952 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/27(金) 12:54:53 O
それだけで価値が増えるのた!
953 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/02/27(金) 13:03:35 0
>>951 >たとえば店にいってお金を払わなくても振込むことができる。ここでは時間、空間を超越して交換が行われている。
時間は超越していない。
振込と口座間取引との間に若干のタイムラグがあるだけ。
954 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/02/27(金) 13:10:37 0
>953
訂正
口座間取引→口座間移動
955 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 13:26:40 O
クダラね
> 620 :純一 ◆QzuB1xeuck :2009/02/20(金) 08:12:16 0
> つまり、何らかの条件で、
> ポールとぴかぁ〜の内部に同じ神=世界の
> システムが組み込まれている事になる。
>
> 621 :純一 ◆QzuB1xeuck :2009/02/20(金) 08:15:30 0
> ぴかぁ〜とポール、それに藤田の世代に
> 特徴的に『共通に』組み込まれている回路、それが神=世界ですね。
↓パクリ?
> 372 :クニ:2009/02/25(水) 10:03:54 0
> 「世界」をどうとらえているのか
> ここでの「世界」とは、ワールドではなく、
> 「男の世界」とかいうところの「世界」です。
>
> 375 :クニ:2009/02/26(木) 02:53:29 0
> 残念であるが、「世界」というものがどんなものなのか、私には表現できない。
> 文章表現の力がない私には、「世界」はこういうものだと、正確に書けない。
957 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/27(金) 13:53:41 O
ローンや、はては証券化など、多様な時間操作は超越しているといえる。
958 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 13:56:59 O
またまた馬鹿発見
959 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 14:00:56 O
無職無職と言われてるが、むささびんは働かんの?
それとも学生?
960 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 14:07:21 0
じいさんだよ。
961 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 14:12:47 O
何歳か知らないが、独りよがりぶりは老境の域。
むささびんことぴかぁ〜は、宮台をさらに不細工にして小太りにした感じ。
たまにしか風呂はいらないからいつも臭い。
歯磨きもしない。
964 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 14:46:55 O
コイツの生活を想像したら、マジで病気としか思えない
965 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/27(金) 15:11:46 O
価値が時間、空間をこえると増えることは特別ではなく、交換の基本である。
病気というか現実逃避
それも重度の現実逃避
コミュニケーション能力無し
一人遊び好き
自己顕示欲極大
但しネット限定
969 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 16:40:01 O
純一によれば10年近く常駐してるらしいけどマジで?
10年もこんな生活してんのか?
俺には到底信じがたいが
人に相手にされずネットに生きる活路を見い出したが、ここでも相手にされない。
しかしそのことに気がつかないのか逃避しているのか。
自分の読者がいるという錯覚を自演で証明しようと懸命。
典型的糖質。
971 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 16:50:46 O
リーマンっていう自演キャラ作って、クッサイ芝居してたの何年前だったかな。
《リーマン》がへつらったお追従いうとぴかぁ〜が、腕あげましたね、なんていう猿芝居。
イッテるよ完全に。
972 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 16:57:05 O
10年前というと俺はまだ小学生なんだがw
973 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 17:01:15 O
浪人したまま引きこもったんだよ。
974 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/27(金) 18:55:21 0
■なぜ現代のコンベンションはシンメトリー(対称性)なのか
人工物とシンメトリー(対称性)
沖縄の海底に眠る古代文明がある。ダイバーが発見したもので、大きな石が整えられ、溝
が掘られたりしてる。見ているとほんとに自然物でないといえるのか、と微妙な感じがあ
る。この人工物と自然物の差異はどこから来ているのか、と考えると、シンメトリー(対称
性)であるか、どうかだろう。角張った石は自然物でもあるが、それが長手方向に同じ形態
であるようなシンメトリーが見いだせれば、そこに人の意図を見いだすことができる。自然
が作るシンメトリーには限界があると考えるからだ。
シンメトリーはただ人間の美意識に関係するものではない。そこには経済性がある。たとえ
ば丸のような形があったとして、いびつな丸よりも、真円に近い方が情報量が少ない。それ
は直径がわかればよい。いびつな円は情報量が多く、他者への伝達に不向きであり、認識
するのに苦労する。あるいは制作する場合には、再現しやすく、なおかつもっとも短い距離
である。
たとえば四角を考える場合に、正方形、長方形当たりが情報伝達、制作において優位であ
るのだ。このように古くから人はシンメトリーに物を制作してきたのだ。しかしこのようなシン
メトリーがより社会に蔓延させたのが、鉄鋼社会によってである。現代の社会はより正確な
シンメトリーでできていると言って良いだろう。
これは逆にも言える。自然物にもシンメトリーを見いだすことができる。富士山の裾野であ
るとか、水平線、月、そして決定であるのが、生物の形態である。ここにボクたちは神的な
ものを感じる。自然物ではなく、誰かの意図があるものだと考えるからだ。その誰かとは、
確実に人知を越えている。そこにある種の希有な美しさを感じる。
975 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/27(金) 18:56:08 0
流動化と鉄鋼社会
現代のコンベンションの特徴は流動性にある。情報が移りかわり、様相が作り替えられる。
さらには移動手段の発達は人を異なるコンベンションへ移動させる。しかしそれとともに考
える必要があるのはいかにこのような流動性は可能になっているのか、ということだ。コン
ベンションの流動性を高めることは容易なことではない。そこには流動性を高めるシステム
がある。
流動性を高める仕組みは簡単には規格化である。製品の規格から道具の規格、さらに仕
事の内容の規格化、これらは分業を意味する。そこに設計図がひかれれば瞬く間に、コン
ベンションは作り替えられる。
設計図は空想ではいけない。規格化され、構造設計され、現実に具現化可能である必要
がある。いくら資本があろうが物理法則を無視はできない。この意味で重要であるのが、流
動性には物理的な制約が関係する。
世界の流動性が高まったの鉄鋼の安価な提供が重要であった。それまでの建築材の主流
は木材であった。木材は強度が弱く、寿命が短い。規格化するほどの安定性がなく、手作
り世界である。高強度で形態を長期にわたり維持する鉄鋼材の普及は規格化に高い意味
をもたせた。
すなわち流動性を高めるシステムと鉄鋼材は深い関係がある。鉄鋼は建築材としてだけで
はなく、製造設備としての効果が多い。材料がプラスチック、アルミ、あるいは木材になろう
が、鉄鋼材の道具により規格へと変形される。
たとえば産業革命は一つのイメージであるが、そのイメージを支えるのが、木材社会から
鉄鋼社会への変容である。鉄鋼社会は巨大で均整な建造物世界を作りだした。むき出し
の自然の様相世界を一枚の外装で多い尽くした。これにより世界は格段に機能的、効率的
になった。世界はレゴのように規格化され組み立てられている。ある部分をかえたければと
りはずし組み替えればよい。
976 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/27(金) 18:59:00 0
シンメトリー(対称性)への信頼
コンベンションの流動化のなかで流動化させるために制約されるコンベンションがある。し
かしこれをあるコンベンションに没入しないこと。メタ認識をもつこと。クールに振る舞うこ
と。人と距離を保つこと。寛容であること。儀礼的無関心。消極的自由。と考えてはいけな
い。コンベンションはより環境―身体的である。
それは「規格に従う」ことである。規格化されているものに従うこと。規格化されているもの
への信頼。規格化そのものが信頼である。鉄鋼による硬く崩れないものへの信頼。材質は
一つの信頼である。それはシンメトリー(対称性)への信頼である。
ここで重要になるのは作り替える労働力を動かすものである。それは資本である。そこに
資本が投入され、計画がくまれ、そして設計図として描かれる。そこにより大きな資本が投
入されるほどに大きな変化が生まれる。
より正確にいえばものとは固定資本である。そこに資本が投入され、力が加わり、生まれ
出た均整な構造体。とてもわかりやすい例は子供が電車や車へのフェティシズムである。
人々が数字に、科学に没入するのは、鉄が数字を力にかえるからである。数量化革命は
数字への目覚めなどはなく、その先に数字が鉄鋼により具現化されるイメージに見せられ
るのだ。近代に求められた還元主義そのものが、物への信頼に基づいている。「世界には
秩序がある」ということへの信頼が科学を支えている。
■なぜ世界は科学法則で説明できるのか
977 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 19:28:40 O
↑究極の暇人
モバゲーでもやってろカス
978 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/27(金) 19:30:02 0
■二つの交換法則
交換法則1 価値は時間、空間を超えることで増える。
貨幣交換の本質は等価交換にあるわけではない。価値の時間的、空間的な超越にある。
たとえば店にいってお金を払わなくても振込むことができる。ここでは時間、空間を超越し
て交換が行われている。商品交換ではこれができない。手形にすればそれはすでに貨幣
交換である。
価値が時間、空間を超越することのなにがすごいのか。なんとそれだけで価値が増えるの
だ!価値が時間、空間をこえると増えることは特別ではなく、それが交換の基本である。な
ぜ価値は時間、空間を超えると増えるのか。価値の伝達にリスクが生まれるからだ。価値
が伝達しえたとき、リスクを乗り越えた代償として増えるのだ。
たとえば贈与交換において、贈与に対して返礼は受けた分よりも多く返すのが礼儀であ
る。同じだけでは釣り合いがあわない。貸した人は貸したことで返ってこないリスクを冒して
いるからだ。そのリスクに見合うように多めに返す。それが儀礼である。
ここに貸借における利息の原型がある。貸しに対して、利息を付けて返す。貸す方は返っ
てこないリスクを冒したのだから。それによって交換は閉じる。すなわち貨幣交換は等価交
換のために広まったわけではない。時間、空間を超越させることで価値を増殖させるため
にうまれたのだ。
979 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/27(金) 19:30:54 0
交換法則2 交換は閉じることを嫌がる。
しかし交換は閉じることを嫌がり、たえず延滞しようとする。貨幣交換は閉じることがないと
いえる。
たとえば贈与交換において、贈与に対して返礼は受けた分よりも多く返すのが礼儀である
が、それで交換は閉じない。増えた価値とリスクはどのように等価であるのか、決定するこ
とはない。贈与−返礼の本質は、そこに終わりがない交換の延滞を意味する。それが信頼
関係につながる。
同様に、商品を購入したとき、あるいは借りた金が利息とともに増えて返ったとき、すなわ
ち交換が閉じかけたときに、そこにはすでに次の交換にむけての布石が打たれている。な
ぜなら真の等価交換は「命がけの飛躍」であるからだ。一度でも交換が成立しえたことが、
「命がけの飛躍」を回避する綱として、信頼関係へとつながっている。
980 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/27(金) 19:35:52 0
たとえば企業は、交換の第二法則を使い、従業員を従える。
労働力と労賃は等価交換されているはずである。しかし
従業員が企業に後ろめたいのは、交換が閉じることを嫌うからだ。
従業員は交換を閉じずに、延滞することを望む。
企業の同様であるので、ここに信頼関係が生まれる。
しかし多くにおいて、企業は労働力を代替しやすい特性から、
企業と従業員の関係は、企業が優位になる。
天然は才能。
982 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/27(金) 19:43:34 0
交換の第一法則 価値は時間、空間を超えることで増える。
交換の第二法則 交換は閉じることを嫌がる。
この二つで社会は説明できる。
983 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/27(金) 19:57:59 0
「オッカムの剃刀(かみそり)」
984 :
考える名無しさん:2009/02/27(金) 20:00:10 O
985 :
そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/02/28(土) 09:36:14 O
二者間交換は存在しない。
交換は第三者の管理により可能になる。
986 :
▲むささびん ◆JXLBbnYqTY :2009/02/28(土) 11:27:24 0
等価交換は二者間では成立しない。
交換は第三者の介入によって可能になる。
等価交換という行為はデリケートすぎる。
質の異なるものにいかに等価を決定するのか。
交換者はより多くをもらおうと思うだろう。
ここに暴力が介入しない保障がどこにあるだろうか。
だから調停者としての第三者を必要とするのだ。
商人は商売を始めるにあたり、まず地域の権力者と有効な関係を結ぶ。
それはヤクザの所場代から、中世の都市で行われた市が
国家への配当に基づいた管理のもと行われたこと。、
現代ではこれはかわらない。日常行われている
企業活動は国家治安のもとで行われているのだ。
いまでも途上国へ商品を売り込む場合には、
企業は官僚への賄賂はヒッスウだろう。
これが途上国が先進国から搾取され続ける大きな理由である。
先進国は途上国の官僚を抱え込み、途上国の民衆から
搾取する。途上国の官僚はその富をもとにより強い
国家権力を手に入れるのだ。
そして資本主義が、遠隔地交易による膨大な富を
資本として、生まれたことを考えれば、この三者の介入にこそ、
資本主義の本質がある。
_,,..r'''""~~`''ー-.、
,,.r,:-‐'''"""~~`ヽ、:;:;:\
r"r ゝ、:;:ヽ
:r‐-、 ,...,, |;;;;| ,,.-‐-:、 ヾ;:;|
:i! i! |: : i! ヾ| r'"~~` :;: ::;",,-‐‐- `r'^! 佐々木俊尚 見てる〜?
! i!. | ;| l| ''"~~ 、 i' r イエ〜イ!
i! ヽ | | | ,.:'" 、ヽ、 !,,ノ
ゝ `-! :| i! .:;: '~~ー~~'" ゙ヾ : : ::|
r'"~`ヾ、 i! i! ,,-ェェI二エフフ : : :ノ~|`T
,.ゝ、 r'""`ヽ、i! `:、 ー - '" :: : :/ ,/
!、 `ヽ、ー、 ヽ‐''"`ヾ、.....,,,,_,,,,.-‐'",..-'"
| \ i:" ) |
こんにちは、Pikarrrさん。
実は私、下記のようなニュースを読んで以降、
著名ブロガ‐の方の健康を気にすることがあるのです。
特に私が推薦した方々が、私の言葉を受けて純粋に奮起して頑張りすぎることをとても心配しています。
くれぐれも健康には気をつけましょう。私も他人の心配ばかりはしてられませんがね。
記事
米国で著名ブロガー死亡相次ぐ 日本でも「ドクターストップ」発生
2008年04月10日18時12分
米国で著名ブロガーの死亡が相次ぎ、「デジタル時代の労働搾取」と話題になっている。
ブログがメディアに匹敵する存在に成長、24時間労働を強いられているケースも多い。
日本国内でも「ドクターストップ」が出た著名ブロガーもいる。
今やブログ運営はハードワークなのだ。
ところでPikarrrさんは最近経済理論を哲学に絡めて扱っていますね。
非常に高度ですが、経済学の学位とかお持ちなのですか?
哲学は博士号でしょうか?
著名ブロガ‐を研究しているものとして、ブロガ‐の学歴(専門性)には興味があります。
990 :
そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/02/28(土) 12:04:05 0
経済学ではこの第三者が欠落している。
経済学において、価値は自生的秩序として生まれるからだ。
完全競争を目指す経済学は決して、第三者を許さない。
991 :
そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/02/28(土) 12:28:52 0
■等価交換の第三者
等価交換は二者では成立しない。交換は第三者の介入によって可能になる。等価交換と
いう行為はデリケートすぎる。質の異なるものにいかに等価を決定するのか。交換者はよ
り多くをもらおうと思うだろう。ここに暴力が介入しない保障がどこにあるだろうか。
だから調停者としての第三者を必要とするのだ。商人は商売を始めるにあたり、まず地域
の権力者と有効な関係を結ぶ。それはヤクザの所場代から、中世の都市で行われた市が
国家への配当に基づいた管理のもと行われたこと。現代でもこれはかわらない。日常行わ
れている自由経済競争は国家治安のもと、あるいはその領域で力がもつ集団の元で行わ
れているのだ。
いまでも途上国へ商品を売り込む場合には、企業は官僚への賄賂は筆数だろう。これが
途上国が先進国から搾取され続ける大きな理由である。先進国は途上国の官僚を抱え込
み、途上国の民衆から搾取する。途上国の官僚はその富をもとにより強い国家権力を手に
入れるのだ。
資本主義は遠隔地交易による膨大な富をもとに生まれた。そこに第三者としての利権がよ
り効率的に発揮されたからだ。いかに三者の位置に立つか、そこに資本主義の本質があ
る。完全競争を目指す経済学は決して、第三者を許さない、認めない。価値は自生的秩序
として生まれるからだ。
992 :
そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/02/28(土) 12:45:23 0
完全競争を目指す経済学は決して、第三者を許さない、認めない。価値は自生的秩序
として生まれるからだ。
しかし自生的秩序はいつも事後的である。交換は安定をもとめ、
第三者は必要とされ、そして第三者になることを求める。
なぜころころコテ変えるのか?
このへんにぴかぁ〜の秘密が隠れていそうだ。
贈与には、暴力的な部分があると思います。それは、与えることによって相手に
暗黙の返礼を強いているからであり、そうした贈与者の行為は、純粋にモラルなり
親切さに適っているとは言えないことが少なくないのです。
たとえば、付き合いなどで特に自分が欲しくないものなのだけど、それを断ると
その相手を傷つけてしまう恐れがあるので、仕方なく頂くなどというケースが
ありますよね。そうした仕方なく受ける人の気持ちも分からず、贈与者は次々と
まるで相手にプレッシャーを与えるかのように送り続ける人もいるでしょう。
それと善行などもそうで、こうした贈与は人目に付かないように行うのがモラルに
適っていると思います。通勤前のバス停などで乗客が大勢並んでいるところで、
タバコの吸い殻をこれ観よがしに拾っているなどを見かけることがありますが、
本当はそうした善行為でも、なるべく人目につかないようにするのがいいのです。
勿論、道路にタバコやゴミを捨てるような人間は、論外で、そういう低レベルの
人達にはこういう話はまだ関係ないでしょう。募金や寄付なども同じです。
何が言いたいかというと、優れた贈与者にはある意味、繊細さが必要だということ。
返礼や交換を期待するような贈与は、ビジネスシーンにおいてなら必要だけど、
それ以外のことでする贈与には、そういう贈与される相手のことも分かって
あげるといいと思います。あとは単なる交換関係に入るというのは、共依存と
いう言葉があるけど、(精神的に)自立することという観点から見ると、それ程
いいと思えない部分があるのです。要するに与える者、贈与者というのも
決して強者ではなく、それを受ける人達を必要としているという意味で、
被贈与者に、あるいはリスナーに、読者に依存している要素が濃厚ですよね。
だから、贈与者のモラルとして、それがどんなものでも与えることが優れて
いるのではなく、行為(好意)も含めて、それを与えてないという身振りで
まるで隠れながら与えているような人が、真の贈与者であると思う。
無償の奉仕という良い言葉があるけど、それこそ贈与の基本であるように
思えます。
でも、ここのスレを書いている人は、とても良い人だと思いますよ。
ただ交換を迫らない方がいいと思います。だって、書くことで救われて
いるのは書いている当人だし、贈与し続けなければならない心理的な
負債感も何か持っているのでしょう。勿論、表現欲求や自己顕示欲も
強いのでしょうが、それでも面白いなと思うものを書いていることが
多いので、まあ、時々ウォッチして観ます。
996 :
そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/02/28(土) 15:28:35 0
>>994-995 贈与については、「贈与論」 マルセル モース(ISBN:4480091998)が必読ですね。
この人類史に残る名著が最近まで絶版だったことは驚きです。
このたび、文庫本となったのはうれしいことです。
いまだからこそ、贈与への知見が重要ということでしょうかね。
997 :
そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/02/28(土) 15:34:02 0
>だから、贈与者のモラルとして、それがどんなものでも与えることが優れて
>いるのではなく、行為(好意)も含めて、それを与えてないという身振りで
>まるで隠れながら与えているような人が、真の贈与者であると思う。
>無償の奉仕という良い言葉があるけど、それこそ贈与の基本であるように
>思えます。
あと、これは純粋贈与に関係します。
それについてわかりやすのが、
「愛と経済のロゴス―カイエ・ソバージュ〈3〉」
中沢 新一 (著) (ISBN:4062582600)がおすすめです。
さらって読めてわかりやすいでしょ。
同じような逸話がのっていますよ。
中沢新一は学者にあらず
単なるエッセイストでござる┐(゚〜゚)┌
999 :
そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/02/28(土) 15:49:17 0
贈与のマナー、押しつけは暴力だというよりも、
なぜ現代は、これほど贈与が困難になったか、と考える方が
広がると思いますよ。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」のように、昔の社会は
ずっとお節介で、ぶしつけで、そして人情身ある贈与世界
だったのに。
いまはなぜ贈与することがなぜこれほどナイーブになったのか。
1000 :
そばかす次郎 ◆JXLBbnYqTY :2009/02/28(土) 15:50:06 0
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。