111 :
考える名無しさん:2009/11/05(木) 09:43:24 0
お腹すいた…('A`)
112 :
考える名無しさん:2009/11/07(土) 10:19:53 P
オピオイドの過剰分泌なだけですから
113 :
考える名無しさん:2009/12/13(日) 02:54:44 0
>>109 離人症になる前の自分を覚えてる人が羨ましい。
自分は覚えてないから治っても今のままのような気がする。
離人症も含めて自分なんだから治っても、劇的に自分が変わる事はないと自分は思ってる。
114 :
考える名無しさん:2009/12/27(日) 03:43:20 0
例えば何かを見たり感じたりする時、
見たり感じたりすることの質や根拠は自分の中にも自分の主観などにもなく
そのものの方が持っている。
自分とは先だってあるのではなくものがあるところに存在する。
大抵人はこれを頭で理解していなくてもそのものの方を向いているので
離人症と呼ばれる症状が出ることはない。
このような存在の基準点を見失うこと、を離人症と言う。
115 :
考える名無しさん:2010/01/02(土) 03:22:43 0
ふと思ったんだが、哲学に触れると離人悪化するんじゃね?
116 :
考える名無しさん:2010/01/02(土) 03:39:09 0
どうだろ・・・
中二病のなんちゃんって離人がふえるんじゃね?
117 :
考える名無しさん:2010/01/02(土) 21:51:33 0
離人症は、病気ではないらしいから中二病でも、本人が離人を訴えれば離人になるんじゃないのか?
118 :
ムートン ◆Sheep2h65. :2010/01/03(日) 12:24:46 0
>>103 自分の何か至らないものの所為でそうなったのかもしれないし、抗えない何かに
そうさせられたのかもしれない。比率はあまり考えたことがありませんが、
どっちも必ず存在していると思います。
>>106 自分が存在した、と認識していた時期を覚えていないから、
自分も外界も、特に価値基準を明確にすることも無く妙に平等な視点で見てしまう、
それが私の症状のひとつの特徴でしょう。
>>107 何を求めているのか・・・、最初は、自分は普遍的なものを望んでいるんだろうな、と
思っていましたが、そのようなものはないことに薄々気付き始めてから、
今は何を求めているのか分からないまま、この船で漂流しています。
欲動ですら非常に抽象的な個体です。
だからこそ、というべきか、普通の人が注目しない(する必要の無い)ものにも
平気で時間を費やしてしまう。無駄な時間と思われるものが、無駄だと思い込めないから。
>>109 ちなみに今私は、たとえばこのスレのpart1の頃、離人症中期の自分とは
全く変わってしまったことを自覚しています。今は自分のアイデンティティを
環境によって意図的にコロコロ変えて対応できるようになってきました。
精神的に非常に良い環境に安定させている時間帯が増えました。おそらく常人以上に。
>>110 関係あるか分かりませんが、数日前、強烈なデジャブに出会いました。
3人で会話中だったのですが、その感覚は10秒ほど。2秒目ぐらいから
最後までは、後を追うように次の会話から出てくる単語の「質感」?とでもいうんでしょうか、
それがとにかくバッチリでした。その間はただその感覚に身を任せていました。
でも年に2、3回もあればいいほうです。あの奇妙な感覚は離人と関係あるん
でしょうかね。
>>114 >>自分とは先だってあるのではなくものがあるところに存在する。
そう思うときもあるし、全ての事象にはあらゆる条件のもとに当然の如く原因と結果が用意されていて、
自分はその事象となんらかの関係を持っている「何者か」であり、自分が事象そのものなのか、そこから離脱した何かなのか、
それはハッキリしない・・・私は自分をそういうふうに曖昧に思っています。
119 :
その他の登場人物:2010/01/03(日) 22:39:00 0
