1 :
考える名無しさん:
私が見る赤色はホントに赤色?
味覚は?嗅覚は?
君の『あ』は私の『ぬ』かもしれない。
実は全く違うのに共通認識で=になってるだけでは?
2 :
考える名無しさん:2009/05/09(土) 02:03:12 0
>>1 また立てたのか?氏寝よ。削除依頼だしとけよ。
3 :
考える名無しさん:2009/05/09(土) 02:53:56 0
赤貝にこだわりすぎなんだよw
困る困らないということで言えば、私の「赤」と君の「青」が逆転してるかもしれない
という逆転スペクトルの問題は実際上何ら困った事態を引き起こさない、ということが
この問題の本質であり、そのことこそが逆に問題を考える上で困った事態を引き起こす、
というかそもそもこの問題は困る事態を引き起こさないように想定されており、
それは困ってしまうと問題が成り立たなくなるとか一体私は何を言ってるんだ?
5 :
考える名無しさん:2009/05/12(火) 01:34:46 O
くったらねぇw
6 :
考える名無しさん:2009/05/12(火) 03:07:10 0
inverted spectrumの問題ってのは、
困るか困らないかって問題じゃないから
万人の赤色が違うとしても、共通に認識している赤色が赤色だ
また立てたのかw
もし本気で立てたのなら、まず、「実は違うのに共通認識で=」というのが意味不明なので、
それを説明せんと。話はそれからだ。
9 :
考える名無しさん:2009/05/12(火) 18:13:28 O
クオリアですがな
10 :
考える名無しさん:2009/05/13(水) 22:51:33 O
だから、みんなで『なぜ意識は実在しないのか』を読みましょうよ
たんにクオリアとか言い合ってるよりは、だいぶ面白いですよ
いや、意識は実在するだろ?常識的に考えて
>>11 とりあえず、「実在」を辞書で調べてみるといいよ
実在: 認識主体から独立して客観的に存在するとされるもの。
他人の意識は実在する。ゆえに意識は実在する。
春の海ひねもすのたりのたりかな。
板のレベル下げるからこういうのもう立てるなよ。
てかすでに下がりまくってバカの隔離施設になってるからどうでもいいけどさ。
>>8が指摘するように、
>>1はまず、違うものがなぜ世界標準で共通認識されてるのか、
そこから説明できるようにならないと、赤はほんとに赤?甘いって本当に甘い味?
痛いって本当に痛い?パンダって本当にパンダ?…無限にループする話にしかなりえないし、
逆に共通認識の説明ができれば、べつにどうってことない問題だろ?
15 :
考える名無しさん:2009/05/14(木) 19:50:09 0
だれがレベルを下げているのかよくわかった。
16 :
ザ・スミス:2009/05/14(木) 20:54:18 0
17 :
考える名無しさん:2009/05/15(金) 08:52:38 0
>実在: 認識主体から独立して客観的に存在するとされるもの。
これ、ウィキの定義の引用と思うけどあまりよくない説明だね。
最後の「されるもの」というのは認識主体によって「される」なら
認識主体から独立ということが成り立たない。
新明解国語辞典の
「実在=だれにでもその存在が認められるものとしてそこにあること。」
のほうが日本語として解りやすいのではないだろうか?
18 :
:2009/05/15(金) 10:40:33 0
スレの主体と違うけど、
例えばりんごは赤いと言いますが、
それはりんごが赤いんじゃなくて
私たちの目がそれを赤と捉えてるだけなんですよね?
じゃあ実際はりんごって何色なんでしょうか。。。
もしそのように言うのなら、
「そこにリンゴがある」ということも、目でそのように見ているということですね。
では、実際のところ、リンゴはそこにあるんでしょうか。
てなことも言えるんですかね。
実際のというかホントの色とかウソの色とかはないんじゃないの?
単にそういう色がある(見えている)というだけで。
ね⇔ぬ 又は ね≠にそう
>.21
・・・いえない。
これは哲学と言うより科学なのかもしれないけど、
だって俺たちの目なんて完全じゃないだろ?
犬や猫に色が見えてないように、
俺たちの目に見えてない何かがあってもおかしくないよな。
目だけじゃなくて他の器官にも言えることだけど。
だからこんな不確かな世界で生きることに最近疑問を覚える。
死んだら何か分かるかな。
25 :
考える名無しさん:2009/05/17(日) 00:40:49 0
>>6 じゃあ、つまり、考える必要の無い問題ってことだろう。
26 :
考える名無しさん:2009/05/17(日) 00:50:35 0
君は考えなくておk
27 :
考える名無しさん:2009/05/17(日) 00:58:07 0
色でも、味でも匂いでも人間と対象との出会い・触れ合いにおいて
生じる。眼がなければ色は無いだろう。
また、光がなければ色もないだろう。
28 :
考える名無しさん:2009/05/17(日) 01:12:22 0
>>26 いや、考えなくておk なのは、私に限ったことじゃないと言っているのだが。
>>21 >>26 「リンゴが赤い」ってのは君の固定観念であって、
じっさい緑のリンゴもある。緑のリンゴのほうを好む人たちもいる。
君の例題の出し方が間違ってるんだよ。
そんなの哲学とか科学とかの問題じゃなくて常識だろ?
悩むなら、赤信号の赤とかパトカーの赤とか、そういうのがなぜ共通認識されてるのか
考えるべきだし、赤いリンゴと緑のリンゴに悩んでも死んでも何もわからない。
「問題」って言葉が誤解を招いているようだね
ここにあるのは哲学的「問い」なんだよ
31 :
考える名無しさん:2009/05/17(日) 11:46:59 0
>>30 それって、婉曲に「哲学なんて何の役にも立たない無意味な言葉遊びだ」
って言ってるのと変わらないのでは?
>>6 そう?
でも、困るのならそれはその想定がどこかおかしいってことになるのではない?
>>31 そうともとれるね
つまりこのスレで扱っている問題(問い)には
実際的な不都合は無い!少なくとも社会的活動の場面では
もっとプライベートな事柄だと言える
或いは「最も」と言い替えるべきか?
34 :
考える名無しさん:2009/05/17(日) 18:12:59 0
>>33 あなたは、プライベートな事柄なら、何がどうあろう困らないの?
35 :
考える名無しさん:2009/05/17(日) 22:50:05 O
さて「共通認識」というが、何がどう共通なのか?
そもそも共通なものなんてあるのか?
逆に、違う(かもしれない)ものなんてものも、そもそもあるのか?
あるとすれば、何がどう違う(かもしれない)のか?
そこを多少とも詳しく言えないんじゃ、スレ立てても意味ないんじゃないかね。
と、適当に煽ってみる。
クオリアの一言で片付けられてしまう糞スレを見つけてしまった
日記帳に書いておこう
38 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 17:06:54 0
まだやってたのか。
他者の感じているであろう色と
自分の感じている色が同じ色かという
問いの答えはただひとつ
「わからない」
終了
困るか困らないかとか、わかるかわからないかとかそういうことしか書けんのか。
40 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 19:49:43 0
この問題については「わからない」としかいえないよ。
41 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 19:57:09 0
いかなる科学的な手法を用いても、りんごの色をどのように感じているかわからないというなら、
りんごの色を感じているという機構は、物理法則の外にあるということになる。
(クオリアが物理によって説明されるなら、異なるクオリアは異なる物理状態のはずだから)
42 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 20:02:23 0
物理法則を見いだしたり、それを妥当だと判断したりすることが
認識論の外にあるとでもいうのだろうか。
43 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 20:02:50 O
クオリアの証明手順考えたことあるか?
もちろん仮定は使っていい。
44 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 20:11:26 0
自分に本当に意識があるということを証明することができないように、
クオリアの存在を他者に証明することなどできない。
45 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 20:18:43 O
未来永劫解明されることは無いと?
100年後の科学でも無理か?
46 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 20:20:26 0
科学というものの方法を考えればその限界もわかるだろう。
47 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 20:31:08 O
もっともらしい物言いだが科学に限界は無いよ。
48 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 20:33:10 0
もっと勉強するように。
私とか他人とかを区別するような主観性のメカニズムがまだよく判らない段階なんだから
未来永劫「わからない」とは断言できないと思うなあ。
もちろん、「わかる」とも言えないけど。
今はまだわからないとしか言えない、ぐらいの言い方がちょうどいいと思うな。
50 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 20:35:12 0
それは「原理的に」わからないんだよ。
メカニズムがどうこうじゃない。
いや、だから主観性の原理がわかってないじゃん?
52 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 20:38:22 0
それこそ未来永劫「わからない」よw
53 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 21:04:49 O
今の科学だって結構良い線いってんじゃねえの?
脳で考えたものを音声に変換する機械だって出来てるらしいじゃん。
100年もありゃあイメージを映像化とか余裕だろ?
「原理的に」わからないっていう、その「原理」を教えてもらえないだろうか?
「意識は実在しない」について
意識→主観的経験(クオリア)
実在→主観的でない(客観的)
として変換すれば
意識 は 実在 しない
↓
主観的 は 主観的でない でない
即ち
「意識は実在しない」はトートロジー(当たり前のこと)であるといえる
なぜ科学的解明が出来ないのか?について
それは科学の研究対象が実在と呼ばれうるものに限られているからだ
科学的であるとは、そういうこと
57 :
考える名無しさん:2009/05/19(火) 12:13:58 0
>>55に誤りがあって、意識が実在するとしたらとするなら、
意識→主観的経験
の部分だろうね。
本当に意識は主観的でしかないか?
本当にそれは客観から観測できないのか?
このことは「主観的」とはなにか、が解明されるまでわからない。
結論を出すのは性急であろう。
58 :
考える名無しさん:2009/05/19(火) 14:02:17 O
要するに脳のデータを映像なり音声に変換出来る装置が開発されたら良いだけだろ?
60 :
考える名無しさん:2009/05/19(火) 14:17:15 0
他者の感じているであろう色と
自分の感じている色が同じ色かという
問いの答えはただひとつ
「わからない」
科学的方法がいくら発展してもそれはかわらない
なぜか
100年後に主観のイメージを映像化する技術が実現したとしよう。
自分の目がカメラになったような関係だ。
自分の見ているリンゴが目の前のディスプレイに映し出されている。
それはたしかに自分の見たままの色で再現されている。
さて、
「自分はこの色を赤だと感じているのだけど君もそうなのか?」
と傍らにいる他者に尋ねると
「そうだ、ぼくの感じる赤もこの色だ」
と答えた。
これによって他者の感じている色と自分の感じている色が
同じであると結論づけられるだろうか。
答えはノーである。
他者がディスプレイをみて感じている色が、
いままで他者が赤として感じてきた色と同じ色だとしても、
それが自分の感じている赤と同じ色かどうかは
以前としてわからないままである。
つまりこの方法では、答えは出ない。
61 :
考える名無しさん:2009/05/19(火) 14:23:54 0
>>60のつづき
ではもっと直接的と思える方法ではどうだろうか。
200年後に自分の脳と他者の脳を接続することができるようになったとしよう。
自分がモナリザの絵を思い浮かべると、
脳が接続された他者は即座に
「モナリザ!」と答えることが出来るような技術だ。
さて、自分が赤いリンゴを思い浮かべながら
「自分はこの色を赤だと感じているのだけど君もそうなのか?」
と脳の接続された他者に尋ねると
「そうだ、ぼくの感じる赤もこの色だ」
と答えた。
これによって他者の感じている色と自分の感じている色が
同じであると結論づけられるだろうか。
答えはまたしてもノーだ。
この方法でも他者が感じている色が、
いままで他者が赤として感じてきた色と同じ色だとしても、
それが自分の感じている赤と同じ色かどうかはわからない。
62 :
考える名無しさん:2009/05/19(火) 14:25:42 0
うん。その方法ではね。
でも
>科学的方法がいくら発展しても
わからないかは、まだわからない。
63 :
考える名無しさん:2009/05/19(火) 14:26:46 0
>>61のつづき
これは自然科学が不可避的に持つ方法的限界に起因する。
自然科学とは知識を蓄積する方法のひとつであるが
その知識は
「主観の外側に広がる世界として対象化されるものについての知識」
に限られる。
しかもその知識の正当性は
「その世界に存在するであろう他者の同意を必要とする」
という点で二重に間接的なものとなっている。
この点で「私は今、頭が痛いと感じている」というような
直接的な知識とは根本的に異質なものといえる。
結局のところ
脳と脳を繋ぐことによって主観と主観が繋がったように思えたとしても
それを確かめる術は「ディスプレイ」や「他者の応答」などの
主観外にしかないのであり、
それらのものについて言えることは
厳密にいえば推測の域をでない。
以上がこの問題について
「原理的にわからない」とする理由だ。
色の原理ならほぼ解明されてるでしょ。
色盲とか精神異常の人間じゃなければ、
「いい天気だね、空が青いねー」と言われて、
「いや、この空は青くない、赤だ!」とか、
「新緑の季節だねえ、ほら、葉っぱが緑だねえ」、
「いや、この葉っぱは緑じゃない、赤だ!」とか言ってたら
病院行きです。色の原理については科学板とか芸術板で聞いてきたらいい。失笑されるから。
>>63 主観性っていうものがある「原理」によってまとめられた物理状態だってことはまず間違いないよね。
当然その物理的なまとまりは境界があると思う。
だからその物理的な境界を越えた先は主観の外で直接知り得ないことになるんだろう。
でも、逆に言うとその境界の中のことは直接知ることが出来るってことだよね。
将来脳と脳を繋げるような技術が可能になったとき、二つの脳をまとめるように境界が設定できるならどうだろう?
そのときはまさに二つの主観的な経験が同じかどうか「原理的にわかる」と言っていいんじゃないだろうか。
まー神経科学に全く無知なドシロウトの妄想だから、そんなことができるかどうかわからないけどね。
いわゆる「意識のハードプロブレム」には
問題が何であるか理解出来ない人がいるという
「むずかしい問題」がある
67 :
考える名無しさん:2009/05/19(火) 22:36:10 0
というか、
「問題でもないことを問題にすようとする人がいる」
ということだろう。
>>67 もし、あなたの言う通りだとして
あなたに何の問題があるのだろうか?
69 :
考える名無しさん:2009/05/19(火) 23:05:29 O
>>67 もし、あなたの言うとおりだとして
そのことが、あなたに何の問題があるのだ
全く
>>67は自己紹介乙と書きたくなるレスだな
70 :
考える名無しさん:2009/05/19(火) 23:13:43 0
>>68 >>69 真面目な議論や学問が、そういう輩の戯言と混同されるのは
迷惑だ、という問題がある。
71 :
考える名無しさん:2009/05/19(火) 23:59:07 O
>>60 残念だが違う。
映像になった時点で色はデジタル化されている。
また、君は知っているか分からないが、同じ色でも面積によって濃く見えたり淡く見えたりと人間には錯覚がある。
錯覚はイメージそのものであるから、見えかたの差も映像で確認することが出来る。
言ってみりゃ自分の録音した声が、普段耳にする声と違っているとかそういうことも出来るということだ。
むしろ、主観そのものの曖昧さを知ることになるであろうという話だ。
ちょい今日攻殻見てて思ったんだけど
目を盗みやがったなって台詞があるじゃん
例えばそれだと視覚を盗まれた人と盗んだ人は全く同じものが映るのかね?
脳自体を乗っ取った場合はどうなの?
同じ色として判断するのはハードとソフトどっちがより影響する?
