>>141 思想で見分けることは不可能。
グノーシス主義者に二元論の立場を取るやつが多いだけで、それ以外のグノーシス主義者もいる。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/sop-int.html 《グノーシス》とは何であるのか。世のなかにはいい加減な憶測や、自分自身で存在論的・実存論的思索を試みることもなく、
どこかの誰かが記している適当な説明を読んで、グノーシスについてなにごとかを語ろうとする者が存在する。
グノーシスは「秘教」であり、理性では認識できない「秘密の知識」を真髄とする「神秘主義」である、等々。
グノーシスの思想・教えは果たして「秘教」であったのか。非合理的「神秘主義」であったのか。私たちは「違う」と述べる。
何故このような錯覚や誤謬や臆断の解釈や解説が流布し、横行するのか。
端的にそれは、《グノーシス》を「知らない人」がグノーシスについて語ろうとするからだと云うべきである。
では私たちは《グノーシス》を知っているのか。私たちは、「しかり」と答える。
「グノーシス(γνωσι?)」とは「知識」であるという説明は多い。
しかし、誰も、この言葉が、また同時に、「認識・覚醒・気づき」と云う意味を持つことを述べる人はいない。
「グノーシス」とは仏教の「覚り(bodhi)」と似たような意味を持つと述べる人はいないのである。
中略
確かにグノーシス主義においては、「反宇宙的二元論」と云うものが同時に主張される。
これを「善悪二元論」と素朴に解釈し考える人がきわめて多いとも言える。
しかし「善悪二元論」はむしろ、ゾロアスター教やキリスト教・ユダヤ教・イスラ−ム教を本質的に規定している宗教原理であり世界観・存在観である。
グノーシスは人の魂における「救済の光明」の既存を語るのであり、これに従えば、人の魂は本来的・本質的に「救済されている」存在である。
しかし、人の生における経験的事実として、現に人の魂は「救済されていない」現存在状況にある。
何故、人の魂は光明の霊をうちに持ちながら、この世の暗黒にあって苦しまねばならないのか、
何故、現に「故郷なき者」として苦しみを受けて已まないのか。これは人の現存在の「根源的問いかけ」とも言える。