●○● Aquirax: 浅田彰 part52●○●
1 :
考える名無しさん :
2009/03/31(火) 21:34:38 0 浅田 彰(あさだ あきら、1957年3月23日 - )は、京都造形芸術大学大学院長。
専攻は経済学と社会思想史。兵庫県神戸市出身。
著作
単著
『構造と力――記号論を超えて』(勁草書房, 1983年)
『逃走論――スキゾ・キッズの冒険』(筑摩書房, 1984年)
『ヘルメスの音楽』(筑摩書房, 1985年)
『ダブル・バインドを超えて』(南想社, 1985年)
『「歴史の終わり」と世紀末の世界』(小学館, 1994年)
『フォーサイス1999』(NTT出版, 1999年)
『「歴史の終わり」を超えて』(中央公論新社, 1999年)
『映画の世紀末』(新潮社, 2000年)
『20世紀文化の臨界』(青土社, 2000年)
前スレ
●○● Aquirax: 浅田彰 part51●○●
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1234057014/
共著
(黒田末寿・佐和隆光・長野敬・山口昌哉)『科学的方法とは何か』(中央公論社[中公新書], 1986年)
(島田雅彦)『天使が通る』(新潮社, 1988年)
(松浦寿輝)『ゴダールの肖像』(とっても便利出版部, 1997年)
(田中康夫)『憂国呆談』(幻冬舎, 1999年)
(柄谷行人)『マルクスの現在』(とっても便利出版部, 1999年)
(田中康夫)『新・憂国呆談――神戸から長野へ』(小学館, 2000年)
(佐和隆光)『富める貧者の国――「豊かさ」とは何だろうか』(ダイヤモンド社, 2001年)
(四方田犬彦・大野裕之)『パゾリーニ・ルネサンス』(とっても便利出版部, 2001年)
(田中康夫)『憂国呆談リターンズ――長野が動く、日本が動く』(ダイヤモンド社, 2002年)
「必読書150」
共編著
(岡崎乾二郎・松浦寿夫)『モダニズムのハード・コア――現代美術批評の地平』(太田出版, 1995年)
(渡邊守章・渡辺保)『表象文化研究――文化と芸術表象』(放送大学教育振興会, 2002年)
訳書
メアリー・ダグラス, バロン・イシャウッド『儀礼としての消費――財と消費の経済人類学』(新曜社, 1984年)
参照リンク:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%85%E7%94%B0%E5%BD%B0 aabiblio @ ウィキ - 浅田彰書誌
http://www36.atwiki.jp/aabiblio/ :
浅田彰のドタバタ日記
http://www.realtokyo.co.jp/docs/ja/column/asada/
乙
ずっと気になってるんだが、ダブル・バインドを超えてって佐藤良明との共著じゃないの?
5 :
考える名無しさん :2009/03/31(火) 22:30:08 0
浅田彰はどういう人向けの哲学書でしょうか? 読んだ事ないのです。 短めにプレゼンテーションお願いします。
6 :
考える名無しさん :2009/03/31(火) 23:47:00 0
哲学なんてダサいものとは関係ありません
>>5 フィギュアスケートといえば誰を思い浮かべますか?
8 :
考える名無しさん :2009/03/31(火) 23:51:44 0
どういう人向けの哲学書とかw そんな〜人向けの哲学書なんてありません
よくさー、どうやったらやる気が出るかなーとか言うタイプいるよねー
翻訳文章の出典もある程度抑えたGSの目次ができてきたけど、 戦争機械特集とジュネスペリャルは持ってないので、この二冊の翻訳物の出典調べが難しい。 この二冊持ってる人がいたら、協力してくれないかな。 出典以外の目次はすでに埋まってる。 ジュネスペシャルは訳者はわかってるけど、戦争機械特集となると、誰が訳したのかもわかんね・・
これを入れ忘れていたので追加。
前に「ガタリ、サンプリングについて語る」がネットにあるとして書誌に
http://wwwとだけ書いたのは 、この記事と混同してたんだと思う。
・監修、「フェリックス・ガタリインタヴュー:音の横断」(聞き手:岡野忠輔、通訳:川竹英克、訳:木村恵一)、『FOOL'S MATE』1986年3月号
http://www9.big.or.jp/~np/tokijiku/tokijiku07.html 電視進化論での執筆項目を追加。1987年のところを見ればわかる。大量なので記事名列記は省略。
GSの1号、2号の出典確認がまだなのでGS目次リストはまだ掲載しないけど、完成しだい追々掲載する。
浅田が編集離脱した6号「トランス・アメリカ/トランス・アトランティック」、7号「神国・日本」は
目次を網羅して扱わないことにする。
前スレ末尾で触れた戸田ツトム装丁・デザインのカタログへの寄稿文は書誌になかったので足しておいた。 ・ 序文「雑音の領土 断層観測への序言」、戸田ツトム『断層図鑑:錯誤のグラフィックデザイン・断章』北宋社、1986.3→戸田ツトム『D-ZONE tztom toda Editorial Design 1975-1999』青土社 1999.6 1999年のに入ったのは86年の序文の再録のようだ。 あと、途中でこんなのも見つけたので追加。あったね、アーバナート展。 ・ 「?」(大貫卓也・椹木野衣・立花ハジメ・日比野克彦・榎本了壱との座談会)、榎本了壱監修『アーバナートメモリアル1980-1999』PARCO出版、2000.1
浅田彰書誌ですが、彰は『批評空間』では編集だけでなく、 けっこう座談会にも出ているので、そちらの方のフォローも よろしくお願いします。
>>15 ありがとう。
突然話し変えるけど、もしかしてエリック・アリエズのラインは面白い?
批評空間U期18の「仮想現実の現実的な現象学のために」しか読んでないんだけど
思い出した。最近のキャラクター論よりは緻密だよね。
>>15 14だが、なめてんのかw
「掲載記事」の欄には座談会を網羅してるよ。漏れがあったら俺が教えてほしいぐらいだ。
単行本に再掲載されたものもきっちり記載してある。
膨大すぎるので、「座談・講演など」や「執筆記事」はカテゴリ分けした方がいいかとも思ったが、
ただでさえ大量なのであまり意味がないように思う。
>>17 あんまりアリエズ読んでねぇからなんとも言えない。
邦訳は少ないが、アリエズは結構英訳多いぞ。
La signature du monde: Oou qu'est-ce que la philosophie de Deleuze et Guattari(1993)は英訳になってるし。
The Signature of the World: What is Deleuze and Guattari’s Philosophy ?, Continuum, 2004
Deleuze: philosophie virtuelle(1996)も英訳あったかも。
アリエズ編の論集も英訳になってた(原題忘れた)
Capital Times: Tales from the Conquest of Time(1996)
たしかFlaxman編の『シネマ』関連アンソロ(The brain is the screen)でも一筆書いてる。
あとはMultitude webで結構読める
ちなみに前スレで触れたアリエズ+フェエールの「ソフィスケーティッド・シティ」は、
英訳がなぜかネットでスキャンpdfで転がってた
ttp://www.kt3d.com/pratt/ivan_rupnik/Alliez_and_Feher_The_Sophisticated_City.pdf
>>15 にも961にも言えることだけど、書誌にはwiki内検索などという便利な機能があるんだから、
一応チェックしてみてから言ってくださいとw
あまりにマイナーすぎる単行本だったり、浅田が首突っ込んでたとはあまり知られてない領域だったり、
そういう場合は漏れてることがあってたまに加筆するが、
批評空間、インターコミュニケーション、各種文芸誌ぐらいなら余裕で網羅できてると思う。
あ、季刊思潮のはまだやってないけど。
22 :
17 :2009/04/01(水) 07:58:48 0
>>20 いや電視進化論やパイクにこだわっているように見えたから。
しかしWikipedeiaがあると面白いね。まさかラディカルTVの原田大三郎が、
クローズアップ現代のはじめのCG作っているとは思っていなかったよ。
>>22 アリエズはパイクには直接つながらないと思う。
アリエズのはドゥルーズのvirtualite経由の議論だったような。
ファルジエ、ヴィリリオあたりがかなり近しい位置にいたっていう当時の文脈ね。
ファルジエ編のヴィデオ特集号にはビル・ヴィオラのインタヴューなども入っている。
あと、日本の映画批評ではこれらの時期のカイエがあまり咀嚼されていないが、
ソレルス/ゴダールの対談映像を撮ったのもファルジエだ。
このへんの流れが整理されてない。
インターコミュニケーションの初期時代には浅田自らエドモン・クーショを訳している文章がある。
80年代末の天才たけしの元気が出るTVの、 あたかもしりあがり寿をアニメにしたようなオープニング映像もラディカルTVだよ
PVとかCG界隈の動きを、マジで触れだしたらMTV以降の変化や、 PVの著名な作家たちの特徴を整理する必要が出てくるんだろうな。 ラース・フォン・トリアーなどの映画作家はクリス・カニンガムのようなPV作家との近さで見たほうが位置づけしやすいと思う。
この人の無私は自衛のためだろうね。
ちょっとしたネタでいうと
このビル・ヴィオラインタヴューを手がけたのはRaymond Bellourなんだが、
これはヴィオラ関連HPで読める
ttp://stephan.barron.free.fr/art_video/viola_interview.html しかしカイエのヴィデオ特集号に入る前の初出は、Octoberの35号(1985)の≪An Interview with Bill Viola≫であり、
この時期のカイエは、というかベルールはすでにOctoberと連携があったと見ることができる。
ちなみに86年のイメージフォーラムに訳があったり。
あと、浅田がi-modeで触れていたルソーの「孤独な散歩者の夢想」をインスタレーションにした
ボワシエの作品は、『ルソーの時 インタラクティヴィティの美学』というCDROMつき書籍を日本語版も出ているが、
ここで寄稿しているのがベルールでもある。
また、ドゥルーズと映像云々で言うと、any会議の中期には『襞』が建築理論側に流行していたと言われているが
(デリダ・アイゼンマン喧嘩の舞台となった雑誌「Assemblage: A Critical Journal of Architecture and Design」の編集委員サンフォード・クィンターもそうだったかな、
あるいはエリザベス・グロスの建築論だっただろうか)、
urの1号に訳されてるファルジエのエッセイは、ゲイリー・ヒルのビデオインスタレーションと
リプチンスキーのビデオ作品「四次元」を『襞』に関係付けて書かれたもので、
カイエとドゥルーズとの関係はシネマだけじゃなくて、こういった映像論にまで広がってたと見なせる。
おそらく、浅田が立脚していた当時の文脈はそういうものだったんだろうと思う。
いまざっと斜め読みしたけど、ベルールの上記インタヴューは石崎勝基のこんな短文でも触れられているね。
ttp://www.pref.mie.jp/BIJUTSU/HP/event/catalogue/ekisho/tokiyo.htm ちなみに、セルジュ・ダネーが始めた雑誌Trafic(批評空間でも1,2本訳された)の同伴者はベルールで、
というかダネーってゲイだったから、実際にパートナーなのかもしれない。
ダネーばかりが映画批評では注目されるんだが、実際はもっといろいろなんだよね。
ちなみに
映画作家の船橋淳はブログでベルールと会談した云々の記事を書いたりしてる。
たしか船橋ってストローブへの関心も強かったとかブログ近辺で書いてた気も。
スティグレール・藤幡・石田のワークショップ「愛好者をめぐって」が2007年にあったけれど
(詳細:石田研究室の関連記事あり。インターコミュニケーションでもスティグレール講演は掲載された)、
ttp://amatorat.remixjapan.net/session そのHPにはこんな報告もある。
ttp://amatorat.remixjapan.net/article/3#jp ジャン=ルイ・コモリやベルール、ユベルマンはこの領域で交差してていまなお健在って感じだな。
ここらへんが全然受容されてないんだと思うよ。
で、80年代の浅田においてはパイク、ヴィリリオ、ファルジエ、クーショの紹介というかたちでやってたんじゃないかと。
あと、どうでもいいネタ一つ言うと、GSゴダール特集の編集後記では、
パリでトリアーの「エレメント・オブ・クライム」を見たと書いてあって、
アポカリプス・ナウやブレードランナーの水準を踏まえた若手作家の予想外の一品、と評していたりする。
>>16 >>19 すみませんでした。
で、「批評空間アーカイヴ」の彰のエッセイの中に、一部タイトルのツールチップが
出ないものがある件については、どうしましょうか?
ヴィオラはオクトーバーでは批判の対象だけどもね
>>30 >一部タイトルのツールチップが出ないもの
そんなのあったっけ。
あったとしても1,2個の文章だったと思うけど。
ちょっと何を指しているのかよくわからない。
>>31 あ、そうなのか・・<批判対象
>前スレ1000 >GS→日経イメージ気象観測(バブル期)→ANY及び批評空間 >という感じだったね。 なるほどね。ただ、anyoneが福武時代の批評空間臨時増刊になるけど、 俺には太田出版時代のころの方がANYと並んでる印象があるな。 思えば、批評空間は建築理論書の棚の近くにあって、デザインの印象も似ていたように思う。 戸田デザインのANYと東幸夫デザインの批評空間が微妙に似たような雰囲気になってた光景が。 フォント差を出した表紙タイトルが似てるってだけかもしれんけど。 >ベルリンダダ→ロシアアヴァンギャルド再評価の全面化と、ディコンストラクション建築への結びつき。 これはつまりMoMAやアメリカの建築展との動きと即応してたってことだね。 季刊思潮時代には八束はじめの連載もあったし、連載「スターリンの建築」は 『ロシア・アヴァンギャルド建築』(INAX出版[INAX叢書]、1993.11)にまとまる。 INAX出版の建築本ってのは松田行正が装丁をしてるんだけど、 幾何学継承とplaneな面を見せる手口として戸田と印象がダブってて、ポスト戸田って印象があった。 初期の月曜社の出してるデュットマンの装丁などは松田がやってて、 月曜社の小林はANY会議の経緯をめぐるコラムをネットで書いてたように、このへんが好きだったんだろうな。 で、そのあとで脱構築派建築理論の動きを多少紹介していたように思う。 何号だか忘れたけど、2期の編集後記でクラウスと会ってアラーキーの写真はセンチメンタルな私小説的でどうも・・・ と浅田が返し、クラウスがたしかにそうだね、て応じたとか、 any会議でデリダが発表した「ファクシテクスチュール」が論じられていてANY関係者として感慨深い、とか書いてたな。
34 :
考える名無しさん :2009/04/01(水) 13:10:03 0
>>10-11 やけに卑屈だね。それが浅田fanなの?
普通に答えてやれよ!(俺は浅田fanじゃねーから答えられネーけど)
例えばウィトゲンシュタインだったら
語り得ぬもの、思考の限界の定義付けを試みた人。世界の認識を対象や事象の定義を通して定義つけしてみた人。
論理記号使用の先駆者としても有名。言語は使用するコンテクストによって意味をなすことを論じた。
独我論者ではないが独我論的であり、認知面(対象と自分)、言語(起源より使用)面の書籍が中心なので、そういう方面に興味のある人向け//
とでも言えるじゃないか。
答えられないってのは、コピペばかりして知らないか、自分の見解を述べたくないのか、どちらかだろうが、どっちにしても卑屈だね〜
猫十字社とよしながふみを親戚宅に置いたら「なにあれ」とものすごい冷遇を受けた。 「コナン」と「のだめ」は大人気・・。
小さなお茶会はヌルすぎだろ……
黒もんを置いておいたら長期無視と最近蔑視の扱いを受けた。 よしながふみは「なにあれ」「どこがいいの」「むつかしい」と冷遇。 「のだめ」はなんか知らんが老若男女問わず釣れる。 自分にはコナンのほうがむつかしいとです。
>>38 そういうこと言えちゃうのはなんか青臭くて新鮮だw
マリオ・ジャコメッリのオマジオ・ア・スプーンリバーが娯楽の限界かな。 若い頃未練がましく全集を丸善にみにいってキレた思い出が。評価されたあと壊れた? アート・リンゼイは自分の買った三枚目のアルバムからヘタレになるし。 キース・ジャレットは98%捨て曲だし。 フェネズのエンドレス・サマーは楽しめたけど、これもああなるんかなとか。 可愛いと思ってたアイドルが劣化してショックにちかいものが。
なんなのこの自意識の塊はw
楽しめる娯楽ってあるんかな。
アスペルガー要素だけマネしちゃてる、と。
ソンダクとリーボヴィッツも荒木は完全に否定なんだよね
>>33 続き
>六本木の青山ブックセンターにはANYONE英語版がトップに誇らしげに飾られていた。
そのことのABCはよく知らないけど、平気で英米洋書、仏洋書、写真集を隣に並べるセンスで平行性を演出してたよね。
いま、どういう店がそういう場を作ってるのかは知らんけど。
>それが、ゼロ年代初頭にガーンと廃棄された、って感じかな。
>柄谷なんか、ANYは何も生み出さなかったって総括するし。
浅田や建築批評の人が誰かまとめて、いいところ悪いところをじ〜〜っくり論じなおせば良かったんだけど、
浅田は「われもまたアルカディアに:近代建築の「天人五衰」」書いて、
センチメンタルに振り返って終わり、という最悪なことをしちゃったからね。
主著がろくに翻訳紹介もされてない論者の文章がANY邦訳でやっと読めてしまうというのは半ば悲劇的ではあって、
あれを機会に主著が翻訳されてほしかったけれども、その展望が叶えられたという気もしない。
ダレたまま続いた会議ではあったようなのは間違いなさそうなんだけど、
柄谷が総括するのは、お前ちょっと黙ってろ、と言いたい気持ちになる。
もうちょっとまともに総括しないと。
ただ、Anyシリーズ原書もいまや売り切り品切れ状態で、なにやらGSめいた世界に。
しかし、wikiって脚注とか、リンク可能小見出しってどうやって作るんだろうね 脚注などで下にまとめることができれば、出典欄は見やすくまとめられるんだが・・・ 書誌にある批評空間の目次リストはベタ張りされててあれじゃあだめだろう
今は池袋と新宿のジュンク堂が洋書と和書を並べているじゃん
池袋のジュンクが洋書を並べているといっても、洋書コーナーを一角設けて、そこで並べるといったものだろう ABCは和書と和書の間にMinuitとかが平気で入ってたんだよ ジャンケレヴィッチの原書とか見た記憶がある
>>49 おいおい……何言ってんだよ
さすがにやべーよ
え、ちがったっけ? 池袋ジュンクの人文階では一つ分の棚がたしか和書洋書混ざりはあった気がするけど。 階段上がって右手にあるフェミニズムやメディア関係のものがある棚。 でも、その裏面の英語本は英語本だけでまとめられていたり、 隣の仏本にしても仏だけでまとめられてなかった?
あ、いや、そういえば美術関連のところも混ざってる場所あったか・・ でも、すんげえ少なかったよな、英語本。 棚の隅に数冊あるとか、そういう感じだったような・・・
棚によるよ 六本木ABCを神格化しすぎ 客観的に見て今のジュンクは当時並みかそれ以上と言える そもそも名物書店員のカリスマ性という点では池袋リブロの方が上だった 当時ABCがすごかったのは脅威の営業時間だろ
いや俺はABCは本店しか知らん。2000年前後ぐらいに行ってた頃の記憶。 たしかに混ざってると言っても実際そんなに違ってなかったかもね。
>名物書店員のカリスマ性という点では池袋リブロの方が上だった 80-90年代ではそうなんだろうね。田口の『書店風雲録』などを見ると、いろいろ感慨深いが、 俺はあそこで書かれてるシチュエーションの見聞がなくって。 たしかに現在ではジュンクだって全然劣ってないと言えるのかも。 あまり書籍に通じてなかった頃に見た幻のような肥大をしてるのかもw
あとはその時代なら東京堂の洋書コーナーも良かった いずれもインターネット以前の話ですよ もう神保町も崩壊中だし
人文知は崩壊の一途でしょう。 砂漠に「行き止まり」っていう標識があってそこに住むの。
浅田先生。1986年当時ヨーロッパで天才の誉、名声をほしいままにしていたAkira Asadaは今どうしてしまったのでしょう? 日本人に一番苦手な哲学的思索で独仏の天才哲学者を驚愕させる素養をお持ちの筈だったのですが。 新カント派の三木清についで欧州で高名だった浅田彰。 自己に有利な個人的経験則を全体的経験則に拡げ、あたかも普遍的 妥当性をもたらす、という浅田彰唯一の欠点が 拡大再生産されてしまった不幸な結果と思わざるおえない。 草葉の陰で師匠の今村仁司先生もお嘆きのことでしょう。 特別な才能をお持ちの貴方がここで過去を振り返るのは哀しいです 。
追加
・「性表現の両義性、日本文化の二重性」(松浦理英子との対談)、『ジェンダー・コレクション:性と性差のあいだ アサヒワンテーママガジン36』朝日新聞社、1994.7
・「?」(筑紫哲也・高野孟との対談)、『どうなる世紀末のゆくえ? 筑紫哲也vs.浅田彰・高野孟』第三書館(実学百論)、1993.3
・「サルトルの世紀」(加藤周一・三宅芳夫とのシンポジウム。2000.12.2.京都大学にて)
@wikiの脚注のつけ方がわかったので試してみた
ttp://www36.atwiki.jp/aabiblio/pages/43.html 脚注の位置は決まってるみたいで変えられないようだ。
下過ぎてうざいなあ。((〜〜〜〜))と書くと、〜〜〜〜文が下に脚注として提示されるらしい。
番号は勝手に割り振られる。
脚注付けにせざるをえない箇所が今後増えてくるだろうし、これでやってみるかな。
備考
脚注文章全体が勝手にリンク先にされてしまうので、打開策として脚注の冒頭で
[[文字>URL]]と、別のリンク付加作業をしてみたら、文章全体のリンク化を阻止できた。
だが、そのときに使うURLは同wiki記事リンクなら大丈夫だけど、他のウェブサイトのURLだと
脚注表示そのものが阻止されてしまうという結果になる。
そのため、まあいいかってことで、TraversesとZONEの記事を作ってみた。
トラヴェルスはいつかリブロポート版の一覧をまとめてみる。
Traversesの記事リストもフランスのサイトでは完備されてないようなので、ZONEの1-6号とは違って本家の記事リストを作るのは無理だな
ZONEにせよ何にせよ、俺じゃ知らないことも多いので、 なんとなくパイクエピソードを書き連ねていたら、気がつけば「浅田とパイク、およびメディア・アート」 みたいな項目でも書きそうな勢いになってしまった俺のように、 「そういえばこの執筆者はこういう人ですよ」みたいな感じで加筆してほしいな。 書き出してしまうと、あれ、そういえば思い出してきたぞ、ってことがあるし。 マルク・ギヨームって結構訳があって、アタリとの共著とかボードリヤールとの共著は訳されていたりする。 あと、クレーリーって、インターコミュニケーション1号では、 創刊シンポジウムに参加して基調報告を担当していたりする。 いつかインターコミュニケーションの(特に初期の10番台ぐらいまで)目次もまとめてみたいな
今やってるヴィデオアートの展覧会はどうっすか
あのカタログに訳されてるクラウスのビデオ論は読みたかったものなので絶対買うよ。 展覧会には行ってないので、質は知らん。でもラインナップ見ると、滅多にない企画なので期待大。 期間も長いし、いい企画だね。
63 :
考える名無しさん :2009/04/02(木) 14:32:26 0
目次はまだ書いてないが、GS、InterCommunication、季刊思潮、
イメージ気象観測、などを雑誌別に項目つくって並べておいた
旧・批評空間総索引 の欄を作った人は怠けすぎ。
俺のwordファイルをベタ張りしただけで、とても読みづらい。
批評空間リストの方はすこしづつ出典をまとめていってるんで、まだ完成してないが、
季刊思潮の方は一段落しているので、単行本化などの動きも補記したかたちにまとめておいた。
ttp://www36.atwiki.jp/aabiblio/pages/63.html 翻訳以外は脚注使ったところで煩雑になるだけだろうし、
〔→〕の書式でまとめておこうと思う。
灰色文字表示にして見やすくするなど、やり方を考えてみよう。
せっかくのエイプリル・フールだったのに、だれも面白いことを言っていない。
輸入文学者の浅田彰のスレはここですか?
>>58 海外で有名だったことは一度もありません。
ピカチューのほうが有名。
ヘルタースケルターの麻田検事役は美化されすぎ。
71 :
考える名無しさん :2009/04/02(木) 21:39:50 0
>>64 ありがと。
家から徒歩十分の美術館なのに調べるの忘れてたw
>>71 どんだけいいところに住んでるんだよ
もっとあちこち出歩きなされ
73 :
考える名無しさん :2009/04/02(木) 22:02:04 0
あそこは排気ガスだらけだろ
74 :
考える名無しさん :2009/04/02(木) 23:03:31 O
浅田彰と小林秀雄どっちのほうが頭いいの(´・ω・`)?
浅田彰はどういう人向けの哲学書でしょうか? 読んだ事ないのです。 短めにプレゼンテーションお願いします。
76 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 00:37:34 0
>>73 田舎の人はそう考えて安心しようとするよね
77 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 00:43:54 0
確かに神奈川の川崎の人間だから田舎者だが、あそこらへんを 自転車で2時間くらい走ってたら胸が苦しくなった。 空気が汚すぎるから体に良くないね。
排気ガスの怖さを知らんアホがこのスレにいることに驚いた
2000年代初頭の、紙面にも載ってないようなシンポジウム参加、トークショーを 昔の浅田スレや(ナツ)のHPの履歴を追跡しなおして整理してるけど、多いなこれは・・・ 2005年以降ぐらいからは、そういう顔出しや企画の話もあまり聞かないけど、 単に減ったのか、情報が行き渡ってないだけなのか、どっちなんだろう ちょっと前には杉本の写真展で金沢21世紀美術館でトークもしてたっけ
地味に美術館ではシンポやっているよ. チンポンで有名になった広島の美術館でもやっていたし、チラシ もあったけど、ネットでは話題にならないね
やってるよね いま2000-2003年あたりを精査してるが、 建築・美術でちょくちょくモデレーター、パネルディスカッションでの参加が多い
セットエンヴやナツのところみたいな機能が退潮して、
はてなキーワードで偶然見つかる、というふうに移行してるんだろうな
あるいは特化したイベント紹介ブログで非網羅的に、たまたま見つける、という感じか
まあリアルでハコ回ってチラシチェックを定期的にやってれば漏れは減るんだけど
2001,2年ぐらいの浅田スレってイベント情報添付と、
行ってきた人の感想とかが主だったが、2chやレス傾向の変質とともに、そういうのがなくなってきた
2000年10月のAnyシンポin Tokyo(ネット生放送もおこなった)では
それ専用のスレが立ってたというから、ずいぶん空気が違う
ttp://mentai.2ch.net/philo/kako/971/971950426.html
浅田書誌というよりは2000年代初頭の「浅田関連ネット書誌」を渉猟してきたような気持ちでいっぱいになってしまったが、 かつて稼動していた「浅田彰電網板」とそこからリンクされてた、同じようなサイトデザインの 「ジャン・ジュネ 奇跡の庭」(何年も前に閉鎖)の運営者は志紀島啓(本上まもる)でガチだと確信した
志紀島はジュネガチで好きそうだよね。 電網版運営者が志紀島だとは・・・
85 :
83 :2009/04/03(金) 08:19:28 0
状況証拠 ・(ナツ)の紹介リンクでは「shiximaさんの浅田彰電網板」となっている。shixima.. Shikishima... 志紀島 ・そういえば浅田は本上まなみが好みだった、という噂(90年代後半ぐらいのネットの記事ではたまに言及される) まさか筆名はこれにあやかってつけたのか? ・浅田「発光の少女」、『活人』毎日グラフ独得別冊 を好んで言及 いくらなんでも浅田の書き物の中ではマイナーな部類で、珍しい一致 志紀島はブログで紙面写真をつけてまで触れたりしている ・ジュネに対する関心の強さの一致 ・2003,4年ぐらいに電網板にあった、浅田の○×△の採点まとめの下の >(最近の東浩紀は×。早稲田文学3月号・鎌田哲哉「東浩紀的なものの問題」あるいはネットで読めるものとしては本上まもるの論考「十字砲火」を参照のこと) と、濃厚なつながり 俺の浅田関心の中心は微妙に志紀島とズレるから、志紀島の関心が、特にどこにあるのかが何となくわかるな・・・
86 :
83 :2009/04/03(金) 08:23:13 0
>>84 浅田スレでだったかよく覚えてないけど(志紀島スレだったかなw)、
電網板=志紀島じゃねえ? みたいな軽口を見たことはあったんだ
特に印象にも残ってなかったんだが、「活人」で検索したとき、また、
電網版の抜粋部から伺わせる好みや発想から考えていくと、志紀島像とかなり近いんで、電撃が走るように重なったよ
田口の小説を褒めたから電網板やめたってよりは、もうその頃には億劫になってた面のほうが強いだろうな
87−94まで浅田さん監修のニューズレターに関わって、 月1回程度、会議でお会いしてました。 近年、ワタリウム美術館や静岡芸術劇場で、磯崎新氏 とのパネルディスカッションを聴く機会がありましたが、 出てくる人物の話が当時と同じなので、タイムスリップ した気分になりました。
>浅田監修のニューズレター へえー、そんなのあったの 時期的には季刊都市のちょい前から、Anyが数冊出ている頃までぐらいかな 磯崎は、よくもわるくも、近年たいしたことはいってないようにおもう・・ 設計理論(アレグザンダーから何から)に対して、いやあ実際にそれだと建たなくてね、とか いやあクライアント側からの与件で結局、妥協点を作るのが避けられないですからね、といった 切込みがうまい人、みたいになってきてるようなw どうも業界人的な、それでいてまあ(正直に言っちゃうって意味で)良心的なスタンスで言葉をすぐ出しがちな人ではある 彼はどうも、人材のネットワークを束ねる機能として見えてしまうな
浅田さんは、仕切るのが好きですね。シンポで司会を決めても、 「わたしがやりましょう」って結局司会をやってしまう。一度、外国 人ゲストのために、同時通訳を雇ったら、通訳の訳し方が気にい らないと言って、自分で通訳始めちゃった。 一度、いちおう肩書きのあるエライ人に司会をお願いしてあったら、 その人の発言をさえぎってどんどん進めていって、その人が流れを 戻そうとしても「時間がもったいないから」って。 頭もいいし、マイペースの人ですね。学者だからいいんでしょうけど、 企業では無理ですね。 三宅理一さんが、「彼をパネラーに入れとくと、ご自分で進行して くださるからラク」と言ってた。
>同時通訳を雇ったら、通訳の訳し方が気にい らないと言って、自分で通訳始めちゃった その人の論文よんでいたら、気に入らないってことはあるんじゃないかなあ。 文脈わからないと、同時通訳は難しいでしょう。 同時通訳が始まったのはアポロの月着陸以後だし、TVの一見同時通訳は 原稿ある場合が多いし。
>>90 もちろんそうだと思います。専門用語もありますしね。
そのときは意味が違ってくるという単語が2つ、3つ連
続したんですよ。で、「いいです。私が訳しますから」
となって。フリートークだった部分で、難しかったと思う
んです。前半と後半で2人で訳す形をとって後半の人
のとき。まあ、でも一瞬、広い会場にどよめきみたいなの
が起こりましたね。通訳はあんた、いらないって満座の
前で言われたので。もちろん、時間契約ですからお金は
払いましたが、役員は「しかしなー」って嘆息してた。
控えブースに2人の通訳が黙りこくって座ってて、傍に
いたこちらも気まずかった。
浅田さんは正しいと思う。でも、訂正を入れて説明する人
はいますけど、引き取っちゃうかたはまずいませんから。
>>91 >「いいです。私が訳しますから」
浅田彰かっけー
ドS
94 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 14:44:07 0
都会=排気ガスという発想が田舎もの
80-90年代初は、浅田氏は世紀末現象に注目し、 六本木トゥーリアのシャンデリア落下事件が まさに世紀末の象徴だと語っていた。
すげーどーでもいいことを思い出したぜw
>>95 必読書150でトマス・モアのユートピアを挙げるように、
GSの反ユートピアでジョージ・オーウェルの1984を取り上げたように、
バラード大好きでアポカリプスとテクノロジーの崇高に力点がかかるように、
ボードリヤールに対して妙に愛着があるように、
ユートピア/ディストピアの関心がかなり強いんだよね
LIFEのコンセプトにしてもそこが如実に出たのだろうし
ヘーゲルやコージェーヴを気にする発想は、裏面からそれが出ている気がする
なんか変なコージェーヴとか書いてしまったが、気にしないでくれw ちなみに、斎藤毅が扱ってるけど、コジェーヴとスターリニズムの関係は結構面白い コジェーヴはカンディンスキーの甥だったりもするという
>>89-91 福田和也が喧嘩の火だねで浅田の肖像を描いたように、
シンポジウム中、コップの水面を見つめる癖と同様、
空気読まない傲慢さが、すがすがしさとえげつなさの紙一重なかたちで、かなり濃厚な人でしょう
見ようによっては良心的なんだが、見ようによってはひどく残酷でもあるw
ただ、浅田の仕切り能力は、拙速なナレーターとしての流暢な「締め」の言葉をすぐに引き寄せる悪癖もあり、
傍目にはエレガントだとも言えるけど、ある意味悪癖でもあるんだよね
100 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 15:08:25 0
219 :考える名無しさん:2009/04/02(木) 23:53:57 0 971 名前:夫馬さま コメントを頂戴し、恐れ入ります。 :2006/07/13(木) 13:45:27 夫馬さんこのaa作るのに一体時間どのくらいかかったんだい?[] 投稿日:2005/11/30(水) 23:42:58 このAA作れる奴が基地害でなかったら一体他の何なんだ?w ,r'~~~~~~`ヽ / l l,r――――――、 l .l |=・=‐, 、-=・=-| l うおっppい1!i 発狂\ウンコみれにして l | ,,ノ(、_, )ヽ、,, | l ヘラヘラwwそれはどうかな?マnコ!・・・猛稽古w l | `-=ニ=- ' .:::l_.,l まだやってるのかね? ∴.-=・=- -=・=-|かな? ''\ `ニニ´ .:::::;;/' プゲラウヒョー楽しいそうだね?うへhhhそいつはどうだい? /::::|___/:::\ よしよぷっwwぷっププワプワプワラワぷっwwぷっww゚プワフ //,',';; ノ´~~!, ',',;;::',',゙i ト‐=‐ァ' てろごろ∴.-=・=- -=・=-| るだろってろるだろに ./,',',';;" // \ ',',',;;,'i ワプワプぷっwwぷっまだやってワぷっwwぷっww゚プのかw .i 、 / ヽ ',;::'、| ッツピックツクップッピパッピュカッ(●)(●)(●)してあげようかね? .| 〈 ヽ'' { いっちょ発狂してww亡霊とヘラゲラ戦ってwwようかね 220 :考える名無しさん:2009/04/03(金) 00:03:06 0 こんな夜中にゆとり全スレ一斉挙げかい、ごくろうなこった。 昼間はやけにゆっくりしていたね、マダム相手に冷や汗かいてたのかな、ごくろうなこった。 221 :考える名無しさん:2009/04/03(金) 00:09:32 O 話あいができたら良いかも
シド・ミードがお気に入りで、「ブレードランナー」でしたっけ、核戦争が起き、 死の雨が降る中をおもしろい形の傘をさして人々が行き交うシーンの話を 100回くらい聞かされたと思う
>>99 すごーくわかりますよー
その感じです
よく言い当ててる
>>101 浅田のトークや座談発言は、(浅田のみならず柄谷もだけど)
加筆訂正や順序の再構成、口調の整理が入ってるからわかりにくいんだけど、
注意深くリアルタイム発言での感触や紙面採録を対比すると、
「あ、人の話聞かないで、頭の中にある"この話題のときはこの引き出しからざっと語る"をまたやってるな」とか、
「あーー、もうちょっとじっくり言葉にするのを悩みながらやりとりすればいいのに、スピーディに移行しちゃってるな・・」とか、
そういうのは多い
>浅田のトークや座談発言は、(浅田のみならず柄谷もだけど) 加筆訂正や順序の再構成、口調の整理が入ってるからわかりにくいんだけど、 >「あ、人の話聞かないで、頭の中にある"この話題のときはこの引き出しからざっと語る"をまたやってるな」 そうですね 座談会やる意味があまりない。すべて彼の原稿になっちゃうので、「え、こんな感じだったっけ?」 と思う。臨場感は皆無。時間かけて下準備するより、彼がじかに対談相手と会って、原稿まとめて くれても同じ。 「対談してください」とか「インタビュアーは浅田さんで」と言っても、「会いたい人あまりいなーい。聞き手は ほかの方がよろしいのでは」とくる。でも、対談が始まると完全自分ペースで、結論が最初から決まってるので。 頭の回転が速いのだろうけど、その人の話聞いてなくてもすむ相手を選んで対談してる傾向がある。
>座談会やる意味があまりない。すべて彼の原稿になっちゃう あの秀でたトークスキルはたしかに司会させると便利なんだが、 反面、みんなが引っ張られやすいってことでもある ある意味で浅田自身の自己防衛にもなってしまってるからね しゃべりスキルが、ただの放談みたいになってるときの方が、まあ記事としては面白かったりするんだけど、 往々にしてそういう感触は紙面から消されてる GSの「バルチュスからはじまる」は、食事しながらの座談でもあり、 再構成・加筆が多い近年の座談記録に慣れた目にはちょっと新鮮だったりした >「会いたい人あまりいなーい。聞き手はほかの方がよろしいのでは」とくる >その人の話聞いてなくてもすむ相手を選んで対談してる傾向が だろうな。浅田の対談って相手の面白いところを引き出してるのかたまに怪しい 紙面情報やリアル聴取経験から思うに、浅田って作家との絡みが特に微妙になる もちろん、感情移入過多でセンチメンタルに話し合ってればいいというものではないが・・
>>98 うん?コジェーブはスターリン支持と言うか官僚じゃなかった?
記憶違いかもしれないけど。
当時若いフーコーですら、共産党員だったように。
不慮のアクシデントが起こっても、テープを内蔵した浅田彰人形を用意しておけば 乗り切れたりして。 「柄谷行人と親しいことが自慢なの?すごく喜んで書いてる」とか 「著書にいつも同じ固有名詞が出てくるね」とか、 何人もによく言われた。 最近のシンポで都市建築の話が出てきても、シド・ミードのことや、廃墟幻想、 ダニエル・リベスキンド(リーベスキン)など、同じ文脈で出てくるのでブランク あっても、話についていけてよかった。 かつて、編集部で自分はスペース(建築)担当で、浅田さんの得意分野だったから、 個人的な感情から企画に上司がケチつけようとしても、浅田さんが同調してくれるの で助かった(笑)
>>106 官僚として振舞ったのは仏内での話。あれはまた別で、
コジェーヴのスターリン支持というのは、ソ連におけるスターリニズム体制への憧憬ということで、
斉藤論文では露語資料なども駆使してちょっと書いてる
面白いよ、「ヘーゲルが今生きていたら、ナポレオンにではなくスターリンに世界精神を見出したのでは」
などと在フランスロシア人向けの小新聞で当時書いてたとか、スターリンと書簡やりとりがあったとか言われている。
興味があったら、『評伝コジェーヴ』お勧め(俺はまだ積んだままだけどコジェーヴ伝記研究としてはいまのところ代表)。
これは高いけど、あと数年でたぶん絶版になるとおもう
この方面はまだ仏語/露語刊行が完了してないので、まだいろいろ出てくる可能性がある
109 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 16:54:00 0
219 :考える名無しさん:2009/04/02(木) 23:53:57 0 971 名前:夫馬さま コメントを頂戴し、恐れ入ります。 :2006/07/13(木) 13:45:27 夫馬さんこのaa作るのに一体時間どのくらいかかったんだい?[] 投稿日:2005/11/30(水) 23:42:58 このAA作れる奴が基地害でなかったら一体他の何なんだ?w ,r'~~~~~~`ヽ / l l,r――――――、 l .l |=・=‐, 、-=・=-| l うおっppい1!i 発狂\ウンコみれにして l | ,,ノ(、_, )ヽ、,, | l ヘラヘラwwそれはどうかな?マnコ!・・・猛稽古w l | `-=ニ=- ' .:::l_.,l まだやってるのかね? ∴.-=・=- -=・=-|かな? ''\ `ニニ´ .:::::;;/' プゲラウヒョー楽しいそうだね?うへhhhそいつはどうだい? /::::|___/:::\ よしよぷっwwぷっププワプワプワラワぷっwwぷっww゚プワフ //,',';; ノ´~~!, ',',;;::',',゙i ト‐=‐ァ' てろごろ∴.-=・=- -=・=-| るだろってろるだろに ./,',',';;" // \ ',',',;;,'i ワプワプぷっwwぷっまだやってワぷっwwぷっww゚プのかw .i 、 / ヽ ',;::'、| ッツピックツクップッピパッピュカッ(●)(●)(●)してあげようかね? .| 〈 ヽ'' { いっちょ発狂してww亡霊とヘラゲラ戦ってwwようかね 220 :考える名無しさん:2009/04/03(金) 00:03:06 0 こんな夜中にゆとり全スレ一斉挙げかい、ごくろうなこった。 昼間はやけにゆっくりしていたね、マダム相手に冷や汗かいてたのかな、ごくろうなこった。 221 :考える名無しさん:2009/04/03(金) 00:09:32 O 話あいができたら良いかも
どうでもいい突っ込みすると、 >ダニエル・リベスキンド(リーベスキン) コールハース(クールハース)みたいな感じで、何かいいなそれ 今でも口頭ではクールハウスとつい言ってしまう人いるよね 浅田の柄谷好みは、いわゆる野蛮/秀才などという対立以上に、 ああいう発想の仕方が浅田好みなんだろうなあ、とは思う 対談「オリエンタリズムをこえて」でも、 「デリダ的身振りからサイード的政治」とか言い放ってて、 おい、ちょっとまて、単純な図にしてない? と思ったり ジェイムソンへの意識もそのへん由来だろうな
>でも、対談が始まると完全自分ペースで、結論が最初から決まってるので。 それはですね。やる気がないときです。いつもそうだと言われればそうですが。 いい意味で、何が起こるかわからないときは、わりと人の話聞きますよ。 1時間ぐらい観客というか学生質問、整理もせずに次から次へと聞くというのも目撃したことがありますよ。
>それはですね。やる気がないときです。 相手の話に興味が沸かないときは特に、力技で引き出しのしゃべり1ユニット投入ってケースはあるね 話をさえぎってザーーッとしゃったり 採録時点を見越して編集点作りの挙措かと思うときもある
>>110 そうなんですよね。建築家の名前は本によって違うので、
口に出すときや表記するとき迷うんですよ。どちらかで覚
えてる人には、ヘンに聞こえやしないかと気を遣う。
リーベスキンドって書いてる本もあるし。
経済スレを覗いたら、1行カキコミでアンチや私的な話題が多い
みたいで、美術や演劇、建築ジャンルのこと書けないと思って、
ここに来ました。
みなさんのように知識がなくて、頭も良くないので、高尚な話題に
は付いていけないですけど、ときどき遊びに来たいと思いますので、
よろしくお願いします。
なんか、ここ読んでると、2ちゃんねるらしくなくて固有名詞が
いっぱい出てきて議論も活発でいいなあ。
東京都庭園美術館の中でお話聞いている気分になる。
>1時間ぐらい観客というか学生質問、整理もせずに次から次へと聞くというのも目撃 相手とシチュ、企画によりけりだけど、たしかにこの種の妙なやさしさはあるね あと、明らかにどうしようもない会場質問からの質問もたまにあるが、 紙面記録では除外されてるのも、思い出との微妙な差であったりするw
115 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 17:40:32 0
ウンコスレ
>>113 現在、前スレの終わりごろから、書誌加筆がやられてるので(書誌は
>>2 にあるやつ)、
思い出にある浅田見聞記や、2000年代の(紙面には残されていない)浅田参加イベントの渉猟や、
「司会浅田」、「雑誌運営者浅田」の特徴や背景に言及する流れになってます
このスレもちょっと前の過去スレを見るとわかりますが、もともとは荒れやすいので、
最近の流れは一陣の風のような珍しいことなんですけどねw
117 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 17:46:19 0
べんじょの楽がkいスレ
>>111 >>112 両方、理解できます。プレゼンのときはよくお話聞いて
くれました。個人的にはさえぎられた経験はなく、よく
さえぎられる人もいましたけど。枝葉末節にこだわって、
トンチンカンなこと言う人には。
静岡のシンポではっ質疑応答があって、司会は「浅田先生
から何か話題を」とふったんだけど、「どんどん行きましょう
みなさんが自由には話されたほうがおもしろいのでは」と。
すると司会が「時間がないので」と1人で終わらせたので、
「もう少し聞きたかった」と言ってました。
わりと笑い上戸の面もあるかたです。「まったくバカな話ですよ」
で閉める。ポツンといわれることが面白い。
119 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 17:52:10 0
老人クラブの回顧録
120 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 17:54:05 0
ちんかすのpikarrrさんはいる?
>建築家の名前は本によって違うので、口に出すときや表記するとき迷うんですよ
まあ、無難な話、ぐぐってどっちの表記例が多いのか調べたり、
あとは先行言及記事でのカタカナ表記を見たり、って感じですよね
GS2号の座談会「バルチュスに始まる」はブルーノ・シュルツの(小説じゃなくて)版画や
ベルナール・フォーコンの人形写真に触れられていたりするんだけど、
フォーコン(Bernard Faucon)も今ではフォコンという表記が普通になってる
フランスにおける「名画バルチュス」としての受容形成に対してi-mode critiqueの頃に否と言ってるけれど、
このことは座談でもすでに触れられていて、再演みたいな感じなんだろうと思う
座談は84年にポンピドゥーから日本に展覧会規模・主旨が縮小されて話題になってた頃のもので
晩年のバルチュス自身が自分をそういうふうにクローズアップするようになってて、
企画にもかかわってるジャン・レーマリーが、バルチュスと相談して企画してたらしい
ケイト・ブッシュの嵐が丘をマリクレールで褒めてた云々は知らなかったけれど、
ttp://ameblo.jp/le-corps-sans-organes/entry-10144211453.html バタイユのブロンテ論、バルチュスの嵐が丘シリーズといい、
浅田はこのへん大好きなんだろうな
今では言及しそうにないけど
122 :
考える名無しさん :2009/04/03(金) 18:05:15 0
>>108 なるほど、その評伝面白そうだね。
浅田さんは、もう抑圧の人でいいと思うよ。
文脈眼中なしに、東が、コジェーブ引用したりするのを見るとそう思う。
レオス・カラックスが出てきたころ、「汚れた血」をすごく褒めてました。 ピーター・グリーナウェイもお好きで。 三浦雅士さんが「ダンスマガジン」おやりになってて、アドバイザーに なっていただいた。ピナ・バウシュ、フォーサイスとかコンテンポラリー ダンスが来日公演で注目されたころ。 あのころ若手のかたとかあまり露出度の高くない人を引っ張ってきました。 隈研吾さんも、いま大きなプロジェクトを手がけて有名だけど、あのころは まだ仕事も少なく、身近にお話できた。 浅田さんが都庁批判をやれということで準備したときは大変でした。批判的な 書き手を集めたので、掲載後、大手ゼネコンとかの読者が「編集者の見識が 最低。丹下批判するなんて」と悪かったもの=「スペース」に×がいっぱい 返ってきて、デスクに「君に問題あるんじゃねーか。こんな批判されて」ってす ごくイヤミ言われた。浅田さんは喜んでくださったけど、立場なかったです。
>>123 >カラックス
95年の京都映画祭での対談では(映画の世紀末所収)
ゴダールの縮小再生産ではないか、という疑義も出されていたかな
90年代中期ってデプレシャンとカラックスに注目が集まってた印象が強いな
>ピーター・グリーナウェイもお好きで。
上記座談のとっても便利出版「ゴダールの肖像」のみに入ってる
大野による浅田インタヴュー発言採録では、ヤンのクーリンチェを褒める大野に対して
「まあよくできてるよね」ぐらいに評価を弱くし、一方で
「オリエンタリステックででたらめで酷いんだけど、グリーナウェイの枕草子がちょっと面白い」
みたいな趣味全開だったな
グリーナウェイの身体的なところが好きなんだろうし、
フランソワ・オゾンなんかも半分以上趣味的に好んでるように思うw
>三浦雅士さんが「ダンスマガジン」おやりになってて、アドバイザーになっていただいた 浅田もダンスマガジンで数本ぐらい書いててもおかしくないんですが (フォーサイス1999には1本そういうのがあったと思う)、 これまたバックナンバー目次公開がないし、 昔ざっと図書館などでチェックしたかぎりあまり浅田寄稿はないんですよね >あのころ若手のかたとかあまり露出度の高くない人を引っ張ってきました。 >隈研吾さんも、いま大きなプロジェクトを手がけて有名だけど、あのころはまだ仕事も少なく、 なるほどな こういう時差込みでわかる背景ってあまり把握できなくって、GSにしても 執筆者にとってのどういう時期にあたってるのか今ひとつわかんないんですよね インターコミュニケーションの執筆者はまだ出たばかりの人に仕事をあげてるって印象もある 2000年前後は山形も永瀬唯も都千尋も人文的には新人の印象だったはずだし >浅田さんが都庁批判をやれということで準備 それは磯崎の都庁案コンペ落選云々も含めて、結構浅田もこだわってた問題ですよね >大手ゼネコンとかの読者が 建築業界はその実態やコネ、資金回りなどはよく知らないのですが、やっぱいろいろあるんですか Any会議は日本側では清水建設が関係してましたが、これがどういう背景なのか、 どういう意味があるのかよくわからなくて・・・ >浅田さんは喜んでくださったけど、立場なかったです。 浅田と編集者との関係というのはたまに聞く話で、 ものすごく冷淡に接する場合もあれば、フレンドリーな場合もあるとか 知人の知人ぐらいの話で聞いたときには、意外な印象を受けたりもしました
あまり知られてない話を一つ 評判のいい佐藤嘉幸『権力と抵抗』だけど、彼は博士は京大の経済学研究科から出てて、 本書あとがきには助言提供者への謝辞がある 博士論文審査委員はバトラー、マシュレ、マラブー、バリバール、オジルヴィだったので 彼彼女らが当然あげられているが、他に3人の名が挙がっていて、 うち二人は市田良彦と浅田だったりする
>>127 そのコンビが入ると、ただのおフランス系じゃないんだな、
と見る目変わって読む気になるから、そういうのあげといて欲しい。
追加 80s ・ 「新教養主義のススメ:失われた文庫本を求めて」(高橋源一郎との対談)、『Marie Claire』vol.6-no.9、1997年9月号「文庫本の饗宴 いい女になるための読書大特集」 →ぼくらはカルチャー探偵団編『活字中毒養成ギプス ジャンル別文庫本ベスト500』角川書店(角川文庫)、1988.5 ※ ↑初出誌が判明したってことです 栗原によるとマリクレールのブックガイド特集は文庫化されてよく売れてたらしいですね。 (キャッシュしか残ってないのでURL省略。対談タイトル+マリクレールでぐぐるとみつかる) ・ 「?」(?との対談)、ロバート・ウィルソン監督作『海辺のアインシュタイン』上映プログラム、1987 ・ 「ローマ、パリ、ベルリン スキャンダラスな午後31」、『Marie Claire』vol.7-no.4、1988年4月号、pp.352-353 90s ・ 全ソロアルバム解説文、「孤独な芸術家の肖像」、『月刊カドカワ』1990年4月号「総力特集=坂本龍一」 ←加筆 ・ 「浅田彰・平野広朗トークセッション」(平野広朗との対談、1994.11.23)、『ゲイの11月祭天国!報告集』、1995.2 ・ 監修、カタログ『STEVE REICH BERYL KOROT THE CAVE』NTT出版、1997 (ライヒインタヴューも) ・ Internet Archiveにあった電網版ログからVOICE連載文章の原題を加筆 00s ・ Internet Archiveにあった電網版ログから朝日新聞連載文章(「思潮21」)の原題を加筆 ・ トークショー(ペドロ・アルモドヴァル監督作『オール・アバウト・マイ・マザー』について、2000.5.28シネセゾン渋谷にて) ・ 「2000年の中上健次」(青山真治・鎌田哲哉・?秀実・高澤秀次・星野智幸とのシンポジウム。2000.8.熊野大学にて)、『早稲田文学』2000年11月号 ● 「福島瑞穂のいま会いたい、いま話をしたい 今月のゲスト・浅田彰さん」(福島瑞穂との対談)、 社会民主党全国連合機関紙宣伝局編『社会民主』2000年10月号 →改題「原則を曲げないからこそ、自由にネットワークが組める。」、『福島瑞穂の新世紀対談:おもしろく生き抜いてみよう』明石書店、2001.1 ・ 「『大きな物語』から『小さな物語』への転換の渦中で」、『かい人21面相の時代:1976-1988』毎日新聞社(毎日ムック シリーズ20世紀の記憶)、2000.11
・ 「Any シンポジウム in Tokyo:建築と哲学の未来」(磯崎新・石山修武・岡崎乾二郎・柄谷行人との公開シンポジウム(インターネット生中継)。2000.10.19.紀伊国屋ホールにて)
レポート:高山正行(『新建築』2000年12月号)
http://www.t-e-a.org/text/files/any%20report.htm ● 「「倫理21」と「可能なるコミュニズム」(柄谷行人・坂本龍一・村上龍との公開シンポジウム。2000.11.27.紀伊国屋セミナーでのシンポジウム)、『早稲田文学』2001年3月号→『NAM生成』太田出版、2001
・ NAM全国集会(2000.12.23.エル大阪大ホールにて)
・ 「高度情報化社会の未来学」(公開シンポジウム。2001.1.19.大阪国際会議場にて国際高等研究所主催)
・ 「〈美術/展示〉の現在:表慶館からの遠近法」(公開シンポジウム。2001.2.3.東京芸術大学にて) :「報告5 現代社会と美術館」及びディスカッション・パネリストとして参加。
・ 「近代と脱近代」(大津市民教養大学にて講演、2001.7.3.)