73 :
69:2009/05/20(水) 00:48:07 O
>>70 おお、すまん
誤解していたようだ
むずかしいな
>>72 仮に脳を乗っ取ったって、共通認識は把握してないとただのスクラップでしょ。
色の認識はハードの部分だよ。生物が、自ら生きて行くために必要な色を認識する。それだけ。
ね⇔ぬ 又は ね≠にそう
大量出血した人間を前に、これは赤だから血だ!いや、これは赤じゃないから血じゃない!とか
議論してたら、そいつ死んじゃうだろうよ。
77 :
考える名無しさん:2009/05/20(水) 06:53:32 O
なに言ってんだ、赤じゃなければ血じゃないだろうw(特殊な病気でもない限り)
あるいは、どっちかの見え方がおかしいんだろうw
こういう、役に立つとか立たないとかいうことを、わざわざこの議論の中で
言いたがる人(おまけにピント外れ)って、何がやりたいんだろうね?
>>77 イラつく気持ちは分かるけど
こういう素朴な書き込みが無いとスレが過疎っちゃうよ
哲学板の宿命と言うべきか
荒らしみたいなのは困るけどね
>>76 このスレでしているのは、そういう議論じゃないよ
そういう議論をしている人がいるなら
その人達も病院へ連れていくべきだろう
80 :
浅学:2009/05/20(水) 13:12:26 0
>>80 自分の理解では、そうであるものとそうでないものの峻別も
哲学の(考察対象)の内だと思うが。
82 :
考える名無しさん:2009/05/20(水) 14:13:27 O
哲学の定義がおかしい。
なんでも哲学になっちゃうよ。
じゃあ、考えること自体の必然性とか、意義については何にも考えず、
手当たりしだいに考えるのが哲学だとでも?
ここで、意識ってのが何かを分かって議論しているやつっているの?
おれ、ここで言う意識ってのが何を指すんだかいまいち分からないんだけど
85 :
考える名無しさん:2009/05/20(水) 20:20:40 0
安心しろみんなわかってるから。
ほんと?
じゃあ説明して
87 :
考える名無しさん:2009/05/20(水) 20:31:11 0
何が知りたいの?
88 :
考える名無しさん:2009/05/20(水) 20:32:10 0
>>88 じゃあ、心ってなに?
あと、精神ってなに?
90 :
考える名無しさん:2009/05/20(水) 20:53:34 0
>>90 辞書に間違いなく万人が納得できる正解が書いてあるものなの?
「意識不明の重体」ってのは、「意識が無いほどの重体」って意味じゃなくて、
「重体で意識があるかどうか「わからない」」という意味だというのを最近知った。
93 :
考える名無しさん:2009/05/20(水) 23:30:46 O
意識の有無を脳波計で分からないってことか?
応答が無ければ意識があるか無いか不明ということか。
基本的に現代の臨床では意識の有無は当人の応答以外では確認のしようが無いのでは?
応答しないからといって、意識が無いと決まったわけではない以上、
応答が無い場合は「意識不明」としか言いようがない。
だから、意識って何よ
>>88>>90のやっているように辞書引いても、必ず心で躓くんだよ
誰か説明してくれよ
96 :
考える名無しさん:2009/05/21(木) 12:10:11 0
意識とはなにか、ですか。
じつにハードなプロブレムですねえ。
97 :
考える名無しさん:2009/05/21(木) 12:46:11 0
コミュニケーションにおいて
特定の概念の外延から内包を推測し仮定することは日常的に行われていることであり
この能力がなければそもそもコミュニケーションが成立しない。
ここで議論されている「意識」がなんのことかはだれもがわかっている。
さもなくばこの言葉に定義をあたえるための議論さえできない。
ただ「意識」に内包的な説明を与えることができないだけだ。
「われわれの良く知っているこの意識というものは、いったいどのようなものか」
という言い方にはなんの矛盾もない。
だから
>>96のような問いには意味があるが
>>84は馬鹿とみなされるだろう。
98 :
考える名無しさん:2009/05/21(木) 14:23:04 O
>>94 気を失うのは脳の機能を強制的にダウンさせることと聞いたことがある。
昏睡状態とこういったものは違うだろうが臨床的には違いはわかるんでないのかな?
99 :
考える名無しさん:2009/05/21(木) 15:43:57 0
>>84 「意識」ってものについて、最近は二つに分けるのがオーソドックスな考え方
なんじゃないかなあ。
一つは、現象的な意味での意識。これは要するに、普通に目覚めているときには
いつでも現れているというか成り立っているもの。
逆に、眠っている時とか、気絶した時に失ってしまうもの。
もう一つは、アクセスできるという意味での意識。何かがはっきりと意識に
上っているとか、何かに注意を集めて強く意識するとか、
そういう場合に働いているもの。
こうした分類はたしか、ネッド・ブロックとかいう人が言い始めたらしい。
ちなみに、このスレにいる人らは、そういう話についてほとんど何も知らない
と思う(笑)
100 :
考える名無しさん:2009/05/21(木) 15:55:14 0
>>99 ふたつめは「awareness」のことかな
>>98 >臨床的には違いはわかるんでないのかな?
どうやって?
102 :
考える名無しさん:2009/05/21(木) 17:44:43 0
たしかに
>>60あたりで言っているように、他人と同じ色が見えているか確かめるのは困難でしょう。
しかし、解決できる可能性もあるのでは?
たとえば
二人の人間がいて、同じ映像を見せる。
そこで脳みそを検査すると微妙に違う状態であることがわかった。
そこで一方の脳みそを操作して、もう一人の脳みそと同じ状態にしてやる。
するとその人物が「あっ見え方が変わった!」といえば、人によって見え方が違うことになる。
つまり、クオリアは脳の機能によって作られたものであり、実際に人によってクオリアが違う場合、
そのことは証明できる。
ただしクオリアが物理的要因で無かった場合は、クオリアが一致しているかを調べることはできない。
103 :
102:2009/05/21(木) 17:48:00 0
もちろん、>102の方法が成功したとしても、
哲学的には解決して無いだろうけど。
(その人物は、もう1人と同じ状態になっても色は見えておらず、
ただ「かわった」という反応を返すゾンビかもしれない)
でも科学的にはこれで解決じゃない?
同じ条件では常に同じ結果になるのだから。
なかなか難しいですな。
はてさて、「脳の状態が同じであれば同じ結果(同じ見え方)になる」と、なぜ言えるのか?
>>102のような状況なら、2人が同じ映像を見ているというのに、なぜ見え方が違うと言えるのか?
「脳の状態と見え方が対応している」ということが前提になってしまっていないか?
それを前提にしていいなら、別に問題はないことになるのでは。
105 :
考える名無しさん:2009/05/21(木) 21:02:03 O
>>101 知らないけど脳波や心拍数や血圧で分からないものかな?
睡眠導入は脳波で分かるよね?
106 :
考える名無しさん:2009/05/21(木) 21:11:50 0
あっちは一番はじめに子供30人くらいつくってそのあとまたひとりひとり子供
増やしたから2000万人今は1000万人くらいのあっちがある。ただ彼らは瓦解しやすい。うらみつらみが多いからね。すぐに瓦解する。喧嘩しやすい
たぶん一度3000万人くらいの争いで天皇家を一度抜いた。最近ね。もう逆転したけどね。何にも無いからって断らずになんでも受け入れるとよくない。
107 :
考える名無しさん:2009/05/22(金) 09:01:55 0
>>104 >「脳の状態と見え方が対応している」ということが前提になってしまっていないか?
それを前提にして、どのように対応しているかを探求するのが脳科学でしょう。
まだ「見え方」を調べる方法が確立されていない。
108 :
102:2009/05/22(金) 11:22:47 0
>104
はい、前提としています。
僕の主張は
「脳の状態と見え方が対応している ならば それは証明可能である」
です。
前提が間違っていれば別の話です。
109 :
考える名無しさん:2009/05/22(金) 14:12:17 O
脳の構造にも個体差があるから同じ状態を作り出して比較することに意義など無い。
状態以前に構造が合致していることが条件なのだ。
110 :
104:2009/05/22(金) 21:00:37 O
>>107 >>108 なんかそのように言われると、趣旨はわかったのですが、意図はかえってわからないですな。
そもそもそんな前提を置けるのか、というようなことが問題にされているのではないの?
いや、「わけのわからん議論より、まずは脳科学の進歩に期待しろ」というのなら、
またそれはそれで意図もわかるけど。
>>109のように(趣旨は違うかもしれないけど)、個体差などがいろいろあるので、そもそも
複数の人間で同じ脳の状態なんてものは、ないかもしれない。
しかし、では、どうなるのか?
見ている映像は同じなのに、脳の状態が違うから、見え方が違うことになるのか?
というか、「同じ映像を見ている」ということは、どうやって確かめるのか?
いや単なる勉強不足だったらすいませんけど、「同じ映像を見ている」とかいうことは、
研究の現場では、どうやって確かめられてるんでしょうかね?
あるいは、そんな変なこととは関係ない研究方法が確立されてるんですかね?
>>111 「映像」って言葉でクオリアを指示してるなんてことはないだろうから
これは各人が見ている対象は同一の対象かどうかは確かめられてるかって質問だよね。
当然、科学でも哲学でもそれは確かめられるまでもなく前提されてると思うよ、常識的に考えて。
じゃなきゃ「自分の赤と他人の赤は同じか」なんて問い自体が始まらないじゃない?
>>112 まあそれは普通は前提なんだろうけど、でも確かめなくていいの?
114 :
考える名無しさん:2009/05/25(月) 12:34:46 0
>というか、「同じ映像を見ている」ということは、どうやって確かめるのか?
その答えは「わからない」
115 :
考える名無しさん:2009/05/25(月) 14:17:07 O
写実画家の描く絵と写真は比較にはならないか?
でも同じ色を出そうと思ったら光度であるとか絵の具の種類であるとかキリが無いかな。
116 :
考える名無しさん:2009/05/25(月) 15:01:14 0
藤原
カメラオブスキュラの出現前後での絵画の変化、
ってのも面白いよね。
118 :
讖念Μ ◆5od4innenM @株主 ★:2009/05/28(木) 00:41:57
神 P
理解するひとりであることの
恍惚と不安とふたつ我にあり
120 :
考える名無しさん:2009/05/30(土) 06:35:09 0
キャンプファイヤーやった後に
その光景の絵を描かせたら分かるよな
赤やオレンジで描いてないやつに
炎に一番近い色を指させれば何色に見えてるかも分かるよな
哲学はくだらねえ、何の役にも立たない学問って思われてもしかたないんじゃないか
121 :
考える名無しさん:2009/05/30(土) 06:49:30 0
松岡修造
122 :
考える名無しさん:2009/05/31(日) 15:39:08 0
>>120みたいな馬鹿って、
なんで存在してるんだろう。
122 名前:考える名無しさん :2009/05/31(日) 15:39:08 0
>>120みたいな馬鹿って、
なんで存在してるんだろう。
>>120はドゥルーズのいう「低俗な思考」の典型。
みんなわかんないだろうけど
>>120は高度な釣り。
128 :
考える名無しさん:2009/06/01(月) 19:50:25 O
>>120で、仮に青色を指差す人が現れたら、どうするんだろうな。
目の病気だとか言って治そうとするんだろうかね。
でも、実は、見え方は同じなのに「同じ色を指差せ」という指示を「反対の色を指差せ」
とでもいうように解釈してしまう人だったりしたら、笑えるだろうなあ。
129 :
考える名無しさん:2009/06/01(月) 19:59:53 O
ない。心だけ全部心に入っているとにかく渋谷来い。ハチ公前で世界の中心がわかる
>>128 キャンプファイアーの炎はオレンジで書いても、炎に近い色を青で指す奴もいるだろ
今の子供が炎に触れることが出来るのは、ガス台かライターぐらいだからな
……何を言っているのですか?
いや、ここまで訳のわからない反応が返ってくるということは、何か哲学的問題が隠れているのか?w
>>131 眼前の実在と、言葉の認識が違う場合があると言いたいだけだが?
133 :
考える名無しさん:2009/06/02(火) 00:12:44 O
炎をイメージだけで描くにしても青色で描く奴なんて居ない。
捏造するな。
>>133 それはただの固定概念だろ?
基本的に認識とその言語化は教育に依存するんだぜ
お子ちゃまの中には、アジが開きで泳いでるなんて言うバカもいるみたいだしな
断片すら見たことの無いものは想像できず、既存の概念を組み合わせて考える
その場合
>>130のようなケースは、キャンプファイアーの炎は通常の炎とは認識していない事になるだけ
135 :
考える名無しさん:2009/06/02(火) 01:12:10 O
>>134 ちゃんとソースがあるなら同時に提示しなよ。
話が誘導的なんだよ。
>>135 ウスターとトンカツどっちがいい?
というのは冗談として
例えばペンと言われてどんな物を想像する?
ポールペン、鉛筆、シャーペン、万年筆、筆ペン、羽根ペンなんてのもあるな
鉄筆、タブレットペン、チョークホルダーなんてのを挙げる人もいるかもしれない
何を挙げるかはその人の今までの経歴(教育)によるところが大きいわけだ
逆に下段に書いたものを今まで見たこともなかった人にとってはそれはペンとしては認識できない
また、自分の中の認識の分類に当てはまらないことで、「鉛筆はペンじゃなくて鉛筆だろう」と言い出す奴もいるかもしれない
しかしそれは物の認識が他人と違うわけではなく、認識と繋がる概念が他人と違っているだけ
じゃあ
>>130に戻って、炎の基本色がオレンジじゃなければいけない理由は?
最初に言ったソースの冗談もそういうこと
80歳の婆さんにソースといえば、間違いなく食い物のソースしか思い浮かべない
138 :
考える名無しさん:2009/06/02(火) 03:04:46 O
>>136 そういうことではない。
>キャンプファイアーの炎はオレンジで書いても、炎に近い色を青で指す奴もいるだろ
いるのか?と聞いているわけ。
いつからここは思考実験すら出来ないバカの巣になったんだ?
一応「赤」の定義はある。
16進表記 #ED1A3D
RGB (237, 26, 61)
CMYK (0, 100, 78, 0)
HSV (350°, 89%, 93%)
マンセル値 5R 4/14
あーあ、またレベルが下がっちゃったよ。
ていうか
もとから
レベルがどうとか
いうスレじゃない
みたいな?
ルージュとか
やっぱ
赤系
ていうか
まあ
いろいろあるけど
やっぱ赤系が
モテカワルージュ?
みたいな?
落としたオトコは
信号無視で
しんだ
赤信号で
渡って
しんだ
みたいな?
いちおう
アタシ
悲劇のヒロイン?
ていうか
赤は赤っしょ
いちおう
あんたたちバカ?
みたいな
真っ赤にも〜えた〜 太陽だ〜から〜
真夏のう〜みは〜 恋の季節なの〜
145 :
考える名無しさん:2009/06/03(水) 23:09:36 O
もし仮に自分の見てる赤と他人の見てる赤が違う(かもしれない)としてみよう。
自分の親や学校の先生は、実は青く見えていた(かもしれない)としよう。
さて自分は、親や学校の先生に「これが赤だよ」と教えられてきたわけだが、実はそれは
親や学校の先生には青く見えていた(かもしれない)とすると、何がどうなっているのか?
親や学校の先生は実は教育に失敗していたのか、それともそんなことはないのか?
146 :
考える名無しさん:2009/06/03(水) 23:10:07 0
違うと嘘になるのかい?
148 :
考える名無しさん:2009/06/04(木) 11:53:12 O
浅いな、思考が…。
不快な、嗜好が…。
>>145 意味不明なり。
ホントの赤色があるとかいう話じゃないんだから失敗も糞もない。
逆のほうがよかったか。
自分の子どもに赤を教えようと思ったが、実は子どもは青に見えていた(かもしれない)。
それで赤を教えたことになるのか?
そんなことどうでもいいだろ「赤」と言って通じてるんだからくだらないこと考えるな、という感じ?
152 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 02:06:05 O
二つの脳のプログラム言語が違うと共通のAを弾き出したとしても言語αが出したAと言語βのAの形式では
表面上は=であるが単体比較では≠という意味なのかな?
若しくは同じプログラム言語でデフォルトの違いなのかな?
