●○● Aquirax: 浅田彰 part51●○●
>>947 一流かどうかはさておき、彰の本質を捉えているな。
>>953 だからー、
>>947 の柄谷発言は『存在の耐えがたきサルサ』に入っているのだから、
今頃感心しているようではダメなんですよ。
柄谷や彰の全発言を追っているようではダメだな。 そこがお前の「知」の限界だろう。 つまり知識だけなんだよ、お前は。
知識と「知」は全然違うのだが
疲れた疲れた。書誌は結構改訂しといたぜ。 98年に論座で音楽コーナーをほぼ毎月担当してたのはやっと気づいた。 しかし朝日の『論座』目次公開が98年以前がされていないので、限界があった。 あと、田中との対談が始まる前にGQ JAPANでも音楽欄をやってて、 古本でGQ販売して目次も載せてるところからかろうじてわかったが(創刊間もない93-94年あたり)、 これはおそらく90年代初頭にマリクレールの体質変化があり、移行したんだろうと思う。 いや、時期が平行してる感じかな…。90年代中盤の頃にはもう単なるファッション誌になってたはずだ。 それ以前はマリクレールでの音楽関連記事があるはずなんだが、 まっっったくバックナンバー目次が把握できん。誰か、調べてくれないかな…。 『音楽の世紀末』で出る予定だったものってこのへんの記事と、 あとはWAVE等々での音楽関連対談を入れて出す予定だったんだろうな。
タイトルがわかったもの、おおまかにどういう記事かわかったもの、
新たに足した記事は以下:
80s
・ 「ポストモダンの知性が語る「How toのHow to」座談会」(糸井重里・中沢新一との座談会)、『月刊サムアップ』1984年4月号(創刊号)、集英社
・ 「浅田彰、フライングパイレーツに乗る」、『東京おとなクラブ増刊 PRESS 1st:戸川純・玉姫様伝説』東京おとなクラブ、1984.4
・ 「Endless ミニマルミュージックからポスト・ミニマルへ」(細川周平との対談)、『W-Notation』no.1、1985.3、UPU、「特集=生成・パフォーマンス」]
・ Le Phénomène A.A.", (propos recueillis par Pierre-Maurice Aubry), Magazine Littéraire, no.216-217, mars 1985, pp.40-41.
http://www.forumjapon.com/forum/viewtopic.php?p=48499&sid=41c06c4545e5ec1a6711513a33aa0cbc ・ 「フローティング・オペラ」(坂本龍一との対談)、『WAVE』no.3、1985、「特集=オペラ」
・ 「流転するカオスとコスモス」(宇敷重広との対談)、『WAVE』no.4、1985、「特集=マシナリー・イマジネィション」
・ 「飛行するイタリア未来派」(細川周平との対談)、『WAVE』no.9、1986.9、「特集=ノヴェチェント:イタリアの1900年代」
・ 「?」(松浦寿輝との対談)、細川周平企画『WAVE』no.16、1987.11、「特集=グレン・グールド」、改訂版、1993.5
90s
・ 「メディア・アートへの導入:私的なメモランダム」、『ur』no.1、1990.1、ペヨトル工房、「特集=ハイパーアート」
・ 「ポストモダン・アート」、『ur』no.2、1990.4「特集=ポストモダン・ミュージック」
・ ピーター・グリーナウェイ「FRAGMENTS フラグメンンツ」(聞き手・訳:浅田彰)、『WAVE』no.29、1991、「特集=グリーナウェイ+ナイマン」 ・ 「?」(高橋源一郎との対談)、『リテレール』no.1、1992年夏号、メタローグ、「特集=書評の快楽」 ・ 「さらに磨きがかかったポゴレリチの純な音」、『GQ JAPAN』no.3、1993年5月号 ・ 「ジョン・ケスラー」、『ur』no.7、1993、「特集=ハイパーアート2」、pp.97-111. ・ 「追悼「青の遺言」デレク・ジャーマンを語る」(松浦寿輝との対談)、『GQ JAPAN』no.15、1994年5月号 ・ 「?」