237 :
考える名無しさん:2009/10/07(水) 08:47:42 O
>>237 かなり良いことを言っているとは、どの部分でどういう解釈をしたのか説明してもらえませんか?
239 :
考える名無しさん:2009/10/08(木) 00:43:27 O
>>238 「悟る」とは全てが「わかる」ことなのじゃ。
よって一度の人生だけで「わかる」事は無理じゃから、何度も生まれて来るのじゃ。
最終的に全てが「わかる」と人間が作った宗教はいらなくなる(依存しなくなる)。
人間は@自分で考えA行動しB結果を見て@の考え方(思考)を修正して行くのじゃ。
それを日常生活の中で、数多くこなして悟って(わかって)行くのじゃ。全てをな。
この「全て」がなんだか解るかが次の問題じゃ。
>>239 まったく違う。勘違いも呆れて指摘することすら(ry
>>239 本当は
>>228についてききたかったんだけどね。
> 「悟る」とは全てが「わかる」ことなのじゃ。
そうですね。真理を悟る。真実・本当のことがわかる。
> 最終的に全てが「わかる」と人間が作った宗教はいらなくなる(依存しなくなる)。
いいねぇ。イエスにしろイスラムにしろ仏教にしろ、全ての依存を断ち切るのが目的だ。もちろんその自分の宗教をも。
> 人間は@自分で考えA行動しB結果を見て@の考え方(思考)を修正して行くのじゃ。
ここでおもしろいのが考え方とどう修正するかだな。
金が無くても平気者は金のことで悩むことはない。
金のことで悩むのは金が無いと不安な者だ。
> この「全て」がなんだか解るかが次の問題じゃ。
己があるがままの現実をどう受け止めているかということでいいかな?
悟りレベルが最大になるとまた0まで戻るだけで
それで満足してしまう事が幸なのか勝ちなのかわからないけど
新たに違う人生観に取り組めばまた悩むわけで
う〜ん、、わかりましぇ〜ん。
>>241 >>228の言っている事と殆ど一緒じゃ。表現の仕方が違うだけじゃよ。
「全てがわかる 」の「全て」はあるがままとは違うのぅ〜。
「全て」とは本当に「すべて」じゃ。わかるかなぁ〜。考えにゃいかん。
>>243 > 「全て」とは本当に「すべて」じゃ。わかるかなぁ〜。考えにゃいかん。
無限にあるものを全てわかることは出来んよ。
わかることはほんの僅かな限られたことだけ。わからないことは無限にある。
わからないことはわからないとするのが真実。
245 :
考える名無しさん:2009/10/09(金) 12:14:43 O
>>244 「全て」を「無限」と捉えると確かにそう言う答えになるなぁ〜。
人間なんだから「無限にあるすべてを知る事は不可能」。確かにその通りじゃ。しかし、その続きが大切じゃ。だから…と考える事が大切じゃ。
人間考えなくなったら、良くなる事は無い。
この場合の「全て」の本当の意味が分からないと「悟れない」ぞ。
>>245 こうタメられるとでかいオチが欲しくなるな。
> 人間考えなくなったら、良くなる事は無い。
一つ質問。何を基準に何が良くなるのか。良くなるとは何か。
> この場合の「全て」の本当の意味が分からないと「悟れない」ぞ。
公案か?定義付け?自己の広がりか?
俺が思う全てとは、全部、何もかも、一つ残らず。
宇宙とは何か?
世界とは何か?
全てとは何か?
フフッ、どう説明する?
宇宙とは宇宙。世界とは世界。全てとは全て。
結論だけ教えてやる。
悟りの対象は「無知」のみである。
>>247 > 悟りの対象は「無知」のみである。
評価をつけるのを止めれば、何もわからない、何も知らない。
知っているというのは一体何を知っているのか。
わかっているというのは一体何がわかっているのか。
知っているわかっているというのは、ただ評価を知っているわかっている。
これでいいかい?