それを判断するのは言語γなんだということを考えれば答えは出ると思うけど…
154 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 08:47:08 O
つまる所、自分の赤を他人に証明する事は不可能なんだよ
155 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 10:31:43 0
総合失調症になると、例え話や比喩を用いての説明を現実と区別できず。
比喩が現実と同じだろと勘違いをする論になる。
よく観察してみよう。
156 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 13:55:06 O
>>151 青を赤として憶えて問題が発生するか?ってことかい?
多分問題ない。
記憶した以降は色の認識は記憶との相対的な比較になるからそれが絶対性を持つ必要は無い。
音感にも絶対音感と相対音感なるものが存在するが音楽家にとって相対音感で充分ではないかという意見が大半である。
なぜなら、それを必要とする場面がほぼ存在しないからである。
え、本当にそんなこと言われてるの?
例えば「キラキラ光る お空の星よ」を、
ドドソソララソ ファファミミレレド
ではなく、
ミミシシドドシ ララソソファファミ
で演奏する音楽家なんて、いたら困るんじゃないの?w
それはともかく、絶対音感・相対音感という問題と、このスレのような問題は、関係あるの?
このスレのような問題を音感でいうなら、同じ「ド」を聞いているはずなのに、実は他人には
「ミ」に聞こえているのではないか、とでもなると思われるけど、それは絶対音感の話とは
違うんじゃないの?
158 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 22:11:55 0
いるのかね?
160 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 23:12:18 O
ああ、たしかに考えてものを語らない人間を相手にするのは辛いね。
いちいち説明するほうがバカっぽく見られるだろう。
161 :
考える名無しさん:2009/06/05(金) 23:21:19 0
いないのかね?
162 :
考える名無しさん:2009/06/06(土) 16:23:53 O
>>157 音階じゃなくオクターブ…
ギターなら、カポでキーを調整なんて良く有ること
〉157
歌手の音域に合わせてキーずらすのはよくあるよ。
歌い手の声が、サビの所で一番キレイに聞こえるキーを見つける。
カラオケにも、高い、とか低いとか言ってイジルところがあるでしょ。
あれがドドソソをレレララやミミシシに変えてる。
164 :
考える名無しさん:2009/06/07(日) 02:25:44 O
165 :
考える名無しさん:2009/06/07(日) 03:07:24 0
クオリアは経験論の一派
質の問題を量で説明する
だが、質は量に還元されないような事としてみなされてきた。質の中に何個の量があるという
形で説明されてきた。RGBでR:255の量がある。GBの中に何個あっても、Rにはならない。
質を量で説明するには断絶があったのだ。
量で質を説明してみましょう。例えば、一つの点に赤という性質があるという説明の仕方です。
生まれつき、一点で性質を考えているからだと考えます。
経験を全ての人類の問題にまで高めようというのがクオリアの狙いです。
166 :
考える名無しさん:2009/06/07(日) 03:09:02 0
やまねくんだよやっぱぱっぱ
>>165 説明のギャップみたいな話かな?
面白そうなこと書いてあるように思うけど日本語がわかりづらいです。
もうちょっとわかりやすく書いてみて?
168 :
考える名無しさん:2009/06/08(月) 01:05:41 O
分からないから仮説が生まれるのだろうが。
分からないから無理ってアホくさいな
169 :
プブリカヌス:2009/06/08(月) 05:13:49 0
>>167 一つなら神だけど、三つなら精々、天使ぐらいだと
量が増えたら、神だ天使だと性質が変わるのか
三つでも神でいいじゃない
幾つ加えたり減らしたりすれば性質が変わるというのかね、幾つ増えたら性質に変化があると
は説明しがたい
って宗教家の心配を世の科学者が立証してあげる話題がクオリアなんですよ
170 :
考える名無しさん:2009/06/08(月) 05:36:02 O
会ったときに方法がある。やらずに回るしかない
171 :
凌駕籤緯 ◆RyogaQZiEY :2009/06/09(火) 02:13:18 P
>>169 余計わかりづらくなった。もういいです。
なんか、盛り上がらんねー?
すでに結論がでているからな。
174 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 01:22:49 O
176 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 03:06:56 O
なぜ分からないと言えるのか
右目で見てる赤と、左目で見てる赤は一緒か。
もしそれを一緒と言うなら、同じような方法を何か作れるはずだ。
じゃあ何か作ってください
え?わからない?
Aさんの右腕の神経とBさんの左腕の神経を適当なところでつないで、Aさんの右腕を
針でつついたら、AさんもBさんも「イテッ」と言いました。
さて2人の痛みを比較したり、2人の痛みは同じだと言ったりすることができるんでしょうか。
このような研究だったら、どこかで実際にあってもおかしくないかな。
179 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 08:23:37 O
網膜の奥でレチナールがフォトンを吸収して変形する、
それが脱分極を引き起したところで
信号の長い長いリレーが始まる。
網膜、視神経、視交叉、視索、外側膝状体、視放線、一次視覚野
さてNCCはいずこ?
多分もっと上の方だね。
180 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 12:50:28 O
>>178 刺激に対して敏感な人間と鈍感な人間がいる。
風邪をひいたときでも皮膚を擦ると普段よりヒリヒリすることがある。
それは感受する脳ではなく痛点の状態によるものではないかな。
痛点の周りの肌組織の状態など。
181 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 13:46:34 O
知らん知らんとにかく前出させればよかっただけ。まあそんだけ
182 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 16:26:59 O
なにが?
わからない、というのは現状わからないということ。
そしてこれがこの先ずっとわからないかどうか、それはわからないということ。
これがいまのところの「結論」。
>>183 じゃあ、わかるためにはどういった条件が必要だと思うんだい。
>>180 そんじゃあ、不謹慎だと思ったので書かなかったけど、これでいくか。
Aさんの右腕とBさんの左腕は、昔いたベトちゃんドクちゃんのような感じで、一体でした。
はたから見ると、同じ腕を2人が共有しているような状態です。
その腕を針でつついたら、AさんもBさんも「イテッ」と言いました。
さて、2人の痛みを比較したり、2人の痛みは同じだと言ったりすることができるんでしょうか。
これだと、針でつついた部分を含め、腕の状態は同じだということになるはず。
何なら、脳以外は全て共有というのでもどうか。
(いや本当に自分が知らないだけで研究がありそうだけど)
問題は
インプット→内部処理
ここ以上に
内部処理→アウトプット
ここの方法が無いことじゃない?
187 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 21:18:36 O
>>185 先に痛みの感じ方は痛点の状態にもよると私は述べた。
付け加えるなら、痛風の患者は少し足をぶつけただけで悶え苦しむと聞く。
痛みとはそもそも危険に対する自己防衛反応と呼べるであろう。
つまり、風邪や痛風などで弱った体なら脳はその状態を読み取り普段より痛みに対して過剰に反応するのだろう。
また、「心頭滅却すれば火もまた涼し」…この言葉の通り、痛みの制御も可能であることを我々は経験的に知っている。
これは単に受容体の感知だけで痛みの度合いが決まるわけではないことを物語っている。
痛みにこのような条件が関わっている中、逆に機械のセンサーのように「単純な感知」の状態を作り出してやるのは難しいであろう。
直接脳に電流刺激して痛みと反応を作り出してもどうかな?
おそらく同一にはならないだろう。
同一のセンサーではないからね。
188 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 21:49:05 O
>>187つづき
とはいえ私はクオリアは否定する。
痛みは抑制作用を作り出す必要性もあろうが見聞にはそれがない。
眼球の形や網膜の違いをクオリアと想像したものであろう。
>>1ってこういうことだよね。
Aさんにとっての『青』をAさんにとっての『オレンジ』のように感じている人、Bさんがいるとする。
Bさんにしてみれば、Aさん感覚でいう青い海、青い空、青いかき氷なんかが
オレンジの海、オレンジの空、オレンジのかき氷などに見えているわけだが、
みんなが空や海の色を「アオ」というので、それが『アオ』という名前の色ということは認識している。
これは例えば「海の絵を描いて」などと言われたときには何の問題も現れない。
なぜならクレヨンの色もそれぞれ自分の中で感じる海色を選んでいるのだから。
Bさんにはクレヨンの青がオレンジに感じられるので当然それを使う。
一般的な色盲のように色が識別できない、感じることができないわけでなく、
BさんはAさんと同じようにしっかりと色の違いが分かるし、
明暗の感覚もある。ただ、青が『アオ』(Aさんにとってのオレンジ)に感じられる。
だから、Bさんにとって冷たい色と言えば?と聞いても
冷たいものといえばアオ(脳内ではオレンジ)関連のものが多いので
「アオ(脳内ではオレンジ)」などと答える可能性が高い。
>>189 そういうことだよ。
わかってない人だらけだけど。
続き。。
ただ、思うにこういう可能性はなくはないとしても
だいたいの人の感覚は共通してるだろうなあと思う。
冷たい色うんぬんの話でも、冷たい色と感じる基準について
全て周りにある物の色から連想してるとは思えない。
例えば色彩心理学なんかの視点でも、一般的な青をオレンジと感じている人が
冷静さを表す色にアオ(脳内オレンジ)を挙げたりするだろうか…?という疑問がある。
こういう場合はBさんはむしろオレンジ(脳内青)を挙げそうだ。
どこかの熱帯の島の住人にとっては「青」は暖色だって聞いたことがあるよ。
「晴天の青空=暑い」ってことらしい。
193 :
考える名無しさん:2009/06/10(水) 23:52:41 O
経験による連想、イメージの違いだね。
そもそもクオリアってイメージ脳に存在するんだっけ?
>>187 そうなってくると、痛みが同一ではないと考えられる根拠は、つまり脳や神経や体の状態が違うから、
という感じですかね。
違う人だから、ではなく。
だとすると、一つには、もし同じ状態であったら、他人であっても同じ痛みを感じでいることになるか?
あるいは逆に、同じ人に同じ刺激をしても、体の状態は常に少しは違うだろうから、結局、
同じ人であっても同じ痛みを感じることはあり得ないことになるか?
まあでもそうなってくると、そもそも「同じ痛み」とはなんでしょうね。
本当はそんなものはないということになるんですかね。
195 :
考える名無しさん:2009/06/11(木) 21:00:46 O
>>194 結局、すべて神経の電気信号のやり取りで痛みの大きさは電流の大きさでしょ。
でもいつも同じように感じるなんて出来ないよね。
例えば、長時間正座してて足の感覚が鈍い時にツネってみると痛みがよくわからなかったりする。
まあこれは単に神経麻痺だと思うが信号を受容する脳だって常に正確に電気信号を感知するとは思えない。
見ることも幻覚なんてものがあるけど酸欠、薬物中毒、精神病でない限りこちらは正確だと思う。
あまり電流の「量」は関係が薄そうだしほぼ一定なのでは?
素人考えでスマソ。
>>184 前も書いたけど、やっぱり主観性の原理の解明かなあ。
意識の境界問題の解答が得られることと言ってもいいかも。
と言ってもこれ自体がとても難しい問題なので恐ろしくハードルは高いけど。
でも主観性の原理が解明されて、それと両立するかたちで自分と他者を接続する技術ができたなら、
自分と他者の主観的経験はそのまま保持されて、かつ自分でもあり他者でもあるような主観が形成されることになるだろう。
その場合、他者の経験は同時に自分の経験でもあるわけだからこれはもう「原理的に」わかる、
としか言えないんじゃないか。
絶対音感のある人とない人に同じ音を聞かせる。違いはあるのか。あるだろ。
痛みは、赤ちゃんのとき痛い目にあってると、鈍くなるみたいだね。
だからなに。
哲学についてのコメントだね。そのとおりだよ。
200 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 15:35:36 O
Iミソミソミソ
I J J J
IIIIIII
201 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 15:37:11 O
Iニソニソニソ
I J J J
IIIIIII
202 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 17:03:49 O
ホワイトアングロサクソンプロテスタント
>>196 そういったことでは問題は解決しない。
わからないままだろう。
>>203 >>196を理解してる?
「わからないままだろう」の立場の人は
>主観性の原理が解明されて、
これが無理だろう、という考え方なんじゃない?
>>205 「主観性の原理が解明される」がどいういうことなのかわからないが、
主観が技術的な進歩によって他者と接続されたことを想像してみるがいい。
どこまでいっても問題が残ることがわかるだろう。
207 :
196:2009/06/15(月) 19:16:36 0
>>205>>206 >>196 > でも主観性の原理が解明されて、それと両立するかたちで自分と他者を接続する技術ができたなら、
このあたり自分で書いてて恥ずかしいくらい根拠のない話なんだけど
でも、もしもこの「たら・れば」に目を瞑ってもらえるなら後の部分は問題なく理解してもらえると思うんだけど。
ごちゃごちゃ書いてるけど、簡単に言えば
>>176さんが書いてるような自分の中でのクオリアの比較ということだからね。
「たら・れば」が許されるなら、「神がいたら」で全部終了
>>207 そう、結局「自分の中でのクオリアの比較」にしかならない。
他者と接続したとしても、
それは「他者と接続されたときに感じる自分のクオリア」であり、
どこまでいっても他者の経験ではない。
つまり「わからない」
210 :
考える名無しさん:2009/06/15(月) 21:31:15 O
わからない君w
でも、あえて逆に考えてみるか。
Aさんの脳とBさんの脳を特殊な線でつないでみたら、Aさんを針でつつくとBさんも「イテッ」と言い、
逆にAさんに「Bさんは今何を考えているか」と聞いたらその答は当たりまくる…
なんてことが続いて、二人の考えや感覚がずれることが全くなかった、と想像してみる。
それでもなお、「2人は同じ感覚・考えを持っているのではない」と言えるだろうか。
言えるとしたら、その理由は何だろうか。
>>211 A=B ではないことが理由
もしくは
A=B を保証するものが無いが理由
213 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 05:50:28 O
そこで分離脳ですよ。
214 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 06:02:54 O
今は二人の人(二つの脳)でAさん Bさんとしてるけど
分離脳の左右の脳半球(Hemisphere)をそれぞれ Ha Hb と書く。
で、ここで脳梁を接続してみると Ha+Hb が得られるけれど
これは分離脳ではない人、つまり脳梁の切断手術を受けていない人と等価になるだろう。
うん、君を含む、僕らがHa+Hbだ。
215 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 06:05:55 O
Ha + Hb であるとはどのような感じか。
AさんとBさんに手術をして、以下のようにしてみる。
・A身体+A右脳+B左脳(改造A)
・B身体+B右脳+A左脳(改造B)
でも、これだけだったら、改造Aさんを針でつついたら改造Bさんも「イテッ」と言うなんて
ことは起こらず、2人の感覚は違う(のではないかと思われる)ことに変わりはないのでは?
それとも何らかの理由で何らかのことが起こったりするだろうか。
217 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 13:23:59 O
感覚の差異は感覚そのものを確認しなくても脳内物質の分泌量、脳波の違いがあった時点で「違う」となるのは当たり前。
同一個体においても例えば「慣れ」なんてのもあるわけで一回目の実験と二回目の実験には差異が生まれることは予想出来る。
何が「違い」なのか定義出来なければいわゆるクオリアは必ず存在するものとなるわな。
要するに否定出来ない担保を含んだ仮説となるわけ。
>>216 それ以前の話
それはすでにAさんとBさんではなく、CさんとDさんと言えるだろう
なぜなら改造Aさんは完全なAさんではなく、おそらくAさんであるパーツを大幅に失ってしまっているからだ
よって改造Aさんはあくまで改造AさんでありAさんとはなりえない
219 :
考える名無しさん:2009/06/16(火) 23:57:11 O
馬鹿馬鹿しい
220 :
196:2009/06/17(水) 13:45:17 0
俺の書き方がわかりにくかったかもしれない。
>>196の「主観性の原理に従って主観を接続する」で考えてるのは
>>61や
>>211のような
一個の主観がもう一個の主観を経験するようなことじゃあない。
主観の統合とでも言えばいいのか、脳を接続することで一個の主観を形成するということだ
(
>>205さんは批判はあるだろうがこの点はちゃんとわかってくれてるようだ)。
>>214さんが簡潔に書いてくれてるけど、自分なりに以下書いておく。
(a)という経験を持つ(A)さんと、(b)という経験を持つ(B)さんの脳をある原理に従って接続すると(AB)という主観ができる。
この(AB)さんは(a)という経験と(b)という経験の両方を共に自分の経験として持つから両者を比較可能、というのが
>>196。
で、この(AB)における経験の比較がどんな感じかというと、多分我々が今現にやってるような
両目や両耳のクオリアを比較したりしてるような感じかなあと。
自分がなにを言っているのかまったくわかってないらしい。
>>220 君は自分をその「Aさん」だとしてその一連の実験を考えてごらん。
223 :
196:2009/06/17(水) 14:58:48 0
>>221 一応、わかってるつもり。なんていうか、絵に画いた餅?
>>222 何度考えても主観性の原理のところで早送りになるけどね。
「主観どうしをある原理に従って接続すると」
こういうのを「論点先取」というんだよ。
225 :
196:2009/06/17(水) 15:23:52 0
>>224 いまやってるのは「原理的にわからない」という意見に対してこういうことも想像可能である以上
「わからないかどうかはわからないんじゃない?」という話だから。
想像は可能ですよね?
>>225 「統合された主観」はどういうものだろう。
きみがAさんだとしたら。
記憶喪失の人が記憶を思い出したとき。
二重人格の人が直ったとき。
目覚めて、しばらくして見た夢を思い出したとき。
231 :
考える名無しさん:2009/06/17(水) 18:29:24 O
232 :
196:2009/06/17(水) 20:10:35 0
>>226 >>227-229は自分じゃないけど、なるほどとは思った。
自分としては「統合された主観」は俺自身の主観をモデルにしてるけど。
我々も例えば痛みと色という一見バラバラのクオリアを一つの主観として統一性を持って経験してるわけで、
逆に言うと我々自身が「統合された主観」そのものだと言ってもいいかもしれない。
>>220 あのー
>>218は無視?
ABの主観ではなくCの主観であり、統合した時点で主観abは新たな主観cとなる
主観abがcではなく異なる主観であるうちは一つの刺激に対して複数の反応を得ることになり、それは結果的にやはり即座に主観cが作られ、cの判断で検証される
もし上記でcが作られない場合はabも判断する材料を失うため、反応は混乱の中に消失する事になる
234 :
考える名無しさん:2009/06/18(木) 10:34:06 O
語りえないものの語りえなさについて語るスレ
>>232 ならば統合された主観はあくまでひとつの主観だというこどだ。
とするとそのきみの主観(AB)の経験(ab)は君以外のだれの経験でもないということになる。
であるならばきみ(AB)の経験(ab)をBの経験(b)と比較することはできない。
問題のいちばんはじめに戻ってしまうことになるだろう。
236 :
考える名無しさん:2009/06/20(土) 14:44:47 O
全人類を一つにつないだら、どうなるだろうね。それで何か考え方が変わるだろうか。
と、適当なことを書いてみる。
237 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 00:16:40 O
人類は最終的には肉体を捨て意識の集合体となるのだ。
238 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 00:37:28 0
実は
>>1が考えたことをよく昔考えていました。
自分は海は青く見えるけれどもほかの人は自分で言う赤に見えていて
その人の赤は自分で言う青なんではないかと。
あらゆる人が相違を持っていたとしても
その海が青い限り誰が見ている色もそれが青。
だから何?というわけでもなく、解決するわけでもなく。
変ですよね。
239 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 01:05:28 O
ただのロマンだから深く考える必要はない
240 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 04:14:35 0
花形のクッキーとハート型のクッキーどっちもらった方がうれしい?
241 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 04:18:58 0
それからまる型とさんかく型とステッキ型
絞り出し袋ならうまくいきます
でもスレ(板)違いでしたすみません先生
242 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 06:21:10 0
クッキー作りたいのにバター高いお(´;ω;`)ブワッ
243 :
考える名無しさん:2009/06/21(日) 18:01:21 O
牛乳でバター作ればいい
>>238 自分も昔それは良く考えてた。昔の人も
>>1も同じ様に考えてるようだし。
思春期になり、人間関係を学んでいく中で自分と他人について思考を巡らすんだと思う。
その中で「実は自分(もしくは他人)はもしかして他の人と違う色を見てるんじゃないか」と
考えるんだろうな。
でも「だから何?」って所が解決しないと、まったくどうでもいい話になってくな。
>>1はそこをもっと考えるべきだった
例えばもし他人と感覚が共有出来て、
そこで
>>1の様にまったく色が違う色に見えていたら、
それは何故なのか、を考えるべきだな
どういう差異があるのかとか
246 :
196:2009/06/21(日) 20:09:53 0
>>233 よくわからんけど
>>235と同じような意見なのだろうか?
>>235 > ならば統合された主観はあくまでひとつの主観だというこどだ。
> とするとそのきみの主観(AB)の経験(ab)は君以外のだれの経験でもないということになる。
>>220でそう書いてるけど。
なぜひとつの主観かというと、この場合の「わかる」は主観的経験、自己知の確からしさというかたちで得られるのが一番自然に思えるから。
>>246 Bさんの知覚・記憶・感覚を持ったAさんは
Aさんの知覚・記憶・感覚しか持たなかった頃のAさんと同じだと思う?
同じだと思うなら次に考えるべきは、経験による感覚の変化は無いのかということ
Bさんの経験(知覚・記憶・感覚など)をもったAさんは、以前の経験で考えることは出来るのか?
もし可能だというのであれば、子供の頃の新鮮な世界を今経験できないのはなぜか
248 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 01:58:04 O
そもそも知覚が重複するのがありえない。
何がいいたいのだか…。
Aさんの脳をいじって改造Aさんにした時点で、それは改造AさんであってAさんではない
それどころかBさんの記憶と整合性をとるためにAさんの頃の記憶や感覚も変質してしまう可能性が高い
だから改造Aさんは改造後のBさんの記憶を用いてもAさんの頃の記憶とは比べられない
よって他者の痛みを知ることは出来ない
250 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 03:10:48 O
君の見ている赤色は赤色でいいんだよ
もしそれが誰かにとっての青色であっても
それで通じるなら問題はない
251 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 11:46:26 O
赤を青と認識しているかもってのはあまりに誇大
そんな奴居たら文房具屋でクレヨンすらまともに買えない
色にも色番号ってのがあるのを考えたらわかること
252 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 15:46:17 O
>>251 例えばA君とB君の前に林檎があるとする。
二人ともその色は赤だと言っている。
ここでB君の目に映っている赤が
A君にとっての青であったとしても、
それをB君が赤と呼んでいるならA君に通じる。
この状態ならクレヨンも買えると思うんだけど。
うーん上手くいえないなあ。
さすがに
>>251は釣りだろw
そうじゃなかったら馬鹿すぎる。
254 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 20:33:27 O
>>252 いや、現実的な話をしたまでだよ。
まずそんな奴がいたら色覚検査で引っかかるわな。
引っかかった中で更に眼ではなく脳の異常からくる色認識異常を絞ることになる。
色盲でも赤と青の区別はつくからな。
つまり、ほとんどありえない喩えなんだよ。
色盲は赤系は茶色っぽく見える
これ、豆知識な
256 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 21:08:36 O
>>254 色覚検査をどうやるのか知らないけど、「これは何色?」
という質問に答えるものならB君は引っかからないよ。
B君の赤はA君にとっての青だけど、赤と呼んでいるわけだから。
てか色盲とかの話じゃないと思うんだけどなー
どうだろう?
258 :
考える名無しさん:2009/06/22(月) 22:35:53 O
人間ってのは昨今、未知には今持ち得る常識の範疇で否定したがるもんだ。
そーやって潰して塗り替えられて新しい事実を知って進歩するから楽しいんだろ?
目に見えない物を否定しっぱなしなら空気の存在も証明出来なかったかもな。
自分に枷付けないで柔軟に楽しめや。
>>256 A君は青を赤と思い込んでるってことだろ?
赤いリンゴと色のサンプル表を用意して「このリンゴの色に近い色をこのサンプル表から選んでごらん。」って言ったなら結果的に正解の赤を選ぶわけだな?
だから他人から見ればA君の脳が異常であると判断出来ない。
では、色覚検査みたいに青の紙に赤で記号を書いたものをA君に見せれば彼はその記号を読み取ることは出来るだろうか?
A君が実際の青をまた別の色に認識してしまってるなら話は別だがね。
260 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 00:46:23 O
文系の人ってこういう話する以前に知っておくべきことがいろいろあるんだよね
>>257とか…
261 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 01:53:16 O
>>259 そうそう。青もまた別の色として認識しているんだよ。
上手い具合に噛み合ってるから気付かないだけで
もしかしたら私の色の認識は他の人とズレているかも知れない
ということだね。
無視しきれなかった!
精進します。
262 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 09:18:41 O
んなことはない。
関係大有りだよ。
スレの最初頃にその話も出てる。
265 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 13:49:07 O
その人が見たままを完璧に映像化できるようになったらこの問題は解決するかもね
関係あると思っているひとは
>>251のように問題を理解できていないだけ。
267 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 15:02:35 O
林檎の色が記憶として保存されているAさんの脳から保存処理された画像をアウトプットすれば
Bさん認識する林檎の色と≠か=か判断出来ない?
関係あると思っている人は
問題を理解していないし、
>262の記事の内容も理解していない。
>>267 前にも書いてあるけど判断できない。
もうそういうレベルの書き込みはいいかげんやめて欲しい。
>>262のスレの1を読んだら、本当に全然関係ないじゃねーかw
シナプスの結合の変化などを映像化した、という話でしょ?
どんだけ発想を膨らませたら、このスレの話につながるんだよw
研究の初期段階はクオリアの確認にはもちろんならんが、完全なる映像化も夢ではないのではないか?
少なくとも可能性を秘めているという意味では関係はある。
273 :
考える名無しさん:2009/06/23(火) 22:15:16 O
俺には『わからない君』がこのスレに執拗にわからないを書き込む理由がわからない。
「答えが出ない」という事を証明する事も答えになるということが分かってないんだね
>>275 追求にはプロセスに伴う複数の発見と発展があるが
答えがでない、という諦めは断念でありその先には何もない。
先ず、100%不可能という証明も不可能だと思うが。
証明されているのに理解できないというのが一番の問題。
未来永劫不可能とどうして言いきれる?
人の発展は常に不可能を可能にして非常識を常識に塗り替えてきたんだぞ。
10年前はニュートリノの質量を計るという発想すらなかったろうに。
映像化されたディスプレイを複数の人間が見たらどうだろう?
映像と実体に違いを感じる、やや感じる、かなり感じる…こういった風にデータを集計していく方法。
そういった考え方は根本的に見当違いだと何度も指摘されているのだから
自分の考え方のどこが間違っているのか今一度よく考えてみたらどうだ。
もしくは認識論の初歩を勉強するなりして基礎的な知識を身に付けるとか
他にすることがあるんじゃないか。
大した認識論でもないね。
クオリアってのは要するに平均値じゃなく個体差なわけだろ?
個体差をディスプレイに映った映像で各々が確認しろって言ってるわけじゃないぞ。
意味分かるかい?
ディスプレイに映った時点で色は少なくとも数値化可能なわけ。
クオリアをクオリアが存在するかもしれない脳で認識するのは間違っているくらいわかってる。
そんな低次元な意味でしかとらえられないとは如何にも文系だなぁ。
>>276 そういう大言壮語はまず、世の中のパラドックスのどれか一つでもパラドックスではないと証明してからにしてください
>>281 その数値化が脳内での処理と完全にイコールで結ばれるのかという問題が発生するけど?
>>282 現在に至るまでに数多の事象でパラドックスを証明されているだろうが。
だから絶対不可能を証明出来ないからといってミスリードしないでくれよ。
>>283 じゃあ、二つ課題を出そう
「海を見たことが無い人間に海を理解させることは可能か?」
可能であるならばどうすれば可能か
これを答えてほしい
また、答え終わったらこれにも答えてほしい
「海とはなんだ?」
>>284 実に簡単だろ。
海を見せてやればいい。
そうすれば海という共通認識が生まれる。
>「海とはなんだ?」
地球の地上外の塩分を含む、つまり海水で覆われたエリア
つか
100%証明不可能という証明をしろよ。
それをすれば事済むから。
286 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 00:52:59 0
みんな頭固いぞ。
考えろ。
287 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 00:54:53 O
わからない君は、要はマッギンと同じ神秘主義の立場?
>>285 それはではダメだ
その方法では海を理解する前に海を見たことがある人になるだろ?
それにその海の解説も全く不十分
それは海の概要でしかないよ、言ってみれば「海は海だよ」と言っているに等しい
大体、海を言葉で説明するってことがクオリアとはかけ離れてるわな。
逆にクオリアが存在しない場合ならそれが可能だと考えてるわけだろ?
聞こうじゃないか。
何を言っているんだ?
課題1では
『物事を理解するためには経験が不可欠』
と言っているだけだ
経験せずに理解するためには
『経験を通さずに理解するためには他の経験で補う必要がある
その経験も完全でない場合はその為の他の経験で補う必要がある
さらにその…』
となり、完全な理解は不可能と言っている
課題2では
『物事の解釈は自分の経験が基準となる』
と言いたいだけ
「地球の地上外の塩分を含む、つまり海水で覆われたエリア」
この事を地球と言う概念が無い太古の人間に話して同意を得ることが出来ると思うか?
知識と言う共通認識があると知ることも経験の一つに過ぎない
ではこの二つの課題で言いたかったこと
『前スレ
>>884の後半を読め』
291 :
289:2009/06/24(水) 01:58:36 O
>>290 ちなみに俺は
>>285ではないのであしからず。
何を言いたいのか知らんがアイデンティティーを認めて欲しいから何でも否定論にしてしまってるようにしかみえないね。
混乱するだけだから端的に述べたほうが良い。
さほど考えはずれてないとも思うし、論点をずらしてるだけにもみえる。
内容もさほど無いし。
こんな時間にsage進行する携帯からの投稿者が二人以上いるってのか?
まあいい
端的に言えば「おまえ前スレ読んでる?」と聞きたい
読んでないなら前スレ読んでからこいよ
>>292 大したこと考えてないとわかってるのにわざわざ見るわけないだろ?
自信過剰な人だなあ。
294 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 02:44:40 O
どっちがどっちか全く解らんな。
とりあえずこうか?
意識体験の私秘性は絶対的なもの、
だから間主観でクオリアの同質性を問うことは検証方法が存在しないためムダ
こう言いたいのか。
クオリアの検証をクオリア脳で検証するって誰が言ってんだよ?って話。
明らかに誘導的なんだよ。
クオリア検証不可が前提になってしまっている。
298 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 13:53:59 0
横から意見。
「否定的に証明」とか、
「証明不可能を証明」は、
立派な証明ですよ。
ゲーデルの不完全性定理とか、そうだよね。
ただまあ、どの道理論的で理性的に
議論して証明しないといけないけど。
299 :
196:2009/06/24(水) 14:39:29 0
>>247>>249 自己同一性の問題かな?
質問で返して申し訳ないのだけれどAさんという一人の人間、
経験によって考え方が180度変わってしまった、子供の心を忘れてしまった、
あるいは病気で脳の手術をして一部を切り取ってしまった大人のAさんは
かつての少年又は少女のAさんではないということなのかな?
300 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 15:18:01 0
>>299 同一人物とは確信できないんじゃないかな。
でも分析哲学的には……どうなんだろう。同一人物かも??