(岩井克人との対談)、『広告批評』1994年5-6月号「特集=新資本主義入門」 ・ "Diary for The Day After Tomorrow," exhibition catalogue The Day After Tomorrow, Centro Cultural de Belem, 1994. ・ 「ポスト・モダンの向こう側」(三浦雅士との対談)、『大航海』no.2、1995.1 ・ 「ジェンダーを超えた声」(島田雅彦との対談)、『ur』no.10、1995.6「特集=カストラート/カウンターテナー」 ・ 「[音楽] サイモン・ラトル・ブロードキャスター:20世紀音楽を振り返る」、『論座』1998年5月号 ・ 「[音楽] 世紀初頭のポストモダニズム:R・シュトラウスのメタ・オペラ」、『論座』1998年6月号 ・ 「[音楽] 西洋音楽の終極:ポリーニによるシュトックハウゼン」、『論座』1998年7月号 ・ 「[音楽] リゲティは古典となったか:サロネンの実験」、『論座』1998年8月号
・ 「[音楽] ロスとアファナシエフ:ふたつの「平均律クラヴィーア曲集」」、『論座』1998年9月号 ・ 「[音楽] ハイナーは死んだ、ハイナーは生きている:ハイナー・ゲッベルス『ブラック・オン・ホワイト』アンサンブル・モデルン」、『論座』1998年10月号 ・ 「[音楽] 『プロメテオ』(へ)の巡礼:音と沈黙の狭間で」、『論座』1998年11月号 ・ 「[音楽] テクノミニマリズムの完成:池田亮司の零度の世界、『論座』1998年12月号 2000s ・ 序文「グラフィック・デザインの廃墟からの絵画の誕生」、岡村知子・北出智恵子ほか編、サイトウマコト作品集『MAKOTO SAITO:SCENE[0]』ADP、2008.8 ・ 「突き放す!:グラフィック・デザインの廃墟からの絵画の誕生」(サイトウマコトとの対談、2008.8.3.金沢21世紀美術館にて) ・ 日本語字幕監修&解説エッセイ寄稿、マーカス・ハイディングスフェルダー&ミン・テシュ共同監督『レム・コールハース:ア・カインド・オブ・アーキテクト』DVD、アップリンク、2009.1 ・ 「アーキテクチャと思考の場所」(2009.1.28.世界文明センターでの浅田彰・磯崎新・宇野常寛・濱野智史・宮台真司・東浩紀(司会)とのシンポジウム) いつかGSの目次などもまとめて項目作るかね…。 80年代後半〜90年代前半の批評誌・文芸誌以外のものが、ネット以前なことも手伝って把握しづらいな。
>>957-960 龍の『存在の耐えがたきサルサ』所収の対談「映画とモダニズム」も
足しといていだだけます?
>>961 最初から書誌にある。ただ村上龍との対談、という注記を忘れていたので、そこは改訂のときに加筆しておいた。
鎌田よりフットワーク軽いんだろうな
>>957 ありがと。おもしろいね。
当時Magazine Littéraireに記事載っていたんだ・・・
>90年代初頭にマリクレールの体質変化
安原ケンジが多分退いたんだろうね
マリクレールはそれこそ港区の都立図書館いかないと保存されていないんだよね・・・
国会はメンドイ。
そもそもGS置いている大学図書館もないんだよね。京都造形大学にはなにげにあったのは
びびったwボロボロだったけど。
S.S.乙
『論座』での音楽評連載は、A5版にリニューアルする前、 B5時代の『RONZA』時代だね。 skmt(当時の表記)のBTTBライブを聴きに北欧に行ったら ロックフェスのような野外会場だったので大変な目にあった、 なんてことを書いていた。 アルバム発表時期からして1998年前後だ。 彰の音楽評連載だと、90年代は『RONZA』と『中央公論』、『GQ JAPAN』が 代表的だと思う。
968 :
考える名無しさん :2009/03/29(日) 23:59:12 0
柄谷、浅田は、評論家である以前に、コテコテの関西人である。 柄谷がボケで、浅田がツッコミ。
969 :
