東浩紀249

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326普遍君
>>298
何か批判すると、298のコピペ
(298さんに対して悪意はありませんです)


>>14-15について>>261に続けてさらに書きます。

ローカルなカリスマのままで消費され尽くされてしまうことが
言われているが、これは1、2年「一世を風靡」してその後「消える」
お笑い芸人と同じような事態にすぎず、それを選ぶ側が匿名であるか
少数であるかは、「選ばれてしまったひと」、「選んでしまったひと」たちに
対してどうするかという問題にとって本質的に重要なことではないと思う。

選ばれてしまったひとについては、残ること優先なら、自分の資質上可能な
範囲で残れる工夫をするしかない。どんな「タレント」も「多方面で活躍する」
ことや、売れ続ける人は司会者であることから分かるように、消費されつく
されないためには、「話題性」を提供し続けるか、提供される「話題性」を
近くで扱えるポジションを占めるしかない。
何かを貫きたいなら、程度の差こそあれ、それを貫くしかない。これらの
選択を根本的に支配しているのは、つまらない結論だが経済的な問題にすぎないと思う。

何かのコンテンツに価値があり、それを作り出す人(選ばれてしまったひと)を
外側から助けたいのであれば、彼を経済的に支援するか、みんな経済的に
支援されるので彼も救われるか、どちらかの方向しかない。伝統工芸など、
まったくそのような仕方で保護されている(カテゴリにあてはまる「みんな」を
保護する)。残るのは、コンテンツを「盛り上げ」「飽きる」問題だが、これは
対象に対する関係で「選んでしまったひと」の問題ではなく、今の社会で前提
される「面白さ」の性質が、本質的に一過性のものだとされていることに由来
する。本来、「面白さ」は、継続的だったり学術的だったりノリが悪かったりする
ものでもよいはずなのだが、そのようなものは「面白さ」からあらかじめ排除
されている。そのような前提が働いている限り、塚田さんが言うような状況は変化しない。