それが何であってもいいんだが怖いのは理解する努力より信じこむことだね。
俺がいかがわしいかそうでないかを見分ける最も重要とするポイントは行にある。
スピリチュアル系、や自己啓発系では行為。それをよく熟考するなら、その主張や
論理が妥当かよく分かる。
一般的な仏教を取り上げてみると、行にあたるものは誰もがある程度知っている
道徳律が多いが、一体何人がその教えのとおりに生活出来きているのか。みな聞けば
知っているのに出来ていない人が大半のはず。行が理解できたならその教えは
ある程度まっとうなのがわかったと思う。
基本的な道徳も顧みず、高尚な修行してもなんの成果も出ないってのは言えるかもな。
そういう意味で何が自分にあうか。今はなにをする段階なのかってのを考える事はできる。
巷では科学的?と思われるようなもの、ほとんどまじない?的なものまで多々
あるがみんななんの気なしに夢中にやってるが考えると非常に恐ろしい。
はやりのヘミシンクなんかシュタイナーを読んでればどんな危険なことを
やってるかすぐわかる。(このスレの住人には激しく警告しとく。)意思とは関係
なく脳機能を活性化するなんて手法は何式だとか何理論にかなっているなどと
言ってもかなり精神性とはかけ離れたことをやっているということに気づくと思う
んだが。
筋肉は鍛えればそれだけ動きに効率がよいが脳も同じ計算が早くなったりは
するかもしれない。シュタイナー教育をするより効率のよい理論を取り入れて
子供に学習させれば天才ができる、と考えたらもうそれは人間成長の道からは
大きくそれるだろうね。