65 :
考える名無しさん:2009/12/08(火) 10:44:00 0
第一第二は、プランク長なんて持ち出さなくても
時間を無限に加算するにしても、収束して極限値があるってだけの話じゃん
無限をうまく扱えなかった当時の数学の限界というだけの話であって
それ以上でもそれ以下でもない
66 :
考える名無しさん:2009/12/08(火) 22:51:57 0
ワイエルシュトラスのイプシロンデルタ論法は、あくまでも有限の範囲での論法です。
極限値に限りなく近づくとは言えますが、極限値に一致する事は保証しません。
例えば1/xは、xを限りなく増加させると、0に限りなく近づきますが0にはなりません。
ワイエルシュトラス流の極限では、最小の長さがないとアキレスは追いつけないのです。
67 :
考える名無しさん:2009/12/09(水) 02:53:19 0
到達に必要な時間の総和が発散しないで収束するんだから、最小の長さとか関係ないよ
なんという良スレ
69 :
考える名無しさん:2009/12/09(水) 22:34:16 0
この話のポイントは、ゼノンはユークリッド空間の不完全さを指摘しているのであって、アキレスが亀に追いつけない事を主張しているのではないという点です。
ゼノンは、現実にはアキレスが追いつく事は百も承知です。
つまり、アキレスが亀に追いつく事を前提にした反論では、このパラドックスを正面突破した事にはならないのです。
確かにゼノンは、アキレスが亀に追いつくまでの時間において、追いつくまでの両者の差を問題にしています。
それは承知の上で、あくまでもゼノンの論法の正面突破を目指します。
アキレスの速度が亀のx倍とすると、アキレスが亀のいた地点にn回到達した時点での両者の差は、1/x^nとなります。
この値は0に収束しますが0にはなりませんので、無理に0にする方法は実無限を用いるしか有りません。
そこでワイエルシュトラスを無視して、無限回追いついた時点でnに無限大を代入して、両者の差が0に成ると主張するとします。
その時点でアキレスが亀のいた地点に到達した回数を数えていたとすると、アキレスは自然数を数え終えた事になってしまいますが、そんな事は可能なのでしょうか。
自然数には必ず次の数があるので、数え終える事は出来無いはずです。
また、無限回の1回前は無限回ですし、その1回前も無限回で、これは何回前でも無限回となってしまい、無限回から有限回には戻れません。
逆に、有限回の1回後は有限回ですし、その1回後も有限回で、これは何回後でも有限回となってしまい、有限回から無限回には到達出来ません。
このように考えると、実無限には到達出来ないという結論になり、両者の差を0には出来無い事になります。
そうすると最小の長さを用いるしかないのです。
70 :
考える名無しさん:2009/12/09(水) 23:10:22 0
「ユークリッド空間の不完全さ」という、一見したところ科学的な言明を目指しているようなので突っ込んでおくけど
それは極限(値)を過程と混同しているだけ
あるいはもう少し好意的に言って、可算集合と非可算集合の違いを語っているだけで
「ユークリッド空間の不完全さ」とは何の関係もないよ
71 :
クニ:2009/12/09(水) 23:13:36 0
あ
72 :
考える名無しさん:2009/12/13(日) 23:57:05 0
極限値というのはワイエルシュトラスの定義が普通の数学では使われています。
この定義は哲学的にはアリストテレスに基づいているので、無限を使わずに極限を定義出来ます。
例えばεを任意の正の数としますと、いくらでも小さいεを考える事は可能です。
ところが、どんな小さなεに対しても、十分に大きなmを選択すれば、1/(x^m)< ε とする事が出来ます。
だから、nを限りなく増加させた場合、1/(x^n)は限りなく0に近づき、極限値0に収束します。
ここまでで反論はありますか。
線グラフでお願い
74 :
考える名無しさん:2009/12/15(火) 23:30:24 0
それではこれはどうです。
無限大は任意の自然数より大きいので、、∞>n(nは任意の自然数)でなくてはいけません。
ところが自然数には、必ず自分より1大きい自然数があります。
それが自然数の定義です。
もしも、∞より1大きい自然数があるとしたら、∞はどんな自然数よりも大きいという仮定に矛盾します。
すなわち∞は自然数ではありません。
また、任意の有限な自然数に1を加えると、1だけ大きい有限な自然数が生じます。
