについてくるって順番じゃないかな。
504考える名無しさん:2010/02/16(火) 18:00:13 0
大好きなアニメのキャラに入れて中出しした瞬間眼が覚めて
パンツぐちょぐちょでした
505考える名無しさん:2010/02/16(火) 18:51:44 0
おめ
506考える名無しさん:2010/06/19(土) 20:42:53 0
そもそもこれコミュニケーションの問題だから
メタ言語を疑わないならこの疑問の意味は無い
507考える名無しさん
>>15
おまいか!?