考える名無しさん :2009/03/30(月) 00:03:06 0
騙されたと思って見てみろといわれて見たらホントに騙された浅田ファミリー 浅田 彰 浅田 ちち 浅田 真央
>そもそもGS置いている大学図書館 大学図書館ではないが、ICCのライブラリールームに揃ってたのを6年ぐらい前に見た記憶がある。 あそこのライブラリーってパイクとかゲイリー・ヒルのビデオ資料なんかもあって貴重なものがたまにあったような。 ICCのリニューアルで変化したのかどうかは知らない。
あと、こんなのも足しておいた ・パイク追悼ライブ「farewell.njp」に参加(2006.11.2.ワタリウム美術館にて、「さよならナム・ジュン・パイク展」会期中) farewell.njpは音声記録がyoutubeにあったので、もろもろの注記を含めて「映像欄」を大幅に加筆しておいた。
>>972 Traversesに関する注はなるほど、と思った。
そんな俺もポンビドゥーで、最近ゴダール展が行われたようだが、ふーん、としか反応しないようになってしまった・・・
ポンビドゥーは上海に分館作るらしいけど、 どういう方針なのか、とか、向うのキュレーターは今何考えてんだ? とかもはやよくわからないんだよね。設立当初のデュシャン展とかパリーモスクワ 展のカタログとか感動していた身としては悲しい。GSのジュネスペシャルも なぜか、パリーモスクワ展のカタログっぽいロシア・アヴァンギャルドっぽい表紙で、 いままでのジュネ受容からの切断 が走っているところに感動した覚えがあるなあ。 ポンビドゥーの元財務責任者の文化官僚は今日本にいるし、 つきあいあるやつもいるだろうから、つっこんでほしいが、多分要領を得ないだろうなあ。
現代美術に関してのいいスレってないの?
>>973 「電視進化論」ではtraverses所収のマルク・ギヨーム論文も訳されてるからね。
あの時期浅田が映像関係に力を入れてたのは、ファルジエやヴィリリオが目立ってるカイエデュシネマと、
トラヴェルスと、ZONE、Change Internationalだと思う。
ZONEはジョナサン・クレーリーが編集顧問やってて、戦争機械特集ではバラード論が、
電視進化論ではビデオ論が訳されている。
Change Internationalのアリエズ+フェエールの論文が「特集千のアジア」で訳され、
戦争機械特集ではガタリ+ヴィリリオ+ジョクス+ダギーリの討議が訳されている。
この3本は出典が把握できたので明記しておこうか。いずれ目次が完成したら項目作って掲載するよ。
・Jonathan Crary, «J. G. Ballard and the Promiscuity of Forms», Zone, no. 1-2, 1986, pp.159-165.
・Jonathan Crary, «Eclipse of the Spectacle», Brian Wallis, ed., Art After Modernism: Rethinking Representation, The New Museum of Contemporary Art, 1984, pp.283-294.
・Éric Allies et Michel Feher, «La ville sophistiquée», Chage international, no.3, 1985.
English version: Éric Alliez and Michael Feher, «Notes on the Sophisticated City», Zone, vol.1-no.2, 1986: The Contemporary City, New York; Urzone, pp.40-55.
・Férix Guattari, Paul Virilio, Alain Joxe et Giairo Daghini, «Table ronde: L’Etat nucléaire», Change International, no.2, mai 1984.
アリエズ+フェエールの邦訳付記にも浅田は書いていたが、ZONE、Change Internationalとの連携を目指していたんだろう。
>>963 知らなかった。そういう人いるんだね。
いる。ペーパーも書いているよ。
>>973 背景や当時の英仏雑誌の動きも含めてまとめておいてあげないと、単に浅田スゲーになっちゃうからね。
Change Internationalも、今ではネットで書誌確認できない世界になってるが…。
ガタリネットワークを含めて(ゲノスコはそういう面も論じてる人らしい)、誰かこういうのを整理しなきゃ、
浅田の当時の動きがノスタルジーの対象にされてしまうように思う。
電視進化論特集、戦争機械特集でのドゥルーズ『シネマ』読解からして、
浅田はテクノロジーと政治と映像の問題にひきつけて読む気満々で、
当時ビデオ論がどういう意味で活況だったのかを把握しなおさないといけないと思うな。
>>975 ない。そういうスレ、板はないものとおもってやるしかないよ。
>>977 よく知らないけど、NAMに関わってた人みたいねそのスウェーデン人。
>>974 美術館建設ラッシュバブルが終わってコールハースなんかもひいひい言ってた気がするが、
上海とかなら今でもバリバリやってるのかな、俺はGS、トラヴェルスを含めてリアルタイム体験者ではないので、
そういう屈託を幸か不幸かあまり持てないでいる。
>>976 >>978 ありがとう。面白い。
ちなみに、ポンビドゥー文化官僚さんは、京都の日仏会館の館長さん、いま
やっているよ。さらなる出世までの地方巡業だと思うけど。
・・・・誰かつっこんだインタビューしたら絶対買うけどなあ。
ストローブ=ユイレが好きというか、本格的にやってる方とか、
いろいろ、身近にいると思うんだけど・・・
>>980 古谷スレだと古谷語りにすぐ陥るからね。
地味に書誌、言説史を追うのが難しいし、そもそも英米や仏のそういった動向を把握してる住人が
1人いるかどうかってぐらいだろう。俺自身あそこにいるからよくわかる。
>>979 背景や当時の英仏雑誌の動きも含めてまとめておいてあげないと、単に浅田スゲーになっちゃうからね。
まったくだ。「ニューアカ」、なんてのは単なるイメージの世界だもんね。
>背景や当時の英仏雑誌の動きも含めてまとめておいてあげないと、単に浅田スゲーになっちゃうからね。 AAが編集していた『日経イメージ気象観測』のAAサンプラーは文字通り当時の雑誌や文化への反応 をただ断片的に記しただけで、 結構何読んでいたかがリアルに分かった気がする。 「October」つまんねえ!とかさ。 これは大学図書館に楽勝にあると思う。
>>981 >ちなみに、ポンビドゥー文化官僚さんは、京都の日仏会館の館長さん、いま
>やっているよ。さらなる出世までの地方巡業だと思うけど。
へーーー。いや、本当にそういうのは知らないので助かるわ。勉強になるな。
フーコーの東大教授になるかもしれなかった経緯、
モーリス・パンゲの東大赴任なんかを連想してしまった俺は美術に疎いって感じだな。
>・・・・誰かつっこんだインタビューしたら絶対買うけどなあ。
絶対誰かやるべきなんだがな。あと、「雑誌運営者としての浅田」というかたちで、
そのノウハウ、当時の言説史を振り返らせた発言を誰かがきっちり引き出すべきだと思う。
同人誌規模の批評雑誌(SITE/ZEROなど)は現在活況だが、その割には、
雑誌刊行者浅田の総括をする、ノウハウや歴史性を論じたものがあまりに欠落している。
浅田だけがすごいとは決して言わないが、しっかりまとめてほしいよな。
ある意味でWAVE、GS、季刊都市、ur、InterCommunicationまでは線が一貫してる面がある。
批評空間の線とこの線の二つがあったと見た方が浅田の目線ははっきりすると思う。
>雑誌刊行者浅田の総括をする、ノウハウや歴史性を論じたものがあまりに欠落している AAはあれでも卒業後の進路に悩んでw日本読書新聞の編集者になろうか、と思った と、どこかマイナーなところでニューアカブームのころ、スガちんが書いていた(気がする)。 重力02のスガ書誌当たれば分かるかも。 『日本読書新聞』というとピンとこないだろうと思うけど、そこの編集者出身が70年代パイデイア とかエピステーメー作ったんだよね。AAはそれをよく見てて、さらにそれを発展させたという 感じじゃないかしら。
まあ当時の人は分かっていて黙っていた舞台裏なんだろうけど、 ゴシップを超えて、意義づけやる時期なのかもね。 前を開く新たな発見が出てきて欲しいと言う意味で
>GSのジュネスペシャルも
>なぜか、パリーモスクワ展のカタログっぽいロシア・アヴァンギャルドっぽい表紙で、
まあ、それは単純な話、戸田ツトム装丁だからだろうな。
GSのグラフィック面は写真豊富な混在と戸田デザインのフォントや紙面バランスが今見ると独特だね。
これらの面をカットして、論文誌としてコンパクトに運営したのが批評空間だったんだと思う。
あと、人脈絡みなのか、結構どうでもいい寄稿者もGSには多いし。
写真図版を載せまくる手法はWAVEをはじめとするペヨトル-西武系の当時のノリもあったのかな。
伊藤俊治とよく組んでいたのはそうした趣味の一致もあったように思える。
杉浦康平デザインのエピステーメーか、戸田のGSか、みたいな時代性があの頃は強いね。
読みづらくてウゼーなとか思わないでもない。
>>985 それ実物見たことないからまったく知らないけど、
ぐぐったところ、岡崎、四方田、蓮實なんかも寄稿してたみたいね。
浅田の文章はこれかな
1988.7〜1990.4
日経イメージ気象観測 ASADA AA SAMPLER
月刊誌だったはずだし、書誌記載をいつかしておこう。
あと、浅田の坂本関連記事とその他記事を追加しておいた。
・ 「孤独な芸術家の肖像」、『月刊カドカワ』1990年4月号
・ 「坂本龍一ライヴ・レポート 2月13日 京都」、『月刊カドカワ』1992年4月号
・ 「Trio1996 Tour report」、『論座』1996年9月号
・ 「EV Cafe2 No.4 guest 浅田彰-1」(坂本龍一との対談)、『Esquire Japan』1998年8月号
・ 「EV Cafe2 No.4 guest 浅田彰-2」(坂本龍一との対談)、『Esquire Japan』1998年9月号
・ 「二十世紀末の総合芸術 坂本龍一の『LIFE IN PROGRESS』」、『中央公論』1999年11月号
・ 「中平卓馬という事件」、『ART iT』no.3、2004年春・夏号
・ 第14回ドゥ マゴ文学賞選評「POPである、J-POPではない:選考にあたって」(受賞作:田口賢司『メロウ 1983』)、2004.10
http://www.bunkamura.co.jp/bungaku/winners/winner14.html ・ 「第14回ドゥ マゴ文学賞 受賞記念対談」(田口賢司との対談。2004.10.21.オーチャードホールビュッフェにて)
レポート:
http://www.bunkamura.co.jp/bungaku/winners/news/winner14_news.html ・ 「特別寄稿 ナムジュン・パイク追悼ライヴの余白に」、『ART iT』no.14、2007年冬・春号
・ 「?」(蔡國強との対談)、『ART iT』no.22、2009年冬・春号
電視進化論をざっと読み直したついでに、映像欄は細かく改訂しておいた。
>まあ、それは単純な話、戸田ツトム装丁だからだろうな。 あ、そうなんだ。勉強になるなあ。90年代前半にMOMAがHIGH AND LOWというハイカルチャーとポップカルチャーの影響関係を19c末あたりからジェフ・クーンズまで組んだ、展示があって、その分厚いカタログが、 ロドチェンコのパロディだった。GS ジュネ特集はそれよりはやいよね。 同時代性を感じたんだよね。AAがやりたかった文脈と言うか。 日経イメージ気象観測は確か予約購読のみで年間購読料10万円とかの狂ったバブル雑誌だったよ。そこでぬけぬけとAAは「政治の時代へ」とかアジ文書いていたなあ。それが終刊した後、批評空間「戦前の思考」とかへ行く という感じだった(気がする)。
>日経イメージ気象観測 これもAA編集責任で、好き勝手に、建築やアートなどのイメージ を豪華な写真でたくさん持ち出してきて、気象観測するwwという雑誌だったと思う。
>日経イメージ気象観測は確か予約購読のみで年間購読料10万円とかの狂ったバブル雑誌だったよ。
ttp://www.ltokyo.com/ohmori/970228.html のちょっとした記述によると
同じ編集者がこの雑誌「ORICON BiZ」を担当してるみたいだな。高ぇw
ttp://www.oricon.co.jp/publications/p-oriconbiz.html 日経イメージ気象観測でぐぐると、企業関係者やメディア研究者、作家などの履歴で引っかかる感じだね。
個人で持ってたやつなんてどれだけいたのだろうかというw
>それが終刊した後、批評空間「戦前の思考」とかへ行く
>という感じだった(気がする)。
なるほどな、俺なんかはリアルタイム記憶だと、ものごころついたときには
批評空間が第2期だったから、それ以前の雰囲気や平行性がつかめないんだ。
インターコミュニケーションと季刊都市とかかねえ、ぐらいに思ってた。
季刊都市二号ではアンソニー・ヴィドラーのフーリエ論が訳されてたり、
urの1号でもファルジエのゲイリーヒルおよびズビグニュー・リプチンスキーの作品を論じた文章や、
ヴィリリオの「リプチンスキー現象」なる論文が訳されていたりする。
初出は89年のカイエ。『舞台芸術』のバロック特集で座談に参加してるけど、
あそこにはケプニックのベンヤミン論(Critical Inquiryのベンヤミン特集に掲載)が載ったりしてて、
「ん?これ浅田が推薦したんじゃね?」と思うときは結構あるよ。
戸田ツトムデザインについて言うと、たしか戸田の作品集が本になったとき、
序文かどこかで浅田が書いてた記憶もある。90年代末ぐらいね。
河出の邦訳ドゥルーズといい、青土社の人文書といい、
未来社のポイエーシス叢書といい(デリダとか入ってるやつね。装丁:戸田+岡孝治)、戸田はよく目に付く。
ジュネ特集号は持ってないから比較できないけど、
エピステーメーのII-0号(フーコー追悼号、1984。杉浦康平+谷村彰彦+佐藤篤司装丁)も割とムチャな組版になってる。
さて、そろそろ次スレ立てますか
>>987 >『日本読書新聞』というとピンとこないだろうと思うけど、そこの編集者出身が70年代パイデイア
>とかエピステーメー作ったんだよね。
あまり知られてないけど、スガは蓮實や柄谷からピックアップされた、というよりは
むしろ『日本読書新聞』編集者時代に初期蓮實などをピックアップした側だよね。
重力02の山本均作成書誌は書誌の鬼と言うべき水準になってるらしいので、いつか入手しようとは思ってる。
スガはあちこちで書き散らしまくってるからなぁ
80年代云々で言えば新人類云々はあまり興味もないんだけど、
スガの『世紀末レッスン』(パロル舎、1987)はなかなか面白いものだった。
同時代にしては妙に冷静に見れてる指摘に思えたし。
あんた何歳よw
まだ20代。ただ、割と古めの翻訳記事を入手したり漁ったりして、手に入ることがある。 エピステーメーII-0は、デリダのNo Apocalypse, not nowの邦訳が入ってて貴重なんだ。 モーリス・パンゲによる50年代のフーコーとの交遊回想記なんかもあって、ちょっと面白い。 イポリットとニーチェについてフーコーが会話したとか、ベーダ・アレマンのヘルダーリン読解講義にパンゲとフーコーが一緒に聴きに行ったとか…。 ハイデガーとニーチェをかなり読んでいたとのエピソードが多い。 まあ、他の翻訳はもう単行本で手に入るものだらけだが……。
なんだ 見てきたように語るから団塊?と思ってびびった
>>996 言われると思った。
987だけど、
90年代後半に調べたよ。文脈リサーチは普通やるでしょう。
大学図書館にネット検索が導入されて、飛躍的に調べやすくなった時期だよね。
>>997 なるほど。ネタ化覚悟で、おっさんの後付のイメージ言うと、「構造と力」なんか
どうでもよくて、
GS→日経イメージ気象観測(バブル期)→ANY及び批評空間
という感じだったね。
ベルリンダダ→ロシアアヴァンギャルド再評価の全面化と、ディコンストラクション建築への
結びつき。六本木の青山ブックセンターにはANYONE英語版がトップに誇らしげに
飾られていた。
それが、ゼロ年代初頭にガーンと廃棄された、って感じかな。
柄谷なんか、ANYは何も生み出さなかったって総括するし。
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