「全て」とは何なのかを考えろといわれても、「全て」という概念しか思い浮かばんなぁ。
249 :
考える名無しさん:2009/10/09(金) 18:28:03 0
断言しよう、悟りとは勉強のことである、知識を暗記した量で悟りは決まる。
250 :
し:2009/10/09(金) 18:51:21 O
安倍貞任 あべのさだとう
>>248 まあそんなとこだ。
全てを知ること(全知)、そして全てを思いのままにすること(全能)、これらと悟りとを履き違えてはならない。
252 :
考える名無しさん:2009/10/10(土) 00:58:51 0
悟りは、勝ち負けを超越した領域
全は一 一は全 といってみる。
>>251 アドバイスありがとう。
>>252 全てとは、何一つ分別されていない状態ということですね。
254 :
考える名無しさん:2009/10/10(土) 09:53:08 0
なんか「勝ち負け」「幸不幸」を言っている時点で、悟り(縁起を明らめ、我執を
去る)から程遠いような気がするのだけど。
心情では表せないものということかな?
勝ち負けは違うが幸福感はむしろ悟りの目的では?
256 :
考える名無しさん:2009/10/10(土) 11:32:15 0
>>255 どうかな、門外漢として思ったのは、まず「富・名誉・快楽」という世俗的な
幸福からはまず遠くなるでしょ。次に「心の満足」という意味での幸福についても、
生物的な自己の維持への執着からは離れなければならない。その身を食わせる系の
逸話は多いよね。この両者に頓着しないというのは、一般的に言えば「幸不幸」に
執着しない、ってことだと思う。
それでも、「心の満足」を感じるなら、さすがに悟っていると思うのだけど。
>>256 なるほど確かに幸不福を超越したとこに悟りとはあるのかもしれんが、一つ理解を越えたものがある。
悟りが、自然の摂理には逆らえない、自然に身を委ねようとするものならば、自然死だけが目的なのだろうか?
悟らずしても普通の人間ならば天命を全うするはず。
故にそういうことではないな。
となると、生き方となるのだが、おそらく人為的に自然を破壊することを聖人は良くないと思い、
自然の恵みが多い山にこもったまま出て来れなくなる。
悟りの境地に到らない人間と関わることもタブーだ。
そういった意味では悟りとは、人類が長年築いたこの文明を否定する生き方であるといえる。
人間の数にして累計数百億人に反する考え。
とんでもないマイノリティーである。
258 :
考える名無しさん:2009/10/10(土) 17:40:49 O
1は勝ちとか負けとか言ってるうちは、まだまだ世間と戦い続ける必要があるな。
普通に心に反して覚悟が出来れば悟りだお、そんなことすらシラネの?
オマエ程度では心に反しての行動などできるわけない。感情の生き物だからなw
理屈に従ったり、欲に従ったりだろ。無意味に非合理に身を沈める覚悟なんて
できるわけがない。
諦めなければ得られないこともあるのを悟れ。
ただの堕落だろ。
努力が嫌いになって悟りの道に逃避したのか?
良かったな。悟りなどという都合の良い言葉があって。
また頭が悪いのが釣れたなw
262 :
考える名無しさん:2009/10/11(日) 22:52:49 0
普通に考えて、四肢切断や末期癌の宣告を受けても平然としていられる
くらいでないと、悟りの境地とは言えないと思う。仏教説話に、飢えた
虎の前に身を投げ出して喰わせるというのがあるけど、サファリパークに
行ったことがある人には解ると思うけど、怖いなんてものじゃないよ、
本物の虎は。生きながら喰われるなんて、凡俗の俺はまっぴらだけど、
真に悟りの境地に達した人にとっては、平然と実行できることだ。
なぜなら、真に悟った人は、全てが縁起の連なりによる現象で、実体など無いこと、
(心頭滅却すれば火もまた涼し」とは実体などないという意味でしょう)、
ならびに、輪廻の法により眼前の虎がかつては=いつかは自身の父母であった=子息であった
ことを想起し、進んで利他の心から身を捧げるだろうからだ。
これを実践できない人間を私は「悟った人」とは認めない。つまり利己心を滅却し、利他心そのものと
なった人でなければ、悟りの境地にある人とは考えない。
即身成仏もあれは悟りか?