>>126 そのニューズレターというのは書店売りではないので、
法人契約が多く、個人というと、ジャーナリストや
デザイナー。特定のゼネコンとはつながりないけど、
大手はほとんどとってるから、機嫌を損ねると部数に
響くと。浅田さんは内容第一主義だから容赦ない。
大成や清水の人は、好意的でしたけど。
編集者との関係というと、最初、浅田さんに話をつけた
のは京大出の若手社員で、上の世代とは折り合い悪く、
すぐ退社してしまった。足掛け7年くらい一緒に本作って、
会議ではフレンドリーなんだけど、外で会うと、なぜか、
うちのどの編集者にも知らん顔。陰で怒る人もいた。
数年後シンポでそばにいらしても声かけること遠慮しまし
た。あちらは気づきもしないって感じです。他の監修者も
いるんですが、執筆者も含め、浅田さんだけですね、
そういうのって。自分は気にしてませんけど。
時間もお金もかかりすぎで、バブル崩壊後に本社が廃刊
を決めました。でも貴重な体験で、契約社員だったけど、
社員含め一番の古参メンバーでした。
・ 「メガウェイブをめぐって」(椿昇・室井尚・蔡國強との公開座談会、2001.9.2.パシフィコ横浜アネックスにて)
・ 「アスペン国際デザイン会議 SAITAMA 2001(IDCAJ 2001)」(古川亨・北野宏明・坂本龍一とのパネルディスカッション、2001.9.8.横浜県立大学にて)
・ 「『魔王』トークショー」(フォルカー・シュレンドルフ監督作『魔王』について、2001.9.8.シネリーブル池袋にて)
● 「この時代に想う:共感と相克」(Susan Sontag・磯崎新・姜尚中・木幡和枝・田中康夫とのシンポジウム、2002.4.28.ICCにて(インターネット生放送))
・ 「SESSION1 基調講演」「SESSION2 共同討議」(両者とも、司会:後藤繁雄、
パネリスト:木幡和枝−浅田彰−平野共余子−アメリア・アレナス−福のり子、2005年京都造形大学にて)、
京都造形芸術大学RCES芸術編集研究センター&後藤繁雄編 『スーザン・ソンタグから始まる/ラディカルな意志の彼方へ』
光村推古書院(アート新書アルテ)、2006.11
● 「霧の中で:坂本龍一+高谷史郎とウィリアム・フォーサイス」、『InterCommunication』no.61、2007年夏号
→坂本龍一・高谷史郎ほか『LIFE fluid,invisible,inaudible...』NTT出版、2007.12
※ ↑単行本掲載が判明。
・ 司会参加、坂本龍一・高谷史郎「アーティスト・トーク」(新作インスタレーション(YCAM委嘱作品)展示、2007.3.11.山口情報芸術センターにて)
・ 「新天地は京都造形芸術大 浅田彰さん 「二項対立」をずらす哲学」(記者:待田晋哉)、『読売新聞』2008年4月30日号 :2008.4.15.の初講義の様子が記されている
・ 2008年末の京都造形芸術大学大学院 連続公開講座を追加
>>128 たしかに市田・浅田、となってると、オッと思うね
つうか市田はそろそろマジで本を出してほしい
『ランシエール』第1章をより練り込んだ方向で1冊出せばいいのに
>>131 >書店売りではないので、法人契約が多く、個人というと、ジャーナリストやデザイナー。
『日経イメージ気象観測』といい、そういう「業界紙」の世界ってあるんだね
いかに洋書にも目を通していようと、普通に本買ってたらまず接しないから、驚いちゃうな
>>131 >会議ではフレンドリーなんだけど、外で会うと、なぜか、
>うちのどの編集者にも知らん顔。陰で怒る人もいた。
>数年後シンポでそばにいらしても声かけること遠慮しまし
>た。あちらは気づきもしないって感じです。他の監修者も
>いるんですが、執筆者も含め、浅田さんだけですね、
>そういうのって。自分は気にしてませんけど。
そうそう、
>>126 末尾で知人から聞いたのはそういう感じの話ね
えらくザックリした関係を意識的に作ってるんだな、とか
柄谷が「文芸誌編集者から頼まれると義理が働いちゃったり、前に関わった編集者に恩を感じたりする」
とどこかで発言してたとき、浅田が「僕はそういうの全然ありませんよ」と返してたくだりを思い出した
文芸誌と男性主義的というか文壇バー的体育会系体質を批判して、
文芸誌にはメトレス(女主人)が必要、と主張してたこともあったが(田中との対談だったかな)、
ああいう発想も関係してるんだろうね
そこで話を戻すと、
>>99 で言ったように
>シンポジウム中、コップの水面を見つめる癖と同様、
>空気読まない傲慢さが、すがすがしさとえげつなさの紙一重
な人なんだよね
たしか福田の記述では「同じ空間に生きてないような雰囲気をしてる」みたいな書き方をしてたけど、
こっちを静物か何かと見てるんじゃないか、みたいな感じがw
福田は続けて、「あの異例の対人的なやさしさは、きっと浅田のそうした離脱性や非人情性から逆説的に生じてるんだろう」
というふうに考えてたけど、浅田ポートレイトとしてはなるほどなあ、と思わせられるものだった
残酷さとデリケートな配慮が表裏一体になってるような両義性があってね
>>132 『ランシエール新音楽の哲学』はいい本だった。
いまどきあんな愚直とも言えるストレートな本を、どうどう書いて通すのは偉い。
>>133 あ、ごめんなさい。ロムって気づきましたがその『日経イメージ気象観測』です。
毎月のマンスリーニューズレターと年4回の季刊とカラーのデータカードで構
成されてるけど、企業はマンスリーしかいらないというし、デザイナーは季刊し
かいらないという。「あんなくだらない雑誌作ってたのか。早くなくなればいいと
思ってたよ」なんて日経子会社の社員にまで言われた。
八景島シーパラダイスは、清家事務所がうちの紹介したクストー海洋博物館
を参考にしてデザインしたんですよ。
読者の中尊寺ゆつこさんのマンガに「時代はイメージだ!」と叫ぶ浅田さんが登
場し、編集部で冷やかしたら、相好をくずしてらした。
おお、なんというタイミング この数日、前スレからちょうどその話をしてて、あれ手に入んないかなあ、とか
大学図書館でもないとチェックできそうにないね、とか言われてたところなんですよ
ものがものだけにネットでの言及例も乏しく、古書流通もしてない
前スレから引用
------------------
985 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2009/03/30(月) 05:29:53
>背景や当時の英仏雑誌の動きも含めてまとめておいてあげないと、単に浅田スゲーになっちゃうからね。
AAが編集していた『日経イメージ気象観測』のAAサンプラーは文字通り当時の雑誌や文化への反応
をただ断片的に記しただけで、
結構何読んでいたかがリアルに分かった気がする。
「October」つまんねえ!とかさ。
これは大学図書館に楽勝にあると思う。
989 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 09:21:08
それ実物見たことないからまったく知らないけど、
ぐぐったところ、岡崎、四方田、蓮實なんかも寄稿してたみたいね。
浅田の文章はこれかな
1988.7〜1990.4
日経イメージ気象観測 ASADA AA SAMPLER
月刊誌だったはずだし、書誌記載をいつかしておこう。
994 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 11:40:25 0
>日経イメージ気象観測は確か予約購読のみで年間購読料10万円とかの狂ったバブル雑誌だったよ。
ttp://www.ltokyo.com/ohmori/970228.html のちょっとした記述によると
同じ編集者がこの雑誌「ORICON BiZ」を担当してるみたいだな。高ぇw
ttp://www.oricon.co.jp/publications/p-oriconbiz.html 日経イメージ気象観測でぐぐると、企業関係者やメディア研究者、作家などの履歴で引っかかる感じだね。
個人で持ってたやつなんてどれだけいたのだろうかというw
------------------
>>135 うーん、わかりますよ。つまらないエピソードを言うと、
会議で懐石弁当が出たとき、女手が足りず、自分の会議
資料はあるし、お吸い物だ、お茶だってテンテコマイしてた
ら、ほかの先生はお客さん然とすわってるけど、浅田さんが
「手伝いましょう」といって、みんなに給仕してくださったの。
およそ、そんなことしなさそうで面食らった。「やさしい面も
あるんだね」と見直す人も。お弁当に付いてたミニ和傘の飾り
を「これ、美しいですね」と言ったり。
おかしかったのは、皇室の話題が出たとき「美智子さんはどうして
あのちっちゃなUFOを頭につけてるんでしょ。あれやめていただき
たいんですよねー」って。必ず言うんです。
いちおう国会図書館には送ってたんですが。思い入れがあって、 残してるけど、家でも場所をとっております。カードはさすがに全部 とってなくて、担当のスペースだけ。一時期、浅田さんに興味を持つ 演劇青年に参考になると思う号の余部をあげたのに、感想も礼もよ こさず。それ以来、人にあげるのはやめたんですが。いちおうカード を除けば、全号手元にありますので、ご協力できることがあれば喜 んで。ただ、いま、奥のほうにあって、すぐ出ないかも。季刊だけで 浅田さんの執筆したものが20数冊あります。カードの参照番号が 本文に脚注として出てくるので、カードも全部あればよかったんで すけどね。
前スレ(というかネットで数少ない言及例だった、すんごい初期の浅田スレからの孫引き)では
浅田監修&連載記事というのは1988.7〜1990.4ってことになってたんだけど、
連載はこの時期であってるとして、監修は
>>87 で言われるように「87−94まで」あったってことなのかな
>毎月のマンスリーニューズレターと年4回の季刊とカラーのデータカードで構成
詳細にたどるとなにやら複雑なことに・・w
>企業はマンスリーしかいらないというし、デザイナーは季刊しかいらないという。
そういえば岡崎乾二郎の執筆文章一覧にマンスリーの方の『日経イメージ気象観測』が挙がっていたが、
評論記事や図版の方はマンスリーが担当していたってことなのかな
>読者の中尊寺ゆつこさんのマンガに「時代はイメージだ!」と叫ぶ浅田さんが登場し、
ああ、イメージ気象観測を介してそういう交遊関係もあったのか
中尊寺死去の際、感慨深げな追悼発言を対談で漏らしてて、友達だったのかな、ぐらいにしか思ってなかった
>>140 >残してるけど、家でも場所をとっております
ものすごくスローなペースでいいんで、スキャンしてくれると真にありがたいのですが・・・・
言い出したらリクエストの山になりそうで言い出せなかったけど、
GSはスキャンして書誌サイトにURLリンクでもしようかと思ってた
いくつかの号は読まれない流通環境のままほとんど伝説になっちゃってて、そういうのは良くないしね
実際に読んでみるとそんなに大したものじゃなかったりするので
>カードはさすがに全部とってなくて、
そういう媒体の世界って本当によくわかんないんですが、データカードっていうのはかさばるものなんですか
>>137 しかしあれは、原稿料高そうでしたねえ。
すがちんとか書いているのが場違いすぎて笑えました。
うーん日経〜で都庁デザイン批判かあ〜
そりゃ当然軋轢うみますね
>>141 つまらないことは覚えてるくせにだんだん記憶がうすれていって。
何せ、トシなもんでね。
編集者は各自月刊・季刊・カード、全部企画編集するんです。
浅田さんの担当は主に季刊号。初期はマンスリーにも書いてたかと。
もちろん、季刊号はマンスリーに出た記事も分析なさるんですが。
ある時期から、長文の原稿は年一度になったかと思うけど90年以降
も執筆してますし、指示も出てます。94年の3月まで本は出てまして、
浅田さんが監修し、最後の号も執筆してます。原稿を一度落として
以来、年1度になったかと。社としては、看板の浅田さんの原稿が出な
いのは困るんですけども。
カードは1季刊に250枚くらいあり、1ジャンル平均50枚。1セットで辞書
くらい重さがあります。
実は当方、簡便な通信用のミニパソコンしか所有せず、スキャンは使え
ないです。
よくわからないけど著作権の問題はOKですか?
何らかの方法、ブログかHP等をのURL経由してメールで連絡できれば、
現物をお貸しできるのですが。
ところで、オリコンBIZの編集者ってだれかな?
ICFで浅田氏が組んだ後藤さんってデザイナーはご存知?キリンプラザ
のアートイベントやってた。
思い出しました。長文の総括原稿が無理になって、苦肉の策でAA サンプラーを頼んだのです。 あのICFって本は印刷・紙代と浅田さんへのギャランティーがネックだ ったと思う。 一般の原稿料はどうだろう。さほど高くないのでは。新聞社よりは高いけど。
と、いうことは、書誌としては ・編集:季刊、1988.7〜1994.3 ということで、 88夏秋冬(3)・89-93春夏秋冬(5*4=20)・94春(1) ということでちょうど丸六年間、24号分ということですか ・執筆:マンスリー 連載「AAサンプラー」は マンスリー1988.7〜1990.4 88.7-12(6) + 89.1-12(12) + 90.1-4(4) で22本、 連載以外にも90年以降もしばしば書いていた、と・・・ 国会図書館に登録されている情報ではこうなってますね 日経image climate forecast : 日経イメージ気象観測 付属資料 イメージカード(ホルダー付) 刊行頻度 季刊 試作版(1987), no.1(1987年7月)〜27号(1994年1月) 日経image climate forecast : Monthly日経イメージ気象観測 刊行頻度 月刊 1987年6月〜1988年1月,9号(1988年2月)〜82号(1994年3月) なるほど、だから「87−94まで」なのか これは一つ、国会図書館に行ってみるかな・・・
>一般の原稿料はどうだろう。さほど高くないのでは。新聞社よりは高いけど。 人文・美術っての原稿料もらえるだけでも一つのグレードですよw 『情況』なんて掲載号の現物支給で終わりだったらしい
>>144 そうですか。長文の総括原稿は、正直、たとえアイロニーだとしてもきびしいな〜
という感じだったので、AAサンプラーの方が面白かったですよ。
といってもリアルタイムで読んだのではないですが。
しかしあの雑誌は、たとえ金融操作のバブルな社会でも、生き抜く勇気をくれましたw
>ところで、オリコンBIZの編集者ってだれかな? >ICFで浅田氏が組んだ後藤さんってデザイナーはご存知?キリンプラザ >のアートイベントやってた。 いやあ、本当に疎いんで知らないです BIZもたまたまぐぐったらアトランダムにわかっただけですよ BIZの編集を同様に調べてみたら、早川高志って人が編集の一人だったと調べられるぐらいですね 前身は『オリジナルコンフィデンス』(1995-)って雑誌らしく、その後継媒体のようです BIZへのリニューアル創刊は2008年7月らしいですが、そのときの編集長は西久保秀文となってます
>>144 >思い出しました。長文の総括原稿が無理になって、苦肉の策でAAサンプラーを頼んだのです。
「AAサンプラー」の開始はマンスリーの88年7月で合ってるんですかね?
で、季刊の88年夏号から同時に監修を担当した、・・という感じなのかな
>>148 ICFの編集者にはその名はないですね
後藤さんは
>>132 に出てた。後藤繁雄氏です。アリガトウ
>後藤繁雄氏
なるほど
ちなみに
>>132 では長文になるので削りましたが、
後藤さんはいまは京都造形芸術大学ASP学科の芸術編集研究センター 学科長・センター長になってて、
そこでソンタグ追悼イベントを主催したという経緯みたいですよ
image climate forecastで調べてると、絵画や立体の作家が
コメントつきで掲載されたという例が93年にたくさんありますね
152 :
. :2009/04/03(金) 23:01:36 0
佐藤亜紀さん(のBLOG)=浅田彰さん(のBLOG)?
>>149 AAサンプラーは季刊へ途中移行しました。
私は87年11月から関わりましたが、
その時点で季刊は2号、(1号はパイロット版)、マンスリーは7月号(パイロット版?)
か出ていました。でも1号にも浅田論文はあったはず。
季刊は26号まで出たかと記憶してますが。何せ、奥にしまってあり未確認。
データカードは、季刊のページジャンルにあわせ、
ファッション、スペース、プロダクツ、パフォーミングアート、
アート(コンテンポラリー)、の5ジャンルでスタートしたのだが、
お時間をいただければ、現物で確認するのですが
その後、メディア(ゲーム、電子メディア、紙媒体)が変則的に加わった。
>人文・美術っての原稿料もらえるだけでも一つのグレード
執筆者には別途、全セット送り、その他、知人、友人の分まで請求する人もあり。
執筆者で希望者には無料購読だったので、もうからなかったかも。
いやいや、十分、十二分にありがたいです 名前だけが知られている、秘境のような状況でしたので、まっったくどういう雑誌なのかわからなかったんですよ ゆっくりで全然構いませんので、少しずつ教えてくれてくだされれば・・
>>151 後藤氏はすごいご出世。ロック音楽に強い人らしく
うちでのニックネームは赤いキツネ
どんな服でも赤いソックス。キツネ風の風貌ということで。
神奈川横浜の花火大会出没してたとか。
浅田氏の監修は契約上は創刊号からのはずで、
マンスリーのAAサンプラーは開始未確認ですが、
季刊は88年1月春号からやっているはず。
マンスリー、季刊ともに、浅田氏の執筆原稿についての概要(タイトル、取り上げた固有名詞など) このスレでよければ、順次調べてかきこんでいきますが。
>季刊は26号まで出たかと記憶してますが。何せ、奥にしまってあり未確認。
ああ、
>>145 で記した「24号分」というのは、
"巷間伝えられている浅田の連載時期1988.7〜1994.3に基づくならば、浅田監修の巻数は24巻分"
ということであって、ええと・・・no.5-no.27の・・・23巻・・・あれ、おかしくなるな
「1988.7〜1994.3」という言い回しは、
no.1 1987.7 no.2 1987.11 no.3 1988.2 no.4 1988.5
の、no.4を含めてるのかな
このno.4-no.27の24巻分が浅田監修、と
季刊は、試作版(1987), no.1(1987年7月)〜27号(1994年1月)
とあるように、no.27まで出たのでしょう
で、「AAサンプラー」が季刊へ途中移行してた、と
じゃあ22本とまでいかず、もうちょっと少なくなるわけですね
こりゃ、確認しないと書誌項目作れそうにないなあ
>>156 ぜひともお願いします
ゆっくり書いていっても大丈夫です
イメージカードは現物は一部しかないのですが、カードの目次が 季刊号の巻末にあるので、内容はわかります。 そのうち、本文で浅田さんが興味を示したカードが何かもわかります
あ、概要があるのは嬉しいのですが、
号数、発行時期、タイトルが抜けるとあとあと大変になるので、お願いしますw
>毎月のマンスリーニューズレターと年4回の季刊とカラーのデータカード (
>>137 )
>浅田さんが都庁批判をやれということで準備したときは大変でした。批判的な書き手を集めたので、(
>>123 )
この批判的な意見はマンスリーのほうに載ったということなんですね
>季刊だけで浅田さんの執筆したものが20数冊あります。カードの参照番号が本文に脚注として出てくる (
>>140 )
>編集者は各自月刊・季刊・カード、全部企画編集するんです。 (
>>143 )
>浅田さんの担当は主に季刊号。初期はマンスリーにも書いてた
>カードは1季刊に250枚くらいあり、1ジャンル平均50枚。1セットで辞書くらい重さ
>データカードは、季刊のページジャンルにあわせ、
>ファッション、スペース、プロダクツ、パフォーミングアート、アート(コンテンポラリー)、の5ジャンルでスタート (
>>153 )
これはつまり、季刊のほうを展覧会カタログのように使って、
マンスリーでの記事でその図版番号を指示しながらテキストになってる、みたいな関係だったということですか
そして季刊で掲載する写真等を浅田が監修し、テキストの方はマンスリーで書いていた、と
>原稿を一度落として以来、年1度になったかと。 (
>>143 )
>AAサンプラーは季刊へ途中移行しました。 (
>>153 )
そして、季刊の方に移った、と・・・
素朴な疑問なのですが、マンスリーは、写真等の掲載のほとんどない、対照的なものだったんですか
>実は当方、簡便な通信用のミニパソコンしか所有せず、スキャンは使えないです。
>よくわからないけど著作権の問題はOKですか?
全然OKではないので、海賊的にしかやれないですね
元関係者の方にそのリスクを背負わせるのはあんまりな話なので、
違法配布の件は図書館所蔵物からの資料複写の線で棚上げで
書誌情報提供、概要紹介でお願いいたします
>浅田氏の監修は契約上は創刊号からのはずで、 これはつまり、雑誌創設の当初から浅田への依頼が刊行計画にあったってことですね 途中から浅田が参加し雑誌に関与したのではなく、もともとそういう媒体を企図していたのだと
>最初、浅田さんに話をつけたのは京大出の若手社員で、
>上の世代とは折り合い悪く、すぐ退社してしまった。 (
>>131 )
これは、この方のことですね
ttp://www.ezaki.com/profile.html 略歴を見ると、88-89年ぐらいにはすでに日経を退社してるように読める
しかし経費、採算はともかくとしても、そんな媒体が成立するもんなんだね
話を聞いてるかぎりじゃ、出版媒体を使いながらも通常の商業媒体ではなく、
そのうえ美術館カタログも及ばないようなヴォリュームを実現させながら、
ハコものでもなく、オンラインでもなく、美術館のごとき手法で多領域をまたがってキュレーションする
といった感じじゃないですか
ネット以前の、しかもネットではできないレベルのメタミュージアムとでもいうか
>メディア(ゲーム、電子メディア、紙媒体)
まで入ってるとなると、生産デザイン一般にまで波及しそうな勢いだ
コールハースの都市計画論のような、生産技術の総体をつかみとろうとする意欲だったのかな
ちょうど都市論(『季刊都市』)が終わって
インターコミュニケーション創刊やANY会議開催とかぶっている時期だし、
Image Climate Forecast終刊(1994年前半)と、批評空間の太田出版への移行・第2期開始が
前スレ991のいうように、ぴったり一致してる
ICFで養った経験がその後、批評空間やインターコミュニケーションの特集にも生かされたりもしたのかな・・
>>138 (の引用された前スレ989)
>[『日経イメージ気象観測』]これは大学図書館に楽勝にあると思う。
ムチャゆーな
NACSIS Webcatで調べたが、図書検索でここまで愕然としたのも久しぶりだ
NACSISには大学図書館も加入してあって、基準値のために挙げると、
たとえば「群像」ならば 336館が所蔵している
第2期批評空間ならば 154館、
第1期批評空間ならば 82館だ
なるほど、じゃあ・・・20館ぐらいだろうか、と思うだろう
3館しか引っかからんかった・・・
学習院女子大図書館、九州大学附属図書館芸術工学分館、早稲田大学図書館だけ
これと、国会図書館だけだろうな・・
レアなんてもんじゃねーよw
そいつはすまんかったw ただ確かに下みたいな感じだったよ。棚から手で取れるところで見たほうが 面白い。国会だと一冊一冊面倒でしょう。 +++++++++ 出版媒体を使いながらも通常の商業媒体ではなく、 そのうえ美術館カタログも及ばないようなヴォリュームを実現させながら、 ハコものでもなく、オンラインでもなく、美術館のごとき手法で多領域をまたがってキュレーションする といった感じじゃないですか ネット以前の、しかもネットではできないレベルのメタミュージアムとでもいうか
さて、各館の利用条件を見てみよう
学習院女子大図書館
>次に該当する方は、当館で資料の閲覧ができます。
>他大学の学生・教職員で所属大学(図書館等)発行の紹介状と身分証を持参された方。
>他機関の研究者で所属機関(資料室等)発行の紹介状と身分証を持参された方。
>公共図書館発行の紹介状と身分証を持参された方。
早稲田大学図書館
>早稲田大学中央図書館は一般公開しておりません。調査研究のために、
>当館に所蔵する資料の利用を希望される研究者及び大学生は、
>所属機関の図書館(室)からの紹介状と身分証(教員証・学生証等)をご持参ください。
これはひどいw
こうなると近場の図書館経由の取り寄せという手もだめだ
国会図書館に行くしかないね
どういう地理的不均衡だよ
国会図書館は雑誌・書籍とわず館外貸出だから・・・
閲覧あるいは複写サービスしかないな
ttp://www.ndl.go.jp/jp/service/copyfee.html >>165 俺の心理的光景はいまこんな感じ
ttp://special.yamakei.co.jp/tanken/
ひどいね。いま大学図書館は一般公開当たり前と思っていたけど。 早稲田なめてんな。 手としては >公共図書館発行の紹介状と身分証を持参された方。 だね。
大卒なら出身大学の図書館は使えるだろ?
>>167 どっちにしても雑誌の館外貸出をやってる大学図書館はまずないから、コピー費の差にしかならんなあ
>>168 残念ながら俺の母校は卒業者に全く特権を与えない大学図書館でな
IDもってないとゲートすら越えれないよw
その上、住んでる場所が母校から遠くはなれてるので、国会図書館のほうがまだしも近い
国会は30円だっけ? あと一冊一冊書式書いて申請しないとだめなのがいやなんだよね。 大学は10円 出身大学の図書館いって紹介状か射てもらうとか。 紹介状は簡単にもらえるはずなんだけど・・・
>>171 ここにも書いてあったけど、紹介状取得はそんなに大変ではないらしいね
ttp://bestlibrarian.jp/diary/diary.cgi?no=33 一枚15-20円差のコピー費用のためだけに母校に戻るとか、交通費の方が下手すると上回りかねんし、気が進まないなあ
図版全部をコピーする必要はないはずだから、
重点は浅田の文章の複写、他気になる文章の複写、
クォータリーの紙面構成のコンセプト把握、
掲載作家・作品の把握(カードの目次とやらをコピーして、あとはじっくり眺めてればよかろう)、
マンスリーの記事・著者を目次複写で把握
というあたりだろうな・・・・・
>>172 なるほど。あと国会はまじでプロがいっぱいいるから、
書類を提出するのに行列ができていて、並ばなくてはいけないとか、時間
がかかるというのもあります。
行列とか時間食うってのはつらいね・・ まあでも、大量複写計画は後回しにてお試し的に閲覧して、 ほー、こういう雑誌か、と確認するために国会行ってみるかな いざ、秘境探検へ
175 :
173 :2009/04/04(土) 02:59:17 0
つまり多分一日で終わらない。
>ひどいね。いま大学図書館は一般公開当たり前と思っていたけど。 >早稲田なめてんな。 ああ、一般閲覧可能な大学図書館って、大抵は国公立だよ 私学は基本的に無理で、紹介状必須
>>161 最初に、各号の変遷は煩雑なので、時期などの詳細は後に個別回答させてください。
まず、体裁から説明です。
まず、マンスリーとクオータリー(季刊号のこと)は、まったく別のスタイル
と考えてください
マンスリーは毎月のニューズ解説がt中心で、それを手がけるのは編集者なのです。
企業行動、市場行動、文化現象、生活現象、社会現象の大別して5ジャンルから、主要
新聞の中から興味深い記事を事象的にピックアップして要約解説。
キーワードを作ります。
さらに、TV視聴率、書籍、新製品、音楽等のランキング、CM事象を抽出。
そのほかに、広範な年齢層の実名モニターに、共通の質問事項を3問ほど出して、
アンケート回答させます。
たとえば「次の政権は民主党がとると思いますか?」というようなQ
これをもとに、稲増龍夫氏がチャート分析を行います。このチャート分析をもとに
クオータリーにおいて、4半期に一度、浅田彰氏が解説記事を書くのです。
クオータリーはマンスリーを土台にすえながらも、まったく別の専門レビュー本となっています
しかし、ある時期から稲増さんも、多忙のため、このチャート分析からはずれたのです。
それに代わり、クオータリーのジャンルと連動する専門の執筆者による毎月のおすすめ記事
が登場します。同時に、季刊号に発行していたイメージカードは毎月のマンスリー付録
として、20枚分冊のような形で発行しました。
マンスリーのAAサンプラーがいつなのか、正確には現物を見ないとわかりません。
AAサンプラーは私にはクオータリーの印象しかないのです。
次はクオータリーですが、総括を浅田、稲増、柏木博の3氏で行い、
ファッション、スペース、プロダクツ、パフォーミングアート、アート、(のちにメディアが
加わる)は浅田氏と相談して決めた専門分野の執筆者と編集者が組み、さらに数人
の執筆者を企画会議に基づいたテーマをもとに依頼します。
候補は複数で、OKをもらうのが大変です。スペースは、手前味噌ですが、他誌では
まず断られるという執筆者に食い下がり、実現できました。都庁のときは、すべての批判記事
にあたり、ブレーンを集め、執筆者を1人に決めた。インターネットのない時代、大変な苦労でした。
さらに、毎号各ジャンルでVIEIW pointsという専門レビューを設けて、執筆者数人を別に集め、
アンケート風に語らせる。
AAサンプラーは浅田氏のVIEW POINTSといえます。
>>162 当時は電脳図書が最終目標だった。マルチメディア時代を見据えたデーターベースつくりが目的だったのです。
はじめに浅田さんありきの企画ですね
しかし、最終期は著作権問題にぶつかり、制約と費用の壁を越えられなかった。
>>163 そのとおり、江崎亮さんです。産デ振の青木さんともはかって浅田さんを口説いたと聞いています。
回答忘れ マンスリーはモノクロ 文章主体で写真は基本的に商品写真、日経提供写真 が中心 一部例外もあり クオータリーはカラーです デザインはクオータリーのみ後藤繁雄(4号から)
>毎号各ジャンルでVIEIW pointsという専門レビューを設けて、執筆者数人を別に集め、 >アンケート風に語らせる。 これはつまり、「○○季評」ですね 季刊思潮の初期にもありましたが、各領域の執筆者に書いてもらう >当時は電脳図書が最終目標だった。マルチメディア時代を見据えたデーターベースつくりが目的だった >最終期は著作権問題にぶつかり、制約と費用の壁を越えられなかった。 それ、より規模小さいですが、ICCの「マトリクスデーターベース」(1996-1999)と、構想と挫折でも一緒ですね ICCでは大和田龍夫が運営・担当をして、たしかインターコミュニケーション執筆者や各種研究者に依頼して、 文化・芸術・思想のトピックや用語、人名をめぐって膨大な事典のようなものを作ろうとしていた そのデータベースの閲覧は、ネットからは2001年ぐらいにはもう見れなくなっていたと思う これはもう閉鎖時期からしてInternet Archiveでも過去ログはわかりません 学生の頃見ましたが、1項目500-1000字ぐらいの気の利いたものでした ICCのHIVEに、現在ではいくつか昔のアーティスト・インタヴュー動画がアップロードされていますが、 素材はマトリクス・データベースと同様に、ICCでの館内マシンから限定で視聴できたものでした ドミニク・チェンがたしかHIVEに関わっていたと思いますが、クリエイティブコモンズのライセンスを付与している 著作権問題は必ずしも解決してないのでしょうし、HIVEに置かれてる動画もそう多くはないですね やはり違法にやってるUBUのようなところの方が目立ってしまっている
ICFがイメージビデオを作り、1本所有してます また、当時、マッキントッシュか何かで動画のMD みたいなのを作ろうとして、リサーチしてたんです。 いまのDVDの前段階の子供だましみたいなやつ。 ここで、ICFとしては、データベースを利用できると 考えたのが、一部の執筆者から、マルチメディア化 で原稿を再使用するなら、別途原稿料を支払えとい ってきて、全ジャンルクリアは無理とわかり、頓挫。 この計画失敗は廃刊への引き金となったと思う。
書誌の計画がまだよくつかめないのですが、書誌データーベースにICF の内容を入れるため、スキャンして、だれでもみられる形でnetにUPする ということですか。 たとえ、古本屋で入手したものでも、無断転載になりませんか。 浅田さんが作ったICFの販促ツールのパンフがさがせば1部くらいは手元 にあるかもしれません。コンセプト等、写真図解で出ていました。 無断転載でなく、法律に触れない形でまとめられるならよいのですが。 わたくしも、ICFは画期的な内容だと思うのです。 バブルの仇花といわれるが、いまでも、このように広範社会をみつめ、 分析していくことはとても重要と考えます。この本の内容を若い世代にも 手にとって知ってほしいと思ってます。また、現代のメディアにもこの視点や ノウハウは必要ではと常に思う。 現物は見るだけなら大学図書館で容易に見られそうですか。難しい?
>無断転載でなく、法律に触れない形でまとめられるならよいのですが。 そりゃ、それができるならそれに越したことはありませんが、 写真: 写真家が撮影で著作権者となるので許諾が必要 被写体が人物ならば肖像権があるのでモデル=著作権者の許諾が必要、 作品ならばその著作権者あるいは所有者の許諾が必要 文章 公開するのならば、それに応じて執筆者それぞれの許諾が必要 OCR読み取りやテキストファイルでの公開ではなく、 スキャンを使うならば組版の著作権、ここで 編集者や版元の二次著作権が生じるので、ふたたび許諾が必要 (組版の著作権は現在意識されてませんが、二次著作権に該当するのでおそらく今後強化されてくるでしょうね) と、まずありえない量の許諾が必要だってのと、その手続きをどうやってとるかという難問が出るほか、 日経側と権利放棄の要請をすることになると思いますが・・・・ 書誌の方は、まあ単純に書誌です GSをこっそりスキャンの画像ファイルでアップロードしようかな、というのは私個人の意欲であって、 恒常的なアップロードにするか、スレで一過的なアップローダーを使って小数の範囲でとりあえず共有するか、 についてはまだ実際的にはあまり詰めてないですよ
内容や経緯をカキコむことはここでも可能ですが、 研究目的で必要なら、現物を一括長期貸し出ししても いいと思ってます。 事情が八方ふさがりなら、美術展か何かにかこつけた OFF会でも開いて渡したほうが早いのでは? もちろん2ちゃんの危険な特殊性は知ってますが、 文学など趣味のスレではOFF会をやってるところもある ようですね。 私もいつまでもは生きられないんだし。できる限り協力 はしたいと思います。
>>184 いや、研究目的とまで大それたことは言えないので、
申し出はありがたいのですが、
そこはとりあえず概要説明と目次書誌作成で一定の全貌を明らかにできればいいんですけどね
あと、国会図書館で一応閲覧はできることですし・・・・
でも、古書流通も皆無ってのはさすがにレアケースだなあ
その事情から著作者たちの許諾意欲を刺激するのは可能かもしれないけど、結局手続きが問題になる
スキャンはともかく、個々にメールなどでお願いして回ることになるのかな
まあ、こう、スキャンじゃなくて、浅田の文章だけなら
テキストファイルでアップロードあるいは書誌内の記事に転載しても
浅田のお目こぼしを狙えるような気がしないでもないですが
ただ、ICFの主眼はイメージカードを併用したアーカイブ総覧にあったとすると、
(浅田以外も強引に、あるいはメールなどで著者許諾をお願いするなどして掲載するとしても)
テキストだけではコンセプトの再現の点で欠落が出ちゃうかな・・
あ、
>>177-179 ,
>>181 をもとに
書誌のICFの欄を加筆しておきました
ttp://www36.atwiki.jp/aabiblio/pages/66.html
>>177 >稲増龍夫氏がチャート分析を行います
なるほど、英語本の日本に関する社会学系統の本でICFの稲増論文が注に上がってるのをさっき確認したが、
そういう位置にあった文章だったわけか。
>広範な年齢層の実名モニターに、共通の質問事項を3問ほど出して、アンケート回答させます。
>たとえば「次の政権は民主党がとると思いますか?」というようなQ
これは当時の時勢を反映した内容もあったのでしょうね
こんなアンケート言及がありました
>若者たちは「フリーアルバイター」という和製英独語をひねり出した。
>学費や生活費を得るために働くのではなく、学校卒業後もアルバイトで暮らす若者たちのこと。
>彼らを現代版「風太郎」(プータロー)として異端視することはできないようだ。
>「フリーアルバイターは積極的なライフスタイルとして定着するか」という
>五十人アンケート(日経イメージ気象観測)の結果では二十四人が「YES」。
ttp://www.arsvi.com/d/freeter80.htm
はっきりわかったほうがいいから、今度から名乗るね。 ああ、そう、50人アンケートだった。20年くらい前のこ とだからもう忘れかけてる、ヤバイねー あのね、廃刊後、3年くらいたって、当時のメンバーに 確認したんだけど、みんなICFは捨てちゃってるよ。 可能性があるのは、江崎君とその後任の男性社員 2人くらい。未確認だけどね。 社は廃却処分にしたから。あと、執筆者は持ってても 欠番だから。稲増、柏木両氏はどうかな?わからない ここに内容UPしていくけど、全部終わるころに、信頼 関係がもし築けてたら、転載云々は別として将来、無償 で現物ソックリ引き取ってくれるかな、検討しといて。 自分が持ってるより、資料が生きると思うから。 古本屋では価値わかってくれるかな、どう?高く売れれば 嬉しいが・・・(冗談)。 ここで朗報です。 前に調べ物があって、手元に季刊3号(88年1月)があった。 で、初期だから、自分は参照ICFカードを該当ページに抽出 して挟んである。 しかもこの号、本文の参照番号に誤植があって、赤字で 何箇所か本文訂正してあるよ。 冒頭ページが浅田さんの構成・文で、これは1ブロックが短い から、何度かに分ければ、ここで全文引用アップできる。 自分も慣れないから、とりあえずこの季刊3号をテストケース に始めさせてもらえる? 1号からとかみつけるの、ゴミ屋敷だから時間かかると思うんだw
>あのね、廃刊後、3年くらいたって、当時のメンバーに >確認したんだけど、みんなICFは捨てちゃってるよ。 >社は廃却処分にしたから。あと、執筆者は持ってても欠番だから。 うぁー
testの前に、ICFを発行している母体について書いておこう。
日経といっても、この本を担当したのは編集局ではなく、
データバンク局生活情報部。当時、日経テレコンサービスやQICK
を扱ってたとこ。パソコンでクイズや囲碁ゲームなどのコンテンツ
も作成してた。後に電子メディア局と改称。現在は電子メディア局は
分社化され、日本経済新聞デジタルメディアになった。詳しくは
http://www.nikkei.co.jp/digitalmedia/vision/message.html 営業・販売は他の日経系ニューズレターの販売を行ってた日経総合販売
という別会社が担当したが、この営業活動に大きな問題があった。
そもそも、このような文化的な色彩の強いニューズレターを扱うことに戸惑い
があったのだ。すぐに企業の業績に反映される内容の媒体ではない。
何度、営業部隊にレクチャーしても理解度は低く、ほとんど、積極的に営業活
動はかけず、電話の前で申し込みを待つだけが実態だった。読者リサーチを
させても、やりかたに工夫がなく、不評そうな企業のところのおじいさん社員の
意見ばかり上げてくるので、こちらも参考にならない。
要は早く手をひきたかったのだと思う。
価格のことだが、当初12万円くらいだったと思うが、総合販売 が売れないと言い出し、10万円に下げたような記憶がある。 だが、実際には営業がダンピングして、5〜7万円くらいで売っ たと聞いている。定かな情報ではないけどね、ダンピングはあっ たことは事実。 営業の言い分は「季刊とカードをはずして安くできないか。季刊と カードはいらないから、マンスリーだけがいいという客が多い」と いうもの。企業の資料室には、読まれないままの季刊や、カードは 着いたその日にゴミ箱行きが目立つということだった。 季刊の執筆者の中にも、「役立つのはマンスリー。マンスリー だけなら、うちでもとれるのに」という人がいた。 浅田彰が売り物のはずなのに、コストが高くなるわりにニーズは 低い側面もあった。 読み手になる若手社員がいる企業も、「部長が私物化して、読ませ てもらえない」という意見があった。 これなどは、営業の売り方がまずいからだと編集部は嘆いた。
>>188 自分も迷った時期がある。昔のトレンド知ってても
しかたないか、とか思ったものね。
でも、こんな形で役立つなんて、わからないものだね。
社の廃棄処分は、経理上の在庫破棄命令。
執行前にせっせと、知り合いの執筆者に配った編集部
員もいたけど。
管理部長が処分のため運び出しにやってきた日、「こんな
お荷物、長年作りやがって困ったもんだな」と言ってたよ。
季刊は筑紫哲也がいつかの本年度ベストbookに選んでくれ、
新聞に載ったこともあったし、田原総一朗も執筆してくれてた。
その日経なんとか、図書館に見に行こうかな。
「日経イメージ気象観測」QuarterlyNo.31988.1 (昭和63年1月15日発行) 表紙:「AN ECO THUNDER」 大竹伸朗 作 1985、87年制作 注1:表紙の写真は浅田彰が選択 巻頭ページ VIEW POINT ●「カタストロフの予感」 横尾忠則 ●「終末の都市」 「帝都物語」荒俣宏/「バリカーデ」三上晴子・飴屋法水 ●「プラスチック・アイドル」 後藤久美子/少年隊/光GENJI/シブがき隊/男闘呼組 ●「ポスト・カタストロフィック−未来の記憶」 「アキラ・PART3」大友克洋/「北斗の拳15巻」武論尊・原哲夫 ●「神々の黄昏」 ベルリン・ドイツオペラ「ニーベルングの指輪:第3夜・神々の黄昏」/「第1夜・ワルキューレ」 注2:巻頭ページは浅田彰/文・構成 によるもので、四半期に、注目すべき事象を解説するもので、 1項目につき、見開き2ページのカラーグラビア形式。VIEW POINTは、当初浅田彰氏自ら執筆していたが のちにAAサンプラーへ移行。VIEW POINTSのタイトルでは、各ジャンルの旬の人が執筆する形式に変わった。
とりあえず、第1回はここまで。見出しと同じ形式で書こうとしたら、 改行過多でエラーではじかれたよ。見にくいけど、ガマンしてくれ。 相当の情報量だからQ号の見出しだけでも、27号分だと長期に わたるぞ。ましてや、マンスリーもある。浅田氏関与の部分を挙げる だけで、すごい量だよ。そのうえ、要解説のものもあるしね。 この巻頭ページの浅田氏の解説が付くが、短くても全文引用すると、 著作権に抵触するから、ポイント説明でいいよね?
他は予想付くけど北斗の拳はちょっと知りたいw
196 :
考える名無しさん :2009/04/05(日) 02:56:23 0
最近スレが活発ですね。 家から歩いて2分くらいのところに国会図書館があるから、何かあったら、俺がコピーしてくるけど。 要望あったらいってくれ。
>>195 「北斗の拳」は、自分がまったく読んだことないのでわからないが
使われた場面は、高層ビルが倒壊した中に断崖絶壁のような台地
があり、子供がぽつんとすわっているのと、男2人の格闘シーン。
浅田氏は「あらかじめ未来の廃墟の記憶を持っているかのような
子供たちのイメージ」と言っている。
とにかく、この時期は世紀末に向かって廃墟にとりつかれているかのような
語り口で、最近のシンポでもカタストロフィ志向は不変のようだったね。
ところで、書誌を作ってるのは、この中の1人の人なの?
何人かで協力して作ってるの?それもよくわからないけど。
「終末の都市」は、「終末の中での霊的なものの復活」と、 「電子都市の廃墟」を対比。「帝都」の主役・島田久作と 「バリカーデ」の飴屋法水が同じ「東京グランギニョル」出身 という共通点を指摘。 「カタストロフの予感」はフジテレビギャラリーで開かれた 横尾忠則展より「ワンダラー」「無害?」「邪」の3作と、 「愛と幻想のファシズム」の表紙を紹介(当時話題になったね)j。 「昭和の終焉と市場の暴落を予告するかのように突如して出現した アポカリプスのイメージ」だと語っている。 「プラスチック・アイドル」は、ゴクミを「おニャン子クラブで完全な平準化 に行き着いたあと、突如として現れたスーパー美少女」と紹介する 一方で、ジャニーズのアイドルは「プラスチックのパッケージで一括販売 されている」(ちょっと意味不明。CDのこと?)と。 この写真選びに同席したとき、浅田氏が語っていたのは 「女の子は単独で売るが、男の子はグループであえて個性を埋没させている。 顔の見分けがつかないのはむしろ意図的な売り方なのが面白い」と。 「ポスト・カタストロフィ−未来の記憶」は、前で説明した通り、SFコミックスの世界 での廃墟。「アキラ」のタイトルは大友氏が浅田さんからつけたので、特にお気にい りだと、このとき、知った。 「神々の黄昏」は「舞台装置をタイム・トンネルの中に設定するなどSfのイメージの多用」 に着目。「拡大レンズにより舞台装置を映画に変え、終末のイメージが反復可能」と語る。 紙数の限界だ
>>196 歩いて2分?そりゃスゴイロケーションだね
書誌の人、彼に指示を出して協力してもらったら?
ココの中でやりとりするんじゃ限界あるな
やっぱりけっこう体力いるわ
項目が多いんだもの。
目次だけだって1回じゃ出せないし。
書誌くんの次のレス待つわ。
書誌の人でしょ 竹橋にも近いって言ってたし
でも、上のほうでいろいろレス引用して質問してきた人とは別人でしょ? それまで質問し続けてたら、「最近スレが活発ですね」なんて言わないよね 質問者が書誌の人だと思ってたけど、書誌の人は別にいるのか。 ま、いいけど。
ぬお 朝帰ってきたらずいぶんスレが延びてる
4/3-4/4にたくさんレスしてた者です
>>185 とかね
>ICFぽん吉さん
>社の廃棄処分は、経理上の在庫破棄命令。(
>>191 )
同様に、法人契約で購入していた側も保管されていない可能性がありますね
公共図書館の蔵書がたまに廃棄されるようなもので
ただ、いくら巻数が多いといっても、捨ててる人が多いのはびっくりなんですが・・
そんなに大判・極厚だったんですか
イメージカード一つが辞書並みの重量って時点で何か不穏な匂いはしますがw
>ところで、書誌を作ってるのは、この中の1人の人なの?
>何人かで協力して作ってるの?それもよくわからないけど。
wiki仕様なので、パスワードなしで誰でも編集できるようになってるわけです
で、まあ少しずつ保管してまとめるってことで集団的にやろうという企図で
書誌wiki案が半年ぐらい前に提案され、設置されました
ただ、この手のケースは往々にして、率先してまとめる数人と見守る大勢にわかれちゃうので、
不備箇所が気になる+単にリストまとめるってのもまずいだろうと気になる私なんかが
ガシガシ編集して項目を増やしてる感じになってますが
ちなみにwikiの書誌の下敷きになった20ページぐらいのテキストファイル(自作書誌)を提供したのは私です
>相当の情報量だからQ号の見出しだけでも、27号分だと長期にわたる
>マンスリーもある。浅田氏関与の部分を挙げるだけで、すごい量だよ。(
>>194 )
目次限定にしても、文字打ち込みで書誌を作るのは体力的にもしんどいので、
あまり労をとらせるのもどうかと思い、まずは概要をお願いしようかと思ってました
打ち込み経験からすると、あの作業は結構疲労しますからね・・・
だから本当にゆっくりでOKなんですよ 週刊、週おきぐらいのペースでも全然OKです
>「終末の都市」は、「終末の中での霊的なものの復活」と、「電子都市の廃墟」を対比。(
>>198 )
しばしば言われる、80年代の都市論ブームなるものと呼応してるんでしょうね
>>197 で言及されてる浅田による北斗の拳の指摘は、テクノロジカル・アルカイック云々の
そのころの主張ともつながってるし、あとは当時の中沢のアキラ論(ユリイカ大友特集)とも似てますね
>書誌の人、彼に指示を出して協力してもらったら? (
>>199 )
>要望あったらいってくれ。 (
>>196 )
歩いて2分って超羨ましいんですがw 私だと2時間かかりかねんなあ
比較的容易(とはいえ、先に行ったように目次整理・打ち込みは十分にしんどいですが)なのは
>>172 で重点をまとめましたが、これを再整理すると、
(ぽん吉氏は複写過程は必要ないけど結局労力は大変)
【概要紹介】
紙面構成のコンセプト把握、掲載作家・作品の把握
イメージカードの目次もそのためには【複写→タイピング】必要かも
【複写→タイピング】
浅田の文章
他の執筆者の気になる文章
マンスリー/クオータリーの目次
(とりあえずは目次優先・・かな? でも浅田文章紹介や概要紹介があると目次はかなり生きてきますね)
【複写→スキャンでアップ】
不可欠な図版
こんな感じですね、できる作業は
で、スキャンは手馴れている/スキャナー持ってる人なら、
タイピング過程以前のものをやってほしい(打ち込むより楽)けど、そうじゃないなら無理はしなくてもいいと思う
概要紹介が一番体力的にしんどくはないのですが・・・
協力をお願いできるのなら、そうですね、複写目次・複写記事のアップあるいは少しずつでいいので打ち込んで提供してくれれば・・
国会図書館に足を運ぶという筋を通してない私が、
あんまり作業をぽん吉さんに背負わせるのもいかがなものかと思い、
もっとゆるーく行く流れを想定してました
>「昭和の終焉と市場の暴落を予告するかのように突如して出現したアポカリプスのイメージ」 (
>>198 )
本当に浅田らしいアポカリプス&ディストピア話だなあ
ポストモダン導入がこうもアポカリプスの空気を連動してたのって、日本特有なんじゃないかとすら思う
いや、ボードリヤールにもそういうところあるけどさ
>「アキラ」のタイトルは大友氏が浅田さんからつけたので、特にお気にいりだと、このとき、知った。
ああ、そのアイデアの話は大友の画集か何か何かでも言ってたけど
黒澤明の明から逆に子供のイメージにするとか、そういうことも言ってたかな
浅田彰から来てるってのは初耳だけど、そういうのがあってもおかしくはないですね
進化の果ての幼児のイメージ、みたいな意味で
キャラクターとしてのアキラ造形はたしか、アニメ西遊記の小龍からきてるとかいろいろあったはず
>「神々の黄昏」は「舞台装置をタイム・トンネルの中に設定するなどSfのイメージの多用」
>に着目。「拡大レンズにより舞台装置を映画に変え、終末のイメージが反復可能」と語る。
内容・タイトルは把握してませんが、『ベルリン・ドイツ・オペラ「指環」公演プログラム』(NBS、1987)
にも浅田は寄稿してて、それなりにこだわってるんじゃないかな
あと、ポストモダン的な文脈とワーグナーやヒトラーを持ち込むのはジーバーベルクが映画がありますし、
ジーバーベルクは「パルジファル」の映画化などもやってる
GSの戦争機械特集ではジーバーベルクについて浅田は一筆かいてる
あと、批評空間第1期時代にジェイムソンのジーバーベルク論を載せてたり
映画「童貞王ルートヴィヒ」など、幼児とシミュラクルのモチーフもありますしね
レスしそこねていたちょっと前の話
>>175 登山や沢登り、発掘調査隊といっしょで、ビバークしながら進めばいいんじゃないですかw
>>165 >棚から手で取れるところで見たほうが面白い。国会だと一冊一冊面倒でしょう。
ああ、そっか・・・国会だと閲覧手続きが一冊一冊ごとに必要なのか
うーーーん、でも、紹介状ってのも、入館期日指定で発行してもらうものだったはずだから、
一度母校に戻ればOKってもんでもないはずだし、結局長期になるから手間かかるんじゃないかな・・
>>181 >マッキントッシュか何かで動画のMDみたいなのを作ろうとして、リサーチしてたんです。
80年代末-90年代初頭って、雑誌や媒体からソフトへの展開というものが独特の熱気がありましたね
浅田のラディカルTVとの関与もその一つですし、
季刊リュミエールはVHSのシネマテーク・リュミエールというシリーズを販売していた
「マックス・ヘッドルーム」で衝撃だったようですし、youtubeにもあがっている浅田のTV EVでも
CTスキャンをもとに作られた頭部三次元データを利用していて、
マックスのように自律的に利用しようという発想もあったようだった
ただ、原稿の電子書籍化、というものであれば、平凡社がCDROMの大事典でコケたように、
書籍のCDROM化に近い趨勢をたどることになったのではないでしょうか
いや、再払い問題がなければ、二次使用としてのデータベースとしてうまくいく可能性はあったのか…
この種の問題はその後の電子ブックの振るわない状況、などにいたり、
いまではアマゾンKindleが英語圏で普及しつつあるとはいえ、おおむね、
権利所有側が回線経由で有料閲覧をケーブルTVのようにおこなうというふうに向かっていってる
英語圏の論文アーカイブなんかはくっきりそうなってきていて、
最近ではCiNiiで見たかぎりでは日本でもそうなってきているようですし
ちなみに前述の大和田氏はこういう人
cf. 大和田の業績一覧(pdf)
ttp://www.kecl.ntt.co.jp/msrg/members/owada/docs/profile010531.pdf
とりあえず、88年1月のQ号についての目次含めた概要は紹介 していきましょう。手元で見れない人も、1冊モデルケースとして 知ってたほうがいいと思うので(必要ないならやめますが)。 あと、当初浅田氏が想定した執筆者が依頼できず、変わったケ ースとか、書誌に直接無関係でも、編集会議の過程など、参考 になりそうな、私の記憶にあることだけでも、お話入れます。 複写が進めば、その中で質問してくれてもいい。わかる範囲で 回答します。 保管&廃棄の件ですが、思うに、マンスリーがペラペラなのと、 カードが置きにくいとの要望でバインダーを配布したのがまた よくなかった。 マンスリーとカードのバインダーが固くて、幅取る。本のサイズは B5でも、現に、ICF並べたら、うちも書棚に他の本が置けないので、 段ボールに死蔵してますよ。だから捨てたい衝動にかられる。 企業も多くは、トレンドの過ぎたものと判断して捨てるでしょう。 浅田彰ファンでないと、何の価値も見出さないはず。 江崎さんだってやめた後、同期の子とかに頼んで入手してたと 思うけど、送付しようとして、上司が「そんなことするな」って怒って たことあるから、完全版持ってるかな。
>>206 >あと、当初浅田氏が想定した執筆者が依頼できず、変わったケースとか、書誌に直接無関係でも、
>編集会議の過程など、参考になりそうな、私の記憶にあることだけでも、お話入れます。
そうそう、人海戦術と時間さえあれば手分けして少しずつ進みそうな、
複写→打ち込み→書誌化→当時文脈との対照も大事なんですが
(最後のはリアルタイムの人にはわかるものもあるので、その見解はまた重要ですが)、
むしろそういう元関係者ゆえのエピソードの方をできるだけ聞きだしておきたくて、
その意味でもゆっくり進行+目次をこっちが先に早めにまとめちゃう って流れにしたかったんですけどね
当事者に打ち込みまでさせちゃったら、その作業で燃え尽きてしまわれそうで、懸念がw
とはいえ、早急に国会図書館詣でをする余裕がいま私にはなくって、
打ち込み・紹介の労をとって嬉しいのですが、少々罪悪感が・・
>>204 アキラのタイトルの話は編集会議でも出たんですけど、
あのころ、浅田氏は「アキラ」「アキラ」って話題にし、
江崎くんに「ほんとに大友さんのモデルなの?」と確認
したら、「そう、知らなかった?ほんとだよ」って。だから
映画版を観るように言ってた。
マンスリーの編集のためのクリッピング作業は稲増ゼミ
や広告研究会の学生が手伝ってた。マニュアルは江崎
くんが作って。最初は明治大の学生だったけど、その後
が続かず、法政大1本に。バイト代はよかったらしく、喜
んでた。単位にもなったらしいし。初期はマジメな子2,3
人だったから、親しくできてたけど、最後のほうは10人く
らいで、私語は多いし、ミスは多いし、人間関係も希薄に
なって正直、クリッピングの質は低下したかと。余談。
B5だったんですか。うーん、第二期のインターコミュニケーションみたいな感じですね。
あれは何度も版型が変更されてて、どこから2期なのかわかりずらいけど、大体1cm〜1.5cmって厚さになってる
ICFは分厚そうだなあ 素朴なところ、文章は縦組みなんですか。
>とりあえず、88年1月のQ号についての目次含めた概要は紹介していきましょう。
お願いします
行方でいうと、もうほとんど散逸状態にあるんでしょうね・・・
値段が値段だし、公共図書館所蔵も本来やられないような業界紙だし、
なんで商業媒体でやったのか、浅田監修でペイできるのか、とかいろいろおかしなバランスがある
>>189-190 で言われるところの営業活動の不備というのは、
そうした商業媒体としてのバランスのおかしさにいたった原因という意味もあるんでしょうか
販促および購読者リサーチなどで積極的でなかったというのは、
日経の雑誌傾向との距離のみならず、企画そのものの企図がなじみにくい性質があったという面と、
日経においてその企画がなじみにくかったという性質の面があるように思うのですが、
後者が色濃く出てしまったと言う感じなのかな
ただ、当時の伝説としては非常に説得力があるものの、アキラの連載開始は82年末からなので、 浅田はまだ単行本がまだ何も出ていない時期でして、『現代思想』での連載読者でもないかぎりはあまり知られてないんじゃないかな だからタイトル元ネタ説は事実というよりも、おそらくは大友自身が 84-86年までの間に彼なりに得たインスピレーションや気分を含んで自ら事後的にそう言ってたのかもしれないですね ただ、事後的に作られた話とはいえ、妙にリアリティがある話ですよねw ICFの87年というのは、崩壊後世界のストーリーが中盤ぐらいまで進んでて、4巻刊行ぐらいの時期になる キャラクター「アキラ」のモチーフは、それまでの彼にあまり見られないものだったし、 童夢だと、幼児めいた老人として出てくる あの頃から漠然と幼児と老人のモチーフはあって、 ユリイカ大友特集はその面の読解か、アキラのアポカリステイックな崩壊絵にこだわるものが多い 『アキラ』は作品としてはいろいろ同時代と連動していたものがあったんでしょう ある時期から大友はそういう時代的連動をすっかり失っていくんですが
>マンスリーの編集のためのクリッピング作業 (
>>208 )
これはニュース解説の抜粋のことですね
新聞や当時の週刊誌等々を集めて選び出していく、という感じだったんですか
GS電視進化論でも少々の新聞抜粋コラージュは出てくるし、
「映画でもビデオでもなく、T.V.である、テレビではない、T.V.である」とか言って
コミュニケーションの範囲拡大としての放送という経路を重視していた傾向がありますが、
そうしたニュース情報データベースがマンスリーとして外注され(編集者やバイト手伝いが実務作業)、
それに対して浅田なり論者なりがコンセプトをずばっと語る、みたいな二重構成になってたのかな
>>207 >とりあえず、88年1月のQ号についての目次含めた概要は紹介
していきましょう。手元で見れない人も、1冊モデルケースとして
知ってたほうがいいと思うので(必要ないならやめますが)。
上の件の号のみ、進める?少しずつでも。
で、他の号に関しては、浅田氏が力入れてた原稿とか、
抜き取りみたいな形で概要紹介。
自分でも、いま原稿読んでて、ああ、こういう事件あったなーとか
興味深い。20年前じゃね。いま、忘れてる。
Q号に後藤久美子を入れたのも、ゴクミ語録がベストセラーになって
時代の寵児だったから。
これが終刊近くには宮沢りえの「サンタフェ」ヘアヌードにつながる。
朝日の全段広告に登場とか・・・。
この号じゃないけど、VIEW POINTがヒントになった各ジャンルの
VIEW POINTSの執筆者メンバーのリストはおもしろいよ。
当時の新進気鋭が出てて。
ちなみに、仮屋崎省吾を銀座のショーウインドウで発掘して、書かせ
たのは私。アートでなく、建築で依頼した。世間一般ではまったくの
無名で、電話でしか話さなかったのでオネエと知らず、へんな話し方
だなーと。有名になってから会ったとき、ICFと聞いて覚えててくれた。
>>211 週刊誌は書評の担当がやってて、クリッピングは新聞のみです。
「(話題の)人物」クリップは私の担当で、かなり勝手にやってたんですが、
浅田氏が「人物のチョイスはいいと思います。もれはないのでは」
と言ってくださり、ホッとした。浅田さんが「もっとほかの人とりあげて」と
言うかと思ってたので。
>>209 後者かと。その日経体質との関係は江崎さんの退社とも関連してくる
話で、折をみて説明しましょう。
>>209 文章はマンスリーとカードは横、Qは後藤氏になってから縦に変わった。
後藤氏にエディトリアルデザインを任せたのも、日経との軋轢のひとつ
になったので、この経緯ものちほど。
あ、今後、マンスリ−はM、クオータリー(季刊)はQとさせてください。
<ICF Q3号(本文87P) 目次続き> 「カタストロフのイメージ」 浅田彰 (4P原稿) 取り上げられた内容(前半2p) ・村上龍「愛と幻想のファシズム」(講談社) ・同装丁 横尾忠則(VIEWPOINT参照)) 「天皇の病気と昭和の終焉の予感。株価とドルの大暴落。 恐怖と期待のないまぜられたカタストロフの予感である」 ・シンボリックな広瀬隆現象 「日常生活の中に微量の毒を散布する広瀬が若者のカリスマ としての広瀬隆」に注目。 87年4月発刊の「危険な話−チェルノブイリと日本の運命」(八月書館) の5万部突破。 87年10月末芝浦インクスティックで開催の「広瀬ギグ集会」にパンク少年 やニューウェーヴ少女が集結し、広瀬の話に聴き入ったことに触れ、「反 原発運動以上にカタストロフの予言の危険な魅力によるもの」と。 広瀬隆現象は口コミによるもので、当時流布した「サザエさん」や「ドラえもん 」が悲惨に終わるという子供による都市伝説との類似を挙げる。 ここで、口コミネットワークのキーマンとしていとうせいこう、中森明夫をあげている。 中森明夫・・・当時、浅田氏がもっとも対談相手として熱望していた。「彼はいまどこ にいるの?地下に潜るといって出てこないのだよ」と常に消息を知りたがっていた。
>中森明夫・・・当時、浅田氏がもっとも対談相手として熱望 していた。「彼はいまどこ にいるの? 地下に潜るといって出てこないのだよ」と常に消息を知りたがっていた。 すごい面白い証言です。ちょっとショックを受けました。
>>212 荒俣にしても、著書が数冊出てる時期とはいえ、まだ新人だった頃でしょうしね
彼を含めて80年代って博物学を語る人が多くて、図版コラージュ好みも含めて、妙に時代性がある
>Q号に後藤久美子を入れたのも、ゴクミ語録がベストセラーになって時代の寵児だったから。
たしか坂本龍一が帯だったか対談だったかしたりね
田口賢司がGSのコラムで松本伊予の「ヘーゲル大好き? 松本伊予」とのサイン入り
ヘーゲル『精神の現象学』(金子武蔵訳)を写真で見せびらかしたりしたり
ちなみに浅田の「発光の少女」(『毎日グラフ独特別冊 活人』創刊号、1985.12、「創刊快特集=少女光線」)は
後藤久美子を賞賛するものだったらしい
>ちなみに、仮屋崎省吾を銀座のショーウインドウで発掘して、書かせたのは私。
草月出版とかにいた頃の仮屋崎省吾ですか
さすがにこのへんとなると、もう世代さゆえに話がわからなくなってきますよ
80-90年代における仮屋崎ってTV以外はちょっとイメージつかないなあ
>上の件の号のみ、進める?少しずつでも。
そうですね、詳細紹介は何冊もできないでしょうし、
あとの号はポイントポイントを押さえてやっていけばいいんじゃないでしょうか
>>215-216 中森の活動、記事についてはよく知らないのですが、
『東京トンガリキッズ』(1987)『オシャレ泥棒』(1988)『Mの世代』(大塚英志との対談本。1989)
が著作としてあって、トンガリキッズはたしか80年代中期の書きものを集めたものでしたっけ
90年代にSPA!でアイドル評を連載するはずですが(『アイドルにっぽん』として近年まとまった)、
80年代中期の田口・野々村との新人類関係記事のあと、
89年の宮崎事件までは一種の空白期にあったということですか
ショックだ。後半部分が一瞬で消えちゃった! このパソコン、新着レスが到着するタイミング でカキコミ画面がパーになるくせあり。 アーア。意欲減退だ。今後、ファイル下書きで 原稿送ることにした。暫時休憩
>子供による都市伝説との類似を挙げる。 >ここで、口コミネットワークのキーマンとしていとうせいこう、中森明夫をあげている。 何気にこれは、90年代初頭〜中期ぐらいのおたく論の背景ですよね 初期大塚英志や浅羽は、民俗学上がりということもあって、 都市伝説とオカルト雑誌の匿名欄、草の根活動的ファンジン、即売会運動云々を つながっているものとして意識しながら論じていた あとは、性的な問題はのちに宮台を準備するわけですが、 テレクラ出現の前にはラブホテルが「ラブホテル」という名になるのも80年代じゃなかったかな 季刊都市の二号(1989)ではラブホテルに関する記事なんかもあり、 都市論と密接だった時期があります やっぱりICFについて掘り下げていくと都市風俗的な問題がせりあがってきそうですね
投稿欄フレーム内で書くとしても、送信する直前にコピーして別のファイルに残しておいた方が あとあと確認する点でも便利ですよ。また、専用ブラウザ「Jane」(無料)などを使えば レス引用の際の「>>--」にカーソルを合わせるだけでそのレス内容が確認できるなど、便利です
>89年の宮崎事件までは一種の空白期にあったということですか うーん、わからないけど、終刊までついに会えないと言ってて、中森が出てきた ときも「人づて」に聞いたみたいです。稲増さんの話でも、89年前後は地下に潜 ってたみたい。 浅田さんは「中森は新興宗教の教祖になるのでは?するともう会えないよね」っ て何度も真顔で言ってた。 宮崎事件では、ショッキングなグラビアを作って、浅田さんはご満悦だったけど、 社内では物議をかもしたみたい。話はまた後日。 野々村、田口は後の目次に出てくるけど、コラムをこの号に書いてる。
>>220 ありがとう。janeは使ってる。そうね。原稿コピーしとく。
さっきは作成途中だったから。
本読みながら、概要書くのって、けっこう疲れるなー。
浅田さんの原稿はレビューが多いし。
大塚英志や浅羽さんは執筆してる。
大塚さんは原稿の遅れで、日経の上司が「たかがマンガ
評論家なんて」発言で激怒し、ICFと絶縁。
まあ、野々村もそうですが本業は編集者なので、地下に潜るという隠微なフレーズにはそそられますが、
単に執筆活動休止中ということだったのでしょう
しかし教祖説を浅田が言うということは、何がしかのそういうリアリティや背景が
当時の時勢、当時の中森自身を知るものにとってはあったということなんですかね
ちょうど一昨年、斉藤美奈子と対談しているんですが、
中森が自身の経歴について語るときに妙な屈託があったのを思い出しました
ttp://canpan.info/open/news/0000001945/news_detail.html 個人的には、90年代中期以後の、美術雑誌や建築雑誌で執筆している野々村から先に知った者としては
野々村の80年代経歴というのは当初ピンとこなかったですねえ
おお!大塚英志まで書いていたとは!
>>219 スペース担当アドバイザーの三宅理一さんが
「槙文彦が昔設計したラブホテルが第3京浜沿いにある。
圧巻ですよ」と言ってた。見たことないけど、槙さんの建築って
上品でしょう。意外な感じ。大御所のラブホテルって実はこっそり
あるらしいですね。作品リストに入れないから知られてないのかも。
>大塚英志や浅羽さんは執筆してる。 大塚は割と人文系雑誌で80年代にすでに顔が出ていた気がしますが、 浅羽までいるのは驚きました 浅羽の経歴というのは、Wikipediaでざっと調べた/私の寡聞な範囲では >[80年代初頭]学生時代から「乱調社(のちに『みえない大学本舗』)」をなのり、 >呉智英、荒俣宏、笠井潔などを招いての連続講演会「叛近代の贈り物」「大江戸ポストモダンの彼方に」等を企画するようになる。 >[呉は]1988年に都内で論語を講義する公開講座「以費塾」を、呉に私淑する評論家浅羽通明の手配[主催]で開始。[-2006年まで] >1988年に出版した『ニセ学生マニュアル』 >1990年代には、呉智英と共に、漫画家小林よしのりのブレーン となり、80年代後半というのはミニコミ「流行神」などを主催する、私塾的なのを大月隆寛とやっていたとか 紙面には出ていない潜伏期かとばかり思っていました 90年代前半はたしか大月は『民俗学という不幸』(1992)で小松和彦・大塚英志らの 民俗学の過剰拡大言説を批判し、ニューアカ批判者として振る舞い、 浅羽も『天使の王国』(1991)でニューアカ批判をおこない、たびたび組んでいたはずですが、 結構いろいろ背景がつながってるんですね
>>223 いや、休筆というだけでなく、ほんとにまったく姿を見
せない時期があったみたいです。親しい友人にも手紙
がたま〜に来る程度で、電話にも出ないって。ここなら
来るだろうって当たりをつけても会えないって、本当に
あの頃の浅田さんは真剣に彼を探してましたもの。
人にも頼んでさがしてもらってましたから。
で、教祖発言も、中森の親友から「教祖になるんだ」と
中森自身が打ち明けたと聞いたそうで、「いやー、ほんと
にそうなったらショックなんだけど。どうしよう」って胸押さ
えてましたもの。
>>225 この分だと、椹木野衣も普通に執筆陣に入ってそうですね
彼は1987-1990に美術手帖在籍で、
三宅・浅田・上野千鶴子も編集員となっている季刊都市2号性的都市(1989.11)で
ニューヨーククラブカルチャーについての記事を書いてる
この号には大塚もいて、上野との対談や大島弓子論なども載せている
ttp://www.milbooks.com/shop/detail.php?code=BK060095 片木篤や、井上章一+アラーキーの記事がラブホテルがらみなんですが、
西洋の宮殿を模倣した西洋のホテルの模倣、といった外観が多い、という話で、
ある意味ものすごくポストモダン建築の話と似てるんですよね
片木文章の時点ですでにこの性質は少女漫画と通じる云々と言われているわけですが、
これがのちの椹木野衣の、ラブホテル内装と『りぼん』付録の類似云々の指摘になっていく
Q3号の野々村文宏のコラム タイトルは「頑張れ!恵比寿−槍ヶ崎エリアの人でなし達」 肩書きはテクノ・コラムニスト。 浅田さんの原稿以外は目次のみあげることにして、詳細を 知りたい場合は質疑応答で。
椹木野衣は常連。上野千鶴子、呉智英も書いてる。
>>230 なんかもう、いろんな意味で勢ぞろいですねw
>浅田さんの原稿以外は目次のみあげることにして、詳細を >知りたい場合は質疑応答で。 そのぐらいで十分ですねw 労力・体力以外にももうどんどんきりがなくなっていっちゃうでしょうし
233 :
考える名無しさん :2009/04/05(日) 11:50:13 0
書誌の人じゃなくて、単に千代田区に住んでる一住民ですよ。 ニートなのでw、時間もあるし。国会図書館の食堂も結構好きだしw ま、暇つぶしに江戸めぐりみたいな日々ですから、ついでにコピーくらいやりますよ。 俺自身も浅田さんの昔の文章読みたいし。
時間の余裕があって近場な人が協力してくれるのは実にありがたい 目次の書式はあとでこっちが整理してまとめてもいいから、 複写目次や複写記事からちょびちょび打ち込んで、スレなり書誌のICFなりに書き込んでくれるとたすかります
>>142 >すがちんとか書いているのが場違いすぎて笑えました。
これかあ・・
すが秀実「再認識される権威の構造=天皇 天皇陛下のご病状報道と自粛ムード」、クオータリー、7号、1989.7
これ以外はアンケート一本あるきりだね
(山本均作成のすが書誌による)
いい加減うざいんだけど。 ジジィのオナニーはどこかほかの場所でやれば?
またお前か 世代対立以外に言うことないの? 浅田が「ジジィ」なんだからそういうツッコミこそスレ違いだろ
世代対立wとかじゃなくてウザイって言ってんの。 更新情報とかいちいちここでやるなよバカ。 過去の雑誌がどーたらとかジジイの思い出につきあってらんねーよw
つまり「浅田彰ウザイ」ってことしか情報価値のないレスだな もっと若いやつのスレにいきなよ
は?どうやったらそういう解釈になるんだよw 頭にウジでも湧いてんのかw
なるよ だってお前にとっては30以上=ジジイだもの そうなると浅田彰のような50代のジジィが話題の中心のスレは、 ほとんどがジジィ臭いレスで埋まることになる
椹木野衣とか大塚とか今一線にいる人の無名時代で、そこに浅田が早くから注目し、引っ張りあげているのは本当に面白いけどね。 仕事とチャンス与えているわけですよ。 若い世代がどうチャンスをモノにするかとの参考になると思いますけどね。 その辺のニュアンス
調べている人達は、どうせならネットで本文を見れるようにしてほしいよ。 その際著作権が問題とかいうけど、浅田さんが目を通して公開されたものなら別にいいでしょ。 ネットでアーカイブスとして全部見られるようになったら、それはそれで凄いと思うよ。
チャンス上げてるというより派閥作りのための恩着せだろ。
ここ十年はそういう仕事をやめちゃったしね
まあ彰自身は過去に書き散らしたものを かき集められても困るだろうがな
派閥作りの恩着せ、全文アップしろ、 もうそういう仕事やらなくなった。ウザイ、 じじいのオナニー。 他にはないですか?
>>244 >浅田さんが目を通して公開されたものなら別にいいでしょ。
ネットでアーカイブスとして全部見られるようになったら、それはそれで凄いと思うよ。
たとえ著者が目を通して公表しているものでも、ネットによるアーカイブスは、
著作権問題が派生するので、本人に無断では本文を公表できないと思いますよ。
現に、ネットの掲載で著者ともめているケースはあるので。
ところで、前のほうで、雑誌の回顧はやめろという話が出ていますが、
Q3の目次・概要作業の続きはどうしましょう?一部の人にとって不愉快でたまらない
行為ということなら、当方は中止しますが。
久々に浅田スレ覗いてみたら異様な盛り上がりになってて、楽しんで 読ませてもらってます。なので中止と言わず続けていただけると 嬉しいですけどね。一部の雑音はNG設定してキャンセルすればよいかと。 私も自分なりに浅田彰の活動はフォローしてるつもりだけど、上で出てる 話はぜんぜん知らなかった。単なる懐古趣味とか思い出話に尽きない部分があると 思いますよ。私のように浅田彰現象を知識でしか知らない世代にとっては、大げさに言えば 文化研究的にも意義はあるし、関係者しか知り得ないエピソードはそれ自体 興味深いし、浅田彰が培った諸々のノウハウを共有できるいい機会だと思います。
私も、 東浩記が、批評空間派は宮台と大塚英志(オタク的サブカルチャー)を無視した、という言説を 鵜呑みにしていましたが、 すでに大塚を使っていたのは驚きました。 大変興味深い
ネットにうpしてみんなが観覧可能になり、開いた形に発展するという方向なら歓迎するが、 そういう方向に進まないなら、はっきりいって歓迎しない。 蛸壺化を批判してきたのは浅田彰氏本人だからな。
斬新的に、そういう方向なんじゃないですか? 書誌をあげるというのは、自分で動けば容易にアクセスできる ということを意図する作業ですよ。
斬新→漸進
いやだからさ、書誌まとめんのは勝手にやればいいけど よ そ で や れ よ、って言ってんの。うざいから。 うれしそうに何々更新とか書いてるけど専用のページでシコってろバカ。 ジジイは聞き分けない奴が多くて困るw
<幼児の心理とハイテクノロジーの結合> ・大友克洋の「アキラ」アニメ化→単行本完結篇へ ・楳図かずお「わたしは真悟」(小学館) <カタストロフ後の世界が舞台に> ・「北斗の拳」(前出・集英社) ・萩尾望都「マージナル」(小学館) ・村上龍「愛と幻想のファシズム」(講談社)は、「文学をマンガ・映画の世界 に近付けたもの」と解釈。この流れで、87年度日本SF対象を受賞した荒俣宏の 「帝都物語」(カドカワノベルズ)を位置づけ、映画「帝都物語」にギーガーが参加したことや、 主役に元東京グランギニョルの嶋田久作を起用したことや、同じグランギニョル 主宰者の飴屋法水がジャンクアートの三上晴子との共同プロジェクト「ランドスコップ」を 発足させ、87年11月に「バリカーデ」を公演したこと、三上がベルリンの廃墟から生まれたバンド <アインシュトゥルツェンデ・ノイバウテン>(崩壊する新建築)とのコラボで知られることを紹介。 金属の廃材の集積アートで共通する三上、大竹伸朗(本号表紙)、 さらに「愛と・・・」の装丁・横尾忠則らに「アポカリプスの造形」を見ている。 *ここまでで前半2P分終
ueno <ICF Q3号(本文87P) 目次続き> 「カタストロフのイメージ」 浅田彰 (4P原稿) 取り上げられた内容(前半2p)の続き
>>249 >>116 で言ったように、このスレは煽りが頻発する場所なので、無視してやっていくしかないんですよ・・
この数日、荒れが少なかったのは本当に珍しい流れというのは決して誇張じゃないわけです
ueno→上の 概要のタイトル抜けてました、すみません。 尚、私は別に嬉々として自己満足でUPしてるのではないので、 誤解しないでください。時間もかかりますし、神経も遣います。 ここでICFの情報をさがしているから協力要請があって、始めたことです。 確かに、現在の浅田氏のことが語りたくて来ている人や、ICFなんかに 興味のない人には、更新のやりとりなんて迷惑だ、よそでやれ、私物化す るなと思う気持ちも、理解できます。 私はオブザーバー的に参加したので、哲学板の傾向やルールもよく知りません。 みなさんの話し合いで決めていただければ、と思います。 Q3号の浅田原稿概要はあと2P分残っていますが、迷惑なら上で書いたように 中止しますので。 よそでやれる方法があれば、いいのでしょうけれどね。
>>256 これはつまり、<>が小見出しのような部分で、4p原稿の浅田の文章で
・以下が取り上げられている作品ということですね
>よそでやれる方法があれば、いいのでしょうけれどね。 そうですねぇ、どうしてもスレの動きが気になるようで、 そして荒らしがそこにつけこんで無理難題を並べ立て調子に乗るようなら、 (いまwiki設置者がこのスレを見ているならば)wikiには パスワードを知らせて「メンバー限定のページを編集・閲覧」という機能があるので、 そこで半ばBBS的に使用しながら、スレを使わずにやっていき、 会話やその結果の書誌まとめだけを最終的に限定なしページに公開する・・・ という手法もありですが、荒らし以外のこの件に興味のある人たちにとっては困った流れになると思いますよ
あ、すみません。<>は浅田氏のことばから引用してますが、 見出しではなく、本の現物を見てない人の理解の補助のために 解説的にちらで付けたものです。 現物の見出しは、図書館で現物を確認してもらうしかないです。 ただ文章を続けてると、見にくいと思って。 ・ は、浅田氏が取り上げたサンプルです。
>>237 何気に2週間前に誕生日を迎えた浅田は現在52歳なんだよね・・・・
顔があまり老けないからいろいろと驚く
たしかちょうど10年前に出た『ニッポンの知識人』
(すが・宮崎哲弥・高澤秀次の座談+三者による知識人の項目解説)の浅田の項(たぶんすが執筆)では
「ニューアカの旗手であった若き俊英もはや40代」という文章から始まっていたが、
もう40代ですらなくなっていて、いろいろ悩ましいものだ
いやいやお前らが荒らしなんだってw 信じられない自己中だなお前ら年寄りはww まだ副島厨のほうがマシだぜ
相手にするのも馬鹿らしいんだが・・・
ICFを間近で知ってた人と、
リアルタイムには読まなかったが90年代後半にICFを知って読んだという
>>147 と、
浅田とは関係ないものだとばかり別経路から雑誌名だけ知ってた俺の間でも、年齢差はめちゃくちゃあるだろ
10歳ずつぐらい違うんじゃないかっていうほどの差があると思う
俺はまだ20代だし、
>>251 の言うように東の浅田雑誌遍歴時代の認識ともまたズレるぐらいの立場だよ
推測するに、東は90年代中期前後以降の、批評空間第2期以降をリアルタイム経験してて、
ANYと批評空間とインターコミュニケーションの三本立てで理解しているのだろう
だから第1期と第2期一桁時代までの間の差や変遷も細かくは知らないと思う
(もちろん知っててどうなんだという立場や、都市風俗がらみの文化誌的把握よりも
より巨視的な視点の方が興味があるという選択はありうる。
というか、80年代の理解一つとっても、上のような世代差によるズレと見解の相違は結構重要。
また、スガが戦後〜60年代〜 以降のパースペクティブでやってるのはある意味で意識的なやり方だと思う)
そういうものを十把一絡げに「ジジイ」と決めつけれる偏狭さはまさに「ジジイ」にふさわしい身振りだ
ジジイ=お前の気に入らないこと、なんだろ
自分の関心にひきつけて提示するのを捨てきった罵倒のための罵倒のスタイルを取るかぎり、
傍目には「はいはい、荒らしね」と思われるのは当然のことだ
人によっては、まったく興味のない時代のことは知らなくてもいいという 考え方もあるでしょうけど、浅田氏に限らず、これが作家でも画家でも 1人の人物の歴史的背景を年代的に追って見ていく意義というのはある と思う。ジジイの話がカンケイないといってたら、日本史で室町時代の公 家の日記なんか調べる意味なくなる。他の文化人のスレで感じるのだけ ど、若い人が中心だから、すべていまを基点に、前の時代のことも本の 記述知識だけでとらえて誤解してるという場合もありますね、ここのスレの 話じゃないですけど、他のスレで、その当時の時代状況を無視して、伝聞 で判断して主張してたりする。 このスレの場合、私は、逆にみなさんから現在の事情を知ることができ、あの ころからの人脈がつながってることがわかって興味深いですね。 現在、静岡芸術劇場の芸術総監督の宮城聡氏は、浅田氏が当時も高く評価し ていてjICFでとりあげた人ですが、そこでいま飴屋法水が公演したり、楕円堂 の設計者の磯崎新と浅田氏が対談したり、つながりを見てると面白い。楕円堂 の中に入るとことばで言えないヒーリング効果に驚いたけど、当日になって急遽 対談の会場が、稽古場棟から楕円堂に変わり、開始が遅れて、「この空間、とて もいいですね」と、浅田氏が言ってるのを聞いて、打ち合わせで強く要望して変え たんだろうなと想像できた。 私鉄駅で待ち合わせた担当編集者が飴屋法水のモヒカンとド派手なファッション に仰天したことなどサラリーマン的な日経と媒体のギャップがよく表れた例ですね。
そこで、ICFの概要の話ですが、Q3号に関しては、いちおう浅田原稿の 後半まで紹介させてください。尻切れトンボも気持ち悪いので。 で、Qの浅田論文と、稲増・柏木両氏の論文は連動するので、タイトルのみ 紹介。他ジャンルも、会話の邪魔にならない程度に、ジャンルごと2,3本 タイトルを書いていきます。タイトルだけなら、スレに挿入されても、嫌な人は NG指定で無視して、読みとばしてもらえると思う。 軽い気持ちで遊びに来たスレだったので、思わぬ展開になりましたが、要望 には誠意をもって応えたいです。 それでも尚、私の存在自体が、スレの和を乱すのであれば撤退します。 反対意見のかたも、やりかけの部分だけ、あとわずか、お目こぼしください。
基本的に最近は荒らしが埋め立てしかしてなかったスレだから ノイズは気にしないでガンガンやっちゃってください
>>268 アリガトウ。うるさくない程度にUPしますね。さっき確認したら、
前期のQって小見出しが少ない。本見てなくてスレのUPだと、
こま切れでわかりにくいので<>入れます。
<>は、いちおう浅田氏のコトバから引用し、
あとに続く「・」の項目は、関連で浅田氏が挙げた注目事例だと
ご理解ください。
>>261 見てるよ。
ユーザー名はaabiblio
パスワード
はkuvcxtvtwxb
一応伝えておくね
271 :
270 :2009/04/06(月) 07:20:36 0
設置したのは、ネット時代に入って、情報が容易にアクセス
できるようになるどころか、ネタで埋めつくされることによって、
誤解を生む伝聞(の伝聞の・・・)情報が多すぎるのが嫌だったからです。
ICFは当時のつながりと、関心の動向がわかってとても面白いですね。
特に要するに今一線の人ですから。
>>261 ありがとう。感謝しています。GS電脳TV製作とNHKクローズアップ現代冒頭
が製作者がつながっている、ということが分かるだけでも、見る人が見れば
非常に興味深いはずです。
ただ2chの荒らし機能は、これはこれですてがたくwこれでスレが貧血と自家中毒に陥らず
活性化するという面もあるのは否定できないw
272 :
考える名無しさん :2009/04/06(月) 12:31:58 0
日本人で「文化」という概念がどういうものなのか分かっている人が非常に少ない。 「文化」というのは「正統なる支配」ということである。 そして、政治権力や軍事力に依らないところの正しい支配ということである。そして、 この「正統」でないのものが、「カウンター・カルチャー(対抗文化)」あるいは 「サブ・カルチュア(俗文化)であって、「一般大衆の文化」のこと。残念ながら、 日本には昔からこの「文化」=正統な支配があったためしはない。はじめからずっと 「サブ・カルチュア」の国なのである。 副島隆彦「決然たる政治学への道」P234 だからこの私が、日本で対抗文化(カウンター・カルチャー)を語らせても、最先端なのだ。ちなみに、 日本には、厳密にはカルチャー(クルツール、正当な支配様式。ヨーロッパ中世の修道院で始まった) なるものはない。カルチャーがないのだから、カウンター・カルチャーもないのだ。 はじめからおわりまで。全てがサブカルチャー(雑国民の文化)の国なのだ。分かりますか。だから、 「週刊宝島」(サブカル雑誌)と「日本政治学会議」にはあまり差が無い。 私が、リバータリアニズムという新しい民衆の保守思想の勉強を始めたのも、このハンターのところで 気づいた、時代の風向きの変化のためである。 副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」P355
273 :
考える名無しさん :2009/04/06(月) 13:27:11 0
この数十年間で日本の政治思想・評論業界は孤絶し、かなり立ち遅れてしまった。ドイツとフランスの 古色蒼然たる百年前、二百年前の政治思想の本を。訳も分からないまま読み続けてるのが現状だ。 全くヒドいものだの一語につきる。 日本の八十年代の言論を圧倒したフランスの構造主義の大家ミシェル・フーコのような、現代もの でも、かなり癖のある思想・哲学なのであって、本当はフーコや、ジル・ドゥールズらの思想は 「人文」である。文学あるいは文化研究なのだ。政治権力なるものを生まで扱う学問ではない。 現在のフランスやドイツの本当の最高の知識人たちとは「どうやったら、自分たちが、アメリカ の支配から脱却できる」を本気で考えている人々だ。日本知識人は文化研究しかできない人々だ。 副島隆彦「日本の秘密」 P148~149 これ以外に下等学問としての 「人文」というのがある。この人文というのはヒューマニティーズの 日本語訳である。 ヒューマニティーズとは「人間、および記録された文学に関わること」という 意味である。 簡単に言えば現在で言う文学(部)のことである。他に歴史学があり、その内容は 古文書や石碑の文の解説などを行う。これらは、学問としては下等学問である。 これとサイエンス(学問)の区別をつけなければならない。これが日本人にはできていない。 すべてごちゃまぜなのが日本の大学制度である。国家的学問犯罪と呼んでもいい。 大欠陥学問観と呼んでもいい。日本の大学は、世界基準では高等学校程度であろう。 このヒューマニティーズとサイエンスの区別がついてる日本知識人がほとんど いない。すべてごちゃまぜである。 副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(上)」P324
274 :
考える名無しさん :2009/04/06(月) 13:27:54 0
日本では、戦後、学者・知識人が圧倒的な数で、「科学的社会主義」などという、ソビエト帝国型の考えに 集団で脳を犯されたので、「科学的」といえば「社会主義(共産主義)のことだと信じ込んで、この 「科学的社会主義」という宗教を日本国民に、各種高級学問の振りをして押し付けた。それを商売として やったのが、岩波書店である。だから日本国民の方が、すっかりイヤ気がして、「科学」というコトバを 使わなくなった。なぜなら使ってみても、ちっとも「科学的」ではないからだ。「君の考えは科学的だね」 と友人に言ってみると、まるで、馬鹿丸出しで、「一体、オマエは何が言いたいんだ」と、相手から嘲笑 されるからである。ソビエト教の信者以外の世界では通用しない。だから、日本人の「科学」不振は物凄く 深い。そこで、私が、「哲学は科学じゃないんだよ」というと、日本人はケゲンな顔をする。何を言って いるのか分からない。哲学というのは、日本では「文学部哲学科」だから「文学」のお友達で、これは、 絶対に「文科系」だよ、となる。そうではない。哲学は、科学の一種とは違う。神学の一族なのだ。 Philosophy is not a science! アメリカ人やイギリス人の大卒の人に尋ねてみるとよい。彼らは、必ずこう言う。例外はない。 こんなことも知らないで日本人は、「自分達も欧米人に負けない高等学問をやっている国民なのだ」と 思いこんでいる。日本の大学生が、学制(カリキュラム)として大学で受けている講義は学問などでは ない。あれは「土人のコトバ遊び」だ。 副島隆彦「決然たる政治学への道」P171〜177
金融工学でも勉強しろよ
広告屋と政治団体の狭間で苦しめよ
Janeのことで初歩的な質問があるのですが。改行のことです。 (1)書き込み画面で見ると正常なのに、プレビューで確認してると改行がずれていることがある (2)書き込み画面もプレビュー画面も自分のPC画面でも改行が正常なのに、他の人から 見て、改行がおかしいと指摘されることがある。 この改行のズレって何が原因なんでしょう。 たとえば272−274は、自分のPCだと、改行がズレて見えてるんです。 何を基準に改行すればいいのかわからなくなってます。 (1)の場合、改行はプレビュー画面のほうに合わせるべきなんでしょうか。 ここでも、自分の改行でも見づらくてご迷惑をかけているかも。 操作に詳しいかた、教えてください。
プレビュー画面に改行を合わせると1行がえらく長くなってしまい、レス後のPC画面でも ヘンな改行に出てくる。一度、プレビューにあわせたら、長いから改行しろと言われ、 書き込み画面にあわせたら、自分のPCでは正常な改行に見えてるのに、改行がへんだ と言われた。どっちが正しいんでしょう。この文章も、プレビューでは改行がずれて見える けど、書き込み画面ではまともです。でも、PCによっては、ずれて見えてるかも。
改行位置が揃うかどうかは、それぞれの人のフォントの環境と設定に依存するので
Janeを使っていたとしても、どの環境でも完全に同じように見えるものを作るのは難しいと思います。
(書かれている内容に関しては、プレビューが一番書き込んだ結果に近いはずです)
それでこのスレの書き込みを見てもらえば分かるように
意味の区切れで改行を入れる人も多かったりします。
どうしてもということであれば、2ちゃんねるとしては、
標準AA環境というものにあわせるのが
http://www.paw.hi-ho.ne.jp/mistletoe/AAw.htm 一番無難だとは思います。
Q3号浅田論文「カタストロフのイメージ」 後半2p続き <無視できない歴史の周期性> ・「帝都物語」にも三島が登場 ・三島由紀夫文学賞の創設 ・柄谷行人の「一九七〇年=昭和四十五年論」(海燕88年1月号) 明治の年表と昭和の年表を横並列で対比 明治45年の明治天皇崩御・乃木将軍殉死と昭和45年三島自決の対比 <昭和は45年で終わったという見方。以降、昭和40・50年代という言い方より 1960・1970・1980年代が主流に> <不況の到来と世界経済のブロック化。ソリッドな機能主義の登場とファシズム の巨大美学への接近> ・「愛と幻想のファシズム」(前出) ・「不況モダン」=M.Greif『Depression Modern』(Universe Books) <反復される擬似カタストロフ> ・中森明夫「東京トンガリキッズ」(JICC出版局) <カタストロフの既視感の中、子供たちはこんなにも元気だ!> 「ポスト・モダンの行き方を探りつつ、Q1でニューロマンティックな神話の回帰 を、Q2でモダニティの復活を扱い、今回はカタストロフの意識を展望した」と浅田氏 は語り、次号以降、「イメージ気象観測」の新たな展開を予告している。 以上で、Q3号の浅田論文概要は終 駆け足ですが、なるべく簡潔に要約しました
>>279 ありがとう。自分でも改行についてググッたんですが、やはりそのようですね。
他スレで全部、自分と同じ表示に見えると信じて疑わない人がいて、その人
が改行非難をはじめると、スレが荒れるんですよ。
スレと無関係な初歩的なことを質問し、申し訳なかったです。
あまり、神経質に考えないようにします。
槙文彦のラブホテルで思い出した。80年代に渋谷区桜ヶ丘に黒川紀章設計というビル に職場があった。このビル、デザイン上、廊下への雨の吹き込みがひどく、転倒者が続出。 入居者に不評だった。黒川氏の亡くなる直前の新国立美術館の回顧展で全作品リストを 見たけど、このビルは載ってなかった。そういう覆面建築ってよくあることなんですか? 黒川の弟さん雅之さんが、ICF関係のパーティーで「きょう初めて浅田彰を近くで見ちゃった。 面白い人だねえ」と話しかけてきた。「いつもあんな感じなの?紀章と似てる。肉体コンプレックス 、父性コンプレックスがあると思うな」と。父性コンプレックスはよくわからないけど、作家の立原正秋 が三島の肉体コンプレックスについて書いてた文章をそのとき、思い出した。
おぼっちゃんで知能が高く審美眼もありタフでもある。 これ以上なにを望むのか・・。 関係ないが江藤淳って亡くなった後存在感がシューと無くなっちゃったよね。 大物・重要人物かは死後にしか分からないものであるという教訓。
江藤淳は死に方でドン引きした 弱者を切り捨てる統治者面してたからあれで萎えた愛読者が多いはず
とりあえず国会図書館行ってきました クオータリーは6号まで浅田を重点的に読んできて、 マンスリーは90年ぐらいまで紙面構成の変化をある程度追いながらざっと読んできました スレの流れだけ見てるとマンスリーとクオータリーの違いが 何なのかわかりにくいと思いますが、全然違いますね・・・ 3・4回のマンスリーをクオータリーが掬い取ってまとめる、という連携が明確にあるとまでは言えないし、 全然紙面の雰囲気も作りも違う マンスリーはきまって60pぐらいの二色刷りかモノクロの、 なんというかな・・企業が社内報に使うぐらいのデザインですよね これは普通書店にはないだろうっていう類のw で、内容としては先月一月の事件、ニュースを振り返るもので、 あとは書籍・TV視聴率・CD売り上げランキングなどが載る いわば、企業人・プランナー向けの新聞の増補版みたいな感じです 先週の流行キーワードや海外の新聞報道は主にこんなのです、みたいなね つまり、テレビ雑誌(ブロスとかテレビジョンとか)といったものともまったく違います 浅田関与と言われて人が浮かべるタイプのものでは決してないですね この種の媒体は今もあるのでしょうが、浅田ドキュメントというより 87-94年という世相のドキュメントとしての資料という印象でした たけしのフライデー事件が載ってたり、俵万智ブームが載ってたりね アサヒグラフ総集編とか新聞社が発行する年鑑の月単位発行物という感じ それぞれ掲載されてるページもほぼ固定で、強いて言うならば月カレンダーの直後にある pp.7-8(あるいはpp.7-10まで増えてる時期もあり)のTOPICSというカテゴリ別コラムが 署名記事として雑誌っぽいだけで、当初は明らかに日経新聞者関係の人が書いてる 社会部次長とか、文化部とか、そういう人たちですね コラムといっても見開き2ページを4等分したスペースで書いてるので、 まあ本当に短文エッセーみたいなもので初期は日経新聞論説委員の人がよく出てくる その後、江原由美子が入ってきたり、コラムニスト(最初は山谷えり子)が入ってきたりし、 88年5月号でページが見開き2ページから4ページに増え、カテゴリも流動的になって一変する(文字数はいっしょ) その時点でいきなり中沢新一や山本七平が短文担当をしています
で、88年の7月号、8月号、と次第にコラムニストや人文系エッセイストが増えてきて、
山口昌男が「マスコミ文化」というカテゴリで書いたり、電通社員が「広告」カテゴリで書いたり、
渡辺和博が「世相」カテゴリで書いたり、六平直政が「演劇」カテゴリで書いたり、
小此木啓吾が「家庭」カテで書いたり、と少しずつゆるくなっていきます。
11-12月号ぐらいの時期にはもう日経関係者による執筆はなくなる
そして89年1月号でまたがらっと変わって
(正確に言うと、横四分割の縦長スペース[1987.6-7]→直方形四等分スペース[1987.8-1988.5]
→直方形四等分スペース[1988.6-12]から、1989.1で書式は洗練されつつも横四分割の縦長スペースに戻ります)
柏木博、玖保キリコ、押切伸一、武邑光裕がこっちにも出てきます
2月号ではマンスリーでは50アンケート項目(これは世相感想調査みたいなもので、毎号あります)
でのYES NO項目メンバーでしか顔出ししてなかった浅田がスペース分を使って
「昭和天皇の三つの顔」というヒロヒトの三時期をめぐるタイプ分類というべき短文を載せます
ちょうど崩御の直後で、平成という年号が発表されたばかりのころですね
隣のページには浅田と同様に「平成」カテでコラム書いてる人がほかにもいたりする
で、3月号には安原顕の書評(しかも渡部+蓮実の巨人軍本)、
西武社員時代の保坂、4月号には中条省平のリヴェットの映画レヴュー、と続き、
5月号では
>>28 で触れたリプチンスキーがメディア・アート関連で来日したのにあわせて
浅田が「特集 メディア・アートとテクノロジー」と唐突に特集などといきなり打ち出して、
リプチンスキーインタヴューを載せています
>>28 の、カイエに載ったファルジエの文章について浅田自身言及してますね
このときから、浅田が必ずしも特集を担当するわけではないですが、特集なる数ページ分がはじまります
90,1年ぐらいにはなくなってますけどね
>>284 個人的には、江藤さんほどの人でも愛妻の死に耐えられなかった
という人間らしさを感じます。吉村昭の「妻に先立れた夫は、飼い主
を失った犬と同様」と記した随筆の一説を思い出す。黒澤明のように
急所をはして死に切れなかったより立派だと思える。
>>285 QとMはまったく違うと言ったのはそこです。ただ、浅田さんはMの企画には
関与してて、スタイルも彼が決めたんですよ。後期になると、だいぶQの執筆者
と連動してくるし。稲増氏のチャート分析をQの浅田論文は踏まえてます。
Mは締め切りがきついので、執筆者も限られてくる。QとMの重なる月は地獄でした。
「MがあってこそQが成立する」というのが浅田氏の持論でしたしね。
イメージ気象観測はMが土台にあり、単なるデータ集ではない。Mが論文集と誤解
してる人がいたようで、それは違いますけど。
訂正 急所をはして→急所をはずして
世相のドキュメント資料性やマンスリーの基本性質でいうと、 「MAGAZINE WATCHING」という6ページぐらいの項目があって、 81種ぐらいの雑誌から注目記事をタイトル(を主に)紹介する記事がちょっと目に付きました 現代思想からSDから、女性誌から、TARZANから、新建築、 POPEYE、Marie Claireにいたるまで並べられていて、 え、この記事が同時期だったの? っていう驚きはありますね ただ、これはマンスリーが独特な雑誌だからというよりも、 そういった企業人向けの全網羅的なスタンスによるもので (もちろん編集部員側はそこからズレようとしていた云々の可能性はいろいろ垣間見えますが)、 なるほど、こういう意味で「プランナー的業界紙」なんだなあ、という感じですね 付言すると、田中・浅田対談で浅田がふと漏らす朝日ジャーナル→AERAの90年代とか、 田中が「住友商事に勤めてる女の子がバッグを買ってうきうきするのも、 中年がありがたがって精神的ブランド拝むのも一緒」みたいな言い回しをする基点って、 こういう俯瞰的業界紙的発想が結構あるんだろうなあ、といろいろ思うところがありました ぽん吉さんが浅田といえばクオータリーの印象というのもうなづけます マンスリーとクオータリーって、なんで平行してるのかも若干わからないぐらいに分離してますね じゃあ、クオータリーが、GS、批評空間/インターコミュニケーションの間にある、 いかにも浅田らしい雑誌なのかというと・・・かなり曖昧な雑誌です なにしろ、翻訳がないし特集がないわけです つまり、コンセプトが割と不鮮明なんですよ しいて言えば「世相」とか「現在のイメージの傾向」などを追うことがコンセプトだったのでしょうが・・・ 読者ターゲットはおそらくマンスリーを意識しているのでしょう、 「一般社員層」に向けての動向解説という面があり、 ある意味で浅田自身の「多文化をまたがって"紹介"する人」(ネットで読めるVOICEの連載みたいなね) という色彩が強い雑誌運営だとも思いました ダンスは知らないけど、浅田の文章でピナ・バウシュ興味持った、みたいなああいう層の関係ね ぽん吉さんに尋ねてみたい気持ちがあるんですが、 どうしてこういう雑誌スタイルを望んで引き受けたのだろう、と 割と曖昧な雑誌に思えるわけです
ぽん吉さんが
>>213 でいってた
>週刊誌は書評の担当がやってて、クリッピングは新聞のみです。
というのは「MAGAZINE WATCHING」のことですね
基本的にマンスリーは同じ目次構成でまあページ番号も固定されてるぐらいのものなんですが、
社会現象(4p分)、文化現象(4p分)、市場現象(「市場動向」4p分、「生活行動」4p分、「企業行動」4p分の計12p分)が、
これが新聞記事のクリッピングでできてる
>>163 で
>多領域をまたがってキュレーションする
とか、
>>211 でコラージュと言ったりしましたが、
署名記事にマルチフレームをねじこんで暴力的にやるというような、
コラージュというものではなくて、上記の項目は率直に新聞記事の切り抜き総集編ですね
163、211は明らかに読まないで幻想はいってた想像だったなw
>>287 >後期になると、だいぶQの執筆者と連動してくるし。
>稲増氏のチャート分析をQの浅田論文は踏まえてます。
浅田記事読みに傾注したので、稲増・柏木・浅田間のつながりまでは追えなかったのですが、
濃厚なんですね
ただ、やはりマンスリーは一種の企業人向けデータベースというか・・・
それ自体は何の変哲もないという変な感じでした
で、意地悪く言ってしまうと、大幅リニューアルの5号がくるまでのクオータリーの
5ジャンル記事は、各領域プランナー/製作部門者の動向分析でしょう
浅田のコンセプトがどこにどうあり、どこまで絡んでるのか目に見えにくいんですよね
5号から以後は一挙に、「文科系雑誌の各季評欄の単独雑誌化」みたいなせりあがり方をしてくる、と
あと、一番驚いたのは4号までのエディトリアルデザインの野暮ったさですw
パイロット版の0号も所蔵されてたので見てきたんですが、表紙デザインやview pointの図版ページなんて、
地方公共団体発行雑誌でもこうは酷くない、という感じでした
1,2,3,4、と進むにつれて、その範囲内のなかでも少しずつ洗練されていき、
4号ではドロイーング図版が表紙に使われるなど、奮闘しながら5号で変身ですね
ポン吉を思いっきり貶してるんじゃないの? 左派的価値観から批評すればそういう疑問が沸くに決まってるぜ
で、5号リニューアル(横組文章から縦組へ変化し、後藤デザインとなり一気にポップになり、 また執筆陣も倍ぐらいに増える(その前からアート項目では千葉成夫や高島直之、伊藤俊治が交代で担当してるみたいな感じですが、 3,4号ぐらいにもちらほら1pコラムとして挟まってた鈴木布美子、四方田、渡部直己、すが秀美、永瀬唯なども出てくる) あと、巻頭で見開き図版を4〜5セットぐらい並べて100文字ぐらいで キャプションのように浅田が短文を添えるview pointはこのとき廃止され、図版は主としてイメージカードになるみたいですね このとき、浅田は巻頭の長文動向総括文を続けながら、 巻末で一人で横組み文章でAA Sampler連載がはじまる AA Samplerはなんというか、2000年前後にインターコミュニケーションで坂本とやってた往復メール連載が一番近いかなあ、 友達に向けて短文で日記的にいろいろメモみたいに断片的に書いてるみたいな感じで、 浅田ドキュメントとしては一番これがすごいですねw この記事は雑誌のスタイルや総合的コンセプト、企図を無視しても、 この時期に浅田は何を見たり読んだりしてたのか、何を考えてたのか、という資料としては抜群なんじゃないかな カード番号での図版指示もあることはありますが、view pointをより日記化して 断片的にいろいろ書いてるので、これは5,6号の二つしかまだ読んでませんが、いろいろへえ〜 ってのがありました あ、ちなみに目次はマンスリーは別にまとめる必要はないでしょうね 1989.6で唐突に誕生する巻末の「ICF REVIEW」コーナー (プロダクションとかスペースとか、漫画とか、よりどりみどりの4p分レビュー枠で、大塚や竹熊、今福竜太などもいます) の動きとか特集が何を組まれたかとか、 あとはある時期から始まる「電波動向」とかいう、注目CFの分析とか、 広告ポスター分析とかが贅沢に図版を駆使して目を引くから、ある程度まとめてみたいものではありますが ただ、やりすぎると、新聞社の極太本みたいなのを全部やらないといけなくなるなあ そういう意味ではポイントポイントで選ぶって意味では目次まとめはクオータリーを対象に、 概要紹介は浅田記事中心にならざるを得ないって感じです なお、クオータリー3号半ばまでの目次は全部メモってきたので、これは大丈夫です
いや、けなしてるんじゃないし、88年11月号(6号)までしか見てこれなかったから、 全体的にはわからない箇所も多いよ あと、その後の浅田を知るものにとって耳たこな話が少なくないわけでもないので、新鮮味が欠けたという印象もあったからね 左派的というよりも、そうだなあ、浅田のクリティークに関する視線がどう出てるんだかちょっとわかんなくなったという印象かな
初期デザインとかぽん吉さんがやってたかもしれないじゃん なんかうかつだと思うんだよね 想像力をやや欠くというか
ところで、「そういう疑問」ってどこの箇所のこと? ある意味で、今、批評がモデルにはしにくい雑誌だという印象を抱いたのは否めない、 まあ資金的にとか、そういうレベルが大きいけど けれども、こういうやり方でしかやれないことがあるという認識が浅田にはおそらくあって、 強いて言えば文芸批評家や文芸誌との距離が明確なのはこういうところなんだよね 端的に言うと、パイデイアとエピステーメー〜現代思想に「遅れてきた世代」みたいな ところが浅田にはあって、彼はどこかでそれを積極的にとらえなおして自己形成をしたんじゃないか、と思うと面がある 企業家向け、プランナー向けにやってる限定商業媒体だと考えると、 翻訳がない、特集がないのはむしろ積極的な選択ですらあるわけだよね 翻訳しちゃうと、翻訳権をもったまま、アクセス遮断しちゃうことになるし、 特集形式じゃない強みも引き出せる 一つに、文化行政を導くというのもあるだろうし、 彼がセゾン文化の価値を単に否定するのではないのもかかわってくると思う ここらへんは、文芸誌的な雑誌牽引の仕方からすると発想されない面だけど、 考えようによっては面白い論点だと思うけどな
いや、特に酷いのはパイロット版だよ 写真と余白の構成からして、普通これはないだろう、ってものになってる 1号、2号ときて、図版選択やそのサイズなんかも結構面白くなってくるし、 3号の荒俣「帝都」の話にしても、藤幡のCG図版もってきてて、サイバネティクなイメージをうまく見せてる 後藤依頼は浅田の意向かと俺は思ったけどな ああもブックデザインについて多言する浅田が、1-4号のデザインに何もいわなかったとは考えられない
297 :
考える名無しさん :2009/04/07(火) 00:08:25 0
>>284 副島隆彦情報だが、江藤淳は殺された、という話。
あと、官房機密費をもらっていたという。
どこまで本当かわからないけど、あの自殺は確かに不可解だった。
個人的には江藤淳の本は、まだ読まれる勝ちがあるものは多いとは思う。
298 :
考える名無しさん :2009/04/07(火) 00:10:52 0
>>287 よくわからないが、石原慎太郎が追悼文を寄せているが、
石原レベルの人ならば、江藤淳が殺された(?)という
話は、リアルタイムで知ることができる立場にあるのではないのか。
学友だった人を重んじた、とも言えない。
あの追悼文を読んだとき、政治の闇は深いと思った。
そんな陰謀説をw
300 :
考える名無しさん :2009/04/07(火) 00:12:18 0
>>299 だが、非常に不自然でしょうが。あの<自殺>はね。
もちろん、副島隆彦が正確な情報を持っている、とは限らない。
而して公言したからにはその責任を担う覚悟がある、ということでしょ。
江藤をそこまで好く理由がないから陰謀にすがろうとは思いませんよ
302 :
考える名無しさん :2009/04/07(火) 00:27:51 0
好き嫌いじゃないと思いますが。。。 不自然だったよね、というだけの話。さすがに。
>「MがあってこそQが成立する」というのが浅田氏の持論でしたしね。 >イメージ気象観測はMが土台にあり、単なるデータ集ではない。Mが論文集と誤解 >してる人がいたようで、それは違いますけど。 これは、クオータリー初回で浅田が巻頭文章で言っている、 記号を読むだけでなくイメージ分析が必要だ、 イメージを「読む」前に「見る」、そしてまた「読む」ことが、と強調している箇所がありますが、 いわばこの二重性を、M/Qの平行性に託していたということかな 新聞報道、書評、海外動向とそのチャート分析のあるM、それは記号解読であり、 かつ、Qでのさまざまなイメージのジャンル動向の分析とも表裏一体となっているのだと 概要紹介的にはMを取り出すことは難しく(M/Qの関係として組織されていて必ずしも可視化されていないため)、 うまく関連付けてQを読んで示すしかないけれども、 そのセットを「別種の雑誌が分離してるみたい」と言ってしまっては肝心のコンセプトを見失ってしまうのだと
>>300 政治的な事情がまったくわからないので、近親者の談話みたいなのを新聞で
読んで、そうとう奥様のことが堪えてたんだなあと単純に思ってしまった。
若い人にはわからないと思いますが、城山三郎さんなどもそうでしたしね、自分
の父を見ていても、これほどまでに思いつめるものかと思いました。江藤さんの
ように、仕事もあり、必要とされる存在であったのにどうして、と思うと、奥様の死
以外考えられなかった。石原さんは、中川一郎の死も「あれは陰謀だね」と言っ
てるし、極端な解釈をする傾向があって、あまり信用できない。中川一郎の死は
不自然と思うけどね。
>あ、ちなみに目次はマンスリーは別にまとめる必要はないでしょうね 1989.6で唐突に誕生する巻末の「ICF REVIEW」コーナー (プロダクションとかスペースとか、漫画とか、よりどりみどりの4p分レビュー枠で、大塚や竹熊、今福竜太などもいます) の動きとか特集が何を組まれたかとか、 あとはある時期から始まる「電波動向」とかいう、注目CFの分析とか、 広告ポスター分析とかが贅沢に図版を駆使して目を引くから、ある程度まとめてみたいものではありますが ↑ 同感です。 デザインの件(特にQ)ですが、最初にD社(ここではそうさせてください)と日経とのつながりがあったのですよ。 たしかに部員全員D社のデザイナーのセンスは垢抜けないとは思ってましたよ、管理職は何も思ってなかったんじゃない。 経費のことばかり考えてて(笑)。頭ごしで浅田氏が後藤さんを決めちゃって連れてきた。 結局、MとカードでD社は残ったわけですが、リニューアルの件でD社もいろんな案をもってたのにって、D社の社長=デザイナー には涙ぐまれちゃって、グチを聞いてあげた。 最初、編集会議に後藤氏が出てきたときは態度のデカさに引いた。「彼が編集長じゃないことだけは、はっきり言ってください ね」と、副編集長と2人で上司に言いましたから。「浅田と友達だ」って感じで、「トラの威をかるキツネちゃん」だった。 実務は後藤さんの部下の人がやるので、後藤さんは何で会議にいたのかなって思う。それも、雑用はD社の社長にやらせて、 おいしいとこを持ってくみたいな。「詳しくは後藤と話してください」と浅田さんもデザインは丸投げって感じ。 パイロット版は私はかかわってないけど、あれは社内向けだからあれでいいんでしょ。
306 :
考える名無しさん :2009/04/07(火) 01:58:20 0
蓮實重彦の『魂の唯物論的な擁護のために』の中に浅田との対談が 収録されてますが、あれの初出ってどこだかご存じの方いますか。
素朴にたずねてみたいのは、マリクレールでの浅田の連載「スキャンダルな午後」と ICFの刊行期間は重なってるようなのですが、浅田の文章の展開としての二方向性、 みたいな気配って当時濃厚にあったのかな
>>306 書誌の上にある検索バーから"魂の唯物論的な擁護のために"で検索するとわかります
>>305 後藤に関してはよく知らない俺でも、その人物像は納得です
対談とか見ててもそういう感じしますよ
パイロット版があれでいいってのはたしかに
>>303 同感。
浅田氏がどうしてこのスタイルの雑誌を引き受けたのかという質問ですが、
そのあいまいさを楽しんでたふしがある。
イメージ気象観測という概念は当時の一般誌にはなかったし、広く見通せる
のが作っていて魅力ではあった。
読者層からいって、翻訳とか専門色はいらなかったと思います。「天気予報の雑誌?」
とよく聞かれた。
浅田氏はCDROM化への期待が強かったと思う。そのために日経のデータ集積機能を
利用しようとしたのでしょう。もちろんそれだけが理由ではなく、新読者層への啓蒙とか
もあったでしょうけど。
みなさんの作業過程での率直な意見を楽しみにしてます。
>そのために日経のデータ集積機能を利用しようとしたのでしょう。 そこは、89年にラディカルTVと組んでNHKアーカイブを駆使して作った番組「事故の博物館」 とある意味で通じるんですよね なぜ浅田が文芸誌的な枠を自覚的に無視し、そういう媒体や拡大を望んだか データベースを使えるがゆえにできること、というモチーフがどっかに絶対あったんだと思う ICCなどへの積極的関与は直通してるし、 85, 88年の武邑と一緒に審査員やったという東京ビデオアートフェスティヴァルも、 その後のNTTへのつながりになっていてつながってるように思う
>>307 ああ、そうですね。あのころ、蓮見さんとよく会ってて、「マリクレにも頼まれて
書くことになっちゃった」と言ってた。まだあまり執筆の場がなかった飯島洋一
氏に私がスペースで依頼したあとですよね、飯島氏がマリクレに書くようになっ
たのも。三宅さんが当時は芝浦工大の大学院助教授で、飯島さんが講師のくち
を頼んできたんですって。飯島さんは芝浦工大の学生のこと最初は見下して
たのが、学生のほうが勉強してて、飯島氏をつるし上げたって言う話、三宅さん
から聞いた。飯島氏も最初は低姿勢でICFに書くのを喜んでたのに、そのうち
電話で浅田批判とかして「「もう、書きたくない」って降りちゃった。ほかに仕事が
入ってきたからだろうけど、手のひらかえしたような態度だったな。
>>292 5号からリニューアルでしたね。なぜか4号の表紙が思い浮かばない。
D社のデザインは当時の日経系ニューズレターのデザインなんですよ。
Mがそうだけど。浅田氏もMはデータ集だし、中身の一部リニューアル
ですませばいいと考えたのでしょう。D社の人は、Qリニューアルで考えた
デザインを私に見せて、日経本社のだれそれさんはとてもほめてくれた
自信があるのに・・・って諦めきれない様子でした。
Mの場合、雑用が多いし、うまみがないから後藤氏もあえて手は出さな
かったんでしょう。D社には日経も相当無理いって安くで引き受けてもら
ってきた。後藤さんは金額覚えてないけど、相当高くしたと思う。コスト
が一気に跳ね上がったと言ってましたもの。
あのデザインはおじさまユーザには不評だった。目次が黒地で字が
見えにくいし、表紙が白で汚れるし。
やっぱうぜーわ。ほんとどっか逝けよノスタル爺。 何よりコテハン爺が生き生きしながら思い出語るのがもう見てらんねーw
おもろいよ
まあ連投はやめような。 他の話題が入るスキがなくなるから。 春だしウキウキするのもわからんではないが。
>>314 「貧血」防止の必要悪らしいから、また来たまえよ。
別にウキウキはしてないよ。ロムる時間が限られてるし、 こちらは1人だけど相手は複数でザーッとレスしてくるから、 少しずつ補足や説明していかねばならないから目立つ。 深夜や未明は人が少ないと思って書いたけど、今後連投は 控えます。 国会図書館に行かれたのなら、もうQ3の紹介も不要で すよね?あとはお任せします。みなさんでどうぞ。
彰は『噂の真相』'00年4月号で、加藤典洋を尊敬すると言っているが、 いつ頃から加藤のことを評価しだしたのだろう。お前ら知ってるか? 「むずかしい批評について」('88年)では、通りすがりのビンダ(渡部直己)で 加藤を批判していたのに。
>>319 皮肉を分からない馬鹿は浅田に近づかないほうがいい
またこのスレも煽りだらけの荒廃に戻りそうだね
>>321 まったくねー。
>>314 >>316 決して恥ずかしいことじゃないので、ICFぽん吉さんに謝りなよ。
戻ってきてもらおうよ。
>>319 1991年頃じゃない?
「図像学というアリバイ」によると、加藤の『ホーロー質』を読んだみたいだから。
>>322 タイムリーなことにAA Samplerの二回目では
吉本派に関しての少々の言及がある
馬鹿を装う利口を装う馬鹿、というその2000年の浅田の加藤評とほぼ同じせりふがすでにある
つまり、1988.10の時点がもっとも早い
闘争のエチカに舌打ちしてるような箇所もあって、AA Samplerは資料的にはマジで面白いよ
雑誌総体、当時の文脈や寄稿者の状況も気になるところだが、
興味があるなら一度は読んでおくのを薦める
たぶんマリクレールも国会図書館にはあると思うし
>>323 ありがとうございます。4区の図書館を股にかけており、それで大体は
間にあっているのですが、ここはやはり国会図書館まで行くべきだろうと
思いました。
闘争のエチカには「黙れ、この隠れユング!」でした?
そういうのがありましたからねー。
謝れよオラ
概要紹介の必要があって当初HN使いましたが、具体的概要は必要なしと判断し、 今後はHNなしで、事実の補足説明に徹してレスします。 くだらない思い出話はしませんのでお許しください。(ぽん吉) >285 >当初は明らかに日経新聞者関係の人が書いてる 社会部次長とか、文化部とか、そういう人たちですね >初期は日経新聞論説委員の人がよく出てくる 当初は日経記者経験者だけで動いた関係もあり、日経人脈に執筆依頼し、それをステータスとした かったようだ。管理職は世代的にも浅田氏との断絶があり、さらに日経記者Vs.非日経記者 の構図もあった。江崎氏も新聞記者ではないので。彼が退社したのも両者の調整に疲弊したのが 一番の原因かと。江崎氏はその後任の同期の社員にアドバイスを続け、(特にプロダクツ) 編集をサポートした(上司はこれに異を唱えたが)。90年代に入り、外部契約スタッフも増え、 多少新陳代謝がなされた。 *会議で浅田氏が挙げる固有名詞にも日経旧世代はチンプンカンプン、端的に言って興味など絶無。 >社会現象(4p分)、文化現象(4p分)、市場現象(「市場動向」4p分、「生活行動」4p分、「企業行動」4p 分の計12p分) その左右にあるキーワード欄に注目。これをCDROM化の際の検索ワードとして活用する 予定で、事実データベース化は進行していた。
>会議で浅田氏が挙げる固有名詞にも日経旧世代はチンプンカンプン、端的に言って興味など絶無 面白いですね。日経は2000年代に入って多和田葉子をエッセイに使ったり、柄谷の「世界共和国」書評では、これを褒めていたり、 割と90年代批評空間文化が、一般化しているな、という印象を持っていたのですが。 ま、基本節操ないですけど。日経はデータがあればいいんですw
>>325 私ではありませんので、念のため。私はそんな傲慢なことを言うつもりはありません。
(ぽん吉本人)
午後10時NHK総合 「プロフェッショナル伊藤豊雄/北欧ノルウェー図書館」 興味あるので観てみる
よくわかんないけどこないだから何やってるの? 彰が過去に雑誌に書いたことをまとめようとしてるの?
>>302 不自然じゃないよ、全然。江藤は老人性鬱だった。おまけに
極度のマザコンで、奥さんが先に逝ったことに相当参っていたのだからね。
それに、あの時代にあのおじいさんを殺して得する人間なんていやしないよ。
>>326 >その左右にあるキーワード欄に注目。これをCDROM化の際の検索ワードとして活用する
>予定で、事実データベース化は進行していた。
かなり具体的にCDROM化案は煮詰められたうえでのMだったんですね
ということはあれは今で言うタグみたいなものだったのか・・・
時代の隔たりがなまじある分、資料としてのM/言説コンセプトとしてのQ が
のちの世代の人間にとってはうまくピタっとつながらないという状況になってるかも
単に読解の注意不足のせいかもしれないですが
>>332 違う。325の言い方が傲慢なんです。
「ICFぽん吉」の名を騙って「謝れよオラ」と言ったでしょ。
そんなこと要求する気はないです。
よく文章読んでください。
>管理職は世代的にも浅田氏との断絶があり、さらに日経記者Vs.非日経記者の構図もあった。 >会議で浅田氏が挙げる固有名詞にも日経旧世代はチンプンカンプン、端的に言って興味など絶無 これは世代というだけではなく、もっといろいろあるのかな 87年といえば新人類という言葉がまだ死語になってない、 筑紫哲也の「若者たちの神々」シリーズが頃だったと思いますが、 世代差のある立場からすると、84年の浅田・田中対談といい、なぜ彼らがああも世代差や 「僕たちのリアリティ」云々を強調したのか今ひとつわからないところがあるんですよ あれは同時に階級的な問題も孕んでいたし、浅田は上記対談で一応は 「僕がいってるのは、単にふわふわするってことじゃなくて、 下部構造もがっちり確保してやるってことだからしんどいし、だけどそれに見合った楽しさもあるってこと」 と言っていたりもするけど、80年代中期以後、非正規雇用の流動性が一気に増す 80年代というのは、嬉々として新人類を自称した側と、参加できなかった側で乖離が起きたとか、 その鬱憤がのちのニューアカ批判のモチベーションになったともいわれる Mの第1回50人アンケートに「フリーターが生活として確立するか」という問いがあり、 浅田がNoと答えているのは何かと象徴的な絵だなあと思いました 磯崎の設計したディスコ「パレイディアム」に足を運んでいた層というのも、全面化していたわけではないでしょうし 会議に出席していた管理職というのは日経データバンク局生活情報部の偉いさんにあたるんですか あと、日経という会社の変遷にかんして無知なので基礎的なことがわからないのですが、 日経には日経BP(パジネス・パブリケーション)というのがって、各種雑誌を刊行しているわけですね あの子会社はかなり昔からあるはずですが、ICFのような企画には直接関係がなかったのかな MのTOPICS欄スペースには一度「日経イベント」編集長の寄稿もありましたが
生活として→安定した生活スタイルとして
>会議に出席していた管理職というのは日経データバンク局生活情報部 の偉いさんにあたるんですか そうです。 >日経には日経BP(パジネス・パブリケーション)というのがって、 各種雑誌を刊行しているわけですね .>あの子会社はかなり昔からあるはずですが、ICFのような企画には 直接関係がなかったのかな >MのTOPICS欄スペースには一度「日経イベント」編集長の寄稿もありましたが 日経BPは本社とはまったく業務が別なので、ICFの企画に加わるという ことはありません。ただし、個別に友人などがいて、執筆を依頼すること はありました。たとえば、スペースでは『日経アーキテクチュア』の編集部にも 協力してもらいました。 「日経イベント」編集長も、たぶん当時の日経社員が親しかった人なのでは。
>>335 >80年代中期以後、非正規雇用の流動性が一気に増す
一気に増したのは90年代後半か00年前後くらいの、あの法改正以降なんでは。
339 :
考える名無しさん :2009/04/08(水) 02:02:36 0
もともと雇用なんて昔から一部を除いて安定してないのだが・・・ 景気の問題でしかない。
あ、読み返すと、ひどい粗相を パジネス・パブリケーションじゃなくてビジネス・パブリケーションズですね 人文系版元には通じてても、こっちはさっぱりわからなくて・・・申し訳ない
>一気に増したのは90年代後半か00年前後くらいの、あの法改正以降なんでは。 ああ、そっか 派遣がらみの法改正はあの頃でしたね 非正規労働の認知が生まれたのは80年代だけど、単純に現在に連続性はなさそうだな
>>会議に出席していた管理職というのは日経データバンク局生活情報部 >の偉いさんにあたるんですか >そうです。 なるほど・・しかし会議とかやるんですね 浅田が会議に出てるってイメージがどうも浮かばないので、実に不思議なものです 批評空間とかインターコミュニケーションのときもひょっとしたらやってたのかもしれないけど いや、何もやらない方がおかしいから、ある程度は中心編集顧問集めてセッションぐらいするか しかし素朴な疑問な話、会議で何を話すんだろうw 巻頭にある浅田のイメージの現状把握などをまず語り、 そして各論、各領域のケースとしてこれこれがあり、とりあげましょう、 したがって執筆者は誰々さんが適していると思われます、 使用する図版はこれこれの写真、これこれの作家であり、 イメージカードの作成に必要な許諾や協力はどこどこから得ましょう みたいな感じなのかなあ で、関心のない管理職層は「ふーん」みたいな感じでその案を通したのかな
>>338 >一気に増したのは90年代後半か00年前後くらいの、あの法改正以降なんでは。
それが正しいと思います。
>Mの第1回50人アンケートに「フリーターが生活として確立するか」という問いがあり、
浅田がNoと答えているのは何かと象徴的な絵だなあと思いました
当時も世間一般がNOと考えたのでは?、ただ、あのときのMの設問の浅田氏の解答
には編集部に来ていた学生たちがけっこう注目して話してましたね。
いまはフリーター=生活不安の負のイメージしかないが、当時は横文字にすることで、
あえて自由な生き方のほうを選ぶ、まやかしでもカッコイイとらえかたをマスコミがしてい
た向きもあるので。90年代半ばから、ニュースの特集などでフリーターから正社員
に転換を試みて苦戦する若者を報道するようになった。いまも奥野礼子さん(?)などが、
「派遣社員は自ら希望する人もいるじゃないですか」と予防線張ろうとするけど、
フリーター幻想みたいなのを雑誌なども流したりしたし。
ICFの会議で、後藤氏が「フリーターやってもそこそこ食えちゃう世の中ですからね」と言った
のを覚えてる。
>>342 全然違いますね。でも、長くなるから、あとで説明します。また連投やめろ
って言われるのはいやなので。
>>344 それは蛇足でしょ、と蛇足
あなたの証言はとても有益だと思う
それだけにその子供っぽさが惜しい
子供っぽさじゃなくて、2ちゃんに慣れてない人が 2ちゃんの典型的煽りレスを何度も食らうとこういう心境になるのは当然のことだと思うが・・・・ 「いいから2ちゃんに慣れろ」とでもいいたいのかあんたは
「2ちゃんに慣れてください」じゃなくて 「揶揄の誘発するような発言は控えてください」ってこと
あと「あんた」呼ばわりするのも典型的煽りレスだと思うよ
という具合に自分も揶揄を誘発するような発言や 典型的な煽りレスをしてしまったことは謝ります
350 :
考える名無しさん :2009/04/08(水) 07:59:59 0
人様に偉そうに指摘しておきながら自分も子供っぽいわけだw
351 :
考える名無しさん :2009/04/08(水) 10:49:59 O
久しぶりに覗いたらこのスレ雰囲気変わったねw
>>345 344です。イヤミな言い方に聞こえたらごめんね。
ただ、長い書き込みが続いたから、イライラして見てる人も
いるかなと思って。ほかのことしゃべりたい人だっているわけで。
言い方が悪かったね。ごめんなさい。暫時休憩の意です。
>>342 Qの会議は浅田さんがすべて仕切って指示するわけではない。
まず、浅田、稲増、柏木3氏の鼎談風雑談(近況報告)から始まって、
そのあと、各ジャンルの担当者がアドバイザーと相談して決めた
企画案を各自説明します(御進講と呼んでた)。
アドバイザーはスペースの場合三宅理一さん、オブジェクティブアート
(前にコンテンポラリーとしたのは誤り)千葉成夫さんというように決まっ
てるジャンルもあるが、決まってないジャンルもあった。
御進講の過程で、浅田さんが意見を述べ、「ぜひこれ取り上げて」とか
「それより、これがよいのでは」とか。執筆者選定も、いちおう浅田さんに
お伺いをたてる。「この人でいきたい」とこちらが言う場合と、「適任者や希
望はありますか」と、こちらから聞く場合。ジャンルによって温度差はあった。
スペースやオブジェクティブアート、パフォーミングアート(初期は
パフォーマンス)、メディアに関しては詳しい分野だから希望も多いけど、
「ファッションはまったくわからないのでお任せします」と言ってた。
特に、ファッションは初期は日経社員の担当だったが、後にファッションラーター
の人に代わったので(西村愛子さん)、企画は彼女に一任されてた。
パフォーミングアートは一番担当者の変遷が多く3人くらい代わってる。
各ジャンルの担当者が互いに相談に乗ったり、取材手伝ったりはあったね。
一例では小池修一郎のインタビューは私が担当した。
どんなに旬の企画でも、執筆原稿ものだから既によそで書いちゃったという例も
多々あり、なかなか難航した。写真選びは編集者の責任です。
>で、関心のない管理職層は「ふーん」みたいな感じでその案を通したのかな この部分はそのとおりかと。要は本が出ればいいみたいだから。 会議で出て来る人名もメディア関係者(若手を除く)しか知らないし。 Qの前出執筆陣3氏(浅田・稲増・柏木)には、全ジャンルの原稿コピーを渡してから 最後に執筆してもらうので締切りギリギリで、それもあって一度浅田原稿が落ちて、 あとから別刷りで付けたことあり。 原稿の遅さでは三宅氏が群を抜き、ハラハラし通し。だから早めに設定して伝えてお いた。他の担当者に「余裕あるじゃん。嘘つき」と言われたけど、それくらいしないと 原稿落ちたよ。 締め切りから1週間遅れはザラな人だもの。「先生のページだけ白で出ちゃうので、 よろしくお願いします」と釘を何本も刺した。
ほんと、何の話してるかまったくわかんない。 浅田彰に関係のある話ではあるんだよね?
これだけ詳細に記憶してるのはスゴい
>>356 へーこんなことやってたんだ。
でっていう
>>329 伊藤豊雄も当時浅田さんが評価し、ICFではおなじみの建築家。
今年67歳ということは当時50歳近くだが、建築界は大御所が君臨
してるから頭角を現してきた新進気鋭扱いだった。
番組の中で「外側は面白いけど中身は平凡」と素人にまで酷評された
ことに奮起して今日があると語ってたが、浅田氏の「皮膜都市論」に
つながるようで興味深く聴いた。妹島和世は伊藤のお弟子さんだっけ?
ICFで紹介したころは無名に近く、女学生みたいな雰囲気だった。
Qでは伊藤豊雄のインタビューを「建築・都市ワークショップ」の
鈴木明氏に依頼した号があると思う。
伊藤の「ノルウェー図書館」はコンペで落選したそうで、ICFでは
コールハースでしたか、近未来みたいな図書館がコンペで落選した件
を扱ったことを思い出し、両者コンセプトが似ていると感じた。
自分は長く建築の動向から離れてるが、昨年、浅田氏が「リーベスキン
もコールハースも以前は先鋭的なドローイングで注目を集めたが、実際
には奇をてらわず、まともな建築を作っている」と話し、そうなのかと
思った次第。
でっていう ほとんど彰に関係ないよね
361 :
考える名無しさん :2009/04/08(水) 20:21:10 0
作画スレ?
>>360 関係あるよ。というかありまくりなんだが。
ポストモダンの旗手・高松伸(先年キリンプラザOSAKAが撤去された)を 浅田氏ご指名でQインタビューした際、やはり「皮膜都市」の話をしてて、 いずれ東京がデザインのない建物にあふれた街になると思うと言ってた。 そのころマツダビルを設計した隈研吾が、いまやポストモダンの申し子の ように大きなプロジェクト任されてる。そのマツダビルも壊されたとか。 ポストモダン建築が撤去されることは皮膜都市の象徴なのかな。 当時、Q会議で人間の皮膚に近い皮膜素材の話がファッション担当から 出たとき、浅田氏がえらく興味を持ち、「その素材の話ぜひ読みたいから やって」とリクエストしてました。
いちおう浅田氏の建築・都市論にからむ話題で長レス、スミマセン。
昨日分、回答が遅れてしまいましたが
>>335 >これは世代というだけではなく、もっといろいろあるのかな
>87年といえば新人類という言葉がまだ死語になってない、
>筑紫哲也の「若者たちの神々」シリーズが頃だったと思いますが、
>世代差のある立場からすると、84年の浅田・田中対談といい、なぜ彼らがああも世代差や
>「僕たちのリアリティ」云々を強調したのか今ひとつわからないところがあるんですよ
確かに“新人類”の括りというのは当時濃厚でしたね。田中康夫も「こういうこと言うと、またぞろ
頭の固いおじさまたちにイチャモン付けられちゃいそうだけどさ」がトークの口癖になってたし。
外でも「浅田彰って、あの新人類の?普段どんな感じの人?」って興味本位でよく聞かれた。
当然、上司たちも浅田氏を「わけわからないんだよね」という目で見てたと思う。「話題に加われな
いのが悔しいんじゃない?」と部内で言われてたけど。いま思えば双方に疎外感があったのかも。
その彼らがいまや「ジジイ」世代なんですね。
シルバー世代では、五木寛之が「アンチエイジングの滑稽さ」について
言及する一方、渡辺淳一が「老人力を生かした恋愛のススメ」を説いてる
けど、平均寿命が延びても、現代はまるで「人生五十年」の安土桃山時代
みたいと感じるときがある。
世代間対立はいつの時代でもあるけど、いまほど「老い」が忌み嫌われる
時代は異様な気がする。対立じゃなくて高齢者は隔離されちゃう。
追体験を拒否した社会は怖ささえ感じるけど。
昔は高齢者があまり外出せず、昼間の美術館なんて大学生ばかりですいて
たのに、いまは高齢者の大群が埋め尽くしてる。若者はnetで叩きあう
けど、高齢者は美術館でケンカしてますね(笑)。
会議で世代論が出たとき、後藤氏が「女子大生とか若い女の子って、
ものすごーく疲れてません?」とふったんだけど、全員ピンとこなかった
みたいでシーンとして。
>その彼らがいまや「ジジイ」世代なんですね。 いや世代間対立ではないと思いますよ。 今はハイカルチャー的というか、全体を俯瞰する視点はなくなり、どんなジャンルもオタク的に細分化されているわけです。 で、自分に理解できないものを、特に20歳前半はじじいと呼ぶ身振りで排除したがるわけです。かってのように、別に新しい価値観を提示しているわけでわありません。 ネットで、情報に容易にアクセスできるにもかかわらず、 しかしだからこそ島宇宙化して自足する、 というのはきわめて面白い現象だと思いますね。 ・・・耐えられなくなったら、aabiblio に質問を移してもいいかもしれません。 バブル期の繁栄と日経平均株価はもう二度と来ないでしょうから、証言としてきわめて面白いですよ。
366 :
考える名無しさん :2009/04/08(水) 22:11:38 0
その意味では下のイメージは実現しているんじゃないでしょうか(笑) 大竹伸朗をこの時点で日経でつかうのはすごいの一言ですね。 まだバロウズの本のイラスト書いたとかのレベルじゃなかったでしょうか? 「日経イメージ気象観測」QuarterlyNo.31988.1 (昭和63年1月15日発行) 表紙:「AN ECO THUNDER」 大竹伸朗 作 1985、87年制作 注1:表紙の写真は浅田彰が選択 巻頭ページ VIEW POINT ●「カタストロフの予感」 横尾忠則 ●「終末の都市」 「帝都物語」荒俣宏/「バリカーデ」三上晴子・飴屋法水 ●「プラスチック・アイドル」 後藤久美子/少年隊/光GENJI/シブがき隊/男闘呼組 ●「ポスト・カタストロフィック−未来の記憶」 「アキラ・PART3」大友克洋/「北斗の拳15巻」武論尊・原哲夫 ●「神々の黄昏」 ベルリン・ドイツオペラ「ニーベルングの指輪:第3夜・神々の黄昏」/「第1夜・ワルキューレ」
どうでもいい感想だけど、 >「ファッションはまったくわからないのでお任せします」と言ってた。 これはやはりそうだったかw と思った
バブル突入で雑誌スタジオボイス、宝島、シティロードがサブカルにフォーカスしてた頃ですね。 後に新人類になる野々村文宏氏など出てきて。 あちこちで言われてますが、80年代はダサかったですね。 当時の映像を見ると本当に悲惨な時代だったと感じます。
>>365 宮台用語の「島宇宙化」だけど、これは浅田の語彙でいえば
「大きな物語が失われて小さな物語の林立」となるわけだけど、
クオータリー4号の浅田巻頭文章は「ポストモダン都市から海=宇宙へ」とあり、
そこでは、ちょうどそのころアメリカ行ってケネディ宇宙センターやディズニーランドを見てきた浅田が
フロンティアとしての宇宙というのはアメリカとは違って日本では強くなく、
まだ日本にとっての宇宙は衛星放送にとってのそれであり、
奇しくもこれは日本のテクノロジーが電視・電脳都市としての展開であることを象徴している、と言い、
また、東京湾開発プロジェクト(丹下・黒川のそれぞれのプロジェクト)や
瀬戸大橋の海がフロンティアのイメージを担っている、と言っている
語彙としては、宮台の元ネタは海宇宙かと一瞬思ったり、
あとマンスリーのTOPIC欄で89年8月号には宮台寄稿もあった
ちょうど瀬戸大橋完成のころであり、このときの
view pointは●ラストエンペラー(アンチヒーローのスペクタクル)
●Desert for ever(リチャード・ミズラックの写真の砂漠めいた非人間空間)
●東京湾改造計画(一方でロフトがカビのように増えつつあるベイエリアの発展)
●瀬戸大橋 (巨大なテクノロジーの夢としての橋。鉄とコンクリートの線が島々をまたぐ。
はたしてこの地中海は瀬戸内海のヘレニズムを準備するだろうか云々)
とあり、時事的にも目を引いた
のちに、というか野々村は、田口・中森と並んで当事の新人類三羽烏じゃなかったかな 週刊本のキョンキョン号で鼎談なんかもあったし、『新人類の主張』なんて本も出してる 野々村はそのころ、アスキーの雑誌『ログイン』の編集者
>>367 私もどうでもいい感想言ってもいいですか?
実は昨年、浅田氏はおしゃれな服着るようになったなあ
と思って。その当時、「浅田さんはSサイズだよね?」って女子たち
が言ってて「Sサイズの服は少ないから、好きな服変えないのかも」
って。およっそ若い人の着ないような60代のような服装だった。
しばらく前の、ゴダール上映企画のころの(FOR EVER GODARD企画ね) パンフで蓮實と対談してた浅田の「白い"ジャンパー"としか形容しようがないもの」を着ていたころは ある意味で愕然としたものだった >およっそ若い人の着ないような60代のような服装だった。 たしかに、80-90年代の服は無頓着ゆえにああなってるって感じでしたね この数年はバランスよく垢抜けてきたように思う 何気にメガネデザインも変化してるし、昔よりファッション面では若くなってきてるw
でも金は掛けてるんだよ
あと、対談記事などで写真を見てよく言われていたのが、 マオカラーのジャケットの頻用かな 浅田は最近マオカラーの服は着なくなってきてますね かつてマオカラーには何か流行があったのかと思ったりしたことがある
わりとどうでもいい指摘をすると、
>>365 >ネットで、情報に容易にアクセスできるにもかかわらず、
でも伝聞の伝聞が通用する時間軸が強くなるし、
ある時期以降からの認識が妙に覇権を手にしやすいんですよね、ネットって
ウィキペディアにもいえることだけど、項目の書き手は
冷戦崩壊の記憶がない世代ゆえのバイアスがあったり、ある時期の揺れみたいなものが見えにくかったり
80年代末〜90年代初頭がちょうどエアポケットになってる印象もあるし、
浅田はデジタルディバイドについて意識を喚起させる言葉をたまに言うけど、
それは、ネットやPCの使用能力のあるなしという使用層のデジタルディバイドのみならず、
ネットなどでチェックできることできないことという移行境界としてのデジタルディバイドでもあって、
ICFのような雑誌はまさに移行できずに忘れ去られていた、って感じですね
>>365 世代対立ではないという意味はわかります。
>高齢者は隔離されちゃう。
追体験を拒否した社会は怖ささえ感じるけど。
と言ったのも、わからないものを全否定する、そういう意味です。
>大竹伸朗
浅田氏も認めてた「遊◎機械/全自動シアター」は
わりとこの人に舞台美術を依頼してますね。
白井晃、高泉淳子さん、2人ともまだ若かった。
劇団さんじゅうまる時代の渡辺えり(子)さんも1人で飛び回ってて、
よく電話がかかってきた。小劇場ブームkのころ。第三エロチカ、
第三舞台と、仕事で知りました。
>あちこちで言われてますが、80年代はダサかったですね。
>当時の映像を見ると本当に悲惨な時代だったと感じます。
そうですか、自覚がないものでショックだな(笑)。
>会議で世代論が出たとき、後藤氏が「女子大生とか若い女の子って、 >ものすごーく疲れてません?」とふったんだけど、全員ピンとこなかった ある意味、そういう、「マスコミイメージとしての新人類」で語られなかったものを 再照明、というのが90年代中期の宮台だと感じる 80年代を慎重に追跡すると、彼はほんとに80年代ではぐくまれたんだなあ、と思う
>ダサかったですね。 たしかにマルケルの映画『サン・ソレイユ』で出てくる当時の日本の映像を見ても、 見た目上かっこいいという雰囲気はないっすねw あれはまあ82年だけど
>高齢者は隔離されちゃう。 いや、若者も隔離されているんですよ。 条件は同じだと思います。
80年代はかっこいいだろう そういう感覚は90年代に感性を育んだ人っぽいよ
382 :
考える名無しさん :2009/04/08(水) 23:11:02 0
80年代は「かっこいい」なんて視点で誰も書いていないと思うよ。
馬鹿らしい昔話ですけど、野々村氏を新人類だと言い出したのは中沢新一氏です。 当初は新人類の烙印を中沢氏に押されて嫌がっていたようですが。 浅田氏の方はといえば、ウルトラマン怪獣のフィギュアと戯れているような 新人類の幼児性が嫌いで、あんなのは新人類のイメージではないと考えていたようです。 宮崎勤の事件が起こる前で、おたくという呼称は、まだありませんでした。 自分達は先鋭的であるという選民意識のある新人類は、 先鋭意識のないダサいおたくの海の中に引き込まれて、ゆっくりと消えて行きました。 昔を振り返れば、いつの時期もダサいなと感じますが、80年代は特にダサいと思います。
>新人類の幼児性が嫌いで、あんなのは新人類のイメージではないと考えていたようです。 >宮崎勤の事件が起こる前で、おたくという呼称は、まだありませんでした。 結局のところ浅田が擁護したかったリアリティ、スタイルというのは、 必ずしも同世代一般に広がっていたものとは同じじゃなくて、 やはりあれは浅田自身の美意識なんじゃないかなあ、と思うんですよね 個人として中森や田中を浅田が好んでいたというのはあるようですし、それは消えてはいないようですが、 世代論一般というものとはまた違う奇妙なところがある 田中との対談でいつか言ったように、「百貨店の賢いお客さん」と、 それを可能にした消費社会の進展、平たく言えば都市化、その良質なところだけを注目していたのでしょう そうした浅田が建築や都市計画の論点に関心を示すというのはいろいろ腑に落ちるところもある で、世代やそれを形成していた社会変化でまとめると、 おたくと新人類の背景は紙一重、という面があって、それが90年代後期以降、 言論的にもどんどん強調されていく、という推移をたどった
385 :
考える名無しさん :2009/04/08(水) 23:23:42 0
>>383 単なるアニメ野郎とさげずまれることのおおい東浩紀氏ですら
「私たちに今必要なのは(・・・)よくできたライトノベルではなく、(・・・)
私たちが動物であることを引き受けつつ、しかしそのなかで人間であるために策略をめぐらす
作品。(・・・)萌えやライトノベルがもてはやされているいまだからこそ、萌えやライトノベル
とはなんなのか、時代に背をむけてじっくりとかんがえなくてはならない」
と書いているので、それはどうかと。
・・・しかし問題は東氏の読者には、そのメッセージは届いていないw
しかし80年代の浅田氏の読者だって大部分はそうだったんじゃないでしょうか?
結局浅田も、というか、浅田は、というか、 彼は彼なりに特異に時代からいろいろ見出したのであって、 それが共有されていたかというといまひとつ信じがたいところがある 構造と力序章の、屋台でいろいろ知を並べて売るような博物学性は避けるべき、 学と遊のたえまない往復のなかにあるべき、片方に向かってはだめ、と言い切ったにもかかわらず、 しばしば「80年代論」というのは、このコンセプトから大きくずれたものになり、 あの序章は誰も読まなかったのかな、と思わせられる
>野々村氏を新人類だと言い出したのは中沢新一氏です。 >当初は新人類の烙印を中沢氏に押されて嫌がっていたようですが。 へー、その経緯は知らなかったな 年長世代への鬱憤を「まあ僕も新人類と読まれたりしているわけですが」云々と GSのコラムでは書いてたけど 田口はもっと嬉々として自称している印象がコラムから伺えるw いろいろ考えさせるのは、89-90年ぐらいなんですよね、東大中沢騒動は 新人類云々をめぐる風潮からすると、あの中沢騒動はどういうふうに受け取られていたんだろうと思う
読まれたり→呼ばれたり
389 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 12:52:34 0
昔は姥捨て山なんて公然とあったし、 力のない年寄りは平気で見殺しにされてた その意味じゃ今の老人ホームとたいして変わりないんだよ >世代間対立はいつの時代でもあるけど、いまほど「老い」が忌み嫌われる >時代は異様な気がする。対立じゃなくて高齢者は隔離されちゃう。 こういうばかげた論調を捏造するのは関心しないな 彰も江藤もそういうの一番軽蔑すると思うよ
>>389 浅田氏の考え方とは関係なく、議論を捏造するつもりはないよ。
姥捨て山は公然とあったことは事実だね。でも、それは農村の間引きとか
口べらしの延長戦上にあり、経済的な問題が大きかった。核家族化が進む
前の戦後日本は違ったよ。さらに言えば、最近の人口比率や年金問題も
大きく影響してる。「後期高齢者医療制度」をめぐって、国会前にすわりこんだ
老人たちは「江戸時代の姥捨て山みたいだ。早く死ねというのか」と怒ったわけだし。
「加齢臭」だって昔から存在してたけど、わざわざ口に出して言うようになったの
も最近のことでしょ。アメリカで若者による老人狩りが問題になったのは30年前
だけど、「殺すなら先のない老人」を殺した「切れる17歳世代」が大学生になったころ
の学生演劇を観てると、「宇宙船の中に1人犠牲になれば全員助かる」という状況の中
で多数決をとると「先のない老人に死んでもらう」ことに決定されたり、ボケ老人を平気
で虐待するシーンに観客の学生が腹をかかえて笑ってる、やはり違和感があったね。
最近近所の小学生が「ババアは首吊り、ジジイは自殺、年寄りみんな死んじまえ」
という歌を大声で歌ってて、「学校ではやってるの?その歌」と聞くと、「うん。だって
年寄りが生きてるとみんな困るでしょう」と真顔で言うんだ。高齢社会でかつてないほど
老人への嫌悪感が増してるのも実感として私にはある。それは精神的な世代間対立
ではない深刻な問題だと思うよ。
391 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 15:43:24 0
テスト
392 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 15:51:18 0
浅田と関係ないのでアレだがw やはり人口自然減、 かつ超高齢化社会は、いままでの日本社会の経験では、 全くつかみきれないよな。ジジイがマジョリティだし、 浅田が関わってきたのは、日本特有のユースカルチャーとしての 高踏的な文化だし。それからすると80年代の新人類の立ち位置 話って、どうでもよくなる気がしてしまう。ごめん
>>390 いや・・・だから、戦後日本のある時期(朝鮮軍需にはじまりバブルで終わる)
こそが、歴史的に特殊だったのだと見るほうが自然じゃないかと思うんだけど
戦後の奇跡的な経済復興のおかげで一億が総中流状態を享受してきた弊害で
死とか老いとか、汚いものを見ないで済むようになっちゃったんだね
で今は不況だから汚いものを見ないわけにもいかなくなっちゃった
でもそれって、覆い隠してたものが剥がれて表面化してきただけなんで
根本にあるものははるか昔から変わらないと思う
>日本特有のユースカルチャーとしての高踏的な文化 ここをもうちょっと詳しく言ってほしい 俺も80年代と新人類および、それがダサイか否か、というのは正直関心もてないんだよね 野々村にちょっと目がいったのは、野々村と武邑に共通するバロウズ好みやサイバネティクスがあり、 それを文明論と経済への理解でさらに引き継いだのが山形浩生だという印象がある その意味では、彼のバロウズ本は一面では「彼にとっての80年代の総括」になってて、 終わりごろの「日本での受容」の節で野々村や武邑などに言及するという流れになっている 東が山形に一時こだわったのは、野々村・武邑が 浅田におけるサイバネティクスやネットワークへの関心の周辺共有者だった時期があり、 人脈的にもいろいろのちの山形につながってるという認識があると思う 季刊都市でコールハースの訳を山形にオファーしてるし、 93年にはじまるインターコミュニケーションでは永瀬、山形は、伊藤俊治、港千尋と同様によく出てきたしね "浅田における"中森・田中への好意、というのも、 単に80年代云々というよりは、経済状況や都市化の延長での構図だって印象がある 浅田が西武文化を留保つきでこだわってるのは、そうだなあ・・・・ いまどきの言い方をすると、顧客教育込みでの文化行政の視点から、 田中のファッションに関するエッセイなどをそれなりに評価していた云々、というのがあると思うんだよね だから、これは回想的な話なだけではなく、浅田なりの文化批評の一つのこだわりだったんだろう ある意味では昔話や世代間メンタリティの話じゃないので、そうならない射程では面白くはなると思う
395 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 16:29:15 0
>>390 そういえばル・グィンの論考で、生殖能力のなくなった婆さんが、
限られたスペースの宇宙移民船に乗り込めるかっていう話がある。
彼女は無論、うまく擁護するわけだが、実際あったら乗込めない。
これからの日本も、老いて障害者化していく人間の負担を
分配することと、彼らを捨てにいくことのバランスをとるだけの
風景になるよ。
おじいさんは30代女性にセクハラするから、自分は絶滅してくれても かまわないと思っている。
で、当時の浅田におけるサイバネティクスやネットワークでの関心でいうと、
>>359 ,
>>363 で言われている皮膜都市っていうのは、
ファサードや意匠の引用のコラージュとしてのポストモダン都市、というイメージに対して、
さらに次はどうなるかというヴィジョンとして、
可視的なファサードにおけるそのような模索ではなく、
不可視のネットワークへのインターフェイスとして別の形で外壁などの処理が出てくる、という発想だったと思う
妹島のみならず、これは海外的にも顕著で、ヘルツォーク&ド・ムーロンのプラダ設計にもつながってるんじゃないかな
ttp://www.eikongraphia.com/wordpress/wp-content/127776878_9a7f9eaf00_o%20small.jpg また、意匠面や形態操作が、フランク・ゲーリーのようにどんどん彫刻みたいになってくる傾向が顕著で、
ちょっと前の話題で言うと、MVRDVのCG建築プレゼンなどもその流れだろう
あるいは、コールハースのてがけた中国電視台ビルが、「一つのイコン」になっていて、
モダン以前に戻っている云々の論点などもあるし、これは浅田がドタバタ日記2回目で磯崎・黒瀬に言及した線
ヴィトンだったかプラダだったかのブランドロゴを大幅にファサードに取り込んだケースもあったし
(これもヘルツォーク&ド・ムーロンだったかな、よく思い出せないけど)
近年ではキャラ=イコンという切り口の議論もよく出てくる
それぞれ、建築材の技術進展や建築図面作画技術などを受けて出てきている動き
俺はぽん吉さんの話にうまくレスできるほど建築の動きはよく知らないので、うまく返せないが
>浅田が西武文化を留保つき ああ、そういう意味? 堤清ニのメセナっぷりはあの時期際立っていたからからね。カンもよかったし。 堤清ニは東大同級生の、 安東仁兵衛の「現代の理論」にも一貫して 資金援助しているし、 そういう、単純にウヨ・サヨ分ける視点では理解できない、なんだかよくわからないそういうところが、良かったんじゃないかしら、と思っていたけど。
399 :
398 :2009/04/09(木) 17:02:26 0
不況でだめになったけど、 それでも、つぶれたヒルズの不動産会社よりも 下品じゃなかったじゃない。
400 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 17:07:57 0
確かに、80年代の香りって、 美術でいえば、シードホールとか、アールヴィヴァンとか。 とにかく80年代は、西武のイメージだなあ。
西武は演劇のためのスタジオももってたしね
たしか帰国して間もないころの四方田が韓国映画特集を大々的にやったのもそこだったと思う
美術専門書店のほうのアールヴィヴァンが、のちに独立してナディッフになるし、
書店のリブロは、当時の社員の田口久美子が書店風雲録で回想しているように
さまざまに80年代の知的状況と関わってた
田口の先輩にあたる中村氏だったかな、彼は浅田の『思想』に寄稿したアルチュセール論のころから注目してて、
構造と力を数千部売る実績を出したとか、あとはワゴンセールや著者トークショーを
やりだしたのもあのころのリブロだっていう話がある
そういう西武を浅田は一定の評価をし続けているし、たとえば10年前のこの文がある
ttp://www.kojinkaratani.com/criticalspace/old/special/asada/voice9903.html 書店・雑誌・美術企画でいうと、
リブロ/アールヴィヴァン・WAVE・セゾン美術館があったわけだし、浅田もいろいろ関係してるし、
そういうキュレーションの振舞い方の延長の一展開がICF企画監修だったとも言えるんじゃないかな
音楽に関してはよく知らないけど、洋盤をそのまま日本で売ることができるようになったのって
80年代の商法改正からだったかな・・
輸入盤をほいほい選べるようになったのってそんなに歴史は古くないんだよね
で、箱物行政で「現代美術館」ができまくるけど、 なんだかよくわからん、って感じじゃないの?
そうでもないでしょう、浅田は21世紀美術館を一定高く評価してるし、 何度か公開トークイベントやってるね 実際、あそこのコレクションはなかなかいい まあいろいろじゃないですかね たしか青森にも去年ぐらいにまた現代美術館ができたりしてるけど
404 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 17:28:12 0
>>394 >日本特有のユースカルチャーとしての高踏的な文化
はたいして深い意味で書いてない。ただ、欧米と違って、日本には、
ハイソな輸入欧米文化と日本の伝統文化が両立してて、それが
同じパイ(金をもっている人間)を奪い合うという図式があるが、
欧米にはその両立が存在しない。
だから刺激的な輸入品にとびつく若者が、マスメディアを通して
そういったものを受容してきたことを若者文化と。
>>403 山形で思い出したけど、金沢美にいた長谷川祐子とか、マイクロポップの
松井みどりなんかは、世代的に浅田的なものに浸ってきたことが、今、
現代美術で、くったくなく開花中なんだよ。ポモの左旋回とか、男性の
スタンスと比べて、年は近いのに非常に対照的。
>>404 なるほど、「ユースカルチャーとしての」というのを
>刺激的な輸入品にとびつく若者が、マスメディアを通して
>そういったものを受容してきた
の意味で言ってたんだね それならよくわかる
階級構成や象徴資本の分配・流通をめぐる機構がぜんぜん違うって話だね
こういう事態の成立条件がいつごろできたのかは寡聞にしてよくわからない
戦後のサルトル流行が下地になっているという説もあれば、
大正教養主義以来の、高等教育と人文教養の関係が日本特有なかたちで生じたからだという説もあるが
実際、GSがいかにZONEやChange International, Traversesなどと
(論文翻訳という意味での)連携を目指していたとはいえ、
じゃあTraversesやZONEが向こうのGS、と言える対応関係にあるかといわれると、
実情を詳細に知っているわけじゃないが、まったく違うのだろう
GSのような雑誌が、ある程度商業的にペイできるかたちで刊行され、
それがある世代にとってユースカルチャーとして記憶されているという時点で日本特有現象なんだよね
この種のことは、東が出てきた直後、福田も意識的に言及していたりしたが
>長谷川祐子とか、マイクロポップの松井みどりなんかは、
>世代的に浅田的なものに浸ってきたことが、今、現代美術で、くったくなく開花中
これは、じゃあ浅田がそれを容認するかというと、そうじゃないよね
彼の美術に関する姿勢が、90年代前半で本当に変化したのかどうかというのは
重要な問題だと思うけど(実際に読めば、よく言われるようにヨーロッパ回帰でもモダニズム回帰でも全然違うし)、
ここは浅田もうまく乗り切れていない、かなり厄介な感じがするなあ
松井みどりなんかは、世代的に浅田的なものに浸ってきたことが、今、 現代美術で、くったくなく開花中なんだよ。 へー、そうなんだ。
まあ正直、批評空間は初期テルケル的なものが なんで90年代日本に実現して流通しているだろう??? という驚きが先行したなあ 当時でもありえへん話なわけで。
408 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 17:57:15 0
いや、現代の問題であれば、ほとんど日本の大学進学率の問題。 つまり、4年間遊べる若者が何人いるか?ということ。だから1960年ころ。 例えば、アメリカでは戦後、大学で一番拡大した研究領域は、自然科学 じゃなくて、文学/芸術系なんだよ。かの地のソフトパワーの源もそこにあった。 >これは、じゃあ浅田がそれを容認するかというと、そうじゃないよね いや、マンセーでない「容認」なら容認するだろう。京都精華ってそういう ところだよ。それから音楽ではアメリカでさえも、定位しなかったポモ概念が、 美術では機能しているから、ポスト村上にコミットしたいという気持ちが あると思う。
>いや、現代の問題であれば、ほとんど日本の大学進学率の問題。 >だから1960年ころ。 そう、学生運動の下地もそれだしね 70年代のあとに、ということで80年代がありえたのは世代論のみならず 下部構造的にというかw ある意味で必然性があるんだろうな >ポスト村上にコミットしたいという気持ち なるほど、妙に甘い印象もあったが、そういう背景はありうるな >マンセーでない「容認」なら容認する これは痛烈な指摘で、そのとおりだと思う で、俺みたいな軽率で、美術にちょっと弱くて心情的に浅田ファンっぽいことを言いたがってしまうやつが 「いやいや、留保を置いてるのだよ」みたいに出来レースじみた構図のなかでしゃべってしまうわけだ 軸を切り出すことなく、留保つき容認、というのがいろいろ流行りやすいんだよな・・・
410 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 18:15:44 0
スーパーフラットなんか下らない。 彰がそう一言言ってくれてたら済んだ話なんだよ 半端に容認したりするから、勘違いする輩が増えたんだ あんなのハイカルチャーとは絶対に別の括りなんだからさ 美術館で本物を観れば、G・モローですら圧倒される 村上の小汚いキャラなんて恥ずかしくて直視できないよ
>アメリカでは戦後、大学で一番拡大した研究領域は、自然科学
>じゃなくて、文学/芸術系なんだよ。かの地のソフトパワーの源もそこにあった。
これはつまり、いわゆる人文系における英語圏の覇権、
大学-研究-書籍(翻訳含む)の英語圏での結集の背景には、アメリカの経済成長があり、
その点で言えば、日本の高度経済成長の後のGSのペイもありうる、ってことかな
>>407 まあそりゃそうだよねw
柄谷は3期の開始時点で「赤字なんて出てなかった。ペイできてたんだよ」と胸を張っていたが、
ペイできて維持できることがすでにいろいろ驚きだよね
もちろん、それをやってのけた編集委員も抜きには言えない話だけど
浅田はこういう成立条件と自分の立場の良心的利用にかんしてかなり自覚的にやったんだと思う
よく考えてみたら、変な経歴なわけですよ
博士論文や修士論文の刊行でもなく、自分の肩書きの領域でもなく、本を出し、
意図してかしないでか、幸か不幸か著名になってしまった人なわけです
降ってわいたこの立場を、どう生かそうか、という発想があったんじゃないかな
>>410 その浅田による「容認」の悪影響の点は共感するな
少なくとも、村上を論じる側がもっと大変な状況になっていれば、
まだしもいい議論が出る可能性もあったと思う
ものすごくぬるま湯で進行した結果、すごく半端なことになった
YBAだって見向きもしなかった浅田なら、本来村上を褒めるのは、彼の一貫性からしてもおかしいんだし
現代美術は電子コピー技術が一般化した時代に、希少性という美術の価値を維持するため、新奇性に走った。 ただ珍奇であることが、美術の希少価値であるかのような価値転倒を起こした。 さらに付加価値を高めるため、作品に添付する屁理屈解説を膨らませるようになった。 彰は目を覚まして、そんな変なのに関わり合いにならないで欲しいと思う。
414 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 18:38:15 0
>>411 英語圏の覇権だけど、より正確には、途上国の経済発展ね。
そういう国の秀才にとっては、英語がないと高等教育が成立しない。
なるほど、ハリウッド映画の維持と似てるなw あれも海外での配給・利益がなくして維持できない世界になってる かつての第三諸国における英語の覇権→高等教育からアメリカ留学 というわけか それがポストコロニアリズムやトランスナショナルスタディーズが出てきてる背景になるんだろうな
なんで村上やYBAは無視しないといけないの? 村上春樹を褒めるとセンス悪い、みたいなかつて生きていた無意味な禁止を誰かが代行して欲しいのかな
ハルヒのヤマカンさえ、アニメは68年に乗り遅れたせいで、単なるヲタと馬鹿にされる。 先行世代の開き直りが悪い! といっているが、東とのギャップがすごいな。 東の考えは、共有されるのは厳しいとは思うよ。東は一方で「現代思想」で逃げれるから、風当たりの厳しさに直接当たらないんじゃないかな
なんにせよ、浅田彰に抑圧者の役割を期待するのはお門違いだと思うよ
いや、抑圧されていると感じているだけでしょ
浅田の美術を切る基準次第だろう
彼が映画や美術に関して語るときは大抵この二つだ
・彼個人のぶっちゃけ趣味
・美術史上、コンセプトを重視して高く評価
といっても後者は浅田の言及頻度からして得意じゃなく、
ニューペインティングよりはネオコンセプチュアリズム〜メディアアートという線の方が
政治性があるし、興味深い、と言ってるぐらいだっただろうか
ロバート・ロンゴやインゴ・ギュンターを好むのはこの線が利いてる
ミズラックの写真、杉本の写真などは、前者がかなり色濃く出る
シンディ・シャーマンに一定好んではいるようだが、どちらかというと
浅田の「リアルなもの」に対する感覚からきている面が強い
まあ、福田は「現代思想の教科書みたいな記事を書く浅田は面白くないし、
当人だってかったるいに決まってる。傲慢に作品を取り上げるセンスが鋭い」と
前者を褒め倒したわけだが、「留保つき容認」の微妙さと同様、
浅田のセンスなるものが何を見落として成り立っているのかの吟味はまた必要だ
と、いうのはまた別に、浅田の上記のセンスは、YBAと結構違ってるし、
村上の作品に直接接点を見出すことは難しい
その乖離を不自然な印象があると言ったんだ
無視しないといけない、といったのではなく、とりあえず浅田のセンスとの結びつきが不鮮明なんだよ
「デザイナーとしては一級」とか「奈良よりよい」とか、
何か歯にものが挟まった口調が多かったように記憶している
>>412 の最後の一文は、"浅田の一貫性"から接続性が見えにくいという話だ
褒めるべきか無視すべきかという話じゃないし、そんな出来レースに乗る気はないね
そういう話になると決まって単純な対立が持ち込まれてどうしようもなくなる
でも浅田さん待望論の一種なのは否めないでしょう
「浅田彰」が問題なんじゃないんだよ。
特に待望してないよ さっきの後者についての評価で言ったように、 浅田には弱点があると思ってるし、それを乗り越えてくださいとか、そんなことまでは思ってない 浅田は浅田で持ち味があるし、それはそれでいい 日本の美術批評の層がうまく厚みが出てくれれば、 不備を補いだからうまく生かしあえることもあるだろう ただ、何かと影響力のある存在だから、たまに悪影響も懸念するってだけのことだ
現代美術の話なら別の板でやってくれ
>>422 >>416 をそういう意味で言ったのなら、
「美術批評としてぬるま湯で進行した」ことへの指摘に対して
無視するな/取り上げるべきなどという不毛な話を切り替えることのくだらなさを考えてみるといい
ぬるま湯じゃない議論とは「無視するな」と吼えることじゃなく、
議論として刺激的になるものを出せば済むことだ
浅田が妙な不自然さで褒めたことが、そのぬるさを加速化したという
認識で書いたのが
>>412 なのだから、無視するな/取り上げるべき などのスローガンでは意味がない
>ロバート・ロンゴやインゴ・ギュンター 久しぶりに名前聞いたw シンディ・シャーマンもw
>>424 まあそうなるな
だから「浅田のセンスとは何だったのだろう。惹かれることもしばしばあるのだが」
という線に戻したつもりだったんだけどね
彼のミズラックの写真好みはバラードやカタストロフへの関心ともかなりつながってるし、
ある種の非人間的な金属性とか、そういう感覚なんだろうと思う
俺は結構ああいうの好きだし、
ダムタイプのS/Nの面白さもそういう類のものだと思う
浅田が特にあのへんを好んでるのも、なんとなく腑に落ちるんだよね
>>425 後からの説明がないと誤解を招く言い方だったのは認めた方がいいぜ
>>426 久しぶりに90年前後期ぐらいの浅田の文章読んでたらよく出てきてねw
>>428 >彼の一貫性からしてもおかしい
と明記してあるだろう
自分の願望を勝手に胸像投影するように誤解して人に擦り付けるな
いや
>>422 は
>>421 にたいして言ったつもりだから
>>425 は正論っす。
俺は正直、アキラ個人の「ぶっちゃけ趣味」はよくわからんw
市田良彦の「新音楽の哲学」は彼の趣味が良く出ていて、
そっちのほうがよく分かる。
高橋悠治が「ミュージックマガジン」に70年代ロックの可能性について書いているとか
へえー、と思う本だったよ。
彰はもちろんガン無視だろうな。
彰はロックを認めることが出来なかった人
433 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 23:35:54 0
ここ十年は椹木の一人勝ち(by美術ジャーナリスト)つうぐらいだから どうだろう。ここ三十年くらいは、日本近代の美術研究は、西洋との 絡みから、試行錯誤で、練り上げられてきたものを丹念に拾ってきた。 浅田はただ「センス」から上記のものに、あんまり興味がないと思う。 身もフタもないけど。東野芳明程度のものは、パッと書ける自信はあるだろう。 >日本近代の美術研究は、 これは青木茂、辻惟夫、木下直之といった研究者の流れね。村上を完全には スルーできないのは、こういった近年の傾向があるから。
市田良彦は、遠藤みちろうリスペクト
>>431 高橋悠治のゴルトベルク変奏曲なんかもすごく良くてさ、
グールド好きにとって戦慄するものがあったんだけど、なぜか浅田は言及しないし、
あれ〜? という肩透かしがあったりもする
「あれ、浅田的にはジャストミートじゃなかったのかなあ・・・こういうのは注目しないのかなあ」
とか思うことはたま〜にだけどあるよ
436 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 23:40:45 0
みんな浅田が、スーパーフラット周辺を、 肩肘はらずに、交通整理してゴミ箱に投げるだろうなって いう期待があったんだと思う。でなんか、切れ味ないから フラストレーションとかかな?
>>433 それよりこれほんと? 中沢スレより。 やっぱり芸術人類学 というか吉本隆明的なセンスは は強いなあ〜 ++++++++ サワラギノイが、元宗教学者の中沢のところに入った。 やっぱり美術評論家から文化人に脱皮中なのかなあ。 まあ安藤礼二が、そうだけど、学問のバックボーンを もった文芸志向が集まっているね。
高橋由一をT・J・クラークで論じろとか、目配せはするよね
美術に関する知見は、岡崎に定期的に潰されている印象
古谷スレでやりなよ 荒らし一人ぐらいで冷めやすいのがみなさんの欠点ですよ
古谷には興味ないからどうでもいい
442 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 23:45:30 0
>>442 オールスターだw
芸術人類学アンソロジーからサワラギ本出るのかなw
>>442 東のオタク道よりこっちのほうが強くなりそうな気がw
おっさんホイホイ的面子じゃんw ナウなヤングの反応はどうなんだろ
446 :
考える名無しさん :2009/04/09(木) 23:55:46 0
iTunesだっけ、公開されてたシンポで、 文学少女がさ、「宮沢賢治が好きなんですけど、 似た作家を教えてくださいっ」とか質問すんの。 浅田勝てないだろw
日経朝刊の文化面に「前衛誌のインターネット十選」と題して 西野嘉章(東京大学総合研究博物館教授)が10回物連載してる。 第一次大戦終末期に、欧州各派の前衛芸術家たちが自分たちの 主張を伝えるために少部数の出版物を交換しあうことで、国際的な 連帯をめざし、1920年代前半に「前衛誌のインターネット」がかたち づくられたというもの。興味のある人はご一読を。
なんてこったい
451 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 10:28:50 0
ここ最近レスが活発ですけど、何人くらいいるの 点呼とってみようか 1!
タイムラグある住人がいるから、あまり気にしない方がいいと思うけどなぁ たぶん4人前後だと思うよ 2
すぐネタ化することはやめたほうがいいと思うけど 3
くだらね。うぜ。4
>>435 >高橋悠治のゴルトベルク変奏曲なんかもすごく良くてさ、
グールド好き
俺あれグールドより好きだよ。コンサートで生で見れたのは幸せだった。
>>455 あれはすさまじいものだから、グールドのバッハに一度でも浸かりこんだ人間にはマジお勧めだよね
グールドの線上にありながらあそこまでいけた例は
(俺、そんなにピアニスト大量に知ってないから自信ないけど)ないと思う
グールドの演奏のやり方に、さらにラディカルに、タメを入れたみたいな水準になってる
この数年で耳から鱗がはげるような衝撃はあのCDだったな
本当にすげーいいと思った
全然関係ないけど、緩急を自在につけて鮮やかな演奏って意味ではファジル・サイを浅田は好むけど、
サイもいいけど俺は最近ポゴレリッチをよく聴くかな
あれもなかなか面白いよ
うんうん、どう面白いのかな?
↑カタログの聴き手が彰だ
460 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 14:13:01 0
思想好きのグールド語りは、ラクチンな、 音楽へのPASMOみたいで、つまらない。
>>460 ほうほう、確かにそうかもしれませんね。
では刺激的なものを教えていただけませんか?
462 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 14:22:45 0
midiで、音色や、構造、スピードを操作して聴くといいよ。 対位法の知識がないと、すぐに飽きるけど、刺激って質は、 そもそもそんなもんでしょ。 だれそれがっていう、パッケージ売り場の立ち話にはつきあわないおw
なるほど。「対位法」の知識をお持ちのようで。
ある意味、うらやましい話です。
たとえば、高橋悠治はアートオブフーガのシンセ録音を一世代前にやっているし、
そもそも対位法が見直されたのは、20年代シェーンベルグ以降で、
グールドによるバッハ解釈はそれまでの19世紀にメンデルスゾーンによって発見されたバッハ理解
を革新して、対位法理解に基づいていたから面白いと言われているーというのは
教科書的な常識ですが、
高橋はそれをさらに踏み越えていこうとしているんじゃないかというところが面白いと思うのです。
たとえばパルティータにはアフロ的要素が混じっている、といいますし、
身体的な感覚を重視します。
また最近高橋が最近編著した「世界音楽の辞典」はもはやそういう20世紀的な対位法とかそういう概念ではなく
音楽を捉えようとしていて興味深いのです。
たとえば裏表紙はフェラ・クティです。これはモダニズム的な視点からは考えられない。
もちろん「刺激」って質では
>>462 には同じかもしれませんしPASMOかもしれませんね。
グールドは駄菓子みたいだね。子供が好みそう。 どぎつい人工着色料と砂糖がすさまじく入っているので子供の目を惹く。
>>464 AIRでみずずちんが
「にゃは、グールドちん、砂糖菓子みたいでかわいい〜」って言ってたよ。
467 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 15:19:16 0
アンテナはいいけど、対位法が復興したのは、 「古楽」の学術的、実践的な復興が最も大きい。 そこ外すなよ。 ゲソは、割合うまく古楽界の経験を、リソース源にしてきた。 ウェーベルンは古楽を研究していたし。 フェラ・クティは、ポスコロ視点からでしょ。高橋は、 もともと文化左翼だから、軌道がほぼポスコロと一致する。 日本でいえば田吾作感覚で、ルイ・アームストロングを再解釈とか そういうセンス。
>>465 教養の無い屑は東スレに帰れ。
ここは院卒以外はお断りだ。
文化左翼に対する偏見しか感じない
>日本でいえば田吾作感覚で、ルイ・アームストロングを再解釈とか そういうセンス。 ま、確かにそうだねw。俺、田吾作作、結構好きなんだよw けどそこまでいうなら、最近面白いの教えて欲しいな〜 あおりで言ってるんじゃないよ。純粋な好奇心。
田吾作感覚か、手厳しいね
474 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 15:40:30 0
悪い、田吾作というのは、西洋コンプを裏返すってこと。 で、文化左翼は、出自からして悪口だけれども、 悪口としてはいってない。「マルクス主義の行き詰まりとともに、 その発想を、芸術/文化にフィールドで実現しようとした人々」ね。 たごさくだが、被西洋の土着の身体感覚で、重層な相手を料理する、 というポスコロの発想。日本の田吾作的身体感覚を、嫌わずに、 それで、ジャズ(団塊のもつ文化幻想の極み)を料理し、価値を反転 させてみるということを例として書いたんだよ!だから、極東アジア人が バッハを演奏するという「ギャグ」の比喩では、まったくない。
ジャズもロックも田吾作音楽 ブルースなんか土人の怨み節
宮台が田吾作って使うとき、全くアイロニーなしのルサンチマンになってるから、 俺はその物言い自体に違和感を覚える あいつはユーモアが全くないんだよ
477 :
470 :2009/04/10(金) 15:43:02 0
>>467 いや
「世界音楽辞典」はポスコロ視点とはいえないものを感じたよ。
ちなみにスピヴァックとかつまんねぇ〜とか俺は思う
けど
>>467 の感覚は分かる。
478 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 15:47:46 0
田吾作というか、 例えばチンドン屋再評価とかそういういいかたすればよかったな。 世界音楽辞典は、あくまでポスコロベースだよ。で、批判してても しょうがないというのは、共通認識としてあるとしても。
>>474 ゴメン。田吾作感覚の使い方、誤解してた。
>ジャズ(団塊のもつ文化幻想の極み)
ナルホドねー。2年ほど前、東京国際フォーラムのジャズフェスティバル
に初めて行ったけど、やっぱり団塊世代のお祭りって感じで馴染めなかった。
毎年行ってる常連が多いんだろうと思うけど、また来たいと思わなかった。
自分はジャズ好きだけど、詳しくないし。
480 :
470 :2009/04/10(金) 15:48:39 0
>>474 >日本の田吾作的身体感覚を、嫌わずに、
>それで、ジャズ(団塊のもつ文化幻想の極み)を料理し
なるほど、今JAZZはそんなことになってるの?
>田吾作というのは、西洋コンプを裏返すってこと。
高橋は中村とうようにめちゃくちゃ嫌われていたからね。
それこそ西洋帝国主義!って。ピアノコンサートで下手糞!引っ込めといったという。
それが、とうようが好みそうなフェラ・クティかよ!という驚きがあったわけ 。
けど思い込みかもしれんから、マジで最近お勧め教えて欲しい。
美術より音楽の方が実質的なレスが多くなるな
オペラは高いってこともあるけどクラシックコンサート人口も年々 減ってるらしいね。何年前かにミムラの旦那が指揮した演奏会に 行ったとき、大学生らしきグループが「こんな咳の多いコンサート 初めてだ。ジジイどもいい加減にしろ」ってホワイエで怒ってた。 クラシックはお年寄りが多いから冬は鬼門だね。
483 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 15:56:12 0
ならSusie Ibarraとかいいかも。
本や絵画やオブジェなら、速読気分で短時間で鑑賞できるけど、 音楽や映画って鑑賞するのに時間かかるから、 大量に鑑賞するのは大変だね。 浅田さんて本もいっぱい読みながら、映画や音楽を鑑賞する時間を どうやって作ってるんだろうか。 ナンシー関がテレビ並べて同時に違う番組何本も見てたみたいな事やってるのかな。
>>485 映画や音楽がいくら時間かかるといってもせいぜい数日だ。
シュトロハイムとかワグナーだったら1日だ。
そんなの時間かかるうちにはいらないな。
もっといえば読書のほうがよっぽど時間かかる。
東浩紀の新書なら2時間で読めるが、
デリダならわたしなら1週間くらいかかる。
東浩紀は死ね
おれ院卒じゃないけど、どうやって排除すんの? もう書き込んじゃってるけど?
フェラw
排除と選別はあくまで優雅にやるのが常識だ。 差別はセレブレティの特権じゃないが、 差別をツールとして扱うのがうまいのは 私たち上流階級。
確かにここはインテリの人が多いけど学歴制限は必要ないと思う
階層制限とかありえんw
>差別をツールとして扱うのがうまいのは 私たち上流階級。 自分のことを上流階級って呼ぶ人は古い映画でしか知らない。 このスレ、スゴイね。
ネタだろ
いい加減、見え透いたマッチポンプはやめろ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\ │ヽ ヽ || \,,,,,,,,, │ ヽ|_ _ \ ミ| [● ]-[● ]一 6) . l ・・、 __./ ヽ⌒ /| | ̄ /
階級ネタはそこそこ伸びる
また家柄がどうこう真面目に言ってた馬鹿が出てきたらどうするんだよ
召喚魔法
ノスタル爺よりマシだぜw
アニメ脳よりはましだぜw
ノスタル爺もアニメ脳も同じ人物
503 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 19:11:23 0
>>485 それは美学的にでなくて、ライフハックとして興味あるな。
理想上の鑑賞/収集/分類があるとして…浅田オタは
そういうのも自分のこととして興味あるだろ?
本は、新刊を図書館と本屋でチェック。まあ飛ばし読みすればOK。
議論の焦点になる本はきちんと読む。外国ものは、有力外国雑誌の
RSSで追っかける。映画が一番きついかな。
ま、ネット社会になって多木とか引き写し系はつらいよな。
年齢的に、ubuwebとか知らなそう。
>>503 書籍なら書評紙、英仏のそれも含めて
映画もある程度話題になった/かねてから関心を引いてた監督のを見てる気がする
TV番組から軽い雑誌までたまに知ってるふうなのは、
>>289 の第一段落で書いたような
そういう総覧するリストを横目に、さらっとチェックしてるんじゃないかと思う
文字通りむやみやたらに読んだり見たりしてるって感じはしないな
そのコスト計算がうまい人だろうとは思う
507 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 19:40:53 0
有料論文アーカイブとかも使ってるんだろうなぁ・・
510 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:27:36 0
外国の益体もない本ばかり追いかけて、微分方程式ひとつ解けず、何も作れない奴いるよね。 いわゆるバカのことです。 浅田はバカではないが、浅田の真似をするのはリスクが高いよ。
511 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:30:46 0
なんだそれwだれか浅田風文体で、 記号論的に解釈してくれよw
513 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:33:26 0
数学基礎論も知らないで、デリダ読んでいるバカもいるよね。 解析知らないで数学基礎論の表面だけ知っているバカもいるけど。 デリダを一週間かけて読むなら、数学基礎論とデリダの関係について 書いてあるガイド本取り寄せて読めば一瞬で終わる。 フッサール批判からデリダを理解すれば、要はフッサールの見落としたこと から思考しただけだから。
どっかのキチガイだろうから、相手にしない方がいいと思うよ
近藤和敬のデリダにおけるフッサールの扱いについての疑義の方がはるかに納得する
とはいえ、デリダのフッサール論には意義もあったので、単純に批判する気にはならないが
>>512 そうなんかw
515 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:37:01 0
>本や絵画やオブジェなら、速読気分で短時間で鑑賞できるけど、 新書は本じゃない。 「解析概論」速読してみ。「精神現象学」でもいい。 あと絵画はいくらでも時間かけて鑑賞できる。 俺はピカソの画集で一日潰せる。 速読やライフハックは奴隷(精神的な、ね)の仕事だ。 優雅さがないもん。 幾何学に王道なし。
浅田スレと古谷スレだけに出没するのかw ゴダールとかそっち行けw
517 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:38:07 0
>>514 ゴミクズ。おまえに何が理解できるというのか。
俺は「浅田彰」がきっかけでHR/HMを聴くようになったしw
519 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:40:37 0
ライフハック、速読という「貧乏」。 浅田さんからこれほど遠いものもない。 デリダはページ破いて読めよ。 「ひゃひゃひゃ、こいつ、てやんで」 あれは、お笑い本だから。
古谷スレの連中が宣伝誘導でもしたのか
521 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:43:14 0
日本では、戦後、学者・知識人が圧倒的な数で、「科学的社会主義」などという、ソビエト帝国型の考えに 集団で脳を犯されたので、「科学的」といえば「社会主義(共産主義)のことだと信じ込んで、この 「科学的社会主義」という宗教を日本国民に、各種高級学問の振りをして押し付けた。それを商売として やったのが、岩波書店である。だから日本国民の方が、すっかりイヤ気がして、「科学」というコトバを 使わなくなった。なぜなら使ってみても、ちっとも「科学的」ではないからだ。「君の考えは科学的だね」 と友人に言ってみると、まるで、馬鹿丸出しで、「一体、オマエは何が言いたいんだ」と、相手から嘲笑 されるからである。ソビエト教の信者以外の世界では通用しない。だから、日本人の「科学」不振は物凄く 深い。そこで、私が、「哲学は科学じゃないんだよ」というと、日本人はケゲンな顔をする。何を言って いるのか分からない。哲学というのは、日本では「文学部哲学科」だから「文学」のお友達で、これは、 絶対に「文科系」だよ、となる。そうではない。哲学は、科学の一種とは違う。神学の一族なのだ。 Philosophy is not a science! アメリカ人やイギリス人の大卒の人に尋ねてみるとよい。彼らは、必ずこう言う。例外はない。 こんなことも知らないで日本人は、「自分達も欧米人に負けない高等学問をやっている国民なのだ」と 思いこんでいる。日本の大学生が、学制(カリキュラム)として大学で受けている講義は学問などでは ない。あれは「土人のコトバ遊び」だ。 副島隆彦「決然たる政治学への道」P171〜177
>>520 もともと脳科学・数学基礎論のやつは、東信者だけど、
あそこの住人に無視されて移住した
523 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:44:35 0
デリダとサールの論争でいかにデリダが痛い奴かがわかる。 (サールじたいもただの分析哲学脳だが) おれは有限責任会社だっけ?あれ読んで、ゲラゲラ笑ったよ。 大の大人が、てやんで、って。
524 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:47:14 0
福島は素晴らしい。 東と福島がこれからの批評のスタイルだろうね。 福島をトンデモと思っている奴は、マヌケ。 実はああ見えて彼かなり意識的だよ。 実は浅田式のスタイルの延長にある。 浅田から優雅さと教養をマイナスすると、東と福島になる。
525 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:47:59 0
ごめん。 福島→副島隆彦のことね。 東の弟子のことじゃない。
526 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:50:23 O
ふ、ふくしま…?
フランスはいろんなところがビデオや音声をアメリカに劣らず公開してるね。 話変わるるが黒木玄とかがよく動いてた時は○○なんてバカアホみたいな風潮が ネットの一部に少しあったけど、今は2chでも○○スレ等をみてもすっかり雰囲気が変わったようで。 まあ「○○ シラバス site:ac.jp」でみてもよく見かけるから、今の18-22才にはアラフォー世代の ようなちょっと上の世代に対する妙な恨み節みたいなのがないのかも。
528 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 20:52:59 0
まあ英語で難解めの論文よむことあるけど、 日本のポモの字面よりも難渋なのはまずないな。 たまに訳書で長文なのはあるけど、 あれは英語の一文=日本語の一文で訳すアホの子だし。 漢字とカナがそうさせるんだろうな。
>>527 INAが公式で放出しはじめてるしね
たしかINAには代表が書いた本の訳書が先日クセジュから出たはず
>>448 の連載だけど、1920年代の前衛誌の発行をインターネット的にとらえた
のが面白いと思った(私が無知なっだけかもしれないが)。
写真は表紙が紹介されており、今日見ても洗練され、デザイン的に美しく
古臭さを感じさせない。
1917年ローマで創刊したイタリア未来派の国際誌「ノイ(われら)」の
回では、郵送先リストに日本の村山知義の名があったことや、詩人の
神原泰の詩がローマ字で紹介されたが日本語を解さぬ者にとっては
まったく意味不明であったこと、「しかし、それで挫けぬのが、
前衛の前衛たるゆえんである」と西野氏。
きょう10日付は東欧の国際誌「パースモ(圏)」で「2年間にわたる
発行で24号18冊を数える」が、「大判で用紙が薄く脆弱なため、現存する
ものは稀である。」そうだ。
>>376 さんが言われる様に、ICFなども急速なネット化の狭間で忘れ去られた
紙媒体となっているのだろうし、単純に比較はできないが、この少部数の
前衛誌たちのことをふと思った。
昨日、たまたま年上の友人と話していたら、遠縁だが浅田氏の少年時代を
知っているということがわかった。まったく知らなかったので世間は狭い
と思った。編集者にだけでなく、親戚の人に対しても素っ気無く、ムッと
した大人は少なくないそうだ。だが学者の多い一族で、この人の甥も物理学者
で浅田氏とかなり似通った面があるとのこと、もう慣れたそうです。
ICFの場合は、とりわけ商業流通の非常な限定性がさすがに響いてるんですが、そういうケースですね >1920年代の前衛誌の発行 時期的に近いかどうか覚えてないけど、マラルメとアメリカの小部数詩雑誌の関係もあって、 たしかそういう文献発掘の動きってこの10年ぐらいでものすごく出てくるようになったと思う そういう意味でのメディア史、言説空間史って文学研究の一つの流れになってる まあ、メジャーな大文字の作家の周辺における ものすごくマイナーかつ細かい発掘作業って面もあるんですがね 浅田の場合は80-90年代における彼の足跡を理解するにはICFが意外に要石となろう、 というような発想がこのスレで共有されてる感触といったところでしょうか
>>539 山口昌男の「内田魯庵山脈」も面白いよ。
身分に関係なくいろんな人たちが集っていたという集まり+”集古会”という雑誌について
原資料を示しながら書いたもので。1920年前後の話で。
>>515 >あと絵画はいくらでも時間かけて鑑賞できる。
>俺はピカソの画集で一日潰せる。
だから何というか、頭の回転がトロいという自己紹介なのだろうか。
まったりしてれば一本の映画で1ヶ月潰すこともできるだろう。だから何だというんだ。
535 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 22:42:41 0
東浩紀なんてタイトルだけで何言ってるのかわかるよ だから速読で議論の構成をつかめる 名著(笑)らしい存在論的なんちゃらでさえそうなんだから 新著はおして知るべし やはり古典をじっくり読むのがいい まったりとか無関係に、作品の力の話だ
佐々木中乙
537 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 22:46:06 0
ちょっと違うなあ。 雑誌に注目するのは、雑誌しか資料がないからなんだよ。 これは近代芸術の資料を考えるとね。新聞記事もそういったもの。 で、研究者はいつのまにか雑誌オタクになる。俺だって、戦前の 雑誌結構もっている。 それからシュールレアリスムや、一次大戦前後のものは、 「国際」的な芸術運動だというのが極めて大きく評価されている。 浅田の業界紙は、かわいい徒花だろ。雑誌以外にも情報がある時代だし、 国際的でもない。当時のスノッブの風景のワンショット。 だが、当時を生きた人にとっては「それがいい。」
つまり研究者なの?
ICFは広告収入なしで、コストがバカ高かったですから。
宮崎事件後になるのかな、宅八郎にVIEW POINTSか何かを依頼しようとなったとき、
宅さんは稲増氏の教え子で法政の広告研究会出身なのかな。すぐ下の後輩が編集部
にいたから直接頼んだ。そのころ彼がバラエティーで酷いことやらされて笑いもの
にされてたけど、「おたく」は計算した演技で素顔はごく普通のきまじめな青年だ
という話で、浅田さんも「へえー、そうですか。おもしろい」と笑って聞いてた。
宅八郎さん、最近見かけないけど、だれかの郵便ポストでトラブッたとか
ストーカー事件のあと、どうしてるのか。
執筆者の変更問題とか、みなさんの議論の邪魔にならぬ程度に追々お話していければ。
>>375 マオカラーというのはYMOから流行したんでしょうね。なぜかあの時代、業界人は皆着てた。
当時のテーラードジャケットがブカッとしててカッコ悪いのを嫌ってマオ着たのかな。
浅田さんはチェックとかツイードの柄物ジャケットが多く、下はハイネック
セーターかスタンドカラーのシャツ。配色とか全然考えてない感じ。
稲増氏がモスグリーンのイタリアンスーツが好きで、
柏木氏は黒のタートルかスタンドカラーシャツが定番。
「ラストエンペラー」のジョン・ローンが浅田氏みたいって話になり、
学生が「マオカラー着ればいいのに」と言ってたけど、当時は着てなかった。
去年は山本耀司風の黒のマオカラースーツ着てらした。プレタならお直し大変そう。
女物のSサイズくらいですものね。
浅田氏の白ジャンパーは雑誌で見て覚えてる。昭和30年代クリーニング屋
がよく着てたような。余談ですが。
片山さつき議員やタレントの渡辺正行がいまだにバブル期にはやった
大きめのテーラード着てますが、80年代のドラマの再放送を観ると
確かに当時のファッションはダサイと思う。
>>496 このAAカワイイですね。特徴が出てて。ご本人が話に顔を出したみたいな・・・
540 :
考える名無しさん :2009/04/10(金) 23:09:38 0
キャッツアイ読むとよくわかるw
>>537 >浅田の業界紙は、かわいい徒花だろ
当事者がいるのにずけずけ来るなw
>シュールレアリスム>
や、一次大戦前後のものは、
「国際」的な芸術運動だというのが極めて大きく評価されている。
まあ、そうかもしれないけど、
ネット直前の、20世紀20年代に形成されたマスメディア時代の
最後の展開みたいな感じがあると思うよ。
明らかに、意識的でしょう。だから「スノッブ」かもしれないけど。
>ICFは広告収入なしで、コストがバカ高かったですから そもそもペイできたんですか?
>シュールレアリスム> や、一次大戦前後のものは、 「国際」的な芸術運動だというのが極めて大きく評価されている。 それにさ、村山友義のMAVO見ると、確か当時のロシアフランスその他の 前衛誌と連帯組んでいるけど、 やっている当事者の意識ではしょぼしょぼやっていたと思うよw
>>542 いや、素人が考えてもできなかったのでは。大赤字でしょ。たとえ
コスト高でもプロパー12万円の契約者が12万円払って買ってくれてれば
何とかなったでしょうけど、ダンピングや執筆者が友人の分まで無償請求
するのでは・・・。それからカードの写真版権使用料ですが、他ジャンルは
画廊とかメーカーとかプレスとか提供の便宜をはかってくれるけど、建築や
インテリアは写真家が1枚のポジに数万円要求しますから、何とか安く
お願いはしますが、とてつもなく金がかかってしまう。専門の写真家も
頼むけど、建築家とカメラマンが組んでて「この人の写真でないとダメ」と
指定するから、好きにできないんですよ。「スペース」が一番金食い虫だった
でしょうね。前に出た話では、やはり西武系企業がもっとも熱心なICF読者
だったと思う。
>>544 じゃあデスクは心労が絶えなかったわけですねw
>>545 いや、デスクとかは、自分の金じゃないせいか、あんまりケチケチ
言わないんですよ。浅田さんの意向もあるしね。デスクの心労と
いえば、心労というべきなのかどうか・・・原稿でね、ヒス起こす
「何だよー、この人の原稿わっかんねえ文章だなあ、何とかしろよー」
って、頭かきむしって怒鳴ってる人がいた。担当者が「浅田さんご指名
の筆者ですから」と答えると、泣き怒りしてた。
>>514 >近藤和敬のデリダにおけるフッサールの扱いについて>の疑義
これすごく興味ある。どこで読めるの?
>>548 彼のブログでデリダ検索するとその記事にたどりつけたはずだよ
ロトマンなどを含めた当時の系譜におけるフッサールの位置を
デリダは読みきれてないんじゃなかろうか、っていう指摘
エピステモロジー的にも適切なんだろうと思うし、
柄谷のゲーデル=デリダみたいな話よりは歴史配慮がいいと思うけど、
デリダのフッサール論には歴史的意義もあるんだから・・とは思った
貫成人にせよ、ディディエ・フランクにせよ、芦田宏直にせよ、
「デリダのフッサールじゃフッサールを救えないのでは」と
別のフッサールの読みも最近はある
551 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 07:45:10 0
こんなことは、今や明らかなことだ。私に向かって、「お前も陰謀論者だ」というやつは叩きのめしてやる。 こういう、人のことを陰謀論者だ、と書いたりする連中こそ、最近は信念がグラグラ動き出してきて、内心 困り果てている。人の事を「トンでも本だ」と書いて、嘲笑っている連中自身がとんでもない連中だ。 それでは自分は、なんなのだ。「科学の人」か。あるいは、「日本的な良心でいっぱいの、真面目で誠実 な人」か。 さすがに、私のことは、この「トンデモ本」の中に入れられないようだ。なぜなら、私の文章は必ず、 根拠文章をたくさん引用してある。だからそれらの本を調べようとして、私の文を真剣に読み出すと、 どうしても、私の本からアメリカの政治思想の各派を、勉強させられる羽目になって、「こいつは、 ちょっと、手強いな。自分の方が、説得されそうだ」ということで、私を敬遠するのだろう。 (中略) 広瀬隆の本にしたって、たいしたものだ。あれだけ、恐れられ、密かに嘲笑されてきても、決して 正面から誰も乗り越える事ができない。最近は「自分は温厚で、健全で、まじめで、良識的で、 偏りが無くて、誰からも好かれて、尊敬されている」と考えられている馬鹿たちほど、広瀬隆の 本を読んでいるのではないか。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P44〜45
552 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 07:46:09 0
日本の大学の理科系(理学部、工学部)の教育の1年生の教育では、この「実験の大切さ」を叩き込まれると私は 聞いています。これは優れた教育法だ。実験の授業では、学生が、自分でやった実験の結果や、目視した物、 それから、実験の結果(成果)として得た数値などを、絶対に、ごまかしたり、改ざんしたりしてはならない。 と教える、という。当たり前のことのように思われるが、この実験と観察の、初歩の訓練はきわめて大切である。 自分の実験の結果が、当初の予定から、どんなに外れていても、失敗に終わってもそれでも出現したおかしな 結果や数値を、そのまま、正直に書いて、教授に提出しなければならない。これが理科系の教育の良さである。 この一点で日本の理科系の学部は優れている。これだけ日本の大学教育の実情がひどいことになっており、 見るも無残な現状なのだが、それでも理科系の学部では、まだ、この実験と観察の方法学(メソドロジー)が 生きている。これが日本の優れた技術者を大量に育てた原因だろう。 それに対して、日本の文科系(社会学問系)は、悲惨である。 自分で何か仮説を立てて、それを実験的に考えて、現実の事柄に適用してみて、自分の頭で苦労して考えて、 そこから何かを導き出す、という訓練など、全く誰も、誰からも、全く、教えられていない。頭の悪い日本 の大学教授たちが書いた、どうしようもない硬直した教科書や、自分の思いつきを書きなぐっただけの本を、 ただ読まされる。あるいは寝言のような自分勝手な考えを、講義と称してひたすら聞かされるだけだ。 日本の大学の文科系の教育は腐り果てている。 文科系の学問は、学問対象が、社会や国家や、人間集団だから、簡単には実験の対象にできない。このことを 言い訳にして、それで、欧米で作られた理論をただそのまま「換骨奪胎して」(つまり日本語という言語に 置き換えて、泥棒して)「和魂洋才」で垂れ流しているのがほとんどだ。 副島隆彦「人類の月面着陸はなかったろう論」P216~217
553 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 07:47:19 0
この本は、今の時代には珍しく極端に政治的な本である。 『地獄の黙示録』や『ゴットファーザー』、あるいはクリント・イーストウッド、オリバー・ストーン、スパイク・リーなどの監督作品は、 ハリウッドで制作された商業映画でありながら、アメリカ知識人の文脈では「政治映画」というジャンルに分類される。 本書はこれらの優れた政治映画映画を導きの糸として、そこから、欧米の白人社会内を分断するカトリック対プロテスタントの 激しい対立や、リベラル対保守という政治的対立のほんとうの意味を、明らかにしていく。なぜなら、そこにアメリカ社会を理解 するための確信があるからだ。 同時に、欧米の白人社会の間にプロテスタントとカトリックという深い対立と差別の構造があることが本書によってはじめて 明らかにされる。こんなことは欧米の知識人の間では常識なのだが、彼らは絶対にそのことを口にしないから、日本人は これまで誰もはっきりと理解できなかったのだ。 副島隆彦 「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」より抜粋
>>539 >「ラストエンペラー」のジョン・ローンが浅田氏みたいって話になり、
これは思わずちょっと吹き出した
いわれてみれば、ヴェンダースのベルリン天使の詩の天使性と似ていなくもないですね
たしかクオータリー6号(1988.10)ぐらいでベルリン天使の詩を激賞してたんだったかな
>マオカラーというのはYMOから流行したんでしょうね。なぜかあの時代、業界人は皆着てた。
ですよね、YMOあたりですね
漫画『王様の仕立て屋』でマオカラー〜学ランについての回で
「最近は若手アーティストや音楽家が着る例もあり・・・」とかエピ語りがあって、
いや、最近じゃないでしょ、それ、とか思ったのを思い出したな
>このAAカワイイですね。特徴が出てて。
AAじゃないものとしては、i-critiqueやってたときの浅田記事のTOPにあったイラストが
妙に浅田の特徴出てて楽しいものでした
ttp://www.shift.jp.org/world/036/gif/asada.gif
「湾岸署名」については、その前後の時期に、ICFの会議でも話題になっていました。 浅田さんはと言えば、上の方に出ている『噂の真相』で述べられているとおり、 「文学者じゃないから」と一定の距離を置いているようでしたが。 ただ、日経社で何かできないかと、それなりに真剣な議論が交わされたりもしました。 が、どこかで福田和也氏が言っていたように、結局、「文学者」の討論集会は 太田出版主導で行われ、そして、余談ですが、それが第U期批評空間、NAM結成にまで つながるわけです。 討論集会のあと、春秋に柄谷行人さんが書くかもしれないと、社内は騒然となっていたと、 これまた福田和也氏が言っていましたが、それは日経社も同じでした。 結局、「湾岸署名」について、柄谷さんはどこにも書かず、文芸雑誌のインタビューに 答えただけでしたが。
556 :
456 :2009/04/11(土) 09:10:16 0
>>463 なるほど・・・、そんなふうに高橋を考えることもできるのか
『世界音楽の辞典』も面白そうだね
俺はまともに語れるほどの音楽史的理解もなく、譜面も読めない無教養人なので、
ごく素朴に面白いと言うぐらいしかできないので、ログをしずしずと見守ってた
>>462 >midiで、音色や、構造、スピードを操作して聴く
そういうのやったことなかったな 今度やってみよう
たしかに湾岸署名に関する柄谷のテキストってないですよね 風聞、署名運動、その後の回想としては語られるものの 今は文壇内派閥の色濃く出たものだった云々、みたいに伝聞の伝聞として済まされがちだけど リアルタイムでは結構切迫した空気だったのかな・・・ さらに昔には吉本・埴谷間をめぐって反核署名での論争と、 それに付き合わなかった柄谷、という図があったりしたようですが、 後から批評に触れている世代にとっては湾岸署名も反核署名も似たようなものなのかな、ぐらいな気分です
>>539 >ICFは広告収入なしで、コストがバカ高かったですから。
そう、図書館で閲覧して奇異な印象を受けたのはそこかな・・
いわゆる雑誌の当時の世相を反映しているものがクオータリーの広告記事として存在してない
一方で、広告記事とは違うかたちで、マンスリーがめちゃくちゃ世相を反映してるんですがね
M/Qの両輪について、今わかりにくいところがあるとすれば、
世代が離れている人がマンスリーを読むと、本当に"時代資料"に見えちゃうってことですね
でも、あれはリアルタイムで読むと、世相を同時進行でデータベース化していくという人為性が濃い、
単に資料があるというものではないのでしょう
そこの差が見えにくいって印象はあります
>宅八郎さん、最近見かけないけど、だれかの郵便ポストでトラブッたとか
>ストーカー事件のあと、どうしてるのか。
論壇・サブカル雑誌云々の意味では、小林よしのりとの騒動以後は特に知られた存在じゃないですね
2007年に渋谷区長選挙に立候補・落選とか、そういう話ぐらいかな
よく覚えてませんが、彼の出自は「遅れてきた新人類」みたいな感じで、
学生時代はニューアカっぽい人だったとか、そういう指摘をどこかで読んだことがある
当時の文化状況の布置を反映した、時代的な立ち位置の人だったんじゃないかな
おたく論云々の意味では、その後の岡田斗司夫が90年代中盤から目立ち、
オタク云々のイメージ変更とともに宅は次第に消え去っていく、という推移だったはず
>>554 >たしかクオータリー6号(1988.10)ぐらいでベルリン天使の詩を激賞してたんだったかな
大好きでしたね。しばらく言ってた。当時の会議で何度も引き合いに出して褒めてたので
耳タコに。
マオカラーは周りを見て自分も着なくちゃ・・みたいな風潮があって、似合う人はいいけど、
似合わない人と話してるとふき出しそうになった。
いま思い出したけど、ラストエンペラーのころ、会議中うしろにいた学生が
浅田氏にマオカラー着せたイラストの紙まわしてきて笑いこらえるのに苦労した。
ベルリンの「天使の羽根」つけたのも部屋の壁に貼ってありました。
>i-critiqueやってたときの浅田記事のTOPにあったイラストが
妙に浅田の特徴出てて楽しいものでした
これ、まんま宇宙人ですね。カワイイけど。
>>555 >太田出版主導で行われ、そして、余談ですが、それが第U期批評空間、NAM結成にまでつながるわけです。
たしかに80年代末の浅田、柄谷近辺に太田出版とのつながりは感じないですね
なるほど、きっかけは湾岸戦争反対署名だったのか・・・
NTTと浅田のつながりはおそらく、85・87年の東京ヴィデオアートフェスティバルあたりだろう
と推測できるのですが、あとは86年4月Radical TVがやってたRadical Stationっていう
渋谷パルコのCATVで放送した企画かな(採録記録が『文化の近未来形 Radical Station』ペヨトル工房、1986)
そのあとに9月のTVEV BROADCASTが来て、翌年に
活字記録および翻訳論文を横断的にドカンと出す電視進化論が刊行される
ICFはその頃の映像の試みと当初かなりリンクして始まるわけですね
やっと『文化の近未来形』がどういう位置づけの本なのかわかったw
昔古本で100円ぐらいで買ってろくに目を通してなかったけど、こういう時期の本なのか
Radical Stationは地上波放送しなかったみたいだけど、
MTVの急速な登場、そして早くも衰退の兆し、と言われていた当時(本書で原田がそう軽く概説してる)、
CATVって独特な期待があったんでしょうね
たしかニュータウンでCATVと連動するといった潮流も当時あったはずだし
湾岸のときはどこかゲーム感覚で湾岸戦争をTVを観ていたという話が
ICF会議でも出ましたね。それが、重油まみれの水鳥の報道写真がインパクト
があって、戦争は悲惨だとことばで言うより「あの写真のほうが数倍も効果
あった」と浅田氏が言ってた。
後にあの水鳥の写真は捏造だったという報道が出ましたがそうだったんですか?
>>555 さんはICfのメンバーのかたですね?話してくれるとありがたい。
ぽん吉はあまり頭が良くないので助かります。
小林よしのりと言えば、個人的には当時のVIEW POINTS には「子供のことはずっと描いていきたい」と書いてたのに 「ゴーマニズム宣言」以降、すっかり思想家になっちゃって、 子供向けギャグマンガをやめてしまったのは残念。こち亀 の秋本さんと互いのマンガにキャラとして登場させてたころ が嘘のよう。こち亀の「チャーリー小林」はGS世代のパロデ ィーにもなってた。
>湾岸のときはどこかゲーム感覚で湾岸戦争をTVを観ていたという話が それは、87-89年ぐらいの浅田のインゴ・ギュンターへの着目の発想とかぶりますね ギュンターのC3I(Cの3乗)を浅田が見たのは87年のドクメンタ8でしょう 『「歴史の終わり」と世紀末の世界』でもたしか対談してますが 前回のドクメンタ7が82年で、ニューペイティングを強力に押し出す動きが生まれたものだから、その後になる ギュンターのC3IならぬC4Iは池田亮二とのコラボレーションになって最近でもつながっているようですが、 クオータリー2号(1987.10)のView pointにはドクメンタ8を押し出していて、浅田はこう書いている (前略)本当に戦慄的なのは小さな暗室のなかのギュンターの作品だ。 白大理石のテーブルの上に戦略上の重要地点の衛星画像をヴィデオ化したものが投影される。 このふるえる映像をのぞきこむ観客は、スターウォーズの将軍たちのように傲慢で無力な存在となるのだ。 同号のView pointには新たしく出来た老人ホーム「ライフ・イン京都」の模型?に 大友の『童夢』のラスト間際の団地公園の絵を並べていたりしてますね
>こち亀の「チャーリー小林」はGS世代のパロディーにもなってた ああ、なるほど・・・それは気づかなかったな 秋本は1952年生まれだから世代的にはさらに年長になるはずなんですが、 なんかもうシミュラクルとしての世代群像ドラマみたいになってるなあ 明らかに「三丁目の夕日」っぽいところがあったり、彼自身の実体験はないはずの世代ドラマを持ち込むし、 あれ自体、年長から年少までを取り込むテーマパークみたいなものなんでしょうね その意味で結構変な作品ではある >秋本さんと互いのマンガにキャラとして登場させてたころ そりゃカメダスの最初のやつかな 小林は53年生まれで、ニューアカにはピンとこなかった、というタイプの、 距離をとってた人だったんですが、浅羽などをブレーンにしてやっていったのが 90年代中期以後の光景で、おたく論の変遷とほぼ並行したケースに思える
>後にあの水鳥の写真は捏造だったという報道が出ましたがそうだったんですか? たしかそうじゃなかったですか サンゴの落書きに並ぶ、当時のヤラセで有名な件だった気がする 湾岸戦争の頃といえば、現代詩近辺でも騒然としてて、 稲方正人が油鵜の写真には衝撃を受けて持ち歩いてた云々というくだりがあったり、 谷川俊太郎と湾岸をめぐって対談をしたり、ということがあったはず 上に前衛雑誌の話がありますが、小規模の詩雑誌は大抵近い世界になりますね 松本圭二の認識では、思潮社の覇権vs地方ローカルな詩同人 という図が引かれていて、 戦後現代詩は詩同人誌へと分散していく動きが片方にあり、みたいな話を『重力02』でも触れていた
>>565 >上に前衛雑誌の話がありますが、
>小規模の詩雑誌は大抵近い世界になりますね
>松本圭二の認識では、思潮社の覇権vs地方ローカルな詩同人
いやあ、その対立軸はどうかと。田中庸介が2000年に書いたものによると、思潮社の出す詩集の平均実売部数は50部(500部ではない)だそうですから、
その対立軸はいかがなものかと・・・そんな対立しても仕方ないというか・・・
さすがに20年代前衛誌はそれよりはポテンシャルが
あったのではと・・・
369 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 22:38:55 0
>>365 クオータリー4号の浅田巻頭文章は「ポストモダン都市から海=宇宙へ」とあり、
そこでは、ちょうどそのころアメリカ行ってケネディ宇宙センターやディズニーランドを見てきた浅田が
フロンティアとしての宇宙というのはアメリカとは違って日本では強くなく、
まだ日本にとっての宇宙は衛星放送にとってのそれであり、
奇しくもこれは日本のテクノロジーが電視・電脳都市としての展開であることを象徴している、と言い、
また、東京湾開発プロジェクト(丹下・黒川のそれぞれのプロジェクト)や
瀬戸大橋の海がフロンティアのイメージを担っている、と言っている
表紙忘れたなんて言ったけど、4号のテーマはここ読んで思い出しました。
この号ではなかったかもしれないけどカードでも「海の中道公園」とか取り上げた。
>>563 老人ホーム「ライフ・イン京都」、そうありましたね。あの建物はいかにもバブルっぽさが。
558 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2009/04/11(土) 09:24:21 0
>>539 >ICFは広告収入なしで、コストがバカ高かったですから。
>そう、図書館で閲覧して奇異な印象を受けたのはそこかな・・
いわゆる雑誌の当時の世相を反映しているものがクオータリーの広告記事として存在してない
一方で、広告記事とは違うかたちで、マンスリーがめちゃくちゃ世相を反映してるんですがね
だからICFはいわゆる業界紙とは違うんですよね。広告出稿に影響されずにはすむ。
まあ編集と広告は本来は権限独立してなきゃいけないけど。
これは日経に限らず、新聞社の人ってどうもそうなんだけど、メーカー名の重複にこだわる。
ICFでもプロダクツのカード選定に製品本位で選ぶと松下が多くなったとき「松下が多い」って
文句がデスクから出ましたね。
別の新聞社で仕事したとき、そこのデスクが「西武百貨店」と「パルコのテナント」との違いを
何度説明しても理解しなくて、「同じ記事で扱うと報道が偏る」と主張して、降りたことある。
>こち亀の「チャーリー小林」はGS世代のパロデ ィーにもなってた。 チャーリー小林の持ち歌「ごめんね仏滅」「仏様お願い」はテンプターズ の「神様お願い」のパロだし、同じ時期「テンプクターズ」というグループ が登場。てんぷくトリオ+テンプターズですね、本題と関係ないですが(笑)。
年長者排除レスはどうかと思う俺でもちょっとそれは引くぞ
>>566 ああ、そっか
雑どころではない杜撰な対比の仕方でしたね
いいかげんなこと言ってすんません
簡単に20年代と比べるわけには行かないか・・・
ポテンシャルに関してはたしかに
だけど、現代詩文庫や詩集の部数は低いものの、
『現代詩手帖』ってたしか世界で一番売れてる詩雑誌だとか噂を聞いたけど・・
松本の認識では現代詩ジャーナリズムが
『現代詩手帖』にあり、必ずしも詩の動きは反映されていない偏りはあって、みたいな話でした
その頃の松本は、無理して重力が好きそうな話題を振ってただけでは?
うーん、無理してってほどではなかったと思うよ スガの68年論にかんして疑問をぶちあげてて、 かつ、68年云々より湾岸戦争のときの動きの方が気になるなあ、とかそんな所感言ってたんだよ あと、稲方招いての座談って面もあったから、松本が稲方の湾岸戦争時発言にこだわった それに松本は北九州で公務員やってて、東京-版元-詩壇 っていう地域的偏差には敏感で、 そういう意味でも同人と思潮社というのを強く意識してたんだろうと思う もちろん、webとDTPを活用した『重力』の場にあって、という意識もあっただろうが
でもそこで藤井貞和に触れていないのなら不自然すぎるよ
俺は正直詩壇や詩史には強くないので、 藤井がどういう位置なのかよくわからないけど、 藤井の『湾岸戦争論 詩と現代』(1994)にかんして考えることは外せないってことかな? 松本は一瞬「瀬尾・藤井の対立の周辺であのころはいろいろな対立がありえた」と書いてるだけかな あくまで稲方についての所感という節の箇所だから、 この言及度が適切なのか不適切なのかよくわからないけど、 藤井はこの問題においてどういう論旨をやってたんでしょう
しかし >思潮社の出す詩集の平均実売部数は50部 ってすごいね・・・・・ これははじめて知った
>>458 で挙がってる都現代美術館の池田展、カタログでは浅田との対談記事があるらしいね
書誌に加筆しておいた
ノスタル爺が湧いたせいで 池田亮司展の話題もスルーかよw このスレも終わりだぜ
池田こそ、いかにもこのスレのアンチから ノスタル爺といわれそうなんだが。
>>567 >これは日経に限らず、新聞社の人ってどうもそうなんだけど、メーカー名の重複にこだわる。
それはNHKも同じらしいですね
>だからICFはいわゆる業界紙とは違うんですよね。広告出稿に影響されずにはすむ。
なるほどなぁ・・
池田について多言できてないのは、単に都現美行ってないからとか、
言い出したらギュター好み→ダムタイプ→LIFEや当時の『映画史』の読解姿勢云々 まで大変になるからでしょう
そんなに拗ねないで。そこへ戻りましょう。どなたかお話を。
近美のヴィデオアート展とはしごすると良さそうなんだが
つーか88年にICFで大竹を評価しているのと同じレヴェルと同時代に
彰は池田を評価しているわけで、
>>577 の基準がわからん。
訂正 ギュンター好み ちなみに『ur』1号は当時のギュンターの作品「World Processor」(1989)や、 宮島達男「Counter Line」「Flexible Time」、三上晴子がフィーチャーされており、 クラウス・フォン・ブルッフとギュンターの対談なども掲載されている この後が、NTT ICCのプレオープン展「電話網の中の見えないミュージアム」(1991.3.1.)、 InterCommunication創刊(1992-)、『マルチメディア社会と変容する文化』監修(1997)って感じになるのかな
>>579 NHKはメーカー名がNGってこともあるけど。「西武の肩もつわけに
いかない」というのは筋違いで、テナントの店とオーナーのグループ会社を
同一視されてもね。話の内容がまったく別なのに。
>>583 ちょっとアンチ的な発言していい?
ダムタイプのメモランダムとか、日本初演見たんだけど、
正直、
彰がラデイカルTVでいう
「ポップ・ミュージック・シーンの延長上に生まれたこの形式は、
急速に洗練されていった。だが、このままでは、企業のAVスペースやT
V番組のAVコーナーを飾る気のきいた意匠として消費されてしまうの
ではないか」
というのをまず感じたんだよね。センスがないという問題かもしれないけど。
あんま「気のきいた意匠」と変わんないんじゃないか、と。
で、どこらへんがやっぱり見所なのかしら?俺よくわからないんだよね。
やっぱりあの強烈なノイズじゃないの?
ダムタイプはコンセプトが受けた 感性的にピンと来ないのは俺もそうだ
>>586 俺は生ではVoyageしか見てないけど、
古橋亡き後のダムタイプはおっしゃるように、
メモランダム以降、評価が分かれてて、そういう意見もしばしば目にする
S/Nは身体運動の機械的切断(明滅するライトでマレーの高速撮影のように運動が切断される)といい、
浅田的にも筋が通って、評価はわかるんだけど、その後の評判はブレてるかな
あんまりダムタイプをきっちり見てないのでなんとも言えんが・・
俺がすきなのはそういうマシンインターフェイスあたりの界面が出てくるところだけかなあ
動きだけ見ると、ダンスとしては今ひとつな気がするし
ダムタイプももう集団単位では活動してないらしいし、
ダムタイプというよりは高谷や池田個人に焦点が当たってる感じだと思う
そして、池田の作品も結構賛否が厳しいよ
浅田による評ではそういう面は出てないけど
>気のきいた意匠として消費されてしまうのではないか」
意地悪にいうと、坂本の意匠性とダブるかもね・・
>>588 のいうように、コンセプトでは、お、っと来るんだけど、
はたしてあの見せ方が現在でも万全と賞賛できるかっていうとまた別だろうと思う
で、浅田はそういうところをきちっと突っ込まないからなあ
気分としては当時の10番台までぐらいのインターコミュニケーションの雰囲気とすごく重なるものがあり、
俺なんかはインターコミュニケーションをなぜか想起する
単なる俺の癖や無知や分析視角の欠如からかもしれんけど
>>590 福居による抜粋のRHに載ってた筒井宏樹の文章ですか・・・・
会田のイヤミみたいなのはなんかもールサンチマン見え見えなんでどうでもいいや・・
たぶん2ちゃん見てなかったら気にもしなかったような水準の対立だと思う
浅田・岡崎の組み合わせだとか、他方で村上・椹木組があり、対立があるだとか
『シミュレーショニズム』と『モダニズムのハードコア』を対置させたりするとかは、
永瀬恭一もブログで似たようなことを書いてるけど
この件は
>>376 で書いた、認識のズレや空所がもろに出やすい問題だと俺は思ってるので、
筒井も永瀬も何か間違ってるんじゃないか、という漠然とした感覚があるんだよね
そこで、AA Samplerが有効な資料になるのでは、という思惑もある
FRAMEにかんしていうと、これはこれでICFと同様にバブル雑誌として出現し
(たしか発行は椅子などのデザイナーブランドのIdeeだったかな…発売は河出だけど。
ちなみに日本でのジジェク初紹介はこの雑誌だとか(田崎英明))、
忘れられ、また、古書流通も皆無になってるものですね
3号で終わったという、文字通りのカストリ雑誌になってしまった
内容は興味あるけど俺は持ってないな
これも国会図書館にはある
ICFと同時期にあるだけに、FRAMEの中身は対照作業も含めて興味深い問題ではありますが
>10番台までぐらいのインターコミュニケーションの雰囲気とすごく重なるものがあり、 いやこの感覚はよく分かるよ
FRAMEは必読だぜ 誰か全文うぷしてほしいぐらい
>>593 10番台までのインターコミュニケーションをリアルタイムで知らないのに、不思議と印象がダブるんだよ
なんでなのか、誰かにきちっと説明されたらすごくすっきりするんですが、今ひとつなぜかわからないw
単純にデザインが似てるのかなあ・・・・
>>586 が言う意匠の雰囲気って、感覚的にはわかるんだよね
世代的なズレなのか、実際に意匠が浮ついてると言えるのか、コンセプトとデザインの乖離なのか、
一体何なんだろうか、と思う
>>594 そういわれると、是非とも浅田理解と並行的に読みたくなりますねw
>>595 インターネット普及以前の「サイバースペース」イメージと重なる
>>594 >FRAME
これってしばしば上の世代の人たちが言及するん
だけど、古本屋なんかでも全く見かけたことないです。
ウェブを検索しても目次や内容はわからないし。
そもそも本当に存在したのでしょうかw
20代後半の美術史・芸術理論を勉強している者です。
>>596 一言で言えばそういう雰囲気もあるかな
あと、OpだかS/Nだか忘れたけど、スクリーンに映される
着色ポイントを格子状に等間隔で並べた画面があって、あれは
軍事衛星による俯瞰映像みたいなものだったと思うけど、
ああいうサイバースペース〜軍事テクノロジーの視覚化 みたいなデザイン感覚が、
ギュンター〜前期ダムタイプ(と呼ぶとして)とつながっていて、
インターコミュニケーションにあったPCみたいな意匠の造本といい、
なんかみょーーに感触が似てる
>>597 国会図書館での所蔵でお確かめくださいw
前回と同様、NACSIS Webcatで調べてみたが、
千葉大図書館、東京造形大図書館、名古屋市立大学 総合情報センター別館図書館
の3館しかヒットしなかったんで、ICFに比べれば知られている雑誌名だとはいえ入手は至難だし、
まとめて国会図書館ツアーお勧め
できれば、GQ、RONZA、marie claireでの浅田文献をまとめてきてもらいたいがw
あ、悪い 3館しか所蔵してないのはアムステルダムのBIS Publishersが出してたFrameだったわ 国会図書館の蔵書は確認できたけど、NACSIS Webcatだとなぜかヒットすらしない ちょうど『季刊都市』のあとで河出が受け持った順序になる感じだな 河出で調べてたらFrameと同時期に「リルケ通信」(No. 1 (1990. [4] )-no. 10 (1991. 2)) ってのをやってたのが引っかかった こんなのあったんだね
知るかボケ
601 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 16:46:00 0
「853」 「信仰(宗教)と理性(=合理)は一致する(相反しない)思想を作った世界の大宗教の
シンクロナイズ現象の元凶(げんきょう)を見つけた。ついに突きとめた論」 を載せます。
副島隆彦 2007.5.23
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200705.html#2301 古代ギリシアの、アリストテレスの学問体系(これを、「10個のカテゴリー=範疇(はんちゅう)」という)を、
どのように取り扱うかを、今は、私は、懸命にやっている最中だ。やはり、アリストテレスの学(フィロソファ。
philosophy とは、アリストテレスの学問のことだ )に、西洋の3大宗教の思想の原型(アーキタイプ)の
共通の重要な根っこがあることが分かる。
(中略)
古代ギリシアのアリストテレスのファルサファ(これは 井筒俊彦 の本で使われているコトバ =フィロソフィー、
日本では「哲学」とかいう気持ちの悪い訳語に井上哲次郎がした)の 文献を、ギリシア語から、ヘブライ語に、
アラビア語に、ラテン語、さらに各ヨーロッパ語に、置き換えて、その注釈書(コンメンタール)までをたくさん
書いた。そしてそれらを、地中海世界全体に広めて行く、壮大な一千年間に渡る、世界規模での知識人たちの、
知識人であることの中心的な課題を、彼らは担(にな)ったのだ。
602 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 16:49:39 0
「日本人はデモクラシー(Democracy)なるものを、「民主主義」などと言う気持ち悪い言葉に訳して、 それで分ったつもりになっている。何故「デーモス・クラティアDemos-kratia]が「民主」の「主義」などであろうか。 「デーモス」とは、民衆、貧乏人大衆、の事である。クラティアとは、制度・体制・支配(オーダー)の事である。 ゆえに本当は、デモクラシーは「代議制民主政体」(民主制)と訳さなくてはいけない。 すなわち、国民の大多数である貧乏人大衆(ピープル)が自分達の代表を選び、その者達に権力(パウア)を握らせる 政治体制、の事である。 このデモクラシーの定義さえも理解できないのなら、一切のエラソーな事を言うのを、自ら停止せよ。 だから、民主政もまた、冷酷な支配体制(政治体制)の一種なのであって、「無条件にすばらしい」ことなど全くないのだ。 副島隆彦「ハリウッドで政治思想を読む」P85から引用
603 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 16:53:37 0
概念をあまりに単純化させることは、学問(サイエンス)としての思考としては危険なことだ。 そのことは、私も十分、承知している。しかし、それでいい。私たちの、この日本の知識の土俵 では、とても高等学問と呼ばれるに値するものは、実際上、無理だ。 だから、出来るだけ単純化した分かりやすい議論にしてみせることがどうしても必要だ。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P64
604 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 17:33:00 0
>>602 副島って分かったようなことを言って人を批判する割りに、
いい加減な間違いを書いて平気な奴なんだね。
「デーモクラテイア」に「代議制」なんて意味は含まれてないよ。
語源に忠実なら、むしろ直接民主制の方のことだし。
それと、「デーモクラテイア」は確かに貴族支配の否定だけれど、
そこでの主体は「市民」であって、奴隷は含まれていない。
このあたりが、知ったかぶりの予備校教師の限界なんだろうなw
【副島嵐】 哲板で猛威をふるう長文迷惑電波コピペ。 たいした実害こそないものの モニタの大半を物理的に占拠する低脳悪文はひたすら醜く、 ただただ鬱陶しい。 ブラウザで非表示設定にする等の対症療法もあるが、 根本的駆除が望まれる。 結局のところ、怒ったらまけ、相手したら負けと 無視を決め込むしかない寒風将軍。
606 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 18:47:27 0
副島みたいな人もいてもいいと思う。 下手な鉄砲数撃てば当たるタイプの人で、たまには面白いことも書くだろう。
>>573 藤井に触れないと不自然という理由は結局なんだったの?
藤井は名前をちらほら見るぐらいの知見しか俺にはないけど、 つまり、藤井は大物だから松本は無難に言及を避けたのでは、という疑問だったのかな
おれは藤井云々について書き込んだものじゃないし日本現代詩にくわしくないけど、 そのころ藤井は湾岸戦争署名によびかけにもっとも敏感に反応して、論陣はってたんじゃないかな、確か。
鎌田が藤井のようなタイプの政治性に反応できないから日和ったというのが俺の感想 柄谷や浅田も藤井は嘲笑してたような
そうだったのか・・
素朴なおっさんが吠えてるwみたいな感じだった 浅田は藤井のような泥臭い人を嫌うでしょう
ああ、そういうのなのかw そりゃ嘲笑されるだろうな 言語態なんかにも名前出してるし、駒場の言語情報学環では顔役なのかな、ぐらいにしか思ってなかったな
藤井は思いこみでフランス思想に敵意を持ってるからそうなった でも侮れないけどな
源氏物語の研究者なのかしら、ぐらいにしか知らなかったわ
617 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 21:00:28 0
(副島隆彦の学問道場「今日のぼやき」[2000.3.6]より引用) 宮台真司(みやだいしんじ)君や、その他のまだ、ポストモダンを 言っている人たちがいるようですが、残念ながら、 もう世界規模では捨てられた思想です。今の 37歳ぐらいから上の人間が、感染している病気です。 東なんとか君の本など、どうせ何をいいたいのか、なにを、かいているのか、わけがわかりませんから、ご心配なく。 はじめから、この人たちは「読者にわけが分かるようには」書きません。 「 大正デモクラシー」のころの(ロシア・ボルシェビキ革命の世界的、影響です)からの「新カント学派」の影響で、 とにかく訳(わけ)が分からないように書く。読者より自分の方が頭がよいように思わせるように書く。 これが、この手の人たちの本性です。愚劣きわまりない伝統であり、日本知識人の劣勢遺伝子のかたまりです。 室町・鎌倉期の五山(ござん)の僧侶たちも、こうだったのでしょう。 かれらは、仏教の坊主(僧)だったのに、 何と朱子学(南宋学、儒学)の本をよんで、分かった振りをしていた、おもしろい人たちでした。 これと、今のおフランス思想かぶれの残党たちは、よく似ています。 じつは、フランスでも一番頭のいいのは、ドゴール主義者(ゴーリスト)の政治知識人たちです。ゴーリストたちは、 フーコーらのような、人文(じんぶん)主義の衒学(げんがく)趣味ではなく、本気で「どうやったら自分たちは アメリカの支配から脱出できるのか」を国家戦略研究所に集まって、研究しつづけているのです。 日本人のような、東アジアのモンゴリアン・インディアンには、フーコーぐらいが、文化輸出するのに、丁度いい、と、 考えていたのです。フーコー自身が、来日したとき、「ク、ク、ク」とわらいながら、そういうことを、吐いています。 (引用おわり)
618 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 21:01:57 0
今日のぼやき「722」
http://www.snsi-j.jp/boyakif/wd200601.html#1101 副島隆彦の言うことは信じられない、などど逃げ回ることができなくしてやろうと思います。すくなくとも
私たちのまわり(周囲)にまとわりついて、私たちから知識、情報の泥棒をしに来ている薄汚い連中の脳に、
大きな真実のばい菌(ウイルス、virus ヴァイラス)を注入してやろうと思います。発病まで何年かかかる
でしょうが、それでも、私たちが見舞う真実爆弾は、「現実はこのままであり、受け入れるしか仕方がない
ものだ論者」どもの脳を侵蝕してゆくでしょう。ざまあみろ、ということです。
(中略)
過去150年間の、日本の政治知識人たちの、能力の低劣と、思わせぶりの嘘八百理解と、意味不明文をあり
がたがって、それで、「自分は、これでも、日本では政治知識人だ」と思いこめた、土人のまじない師たちの
哀れな姿の問題を、何とか、継承して、表に出して、そして、「少しでも克服する」ではなくて、本当に、
大幅前進させなければならない。これは、私の決意だ。私の人生に遺された重要な、コトバ研究の分野の仕事だ。
(中略)
急いで、弟子たちに、『政治思想の本の真実読み破りと、なめらか訳の技術の伝授』をやってしまいたい。
そうすれば、以後は、私の弟子たちが、すぐれた翻訳をやって、むずかしいがしかし定評のある外国書を
日本人知識層が、嘘つきではなく、知ったかぶりではなく、いいかっこしいではない、西欧の最先端思想
を自分だけ知っている、分かっている風の、だましの思想の嘘輸入がなくなる。これを、なんとしても、
はやく実現しなければ、いけない。
619 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 21:03:22 0
副島隆彦「今日のぼやき」2001.5.21より抜粋) 私の頭の中は、今でもこのように、雑然とした理解で成り立っている。生活実感で理解できないと「理解」と いうのはそもそも成り立たない。私はもの書き言論人としては、素人さん(一般大衆)レベルでの実感での理解、 というのをものすごく重視する。わけの分らないことを書く人や、その文章を毛嫌いする。 このことは、私は、「オッカムの刃」 Occam’s razor と言う考えを自分の思考原理に置いているからだ。 全ての事柄(事象)を徹底的に明晰にしようとする 思考方法であるオッカムの刃 については、そのうち書く。 この日本語という限界言語によってでも、私は、明確なものをぎりぎりまで追究して、死んで行こうと思っている。 (抜粋おわり) これが、14世紀のイギリスのノミナリスト(個物派)神学者ウイリアム・オッカムの、 「オッカムの刃 Occum's Razor オッカムズ・レイザー」と言います。オッカムの剃刀(かみそり)とも言います。 「すべてを、ばっさりと大きく、大きく、簡単にして、ぐさりと、切り裂いてみせる態度、および、言葉の使い方」のことです。 このオッカムの刃、の凄(すご)みが分からないようでは、日本の知識人階級などというものは、東アジアの土人だ。 土人のまじない師階級だ。「お前だってそうだろ」と悪罵を投げつけられるなら、「当たり前だ」と即座に答えます。 (抜粋おわり)
620 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 21:05:26 0
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人は、どうせみんなから捨てられる。 このことは、肝に銘じておいたほうがよい。自分の仲間うちからも捨てられる。 日本の知識 業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の 悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。 この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、そのことが周りに バレたくないばっかりに、やたらと、袖象語と、ドイツ式観念語 (本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。約500語) を使いたがる。 読んでいる方はいやになる。 だから、最後には捨てる。 私は、そういう、本来学者になるべきではないのに、学者になっている人たちの、どうしようもない 下手くそで、難解なだけの論文を、30代のこと付き合いでたくさん読んだから、 このことが、よく分かる。エリート銀行員か、官僚にでもなれば良かったのに。 こんなに自分に向かないことで苦しんで、しかも、こんな下手な誰も説得できないような文章を、 苦しみながら書いてると、あとあと大変だろうな。どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。 50歳ぐらいで自分に絶望するのではないか、と、ひそかに、同情した学者の卵たちを私は たくさん見かけた。 当たり前のことを、はっきりと書くことができない。 やたらとこねくり回して、それが 「するどい批評になっていなければいけない」と、勝手に思い込む。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P35〜36
621 :
考える名無しさん :2009/04/11(土) 21:06:27 0
音楽やら芸術の教養を積んだ日本人ならたくさんいる。相当な経験と知識量の人々がいる。ところが政治 思想が分からない。そもそも世界基準での政治思想の初歩さえ全く分かっていない人間の群れが、私たち 日本人なのである。世界基準での音楽の素質や各種の芸術に対する教養人が日本にはたくさんいる。 だから決して無教養ではない。ところが政治思想(ポリティカル・ソート)というのが全く理解できて いないのが知識人、学者を含めて日本ののエリート階層である。だから、「深い教養がみについていれば 欧米人と対等に付き合える」という言い方だけは日本でも言われてきたが、ちっともうまくいってない。 「日本人は世界基準での政治思想なるものが系統だって分かってないから、アジア諸国の知識人たちほど にも欧米人から対等に相手に扱われないのだ」とはっきり気づき、公言する日本人は私以外には、まだ いないはずである。 少なくとも、十八、十九世紀のイギリスの大思想家であるジョン・ロック主義(ロッキアン)と、 エドマンド・バーク主義(バーキアン)と、ジェレミー・ベンサム主義(ベンサマイト)の、 この三派の大思想の大柄の対立ぐらい、しっかりと分かってないと、向こうの高校生並みにさえ 扱ってもらえないのである。日本の文科系の知識人の思考にはとにかく「論理に系統性」がないのである。 副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」
副島厨がいるとホッとするよw
福島厨は良質のインターミッション
副島は田原総一郎レベルの人みたいだね。
625 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 00:26:20 0
ユリイカの坂本龍一特集号の全員を集めても、浅田彰の小文には及ばない。 てか、浅田さん書いてw 単に読みたいのw
第3部 救済 過去に起こったことはすべて未来のための教訓として生かされなければなりません。 とくに、20世紀の戦争と革命の歴史は、夥しい犠牲者を出してきたし、今も出し続けている。 芸術はそれを贖うことはできません。 ただ、ベンヤミンの言う歴史の天使のように過去の廃墟を振り返り、失われた希望のすべてを哀惜を込めて記念する−記録し祈念するのです。 「もうひとつの声を、さらに、さらにもうひとつの声を」というジャック・デリダの声。 あるいは、届かなかった無数の手紙を未来に向けてリレーしようとするのだといってもいいでしょう。 このオペラは、そのような複数の声、仮定法過去の共存そのものを、音楽や映像と併せ、共生による救済のヴィジョンのアレゴリー(寓意)として提示しようとします。 それは、この作品の結論ならざる結論、開かれた結びなのです。
大げさ。自分が関わったからって無理して誉めることないよ。 我慢しないで正直に言っちゃっていい。
LIFEのパンフか何かのコンセプトか
浅田は「本当は」坂本を評価してないとか、決定不能 単純に坂本を褒める浅田馬鹿でいい 浅田の偉大さを前提にするから話がややこしくなる
今、浅田さんが連載しているものって何があるんだろう。憂国放談以外で。 ちょっと前は文学界に定期だったか隔号ぐらいで、クラシック音楽のCDレビューか何かを していたのは覚えてるんですが。
浅田はバディウをどう評価しているの? フランス思想に関わった彼にはその後のポモの展開に責任があるのでは? バディウ、それは一個の空集合である。
1970年のこと、まだ中学生だった私は、ニューヨーク・フィルハーモニックを率いていたレナード・バーンスタインの演奏するマーラーの第9交響曲に打ちのめされた。 もちろん、ブーレーズによる論理的切断の後の地平に出ていた私にとって、そのような同一化のドラマは反動的なものでしかありえなかった。 にもかかわらず、私はバーンスタインの全身から発するエネルギーに打ちのめされ、それによって燃え上がる音のドラマに引きずり込まれていたのだ。 GQ1993.11
浅田 バディウが20世紀を振り返る「世紀」で50-60年代をサルトルのラディカルな人間主義とフーコーのラディカルな反人間主義の対決で総括した上で、その後に出てきたものを人間の生物的生存を至上命題とする「動物的人間主義」として総括している、これはおおよそ正しい。 彼がそれに対して持ち出す「形式化された非人間主義」がどれほど有効かはわかりかねますが。
634 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 03:44:12 0
浅田さんの式辞カッケー
>>636 ないんだ。
>>635 それ新版がでてるね。ざっと新版みた感じは、記述が新しくなってるところと
アジアについてどうでもいい教科書的な記述も増えてるという印象を持ったりした。
うん、その新版のほうの原著が無料閲覧できるってことね 旧版は30年近く前のものだ
>>638 ,
>>635 上のやつは、旧版の方みたい。
urlの前書きにも旧版ですよとあり。
あのサイトで旧版がでていたのは知っていたけど、
今新版になってるのかと思って確認してみた。
新版が出ているけど旧版の評価もまだ高いみたい、
旧版にしかない項目や旧版の執筆者などがあるせいか。
なるほど、だからブログのほうでは URLの前に出てる紹介が旧版の方の邦訳『西洋思想大事典』平凡社、となっていたのか
というか新版はあまり興味ないな 構造主義以前の知見勢揃いってところが重要な事典だもの
>>641 「構造主義」っていう音声と文字は知ってても、中身は理解できない人間もいますよね。
私には、構造、ストラクチャーの意味さえ理解してない人が多くて驚いた経験がある。
あっそ
644 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 18:16:03 0
ダムタイプのはなしがでてたが、、 昔テレビで、モダンダンスのパフォーマンスを、 いろいろな方向のカメラからとった映像が紹介されててさ、 つまり、見る人が、画面を切り替えられるっていう、昔でいう マルチメディア作品なんだけど。 そこで浅田が、なんかテクノロジーが、パースペクティブが とか、すげーどうでもいい見識を披露してたら、対談している 評論家が、「そういうものともいえますけど、まあね、(これは別に たいしたものでもないけど)」みたいな流れだった。俺も、 なんか浅田が薄っぺらいなと同調して、それ以降、長いことスルーしてた。 見る位置で見え方が変わるなんて、せいぜい実験工房までのアイデアだし。 それから80年代が、このスレのように語られるようになり、 youtubeの夜の高速かなんかで語っている当時の浅田をみると、 やっぱり80年代ダメ議論は単なる世代論ではないと思った。 例えば日本のポモ建築が、評価されながらバブル様式っていう レッテルからいまだに逃れられないように。
ちょっと前のテクノロジーでもすぐ古くなって幼稚に見えますからね。 振り返るとかっこ悪くなるので、今は大したことないけどみたいなスタンスで 50年後を夢想するヴィジョナリーとして語った方がいいというのはあると思います。
646 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 18:50:44 0
いや、古くさくじゃななくて、その当時、 テレビみながら、そう思ったから。 今からするとダメだよねと主張しているわけではない。
偏見の再確認かよ
いや、ダメと感じたのが当時か今かとか関係無しに、 テクノロジーを語ればどうせすぐ廃れる博物館行きの話になってしまうというのあると思いますね。
649 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 19:58:18 0
ダムタイプの「S/N」は傑作だと思うけどな。 マルチメディアとか映像表現がどうこう抜きに。 ああいう、切羽詰まった表現をやってのけた作品を 傑作と言わないのは嘘だと思う。感情価が高いよ。 ご本人たちにすら二度と作れないようなそれなんだろうと、 ICCで映像を見て思った。
くどいよ、君
>>649 へー、今度機会があったら見てみるわ。
メモランダムで偏見付いていた。
日本初上演は、上演終了後、彰の対話つき。
会場は満員だし、例によって無難にまとめていたけど、
刺激的な質問も出ず、正直80年代もあたりさわりないところへ落ち着いていったな〜
と言う印象だった。まあ求めすぎなんだけどね。
652 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 20:19:23 0
>>650 あの作品を見て、記号的に整理する以上には、
何も感じ取れない人たちばかりだというのは悲しい。
言葉じゃないよ。こういうのは。
653 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 20:30:20 O
ヘドロだね
654 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 20:33:15 0
スマートに整理するところで落ちちゃう部分を さらっと軽んじる姿勢には、不満があるけどな。 別に浅田彰に限ったことではないが。 浅田彰に反駁するのは実は簡単。現場を取材すればいいだけです。
それじゃあ反駁にならん 浅田が重視している部分で彼を負かさないと
>>655 いや、そりゃ無理ですよ。さすがに。。。
それほどまでに賢ければ、とっくのとんまに
浅田彰になってます(笑)。そこまで無謀ではないよ。
さぶっ
658 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 21:03:34 0
むりやり語ると… 20世紀文化の臨界では、キーファーを、 アメリカで受けたよね、から腐していたのが、微妙だった。 本のなかでも内容のない部分。 日本では素材重視の、「禁欲的」とよばれるものと、 横尾みたいなイメージ偏重がすっぱり分かれているのだけど、 それをキーファーはやりすごしている。 マティエールも物語も表現で統一されてるのに。 なぜ現場の画家や、学生が夢中になったかとりあえずまじめに 考えないと。
659 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 21:08:16 O
富永肝心なもの受け入れてないだろ
660 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 21:25:33 0
22時からNHK教育で鶴見俊輔のやるから見なさい
そう、です、ね
662 :
考える名無しさん :2009/04/12(日) 23:05:05 0
このスレは珍しく密度が濃いな ところで浅田が「日本にはまず近代が必要」って最初に言い始めたのっていつか分かる人いる? 浅田の転向みたいな感じでいろんな人が言及してるけど元の文章を一度も見たことがないんだけど
「歴史の終わりと世紀末の世界」の柄谷対談あたりじゃない? やっぱり1990年代前後 じゃないかなあ。 見えやすくなったのは。 近代批判と同時に近代を、という二重の批判というのは、1980年代前半の柄谷が「批評とポストモダン」以来ずっと言ってたことだけど。
1990年代前後 →1990年前後
昭和天皇崩御の時の日本は土人の国発言 右翼が浅田の家に押しかける騒ぎになった
666 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 00:26:11 0
>>663 レスありがとう。
柄谷が言い出したのが「批評とポストモダン」だというのははっきりしてるんだけど、
浅田がそれに同調しだした時期が知りたいんだよね。
その対談はいまパラパラ読み返してみたけど、浅田はあまりそういうことを言っていないみたい。
たとえば田中康夫が「新・憂国呆談」で「浅田さんはポストモダンを日本で切り開いた時代の寵児だったわけですけども、
その彼がポストモダンが終焉を告げ始める前後に鋭く、日本はもう一度、モダンを構築しなければ駄目なのではないかと言っていたんです。」
と言っているけれどこれはいったいどの文章なり対談を指しているのか?
>>666 『近代日本の批評』っていう座談会じゃなかったかなぁ?
1987年『現代思想』の臨時増刊 「日本のポストモダン」に掲載された 「子供の資本主義と日本のポストモダニズム」 あたりじゃないかなぁ。
やっぱり
>>665 じゃない?
柄谷が共和制をwとか、昭和天皇死去喪の自粛のときに、ありえなね〜放言してたとき。
で、鎌田が「時代の感性を信じる」といった舌の先も乾かぬうちで「土人の国」かよ!と批判してたから。
みんなそういう印象じゃないかなあ。
で、筒井康隆の断筆宣言とかもまず近代的批判が必要だから、筒井批判はまず必要、とかという話になっていた。
吉本隆明が当時めちゃくちゃ怒っていた文がある。スターリン主義だ!って。
吉本の「状況への発言3」は全編柄谷・浅田批判に満ちていて面白いよ。 吉本・花田論争とか鎌田の批判レトリックとか目じゃないからw 吉本一派よりやっぱり吉本が面白い。
おお、みなさんぞくぞくとありがとう。
全部手元にあるから、見直してみたけど、やっぱり
>>665 になるのかもね。
「どうもしかし、こうして話していると、一方に天皇制があるがゆえに、
他方でこちらが、初期の江藤淳がそうであったように、近代的構築主義になってしまうんですね。
ただ、それはやらざるをえないことで、愚直に反復すべきだと思うんです」
というコメントがある。
>>667 は柄谷の「批評とポストモダン」を肯定的に概説してるけど、浅田自身の見解はあまり出ていない。
>>668 は日本の「小児的資本主義」を戯画的に描いているけど、かといって「大人の資本主義(近代的主体)の方がいい」とは言ってない。
>>668 追加
1987年4月12、13日にボストンで
「ポストモダンの諸問題」というワークショップが開催された
日本からは柄谷行人、浅田彰が参加した。
私の記憶では柄谷・浅田コンビがそろった最初期のシンポジウムだったと思う。
上記『現代思想』の臨時増刊号はその記録。
しつよいようだけど、ちなみに福田和也はこう言ってる。 「彼は湾岸戦争頃から使い分けをするようになった。 倫理としては完全にモダンでいく。人種平等、平和ばんざい。 このモダニズムは日本においては全然貫徹されていないから、どんどんやるべきだ。 ポリティカル・コレクトネスもどんどんやる。しかし芸術においてモダニズムを掲げるのはナンセンス。 『クルド人を救え』は正しい。が、『クルド人を救え』を作品にするのはおぞましい。 この使い分けを徹底すべきだというのが彼の現在の立場です。」(「愛と幻想の日本主義」) これはある時期からの浅田の態度としてよく言われるけど、ちゃんとウラをとろうとするとなかなか見つからない。 あくまで湾岸以降の浅田の活動(薬害エイズ問題へのコミットや芸術批評など)からの印象論なのかな?
いや、坂本や田中との対談ではっきりいってる 具体的には大江光 手元では批評空間二期21号
よく覚えてないけど、モダンがまず必要って意見は、85年の ・ "Le Phenomene A.A.", (propos recueillis par Pierre-Maurice Aubry), Magazine Litteraire , no.216-217, mars 1985, pp.40-41. ※こちらで転載原文を読むことができる。 ・ 「マンダラを破れ:パリで語った日本」(講演記録)、『朝日ジャーナル』1985年4月12日号 上の記事の日本版 ですでになかったっけな 福井和美が短い論文で日本における権力装置のことを語った際、 浅田に軽く言及して、そんなに単純なアナロジーになるものかな、と疑義を呈してた記憶がある
>>673 その福田の認識自体、ある程度印象に根ざしている気がするな
「使い分けをしよう」という主張をある時期まで鮮明に浅田は言わなかった
だからといって、政治・権力問題はポストモダンでいきましょう、という主張をしていたわけでもない
「使い分けをしましょう」口調はたしかにある時期から明確になる
しかし、それ以前が一枚岩だったというわけでもないというか・・・
単に、直に政治問題に言及するケースそのものがなかったというか
あと、デリダ派的テクスト内戯れではなくサイード的政治性を、という主張は
GSでの柄谷との対談ですでに明確だ
「千のアジア」特集は『オリエンタリズム』の序章訳なんかも乗っけてるしね
柄谷および柄谷派が湾岸戦争前後である変質を経たというのは十分にあるとは思うが
>>649 まあ、運動とマシンインターフェイスにこだわったのは俺の関心がそこにあるってだけで、
S/Nの面白さは普通、古橋の告白とか、いろんな人の語りとかだよね
古橋がドラァグクイーンへと化粧をしつつ、エイズの話をしたりああいうの
それと同時に、パスポートと媒介性が出てくるシーンなんかも会った気がするが
S/Nが一番面白いというのは俺も同じだよ
池田りょうじよりもブンブンサテライトのほうがいいけど つか自分でアンプ作っている奴なら、池田みたいな音は作れる 俺なんかアナログ回路設計でよくそういう音遊びしてたもん。 まあ、音楽は終わった。
政治的な言及がある程度出たのってこれらのときだよね 天皇崩御(1989.1) 湾岸戦争(イラクによるクウェート侵攻 1990.8) 筒井の断筆(1993) 薬害エイズ訴訟(95-96:とりあえず菅直人厚生大臣(当時)謝罪まで) ICFのマンスリー89年1月号はほぼ巻頭で浅田が天皇の三タイプ分析をおこない、 ジョン・ダワーの整理に言及しつつ・・・というものだったと思う なるほど、カタストロフと恐慌の先送りの宙吊りとしての冷戦、というのは浅田はよく言ってたけど、 別に冷戦終結とともに反省的に言ったのではなく、まっただ中のころから言ってるんだよね 『愛と幻想のファシズム』刊行後の村上と朝日ジャーナルで対談してるけど、その話題が中心で、 まあ、言ってることは動画「事故の博物館」のポストマシンエイジにおける システム暴走としての恐慌、とかそういう話 これはのちに、岩井・柄谷との鼎談での、ブレイクダウンとしての恐慌論につながるし、 その意味じゃ別になんも変わってないという人なんだよな・・ 退屈なまでに同じようなことを言ってる気がする
681 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 02:49:47 0
この国は、学者と称する、土人のまじない師どもの国だ。その土人(原住民)のまじない師どもが支配している 愚か極まりない国だ。この土人のまじない師たちの体制を、かならす、事実 facts ファクツ の力で打ち倒してみせる」 と。私は、今でもあのときの苦汁を思い出す。何十年かかっても、私は、全てを明らかにし続けるぞ、と。私は、 あのとき自分の書いたものを、一行も訂正することなく、かならず、再び、この国民の前に、示してみせる。 私の深い決意に付き合ってくれる人などいなくてもよい。私は、鬼になってもやりとげる。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P74
682 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 02:50:49 0
私は、日本知識人として、己を失うまい、と心に決めている。己の立っているこの貧困なる知識の土俵が、 どんなに、東アジアの一種族としての劣悪なるものであるとしても、それは構わない、と腹を据えてきた。 しかし、嘘はつくまい、と念じきた。 この土俵と劣等な知識環境の中にあっても、知ったかぶりの高踏知識遊戯―即ち、やたらと気まじめぶった 学者の論文のこと。この知識環境で友人たちさえ読んでくれないような難解な文章を書くこと―はすまい、 決めてきた。日本の文科系の大学講師たちのほとんどは、アホである。 彼らの知識は外国に持ち出して、全く通用しない。言語の壁を横に置いたとしても。この書き方を、私は これからもやめない。どんなに嫌われようが、煙たがられようが、やめない。 副島隆彦「日本の秘密」P43
微分方程式ひとつ解けず、連立方程式も満足に解けず、 何かを作るスキルもないのに、 やたらと賢ぶっている人たちがいるのに驚かされることがある。 そういう種類の口から出るのは、「構造主義」「言語ゲーム」「地図製作」。 どうやら大層な博学らしい。 ある日私は彼に「構造とは何か」と聞いてみた。 すかさず彼は「それは群論から来ている」と教えてくれた。 私はそれを聞いて不可思議だった。 何となれば、彼は微分積分さえも満足に知らないのだから。
その彼とまた別の日に会話する機会があった。 彼はウィトゲンシュタインなる哲学者の本を読んでいた。 ウィトゲンシュタインなら私も名前だけは聞いたことがあった。 彼は私に向かって、「言語ゲーム」の話をしてくれた。 いつものように無学な私にはそれはよくわからなかった。 彼によるとそれは「ゲーデルの不完全性定理」と関係があるらしかった。 気になって私は彼にその定理について教えてくれ、と頼んだ。 「要するに世界は矛盾してるってことだ」とだけ彼はいって身支度を整えると部屋を出ていった。
彼が日本人の著作を読むことは珍しい。 だから私は何を読んでいるのか、と読書中の彼に質問をした。 「柄谷行人だよ」と彼はいった。 「どんなことをいっている人なの?」 そういうと彼はその本を私に渡した。 ページには次のようなことが書かれていた。 「経済学者は貨幣の本質を知らず、言語学者は言語の本質を知らず、 数学者は数の本質を知らない」と。 私は吃驚した。 「この人、何をやっている人なの? 隠居した数学者とか?」 すると彼はやれやれ、といった面持ちでいった。 「いや、批評家だよ」
686 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 03:22:15 0
つづく
いい天気だぞ。早く起きて続ければ?w
688 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 10:33:41 0
やれやれw うまいじゃん。 「やれやれ」と僕は言った。留保という言葉はだんだん僕の口ぐせになりつつある。「人生、五十を過ぎて、しかも僕はどこにも辿りついていない」 唯野教授のガラ哲(日本版)が読みたい。
689 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 10:36:07 0
批評家は批評の本質を知らないっておち?
で、これが浅田と何か関係するの?
48 :名無しさん: 「XはYができない。なのにZを語るのかい?」という(しばしば卑屈な笑みを浮かべながら表明される)表現の構造とは? 発話者PはZ分野に対して引け目・コンプレクスを持っている。それをひしひしと感じているが、公式に(謙虚さを装って余裕を仄めかすことさえできぬほど)認める余裕もない程に。 客観的な事実としてPはYが(辛うじて)できるが、Yができることが王道として要求される分野Qでは、うだつがあがらない。 (一流の(ここでは数学)者がこのような発言はまずしない) Pは聞いた側には発話者の器の大きさ・卑屈さをしか示さない行為によって、何を得るのか。 PがZが分からないコンプレクスの解消・正当化と、 YができるだけでQができるような幻想的気分に、発話が余韻が冷めるまで、しばし浸ることができる。 (その動機があるということはPはQの分野で自分は冴えないという自覚がある) この発話行為はよってなんらの生産性をもたない。 よってなんら生産性のない発話をネタでなくできるPは本質的に生産性を持たないことが示されている。 (例外として厳格な教育者の学生への要求的なものが考えられるが、その場合Pが自分自身に対してどの程度厳格さで律しているかが目安) 「〜方程式ができないのに構造主義を?w」→能力の限界が「〜方程式が解ける」付近にある。 「埼玉に住んでいるのに都会文化を語る?w」→住所は辛うじて東京だが東京で相手にされない、「都民」以外にアイデンティティが無い。 ここでXは欠点を探して貶めることがPのコンプ解消になる程度には優れた水準にあることがPにとって看做され望まれ選択されている。 集団的に「イチローはパワー無いのにメジャーw」という日本人の西欧コンプと卑屈さをプチ解消する発話など。
「〜〜の読者層はこうである」式の話はどうでもいいから
>>691 に対して「こうである」と中身を替えて返せるし、不毛な泥沼になる
読者層や受容層の話なんてどうでもいいんだよ
ついでに懐古厨の話もどうでもいい
>>691 ご苦労さま。
ただその推論は当たってないよ。
俺は、別に数学に引け目を感じていないよ。
また、微分方程式が解けない理系なんていないだろう。
インチキポモの梯子を外しただけ。
ちなみにポモ以外の文系の学問は別に何と思ってません。
あ、理系と言うか、工学系でしょう。何やってるの?
回顧厨・・すごい言葉だな あらゆる思想史記述を一緒くたにできる魔法の言葉のようだ 浅田の場合、雑誌史、都市風俗がかかわるから面倒になるとはいえ
浅田の場合、20年代からのマスメディアの形態=雑誌をインターネットメディア につなごうとして、時代的制約があったということだとおもう。そりゃあるでしょう。 で、だけど東のように開き直るのもナニだし、今から見てどこに可能性があるか、 ということだと思うけど。
>>698 『文化の近未来形』だけど、86年4月の時点で媒体に関しては自覚的な発言があってね
リソースのサンプリングという視点があるがゆえに
現在起きているのは未来派とは異なっており…云々と言ってる
これが事故の博物館でのNHK映像アーカイブ使用の背景にある
あと、フェアライトのCMI(Computer Music Instrument)とCVI(Computer Video Instrument)の類比を語っていて、
CVIもCMIぐらいの操作力をもてればいい、という話をしている
ミュージック・コンクレートやチャンス・オペレーション、ブーレーズらの音楽史的展開を横目で見ながら
浅田なりに映像を並行的にとらえていた節があるんだよね
また、同じ箇所で、日本の場合TVやヴィデオは、一億向けの全国的ネットワークと
100人向けのギャラリーのようなネットワークに両極端に分かれてしまっている、
その中間ぐらいで、普通のオープンサーキットでもなく完全に閉じたギャラリーでもない試みが必要(p.11)、
小回りのきくネットワークやメディア・シアターみたいなものがほしい(p.15)と発言している
そこで放送権や著作権、パブリック・ドメインについても
この時期武邑も関心をもっていたらしくウマが合ったやりとりになってるな
問題は、インターネットというかたちで実現した現在において、どう再考できるかってことになるだろうな
「浅田の知見は早い」とかばかり言ってもしょうがないし
計算物理スレじゃ不満なの?
計算物理スレ行って、「ぎゃはは、しょせん理系ドカタ。うまいこと言われても、 しょせんひたすら使われるだけなんだから、自覚しろよwww」 とか 理論物理スレいって 「目覚しい発見ももはやありえないのに、なにが理論www予算獲得だけは一生懸命だなwww」 とか、 そーいう荒らし(予想)をやっているのは、ここの住人じゃないぞw
なんで浅田スレに嫌がらせしてくるのかマジでわかんないな 科学用語の濫用はやめましょう云々は、いちいち言われなくても誰だって考えてることだし、 ましてやソーカル厨が散々暴れまわった哲学板では耳タコすぎる
704 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 18:18:56 0
[569] 以下の一連の投稿文に、私の考えを書きます。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2007/05/31(Thu) 05:30:06 私たちは、「研究者」などで食べて、生きているのではありません。そういう気取りが、今後、 どれぐらい、学問道場を、重苦しくするか、と思いまして、こういう、日本国での学問の やりかたの基本の点は、決して、大きく間違わないように、私が、徹底的に今のうちから、 目を光らせようとおもいます。 大事なことは、日々、読書して、そして、それが楽しくて、発見があって、「ああ、そうだったのか」 「なるほどなあ」と、驚く喜びに満ちていることです。それ以外の学問は邪道だ。自分たちだけ 偉いお坊様だと気取って、哀れなことに信じ込んだ、天台密教のクソ坊主たち、新カント学を 名乗って、アホダラ経の、自分たちにも意味不明のことを書き続けた、東大のクソ学者たちの やったことだ。 私たちは、あの悲惨な轍(てつ)は、絶対に踏まない。
705 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 18:19:37 0
学位(ドクトレイト)は、本来、学者個人が一子相伝で伝えてゆくものです。 大学や教育相が出すものではありません。 フランツ・フォン・シーボルトは、長崎の鳴滝塾で、高野長英や小関英三に彼らが オランダ語(どうもドイツ語らしい)で書いて報告した論文に対して、「ドクトル」 の学位を授けています。 学位とは、周囲の高い評価を得た優れた学者が、個人の名前が出すものです。 福沢諭吉先生の真似を私はそのうちするぞ。日本の土人学者や、「日本的エスタブリッシュメント」 なんか、原住民のまじない師集団(欧米では誰からも相手にされない)に過ぎないから、 私は、呆れ返っているから相手にしない。だが、アキラ君は、このあとも日本のアカデミズム (まじない師集団)の中で生きゆくだろうから、私の知ったことではない。 副島隆彦「属国日本論を超えて」
706 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 18:20:47 0
日本では、学問(サイエンス)というのは、欧米世界で評判を取った一流学者たちの仕事を、国内に紹介するというか、 泥棒というか、勝手に代理店を開くというか、華々しく輸入するというか、そういうことに過ぎない。これは今でもそうだ。 (中略) アメリカでは「この本を私は、翻訳して出版しました」というのは、絶対に学問業績にならないのだそうだ。履歴書の作品 欄に、書いてはないらない。「絶対に書くな」と何人かのアメリカ人の友人に、私は忠告された。「いや、そう言っても、 この本を訳すのは大変だったのだ。日本では、翻訳するだけでも大変な業績になる。翻訳書が1冊あるだけで、学者だ。と 威張ってるのがたくさんいる」と私が、反論しても、絶対に聞き入れてくれない「恥ずかしいことだから、 止めろ」としつこく言われた。翻訳は研究業績にはならないのだ。「それはインフォマート(現地人の情報提供者)の仕事で あって、学者の仕事とは、認められないのだ」と、強く言われた。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P36〜40
>>704 吉本隆明読むのすすめるよ。吉本が基本そういう視点から浅田を批判しているよ。
罵倒ももっと強度があってすばらしい。
708 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 18:23:07 0
副島って「原住民のまじない師集団」にもなれなくて、 その集団の教えを受けるために大学受験する奴らのための 予備校教師やって食いつないたんでしょ?
副島コピペの相手するなよww それとも慈円か?
____ / \ /\ キリッ . / (ー) (ー)\ / ⌒(__人__)⌒ \ | |r┬-| | それとも慈円か? \ `ー'´ / ノ \ /´ ヽ | l \ ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、. ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒)) ____ /_ノ ヽ、_\ ミ ミ ミ o゚((●)) ((●))゚o ミ ミ ミ /⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\ /⌒)⌒)⌒) | / / / |r┬-| | (⌒)/ / / // だっておwwwwwwwwwwwwwwwwwww | :::::::::::(⌒) | | | / ゝ :::::::::::/ | ノ | | | \ / ) / ヽ / `ー'´ ヽ / / バ | | l||l 从人 l||l l||l 从人 l||l バ ン ヽ -一''''''"~~``'ー--、 -一'''''''ー-、 ン ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒))
見たけどぜんぜんおもんない
ライヒのような試みに興味をもてない人には面白くないかもね
> 『クルド人を救え』は正しい。が、『クルド人を救え』を作品にするのはおぞましい。 ライヒといえば、彼のtrainsとかはどう見ているんだろう
ライヒはTriple Quartet以来、CDは聴いてないな 最近なんかあったの?<trains
金相場当てられるやつに本当に知性がある 少なくとも副島はおお外れはしてない
717 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 20:41:10 0
ライヒってオルゴン・ボックスだろ。あんなの怪しくないのかなぁ?
>>715 トレインズってホロコーストを扱ったものでしょ
「クルド人を救え」の作品化みたいなものじゃない
ディファレント・トレインズのことを言ってたんだね これは聴いてなかったので、すっかり忘れて新作かと思ってた The Caveのときに浅田はカタログ監修、ライヒインタヴューまでやってるから、 あのへんに浅田の見解は載ってそうだが まあ「別にいいんじゃない?」ぐらいのてきとーな感じになってそうな気がする 音楽でドキュメンタリーに近いやり方ってあまりピンとこないから、 ホロコーストだの線路だの言われてもうまくイメージわかないな ディファレント・トレインズってトリプル・クァルテットみたいな重層的反復演奏とはまた違うの? 解説を見る限り、似たような感じに見えるけど
あ、思い出した ハイナー・ゲッベルスとアイスラーを好む浅田のことだから、 政治性やそういう込み入った試みは割と好意的なんじゃない? 彼、留保つきでならクリス・マルケルもよく見てるような人でしょう
演奏自体はそう それでナレーションと映像がバックに入る 俺もこの前教育テレビでやってたのを見てこれがホロコーストを扱ってたものだと初めて知った
あれか。つまんなかったなー。 ライヒは18人〜に尽きるぜ
>>721 なるほどね、映像とセットの作品だったのか
うまく見せれば面白くなりそうだけど・・・・
どうなんだろw
>>722 俺はMusic for 18 MusiciansよりはTriple Quartetが好みかなあ
724 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 21:39:04 0
最近の、この十年間の吉本、とりわけ最近の五年間の吉本からは離れてしまった。もういい加減、書くのは やめてくれ。「あなたの書くものは、もはや読むにたえないよ」と感じていた。この八月初めに吉本が西伊豆 の海で、海水浴の最中に溺れて、死にかけたという事件があった。あのときにも、私は驚かなかった。 自殺ではないのか、と疑念が起こったぐらいのものだ。編集者のO氏に連れられて病院まで見舞いに行ったが、 面会謝絶で会えなかった。もういいよ、もう吉本の本は読まなくていい、という気持ちだ。同じく丸山の本に してもそうだ。もう読む必要はない。知識と情報としてももはや、何の足しにもならない。それよりは、 アメリカとイギリスの政治評論雑誌に載る向うの一流どころの知識人の英字評論文をコツコツ読む方が、ずっと 為になる。日本の知識人や学者の書く文章など、読む必要などない。 副島隆彦「日本の秘密」P118~119
725 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 21:40:35 0
「517」 前回の続き。ようやく私のPCのウィルスが駆除できました。大晦日に紅白歌合戦と格闘技番組をみながら、 「人類はどこに向かいつつあるのか」ということについて考えていました。 2004.1.07 副島隆彦です。 今日は、2004年1月8日です。 以下の文章は全て、一昨日の6日に私が話した内容をテープに採ったものを、アルル君が素早く文章に起こして(これを、 トランスクライブ transcribe と英語では言います。)、ここのぼやきに載せてくれたものを、ようやく2日間に渡って、 時間を見つけながら少しづつ私が手を入れて何とか、自分の気に入るように加筆して、修正したものです。最小限度の手直し しかしていません。 (中略) これまでは、ただみんなの前で上手に歌を歌うだけの歌手、ミュージシャンという存在が、国民のアイドルであり、 国民的な憧(あこが)れやうらやましさの対象であったのだが、これがどうもウソ臭いということが少しずつ明らかに なってきた。作られた共同幻想(きょうどうげんそう)なのである。全ての共同幻想を解体することが、私たち人類が 向かうべき道なのである。 この「共同幻想(政治や宗教を含めて)を解体することが、人類の向かうべき方向である」という課題については別の 機会に論じる。今も存命である優れた日本の思想家・吉本隆明(よしもとりゅうめい)が打ち立てた。 この「共同幻想の解体」という重要な課題については、後日、正面から論じたい。
726 :
考える名無しさん :2009/04/13(月) 21:41:45 0
[850] 自画像を描くチェンマイの象の映像です。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2008/04/20(Sun) 06:18:47 副島隆彦から 私も、このチェンマイの象が描く絵に感動しました。 仕付けたらこれぐらいは出来る、ということなのか、それとも、高等動物はこれぐらいの正確な外界認識をもともと しているものなのか、と自問します。動物行動学(本当は、社会生物学、ソシオ・バイオロジー)の研究者たちが、 実験観察用に飼い慣らしているチンパンジーやゴリラでもこれほどの描写能力は無いでしょう。 私は、人間は、犬猫などの動物よりも劣る愚かな生物である、という、山本夏彦(やまもとなつひこ)翁の思想に 影響されて、ずっと30年ぐらい、そのように考えてきた人間ですから、さらにこの考えを深くします。 人間は、狂った猿である、と本当に思います。動物には、芸能人も、スポーツ選手も、政治家も、王様も、税金 取りも、官僚もいません。 動物は無益な争いはしません。餌を取る為にしか他の動物を殺しません。生活環境の改善と「生命の再生産」 ( reproduction of life リプロダクション・オブ・ライフ、子育て、種の繁栄)以外のことには熱中しません。 スタジアムに集まって数万人で観戦や芸能に酔いしれるというような馬鹿なこともしません。 人間が持つ愚か極まりない、共同幻想(=集合的な無意識、イデオロギーや宗教などもこれ ) がありません。 西欧人は、近代(モダン Modern )が、はじまった今から丁度500年前から、「狂気としての人類の近代」を 生きざるを得なくなったのだと、私は判定しています。やめておけばいいのに自己の存在の理由を問いただしはじめた。
728 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 08:45:14 0
言ってることは正しいじゃん。 フランス哲学輸入業なんて、近代の歪みそのものだから。 村上はそういうもの(戦後アメリカ美術礼賛とか)を 独立した行動として、解消したいわけで。 ゼロアカ世代にしても、経済的に自立して、 やれ、東も、海外訳がうんぬんっていってる時点で世界で 勝負する気ないだろと。 理系は、もうネットで世界規模の影響度がわかるからなあ。 浅田もフランス語で、欧米人に引用される批評(だけ)かいて、 それだけで喰ってみろと村上はいっている。 岡崎も浅田も、大学に雇用されてても、作品つくれないから、 これ以前のことなんだけど。
729 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 09:40:37 0
よく知らないんだけど海外での村上さん人気って、 日本のアニメや漫画が海外に輸出されて、その人気に乗っかる事が出来たお陰なのかな。 日本のカルスタもアメリカで少々紹介されてるけど、 それもアメリカでのアニメ人気に便乗しているのだろうね。 何が言いたいかというと、もう日本文化というのはアニメとゲームに小判鮫のようにくっついて行かないと、 外に出られない現状なんじゃないかと。 アニメ人気に便乗して、オマケみたいな存在として海外に出て行くしかないと。 PUFFYの二人がアメリカで売れたというのもアニメと合体した番組かららしい。 日本人が書く評論や文学や美術は、アニメと関係させて作ったものじゃないと海外から相手にされなくなるんじゃないか。
んなことはないだろ。映画や演劇でアニメと無関係で、それなりに海外で注目されているものだってある 黒沢清の場合は海外でのJホラー人気が背景にあるから、まあ近似的な事態かもしれないが
731 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 10:03:27 0
そういうもんだよ。 たとえば君は、インドにおけるフランス哲学研究を、知ってる? 誰も知らないだろ。インドは、カレーとヒンドゥー文化。 アニメ以外にも、日本の伝統的なガラパゴス文化を、 適当に理論武装して、見せ物として輸出すればいいんだよ。
面白ければインド人の作品だろうとブラジル人の作品だろうと目に留まるケースぐらいある ただ、その経路が映画祭や国際美術展などになるだけのことだ つーか、映画とかだとよくあることなんだがこんなことは インド映画はあまり知らないけどパレスチナの映画だと割と知ってる 何も知らない馬鹿が偉そうに「そういうもんだよ」とか笑わせんな ライヒのリミックスアルバムにケンイシイや竹内などが関わっていたりするんだけど、 こっち系の音楽は割と「世界的規模・しかし販売数はインディーズ」って世界がごろごろしてらあ
文化は、簡単に国境を越えられないだろう。 科学と一緒にはできないよ。
>>733 お前が海外に対して無知でいたいマッチポンプの言い訳だろそれ
>>414-415 的な状況は、海外移住者の多言語文芸なども生み出していて、
ますます混交的な事態は進行しているんだが?
735 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 10:19:10 0
>>732 しかしノイズ馬鹿の連中はすぐにそういうこと言う。
売れてないけどグローバルってw 好事家相手の話はしてない。
音楽は低コストで作品がばらまけるから、そういことが起こるだけ。
それから安価な電子楽器/テクノロジー=日本に乗っかってるじゃん。
ちげーよ、池田亮二もそうだろ ちょっとずつ、しかし国際的に売れている、って領域はあるんだよ ECMレーベルにしても、各国でメガヒットしてるわけがなく、あちこちでそこそこ売れてるってだけ デリダだってある意味そういう売れ方だし、一国で何万部とか売れているわけではない
お前は自分の怠惰と好奇心の欠如を棚に上げて人を「好事家」と呼びたいだけのことだろう しかもCD頒布がありうる=日本のおかげ? へー、俺トルコのテクノ音楽とか数枚持ってるけど、これって日本のおかげなのか 笑わせんなよ
738 :
し :2009/04/14(火) 10:25:31 O
大変だったなおまえら到着だ五月まで待て。これからエンドレスの旅が始まる。お前らに課せられた指名は愛だ
739 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 10:26:01 0
マイナーもので威張るのはオタの悪癖w 安価な電子楽器/テクノロジーは日本のイメージだろ。 それからCDはソニーが主導した規格。
youtube見ると初音ミクの方が海外から評価高いし。 池田亮二って言っちゃ悪いけど音楽ソフト使って小学生でも作れそう。 あれをありがたがる意味が分からない。
あと、浅田が昔サワラギと対談して、 コスースも言ってたけど、美術も数学みたいになってもいいんじゃないか、ってのは 出来レースめいたやりとりを除外して、アマチュア数学者みたいに小さなサークルが しかし国際的につながっているような・・・ みたいな意味合いな話で、 浅田の発想は別に特に珍奇なものじゃないんだよ 経路が美術館や国際展になることがしばしばだから、 同時に多国籍資本主義下における多文化主義に回収される危険もあるってことで、 たとえば横浜トリエンナーレではその点を突いたりしていたわけだ
メガヒット以外はマイナーだ、とか言い出したら、やたら単純な話にしかならんのだが、 そういう単純な図式でしか考えられない馬鹿オタクが多いんだろうな
アニメとハイテクの国でしょ、ここ まあ、ハイテクっつってもバカのひとつ覚えだけど 日本に住んでてアニメを見ないのは、 ドイツに住んでてビールを飲まないのと一緒。 池田君のあれは、そんな高度なことやってないよ。 アンプいじってれば出てくる発想。
再生数=評価高い わぁ、すばらしい話ですねぇ たぶんAV動画は世界的に評価が高いんだろうね
音楽は数学じゃないよ。 感性が入ってくるから。
文化はもう終わったし。 祭りの後の寂しさ。 今後は、生化学、素材科学が熱い。
747 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 10:33:51 0
国際的に、小さいサークルがつながるのは、 金持ちや、特殊な技術に根ざしたエリート集団だから 成立するんだよ。
748 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 10:35:51 0
シュットックハウゼンも科学のふりして ドイツ政府から金引き出してるし、 ロザリンド・クラウスはマイナーすぎてソーカル に取り上げてもらえなかったな。 そんなもんだ
というか、小さいサークルってたとえば何? 文化は、孤独な作業だから、サークル要らないでしょう。 浅田は、物作れないから、そういうこというだけ。 結局浅田さんは、イマイチだった。
750 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 10:39:19 0
いいじゃん。浅田はこのスレで理想を実現してるんだから。 テクノロジーの暴走と、小さいサークル、絶え間ない対話。 実は、このスレ「を」、浅田が模倣してるんだよ。
模倣の意味分かっている?
ソーカル事件は、アメリカの文系大学テニュアにこそ歓迎されたんだよ。 分析哲学、経済学、心理学、法学、文献学、歴史学の教授たちに。 アメリカのリベラル憎悪は根が深くて、大学のセンセイたちは、 思想的に中立を保とうとする。 アメリカで分析哲学だけになったのは、そういうこと。 心理学から精神分析も消えた。 フーコーもラカンもそういう文脈がある。
廃墟になった古谷スレで相手されなくてこっちきたんでしょ 古谷スレの再建を頼むよ なんかテンプレ貼りがうまくいかない
はあ? 俺は古谷スレなんかに行ったことはないよ。
755 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 10:45:46 0
そういうのは、文学部でやってるからいいと思うけど。
757 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 10:55:26 0
アニメ人気に便乗して海外でデビューすることが出来た現代美術や社会文化評論が 何で日本で威張ってるのかという疑問は確かにある。
758 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 11:56:45 0
アニメが世界に流通したのはその通りだが、それに付随した 社会文化論なんて海外ではほとんど読まれてない 東やその周辺が威張る理由が分からない 世界の文化人とガチで話せる(しかも押せる)のって彰くらい 福田も書いたように ああ話がループしてるな あの頃から状況がちっとも変わってないわけだ
691は推論というより一般論では。 推論(プロファイリング)としては、 計算物理より理系を強調する(ためにインチキ文系を「わざわざ(故に、ただ〜しただけさ、と平静を装う)」探してだしにして)自己同一性をもつ。 「計算」物理の分野で自我の迷いがある。インチキでない(地味である)ことにコンプ・アイデンティティが。 よくいえば蛸壺的な専門分化で世界観的な広がりが失われたことを意識(コンプ)はしている。 ・・・というのはほとんど冗談、煽りだけど、 まじめな話、それぞれの足場(計算物理)の分野で評価を受けることを通してしか、説得的な批判はできないんじゃないか。 また(受容層≒)イデオロギー的にソーカルとかニューアカ時代の共産党系のポストモダン批判とかがどういう流れかということにあまりにもナイーブなのは、 科学者は最悪の哲学を選びがち云々というアルチュセールの危惧そのものなのでは。 また(中沢新一の香具師的なそれでなく)フーコードゥルーズデリダのいかがわしさのなかに可能性の中心をみなければいけないのでは。
>>759 大丈夫か?
黒木玄とか田崎さんとかアンチポモの連中知らないの?
ポモを叩くのは正義。
気持ち悪い一般論(という妄想)をするヒマがあれば、ポモを叩け。
何の可能性? 次への? 可能性って言った時点でモダンに回収されてる罠
>>744 誰かロマンポルノ評論で名を上げた蓮実を受け継いで、BUKKAKE(そのまんまで通じる)評論家としてデビューしてくれ
>>742 アニメだって当たってるのは子供向けの単純なバトルアニメのドラゴンボールとかでオタクアニメはメガヒットしてないからな
宮崎駿でさえメガヒットはしていない
ゲームはオタク向けのファイナルファンタジーみたいなのも当たってるけどな
デリダデリダってよく出てくるけど、井筒俊彦が、真言密教の観点からして脱構築は浅いのじゃって なんかの論文で批判してたのを妙におぼえてる。そのことへのデリダのレスポンスも書いてあったような。 すんまへーんみたいなノリだったかとおもわれる。
>>728 あ、そう来る。
村上隆は、「僕はロックフェラー財団に育てられた」
「芸術は頭のネジがぶっとんだ人に必要で、あとには意味が無い」そしてジェフ・クーンズを尊敬している。
向こうの、アートシーン(の一部)
も、クーンズ以降差異を作れなくなって、
村上的オリエンタリズムが必要だったんじゃないかな。それが今中国アーティストにいっているわけで。そこに積極的に利用されつつ、利用する、と。
割と保守的な層にのっかってるんじゃない?村上は。
「向こうのアートシーン」というのがもはや何なのか分からない。 「フランスの現代思想シーンいって勝負しろ」ってもそんなシーン、フランスにない、 というか、あるのか?あったら教えてほしい。 アニメは、ヤマカンが、アニメ現場はやばい、アニメは食えないち悲鳴をあげていたけど。
現代思想っぽいものの残滓がアメリカにかすかあるぐらい フランスも終わってる
だから村上隆のいらだちは筋違いなんだよな。
たしかに〜もできないのに?という種の言辞に独特の二流感が漂うのはあるかも それを引き受けたうえでなら真摯な効果も持ちうるけど。 どちらにしろ自分の立場を明らかにしないとナンセンス。 それが意図せずジワジワ出てきちゃうと恥ずかしいものなことが多いよね。
770 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 16:03:44 0
>>765 現代美術は、今もまだアメリカが圧倒的なんだよ。
その輸入じゃなくて、利用するということは正しい。
しかし輸入だけで成り立っていた時代もあった。
これは今は亡き、雑誌文化の弊害にあたる。
771 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 16:10:03 0
あ、だから意見は同じってことね。 「独立した」と書いたのは間違いだったな。 それにしても、村上の批判に対し、 フランスも、現代思想は終わってるから、という回避はどうかと。
766だけど、 うーん、そこだよね。そりゃそうだ。
村上の開き直りは不毛というか、よく村上はあれに耐えられるな と感心するけど、だからといってドメスティックであればいいというわけでは もちろんない。
けどそんなこといってると、ものすごく難しい領域にぶち当たる
775 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 16:23:01 0
私のような鋭い人間が日本にもいる、ということをCIAもそろそろ気付くだろう。さて、先ほどの、文学=夢の 世界との混合、についてだ。私はヒーローが何百人も次々に敵を殺すシーンとかいうのが嫌いだ。全て、馬鹿 大衆を操るための描写だ。馬鹿大衆は、自分が現実的には奴隷生活をしているものだから、英雄(ヒーロー) に憧れるのだ。 (中略) どうして、大衆というのは、いつの世もアホなのだろう。奴隷なのだろう。夢の中の、空想の世界に逃げ出さ ない事には、自分の現実の奴隷身分から、抜け出せないからだろう。それが、ゲーム・センターに落ちこぼれ たちが、入り浸る背景だろう。このように早くから、解明したのはニーチェだ。さすが大思想家ニーチェで ある。「アテネが陥落して、ローマ帝国に、教養ある奴隷として連れてゆかれたギリシア人たちが、文学なる ものを作った」のだと書いた。現実の過酷な自分の生活から逃れ出て、頭の中だけ開放されている。そういう 連中だ。私の周りに、そういうのが、たくさいいる。 ロマンティク romantic という言葉は、英語で「アホ」という意味である。同じくナイーブ naiveというのも、 「純朴な」とかいう意味ではなくて「脳足りんの、幼児のようなやつ」という意味だ。どうしていつまでたっても、 こういう基本事項さえ、日本国民の共通了解事項にならないのだろう。わかりたくないからなのだろう。 You are romantist 「あなたはロマンチストだね」というのは、「あなたは夢見る人だね」という意味で、 「お前は、本当にアホだね」という意味だ。夢の世界(アニメとゲームの世界)に浸りこんで、現実を嫌って 「夢の世界のお姫様(あるいは王子様)を捜し求めて、冒険物語を続けるのだ。 それが、中世ヨーロッパで成立した中世騎士道物語(アーサー王伝説)である。これを定型化すると、自分の 君主である人のお后に恋焦がれて、命を惜しまないという行動様式、これをロマン ROMANというのだ。今の北朝鮮 と同じだ。あるいは、5歳の幼児が、現実と夢(オバケや、英雄たちの住む世界)の違いがあまりはっきりしない のと同じことだ。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P46~47
>>665 柄谷が別の場で、浅田君が近代主義の啓蒙の人になったのはあれがきっかけだよねって
いって浅田も頷いていたからそういっていいと思う
もともと前からそういうひとだったというのもそのとおりだと思うけど
名門造形大 新しい教科書を作る会メンバーの仏文元学長 アキバ48の衣装を学生にデザインさせる副学長 今出川通より南には勤めない京都人のこだわりをもつホモ・・・じゃなくてポモ大学院長 可能性を追うのは飽き性のプレフェストゥム、周りは楽しいけど本人は何かむなしい。
経済研究所は今出川より南だった 学部も
779 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 17:02:24 O
村上は値打ちのないもんに値段を貼り付けかどでバブルに祟られただけさ。村上の やってることはアートじゃない。
780 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 17:02:44 0
素朴なことをかくと、社会の束縛をうけるのが非芸術で、束縛を受けないのが芸術。 で、村上が話題になるのは社会の束縛うけることに自覚的である、ということ、ではない。 社会が消えた、ということ。 こっから先は2通り。社会の復活か消えたままつっぱしる。 どちらにしろ政治で、芸術とは関係ない。
782 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 17:07:20 O
ウォーホルは政治とアートの両方をやってのけたね。
まあグリーンバーグ風にカントに還れっていうほうがこのスレでは通じるか 政治の論理とアートの論理は独立 アートの政治性は政治だし政治のアート性はアート
ドラクエ3で商人に「はん」って名前をつけたことを思いだした 突然
785 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 17:18:17 O
現代アートは即ちインダストリアル・アートであるか、もしくは農村で牛を飼うこ とでしか成立しなくなった。 つまり、誰かがいう社会の外側。言い換えれば、制度が生むとされる哲学的な言説 「疎外」の虚偽を一枚一枚剥がしいく作業が現代アートを機能させることだ。 ところがどうだ。いま世間に流れてるアートと称されるものは、どれも鑑賞者に説 明されるのを待っているマグロ女のケツのようなものばかりさ。
>村上が話題になるのは社会の束縛うけることに自覚的である、ということ、ではない。 >社会が消えた、ということ。 村上が話題になるのは、何でこれに高い値がつくんだろって素朴な疑問でしょ。
787 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 17:18:46 0
しかし今更グリーンバーグとは ポモははじめから何もなかったことに? ・・・まいいか、それでも 誰も困らないw
788 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 17:26:15 O
>>783 言葉とじゃれあってるに過ぎないね。ナンセンスな言い回し
を振りかざしてるだけだ。カントも現代思想も同時に冒涜し
てるよ。
理論的に話題になるとしたらかな こまけえこたあいいんだよ 政治とアートは違うってことを素朴に繰り返すという政治的戦略だ だからいまグリーンバーグ
790 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 17:29:08 O
783番!なんとか言えよ!
791 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 17:32:13 O
>>789 人前でチンチンのちっちぇーことを自慢にすんな!ボケが!
ん?こたえたつもりだが 言葉遊び批判はめくそはなくそ
793 :
カント :2009/04/14(火) 17:36:20 O
783とか政治とアートとか社会に依存とか言ってるのが私だ
794 :
カント :2009/04/14(火) 17:40:21 O
こいつ持ち上げられすぎただけだろ バブルの仇花だろうな
古谷の偽日記から 02/07/19(金) ●日本の「美術」にとって80年代はある捻れとともにある。世界的にみれば、絵画の死が決定的なものとなり、 モダニズムの終焉の象徴ともいえるような新表現主義(ニューペインティング)の嵐が吹き荒れているその時代に、 何故か日本では30年遅れで、モダニズムの最も純粋な形態とされるアメリカ型フォーマリズムの作品や理論が本格的に輸入され紹介され、 そのような文脈で評価されるべき一定の質をもった作家も、何人か出現したのだった。 欧米においては、新表現主義の台頭は絵画=モダニズムの終りとしてあったのに、日本では絵画=モダニズムの(再?)発見としてあらわれた。 60年代以降のラディカリズムの行き着く果ての閉塞状況を打破するために要請された「描くこと(ペインタリーなもの)の復権」という文脈が、 欧米ではモダニズムを終わらせ、日本においてはそれを召喚するという結果になったのだった。 この時期の日本では、バブル景気の狂騒によってほんの一瞬だけ、モダニズム的な絵画の流行という現象が起こる。 ぼくなどはこれにモロに影響されてしまった訳で、確かに、欧米の美術市場などからみれば、いまさらモダニズムを、 ましてや東アジアの画家などに期待するなどということは全く有り得ない話だという意味において、 ぼくなどは一種の「ガラパゴスの珍獣」のようなものなのかもしれない。 しかし、それがいかに「ガラパゴスの珍獣」的なものに過ぎないとしても、 そこで一瞬でも垣間見られたある決定的な「水準」を、そうそう簡単に忘れてしまうことは出来ない。
そんな人どうでもいいよ コピペ荒らしうざい
・「ニューペインティング以前」=モダニズムって理解は相当おかしい モダニズム=グリンバーグ的絵画の自律性なら、コンセプチュアリズムはどうなるの? とか怪しさ満点 ・表現媒体変遷史でまとめすぎ ウサンくせーまとめにもほどがあろう
政治家としての田中ってよく知らないけど、 浅田含め、どうなってるんだろうねえ
81:04/14(火) 18:11 0 [sage] 村上隆「フランスは日本ブーム。AKB48がLAのアニメコンベンション、パリのジャパンEXPOに出る。 ゼロアカは殴り込みしないのか?」 講談社社員「やってみたいですよね、ゼロアカのみなさんは自腹を切ってでも」 村上隆「海外行けば、あいつらたいしたことないことがわかる。 そして、アジア人が差別されてることがわかる。そこで差別粉砕と憤るのか、ぼくみたいに土下座してでも 相手に届けようとする・・・要するに陳情するみたいにね GEISAIで藤田さんが土下座してやったけど、彼の芸風は肯定はしないけど、そういう幼稚なコンテクストを持って 批評をおもちゃにして、世界の言語を獲得できると思ってるのか どうせナメるんだったら最後までナメてほしい そういうことは講談社はバックアップできないと?」 講談社社員「できないというか・・国内で1万部というのでも大きい、、というかたちでやってきたので」 村上隆「ぜひこういうハイヤー代を節約して(←ハイヤー内で移動中に収録中)」
http://www.peeler.jp/column/sugawara/0808.html 菅原義之
80年代の流れ
戦後のアメリカでは抽象表現主義、ミニマルアート、コンセプチュアルアートと時代の経過とともに次から次へと発展的進化があったが、
70年代に入って、モダニズムが限界点に達し、大きな物語の効力が失われていった。80年代に入ってこれを乗り越える意味で新しい考え方、
ニューペインティング(ニューウエーヴ)が登場。70年代絵画停滞時代から「絵画の復権」である。
アメリカではジュリアン・シュナーベル、ドイツではキーファー、バゼリッツ、イタリアではクッキ、クレメンテなどが出る。
日本ではどうだったか。60年代末から70年代にかけて「もの派」や「ポストもの派」に代表される作品が展開された。
これは物を作品制作の素材とせず、そのまま主役として登場させるもので、いわば造形行為の不在であり、還元化の限界まで来ていたといえるのではないか。
このようなときにニューペインティングが紹介された。大きな物語に左右されることなしに、何をどう扱っても良いという考え方が支配的になった。
ニューペインティングは日本では新しい傾向として定着しなかったが、イラストレーションと結びつき、ニューペインティング風描法(具象絵画)が浸透した。
81年「画家宣言」の横尾忠則ほか、大竹伸朗、日比野克彦などが該当するだろう。
80年代半ば頃からシミュレーショニズムが登場する。これは「メディアで使い古されたイメージや、誰もが知っている絵画作品などのイメージを、
自身の作品に意識的に盗用(アプロプリエーション)する美術運動」(「クリティカル・ワーズ」より)で、
代表的なアーティストといえばピーター・ハリー、ジェフ・クーンズなどだそうである。日本では森村泰昌、福田美蘭などがこれに当たるだろう。
コピペでしかものを言えない可哀想な人はコテハンでもつけてくれ
浅田の、言うなれば弱点は、こういう認識の層に歯止めをかけられず、 対立的に温存したということかな
現状の現代美術市場が、 印象派たちが嫌悪した、擬古典主義と、内容は異なれど形式的には同じだということなんじゃないの? 基本、彰の認識が俺は好きだけど。
古谷スレの人は、あっちで浅田スレの宣伝行為をすることでキチガイを呼び込んでしまったことを本当に反省してほしいわ
>印象派たちが嫌悪した、擬古典主義[とのアナロジー] そこ、できればもうちょっと詳しく 民族固有性、個人固有性を、告白や生い立ちのトラウマなどで上演し、 それらが多文化主義的に包摂されるのは、 一種意匠のシミュラクラの乱舞と言えなくもないし、 そうしたシミュラクラの編集というべき事態が 新古典主義、擬古典主義、というかたちで連綿とあるってことかな
いやあ単純に、大文字の芸術が成り立たない、機能不全なんて議論はクールベから、あるいはそれ以前から 連綿とあるわけだし、事態はそこと変わらないということなんじゃない? 耳たこかもしれんけどさ
たしかにそうだね 大文字の芸術が成り立っていた、とつねに事後的にフィクションが語られるのが問題だって思う 上の古谷の文も菅原の文も一緒でしょう まるで疎外論だよ
哲学の金曜日とかみてると、終わった等というふうには見えないなあ。 itunesのフランスのトップ100にも入っているようだし。 メディアの中で元気がなくなったのが、もうどこどこでも終わっている、 ここそこでも終わった等という感想につながってるのかもしれん。 そんなメディアの中で終わってても大学などではどこの国でも続いてる ようで。シラバスみてもわかるとおり。哲学、人文ものがメディア の中で元気だったのが普通じゃなかったのかもしれん。 まあでもメディアの中で終わってるのは日本だけで、他の国地域では 公共放送を中心にメディアの中にも生きているようだ。
811 :
考える名無しさん :2009/04/14(火) 22:33:05 0
>>805 それは、様式を判断できる人や知識が増えたということに過ぎないから、
現代美術への評価よりも、浅田自身の苦しみだと思うな。
つまり、立ち位置評価と、独善が、分裂してしまった近代人w
グリーンバーグのフォーマリズムが、アメリカの
ソフトパワー戦略の一部分だってことは冷戦後の情報公開の
なかで明らかになってきている。ロシアの画家レーピンへの
言及も知られているし。
だけど、グリーンバーグ再評価も進んでいるよ☆
2chとは99%のあおりと1%の閃きである。 コピペや〜も知らないのにぃ??やル・サンチマンやコンプのなかに、 一瞬きらめく閃光を探すのじゃ
流行らないから>コンプ
>>801 村上隆が語ることは面白いが、作品はどうしても良いものとは思えない。
日本観光ではポケモンセンター! みたいなものじゃないの。
伊勢神宮行けよ、富士山登れよ、つーか。そんな印象なんだがなぁ。
杉本博司とかよりは良い作品だと思う
芸術なんて最初からなかった。 発注を受けて絵を描く職人がいただけだった。 リアルに上手い絵を描くことだけが、目的だった。 それが狂った。 絵の評価が、上手さが技術的な意味のリアルではなくなった。 写真が出てきた。 絵はますます意味不明になった。 何でもありになった。 みんな疲れてきた。 何とでもいえるし、何とでもなるから。 何をすればよいのかわからくなったから。 そのうち絵を描く人はいなくなった。 アニメーターやイラストレーター、漫画家だけが残った。 彼らは職人だった。 芸術家もアニメーターのタッチで絵を描くようになった。 最初から芸術なんてなかった。
バカが増えたんだと思う。 低脳的リアリズム。 浅田は、微分方程式を解けたし、群論の知識もあったし、微分幾何の知識もあった。 その上で、ドゥルーズ(微分)を読み、レビストロース(群論)を愛で、フーコー(微分幾何)を読んだ。 浅田に続いた人間は、何も理解してなかった。 ドゥルーズを誉めるけど、数学VCwさえ知識を持ってなかった。自分で勉強することさえなかった。 多様体の概念も知らず、ドゥルーズを語った。いや騙った。 そのせいでぼんやりしてきた。 ドゥルーズが知の欺瞞なのかはわからない。 しかし日本のポモが適当だったのはよくわかる。 低脳どもの宴。 これが80年代の大学テニュアどもによる日本思想だった。 思わず臍で茶が沸いてしまった。
この人ソッチ系なのね……
感動するとかじゃなくて、感覚的に面白いよね。 かつての芸術家は、自然物や人物をデフォルマシオンして人を感動させていた。 現代美術家は、テレビで見た映像をデフォルマシオンする。 広告や漫画をそのまま素材にするポップアートは今さら真似してもしょうがない。 テレビの中のアニメや風景映像を歪形して作品にする。 感動ではなく感覚的な面白さを追求している。
人文的なものが消えて、分析哲学、実験心理学、認知科学、実証史学、文献学、経済学に 解体されたのは、マルクス主義の後退が主要因。 結局、大きな物語=マルクス主義が消えたから、あとは科学だけになった。 大学は税金で運営しているし、私学は教育。 妙なイデオロギーを教えるわけにはいかない。 マルクス主義が流行していたときは、それでも気骨のある人がそういうリベラルな芸術や 思想を体系化して、教えていた。 けど、そんな必要はなくなった。もともとリベラルな奴は少なかった。 そうなると、思想は分析哲学や科学哲学に、精神分析は実験心理学や脳科学に、 政治思想は、アメリカ式の政治哲学に、経済学は数理経済学になっていった。 俺はアメリカの大学のシラバスを調べたら、フーコーやドゥルーズなんてどこにもなかった。 すべてがインチキだった。 嬉しいことに俺たちの世代は、こんなクズとは無縁だ。
批評を、文系のクズから解放して、頭のいい連中のものにせよ。 批評は、ドゥルーズやデリダなどの哲学を説明することではない。 エリートがシンプルに社会を分析し、変えることだ。 意味不明な大学テニュアたちのおしゃべりが前の世代にはあったようだ。 そのせいで日本はこんなになった。 もはやバカは批評できなくさせてやるべきだ。 恥ずかしく何も書けないようにさせるべきだ。 固有名ばかりアホみたいに並べて、他人を恫喝するバカはこりごり。
ドゥルーズやデリダなんてトンデモだ。 フランスのおっさんの戯言を真に受けるな。笑われているぜ。 日本という現実をいかに考えるか。 日本人には日本の批評があり、海外のトンデモを持ち込むな。
そこで小林よしのりですよ
日本ポモのグル、東の師匠柄谷は「カントに戻れ」といっている。 カントは、科学者だった(大学では地学を教えていた)。 カントの哲学は、科学哲学だった。 日本ポモはトンデモだった。 トンデモポモは、日本の思想の代表で、今もエラソーにしている。 エラソーなポモの子分のそのまた子分みたいな連中がわんさかいる。 文化批評や社会分析になると、呼んでないのに出てくる。 ゾンビはお呼びでないのですよ!
あずまんは今日本ポモのグルなの?
東はポモではない。 在野の社会分析家。 思想地図という雑誌を主宰している。ポモ(人文トンデモ)をパージした雑誌。
けどあずまんは批評を愛している、と言ってるよ。それに講義録読むと公的に強制はしないが、私的には マルクス主義を信じる と言ってるよ。
批評ってどんなに頭がいい人が書いても、どっかズレてるよね。 なるほどなーと説得力を感じるけど、納得いかない所も残っている。 それでいいんじゃないかな。たかが批評。 納得いかない所は自分のものとして大事にしていけば。
830 :
考える名無しさん :2009/04/15(水) 08:27:56 0
東はいまさらポモ批判なんかをやっているのは80年代のポモ流行に乗り遅れた 奴らにすぎないと批判しているね。 ポモなんて一時の流行に過ぎないのに、その残滓をいまさら批判していい気に なっているというのは、ポモ並みの軽薄さじゃないか。
やれやれ、キチガイが暴れまわるスレになってしまったな
日経の編集の人、もっと話を聞かせてほしいんだけど。 会議中にお吸い物出すの手伝ったとか、そういうの。 煽りとか気にしなくていいよ。2ちゃんなんてそういうのが趣味の人が集まるとこだし。
俺も編集の人の話、聞きたいな ぽん吉さんが最初に浅田見聞記をはじめたとき、 対談記事と加筆の話が入っていたと思うけど、 ICFってちょっと見た感じ、浅田の対談記事は見当たらない どういう件の話だったのかな、と興味が
俺ももっと話が聞きたい>日経の人
手の空いてる人は日経の発掘調査隊に行ってほしい 俺は当分余裕がないので90年以降の調査をできそうにない marie claire記事まとめろとか無理は言わんから
このスレにかぎらないことだが近年の2ちゃんは
>>316 や
>>345 、
>>580 のような、自分の優越感を満たすためのようなレスが多いから
まともな書き込みをする意欲が減退しちゃうし、
スレ住人も縮小傾向にあるから、キチガイばかりが跋扈しちゃうんだよな
どこのスレもスクリプト荒らしかと思うようなレスが実に多くなってる
んじゃどっか行けば?
あなたもどっか行けば?
いや俺は楽しんでるからここにいるよw
このスレにかぎらないことだが の冒頭を読めなかった人乙
浅田スレで言うべきことなのか悩むけど frame 1号を不意に入手した やや大判だが100頁ちょい これは国会図書館で全頁複写も考慮できる量じゃないかな 1号には松浦寿夫・小林康夫往復書簡 イーグルトンインタヴュー ジェイムソン翻訳 岡崎乾二郎のやや長文論考 岡崎・大澤対談 阿部良雄のやや長文論考などあり
古谷スレって美術論スレか何か? 気持ち悪いスレ誘導やめてほしいんだが
>>841 たいへんすまんが、目次だけでもウプしてくれないかな。
そうすsると、その部分だけ複写サービス頼むことができる。
これは、地元図書館からでも可能。
ググレカス
>>844 うん、数日中に1号目次をまとめてこのスレに書き込むよ
参考になりそうだから1号だけでも目次あると良さそうだよね
ちょっと変わった構成をしてて、無署名っぽい記事に岡崎が書いてたり、
>>841 で挙げなかったけど田崎英明も書いてるので、ある程度読んでからにしたいところだが
いま、ちょっとトラヴェルスの目次をまとめてて、フレームは後回しになりそう
ありがとう! 阿部良雄と岡崎が一緒にのってるのって、 この雑誌ぐらいなもんじゃない?
>>848 水声通信の阿部特集の岡崎文章に、ほんのわずかだけど、
岡崎のFRAMEの頃の阿部との付き合いについて回想が載ってるよ
あれぐらいしか関連資料ないかもしれん
あとは現代思想のジジェク特集の対談で田崎が
FRAMEで翻訳したのが初紹介ということになるでしょうねと言ってるぐらいかな
>>850 へー、ずばりいって、そりがあわなさそうにも見えるけど、
それを超えて、付き合いがあったとすればいい話だなあ。
>>851 それがどっこい、岡崎にとって先生とも言うべき指導をその頃してもらったそうで、
FRAMEは阿部の監修を受けた雑誌だったとか、興味深い回想になってたよ
松浦も学部生の頃から阿部に指導されてたんじゃなかったかな
ある年代の美術史家的な人にとって阿部はとても大きな存在
へー、 まあ阿部さんのクールべ研究は、あのころパリに出して通用したもんねえ。 ボードレール全集もいい全集だし。 やっぱ基本だよなあ。
あのころ→その昔 1990年代の話じゃないっす。
岡崎の阿部追悼文読み直した。 「残虐と勲章―レヴィジョニズムに対応する19世紀美術史再構築のための断章」だよね FRAME1号に載った阿部のテクストってこれだよね。 いや、これが初出FRAMEだったことに驚いたw 阿部がインタヴュー書いたっていう記述が気になる。 あと3号で暴君ネロという主題を選んだっていうもの。
肝心のスレタイの古谷に関心がわかないから困る
古谷スレは長らく古谷を肴にした美術論スレでした ここ一月ほど駄目な感じ それは有力住人が一人こっちに移ってしまったから 都心在住の人
京都造形で岡崎というか近大四谷とコラボ組むといっていたから、 こっちのほうがいいでしょう。
>>852 俺実は、阿部良雄の、フォルマリズムまとめノートでの講義を受けたことがあるんだけど、正直そのころの岡崎のほうが圧倒的に魅力に感じたんだよね。
「群衆の中の〜」などなどとかも読んでるけど、この地点から阿部良雄は忘却してしまった・・・
だからFrameは浅田関係ないって……
>阿部良雄の、フォルマリズムまとめノートでの講義 もしよければkwsk
ニコニコ生放送に田中でてるぞ 角谷に不倫されてるぞ 浅田さん乱入して!!
marie claireですが、いつ頃のをあたればいいですか? 東京なんて修学旅行みたいなもんでしょ? ヒマだから調べに行ってまいります。 年単位('XX年から'XX年まで)でいいので、調べる範囲を 教えてくださーい。
marie claire japon(中央公論社版)の発行は1982年-1999年5月
安原が異動して担当になったのは1984-5年だと思う(85年に田中・浅田対談がある)
ある時期から安原が抜けるので紙面は一変する
94-95年の記事は昔図書館でコピったので、書誌対応はできているが
俺の行ってた図書館にはそれ以前がなかったか、浅田がちょっと見当たらなかった記憶がある
ttp://www36.atwiki.jp/aabiblio/?cmd=word&word=marie%20claire&type=normal&page=%E6%8E%B2%E8%BC%89%E8%A8%98%E4%BA%8B1994%E5%B9%B4 したがって、ざっと、85年〜93年というところではないかと
95,6年もちょっと自信ないけども
85年〜93年期間内で現時点で確認できている記事はこれぐらい
● 「新教養主義のススメ:失われた文庫本を求めて」(高橋源一郎との対談)、『Marie Claire』vol.6-no.9、1997年9月号
「文庫本の饗宴 いい女になるための読書大特集」
〔→ぼくらはカルチャー探偵団編『活字中毒養成ギプス ジャンル別文庫本ベスト500』
角川書店(角川文庫)、1988.5〕
● 「メランコリーはもっとも高貴な感情である」(ヴァレリー・アファナシエフへのインタヴュー、1989.3.31.)、『Marie Claire』1989年7月号
〔→ヴァレリー・アファナシエフ、平野篤司・明比幸生・飯沼隆一編訳『音楽と文学の間』論創社、2001〕
たしか88年ぐらいには「スキャンダラスな午後」を浅田が連載していたはず
特にこれをコンプリートしてくる意気込みでがんばってくれ
no.1、1990.7、「特集=Art and Conflict」 A4番変型(210×287ミリ)、右開き横組、Art Derection:坂川栄治、Design:前田英造、Photograph:大野信彦、 Cover Photograph:Felix H. Man (≪Mussolini: What is he planning?≫, Weekly Illustrated, August 4 1934.) Proof Reading:吉田文憲、Under the direction of:藤原えりみ・樋口良澄・小林康夫・松枝到・松浦寿夫・岡崎乾二郎、 English Editor:Richard Arno, Bert Winther、編集人:田崎英明、発行人:黒崎輝男 表紙文字: 「Art and Conflict FRAME NO.1 Situationist International Fenollosa Baroque/Velasques Courbet/Realism 史上最強の美術理論誌」 目次 ・ 「連載 GRAMMATOGRAPHE No.1 Infidelity of images ことば/イメージの不貞」、p.0 ※注1 ・ 「FRAME CONTENTS」、p.1 ※注2 ・ 岡崎京子(絵・文章)「[コラム] ブレイキング・グラス」、p.2 ・ 若桑みどり「[コラム] マドンナ:イメージの普遍的な力」、p.3 ・ 稲方正人「[コラム] ちびまる子ちゃんはAVギャルだ」、p.4 ・ 樋口良澄「[コラム] タデウシュ・カントール:アヴャンギャルドの空間」、p.5 ・ 荒川修作「[コラム] イメージのエチックス」、p.6 (続く) 注1 表紙の裏。同音異議語と絵文字を用いたイギリス17世紀の判じ絵が無署名の短文が添えられて掲載されている。 短文は「愛はその対象を破壊し分裂させる。すぐれた詩人なら言うように、愛する人の名を呼ぶことは、 その愛を裏切ることでもある。そして愛するものの姿を追憶するなら、その姿(イメージ)によって、 対象は幾重にも覆い隠されてしまう。それはもうここにはいない。しかし、だからこそ裏切りは、 恋愛のはじまりであり、歴史のはじまり、そう言葉のはじまりだった。」 内容からして岡崎の執筆だと思われる
「GQ」5月号で村上隆をフューチャーして、現代アート特集をやってるんだけど、 村上龍との対談で「世界的不況で真剣に困ってる」「ヨーロッパの貴族階級の 壁は厚くて、入り込めない」とぼやいてた。村上龍は知ったことかと言う感じで ロクに聞いてない。村上隆ってカネと名誉と権力を獲得するための手段として 「アート」をやってきた人なんだなあ、としか思えなかった。
注2 目次欄。上欄のスペースに巻頭言として以下の文章がある。 「FRAMEが見えにくくなっている もはや単に閉域を形成するのではなく、 ましてや自らの居場所を確定するための不動の座標でもない ―――FRAMEが それは私たちを開かれた場所へと解き放ちながら、 それと同時に私たちから見る力を奪い去る――それも根本的なところで そして≪芸術≫と呼ばれる営みは内側から静かに朽ちようとしている だが、見る力を喪ないたくないと、もうひとつの現実を見ようと、 意志することもできる FRAME―――それは、まず、見るための線を引くこと、境界を設定すること、 目印をつけることだFRAMEを仮構すること、それはすでに在るFRAMEを発見し、 それを批判しそしてそれを通してもうひとつの≪見ること≫を創設することだ 破壊、批判、構築、解体、再構築、移動、消去、etc. 線は決して単一ではない そのような線を問うこと、そのような線を見ること、それこそがこの場所、私たちのものであり、 また、あなたたちのものであるFRAMEで試みられるべき営為であるだろう」 目次続き 特集=Art and Conflict ・ 「Art and Conflict」、p.7 タイトルと図版が掲載されたページ。 使用図版はエンツォ・マリ、フランチェスコ・レオネッティによる「レーニンによる図解」(Enzo Mari and Francesco Leonetti, ≪Atlante seconde lenin≫, Carta economica, Edizioni voglio, 1974から) ・ 「テリー・イーグルトン/インタヴュー 資本主義下の芸術家の魂」(ファックスと電話を用いたインタヴュー)、pp.8-11 ・ 「Correspondence Critique 小林康夫「罪深い素朴さについて」/松浦寿夫「イメージのコミュニスム」」、pp.12-23 上段に小林の書簡、下段に松浦の書簡が配されている。それぞれ日付は1989年12月12日と1990年2月末日。 ・ 岡崎乾二郎「指示の連鎖/抗争する都市論:分裂生成へむけて」、pp.24-26, 28-31 ・ 「Confliting Representation / Representing Conflict. # 1 Problematique of Reality」(無署名英語テキスト)、p.27 ※注3 ・ 相原理歩「[Art Coffee Break] 白髪一雄展 東京画廊 1990.1/16〜1/31:白髪さんとサザエさん」、p.32 ・ 和田奈津子「[Art Coffee Break] 荒川修作展:宮川淳へ 東高現代美術館 1990.1/20〜3/4」、p.32
870 :
考える名無しさん :2009/04/15(水) 22:37:58 0
村上龍と村上隆では、対談にならないことは、予測できるだろうに。 編集側はそれを読者に見せたかったのかもしれんが。
・ 阿部良雄「残虐と勲章:レヴィジォニスムに対応する19世紀美術史再構築のための断章」、pp.44-53
〔→第10章『モデルニテの軌跡:近代美術史再構築のために』岩波書店、1993.2〕
・ フレデリック・ジェイムスン「ハンス・ハーケとポストモダニズムの文化論理」(藤原えりみ訳)、pp.54-59
[Fredric Jameson, ≪Hans Haacke and the Cultural logic of Postmodernism≫, Brian Wallis, ed., Hans Haacke: Unfinished Buisiness, The New Museum of Contemporary Art / MIT Press, 1986, pp.38-51]
・ 大澤真幸・岡崎乾二郎「固有名の諍い1 芸術と命名行為」、pp.60-63, 66-71
・ 「Confliting Representation / Representing Conflict. # 2 Applicability and Purity」(無署名英語テキスト)、pp.64-65
・ 田崎英明「芸術の善用:日常生活批判のために」、pp.72-75, 78-79
・ 「Confliting Representation / Representing Conflict. # 3 Theatricality and Purity」(無署名英語テキスト)、p.76
・ 「Confliting Representation / Representing Conflict. # 4 Purity of Vision and Desire」(無署名英語テキスト)、p.77
小特集=Oyvind Fahlstromエイヴァンド・ファールストレーム
・ 岡崎乾二郎「Oyvind Fahlstromエイヴァンド・ファールストレーム」、pp.80-81
・ エイヴァンド・ファールストレーム「[Oyvind Fahlstrom Anthology] ラディカル・シック(1973)」(小俣出美訳)、p.82
[Fahlstrom, ≪Historical Painting≫, Flash Art, no.43, December 1973 / January 1974から抄訳)
http://www.fahlstrom.com/texts_historical.asp?id=7&subid=8 ・ エイヴァンド・ファールストレーム「[Oyvind Fahlstrom Anthology] 世界に目を配る(1966)」(小俣出美訳)、p.83
[Fahlstrom, ≪Take Care of the World≫, 16 Manifestos(New York; The Something Else Press, 1966)所収の12項目宣言集から4項目を抜粋邦訳。
http://www.fahlstrom.com/texts_take.asp?id=7&subid=9 この出版社についてはWikipediaに目録がある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Something_Else_Press ・ Fahlstromの作品図版、pp.84-85
・ エイヴァンド・ファールストレーム「[Oyvind Fahlstrom Anthology] 世界を操作する(1964)」(小俣出美訳)、p.86
[Fahlstrom, ≪Manipulating the World≫, Art and Literature, no.3, Herbst-Winter 1964, Lausanne: Societe Anonyme d'Editions Litteraires et Artistiques.
Reprinted in Oyvind Fahlstrom. New York: The Solomon R. Guggenheim Museum, 1982; Oyvind Fahlstrom. Valencia: IVAM/Centre Julio Gonzalez, 1992.]
※ページ中段に”S.O.M.B.A. (Some of My Basic Assumptions), 1971-73”の1, 2, 6, 17が英文のままコラージュ気味に挿入されている。
http://www.fahlstrom.com/texts_somba.asp?id=7&subid=7 ・ 大澤真幸・岡崎乾二郎「固有名の諍い2 行為の交接」、pp.87, 89
・ 「Confliting Representation / Representing Conflict. # 5 King’s Painter and Painter’s King」(無署名英語テキスト)、p.88
・ 北澤憲昭「近代画家の誕生と「文人画」:「美術」形成史ノート1」、pp.90-96
・ 松枝到「ヤーヌスは三度変貌する:Perspectiva Iconologia 1」、pp.97-102
・ 原牧夫「[Art Coffee Break] 西ドイツ&ハンガリーテレビの地勢学1:Video Frog 1990.2/24」、p.103
・ 平野美奈「[Art Coffee Break] 浦上玉堂を這りつつ」、p.103
・ 木下謙一「[Art Coffee Break] 誰も行ったことのない美術館:日本橋高島屋 1990.2/15〜2/27」、p.103
・ 柴牟田和俊「[Art Coffee Break] 中野西敏弘:秋田画廊 1990.1/15〜1/20」、p.104
・ 植月由美子「[Art Coffee Break] 銀座あたりのこと」、p.104
・ 相原理歩「[Art Coffee Break] TSA卒業制作展:ギャラリーK、藍画廊、かねこあーとGI、ルナミ画廊、Gアートギャラリー、コバヤシ画廊、TSAギャラリー」、p.104
・ 「インタヴュー アナ・バラッド 軽やかに反転する光の世界」(聞き手・構成・訳:藤原えりみ)、pp.105-109. ※pp.105-108はバラッドの写真掲載のみ。
>第10章『モデルニテの軌跡:近代美術史再構築のために』岩波書店、1993.2 あ、俺これ読んだことあるわw内容忘れたw
ありがとう。
867 名前:FRAME 1号目次・書誌[sage] 投稿日:2009/04/15(水) 22:34:13 0
no.1、1990.7、
>>873 >・ 北澤憲昭「近代画家の誕生と「文人画」:「美術」形成史ノート1」、pp.90-96
北澤憲昭『境界の美術史??「美術」形成史ノート』という2000年刊の本があるけど、
この雑誌での連載だったんだ。本の後ろに初出で載っていたかもしれないが。
いまこの瞬間 自分が 〜〜〜ものをかんじている
>>877 の一つ目の動画
50秒くらい 〜〜〜なんて言ってるの?? 気になってしまう
芸術に力こめてるね
879 :
考える名無しさん :2009/04/16(木) 06:17:43 0
音楽やら芸術の教養を積んだ日本人ならたくさんいる。相当な経験と知識量の人々がいる。ところが政治 思想が分からない。そもそも世界基準での政治思想の初歩さえ全く分かっていない人間の群れが、私たち 日本人なのである。世界基準での音楽の素質や各種の芸術に対する教養人が日本にはたくさんいる。 だから決して無教養ではない。ところが政治思想(ポリティカル・ソート)というのが全く理解できて いないのが知識人、学者を含めて日本ののエリート階層である。だから、「深い教養がみについていれば 欧米人と対等に付き合える」という言い方だけは日本でも言われてきたが、ちっともうまくいってない。 「日本人は世界基準での政治思想なるものが系統だって分かってないから、アジア諸国の知識人たちほど にも欧米人から対等に相手に扱われないのだ」とはっきり気づき、公言する日本人は私以外には、まだ いないはずである。 少なくとも、十八、十九世紀のイギリスの大思想家であるジョン・ロック主義(ロッキアン)と、 エドマンド・バーク主義(バーキアン)と、ジェレミー・ベンサム主義(ベンサマイト)の、 この三派の大思想の大柄の対立ぐらい、しっかりと分かってないと、向こうの高校生並みにさえ 扱ってもらえないのである。日本の文科系の知識人の思考にはとにかく「論理に系統性」がないのである。 副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」
・ 「Summary」、pp.110-112 ※各記事の英字要約と、「Confliting Representation」使用図版説明。
・ 図形詩、p.113 ※注5
注5 裏表紙の裏。縦4本・横4本で正方形を16等分し、対角線2本がかかる。その線が漢字で構成された図形詩が掲載されている。
キャプションのように配された文章は「宮廷官吏の夫の不貞を嘆いて、漢(2世紀)の婦人スー・ヒュイが作った、図形詩(旋回文)。4万通りの読み方がある。」
以上。
アクセス規制食らって最後だけ遅れた
>>876 北澤の著作変遷は調べないでまとめたから気づかなかったが、なるほど
言われてみればどこかで耳にしたタイトルだった
>>878 いわく言いがたいものを、じゃない?
0:57-0:58ぐらいの箇所だよね
ポストモダンやニューアカはオウムを生んでしまった 人々は価値相対主義の中では生きられないんだな
村上隆と村上龍の対談は中身がなかった
>>877 「芸術」って言葉のところだけドイツ語っぽく聴こえるw
FRAME1号目次・書誌氏乙です
書誌厨乙です
と、みなされてるのが80年代以来の日本でのベンヤミン像だけど、 ベンヤミンにはドイツ観念論以来の背景が暗に陽に混ざりまくってるからね ざっと読むだけでは今ひとつ理解しにくいテキストがベンヤミンには多いよ 短いテキストで言っても、「性格と運命」ってざっと読んでどういう文脈で書かれてるのかわかりにくいでしょ 「こざっぱりとして簡便なエッセイ」みたいに消化したベンヤミン受容を、 それこそ俗流学者のように信じ込んでるんだろう 反権威主義の面をしながら権威をほしがってる人にはそういうのがたまらないんだろうね あと、自明のように印欧語と日本語の差の話になってしまってるが、 狸がこれを言い出したのは、文法・構文の構造が違うから、ということだろうけど、 印欧語内部でもかなり違う言語はあるというのと、 "文法・構文の構造が違う"と"意訳の基準"はぴったり一致しない 話をぐだぐだにすりかえてどっちらけにするのが本当にお前は得意だね 「こうも訳せるのでは」「これはちょっと硬いのでは」という訳文吟味自体は 望ましいことだという応答からはじまったのに、ずいぶんどうでもいい流れに平気ですりかえていくだなお前は 狸のレスはそんなによく読まないが、割と英訳ものも含めて読んでるタイプだろう? その良さを少しは出したらどうなんだ 思い込みと傲慢な前提の教説なんて期待してないし、 地味ながら細かく吟味するってことの価値もあるんはずなんだが、 高所から傲然と語ることが大好きなんだなお前さんは
悪い、誤爆した
>>881 「曰く言い難い」みたいですね。ありがとう!
誤爆とか13年ぶりに見た
浅田現象、遠くなりにけり。
youtubeの挨拶観たけど、いずれもネクタイをしていなかった。 彰のネクタイ姿が見られるのは、中島らもとの対談だけ? 冠婚葬祭の帰りとか言ってたけど。
浅田「アメリカだと、ビル・ゲイツらがIT時代をリードし、そして今、フェースブックを作ったクリス・ヒューズが オバマ・キャンペーンを支えて新しい政権をつくっちゃった。立派な物語ですよ。だけど、それもなんかうさんくさい。西村博之は、常にそういう立派な物語から逃れて、いかがわしい感じで やり続けているのが面白いといえば面白いかな。」
896 :
895 :2009/04/17(金) 02:06:55 0
↑改行ミス失礼しました。 「ジャーナル」鼎談は中森が司会のはずが浅田彰が司会のようになってます。 東との齟齬は『批評空間』時代から変わらないような感じです。 先に引用した部分はネット批判をフォローした部分です。全体では「物語」がキーワード ですが(浅田氏は結局司会役なので)目新しいものはありません。 浅田「‥…要するにケンカできる場所を確保することですね。‥…」p26より
浅田にひろゆきの何がわかるというのか。 おじんでしょ、もう。誰かいってやれ、「あんたはすでに」
西村信者ww
もうおじんに出番はない 誰かいってやれよ、「おまえはもう・・・」 おじんがひろゆきをしたり顔で
ひろゆきをおっさんだと思わないあたり、こいつもおっさんなんだろうな
>>836 >このスレにかぎらないことだが近年の2ちゃんは
>
>>316 や
>>345 、
>>580 のような、自分の優越感を満たすためのようなレスが多いから
ロムってたらみつけたんですが、580です。言い方が悪かったならあやまります。ごめんなさい。
>>577 さんが
>ノスタル爺が湧いたせいで
>池田亮司展の話題もスルーかよw
と書いてらしたので、自分が流れを変えてしまったのなら申し訳ないと思って、池田亮司展に話を戻そうと
「そこに戻りましょう。どなたか、お話を」と書いたので、煽るつもりも優越感を示したつもりもなかったのですが・・・。
「そんなに拗ねないで」と言ったのは
>このスレも終わりだぜ
と極論されたので、そんな・・・と単純に思っただけです。ごめんなさい。
今後は気をつけます。
丁寧な返答、ありがとう こっちもすまんかった
>>832 >会議中にお吸い物出すの手伝ったとか、そういうの。
こんな文章まで読んでくださってるんですね。恐縮です。
こういうつまらないことを覚えてるものでお耳汚しでスミマセン。
ここのアカデミックな雰囲気には合いませんね。
>>833 >対談記事と加筆の話が入っていたと思うけど、
>ICFってちょっと見た感じ、浅田の対談記事は見当たらない
ICFがらみで浅田氏をパネリストにした対談は2度あったと思うんです。
1度はデザイン関係のもの(これ、確かクオータリーに載った記憶が
あるんだけど、違ったかな。今度調べてみます)。主催はICFじゃないけど、
だれかがテープ原稿まとめてた記憶があるので。
あと1回は終刊近くに佐和さんも呼んで、読者対象にシンポをやったんです。
これは別刷りで出したかと思う。国会図書館には行ってなかったかも。
>>.835
>手の空いてる人は日経の発掘調査隊に行ってほしい
発掘過程で、ご質問が出たら可能な範囲でお答えしますが、こちらもQ号を見て、
随時材料を提供していければ・・と思います。浅田氏と執筆者の話になると、
どうしても自分が担当してたSpaceジャンルに偏ってしまうのは申し訳ないんだけど。
他ジャンルの細かい話は知らないもので。そこは、他のICFメンバーもここを見ている
ようなので、発言してくれればと思います。
上で出てたダムタイプの話も浅田氏の当時の感想みたいなのが載った号があると
思いますが、みなさんにとっては耳新しい話ではないかも。
内容紹介とかは、引用が出てきたりすると逆の立場の人からは「コピペ荒らし」に
見えちゃうので悩むところなんですが。
906 :
考える名無しさん :2009/04/17(金) 22:14:37 0
熱いのいいな。 でもこんなところでも、無理矢理な引用してて ほんと発想全体が、批評脳だよな。
907 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 00:19:52 O
みち
>>904 おお、帰ってきてくださった。
浅田氏の謎に包まれたICF時代は浅田読者なら誰もが知りたいはず
荒らしは無視してぜひいろいろ聞かせてください。
個人的には、浅田氏が中森氏との対談を熱望していたという話がすごく意外で面白かったので、
そういう当時の文化人と浅田氏の関係がうかがえるような話を聞きたいです。
浅田氏が特に推してた執筆者とかいたんでしょうか?
初期の浅田は香山リカが好きだったり、今と全然違う
910 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 02:48:19 0
日本の宗教界は、キリスト教については、 カトリック系のキリスト教団体も、プロテスタント系のキリスト教団体もが、在日朝鮮人に浸食されている現実がある。 仏教界にしても、日蓮宗系に限定するにしても、在日朝鮮人に乗っ取られた創価学会が、今や与党の一角を占めている。 いわゆる右翼とされる勢力は、その過半数が在日韓国人、朝鮮人である街宣者右翼によって、主義主張を汚染されている。 左翼は?と言えば、旧・社会党と現・社民党の党首が、元在日朝鮮人の帰化人だったし、今もそうだ。 今日、混沌とする世界情勢の中で、日本と日本的なるものは、帰路に立っている。 自民党は、けして保守政党ではなかった。 自民党は、旧・社会党(=朝鮮総連)と裏では相互協力し相互補完することで、生き延びようとした敗北主義者の集まりであり、 旧・社会党(=朝鮮総連)が没落した後は、 公明党(=在日が主導する創価学会)と相互協力し相互補完することで、生き延びようとしている敗北主義者の集まりなのだ。 今の民主党の保守系の国会議員たちは、知らなければならない。 あなた達の理想 と あなた達を保留付きで支持する人たちの理想が、結果的に一致する可能性があるのかどうかを。 ↑結構、真面目に書いたのだけど、コアな浅田読者はどう思う?
レイシスト乙
>>909 そう言えば香山リカさんはお気に入りでしたね。いまは違うんですか?
前に中尊寺ゆつ子さんの話が出たけど、マンガに登場したという話は
けっこう嬉しそうでしたよ。「私のまったく知らないところで出たものです」
と言いつつも。「あのマンガのせいですかね。私に会いたいという若い女
の子が(研究室に)近頃やってきて、座ってたりする。わけがわからない。
ククク」と笑ってらした。
>>912 SPAに出た時点で香山リカはなんか違う存在になってたでしょう
>>908 宅八郎の名前が出てたけど(90年に変名したのが宅なのだが)、
宅ってもともと中森の後輩で元友達だったりするから、きっとあの流れなんだろうな
>>912 >研究室に)近頃やってきて、座ってたりする。わけがわからない。ククク
クククとはw いろいろ楽しいエピソードで困るw
>>913 そうなんですか。浅田氏が香山リカさんをどうとらえてたか知らないのですが、
ICFのメディア担当者ならよくご存知だと思う。あのころは会議で名前が出ても
自分は本人を見たことないから勝手に神秘的なイメージ持ってた。
後にワイドショーのコメンテーターになられたときは意外でしたね。その前に
内藤剛志の司会する人間ドキュメントみたいな番組で観たのかな。
ワイドショーだと江川紹子さんが言いそうなコメントだったりするから、声だけ
聞いてるとまちがえちゃうときがある。そういえば当時接触した人でワイドショー
のコメンテーターになった人けっこういますね。やりそうにない人が。
>>914 宅八郎は会議中恩師の稲増さんから名前が出たのを浅田さんが
受けたと記憶してる。
厳密に言うと「ク」と「フ」の中間みたいな発音ですね
917 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 06:05:16 O
餌に食い付いて離さないスッポン状態だな。痴女用語でいうところのWフェラだ。
918 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 06:15:14 0
919 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 06:28:29 0
朝日ジャーナル緊急増刊読んでみた。 浅田氏の主張は大きく分けて二つ。 (先日の東工大で行われたシンポでも述べられていたように) ゼロアカ世代の東ら若手論客の論調は古いそれの焼き直しであること。 批評はなくなってもかまわないけれども、批評家や読者のためには 雑誌媒体が必要だと思うしそう思ったからやってた。 ただ、基本は投瓶通信でいいし、勝手にやるしかないじゃないの。 二十一世紀の標語はこれ。ソトコトweb憂国から転載します: 浅田:実は僕は終盤戦でヒラリーのファンになっちゃってさ(笑)。 オバマの2冊目の自伝が『Audacity of Hope』っていうの。“今あえて希望を語る大胆さ”って感じ? それをもじって、ニューヨークタイムズのフランク・リッチが「Audacity of Hopelessness」、 つまり“希望がないのに戦い続ける大胆さ”っていう題でコラムを書いているの。もちろん それはヒラリーに撤退を促すコラムなんだけど、そういう批判にも負けず徹底的に戦うヒラリーは凄い。 ほとんどターミネーター状態で、倒しても倒しても起き上がってくる(笑)。 僕はAudacity of Hopeよりも、Audacity of Hopelessnessを買いたいな。
>>916 ああ、そっか<稲増
中森・宅と同じ法政で、稲増がさらに一回り上になるので、
意外に三者間で昔から面識あったのかな
よくは知らないけど、かつて中森などを背後にすえて
「新・新人類」とくくられてデビューしかけた一群の一人ですよ宅は
>>919 しかし希望を語る、という立場は理解できるんだが
浅田が今一体戦っているのかというと疑問が・・・
じゃあ俺も引用するかな。これ以上はもう立ち読みしろと思うが。 浅田「---とくに外国語に関心をもたなくなったのは大問題です。---」 東「そうですねえ。---」
923 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 06:38:15 O
闇
北野誠はなぜ消えて、どうしてテレビはそれに全く言及しないの?
>>920 前にも書いたと思うけど、宅八郎は稲増ゼミの学生とも
交流あったし。彼をよく知る2年後輩が編集部にいた。
>>908 >浅田氏が特に推してた執筆者とかいたんでしょうか?
印象にあるのは布施英利さんですね。とても興味を持っておられた。
.「とにかく面白い人物だから書かせてみて。読みたい」と切望された。
手元に本がないのでどの号に載ったか覚えてないけど。
布施さんの名前は浅田さんによって知りました。当時は東大の助手で
一般には知られてなかった。美学から解剖学に入られたという点に
惹かれたんでしょうね。いかにも浅田氏の好みという気がする。
そのとき養老孟司氏の話も出たと思いますが、
養老さんと隈研吾さんは対談してるんですね。20年前には結びつかない
お2人だけど。
>>924 西部・中沢の話題は会議でも浅田さんが
雑談風に話された記憶がある。こちらは込み入った学内対立のこと
は聞いてもよくわからないから聞き流してたけど。でも、稲増さんが
浅田さんに話題をふったら「私のことはどうでもよろしいんですけど」
とさらっとかわして議題に入られた。
そういえばすいっと就任されましたね。「今度肩書き変わったから」
とデスクから言われた。
928 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 07:33:19 0
とにかく浅田氏が元気なうちに世界は彼に散策させておくべきだ。 各地に散らばる「希望なき闘争」「長征」、いわば純粋な元気を 彼は皆に紹介せずにおかないのだから。 「ドラゴンボール」を集めるブルマみたいなもん。
929 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 11:56:39 0
世界をお散歩する彰
ICFってなに?
931 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 13:16:01 0
>>910 マッカーサーが連れてきたニューディーラーの正体
日本の戦後は、アメリカの政界の最も悪質な部分である「ニューディーラー」にたちによってつくられた。
彼らニューディーラーたちは、1930年代のアメリカのリベラル勢力である。彼らの代表がフランクリン・
ルーズベルト大統領であった。この一部が敗戦直後にマッカーサー元師の取り巻きとして日本にも上陸した。
この者たちによって私たち日本人は、敗戦直後から現在までずっと管理・教育されてきた。この事を英文で書くと
次のようになる。
The‘New Dealers'(i.e the prototypical globalists)brought int japan with their ideeas that brainwashed
the japanese people duringt the Occupation years.As a result,japan has led a sheltered existence for the
past half-century from the rest of the world in terms of prevailing political thoughts,thus creating a
one- domineted ruling class. This ruling class then intentionally isolated the country from the outside,
in order to maintain control over the japanese people.
上の英文の訳
「ニューディーラー(すなわち、グローバリストの初期の形態)が、占領時代に日本に彼らの思想を植えつけた。
その後、それらの意図的な思想が、日本国民の思考の中に根づいた。だから日本は、この半世紀の間ずっと、
世界中で通用している本物の政治思想や考え方から壁を作られて遮られてきた。そして国内に専制的なひとつの
支配階級をつくった。この支配層は日本国内の支配を維持するために、日本を外側世界と意思が通じない状態に
置く原因をつくった。」
この英文を、自分の友人や知人のアメリカ人やイギリス人その他の英語圏国民に見せてみとよい。 政治問題に
関心のある少し知的な英米人であれば、必ずそれなりの興味深い反応を示すだろう。もし、本当に頭の良い賢明な
アメリカ人であったら、「どうして、お前は、このことを知っているのだ?」と驚かれたあとに、さらに多くの
恐るべき真実をあれこれ語ってくれるだろう。
引用は副島隆彦「日本の危機の本質」P33〜34
932 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 13:17:27 0
>>910 そして、真に驚くべきは、日本の保守派の責任ある立場の人々の政治化までもが、このアメリカの
リベラル勢力の仮面をかぶったニューディーラー=グローバリストたちに、自分たち自身が戦後
ずっと育てられてきたのだという大きな事実を知らないことである。
(中略)
日本の保守派までもがなぜ、戦後、半世紀の間、アメリカのリベラル勢力に育てられなければ
ならなかったのか?ここに戦後半世紀の最大の謎がある。そして、このことが日本の最大の弱点で
ある。「どうして日本の保守が、アメリカのリベラルに育てられなければならなかったのか」と
いう謎に答えようとして、私はこの本を書いている。
(中略)
日本国内のリベラル勢力はどうせ責任感のない人だからほっておくしかない。私自身が、学生時代
からずっと反体制急進リベラル派だったから、自分の愚かだったことを含めてこのように書く。
このように書いて少しもためらわない。日本の戦後左翼やリベラル派をつくって育てたのも
マッカーサー進駐軍以来のアメリカの民主党系の連中である。ところが、日本の保守勢力を見守って、
育ててきたのもニューディーラー=初期グローバリストなのである。だから、現在、自民党と社民党
(社会党)の野合政権という奇妙な政権が続いているのだ。お願いだから、日本のリーダーたちは、
アメリカの共和党の本物の保守派の人々ともつきあってほしい。彼らから本物の保守思想とは
どんなものなのかを真剣に聞きだしてほしい。それが、ヨーロッパ近代政治思想の各流派
(ロッキアン・バーキアン・ ベンサマイト)の対立にまで行き着く事を勉強してほしい。
副島隆彦「日本の危機の本質」
933 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 13:18:08 0
私は東京に帰ってからこの本には邦訳があることを知った。「さらば吉田茂」(現在は「日本 永久占領」という文庫で発売されている)である。 私はこの本を読んで驚愕した。読みながら本当に手足が震えるのを感じた。自分が知りたかった 日本の敗戦後の政治秘話が正確に書かれていたからだ片岡教授の正確な冷静な描写は、現在日本 占領研究では最高とされるイギリス人日本研究者のイアン・ブルマ氏と共通する視座に立っている。 (中略) マックと吉田がやった日本の戦後政治体制の正確決定づけがもうひとつある。それは、この後 保守が二つに分裂するときに少数派である社会党がどちらかの保守にそれとなく加担することで ある多数派が作られ、政権を作る、という構図が生まれたことである。そして分裂したほうの 保守派に対しては殺戮にも等しい攻撃がくわわることになる。 (中略) 社会党や日教組、それから戦後日本共産党という「反戦平和・護憲、再軍備反対、海外派兵阻止」 を主張する勢力は、ソビエト・ロシアによって作られた勢力ではない。これらの勢力は、実は マッカーサーが憲法典と共に予め意図的に日本の戦後体制の中に仕組んだ装置であった。 引用は「日本の秘密」副島隆彦 P12,22
934 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 13:18:51 0
>>910 さてユージェニックスにしろ、学問方法(メソドロジー)としては、 social engineering ソシアル・エンジニアリングである。
このソシアル・エンジニアリングなるものの怖さを知らないで、「自分は日本の社会科学者だ」などと信じている土人学者たち
全員を、私は、激しく、蔑(さげす)んできた。この言葉の意味も重要性も知らずに生きてきた、馬鹿たちの群だ。
自分たち日本人(日本部族)白身が、『菊と刀』で真っ裸にされたのち、ロボトミーに等しい、文明化外科手術、すなわち、
ソシアル・エンジニアリングを敗戦後に受けたのだ、と自覚すべきである。
ソシアル・エンジニアリング(社会工学)は、アメリカのリベラル派の学者たちの秘技秘伝であって彼らはこれを肯定する。
しかし、シカゴ学派の本物の保守派やアイン・ランド女史のようなリバータリアンは、ソシアル・エンジニアリングの学問を唾棄
して否定する。未開の現住民たちに施してはならない文明化外科手術である。それをやられたら、原住民たちは、おかしく
なるのだ。 だから、敗戦後にこのロボトミーを施された日本部族の若者が金茶髪にして成人式でも暴れるのだ、とみんな
分かればいいのに。 どうしても、どうしても、敗戦後のアメリカ軍(占領軍、マッカーサー・ニューディーラー)による、
日本国民洗脳がその原因だと、認める訳には行かないのか。そうか、どうしてもいやか。
先生の小室直樹だけが、これが、日本人が敗戦期に天皇=神を否定されて起こした「急性アノミー」だと、はっきりと解明した。
今の私ほどは、あからさまには書かないが。
ソシアル・エンジニアリングというものは、これほどに恐いものなのだ。それが、ソシオ・バイオロジー(社会生物学)と
いう別の名前も持つのだ。ソシオ・バイオロジーについては、コンラッド・ローレンツについて本書の別のページ
でも書いた。だから、シカゴ学派で過激派フェミニストの元祖のひとりであるソニア・シャンクマンが、ウルトラ・
リベラルであるからこそユージェニックス(優生学)をやり、ソシアル・エンジニアリングを治療・方法・政策学
として実践したのだという事実を私たちは確認すべきだ。
副島隆彦『属国日本論を超えて』P120〜121
935 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 13:30:20 0
>>910 アメリカのグローバリストが、戦後の日本人を計画的に思想洗脳(ブレイン・ウォッシング)状態に置き、諸外国では
ごく常識のことであり初歩的な政治思想理解であることから日本人が故意に切断された。日本の生来、政治思想を学ぶ
べく生まれた優秀な人間たちが、世界の真実を学び取ることを、遠大で、巧妙なな障壁と仕組みを作って彼らが阻止
したのだ。今の私たちには、それらの策略がはっきり分かるようになった。
(中略)
私は、独力で、世界水準のごく当たり前の政治思想理解に、到達した。これを思想不具者にされた、かわいそうな
日本国民に伝える事が使命・天命である。だからはっきり書いて残さねばならない。彼ら、ニューディーラー=
初期グローバリストは、敗戦後に命乞いをして生き延びた我々日本人に、どのような、洗脳教育(マインド・
コントロール)と、文明化外科手術(ソシアル・エンジニアリング)を施したのであったのか、をこれからも
逐一暴いて証明してみせる。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P227〜228
936 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 14:59:13 0
彰は副島の言ってることに対してどう思ってるんだろうな。
同意するでしょ。 副島って案外明晰だよ。 馬鹿に見せている。 トンでも本出したのも作戦。
助手時代の彰って京都と東京をしょっちゅう往復するような生活だったのかな。大学の雑務はどうやってこなしてたんだろう。 京大人文研がどういうところなのかよく知らないけど、今とは違って大学ものんびりした感じだったのかな。
経済研じゃなかったっけ しかし80年代中期〜90年代を通して研究所で何をしていたのかは本当になぞだ 「きっと何にもしてなかったんだよw」としばしば今は言われるけど、 文字通り何もしてないってことはないんだろう ただ、研究業績としては何もしてないようなものかもしれないが・・
941 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 18:10:08 0
今日国会図書館で浅田彰を論文検索かけたら結構でてきたので驚いた。 驚いただけでコピーはしてない。反省は少ししてる。
もっと初期浅田を発掘してこーぜ
そういや浅田の授業の話は聞かないな。私的ゼミ?の話はよく耳にするが。
945 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 19:56:26 0
何もしてなかった、ではなく、そこにいなかった、 ただ席があっただけ、なんだ。いっつも退席中の人だから。 逆に言えば、研究所に箔をつけるために名前を貸していただけ。
946 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 20:26:45 O
自分に女いねーのそいつらのせいじゃねえのかよ?そつな嘘ばっかりつきやがって何やってんだよ?
947 :
考える名無しさん :2009/04/18(土) 21:14:26 0
国会図書館はウェブで検索コピーできるじゃん。 だからページ数だけネットにあがっていれば ピンポイントで、コピー郵送してもらえる。
949 :
考える名無しさん :2009/04/19(日) 00:03:02 0
l
950 :
939 :2009/04/19(日) 00:37:43 0
951 :
939 :2009/04/19(日) 00:43:58 0
>>943 いや、 場所によっては造形大学生のメモなんかで見たことはある
ミクシーだが
今年度初回では軽く千住博を腐してたらしい
>>941 書誌にあがってないものってあった?
「経済メカニズムにおけるインセンティヴ」、『季刊現代経済』49号、1982.8「臨時増刊=現代経済学のフロンティア」
これならコピーで俺持ってるけど
傍線部だらけなのでうpれるような代物じゃないが
>>947 書誌はできれば頁数記載してほうがよかったのかな
浅田彰:ここで飛躍を厭わずフランシス・フクヤマが『人間の終り』で論じるバイオテクノロジーの問題ともからめて言えば、 20世紀が限りない延命を目指した世紀だったのに対し、21世紀の課題はそれへの反省であり、具体的にいって、たとえば安楽死施設、 さらには自殺(幇助)施設の合法化であると思う。 生きたい人は生き、死にたい人は死ぬ。それでいいではないか。 ニーチェは「最後の人間」について「少量の毒をときどき飲む。それで気持ちのいい夢が見られる。そして最後には多くの毒を。それによって気持ちよく死んでいく」と書いている。 かれの侮蔑にもかかわらず、私はそれも悪くない選択肢だと思わずにはいられないのだ。 もちろん、私はいますぐ死にたいというのではない。大江健三郎の『憂い顔の童子』で「母親が生きている間は自殺できない」という主人公の強迫観念が主題化されていたが、 これはすでに父を喪った私にも大変よくわかる。 幸い、私はきわめて凡庸な常識人なので、倫理と言うより礼節の問題として。母より先に自殺するつもりはない。 そうやって生き延びている間は、「最後の人間」を気取って暇つぶしをしながら「i-modeかなにかでくだらないお喋りを続けること」があってもいいのではないか。 また生きて努力しようとする人々にささやかながら助力することがあってもいいのではないか。 だが、鎌田哲哉が、そのようなおせっかいは生の意思を死の病毒で汚染するだけだというのなら、私はそれを断念し、彼の後姿にむけて静かに幸運を祈るばかりである。
i-critiqueの鎌田への返答か
>>954 それは鎌田の罵倒の内容もウプしないと意味ない。
>>953 できればそうだけど、基本、記事題名と著者が分かっていれば、国会は対応してくれる
不安になったので追加。あと当然雑誌名
浅田を信じたら無職になり不幸になった
信じるなよ
で、ICFってなに?
>>836 > このスレにかぎらないことだが近年の2ちゃんは
>
>>316 や
>>345 、
>>580 のような、自分の優越感を満たすためのようなレスが多いから
春でウキウキしていたのは、私の方でした。
申し訳ありませんでした。
ところで、私は金井先生のファンクラブを主宰している者なのですが、
先生が蓮實スクールを破門されて4年が経ちました(「溝口チャンバラ映画事件」)。
われわれファンは、1日も早い金井先生の復学を望んでいます。
そこで、蓮實氏が破門を宣告したのが彰との対談時(『新潮』'05年5月号)
だったからというわけではないのですが、スクール復帰をはたすにはどうしたら
いいと思われますか?皆さんの知恵をお借りしたく、よろしくお願い致します。
次スレには2あたりを、テンプレFAQ対策に作っておいた方がいいかもな
憂国読み返してたらオウムの事件のとき 「タイム」にコメントしたら変なとこだけカットされて・・みたいなことが出てたけど 書誌厨には海外の雑誌に載った記事も発掘してほしいね。
今更報告だが、FRAME1号目次、書誌にまとめておいたぞ しかし80-90年代を総覧するとなると『現代思想』『季刊哲学』等もやりたくなるから困る ま、その前にインターコミュニケーションと批評空間の目次整備か
968 :
考える名無しさん :2009/04/19(日) 18:58:03 0
音楽やら芸術の教養を積んだ日本人ならたくさんいる。相当な経験と知識量の人々がいる。ところが政治 思想が分からない。そもそも世界基準での政治思想の初歩さえ全く分かっていない人間の群れが、私たち 日本人なのである。世界基準での音楽の素質や各種の芸術に対する教養人が日本にはたくさんいる。 だから決して無教養ではない。ところが政治思想(ポリティカル・ソート)というのが全く理解できて いないのが知識人、学者を含めて日本ののエリート階層である。だから、「深い教養がみについていれば 欧米人と対等に付き合える」という言い方だけは日本でも言われてきたが、ちっともうまくいってない。 「日本人は世界基準での政治思想なるものが系統だって分かってないから、アジア諸国の知識人たちほど にも欧米人から対等に相手に扱われないのだ」とはっきり気づき、公言する日本人は私以外には、まだ いないはずである。 少なくとも、十八、十九世紀のイギリスの大思想家であるジョン・ロック主義(ロッキアン)と、 エドマンド・バーク主義(バーキアン)と、ジェレミー・ベンサム主義(ベンサマイト)の、 この三派の大思想の大柄の対立ぐらい、しっかりと分かってないと、向こうの高校生並みにさえ 扱ってもらえないのである。日本の文科系の知識人の思考にはとにかく「論理に系統性」がないのである。 副島隆彦「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ」
969 :
考える名無しさん :2009/04/19(日) 18:58:59 0
日本では「政治思想」なるものはいつも断片的にバラバラに、前後の脈略なしに、適当に外側(欧米世界)から 翻訳文として押し寄せ、流れ込む。しかも、世界の知識人たちが理解している全体構図とは関係なしに自分勝手な 理解を国内に広める。そしてやがて棄て去り、次の新しいものにまた飛びつく。 「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」(副島隆彦 著 講談社)
福島の言う「世界の知識人」って誰のこと?
>>970 コピペにいちいち反応するなバカ。
荒らしだよそいつは。
だいたい名前も間違ってるし。
お前みたいな低脳はこの選民スレから即退場。
ついでにノスタル爺と書誌厨も即退場。
コピペの副島の文章は、平易で説得力があるけど、個別の問題なり課題を具体的に語っているのかと言えば、そうでもない。
副島クラスの真実を書くと圧力が酷いからね わざと狂人を演じてる 細かい点を書かないのもそのせい
976 :
考える名無しさん :2009/04/20(月) 10:23:37 0
なんで圧力かけるのさ?どんどん真実書けばいいじゃん 日本が世界の先進国になるためにさw
副島のいっていること正しい 浅田とかスノッブだよたんに
978 :
考える名無しさん :2009/04/20(月) 12:08:13 0
両方とも、大雑把な観点で、魅力的なストーリーを 語りたい人だろ。文体と趣味が違うだけ。 論理の飛躍があるのは、それでも語りたいから。
副島厨の自演に相手してんなよ
>>926 >>908 >浅田氏が特に推してた執筆者とかいたんでしょうか?
>印象にあるのは布施英利さんですね。とても興味を持っておられた。
.>「とにかく面白い人物だから書かせてみて。読みたい」と切望された。
>手元に本がないのでどの号に載ったか覚えてないけど。
種類からいってクオータリーかな?布施英利ってマリークレールに書いた
ことなかったっけ。
養老は『文化の近未来形』ですでに島田雅彦と対談してたから(1985)、 80年代初頭にはこの界隈につながってたっぽいね
スレ立て乙です
こんなの作ってみた。
次スレにはっておくね
FAQ
Q. ICFって何? イメージ気象観測って何のこと?
A. 浅田が87年から94年まで企画監修していた雑誌
『日経Image Climate Forecast 日経イメージ気象観測』のこと。
商業的にあまり流通してなかったが最近このスレで注目されつつあり、しばしば話題になる。
どういう雑誌かは、書誌のICFのページやpart52スレのログなどを参照。
ttp://www36.atwiki.jp/aabiblio/pages/66.html
次スレでICFのことも付記してくれたんですね。 Q3号の浅田原稿にも「昭和の終焉の可能性」と出てくるけど、 昭和天皇のご病状重篤は期間が長かっただけにみんな気にしてた。 確か浅田さんも予定稿を用意してあったかと記憶してます。 浅田さんも会議で「本当のところどうなんでしょうね。血液全部入れ替え ってありうるんだろうか」って。張り込んでた番記者が次々倒れたりしまし たし。東京新聞の記者が亡くなって、その人が知り合いの同期でした。 「傘持ったまま死んだって本当だろうか」と浅田さんが聞いたので「本当 だって社員が言ってますが」と言うと「ほーんと。傘持ったままって、なんとも はや。笑えないけど大変なことになってる・・・」と稲増、柏木両氏の顔を見て 忍び笑いされた顔をいまでも覚えてる。
>>985 より親切かもしれないですね。
>>986 >それいらんから
絶妙な間での突っ込み、「それいらんから」って言い方が
かわいらしくて面白い。
ま、
>>986 は「ICFってなに」のレスをわざとやってた粘着なんだろうな
>>987 死去直後に、珍しくマンスリーで浅田が1ページ分使って天皇について文章書いてますね
>血液全部入れ替えってありうるんだろうか」って ほとんどサイボーグの世界ですものねぇ
>>990 ああ、それがたぶん予定稿がもとになってるはず。ご崩御があったら「ぜひ書く」
と言ってたので。
浅田さんの声は高低の差に能楽とか伝統芸能っぽい響きがある。ご本人が 「すごく気に入った」と言ってた静岡の楕円堂のシンポでも、あの空間にマッチ した声だなぁと感じました。 このときのシンポでも岡倉天心、フェノロサが話題にのぼったが、ワタリウム美術館 の「岡倉天心展」のオープニング記念講演会でも、天心が東京から出て移住した 茨城県五浦の「六角堂」を現代のイメージで表現した「新・六角堂」の茶室中に入って 磯崎新と対談。このときも、狭い現代茶室の中で対談するのが浅田さんの希望で 実現したらしいが「とてもワクワクする」とご満悦だった。しかし聴講者からは対談者の 姿が見えにくい構造になっており、さながら教祖さまのようだった。 聴講者は茶道愛好家の老婦人が多く、浅田さんの話にはほとんど関心が なさそうで、終了後ブツブツ言ってた。 天心の弟子の六角紫水の子息の六角鬼丈が磯崎新アトリエの初期メンバー。 磯崎新氏がこの展覧会の実行委員長でつながりがあるんですね。 細野晴臣や松井みどりも関連イベントに参加してた。
「新・六角堂」の畳表が近所のホームセンターで売っていた畳ラグそっくり だったとブログに書いてる人がいて笑えた。 浅田氏が「ワクワクする」というのはお世辞だったのでしょうか。お世辞とか 言わない感じですが。
>>993 >聴講者からは対談者の姿が見えにくい構造になっており、
>さながら教祖さまのようだった。
確か、聴講者はスクリーンに映し出された対談者を見るかたちの
シンポジウムだったのでは。「新・六角堂」が宙に浮いた構造に
なっているため、違う階にいる聴講者は直接見られなかった。
>>992 >ご崩御があったら「ぜひ書く」と言ってたので。
読みたいなぁそれ。
おおまかな内容を当ててみせたら格好いいが、いまいち想像つかん。
>>992 めずらしくジョン・ダワーの天皇にかんする文章なども援用しながら説明していて、
あの文章は、数少ないまとまった浅田による天皇言及だと思いましたよ
「なかなかこういう機会でもないと書けないから 書いておきたい」と言ってましたからね。 世の中が変わってきたとはいえ、やはり天皇に言及 すると注目されるからいつでも書けるというテーマ でもないのでしょうね。その意味では貴重な寄稿だった といえましょう。
浅田さんは東京グランギニョルのこと評価してたけど 元主宰者の飴屋さんは状況劇場出身なんですね。 浅田さんにも、もっと話を聞いとけばよかった。 当時飴屋さんを担当した人はTHEガジラの鐘下辰男の 友人だからいろいろ話聞いたんだろうなあ。
>>999 飴屋は状況劇場の元音響担当ですね
グランギニョル結成は84年だったかな
名前の由来は澁澤がジョルジュ・フランジェ『顔のない目』についての評から
ラディカル・ステーションで飴屋も生田萬と主演してて、そこでの会話で来歴が触れられてる
「東京グランギニョルでは脚本家・演出家・役者として恐怖劇を展開している」とか
会話内容は廃墟と未来イメージ、って感じで、ブレランや楳図かずおも言及されてる
女優の片桐はいりって生田萬&銀粉蝶が結成してた劇団「ブリキの自発団」出身だったのか
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