ところで、別人のクオリアを比較する問題は、
「盲目の少女に、空の色を理解させるためにはどうすればよいのだろう」
という問題に言い換えられると思う。
で、
>>290の言うとおりに『物事を理解するためには経験が不可欠』なら、
これは無理なのかなぁ、と思う。
301 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 15:50:25 O
ロバートケネディー暗殺事件
302 :
196:2009/06/24(水) 15:54:22 0
>>300 「説明のギャップ」の話だよね?
それとクオリアの比較の問題は別じゃない?
理解するということがどういうことなのかによると思うけど、とにかく「経験が不可欠」なら経験すればいいじゃない?という話。
それが「原理的」に無理なんだ、という人がいてその説明が
>>60-63。
対して、現状できないけど原理的に無理かどうかはまだわからないよ、
こういうこともできるかもしれないよというのが
>>196。
303 :
196:2009/06/24(水) 16:21:49 0
というか、
>>60-63は比較する方法として二つの例が挙げられてるだけで肝心の「原理的」な説明が抜けてるし、
その方法とやらもベタすぎてそりゃ無理!ってのをわざわざ選んでるような気がするし。
304 :
考える名無しさん:2009/06/24(水) 17:39:49 0
>302
んにゃ、ゆわゆる「説明のギャップ」だけではないんだよ。
たとえば少女に電極をぶっさして、脳の状態を青が見える状態にしても、
少女はこういうだろう。
「うん!なんか初体験のクオリアを感じる!
で も 本 当 に こ れ が 空 の 色 な の !?」
残念ながら、科学にできることはここまで。
305 :
304≠63:2009/06/24(水) 17:43:46 0
なぜなら主観を直接観測することは科学に含まれないから。
>63に描いてることを端的に言うと、
「科学は主観を対象にしません。
だから主観の問題を解くことは無理です。」
ということだと思う。
(これが「原理的に」の理由でしょ。)
ちなみになぜ盲目の少女を出したかというと、
登場人物を一人にしたかったから。
複数人出てくるとややこしくなるだろうと思って。
(簡単化に成功したかは自分でも疑問)
共通認識が=か≠なのかが問題ならば共通認識していない全盲者が例えってのは端っからおかしくないか?
目が見えない奴とは認識も違うし共通してないじゃん。
308 :
196:2009/06/24(水) 20:22:15 0
>>304 青は見せるけど空は見せないというのは人としてどうなの?w
>>305 つ「心理学」
というか、俺が聞きたいのは「わからない」ことの説明であって科学がどうたらの話ではない。
もしかしたら「科学でわからないものはどんな方法でもわからない」と言いたいのかな?
実際、科学以外に謎を解明した事例などこの世に存在しないよ。
絶対に反例を挙げれないはずだね。
>>299 自己同一性の問題ではない
社会通念上では同じAさんではあるが、この命題を考える場合は同質のAさんとは呼べない
さらに言ってしまえば、さっきのAさんといまのAさんも同質とは言えない
同質でない以上、同じものを見ても同じ感覚を持つとは限らない
感動する映画を、始めてみた場合と、2度目に見た場合は、映画という刺激に対して発生する感覚は変わってくる。
一度作品を経験した情報の蓄積により、同じものを見ても得られる結果は変わってくる
>>307 >目が見えない奴とは認識も違うし共通してないじゃん。
その説明の為に海を例に出した
通常海といわれた場合に想像するのは自分の経験した海となる
しかし南国の珊瑚礁の島の住人の考える海と、三陸海岸の海と、北極海の海では全く違う
結局のところそれぞれの海の認識の差異を知りながらも共通する部分で語ることを容認しているだけ
南国の海を南国の人間のように認識するためには南国の人間になるしかない
南国の海を南国の人間と全く同じく認識するためにはその人間になるしかない
過不足無く同じ人間にならない限りは同じ感覚は得られない
>>311 じゃあ色盲や盲目以外の奴に【赤】【青】【黄】のどれが青って聞いても答えがバラバラなの?
>>312 いい加減前スレ読めよ
「ぬ」という文字を見る→被験者A→脳内処理→「ぬ」という認識
「ぬ」という文字を見る→被験者B→脳内処理→「め」という認識
問題としているのはこういうこと
インプットの後、内部処理でエラーが起こって認識が違うかもしれないってのが命題
ところがアウトプットのときは矢印が逆になるだけで
「ぬ」という文字を書く←被験者A←脳内処理←「ぬ」という認識
「ぬ」という文字を書く←被験者B←脳内処理←「め」という認識
何の問題もない
これが共通認識って事
では、他人の認識はどうなっているかというもう一つの命題
認識は、その大小長短はあるにせよ、経験により固定化されるもの
これは経験が変われば認識も変わるということを示している
被験者Aの「ぬ」という認識←「ぬ」と認識を固定←経験による「ぬ」という知識←「ぬ」という存在
被験者Bの「め」という認識←「め」と認識を固定←経験による「ぬ」という知識←「ぬ」という存在
この場合、AがBの認識を使うためには、その認識を固定させた経験を経なければならない
その場合、Aの認識はBと等しくなってしまう
よってもしそれが可能だとしても変化に気づかない
>>313 また駄文をダラダラと書いてるな。
昨日「端的に」と言ったばかりじゃないか?
これだから文系君は…orz
319 :
考える名無しさん:2009/06/25(木) 01:08:53 O
明らかに混乱してる。
色々な問題をまぜすぎ。
概念を整理して、言葉をちゃんと使って問題を切り分けないとね。
320 :
考える名無しさん:2009/06/25(木) 01:22:00 O
とりあえず文字認識には
一次視覚野より少し前(腹側)の下の方(足側)にある皮質(脳の表面にある数ミリの薄い皮)が大切。
解剖学上の名前は忘れた。
これは簡単に「他人の主観を直接観察することは原理的に不可能である」
ということではないの?
これは「客観は直接観察できる」ということではなくて
「直接観察できるのは自分の主観だけだ」ということだろうけど。
端的にいう
↓
理解できないと文句言う
↓
解説をくわえる
↓
端的にかけと文句言う
↓
端的にいう ←いまここ
>>323 違う。
君の考えを端的にまとめた人は2人ほどいる。
はっきり言って君の言ってることのレベルは端的に話せるもの。
いちいち「脳を連結」だの「A君B君」だのと駄文をもって説明する必要などない。
中身の有る話をしろよというのが理系の俺の意見。
端的にいう
↓
理解できないと文句言う ←いまここ
↓
解説をくわえる
↓
端的にかけと文句言う
↓
端的にいう
>>325 意味がわかってない。
つまらないことなら端的に述べたらどうだということ。
解説は聞くまでもない。
327 :
考える名無しさん:2009/06/26(金) 14:55:31 0
問題をもう一度まとめよう。なるべく単純化して。
「ある人物Aは赤色を見たときにXという『感じ方』をする。これは他の人が青を見たときに感じるものと同じものである。
その人物Aはまた、青を見たときにYという感じを受け、これは他の人が赤を見たときに感じるものと同じである。
このとき、Aはそのことに気づくことができるだろうか。」
(※『感じ方』X,Yってのは、クオリアのことね、念のため。知らなかったらwikipediaへ。)
言い換えた問題
「盲目の少女に海の色を説明することは可能だろうか。
たとえば、盲目の少女に、脳に電極を差して青色を感じさせる。このとき
どうやったら少女はそれが海の色だと確信できるだろうか。」
「理系さん」はどう考える?
(これでまだクレヨンがどーのこーの言ったら、もう知りません)
328 :
考える名無しさん:2009/06/26(金) 21:03:13 O
>>327 とりあえず
>>259と
>>281を読め。
クオリアは理解してるのがわかるだろ?
で、クレヨンの話は君の話が現実的な喩えでは無いってことを言ったまで。
例えば、写生大会で青い空を認識異常から他人の赤と認識しててもクレヨンの青を選択するだろうから結果的に正常な色の認識が出来ているようにみえるって言いたいわけだろ?
わかってんだよ、そんなつまらんことは。
おまえの話はつまらん。
俺はもっと先の話をしてんのよ。
色覚検査で認識異常と色盲をどう区別するよ?
大滝秀治かよw
>>328 うん、クオリアを理解していないって事が良く分かった
331 :
考える名無しさん:2009/06/26(金) 22:41:35 O
>>330 はったりかますなよ、文系君。
こういう話を文系君があーだこーだその気になって語ってるのを理系が聞いたら滑稽にしか映んないからさ。
いや、はったりじゃないよ
何より
>>281を指して「理解している」なんていってるようじゃね
>ディスプレイに映った時点で色は少なくとも数値化可能なわけ。
これがよく示してる
哲学的ゾンビと言われる物を提示して「クオリア」と言っているようじゃダメでしょ?
>>332 ディスプレイを複数以上の人間が同時に見たらどうなる?
君は勘違いしてるようだが、俺は一度も相手の認識を寸分狂わず体感可能など言ってない。
未来的には可能かもしれんが、そういう妄想的な話を今してもしょうがないからな。
要するに、クオリアの「存在性」の確認だよ。
意味分かるかい?
存在するか存在しないかの2択の話。
>>333 理解できない点が3点ある
1・それでどういう経路で何が分かるというんだ?
2・そもそもクオリアをどのように考えているんだ?
3・複数”以上"って?
335 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 00:36:07 O
>>334 1…日本語がおかしいから回答出来ない。
2…ラベル付けする前の「感じ」
3…一人のクオリアの存在性の確認は別の一人の観測では行えない。
実験の正当性に問題があるから。
詳しく言えば、ラベル付けする前の「感じ」をディスプレイ表示出来るなら、それはクオリアそのものの映像化。
観測者を増やせば被験者のクオリアの存在は明らかになる。
それに止まらず、色に対する平均的な認識もみえてくる。
色には明度、彩度ってものがあるの知ってるかい?
これらと各人のクオリアを関連付けることも上記により可能となる。
>>335 2・どのようにして「感じ」を表示するんだ?
3・設問の主旨を読み間違えている、「複数以上」というのは「無限大より大きい」とか「0すらもない数」とかと同じ表現
>「感じ」をディスプレイ表示出来るなら
どうやってやるのかそのアイデアで良いから聞きたいね
まず「感じ」の定義からだな
337 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 04:30:15 O
>>336 2…クオリアの映像化。
以降はクオリアの映像化が科学の発達にともない可能となったならばという話。
3…他人の映像化されたクオリアの評価における方法論な。
観測の妥当性は観測者が多いほどに上がるに決まってるだろ。
例えば、被験者のクオリア映像を多数の人間に見せたなら、ほぼ同じ感じ方をする者も見つかるかもな。
ランダムに選ばれた被験者なわけだが、そのクオリア映像を基にして「感じ方」の分布図も作れるだろう。
分布図が出来るということは、いわゆる人間の平均的な見え方を確定することが出来るということ。
被験者はたった一人で事足りるわけだ。
俺はクオリアとは主観性の違いとはとらえない。
あくまで、客観性。
ただし、実験を行うにあたって、色の感じ方にはクオリアの可能性以上に錯覚の問題があるわな。
2次元的なディスプレイでは色々問題があるかもしれない。
人間の「視野(見える範囲)」を再現する必要もあろう。
以降の質問はつまらなすぎ、却下。
結局2chで議論してまともな結論が出ないことは分かってるんだろ?
お互い自己レスして納得してなよ。
>>337 横レス失礼します。
「クオリアの映像化」の意味が、もうひとつわかりません。
たとえば「自分の見た光景を絵に描く」ことも、「クオリアの映像化」には
違いないと思うのですが。
それを複数人で比較検討する、というようなことも、日常的に行われています。
たとえば「目撃者に犯人の顔を描いてもらって、他の目撃者にも
見てもらって、似ているとか違うとか議論する」作業とか。
仮に「自分の見た犯人の顔を、細部の形から色から質感まで
寸分もたがわず自動的に再現する装置」などができれば、
上の作業は飛躍的に効率化すると思いますが、哲学的な問題とは
あまり関係がない(たとえば赤と緑のクオリアの逆転の問題などは
解決できない)と思えるのですが、違いますか。
>>339 モンタージュは記憶が頼りだから色々問題があるのは言うまでもないだろ?
この場合は、ディスプレイの赤い林檎と同時に林檎も見ているわけだよ。
超短期記憶しかそこに関わる可能性は無い。
ただ、クオリアの検証におうて長期記憶や経験による反射反応が紛れて現れる可能性があるわな。
誰かがいうように海のイメージがあるが、これは同じ「感じ」かもしれんが純粋な(経験を基にしない)クオリアとは別に扱わなければならないかもしれない。パブロフの犬は知ってるよな?
梅干しを食べた経験がなければヨダレは出ない。
これさえもクオリアと呼ぶならクオリアを細分化して別け隔てる必要があると考える。
錯覚や反射反応など考えられる妨げを完全排除しなければ「純粋なクオリア」(呼称が無いのであえてそう呼ぶ)の検証は成立しないのは言うまでもない。
>>340 ええと、いやそういう難しい話では全然ないのです。
たとえば赤と緑のクオリアが逆転している人がいたとして(現に私が
そうなのかもしれないのですが)、その人の目の前に林檎があって、その人が
現に感じている視覚的クオリアを映像化するとします。
普通に絵の具で映像化するなら、赤の絵の具で林檎の形を描いたものが
それなわけです(ちなみに、形のクオリアの逆転も哲学的にはありえると
思いますが)。
それを見て、当人は「おお、俺のクオリアはこれに近い」と考えて、そう言うでしょう。
クオリアの逆転は、誰にもわかりません。
これを絵の具ではなくてもっと精巧で厳密な特定波長の光とかによる映像化でも、
原理的には同じことではないか、ということです。
あなたのいう「クオリアの映像化」が、この場合でいえば緑の絵の具
(あるいは光とか)による映像であるとすると、それを見た当人は
(通常人の赤のクオリアを感じながら)、「馬鹿これは緑じゃないか。
全然俺のクオリアと違うぞ!俺の見ている林檎は赤だ。」と考えて、そう主張するわけです。
この場合、当人のクオリアは世界中で当人しかわからないのに、そして、
その当人が違うといっているのに、どうして緑の絵の具(か光)による
映像化が当人のクオリアの「正しい映像化」であるとわかるのか、検証が不可能では
ないか、ということです。そもそも、その映像化装置はどんな原理で動くのか、
まったく説明がつきません。この場合「クオリアの映像化の正しさ」は
まったく超越的な原理で問答無用に担保されるしかない、ということにならないか、
というような疑問があるわけです。
>>341 君は言わずとも理解してるじゃないか。
クオリアの映像の【正しさ】とは何を基準に判断するかは平均的な見え方を基準にすればいいじゃないか?
そもそも、自分のクオリアが平均とはかけ離れているのではないか?という疑問から生まれた命題だろ?
他人のクオリアをまんま観たいわけかい?
これはもう話したことだから2度と言わないよ。
俺はクオリアを相対的な主観の差異で捉えるのは映像化よりも先のずっと未来の話であるからして今は語ろうと思ってない。
あくまでクオリアを人間の平均を基準に評価する方法を述べている。
ハード的に可能かどうかなんて野暮なことは聞かないでくれよ。
付け加えるなら、色には色番号ってものが存在するわな(明度、彩度など)。
これらと人間の色彩感覚に関連が無いかもしれないということを暗に君は言っているようなもんだよ。
そこまで人間の5感はおかしいものではないよ。
んなこと言ってるのなら、別にわざわざこんなスレに来ないで、
脳科学の勉強なり研究なりをすればいいじゃないの。
ええと、どうもやっぱり根本的に問題意識が食い違っているとしか思えません。
>>342 >他人のクオリアをまんま観たいわけかい?
「クオリアの映像化」は、「他人のクオリアをそのまま観ることができるように
可視化する」という意味ではないのですか? そうでないとすると、何をどう
映像化することなのか、よくわかりません。
>自分のクオリアが平均とはかけ離れているのではないか?という疑問から生まれた命題だろ?