つまり自然数に1を加えていく操作を、いくら繰り返しても無限大には到達出来ません。
75 :
考える名無しさん:2009/12/19(土) 23:12:37 0
無限大の自然数は、あらゆる自然数より大きくなくてはいけません。
あらゆる自然数より大きい自然数。
この言葉自体が矛盾ですから、有限の自然数しか存在せず、無限大の自然数は存在しません。
これを前提として、空間の無限分割が可能であると仮定します。
空間が無限分割可能であれば、ゼノンの論法を正面突破するには、無限大の自然数が必要になります。
ところが無限大の自然数は存在しません。
すなわちアキレスは亀に追いつけません。
これを解決する唯一の方法は最小の長さを導入する事です。
ここで現実に話を戻すと、現実には長さの最小単位としてのプランク長が存在します。
おかげで現実にはアキレスは亀に追いつきます。
76 :
◆xOLbFG9QNU :2009/12/19(土) 23:34:50 0
>>75 どはっ。
ある段階でアキレスが亀の後方1プランク長にまで迫りました。
そこで、その次に想定される段階とは 貴方の考えではいかなる状態なのですかね?
77 :
考える名無しさん:2009/12/19(土) 23:58:12 0
>>72-75 それ「追いつくのに必要な時間」という肝心のファクターを落とした話だから
何の意味もないよ
追いつくのに無限に時間を足していかなければならない、ということを
古代人は、時間が無限大にかかると勘違いしたからパラドックスになるのであって
収束する以上パラドックスにはならない
78 :
考える名無しさん:2009/12/20(日) 09:22:35 0
>>77 追いつく事自体は、誰が見ても明白です。
アキレスが亀のいた地点に到達する度に、両者の差は小さくなり、追いつくのに必要な時間も短くなる。
時間は止まらないので、必然的にアキレスは亀に追いつく。
ここまでは正しいし、誰にでも理解出来ると思われ、そこが争点になったとは思えません。
いくら古代人でも、それぐらいは分かったと思われます。
問題は、何回アキレスが亀のいた地点に到達しても、少しの差が残る。
しかも無限の大きさを持つ自然数は存在しない。
これは矛盾です。
つまり哲学的には、数学的に無限等比級数の和が収束することを、簡単には受け入れたくない。
数学において等比級数の和が収束するのは、公理によってそうなるだけです。
数学的にはゼノンのパラドックスは解決済みですが、その解決法は哲学的には受け入れ難い。
哲学の立場では、物理学的な解決法を採用したい。
解決してねえじゃんw
80 :
考える名無しさん:2009/12/20(日) 09:44:39 0
数学的には解決しています。
無限等比級数の和は収束するからです。
ただし、それは公理によってそう決めただけです。
哲学的には、その公理が適切かどうかについて詳細な検討が必要です。
物理学的にも解決しています。
アキレスと亀の差がプランク長以下になると、不確定性原理のせいてで、アキレスが前にいるのか、亀が前にいるのか決定不能になります。
81 :
79:2009/12/20(日) 10:32:23 0
>>80 まてまてw
収束というのは例えばα→0とかだろ?
これはどこまでもα≠0だよ。
だから、いつまでもアキレスは亀に追いつかないじゃんw
不確定性原理て、おいw
アキレスが前にいるのか、亀が前にいるのか決定不能なら、
アキレスが亀に追いついたかどうかも「決定不能」じゃんかw
ぜんぜん解決してねえじゃんw
82 :
考える名無しさん:2009/12/20(日) 11:14:44 0
>>81 確かに本来の収束は、α→0であってα≠0ではないはずです。
ところがインターネットで検索すると、無限級数の和の極限の事を無限級数の和と呼んでいるページばかりです。
世の中では、そのあたりは曖昧にしているようで、その方が現実との整合性が良いからでしょう。
それならば、無限級数の和と無限級数の和の極限は等しいという公理を作れば、アキレスと亀のパラドックスは解決します。
そういう数学も有り得るが、哲学的には認められないということです。
物理学の方は、アキレスと亀のどっちが前か分からなくなったら、それを追いついたとしてどうしていけないのですか。
83 :
79:2009/12/20(日) 11:52:28 0
>>82 世の中では、ておいw
人生相談してんじゃねえぞ
公理を作ればて、・・・それは公理を振り回しすぎだろw
クリスマスケーキ作ってんじゃねえぞ!
