1 :
考える名無しさん:
副題:=【私】は、どこまで肉体に依存するのか?=
『私』『我』『自我』『主体』『主観』『主観性』、
デカルト的懐疑の到達点、認識の基点、思考の起点、思惟の場、
或いは、各種宗教的アプローチの底に見出されるもの、
等は、どのような記述が可能なのか?
その記述方法は、唯物的な(或いは還元的な)事象の羅列で十分か不十分か?
その記述方法は、一通りか?それとも何種類もあるか?
それら記述方法の分類・仕分けはどのようなものか?
『それ』にふさわしいラベルはどんなものだろうか?
『それ』と「外界」の関係は?
『それ』と「他者の『それ』」との関係は?
『それ』は、普遍性を持つか?
『それ』は、どこにあるのか?
『それ』は、複合的に形成・構成されたもの・成立したものか?
『それ』は、単独に存在しうる(成立しうる)ものか?
『それ』は、妄想か?錯覚か?便宜上のラベルか?
『それ』は、実感されるが故に確かな存在か?
前スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1222213200/ 当スレは隔離スレとして誕生したという経緯があります。
2 :
天才君:2008/10/05(日) 20:06:02 0
神は言葉をつくり、同時に「私」と「他」を分けた。そして神と我々を隔てた事に
より、神は自らを我々をみることによって知ることになった。
神の下位の相対として顕れた我々、自他は、他をみることで、「私」の行いを
知ることができる。これが比較による知の発見だ。
この知は、「違う」という事のみであり、知とは違う事おの発見です。
言語で神と我々は分離しているだけであるので、観念と概念が消滅すれば、
神と私の相対関係は消滅してしまう。あるのは行為のみになる。
誰が?などという問題自体がないのである。これは意識というものが
ない者達の社会ともいえるが、そうではなく、意識がありながら、
そうである事実を知っている者の集まりの社会である。
一方、文字に相当するものは言葉以前に存在している。絵である。
絵は言葉と違い、物にしか記入できない。だから物々交換の社会である。
言語が必要になったのは、捕獲、保有、保持、安全、備蓄等こういった
備えや保証を確保する事において発生した知恵でもある。
こういった発生原因で言葉の世界を観る天才君である。
3 :
動物君:2008/10/05(日) 20:14:10 0
はっきりいっておく、みなさんが「私」といっているものは、
「恐怖」」「不安」「懐疑」である。
そもそも、なぜ、思うのか?どういう時、思うのか?どんなとき、
考えがかすめるのか?
等身大に実体を表現してもいいのか?いけないのか?
あるいは、威嚇するか?とても単純な事なのである。
我々は動物なのである。
4 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 20:19:16 0
>>3 また、定義(低議)論の話かよwww。
結局哲板って定義以上を語れないんだよなぁw。
5 :
動物君:2008/10/05(日) 20:22:13 0
動物は動くものであって、考えるという行為もただ動いているだけである。
内容などはどうでもいい。なぜならば、実体は動いているだけですからね。
どうでもよくないと思っているのはたかだか「私」達です。
でも「私」達外からみれば、ただせっせと動いているだけです。
巣を沢山つくったりいろんなものを創っています。
人間は環境汚染などという馬鹿げきった事をいっていますが、
汚染しているのは、人間生活をともにする動物や環境であって、
それらが宇宙すべてではない。小さなものである。
小さな人間がさらに小さな「私」にしがみつき、それだけではあきたらず、
「私」の所有物までにもしがみつき…。もうどんどんしがみつき。
挙げ句の果てには、しがみついた結果病気になったとして、やっと
体にしがみつく。で、生きたいと言う。生きたいなら環境汚染を止めれば
いいだけの事ですね。
天才君談。
6 :
天才君:2008/10/05(日) 20:24:39 0
>>4 いいえ、定義以上などありません。言葉の世界などはそんなもんです。
何故ならば、第一原因が「私」であるい以上、なにを語っても
定義です。
7 :
ラプラスの悪魔@4 ◆daemontaDA :2008/10/05(日) 20:32:11 0
>>6 チキショウ、まだお前を一語で語って、ひと括りするだけのポマエの情報量が無いw。
何が天才だ、何が最高位だ、ワラカスナwww。
8 :
天才君:2008/10/05(日) 20:41:49 0
天才や最高位になんの意味もないと思います。呼び名です。
「私」を失った事があれば、たぶん私って大切だなと思います。
>>8 >「私」を失った事があれば、たぶん私って大切だなと思います。
それには同意するが、いまにみてろ、お前の総体を一言、一語で、
ひと括りにしてやるから。
そもそも名前が気に入らないんだよ、天才とか、最高位とか、
舐めとんのか、ひと括りに分析してやるから、おまえ等待ってろよなwwww。
10 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 20:52:25 0
>>6 違いますよ、おばかさん。「定義」という言葉の濫用です。
11 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 20:53:49 0
>>8 なんでそういう意味のない議論がすきなの?
ばかなの?
までも、最高位の総体は既に99%捉えたと思ってるw。
あとは天才君、お前だけだw。
>>10 はぁ?。レスは分かり易くね。
13 :
天才君:2008/10/05(日) 20:57:22 0
私の総体は神ですよ。主体が神、かつ私も主体。
一括りにしたら神です。
だから、天才君を一括りにするならば、こう言ってください。
「お前は神で、俺も神だ」。
14 :
天才君:2008/10/05(日) 21:01:13 0
>>11 バカなのが「私」なのです。バカな私に意味を見出すのは、バカではありませんか。
ちなみに最高位は私は在るという。天才君は私は在るかつ神も在るという。
唯一無二が在るという点では一致しているわけです。
15 :
天才君:2008/10/05(日) 21:02:59 0
究極の固有性を否定することはできません。
みなさん、自分自身の究極の私に到達しようではありませんか!
皆で分析しあおうぜw。
ま、程度が悪いと個人的な投影で恥ずかしい目を見ることになるが、
他人も含めて分析するってのはかなり面白いよなぁ。
までもさ、分析うんたらってただの解釈学(解釈学なんて学問はないけど)だからなぁ。
wwww
全てを解釈して分析するんだ。己の投影が普遍(平均)的な人間心理を
投影するように努力しようぜ。
17 :
素人:2008/10/05(日) 21:05:24 0
994 24 sage New! 2008/10/05(日) 19:58:45 0
>> 992
だから、どうして「逃れられない枷、縛り」なのかということだけど。
枷だと考えるのは例えば君は「私の身体はなぜ私の身体であって他人のそれではないのか、いや他人の身体であってもいいはずだ」とか考えているということかな?
>私の身体はなぜ私の身体であって他人のそれではないのか
>他人の身体であってもいいはずだ
そういう方向とはちょっと違うでしょうね・・・。
思考している以上、それは「私が思考している」のでしょう。
五感でもって知覚し、情報収集している以上、「私の身体」なのでしょう。
その時、「思考がある」とだけ見る。「感受がある」とだけ見る。
そのように見ている何ものかをもまた、「そのように見ている」という観察がある、とだけ見るのです。
(この無限遡及は一度或いは二度で十分です。)
掘り下げ、潜行し、余分なものを削ぎ落とし、玉葱を剥いていった時、
『見ている何者か』、『観察している何者か』、は本当に必要なんだろうか・・・?という疑問を持っているだけです。
それは、玉葱の芯を探す(確定する)ことのように愚かなことではないのか? と・・・。
おやすみなさい。 ノシ
>>17 レスして直ぐに寝るって、どんだけ失礼な奴。
w
もう二度とレスしてもいいよw。
19 :
天才君:2008/10/05(日) 21:11:38 0
固有性の特性を尊重しましょう!
>>19 もうちょっと詳しく細かく正確なレスで頼む。
まぁ、俺も極めて個性的なので。
21 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 21:17:39 0
むしかえすが
定義付け=語の意味の説明
だったら
定義の行き着く先は
「『壜の中に蠅のいる写真』の定義は、壜の中に蠅のいる写真」
「『壜の中に蠅のいる写真』は、壜の中に蠅のいる写真だ」
にならざるを得ない
23 :
天才君:2008/10/05(日) 21:27:47 0
>>21 >唯一無二の定義は?
「在る」という事です。在るという定義は、無いの反対です。
これが天才君の思想の根本です。だから在るものは否定できません。
まだ定義論云々をやってるのかw。
先に進めよw。
>>14 飛躍が激しいよw。
>>21暇人w。
>>23 唯一無二って差異が在るって事じゃないの?
26 :
天才君:2008/10/05(日) 21:39:36 0
>>25 唯一無二は差異つまり違いを生みます。
しかし唯一無二自体に差異はありません。
唯一無二自体はそれ自体で完結しています。
天才君はこのように考えます。
最高位流に言えば、交わらない。
>>26 差異化の運動のみが存在するのではなく、
差異化されない実体的存在があって、
それが「神と私」の2つだという事にしたいの?
28 :
天才君:2008/10/05(日) 22:10:30 0
>>27 > 差異化の運動のみが存在するのではなく、
>差異化されない実体的存在があって、
>それが「神と私」の2つだという事にしたいの
いいえ、「神と私」で一つであるという現象を説明しているだけです。
神と私という事であれば、これは唯一無二ではありませんね。
既に、相対化・分裂化されている。その分裂化の主は、まぎれもなく
観念によるものです。
実在とか実体とかは我々の観念上には存在しますが、在るのは現象でしょう。
我々は現象の一部であり主体などはどこにも存在しない。こう考える訳です。
しかしながら、主体は時空内には存在します。とうぜん社会という観念上では、
しっかり私は存在しますね。
神の世界は階層構造をしているようです。天才君談。
29 :
天才君:2008/10/05(日) 22:32:54 0
我々は、「私」について発言をすることによって、
我々の社会的あるいは、国民的、思想的ドグマの省察を行っている訳です。
最後に立ち現れるドグマが「固有の」「私が多数存在する」というドグマです。
つまり「他」が存在するというドグマです。
しかしこれは相対主義の存在性を表しているだけであって、
真実は絶対主義、全体主義にあり。つまつところ、一元論で
思考は終わるわです。
一元の大元である時空の正体を見極めなければ、相対主義は克服できません。
相対主義を克服することにより相対主義が解ります。つまり自他の謎が解けます。
天才君談。
そういえば最高位が来てないな。
あの人は個室ビデオ屋の受付で夜勤やってると言っていたけど。
ま、まさかな・・・
31 :
天才君:2008/10/05(日) 22:59:52 0
天才君の思想によると、物質は、観察すると同時に立ち現れる。
時間が密接に関係している。過去が物質であり、そして我々は
過去しか認識することができない。
ならばする事は一つである。物質の形成過程の操作である。
それはつまるところ観念である。観察したものをみて、
あるいは形態という過去をみて、次の物質形成をどう
クリエイトするか?アートですね。
しかし相対主義論者は、分析ばかりする。
だから現実という形態自体に働きかける事は不可能であるという
結論であろうし、形態自体を生んでいるみずからの現実というものを
把握できず、過去、すなわち既成概念の奴隷に収まるわけである。
これは現象であり善悪、倫理、規範の問題ではない。
天才君談。
32 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 23:11:01 0
天才君ってきちがい?
>>31 存在は、理性による観察と追及の末に顕わになる。
複素数の概念が見出された瞬間、
マンデルブロー集合の図は存在が決定した。
ただ、その図を理性を以って導くまで、100年ほどかかった。
34 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 23:15:37 0
日本語と英語なら、自然言語記号の意味が全く違う。
漢字は象形文字で、その意味を手繰っていけば、それはただの絵になるから。
表音文字は「それをそう呼んだ」、それだけの理由でその記号が認められる。
表意文字と表音文字の間には非常な差異がある。
36 :
天才君:2008/10/05(日) 23:42:39 0
>>32 > 天才君ってきちがい?
あなたの既知外でしょう。
>>33 理性ってなんと役に立たないのでしょうね。
>>34 > いや、ただの現実逃避のゴミだろwww
現実から逃避できるとはなんと素晴らしい発想でしょう。
みなさんとても秀才だと思います。
37 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 23:49:02 0
おまえら天才君にひれ伏せよ
38 :
天才君:2008/10/06(月) 00:37:41 0
「私」という常識だよ。
「私」が存在しているって決めた社会なのですよ。ここは。
これは数学と同じです。1+1=2と決めた。
もっとも天才君は1+1=2というルールは使うが、
真相は1+1=1です。
天才君談。
天才君、あなたはまさか・・・
あのお方なのですか?
40 :
ネオマトリクス:2008/10/06(月) 00:51:59 0
>天才殿
貴公は英知ある賢人とお見受けする。
私は、この私の発生源をある程度変えられる術を持ちますが
生物からの転送収容に、まだ時間がかかるので
その間だけでも情報交換を願いたい。
とりあえず、苦の発生装置であるタンパク質の肉体から脱出し
別宇宙の意識が肉体を支配する肉体へ脱出を目指してますが
今の苦の発生装置からの脱出法は貴殿はどうします?
俺は、自由意思を使い、本能は自由に変えられる事はできた。
41 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/06(月) 01:31:25 O
意思の無限と有限の空間から生じる閉塞感ですよ。
42 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/06(月) 01:56:10 0
>>40さん
苦の発生装置はタンパク質の合成
肉体が有るからでは無く。
自らの行いによって記録され(原因)
諸条件が揃ったとき発生する(結果)のです。
もっとも西洋では
肉体が有るが故に苦が有る、というような思想もあるようですが。
なるほど。勉強になります。
44 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 07:17:39 0
,、_,、 ,、_,、
,、_(。・_・)(・_・。)、_,、
(。・_・)u゚ ゚uu(・_・。) ワタシトハナニカ
゚uu゚( '・) (・` )u゚
゚uu゚ ゚uJ゚
天才君を解釈するって、
おれがもう、天才君の論理は矛盾しているって前スレで結論付けてきたのに。
47 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 08:59:34 0
>>42 生老病死は明らかに肉体(色)の苦でしょうが。
心の苦も身体がなければ生まれない。
一切皆苦といわれる。
>>47 コテからして唯識だからね・・・w
肉体の様々な在り様もまた、識へと解体される。
唯識は五位七十五法だったけか・・・。
(人の(自身の)存在の仕方を)、識の75種の現れ方として見る感じだったかな・・・?
違ったらスマソw
49 :
天才君:2008/10/06(月) 09:11:30 0
>>39 >天才君、あなたはまさか・・・
>あのお方なのですか?
はい。あそこにもここにもいるお方です。
>>40 一ついっておきますが、私はバカであり、小心であり臆病であり、
気違いでもあり、まあ、だれでもありません。関係の中にだけ
あらわれる「私」です。それはさておき…。
>今の苦の発生装置からの脱出法は貴殿はどうします?
苦の発生原因は肉体にあるとお考えのようですが、
天才君は苦の発生原因はもともとなんらかの行為の連鎖の現象である。
こう考える訳です。その連鎖が苦を創っているならば、肉体は苦によって
創られているという事になりませんか。
苦と快は対極をなしていて、その中間に平常という退屈極まる状態がありますね。
苦が多ければ、快も同等に増えるこのバランスに変化はしませんね。
苦からの脱出?つまり快の減少を施すという事ですか?
喜ばなければいいんじゃないですか。あるいは苦を沢山行えばいい。
快を求めるからいけないんですが…。苦を体験すれば勝手に快のみ享受しますよね。
極めてシンプルなセンチメンタリズムの作用反作用だと思います。
>俺は、自由意思を使い、本能は自由に変えられる事はできた。
そう思われているようですね。でも思いが変わっているだけではありませんか?
なぜならば、現象自体の均衡状態を個が崩す事は不可能です。つまり自然を
コントロールしているのは我々ではありません。
このように天才君は考えます。
50 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 09:16:30 0
く('ε`) エヘヘ 誉められちゃった
51 :
天才君:2008/10/06(月) 09:16:40 0
>>46 >おれがもう、天才君の論理は矛盾しているって前スレで結論付けてきたのに。
そうです、記憶喪失した男 さんが、つまるところ、宇宙自体が完全であり、
その全てが在るにも関わらず、
論理が矛盾している状態が信じられないという結論を出したというだけです。
論理が矛盾しているとしましょう。だとして存在自体が消えるわけでも
変化するわけでもなんら変わらない。
つまり人間の出す結論などは、神に対して無力であります。
もちろん無力も神の顕れです。
天才君談。
>>51 あんたいつも一日中書き込んでるけど、2−トなの?
>>51 思う存分、やってくれ。勝ち負けを競う気はない。
天才君の思想は、おれはすでに考察済みなのだ。
新しく得られるものがあるとは思わない。
54 :
天才君:2008/10/06(月) 09:50:44 0
>>52 何かをして、なにか別のことをする。気休めです。
本業を指すならば、それは生きるって事くらいです。
>>53 >思う存分、やってくれ。勝ち負けを競う気はない。
思う存分することは勝ち負けを競う事ではないです。
勝ち負けは最初から決定済みではないでしょうか。
天才君は最初から負けているし、勝っているもの。
ま、どうでもいいという事ですね。
55 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 10:04:26 0
前スレ949です。レスできなくてごめんなさいでした。
不定期的にしか書き込めなくっていけませんねー。
気まずいですけど、一往レスを。
>>951 >厳密に規則化されているということなら、自由(意志)は単なる幻想である。
あい。そーです。単なる幻想ですよ。ええもう、がっちがちのアレですから。
>もう一つ。“その時の世界の状態”は貴君の「観念」である。
>事象(存在)そのままの“姿”を描出する方法はまだ知られていない。
そそそそ。ご存知のとーり、人は自分の体内の事しか観る事ができません。
人が観ているのは自分自身なんですよね。
ほかーにも含みがあるかもだけど、とりあえず含みっぱなしでいーや。
>一度たりとも“その時の世界の状態”が把捉されたことはないはずだ。
またまたー、御冗談を。何度も何度も把捉されてるじゃないですか。
人が感知した全てがその人にとっての世界なのですよ。
ね。皆さん把捉なさってるんでしょ。自分自身にとっての世界を。
そういえば、一寸違う話かもですけど、決定論スレ135の
>>410にある
記憶喪失した男さんのレスが最近のお気に入りですよ。
>>952 >この発想はどんな条件なんだろ?
>もしくは、この発想自体が条件にみえてしまう。
みえていいんですよ。それを感知した時点で紛う方なき条件なんですから。
56 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 10:10:05 O
苦への対応なんか苦集滅道で解決済み。
苦るしい時は苦るしめばよい。
57 :
天才君:2008/10/06(月) 12:17:20 0
「私」達の大きな癖。それは、間違いを認めないという事です。
それどころか、常に、反対概念を盲目的に無かった事にする。
そしてどんどん無意識が拡大する。どんどん苦しみも増大する。
苦しみの根本原因は、否定です。在るのに無いといいはる。
こりゃ苦しいです。
天才君談。
>>57 だから、天才君は神ではなく、論理が矛盾している情報体であり、
かつ、間違いを認めているのだから、何か思想の変化を行うべきではないのかな。
すぐには無理かな。
間違ったままの情報体として存在しつづけるつもりかい。
59 :
天才君:2008/10/06(月) 12:58:30 0
>>58 >間違ったままの情報体として存在しつづけるつもりかい。
つもりではなく、私の存在自体が間違っている訳です。
だから完璧な間違いを表明しているわけですね。
間、が、違う、という訳です。
そうですね。記憶喪失した男さんに言うならば、
思想の変化があるのではなく、全体が変化しているのですから、
無理というものが無いと思います。私だけ無理を通す事など
できませんね。よって間違ったまま情報体として存在しています。
天才君に主体が存在しないのです。
天才君談。
60 :
天才君:2008/10/06(月) 13:09:41 0
全てを肯定する思想。これは完璧な思想なのです。
そして我々自身も完璧な訳です。
完璧になれないのは、「私」という個別化された幻想をもっている
その思い込みにあります。だから「私」を貫くならば、
完璧にはなれず、「私」という道具を使う立場であるならば、
誰でも今すぐ完璧です。
>>60 おれの思想とはまるで違うのだな。
この生命は、この文明は、奇跡的組み合わせでできているわけだよ。
その奇跡的組み合わせを一歩でも前に進めるには、とんでもない試行錯誤がいると思ってるんだよ。
そういう世界観が好きなんだ。
すぐに完璧になれるなんて、嘘さ。まがいものさ。死という悪魔を見まちがえた幻想さ。
63 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 13:41:37 O
天才君てやつは
「全て決め付ける。」
凄いな。凄い凄い。確かに天才だよ。神だよ。お前がルールだもんなw
64 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 13:56:18 O
>>62 なるほど!全くもって、くだらない内容の小説だね!!
65 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 14:14:37 O
>>54 >>52の質問に対しての回答をしっかりしような。
結局、お前は働きながら書き込みまくっているが自分の本業は「生きる」
って事なのか、それとも
生きるという本業と2ちゃんという副業のみの生活
なのか、どっちか分からん。読み取り様によっては両方に解釈出来る。神ならもっと分かり易く説明せんかい。表現の仕方が自己満足やねん。
66 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 14:19:02 O
>>64 非決定論者の主張する(例えば最高位とか)の決定論では努力が無駄になる
というのを否定してみたのに。わかりにくかったかな。
おれの決定論についての主張の半分はこの小説で書かれていることなのだが。
68 :
天才君:2008/10/06(月) 14:30:57 0
>>61 思想の違いなどは当然の事として、奇跡的組み合わせで、今があるという
思想ですか…。で、そこから前にすすめるには、とんでもない試行錯誤がいる。
そんな世界観が好きですか…。つまり天才君流に言えば、「忍苦待望の精神」ですか。
その精神は日本では、特に美徳とされていますね。
私は努力を放棄します。努力していると思う事は高慢な精神の象徴です。
また、前進主義というものを信じていません。
こんな違いがありますね。
69 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 14:33:04 0
>>64 まぁ、待て。記憶喪失君はホープだろう?w
>>62 あちらの機械スレで共同主観云々という甘い突込みをいれたものだが、
君は統合失調症で、その後、謎の組織に監視されているという不安を
レスしていたと思う。間違っていたら、許せ。
もし差し支えなければ重複してもいいので、そのあたりの君の心的模様を
語ってくれまいか。
なお、天才君と普通の議論をするのは難しいよ。彼は相手したり、されたり
するのは嫌いではなさそうが、それで何かが明らかになるといった“弁証法”
は冗談と思っているだろうから。
>>68 努力が高慢だって? 前進主義を信じないだって?
現場では、着々と改良を加えて、少しでもやりやすくするように変えていっているんだよ。
そういう現場の試行錯誤を知らないんだよ、天才君は。
まだ、社会人というものを知らないんだ、きっと。
世間知らずの若者なんだよ。
たぶん、天才君はおれより若いと思うけど、時代は確実に変わったよ。
おれの子供の時と時代は変わったよ。
それが前進なのか、同じ場所をぐるぐるまわってるのかは知らないけど。
コーヒー牛乳が贅沢品だった二十五年前とはだいぶ、今は豊かになったよ。
71 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 14:42:25 0
一寸失礼します。試論しました。参考にしてください。
ヤフー検索:精神について
73 :
天才君:2008/10/06(月) 14:49:59 0
>>70 天才君のご想像については、記憶喪失した男さんの思う所として傾聴しますが、
天才君に言わせれば、変化が起こった。豊になった。それだけです。
そこに虚栄も、自負も、誇りすら無いはずですね。
高慢とは、ただ起こっている事実を湾曲し、クールな見解を見下す
精神を指しますね。
74 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 14:52:42 0
>>70 >コーヒー牛乳が贅沢品だった二十五年前とはだいぶ、
>今は豊かになったよ。
当時のコーヒー牛乳は、今で例えると何にあたるの?
76 :
天才君:2008/10/06(月) 15:01:07 0
みなさん、精神という抽象的話題はなかなか面白そうですね。
一つ申し上げておきましょう。
ズバリいいますが…。努力家には高慢しかないですよ。
ナルシストといってもいい。
獲得の精神ですからね。現状に不満しかないですから。
相対主義そのものです。個別化がたどる結末です。
そして頑張りの果てに何が残るか?
「私」があるのかないのか?です。
で、また努力して「私」を知ろうとする。
努力で見つかるものでもない。これが一つのドグマだからです。
77 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 15:30:44 O
>>67 わかりにくかったかな。
って?
俺は
『くだらない』
と言ってるねん。自分中心でしか物事を捉らえてないからそんな発言になるねん。
俺から言わせればアンタも天才君とやらも同レベル。
二人に聞きたいねんけど、アンタらは自分の事を何やとおもてるんや?
78 :
記憶喪失した男:2008/10/06(月) 15:38:27 O
携帯から。
>>74 子供じゃないんでわかんない。
ショートケーキかな。一年に数回しか買ってくれないもの。
>>75 九九を覚える努力が無駄になるかい。
特殊相対性理論を独学したおれの努力が無駄になるかい。
そういう努力のおかげで、おれはバカにされながらも、
哲学板や物理板の話題についていってるんだよ。
未来技術板の特殊相対性理論がわかってない人に教えてあげるのは楽しいできごとだった。
79 :
記憶喪失した男:2008/10/06(月) 15:48:03 O
>>77 ひとつの謎を解いたもの。
昔、自由意志を肯定する人に怒られたが、ちゃんと文句のでない返事のできた人。
記憶喪失
教えるのは楽しい出来事かもしれない
だが、ここ哲学板ではそれより楽しい出来事がある
新しい知識の発見、言い換えれば、新たなる知識の創造だ
知識の発見を楽しむという目的に対する態度変更抜きには厭世観を払拭できないだろう
他人に教えるという行為を通して、自分自身が新しい見解を得る時がある
丁度、我が子に対する育児、教育を通して親が自らの見解を深め成長するように
そのような契機を認めるならば
バカや無知や非常識や狂人との対話すら、自らの見解を深める契機になるかもしれない
天才君は狂人だよ
狂人の論理は常識人からは計り知れない
非理は理によって把握できない、だから非理だ
そんな奥の深さ、神秘、理によって捉えきれない存在を認め、理性の限界を認めた上で天才君との対話を維持していくべきではなかろうか
81 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/06(月) 15:57:52 0
>>46 ちょとマジレスしよか。
、「てんさいくん」のキャパは、「おれ」の50%無い。たぶん、30%無い。
「てんさいくん」は好き勝手したい。と云ってるようにしか聞こえん。おれは
82 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/06(月) 16:02:33 0
>>80 、「てんさいくん」は狂人では無い。
、「そこらへんに落ちてる」、「ただのゴミ」なのだ。
_
、「てんさいくん」に決定的に欠けてるもの。アンタラは、わからんか。?
83 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 16:05:07 0
天才君は
この世界は好き勝手できるんだよって言ってるんじゃないかな。
84 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 16:05:14 O
>>79 ふぅ〜ん、ほなら、なぜ哲学板で論議してんの?哲学なんて、答えとか出ないと思うけど。
ナルシストは語源を辿れば他人を愛せないために女神に呪いをかけられた冷淡な男
誰しもが少しぐらいは自己愛をもっているだろう
リア厨や青少年はそれが強い時期があるだろうが
だが、それは健全なことのように思える
なぜならば、他人に対する優しさをもつことは、同時に自分に対しても優しさをもつことになるからだ
自己愛がまったくない人間は他者との健全な人間関係を築けないだろう
他者の気持ちを類推するには自分を投影して考えるからである
だから、自己愛をもつことは、他者に対して愛をもって接する必須条件でもある
ただいきすぎはよくない
過度な自己愛は「ナルシスト」と呼ばれ敬遠される
天才君の解釈をするのは筋違いだ
解釈は、語られた意味内容に制限をかけていく行為だ
それは天才君の制限をかけない言葉とまったく正反対だ
天才君は不真面目に言葉を発している
それを真面目に解釈するのは本末転倒
むしろ天才君は「言葉を真面目に使わなくてもいいじゃん」て暗に言っている
われわれが暗黙の前提としている「言葉は真面目に使われるべきだ」という価値を暗に批判している
87 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 16:22:01 0
天才君の発言の意味はだいたいわかるよ。
でもわかりづらいだろうね。
禅の坊主のようなコミュニケーションかもしれない。
わかるひとにはわかる。
わからないひとにはわからない。
どんな言葉もそうなんだけど。
> 解釈は、語られた意味内容に制限をかけていく行為だ
そうだね。制限をかけられなかった場合は解釈できない。
でもそれは発話者の責任だろうか?
解釈できないのは聞き手の能力のせいかもしれない。
>>84 哲学にも答えはあるよ。
自分なりに世界観を描いて、
自分の世界観が自由意志と不確定性原理以外には崩れないことを再確認している。
89 :
エスアイ:2008/10/06(月) 16:33:56 0
90 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 16:43:22 0
89間違いです
ーーーーーーーーne.jp./jikuron/seishin/
91 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 17:18:31 O
>>88 うん、だからなんで
答えが「ある」
と決め付けられるんや?
断定出来る根拠はない。
92 :
天才君:2008/10/06(月) 17:22:08 0
活発な議論が展開され、創造性を思う存分発揮する「私」および
全体がありますね。活気はがあるっていいことだと天才君は思います。
>>91 最終真理があるかどうかは知らないが、
論理的に正しい、間違っている、有益、無益のちがいはあると思う。
実際に議論していて思う。考えが前進するのは感じる。
94 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 18:05:11 0
>93
社員教育に多用されているロジカルシンキングの訓練のことかい?
>>94 ロジカルシンキングにはものすごいツッコミどころがある。
「ロジカルシンキングはなぜ分かりやすいか?」ということを
ロジカルシンキングで説明すると、
ロジカルシンキングの分かりやすさが
ロジカルシンキングの外部にあることがわかるから。
>>17 俺からすると君のほうが強烈な呪縛に捕らわれているように見えるんだけれど、まあそういったことを言い合っても仕方がない。
とりあえずお相子ということで。
で、その玉葱の例えは何を言いたいのだろう?
なにも残らない、「私」はもちろん
> その時、「思考がある」とだけ見る。「感受がある」とだけ見る。
> そのように見ている何ものかをもまた、「そのように見ている」という観察がある、とだけ見るのです。
と、君が書いているようなことさえ残らない、ということなのかな?
多分そうではないよね。
「思考」や「感受」が残ると考えてるんだよね。
そしてそれだけが残ると。
じゃあ、その「思考」や「感受」はいったい何を「思考」したり「感受」したりしてると考えますか?
87
責任?
発言者の責任でしょう
知的業種に従事する人間は、発言を明快に書く努力をするべきだ
世の中には難解な言い回しを旨とする人たちがいる
嘆かわしい
俺は、真理への価値を最大限に見る
分かりやすさと、間違っている時の間違いの発見のしやすさに最大限の価値をおく
あくまで俺個人の価値観だがね
98 :
ネオマトリクス:2008/10/06(月) 18:20:43 0
>>42 では、俺は新しい記録の作成に走るべきですかね?
イスラム原理主義とかキリスト原理主義とかを信じ
HNにその教えを書いて、トリップも付け執着や煩悩まみれになって
冷静さを維持してるようなふりをしつつ
専門用語を多用し周囲の反応を楽しみ知識人ぶって
本人の快苦以外にどのような意味があるか分からない
様々な書き込みを何度も行うべきでしょうか?
「○○的な立場で申しますと」という、最強の大義名分も
使うべきでしょうか?
99 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 18:29:43 0
100 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/06(月) 18:50:39 0
ゴミだろ.
101 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/10/06(月) 18:56:01 0
色即是空空即是色
肉体は空です在りません
ホログラムです
102 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 19:07:51 0
>>92 何でそんなにクズなの?
親の金使ってくだらないこといってないで働けよ!
一言で要約すると「知的悟り」だな
104 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 19:20:23 O
記憶喪失した男て人は主観が強過ぎだな。いかに客観的思想を述べるかが哲学の真髄だと思う。
105 :
天才君:2008/10/06(月) 19:33:05 0
>>77 > 二人に聞きたいねんけど、アンタらは自分の事を何やとおもてるんや?
なにものでもないです。
私は主体は無い。神の行為が在るこういう世界観のを
もち生きています。私が自分というとき、その場に応じた自分を演じています。
だから自分は常に変化します。つまり私が思うという事は無いという事です。
106 :
素人:2008/10/06(月) 19:35:33 0
>>96 > 俺からすると君のほうが強烈な呪縛に捕らわれて
まあ、そういう言い方もできますねw
自分としては(言い訳としてはw)、「自ら枷を掛けている」つもりではありますが・・・。
> で、その玉葱の例えは何を言いたいのだろう?
西洋の誰かが言った「知覚の束」とか「感覚の束」という言い回しは、近いかもしれませんw
> 多分そうではないよね。
はい、そうではないですね。
> 「思考」や「感受」が残ると考えてるんだよね。
そうですね。
> そしてそれだけが残ると。
> じゃあ、その「思考」や「感受」はいったい何を「思考」したり「感受」したりしてると考えますか?
さあ?w
ケースバイケース、個々の事例次第じゃないでしょうか・・。
100人居たら、100の感受があるんでしょうねw
雑な返しで申し訳ない。
107 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 19:36:03 0
>>104 それはいえるね。
主観だけでは哲学にならない。
108 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 19:36:53 O
>>102 そこ突っ込まんといたってw
こんなトコで思想やなんやらを展開して書き込む人達は
【表舞台では全く相手にされない可哀相な人達】
なんだからw
だから、こういう所で持論や思想を展開するしか普段のうやもやを発散したり、そもそも居場所が無いんだからw
109 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 19:38:29 0
おのおのが思うところの
我を語ればいいのだ。
110 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/10/06(月) 19:38:46 0
誰も居なかったんです
アダムの世から同じでした・・・
111 :
天才君:2008/10/06(月) 19:39:58 0
無限の可能性と無限の無知をもつ「私」達が言葉を使って、
「私」を語り尽くせるはずがないのです。
しかし「私」達の自らの限定を語る事はできるのです。
だから「私」の囚われ、奴隷である「私」しか語る事はできないわけです。
しかもですよ。囚われている「私」が開かれた「私」に向かって限定を
押しつけたとしても、発見するのは、自らの限定です。
だから開かれた「私」を切磋琢磨して競い合うという意味では
とても有益に議論は進む訳です。この意味において議論即発見に繋がります。
1 1 1 何難しい事いってんねん
113 :
天才君:2008/10/06(月) 19:49:51 0
質問がありましたね。また説教もありますね。
>>99 >>100 >>102 関連して憐れみもありますね。
>>108 私はニートでもあり、 ゴミでもあり、クズでもあり、
「 親の金使ってくだらないこといってないで働けよ! 」と言われる者であり、
【表舞台では全く相手にされない可哀相な人達】 であり、
こういう所で持論や思想を展開するしか普段のうやもやを発散したり、そもそも居場所が無い者らしいです。
114 :
天才君:2008/10/06(月) 19:50:41 0
>>112 なにも言っていません。観たとおりです。
1 14 わかった
116 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 20:02:19 0
>>106 意識だけがある、というのは変だろう?
たとえば天才君は意識(彼の場合は観念、あるいはその動態的側面を
指して行為とも言う)は“神”において存在すると言い切っている。
ほとんどの唯物論者は「意識は脳の機能だ」と述べている。
君だけだよ。意識の“自立性”を主張しているのは。
意識はそれほど神秘的なものではなかろう。
117 :
96:2008/10/06(月) 20:02:23 0
>>106 君は「私」よりも知覚や感覚のほうが確からしいと考えてるということかな?
でも、知覚や感覚は騙されたりしない?
デカルトはそうやって知覚や感覚を疑わしいとして捨ててるよね。
118 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 20:09:52 O
>>105 「なにものでもない」か。
ほんで、理由が
その場に応じた自分を演じています。だから自分は常に変化します。つまり私が思うという事は無いという事
↑の理由は納得出来る確かな理由やわ。けど、こう答えたら指摘させてもらうが
アンタが自分を言う時は
「常に変化する演者」
なわけだよな?
そうすると、俺が質問した
「自分を何やと思っている?」
に対し、上記の正当な理由を述べる事こそ
『その場にあった変化する演者じゃない』
やん。
明らかに自分は『なにものでもないという人間』としっかり意思を持って言うてるやん。
演者ならばもっと哲学的にお前の言う
『その場にあった変化させた自分』
で俺の質問に答えてくれる?
甘いわ、どんまい。
119 :
素人:2008/10/06(月) 20:11:10 0
>>116 「意識だけがある」というのは唯識教学だけでしょう?w
>>117 「知覚や感覚を媒介しない」ということがありえようか?
てか、
ちなみに、「知覚や感覚を信用しない」なら、何を信用しているのですか?
120 :
天才君:2008/10/06(月) 20:12:26 0
天才君として意識の話をするならば、
意識=神でも天才君の言っている事となんら変わりません。
別に意図でもいいです。
ようするに一者を表す意味において、いかなる言葉をつかっても
私の思想と同じ事です。
意識しかない。意識によって万物は存在する。
私も意識の一部である。我々はある一つの意識の
現れとして、固有の意識も同時にもっている。
121 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/06(月) 20:17:13 0
。
努力するほどゴミクソ抱え込むシステムなってるからな。
おれもトリ継続してる意味わからんなってきた。最近.
122 :
天才君:2008/10/06(月) 20:17:37 0
>>118 > 演者ならばもっと哲学的にお前の言う
>『その場にあった変化させた自分』
>で俺の質問に答えてくれる?
私が 「演者ならば」、天才君は、「 甘いわ、どんまい。」ということでよろしいのでは。
しかし私はいぜんとしてなにものでもないですね。
123 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 20:20:48 0
今この瞬間の社会を停止し、各配置されたA君、Bちゃん、Cさん、D様
を各人の存在、つまり”私”から考察し、そしてそこにいた理由を、その私
からだけで説明できるだろうか?
124 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 20:22:45 O
>>111 「私」を語り尽くせるハズがない?いやいや、語り尽くせますよ。
そもそも私と共有するその他一切の事象こそ本来の自我を明確にさせ、邂逅と化する己の存在価値を目的とした唯一無二な証明に過ぎないからだと思いますが、この事に対して天才君はどう思いますか?
125 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 20:28:28 O
126 :
天才君:2008/10/06(月) 20:28:45 0
>>124 >そもそも私と共有するその他一切の事象こそ本来の自我を明確にさせ、
>邂逅と化する己の存在価値を目的とした唯一無二な証明に過ぎないからだと思います。
それが「私」ですか。なるほどそれで沈黙していられるならば語り尽くしましたね。
よってあなたは「私」を語る必要もなくなった。語り尽くした。終了って事ですね。
確かに語り尽くしたようですね。残るは沈黙のようですが…。
127 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 20:36:21 O
>>126 語り尽くす→終了???
いやいや、終了ではないですよ。語り尽くしてもまだ「期待」、「不安」という継続的要素が含まれている。
継続的要素を含んでいる事は終了には成りえない。
128 :
天才君:2008/10/06(月) 20:41:17 0
>>127 >継続的要素を含んでいる事は終了には成りえない。
なるほど…。語り尽くせる事が沢山ありますね。
いつまで語り尽くせるのでしょうね。
129 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 20:51:02 O
>>128 本当です。いつまで語り尽くせるんでしょうね・・・
それが私を知る真の霾矗的素材になり得るやもしれないと思うと纛隧仕切れません・・・
天才君もまた同じ感覚に囚われてると思います
130 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 21:04:30 0
>>102 あんまり、天才君をいじめるなよなw
ああいう人間の「思想」を読んでるとさ、「自分もまだ捨てたもんじゃない」
って思えるだろwww
131 :
天才君:2008/10/06(月) 21:09:21 0
>>130 つまり優越感に浸れる。
もっと言えば、優越感を求めている。
ずばり言えば、劣等感を抱えている。
こんな所でしょうか。ちなみに、あなたを刺激するもっとも有効な言葉は、
天才君は完璧です。
132 :
考える名無しさん:2008/10/06(月) 21:24:45 0
天才君のほうが
一枚も二枚も上手だな
133 :
天才君:2008/10/06(月) 21:26:37 O
>>130 そして私はあなたに恋焦がれています。アーメン・・・
134 :
天才君:2008/10/06(月) 21:38:25 0
>>133 天才君が天才君を生んだようです。よいことです。
135 :
天才君:2008/10/06(月) 21:51:08 0
実際の所、ほとんどのみなさんは、本当の「私」など知りたくもないのでしょう。
本当の「私」などは、見るも無惨ですよ。
そういう人は怒らせれば解るでしょう。
何かを守ります。自分の信念、思想、自負、権力、つまりしがみつくものなら
なんでもしがみつくまったく証拠や、根拠という保証がなければ冒険もできない
大人やら常識と同一化した役人です。
「私」に守るべきものがありますか?
「私」が存在するとして、ただ存在するだけのものに恐怖や怒りが存在しますか?
このような点をまずもってチェックにかけないといけないと思います。
天才君談。
136 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 00:00:43 0
>>131 全然、刺激されないんだけどさ。ぷぷぷ。
なあ、完璧なニートさん。
137 :
天才君:2008/10/07(火) 00:12:19 0
>>136 そうですか。 全然、刺激されなかったですか。おかしいですね…。
ところでよく皆さんニートを他者をおとしめる意味あいで使っているようですが…。
ニートの輪でも広げたいのでしょうか?
138 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 00:16:02 0
さすがは天才君。
動じないぜ。
139 :
天才君:2008/10/07(火) 00:34:57 0
私は素朴に思うのですが、我々は、哲学以前の問題が山積みではないでしょうか。
「私」を考える要素の中に、考える等の行為がありますね。
我々は考える何者かを「私」としています。これはいたって普通に
社会生活を送る上での合意事項でしょう。
そして肉体とセットで行為者としてみなすという事です。これが
一般常識でいう「私」でしょう。法治国家では行為者を裁きます。
しかし一般常識以前に、「私」とは「情緒」あるいは「観念」この二つと
同一化されてしまっている「私」達の現状があるようです。
考える行為は同時に複数の事を考えられません。感情的になった瞬間にそれに囚われるし、
特定の観念に支配されれば、それにとらわれる。天才君が何故、神をよく用いるか?
囚われがなくなり神によっての現象として「私」を観察できうる一つの
手法であるからです。
みなさん罪悪感が多すぎませんか?我々は個として完璧であるのです。
完璧でないのは、思想である。こう天才君は思う。
140 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 00:36:34 0
>>137 私はちゃんと働いてるよ。
もう飽きたわ、お前。じゃあな、寝る。
141 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/07(火) 01:03:33 0
>>98さん
PCのハードディスクのようにいけば
可能なのでしょうが
そうはいきませんからね。
ネオマトリクスさんは
「私」というお題よりも「苦」からの離脱がメインなのでは。
また私の名前がお気に召さないようですが
意味がお分かりでしょうか?
イスラム原理主義でもなんでもありませんよ。
(そういう西洋系には疎いもので)
142 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 01:13:29 0
>>140 働いてると一段上からものが言える。
働いてさえいれば。
そういう考え気に入らんな。
ちなみに俺もちゃんとかどうか知らんが働いてるよ。
143 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/10/07(火) 04:09:37 0
144 :
天才君:2008/10/07(火) 08:42:34 O
>>134 天才君が天才君の天才君を生んだようです。素晴らしい事です。
145 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 08:46:48 O
天才君へ
社会的蟄實夢寐病についてどう思われますか?ご意見宜しくお願いいたします。
146 :
天才君:2008/10/07(火) 08:52:02 0
ニートという言葉が他者のおとしめの象徴的に扱われているのは、
メディアの影響が大きいですね。昔で言えば、「どら息子」でしょう。
食えるですから良いんでしょう。また働いているというだけで、
何か特別な事をしているわけでもないでしょう。またニートという
だけで特別な事でもない。
まったく「私」達は特別扱いが大好きです。
偶像崇拝は、出来事を特別視してそれに囚われる心(認識)をいうのですが、
「私」達は、現在、偶像崇拝のオンパレードです。
言葉は形態を表すものですね。虚像をも表すようになってしまったのは、
形態ではなく、形態から連想される虚像を言葉とはき違える偶像崇拝です。
これをバーチャルリアリティーといいますが、実際は名前が変わっただけで、
偶像崇拝です。ITの基本はこの偶像崇拝に根ざしているわけですね。
虚像をどう創り上げるか?それに対して、集客するのが…。ダマし、詐欺ですが…。
ITビジネスの本質ですね。
「私」達は偶像崇拝が大好きなのですね。
天才君談。
147 :
天才君:2008/10/07(火) 08:53:23 0
>>145 >社会的蟄實夢寐病についてどう思われますか?ご意見宜しくお願いいたします。
「社会的蟄實夢寐病」とはなんですか?病気ですか?
要約していただますか?
天才君はいつも「一者」の観点から全てを片付けてしまう。
しかし、今ここに生きる「私」の本分を「一者」の一言で片付けてよいのか?
149 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 09:26:05 O
>>147 社会的蟄實夢寐病
ご存知ではありませんでしたか・・・・
病気ではありません。
ご存知無いなら結構です。ありがとうございました
>>89 「精神について」
http://www016.upp.so-net.ne.jp/jikuron/seishin/ これだね。読んだよ。
他人の力で自分が成功、感謝/無視の図なんかはうまくできていると思う。
でも、現在の失敗=恐怖の図は疑問だ。未来の失敗=恐怖ではないのか。
まとめると、よくできているとは思うのだが、
知りたいのは専門的な脳内物質の動きや脳内神経の働きであって、
そういう意味では、でれだけ上手に作っても期待はずれで終わると思う。
妄想型統合失調症の患者としては、幻聴は聞こえても発症は自我の崩壊などではなかった。
自我の崩壊という特別なことばを持ち出して説明しようとする限り、
実際の症状の解明には貢献できないと思う。
経験上、自我は保たれたまま、妄想型統合失調症は発症する。
151 :
天才君:2008/10/07(火) 10:54:22 0
>>148 >しかし、今ここに生きる「私」の本分を「一者」の一言で片付けてよいのか?
個としての現象を語る時、私は一者から生まれ出た現象としての「私」を語ります。
しかし、個としての「私」を語るならば、社会性・群れとしての「私」ですから、
自他という概念。すなわち相対性について語る事になります。
よって、「私」という一現象としての生死(人生)を語る時、
一者として語る事はとうていできません。
だから、「私」の記述ではなく、「私の人生」の記述。
あるいは、「人間」「主体」「個」の記述という事でも良いと考えます。
但し善悪、正誤を問うならば、私の思想は一者がベースにありますから、
正誤善悪無しという事になり、ただ在る現象に何故善悪正誤があるのか?
と問う訳です。
人生は戦いではない。相対主義者にむけたメッセージでもあります。
>>151 天才君には夢や生きがいが必要だね。
目的がないから、価値が生まれないんだよ。
153 :
天才君:2008/10/07(火) 11:20:07 0
>>152 それは「私」についてではなく、「他者の人生」についての話しでしょうか?
>>153 いいや、天才君についての話だよ。
天才君が正誤善悪なしといっていられるのは、目的がないからだよ。
天才君の目的は、宇宙を正誤善悪なしの均衡点に統一することかい。
そこには生命は住めない死の世界だよ。
せっかく、宇宙の偏りの中から生まれたんだから、偏った見方をして生きるべきさ。
155 :
天才君:2008/10/07(火) 11:49:34 0
>>154 つまりあなたが考える天才君の観念ですね。
どのようにお考えでもよろしいと思いますよ。
しかしそれは宇宙ではなく、あなたの宇宙を思う観念ですからね。
宇宙はただ存在するだけではないですか。
あなたの思いは尊重しますが…。
>>155 いや、失礼。天才君について、といったのはいいすぎだった。
おれは天才君が実際にどんなことを志している人なのかを知らない。
>>153は天才君がこのスレで展開している思想についての話だ。
宇宙は偏っているよ。その偏りから星が生まれ、生命が生まれた。
宇宙は無我無相ではなく、歪み偏り、へんてこりんな生命というものを生み出した。
この事実により、天才君の思想は否定される。
157 :
天才君&動物君:2008/10/07(火) 12:00:32 0
目的主義というものは、常に観念が先走りますからね。
傲慢な精神と言わざるを得ない。
人は身体をもつ動物です。
そして様々な生命が相互依存してなりたっています。
この事実を無視して、特定の個体の都合で全体に影響を与える事は
不可能です。ただ、そうしているのだと考える事はできます。
だから傲慢な精神という独立した、目的主義というものを持っているだけの事です。
158 :
天才君:2008/10/07(火) 12:03:38 0
>>156 >宇宙は偏っているよ。その偏りから星が生まれ、生命が生まれた。
>宇宙は無我無相ではなく、歪み偏り、へんてこりんな生命というものを生み出した。
>この事実により、天才君の思想は否定される。
あなたの宇宙論でしょ。天才君の宇宙論とは違いますよね。
しかし天才君の宇宙論は事実ですからね。
いずれにしても歪み偏り…云々…であってもただ宇宙は在るだけですよ。
159 :
天才君:2008/10/07(火) 12:17:37 0
そうですね。記憶喪失した男さんの宇宙は記憶喪失した男さんの
観念内にあるようで、実に創造豊ではありますが…。
記憶喪失した男さんの観念の中、つまりあなたの主観内に
天才君や天才君の思想はありませんよ。
内的な世界もあるでしょうが、他はあなたの主観内には存在していません。
言ってみれば、神(宇宙)の中に私たちが在るのです。
内的世界の王として記憶喪失した男さんは君臨できても、
一歩外に出れば、神の中。こんな所です。
我々は宇宙の一部であって、自分が考える宇宙の一部に自分がいるのではないでしょう。
160 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 12:22:22 0
自分が考える宇宙の一部に自分がいることは論理的に
ありえない。
自分とは関係ない宇宙の一部に自分がいることはあるだろう。
>>158 物理学の宇宙背景放射の観測から、宇宙背景放射には偏りがあり、そこから銀河が生まれたと説明されています。
また、物質と反物質が等量生成されていれば物質は存在できず、観測される限り、物質の生成は反物質の生成より多い。
というように、宇宙が偏っているというのは、おれの独自の世界観ではなく、物理学に裏打ちされたものです。
162 :
天才君:2008/10/07(火) 12:30:02 0
>>161 宇宙が偏っているんでしょ。そういう観測結果が在るのですね。
それだけの事でしょう。
宇宙はただあるだけなのにね。
163 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 12:33:43 O
>>161 各々の観念性を持ったアイデンティティをいかに勇壮させ、計らずとも未知なる所以の基幹的増幅が観測への解決へと導くと思いますがこの事についてどう思われます?
>>162 だから、「宇宙偏ってる=神偏ってる」なんだって。
「宇宙偏ってる。よって、人偏るべき」なんだって。
>>163 論理的検証により、勇壮さに惑わされず正しい答えを見つけることが大切だと思われます。
165 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 13:02:05 0
>「宇宙偏ってる。よって、人偏るべき」なんだって。
ちょっとわらた
166 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 13:19:47 O
>>164なるほど。
勇壮さを以てして興ずるというわけですか。ありがとうございます。「私」の鑿的関係を複してみたいのですが具体的な思考案を提示していただきたく思います。
167 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 13:24:20 0
「宇宙偏ってる。よって人偏ってる。」とはいえても
「人偏るべき」なんて論理的に言えない。
>>166 >勇壮さを以てして興ずる
のはおれのいってることと逆じゃあ……
思考案としては、偏った私を仮定して、現実に当てはめてみれば、
いかにうまく説明できるかを試してみればよいかと。
>>167 「人偏らざるべき」とは天才君と同じ無為自然をよしとする思想の方ですかな。
自然主義的誤謬
170 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 15:16:25 O
>>168 いいえ、バイタリティの念がそのような記述形式を伴ったと思います
171 :
満豚:2008/10/07(火) 15:21:10 O
また概念の分析してやがるな!!
自民党総裁選くん、行くぞ。
172 :
満豚:2008/10/07(火) 15:22:22 O
>>895 >まぁいいよ。答えたくなかったら答えなくても。
まず、俺が書いた日本語の文章が理解出来たのか、出来なかったのかのコンセンサスが先じゃないのかい?お前はどうも自分の言いたいことだけを述べたがる癖がある。
>単純に分哲系の記述方法に従えば引用符つきの「りんご」はトークンを表して
つぎのりんごはタイプを表すからトートロジーではないよ。
後付けが多いな。「俺はそういう意味で使ってるけど君は違うのかい?」と言っていた君よ。(笑)
で「指示対象ではないトークン」というのがイマイチよく分からないな。
一応もう少し説明してくれないか?
「んをあや」の意味は「んをあや」
前の「んをあや」はタイプで、後ろの「んをあや」はトークンだから。あ〜なるほど、「んをあや」の意味が分かったよ。て、なるかボケ(笑)
(ふとした疑問だが「タイプはタイプだ」と言ったとき後ろのタイプはタイプなのか?それともトークンなのか?)
>…なぜなら言葉の意味を知らなくても適切な文脈でその言葉を使用することができるから。
ここで言われている「言葉の意味」とは指示対象のことだな。例えば「んをあや」という言葉の指示対象を知らなくても「ねぇねぇ「んをあや」って何ですか?」と、適切な文脈で「んをあや」という言葉を使用出来るからな。
しかし残念ながら、ある言葉の意味とは、その指示対象ではない。その説明は今までさんざんしてきた。というか君よ、いつ僕との間に、ある言葉の意味とはその指示対象だというコンセンサスにいたったのだ?(笑)
出直してこい。
>…ならば
これから発する語はいまから発生する文脈、状況によって初めて意味を与えられるということになる。
とすると、われわれは自分の話している言葉の意味もわからずに言葉を発しているという奇妙な帰結に至る。
“それまでの”文脈は一体どこへ吹っ飛んだだ?(笑) 産まれた瞬間の赤ん坊が「天上天下唯我独尊」と喋ったら、君の言っていることも少しは説得力があるかもな(笑)
>「おれの発した言葉の意味は、おれしか知らない」
言語とは根本的には私的言語なんだよ。
このことは後でじっくりと反駁してやるよ。
173 :
満豚:2008/10/07(火) 15:23:27 O
>>900 >>ある言葉の意味を知りたければ、その言葉がどのように使われているのかを分析しろ。
これはブタさんが発言したみたいだけど、これとほぼ同様の内容
を哲学者L.Wittgensteinが『哲学探究』で述べています。
つまり、Wittgensteinの語っていることを、偉そうにまねして
話しているだけ。一言で言うと、
剽窃。
剽窃とは言ってくれるじゃないか。 では、俺がこれまでに引用文の後ろに『哲学探求』や「ウィトゲンシュタイン」と明記した一連の文脈は一体どこへ吹っ飛んだんだ?
しかし、君が指摘した引用箇所には確かに『哲学探求』と入れてなかった。それは認める。
しかし、そこだけを抜粋して
〉つまり、Wittgensteinの語っていることを、偉そうにまねして
話しているだけ。
という批判は、それまでの文脈を無視した不当なものだ、とだけ弁明しておく。
それに『哲学探求』や『論考』といった書物において、ウィトゲンシュタイは考えなくてすむような説明の仕方をしてくれているかい?自分で考えろと言わんばかりの書物じゃないか。
例えばトートロジーと意味の指示対象についての関係などの主張は完全に俺のものだ。少なくとも、『哲学探求』やその他の書物から、これに似た主張を俺は今のところ見たことがない。
いや、もしかすると、というよりむしろ『哲学探求』の問題意識の中に身を投じ、その問題意識を共有できたからこそ辿り着けたものかもしれない。
ウィトゲンシュタインならいちいち細かな説明をするほどのものではないことをだが。
ところでWittgenstein、名無し君の文中から「私的言語」と「意味の指示対象説」の2つが出てきたが、この2つについて何か語れ、と言われたら君はどう答える?
しかし今の君に、この問いに答える説明責任は全くないので、別に答えなくとも結構だ。だがその時は
>こんな高尚な問題を問いかけた
俺がバカだったよ、と言ってやる(笑)
174 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 15:24:21 O
>>168 偏った私を仮定して、現実に当てはめてみれば、
いかにうまく説明できるかを試してみればよいかと
ありがとうございます。この様なカンマンティブを発する議案に基づいた奇想感を頂けるとはありがたいです。貴方様に付いていきたいと思います。
これからも何卒ご指導よろしくお願いします。
ハエとり壺に迷い込んだハエが一匹
出口を示したと思っている本人が迷い込んどる
176 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 15:49:16 0
宇宙が無限の大きさなら、宇宙の中心は無い。
有限なら、宇宙の中心はある。
風船の表面のようであれば表面の中心は求められない。
私を求めても私を捕まえられないのは、表面の中心を探すようなものかもしれない。
178 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 16:11:02 0
>>172 >俺はそういう意味で使ってるけど君は違うのかい?」と言っていた君よ。(笑)
そうだよ。おれはある語にどんな内容を盛り込むのかは発話者の意図に依存すると考えているわけだから当然だ。
>で「指示対象ではないトークン」というのがイマイチよく分からないな。
>一応もう少し説明してくれないか?
T-文と同じだということだよ。
> 「んをあや」の意味は「んをあや」
>前の「んをあや」はタイプで、後ろの「んをあや」はトークンだから。あ〜なるほど、「んをあや」の意味が分かったよ。て、なるかボケ(笑)
きみは分析哲学系の本を読んだことあるのかい?ほとんどないだろう。
言語分析の基礎概念も知らずに意味の理論は10年はやいよ。
おれもここで初歩からレクチャーするほどヒマじゃないんでね。
勉強してから出直しておいで。
>ここで言われている「言葉の意味」とは指示対象のことだな。
ちがうよ。
しかも
>例えば「んをあや」という言葉の指示対象を知らなくても「ねぇねぇ「んをあや」って何ですか?」と、適切な文脈で「んをあや」という言葉を使用出来るからな。
って認めちゃってどうするんだよw きみの主張をまるっきり矛盾するじゃないか。しかもその例自体適切じゃないし。
>“それまでの”文脈は一体どこへ吹っ飛んだだ?(笑)
まだ分かってないと見えるね。それまでの文脈で意味が与えられるのなら、
語や文の意味はその時点での発話者の頭の中にあるということになっちゃうね。
またきみの主張と矛盾が出てきた。さあどうする?
天才君は連投規制かな。
>>174 いえいえ、よろしくです。
ところで、カンマンティブなわたしとしては、
これからもカンマンティブであろうと試みるのですが、
カンマンティブについて、カンマンティブであり、カンマンティブするところの、
つまるところ、カンマンティブの意味って何ですか。
カンマンティブでググる23件、バイオハザードがカンマンティブとのこと。
カンマンティブで辞書引く0件。打つ手なし。
カンマンティブの意味を教えてください。
180 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 17:22:19 0
>>180 廃人までいってない。
見えねえよ、おまえなんか。
182 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 17:36:39 0
>>180 他にすることねーの?呆れるなまったく
絶対見んなよ廃人
183 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 17:44:47 0
「てんさいくん」つかえんな。
、「きおく」と、「まんぶた」がおらんとまともに、まわらん。このスレ
_
184 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 17:48:10 0
185 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 17:55:51 0
>>184 ごめん、ちょっと待って。
cnhIMeWufo ができるのはせいぜい、
2ちゃんでのレスを個人別に一覧で見る事くらいだろ?
ほかは出来んだろ、廃人でも。そうなんだろ?
見て、何か思う、2ちゃんに書く、それだけ。それだけの人生だよお前は。
186 :
ネオマトリクス:2008/10/07(火) 18:30:46 0
>>49 天才氏
確かに、快苦は無限通りで、+∞と-∞=ゼロです。なので、
主観的には無限の時間を感じられない私は
永遠に無限通りの快楽だけを感じればいいので、
永遠に快だけ(主観的には快オンリー)となります。
で、ニート論で貴殿の立場に同意しますが
『快苦を克服できれば働く必要は全く無し』
なので、納得できる寿命を短くすれば
親の金で死ぬまで遊んで生きられる。
分かり易く書くと、親の年収によりますが
30〜40くらいで死んでもOKならば
一生働かずに済む。ニート論は、単なる他者への強要という野蛮な本能の結果で
『俺もやってるからお前もやれ』程度の本能で、別にニートでも
いいんですよね。
俺はそうやって、この世からの脱出を目標にし、脱出先はある程度分かったので
そのうちニートになると思う。
187 :
天才君:2008/10/07(火) 18:31:09 0
>>164 >「宇宙偏ってる。よって、人偏るべき」なんだって。
だから記憶喪失した男さんは人偏るべきという思想をもって居るんですよね。
私の思想と違いますね。
私の思想は偏りも在り。人偏るべきも在りです。
なぜならば、全てがあるのですから。全体は全てが在るわけです。
全体の中の一部に、あなたの思想も記憶喪失した男さん自身もちゃんと含まれています。
188 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 18:32:39 0
189 :
ネオマトリクス:2008/10/07(火) 18:41:27 0
>>141 俺は貴殿はNPCだと思ってます。
なので、物理的に特定の情報しか持たないと思われる貴殿が
なぜ物事を断言できるのか、妄信としか思えません。
快苦に関して言うと、何か巨大な力に浸って
それを崇めて、その名を借りていかにも自分を知識人ぶった
冷静な他者とは違うような存在っぽくする、
俗に言うごっこ遊びのようなのは、誰もが快なので
HNに酉まで付けて独占するのは、俺からすると
執着や煩悩まみれとしか思えなかったのですよ。
いえ、唯識思想ってのは、けっこう好きな人は多いですが、
興味があるのは唯識思想であり、
万人と変わらない一個人ではないんですよね。
190 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 18:41:41 0
あーそうか
191 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 18:43:05 0
185 :統合失調症:2008/10/07(火) 17:55:51 0
192 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 18:50:39 0
>>190 何で捨てコテはずしたの機械?反応しちゃってるじゃん
お前さ、つまんない覗きとかやってないで
少しはぴかぁとか見習ったらどうなの?
アホはアホなりに荒らしから成長して批評家目指したりしてんじゃん
お前何やってんの、もう十年位そんなくだらない事して暮らしてんの?
まったくクズだな、お前は。なあ機械。死ねよ廃人
親切に言ってやってんだから少しは受け止めろよな
193 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 18:52:41 0
>>全員
_
、「
>>185」は日本語がおかしい。やばい。
_
194 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 18:55:43 0
>>192 キリ無いな。
、個人特定するの簡単なの。
195 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 18:57:35 0
>>運営
_
、此処でトリつけても無駄らしい、ID入れろボケ
196 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 19:01:41 0
お前がまともじゃない位の事誰だってわかるだろ。
死ねクズ。マジでこっち見んなウゼえ
197 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 19:08:20 0
>>194 個人特定は他の奴もやってるけどお前のはエグいんだよ。
いい加減にしろ機械 死ねよゴミ虫
あと関わってこようとすんなよ?お前が嫌いなんだっつてんだろ
関 わ っ て く ん な
あとな、お前にレスしたからと言ってお前と話したい訳じゃない。
うるさい蠅を追い払いたいだけ。
198 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 19:19:55 O
>>179 ↓引用ですが。
●カンマンティブ●
カンマンティブとは究極なる原点に辿り着こうとする啓発的歪みと短絡的淀みの間に潜む士気の戯れである。
〜ピートボーンの讒言唄より〜
199 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 19:21:22 O
>>198続
私は貴方様の興発的な慣行を今後とも私の念を構築しながら探求していく所存でございます。
200 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/10/07(火) 19:23:17 0
>>1 >副題:=【私】は、どこまで肉体に依存するのか?=
色即是空空即是色
肉体は空
存在しません
ホログラムです
誘導されてゲハから来ました。どこの景色も変わりませんね
202 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 19:25:57 0
機械よ、
特定した個人がどこにアクセスしてるか追っかけまわすのは
お前の悲しい性癖なんだろうが、
それをいちいち2ちゃんに書くな。書いて嬉しいか?
どんだけ底辺なんだお前。
あとは・・・言いたい事ないな。
「機械的唯物論者という糞コテは、個人特定した(自分で言ってるし)上に個人をストーキング、
その後、個人のアクセス状況、パソコンの中身を2ちゃんで書いている。だから死ね。」
これだけだ。
スレ汚し失礼。
203 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 19:36:29 0
>196
>197
>198
>199
>200
>201
>202
_
922 :名無しさん必死だな:2008/10/07(火) 19:32:26 ID:wi99d74c0
なんか今日はでかいニュースが多いな。
おかげで何も手につかなかったぜ
923 :ゲハ ◆oTZJuX2yEU :2008/10/07(火) 19:32:36 ID:sTS0ObLm0
トーマス東京ゲームショーこいよ
924 :名無しさん必死だな:2008/10/07(火) 19:32:51 ID:5+m5xlgr0
>>884 管理会社が開発元買収して今は日本の会社が暴利貪ってます(´・ω・`)
925 :| )`ε´( |ループループル-プ| ◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 19:33:08 ID:pMMnsN270
「てついた」の「管理人」が、カス。常識で考えろ。
926 :名無しさん必死だな:2008/10/07(火) 19:33:26 ID:S+nZ7DlR0
>>924 な、なんだと!?
_
コレ →
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/ghard/1223369552/l50 .
204 :
天才君:2008/10/07(火) 21:10:30 0
>>186 あなたの考えの社会的な倫理にてらした判断は差し控えますが、私個人としては、
生き方として有りでしょう。多くのあなたの同じ思いの方が、あなたと同じ結論に至り、
そう実行することで、面白い社会現象が期待できると考えます。
205 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/10/07(火) 21:17:55 0
偉い人の喜び組に強制参加なんて嫌過ぎる
と言ってストライキすれば偉い人が贅沢出来なくなって
困るのでざまあみろです
サラリーマンに夢を見せないと
自分達が贅沢できないからマスコミも必死ですよwww
206 :
天才君:2008/10/07(火) 21:19:11 0
記憶喪失した男さんは、だんだん本性が現れてきたように思います。
その調子でいけば、ちゃんと「私」に到達するでしょう。
そういえば、記憶喪失した男さんは、「私」の記述はされてませんね。
尋ねてみたいものです。記述できれば…ですが…。
207 :
天才君:2008/10/07(火) 21:24:45 0
死にたい者は死に、生きたい者は生きる。
但し、生きたい者と子孫を残すものが次ぎの世代に受け継がれる。
思想も同じ宿命であり、生き残る思想しか残らない。
つまり一個人のもつ思想としては、もつ思想が継続性、連続性があるならば、
その生も連続性があるという事である。
だから論破される思想はいずれ消滅する運命である。
だから論理的議論においての勝者としての価値は継続性が在るという意味において、
優れているという事である。
神という思想をいまだ人間は論破できない。
208 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/10/07(火) 21:30:32 0
食料も他に依存しないウロボロスは論破不可能ですよ
コレはキリストの血であり肉であると言って
キリストが一番偉いことになるんです
>>207 あんたそろそろ止めといたほうがいいと思うよ
まだ若いんだし浮かれる気持ちもわからなくないけど
そんなスピノチスト丸出しの借り物衣装で威張ってると本物が叩きにくるよ
210 :
天才君:2008/10/07(火) 21:34:23 0
論破不可能なものだけが真理ではないでしょうか。
さらに言えば、論破の影響下に無いのが真理であり、
つまるところ、根拠も証明も不要なものが真理である。
こう天才君は思っています。
もちろん天才君は神の一部であるから、神が思っている訳です。
211 :
天才君:2008/10/07(火) 21:35:11 0
>>209 本物ならば、叩けないという事が解ると思います。
212 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 22:04:01 0
くだらねえw 叩く意味ねえw
213 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 22:06:14 0
>>209 だから
、「おれ」も「まんぶた」も「きおく」も「そのたコテ」も「ななし」も
、「この人はこれでいい」で放置してんだよ。
「てんさいくん」は、誰にも迷惑かけてない。
214 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 22:08:37 0
・、IP辿るなりして「おれ」と「きかい(だれ?)」が、同じ人間かどうかわかるだろ。
_
、「運営」は、ID制いれろ。、余分な混乱が減る。
215 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/07(火) 22:10:15 0
「運営」はID制いれろ。 余分な混乱が減る。 _
「私」って一言でいえば自我のことだよな。
自我の確認は自意識でなされるよな。
自意識を自覚できればそれが私ってことじゃないの。
自分を知りたければ世界を知れ
世界を知りたければ自分を知れ
・・・という考えがあるな
218 :
天才君:2008/10/07(火) 23:02:56 0
我々は、「他」の愚かさを知ったつもりでいる。
「私」の愚かさは棚に上げ「他」の愚かさより「私」はましであると
勝手に思う。結構な事であるが、それは「私」の勝手な思いであり、
「他」は他のまま変わらず、そこに在る。
当然、「私」も変わらずそこに在る。
しかし思いだけが、「他」が愚かであると断定する。
一体誰が「他」を愚かにするのか?
「私」も「他」もただ在るだけで何も変わっていないのに、
思いだけが「他」が愚かであるとする。
実はこれを思っている主体は「私」ではなく、
特定のイデオロギーである。つまり「思い込み」である。
あらゆるイデオロギーは「私」とイデオロギーをすり替える。
だからイデオロギーは「私」に反逆を試みるが、
イデオロギーは常に「私」に敗北する。
「私」にはちゃんと肉体がある。イデオロギーには肉体は無い。
肉体があるものが「私」である。
天才君談。
デカルトって「我考える。故に我有り」って言ったんだったか。
これは考え方によっては半分正解で半分不正解になるな。
人間が何かを考える時にはその考えの対象に没頭するから、その時点で自分はどこにもいなくなるな。
座禅でもして自分に集中・瞑想している時は自分がいることになるがな。
まあ、あくまで自分の存在や世界の実体の確実性を観念論で裏づけようとするならばの話だが。
220 :
天才君:2008/10/07(火) 23:16:47 0
みなさんはイデオロギーに命がある。あるいは圧力があると
考える論者は少ないと思います。
天才君は、イデオロギーはエネルギーである。よって
圧力もあれば、「私」を取り込むだけのエネルギーすら持っていると
考える。洗脳という言葉があるが、これは特定のイデオロギーに「私」という
主体が取り込まれて群衆化した状態・現象を指している。
「私」はイデオロギーの正体を見抜く。しかしイデオロギーは「私」を
取り込もうと必死になる。しかし「私」はイデオロギーには取り込まれない。
何故ならば、「私」は実は、「私」自身の存在を疑っていないからである。
天才君談。
人間というものは実は自分が思う以上に精神的な生き物なんだよな。
皆が頭の中で様々なことを考えて、それが世界の真の姿だと思ったりするのだが究極的に言えば人間とは自分が見たいものだけを見、考えたいものだけを自分が考えたいように考える生き物なんだよな。
だがそうやって人間が認識しようとする世界の姿はそれが世界の全てを表しているとは言えなくても世界の一面を表しているとは言えるな。
同じものを見ている人間の意見が異なるのは個々の視点や観点が違うからなのだろう。
それぞれ正解なのに内容が異なるのは、それぞれの世界観が表す内容は世界の全てを表しているものではなく世界の一部分を表しているものに過ぎないからなのだろう。
222 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 23:49:57 0
223 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/10/07(火) 23:53:37 0
>>221 イラクやアフガニスタンの人は戦争を見たいのか・・・
変わった人たちですね
224 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 23:57:15 0
>>213 >「てんさいくん」は、誰にも迷惑かけてない。
というが、それは違う。
板を下らないエッセイで埋め尽くすのは、有害無益。
迷惑至極。
225 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 00:15:36 O
>>224 ココはこういう板だ。気に障るなら来んな。
226 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 00:17:19 O
>>224 付け足し。てんさいくんはまぁ派生は多少あるがスレタイ通りに私についての記述をしている。文句垂れるならお前も「私」についての記述をするべき。
或る意味スレタイにも沿ってるしなw
って、先越されたwww
228 :
ネオマトリクス:2008/10/08(水) 00:19:29 0
>板を下らないエッセイで埋め尽くすのは、有害無益。
人間の世俗的文化にも同様の事が言えますね。
社会を下らない文化・風習・常識で埋め尽くすのは
人間の生存や全体の幸福にとって有害無益。
洗脳といっしょ。
天才君のような方がいるから
世間の洗脳から解け、生物の本能から脱出し易くなり、結果的に
肉体からも脱出しやすくなり、有益だ。
世間の文化・価値観・風習の方が
人間をサーカスや闘技場の動物で争わせるような有害な存在で、
まさに支配でヤバイ。天才君は世間の洗脳から解けてるから
一見すると有害に見えるだけ。
229 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 00:22:13 0
ひょっとして最高位か?w
230 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 00:22:32 0
>>219 没頭しても、自分はいなくならないよ
「俺だよ、俺。俺俺俺俺」とかは考えてないけどね
自分は対象に向かう意識の中心において常に背景のように感じられている筈
231 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 00:27:03 0
自分は自分、私は私。
それだけでもいいじゃないですか。
おいおいw
228みたいな自覚のない被害者を生むとしたらヤベエぞ
欲を言えばニート君にはもうちょい物議を醸すネタを振って欲しい
234 :
天才君:2008/10/08(水) 00:54:33 0
他はそれ自体で完璧であるわけです。
「私」がバカなんです。
みなさん「私」を利口にしましょう。
ここは「てんさいくん」のオナスレ
「もっとちょーだい」と喜んで来る人
「何やってんだおまえw」と嘲笑しに来る人
「こいつ阿呆だ…」と冷ややかな視線を向ける人
「俺のやり方のほうが正しい」と競う人
そしてたまに、
「なにぶっかけてやがる!!」と怒って通りすがる人
といった方々が覗いてるスレです
>>206 おれの私の記述は、脳内鏡理論というんだよ。
自分の顔が鏡を見なければわからないように、自分が考えたことは脳内の鏡のようなものがなければわからない。
その脳内の鏡のようなものが意識である。
という説なんだ。これで意識の定義ができ、私を記述していると思う。
まだ、実験による確認は行われていない。
237 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/08(水) 02:10:41 0
、「てんさいくん」の視点は、天才的なんだけど、
、「そんなんで生きてて楽しいのか?」て、疑問が。
_
238 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/08(水) 02:13:35 0
>>236 たとえば「トリ」つけてたのしいか?、てのが。
、でもまあ、いろんな価値観(センス?)にボコられるのもそれなりにたのしい、おれは。
239 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/08(水) 02:15:34 0
>>234 、たとえば「たにん」がいるから
、ボコられたり張り合いなったりして、たのしいんだぜ。?
おれの思想だけど.
>>238 コテつけてるのは、おれは半年前の近似くんだった時から、
一貫した主張してるからね。それでだよ。
242 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 04:21:36 0
>>240 貴方も意識の発生元は常に同じ所にあると感じている筈。自分自身からであると。
これが1000Km先の花壇からだったり、他人の頭からだったりはしない。生まれてから一度として変わっていない。
「俺だよ、俺」なんて常に考えていたら、言う通り自意識過剰だね。
そうではなく、あくまで背景的に意識されているという事。
意識の出所が変えられたら、他人にもなれるだろうけど、それはできない。
243 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 04:26:17 0
>>242 意識の発生元?
意識の発生元という概念には神秘主義的なものを感じるけど、
どういう事か説明してください。
244 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 04:48:09 0
@@@@@@@@
@@@@@@@@@@
@@@@、,,__ _,,, j
@@@@,、 _, ' '、_ } / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
@@@ `´ `i < あんた まさか来年も無職じゃないでしょうね?
@@(6 ,(oo)、 } \_________
/ /-===-、 i
/ \ 、ヽ ヽ こ ノノ
/ ` ー-- ' \
245 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 07:58:14 0
>>219 >座禅でもして自分に集中・瞑想している時は自分がいることになるがな。
無我を悟るという座禅が一番自分を意識する時間とは面白いものだね。
瞑想とはなんだろうか?
けっきょく、今の時点で過去の自己イメージを想像しているに過ぎないからな。
今は眠ってないのに、2時間前に眠ってた自分を必死に思い出そうとしても、
それって今の自分が作った観念に過ぎないし。
247 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 08:37:16 0
半分意識のある夢を思い出すことは出来ても意識のない
熟睡状態は記憶にさえない。
記憶を整理する時間が睡眠だといわれる。
248 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 08:49:16 O
記憶喪失した男さんおはようございます。今日もまた素晴らしき謳を頂戴したく書き込みました。
早速ですが、本日「私」は朝から脅迫観念に捕われていますが私の存在を明白にすべきでしょうか?
>>247 誰が眠っているんだい?
「私」が眠っているんじゃないのかい?
と言いたい所だが、
そのような状態の何かを「私」と呼んでいいものだろうか・・・。
いや、何かすら無いのか?
250 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 09:02:43 0
「私」なんかなくても生きている。
それが自然の存在としての自己だろ。
自己の根源は身体にある。
>>248 おはよ。
強迫観念ですか。強迫観念に対抗するには、強い信念をもった認識が必要です。
「私」を顕在化し、強迫観念に対抗するべきです。
ちょっと、どうなるかはらはらします。がむばってください。
253 :
天才君:2008/10/08(水) 09:38:57 0
>>235 「私」というものが「他」をみて、どう反応するか?
あるいは、何を思う?またそれに基づきどんな人達に
分類できるかが、面白く表現されていますね。
まさに「私」達を語っています。
>>237 >「そんなんで生きてて楽しいのか?」て、疑問が。
生きる事が楽しいというのはなはだ疑問ではありませんか?
楽しい&苦しいはセットであり、和式に言えば、ワビサビであり、
全体を観れば、使命だけが在る。こう人生を考えますね。
>>239 >ボコられたり張り合いなったりして、たのしいんだぜ。?
そういうドラマがありますね。人生には。天才君は孤高の天才君です。
254 :
天才君:2008/10/08(水) 09:42:19 0
>>252 おおいに、天才君をネタにしてください。
天才君に接する事は、神の一部に接する事であり、つまるところ、
「私」自身を知ることになります。
偏見というものは、「他」にあるのではなく、つねに「私」側に在るわけです。
身体に“根源性”をみる意見が多いようです。
しかし身体は「意識された身体」です。
そもそも意識されない身体とは何でしょうか。
昏睡状態には“身体”も存在しないのではないでしょうか。
つまり身体もまた他の存在者(事物)と同様に意識の相関者だということです。
257 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 10:57:27 0
>>257 無意識を後追いしているんだよ。
意識は思考の0.6秒遅れて現れる。
260 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 11:42:16 0
>>256 睡眠で身体がなくなるなら死体の処理には困らないね。www
261 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 11:42:26 0
>>258 「今」というのは取りだすことはおろか、観測することもできない。
つまり君の観念、もしくは概念。
なら、後追いという言い方はおかしいよね。
それとも、先行する意識を後発のそれが追いかけるということ?
262 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 11:44:22 0
意識は0.5秒遅れであることが、観測機で測定されたが、
その観測機データを確認したその瞬間も、やはり観測機は
0.5秒遅れであることが観測されたのだろうか?
なんか変だな?
263 :
天才君:2008/10/08(水) 11:49:34 0
0.5秒以前に物質が再編成されるという現実があったとしても、
我々はそれを把握することも確かめることもできません。
しかし確かめる事ができないとして、0.5秒後の世界が
現実であると思い込んでいるのが我々であり、我々の制限ですね。
天才君の考える真理は時空自体が幻想である。しかし0.5秒の世界も
あるし、それより遅く編成される世界もある。世界は無限にある。
こう考える訳です。
>>260 今夜はどこに泊まろうか、と悩む必要もなくなるな。
ネカフェ難民問題解決w
>>254 >全体を観れば、使命だけが在る。こう人生を考えますね。
天才君はどんな使命があると考えているのでしょうか?
他の人の使命および生き方も神の、すなわち「私」の表れなのでしょうか?
そのことにある人は正しくて、かの人は間違っているという違いはあるのでしょうか?
>>254 >天才君に接する事は、神の一部に接する事であり、つまるところ、
>「私」自身を知ることになります。
他の人に接し、他の人を知ることも同様ではないのでしょうか?
>偏見というものは、「他」にあるのではなく、つねに「私」側に在るわけです。
偏見を持っていない「私」は存在するのでしょうか?
もし存在するのでしたらどのような理由から「私」はそれを理解できるのでしょうか?
>>256 これは私の偏見かも知れませんが
植物なんかは一生昏睡状態のようなものなんじゃないですか。
動物についても昏睡とまでは言いませんがコックリコックリしているように
人間である私には映るものが見受けられます。
267 :
天才君:2008/10/08(水) 11:56:57 0
ハエがみている人間の姿を想像するならば、
巨人が極めてゆったりただよっている。
こう想像することができる。実際はどうかはしらないが、
時空に囚われた人間がハエを擬人化して想像すればそんなイメージです。
カラスは同種のカラスは輝き、あとは灰色の世界かもしれない。
コウモリは別のリアリティーを体験していることでしょう。
この例をあげるまでもなく、個々のリアリティーなどは、
無限に違いがある。同種は近いリアリティーに存在しているだけなんです。
現実逃避ができるなどと人間は馬鹿馬鹿しい事を考えるものです。
逃避したとても、そこは既に現実ですからね。
天才君談。
>>260 ええ、路上で昏睡状態に陥ったら、
その処置に手を焼くのはご当人ではないでしよぅね。
もし死んでしまったら、
その処理に労を費やすのもご本人ではありません。
269 :
天才君:2008/10/08(水) 12:13:14 0
>>265 >天才君はどんな使命があると考えているのでしょうか?
私自身の使命ですか。全体の使命でしょうか。個々の使命でしょうか。
そのどれにも共通するものは、全体の動きの中で、個の役割を知れば良いわけです。
考えるのではなく、今、どんな役割を演じているのか?これを「私」達が
自分自身に問えばよい。人間社会の中で「私」達の使命に相当するものは、人格でしょう。
どんな人格か?です。全体の中での「私」の使命となると、また変わってくる。
この問題も詰めれば、面白いですよ。
>他の人に接し、他の人を知ることも同様ではないのでしょうか?
「他」を知ろうとするのは、「私」自身ですよね。「他」はただ存在するだけですね。
「他」の存在を知るのではなく、「他」を観察して連想された自分の観念の正体を
知るという事が実際、「他」を知ると事という事実を表しているのではないでしょうか。
>偏見を持っていない「私」は存在するのでしょうか?
はい。ただの出来事であり、なんの意味もないとただ、知ることですよね。
出来事は起こっているだけであり、解釈がはいってはじめて偏見が顕れます。
>もし存在するのでしたらどのような理由から「私」はそれを理解できるのでしょうか?
理解できません。信じ込んでいますから。だからそれを知る為に、
自他との交流と対話や議論をしているのでしょう。
「私」達は、神(全体)を知りたいのです。
こんな風に考えるのが天才君ですが…。
>>262 記録データが時間表になって残ってるから、それでわかるんじゃねえ。
271 :
天才君:2008/10/08(水) 12:27:19 0
精神修養、気功、武術、禅、ヨガ、まあなんでもいいですが、
ドラッグでもいいでしょう。危機的な状況でもいいでしょう。
こういう日常の状態とは違った体験上では、現実?では
考えられない事実があります。
例えば、風景は極度の集中?状態では、まるでスローモーションですよ。
理解の前に答えがあるとか。まあ、変な事を言ってしまいましたね。
天才君談。
272 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 12:32:55 0
時間表自体がずれてねーのか?
>>261 独我論的には、
仰るとおり「認識している」「思考している」その時が、まさに「今」なんでしょうね。
「世界が、私にとってしかない」ように・・・。
ただ、たとえ言語化せずとも「(今考えている)」という瞬間を認識することができるだろうか。
できないとすれば、「今」は存在しない。貴方の言う通りだ。
存在しないものについてあれこれ言うのは馬鹿らしいw
274 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 12:35:53 0
時計見た時点でずれるんじゃね。
ってことは、ずれた時間を軸にしなけりゃだめでしょ?
275 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 12:54:46 0
「今」と思った時がいつでも今だね。
今という時刻ではない。
>>275 >「今」と思った時がいつでも今
「今」と“思った時”
過去形ですが、宜しいんですか?
0.6秒のズレというのは、視覚と運動神経のズレだ。
視覚したものを判断し行動する。その行動の0.6秒後に意識する。
ということになる。
我々、物質肯定派はこの問題を難なく解決し、
今は視覚した時点とも、意識した時点とも定義できるが、
観念派の人たちは今をどう定義するんだろうね。
意識した時点を今と定義しつづける限り、物質肯定派に行動が0.6秒必ず遅れることになる。
生存競争に勝ち残るのは無理だよ。
278 :
天才君:2008/10/08(水) 13:37:16 0
物質肯定派も観念派も両方とも、0.6秒遅れになりますね。
279 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 13:39:54 0
>>276 未来は未だ来たらず、だね。
今は昔だ。だから今昔物語が出来た。
280 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 14:01:06 0
だから物質肯定派は観念的なんだね。
>>269 >>>偏見というものは、「他」にあるのではなく、つねに「私」側に在るわけです。
>>偏見を持っていない「私」は存在するのでしょうか?
>はい。ただの出来事であり、なんの意味もないとただ、知ることですよね。
>出来事は起こっているだけであり、解釈がはいってはじめて偏見が顕れます。
>>もし存在するのでしたらどのような理由から「私」はそれを理解できるのでしょうか?
>理解できません。信じ込んでいますから。だからそれを知る為に、
>自他との交流と対話や議論をしているのでしょう。
偏見を持っていない「私」の存在する理由を「天才君」は理解できないのであれば
どうしてそれが存在することに「天才君」が肯定できるのですか?
282 :
天才君:2008/10/08(水) 15:02:44 0
>>281 簡単な事です。疑うという偏見を持たないだけの事です。
283 :
天才君:2008/10/08(水) 15:22:15 0
ひねくれた論者もいるでしょうから補足しましょう。
懐疑も判断も解釈もなにもしないという事です。
ありのままをただ肯定する。その肯定すら意識しない。
つまり何もしないという事です。
まさに天才君のいってることは
>>252の無我君のいってることのよう。
285 :
天才君:2008/10/08(水) 16:03:22 0
偏見は善悪の問題でも倫理の問題でもないわけです。
偏見は在ります。偏見の根底に「私」があるのです。
だから偏見自体はなくてはならない。
偏見で問題になるのは、獲得の精神です。
自分でないものになろうと頑張る精神です。
最初は傲慢ですみますが、この極地には、殺意があります。
どんな事をしてもやってやる!この精神はまぎれもなく殺意です。
>>282 >簡単な事です。疑うという偏見を持たないだけの事です。
天才君は疑うという偏見を持っていないのでしょうか?
疑うという偏見を持っていないことをどのようにして知る、あるいは天才君は理解しているのでしょうか?
>>283 >ひねくれた論者もいるでしょうから補足しましょう。
天才君は「ひねくれた論者」をどのような論者として理解しているのですか?
>懐疑も判断も解釈もなにもしないという事です。
>ありのままをただ肯定する。その肯定すら意識しない。
>つまり何もしないという事です。
そうであるならばどうして天才君は例えば
>>158のように、
>あなたの宇宙論でしょ。天才君の宇宙論とは違いますよね。
>しかし天才君の宇宙論は事実ですからね。
このような発言を行い、差別的な解釈の判断をして、それを意識しているのですか?
>>285 すいません。おそらく私にとっても他の人にとっても意味不明な言明だと思います
天才君は
>>220のように、
>天才君は、イデオロギーはエネルギーである。
>〜
>「私」はイデオロギーの正体を見抜く。しかしイデオロギーは「私」を
>取り込もうと必死になる。しかし「私」はイデオロギーには取り込まれない。
このようにご自身を理解しているようですが
>>285のレスを察するに、実際にはそうでないと私は感じます
>>285 天才君は偏見や執着を悪いものだととらえすぎだよ。
例えば、今、おれはコーヒーを飲んだわけだ。
この時、コーヒーはあるがままの姿ではなく、おれの先入観によって作られた
飲むための物という意味を与えられるわけだ。
そこにはカカオ豆の繁殖するべきDNA情報などは何の意味も持たないわけだ。
おれが見たコーヒー像は歪んで偏見に満ちているわけだ。
しかし、それを傲慢だとか、殺意があるとかいうかね。
おれに神と一体となってコーヒーのあるがままの全体像をつかむ必要があるかね。
ないよ。
おれはコーヒーを飲めばいいだけだよ。そして、おれにコーヒーは飲まれたのだ。
こういうものなんだよ。これが偏見君の世界観だ。
288 :
96:2008/10/08(水) 17:21:23 0
>>119 俺はもちろん、デカルトも感覚がもたらすものを受け入れてるよ。
でも今はそういう実生活とは別の水準で実行される方法的懐疑というプログラムの話だから。
デカルトは曖昧な根拠に基づく知識ばかりの状況にうんざりしてて、
これを土台からひっくり返して確実な基盤の上に真理の体系を一から築こうとした。
この確実な基盤、第一原理を見つけるためのプログラムが方法的懐疑という思考実験。
いわば我々の知識や信念と言ったものの棚卸だね。
彼はその棚卸の過程で感覚や論理なんかを振り捨てている
(俺も正直この振り捨てていくときの手つきに関して疑問に思わないでもないけどそこはちょっと目をつぶろう)。
で、彼が最終的にこれ以上ないという確実なものとして行き着いたのが「疑いつつある我」。
これは「私とはなにか」とか「この世界で真に存在するものはなにか」とかとは直接の関係はない。
そうではなくて、そういった知識なり信念なりが確実であると言えるための基礎付けの議論。
つまり「私」が「知覚の束」とかそういった議論は「我思う故に我あり」の後から出てくる問題だよね。
ちなみにデカルトも「我思う故に我あり」のくだりの少し後にそういった存在論的な議論をしてて、
そこでは君の
>>17と似たようなことを言ってる。「私」とはただ「考える」ということだけをその本質とする、みたいな。
隠されたものには、我々は興味がない、を体現してるな、天才君は。
290 :
満豚:2008/10/08(水) 18:45:49 O
>>178 お互いこうもいがみあっては、互いの主張を理解しようという態度が損なわれて、反論や指摘も曲解に曲解を重ねたものになってしまっている。
お互い、違う舞台の上で技を掛け合っている状態だ。だから僕から二つ提案があるんだ。僕はこれから君への悪態を止める。これまでの悪態の数々は申し訳なかった。
どうだ?君はこれでも僕への悪態を止めないかい?止めないときは、これでおしまいにしよう。まったく議論が進む可能性がないからな。
もしも君がこの一つ目の提案を聞き入れてくれた場合は、議論の論点を変えよう、というものだ。僕達の相違点の根幹は今まで話してきたところではないはずだからだ。だからいつまでたっても前に進まないと僕は考えている。
論点はこうだ
「言葉の意味とは自分の内にあるのか、外にあるのか」
君は恐らく「内にある」と言うだろう。僕自身の考えは「内でも外でもない」というものだが、切り口としては「内ではない」というものだ。
君がこの提案に同意してくれるならば、昨日の君からのレスに答えてから始めようと考えている。どうだい?
291 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 18:54:35 0
自分の内とか外とか言ってるが、まず自分が何なのか分からなければ、
内も外も無いね。
自分=脳と規定するなら、脳の内・脳の外とハッキリ言えるけど、
まさか哲板でそんな人はいないし。
まず、自分に内や外といった生まれながらに所有する空間があるという証拠がない。
292 :
178:2008/10/08(水) 19:02:21 0
>>290 >どうだ?君はこれでも僕への悪態を止めないかい?
それはいい考えだ。こちらこそ申し訳なかった。
>君は恐らく「内にある」と言うだろう。僕自身の考えは「内でも外でもない」というものだが、切り口としては「内ではない」というものだ。
>君がこの提案に同意してくれるならば、昨日の君からのレスに答えてから始めようと考えている。どうだい?
いいよ。
293 :
満豚:2008/10/08(水) 19:08:40 O
>>291 (よく吟味したわけではないが)確かに、君の主張は一利あるかもしれない。
しかし、我々は現に「私」と「他人」という言葉を区別して使用しているのが、逃れられない事実であるはずだ。
294 :
満豚:2008/10/08(水) 19:17:49 O
>>292 ありがとう。こちらこそ申し訳なかった。
しかし、僕は見てのとおり頻繁に書くことが出来ない。「お互い気長に行こう」と言ってくれれば、とても助かる。
重ね重ね申し訳ないのだが、もう家に着くので今日もこれでおしまいだ。
実のある対話になることを期待しているよ。
>>291 >まず、自分に内や外といった生まれながらに所有する空間があるという証拠がない。
内や外を「空間」として捉えてる時点でアウトだろwww
帰ってママのおっぱいでも飲んでなw
296 :
178:2008/10/08(水) 19:22:22 0
>>294 うん、気長に行こう。
こちらも期待しているよ。
297 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 19:29:34 0
天才君の一連の書き込みに不具合いを感じるのは「神が言葉をつくった」
というところ。世界の外に超越する絶対神ならともかく、天才君の神には
本来、言葉は不要のはずだからだ。
言葉は自我から流出した、と私はみる。偏見も言葉がもたらしたものだ。
偏見は未達成感を増殖させる。それは恨み辛みを膨らませ、殺意を呼ぶ。
対称性の破れた(さっそく使ってみたw)世界にすむ私(たち)は、しかし、
天才君の述べられるように「懐疑も判断も解釈もしない」で済ますことは
できない。言葉(業)と一緒に転がり続けるしかないのではないか。
298 :
96:2008/10/08(水) 19:36:50 0
>>293 横レスだけど、必ずしも「自分」の境界をはっきりさせないと議論できないわけではないんじゃない?
哲学では言葉の意味や知識、心的性質などなどに関する内在的/外在的な捕らえ方についてよく議論になるよね。
内在的とはある事柄が他の対象との関係ではなく主体それ自身がもつとされること、
外在的とは主体が持たないとされること、と区別されてるね(場合によっては外在に関係も含めることもあるけど)。
この場合の主体は最初は
>>293にあるような我々がふだん使う「私」という言葉が指示する対象を念頭において議論されてるようだよ。
だからまずそっからスタートして必要に応じて「自分」を定義してけばいいのでは?
あと、君は言葉の意味に関する議論は一旦終わりにして心的述語とやらに話を移すんじゃなかった?
いっそのこと内/外の議論は「心的性質に関する内在主義/外在主義」で議論してみてはどうだろう?
299 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 19:59:23 0
300 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/10/08(水) 20:04:47 0
>299
そう。
「純粋主体」などは措定不能ですから、「内在/外在」というカテゴライズの仕方にはかなり無理があると思います。
301 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/10/08(水) 20:06:09 0
ここでは、措定不能というよりは、抽出不能の方がいいですね。
302 :
96:2008/10/08(水) 20:07:18 0
303 :
96:2008/10/08(水) 21:46:03 0
304 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 21:47:40 O
記憶喪失した男さんこんばんは。
今朝の教えを遂行しました。「私」の中で僥意識が具現化され潜在支配の浄化に一歩近づけた気がします。ありがとうございました。
私を観た時、相思物を「他 」から「内」へ魁蕊させうる機能的模索が不必要から必要へと成り代わる存在だと思いました。
305 :
素人:2008/10/08(水) 23:30:56 0
>>288 > 俺はもちろん、デカルトも感覚がもたらすものを受け入れてるよ。
> でも今はそういう実生活とは別の水準で実行される方法的懐疑というプログラムの話だから。
ですからwww
自身の感覚や知覚認識を捨象して、そこに思考や考察(この場合は“方法的懐疑”)があり得るのか?
ということです。
それとも、水槽脳のような形で思考が為されるということでしょうか。
(それでも、「脳内で為される」という唯物的土台になりますし、脳内での思考の様子は?ということもでてくる。)
また、過去の経験・学習、記憶の蓄積無しに思考・考察があり得るのか?
(→真にゼロからの思考がありえるのか?)ということでもあります。
五感からの入力及び過去入力され蓄積された情報無しに、そこに思考が生じるのか?ということでもあります。
尤も、脳(認識)とか肉体(五感)とは別個に思考があり得ると言うなら別ですが・・・。
ま、霊魂、魂、等を想定すれば一発解決ですけどねw
>>117で言う、 >知覚や感覚を疑わしいとして捨ててる のその後で、
デカルトはそれを拾っているのか、捨てっぱなしなのか。
拾わなかったのなら、彼の思考は何によって支えられ・・、いや、どこから始まったのか?
たとえ、実生活と別の水準で考察が為されるとしても、
それが、自身の知覚感覚(五感)を離れて為されるのでないならば、
(且つ、それによる情報の入力及び蓄積を当てにするならば)、疑いの純度は極端に落ちる。
全てを疑う?w できてないじゃんwww と揶揄したくもなるw
というか、(ヘンゼルとグレーテルのパンの欠片、或いは洞窟探検の入り口からのロープではないが)、
「日常への帰還」の為のリンクを外してはならないと思う。そこに断絶を設けることを、私は良しとはしない。
※(私見・思いつきではあるが、「唯物論」とは、そうした意味での
「ヘンゼルとグレーテルのパン」に当たるのかもしれない・・・。)
306 :
素人:2008/10/08(水) 23:31:47 0
>>288 > で、彼が最終的にこれ以上ないという確実なものとして行き着いたのが「疑いつつある我」。
なぜ、『それ』が「我」となるのでしょう。
考察する上で便宜上のラベルが必要であり、且つ「“思考”は“自分として”しかない」という制約によって、
「私」「我」となるのが必然であったとしても、その一歩先へ踏み出せなかったのはなぜだろう・・。
「“思考”が、“自分として”しかない」ならば、わざわざ「我」と言う(宣言する)必要はない。
まるで、人称変化を有する言語のように、「○○」という行為(或いは様態)を述べるだけで十分だったのではないか。
なぜ、そこへ「我」というラベルを貼る必要があったのか?
> つまり「私」が「知覚の束」とかそういった議論は「我思う故に我あり」の後から出てくる問題だよね。
後か先かは、考察上の(テクニカルな)順序の問題であって、
「そこにあるのは何か?」「どのようにあるか?」を制限はしないでしょう?
むしろ、≪最初から、アプリオリに、「我」がある・いる≫という前提は疑われてはいない。
「思う」だろうが「疑いつつある」だろうが、≪「我」が○○している≫という形式が崩されることはない。
これって、まんま最高位氏だよね? やっぱり、デカルトと最高位氏は同じだったのかな・・?
> ちなみにデカルトも「我思う故に我あり」のくだりの少し後にそういった存在論的な議論をしてて、
> そこでは君の
>>17と似たようなことを言ってる。「私」とはただ「考える」ということだけをその本質とする、みたいな。
そうですか・・・。
では、デカルトはなぜ、『それ』を『我』(『私』)としたのだろうか・・・。
> (俺も正直この振り捨てていくときの手つきに関して疑問に思わないでもないけどそこはちょっと目をつぶろう)。
なるほど。
私も、種々の考察をする上で、捨象したり、等閑に伏したり、今は目をつぶっておこう、という部分はあります。
ただこの場合、
(私的にはw)絶対に目をつぶってはいけない、しっかと見開いて見据えねばならないポイントだと思われるので、
最高位氏他(或いはデカルトさん)と反りが合わないのでしょうね・・・w
307 :
素人:2008/10/09(木) 00:03:28 0
我の捉えかた。
思う、が、生じる場所。
思う、の、外。
>>304 僥意識が具現化されれば、魁蕊すると思っていました。
まことに良い兆候です。これからもその調子で。
310 :
天才君:2008/10/09(木) 06:23:13 0
>>286 > 天才君は疑うという偏見を持っていないのでしょうか?
疑うというのは意識的に行うなら、一つの思考法ですが、反射的に行うってしまうならば
それは偏見であるという事です。
>疑うという偏見を持っていないことをどのようにして知る、
>あるいは天才君は理解しているのでしょうか?
偏見は必要ですよ。偏見は手段である。自ら偏見を持っている事をしならい論者は、
自らの論理なり考えのより所に無知であるだけです。「私」という個という視点観点を
もつものが絶対的に抱え込んでいる偏見は、我々は個別に存在しているというものです。
しかし「実際はそうではない」。←ここが解れば偏見の正体は解ると思います。
> 天才君は「ひねくれた論者」をどのような論者として理解しているのですか?
自分なりの考えが正しいという前提で、他者の考えを解釈する行為です。
どの考えも在りであるという事を認められない論者としてもいいでしょう。
>差別的な解釈の判断
これについて、私は「宇宙はただ在るだけだ」と言いました。
これは事実ではありませんか?これは差別ですか?
私の思想は実は私の思想でもなんでもなく、在るのですよ。というだけのシンプルなもので、
でっち上げられた幻想は最初から在ったものではなく人の創作品も在るのです。
とこう言っている訳です。
311 :
天才君:2008/10/09(木) 06:27:08 0
>>287 私は偏見に善悪無し、必要なものだと言っています。
偏見自体に殺意などはありません。単なる道具ですからね。
>>285でも言っている繰り返しになりますが…。
> 偏見で問題になるのは、獲得の精神です。
殺意はここから生まれると言っているだけです。
だから、あなたは、何を獲得しようとしているのか?
自分自身に問えばいいのです。
312 :
天才君:2008/10/09(木) 06:30:55 0
>>297 まったくそのとおりです。
だから生きているのでしょう。
問題は意識的に生きるか?機械的に生きるか?の違いです。
原因自体を知らない限り、機械的にいきるしかありません。
これを繰り返すかぎり、あなたのおっしゃる
「言葉(業)と一緒に転がり続けるしかないのではないか。」
という行為を克服できません。
313 :
天才君:2008/10/09(木) 06:41:53 0
全ての論者、すべての判断、解釈、分析をするイデオロギー自体に
私は言っておきたいですが、善悪、正誤は、特定のイデオロギーに
基づいています。
哲学は倫理や規範として機能する場合もあります。
それは最終的に結論が出た時に、その結論に照らして、現状の我々の実状との
比較によってなされればいいのです。
「私」という結論が出されない。あるいは、出せない。
つまり「私」を記述できない論者がだす善悪正誤はすべてイデオロギーの
奴隷であり、洗脳が上手くいった実例であり、それはまったく「私」とは
言えない。
こう天才君はバッサリと切り捨てます。なぜならば、それは命とは別の
幻想という別の命でもあるからです。思想によって殺される。思想によって死ぬ。
これは人生とは言えない。思想によって、あるいは論理によって生命は存在しているのではない。
ただ存在している。つまりただ生きているだけです。そしてただ思想しているだけです。
そこにドラマは発生しますが、ドラマが人生ではないのです。
天才君談。
314 :
天才君:2008/10/09(木) 06:57:29 0
「私」というフィクションには必ず裏がある。
こうしたい、ああしたいという欲求に基づいて、「私」は創られる。
そして群衆の中で生きる私は群衆と「私」との比較によって
「私」の欲求を殺すか、生かすか選択を迫られる。
大多数の「私」は「私」を殺す。少数の「私」は、「私」を生かす。
しかし最初の目的は「私」はこうしたい、ああしたいだ。
群衆に乗ずるつまり群衆の流れに飲み込まれる「私」と
群衆を群衆とみる「私」も「私」である。
「私」は群衆ではなく「私」であるのではないか?
天才君談。
315 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 07:11:59 0
「私」が集まって群集となる。簡単な理だ。
群集にも群集としての「私」がある。全体主義はここから生まれる。
316 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 07:55:35 0
世界恐慌が来ようとしてても
無職は呑気です
317 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 08:03:51 0
世界同時株安?
そんなの風評被害だろ。実質がない。
318 :
記憶喪失した男:2008/10/09(木) 09:27:29 O
>>316 何、アメリカが損するだけさ。アメリカは世界一金持ちなんだから、ちょっと貧乏になった方がいいさ。
日本は円高で輸出減かもしれないが、原油が安く買えてどっこいどっこいさ。
戦争が起きなければ無職としても気にしないね。
319 :
記憶喪失した男:2008/10/09(木) 09:46:09 O
天才君、かつては物質界のあるがままの世界を発見しそのままに生きることが理想の生き方と考えられていた。天才君もその流派だ。
しかし、おれは生き物が偏っている以上、無数の偏見の中から最適な偏見を探して、その生き方をするべきだと思う。
>>306 >では、デカルトはなぜ、『それ』を『我』(『私』)としたのだろうか・・・。
言いたい事がよくわからないけど、『それ』を『それ』とするならば、
『それ』を『それ』として意識しているのは何なの? それも『それ』?
そうなると様々な『それ』があるということになって、統覚の統一がないね。
321 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 10:23:56 0
私の製造者責任者は統覚の統一なのか。
322 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 11:19:34 0
>>306 割り込みレス、失礼。
>まるで、人称変化を有する言語のように、「○○」という行為(或いは様態)を述べるだけで十分だったのではないか。
行為を表す動詞が人称変化するということは常にその行為主体を意識しなければ成立しない
言語ということ。だからデカルトはフランス語やラテン語の文化的制約の中で
「我思う」といわざるを得なかった。日本語のように主語を必要としない言語なら「我」は
いらない。もちろん社会的な関係における「私・汝・彼」とは別のことだけど。
主客は主人と客人の関係でしかないのが日本語の環境だろう。
もともと主体を必要としない言語環境で考察している。
「考える私」を出発点に置くのが近代哲学だと言われても、
やっぱ私を作ったのは私じゃないから、もっと根源に遡りたくなりますすね
324 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 11:49:51 0
誤謬から誤謬が生まれるのは、至極当然で分かり易い。
325 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 11:58:34 0
「我考えるゆえに我間違う」というように意識による判断すなわち
「比量」より五感による感覚・知覚の五識による判断すなわち「現量」
を重視したインド哲学や経験論のイギリス哲学のほうが確実だろう。
326 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/09(木) 12:41:05 0
>>40 >俺は、自由意思を使い、本能は自由に変えられる事はできた。
これが人格の向上だと思います。
327 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/09(木) 12:57:10 0
別に、哲学全体の進歩、思想といったものにこだわらなくても、個人の中の観念が、
別様に変化すること、これがとても大事なことだと思います。
328 :
素人:2008/10/09(木) 13:07:32 0
>>320 > それも『それ』?
>そうなると様々な『それ』があるということになって
そうです。
「固定化され、変化しない“何ものか”」ではなく、
その時々の、「一瞬一瞬の在り様や行為」が(その時に)ある、ということです。
(一つとして、一度として、「“同じ”『それ』」は無い、とも言い得ます。)
>統覚の統一がないね。
統覚、或いは統覚の統一は、
根源ではなく、その一歩後のことではないでしょうか?
別の言い方をすれば、時間軸上での後のことではないでしょうか?
「まとめる」ということ、「まとめる作業」、「まとめる作業をする者」は、
まとめられるべき要素より先んじることはないのではないでしょうか?
卑俗な譬になりますが、『りんごを箱に詰める作業』、
りんごや箱のない所に、どうして「“りんごを箱に詰める”作業」が存在し得ようか。
ましてや「“りんごを箱に詰める”者」など・・・。
起源を問う問い
330 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 13:24:13 0
>>328 >その時々の、「一瞬一瞬の在り様や行為」が(その時に)ある、ということです。
統一がなければ、そういうことも言えないはず。
「その時々の、「一瞬一瞬の在り様や行為」が(その時に)ある」と見ている基準点があるはずでしょう。
でなければ、その一瞬一瞬の在り様は、混沌そのものだよ。
331 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 13:34:09 0
>>330 統覚的な視点など、あてにならないよ、あなたの文章からわかるように。
332 :
素人:2008/10/09(木) 13:40:38 0
>>330 ですから、その時は、(まさに貴方が言うような)、
≪「その時々の、「一瞬一瞬の在り様や行為」が(その時に)ある」と見ている≫
という行為(或いは作用、在り様)があるわけです。
それを基準点とすることを否定はしませんが、
一切の根源であるとか、一切の基準とし得るとかいうことになるなら、疑義を挟みたくなります。
勿論、日常へとシフトさせる時、そこに様々な要件を組入れて同一性を確保し、
統率するものとしての、総体としての「自己」は必要となります。
(まさに、貴方が言うように基準点として用いて日常を送るわけです。)
けれども、それは解体可能である、というのが仏教の立場であり、
解体することによって、苦悩の滅、或いは軽減を目指すのです。
333 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 13:51:12 0
>>332 >けれども、それは解体可能である、というのが仏教の立場であり、
>解体することによって、苦悩の滅、或いは軽減を目指すのです。
そこで仏教を持ち出すのはふさわしくないだろうね。
根源への問いにおいて、根源を問う視点を度外視したら、宗教か形而上学になってしまう。
それだったら、何とでも言えるわけで。
地球をてこで動かせる支点はあるやなしや
次号 詰むや詰まざるや
335 :
素人:2008/10/09(木) 14:05:02 0
>>333 ですね。
私も書き込んだ後、まずかったな・・と思いました。
最後二行は忘れて下さい。
素人は、ある時は仏教の立場で、またある時は素朴実在論者みたいな書き込みをして、
自分の中では一貫性あるの? 全然一貫性ないように見えるんだけどw
337 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 14:27:08 0
>>332 哲学は、苦悩の滅、或いは軽減を目的にしてない。
仏教は哲学でなく、不安をとがめる心理カウンセリング、心療イデオロギーだね。
宗教したいだけなら、宗教板に行ったほうがいいよ。
素人には哲学はできないな。
338 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 14:29:15 0
>>337 忘れて下さいって言ってるんだから、そんなことは言わなくてもいいだろ。
339 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 15:07:55 0
>>335 (素人氏)
譬えから結論への導き方が…。まぁ、他人のことはいえないけど。w
>>328 は「リンゴを箱に詰める作業」に私は勤しんでおり、そのことを私は知って
いるという事例だろう? 私は、自らの行為も含めて対象を全体的に意識しており、
かつ意識していることをも意識している(自己意識)という、ごく普通の事態である。
>>330 の言う「基準点」は、この日常における「私」を指しているわけではなかろう(たぶん)。
この日常的、経験的「私」とその意識現象を可能にしている“条件”を吟味する『私』を
彼は“基準点”と称しているように思われる。
超越論的主体とか主観とかの言葉を使うべきかもしれぬが、なにせ
>>322 の指摘のように
日常においてさえ主体を隠す習慣が根強く、この種のこなれていない言葉を使っても…w
哲学に期待してもしょうがないよ。
哲学の説明のやり方では、けっきょく何も説明できないもの。
私は思うんですが「私」が指し示す範囲は今後拡張していくのではないでしょうか。
下品な話で恐縮ですが私はオナニーをするとき、せめて手があと一本あればなあと思うんですよ。
技術は着実に進歩してますからいずれ三本目の手を手に入れる時代が来るんじゃないですかね。
脳とて同じでメモ帳やパソコンが「私」の肉体に融合される日も来るんじゃないでしょうか。
いずれはこの世界全体が文字通り私であると言えることになる可能性もあるかもしれませんね。
そのときは一人ぼっちでしょうけど。
私は今、先日抜いた親不知を手にとって眺めています。
とても愛おしい気がします。
お疲れ様デス。
最高位先生は、人間は3つの目で見ることは出来ないとおっしゃっています。
現代最先端最高位哲学では不可能な行為でしょう。
344 :
素人:2008/10/09(木) 18:07:20 0
つうか、素朴実在論の何が悪いのかね。
正常でまともな人間はみんな素朴実在論者だよ。
346 :
素人:2008/10/09(木) 18:32:18 0
>>339 >
>>328 は「リンゴを箱に詰める作業」に私は勤しんでおり、そのことを私は知って
> いるという事例だろう? 私は、自らの行為も含めて対象を全体的に意識しており、
> かつ意識していることをも意識している(自己意識)という、ごく普通の事態である。
いや、そうではなく、
「リンゴを箱に詰める作業」は、
「リンゴ」と「箱」と、「リンゴを移動させるもの(機械でも構わない)」が揃わない限り
成立しない(→生じない)行為だということです。どれか一つを欠いても成立しないのです。
その意味で、「リンゴ」「箱」のない所には「“リンゴを箱に詰める”者」も存在しないのです。
このように見る時、
「リンゴを箱に詰める作業」でなく、『(○○を)思考する』という行為であった場合、
さて、どのような構図が見えてくるでしょうか・・・。
>
>>330 の言う「基準点」は、この日常における「私」を指しているわけではなかろう(たぶん)。
> この日常的、経験的「私」とその意識現象を可能にしている“条件”を吟味する『私』を
> 彼は“基準点”と称しているように思われる。
> 超越論的主体とか主観とかの言葉を使うべきかもしれぬが、なにせ
>>322 の指摘のように
> 日常においてさえ主体を隠す習慣が根強く、この種のこなれていない言葉を使っても…w
そのように、「日常の起点・基点」と「哲学的起点・基点(超越論的主体・主観?)」を分別するなら、
最高位氏の、(様々な日常行為での)「誰が○○してるんだい?」「○○しているのは誰だい?」
という問い掛けをルール違反と見做すべきです。
もし、彼のそうした発言を許容するなら、私のレスもまた非難される謂れはないw
貴方は最高位陣営でしたよね? そこんとこどうなんですか?w
また、
>>330が、そうした「捜査本部や管制塔のようなw基点」を想定した発言だったとしても、
私の立場がそれに疑義を唱えるものである以上、仕方のない応答ではありませんか?
私は日常的起点・基点のみを認めるのですから・・・。
347 :
96:2008/10/09(木) 18:53:02 0
>>305-306 なんか同じことの繰り返しで正直答えるのがしんどくなってきた。
君の疑問って『方法序説』なり何なりの該当個所読んでちょっと考えたらある程度答えが出るように思うけど?
348 :
天才君:2008/10/09(木) 19:22:22 0
群衆は、支配的である。
まことにうるさい。ああしろこうしろと、まるで軍隊である。
「私」は支配的ではない。「私」は、ただ感じ行う。つまり「行為者」である。
「行為者」である主体を支配している「行為者」はだれであろうか?と考える時に
立ち現れるのが「信仰」である。
全ての「私」の行為は信仰に支配されている。
そして信仰の正体は、私とは何者か?と自分自身に問うた時、その答えが
「私」の正体である。それを問う者は少数である。
天才君談。
>>310 >>差別的な解釈の判断
>これについて、私は「宇宙はただ在るだけだ」と言いました。
>これは事実ではありませんか?これは差別ですか?
いいえ、その引用箇所だけなら差別はありません
>>286で、私が
>>158から引用した箇所は以下です
>あなたの宇宙論でしょ。天才君の宇宙論とは違いますよね。
>しかし天才君の宇宙論は事実ですからね。
これで理解に努められませんか?
※念のためですけど
この場合、天才君の解釈する「差別」を持ち出す必要はありません
>>天才君は「ひねくれた論者」をどのような論者として理解しているのですか?
>自分なりの考えが正しいという前提で、他者の考えを解釈する行為です。
>どの考えも在りであるという事を認められない論者としてもいいでしょう。
例えば
>>158の発言行為から、天才君は「ひねくれた論者」に適当するのではありませんか?
>私の思想は実は私の思想でもなんでもなく、在るのですよ。というだけのシンプルなもので、
>でっち上げられた幻想は最初から在ったものではなく人の創作品も在るのです。
>>283の天才君の発言によれば、
懐疑も判断も解釈もなにもしないで、ありのままをただ肯定し、その肯定すら意識しないことで
どうして例えば、
>でっち上げられた幻想は最初から在ったものではなく人の創作品も在るのです
なんて言えるのですか?
350 :
天才君:2008/10/09(木) 19:30:04 0
「私」を創ったものは、「私」に決まっているではないか。
では創られた「私」は何なのか?といえば、「私」の観念であることは
事実ではないか。
「私」の作り手である「私」の方の根元を問う事をしなくては、
「私」という主体ではなく、「私」という客体を語るに過ぎない。
この客体の「私」は観念に決まっているではないか。
観念でなく、リアルな私は、こうしてキーボードを打っている
肉体を持っているのである。肉体とセットで語られない「私」は
観念である。
天才君の場合、「神」がこの体をつかって書いている、そして、
神が神の事を天才君と呼び、神が「私」について語っているわけだ。
その神とは、なにものでもないものでもあり、全てのものである。
まったく言語表現不可なものである。そして無いものの反対のものである。
当然理解できないし、無意味であり、意味すら無い。またその反対でもある。
それを在ると天才君は言う。
351 :
天才君:2008/10/09(木) 19:39:03 0
>>349 天才君の宇宙論は事実です。在るだけですから。
だからなんでも在るのです。
これで答えになっていませんか?
>>347 ああ、そうか。
あの文章だと、「デカルトがどう考えていたのか」を知りたがっているように見えますね。申し訳ない。
正直、デカルトさんにはあまり興味はありません。
大勢の方が、デカルトデカルトと言うものですから、どこが凄いのかなぁ・・・と素朴に思っただけです。
方法序説かぁ・・・。岩波文庫でいい?
353 :
天才君:2008/10/09(木) 19:42:33 0
全てが在るという事をなかなか認められない論者がいますが、
実際、どうでしょう?
無いものはないのではないですか?
不可知が在るとかいう人もいる。
それも在りますよね。無いわけではない。
ここんところを考えれば解ると思うのですが…。
つまり群衆は、何かを殺したいのです。
354 :
天才君:2008/10/09(木) 19:54:40 0
群衆の目的は一つ、個の没入と、集団への献身です。
これは「私」を殺す行為です。
で、死んでいる「私」の群れが、生きている「私」達を
殺そうとする。
だから生まれ変わるには、別の群れである神なり、人間の群れ外の
目的場所および献身先が必要になるわけです。
それが神であり自然であり、また仏でもあり。まあいっぱいありますね。
それまでは死人です。
天才君談。
355 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 20:01:33 0
>>352 近代科学の基礎を築いた言葉が、
「我思う故に我有り」
つまり、神を無効にし、考えろそれが全てだと
太平の世を開きなすった人だ。
356 :
考える名無しさん:2008/10/09(木) 20:13:12 0
だが、週に一度の定期的な休日、そう日曜日を創造してくださった
神には感謝感謝。
神がいなければ、休日と言う概念は無かったろう。多分。
江戸時代に日曜日あったのかなぁ。知らんけど。
>>355 岩波の方法序説、谷川訳の4部pp49には
私の内部には、神のような完全性を持つ本性が備わっている
ってなようなことが書かれているけど、
こりゃオレの読み込みが足らんのか? 違ってるのか?
358 :
96:2008/10/09(木) 20:16:45 0
359 :
355:2008/10/09(木) 20:34:48 0
>>357 お答えしよう。
俺の読みが足らんだけだ。
>>358 >わら人形論法
はは・・・・・w 気をつけましょう・・・。 m(_ _)m
(そのサイト(ページ)は、以前このスレでも挙げられていて、目を通したことがあるような気がしますw)
361 :
355:2008/10/09(木) 20:46:10 0
神が、休めと言ったから。
今日は、日曜日。
362 :
355:2008/10/09(木) 20:47:35 0
じゃなくて、木曜日。
363 :
355:2008/10/09(木) 21:12:36 0
無神論者の日曜日は、召し上げじゃ。
働かんかい。こら。
364 :
天才君:2008/10/09(木) 21:13:26 0
天才君は神だと絶叫するが、別に真理と言ってもいいです。
真理とは?神とは?などと問う必要はないのです。
探求という形をとるならば、対象として向かう先として、
ターゲットが必要ではないか。
そういった目的を見出し、
理詰めで神なり真理を突き止めてゆくのは当然ではないか。
こう考える訳です。
しかしどうも神や真理を殺そうとする論者が多いのには「私」は困るね。
まあ、私は困りませんが…。
天才君談。
365 :
355:2008/10/09(木) 21:17:45 0
貴様らの暦のこの赤いとこは、こうしてくれるぅ。
黒。
366 :
天才君:2008/10/09(木) 21:26:13 0
我々は真理という目的があることに感謝しようではないか。
だから哲学ができるのだから。ひいては神に敬虔になるであろうし、
「私」の扱いにも感謝があるのである。
367 :
355:2008/10/09(木) 21:32:03 0
【日曜】日曜を記述してください【日曜の存在性】1
1:355:2008/10/09(木) 20:46:10 0
神が、休めと言ったから。
今日は、日曜日。
368 :
天才君:2008/10/09(木) 21:38:27 0
「私」達はあまりにも減点主義にならされすぎて、
加点主義という発想を持てなくなっている。
つまり夢、希望、可能性だ。
これらに対し、開かれた「私」は死んでしまったのであろうか?
「私」は生きている。天才君も生きている。
369 :
355:2008/10/09(木) 21:50:01 0
355「課長、次の日曜日に休みたいのですが。。」
課長「しょうがないなぁ、5000円ね。」
355「給料日前なんで。。。」
課長「じゃぁ、天引きね。」
750 635 sage 2008/10/02(木) 12:59:56 0
>> 651 素人さん
脳死問題を提起している仏教徒の素人さん自身が、脳死についての仏教的視点からの
見解をもっておられないのは残念ですね。
仏教では「生」を言いあらわす時によく「海」と「波」の比喩をつかいますね。
「海」が生命全体であるとすれば、「波」は個々の個体的生命を表すわけですが、
「波」は「色」(あるいは「事」)、「海」は「空」(あるいは「理」)
と言い換えることができます。
「波」は実際は「海」としての生命そのものなのであって(色即是空、理事無碍)、
もし一つの「波」が『自分の命は独立した命だ』などと思うとすれば、それは
愚かしい妄想だというわけです。
脳死というのは、個体的生命(「波」)としての命の境界線を明確に引こうという
考え方に基づくものではないでしょうか。
それは、「海」の中の一つ一つの「波」に線を引いて印をつけようとするような
ものであって、「理事無碍」(つまり海と波とはさまたげ合うことなく溶け合っている)
という考え方に全く反するものではないのでしょうか?
754 考える名無しさん sage 2008/10/02(木) 13:43:14 0
>> 750
しかし、その考え方だと脳死に限らず心臓死でも何でも
同じように根拠がないということにならないか。
また個体の別が絶対のものでないのなら、むしろ臓器移植については
積極推進の根拠にもなる。可能なら心臓でも脳でもどんどん移植して、
つぎはぎのサイボーグ人間みたいなのを作っていけない倫理的理由もない。
それに加えて「死は社会的な約束事に過ぎない」というのなら、
「80歳になったら死んだものとみなして臓器を取り出してもいい」と
決めても別に構わないことにもなる。
仏教というのはそういうニヒリズムにつながる潜在的傾向を
持っているのか。
>>368 たまには良いこと言うんだね。
それにはルパン三世だぜw。
373 :
素人:2008/10/09(木) 22:43:48 0
>>370 > 脳死問題を提起している仏教徒の素人さん自身が、脳死についての仏教的視点からの
> 見解をもっておられないのは残念ですね。
面目ない。
が、一言弁明させて貰えば、前スレ651のように、
「仏教という枠」はそれ(脳死或いは尊厳死)を肯定も否定もできてしまうのです。
ですから、たとえ“仏教的視点から”という前置きがあったとしても、
その言は“その人の価値観、その人の仏教解釈”でしかないのです。
(勿論、宗派内・共同体内で意見をまとめることは可能です。しかし、それも解釈の亜種に過ぎません。
それとは別に個人の見解を持つことも許容されます。)
別の事例で言えば、裁判員制度に於いて僧侶がどのようなスタンスで評議に臨むか、等もまた、
個々の判断に委ねられます。「罰金を払ってでも拒否する」というのも一つの立派な態度です。
「社会の一員であるから参加すべきであり、被告原告双方の想いと利益を(慈悲の視線で)重んじて議論を誘導すべき」
というのも、一つの立派な態度です。(こちらも当然、宗派内・共同体内で意見をまとめることがあってもよいでしょう。)
私の「脳死肯定(臓器移植肯定)」も、勿論仏教的価値観に裏付けされているわけですが、
仏教の教義や考え方そのままを引用することはありません。「応用」でしかありません。
その意味で、貴方が期待するような答弁(≒「仏教では、脳死をこのように捉える」)をすることはできません。
(もし、そのような言い方をする人がいたら、丸呑みしたり鵜呑みにすることなく、
一割の疑いを残し、自身で吟味した方が良いでしょうw)
※また、自身でも確定し切っていない、というのも正直に告白する事実です。申し訳ありません。
374 :
素人:2008/10/09(木) 22:46:32 0
>>370 > 仏教では「生」を・・・・・・
> ・・・・・・反するものではないのでしょうか?
(「どこが“死”か」という境目に関してはそういう見方もありでしょうが一先ず措きます。)
>>371が指摘するように、その考え方は寧ろ脳死・臓器移植推進の為の大きな後ろ盾として利用できる。
大海の一部の波でしかないこの命、この体、この臓器。
脳が活動を停止し、人工呼吸器で酸素が供給されるだけで、細胞の老化が進むだけであるなら、
“この波”が、大海の別の所に、新たな波として生じると見るなら、
同じように大海の一部にまた生を受ける!新たな生を生きる!或いは役に立つなら、
大いなる“いのち”遍く満ちる“いのち”の生かし方として、こんなに素晴らしいことはない!w
そうは思いませんか?
(私個人は、この理屈を(極一部しか)採用しませんが・・・www)
>>371 > 仏教というのはそういうニヒリズムにつながる潜在的傾向を
> 持っているのか。
持っていますね。それは否定しませんw
現に一神教系(特にキリスト教系)の人達は、多くがそのような見方をしているでしょう。
亡くなられたパウロ二世の著「希望の扉を開く」の中には、露骨にそのように述べられていますw
もし彼が、多大な尊敬を集めていて、多くの人々にその著が読まれているとしたら、
多くの西洋人が、或いはキリスト者が、仏教を悲観的宗教だと断じているでしょう。
(これは、ゆゆしき事態の筈なんだが、2ch内ですら、気にする仏教関係者はいないんだよなぁ・・・w)
>>374 仏教はキリスト教よりまだ自由だからなぁ。
376 :
ネオマトリクス:2008/10/09(木) 23:07:09 0
そこで俺の論
『意識は検証も証明もできないので
科学的には存在せず、万人は哲学的ゾンビである』
これで人類の様々な謎は全て終わりだ。
万人に意識はなく、あるのは時空と物質。これだけ。
実際、意識なんて俺にねーし検証できねーし
悪魔や霊と同じ。証明できねえから存在しねえんだよ。
分かるか?存在しない。
変な思考に洗脳された自称常識人だらけだよなw
ゲーム的マトリクスこそが世界の正体なんだよなあ。
で、俺はマトリクス外では神レベルだが
マトリクス内では未開惑星の辺境の一般市民以下レベル。
これはやばすぎるバグだ
377 :
355:2008/10/09(木) 23:08:39 0
日曜の概念を創造できるか。仏教徒め。
378 :
355:2008/10/09(木) 23:29:13 0
355「このように、日本人の平均寿命が延びた原因はなんなのでしょう?」
先生「日曜です」
379 :
天才君:2008/10/09(木) 23:31:01 0
仏教では、業(カルマ)が在る。
天才君は神とも相性がいいが、カルマとも相性がいい。
何故ならば、行為が在るだけ。これが仏教的世界観である。
世界観というのは、ものの見方、視点である。
世界がそうなっているのではなく、世界をそのように観るという事です。
行為がカルマで、全体(背景)が神です。
また行為も全体である。つまり全てが因縁である。
これは神が因縁であろうと、私が因縁であろうとどうでもいい。
つまり全体がカルマである。
行為に主体は存在せず、行為が主体を生んでいるのですから、
瞬間瞬間という時間を区切れば、過去の私が今の私を生んでいる。
もうイヤだといっても生まれてしまう。だから苦です。
我々は生まれてしまったのですから、生まれなくてはならぬ行為が在った。
苦を享受しなくてはならぬ行為が在った。だから行為を無くせばいいのですが、
生んでしまう。これは生んでしまうのではなく生む行為が在る。生む為に
生まれた何かの行為が在るわけです。
だから殺意は在るのです、行為を無に帰したいという事を
本当は知っているのです。でもできない。だから「私」を知るしか無いわけです。
一気には無理です。
天才君談
380 :
355:2008/10/09(木) 23:34:06 0
企業。仏教め。
381 :
天才君:2008/10/09(木) 23:36:17 0
我々は知っている事があります。
帰りたいのです。何処に帰りたいかは知らない。
そして殺したいのです。そして楽になりたいのです。
なぜそうかは知らない。
つまり衝動の究極には、楽に帰りたいと、知っているのです。
変える、帰る、カエル、還る、返る、換える、代える、替える。
まあ、何を?ですがね。
382 :
天才君:2008/10/09(木) 23:40:44 0
例えば、結論から言えば、哲学の究極は、無知です。
ここがカエル場所です。知識の果ては無知です。
無限なる知があるとして、人の知など無知に等しい。
無限と=になるにはどうすればいいか?
簡単な事です。無知になればいい。なにもしらない事は
全てを知っているという事です。但し、知るという事を知ってからの
再発見の無知ならばという条件付きですが…。
>>377 弥勒降臨や浄土信仰はさておきw、
お釈迦さんは、苦悩を逃れようと訪れた者に、「来なさい、比丘よ」と言った。
解脱・涅槃を求める者に、「来て、見よ」と言った。
いつ来るか判らない神の国なんかじゃない。
一切を打ち捨てて行じてみろと言った。
そうすれば必ず苦の滅がある、と。
生きているこの今生のうちに、(輪廻を抜け)苦を滅し、安楽に住する(生きる)ことの可能性を
自身の身を以て示した。
神さんが全能なら、一言わせてもらおう。
日曜日なんか作ってないで、さっさと神の国を作りやがれw
知恵の木の実なんて余計なもん作るなw と・・・www
384 :
355:2008/10/09(木) 23:44:46 0
神は死んだ。
日曜を作ってから。さすがだ。
385 :
天才君:2008/10/09(木) 23:50:05 0
無限を常に想定しているならば、無知を表しています。
無知はそれ自体では何も生みませんが、有があれば、
無知から有を語るから有の全容を語る事ができます。
こういう理屈なんです。だから無知はそれ自体では無知ですが、
あるものが顕れた場合、それが顕れた事を知ることができます。
だから在るものは確実に知ることができます。
在るものが立ち現れた成り立ちを知る事が知るという事ですから、
在るものが出来た原因自体を知ることができるから無知は
完全なる知であるという事であり、観点は、無と無限・永遠です。
だから結論はないけれども、立ち現れた経緯は解るという事です。
理屈はそうであるが、生まれているものは既に、無知ではないから、
完全なる無知にはなりえない。だから無知になるように知ろうとする。
知り方は、つまり生き方は人それぞれの行為によるわけです。
今でこそ土曜休みも一般的だが、
昔は日曜だけだったんだよな・・・。
パパさん達には貴重な休日。
神様ありがとう〜♪ 僕に、日曜をくれ〜て♪
日曜に会わせてくれて 日曜に会わせてくれて
ありがとう、僕の休日 日曜日に 会わせて く〜れ〜ぇて〜♪
387 :
天才君:2008/10/10(金) 00:02:34 0
神は神であり、仏は仏であるわけですね。
「私」とすり替えてはいけませんね。
神も仏も主体はありません。
我々は自分をなんだと思っているのでしょう。
言葉で表現できるものはすべて神でも仏でもないです。
しかしながら、確かに、神や仏が決めています。
よって感謝その行為自体はまったくの無害ですが、偽善は、カルマ的にはかなり重傷です。
388 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 00:21:04 0
>>387 あんた前に、「私は神です」とかいってたよ。
どうしてそんなにバカなの?
天才君の思想は複層的だから、私とか神とかの意味にもレベルがあるらしいよ。
390 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 00:31:24 0
う〜〜〜〜〜む。
天才君のスレと化しているなw
反応するレスがある故に、更にその色合いは濃度を増すwww
「天才君がレスをする」という因に、「そこにレスが付く」という縁が加わり、
「天才君絡みの話題でスレが埋まる」という果が生じる、と・・・w
てか、
>>30が洒落にならない発言に思えてくるのだが、
最高位はどうしたんだ?
安否くらい知らせてほしいものだ・・・。
391 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 00:42:37 0
最高位は自分が勤めてる店が消防法に引っかかったんじゃないの。
大阪南で放火事件があったけど、似たような24時間サービスの店に勤めてると言ってたから。
392 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/10(金) 00:42:56 0
>>288>>302さんを読んでいますと
「鏡合わせ」(或いはフィードバック)から抜け出る手段としての
「私」という感がありますね。
しかし重要ではないかと。
393 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/10(金) 00:45:29 0
失礼しました。
>>305素人さんですね。
>>391さん
以前ネットカフェ経営と聞きましたが。
真偽は到底わかりませんが。
394 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 00:45:34 0
>>392 オーナーや防火管理者でなければ
おとがめないんじゃない?
って、防火管理者だったとか?
心配だなぁ・・・。
395 :
ネオマトリクス:2008/10/10(金) 00:51:05 0
>>383 お釈迦様は少し苦痛への対応が完全ではなかったのでは?と思う。
それは
『解脱できたという記憶は、どうやって証明するのか』
『心・意識に関する根源的な法則が変わってしまうのではないか』
『原因が無くても存在してしまう物事があるのではないか』
といった事です。
仏教の大きな弱点は
『理屈・原因と結果の信仰』です。
もしかしたら理屈はないかもしれない。
因果もないかもしれない。
そこで俺は別の方法を見つけた。
唯一、自分自身に依存し自分自身を由来とし自分自身を原因とする
『自由意思』です。自由意思で右手を上げるとか選択するとか。
自由意思で自由意思を増やす行動をとれば、
生物から脱出できる位に自由意思が増え、苦が消える
ネオマトリクス氏は自由意志のパワーでどこまで強い超人になれるか期待できますね。
397 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/10(金) 01:25:51 0
>>395さん
> 『解脱できたという記憶は、どうやって証明するのか』
それは所謂、五部法身ではないでしょうか。
398 :
355:2008/10/10(金) 01:43:45 0
難しい事を難しく言うのは簡単なことですよ。
少しは考えましょう。
◆結局、自我が如何に不安定で不確実なものかを認識するだけ。そして宇宙と自我を重ねて安定させるのがすべての宗教と哲学の結論。
表現の仕方の違いだけです!
「私」の中にはアキラと鉄雄が同居しています。
>>344 :素人さん
>仏教は素朴実在論(的)ですが何か?
なぜ仏教が素朴実在論的だと思いますか?
説明お願いします。
>>346 :素人さん
>「リンゴ」「箱」のない所には「“リンゴを箱に詰める”者」も存在しないのです。
>このように見る時、
>「リンゴを箱に詰める作業」でなく、『(○○を)思考する』という行為であった場合、
>さて、どのような構図が見えてくるでしょうか・・・。
リンゴがリンゴとして存在するためには、既にリンゴとして本質規定されていなければならない。
そして「〜である」と本質規定することは、『思考する』ことの一種である。
だから“リンゴを箱に詰める”と『(○○を)思考する』とを比較しようとするのは、かなりズレてると思います。
>>374 :素人さん
>“この波”が、大海の別の所に、新たな波として生じると見るなら、
>同じように大海の一部にまた生を受ける!新たな生を生きる!或いは役に立つなら、
>大いなる“いのち”遍く満ちる“いのち”の生かし方として、こんなに素晴らしいことはない!
波と海の比喩は、個体的生命への執着の愚かしさを示しているのだから
それは全く見当はずれな理屈だと思います。
402 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 17:08:04 0
>>374 仏教がニヒリズム的傾向で、悲観的宗教だ見れている原因は、
無常感の過度な強調や、極端な禁欲主義を求める主張にある。
仏教は過度の厭世主義、極端な禁欲主義だよ。
「他者を悟らせる」などという、他者への強要が含まれるため抑圧的になり、
他者への精神的自由、世界観、人生観、を排除する努力が払われてきた。
仏教は、他者への自由権の侵害が是認される特徴がある。
403 :
天才君:2008/10/10(金) 19:17:04 0
仏教の話題およびブッダ自身についての解釈がなされていますね。
仏教はブッダではありません。
ブッダ自身は誰かの解釈ではありません。
我々は苦&無常を我々の知りうる観念に置き換えて、解釈しますが、
それはブッダの境地ではありませんね。単なる解釈です。
ブッダは人間に向かって語った。人間は、苦であり無常である。
そして人間は業であるが仏である。そして天上天下唯我独尊。
つまりそれしか無い。というよりそれが在る。
業が仏になるわけです。これが成仏でしょう。
業があるから生まれている。業が無くなれば生まれない。
生きる即苦です。生きることは業が在るという事ですからね。
解脱というのはもう生まれない状態です。仏ですね。
状態自体も無常ですから、解脱を体験しただけでは業によってまた生まれる。
仏陀は仏ですから、解脱を知ったのでも体験したのでもなく、
解脱の先から解脱に至る業をもつ者に対する道をつくっただけです。
仏陀だけが作った道ですね。別の人は別の道を造っていますけど…。
天才君談
404 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 19:58:12 0
ブッダを固有名詞のように言ってるところからして仏教を
理解していないことが丸見えですね。
後は読むまでもない。
キリスト= 香油を注がれたもの の総称
ブッダ = 目覚めた人 の総称
406 :
天才君:2008/10/10(金) 20:37:57 0
仏教は行うものであって、理解するものではないです。
「私」が行い、「私」を知るものです。
だから仏教を読むというのは、自分の立場・位置を確認するという事だけです。
407 :
天才君:2008/10/10(金) 20:42:32 0
>>404 そうです。読むまでも無いことなのです。
理解などするものでもない。
また言葉でもない。
実践ですからね。
408 :
天才君:2008/10/10(金) 20:52:22 0
仏教から観れば、哲学などは妄想です。
哲学に向き合うその個の態度そのものが、カルマです。
作用反作用を言語で繰り返し延々と懐疑するならば、
それはカルマです。
しかし歴史に名を残す哲学者はそんな懐疑の手法を用いていない。
哲学は何を生むのか?考えるという手法に新しさは在るのか?
単なる哲学史のトレースならば、それはまた基本を学んでいる最中である。
哲学をやっているとは言い難い。
基本的に哲学者なら哲学家なら自分なりの宇宙論なくしてどうやって
哲学するのか?論理の立脚点すら解っていないものがどうやって哲学をするのか?
起点を「私」にすらおけない論理は取りあえず、近体哲学とも言い難い。
お喋り茶番雑談である。しかし私はそれの是非は問わない。
ただそういう見方があるのだと提示しているに過ぎないのである。
天才君談。
409 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 20:55:39 0
>>404>>405 ホームラン王と言ったら誰だい?
ライダーと言ったら何を一番に思い浮かべる?
「明日来てくれる?」「いいとも」、これでアノ番組を思い浮かべたりはしないかい?
真逆の事例でも、
セメダイン、セロテープ、ウォークマン、等々色々ある。
そんな堅い頭は豆腐にぶつけて来いw
410 :
天才君:2008/10/10(金) 21:24:57 0
天才君は思う。体で考える。人間は全身で考えられるのである。
無意識というものがあるならば、それは、身体感覚もその一つであると
天才君なんかは思うんだ。
411 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 21:58:19 0
412 :
天才君:2008/10/10(金) 22:24:32 0
そうなのです。病院に行けばいいのです。
病院に行けば、解るのです。
体を診察してくれるからです。
体を診察すれば、解る事があります。
それは、カルマ、すなわち業は体に病理として現れるからです。
癌、それは「固定」です。
循環系の病理は、気持ちです。
全ては、一つであり、気持ちは体であり、体は気持ち。
思考も体に現れる。
座禅は鎮める。
体を意識するならば、病院が一番いいのです。
413 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/10(金) 22:47:30 0
>>30 >あの人は個室ビデオ屋の受付で夜勤やってると言っていたけど。
誰が、そんな事を言ってたんだ??
やっぱりオマエらの頭の中には、虫でも湧いてるんかね
キタ━━゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚━━ ッ ! ! !
2chは、色んな憶測が飛び交うからなw
けど、マジで心配したんだぞ!ヽ(`Д´*)ノ
>>413
哲学から観れば、仏教などは堕落です。
仏教に向き合うその個の態度そのものが哀れです。
作用反作用を念仏で繰り返し延々と時間潰すのならば、
それは怠惰です。
しかし歴史に名を残す哲学者はそんな無力の日々を過ごしていない。
哲学は何をもたらしたか?考えるという以外に進化は実在するのか?
単なる仏法の素読を行うのならば、それはまだ現実を学んでない証拠である。
日常を生きているとは言い難い。
基本的に仏教徒なら坊主なら自分なりの生産的貢献等皆無に等しいのにどうして
社会に寄生するのか?納税の義務すら放棄している宗教がどうして人を救う等と言い出すのか?
起点を「闘争」にすらおけない論理は取りあえず、弱者の精神的救済とも言い難い。
気休めにもならない茶番である。しかし私はそれの害悪については述べない。
ただそういう程度でしかないのだと啓示しているに過ぎないのである。
無理矢理改変ノ巻。
>>413 夜勤なら心配しないのだけど、経営者だとうかがっていたので…
417 :
考える名無しさん:2008/10/10(金) 23:05:33 0
>>416 だな。
これからしばらくは、消防のチェックが厳しくなりそうだw
418 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/11(土) 00:22:02 0
>>414 ありがとう
消防署と市役所が来たけど、うちは特に問題ないよ〜
419 :
考える名無しさん:2008/10/11(土) 02:27:39 0
消防署と役所はこれから検査しに行くと電話連絡が入ってから来たの?
それとも突然の抜き打ち検査?
420 :
天才君:2008/10/11(土) 07:03:12 0
>>415 途中までは凄く良かったと思う。
仏教を「宗教」にしてしまったところが残念だ。
天才君談。
哲学は偉くて素晴らしくて、仏教は全然駄目という根拠はどこにあるのかな。
哲学は人間にとって至高の価値を持っているという証拠はあるのかな。
422 :
天才君:2008/10/11(土) 08:04:36 0
天才君は哲学宗教あるいは、その全てが道具でおしまいです。
言葉も人生も、それを執り行う肉体でさえ道具である。
なんの道具か?だれの道具か?という主体探求も愚かです。
但し、全てが無いのだという所まで考え抜けば、そこから
生まれてくるものを在るとみなし。それを有益に活用すれば
よいだけの事だという事で、つまるところ、個々の人間すなわち我々が
どう生きるか?どう考えるか?というものを模索する材料の一つであると
いう結論に帰着すると思います。
ここは何処?私は誰?というものを知って行動しなければ
ならない「な考える」というものを発見発明した人間は、
納得して生きたいのである。
考えなければただ、生きればいいわけで、その自覚さえ芽生えない。
考えるならば、考える起点を押さえて置かなければ、ただ考えているだけの
奴隷である。
天才君談。
423 :
天才君:
全てにはルーツがある。事の成り立ちがある。
ものごとの成長過程を観察せずに、現状こうであるから、
こうであろう…。などという功利主義や順応主義は
社会生活を営む人間の下心としては良しとしても。
それを哲学だなどというならば、それは人生哲学どころか人生規範ではないか。
人生哲学であるその人生を考えれば哲学たりえるが、規範を考えれば、
それは社会評論や批評というものに収まる。批評社会評論のそのルーツは
批評者の人生が絡んでくる。
物事は、ルーツがあり、それが原理原則として機能している。
それを見つけるのが哲学である。いや哲学的思考術である。
つまるところ、哲学と呼んでいるものは、西洋式思考術だと
天才君なんかは思っている。
我々日本人は西洋式思考術一辺倒でもなく、様々な思考術の一つとして傍観できる
立場である。このように日本人の置かれた哲学的環境を思う天才君も在る。