鬱病の場合であれば、例えば「太宰治。本名は津島修治、青森県金木木村に生まれ〜云々」という風に、前置きから始まって徐々に堂々巡りの会話が進行していくような文体が現れることが多い。
離人神経症の特徴的な症状としては、自分自身をモニターしている自分があり、意識は明晰であり、周囲もはっきりと見えているのだが、そこに自分が存在しているという実感がわかず、まるで書き割りのような外界に一種の戸惑いを感じている。
実際のところ、「掲示板」は見方によっては「文字の書き割り」そのものなのだが・・・
そうした状態に対して「危機を保護して通過させるものである(J.E.マイヤー)」といった解釈を与える立場もある。
120 :
考える名無しさん:2010/01/26(火) 00:26:55 0
離人症ってのは思考が停止してる状態なんだよ。
集中力が無いの。
頭のある部分が何かの原因で活動してないんだと思う。
まだ脳が未発達な子供なんかはこの状態に近いんだよ。
でもやっぱりちょっと違うな。
自我はあるもんな子供でも。
121 :
考える名無しさん:2010/01/26(火) 00:31:32 0
29 :考える名無しさん:2009/01/19(月) 23:10:55 0
離人症とは自分以外の環界を否定しようとする基本姿勢である。
あぁーまさにこれだね。
他人が生きている気がしない。
というのも他人の感情が伝わってこないから。
それはこっち側の自我が喪失してるから。
この世界に自分独りなんだという強烈な孤独と絶望。
離人になった時に感じた
122 :
ムートン ◆Sheep2h65. :2010/01/31(日) 11:54:51 0
>>119 そうですね。自分の症状を色々書き込み、調べた結果それが離人症かそれにちかいものである、と定義づけてみる
多少安定した気持ちをつくり、擬似の寄る辺とする意味はあるかもしれませんね
>>120 >>121 自我の確認を明確に出来ない上に、相手を否定したい気持ちも明確に出来ないものだと思います。
とりあえず「自分と違う」と思っているだけでも相手を否定していることになるのなら、そういうことになると思います
123 :
考える名無しさん:2010/02/12(金) 13:32:47 0
離人の人って目標とかあるの?
それに向かって努力しようとか思うの?
それすらもないの?
124 :
考える名無しさん:2010/02/14(日) 13:05:06 0
15才の頃から離人症がなおりません…。
すごい哲学少女だったけど、
思考が暴走するような日常が辛くて、
かじっていた「エポケー」だとか思って実行したら
(正しい理解なのか、今はもはやわからないけど)、
ほんとにばかみたいになってしまった。
10年くらい、文字もろくに読めないし、
好きだったチェスもできなくなったし、
人の話が自分をすり抜けていって、
四六時中ボケみたいな受け答えになるし、
(抜け殻になって諦めてしまえば楽なんだけれど)
職場でも変種の頭の足りない動物みたいに扱われるのがとても辛い…。
人生の目標は、再び鮮やかな世界を感じることですかね。
ちなみに、離人の診断(?)は大学カウンセラーによります‥。
125 :
考える名無しさん:2010/02/14(日) 13:50:23 0
山でも登れば?
住んでるところはどこ?東京?
だったら高尾山とか・・・
「六根清浄」と言われるように、
やはり五感は大切なんだと思うよ。
とりあえず身体動かしてみれば?
126 :
考える名無しさん:2010/02/15(月) 01:35:47 0
>>125 山はすきです。また行きたい。
高尾山は小学校の遠足の頃からなんどか登りました。
あと、運動はそんなにやらないけど、結構好き。踊りとか。
無心になれるから、そうすると離人の苦痛が薄くなります。
…ただ、いつもの環境に戻ってくると上手くいかないんですよね。
いつでも山にこもってられればいいけど、そういうわけにもいかず。
考えちゃうというのが根本的にだめみたい。
ほとんどの言葉は重ね着しすぎた鎧みたい。
>>126 別に何にもならないけど、老子読んでみて...
ムートンもカオルもSもタウンも消えた
131 :
考える名無しさん:2010/02/16(火) 23:20:45 0
テスト
133 :
考える名無しさん:2010/05/06(木) 21:24:23 0
自分が自分でないような
現実が現実でないような
離人症は他人と話ている時に強く出ます
他人と話をしている自分を、上から冷静に見つめている自分がいます
他人同士の会話を聞いている感覚です
廃墟スレ
135 :
ムートン ◆Sheep2h65. :2010/05/12(水) 23:18:58 0
喜びや苦しみを回避した理想的な状態が死ぬまで続いていく
仮死状態と言ってもいい
136 :
考える名無しさん:2010/05/15(土) 00:55:11 0
自分にとって、存在とは「穴」ですね。とにかく、その「穴」を何かで
埋めなければならないのです。日々が、その活動の繰り返しです。
いつまでも埋め尽くすことはできません。
そして、他者にとって自分が存在するという実感に乏しいのです。
他者には、自分というものが視えていないと感じるのです。
感情の赴くままに法も超えればリアリティが自分の人生にでてくるのでは
138 :
ムートン(’ェ’) ◆bNcklkDUPY :2010/05/16(日) 11:33:11 0
>>136 埋めたものがどこかへ抜けていっているのであれば、それは「管」に近いかも知れませんね。
>>137 昨日の深夜テレビで、、カントについてのハーバード大の授業をやってました。
カントは、人間は理性そのものが目的であり、唯一人間に尊厳を与えるものである、と説いているらしく、
その中の一項目で、たとえば炭酸飲料が飲みたくて店でそれを買うという行為も、
自己の感情によるものではなく、他者の傾向性に支配された自己によるもので、
自律とは反対の他律した自己の仕業だそうです。
深く掘り下げていませんが、生きているが為に湧き上がる感情が全て、
理性を尊重し、自律した自己によるものかどうかを正しく判断するのは
とても難解に思えてなりません。
139 :
考える名無しさん:2010/05/19(水) 20:16:23 0
ムートンは世界の中心を誰かに占領されているのではありませんか?
本来ならば、あなたが立つべき「世界の中心」を。
ムートンは、はるかな昔にその誰かと戦い、敗れたのでしょう。
それ以来征服者は、あなたの世界の中心に君臨し続けているのです。
それが、あなたの不幸の原因ではないですか?
>人間は理性そのものが目的であり
ムートン、あい変らず馬鹿だなw
理が何か良く考えてみろ
答えだが、己に利を運ぶツール・・それが理だ
目的をゲットするための手段に過ぎないのよ
したがい、ある理が真に理といえるかどうかは
それが己に利をもたらすかどうかで判定される
そう、大きい利をもたらすほど理として認知される
相対的であり利のしもべたるもの、、それが理ってわけ
そうするとだ、利を見失った者に理など意味は無く
無用、不用、ガラクタなのよ
↑この文を読んで感じた事を1つだけ答えてみ?
考えなくていい
感じた’ことをひとつだけ書いてごらん?
・・わかる。
理は、本来利への奉仕者なのであり、利を見失った理は
単なる理のための理、屁理屈にすぎない・・・
というのだろうな。
しかし、利は屁理屈のなかにさえ、おのれの利を見出すものでもある。
利は、自分たちがはだかであるという事に気づいたアダムとイヴのような
存在だ。神が問う。「お前たちがはだかである事を誰が教えたのか」・・と。
アダムとイヴは、パラダイス(それは理だけが存在する場所)から
追放される。労働と出産という刑が課せられる。
143 :
ムートン ◆Sheep2h65. :2010/06/01(火) 22:06:54 0
>>139 戦いに敗れたのかどうかは覚えていませんが
自ら放棄したような記憶がかすかにあります。
放棄というのは、自我とは裏腹の行動を、何か自分以外の「信じるモノ」の為に、
宗教的態度をとっていた為ような。
その「信じるモノ」とは簡単に言うと、人間として生きるための基本道徳(もしくは絶対的道徳)
なのですが、今の私はそれを信じていません。
しかし幼少から親などから刷り込まれた何かが今だにあるのも感じます(意思とは逆に)し、
刷り込みではなく元々そういう志向性を持った生き物だったのかもしれませんし、
その辺がどこまで考えてもあやふやです。
>>140 複数になってしまいますが、
ガラクタなどという表現が自分に向けられているのを見て、一瞬モヤっとしたものを感じました。
「モヤ」が何なのか自分でも分かりません。
自分が社会の中において問題児であると判断されるのを想像し、『生き』苦しくなることに対する恐怖心が沸きました。
もし自分が己の為だけに利を求め、理を作り出しているのだとしたら、と思い、自己嫌悪感を抱きました。
自己診断を一つ。
自己の利はただそれだけを求められるものではなく、
私の中では、自分も含めその他自分と関わりの有る生物全て(要するに全て)にも利があって(あると感じて)
初めて完成された利だと受け取る。それが不可能な場合は(ほとんど不可能なのだが)私以外の全てを
一時的に頭の中から切り離し、自覚の無い偽善者となる。
感じたまま、思いついたままを書きました。
144 :
考える名無しさん:2010/06/01(火) 23:30:43 0
エヴァンゲリオンの綾波レイは人格障害者の立ち振る舞いだよね
自己愛性人格障害なのはファーストチルドレンのなんつったかハーフの奴だろ
146 :
考える名無しさん:2010/06/06(日) 22:09:55 0
>>143 >自分も含めその他自分と関わりの有る生物全て(要するに全て)にも利があって(あると感じて)
>初めて完成された利だと受け取る
では聞く、
おまえの利をひとつあげよ具体的に
それができたらつぎに他者の利をひとつあげてみ具体的に
答えられないとしたら
おまえは利が何かを理解せぬまま、
そのくせ利についての論評だけはいっちょまえにする・・というトンデモ野郎を演じてる訳だがw
利とは、人間どころかほとんどすべての生物(もちろん、すべてと言い切れる
訳ではない。まだそれほどわれわれは賢くはない)に共通する「自己中心性」
のことだろう。ひとの痛みをわれわれは推量、もしくは共感できる。だが、
ひとの痛みそのものをわが痛みとする事は原理的に不可能なのだ。エヴァ・
ファンなら、ここで「A.T.フィールド!」と叫ぶところか。
148 :
139:2010/06/11(金) 21:30:52 0
>>143 ムートンは親に刷り込まれた絶対道徳なるものに「世界の中心」を占拠されて
いるという訳だ。あなたは理性的にはそれを否定しているが、感情レベルでは
否定できていない。あなたに可能な道はただひとつだと思う。ただひたすら
自分にとっての絶対価値と信じられるものを探し続けること。これだ。
世界はムートンが思っているよりはるかに広大で豊穣だ。探し続ければ必ず
あなたのスーパースターに出会えるだろう。あなたはいまさら「世界の中心」
に立つ必要はない。どうせそれは不可能だ。あなたは、旧い価値の板を壊して
あたらしい価値の板を打ち立てるのだ。
149 :
ムートン ◆Sheep2h65. :2010/07/06(火) 22:35:44 0
>>146 私の利について・・・おそらく具体的に説明できません。
私の利は、幻想そのものかも知れない。
それは何かを信じること、そのもの。
それは信じるモノのために「行動」することではない。
苦痛を伴い、無理矢理信じることではない。
信じる姿。自ら自然とその姿(状態)であり、
また他者が自然とその姿(状態)であることを認知すること。
信じるモノは、人によって違っていても構わない。
それが壊れようが、違うモノになろうが構わない。
信じる姿を、私は望む。
変だと思いますか?
他者の利について・・・
決して分からないモノ。他者が何を大切にしているのか、
完全には、永遠に分からないし、どうでも良い(投げやりな意味ではなく)。
ただ、他者が常に求めている何か、というまでの認識。
利とは理解できないもの(特に他人のものは)という理解。
トンデモ野郎を演じていると思いますか?
他者の利の中身は分からないけど、確かに存在するソレの中身を
確認する必要もなく、信じていれば良いもの。
私は何もしない。何も出来ない。信じること以外には。
宗教臭いですか?
150 :
ムートン ◆Sheep2h65. :2010/07/06(火) 22:52:40 0
>>147 共感は喜びを生むことは感じますが、儚く消えるものでもあると思うので、
私はエヴァの世界のような、全てと一つになる状態が利だとは思いません。
ただ、私の幻想は自己中心性そのものだとは思うので、ひとたび踏み込むと
自分でも収拾の付かない世界が広がっているのだと思いますし、
まとめる気もありません。散らかっていても精神は安定し得ているから。
そしてその原因こそ、信じる姿を意識しているからなのです。なのだと思います。
>>148 刷り込まれた絶対道徳がどういった類のものなのかは、
その否定も肯定もできなかった今、もはや問題じゃありません。
私は、私の中心にあるソレを、俯瞰する視点にいるからです。
まさにその絶対道徳は、あなたの言う古い価値であり、
今ソレを置き去りにし(ただ、存在はし続ける)、「信じること」という
新しい価値と共に歩んでいるつもりです。
私は自分次第で、何時だろうが、どんな得体の知れないものだろうが
信じることができ、またそれを止めたり、変えてしまうことをすら厭わない。
都合が良いこと、それが自分の利なのかもしれません。
151 :
147:2010/07/10(土) 00:57:40 0
あなたは私の言うことをまったく理解していないな。私はエヴァでいう所の
A.T.フィールドとは、自己中心性の暗喩だろう、と言っているのだ。
他者の痛みは、共感ないし類推することはできる。しかし、絶対に他者の痛み
を我が痛みとすることはできない。これが自己中心性であり、私と他者を
隔てる「絶対的な境界」だと、私は言っているのだ。
152 :
147:2010/07/10(土) 01:08:51 0
・・確かに、ある種の信仰のようなものは必要かも知れない、とは思う。
ただし自分が見つけたものである、という条件付きでね。最高のもので
ある、と信じられるような何かが見つかれば、古い価値の束縛から自由
に成れると思う。
153 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 08:44:44 0
>>149 >信じる姿を、私は望む。
>変だと思いますか?
変つ〜か本末転倒w
信じる対象つまり”何かのために信じる”のであって
手段に過ぎぬ信じる姿を目的に昇格させてしまうのは安易
すでにそういう態勢に入っているのだとすると
あとは信じる姿維持のために日々を過ごすこととなるが
信じる対象>信じる姿
その行く末は信じる姿の堅持・・対象に誤りのある場合も
信じる自己維持のために真偽を後回しにしてしまう危うい基盤に立つこととなる
いずれ滑り落ちる仮の暮らしを至上とするタワケってことぉ〜♪
・・・私がおもうにある特権的な対象との出会い。があるのですな。
その対象は、べつの対象とまるで違う。偶然の出会いが私の奥底にねむって
いた何かに触れるというか、私という私にとって謎であるるもの、それを
ひとつの黒い箱に喩えると、その箱を開ける鍵が外部からやってくる、と
言えばいいか。私と無縁のはずの世界の渦巻きのなかから、なぜか私宛て
の音信がやって来る・・と言えばいいのか。
私は、信じるという言葉は粗雑であり、旧来の観念の垢が染み付いている
からあまり不用意に使うべきではない・・・と思っているのです。
ムートン君の積極的な認識はちょうど映画マトリックスの主人公の覚醒と
同様のものだと思う。
マトリックスの主人公は世界と自分に違和感があってまるで現実感がない、
つまり離人症の状態だった。
で、世界が全て価値の差異のない人為的な作り物であるという「真理」を知ること、
人為的なものとして自分も世界を作り上げていることを認識すること、が覚醒な訳だ。
そうすることで世界は依然疑わしいままだけども、
全てが明瞭でフラットになり、ある程度自分の思い通りにもなるのだ。
157 :
ムートン(’ェ’) ◆bNcklkDUPY :2010/07/19(月) 22:53:01 0
>>151 そうでしたか。ただ他人同士が持ち合わせているその障壁は同質のもので、
「私」のもつ障壁がまたそれとは違うという、障壁自体の異質性も感じます。
だから、信じるしかない。ナイフで指を切った痛みが、他人と全く違う痛みであっても。
同じであると証明することが出来ない以上は。
>>153 その通りですよ。いずれ滑り落ちるでしょう。ただそれを体感するのは、
信じなくなった時そのもの。その「時」は、周りがどう移ろおうが、自分で選べる。
例えば死ぬまでその体制を維持すれば、滑り落ちていることにも死ぬまで目を瞑れる。
そして「信じる対象」にも飲み込まれないぐらい強い(鬱陶しいぐらいに)自己による、自分自身の支配。
私は自分の人生のために、「信じる対象」を利用しているのかもしれませんね。
今私が思ったのは、滑り落ちるとしたら、どこからどこへだというのか?ということ。
上から下へ?成功から失敗へ?社会的地位の失墜?
私はそういう意味では失敗はしないよう、ある程度打算的に、器用に、ずる賢く世間を生きている。
どこぞの宗教やボランティア団体に人生を投げ捨てるようなこともしない。それこそ私の「信仰」のために。
>>155 そういう話は一番、ロマンを感じます。その鍵が本物でも偽物でもいい。
箱を開けられても、開けられなくても良い。
そういう話を考え付く存在が私以外に存在していることが分かるだけでいい。
>>156 何一つ思い通りにならないこと、自分が偽りだと分かること、それが真理に近いのかも知れません。
無知の知に近い考えですね。
無門関という禅語録があるんだけど離人症の患っているときに読んだらかなり衝撃を受けたような記憶がある
その衝撃が悪い影響かそれとも良い影響をもたらしたのかはわからない、記憶がはっきりしないのだけど
ただ今もう自分は離人症がおさまっている、今思うと読む人が読めばもしかしたら精神が錯乱するかも?
と思うけど自分は今健常だ。
とりあえずこの禅語録を読んでみることをおすすめするよ
何らかの影響を得ることは間違いないと思うから
>>157 イヒヒ…
546 ムートン(’ェ’) ◆bNcklkDUPY sage 2009/08/01(土) 17:20:07 ID:T2w6ghBb0
花火行くかもしれない。でもおまいらとは会えない。彼女といくからな!
549 ムートン(’ェ’) ◆bNcklkDUPY sage 2009/08/01(土) 17:31:16 ID:T2w6ghBb0
さて物質民にリア充サービスを振舞ったところで
具体的な計画を立てるか。
554 ムートン(’ェ’) ◆bNcklkDUPY sage 2009/08/01(土) 17:39:21 ID:T2w6ghBb0
つか俺が住んでるところ神奈川県なんだけどな
160 :
考える名無しさん:
>>157 ・・どうでしょうかね?けっして検証できることではないが個々の持つ
自己中心性に差異などはないと思いますよ。ただ、その自己中心性に対して
取る態度がひとそれぞれなのだと思います。あなたは自己中心性をもはや
むき出しにして隠そうとは思わないひとですが(少なくともいままでは)、
多くのひとは自己中心性を持たないかのような、さまざまな技法をすでに
学習するか、みずから開発するか、の長い経験を経てきています。
あなたのような態度は古代の昔からあって「犬儒主義」と呼ばれています。