1 :
1 ◆w8jgCxsx1s :
意識だけは不滅であれば怖くないです。
2 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/29(月) 21:17:38 0
「死が怖い」
に対して
「死んで意識がなくなれば怖いと思うことすらなくなる。だから大丈夫」
なんていう馬鹿な答えは聞き飽きました。
もっと真面目に考えて答えてください!!!
3 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/29(月) 21:21:00 0
「何も考えれなくなり、二度と復活しない。」
これだけは絶対に嫌です。
怖くないですか?意識の永遠なる消滅を想像すると呼吸困難に陥るほど怖いのです。
私はもう20代後半ですが、4歳くらいの頃から死について強く意識し、その頃から一人で泣き出してしまうくらいずっと死を恐れながら生きてきました。
(もちろん仕事中や、人と会話したり、遊んでいるときは考えませんが)
4 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/29(月) 21:22:58 0
意識の消滅を怖いと思うと同時に、
意識が永遠に存在することも怖いと思うのです。
5 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/29(月) 21:35:02 0
「意識の消滅を怖いと思うと同時に、
意識が永遠に存在することも怖いと思うのです。」
↑私にとって、この恐怖を解消する唯一の可能性は
「宇宙の生成と消滅(無と有)は無限に繰り返される」
「その生成と消滅に時間的順番はない(1つ目の宇宙が先で2つ目の宇宙が後とか言う概念はなく、同時であって同時でない。上述の「繰り返される」は便宜上の表現である)」
「繰り返される宇宙において、毎回でなくてもよいから、無限回自我が存在してほしい。」
の3つが同時に成り立つことです。
上述の「無限回自我が存在する」というのは「意識が永遠に存在することも怖いと思うのです。」に矛盾するようですが、
宇宙の無限に繰り返しは我々の考える1時間とか1億時間とかいう概念のもとに行なわれるものではないので、
「意識の永遠の存在をさけつつ、かつ意識の永遠の消滅を防ぐことができるのです。」
以上を踏まえて、誰か私を安心させてください。
6 :
考える名無しさん:2008/12/29(月) 21:41:33 O
脱中心化から再中心化へと至る主体の変容過程を生きること、可逆なものと不可逆なものを知ることは無駄にはならない
いまはやりの自己責任でな
7 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/29(月) 21:54:53 0
「死が怖い」
に対して
「死んで意識がなくなれば怖いと思うことすらなくなる。だから大丈夫」
と答える人の存在が理不尽です。
まじめに考えてますか?
意識がなくなるなんて絶対嫌でしょ?怖いでしょ?
もはや割り切るとかいうレベルじゃありません。
深く考えるのを避けてませんか?怖いからですか?
8 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/29(月) 21:55:47 0
>>6 すみません、わかりやすく説明してください。(人のこと言えませんが)
9 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/29(月) 21:57:44 0
とりあえず、私の恐怖を取り除くことは後回しにして
「死が怖い」
に対して
「死んで意識がなくなれば怖いと思うことすらなくなる。だから大丈夫」
と答える人に
ちょっと意識がなくなることに対する概念をもっとちゃんと持っていただきたいです。
10 :
考える名無しさん:2008/12/29(月) 22:04:49 0
意識が消滅すれば苦しい生から解放されるんだぞ。わくわくしないか?
11 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/29(月) 22:12:39 0
>>10 常に地獄のような苦しみをしてる人が「意識の消滅の方が幸せ」と思うのは理解できます。
ところが、
恵まれた生活をしていて生きていることが幸せと思っている人でも「意識の消滅」に対して無頓着な回答をする人が多いのです。
「意識がなければ何も感じない。だから怖くない」って・・・、答えになってね〜〜〜!!!
