>>118 の指摘に重ねる。
「幸せ」の定義においてかかせないのは持続性の概念ではないか。
例えば、とてもお腹が空いている人間が、おにぎりを食べるときの
喜びを「幸せ」の一つと定義するとする。
だが彼はすぐにお腹が一杯になり、これ以上、おにぎりがいらない状態
になる。経済学で言うと限界効用が逓減したということになろうか。
その後、しばらくして、彼はまたお腹が空きだした。さて、この場合、
先ほどの「幸せ」の効果は、ここで終了したといえないか。
彼は次の食事を得るまでの間、いくばくかの「渇望」を感じることに
なる。
さて、このようなワンショットの「幸せ」を重ねれば、永続的に
「幸せ」が得られるとするならば、継続的にお金を払うことで、
この定義における「幸せ」を持続させることができている。
だがこれは、「幸せ」の間で、その度ごとに渇望しているとみなす
ことも可能だ。永続的に「幸せ」を得ている彼は実は永続的に
「渇望」を感じていたことになる。
おにぎりの場合は食事なので、この「渇望」はあまりに自然すぎて
普段意識しないが、これが例えば「ブランド物の服が欲しい」など
の「渇望」の場合、途端に彼の「渇望」が彼が幸せであるかどうか
の基準に致命的に響いているように思えてくる。
仮にこのように、「欲望に際限がない状態」が幸せでないとする
ならば、「幸せ」とは、もっと持続性があるものを定義しなくては
ということになる。