1 :
考える名無しさん:
肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、
神はしてくださったのです。
つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、
その肉において罪を罪として処断されたのです。
ローマ書 8:3
いや、「キリスト教使えねぇ」ってところから、近代哲学が立ち上がったのですが。
しっかり哲学史学んで下さい。
3 :
考える名無しさん:2008/12/22(月) 21:42:57 O
唯物論にたどり着いたのですが…
帰依は仏教用語だろ
5 :
考える名無しさん:2008/12/24(水) 13:54:44 0
哲学史を見てみて、「キリスト教」を否定するその仕方に問題があったようにも思える。
ニーチェのキリスト教批判なんて、今読むと程度が低すぎてナンセンスだし。
6 :
考える名無しさん:2008/12/24(水) 15:27:57 0
>>5 お前が読んだのこれだろ
『キリスト教は邪教です!』(講談社プラスアルファ新書)
7 :
考える名無しさん:2008/12/29(月) 14:49:44 0
価値の話題を考えながら、手塚治の聖書物語を読んでたら、
人間は善悪の木の実を食べてはいけない、善悪の木の実を食べたら
必ず死ぬというのを読んで興味を持ちました。
善悪の価値観を人間側で持って意味を考えると人間が死ななければ
鳴らないと考えるのだと。
こういう宗教観を持っているんですね。
8 :
心の仕組みドットコム:2008/12/29(月) 17:47:17 0
7>人間は善悪の木の実を食べてはいけない、善悪の木の実を食べたら
必ず死ぬというのを読んで興味を持ちました。
善悪の木の実を食べずに死ななかった者が何処かにいるの?
9 :
考える名無しさん:2008/12/30(火) 13:55:28 0
この前、キリスト教神学辞典を見つけて読んでみたら、
ほとんど哲学辞典と変わらなかったぞ。
キリスト教=哲学だろ?
まああのザビエルでさえ
司祭になる前は哲学を学んで
アリストテレスの講義等をしてたくらいだから。
11 :
考える名無しさん:2009/01/01(木) 18:10:20 0
哲学上の問題や悩みを持つ方は、哲学書等を読み漁って
真理の発見のために勤しんでいるようです。
しかし、真理とは哲学ではわからないものなのです。
最終的に宗教に頼った方がよい場合もあるのですが、
宗教自体を初めからトンデモ話だと決め付け、軽蔑している方も多いので
哲学するために無駄に膨大な時間を費やしてしまうのです。
デカルト流の暫定があれば、すぐ諦めて立ち帰ることができますが、
そう器用でないならば破滅してしまうこともあるかもしれません。
哲学とは本来十分注意を払って取り扱わねばならないものなのです。
12 :
哲学者:2009/01/05(月) 16:41:10 0
同意
13 :
考える名無しさん:2009/01/05(月) 23:23:27 0
自分が哲学に何を求めているかは、いくら読み漁ったって本には書いてなからね。
それに、そういうのは、論文に書いて発表できるようなことじゃないから
アカデミックな研究者は軽視しがちだけど、やはり大事なことだよね。
15 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2009/01/06(火) 20:40:15 0
>>11 <デカルト流の暫定があれば、すぐ諦めて立ち帰ることができますが>
デカルト流の暫定って何ですか?
こういう論法の広告って多いよな。
ミラーリングによってターゲットのホメオスタシスに働きかける古典的な手法だ。
17 :
考える名無しさん:2009/01/08(木) 12:07:14 0
キリスト教じゃなくてもいいだろう。
哲学は真実を探求する。故に、知識は高められても、
心は自然の動物的な傾向に引きずられてしまう。それは心の退行である。
心は信念や希望などによって幸福をもとめるように支えられている。
この場合の幸福は生理的社会的欲求を満たすものではない。
であるからして、哲学をしていると不幸になる人が多いのである。
もちろん唯物的、進化論的な哲学が主流を占めている現代ではなおさらだ。
幸福に作用する心とは、常に自然の心的傾向を抑え、
絶えず積極的意志的に心を正していく思想を強める宗教的要素が必要不可欠である。
何度も言うが、これは生理的社会的欲求をみたす幸福論ではない。
情欲や名誉欲等の我欲を克服する。そして、その心に宗教的思想を流れるようにする。
なので人間本性の欲求にばかり従い続ければ、まさに我欲満タンの滅びの道を行くことになる。
これは明らかに野生動物のようになる退行である。
現代は宗教的思想も奪われ、動物的欲求だけが野放しになっているような有様である。
このあたりで再び心を大切にする心的幸福思想が人々から徐々に現れ始められるだろう。
そのときやっと人々は正しい心を手にすることで、キリストの言葉に納得できるようになるであろう。
えっ全額寄付?
19 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2009/01/08(木) 20:00:33 0
全額寄付どころか手柄も寄付ですよ
ウンコなんていらないっつううの
>>16 ル・サンチマン™ が自ら正体を暴露してしまったようだねw
自分が ル・サンチマン™ でも何でもないならこんなスレ立てる必要ないもんね。
ル・サンチマン™ 、あえなく自爆(笑)
21 :
考える名無しさん:2009/01/21(水) 19:14:02 0
>>1 まあ哲学ばっかりやって滅びの道を突っ走る者達はそのままにしておけばいいでしょう。
彼らの内にある欲望を正当化しようとする心はもはや救いようがない。
22 :
NAS6 ◆kl1JWE6W72 :2009/01/21(水) 19:24:09 0
聖書を要約すれば
富の道は滅びの道
ということです
23 :
考える名無しさん:2009/03/18(水) 21:22:08 0
三位一体こそ万物の中心!!
父 子 聖霊
光(赤 青 緑)
時間(現在 過去 未来)
空間(縦 横 高さ)
俺の思想は理性で十字を切っているから俺の哲学をやり給え
25 :
魔女嘘追迂 ◆MAJOUSOou. :2009/05/10(日) 21:27:31 0
26 :
:2009/05/11(月) 09:34:45 0
27 :
:2009/05/12(火) 21:24:19 0
28 :
:2009/05/14(木) 11:50:45 0
29 :
:2009/05/15(金) 10:09:25 0
30 :
:2009/05/16(土) 09:48:07 0
31 :
考える名無しさん:2009/05/16(土) 14:16:51 0
32 :
:2009/05/16(土) 14:29:24
株 0 BE:420447825-2BP(1700)
34 :
考える名無しさん:2009/05/17(日) 17:47:17 0
もう混乱しまくりですわ
今日は、とある宗教を信じてる知人から、
信仰しろって言われたんですよ
散々話し合って、最終的に
教えとして、素敵だと思う部分もあったけど
今の自分にはどうしても「信じる」事ができない
って結論に至ったんですよ
頭おかしいって言われた…orz
そもそも話し合っている最中に
おいらの意図することが、正確に伝わってないような
気がしたし…話し合いになってたかも疑問ではあるのだけど…
信じる→救われる は理屈としてはわかる
が、救いってなんだ?
自己を取り巻く問題や悩みの解決は、必ずしも宗教を
信仰しなくてもいいんではないのん?
おれ馬鹿だからワカンネ
教えてエロい人
マリア観音像を作って帰依してください
36 :
考える名無しさん:2009/05/17(日) 21:30:15 O
>>34 信仰は人から強制されるものではない。
その知人は本当の信仰を得ているとはいえないな。
彼らより世界の神話に詳しく成りなさい。
勧誘者は神に詳しい者をドウコウできない。
蛇口の問題かな。
38 :
考える名無しさん:2009/05/18(月) 22:18:11 0
>>1 止めときな。哲学とキリスト教は互いに嫌いたがる。
>>34 宗教でなくてもいいが、自我がトップでは無理。
43 :
考える名無しさん:2009/06/28(日) 04:47:46 0
>>38 ほ〜んと。
神学の連中ってのは口を開くとすぐ哲学の悪口ばかり言う。もうウンザリだよ。
「私の前で哲学の悪口言うならその前にテメーで十字架にかかって
復活してから言えってんだよ。この素人どもが」
と言ってやりたい。
>>43 高等数学をやっているからといって
九九や四則計算をバカにする事は無い訳で。
45 :
宅急 ◆MAJOUSOou. @株主 ★:2009/07/03(金) 23:38:05 0
46 :
考える名無しさん:2009/07/03(金) 23:42:08 0
>>38 西洋の人間哲学をキリスト教神学が歪めてきたのは「世界の常識」だよ
47 :
宅急 ◆MAJOUSOou. @株主 ★:2009/07/08(水) 06:04:15 0
48 :
考える名無しさん:2009/07/09(木) 15:29:10 0
>>36 俺は日蓮正宗法華講に所属しているが、仏教にもいい言葉があって、
その1つが”無解有信”なんですね。つまり、仏の教えを充分理解
した訳ではないが、信ずる心だけは持っている、というのがこの言葉
なんですね。
>>48 その言葉の何がいいのか、というか君はなぜいいと思ったのか教えてください
50 :
考える名無しさん:2009/07/11(土) 18:00:01 0
>>49 つまりですね、聖書を充分理解した訳ではないけれども、キリストが我々の罪を背負って
死んで3日目に復活したことを信じるならば、あなたは救われるでしょう、ってことを
ってこと。
提供 ル・サンチマン™
52 :
考える名無しさん:2009/12/14(月) 05:50:16 0
只管打坐
3日後(4日目)に生き返ったっていうのは、
死後も霊魂があるってことです
そんなの、他宗教では常識ですよ
54 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 16:41:37 0
この俗世で哲学する姿勢をどこまでも貫くと、自分を自ら追い込み
俗世とあきれつを起こし、ついには神を要請するようになる。
「愛する人たち、自分で復讐せず・・・・善を持って悪に勝ちなさい」(ローマ書 12,19−21)
55 :
考える名無しさん:2010/01/12(火) 17:56:37 0
まあ「信じろ」とどの宗教も言うよ。
だが、信じられない人が多いよ。哲学なんかやってると尚更だ。
人間はもともと疑い深い生き物だからね。
最初から信じられない。
まず、「疑う」ことから始めるのが当たり前。
それで、疑って、疑って、疑って、疑いきれない所にぶち当たって、
それから、ようやく「信」が始まるのよ。
景教だろうが回教だろうが仏教だろうが同じこと。
キリスト教は初めから信じろという。
仏教は初めから信じろとは言わない。自分で確かめろと言う。
キリスト教は始めの客引き優先宗教だ。馬鹿馬鹿しくて途中棄権する奴が多い。
仏教は始めから馬鹿馬鹿しくて人が集まらん。途中棄権する奴はキリスト教より少ない。
なんの宗教にしろ最期まで残る人々は少ないことは確か。
どの宗教・宗派が正しいか、なんてのはどうでもいい茶番。
その宗教でも正道を行っている様で邪道に逸れるのが多すぎる現状。
「人々は多いが、彼岸に達する人は少ない」 法句経
「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」 マタイ福音書
56 :
考える名無しさん:2010/01/13(水) 16:26:41 0
初めにことばありき。ことばは神なり。ことばは神とともにありき。
ことば、すなわち、ロゴス。ロゴスとは論理。哲学だ。
57 :
考える名無しさん:2010/01/13(水) 16:31:16 0
キリスト教系は早く戦争やめてね
59 :
考える名無しさん:2010/01/16(土) 16:07:54 0
>>55 デカルトの懐疑だな。
日本でキリスト教に入信するのはまあ無理だな。トマスなんて洗礼名付けられて
今日からお前は西洋人だぞ、なんて・・・
でもランボーのように死ぬ時はいるかも。
>>1 ....-‐::::::::::‐-....
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 ̄: : : : :|:::::::::|', `. 、`ー ヘ_::::\__ \'´ : : : : : : : : : : :/ ノ| '又 ' (___ノ\ ヽ_ ヽ/
: : : : : :.:.|:::::::::|:.', \_r‐'´::! ̄::>ヘ、 ̄¨''¬ー- 、 _____,,,,,'´
: : : : :..:..:|:::::::::!: :', 〃ヽrh:::::!.::./ .二\
: : : : : : :.|:: :::::|: :.:', /,不∧_:::|.:/ -‐、∨
: : : : : : : |::::::::|: :丶〃{{ヘ/ `ヽ{ ィヽソ|
その思惟は自体的な思惟であって、それ自らで最も善なるものをその対象とし、そしてそれが最もすぐれた思惟で
あるからその対象も最も優れたものである。その理性はその理性自身を思惟するが、それは、その理性がその思惟の
対象を共用することによってである。・・・ここでは理性と理性対象とは同じものである。・・・そしてその観想は最も
快であり最も善である。そこで、もしもこのような良い状態に・・・ー神は常に永遠にいるのだとすれば、それは驚嘆
すべきことである。・・・ところが神は現にそうなのである。しかもかれには生命さえも属している。というのは、かれの
理性の現実態は生命であり、しかもかれこそはそうした現実態だからである。そして、かれの全くそれ自体での
現実態は、最高善の生命であり永遠の生命である。だからしてわれわれは主張する。神は永遠にして最高善なる生者
であり、したがって連続的で永遠的な生命と永劫が神に属すると、けだし、これが神なのだから。
アリストテレス『形而上学』(第12巻第7章)から
>>59 _,. -―――- 、
/: : ‐: : : : : : :‐- 、: :\
/: : /: : : : : : :\: : : : \: :\
/: :/: :.|: : : : : ! : : : \: : : :.ヽ: : ヽ
/: /: : 八: :!: : :|\: : : : ヽ: : : :',: : :.',
,': /ニ7⌒!:.!: : :| ⌒ : : : : : : : : |: : : :!
/: :.|: :./ V\: ! ヽ: :!: :.|\|: : : :.\__,
/: : :ハ: :| ヾ ∨!∨: : : : : : : : :ヽ
/: : : : :.V:! x=ミ x=ミ. !: : : : ハ: : : : : :.ハ
/:/: : : : /: :! 、、 、 、、 !: : !: : :!: : : : : : :.}
// |: : : /| :八 - 、 ,ィ: :/: : /: :ハ: : :|V
{! 从: i'´ ̄::::>、 `ー ' イ!V /: : /: / |: :/
_人_ /N::::_:::::/::| ` r ' //:/: /‐く V
`Y´ /::::::://:::/:::::| >< /:::丁´:::::::::::::V゚}∩ *
/::::nんh_::∧:::::}/八. ∨::::::」::::::::::〈ヽ.ノ///〉
. /:/| ! // 〉:::::>ヘ.ノ八 ソ::::{::::::::::::/:::} っ
//:::::::\__ノ〉::〈:::::::|/ ∧〉::::〉::::::::/::::∧ , ィ´
/:::::::::::::::::::::/::::::::\::! /:::::>'´::::::::/::::/:::い.ノ):〉
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`ー七:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::/
//:::::::::::::::::::::::<>::::::::::/::::/ ヽ:::::::::::/
/⌒〈:::::::::::::::::::::::::::::::::::イ::::::::/ `ー‐' *
トマス・アッキーナッス(1995〜)
63 :
考える名無しさん:2010/01/25(月) 22:50:02 0
霊魂の不死も、神の存在も論理的に証明されえない。不死と神を道徳の観点から
カントは復権する。道徳性と気構えとが完全に一致するという「最高善」は「同
一の理性的存在者の存在と人格性が無限に持続することを前提にしてのみ可能で
ある。」そして、道徳性と幸福の一致が要請されるところに「自然と区別された
自然の原因」すなわち神の実在することが要請される。神の恩恵のよって人間の
道徳性が成り立つのではない。人間の道徳的自律が神を要請している。これはス
トア主義的自律とも違う。ストア主義では道徳的完成は死を賭しても達成されね
ばならない。カントの自律は、完成に向けて果てしなく「闘い」を持続する可能
性なのである。
自律は自由とほとんど同義である。自由は必然と対立するかに見えたが、カン
トは自然の必然性は現象に関わり、自由は物自体に関わるとして、自由と必然を
両立させた。自由の因果性は、時間の中の因果性ではない。自発的な決意といっ
たものである。
加藤尚武『哲学史』カントの章より
64 :
考える名無しさん:2010/01/26(火) 05:37:15 0
信じる者は救われる
65 :
考える名無しさん:2010/01/26(火) 19:42:44 0
オバマ氏は6日、サンフランシスコでの非公開の資金集めパーティーに参加。
「ペンシルベニアの田舎町の人々は、失業に苦しんだ結果、社会に怒りを
持つようになり、(その反動で)銃や宗教に執着するようになった」と
語っていたことが11日、インターネットで明るみに出た。
西洋哲学はキリスト教と言うお釈迦様の手のひらの上で暴れる孫悟空みたいなもんだからな
67 :
考える名無しさん:2010/02/04(木) 22:46:29 0
個別性そのものはとりもなおさず主観性であり、一般性と特殊性との対立が自己の対立の同一な根底に
復帰したものとしての概念そのものである。
こういう個別性そのものの契機において自己を前提として表現するものは、自分の抽象から抜け出て
個別的自己意識として実現される一般的実体である。
そしてこの個別的自己意識は<永遠な本質>と直接に同一なものとして、永遠な領域における
あの<ひとり子>を時間性へ移す。そしてこの子のなかで悪は潜勢的には廃棄されたものとして
表現される。
しかしさらに、絶対的に具体的なもののこの直接的な現実存在ーそしてそのことによって感性的な
現実存在ーは、判断(判決、根源的分割)に身を投げ、そして否定性の苦痛のなかで絶命してゆく。
そして、あの絶対的に具体的なものはこの否定性のなかにあっても無限な主観性として
自己と同一である。
このことによって絶対的に具体的なものは否定性のなかから絶対的復帰として、かつ一般的本質性と
個別的本質性との一般的統一として、現勢的に生成した。
これが、永遠なものではあるが、しかし、生きたものであり、かつ世界に現前しているものとしての、
精神<聖霊>の理念である。
そうした饒舌な、彼岸への憧憬なり崇高なるものへの畏怖なりは、
けして哲学的ではない、単なるおまえの信仰告白に過ぎない。
69 :
たまご焼き:2010/02/11(木) 15:05:38 0
ほとんどの近代哲学者はキリスト教徒でした。
彼らは「神」を語るために「哲学」したわけですから、「哲学」の結論は
「神」の存在、となるに決まっています。
彼らがブッダやマホメットを語ったとすれば、やはり同種の結論を
導き出したのではないでしょうか。
70 :
考える名無しさん:2010/05/06(木) 01:23:09 0
宗教なんて全然興味無かったけど
哲学の本を読んでるうちに、心からキリストに
帰依するようになってしまった。
教会とか牧師経由じゃなくて哲学書経由で
キリスト信者になるのが一番自然だと思う。
わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。
だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。人々を警戒しなさい。
あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。