「無限級数の和の極限」と「(仮想的)無限級数の(実)和」が「等しい」なんて公理を作ったら、
解析学の計算が混乱するだろうがw
x→0をx=0と等しいと公理にしたら、「2x/x」はいくつにするんだ?ええ、おいw
物理学の方は、て(・・それって物理学なんすか?w)
「アキレスと亀のどっちが前か分からない」=「アキレスが亀に追いついた」とするのかよw
どうしていけないのですか、て・・お前さんはそれでいいのかよ。すげーな
「亀がアキレスよりプランク長だけ前にいる」なんて想定は既に形而上の問題だろ。(不確定性原理は観測限界)
そこで「アキレスと亀のどちらが前か分からない」状況を(不確定性原理をねじこんでw)形而上的に作りだしたら、
そこで事態は消散し、それ以降の想定は不可能になるだろw
アキレスは亀に追いついたかもしれないし、追いついてないかもしれない」状況にて考察は停止を強制されるだけだ。
なーんも解決したようには思えんね。
ゼノンのパラドクスに量子論を適用させようなんて、ナンセンスだろおw
84 :
考える名無しさん:2009/12/20(日) 11:54:12 0
「無限級数の和の極限」って何なのさ?
「無限級数の和」って「有限級数の和の極限」以外にどう定義するのさ?
全体として言ってることは変じゃないが、
明らかに基本的な知識を欠いていると説得力がなくなるよ。
85 :
考える名無しさん:2009/12/22(火) 22:33:12 0
以下は
>>67の、「到達に必要な時間の総和が発散しないで収束する」という発言の根拠について、代弁したものです。
無限級数の和を有限級数の和の極限と等しいとするのは、ある程度の根拠はあります。
等比r、初項aの無限等比数列の和は、lim[n→∞]a(r^n-1)/(r-1)となります。
ここで r<1 とすれば、nをどんどん大きくしたとき、r^n はどんどん小さくなるので、無限級数の和を a/(1-r) としてしまっても良いという議論は、現実的には成り立ちます。
この話は、到達に必要な時間の総和が収束するという発言に、ある程度の根拠があるので、解説しただけです。
ただし、これは物理学的な話であって、哲学的には認めにくい話です。
実用的には無限級数の和を有限級数の和の極限と定義して問題はないし、数学的ににも問題はない。ところが哲学的には問題があるし、厳密に考えると数学的にも問題がある。
この話は本題ではないので、このぐらいにしませんか。
本題は以下の部分です。
物理学的な解決の方には哲学的な意味があります。
時間と空間が無限分割可能とすると、アキレスは亀に追いつけません。
それどころか、二分法によるとアキレスは一歩も動けません。
それを解消するには最小の長さを導入するしかありません。
人間の世界の認識方法としては、今のところ知られている範囲では、世界をデジタルと認識するかアナログと認識するかしか有りません。
最小の長さがないものはアナログ、最小の長さが有るのはデジタルとなります。
そうすると、第一第二のパラドックスから導かれる結論は、時間にも空間にも最小単位があり、世界はデジタルであるとなります。
86 :
79:2009/12/23(水) 01:21:30 0
>>85 >時間と空間が無限分割可能とすると、アキレスは亀に追いつけません。
無限回の思考行為を繰り返しても、追いつく状況に到らない、という意味ではそうなんでしょうね。
>それどころか、二分法によるとアキレスは一歩も動けません。
「動的なアキレス」よりも、「時刻に凍結されたアキレスの位置」を優先して思考するならそうなんでしょうなぁ。
>最小の長さがないものはアナログ、最小の長さが有るのはデジタルとなります。
んー・・・デジタルそのものは「長さの無い、点の分布」ですよね。「長さ」の想起には連続性が要請されてしまいますので。
>そうすると、第一第二のパラドックスから導かれる結論は、時間にも空間にも最小単位があり、世界はデジタルであるとなります。
時間と空間が差分的だとしても連続的だとしても、アキレスと亀との距離が1プランク長になるまでは
思考作業の内容はほぼ同じでしょう(初期での差が1プランク長の奇数倍だと最初から割り切れませんので
どーするのか、って問題も発生しますが)。
しかし、アキレスが亀の後方1プランク長にまで迫った時点から「1プランク時間」後のアキレスと亀の状態を
いかように表記すれば、アキレスは無事に亀に追いつき、追い越すことができるのか、合理的に説明すべきでしょう。
不確定性原理という「言葉」だけでは解決してるとは思いません。貴方は納得してるのですか?