264 :
考える名無しさん:2009/10/12(月) 02:58:09 O
>>263違うと思う
仏になりたい。人々から褒めたたえられたいと思ってるなら欲が有るから。
無い促身もいたかもですが
仏になりたいと思ってる人が即身成仏するのは無理だよ。
むしろそれを諦めてそんな欲が消えた頃に仏の方からひっぱられる気がする。
266 :
考える名無しさん:2009/10/13(火) 03:24:20 0
悟りなんて求めている時点で、また悟りが何かを理解しようとしている時点で、
なにもわかっとらん。
仏も何も関係ないよ、考えなければいい、情で動かなければいい、
そこには混沌なデタラメがあるだけ。意味を欲するやつに悟りなど天上の星の
ようなものにすぎない。
無感情が至高ならロボットにでもなればいい。
仏に感情なし。仏が怒って泣いて笑うなら、それはオマエの統合失調症が
さらに酷くなったとういことにすぎない。
269 :
考える名無しさん:2009/10/13(火) 22:19:18 O
>>262 また元にもどってしまうが、本当の「悟り」とは何かがまだまだ理解出来ていないかもしれないなぁ〜。
それ位「悟り」とは何かを理解するのは難しいんじゃ。雑学が溢れていて、それを基準にして考えるとそうなる。
「悟り」とは「日常生活の中で」学び・経験して「わかる」事じゃ。しかし一度の人生で全てが「わかる」事は不可能じゃ。何度も生まれ変わりを繰り返し、様々な立場・境遇・経験・反省をし、次第に「わかる」人間になって行くのじゃよ。
人間そう簡単に「悟れる」ものか。「悟れない」からまた生まれて来る。
何か特別な所に「悟り」がある訳ではないのじゃ。無欲が悟りでもない。欲にも種類があるのじゃ。その良し悪しが「わかる」ようになる。そう言う事じゃ。
「自分には欲が無い」って言ってる人がいるよ。
でもその人は、だから自分がどう生きたいか
分からなくてツライって言ってた。
生きる意味が、存在意義が無いんだろうね。
だからといって生活の為にきちんと働くし、
周りの人間とも上手く付き合えるし
決して何かに依存している訳じゃない。
でも、そう話した時、彼女は しんどそうだった。
欲が無い人間なんて居ない。
食欲は許される欲か?
都合が良すぎるわな。
食欲は生きる為
性欲は子孫繁栄の為
どちらも無くす事は出来ない
生物の本能だと思う。
ちなみに、彼女は何が食べたいとかも無いらしい。
例えば今晩何が食べたいか、
何系が食べたいとか想像すら出来ないらしい。
無責任とか、そういう訳じゃない。
>>272 人間には必要な欲もあるのじゃ。「向上欲」がそうじゃ。時間は前に前にと進んでいるのに、自分だけそこに留まるのは「怠惰」となる訳じゃ。だから人間「進化・向上」しなけりゃならん。
仕事を通じて、家庭を通じて、様々な経験を通じて進化・向上する「心掛け」が必要なのじゃ。夢や目標も大切なのじゃ。
それが無いとなかなか生きづらい。張りが無い。
悟りとは本能だけを残すことならば、檻に入ってガアガア吠えてりゃいいと思うよ。
無欲な彼女がツラそうなのは
自分で『何を向上させるか』を決められない所かなと思う。
彼女は別に向上心がない訳でもない。
例えば、自分が生活習慣がだらしないなと
思えば、
キチンと自分を律する事は出来る。
それも欲なのかな?何か違う。
でも、とても人間として魅力的な人だよ。
>>275 向上欲は人間誰しも平等に持っているもんじゃ。しかしそれは「心掛け」ないと向上して行かない。そう、何でも心掛けじゃ。
心掛けがあると「自然体」でいられる。それもまた魅力じゃ。
277 :
考える名無しさん:2009/10/14(水) 19:57:11 0
悟りとは対話
それは神の贈り物^^
278 :
考える名無しさん:2009/10/14(水) 20:17:16 O
>>276 分析とか説法とかどうでもいいからお前が実践しろよ
涅槃に至るにはどうすればいいですか?
>>276 意味の領域を超えられないのは貴方の努力が足りないのではなく、
貴方には素質そものがない。諦めよ。
>>280 高〜いビルからひとっ跳びで旅立った人が居ましたよ
其処に辿り着いたのかどうかは返事が来ないので判りませんけど
高い希望と目標を持ちながら、同時に諦めることができる。
それが悟りというもの。
おまえらは諦めることすらできない。
死ねば助かるのに。
ho
286 :
考える名無しさん:
>>1 悟る方法など確立されることはない。数学じゃあるまいし、悟る方程式なんかは無い。
自己啓発本や啓蒙書を読んで、著者と同じことをしても無駄なのと同じ。
諦めることは明らめること。
ならば「続け続ける」しかない。
継続は力なり。
継続は真理なり。
継続は悟りなり。