というより、「自分には自分のクオリアしかわからないので、他人が感じている
クオリアがどんなものかは原理的にわからないのではないか」という疑問だと
思います。少なくとも
>>1はそういうものだと思われます。ですから
>クオリアの映像の【正しさ】とは何を基準に判断するかは平均的な見え方を基準にすればいいじゃないか?
と言われても、他人の「見え方」がわからない以上「平均的な見え方」など
わかりようがないわけです。
そもそも
>>341に書いたのは、「他人(自分でも)のクオリアを映像化すると
いっても、その映像化されたものと他人(や自分)のクオリアが本当に
一致している(正しい)かどうか、誰がどうやって判定するのか、
そんな判定は原理的にできないのではないか」、という疑問です。
「他人の見え方」や「平均的な見え方」があらかじめわかっているならば、
何もクオリア(見え方)の映像化など、する必要がありません。
もちろん、通常は、色盲とか色覚異常だと判定されない限りは
「自分の見え方が平均的な見え方だろう」と考えて、あとは林檎やみかんや
空や海や、あるいは絵の具や色番号表等々を見て自分が感じるクオリアの体系と、
他人との言語的交流に矛盾がなければ、それで不都合なく生活できるので、
別に問題はないわけですが。
逆だろ。
大した理屈もなしに妄想話に花を咲かせる文系君にこのような類の命題など解き明かせるはずもなかろう?
科学がまだ侵食してないことだけ哲学しとけばいいんだよ。
何故生きるか?とかそういう詩的なやつなw
347 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 14:24:21 0
あー、理系君の主張がやっとわかってきた。なんとなく。
君をとんでもない馬鹿だと思ってたけど、それは訂正するよ。謝罪。
ただ説明が下手なだけなんだね。携帯だから詳しく書くのがめんどくさいのかも知れんが。
論文では気をつけてね。
ほかの人のために、彼の主張をまとめておくよ。
間違ってたら訂正よろしく >理系君
(1)技術の進歩によって、クオリア(質)を数値(量)に変換することができるようになる。
(いったん数値に変換すれば、ディスプレイでの表示も可能)
(2)見る色を固定して、その色に対するいろんな人のクオリアを数値に変換する。
(3)その数値を比較する。
(クオリアの直接比較は無理だが、いったん数値に直せば比較可能。)
(4)クオリアが異常か正常かは、他の大部分の人が同じ(または近い)数値を返しているかで判断。
色番号云々の話はまだ理解できないです。
>>345 たのむから俺の意見を理解してから意見してくれ。
意思疎通が無い者とは議論以前の話だから…。
そもそも、俺のクオリア観に
>>1など関係無い。
クオリアだってWiki見れば言葉の意味は載ってるが、その定義は千差万別。
349 :
347:2009/06/27(土) 14:30:21 0
で、君はいとも簡単に、暗に>377の(1)を主張してて、
その具体的な方法は些細な問題だと考えているようだが、
その方法こそがこの問題の肝なんだよ。
350 :
349:2009/06/27(土) 14:31:07 0
訂正
>377 → >347
流れでわかると思うけど、一応。
>>349 君、例の文系君だろ?
繊細だかなんだかしらんが具体的に意見する癖をつけろよ。
俺はそもそも哲学をしようと来たわけじゃないからな。
理系のディベートではスルー対象だぞ。
352 :
349:2009/06/27(土) 15:02:33 0
>>具体的に意見する癖をつけろよ
たしかにそうだね。
では。なぜ >その方法こそがこの問題の肝なんだよ。
なのかを僕なりに説明を。
・クオリアを直接観察するのではなく、間接的に測定して数値に直すというのなら、
まず何を観測するべきかを考える必要がある。
では何を観測すればよいのだろうか。
たとえば、いろんな人の脳をある測定法で測定してみるとする。
だがその測定値がクオリアに対応しているかはわからない。
測定値がクオリアに対応しているか、の検証はどうやるの?
その検証をするためには、各人のクオリアと各人の測定値を比較しなくてはならない。
となるとやっぱり、クオリアを別の何らかの方法で観測しなくてはいけなくて、元の問題に戻る。
>>352 だから測定値とか誤解を招くような言葉は使いたくない。
あくまでも感じ方を様々な設問で繰り返せば信頼度は上がるはず。(IQの算定を参考にしてみな)
ズコー アホカー
……ってずっこけかけたが、いかんいかん。
また理系君の得意のただの説明不足だろう。
すみませんが、もうちょっと詳しく説明してください。
「設問」って、たとえば、どんな?
「この林檎はどの色見本と同じ色ですか?」とか?
それとも「青色は冷たい感じですか?厚い感じですか?」とかですか?
理解力が無くてすみません。
>>354 もう無理はよせ。
俺はハッタリで物を言うやつは嫌いなんだよ。
君は無駄口が多すぎる。
だから「設問」ってなんですか?
>具体的に意見する癖をつけろよ。
>理系のディベートではスルー対象だぞ。
なんでしょ。
357 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 18:44:23 O
>>356 もう最後な。
なんせ色番号も色相、明度、彩度なんて知らねえ癖に海の色がどうたら言ってたんだからな、お前さんは。
とりあえず、上にあるような色についての知識とIQ算出法、非言語式IQテストなどIQテスト全般についての知識を入れてみろ。
そのうち俺の話を理解出来るようになるさ。
まあ頑張って。さいなら〜。
はいさようなら。
HSVでの表現くらい知ってるけどね。
IQテストについては
>>353で言われたから、少しだけ勉強しました。けっこうおもしろかったです。
でもたぶんこの議論とは関係ないです。
結局どんなテストでも
客観(問題)→主観(判断)→客観(解答) の手順なので、
これでは「感じ方(主観)」を直接測定することはできません。
結局は林檎見せて「これは何色?」と聞くのと本質的に同じです。
359 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 19:34:19 0
第2回、理系君の主張を(自分がどう解釈したかを)わかりやすく回折。
(1)色はHSVなどによって、「順序良く」並べることができる。
しかもその並べ方は、立体的(軸が複数ある)で、またRGB,HVSなど、複数の並べ方がある。
(2)なので色の見え方が入れ替わったりしているとき、その2色だけ調べても入れ替わっていることに気づかないが、
全ての色を並べ替えるなどの作業をすると、どこかで整合性がとれなくなるはずだ。
(3)複数のテストを大人数でやって、統計処理すれば、平均からはずれた人物を見つけることができる。
その人物が逆転スペクトルの持ち主である。
訂正よろ……って、もういないんだっけ。
360 :
359:2009/06/27(土) 19:39:36 0
でもこれって結局は、発見しにくい色盲の人を検出できるだけで、
逆転スペクトルを持つ人は発見できんよなぁ。
たぶん彼とは「クオリアとはなにか」が食い違ってたんだろうなぁ。
361 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 22:45:27 O
キングギドラに聞くといいよ
362 :
考える名無しさん:2009/06/27(土) 22:47:54 0
いちおう
>>359への反論をかいておく。
(2)が間違い。
まずRGBで並べる。それを並べ替えて、
どんな並べ方をしようと、どんな順番で並べようと、
並び替え後にどういう並び方になるかは、もとのRGBの並び方から機械的に計算できる。
つまり、ある並べ方で差が無いなら、どのように並べ替えても差は無い。
さようならしちゃったけど一応
>>337 一切具体的方法について答えていないことに突っ込んどこう
クオリアの映像化ってどうやってやるんよ
そりゃあ出来ることを前提としたその先の研究が意味を成すこともあるだろうさ
だけど、基礎研究すらやってない段階でその先を考えるのって意味あるのか?
錬金術の時代に素粒子物理学やるようなもんだろ
観測のための状況を作る機材で一つ絶対に必要なものを挙げておくと
「ラプラスの悪魔」が絶対的に必要だよ
>>342 >クオリアの映像の【正しさ】とは何を基準に判断するかは平均的な見え方を基準にすればいいじゃないか?
これが自称理系君の理解の限界をあらわしてる
基本的に観測などをする場合、必ず基準となる点が必要になる
しかしその基準となる点の保障は、実はかなり端折られたりいいかげんだったりということに気づかない人が大勢いる
例えば最初のメートル原器の作り方は
地球の北極から赤道までの子午線の長さの1,000万分の1
だがそれを行ったのは200年以上前で、しかも三角測量で行ったわけだ
当然誤差が出ていたため100年後にメートル原器は作り直された
さらに100年後、原器を使ったのでは誤差が出てくるため光速度を用いたものに変更されている
問題は、このメートルという基準が質量の基準にも関係していたこと
質量と距離がズレればエネルギー量も当然ズレる
まあ、最初が当時としてはかなり正確に測っていたんで、ズレも少ないから日常的には特に困ることは無いんだけどね
最初をいいかげんに始めると後々面白いことになるよ
>>343 >付け加えるなら、色には色番号ってものが存在するわな(明度、彩度など)。
デジタルって、アナログを劣化させて記述しやすくしたものって知ってる?
あと、携帯書き込み君に「携帯だからって同一人物にするなよ 」って言ってた人いたけど…
君にも近い言葉返すよ
おれ、夜にしか書き込んでないよ
「勝手に同一人物にしてんじゃねえよ」
>>364 うん、俺と君と、あと最低もう一人はいたね。
今日で言うと、
>>347からずっと議論してたのがおれね。
議論っつっても、理系君とか他の人の話をまとめてただけだけど。
人の言うことを解釈することがすきなんですよ。
で、
>>363の
>観測のための状況を作る機材で一つ絶対に必要なものを挙げておくと
>「ラプラスの悪魔」が絶対的に必要だ
ってどういう意味?
(ラプラスの魔は知ってます。何を観測して、何でラプラスの魔が必要なの?)
>>365 ラプラスの悪魔を挙げた理由は二つあるよ
特定のクオリアを観測したり、測定したクオリアが何のクオリアかを知るためには因果律を逆転させる必要がある
今発生したクオリアが、リンゴの赤のクオリアなのか、リンゴの匂いのクオリアなのかを知るためには、同一条件で何度も試行する必要がある
ただし人間には慣れや飽きなどがあるため、完全な同一条件を取るためには計測対象の状態のリセットが必要だ
だが、最も因果律の逆転は基本的に出来ないため、悪魔を使っての仮計算になるんだろうけどね
これが一つめ
実際にはラプラスの悪魔は長靴を履いたシュレディンガーの猫に食べられちゃったから絶対に不可能という意味
これが二つ目
ところで自称理系君だけど、最後まで哲学的ゾンビの話はスルーだったね
>>366 解説さんくす
>>ぞんび
実験でクオリアを測定できると考えているなら、
哲学的ゾンビは存在しないことになるからね。
理系君にしたら「そんなモノは存在しない。言うまでも無く」だったのかもね?
368 :
196:2009/06/28(日) 15:20:35 0
話が弾んでたようだけど全然ついていけなかった。
思ったことだけ書かせて。
・クオリアの映像化の話は俺もピンとこなかった。
でも数値化は少しずつ進んでると思う。前スレでも書いたけど心理物理学とか。
・形のクオリアの逆転の話があった。
全くあり得ないとは言えないかもしれないけどどうだろう?
例えば三角と四角では面積の求め方の公式とか違ってくるんじゃないか。
・
>>327 > 「ある人物Aは赤色を見たときにXという『感じ方』をする。これは他の人が青を見たときに感じるものと同じものである。
> その人物Aはまた、青を見たときにYという感じを受け、これは他の人が赤を見たときに感じるものと同じである。
> このとき、Aはそのことに気づくことができるだろうか。」
実験できるかもしれない。
逆さメガネってのがあるけどその色版で赤と青が逆転して見えるメガネをかけて暮らしてみるとか。
赤と青はいけそう、でも赤と白(白を色として)はどうか?
紫を背景にした時白ははっきりわかりそう。
369 :
196:2009/06/28(日) 21:44:30 0
赤と青「だけ」が逆転してるのは難しいかもね。
赤、青それぞれの幅の取り方によって近くの色との整合性でどうしても違和感がある場合があるかも知れない。
だから結局可視領域のスペクトル全体を反転させるような形になるのかな?
370 :
196:2009/06/28(日) 22:11:52 0
んでこういう実験が考えられる以上、逆転クオリアの問題は
少なくとも
>>327のような問い方をする限りではイージープロブレムの範疇だといって良いよね?
>>368 >でも数値化は少しずつ進んでると思う。前スレでも書いたけど心理物理学とか。
なんかちょっと違うんだよね
現状の心理物理学って、10年位前にジョークであった
痛みの基準が制定され、長さ1センチの鼻毛を鉛直方向に1ニュートンの力で引っ張り、抜いたときに感じる痛みが1ハナゲとする
と同じようなもんでしょ?
でも、それって下手に制定すると逆に単位に引きずられるって事は無い?
鼻毛を抜いた痛み=1ハナゲ なんだから鼻毛を抜けば必ず同じ痛みになるはずだ。という思い込みみたくね
それにクオリアが構成する現象的意識で考えると、私秘性が条件になるため、やっぱり数値化できないとなる
例え、意識のハードプロブレムや私秘性を克服して工学的に意識を精製できたとして、その先には意識とは何かという命題が突きつけられる
それに一般的に意識は能より生ずるので脳を解析すれば分かるはずと思われているけど、脳に繋がっている器官にも神経はあり、その先には外的要因による刺激が存在する
であるなら、気候によって体調が変化し、体調によって思考も変化し、それによって出てくる計測値も変わってくる
ならば工学的に精製した意識に対しては一定の条件下に固定した状態での計測になるが、すでにそれは「人間の意識と同じものといって良いのか?」という疑問符が付く
>>368 >実験できるかもしれない。
提唱しているやり方じゃ無理
> > 「ある人物Aは赤色を見たときにXという『感じ方』をする。これは他の人が青を見たときに感じるものと同じものである。
> > その人物Aはまた、青を見たときにYという感じを受け、これは他の人が赤を見たときに感じるものと同じである。
> > このとき、Aはそのことに気づくことができるだろうか。」
この例えには
・Aは他人と違う感じ方をしているということを知らない
・社会的に何の不都合も無く、本来であればそれを改変する必要も無い
という前提条件が必要
色覚異常などで不都合に感じる部分があれば、社会に適合するために脳が補正をかますからね
すでに基本が出来ている人間に対して行っても何も得るものは無いよ
実験するとしたら、生まれ出でた瞬間からトゥルーマン・ショーのように行うしかないね
でも、この実験で分かるのは本当にクオリアについてなのかな?
人間の社会適応能力だけかもしれないよ?
なんだ土曜日にあらわれたのは感嘆子じゃないか。
さすがのかれも理系君のあまりの理解力のなさにあきれてしまったようだな。
>>1 >私が見る赤色はホントに赤色?
はい。赤色です。
>>374 たしかに
>私が見る赤色はホントに赤色?
この問い方なら、はいそうです、というほか無いなw
>君の『あ』は私の『ぬ』かもしれない。
この問い方なら、何が問題なのか多少わかりやすいが。
376 :
196:2009/06/30(火) 19:19:58 0
>>372 ここでいう「実験」というのは
>>372の状況を完全に再現することを意図したものじゃないよ。
思考実験に頼っているところを赤青逆転メガネをかけることで実際に自分で経験してみようという単純な発想。
だから基本的にはどんな人でもいい。
>>376 なあ、この命題にわりと近いのは
1・色の見え方の違いをしること
2・自分の中の常識と社会の常識の差異を知ること
どっちだと思う?
378 :
196:2009/06/30(火) 21:57:26 0
ぉぃ…
380 :
考える名無しさん:2009/07/01(水) 15:33:54 0
パーフェクトでほっとした。
モニターの色潰れの確認によさそうだね。
色彩の見え方には心理的なものがあるので
1が見ているのが本当に赤であるかどうか確認するには
色票と照合するとよいだろう。
すなわち1が赤であると思う色を選び出し、
それが何色に分類されているかを確認するのである。
日本人であるなら、とりあえずJIS標準色票でよいと思う。
またかよ。
384 :
196:2009/07/01(水) 18:05:19 0
>>382 確認した結果、赤じゃなかったということになればそれは見え方が違ったというわけではなくて
ある色を何色と呼ぶかが違っていたということじゃないの?
