182 :
考える名無しさん:
人は人生の年月の中で、五年、十年単位で、自分の考えが変わってゆく。その変わってゆく自分を、しっかりと
記録しつづけることだ。あのときは、ああ考えて、ああ信じていたが、今では、このように変わって、こう
考えている、と書くこと。なるべく正直に書くことだ。自分に向かってきちんと文字で書いて確認してゆく
作業をすることである。それが、知識、思想、学問なのだ。人間は年を重ねるにつれて考えが変わってゆく
生き物だから、それでいい。それが成長するということなのだ。だから知識、思想、学問というのは、何か
新しい知識を西欧やアメリカから持ち込んで、自分勝手に改造、変造して日本語で適当に売りさばくこと、
なのではない。
今の私は、このように考えている。だから私は、吉本の、「転向とは、人間が成長してゆくことだ」と
書いた転向論としての吉本の思想観を、今でも受け継いでいることになる。
昔の吉本はやっぱり偉かった。
副島隆彦「日本の秘密」P122
183 :
考える名無しさん:2009/04/08(水) 01:51:49 0
私は、長い間考えた末に、日本のようなアジアのはずれの国に、世界に先駆ける何か新しい優れた大思想など
生まれることは、ありえないのだ、という結論に到達した。三十歳ぐらいの時である。イギリス、フランス、
アメリカでまだ実現していないものが、日本ごときで実現するはずがないのだ。私は、人間社会のあり方に
於いて、こういう進化論者(時間進歩主義者)である。日本の知識人がやること、考えること、書くことなんか、
全て、一切合切、輸入学問であり、欧米知識人の猿真似である。そうでしかありえない。
奈良。平安時代も室町時代も江戸時代も、ずっとそうであった。ずっと歴代中華帝国で栄えた思想・宗教の
輸入学問であった。私にとって、これは、もう確信だ。
日本の伝統―それは、文化の劣性遺伝子だ、と吉本隆明が書いていた。あの頃の吉本だったら、
私は今でも信じている。
副島隆彦「日本の秘密
184 :
考える名無しさん:2009/04/08(水) 01:53:24 0
日本では、学問(サイエンス)というのは、欧米世界で評判を取った一流学者たちの仕事を、国内に紹介するというか、
泥棒というか、勝手に代理店を開くというか、華々しく輸入するというか、そういうことに過ぎない。これは今でもそうだ。
(中略)
アメリカでは「この本を私は、翻訳して出版しました」というのは、絶対に学問業績にならないのだそうだ。履歴書の作品
欄に、書いてはないらない。「絶対に書くな」と何人かのアメリカ人の友人に、私は忠告された。「いや、そう言っても、
この本を訳すのは大変だったのだ。日本では、翻訳するだけでも大変な業績になる。翻訳書が1冊あるだけで、学者だ。と
威張ってるのがたくさんいる」と私が、反論しても、絶対に聞き入れてくれない「恥ずかしいことだから、
止めろ」としつこく言われた。翻訳は研究業績にはならないのだ。「それはインフォマート(現地人の情報提供者)の仕事で
あって、学者の仕事とは、認められないのだ」と、強く言われた。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P36〜40
185 :
考える名無しさん:2009/04/08(水) 01:54:58 0
訳の分からない気取りで、わざと難解そうな文章を書く人は、どうせみんなから捨てられる。
このことは、肝に銘じておいたほうがよい。自分の仲間うちからも捨てられる。 日本の知識
業界は、長く1920年代からの、昭和初期の新カント学派と呼ばれる、「ドイツ哲学の学者達」の
悪弊に始まって、やたらと難解な文章を書くことが、偉い事だとだという巨大な思い違いをしている。
この病気は今でもなかなか治らない。本当は自分の頭が良く無いだけのくせに、そのことが周りに
バレたくないばっかりに、やたらと、袖象語と、ドイツ式観念語
(本当は禅用語を無理やり当てはめただけ。観念とか本質とか根本とか意識とか。約500語)
を使いたがる。 読んでいる方はいやになる。 だから、最後には捨てる。
私は、そういう、本来学者になるべきではないのに、学者になっている人たちの、どうしようもない
下手くそで、難解なだけの論文を、30代のこと付き合いでたくさん読んだから、
このことが、よく分かる。エリート銀行員か、官僚にでもなれば良かったのに。
こんなに自分に向かないことで苦しんで、しかも、こんな下手な誰も説得できないような文章を、
苦しみながら書いてると、あとあと大変だろうな。どうせ誰も読んで分かることは無いのだから。
50歳ぐらいで自分に絶望するのではないか、と、ひそかに、同情した学者の卵たちを私は
たくさん見かけた。
当たり前のことを、はっきりと書くことができない。 やたらとこねくり回して、それが
「するどい批評になっていなければいけない」と、勝手に思い込む。
副島隆彦「属国日本論を超えて」P35〜36