追いつくということ
A 衝突するケース
A1 同一線上を同一方向へ移動する2点の距離(0含む)問題
A2 ある一点で交差する2つの線上を移動する2点問題
B 衝突しないケース
B1 同一線上を同一方向へ移動する2点の距離(0含まない)問題
B2 2本の線は交差してもしなくても可
B2a 同一方向へ進む2点の最小距離問題
B3 2本の線は交差しない
B3a 同一方向へ進む2点間の最小距離問題
B3b 平行する2(直)線上それぞれに位置する2つの点を通る直線の垂直問題
88 :
考える名無しさん:2009/12/23(水) 22:44:36 0
追いつくとはどういうことかを考えます。
通常は直線コースを真横から見て、どちらが前にいるかを決めます。
現代の技術では写真判定が普通ですが、写真の解像度には限界があります。
どうしても一定の長さ以下は無視するしかないのです。
どこかでアキレスは追いついたとするしかなく、次の瞬間にはアキレスのほうが前にいます。
高速シャッターで何枚も写真を撮ったとして、どこで追いついたかは決定できます。
プランク長以下の差になった時も、どちらが前にいるか判らなくなりますが、これは原理的に判定不能なので、本当は写真判定の場合とは異なります。
それでも、一定の長さ以下の差で判定不能という点で、写真判定の場合と同じように考えることは可能と思います。
89 :
79:2009/12/24(木) 07:50:12 P
>>88 不確定性原理は観測による解像度の限界を示すもので、
本質的に写真の解像度の限界と「同質」のものです。
それゆえにこそ、「アキレスと亀」という形而上の(無限回の思考行為なる欺瞞)問題に対し
現実のミクロ世界を記述する道具である不確定性原理及びプランク長を適用させるのは苦しすぎるw
現実問題でよいのであれば、アキレスが亀を追い越すのは経験上「あたりまえ」のことです。
これは貴方もそのように認めておられたように思います。
アキレスと亀はどちらも運動しているので、”空間が連続であっても”いや、であるからこそ
解析的に解決してるのでは?
x→∞に於けるx/x=1とすることを「哲学的に了解」するところから出発しているのでしょう?どうですか?
恐らく貴方の書き込みであろう
>>74に於いて「∞より1大きい数」などが思考されていますが、
∞なる概念は数値と比較できるものではなく、無限大を扱うツールであり、方便であり、象徴でしょう。
ですから、
>>74などで表明される貴方(?)の疑義は・・・・まあいろいろ考えるのが哲学だな。だは
90 :
79:2009/12/24(木) 09:32:55 P
>>89 訂正
>x→∞に於けるx/x=1
「x→0に於ける」ですよね。ワシも耄碌しましたわ・・・・
91 :
74:2009/12/31(木) 12:08:15 0
確かに哲学の立場としては、現実を根拠にするのは好ましくありません。
ディオゲネスも、ゼノンは論理で挑戦しているのだから、あくまで論理的に論破しなくてはいけないと言っています。
そうするとアキレスと亀については、ゼノンは正しいと見なすしかありません。
無限大の自然数が存在しないということは、空間が連続であればアキレスは亀に追いつけません。
どうしても空間に最小単位が存在すると見なすしかありません。
ワイエルシュトラスのイプシロンデルタ論法は、限りなく近づくことを保証するだけで、追いつくとは言っていないのです。
どんなに空間の最小単位が小さくとも、アキレスと亀の差を最小単位より小さく出来ると主張するだけです。
lim[n→∞]1/n=0 であっても、1/∞=0 という式は認められません。
ところが、物理学、工学の立場ではこれで十分です。
有効数字というものがあって、ある長さ以下は誤差と見なすしかないからです。
結果的として、実用的には 1/∞=0 として十分となるのです。
ニュートンは物理学者だったので、極限の概念がいい加減でも、微積分を作ることが可能だったのです。
物理学ではそれで良いのですが、哲学はもう一つ深く考えなくてはいけません。
哲学の立場では、空間に最小単位があったとして、運動を記述する方法があるのかということが問題となります。
そこからゼノンの第三第四の逆理が生じます。
92 :
79:2009/12/31(木) 13:06:56 P
いやいや そうではなくてだな、
ニュートンだかライプニッツだか知らないがだ、
微分なる魔術に対して積分なる魔法返しにより困難を回避可能してるのではないかねぇ。
つまりは毒をもって毒を制すというかだ。。。。。
つまりは{lim[n→∞]1/n}=0で、
しかしこのとき 1/n≠0 であるので、
これをn倍すると(たとえn→∞であっても)、「1」となることが「論理的に可能」であるだろう、と。
無限小を同次数的に無限回数積算することにより、通常に認識できる計算問題に解消することが可能である、
・・・とするのでしょう。これは空間が連続であっても(であるからこそ)成立するわけです。
時間は「動的」であるため、長さ0の時間は存在しない、ということを認めれば(ゼノンはこれを認めていないがw)、
アキレスと亀の移動距離は無限に分割した後においても、分割数で積算すれば、めでたく距離が戻ってくる。
実際には数学的にも哲学的にも(もちろん物理的にも)困難は回避されているのでは、思いますよ。
ただしかし、
無限回の事態の想定、無限回の思考行為、が可能であり、これが人間の思考の有限性と照らして解消できない・・・
・・気がする・・のではないか、と思うんだなぁ・・・あたしゃぁ・・・。よいお年を
93 :
74:2010/01/02(土) 00:11:07 0
lim[n→∞]1/n=0 であっても、1/n≠0 というのは、運動を記述する上では良いのです。
積分の根拠ともなって好ましいのです。
いくら運動を細分化しても、瞬間には運動は無いということは、アリストテレスも指摘していました。
飛ぶ矢のパラドックスの反論としては使えます。
しかし、それではアキレスは亀に追いつけない。
物理学では、アキレスと亀の差は無限に小さくなるので、平気で 1/∞=0 としてアキレスは亀に追いつくとします。
それなのに 1/n≠0 として積分も用います。
これは矛盾です。
ニュートン力学は、矛盾した根拠の上に構築されているのです。
94 :
79:2010/01/02(土) 00:39:14 P
>>93 ちがうと思うよー
物理学ではぜーんぜん矛盾なんか無いよー
「アキレスと亀の間の距離」を相対速度で割れば、
何の矛盾もなく追いつくまでの時間が出ちゃうんだよぉ
そーすると、追いつく位置も矛盾無く導出されるさー
「位置に固定(凍結)された事態」の想定が矛盾を引き込むのでしょう。
矢のパラドクスと同じですよ。
95 :
考える名無しさん:2010/01/02(土) 02:31:32 0
96 :
74:2010/01/02(土) 10:29:41 0
追いついた瞬間が存在すると認めてしまえば、その瞬間には速度はない。
さらに次の瞬間というものも有り得ない。
次の瞬間が前の瞬間とは別の瞬間であれば、その間には無限の瞬間がある。
同様に空間には隣接する点は有り得ない。
ニュートン力学ではアキレスも亀も質点とみなすけれど、質点は移動できない。
どんなに近い点に移動しようとしても、それより近い無限の点を通過しなくてはいけない。
点とか瞬間は、人間の頭の中だけに作り出されたものではないでしょうか。
97 :
79:2010/01/02(土) 11:52:34 P
>>96 Ohいえす。です。たぶーん
点とか瞬間は運動とは相容れない。
貴方は全部理解しているではありませんか。私はまだふらついてるがw
点とか瞬間(瞬間なる漢字はちょっと良くなかもだが)は、実在しない(かもしれない)。
しかしそのことが空間距離や時間の「最小単位」を直ちに要請するか、と云えば、そうではないと考えます。
実数が数直線の上での点でしかない、としても実数の連続性を上手く取り入れることで困難を回避しているのでは?
つまり、実数をAとBの二つに分けるとし、
Aの全ての数がBの全ての数より小さいとし(デデキント切断)
点としての実数sを考えて、
sより大きい数をBに入れ、sより小さい数をAに入れるとする。
このとき、このsをAに入れると集合Aの最大値はsであるが、
集合Bには最小値がない!!とするのですよ(こいつはたまげる!)。
これは解析学に於ける「基本規約」であります。
ゼノンの場合、数直線の入れ子構造となってしまい、数直線を引き伸ばしたその上に、
別の尺度の数直線を重ねる、という作業を永遠に繰り返すことができる、
みたいな無限音階もどきのことをしている、ところに困難があるのではないの?
・・・なんてな〜w
(規約無用の)観念の浪費による“構造欠陥にすぎない”ゼノンのパラドクスをもって
ニュートン力学を責めるのは筋違いでしょう。
むしろニュートンを褒めてやってくださいー。はっはー。あけましておめでとう。
98 :
74:2010/01/03(日) 11:06:28 0
アキレスが亀を追っかけてるフィルムの再生速度を毎秒半分にしていけばゼノンが何を言ってるかわかるよ。
で、なんのパラドックスもない事もわかる。
フィルム再生速度を段階的に半分にして「ほらいつまでたっても追いつけないだろ」と
言ってるのがゼノン。
フィルムを見てるとアキレスの動きが徐々に遅くなり最後はコマ送りでさえ間に合わなくなる。
亀の後で足を振り上げてるアキレスの画像が延々と続く。
これがゼノンのアキレスと亀のパラドックス。
>>99 まあ、簡単に言えば、そういうことなんだよね。
しかし、不思議だな〜。ゼノンのパラドックス、アキレスと亀の話はおもしろいな。
数学の世界では、1と2の間には小数点つけたら無限の数がある。1.5とか1.67とか1.764とか1.897654…とか。
無限であると言うことは、1から2へはいつまでたっても到達できないと言うこと。到達できたら無限じゃない。
なんか、どこまでも穴掘ってる感じだ。顕微鏡の倍率をどんどん上げて言ってる感じ。
実際、1メートル地点から2メートル地点に行くのは簡単に行けるし、距離的には有限なんだけど、
数学的には無限になっちゃう。
これって、結局、数学と物理の2面性の問題なんだろうね。
物理的には実験したら当然、亀に追いつけるけど、数学的には難しい。
数学は、あくまでも抽象的な存在で、実際にあるものじゃない。実際にないもので、実際にある
物理世界を表現しようと思ったら、矛盾が出てくる。
数学って、デジタルでしょ。でも実際の物理世界はアナログ。
突き詰めたら不確定で、未分化な世界。
デジタルなものでアナログを表現しようとするムリさが、ここで露呈してくるのかも。
そのことをゼノンは言いたかったのかもねぇ。
>>100 ゼノンはそんな事言いたかったんじゃないだろうけど、そういう解釈もできるな。
計測の不自由さに対する皮肉、という解釈もできる。
どこかに固定された基準点がなければ計測ができない。
部分を積み重ねてもその総和は全体に到達しないというか
物事を最小単位に分割してわかりやすいかたちから発想していく「科学」的手法の限界というか
ゼノンの話は尽きせぬ魅力があるね
全体を部分に分割するとき、何かが消えている
その何かを探求するのが哲学だと思うわ
103 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 23:20:11 0
ageとくか
さらに敷衍するなら、極小部分の総和は全体を構成しない
この発想が数学に生かされるには、アブラハム・ロビンソンの超準解析を俟たねばならない
どのレスもナルホドだよ
ただ数学を用いての物理学的解釈だと「時間」は運動方程式の中に入っていて、ここから話しを進めても問題はない
しかし哲学的解釈で考えると[「時間」とはなんぞや]という根本的な問題をクリアしないといけない
誰かがどちらの方法で説明しても、「時間」の問題とか根源的な存在論に突入してしまう
これは、だからパラドックスとして存在し続けるんだよな
105 :
考える名無しさん:2010/04/13(火) 01:03:15 0
ここの連中は実数体の構成の仕方を知らないんだろうか?
そもそもどの実数も、それ自身、点列の同値類なんだけどねぇ
数学はアキレスと亀を点にする
>>106 点から線、線から面へディメンションが移行する界隈で起こる出来事について
数学のひとは無口なんだよね
jこの辺に深入りするとカフカの迷宮が待っている
>>100 「いつまでたっても追いつけない」の「いつまでたっても」が嘘だって事だよ。
「何が」無限なのかを考えた方がいいよ。
「分割」という操作が原理上無限回行えるということであって、「距離」は数学的にも物理的にも有限。
そしてアキレスが亀に追いつくまでの時間も有限。
有限の量を無限に分割出来る事は矛盾でもなんでもない。
不思議に感じるのは「等速運動してるのに〜」という前提があるからだが
等速運動してるのはアキレスであって、過程を無限分割してる記述者はない。
アキレスは亀に追いつくが、記述者のこの記述法では永遠にその瞬間にたどり着かないって事。
アキレスの運動と、記述者の行為を摩り替えてる事からパラドックスに見えるだけ。
飛んでる矢が止まってるってのは
単純に運動という概念を曲解したペテン。
運動とは「ある瞬間とある瞬間で位置が違っている事」なんだから、ある瞬間一個だけ取り出しても何も言えることは無い。
ある瞬間にある位置に存在する事は「静止してる」とさえ言えない。
なぜなら静止しているとは、少なくとも二つの違った観測時に同じ位置にある事を言うから。
有限の量を無限回であろうと、分割だけによって無に出来たら
そっちの方が論理的に有り得ないわけで
そもそもの「何回分割してもゼロにならない!オカシイ!」ってのが意味不明
>>108 >「距離」は数学的にも物理的にも有限
いや、これはおかしいだろ。
たしかに距離は物理的には有限だが、数学的にも有限だとはいえない。
そもそも数学の数字はもともとただの目盛りに過ぎない。いくらでも任意で分割したり引き伸ばしたりできる。
あくまでもイデア的、観念的なものなんだよ。言い換えれば、ただの言葉、言語に過ぎない
数学と言う表現方法、言語を使って、物理世界を説明しているのが物理学なだけ。
やっぱり数学上の数字の「1」と、物理学上の「1メートル」あるいは「1キログラム」は違うんだよ。
前者は具体的な数量を持っていないが、後者は具体的な数量を持ってる。
数学的にはアキレスは亀に追いつけない。そもそも数学は、動くと言う行為を行わない。常に静止している。
弁証法的な運動を行わない。1は永遠に1のまま。
しかし、物理学的には簡単に追いつける。実際やってみたらいいだけ。
数学の無限集合論の考えだよ。
数学では、部分が全体に等しいと言う、物理学的にはありえない現象も起こる。
でも、それが数学なんだ。
>>112 この手の論破厨多いから一言書いとくけど
クイズみたいに解ける問題としてしかゼノンを扱えないひとは想像力が欠如してる
なぜ、繰り返し意匠を変えてこのパラドックスが問題視されるのか、
その地点まで降りたって問題を捉えることが出来ない論考は、まあ屑だよ
先に似非二次元に引きこもったのは数学。
ゼノンによって机上の空論が論破された。