ここが理不尽なのです!何考えてんの?って感じ。
私は「意識がなくなることが怖い」のです。
論点をずらさずに答えてほしいものです。
直視してみろ。
13 :
吉田メロウ:2008/12/29(月) 22:32:22 O
「怖い」って感覚はワカラナイもの、未知なるものに対して
生まれてくる感情ですね。
しかし「ああ」これはこういう事かと、理解がいけば怖さな
くなる。ソコまで行けずに引き返してくるやつは、いつまで
もたっても子供みたい世の中コワイもんだらけでしょうに。
未知の正反対で、無知(バカ)はコイツは怖さ知らずですね。
つまりは、要はだ。人間と知のカンケイは、そこまで深く命の
有り様と結び付いている。そういう事ですな。
しかし相変わらず此処はウザイな。
(´-`;)y―゜
14 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/29(月) 22:54:21 0
>>13 意識が永遠に消滅するのが怖くないのですか???
15 :
吉田メロウ:2008/12/29(月) 23:00:29 O
>>14 お前な、フツーな。誰がそんなこと事かんがえんねん!
アホか!
閑人がっ
(´-`;)y―~~
16 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/29(月) 23:07:30 0
閑人かどうかは関係ないですよ。それは偏見というものです。
忙しければ考え事はいないのですか?
「誰がそんなこと」って・・・これもあなたの個人的な感覚でしょ?
自分にとっては考えるなんてありえない事柄だったにすぎない。
自分の感覚を他にまで一般化しないようにね!
ところで、ためしに深く考えてみたらどうですか?
意識が永遠に消滅するとはどういうことかを。
まずは考えてください。話はそれからです。
17 :
吉田メロウ:2008/12/29(月) 23:40:44 O
>>16 俺に絡んでも仕方ないと思うけど、貴方、やることやって寿
命がきたら。それゃー、安らかな気分でしょうな。母なる大
地に抱かれる。悔いなき生を全うした人間の特権だヨ。
(´-`;)y―
意識は毎晩死んでいる。翌朝記憶を引き継いだ別の意識が立ち上がってくるだけ。
毎晩のことだ。気にすることはない。
もしそれでも死が気になり、翌日の意識が怖がらないようにしたいなら、子供をたくさん作っておけばいい。
翌日の意識の心配をしてやるのも、子供の心配をするのも同じことだ。
最後の瞬間は眠りに落ちるのと同じで怖いと思う思考力もなくなり意識が遠のくだけだ。
19 :
考える名無しさん:2008/12/30(火) 16:24:18 0
意識が永遠にある方が、おれは恐ろしいなあ。
肉体は消滅するのに、思考だけが永遠に続くなんて
考えただけで発狂しそう。
たぶん刺激が刺激として感じられなくなり、意識は低下する。
感覚時間が徐々にのび、永遠に引き延ばされる。
存在しているかしていないのかわからない状態。すなわち死んだ状態になる。かな。
時間間隔が間延びしうとっとすると何千年もたつ状態になる。
中外ともに変化がなくなれば、物質と同じで意識はなくなる。
>>1 死が怖いのは誰でも同じ。怖さの程度が多少違うだけだ。
1さんの場合も、ノイローゼになる程の怖さではないようだ。
したがって、怖くても問題なし。
以上。
終了。
>>1 >>5を読み、貴殿の思考には『常識教に染まって無い』と類似する部分があるので、
常識教から脱出したこの俺がレスさせて頂きます。
>「何も考えれなくなり、二度と復活しない。」
まずこれが、意識に対する常識に洗脳された思考です。
要は『生きているから意識が存在している訳ではない』です。
人間の、常識的な思考・説は、
『無限通りに存在しえる理論の中の、一通りの妄信』
であって、
「生きているから意識がある」というのは、無限通りの中の一通りの可能性に過ぎません。
なので、貴殿の不安は
『存在しうる可能性の無限通りの中の一つ、要は脳から意識が発生してるという場合ならば、
確かに死ねば意識が消える』のであって、他の場合を考慮してません。
例えば、唯識論、マトリクス仮説、世界五分前創造仮説、など。
つまり
『貴殿の考えてる、宇宙・物質・生命・脳・意識の法則は絶対ではない』のです。
理論は無限通りに考えられ、今貴殿が思考し絶対化してるのはその中の一つなので。
例えばキリスト教的な宇宙論やイスラム教的な宇宙論や
○×スピリチュアル的な宇宙論など、『何かを絶対化する事』と同じ。
対象が違うだけ。妄信には違いないですな。
貴殿は、哺乳類ゆえの本能で
『明日も物理法則は変わらないだろう』といった根拠無き『感覚』に支配されてるので
「脳の構造が変われば(死ねば)意識は消えるのだろう」
という、哺乳類独特の恐怖という結論の思考をするのでしょう。
>>23 1は「絶対化」してない。おまえが絶対化して妄想してるだけだなw
>>4 >意識の消滅を怖いと思うと同時に、
>
>意識が永遠に存在することも怖いと思うのです。
また、
>>5は『物事が存在し変化する原因』という、全ての本質に迫る事です。
答えは単純に
『存在する状態も、存在しない状態も、両方とも矛盾なく成立するので、
主観的には、意識が存在する状態だけがあると感じられ
意識が存在していない状態に違和感を感じる』
です。なので、確かに、貴殿の仰るように
意識が無くなる状態もありますが、意識が有る状態もあるので、
意識が死んで消えても、主観的にはすぐ意識が戻るのと同様です。
>「無限回自我が存在する」
これは、物事の状態は無限通り存在しうるので、1の希望通りでしょう。
つまり
Aという状態の意識、Bという状態の意識・・・と、無限通り存在しうるので
主観的には、意識が永遠に存在しても、
永遠に同じ意識のような感覚ではない、という話です。
簡潔に書くと
「物事の状態は存在する場合もしない場合も成立するので
永遠に消えてたり存在したりはない。よって主観的には意識は永遠に存在する。
物事の状態は無限通りに存在しうるので、
主観的には、永遠に1という意識(記憶や生物的特徴など)である訳ではない」です。
>「意識の永遠の存在をさけつつ、かつ意識の永遠の消滅を防ぐことができるのです。」
で、これは記憶に関する話で、宇宙Aで存在した場合の1の意識の記憶が
宇宙Xで存在した場合の1の意識に残る訳ではないので、
仮に1の意識が消滅し発生しても「私は以前から存在した」とかの
永遠に存在するような感覚・記憶は無いですね。
ただ、逆に、また宇宙Yとかで発生した場合、記憶が消滅してるので
今と同様の恐怖・思考をする場合も成立します。なので今の行動は
根源的な解決にはなってませんね。
よって、意識の自由・不自由とかの、意識そのものの研究をすべきでしょう
26 :
考える名無しさん:2008/12/31(水) 12:51:02 0
a
27 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/31(水) 12:53:39 0
>>17 その考えは私も一応持ってますけど。恐ろしい方面へ考えないあなたがうらやましいです。
28 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/31(水) 12:55:59 0
>>18 そのレスは何の答えにもなっていないことに気付いてますか?
もう一度上からよ〜く読んでください。
29 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/31(水) 12:58:24 0
>>19 永遠であって永遠でないんです。
非時間的な繰り返しによってリセットされるので永遠に続いてる感覚は本人にはありません。
それでいて、「消滅して二度と復活しない」というのを免れるわけです。
そういうのを望んでます。
30 :
1 ◆w8jgCxsx1s :2008/12/31(水) 13:05:24 0
>>25 ありがとうございます。
半分くらいしか理解できませんでしたが、いくぶん安心しました。
ところで、「この世の人生はあの世でより高レベルになるための修行」というのをどの宗教でもよく耳にしますが
あれはやはり金儲けのための適当な戯言ですか?
最近は高レベルになるほど、自分を構成する粒子が小さくなっていくと物理学的にも研究されてるみたいですね。
意識もやはり粒子なのでしょうか?
31 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/12/31(水) 13:29:13 0
>>25 意識は自由であることからは自由になれない。
それがヒトに科せられている罠である。
32 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/12/31(水) 13:43:19 0
>>30 <意識もやはり粒子なのでしょうか? >
意識という「現象」があるとして、その意識群と粒子群との対応付けが可能になれば、その意識群を粒子群に還元可能。
対応付けができない以前におけるその問いに対する「解を求めようとするあがき」たちが、哲板の上を亡霊のごとく飛び交っている。
>>30 >ところで、「この世の人生はあの世でより高レベルになるための修行」というのをどの宗教でもよく耳にしますが
>あれはやはり金儲けのための適当な戯言ですか?
はい。インチキ新興宗教です。
キリスト教も仏教も、そんなことは言いません。
俺も怖い。この世界が永遠に消滅するなど許されんことだ。
しかし、諦めよう。諦めるしかないよ。
死ぬのも怖いが、部屋で腐っちゃうのも怖い。
片づけてくれる人すいません。
できれば山の中でひっそり死にたい。
木の養分になれれば嬉しい。
35 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/12/31(水) 14:55:36 0
人間にとって、他人とは何であるか考え、自分と同じ面を持ち、違う境遇を生きてきた
者について、考察してみる。そのような他人とは、自分の鏡であり、一回の生をまた一度の今を
一回しか生きれない自分にとって見れば、他人の自分とは違う面は、自分がそうあり得たかもしれない
貴重な経験を積んでいる者である。そのような他者の中でも、誰にでもあるのが家族であるが、
たとえば親が失明した、と言うことを考えてみると、あまりにも気の毒であり、考えるのを避けがちになるが、
逃げないで考えてみれば、それを受け入れることは、新たな自分の可能性の一つを受動的に
経験することであり、全てを失う死の一部を体験することである。それは、機能的な面だけでなく、
持っていた物をなくす、という死の様式との類似性がある。
ここで自分を振り返ってみると、自分の生に繰り返しを探すことは容易であり、その繰り返しの
類似点と相違点を考察することによって、新たな生き方の指針とすることができる。自分の中に
他者を見る、自己を反省する、と一言でまとめられるが、その行為自体は複雑になりうる。繰り返し
の中で、あらゆる可能性を試した後では、繰り返しがあるだけであり、死自体は怖くも何とも無くなる
と思われる。可能性にあふれた者だけが、死を恐怖すると考えられる。
36 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/12/31(水) 14:59:49 0
>35
確かに、「反復を超える生」を生きたことは無いです。
>>35 >可能性にあふれた者だけが、死を恐怖すると考えられる。
どんな可能性を試してみても、「自分の死」は誰も体験できない。
その時どうなるのか、誰にも分からない。
だから「自分の死」自体が、自分にとっては体験不可能な「新たな可能性」でしょう。
>>28 よ〜く考えることはしないが。
ま。結論がつまらないってことかな。
39 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/12/31(水) 15:10:08 0
>37
<「自分の死」自体が、自分にとっては体験不可能な「新たな可能性」でしょう。>
「自分の死」は、「体験不可能」なのですから、「新たな可能性」にはならないでしょう。
>>39 体験不可能なのは、今の自分にとってだよ。
少なくとも死ぬ瞬間までは「自分」であるんだから、いずれは、そこまでは体験しなければならない。
好むと好まざるとにかかわらず。
41 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/12/31(水) 15:16:57 0
>40
「自分の死」を体験「した」ときは、既に「自分」はいませんよ。
>>41 だから【少なくとも死ぬ瞬間までは】と書いてるw
>「自分の死」を体験「した」ときは、既に「自分」はいませんよ。
これは形而上学。
死後の世界についてはなんとも言えません。
43 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/12/31(水) 15:20:11 0
>>40 死を新たな体験と位置づけても、それは生の中の可能性ではなく、喪失というつまらないもの
だと思う。しかも、それは最後のものであり、反復も、接続も、意味解釈も不可能である。
>>30 そもそも
『脳が物理的運動をしてるから意識がある』というのが、根拠の無い事です。
俺からすれば、
「寝て起きても意識がある」「五分後も意識がある」「一瞬後も意識がある」
というのは、全て
『根拠の無い、動物特有の感覚を基にした思考』
であり、↑を絶対化して思考してるから、死に対しても
『根拠の無い、動物特有の感覚を基にして、
終わり・意識が消える・恐怖という思考になる』
としか思えず、狂信的な思考です。
>「この世の人生はあの世でより高レベルになるための修行」
あと、こういうのは
『他人に意識がある』という狂信から来ます。
他人に意識があるのか、他人も自分と同じ五感で思考し語ってるのか、
そういうのは検証不可能なので、貴殿の仰る事は
『他人も、私と同じ五感や生死の感覚を持ってる場合』
しか成立せず、他人の意識は
『アンドロイドに意識があるのか検証不可能なのと同じ』で、
そういう他人の言葉には振り回されない方がいいです。
なんせ『他人に意識があるかすら検証不可能なのに、そういう
意識があるか分からない物理現象の論を意識があると狂信した上での思考』なんで。
例えばwisteria-1に意識があるのか不明で、もしかしたら
意識の無い物理現象だから、意識に関して【詩的な文学的な】事を言うのでしょう。
アレです、例えば無痛症の人が
『痛風でも痛くないよー平気だよー』と言うのを、貴殿が聞いて議論するのと同じ。
>>40 >喪失というつまらないものだと思う。
「喪失というつまらないもの」だとはっきり分かっていれば、また別なのかも知れないけれども、
そこが誰にも分からないから、得体の知れないものの怖さも生じざるを得ないよね。
46 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/12/31(水) 15:29:28 0
>>45 たとえばカブトムシをひねりつぶして、汁を出しながら、動かなくなったのを見届けて、ああ、
こいつは今カブトムシとして新しい経験をして居るんだな、と思うかな。
>>46 虫の死と人間の死は別でしょうね。
カブトムシの死がカブトムシにとってどういうものなのかはカブトムシに聞かないと分からないけど、
たしかハイデガーは、動物には死の恐怖はないと言っていた。
それはたぶん動物は「今」に密着しているからでょう。
動物は将来を先取りするということがない(たぶん)。
>>30 >自由であることからは自由になれない
>解を求めようとするあがき
>キリスト教も仏教も、そんなことは言いません
>「反復を超える生」を生きたことは無いです
>「自分の死」は、「体験不可能」なのですから
>「自分の死」を体験「した」ときは、既に「自分」はいません
>生の中の可能性ではなく、喪失というつまらないもの
>得体の知れないものの怖さも生じざるを得ない
>>1様に申し上げますが、↑は全て
『証明不可能な、主観というモノを、断言し語ってる』だけで、
1様が意識があるからといって、↑のような事を話すモノに
『私と同じように意識・感覚があるんだ』と感じ、それで
↑の論に対し何か考えるのは、ちょっと危険です。
止めた方がいい。『仮に意識がある場合だったら』しか成立しない。
例えば、解は無限通りであがきではなく既に見つかってるし
キリスト教も仏教も、そういう事を言う場合もあるし
「反復を超える生」を生きたこと有る場合もあるし
「自分の死」を、「体験可能」な場合もあるし
「自分の死」を体験「した」とき、「自分」がいる場合もあるし
喪失というつまらないものしか感じられない、以外の場合もあるし
得体の知れないものの怖さも感じない場合もある。
こういうのは『無限通りの中の、一通りの妄信』であり、
そういうwisteriaの『検証も観測も不可能な、意識なんていうモノ』を
存在すると狂信し思考するのは、無痛症とかアンドロイドの文字相手に
思考するのと同じで、危険です。
49 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/12/31(水) 15:42:26 0
>>44 <【詩的な文学的な】事を言う>wisteria-1の行為はどこからくるのでしょう?
50 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/12/31(水) 15:46:46 0
>>48 <例えば、解は無限通りであがきではなく既に見つかってるし>
乞う、その解のご披露。
51 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/12/31(水) 15:52:55 0
ネオさん、もう帰りますので、新年も宜しくお願い致します。
52 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/12/31(水) 16:24:53 0
死なんか怖くありませんね
怖いのは地獄に落ちる事ですね
天国に行くのなら死は凱旋です
地獄も天国もねえよ。
無だ無。なっすぃんぐ。怖くねえの?
54 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/12/31(水) 16:44:41 0
>>53 死んだ幻覚なら何回かあったけど
そのたんびに環境が良くなったよ^^
>>54 んふ。・・・意味分からん。
それって、
「あっ俺、死んだぞこれ きっと死んだ。ああ死んじまったか」・・で目が覚めると以前とは景色が変化していた。
なのか、
「あっ俺、今まで死んでたな。きっと死んでた。何でか分かんねえが死んでたよ俺」
なのか、どっちなんだ?それかどっちでもねえの?
>>1 順列都市っていうSF小説があるんだが、それ読んでみない?
論的整合性を持って、意識は不滅だということを説明してるから。
>>52 >天国に行くのなら死は凱旋
これは同意ですが、「行く」というのは
物理的構造のある、生物特有の思考では?
つまり、天国も地獄も違いは無く、
『自分にとって、周囲の状態が快か苦をもたらす』事が重要で
周囲の状態よりも、自身の変化の問題では?
俺は、この世も
『肉体が無く、任意で好きな映像・音の見聞きだけできる』ならば、天国と思う。
なので、俗に言う善行とかより
『肉体からの脱出』の方が重要では?
肉体に意識が強制的に付随してるから、生物特有の生死の問題に悩むし
生物特有の肉体的苦痛やその為の労働に悩む。
俺は、肉体(という一種の物理現象)に意識が付随してしまう原因の消去こそ、
善行よりやるべき事と思ってます。
肉体は物理現象だから、それに付随してるから、意識が不自由なのも当然。
俗に言う天使や悪魔は、物理現象に意識が付随せず(だから実体は無い)、
任意に好きな物理現象を、見て聞いて作用できる存在だと思う。
だから快楽が多いし力もある。
58 :
し:2008/12/31(水) 18:44:01 O
しかし俺が29年間ひとりなんてあり得る?
59 :
考える名無しさん:2008/12/31(水) 21:27:28 0
3歳の頃、何を考え何をしていたか覚えていない。
その頃と今と同じ人格だとは思えない。
何か本を読むたびに影響を受け、考え方が変わる。
学生だった頃と今とじゃ、だいぶ価値観が違う。
おそらく10年後、体は同じでも中身はまた少し違う人であると思う。
じゃあ、今の私はどこに行く?
私は死ぬんだと思う。毎日何かの影響を受けて
毎日死に続けていくのだと思う。もう死ぬのには慣れた。
もし、科学が進歩して寿命が1000歳になったとしても、
1000年後の自分は今の自分じゃないので意味が無い。
普通に臨終を迎える自分は自分じゃないので
死ぬ日の事は心配していない。だから怖くない。
>>59 知るを繰り返すと、記憶が変化していく。意識と記憶で成り立つ世界。
死ぬのはみんな怖いだろうし後の事も気になるだろうけど死ななければ答はでないでしょ
死んだ後に意識があればよかったなだしなったらそれまで
結局
>>1は人一倍その不安を背負いながら生きてくしかない
気休めみたいな話聞いても納得できないだろうしする気もなさそう
安心させてくださいとか寝言言ってんじゃねーよ
>>61 死なずに答えを出そうとするのが哲学の面白でしょう。
思考停止して哲学に触れても楽しくないよ。
63 :
考える名無しさん:2009/01/01(木) 11:48:47 O
厨房なんで哲学なんてよく知りませんが
>>1は哲学を楽しむじゃなくて答を求めて安心させてくださいって言ってたので…
すいませんね
64 :
考える名無しさん:2009/01/01(木) 16:21:35 0
>>60 ところで、記憶を保てない生物は自我が存在しないと思うんだがどう?
意識は現れて、消滅して・・・を繰り返し続けています
細胞の塊を肉体と呼ぶのが勝手なのと同じくらい
意識が統一的だというのは個人の勝手ですが、意識は統一的じゃありません
意識は常に永遠に消滅し続けています
そうすると、私は、あなたが怖がっているのは
意識が消滅することではなく、他のことなのではないかと思うのです
66 :
考える名無しさん:2009/01/01(木) 19:35:44 0
意識とは世界の限界であって、世界の中にあるものではありません。
したがって、消滅するということもない。
>>66 逆に言えば、もし世界が消滅しうるものならば
必然的に意識も消滅する。ということだろう?
一個人が意識できる世界の限界は狭い。十分消滅する可能性はある。
68 :
考える名無しさん:2009/01/01(木) 22:05:03 0
>>67 世界とは「ある」ということです。「ない」ということはないので、世界が消滅するということは
ありません。
あと「一個人が意識できる世界の限界は狭い」と思っているのが意識です。一個人に所有されるような
ものは「心」と呼びましょう。
69 :
考える名無しさん:2009/01/01(木) 22:08:52 O
埼玉に帰りたいけど障害はある。人間の業にはすぐに構図を変えるからな
70 :
考える名無しさん:2009/01/03(土) 22:07:58 0
>>1とほぼまったく同じこと考えてるわー。
それでよく夜眠れなくなるんだけど。。。みんななんでならないんだー?
というか今感じている「意識」マジでなんなの?どう解釈すればいいんだ?
もっというとどう生きればいいんだ?
という感じです。
71 :
考える名無しさん:2009/01/03(土) 23:51:20 0
こんなところで聞いてないで、その「意識」とやらに聞けよ。
72 :
明和高校名古屋大学河合希:2009/01/04(日) 22:33:13 0
死後の世界はあります 絶対に
死んでもって帰られるのは 今世の 生き方 と 心 だけです
死後は 自分の人生を観察する
そして 自分の心のレベルの合う世界に行く
結局死ぬんだから考えるだけ無駄って結論に至る
まず、死を受け入れよう。恐くとも。
それより、どう生きてどう臨終を迎えるかを考えた方が良い。
死は生の対極ではない。死は生の一部なのだ。
どうせ死ぬのだから絶望の中で死ぬのだけは避けたい。
アホなテレビやどうでもいい趣味に走るくらいなら、価値観を増やそう。
沢山本を読もう。
74 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 11:26:34 0
本読む=偉いとおもてるアホ
75 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 12:06:51 0
>>70 今の君と、昨晩眠る前の君が同一であると何故考えるんだい?
もしかしたら昨日の君は寝てる間に殺されて、同じ記憶を持ったクローンの君が今朝目覚めたのかもしれない
君の回りの人間からすれば君は昨日と同じだし、君自身にも君は同じだろうね
だがね、次に瞬きした君と今の君が同一である保証も無いのだよ
是非この事を考えて欲しい
もし自分の意識が残ればいいのなら、同じ記憶を持ったクローンが目の前に現れたとき、君は快く自殺できるかい?
とりあえずフッサールでも読んどけよ
77 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 15:25:19 0
>>57 >肉体に意識が強制的に付随してるから、生物特有の生死の問題に悩むし
生物特有の肉体的苦痛やその為の労働に悩む。
俺は、肉体(という一種の物理現象)に意識が付随してしまう原因の消去こそ、
善行よりやるべき事と思ってます。
肉体は物理現象だから、それに付随してるから、意識が不自由なのも当然。
↑
典型的二元論者。
78 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 15:28:51 0
>>75 目の前に現れた「クローン」が同じ記憶を持っているかどうか、
私には確かめようがない。
79 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 15:44:20 0
つーか同じ記憶を持った者が現われたても、だから何?はなし
相変わらずそいつは他人でしかない
80 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 15:53:57 0
いやこんなSFチックな話は馬鹿げてる
意識の解明は、思弁哲学では半歩も進まない
神経生物学等の、科学から新しい事実が分かるまで我慢だ
>>74 そんなこと思ってねーし。
なんのコンプレックスよ?可哀想な奴だ
82 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/01/09(金) 16:26:52 0
>>80 <意識の解明は、思弁哲学では半歩も進まない
神経生物学等の、科学から新しい事実が分かるまで我慢だ>
a prioriな認識より、a posterioriな認識の方が先に「解明される」かもしれない。
学習/経験による分だけ、記憶/入出力/判断(演算)処理等々の機能は相対的にシンプルなものと想定されるから。
それと、a posterioriな認識の十分条件としてのa prioriな認識というものが「実在し」、且つ「解明されうるものある」としてだけど。
>>77 そうではなく俺が言いたいのは
『肉体や物質とかも、感覚(クオリア)だが、極めて他の感覚以上に強いので
あたかもそれが中心となってる仕組みに感じる(唯物論の誕生)』です。
感覚でも自由に消せないでしょう?痒みや性欲とか。
物質とかの感覚はもっと消せない。なので、その物質という感覚が中心になってると感じ唯物論を思考する。
で。生命ってのは、単なる化学反応なんですよ。
『分裂(性欲)・周囲の物質の吸収(食欲)・自己と外界の境界(身体の維持=生きようとする)』という化学反応。
↑を行う化学反応は、コアセルベートとかありまして、そういう化学反応が
『何十億年も続いて複雑になっただけ』が生命。単に何十億年も経ってるから
他の化学反応より複雑で、生命が特殊に感じる。
次に脳と意識ですが、これは第一原因は、意識の
『分裂(性欲)・周囲の物質の吸収(食欲)・自己と外界の境界(身体の維持=生きようとする)』という化学反応への執着。
要は、思考と感覚は、執着した対象で快苦を感じ、
快の為に対象を複雑化・巨大化させていく訳ですが
(例えばHNに執着すればトリップやら評価やら巨大化するし)、↑の化学反応に執着した為に
意識は↑の化学反応の特徴を行い、単なる化学反応は分裂し巨大化し今のような生物になった。
で、生死ってのも、『自己と外界の境界(身体の維持=生きようとする)』です。最初の化学反応に
この特徴があったから、化学反応の延長である生命は、生きようとし、生死にかなり敏感になる。
要は、私の・生死・物質ってのは、執着対象が
『自己と外界の境界(身体の維持=生きようとする)』という特徴の化学反応だったので発生する感覚を基にした思考であり、
別に普遍的なモノでも無いのですよ。
84 :
考える名無しさん:2009/01/10(土) 23:02:58 0
僕はね、二元論者なんですよ
「脳と魂はつながってる」って考えです
僕はNCC(Neural correlates of consciousness)はあると思ってます
例えば、赤を見る
なるほど確かに赤を見てるとき、それと関係のあるニューロン集団の発火が見られるでしょう
だけれども、そのニューロン集団の発火と関係のある霊魂ってのも存在するんですね
物質と非物質的なものがくっついてるのは奇妙ですが、それは意識と脳の関係にも言えることなんで
酒で簡単に意識は変わるし記憶も飛んでしまう
86 :
考える名無しさん:2009/01/29(木) 21:08:14 0
ミスorz
感覚器が一つ失われただけでも俺は生に魅力を感じなくなってしまう。
意識があっても失明してしまうなら、両手を失うなら
意識の消滅よりも苦しい生を全うせねばならないとは辛すぎる。
脳あってこその魂……消滅してくれた方が幸せだと思う。
俺は認知症になりかけていて記憶がボロボロ。
昨日の自分の意識が今日の自分の意識と大きく異なり
大切な人の名前が出てこないほどだ。アイデンティティーは既にないのか朦朧と水母の様だ。
仮に意識が消滅するものだとしたら、死は怖いものでは無くなる。
安楽死出来るならすぐするだろうな。
88 :
考える名無しさん:2009/02/05(木) 13:07:53 0
毎日の睡眠が、一時的であれ自分自身が存在しないという意味では死後に似た状態を体験することになるので、
寝るのすら恐くなる時がある。
また寝ている間もどこかに「意識を失うまい」という力がかかっているみたいで
なかなか熟睡できず、睡眠時間の割には睡眠不足の状態がずっと続いていて、
いつも体調不調の状態がずっと続いている。
これも一種の不眠症か。
89 :
考える名無しさん:2009/02/05(木) 13:57:45 0
いくら怖がったって、結局は死ぬんだし、
ここで「怖い怖い」って言ってれば怖くなくなるわけでもなかろう。
しかし、このスレ、なんでこの板なんだ?
「哲学は死の練習」とか言ったプラトンへの当て付けか?
90 :
考える名無しさん:2009/02/05(木) 14:09:30 0
91 :
考える名無しさん:2009/02/05(木) 14:46:50 0
92 :
考える名無しさん:2009/02/06(金) 07:49:43 0
>>1 マジレスすると、本気で心配ならケン・ウィルバーでも読んでみ。
賛同するにしろ否定するにしろ収穫はあると思う。
93 :
考える名無しさん: