あずまんブログ読んだ。あずまんが真剣なのはわかった。でも、僕は
>>291がが正しいと思う。
あずまんは下のように説明している…
> 決戦の現場での…ルール変更、道場主本人による場への介入が、
> 挑戦者のあいだに不信感を呼ぶことは理解しています。
> しかし、ではあのとき(じつは結果として、時間点を加算しない場合と
> 大して変わらない順位にはなっているのですが)、時間点を加算せず、
> 「はい、腐女子売れましたか、でも東・太田点が低いからダメですね」で
> よかったのかと…は思えない。むろん、主催者側としてはそのまま放置が
> もっともリスクが低い選択(ルールはルールだから!の一点張り)…ですが、
> ぼくたちはリスクが高くてもみんながもりあがれる、おもしろい企画を望んでいる。
> だからぼくは新ルールを作った。しかし、今度はそれによって特定のチームが
> 不利になった。ではそれはそれでいいのかといえば、やはりそうも思えない
> (たぶんそうしたら、筑井さんと雑賀さんが文尾さん以上に不満をもったでしょう)。
> だから個別に調整した。しかし、そういう調整は、事前の同意なしに勘で行われる
> しかないので、誤解も生みやすい。そういうことだったのです。
この説明は、「ルールに従うこと」が「リスクが低い選択」にすりかわることによって
成り立っている。しかし、「ルールに従うこと」のリスクの低さは、それが妥当なために
もたらされるものだ。あずまんは、「ルールに従う」ことが、まるで「リスクをとらない
卑怯者の行為」であるかのように描写しているが、卑怯なのは設定したルールに従わ
ないこと、自分たちが設定したルールに従わない理由を「おもしろさ」のような、曖昧
だが受け入れやすい印象に求めてしまうことではないのだろうか。
はっきり言えば、500部完売の可能性も配慮に入れて、最初から時間点というルールも
入れておかなかったことが失敗だったのだ。しかし、完売は誰も予想できなかったから、
それはものすごい小さな過失だ。だから、その過失があったことを堂々と認め、事後的に
妥当なルールを導入せざるをえなかった。という前提から、上の説明につなげれば、より
問題が小さいのに、なぜそうしないのか、僕には理解できない。