そうすると一行目、
> 色彩の見え方には心理的なものがあるので
はどういう前振りなのかな?
385 :
考える名無しさん:2009/07/19(日) 20:20:26 O
age
386 :
モ:2009/07/21(火) 10:09:20 O
チェ
387 :
考える名無しさん:2009/08/25(火) 13:59:28 0
age
388 :
考える名無しさん:2009/11/12(木) 13:30:24 0
赤い赤い女子の下着
下着の中は想像々々
389 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 10:12:15 0
赤カードを見てA君はこれが緑色に見えるのだが、この色をA君は赤色だと信じている。
一方、B君には赤カードが赤色に見え「それは赤色です」と答える。
この場合、A君に見えているのはあくまでも緑色なので、「それは赤色です」と答えてもA君とB君に見えている色は異なる。
390 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 11:07:03 0
富樫義博の「幽幽白書」は新潟と説く?その心は?
越後湯沢も石川も七尾にとぐろ(兄弟)を巻いているから・
この問題については、もちろん確認不能の認識に関わる問題でもあるし
問題提起の仕方が、互いに赤を緑 緑を赤と昔から感じて育ってきたという
仮に認知が違っていてもつじつまがあうような命題の構造になっている
まあ、とは言っても認識の違いはそこまで度を超えた大きなものではないはずで
視覚に関して論じるならば
微妙な色の濃淡の感じ方の違いや、
視界の広さ、視力の精密さなどが個々人によって違うだけだという可能性が最も高いと思われるね
濃淡や微細な部分に違いが生じるのは、脳から画面に見えている視覚映像を転送した場合に違いが観察される
というような現れかたではなく
注意を向ける行動自体が脳の外界認識のための機能の容量を占有することによって
映像としては映っているが「認識」は大ざっぱになる
というような感じだろう
もちろん、脳が見ている映像を液晶のドットに変換する変換の仕方によっては
そのことすら考慮して違いを表示するように作ることも可能かもしれないけど
このスレまだやるの?
感覚の外部化は記憶の外部化よりも難しいんだよ
言語に変換した時点で、別のものになるんだから、言語で解明するのは無理。
394 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 19:58:48 0
というか、解明すべき問題がある、というのが錯覚。
色覚障害が無い限り
「そこの赤いボール」「はいよ」というコミュニケーションが成立するんだから、
何の問題も存在しない。
「同じ赤かどうか」なんてのは、考える必要の無いところに、
理屈だけで無理やり捏ね上げた問題で。
そういうことを言う人間はそもそも「問題」とか「問題の解決」という概念が
理解できていないだけのこと。
>>394 その通りだろうね
「高度に発達した雑談」と捉えるくらいがいいと思う
充分に発達した雑談は、哲学と見分けがつかない
わけだねw
1人の人の中でも、10秒前に感じた赤の感じと、10秒後に感じた赤の感じが
同じであるかどうかは分からない。
まあ、赤と言えるのだから、同じに感じたのだろうとしか言えない。
しかし、科学によって脳と色感覚の対応関係が分かってきたし、
色盲でなければ大体の人々は同じように感じていると推測できる。
赤という色に関して共産主義とか血とかの連想は、人生経験や性格の違いなど後天的学習で違ってくる。
だけど、元々の赤の感じは誰でも似たようなもの。
397 :
考える名無しさん:2009/11/28(土) 22:59:38 O
お目出度いやつばっかだな
お前のお目出度いなんか知らないし知りたくもない
>>394 色の区分けが異なる言語を使用する人間が相手だと、問題が生じてくるよ。
色概念の共有化が困難になる。
400 :
考える名無しさん:2009/11/29(日) 00:32:34 O
概念が一致してても異なる色を感じてるかもって話なんだが。
>>394 そこまで乱暴に切り捨てていい話じゃないよ
例えば痛みとかの限りなく主観に基いた感覚は、例えそれが脳の電気信号でどうだと論じても意味のない事
その神経を通る電気信号を捕らえた上で、その信号が起こったときにどう感じているかは分からないからね
どのようにどの程度痛いかというのは病気の診断などで有益な情報だが、そのままでは曖昧で数値化できない情報でもある
しかし必要は有っても解明が非常に難しいのがこの問題の難点
>>400 言語的な一致でさえ困難なのであれば、言語による議論は全くと言っていいほど役に立たないってこと。
403 :
考える名無しさん:2009/11/29(日) 02:11:47 0
「イチゴはなぜ赤いか?」ってきかれたらなんて答えます?
科学的な回答なら、それほど難しくないんじゃないの?
一般的に赤とされてる波長の光を、反射するような表面になっていることを述べればよい。
「なぜそのような表面になっているか?」は、「なぜ赤いか?」の回答ではないので
そこまで考える必要はない。
苺が赤い理由は鳥に食べてもらって種を広範囲に運んでもらうために、
目立つ色にしているのだ。
それは、「赤い理由」ではなく、「種を広範囲に運んでもらうため」の理由。
だから、種を広範囲に運んでもらうために目立つ色が都合がよく赤色が目立つ色だって言ってんのよ。
408 :
考える名無しさん:2009/11/29(日) 03:08:47 0
>>401 痛みの問題は、当人の苦痛の緩和とか、QOLの向上とか、
実質的な問題があるでしょ。
赤の相違にはそういう「問題」が無いって話だよ。
>>407 まあ、質問者にも悪いところがあるな。質問の意図が正確に読取れない。
「花や果実が、目立つ色をしていることが多いのはなぜか?」
という質問であれば、質問の意図が汲み取れる。
410 :
考える名無しさん:2009/11/29(日) 03:48:51 0
>>408 痛みの差異の問題に医療や子育てなど実質的問題があるように、
赤の相違だってテレビモニターやディスプレイのカラー調整や、カメラの色再現性など微妙な色合いの違いが問題になる。
美術教育やインテリアデザインで赤色に何百色も種類があることを勉強しないといけない。
グラフィックデザイナーだったら、気に入らない印刷の色を修正してもらうために微妙な色の違いを他人に説明しないといけないでしょ。
411 :
考える名無しさん:2009/11/29(日) 04:06:43 0
>>410 でも、その種の問題は、だいたいにおいて、科学的に観測可能であったり、
既に理論が確立してるじゃないの。
このスレにおける赤問題は、
>赤の相違だってテレビモニターやディスプレイのカラー調整や、カメラの色再現性など微妙な色合いの違いが問題になる。
みたいな問題とは違うことを言ってるんじゃないの?
>>411 そんな事は現象学や分析哲学や言語学をちょっと囓ってるから分かってるよ。
408は痛みの内容には生活上の問題があって、赤の内容にはそういう問題がないと言うから
そうではないよと指摘しただけ。
413 :
考える名無しさん:2009/11/29(日) 12:11:54 0
>>412 >そうではないよと指摘しただけ。
ちゃんと後半も読め。
>このスレにおける赤問題は、
>>赤の相違だってテレビモニターやディスプレイのカラー調整や、カメラの色再現性など微妙な色合いの違いが問題になる。
>みたいな問題とは違うことを言ってるんじゃないの?
なんでこの質問無視するの?
あんたはただ、このスレにおける赤問題以外の赤の問題も、
「赤の内容」というあいまいな言葉で一緒くたにして、
「このスレの赤の問題」にも意味がある、と、詭弁を弄してるに過ぎん。
414 :
考える名無しさん:2009/11/29(日) 13:59:43 O
>>413 横レス
まあまあ。おっしゃることは分かる。
で、ちょっと考えてみたんだが、
同じ色名で示されても、各人によって感覚が違うとすると、以下が考えられると思う。
人によって色相がズレていること。
色相は二種類で、ある色相と、その対称形となる色相が存在すること。
これらは否定できないと思うんだがどうだろう。
415 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 11:46:15 O
↑追加で
明度についても、感覚は違うかもしれない。
誰かにとっての白が、他人の感覚では灰色だったとしても、それを確かめることは出来ない。
と思うがどうだろう。
416 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 12:34:59 O
ジジイは緑のことを青という
これが答えだろ?
人間がただ標準化したもの
「これは赤です」と教えられたらそれが「赤」だよ
微妙な個人差はあるだろう
夕焼けを「赤」というか「オレンジ」というかみたいな
「青」ではない
「青」は青空だ
絵を描いたらわかるだろう
夕焼けを描いててそれを青空に塗る奴はほぼいない
しかし色は光からの脳の想像だから稀にいるだろうよ金色とかに塗る奴も
けど蜂は相手に「自分は危険だよ」としらしめる為に黄と黒、逆のタコの保護色
だから、色のコントラストはあるし、認識もあるのは確か
光のない世界には全く関係のない話だけど
なんでこういうバカがあとをたたないんだ?
418 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 13:07:35 O
自分のこと言ってんだろ?
>>416のことだよ。
とはっきり言ってあげないとわからないほど
バカなんだな。
420 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 13:24:16 O
お前が馬鹿だろ?
人間が見えてる色は何色か知ってるか?
おれに何色の色が見えるかおまえになぜわかるw
422 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 13:36:13 O
はい
馬鹿決定
見えてるのと見てるの違いは?
なんでこういうバカがあとをたたないんだ?
424 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 13:41:39 0
このスレで扱われている問題は
>>416のようなどうでもいい話ではないと
過去になんども言われているのだが、まったく理解できないらしい。
あきれた馬鹿だな。
そもそも問題を理解できていない馬鹿が多すぎ
426 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 13:47:25 O
負け惜しみだなw
お前は脳で作られた色のことを言ってるんだろ?
俺は人間がいる以前の色のことを言ってるんだよ
馬鹿
馬鹿すぎw
428 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 14:54:03 O
赤と呼ばれる色は人間が赤という名前を教えてもらわなくても先天的に知ってる色だ
とだけ言っておこう
そんなことは関係ない話だってまだわからないのか。
この馬鹿にはw
女みたいにバカバカ叫んでいる奴はヒステリー。
とりあえずこのスレで何度も出てくる『クオリア』という言葉の内容を理解していないと、このスレではバカ扱いされても仕方ない
432 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 23:04:54 O
>>492 関係なくないだろ?
物質が赤に見える筋道の先に脳があり、脳の起こす幻想をお前らはあーだこーだ言ってるだけだよ
最初に赤が見えなきゃ脳まで行かないんだよ
その通りだ
だから脳がどうとかはまったく関係ないんだよ。
それがわからん馬鹿はもうくるなw
435 :
考える名無しさん:2009/11/30(月) 23:33:39 O
>>434 どういうことだ。
ここまで強気とは、実はもの凄く深いことを言っているのか?
あのな、おまえが一人で場違いなことを言ってるだけなんだよ。
哲学についてなにを知ってる?
認識論においてどんなことが問題とされてきたかどれだけ知ってる?
科学の方法が哲学上どのように捉えられてきたか知ってるか?
少しはこの領域に関する背景知識を持ってから首を突っ込むんだな。
437 :
考える名無しさん:2009/12/01(火) 06:39:20 O
「わからない」ということな
438 :
考える名無しさん:2009/12/01(火) 09:37:39 O
俺が馬鹿ならお前も馬鹿だな
お前の言ってること、考えてること
これ全て幻想な
それも真実ではない
人間にホントのことがわかるはずがない
所詮人間の器で判断しているだけ
これが答えだな?
439 :
し:2009/12/01(火) 09:46:14 0
昔シティーハンターというアニメが5時からやっていた。
シティーハンターというアニメの主人公は冴馬りょうという人物で
毎回都会でアクションがあるといった内容だ。よく出来たアニメで
とくにテーマ曲がすごくよくできてた。特に青い髪のおんながアクション
を起こすシーンでたくさんおもしろいことが起きた気がする。
北斗の拳なみに燃えて見ていたよ。
440 :
考える名無しさん:2009/12/01(火) 10:03:43 O
それも幻想な
強制失禁とは教祖による排尿量規制のことかね?
442 :
考える名無しさん:2009/12/01(火) 11:35:10 O
今日精子尽きるん
だろ?
これも幻想な
特定のレスへのレスにはアンカーをつけることをすすめるぜ。
無駄に混乱する。
445 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 02:16:30 O
へえ、じゃあなにかい?人によって血の色が違うってえのかい?
>>445 科学的には同じだね、波長700nm前後の光が検出される。
仮に、全人類が色盲だとしても、波長700nmの光を「赤」と定義することはできる。
このスレの「赤が赤か?」というのは、人間という受光器の性能のバラツキの問題に過ぎず
「そのバラツキを確認する方法が無いよ!」って話。
447 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 02:48:43 O
なるほどお。そう成ると、脳を線で繋いで第三者が比較するしか無いかな。
448 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 04:00:45 0
日本では、戦後、学者・知識人が圧倒的な数で、「科学的社会主義」などという、ソビエト帝国型の考えに
集団で脳を犯されたので、「科学的」といえば「社会主義(共産主義)のことだと信じ込んで、この
「科学的社会主義」という宗教を日本国民に、各種高級学問の振りをして押し付けた。それを商売として
やったのが、岩波書店である。だから日本国民の方が、すっかりイヤ気がして、「科学」というコトバを
使わなくなった。なぜなら使ってみても、ちっとも「科学的」ではないからだ。「君の考えは科学的だね」
と友人に言ってみると、まるで、馬鹿丸出しで、「一体、オマエは何が言いたいんだ」と、相手から嘲笑
されるからである。ソビエト教の信者以外の世界では通用しない。だから、日本人の「科学」不振は物凄く
深い。そこで、私が、「哲学は科学じゃないんだよ」というと、日本人はケゲンな顔をする。何を言って
いるのか分からない。哲学というのは、日本では「文学部哲学科」だから「文学」のお友達で、これは、
絶対に「文科系」だよ、となる。そうではない。哲学は、科学の一種とは違う。神学の一族なのだ。
Philosophy is not a science!
アメリカ人やイギリス人の大卒の人に尋ねてみるとよい。彼らは、必ずこう言う。例外はない。
こんなことも知らないで日本人は、「自分達も欧米人に負けない高等学問をやっている国民なのだ」と
思いこんでいる。日本の大学生が、学制(カリキュラム)として大学で受けている講義は学問などでは
ない。あれは「土人のコトバ遊び」だ。
副島隆彦「決然たる政治学への道」P171〜177
>そのバラツキを確認する方法が無いよ
多少バラついてるが似たようなもんだろ。常識的に考えて。
カントとかウィトゲンシュタインとか証明する方法が無いとか言ってる奴がいるが、
常識ってもんがあるだろ。色盲はあるけどまあ大体似たようなもの。
はい終了。
450 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 06:13:57 O
>>449 436が言うにはそういうことはこのスレでは全く関係のない話らしいよ
個人個人で感じている主体が異なるから完全に違うとも言えるし、
でも人間なんだからちょっと違っても大枠は似たようなもんだろとも言えるんじゃないの。
これ以上のことを考えても意味無いよ。
452 :
あめのみやつこ:2009/12/02(水) 06:41:03 0
片山右京。偉大なる魂マハトマ・ガンジーは糸を紡いでいたがあれはそういった意味があったのでしょうよ
俺が思うに
人によって赤が青に感じてる人はいるかもしれない
脳が感じてるだけだし確認はとれない
でも赤と青と緑の三色は区別できる機能がある
赤ちゃんは赤にすごく反応するらしい
だから順番としては
@赤と言われる色が存在する
A目ができる
B脳がかんじる
人間がいるいない関係なく赤と言われる色は存在すると思う
まー存在も確認もできないけどね
なんせ五感で感じるもの全て脳の幻想に間違いはないから
たから一人一人違うし確認できない
幻想の寄せ集めの科学、哲学、国語、数学なども全て幻想
幻想で終わり
454 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 08:37:59 O
どう見えているかは
同じ脳同じ目がないと分からない
共通認識として赤と名付けている
455 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 09:32:49 O
名前は別にして同じ反応や同じ反射があるからにはその色はある
見えると見てるの感覚が違う
456 :
な:2009/12/02(水) 09:48:35 O
個人の認識の話をしてるのに
何の話してるの?
457 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 09:59:56 O
だから見てるは意識で見てる
だから幻想
全部嘘
458 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 10:07:48 O
何が言いたいかというと共通認識自体が幻想であり嘘
共通反射が幻想の中の共通
けど全部嘘
全ては幻想だなんていってるくせに
まだ「脳の」なんてつけてるところが
馬鹿まるだしw
460 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 12:43:55 O
脳が「感じる」と関係しているのはたしか
意識が「感じる」と関係しているのもたしか
脳=意識とも脳≠意識ともなんともわからないのもたしか
で、お前のその一つが絶対正しい訳をおしえろ
それが他人から五感を使って教えて貰ったのなら幻想は間違いない
まー俺に言ったところで同じか
とりあえず幻想の積み重ねを正しい事実とする根拠を教えてくれ
それが言えないならお前が馬鹿だ
すべてが幻想なら
「脳が「感じる」と関係している 」も幻想なんだけど。
馬鹿ですか?馬鹿なんですね。
462 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 12:57:31 O
馬鹿か?
だから全部幻想だといってるだろ?
わざわざ「脳の幻想」とまで
馬鹿はおまえだよw
全ては幻想だなんていっておきながら
それがなにを意味するのかわかっていない。
なにも理解できてない、ただの馬鹿だよ。
464 :
な:2009/12/02(水) 13:06:16 O
赤は赤だ
幻想じゃない
465 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 13:21:38 O
とりあえず、その幻想の中の意味がなんで正しい事実とお前が感じているのか答えてみろ
馬鹿だな。
「全てが幻想だ」なんて言ってるのはおまえのほうなんだけど。
なんでおれに答えを求めるんだよw
467 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 14:03:13 O
まー幻想でないにしろ
正しい事実自体存在しないからな
その答えでいいんじゃねw
馬鹿は自分の言ってる事が矛盾していてもわからない。
指摘しても気付かない。
なぜなら馬鹿だから。
469 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 17:15:43 O
もう疲れた
やめにする
最後に聞くがお前は脳でなく意識が幻想を作ってるといいたいんだろ?
俺は脳=意識、脳≠意識だから
@脳が作った幻想
A脳=意識が作った幻想
B脳が作った幻想を意識が認識
C意識が作った幻想
でとりあえず全て脳を経由しているとってるから
脳の幻想って言い方をとってる
そこのズレか?
違うならもういい
470 :
考える名無しさん:2009/12/02(水) 17:21:54 0
>>468 アホか。
>>1のこの問題自体が矛盾した見方から出てるんだから矛盾した答えしか出ない。
歴史的に有名な哲学者たちも矛盾したことしか言えてないぞ。
矛盾というか、意味の心象イメージ説を排したら、問いは無意味。
クオリアって存在否定でしょ?
どぅぃうこと?
>>473 クオリアは存在否定ではない。
ある情報が物理世界から精神世界に伝わる過程で起こる変換のこと。
具体例には、定量的情報が感覚的情報へと変換される。
>>474 ちっと教えて。
足を無くした人が無くなった足が痛
いってあるでしょ?
これはどこから物理から精神に変換?
これは存在はなくてもクオリアはあるから、全部にあてはめて存在否定にならない?
476 :
考える名無しさん:2009/12/03(木) 23:03:57 0
>>475 その場合は、
・足が痛いという過去に経験したクオリアを思い出した。
・足以外の何かが、足が痛いのと同じクオリアを発信している。
のいずれかと考えられる。
上記は、実生活的な立場で考えた場合の解答になる。
クオリアという言葉は一般的に、精神と物理を想定してて、その間での変換を説く言葉だから、
クオリアを認めた時点で精神&物理を認めることになっちゃう。
なので、どこまで否定するのか分からないが、存在否定には適さないかも。
期待した答えになってないとは思う。
クオリアとか、カメラや録音機で再現されるものと何が違うんだ?
人間には、機械には無い、「認知能力と気分」があるだけだと思うが。
478 :
考える名無しさん:2009/12/04(金) 00:09:45 0
>>477 まず人間を2人以上想定する必要がある。1人だとイメージするのが難しい。
では、あなたが今見えている景色の、赤の成分を青に置き換えてイメージしてくれ。
同様に、青を黄色に、黄色を赤に、置き換えてみてくれ。
(これはフォトショップとかのCGでふつうに出来る。色相をずらしただけ。)
あなたにとってはさぞや変な景色になったろうと思う。
だがもし、生まれた時からこんな風に見えている人がいたとする。
そいつはガキの頃、何の疑いもなく青を赤と名付け、黄色を青と名付け、赤を黄色と名付けただろう。
そして今でも何の疑いもなく生活している。
って感じでどう?
>>478 つか、カメラって、映った通りに再現するじゃん。
脳も、クオリアなんて概念は不要で、映った通りに再現してるだけだと思うのよ。
人間の場合は、生体的な性能差や劣化で、映りがおかしくなったりするだけで。
480 :
考える名無しさん:2009/12/04(金) 07:37:05 O
>>476 ありがとうす。
ではでは
もう少しお付き合いをお願いしたい。
経験のクオリアは例えればデシャブのようなものではないの?(例えぉかしい?)
昔、足をぶつけた→同じような場面に出くわした→痛いと感じる
このよな場合、足が無かったら同じような場面は存在しなく想像のみ。
始まりから終わりまでが想像。
あと、知識のクオリアというか。想像妊娠とか神様とか幽霊とか(これも例え悪ぃ?)
知識は想像だけで存在を肯定できるから、足が無くてもだいじょび。
考え方だけかもだけど上の二つだけでもクオリアは想像でも生じるとも考えること出来てる?
極端、意識だけ引っこ抜いてればからだや世界はなくてもよし。
そんでもってクオリア=存在はいらない。
ってなったら面白いからこだわってます。
夢中でsageman忘れてた。
ごめん
写ったとおりに再現って、ひっどい表現だな〜w
(意図を汲み取れてないのかもしれんが)
あるカメラに写った内容は、写真やビデオ画像を見れば確認できる、とは言えるかもしれない
では、ある他人が見た内容は、確認できるのか?
さらには、自分が見るというのはどういうことか?その内容を確かめるとか何とかいうことはあるのか?
483 :
考える名無しさん:2009/12/04(金) 12:50:53 O
>>479 カメラでいうと、撮影したフィルムは同じでも、人によって現像の仕方が違うって感じかな。
赤や青の光には、そもそも本当に色がついているのか?を考えてみよう。
光はただの波長なのだから、波長の数値の差こそあれ、色彩など本来自然界に実在しないわけだ。
ここで人はというと、意識の中で、それぞれ波長の数値ごとに異なったイメージを与えることで、波長の差を判別している。
これが色だ。
つまり色(色の差でなく、絶対的な色の感覚)は人の精神が作り出したものと言える。
人間の構造は皆さん基本的に一緒なのだから、色の絶対感覚も同じだろう。
と予想してみる気持ちは分かる。
484 :
考える名無しさん:2009/12/04(金) 13:11:18 O
>>480 言いたいことは分かる。
クオリアを感覚全部とするか、変換されたものだけとするかは、学者達も意見が分かれているようだ。
もし前者とすれば、クオリアという言葉自体が感覚と同義になってしまい、わざわざクオリアという言葉を設定する意味がなくなるため、
俺は後者の立場をとっている。
あなたは前者の立場でレスしているので、クオリア=全ての感覚 と捉えており、
全ての感覚は妄想かもしれない→存在否定
という理論を展開したわけだ。
これはこれでアリだと思う。
単なる言葉の定義の相違に過ぎないと思われ。
>>483 単なる波長であっても、波長によってエネルギーが異なるから
感光したときに、その違いが色として現れるわけでしょ。
フィルムもしくは感光素子は、それを忠実に表している。
人間と機械の違いは、網膜から脳へ至るシステムか、フィルムもしくは感光素子か、の違いがあるだけで。
あと、人間はそれがブラックボックスになっているわけだが、そのことが将来技術的に解消されたら
問題だと思われていたことが、実は全く問題ではなかったってことがわかるかもしれない。
486 :
考える名無しさん:2009/12/04(金) 18:44:14 O
>>485 人の場合は、網膜から脳に到るシステムのもう一つ先に、脳から意識に到るシステムがある。
そこがクオリアの論点になる。
んー、パソコンなんかも、カメラ付けたら、映っているところは
クオリアなんか無くても、ちゃんと認識してるよね。能動的な解釈ができないだけで。
能動的な解釈は、クオリアとは別物なんじゃないかな。
>>487 ちょいごめん。
「パソコンにデジカメを接続したら、撮影された画像データはちゃんとパソコンに認識されてるしモニターに表示も出来る。
パソコンは光の波長を色で表現することが出来たと言える。クオリア?」
という解釈で合ってるかな?
489 :
考える名無しさん:2009/12/05(土) 01:29:26 O
みなさん、ファジー理論をやっているバカですか?
>>488 そんなところだな。
逆に、クオリアを認めたら「パソコンにクオリアあったら人間になれるの?」とも言える。
>>490 なるへそ。おそらく言いたいことは理解した。
人の脳内には意識領域と無意識領域があって、俺達は意識領域でのみクオリア(とりあえず感覚としといて)を感じてるわけだが、
パソコンはというと、常識的見解では無意識領域しか持たないから、クオリアはないと思われている。
これが一つ。
次に、もし万が一、脳の無意識領域の活動でもクオリアが用いられていたとすると(ただし意識領域と情報交換するときは除く)、パソコンにもクオリアがあることを認めざるを得ないな。
眠くて変なことを書いてる気がするので起きたら見直させて。
起きた。
後半について、無意識でもクオリアが用いられているとは考えにくい。
パソコンにクオリアはないようだ。
パソコンのレベルじゃまだまだ駄目だろう。
情報を意識のある人間に入力してもらわないといけないからね。
パソコンは無意識で、パソコンを扱っている人間に意識がないと動かない。
意識の発生までは、まだまだだ。
コンピュータがコンピュータを動かしながら動かされる関係を持つレベルじゃないと。
遅くなってすまんね。
クオリアが、受動的に作用するものではなく、能動的に作用するものなら
クオリアではなく、能動性が問題になるのでは?
結局、カントやフッサールに回帰してしまうような。
495 :
考える名無しさん:2009/12/05(土) 23:31:25 O
哲学はフッサールからやり直すべきじゃないだろうか。
物理学との融合の試みとして、意識に科学的客観性を持たせるため、クオリアなるものを措定した場合
それが受動的に作用のであれば、物理学との融合の可能性もあるのであろうが
それが能動的に作用するというのであれば、やはり物理学との融合は不可能だ、という話になってしまうと思うぞ。
497 :
考える名無しさん:2009/12/06(日) 00:38:55 O
ちょい待って
いま言う能動的、受動的とは何を指している?
痛いなどの感覚が意識に入力されたときクオリアが生じる→受動的
腕を動かすなどの指令が意識から出力されるときクオリアを用いる→能動的
なのか、
パソコンは受動的、人の意識は能動的。
なのか。
後者かな?
>>497 クオリアが「機械的に」作用することで、意識になるというのであれば
クオリアが完全に解明された暁には、パソコンでクオリアが「機械的に」作用するようにすれば
パソコンにも意識が生じるということ。
人間が意識的になるにあたって、長きに渡って言われてる、意思なり志向なりが必要なのであれば
クオリアとは別の、「能動的な何か(これまた未解明なものだが)」が必要で
これは物理学とは相容れないものだろうと。
>>498 なるほど。
クオリアは意識が先天的に持っている言語のようなものだから、
その言語を操る能動的な者の存在があるはずだということか。
そしてその能動的な力を手に入れない限り、パソコンはパソコンに過ぎないと。
もっともだ。
この能動的な力こそ意識の真骨頂だと思うが、意識ってのは無意識の支配下にあるはずだ。
失神した人もそのうち勝手に起きるからな。
意識の秘密は無意識の中にある筈だ。
ちょっと無意識がエスコートする夢の世界に行ってくる。
おやすみなさい。
夢の中の質感に、クオリアは作用しているのしょうか…
おはよう
調査結果を報告する。
眠りに落ちていくとき、クオリアは徐々に消えていった。
眠りに落ちるとはよく言ったもので、本当に落ちていく感覚がある。
高い所から飛び降りた場合には重力を感じないが、それがゆっくり起こる感じである。
これはもしかすると、眠る際には、重力を感知する生体機能を意識が切り離す為に、無重力と同じ感覚が生じるのではと推察した。
また、超眠くなった頃を見計らい、目を開けて眠ることを試みた。
すると、見えている景色が徐々にブラックアウトする形で、景色が見えなくなっていった。
しかし、目が乾くので、そのまま眠りにつくことは俺には出来なかった。
眠りに着いた後、夢を見た。
下記は夢の内容説明。
朝起きると雨が降っていた。
時計を見ると8時半。
薄暗い部屋の中にいた。
テレビを点けたとき、誤ってトンガリコーンをベッドにぶちまけてしまった。
片付けるのも面倒なので、全部食べてしまうことにした。
食べ終わると雨が止んでおり、窓の外を隣の兄ちゃんが歩いて行くのが見えた。
ふと天井を見た。
この部屋の真上には両親の部屋があり、この部屋でHしたら聞こえるだろうなあと思い、
夢から覚めた。
以上が夢の内容である。
トンガリコーンの色、質感、重さ、臭い、味は見事に再現されていた。
また、雨で空気が冷んやりしているのや、テレビの音声も再現されていた。
むしろ再現されていない感覚の方が少なかったが、
明らかに再現されてなかったのは重力感。
あと、微妙なのは慣性力。
話のストーリーは、現実とは異なる箇所がかなりあるが、そのことには気づかなかった。
眠っている時ってのは、どういう位置付けになるんだろうね。
普通に考えたら、「無意識の状態にある」ってことになるんだろうけど
そうなると、夢の中の質感は、無意識でもクオリアが作用するということを示していることになる。
下世話な話、淫夢を見て射精してしまうこともあるわけで、夢の中の質感が、具体的な生理作用をもたらしている。
何かが能動的に働きかけているように思えるのだが、その能動的な働きの源泉がよくわからない。
503 :
考える名無しさん:2009/12/06(日) 17:35:36 0
>>502 俺はトンガリーコーンの夢を覚えているから、
夢の中の意識と、起きている時の意識が繋がっていることは断定できるはずだ。
夢は無意識によって用意されるけれども、その中に意識がちゃんと存在するってことになる。
夢精については経験が無いので何とも言えないな。
寝小便は経験があるが、その時はだいたいオシッコする夢を見てる。
しかも、夢でオシッコした時間ピッタリに現実でも排尿が起こっているんだよな。
夢の中でオシッコした瞬間、違和感を感じて跳び起きると、まだ排尿中だったりするから。
夢の中にも、生理作用のクオリアは割り込んで来れると見るべきだろう。
夢を見ずに眠ってる無意識な状態でも、オシッコしたいクオリアだけが意識として突如発生し、
夜中にトイレに立つなんてことはしょっちゅうある。
最初に能動的な働きをするのは生理作用で、
クオリアとか意識はそれについてくるって順番じゃないかな。
大好きなアニメのキャラに入れて中出しした瞬間眼が覚めて
パンツぐちょぐちょでした
おめ
そもそもこれコミュニケーションの問題だから
メタ言語を疑わないならこの疑問の意味は無い
507 :
考える名無しさん: