1 :
考える名無しさん:
まだ続ける?
_, ,_
( ゚∀゚) < 乙。
( つ旦0
と__)__)
乙
続ける?どうする?
ま、こんなスレがあってもいいんじゃない?
4 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 09:04:48 0
∧__∧_ ♪
( ´・ω・)-‐‐、 <われおもう
( -、 ⌒`つ ♪
 ̄  ̄ ̄ ̄
ノ) ♪
∧__∧_ / ノ
( ´・ω・)' ./ <ぷっ
( -、 ~⌒`つ ♪
∧__∧_ ♪
( ´・ω・)-‐‐、 <われあり
( -、 ⌒`つ ♪
 ̄  ̄ ̄ ̄
5 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 09:31:49 0
>>満豚君
君は言葉には意味がある、という立場でしたね。間違っていたら、許せ。
そのあたりをもう少し説明してくれないか。
小生は「言葉自体には意味がない」と考えます。
さっき、久しぶりに決定論スレ覗いてみた。
そして、久しぶりに機械タソの底力(魅力)wを見た。
「ザ・私」と「ア・私」、この意味の指摘は、これまでに何度も何度も為されているが、
ここまでシンプルに(しかもカタカナw)強行に表現しているものはあまり無かったのではないか。
(勿論、あちらの838・839が、全てそのまま首肯できるというわけでもない。
脳と関連させなくとも(心理学や精神医療の分野内だけでも)成立する(通用する)わけだし、
哲学上の議論に於いても「ザ・私」を特別視しても良い場面、特別視すべき場面はあるだろうし・・・。)
またこれは、H2O議論とか「他人の“私”」の時も同じなわけで・・・。
_, ,_
( ゚∀゚) < ザ・私・・・。 なんかカコイイなw
( つ旦0
と__)__)
7 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 09:56:03 0
ザ・○○って、100円ショップダイソーみたいだね。
8 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 10:00:12 0
前スレに
「私を現象せしめている物理的要素は肉体である」というレスがあった。
これは「私とは肉体である」という意味かな? ちがうのかな?
では、肉体を肉体として現象せしめている物理的要素は何?
この答えに、また同じ質問を重ねたりはしないから、これにだけ答えてくれ。
9 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 11:11:45 0
前スレ
>>844に、
>意識を消失する前後の「私」がどうして同一と言えるのか、最高位は理由を出せない。
>無理しないで、記憶が同一性を保持している、って言ってしまえば良いんじゃないのw
というのがあった。
最高位は同じ記憶を持つ他人は『他人』とか言ってたから、記憶じゃないって言う筈だと思ってたら、
なんだか記憶に依存してます的な返答をしてた。まさか本当にあやふやに考えてるのだろうか?
実際には記憶じゃないわけだけど、理由を知らなきゃ説明も無理だからね。弱点になるね。
10 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 11:15:33 0
ようするにシューのおシュー。
シューだけでようするにシューのおシュー。
シューだけでローさせている。
ローさせているようにシューシュー。
シューだけでロー。
わかるかな?
保守ついでに戯言を・・・。
>>5 前スレ955に、
>「文化、学習、教育」を通した様々な経験によって「濡れる」という事柄を私はすでに知ってしまっています。
>だからそれを知らない状態を想像することは困難です。
という一文がある。
確かに、そういう面はある。どんなに想像しても所詮は想像wと・・・。
で、この「言葉の意味」も、『発話者が存在する(過去存在した)限り』同様のことが言いうる。
(ここでの“意味”は、(流布している)語義に囚われず、あらゆる意味(効能)を持たせることも許容して、ということだが)
その何らかの意味は、言葉がそこに発せられた時点で同時に生じている。
たとえ「÷×∴○▲☆※▽※◇★≦≪∽▽∝∬」という文字列であっても・・・。
(現に、↑の文に於いて、
その文字列は何らかの意味(この場合「“無意味な文字列”という意味」)
を背負ってしまっている。 豚さんがカラんできそうだが・・・w)
もし、言葉が、そのように誕生と同時に意味を背負ってしまうものならば、
前スレ955の「(過去への不可逆性とセットになった)不可知」よりもずっと強い形で、
>「言葉自体には意味がない」 への反論とならないだろうか。
「(過去への不可逆性とセットになった)不可知」と同様に、
或る言葉の誕生以前を問うのは無意味である、不可知である、と・・・。
(※「一旦生じた意味が消失する」という事態がありうることを否定はしない。※)
12 :
マハポーシャ君:2008/09/24(水) 11:24:04 0
>>8 「私を現象せしめている物理的要素は肉体である」
これは「私とは肉体である」これは誰の考えであろうと、
私、マハポーシャ君は、同様に思う。
よって答えてみたい。
>肉体を肉体として現象せしめている物理的要素は何?
「私」という日本語を用いる共同体内に属する存在を私とするならば、
「私」が犯罪を犯した場合は、それは肉体である。これも一つの
「私」の在り方である。肉体が無ければ「私」が存在しないのは、
この共同体内での法律ではそう考えるほうが妥当である。
一方、マハポーシャ君の考え方として、「私」は、上記の
共同体内だけに存在しているのだから、肉体の道具であるという考え方である。
肉体が「私」を使い、肉体が言葉を発する。そして肉体が考える、思う。
そしてその肉体とは何か?これは神の道具である。
こういう思想です。
だからマハポーシャ君をつかって、つまり「私」という道具をつかって、
この発言を記述するのは、まぎれもなく神である。
13 :
天才君:2008/09/24(水) 11:30:53 0
マハポーシャ君の思想はそうであるが、
天才君の思想はまた別でもある。
肉体と私は一つである。それどころか何一つ境界がない。
これが宇宙の実体である。これが天才君の思想の根底です。
だから神という概念ですら言葉であると斬り捨てる訳です。
今、起こっている現象に全てが在るというだけであり、
それには、何の意味も、目的も、疑問もなにもない。
勝手に肉体が「私」という観念を作り出しているだけであり。
なんらかの主体を創ると同時に、その主体の形態も同時に時空には
顕れるという法則がある。
この事例の証明、仮説は、科学に席を譲るが、事例はいつでも起こっている事であるから、
それを観察し、説明するだけで事足りる。哲学以前の観察の問題である。
このように天才君は考える。
14 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 11:33:36 O
独りのとき私とは余剰概念だ。
15 :
821ソフト:2008/09/24(水) 11:49:46 0
携帯からROMっておりましたが、カキコさせてもらいます。
肉体と精神は一体、と言うことは肉体の概念が少あやふやではないでしょうか。
肉体は単なる他者とのしきりというわけではないでしょう?
16 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 11:56:22 O
肉体は他者との仕切り、それでいいのだ。
17 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/24(水) 12:28:01 0
「わたし」は害でしか無い。
自分が引き受ける害の量をみればいい。_
18 :
マハポーシャ君:2008/09/24(水) 13:17:12 0
肉体という仕切がなくなったら、単に肉体がなくなっただけだから、
自由自在になるという訳です。
でもマハポーシャ君に言わせれば、自由すぎるのも飽きますよ。
で私は、仕切が欲しくなったから肉体を持っている訳です。
いいでしょう不自由も。
自由、不自由は人間の脳が持つ想像力ですよ。
人間の脳は「現実はこうだけど、ああであったら良かったのに」と
現実と想像の差を常に感じて不満感を持っています。
動物の脳は、お腹減ったから食べ物を想像するなど、
その程度の想像力しかないのですが、
人間の脳は鳥に成りたいマリアナ海溝に潜りたい月に行ってみたいと、
想像力が爆発的に発揮されるから不自由なのです。
20 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 14:01:54 O
自分自身がなければ自由はない。自由は身体にある。心に自由はない。
>>19 たしかにw
今まさに感受している現状と違って、「そうではなかった状態」を想像できてしまうというのは、
未来へ向けての強力なツールでもあるが、同時に枷でもあるわけか・・・。
デカルトの「我思う故に我あり」は、爆発的に増大した人間の想像力の極点です。
あらゆる事柄を想像していると、人間の脳は混乱してきます。
そこで方法的に「もしかしたら全ての現実は嘘ではないか」と極論的な想像をしてみる。
想像力の極点まで行くとそこから反転して、
想像している自分がいる事くらいしか信じられないようになる。
人間の脳が持つ想像力の混乱は、そこまで極端になるのです。
>>8 > 「私を現象せしめている物理的要素は肉体である」というレスがあった。
> これは「私とは肉体である」という意味かな? ちがうのかな?
普通に読めば違うw
「肉体が私を現象させている」とでもなるだろう。
そうはいっても「私を現象させる」とか「私を発生させる」とかどういうことか判然としないし、「私」が何を指してるかも曖昧だ。
仮に「私」を意識経験と解釈するなら「肉体(おそらく脳とかの神経系)が意識経験を発生させてる」とでも解釈できる。
これは多分確実なこと。
ただ、具体的なそのプロセスはまだ未解明のようだ、よく知らんけど。
脳の研究もかなり進んだとはいえ残された部分が多いようだし、
意識の研究なんか今だ科学者の間では胡散臭いと思ってる人の方が多いと聞いてる。
これからの課題ということでしょう。
又、「私」を「私が私であるようなこと」とでも解釈した場合。
この場合日本語としてちょっちこなれてないので、言い直して欲しいなw
> では、肉体を肉体として現象せしめている物理的要素は何?
これは意味不明な日本語w
何を聞きたいのかよくわからない人がほとんどだと思う。
あと、前スレで満豚くんが意味の指示対象説の批判してた。
俺も前々スレで指示対象説には批判的な書き込みしたけれど、正直満豚くんの論駁は成功してないと思う。
いくつかあるけど一つ挙げれば、
>「「瓶の中に蝿がいる写真」の意味は瓶の中に蝿がいる写真」という言語表現はトートロジーである。
これはトートロジーじゃないよね。
前の「瓶の中に蝿がいる写真」は言葉だけど、後のは指示対象、つまり実際の写真だから。
25 :
マハポーシャ君:2008/09/24(水) 14:37:09 0
>>19 そうです、マハポーシャ君も、その不自由さに帰着したのです。
そこで、全ては、創造とその選択でどうにでもなるのでは?
こう考える訳です。
「創造とその選択でどうにでもなる」が本当だと仮定して、
現在の「私」を考えるならば、「私」に関わる全てのものも
「創造とその選択」の結果ではないか。もちろん肉体もです。
こう考える訳です。
最初の創造は、もちろん神ですが…。
26 :
マハポーシャ君:2008/09/24(水) 14:39:41 0
>>22 >想像している自分がいる事くらいしか信じられないようになる。
私はむしろ、想像しているならば、創造できるのではないか?
こう考える事もできると思います。
どちらを取るかは、選択によるものでしょう。
だれの?神のです。今現在全てが在るならば、創造を選択したという事です。
こうマハポーシャ君は考えるよ。
27 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 16:14:45 0
>>23 横レスだけど。
肉体て物理現象じゃないのか。
その問いに答えている兄さんもいるみたいだぜ。
わかっていないのは、おまえさんだけだったりして。
28 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/09/24(水) 16:21:35 0
ユダヤ教で偶像崇拝を禁止したのは、神にとってまさに本質的なことだと思う。偶像を崇拝
しても意味はないよ、と。
我々が他者と接するとき、この問題が浮上するのではないか。他者を思っているつもりでも、
それはただの偶像を崇拝しているだけではないか、と。
私のみを信じる、というと独我論になってしまうが、それを抜け出す道はそう簡単に見つかるの
だろうか。
29 :
マハポーシャ君:2008/09/24(水) 16:45:11 0
マハポーシャ君は、私を思っているつもりでも
それはただの偶像を崇拝しているだけである。こう思う訳です。
それでは例えば、偶像を崇拝、つまり、思っている主体があるとしましょう。
それも偶像崇拝であり、あるのは「思い」です。主体などはどこにもない。
思いに、主体を結びつける行為者が居るだけです。その者自身が
「私」という偶像を生み出している。生み出している主体に生むな!と
いっても理解できない。これが強力な偶像崇拝なのではないでしょうか。
マハポーシャ談。
私が君の事を「キミ」と指す場合、肉体を指す。
君がゾンビであろうとなかろうと問題ない。
最初から肉体を指しているのだから。
この私が自身の事を「ワタシ」と指す場合も文字通り身体を指している。
君が君自身を指す場合も「キミ」ではなく「ワタシ」だ。
私が君から「キミ」と指される場合も体の事だ。
「キミをミキサーにかけるよ」と言われたら、
この体をミキサーにかけられると言う意味に他ならない。
この言葉での表現上の「関係」が理解出来るということは、
二人が言葉での表現上「他人同士」であると理解出来るということだ。
理解出来ないのは発達障害だ。
31 :
マハポーシャ君:2008/09/24(水) 16:57:11 0
強力な偶像崇拝は無数にある。
原因・疑問・疑い・信念・真理・意味・解釈。
これらは特に根深い偶像であるが、それを偶像と思えないところが
崇拝の面白い所です。
なぜならば、それらを包括する言葉という偶像が存在するからです。
この崇拝を捨てられるならば、あるのは信仰だけです。
人間最後は神頼みですから。
マハポーシャ君談。
32 :
マハポーシャ君:2008/09/24(水) 17:20:53 0
疑いきれないものは、神以外のものではない。
疑いきれないものを「私」にしたとたんに偶像崇拝が
始まるだけの事ですね。
疑いきれないものを、疑いきれないままにするならば、
それは崇拝ではなく、科学的態度であり、論理的立場ですが、
大抵、おそれを成して、偶像崇拝に走ります。
哲学も臆病ではできず、勇気・忍耐をださないとできないわけです。
単なる強欲や意地では哲学も、偶像崇拝から覚める事もできないです。
マハポーシャ談。
33 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 17:21:34 0
>>30 で、君はそのレスを何に向けて送っているの? 身体? だれの?
洞窟の比喩ってあった
真なる世界が洞窟の壁に照らし出した影を人間は見ているというやつ
でも、本当は影の方が真なる存在で、真なる世界が虚構なのかもしれない
前者は後者を、後者は前者を互いに妄想や偶像だと言い合う
自分と違う意見には「妄想」と言わねば気がすまないんだから、同じ穴だよな
テレビに向かって話しかけている老人ているでしょ。
猫や小鳥に話しかける人。
ゲームのキャラクターに頑張れと応援する子供。
見えている物体の向こう側に、何らかの中心的な主体を想定してしまうんだ。
アニミズムというやつだ。
36 :
マハポーシャ君:2008/09/24(水) 17:33:29 0
信仰とは神です。それ以外の信仰が、偶像崇拝って事ですね。
単純な話しです。
相対化する事、ここにも主体が存在してしまいます。
偶像崇拝ですね。
だから信仰は、誤魔化しきれないのです。
そうだな、偶像崇拝だな
だが、非生産的な言葉だ
生産的な言葉を使おうとする偶像崇拝を探すとしよう
38 :
マハポーシャ君:2008/09/24(水) 17:48:46 0
同感です。
偶像崇拝は道具のようなものですから、使い方次第ですね。
「私」であっても、使うから活かせるわけです。
それでは、マハポーシャ君は、皆さんに席を譲ります。
39 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 18:18:52 0
止まってるな
天才君の言う偶像崇拝は、そうでないものが「神」しかないし
この「神」にはいかなるものも含まれない
俺が非生産的と言ったのは
天才君が使うこのような言葉のこと
で、生産的、非生産的の区別、境界設定が問題になると思うんだけど
それは言葉の批判可能性の有無にあると俺は考える
この場合、天才君の言う「神」が批判不可能である
推測だが、天才君は宗教じゃなくて、
単に空集合にでも「神」と名付けて遊んでいるのだろう
42 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 20:41:35 0
たしかに天才君の世界観は形而上学なんだけれども、
じゃあ形而上学でなにが悪いのよと考えるおれもいる。
なんだかんだいってもみんな形而上学にしかならないんだから
開き直っていろいろな形而上学を構築して比較するのもいいじゃんってね。
天才君のは形而上学でもないでしょ
「形而上学」について、俺は
観察と衝突する内容をもたない純粋思弁的な分野
って定義するけど
天才君は意図的に言葉に内容をもたせていないから
形而上学ですらないように思うけどね
44 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 20:56:23 0
>>43 それは形而上学の範囲をかなり狭くとってるね。
一般的にはもうすこし広いんじゃない。
おれはもっと広くとってるんだけど。
どうでもいいことをダラダラいくね
今は21世紀だけど
ちょっと前まで世紀末だなんだって言われてたじゃん
で、世紀末思想って流行したと思うんだよね
根っこにあるのは、人間が絶滅するみたいな終末思想で
人間の代表的な産物って科学、機械化、合理主義じゃん
このような科学、機械化、合理主義への反発ってあったんじゃないかな
信仰を忘れて科学と合理主義に身をうずめると神罰がくだる
ってのはよくあるパターンだし
んで、理詰めで考えると身を滅ぼす、みたいな発想って流行したと思うんだ
スターウォーズのフォースとか、タクシーのZENとか
精神文化的なものを求めるのって、科学への反発かななんて
でも、そういうのって西洋文化圏の自戒心からきているだけの気がするんだよね
映画で見てても、「何言ってるんだ、このおっさん」て感じでさ
単に日本人の俺は楽しめねーよって愚痴なんだけどね
うん、それだけ
44
かねー
たいていの形而上学は議論する内容があるように思うんだけどね
代表的なのとして、アリストテレスの形相と質料があるけど(『形而上学』)
イデア論との論争は、
言葉を使うときに理論的なものが優先されることとかと関係する気がするんだよね
一般的にはもう少し広いかな?
論理実証主義が言う形而上学はただの中傷だし
47 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 21:31:49 0
>>46 たとえばヘーゲルの体系なんかは形而上学の代表のように
言われたりするじゃない。
で、あの絶対精神の自己実現を前提にすれば
たしかにすべての事象は説明がついちゃうんだよ。
ただその前提が正しいかどうか、
ほんとにその前提が存在するのかどうかはわかりっこないんだけど。
その、説明原理としてわかりっこない前提を導入しちゃうところが
形而上学の形而上学たる所以なんだけね。
論理実証主義だって形而上学を敵視していたんだけど、
その肝心の実証概念じたいが実は実証不可能だったりして
自分たちこそ形而上学だったことがばれちゃって
もうだれにも見向きもされない立場になっちゃったけど。
おれがもっと広くとっているっていうのは
形而上学という概念には「実証不可能な仮説」という意味で
じつは自然科学との親和性があるんじゃないかと思っているところ。
だからビッグバン宇宙論が形而上学なのはもちろん、
「進化論」や「決定論」なんてのもその仲間。
けっこうポピュラーな見解だと思うんだけどなー。
このスレ的な御薦め映画は、
攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL、イノセンス
てとこだろうなw
草薙素子に『私』はあるのか?
なんてなw
47
ヘーゲルも観察と衝突するような内容は何もないけど
階段を上っていくような進歩的、発展的な歴史観と決定論的世界観があるから
批判可能であるようには思うんだよね
(ヘーゲルの本はもっているけど、わけわかめ)
だからこそニーチェが批判したんだろうし
ショーペンハウアーをはじめペシミズムからの批判もあるし、
あと弁証法を逆手にとったアンチ弁証法としての批判もあるし
でもまぁ、合理主義が批判される文脈ってたいていヘーゲル批判だよね
俺はアニメは見ない
51 :
考える名無しさん:2008/09/24(水) 21:54:38 0
>>49 ヘーゲルの、というか形而上学のすごいところはね、
そういった批判でさえその一部として説明できちゃうところなんだよね。
ほら決定論だったらなにしたって「それは決定していた」って言えちゃうじゃん。
だから批判できないとも言えるし、形而上学の側にしたら屁とも思わないだろうね。
ということで今日はさいなら
52 :
48:2008/09/24(水) 22:33:42 0
>>50 劇場版アンパンマン 〜いのちの星のドーリィ〜
をレンタルして見てみろw
で、感想の報告をヨロシクw
53 :
スルー推薦。天才君談:2008/09/24(水) 22:51:07 0
結論から言えば、天才君の形而上学?があるとするならば、その形而上学は、唯物論をも含みます。
>>41さんの天才君に関する洞察は、常に正しいです。また、ご指摘のように批判不可能なのです。
でも、みなさん、おかしいと思いませんか?天才君は確かに遊んでいる。
でも遊びを真面目にやったらそれは人生です。その思想を語れば哲学ですが…。
それが批判不可能なのです。なぜならば、批判も正しいからです。
まずは、こう考えてみて下さい。天才君は「神」が全てであるというような事を言いますが、
それは脇に置いて、天才君が疑っているのは、この宇宙そのものが、どうにでもなるのでは?
という根本的な問いです。正直、これは問いとは言えないかもしれない。おそらく真実でしょう。
そして、実際、この社会制度内にある私の目に止まる論理や検証その他もろもろを
観察するとどうもそうらしい。ここで結論から言えば、社会制度内では、先に法則がある。
私の言う法則とは、現リアリティーがある。つまり私達が当たり前に受け入れている
生の現実だね。この現実の作り方が法則です。その法則の一つに「発見されたものが創造された現実」。
この論理を懐疑するのが天才君です。逆に創造すれば法則が発見され、現実化する。
一番身近な例で言えば、「思った事が今現実になっている。この繰り返しを我々は体験している。」
これが結論です。だから「私」も「肉体」も同時に今発生しつつ繰り返されている。
この現実もそう。世界は広いようでまったく狭いです。知っている人としか出会えない。
知っている事しか知ることができない。しっている時空だけしか体験できない。
真のリアリティーは何でもありです。しかし何でもといってもその何でもが、
限定でも在るわけです。つまりここは牢獄ということでもあります。
だから知っている事をだれもがする世界がこの世界です。人間は死なないと思うならば
死にません。別のリアリティーに移行するという事です。これを一瞬一瞬繰り返している。
取り残された人が別のリアリティーに移行した場合、それを知ることも、移行した事すら
知り得ない。まあ、たわごとですから無視してください。
54 :
マハポーシャ尊師:2008/09/24(水) 23:26:38 0
我々がやりたいこと、それは一つです。
変わりたい。
真のリアリティーは存在します。それはあそこでもここでもない。
境界が無いのです。これこそ真理だ!と人が…、ここでは哲学家としての
醍醐味という事になりますが、真理の中に入ることができた時です。
おかしな言い方ですが、別の言い方で言えば、真理を体験した時です。
境界が無いといいましたが、今現在創っている境界が無いというだけで、
境界は即出来上がります。分析解釈によってです。しかし認識するには、
致し方ない。少しづつ変わるしかない。
真理は、私が思った事が今おこっちゃってるよ!この繰り返しです。
論理は、論理で、私が思った事ではないから、単独で暴走します。
これを拝むと神を見失います。つまり境界をつくるから、変われない。
むしろ、断片化がひどくなる。これは変わるどころかカオスです。
カオスの収束は、目的です。目的から一筋の道を造るわけでしょう。
境界を無くす事です。その目的に相当するのは神への想起です。
思うという行為です。考えるのではなく思うという事です。
55 :
大和君:2008/09/24(水) 23:38:09 0
皮肉な事に、我々は、他が何を考えているかよりも、
他がどう思っているのか?
もっといえば、他が私の事をどう思っているのだろう?
でも、私は他に私がどう思っているのかは、言いたくない。
また悟られたくもない。
神は私をどう思っているのだろう?
神は思う、私をどう思っているのだろう?と。
神に問う。私はこの先どうなるの?
神も私に問う。私はこの先どうなるの?
神と私の境界すらないのである。
日本神道には、鏡が設けてある。あれに映っているのは、「私」である。
神道は、想起、祈り、思う、これを原点としているだけの事だ。
無分別の心の状態であり、仏であり、神でもある。同じ事である。
哲学で、それに相当するものといえば、汝自身を知れ。
我思う故に我あり。これは翻訳が悪かった。思即我。
>考えるのではなく思うという事です。
考えると思うはどう違うのかしら?ねぇ、母さん。
57 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 00:12:27 0
思う:一個うかぶ。
考える:あれやこれや。あーでもない、こーでもない。
>>56 まず初めに謝っとく。かあさんじゃなくてごめんな。
「考える」には温度がない。
「思う」には温度がある。
60 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 00:16:58 0
天才さんがひとりごとをたれながしだすと、どうしても流れが滞る。
が、これにはムダを減らすという社会的効用はある。
おもしろくないが、いいことなのだろう。
無駄を楽しみに来ているヤツに、謝れ!
62 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 00:25:00 0
>>58 その場合の思うは意思するということだね。意志のほうがいいか。
しかし「もう秋か」と思うとき、そんなに温度は高くない。
「最高位のことを考えるとむしゃくしゃする」という際の「考える」は、かなり温度が高い。
誰かが言っていたように、言葉の意味は使い方しだい。
思う:ふと浮かぶ
考える:掘り出す
64 :
48:2008/09/25(木) 00:40:02 0
>>62 「勢い」という要素を加味すればいい。
おっとっとっと、とよろけた時の重心のベクトルのように。
「勢い」を持つのが、思い・想い。
単なる分析が考える。
考えた結果、或いは考える行為がもたらす「思い・想い」が
常に行動へ導いてゆく。
その意味で、温度は常に「思い・想い」の側にある。
※(「むしゃくしゃ」は、「思い・想い」そのものだと思うぞw)
65 :
48:2008/09/25(木) 00:45:45 0
>>64 >常に行動へ導いてゆく。
では、限定的だな。
「常に、決定権を有している」という、大胆な言い方にしておくかw
66 :
58:2008/09/25(木) 01:19:44 0
哲学スレは今日始めてきました。よろしく。
例の陽子加速器やシュレーディンガーの猫の物理系科学スレを少し前まで
覗きにいってたんだけど、物理系の人たちはすぐ「哲学で語るな」とか
言うんだよね。哲学に興味ある人は、どんな分野にだって興味を見出せる
し、哲学にゆかりのあるスレだから、あっちの人には関係なくてもこっちには
関係あることなんだけど、わかってくれないw
ところで哲学のすれって、荒れてるところが多いみたいだけど、ここじゃ
そんなのは当たり前の世界なんでしょうかね?
>「最高位のことを考えるとむしゃくしゃする」
落ち着けwwwwww
思うは直感とイメージ。
考えるは損得計算。
69 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 01:43:21 0
哲学を専攻してきた人には心の狭いタイプが多いようです。
したがって社会的にはほとんどが無用の短物です。
70 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 01:45:44 0
思惟は仏教用語です。
仏教の知識はありませんが、
思惟とは、深く心を集中させて想像する事らしいです。
「考える」ってのは、「思う」の部分だろ。
「考える」も「思う」も一緒だと思う。
「考える」と「思う」は違うと考える。
74 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 02:19:03 0
「キミの考えは間違っている」とはいうが、
「キミの思いは間違っている」とはいわないだろう。
故郷を考えるとは、人々にとっての「故郷」とは何かを考証すること。
故郷を思うとは、自分の故郷に思いをはせること。
ならば、考えは、論理的・言語的であり、左脳のうけもち。
思いは、直感的・情緒的であり、右脳のうけもち。
・・・か?
考える:死という終りを知った末の逆算的未練
思う :光の速度で光を観るとソコに在るもの
思う 感性的判断
考える 概念的推論
77 :
天才君:2008/09/25(木) 07:35:14 0
>>60 ポイントは気づいている人もいるようですが、
私がしていることは、鎮めているからです。
逆に活発化させようとするならば、簡単に言えば、思いを揺さぶるような事を
記述すれば良い。それだけです。
>>61 申しわけない。
社会制度内やある特定の属性をもっている「私」を刺激するには、
群衆の方向性を確保すればよい。
つまり群衆は、群衆は悪を排除する方向に動く。
また悪を、あるいは下劣を、バカを、創る事によって群衆はみずからの尊厳を
まもろうとする方向に動く。
だから一言でいえば、こういう事で群衆は動く。
キミらはバカである。とかキミはちっぽけな存在である。等、
攻撃すればいい。皆さんが求めるものは反論。すなわちリアクションなのである。
考えてみれば解ることです。天才君は何を言っても正しいし、それに対し、反論のつもりで、
みなさんが何を言っても、それは正しい。こういう人間にみなさんは反論されることはないのです。
78 :
天才君:2008/09/25(木) 07:47:52 0
天才君の立場でいえば、あえて、間違いを大々的に、
アナウンスすればいい。間違えた振りをする。
間違えとは、自分の思いと裏腹な事ばかりを言えば良いというわけです。
さらに、自分の考えが正しく、他人の考えは徹底的に間違いであると説く。
個人攻撃も辞さない。
やられたらやり返す。それだけではなく、追い打ちを掛ける。
しかし、反論の余地がないところまでは追い込まない。
こうする事に合意している事が、ボケとツッコミの馴れ合いごっこです。
雑談好きのみなさんがやってる事は、哲学ごっこです。
まったく馬鹿げています。
そういう人達は、茶番が好きなのです。現世利益教です。
快楽平和主義とも言う。本気で戦争する事なども考えない。
だからチャンバラがすきなんです。争いごっこも好き。
こういう事です。多少群衆に刺激を与えたつもりになっていいる天才君です。
79 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 09:41:55 0
では、思考は?
80 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 10:29:49 0
思う:PASSIVE
考える:ACTIVE
81 :
マハポーシャ君:2008/09/25(木) 10:50:32 0
マハポーシャ君の思想というか、
真の信仰家の根底にあるのは、分裂や断片化が無い。
こういう事です。
マハポーシャ君がそうである。というつもりもないし、
そんな事にこだわる張りあいも私には無い。
その間にも変化は起こっている。
ただ、小さな「私」を信仰している論者は常に、
「他」をも信仰している。またその逆もあり、
「他」によって「私」は存在しているという信仰に繋がる。
いずれにしても分裂思考である。体と認識の分裂です。
信仰家の立場からいえば、どちらも相対とセットで一つにしか見えない。
相互依存で成立しているのがこの世界ですから。
相対世界を信じている論者は結局時間を信じている訳です。
だから原因を問うわけですが、原因などどこにもないわけです。
時間との相互依存で原因が成立するんですから。
でも原因を知りたい人は、決して時間とは?という問いを立てないんですね。
面白いですね。
82 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 10:54:14 0
>>6 >ザ・私・・・。 なんかカコイイなw
「ザ・私」と〈私〉を対象化してる時点で最初から的外れ
>>11 >或る言葉の誕生以前を問うのは無意味である、不可知である、と・・・。
それは当然
いいかえれば、主観性を除いた世界は不可知である、と・・・。
83 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 10:57:39 0
>>80 必ずしもそうはいえない。逆にしても通じる場合がある。
だから言葉自体には意味はない、と何度言ったら…
その言葉の使い方(規則)が意味という幻想をもたらすんだよ。
その意味でw厳密には言葉の意味は一回かぎりである。
51
遅くなってすまん
形而上学と経験科学の区別は、俺は経験世界への記述の量の差にあると考える
進化論、決定論、ともに形而上学たりうる
同時に、経験科学的な決定論もありうる
観察命題によって直接批判可能なものが経験科学だとしたら
形而上学はそうではない信念の体系に近い
が、形而上学もまた批判可能である
それと、持論を頑なに固持したい人はそうすればいい
俺の言う「批判」は「反対意見を言う」それだけの意味
>>8 肉体は、恒常性をもつ情報体ということで区別できると思うなあ。
>>5 言葉に意味はあるよ。言葉に指示される現象が物理世界か情報世界に存在する。
言葉に意味がないとは、どういうことか。意味がある証拠に会話が通じているではないか。
86 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 11:44:57 0
87 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 11:47:18 0
>>85 君がどのように言葉をつかっているかがわかる、ということです。
で、そのレスに反対意見を述べることができるけです。
たとえば「肉体に恒常性はないが、その変容が緩やかなので昨日の君と
今日の君を同定できる」というふうに。
88 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 11:56:49 0
>>86 「あの人のことを思い続けることが私の生きがいだ」という場合の「思う」は
受動的とはいえない。
「あれには、考えさせられちゃったな」はどう?
>>87 >君がどのように言葉をつかっているかがわかる、ということです。
わからないだろう。想像することができるだけ。
その想像がいい加減なものであるからこそ
人の心は分からない、ということになり
またそこから人間のドラマが生まれるのさw
一つに特定できないが、まったく判別できないほどでもない
91 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 12:15:00 0
>>89 よく読んでね。兄さん。姉さんかな。
だから「意味という幻想」と述べている。
>>83 お兄さんの「想像」とかなり近い意味wのはずです。
>>82 知り得ないというならほとんどの事が知り得ないのだから、
知り得ないからって、「問うのは無意味」と結論づけるのはおかしいよ。
>>83 >逆にしても通じる場合がある。
そうは思わない。
思うは考えられた事を内面で保持してる感じで、
考えるは保持している思いをさらに分析と論理で進展している感じ。
>>88 >「あの人のことを思い続けることが私の生きがいだ」
それは受動的態度だね。攻撃的ならば、より良く変化させるために考える。
「(あの子を助けないと!)」と思って、夢中で飛び込みました。
「(あの子を助けないと!)」と考えて、夢中で飛び込みました。
(川で溺れる次男を助けた父親の談)
さて、どこが違うだろう・・・w
「あの子が小学校に上がった時、集団生活に馴染み易いように、
大人数の幼稚園に入れよう、と思った。」
「あの子が小学校に上がった時、集団生活に馴染み易いように、
大人数の幼稚園に入れよう、と考えた。」
(入園説明会での一母親の談)
さて、どこが違うだろう・・・w
「彼の態度を見て、(ああ、私への想いは冷めたのだな・・・)、と思った。」
「彼の態度を見て、(ああ、私への想いは冷めたのだな・・・)、と考えた。」
さて、どこが違うだろう・・・w
「彼女のその言葉を聞き、(寂しかったんだな)、と思った。」
「彼女のその言葉を聞き、(寂しかったんだな)、と考えた。」
さて、どこが違うだろう・・・w
咄嗟に俺は思った。犯人はアイツだろう、と。
咄嗟に俺は考えた。犯人はアイツだろう、と。
その時思ったのは、避難路が断たれた、ということだ。
その時考えたのは、避難路が断たれた、ということだ。
さて・・・・(ry
>>87 会話が通じるという事実があるわけさ。
「右のりんごをとって」といえば、言葉が通じた時、
左ではなく、右のりんごをとってもらえるという事実が。
だから、言葉には意味があり、通じているんだよ。
相手の脳が言葉の意味をどう理解したかの解明はできないけれど、
言葉の意味が通じているという証明はできているわけだ。
肉体の恒常性は100%ではないけれども(呼吸などをしているからね)、
生物と定義されるぐらいには工場制があるわけさ。
99 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 16:16:24 0
>>98 イヌ、と彼は言った。
さて、このイヌにはどんな意味があるの?
君が「こうじょうせい」をそのようなアバウトにつかっていることが、
いまわかりました。
記号(言語)には意味などない。その記号をどのように用いるかの規則があるだけ。
だから、こうも言われる。意味は共同性(体)からやってくる。
その記号の使い方(規則)を了解したとき、意味が通じたとされる。
>>82 >「ザ・私」と〈私〉を対象化してる時点で最初から的外れ
滑稽だね、これw
102 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 16:41:24 0
>>93 君が「思う」「考える」をそのような使い方をすることがわかりました。
そのように用いればよろしい。この国では意味が通じるでしょう。
規則に私秘性はないというのは常識ですが、それは意味が媒介された事後に
そういえるということです。
103 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 16:44:46 0
そろそろゾル先生が登場して、能書きをたれそうな予感が…w
104 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 16:48:14 0
あほみたいなテーマでレスを引っ張る奴がいるな。
105 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 17:25:31 0
ウィト、クリプキ…
ゾル先生に解説していただきましょう。
>>99 イヌという動物の名前だよ。そういう意味があるんだ。
生物の恒常性は
>>98程度にはアバウトだ。
そういうふうに世界ができているんだよ。
境界線がはっきりしているデジタルな世界は人の脳の中で、
物理世界自体は境界線があいまいなものだよ。
>>100 記号は人の情報体の中だけで通用するものではなく、
物理世界に貼りついた関連性を持っているものだよ。
言葉は無意味な記号ではないんだ。
108 :
天才君:2008/09/25(木) 18:03:29 0
言葉は、道具ですから、色々使えます。
だから言葉の意味は自由に創れます。
書道でいえば、言葉自体が絵であり、もはや言葉は素材ですし、
音楽でいえば、言葉は、なくてもいいし。
天才君はどは、言葉の意味は自由に創作可能だと思うし、
またみなさんの話しを読んでみても、そのようですしね。
表現の一つの形態が言葉ですから、単なる表現の飾り程度で思っています。
天才君の立場でいえば、言葉に意味など持たせたくもないですね。
言葉などは大抵結末で全てがひっくり返っちゃうんです。
最後の結末の言葉が、「だから、バカなのだ!」で途中の話しは全部チャら。
一体、意味があるのでしょうか。
>>108 意味のあるものを積み上げてきた文明というものを知らなくてはならない。
宇宙を自由に均衡させたら、生物も文明も成立しない。
生物や文明があるのは、宇宙の均衡点が偏っているからだ。
その偏りをつくるだけの意味があるのだ。
>>88 >>93 参考になります。
>>94 >さて、どこが違うだろう・・・w
思う:感情的・直感的な判断
考える:分析的・理性的な状況の把握
>>95 >さて、どこが違うだろう・・・w
思う:心配・願望に重点がかかる
考える:判断過程に重点がかかる
>>96 >さて、どこが違うだろう・・・w
思う:直感的な判断
考える:理知的な分析
>>97 >さて・・・・(ry
同様です。思う、は刹那的判断。考える、は目的的行為です。
思うとはイメージを頭や心に浮かべることであって、直覚的・情緒的。
考えるとはイメージに対して考察を加えることであって、過程的・論理的。
意味の違いなら辞書にも載っていますね。
・思う→物事に対してある感情や意識をもつ。
・考える→物事について、論理的に筋道を追って答えを出そうとする。思考する。
111 :
天才君:2008/09/25(木) 18:15:04 0
>>109 なるほど、そんな思想もありますね。
しかし私は文明の創造主という立場でありたいですから、
文明に感謝しつつも、私の役割は全うしたいと思う訳です。
私は私の事だけをするという事です。
人が言葉をどう使い、どう意味を持たせるか?これは
流行が創っていると思います。最初から意味なんてないもの。
こう思うわけです。
>>111 生物は宇宙の中の奇跡的組み合わせでできているし、
文明はさらに奇跡的な組み合わせでできている。
言葉を流行だけに任せて、一個一個積み上げることをしなかったら、
現代文明なんてないよ。未来も発展しない。
生命が命をつないで生きていくことに意味があるというのなら、言葉には意味がある
と言える。
伝達手段という意味において、DNAにその情報を元に個体がどうあるべきかという
メッセージが記述されているのと同じ。
114 :
天才君:2008/09/25(木) 22:25:27 0
天才君は文明には感謝する。そこで、私はどうするかと問う。
私は言葉に意味を持たせないほうが発展すると考える。
ようは自分自身がどう言葉と関わるか?という事でしょう。
言葉の良い面は天才君はこうして言葉を使う以上、重々承知している。
みなさんの言うとおりである。ただ、それだけである。
何も変わらない。
で天才君はみなさんに問う。では言葉に意味を持たせて、
固定観念を築いたなら。新しい言葉を生み出したり、
再構築しなくてはならない。つまり意味を捨てる作業が変革には
必要である。このように思う訳です。
社会的見地に立ったとして、まったく新しい価値観を受け入れたり、
ドグマ、あるいは、もっとも強固な固定観念が「言葉」である。
現状肯定には両面を知り、かつ、自分自身がどう在るか?
これが重要であり、これが、「私」達にとって意味あることではないか。
こう思う訳です。
だから天才君は、あえて「言葉にはまったくもって意味が無い」。
こう絶叫しているわけです。こうすることで、言葉の意味を吟味する秩序ができる。
こう思う訳です。言葉を使うならば、自分の立場というものがあるでしょ?
こう問うている訳です。
理解があるから意味がある。なぁ、母さん。
>>114 >私は言葉に意味を持たせないほうが発展すると考える。
ここが良くわからないんですが、具体的にはどのような仕組みで何が発展
するんでしょうか?
117 :
天才君:2008/09/25(木) 23:04:28 0
言葉の最大の功績は、知識の蓄積です。
これは功績でもあり固定観念の定着化です。この集大成が我々が
我々個々が置かれている日常生活内での常識・流行です。
また俗に言う世間の目というものも、この知識を基準に我々自身観察されます。
つまり言葉は、様々な側面を持っている。固定観念でもあり、洗脳でもあり、
常識・流行・文明の象徴・ドグマ・知識教育。しかも学校では、
その洗脳状態をテストする。ある観点からみれば馬鹿馬鹿しい事です。
では、ここから一歩踏み出して、新しい事をする時、どうするでしょう?
つまりパイオニアは何をするでしょう?また独創、創造はどのようにして
起こるのでしょう?応用もしかりです。
固定観念を一端脇に置かねばならない。あえて具体的な例は示しません。
なぜならば具体的なほど、抽象的なものはないからです。
別の側面からみてみましょう。
言葉の意味の意味の意味というように、永遠と調べ抜いたとして、
その最後の意味には到達できない。実体は全て言葉の解釈であり、
常に置き換えであり、言葉は元々無かったにも関わらず、在るものであると
解釈するところから言葉崇拝が始まっているわけです。
このように天才君は考えます。
118 :
天才君:2008/09/25(木) 23:13:12 0
本当に言葉を知っている人など、一人もいないのです。
言葉と意味との組み合わせは教育によるものです。
言葉の一つ一つの生まれには、その背景があります。
また文字の成り立ちにも意味がある。
形から生まれた文字。鳴き声から生まれた言葉。
言葉の生まれ方は様々です。
私の一つの提言には、言葉を重く扱うならば、
成り立ちまで立ち入るべきだという事です。
天才君にできることは、その成り立ちに感謝をする事くらいです。
あたかも最初から言葉があったがごとく語りきる事など
私には出来ない。また知らない。知らない事を意味を知っているなどとは、
天才君にはとうてい言えない。まあ、そういう意味から
言葉には意味を見いだせない事が山ほどある。
よって天才君は、今、だれもが言葉は空っぽであり、あるのは
言葉の解釈だけです。と、こう宣言しているわけです。
119 :
天才君:2008/09/25(木) 23:17:30 0
最初は言葉の一人歩きなど無かったはず。
でも今は物質と言葉の分断が著しい。
あげくの果てには、口から出任せ、自分の立場不在の言葉の氾濫です。
そんな言葉には、天才君は平気で意味無しと言う。
もはや言葉は、記号化、道具化されている。
言葉を信じる者などもはやこの世界には居ない。
信じたら間違いなくドツボにハマリマス。
120 :
天才君:2008/09/25(木) 23:31:11 0
ちなみに、顔の表情だって今は、記号ですよ。
心からの自然な笑顔に出会うのは、稀ですから。
ポーカーフェイスや言葉と態度が裏腹が常識なんですから。
嘘がまかりとおる社会で、言葉に意味が有る。
そしてそれをまともに実行してごらんなさい。カモですよ。
言い分をよく聞く。これだけです。信用できるかできないか。
等身大つまり、心と体、態度と言葉が一致しているか?
これを観察するしか手だてがない見極めの時代に来てしまった。
特定の環境。例えば技術など目的のハッキリした物質を扱う現場では
むしろ、言葉を厳密に扱います。しかし革新はその現場でさえ、
言葉の意味を否定しなくてはならないのです。つまり塗り替えねばならない。
121 :
天才君:2008/09/25(木) 23:35:05 0
前へ進め言われたら。自分の前に進むのであり、
どこから前へ進むのか?などと問わねばならないのが今の社会であり、
意味の氾濫です。意味が沢山あるならばそれは意味がないのと
同じではありませんか。
>>天才君
まだ途中なのかもしれませんが、ちょっといいですか?
言葉には負の側面があり、天才君が懸念していることがたくさんあることはわかりました。
けれども
>>116の
>>私は言葉に意味を持たせないほうが発展すると考える。
>ここが良くわからないんですが、具体的にはどのような仕組みで何が発展
>するんでしょうか?
という問いの答えにはなっていない気がします。
123 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 23:59:17 0
>>117 文章がめちゃくちゃ。
>言葉の最大の功績は、知識の蓄積です。…@
あなたがこれを主張するなら、後にはそれをサポートする文章がこな
ければならない。
>これは功績でもあり固定観念の定着化です。
この場合、固定観念とはいわない。「定着」という。
>しかも学校では、その洗脳状態をテストする。
あなたのこの意見は@と関係がない。
>なぜならば具体的なほど、抽象的なものはないからです。
言語内矛盾。
>天才君にできることは、その成り立ちに感謝をする事くらいです。
だから、何?結局何がいいたいの?ばか?いらいらします。
あなたに必要なのは、1.主張の明確化。2.文章を書く訓練ですね。
もう来ないでm(_ _)m
124 :
考える名無しさん:2008/09/25(木) 23:59:46 0
>>117 文章がめちゃくちゃ。
>言葉の最大の功績は、知識の蓄積です。…@
あなたがこれを主張するなら、後にはそれをサポートする文章がこな
ければならない。
>これは功績でもあり固定観念の定着化です。
この場合、固定観念とはいわない。「定着」という。
>しかも学校では、その洗脳状態をテストする。
あなたのこの意見は@と関係がない。
>なぜならば具体的なほど、抽象的なものはないからです。
言語内矛盾。
>天才君にできることは、その成り立ちに感謝をする事くらいです。
だから、何?結局何がいいたいの?ばか?いらいらします。
あなたに必要なのは、1.主張の明確化。2.文章を書く訓練ですね。
もう来ないでm(_ _)m
125 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 00:00:25 0
>>117 文章がめちゃくちゃ。
>言葉の最大の功績は、知識の蓄積です。…@
あなたがこれを主張するなら、後にはそれをサポートする文章がこな
ければならない。
>これは功績でもあり固定観念の定着化です。
この場合、固定観念とはいわない。「定着」という。
>しかも学校では、その洗脳状態をテストする。
あなたのこの意見は@と関係がない。
>なぜならば具体的なほど、抽象的なものはないからです。
言語内矛盾。
>天才君にできることは、その成り立ちに感謝をする事くらいです。
だから、何?結局何がいいたいの?ばか?いらいらします。
あなたに必要なのは、1.主張の明確化。2.文章を書く訓練ですね。
もう来ないでm(_ _)m
大事な事なので3回言いました
127 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 01:40:23 0
105
ちょうどよかった
クリプキは読んだことないし、シュテークミュラーの解説読んでもよくわからなかった
ぜひわかりやすい解説きぼんぬ
非合理主義の論点は基礎づけ主義の限界にある
合理性は基礎づけ行為の上にしか成立しないのだろうか
ある発言を真だと言おうとすると、その根拠を質問することになる
挙げられた根拠の根拠をさらに質問することもできる
これは原理的にどこまでも続くだろう
このような根拠付けを不毛と見なす見方から、合理性そのものを攻撃する発想が生まれるのだろう
だが、この、基礎の上に建てられ、それを基礎にしてその上に建てられ、、、
という合理性モデルにはひとつの前提がある
それは「基礎はたった一つである」という前提である
だが、われわれの発言や理論は、複数の前提を土台にして成り立っているだろう
また、非明示的なこと、発言者が気づいてないことを土台にしているかもしれない
すると、根拠を質問されてたった一つの根拠を答えるというやりとりに欠陥があるのではないだろうか?
根拠を質問されたならば、根拠は複数回答可能であるし、また、その根拠(基礎)をすべて挙げることも無理だろう
発言内容の真偽を考えるやりとりのモデルは、もっと違うモデルになりそうである
130 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 06:42:17 0
>>100 >その記号をどのように用いるかの規則があるだけ。
そんな規則は見たことも聞いたことも無い。
記号や言葉はどう使おうと自由だ。
ただ使い方で相手に通じないことがあるだけ。
思想の自由は憲法で保障されている。
131 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 06:53:34 0
>>121 >意味が沢山あるならばそれは意味がないのと
>同じではありませんか。
そんな事はない。
有ると無いを有耶無耶にしてはいけない。
言葉を使っている端からその使い方の規則性を崩されれば、
ぐちゃぐちゃすぎて何を言っているのか分からなくなる
俺が文章の中である単語「シュートラ」という単語を使用したとしよう
最初で使われた「シュートラ」と次で使われた「シュートラ」は同じ意味として使われたものだろう
これを崩して言葉の意味を使う先から変えて変更していけば
もうぐちゃぐちゃすぎて何を言ってるかわからない
相手の言葉の使い方、その規則性から「シュートラ」って言葉で何を言おうとしているのか分かる
多分、こんなことを言いたいのだろう
言葉の意味が時間の経過とともに変わったら面白いね
で、朝になるとまたもとに戻るの
そんな世界があったら、発言者が朝に発言したか夜に発言したかに注目がいくんだろうな
で、「朝」や「夜」という言葉も朝か夜かで変わるから
「今は朝だ」とかがパラドクスになったりするんだろうな
てことで、バカボンの「その日は朝から夜だった」とかも正しい言葉遣いになっちゃうんだろうな
その日は朝から夜だった♪
これが言いたかっただけ
134 :
天才君:2008/09/26(金) 08:39:06 0
>>112 >という問いの答えにはなっていない気がします。
そうですか。申し訳在りません。私の説明の限界でしょう。
何故ならば、具体的に説明不可な事を話しているのですから。
もし、あなたが、言葉について深く考えれば、意味があるとは見いだせない所まで、
考え抜けるのではないでしょうか。
>>123-125 >もう来ないでm(_ _)m
それをいうなら、もう見ないで!と自分自身に言うべきでしょう。
大事な事は単刀直入にすませました。簡単な事でしょう。
135 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 08:48:36 0
言語に意味があるように感じられるのは、一つは日本語が表意文字だから。
カタカナで表わせば、単なる記号にすぎないことがよくわかる。
記号(言語)そのものに意味があるのなら、辞書は無用。言語=意味を
別の言語=意味で調べても“本来の意味”から遠ざかるだけだろう。w
辞書には言語体系(国語)の典型(使用)例が挙げられているだけ。
>>130 「使い方(規則)で相手に通じないことがある」 そのとおり。
その「通じない」のは“意味”のことだろう? 私も意味が通じるか否かは、
使い方にかかっていると何度も述べてきた。
言語自体に(内在的)意味があるのなら、使い方など関係ない。
天才君
数学も道具なの?
道具として数学が発展したいうより、数学の純粋な研究結果が、道具として使える幅を増やした感じかするよ
言葉にして体験と切り離して面と向かうと数学のようにみることができる
すると今まで見えなかった側面が見えたりする
長生きしようとして自殺するみたいなことを回避できるんじゃない?
けものへんに貪でトンて想像上の生き物を思い出した
137 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 09:05:29 0
>>130 この国(の法)では、公的な場で特定の相手に「お前はバカだ」と
罵れば罪になる。記号の使い方は(内語・独語を除けば)自由ではない。
しかし、この場合はどうか。
ゾル君が愛する彼女に「君はバカだねぇ」と囁いたとしたら…。
彼女は喉を鳴らして喜ぶか。それともゾル君の顔をひっぱたくか。
いずれにしても“バカ”という言葉(記号)に責任はない。
その後の言葉によるでしょ
「なんでそんなことを言ったの?」って疑問を持ちながら、次の言葉に耳を傾けて真意を探る
「俺のようなしょうもない男に惹かれるなんて、
美貌も若さもあるのにホントに君はバカだ」
とでも言うかもしれないし
「君は利発的ではない、でもそこがチャーミングだ」と言うかもしれない
(君なんてかっこつけた呼び方はしないけどね)
前者と後者は同じ「バカ」という発言でもまた違う
思い切り頭にきて「バカか?なんでこんなことしたんだ」って続くかもしれない
139 :
天才君:2008/09/26(金) 09:24:18 0
>>136 私は、心と体をも道具であるという思想の持ち主です。
人間の創造物で道具以外のものはありません。
だって人間が使うものでしょ。
>言葉にして体験と切り離して面と向かうと数学のようにみることができる
>すると今まで見えなかった側面が見えたりする
数学の使い方の良い例ですよね。
140 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 10:14:22 0
>>139 貴兄がよく口にする「神」は道具ですか。それともこれだけは例外?
人間が創造したもの、と言うよりも「人間が使用するもの」を道具と
呼ぶほうが一貫する。その存在者を或る目的にそって使用したとき、
道具としての“意味w”を生じる、と言い換えてもよい。
とはいえ、いかに精巧につくられたものでも、その目的にそぐわない
場合は無用の長物。つまり道具失格となる。
道ばたの石塊も、だれかを殺傷するには有力な道具となりうる。実際に
それに成功したとき、その石塊は優れた道具の役割を果たしたことになる。
石塊に内在的な意味(価値)はない。その使い方によって意味(価値)生じる、
と少し敷衍してみた。w
ただし、こんなことはとっくに、もっと精緻に語られている。ww
141 :
天才君:2008/09/26(金) 10:17:23 0
この社会制度の中のメディアを通じて、心のふれ合いなどと、
まことしやかに教訓じみて語る人がいるが、あれは嘘である。
そんな事は言葉であって、言っている本人が、それをやっていない。
もし本当に心のふれ合いを行うならば、
言葉の意味など問わず、心を見通す心眼あっての事だろう。
こう天才君は思う。
この心眼に相当するものをもってすれば、言葉は一つの表現の道具である
という事が良く解る。目の見えない人とも、耳の聞こえない人とも、
これをもってして交流できるし、言葉すら使わない異種間であっても
コミニュケーションは可能。
植物とコミニュケーションする人もいる。そんな観点から、
言葉に意味を持たせる事は、ある特定の属性内での話しである。
だから間違いでもないが、正解でもない。
ただ、そうであるだけだ。なんといっても言葉などは、
道具だからであって、使える者が使うだけで、聞き取れる者が、
聞き取るだけの、まったくもって小さなものである。
それを普遍化して扱う行為は、自らの世界をあるいは生き方を
限定する方向性にある主体の特性をよく表している。
「哲学」や「真理」は道具なのか。
143 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 10:29:51 0
>>142 よく知らないけど、一般的には無用の長物だろうな。
それよりも“宗教”のほうを重宝がる人が、いまもなお多いのではないか。
144 :
天才君:2008/09/26(金) 10:31:17 0
人間の都合に合わせたものであるならば、
いかなるものでも道具です。
何故ならば、作り手と使い手が理解可能なものであるからです。
ただ、道具が最初から在ったと思う所に、人間中心主義の愚かさがあると
天才君は思います。
145 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 10:36:14 0
得体の知れない教祖とか占星術者とか占い師とか
はたまた会社の社長の言葉とかを信じる人が多いだろうな。
146 :
天才君:2008/09/26(金) 10:49:38 0
偶像・虚像・でっち上げ・有名・ヒーロー・権威。
全ては信仰間違いから起こっています。
何を信仰するか?ですって?神に決まっているでしょう。
神と私との分断、断片化を無くせばいいんです。
非常に簡単に言えば、心身統一すればいいだけです。
自分の自由になる範囲は、物質界では、自分の体だけです。
それ以外はお願いして助けて頂かなくてはならない。
これを忘れているのが信仰の喪失っていうんです。
天才君談。
147 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 10:59:49 0
>>145 天才君の言葉を信じる人は、ここにどれくらいいるのだろうか。
148 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/26(金) 11:23:31 0
>146
かいとこか。
たぶん世の中は、アンタのいってる方向に進む(はず)。
おれとか最高位、の具現主義は力を失ってきてる。多く出回りすぎたからな。
_
ただ腐らずに維持してくほうこうが、わからん。
、無気力人間はこれからもふえつづけるだろうし。そいつらが全員死んでもおれらは困らんけどな。
_
メディアも信仰も死んでる以上、別の道を探さないとね。
_
149 :
マハポーシャ君:2008/09/26(金) 11:25:20 0
マハポーシャ君が天才君の代弁をしよう!
天才君みずからが、信じてはならないと言っているのに、
まだ天才君を信じようとする人がいるとしたら、
それは天才君ではなく、言葉を信じようとする事になるんです。
天才君は信じる存在ではなく、ただ文字として顕れているだけです。
テレビ画面にむかって、よく話している人いますね。
天才君は、テレビの中には居ません。だから
天才君を信じる必要も信じない必要も無いわけです。
知りえている人は知っていますし、知りえない人は知ることすらできないのですから…。
150 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/26(金) 11:35:57 0
>>149 アンタとか、あと最高位の「それ」は宗教じみてるんだよ。で一般の人に理解し難くなってる。
しかし「おれ」の場合でも一種の宗教なわけだな。
、なぜ、こんな意味不明な事が起きるか?。それは人のコミュニケーションや社会の成り立ちが、
一種の象徴に代表される形式をとってるケースが多いからだ。
それは、個人の自覚してる、してないを問わず、常にそういった影響化にあるという事。
、おれとか、最高位は、アンタの云ってること理解出来るんだよ。
そして、アンタもおれとか最高位の云ってること、理解出来てるんだろ?。普通に。
_
、いろいろ問題はあるけど。
ほとんどの・・・が、「使い道として通用しなくなってるって事」だろと。
_、つまり「害」になっている。
せかいは・・・。・・・なので、。
_
151 :
天才君:2008/09/26(金) 11:41:57 0
>>150 >アンタもおれとか最高位の云ってること、理解出来てるんだろ?。普通に。
はい。ようは、私は私の役割を全うしているだけです。
で、天才君は、みんなの言っている事も理解している。
その上で、各々は自分はどうするか?という存在の在り方を語らないかぎり、
「私」を記述しているとは言えない。こう天才君は絶叫しているんです。
だって、自分の体から離れた所に「私」はないでしょ。と、こう考える訳です。
152 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 12:04:16 0
言葉は信じるものではない。
言葉はその意味を理解するだけでよい。
言葉にとって信じることは余剰だ。
153 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 12:08:07 0
>>135 >カタカナで表わせば、単なる記号にすぎないことがよくわかる。
いや、カタカナで表しても「アイ」はアイ、「コイ」はコイだ。
動宿物の種名はカタカナ表記することが日本語のきまりだ。
154 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 12:14:16 0
>>135 >言語自体に(内在的)意味があるのなら、使い方など関係ない。
言語自体に意味がある。だから言葉として通用する。
自然語では使い方の規則(文法)など後からできる。
誰かが恣意的に言葉を発するところから言語は始まった。
はじめに言葉あり、というとおりだ。
はじめに規則あり、ではない。
はじめに規則があるのは形式言語としての人工言語だけだ。
エスペラントははじめに規則があった。
サンスクリットははじめに規則があった。
ラテンははじめにはじめに規則があった。
>>153 「アイ」にどんな意味があるのですか。
>>154 自然言語では、意味は使い方しだいで相手に通じたり通じなかったりします。
いわゆる「文法」は規則のごく一部です。
言葉が発せられるたびに規則(意味)が産出される、といったほうがいいでしょう。
その幾ばくか(たとえば詩人のそれ)は国語に影響を与え、時にはその体系を揺るがしたりもします。
源氏物語の「あわれ」には今日的な「あなたはあわれな人だ」という使い方はありません。
しかし、いまではそれで意味が通じます。言葉は昔のままですが、使い方が変わった一例です。
が、今日的な「あわれ」も厳密にいうと「かわいそうな」という意味か「なさけない」という意味か、
これだけでは不明です。
言葉(単語)は文章において意味を持ちます。では文章に意味があるのでしょうか。
文章は全体の文脈の中でしか意味を持ちえません。文脈は……
はじめに言葉ありきのそれは「ロゴス」という意味です。規則性を含む表現です。
人工言語の規則は「文法」を指しています。ゲームでいえば、ルールのことです。
ルールを知ることは必要です。
が、それでそのゲームを理解したことにはならないし、実践で即役立つわけではありません。
156 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 14:53:07 0
書は言を尽くさず、言は意を尽くさず
157 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 15:24:32 0
意が始めにあるわけではない。
158 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 15:44:17 0
アイであれコイであれ、イヌであれ、同一の共同体を前提にしている。
日本語に初めて出くわした外国人には音声という他に意味などないよ。w
159 :
天才君:2008/09/26(金) 16:48:30 0
表情だって、ボディーランゲージだって、アイコンタクトだって、
言語と言えるし、むしろ、秘密のキーワードで、敵味方を区別したり
使うのも言語だからね。
「山」と言ったら「川」と答える。このような馴れ合いによって
仲間を見分けるが、同時に敵を創るのも仲間意識だね。
言語の違いにより、仲違いさせることは簡単さ。
喧嘩させるならば、通じるようで通じない者とを対峙させればいいし、
まったく通じない者どうしを対峙させても喧嘩すら起こらない。
その時は、別の言語、ボディーランゲージを使うしかない。
ボディーランゲージが通じない体であれば、表情だったりするが、
最後には、コミニュケーションする気があれば譲り合うだろう。
160 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 17:19:33 0
161 :
天才君:2008/09/26(金) 17:21:55 0
「意」は言葉ですよね。
動植物の絵には意味がありますか?
163 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 17:39:38 0
>>159 あんたの言語じゃだれにも通じないわな。ご愁傷様。
164 :
天才君:2008/09/26(金) 18:02:23 0
>>163 >あんたの言語じゃだれにも通じないわな。ご愁傷様
あなたは一体、誰にむかって、何を言っているのでしょう?
ご自身の矛盾に目覚めましょう。
165 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 18:08:58 0
>>164 うん、なかなか切り返しがうまいな。見直したよ。
俺は、あなたの言語が日本語だってことしかわからない。
そういう意味でいったの。
166 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 18:18:43 0
>>157 >意が始めにあるわけではない
「いろは」順なら意が一番でいい。
「あいうえお」順なら「あ(吾)」が一番かな?
「いろは」を教えないで「あいうえお」で義務教育するから
吾が一番の自己中ばっかり増えたのかな?
おいらの子供時代は胃が一番だったな。まずは食い物の確保・・・。
天才君とやらは何の為にここに来てるの?
168 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 20:03:58 0
↑自慰行為するためだろ。www
169 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 20:35:33 0
>>162 だれの(たとえばピカソの)絵であれ、それ自体に意味(価値)が宿っているわけではない。
171 :
カツオ:2008/09/26(金) 20:43:15 0
姉さん、カレー味に意味はあるのかな?
>>170 質問の意味、教えてくれる?
君がピカソの絵に感動したときの君の心のなかにある。
もう一つは、このピカソの絵に市場で10億円の値がついていて、
そのことを君が知っている場合。
>>171 「それ、どんな味?」「カレー味」
この場合のカレー味は一応、意味を持っています。
しかし、カレー味を知らない人は「カレー味って、どんな味?」
と、聞くでしょうね。なんて答えます?
174 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 21:21:10 0
>>173 味などの感覚に関する言葉はカレーならカレーの実物を食べさせ
その意味を実感させるのが確実だね。
ものの名前なら実物の色・形を見せればいい。
天才君は、非常に珍しい思想家だ。
唯心論者で創造神を信じていて、それでいて個人の自由意志を信じていない。
例えば、最高位なんかは、私の記述が絶対にできないため、人の意志の発生の因果律を求めることができず、
因果律から独立した自由意志が存在すると信じている非決定論者だ。
おれは決定論者で、個人の内側による主体性はあるが物理的因果律から離れた自由意志はないと思っている。
天才君が決定論者なのか、非決定論者なのかわからないが、
なぜなら、神の創造とやらで自由に因果律を変えるかもしれないから、
そこのところをはっきりさせてくれれば、天才君の思想に賛成はしないが否定はできない。
176 :
カツオ:2008/09/26(金) 21:35:12 0
姉さん、普通言葉って聴覚や視覚を記号に使うでしょ。
だったら、味覚も記号に使えるんじゃないかな。
177 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 22:12:21 0
>>176 >だったら、味覚も記号に使えるんじゃないかな。
残念ながらヒトの脳の構造によって味覚は言語にならない。
あと手話があるように触覚は言語になる。
言語は視覚による文字言語・音声による言葉・触覚による手話
が脳で統合され情報と認識されることにより成立する。
もちろん味覚を不満足ながら言語表現することは可能だ。
味覚言語がないということだけ。
178 :
天才君:2008/09/26(金) 22:31:06 0
>>175 >神の創造とやらで自由に因果律を変えるかもしれないから
この部分に気づかれたという事は素晴らしいですね。
創造ですからね。我々が思い描くちんけな創造じゃないですからね。
また我々が思い描く大それた創造でもない。また我々とは別に存在している
わけでもなく、別に存在している。これらも包括しており、また、
それに属しているわけでも無い。
しかし神によって天才君の体はこの記述を今つづっている。
ここがポイントです。私が「神」というとき、その主体である「神」は、
なんでもいいのです。「私」でも、「他」でも「言葉」でもあらゆるものを
含む事ができる。なぜならば、神の創造物であるからです。
ここが神の不思議さであり、神は全てに顕れている。また、
全てが神であるからどこにも原点も原因も主体客体すら無い。
主体は人間の創作に過ぎません。つまり天才君に主体は存在していない。
存在している形態をとって、みなさんと接している。それだけの事です。
179 :
天才君:2008/09/26(金) 22:35:55 0
>>165 >あなたの言語が日本語だってことしかわからない。
それで十分でしょう。
>>167 > 天才君とやらは何の為にここに来てるの?
それを問うならば、天才君はここに居て、文章を読んだのは
天才君ではない。
何故、これを見ているのですか?あなた自身に問えば解ります。
>>168 > ↑自慰行為するためだろ。www
だそうです。
●このように神は天才君抜きでも天才君ありきでも、
答えは神自身が持っている訳です。
180 :
天才君:2008/09/26(金) 22:45:26 0
言葉も聴覚も視覚もなんでもそうですが、
経験から蓄積された記憶は、既知であり、
言葉のやりとりだけなら既知のやりとりです。
言葉は経験中に発せられるのが動物の営みです。
経験には肉体がセットで同時に行為を行います。
言葉だけが一人歩きして、議論、あるいは対話は成立しないのです。
議論や対話と思っている論者は、実は画面に向かって、
画面に話をしているだけです。この事実を肉体をもつ者は受け入れね
ばならないと思います。
ここはバーチャルでありリアルでは無いのです。
このでの話は全てバーチャルな出来事であることを忘れてしまうと、
思想と身体との区別もつかなくなります。
もっとも天才君はバーチャルにでも肉体感覚はもってゆきますが…。
また、徹底的に捨てる事もしますが…。つまりどうにでもなるって事です。
だからバーチャルにもリアルにも、ハマル必要もないという事です。
天才君が何の天才なのかわかった。
話をはぐらかすことにかけて天才と言うことだね。
182 :
天才君:2008/09/26(金) 23:16:12 0
>>181 天才君は天才君ですよ。
話をはぐらかさないで下さい。
183 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 23:18:30 0
>>137 >この国(の法)では、公的な場で特定の相手に「お前はバカだ」と
>罵れば罪になる。記号の使い方は(内語・独語を除けば)自由ではない。
この国の憲法では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、
これを保障する。」となっている。だから政府行政と民間の間で表現の
自由に関する訴訟が絶えることがない。
184 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 23:21:57 0
185 :
181:2008/09/26(金) 23:48:29 0
>>182 181では何の話をはぐらかしているというのか。
あなたは一方的に話してるだけ。みんなの言うことを聴いているフリをしているだけ。
自分の述べたことに対しての質問にまともに答えようとしない。あるいはできない。
双方向でなく、みのもんたが電話で答えない種類のアナログTV放送やCMみたいな
もんだ。
少なくともそう思われても仕方がない。
だから自慰だという表現も出てくる。しょうがない。
もう邪魔だから来ないでくれという意見もでて来る。しょうがない。
サッカー中継を観たいと思っている人にとって、たびたびCMに中断されることは我慢
がならない。そのようなことだといわれても仕方がない。
181はそのような種類のTV放送に向かってはぐらかすことはできない。
単に思ったことを言ったまで。
186 :
天才君:2008/09/26(金) 23:48:57 0
>>184 そうです。だから言葉に意味はないですよと、
再三申し上げている次第です。意味を創りたいならば…。
例えば、天才君の意味を創りたいならば…。
創ればいい。しかし天才君は天才君だ。意味は無いです。
187 :
天才君:2008/09/26(金) 23:51:15 0
>>185 > 単に思ったことを言ったまで。
でしょ。で、あなたはのしている事も、
>>185に書いてある通りという事です。
188 :
考える名無しさん:2008/09/26(金) 23:54:35 0
>>186 いや、いや、言葉は分別のためにある。
分別は情報を作り出す。
同語反復は分別がないから情報量がゼロだということ。
どんな言葉にも意味はある。
189 :
天才君:2008/09/27(土) 00:02:56 0
>>188 ならば、私が発信している情報量は、ゼロという事でしょう。
190 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 00:53:59 0
>>186 同語反復って言葉の意味しってるか?おばかさん。
191 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 01:04:08 0
>>189 そうだね。
無分別や自己矛盾は情報量ゼロだね。
情報量ゼロと無意味はまた違うね。
情報量ゼロでも意味はある。
情報量は意味を問題にしていないから。
192 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 02:20:17 0
言葉に意味(力)が無ければ、伝えられない。
伝えられないようなものは、道具ではない。
自分で分っているように相手に伝えられるとは言えないが、
もともと無力・空虚ならば、アバウトなものでさえ無い。
他者の言葉に耳を傾けるということはなく、言葉を憶える必要もない。
空虚なもので何かしらのものを創出することは不能であり、
言葉の使用で混乱がおきないように辞書を作る必要もない。
193 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 02:23:35 0
無力なものは、気づかれもしない。
無力なものであると、語られもしない。
194 :
天才君:2008/09/27(土) 07:44:24 0
>>190 つまりあなたにとって、天才君は、「おばかさん」という帰着ですね。
でも天才君は天才君のままです。
195 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 07:49:46 0
/: ⌒V⌒ ヽ
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196 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/27(土) 07:56:25 0
>>175 「てんさいくん」は10年に一度の逸材だぜ。
、が世間一般には理解されがたいが。 ...
197 :
天才君:2008/09/27(土) 08:11:37 0
>>191-193 天才君が行っている事は、ご説明のとおり、「力」です。
結論から申し上げれば、人は、力にしたがっているんです。
論理でも、真理でも、他あらゆる言葉にしたがっているのではない。
客観性や流行でも「力」で決まります。
学校のテストも、社会での正誤も、善悪、倫理もそうです。
哲学も同じです。論理性で導き出された「力」は空っぽです。
それも、勝てば官軍というような、その場かぎりの「力」ではない。
「力」を簡単にいえば、「本当」の事です。
だって本当の事は本当の事だから本当でしょう。
つまり嘘でも虚像でもないから、追求に唯一耐えうる、
あるいは、攻撃、批判、独断そのたからの支配全てにも宿っている一つのもの。
俗に言う真理というものでしょう。
本当にそうですか?と尋ね続ければ、最後には、虚像が「本当」に屈する訳です。
ならば、最初から本当の事を言えばいいんです。
私がやっていることは、このように簡単な事です。
「力」は「素直」「率直」「正直」って事です。俗に言う良心、徳、仏、神
そういったものに我々は従うようにできています。
なんたって最後は神頼みですから。こんな風に天才君は力について考えます。
198 :
天才君:2008/09/27(土) 08:21:07 0
>>196 私自身はこう思います。
私は、唯一無二であり、天上天下唯我独尊、天下無敵です。
これは、天才君に限らず、万人がそうです。
ただ、目覚めれば…。ですが。
なぜ、人は神であることを自分自身で、否定するのでしょうね?
また否定しあうのでしょうね。
199 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/27(土) 08:30:16 0
>>198 適当でいいんじゃねの?。
、おれは、スパルタとか反対だから。
200 :
天才君:2008/09/27(土) 08:30:17 0
では、みなさん、この天才君の意味の無い発言はさておき、
意味のある、有意義で、具体的かつ論理的な話をして
様々な解釈の創造を行い、多様性の貢献につとめようではありませんか。
間違っても、意味の無い話は無しという事で…。
よい終末を。←訂正、よい週末を。
201 :
天才君:2008/09/27(土) 08:31:28 0
>>199 そうです。おっしゃるとおり、本当は適当でいいんんです。
そこが、私のバカたる所なのです。
202 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 08:57:32 0
自然の摂理があれば神なんかいらない。
203 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 09:48:23 0
どんな力も出会いがなければ働かない。
すべての相互作用は接触から始まる。
物と物との衝突、光と物の衝突、すべては出会いあってのことだ。
あなたに 会えて よかったね きっと 私
205 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 09:59:02 0
会うは別れのはじめ、ともいう。
206 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 10:01:17 0
>>197 >学校のテストも…
天才君ってよっぽど学校の勉強にコンプレックスがあるみたいだな。
こんな小さな地球(ほし)では きっと 出会ってしまう
二人 別れ告げても
208 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/27(土) 10:18:03 0
なんかキメェ流れなってる。「てんさいくん」 なんとかしろ.
209 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 10:21:07 0
てんさいは忘れたころにやってくる。
210 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 10:23:49 0
ジョニー!
>>208 認識に於ける「出会い」とは?
「知覚・感受」或いは接触?
「分別・識別」或いは「(所謂)認知・認識」?
認識に於ける「別れ」とは?
「忘却」?
「否定」「却下」?
「捨象」?
212 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 12:25:46 0
知識
213 :
カツオ:2008/09/27(土) 12:31:21 0
>>177は脳の構造だっていうけど、どうして味覚は言葉になり難いんだろう?
何か条件でもあるのかな。父さんはどう思う?
214 :
天才君:2008/09/27(土) 13:17:20 0
>>206 いいえ、学校の勉強が、私にコンプレックスを持っているのです。
学校の勉強って何かしっていますか?
「洗脳」です。「このように考えなけらばならない。」
天才君はどのようにでも考える。
教育自体が洗脳です。このように天才君は考えますね。
さらに哲学など勉強するなど、最悪です。
哲学ができなくなるだけです。
そして受験勉強などしたら人生棒に振ります。
しかしシステムの道具としてよく機能する肉体改造を行う事は可能です。
>>208 私がなんとかするのではなく、神がそうしている訳です。
システムドッグ(群衆・及び文部省派)は、具体的な事柄や言葉によく、反応します。
会話は着々と進行し、挙げ句の果てには、堕落することに耐えられなくなり、
堕落者を勝手にでっち上げて、自らの堕落点の位置を見てくれ上
上げようという試みに発展します。その場で、「君らは…」と登場するのが、
哲学者最高位という神のシナリオでしょう。どうぞごらんください。
215 :
ネオマトリクス:2008/09/27(土) 17:02:16 0
脱出先は未開惑星。媒体となるのは不自由な化学反応。
周囲に存在するのは
自分と同じ形状の哲学的ゾンビの群れ。
苦痛を代償に金を得て生存し余った金で
快楽を得る文明。
ここで何十年もの体感時間を過ごし
原始的な生活を送ると?
転送先にしっぱいですなw
216 :
満豚:2008/09/27(土) 19:10:05 O
僕がなんとかしよう(笑)
217 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 19:11:41 0
>>213 >どうして味覚は言葉になり難いんだろう?
味覚だけでなく臭覚(におい)も言語になりにくい。
なぜかは脳の構造による。構造は機能を決める。
脳の中で臭覚、味覚は意識されることが非常に少ない。
意識される前に体の反応が起こるのが味覚や臭覚だろう。
また味覚や臭覚が人間の身体のコントロールに従わない
事も言語化できない要素だろう。
音声にしろ文字にしろヒトは筋肉を微妙に制御して
それらを作り出す。すなわち言語はヒトの筋肉の制御
により作り出される。においや味はヒトは自分の体で
思うように作り出せない。だから味覚や臭覚は言語と
して適さず脳の構造も味覚や臭覚を意識化する方向に
進化しなかった。
味覚や臭覚は身体の中で無意識に本能的に反応される。
218 :
満豚:2008/09/27(土) 19:11:46 O
24:考える名無しさん :2008/09/24(水) 14:21:41 0 [sage]
あと、前スレで満豚くんが意味の指示対象説の批判してた。
俺も前々スレで指示対象説には批判的な書き込みしたけれど、正直満豚くんの論駁は成功してないと思う。
いくつかあるけど一つ挙げれば、
>「「瓶の中に蝿がいる写真」の意味は瓶の中に蝿がいる写真」という言語表現はトートロジーである。
これはトートロジーじゃないよね。
前の「瓶の中に蝿がいる写真」は言葉だけど、後のは指示対象、つまり実際の写真だから。
219 :
満豚:2008/09/27(土) 19:15:13 O
>>24 では、僕の論駁が本当に成功していないかどうかを一緒に検討してみよう。
確かに自分で読み返しても説明不足のために飛躍的な結論を導いている箇所があることを認める。なにぶん僕はいつも仕事の合間に書き込んでいるので。
しかし、君のこの指摘は的外れだということは最初に言っておく。今回は補足をかねて書こうと思う。
>前の「瓶の中に蝿がいる写真」は言葉だけど、後のは指示対象、つまり実際の写真だから。
そんなことはもちろん分かっている。その前提で僕はトートロジーだと主張しているんだ。その時の僕の書き込みをもう一度よく読んでほしい。
それに、後ろのは指示対象ではなく“解釈”だ。トートロジーは、常にこの解釈によって引き起こされる、というのが僕の結論だし、前回もそう書いたはずだ。
一つ超単純な指摘をあげておく。指示対象をもってこようが、その他の何をもってこようが、意味の説明において同語を反復させれば、それはトートロジーだということだ。(単純な指摘終わり、と同時に君からの反論に対する反論も終わり)
220 :
満豚:2008/09/27(土) 19:17:51 O
>>続き
ここからは、補足に入る。
もしも、意味の指示対象説が正しいのならば、君の言うとおりその実際の写真が「瓶の中に蝿がいる写真」という言葉の指示対象であり意味だということだ。
だから、もしも意味の指示対象説を擁護し、且つトートロジーを避けたいのならば、こう表現しなくてはならない
「「瓶の中に蝿がいる写真」という言葉の意味は、指示対象であるその実際の写真である」
と。 ここでもう一つ超単純な指摘をあげておく。それはもし意味の指示対象説が正しく、人は言葉の意味をそのように理解し、共有しているのならば、
「「瓶の中に蝿がいる写真」という言葉の意味は、指示対象であるその実際の写真である」
という、この言葉の指示対象は何なのか?というものである。仮にその指示対象があったとしよう。ではその指示対象の指示対象は? ……以下同文。
これではいつまでたっても言葉の意味を理解出来ない。
しかし実際に人はほぼ一瞬の内に言葉の意味を理解しているというのに。故に意味の指示対象説は間違いである。(2つ目の単純な指摘終わり)
221 :
満豚:2008/09/27(土) 19:19:59 O
>>続き
この2つ目の単純な指摘はとても重要なのでもう少し補足したいと思う。
これはおそらく意味の指示対象説批判において決定的なものになるだろう。話を単純にするために例えを「りんご」という言葉にする。
例えば「りんご」という言葉の意味について指示対象説を擁護する者がトートロジーを避けて相手に説明する場合、
おそらくこんなやり方が一番手っ取り早ように一見思われる。それは実物のりんごを指差して「これだ」という、やり方だ。
しかし、繰り返しになるが意味の指示対象説が正しく、人がそのように言葉の意味を理解し共有しているのならば、
その説明を受けた相手は「これだ」という言葉の指示対象を探さねばならないだろう。天才君は前回「満豚君、そんなことも分からないのかい?(笑)」と言っていたが、これに対しこういった反論が考えられる。
その反論とは「「これだ」という言葉の指示対象はこの場合、実物のりんごだ」というものである。
しかしこれでもまだ問題は解決されない。何故なら、その説明を受けた相手はまた「りんご」という言葉の指示対象を探さねばならないからだ。
しかし実際は「これ」「〜という」「言葉」「〜の」「指示対象」「〜は」「この」「場合」「実物」「りんご」などの言葉の指示対象も探さねばならないだろう。一番の疑問は「指示対象」という言葉の指示対象とは一体何なのか?というものだが。
222 :
満豚:2008/09/27(土) 19:22:04 O
>>続き
話を戻そう。指示対象説を擁護し且つトートロジーを避ける表現は
「「瓶の中に蝿がいる写真」という言葉の意味は、指示対象であるその実際の写真である」
であった。この場合、指示対象である実際の写真、つまりその言葉の意味は無限の言葉の指示対象でもあり得てしまう。
「瓶の中にライオンがいない写真」「瓶の中に天才君がいない写真」等々の文章。解釈というやつだ。
「これは何の写真なのかを当ててごらん」と、その実際の写真だけを見せられた人達全員が口を揃えて
「これは瓶の中に蝿がいる写真だ」と答える事態は非常に奇妙だろう。もしかしたら、「この写真は僕の妻の浮気を証拠付ける写真だ」という人がいるかもしれない。
言語自体に(内在的)意味があるのかないのか・・・なんていう話は不毛だな・・・
「内在的」の〈意味〉が曖昧だし、〈意味〉の意味も曖昧だ。
一つ一つの言葉は過去の無数の人たちが込めた無数の〈意味〉を担っているから
それらの〈意味〉が内在化して言葉そのものが意味をもっているとも考え得る。
224 :
満豚:2008/09/27(土) 19:23:57 O
>>続き
指示対象説を擁護したいのならば、指示対象であるこの実際の写真から無限に導かれる数々の解釈の中で「瓶の中に蝿がいる写真」という解釈を何らかの方法で区別しなければならないだろう。
しかしその方法とは恣意的以外のなにものでもないはずだ。
実際の写真である指示対象を違う解釈にした場合、例えばこんなものがあるだろう
「「瓶の中に蝿がいる写真」という言葉の意味は指示対象である瓶の中に天才君がいない写真だ」。しかしこれは非常に奇妙な表現だろう。
225 :
満豚:2008/09/27(土) 19:25:10 O
>>続き
「瓶の中に蝿がいる写真」という言葉の指示対象とは実際の写真だった。
その実際の写真から、「瓶の中に蝿がいる写真」だという恣意的な解釈をもってきて
「「瓶の中に蝿がいる写真」という言葉の意味は瓶の中に蝿がいる写真だ」と表現するこの文章がトートロジー以外の何だというのだろうか?
ここで指示対象説側からこういった反論が考えられる。「言葉の意味とは、指示対象と解釈によって理解される」
ならば僕はこう聞き返そう「では、その「瓶の中に蝿がいる写真」という解釈の指示対象とは一体何なのか?」と。
226 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 19:26:24 0
>>219 >意味の説明において同語を反復させれば、それはトートロジーだと
>いうことだ。
「リンゴ」という名前はリンゴ(指示対象)を示す、はトートロジー
だというわけ?
じゃ、「リンゴとはリンゴ性を持つ果物である。」はトートロジーではないだろ。
リンゴとリンゴ性じゃ同語反復とはいえない。www
>>226 >「リンゴ」という名前はリンゴ(指示対象)を示す、はトートロジー
だというわけ?
トートロジーではないだろ。
その人が「リンゴ(指示対象)」と思っているものに対して
その人がそれに一致すると思っている「リンゴ」という名前を対応させた
ということだろうね。
つまり実際に対応しているかどうかは別として、その人が対応している
と思っているということを表している。
228 :
○丸:2008/09/27(土) 19:42:13 0
指示対象の指示は方向をいうのであれば、対象を
指すってことじゃ???
229 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 19:51:24 0
230 :
満豚:2008/09/27(土) 20:20:38 O
>>227 明日か明後日にまたくるよ(笑)
僕は家の中と休日は書かない主義なんだ。
231 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 20:28:34 0
てst
. /ヘミミミ/ ``'ー-.、,ヽ丶)ヽ、
、. レ"ヾヘミミ/ ヽソノ;、ヾi
_ヽlヾミミミン -zュ、、 ´ ';ソ:|
i A;ヽミミゾ ,__,.、,、,..,、、.,、,、、..,_ /i
| | iミミソ ヽ;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゙:.:゙:`''':,'.´ -‐i
| ヽiミソ ''、;: ...: ,:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙  ̄  ̄ /i
゙iー:ソ ,、-' |ヽ,;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゙:.:゙:`''':,'.´ -‐i
ノソ ` = _, | '、;: ...: ,:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙  ̄  ̄
. "! ,.r===;-、, ` '′ ,'
ハ. / ヽ、 ヽ,) ノ
,r'イ ', l!、埋め ゙i ./ ,.'
. i | ', iゝヽ..ノ,イ /
. !│ ヽ ゝ.二 '´ /.│
. ! | ヽ / !、
. | | >‐‐ァ" | \
| | ,、r'" ,、r''" / \
232 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/27(土) 20:28:35 0
>>まんぶた
あたりまえすぎる内容をどうも.
、現代人は、「意味の否定」から入ってるケースが多いから、事実性自体は問題じゃ無いかもしれんのな。
_
あ
233 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 20:29:07 0
. /ヘミミミ/ ``'ー-.、,ヽ丶)ヽ、
、. レ"ヾヘミミ/ ヽソノ;、ヾi
_ヽlヾミミミン -zュ、、 ´ ';ソ:|
i A;ヽミミゾ ,__,.、,、,..,、、.,、,、、..,_ /i
| | iミミソ ヽ;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゙:.:゙:`''':,'.´ -‐i
| ヽiミソ ''、;: ...: ,:. :.、.:',.: .:: _;.;;..; :..‐'゙  ̄  ̄ /i
゙iー:ソ ,、-' |ヽ,;'`;、、:、. .:、:, :,.: ::`゙:.:゙:`''':,'.´ -‐i
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ハ. / ヽ、 ヽ,) ノ
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234 :
24:2008/09/27(土) 20:29:34 0
>>219 > 一つ超単純な指摘をあげておく。指示対象をもってこようが、その他の何をもってこようが、意味の説明において同語を反復させれば、それはトートロジーだということだ。(単純な指摘終わり、と同時に君からの反論に対する反論も終わり)
同語反復ならトートロジってことにはならないでしょ。
繰り返しになるけど、「○○の意味は○○だ」という文章表現で最初の○○は言葉で後の○○はその言葉が指す対象なんだから。
この表現でその人が言いたいのは「「「瓶の中に蝿がいる写真」という言葉の意味は、指示対象であるその実際の写真である」(
>>220)ということでしょ。
要するに「言葉の意味は指示対象だ」という主張を具体的に展開して見せただけの文。
いきなりすみません
2ちゃんねるってなんですか?
236 :
考える名無しさん:2008/09/27(土) 22:12:39 0
>>235 >2ちゃんねるってなんですか?
ここはどこですか?
>>236 2ちゃんねるの【私】を記述してください【私の存在性】24哲学板の自分がよく読む文字の世界
失礼しました
その言葉の指示対象が「物」なら、たとえば「リンゴはあれだ」と果物のそれをゆびさせばいい。
さされたほうも意味がわかったような気持ちになるかもしれない。
しかし、だれかが指摘していたように、それは「名前(との対応)」を教えているにすぎない。
“意味”を教えたことにはならない。
たとえば「天皇」とは?という質問に、陛下をさしてもその意味を語ったことにはならない。
あるいは「危険とは?」と問われて何をさすのだろう? 「愛」でもいい。w
「意味」は比較的新しい言葉だ。ここでは“言葉の内容”ほどの意味wに使われている。
「リンゴ」という言葉の内容が“リンゴ”だって?
239 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 02:41:12 0
リンゴの意味は当のものの「五感像」だ。
つまり感性的なイメージである。
天皇は「関係性」において「ある」ので関係性が
「了解」されていなければ「意味」はわからない。
240 :
192・193:2008/09/28(日) 02:53:31 0
>>197 言語もまたシステム。
車両や人や道路等が無ければ交通が成り立たないように
ことばに意味・規則性等の力がなければ、言語システムは成り立たない。
従う・従わない、という話は、ことばに意味があってはじめて成立する。
241 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 03:01:18 0
一般的に「了解されていること」が「一般的意味」だろうね。
242 :
192・193:2008/09/28(日) 03:17:37 0
「言葉」は、思いを伝える力。
自分の感覚や思いが直接相手にも分る訳は無いので、言葉が「力」となる。
手振り、身振り、目配せ・肩を叩くといった動作も一種の言葉(伝える力)として機能する。言葉の意味が「無」であるということは、何を「伝えない」という事になる。
243 :
192・193:2008/09/28(日) 03:19:53 0
何を「伝えない」→何をも「伝えない
244 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 06:31:27 0
ここのスレタイも意味不明な日本語だ。
「私を記述してください」
普通の日本語では
「私について記述してください」
だろう。ちがう?
「私は記述してください」
「私が記述してください」
「私に記述してください」
これらはいずれも意味不明だ。
「てにをは」にも使い方のきまりがある。
245 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 06:36:41 0
「システム」というのもあいまいな言葉だ。
普通「なんとかシステム」という場合の「システム」
はなくても意味が変わらない、すなわち「システム」
には意味がない場合がほとんどだね。
元システムエンジニアが言うのだから間違いない。(笑)
246 :
天才君:2008/09/28(日) 07:32:15 0
日本語に意味不明があるのでしょうか?
また、言葉の使い方に間違いがあるのでしょうか?
もし間違いがあるのなら、それは、正解があるという信仰に基づいていると
天才君は思う。しかし日本語に、つまり言語に正解などはない。
もともと人間の創作品なんだしね。
言葉については、192・193さんの発言に、私は「力」を感ずるね。
247 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 09:10:16 0
日本語に限らず言語の使い方で意味不明になることもあり
間違いになることもあるのは常識だ。
間違いには誤解も含まれるから必ずしも正解が一意にある
ということを意味しない。
会話では意図したことがそのとおり伝わればまずは正解だ。
248 :
192・193:2008/09/28(日) 09:10:50 0
システムは制度や方法、機構(仕組み)のこと。
言語制度という言葉もある。また、
「思いを伝えるための方法・仕組み」として言語が機能するということ。
「居るということだけでは、思いは伝わらない。言葉で相手に思いを伝え合う」
という方法・仕組みが人間世界にはあるということである。
249 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 09:18:42 0
>>248 >システムは制度や方法、機構(仕組み)のこと。
・・・であるならば、「システム」とは言わずそれぞれの
正しい日本語で言えばよい。「システム」は不要だ。
神経システムといわないでも神経系でわかる。
言語システムは言語だけでよい。
250 :
248:2008/09/28(日) 09:35:09 0
>>249 言語をシステムとして捉えられるというのは、
たとえば、日本語を公用語として定める(制度)ということがあり、
言葉を用いるという方法があり、「言葉で伝え合う」という仕組みがあるということを
包括的に述べたのであって、「システム」を付け加えるべきだと主張したのではない。
251 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 10:51:28 0
>>250 >日本語を公用語として定める(制度)ということがあり、
現在の日本国においては「公用語」を法制度として規定している
事はない。「日本語」とは何であるかの定義も法律ではされていない。
252 :
250:2008/09/28(日) 11:46:53 0
>>251 多くの法令において、
「日本語」が唯一の公用語、ないしは国語である事が当然の前提とされている、
という事情がある。
で、日本語を公用語として定める(制度)ということを考えられるならば、
システムとして捉えられる、ということ。
253 :
250:2008/09/28(日) 11:52:55 0
ちなみに、
社会的に容認され、定型化されている決めごとや、慣習も制度なのです。
「法制度として規定している 事実はない。」ということで、
制度が否定されるわけではない。
254 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 12:26:14 0
制度は、
かならずしも法律によって定められるのではない。
近代化が進んでいない時代にも、
氏姓制度、身分制度、死刑制度、お祝い制度等、さまざまな制度があった。
「制度は法によって定められる」というのは
法制度化があたりまえの現代しか見ていないからだね。
255 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 13:12:03 0
日本は律令制の昔から明文化した法治主義・文治主義国家であった。
下知状、起請文、御法度をはじめ、請文・証文や訴状など明文化された
文書による行政が行われた。
標準語は人口言語である。
鹿児島人と青森人が公用で会話するため維新以降ににつくられたもの。
江戸時代にその土台はできていた。
標準語を私的な生活言語にしている人間は東京にもいないといわれる。
257 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 18:45:33 0
>>214 >そして受験勉強などしたら人生棒に振ります。
なんかてんさいくんってかわいそうなやつだな。
258 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 18:55:41 0
>>218 おい、ぶたさん。あなたのトートロジーの概念を定義してから述べなさい。
あなたの理屈だと「AはAである」がトートロジーではないということになる。
このこと説明できる?
ちなみに、論理学におけるトートロジーは、ぶたの議論上のものとはことなる。
では、トートロジーを定義せよ。
259 :
24:2008/09/28(日) 19:05:35 0
260 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/28(日) 20:18:04 0
なんか面白そうじゃん。
トートロジーか、ちょと勉強してくる。
261 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 20:21:27 0
>>259 ほんまや、これは失敬。
あなたのトートロジーの定義を聞かせてもらえるかい?
262 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/28(日) 20:32:15 0
俺とは(俺以外の如何なる者ではなく)まさにこの俺だってかw。
詰まらん修辞学だな。 遊び人の言葉以上の
たいした含み的意味はなさそうだな。
263 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/28(日) 20:48:37 0
映画の一場面なら監督の意志に従って色んな意味が込められ
てたり、観覧者の意志に従って色んな意味が見出されたりするが、
自然科学的に「瓶の中に蠅がいる状況」はまさにトートロジーだと思う。
まぁ、生物の擬態はまさにトートロジーであろうが、生物学な自然科学者は
まずトートロジーを認めない人種だねぇw。
トートロジーって写真みたいなもんだろ?。違うのか?。
264 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 21:01:03 0
俺は俺、というのは、他の人はどうあれ
俺には俺の考えがある。俺には俺進む道があるというようなことでしかないな。
俺は「俺という存在」である、と思い込んでしまっている人はいるけどね。
いかなるカテゴリーにも入れられたくないんだろうね。
265 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/28(日) 21:22:34 0
>否定できない真しか持たない命題をトートロジーという。
> しかし、ウィトゲンシュタインを引用すれば、『トートロジーと矛盾は現実の像ではない。
>それはいかなる可能な状態も描出しない。前者は可能な状態のいずれをも許容し、
>後者はひとつとして許容しないからである。(ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」)』
ネットから引用してきた。おおお。
266 :
天才君:2008/09/28(日) 21:23:42 0
>>257 かわいそう?
受験勉強などをしたら人生を棒に振ると発言している
天才君のことが可愛そうですか?
そりゃ不思議な感想です。
267 :
天才君:2008/09/28(日) 21:27:51 0
言葉という道具に各々こだわりをもってらっしゃるようですが、
道具は人間が使うものですからね。
言葉を使って、何をするか?ってのが人間を表す事であり、
つまるところ、個に置いては、「私」を記述する事になります。
言葉がシステムだの制度だのは確かにそうでしょうが、
制度を作ったのも人間であり、それを守るのも人間。
別に守らなくてもいいんです。つまり、前例にならわなくてもいいと
いうことです。「私」がそれを決めればいいという事です。
我々は人間であることを忘れがちですから。
268 :
動物君:2008/09/28(日) 21:36:24 0
動物君的な制度といえば、「血」ですね。
血筋といもので、家柄でもいいね。でも
家柄は社会性をはらんでいるから血筋かな。
子孫や先祖やらそいうものは制度ではないが、
この血から逃れて生まれてくる肉体はないですからね。
ただ、日本人の血や地球の血、世界の血というような
社会性に属している規範や倫理は肉体のルーツに
優先しないです。
時々、親を殺すバカもいますけど…。これは社会性を
優先させた肉体の末路を端的に物語る現象でしょう。
このように動物君は考えるね。
269 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 21:40:12 0
別に守らなくてもいいんです ではなく
変えてもいいんです ということね。
変えた所で 残るものは ございます ということです。
270 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 21:45:34 0
>>266 意味がわからんか?
>受験勉強などをしたら人生を棒に振る
というのは一般論でしょう。「受験勉強」しても「人生を棒に振」って
ない人間もいっぱいいるよ。(俺も勉強して「人生を棒に振った」とは
感じていないし、事実そんなことはない。数学が学べて面白かった。)
第二に、学校教育は「洗脳」だというけど、その具体的な証拠を挙げて
ごらん?学校で教えられる内容は、理論として正当性をもったものです。
逆に、論理的に妥当でない内容は、学校の勉強では普通教えられません。
現実から逃げちゃだめだよ。
271 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/28(日) 21:49:02 0
おおおおおお、トートロジーの発展系レスの応酬か。
こりゃ面白いぜwww。
>否定できない真しか持たない命題をトートロジーという。
www
272 :
動物君:2008/09/28(日) 21:51:58 0
言語に執着するってわかりますか?
根底にあるのは、平等精神です。
人間も動物です。弱肉強食であり、適者生存です。
これを肉体で考えれば、未来に残してゆく血筋は残るし、
絶滅する血筋は絶滅する。これが子孫を残す動物の逃れられない現実でしょう。
これは肉体ありきで考える場合であって、知恵や考えは、物質的形態によって
次ぎの世代に受け継がれます。そしてそれを取り込んでゆくのも、
適者生存によって継続された血筋です。
だから未来へつないでゆけない思想は、どのみち絶滅する宿命です。
それはどんな思想かと言えば、相対する思想の否定です。
取り込み包括する思想を構築できない思想でコントロールされた肉体は、
確実に弱者であり絶滅するという事です。
273 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/28(日) 21:54:51 0
アンチトトロが集まってまいりますたねぇw。
274 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/28(日) 21:55:48 0
アンチトートロジー=解釈学
って理解で100点もらえますよね、教授ぅ?。
275 :
考える名無しさん:2008/09/28(日) 21:56:59 0
>>271 ウィトゲンシュタインは確かにおもしろいんだけどさ、
>否定できない真しか持たない命題をトートロジーという。
って間違いだよ。なぜなら、否定できない命題など存在しないから。
あなたは何がいいたいの?
276 :
天才君:2008/09/28(日) 21:59:55 0
>>270 > 逆に、論理的に妥当でない内容は、学校の勉強では普通教えられません。
これは問題ですね。学校で教えられる内容は、理論として正当性をもったもの
だけだもの。でもあなたは、冒頭でこんなことを言ってますね。↓
>事実そんなことはない。数学が学べて面白かった。
まったく論理として正当性などない発言でしょ。
>現実から逃げちゃだめだよ。
何が現実なのかを解っている前提で、その言葉が語られるものです。
現実から逃げる事を教えるのが教育であり、受験勉強という自己洗脳行為では
ありませんか。
277 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/28(日) 22:01:28 0
>>275 それは引用しただけだけど。
キミはは何がいいたいの?
278 :
天才君:2008/09/28(日) 22:03:37 0
>>277 動物君および、天才君から言わせてもらうならば、
だたしい事があると信じているのでしょう。
こう思います。
279 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/28(日) 22:30:59 0
>>278 正しいことw。
自然科学や写真的画像に、如何なる正しさ(善し悪し)も存在しないだろう。
まぁ、そこに善し悪し的アンチトートロジーを持ち出すのが人間の基本的営み
なんだろうが、それって俺が一番嫌ってることだよw。
俺ってトートロジー主義者だったんだね。いまさらながら気付いてみたw。
280 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/28(日) 23:39:33 0
とーとろ?。とか当たり前ていうか。
あと哲学全般つか、現実によわい.
ヴィトーもマルクスもパースも、ペラペラ(薄)....
現代に通用してないだろと
281 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/28(日) 23:41:24 0
あほ次元
282 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/28(日) 23:46:39 0
283 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 00:00:04 0
教えたる。
「1+1=2」_がある。
_
1)しかし、(キリが無いが・・・)
「「」も「1」も「+」も「1」も「=」も「2」も「」」
_も、何も無い。
しかし、これは序の口。
_
2)基本的に、人の知能は「1+1=2」を好みやすい。
_
_だいたい、この2つ.
284 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 00:01:04 0
>283(つづき.
しかし、真の解答は、
「おれ」でも無いし、「ラプラス」、「てんさい」、「名無し」.でも無い。
_
これだと意味不明になる。しかしそうなのだ(真実がそうなっている)。
_
、キリが無いので、これくらいにしとく・・・。
_
たださっき、おれは決定論を完全突破した。
、ただ現代社会では(昔からどうだが)、普通ではこの決定論を突破出来ない。
そういう仕組みになっている。
、これは根が深い問題になっている。
_
つづきはアンタラで考え。ろと.
_
それと過去の、哲学者のLVはゴミだ。
、おれからしたら。もう今では使えない。_
285 :
マハポーシャ君:2008/09/29(月) 00:08:23 0
※相対的評価でも是非でもなんでもいいけれど、相対の片方の側に
自分の思想を置くというのは、思想であるという自覚があれば、
自らの思想自体を客観的にみることができるでしょう。
しかし自らの思想を絶対視するのは、思想と身体の同一化を起こしている肉体である。
こう天才君は表現します。思想は思想でどこまでいっても、物質にたどり着けない。
これが論理というものです。論理で物質を生み出す事はできない。要素が必要であるからです。
但し、思考を物質として考えるならば、論理も物質同様に扱う事もできますが…。
このような事を話すと、この思想を、身体と同一化してとらえ、「そりゃないだろ?」と
考えてしまう行為が、思想と身体を同一化させてしまっているという事でも在るわけです。
しかし絶対的思想は存在します。全てを受け入れる事です。なぜならば、
全ての思想は実際、存在しているのですから。
但し思想はかならず創作者が存在し、その創作者の創造したものであります。
だからそこには、必ず、核になる要素が在る。
考えの核は、論理の前提ですし、思いの核は、信念・信仰です。
そしてその二つのより所になっているのは、なにを隠そう、「趣向」です。
つまり欲。力学では単に「方向性」です。どこに向かう方向性であり欲か?
神です。つまり全体。無分別。無個性。我の消滅です。
じゃあ、今、どうする?という所からまた、最初の冒頭の文→※に戻る訳です。
これが繰り返されるわけですね。マハポーシャ君談。
286 :
マハポーシャ君:2008/09/29(月) 00:24:45 0
毎度の事ながら、我や私などという個人などは、
社会制度内で、便宜上使うだけです。道具です。
肉体もこの環境に便宜上適応するような形に創られている。
創られたと言いましたが、これは時空という道具ありきの表現を
用いているだけで、今創られ、今消滅している。
それを時間差で我々は体験している。脳機能が物質で、その認知時間のズレ
から体験が発生する。こう考える事もできます。
人間はいずれ死にますが、死ぬ瞬間であっても、過去は在りません。
記憶としての過去はありますが、今しかありません。
死ぬのは、時空の認知なくなるのであって、現在、想像したり、
思ったり、考えたりできるならば、それだけの世界の住人となるという事です。
しかも個人が存在しないのですから、ま、俗に言う天国・地獄すきなような
世界に居ることができるわけです。あたかも他がいるとしても創作者は、
自分自身です。我々は神々という事ですね。個の視点を維持しながら
これをよんでも意味不明であると思います。
このような世界観を宗教は大抵思想しますが、本当の事です。
何故ならば、本当の事が今でもどこでも起こっているからです。
ようは、自分が自分の事をどう思っているのか?これをいつでも
どこでもだれとでも体験するわけです。これは本当です。
というか、嘘が存在しえないのです。
287 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 00:57:40 0
頭がいっちゃってるやつらが多いな。
もっと話ができるやついないのか?
>>283とかなんだ(笑)?
みんなこういう意味不明さが哲学だと信じてるのか?
288 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 01:06:08 0
>>285 わかりやすい。よくわかってる。
_
>>287 アンタは理解しなくて、良い。
、さいなら.*
_
289 :
天才君:2008/09/29(月) 07:20:18 0
哲学のベースが時空つまり論理・言語の支配下にあるならば、それは、
哲学ではなく、時空の解釈学です。時空の解釈学は不要であり、
物理学が在ればいいわけです。
さらに、哲学を学ぶ哲学などあるはずもなく、それは哲学史です。
哲学とは馬鹿な事を考えねば成立しないわけです。
そしてそれを時空内に引き戻して解釈し、論理的に説明することが
一般人が目にする哲学という著作でしょう。哲学は著作でもないですからね。
そしてまともな人間とはなんでしょう?それは、社会制度内、あるいは、
革新的な事、独創的な事など考えられない人間を指し、また考えても
それを公開しない人の事をいうのではないでしょうか。
だからまともな人間は嘘つきですね。、またまともな人間は哲学しませんね。
まともな人間は嘘を信じて、まともな哲学者は哲学の歴史に詳しいんです。
このように天才君は考えます。
290 :
満豚:2008/09/29(月) 10:19:19 O
>>234 もう一度よく読み直してから、出直してこい。
断言する、指示対象が言葉の意味ではない。
>>290 それは、
「指示対象」という語の『意味(或いは指示対象)』wを、
「真に指し示された対象」ととるか、
「文字列が(その言葉が)単純に、直接的に示す対象」ととるかで変わるのではありませんか?
つまり、『「指示対象」という語の“指示対象”は何か?』wを問わねば、話が進まないということです。
どこまでいっても平行線でしょうw
Aの意味はBである。
「Aの意味はBである。」の意味はCである。
「「Aの意味はBである。」の意味はCである。」の意味はDである。
・・・
Aの解釈はBである。
「Aの解釈はBである。」の解釈はCである。
「「Aの解釈はBである。」の解釈はCである。」の解釈はDである。
・・・
Aを言い換えるとBである。
「Aを言い換えるとBである。」を言い換えるとCである。
「「Aを言い換えるとBである。」を言い換えるとCである。」を言い換えるとDである。
・・・
Aの指示対象はBである。
「Aの指示対象はBである。」の指示対象はCである。
「「Aの指示対象はBである。」の指示対象はCである。」の指示対象はDである。
・・・
だから何なのさ(笑)
>>290 では、あらためて聞くが言葉の意味とは何ですか。
これは「言葉の意味」の意味とは何?という質問でもある。
294 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 11:02:59 0
Aの意味はBである。
Bの意味はCである。
Cの意味はAである。
・・・というように必ず循環するのが
辞書の言葉の意味の記述だ。
言葉を言葉で説明する限りそのようにしか言えない。
295 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 11:03:27 0
脳内イメージ
>>292 いや、その方向ではありませんw
形式を拝借するなら、
1:「Aという文字列の指示対象はA´であり、意味はA´である」
2:「Aという文字列の指示対象はA´であり、意味はBである」
3:「Aという文字列の指示対象はBであり、意味はBである」
というバリエーションがあるということです。
そして、「指示対象」が『A←→A´』という関係性のみを指し、“指示対象”と“意味”が違う場合があるならば、
1であり、2において『“指示対象”が“意味”とはならない』。3は成立しない。
※(“指示対象”と“意味”が同じことを言うのならば、2も成立しない)
もし、「指示対象」が『A←→B』という関係性も含み(真に指し示す対象をも“指示対象”に含み)、“指示対象”と“意味”が違う場合があるならば、
1・2・3全て成立するし、『“指示対象”が“意味”となる場合がある』ことになる。
つまり、3のケースに於いて、発話者が、Bを指し示す為にAを用いた時、
発話者にとっては、「指示対象は(その伝えたい意味は!)、A´でなくB」だ。
「“指示対象”の指示対象は“A´”のみ」とするか、「“指示対象”の指示対象は“B”であることもある」とするかで、
>>290 『>指示対象が言葉の意味ではない。』の正否が変わってくる、ということ。
>>296 すまん、A´とBの違いについて説明よろしく
298 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 11:54:04 0
指示対象は言語体系次第
意味は人次第 同じ記憶を持っているわけでは無いのだから
言葉に伴って想起される感覚と関連する感覚・記憶の連合具合も人それぞれ
たとえ同じ共同体で生き、酷似したルールや記憶を有していても
異なる認知過程を通して認識される内容が全く同じであるわけがない
299 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 12:05:23 0
すごい流れなってる。ここらを理解出来る人は少ない。はず.
300 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 12:05:29 0
言語について語る際、文字の存在を前提にしてはならない。文字の歴史は浅い。
それが用いられる遥か昔から言葉は使われている。
文字(言語)を考察の主対象にするのは、言語の本質的な側面を見落としたり、
溢れるほど存在する文盲の人たちを括弧に入れて語ることになりかねない。
連中は字は読めなくても喋る(言葉をつかう)ことはできる。
彼らの言語(生活)をも射程に組み入れて論述する必要がある。
ああ、そうか。こういう図の方が判り易いか・・・。
凡例;
(Aという文字列(或いは音声)の発話)・・・〔A〕
(Aという文字列(或いは音声))・・・ A
(Aという文字列(或いは音声)の直接的対象)・・・A´
((発話者の示す)意味)・・・A´或いはB
発話 指示対象?指示対象?指示対象?
↓ ↓ ↓ ↓
〔A〕 ― A ― A´ ― A´
〔A〕 ― A ― A´ ― B
〔A〕 ― A ― B ― B
>>297 例;雲門、ちなみに僧問う「如何なるか是れ仏」。門云く「乾屎厥」。
雲門禅師は、仏とはどういうものですか?と問われ「糞掻きべら」と答えた。
彼が示そうとしたのは「糞掻きべら(A´)」か「仏(B)」か?
例;洞山和尚、ちなみに僧問う「如何なるか是れ仏」。山云「麻三斤」。
洞山和尚は、仏とはどういうものですか?と問われ「麻三斤」と答えた。
彼が示そうとしたのは「麻三斤(A´)」か「仏(B)」か?
302 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 12:07:11 0
みんなアタマいいな。こういうのを、現実(?)で言うと、マジキチ扱いだけどね.
303 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 12:09:15 0
思考し過ぎて発狂すんなよ。W
あ・・・
なんか顔みたい・・・。
(A´) ←コレ
305 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 12:14:16 0
このスレは間違いなく、鉄痛、最高難度のスレ。
、無茶苦茶面白いんだけど・・・、理解出来る人が少ないのが難点か ...
306 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 12:20:25 0
>>301 > 雲門禅師は、仏とはどういうものですか?と問われ「糞掻きべら」と答えた。
「仏」には仏という指示対象がある。
「糞掻きべら」には糞掻きべらという指示対象がある。
それらの指示対象は当然異なる。
言葉が異なればその指示対象は異なるのが当然だ。
言葉のはたらきは物事を分別することにある。
307 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 12:23:56 0
>>294 それでいいとおもうが、その循環は共同体のなかでのみ起こりうる。
>>306 では、「指示対象」とは、
「文字列(或いは音声)の示す対象」であり、「意味」とは無関係。
ということでFAだね。
豚さん、おめでとう。どうやら君の言うとおりのようだw
309 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 12:31:16 0
>>307 >共同体のなかでのみ起こりうる。
共同体を離れた言葉なんて存在可能か?
310 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 12:35:52 0
311 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 12:36:46 0
>>309 それは「指示対象」の意味を知らないだけだね。
312 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 12:37:01 0
このLVの学問分野、でこの・・・いろいろの・・・、「それ」が何の役に立つのか・・・・。
もっと解明。明確になれば
、ノーベル賞の1つ2つ、フツーに獲れるくらいの、価値はある、領域_分野に 成る。
313 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 12:39:01 0
314 :
んくいさんて:2008/09/29(月) 12:43:35 0
.._ .......、._ _ /:/l!
:~""''.>゛' "~ ,、、''‐' | _
゛、'、::::::ノ:::::::_,.-=. _〜:、 /_.}'':,
``、/:::::::::__....,._ `゛'Y' _.ェ-、....._ /_゛''i゛ノ、ノ
,.--l‐''"~..-_'.x-='"゛ー 、`'-、 ,:' ノ゛ノブ
" .!-'",/ `'-‐'') /\ `/ て゛ノ-〈
.-''~ >'゛:: ‐'"゛./ ヽ.,' ~ /
//::::: ', / ,:'゛
315 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 13:08:32 0
>>301 「仏とは何ですか(何を指しているのですか)」という問いに
「仏とは何でもない(何ものをも指さない)」
「いや、何ものでもある(すべてを指す)」と僧は答えたかったのではないか。
が、これは矛盾だ。
そこで、この矛盾を割り切らずに、そのままに答えたのが「糞掻き箆」
糞、掻き、箆という言葉は(従来、使われてきた意味に拠りながら)
その意味がほとんど無化され、ここでは喩として用いられている。
しかし、これが優れた表現とは私には思えない。w
つまり隠喩にはなりえていない、ということだ。
あのように答えたら「それはどういう意味ですか」と
返ってくるのが必至だからだ。
まぁ、坊主が好きなケムに巻くことはできるかもしれぬが。
>>301 の素朴な間違いは、指示対象は一つしかないという思い込みにある。
直接的な指示対象「糞掻き箆」によって、間接的に「仏」を指し示している。
当然そこには悉有仏性という思想があるわけだが。
>>296 は他の人も分からなかったように、あれで人に「意味」が通じると思うほうがおかしい。
指示対象は複数あるから意味も曖昧になってしまうことが分かっていない人が書いた文章だ。
つまり、唯一の「
>>301 直接的対象A´ 」は想定不能ということかな。
320 :
291:2008/09/29(月) 14:18:39 0
>>320 書かなくてもわかるよw
「糞掻き箆」の前にまず、話が通じてないことを悟れw
>>316 仏とは糞掻き箆、麻三斤といわれて、何らかの意味を汲みとるためには
>>316 の指摘のように“悉有仏性”という思想(メタ言語体系)を一応、
知っていなければならない。
「神とは糞掻き箆」との言辞は、一神教徒からはまず聞けまい。
天才君からなら聞けるかもしれぬ。w
323 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 14:29:12 0
。
またアホな事言ってる。 スレタイ見えてるか。 ?
_
>は他の人も分からなかったように、あれで人に「意味」が通じると思うほうがおかしい。
(A´) 「ンジャゴルァ!」
325 :
満豚:2008/09/29(月) 15:25:03 O
>>308 サンキュー。
では、次のステップに移ろうと思う。まだ言葉の意味はその指示対象と言ってる奴はもう一度じっくり僕の書き込みを読み直してこい。
次のステップは「痛い」「悲しい」などの心的な述語にかかわる言葉だ。ここでも意味の指示対象説を批判したいと思う。
326 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 15:27:58 0
「文字列(或いは音声)の示す対象」が存在しないとき、
「意味」は存在するのか。
豚だけに意味盲か
328 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 16:18:56 0
>>326 >「文字列(或いは音声)の示す対象」が存在しないとき、
物事の名前を示す言葉でその指示対象が存在しない言葉(名前)はない。
言葉(名前)の指示対象は必ず存在する。存在しないものに名前をつける
必要性がないから。
329 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 16:23:08 0
>>325 「言葉の意味はその指示対象ではない」と主張しても無意味だ。
なぜならその言明は言葉の意味を何も明らかにしたことにならないから。
「言葉の意味は何々である」という肯定的な言明だけが意味を持つ。
言葉の意味とは何だといいたいの?
330 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 16:33:55 0
ぶたはうざいよ。
ウィトゲンシュタインの哲学をマネしてるだけだろ。
つまらないよ。「指示対象」についても「心的述語」についても
すべてウィトが話していることばかりだよ、デブ。
あと、少し読み間違えてるな、消えろ!
331 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 16:37:00 0
ランボーは、アルファベットを色で表現した。
332 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 16:40:54 0
ウィトゲンシュタインあたりで止まっちゃってるやつって
ちゃんと勉強したことない人でしょ。
333 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 16:41:10 0
>331
Aは黒、Eは白、Iは赤、Uは緑、Oは青。母音よ、
ぼくはいつか君たちの隠れた誕生を語ろう。
これですね。
334 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 16:44:42 0
Iは赤か。
何か象徴的だなw
335 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 16:48:10 0
ランボーはフランス人だから、je.
Eは白、だってさ。
336 :
満豚:2008/09/29(月) 17:55:49 O
>>330 じゃあ、君なんか書いてみてよ。
心的な述語にかかわる言葉で、意味の指示対象説を批判してみて。
337 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 18:01:32 0
なんで意味の指示対象説とやらを批判しなくちゃいけないのか
さっぱりわからん。
338 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 18:17:53 0
>>337 間違っているからだよ。
言葉と指示対象との関係は「その言葉がその対象を指し示している」
ことを明らかにするだけ。
339 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 18:20:48 0
340 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 18:26:34 0
>>338 「対象」って一体なに?「意味」とか「内容」となにが違うのさ。
341 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 18:32:46 0
>>338 >言葉と指示対象との関係は「その言葉がその対象を指し示している」
それを「言葉の意味はその指示対象だ」といってはいけない理由が
さっぱりわからん。
342 :
24:2008/09/29(月) 18:45:39 0
>>290 > もう一度よく読み直してから、出直してこい。
> 断言する、指示対象が言葉の意味ではない。
うん、それには反対してない。
おかしいな、と思うのは君の指示対象説の人に対するトートロジという批判が何に向けられてるのかわからないという点。
だって、「蝿の写真の意味は蝿の写真だ」はトートロジでは全くないじゃん。
これはA=AではなくA=Bになってるでしょ?
解釈とか言ってるからもしかしたらトートロジというよりは論点先取とか循環定義とかの批判の方なのかなとも思うけど。
343 :
満豚:2008/09/29(月) 18:51:13 O
>>341 もしも君が僕の目の前にいたら、顔面にりんごを押しつけて、グリグリしながなこう言うであろう。
「これがりんごの意味だってか!?あぁ!」
しかし実際は君は僕の目の前にはいない。
良かったな。
344 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 18:54:27 0
んなことはいいから、「意味」と「対象」の違いを説明しろよ。
まさか「対象」=「実在」とかじゃないだろうなw
345 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 18:58:04 0
>>343 それのどこが
言葉と指示対象との関係は「その言葉がその対象を指し示している」
を「言葉の意味はその指示対象だ」といってはいけない理由なの?
346 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 19:07:44 0
なんだ、豚はまた逃げたのか。
347 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 19:22:47 0
>>343 >顔面にりんごを押しつけて
それがナシだったら、オレは「それはなしよ!」という。www
リンゴという言葉が或る果物を指していて、(音声でも文字でも)
その言葉を通して“意味”がわかったような気持ちになれるのは、
その果物を五感、この場合は視覚、味覚、触覚で経験したことがあるから。
では指示対象を知らないとき、意味は生じないのか。否、であろう。
五感の経験だけが“リンゴの意味”のすべてではないということだ。
349 :
満豚:2008/09/29(月) 19:36:20 O
>>342 どっからどう見たって「A=A」だ。
>だって、「蝿の写真の意味は蝿の写真だ」はトートロジでは全くないじゃん。
これのどこがトートロジーではないって言うんだよ。
>それには反対してない
と君は言うが、それに続く文章を読むかぎり君はまだ理解出来ていない。
指示対象である、ある写真を既に「蝿の写真」と解釈してしまってるじゃないか。トートロジーとは常に、指示対象に対する、この恣意的な解釈によって引き起こされるというのが僕の考えだと何度も書いている。
その指示対象である写真はいかようにも解釈出来るだろ?
「「蝿のいる写真」という言葉の意味は蝿のいる写真」
「「蝿のいる写真」という言葉の意味は天才君のいない写真」
指示対象を持ってくるかぎり、この2つの表現は同価値だよ。しかし後者の表現はその写真に蝿が写っているのかいないのかが定かではない。同価値にもかかわらず後者の表現は「蝿のいる写真」という言葉の意味を表してはいない。
前者は問答無用でトートロジー。
ウィトゲンシュタインに「トートロジー」という言葉を作らせた動機は意味の指示対象説批判ではないかと僕は考えている。
で、君の
>これはA=AではなくA=Bになってるでしょ?
という主張からは意味の指示対象説の臭いがプンプンする。
350 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 19:36:46 0
満豚は簡潔に言いたいことを表現するのが下手。
351 :
291:2008/09/29(月) 19:41:22 0
>>345 そうでない場合がありうるからじゃね?
ジオン軍は、ホワイトベースのことを「木馬」と呼ぶ。
さて、ホワイトベースは木馬か?「木製の、馬の形をしたもの」か?
豚さんはきっと、
顔面にホワイトベースを押しつけて、グリグリしながなこう言うであろう。
「これが木馬の意味だってか!?あぁ!」、とw
暗号の成立は、「指示対象」と「意味」の乖離を利用するところにあるのでは?
勿論これは、「“指示対象”の指示対象」が「文字列(或いは音声)が直接指し示すもの」である場合に限られるわけだが・・。
逆に、「“指示対象”の指示対象」に「発話者の意図」を含ませるのであれば、
豚さんの発言 「言葉の指示対象が意味であるわけではない」 の否定だけでなく、
およそ「意味ならざる指示対象は無い」ということになる。これは言い換えると、
「全ての言葉には意味がある」ということでもある。
(もっとも、この場合には、「一種類の文字列(或いは音声)が複数の指示対象を持つ」ということにもなり、
以前誰かが言った、「言葉の指示対象は一つ」という言明の却下理由となる。)
>>349 では「蝿のいる…」は、どういう意味なの?
353 :
満豚:2008/09/29(月) 19:45:35 O
少なくとも、君からは逃げないから(笑)
家に着いたからまた明日な。
俺のカーちゃん(嫁)何かと、うるさいんだよ(笑)
354 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 19:58:06 0
>>351 >ジオン軍は、ホワイトベースのことを「木馬」と呼ぶ。
>さて、ホワイトベースは木馬か?「木製の、馬の形をしたもの」か?
それをいうなら
「木馬」とはその発話者であるジオン軍にとってホワイトベースのことか?
であって、答えはイエスだよ。
そして豚さんにホワイトベースをグリグリされながら
「これが木馬の意味だってか!?あぁ!」と言われたジオン軍兵士は
こういうだろう。
「そうであります」ってね。
355 :
291:2008/09/29(月) 20:10:38 0
>>354 そうですね。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」は「ホワイトベース」≫だ。
さて、これを少しくどい言い方にしてみよう。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「意味」は「ホワイトベース」≫だ。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「指示対象」は「ホワイトベース」≫だ。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「指示対象」は「木馬」で、「意味」は「ホワイトベース」≫だ。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「指示対象」は「ホワイトベース」で、「意味」も「ホワイトベース」≫だ。
この四つは、全て矛盾なく成立するものだろうか?幾つかは成立し幾つかは成立しないのだろうか?
ところで、なぜ、ジオン軍兵士は、「ホワイトベース」を「木馬」と呼んだのだろう。
「ホワイトベース」を指し示すために「木馬」という語が創出されたのだろうか?
それとも、既にある「木馬」という語を流用したのだろうか?
だとしたら、なぜ、流用したのだろうか?なぜ流用できたのだろうか?
356 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 20:15:17 0
>>355 それらは「指示対象」や「意味」という概念を
どう捉えるかによるんじゃね。
豚さんとの間にある問題は、まさに君が
>>291で指摘した
>つまり、『「指示対象」という語の“指示対象”は何か?』wを問わねば、話が進まないということです。
なんだよ。
357 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 20:21:56 0
>>355 ジオン軍に「ホワイトベース」という言葉があって通じるのかが
問題だろ。言葉がないところに意味はない。
358 :
291:2008/09/29(月) 20:29:08 0
良かったw
一人は読んでくれた人が居たようだw
謝謝。m(_ _)m
>>356 >>357 では、少し補足しましょう。(更にくどくなるなwww)
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」は「連邦の(連邦が自らホワイトベースと呼んでいる)軍艦」≫だ。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「意味」は「連邦の(連邦が自らホワイトベースと呼んでいる)軍艦」≫だ。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「指示対象」は「連邦の(連邦が自らホワイトベースと呼んでいる)軍艦」≫だ。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「指示対象」は「木馬」で、「意味」は「連邦の(連邦が自らホワイトベースと呼んでいる)軍艦」≫だ。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「指示対象」は
「連邦の(連邦が自らホワイトベースと呼んでいる)軍艦」で、「意味」も「連邦の(連邦が自らホワイトベースと呼んでいる)軍艦」≫だ。
こうして「指示対象の精密さを上げ」ないと「意味の絞り込みが難しい」とw
359 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 20:38:23 0
>>358 で、ジオン軍にホワイトベースという言葉はあったの?
肝心の返事がない。
360 :
291:2008/09/29(月) 21:00:47 0
361 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/29(月) 21:06:33 0
なんかもう、「正誤」自体はどうでもいいな。
アンタラの「根気」に敬服する。
362 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 21:17:53 0
>>360 言葉がなかったら「指示対象はホワイトベースだ」とは言えない。
せいぜい、実物を指で示して(これが指示ということ)「あれだ」
というしかない。もちろん「あれ」が指示対象だろ。
363 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/29(月) 21:18:32 0
>>284 情けない説明だなw。
自分の思ってることの半分も表現できてない。
もうちょっと落ち着いて、よく考えてからレスしろよ。
364 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 21:24:00 0
言葉の指示対象は追加されたり変更されたりするんだね。
言語の変化に合わせて。言語ってのは共同体内でのルールみたいなもん。
あれを木馬と呼ぼうとか個人レベルから始まって共同体全体に浸透してく。
365 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/29(月) 21:24:16 0
>>287 その酷さを彼らは理解できないんだよね。
同性のオナニー(独りよがり)を見させられる
ほど辛いものは無い。
366 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 21:28:46 0
>>365 見たくなければスルーすればいいだけだよ。
おれが君のレスをいつもそうしているように。
367 :
マハポーシャ君:2008/09/29(月) 21:29:30 0
私は言葉という条件付けを完全にゴミ扱いしている。
条件付けされた言葉を軽蔑している観点というものを想像できるであろうか?
私が手に棒きれ(言葉)をもつようなものである。
棒きれ(言葉)でチャンバラ(相対)ごっこも(雑談)できるが、
棒(言葉)は「私」ではない。
言葉という条件付けを軽蔑するというのは、みなさんが使っている言葉を
軽蔑するのであって、私にとっての言葉は、道具である。
おそらくみなさんにとっても言葉は自分自身ではないであろう。
みなさんも私の言葉を軽蔑するといい。また自らの言葉すら軽蔑するといい。
自分ではないのだからね。軽蔑せず、他者の言葉を信じてしまっている。
このような自らの信仰の正体をご存じであろうか?
言葉は単なる伝達手段である。
368 :
291:2008/09/29(月) 21:30:09 0
>>362 その通りだ。
で、先の流れで、『ジオン兵が「ホワイトベース」と言った』ということはどこにも書かれていないw
しかし、「ホワイトベース」という呼称を知らなかったのはジオン兵だけで、
連邦も視聴者も知っているw で、先の例は、視聴者から見た視聴者用の言辞であろう?w
いや、こういう弁明はふさわしくないなw
もっと端的に、
貴方が言うように、
>>357中の「ホワイトベース」は、まさしく「アレ」がふさわしい。
が、いきなりだと連邦とジオンの対比にならないから、敢えて「ホワイトベース」という語を用いた。
まさに、『「アレ」という意味を持った「ホワイトベース」という語』だよw
おわかりかな?w
一応変換してみておこうか。
>>362の為にw (どれほどの意味があるかはわからんが・・・。)
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」は「アレ」≫だ。
さて、これを少しくどい言い方にしてみよう。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「意味」は「アレ」≫だ。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「指示対象」は「アレ」≫だ。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「指示対象」は「木馬」で、「意味」は「アレ」≫だ。
≪ジオン軍(兵士)にとっては≫≪「木馬」の「指示対象」は「アレ」で、「意味」も「アレ」≫だ。
369 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 21:31:51 0
>>367 おれにとっても言葉はただの道具であり
伝達手段だよ。
370 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/29(月) 21:32:12 0
そりゃそうだと思うが、で?
371 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 21:33:17 0
372 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/29(月) 21:33:29 0
条件付けっていう国語は正しいのかなぁ。
僕は解釈(学)って言葉を良く使うけど?。
373 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 21:34:12 O
比喩についてのはなしですか?
豚君はトートロジーの理解おかしくね?
トートロジーは無情報だろ
375 :
マハポーシャ君:2008/09/29(月) 21:37:37 0
言葉は単なる伝達の手段であり、道具である。こうマハポーシャ君は発言した。
次ぎに、何を伝達しているのか?ですが…。
「私」である。
376 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/29(月) 21:37:56 0
今日も、解釈学の展開が始まったようです。
377 :
291:2008/09/29(月) 21:40:05 0
アンカーが・・・ ま、いいかw
>>373 「或る語が、その指示対象として一意のものを持つ」(「在る語の指示対象が、その語の意味である」)という言明と
「或る語の指示対象が、その語の意味ではない」という言明とで、(そのような両極で)、
譬喩表現を成立させられるかどうか?という問いへスライドさせてもよいかもしれませんw
378 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/29(月) 21:40:10 0
379 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 21:43:03 0
>>368 「アレ」には連邦のペガサス級だとか白いモビルスーツを載せてるとか
各人の認識なりの意味内容があるけど、面倒だから省いてるだけだよね。
380 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/29(月) 21:47:03 0
>>374 定義論は、僕にとって退屈だ。
それは哲学じゃない。
381 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 21:48:17 0
>>377 >「在る語の指示対象が、その語の意味である」
は別に一意のものを持つととする立場だけじゃないよ。
豚さんそう思っているかもしれないけどね。
382 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/29(月) 21:50:42 0
>一意のものを持つと
一意じゃないからそこで個人個人が勝手に言葉を
解釈しだすんだよね。そうそう、その通り。
383 :
291:2008/09/29(月) 21:51:59 0
くそ・・・変換が・・・www
けどまあ、(豚さんがガンダムを知ってるかどうか知らんがw)、
最後のホワイトベースの流れは、豚さんへの(或いは豚さんとの対論者への)
軽いジャブにはなったんじゃね?w
ということで、このレス番ともさよならだ。
ノシ
384 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/09/29(月) 21:54:49 O
>>377 言葉の意味理解が起こるとき、二種類の物事が措定されますね。つまり、精神と事態。
精神の方が可感的事態に歩み寄る場合と、事態を精神に近づける様にゆがめる場合とが
考えられます。(トマス・アクィナス的に)
>>383 話を蒸し返して申し訳ないけど、
「文字列が(その言葉が)単純に、直接的に示す対象(
>>291)」
こんなものが果たしてあるのか?
つまり、「文字列」とその「意味(指示対象でも良い)」との結びつきに必然性などないでしょ。
387 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 22:00:59 0
ないよ
388 :
291:2008/09/29(月) 22:01:37 0
>>385 無いでしょ。
けど、「指示対象説(?)」を巡る一連のやりとりは、
「それ(文字列が(その言葉が)単純に、直接的に示す対象)はある」
というか、「それ(文字列が(その言葉が)単純に、直接的に示す対象)が“指示対象”のこと」だ、
という前提の上での流れでしょ?
>>388 豚さんは‘そんなこと’を批判してたのかい(笑)
390 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/29(月) 22:06:05 0
派手な女が指示する対象とは、まさにあの派手な姿が脳裏、
後頭視覚野に像として浮かびますが、派手な女が好きである
と言った場合には、なぜその女が好きなのだろうかという疑問と
ともに、その発言者に対して個人的解釈が脳内で展開され、
発言者に対してのイメージが作り上げられます。
まぁ、個人ごとの勝手な解釈的他人の理解ですけど。
>>389 いや、わからないw
最初のきっかけからして、からまった毛糸玉のような状況からスタートしてるし・・・w
勝手に状況を解釈して(曲解してw)外野が騒いだだけかもしれないなwww
392 :
動物君:2008/09/29(月) 22:11:33 0
動物君から言えば、肉体は自分がしたい事を伝達する手段として吠えます。
人間も、自分がしたい事を吠えているんでしょう。
動物君からみれば、人間がやっている事は、指を動かして、
キーをたたく。その結果が動物どおし共有できる画面に表示されている。
それを見て、ああだこうだと頭の中で騒いでいるのが人間の肉体であり、
その反応で、またキーをたたく。面白いですね。
393 :
動物君:2008/09/29(月) 22:14:30 0
動物が体験しているのは、画面に映っている記号だけである。
しかもそこには主体すら居ないんですが…。
394 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/29(月) 22:14:52 0
赤を赤として、まさにあの色として捉えるのか、
象徴とし力やパワー、エロとして捉えるのかでは、
まったく意味が異なります。
395 :
動物君:2008/09/29(月) 22:22:44 0
各々が見たまんまの事が今、おこっていますよね。
いったいどこに意味があるのでしょう?
肉体のする事に意味などないはずなんです。
肉体はただ、したいことをするだけです。
こう動物君は思う。
396 :
291:2008/09/29(月) 22:23:03 0
ああ、そうだ。
最後に、私の見解を記しておいた方が、豚さんへの礼儀と謝罪になるかもしれない。
私は、(
>>388的な言い方をすれば)、
「“文字列が(その言葉が)単純に、直接的に示す対象”は、最初はあった筈」だと思う。
でなければ、そこに言葉は生じない。(勿論そこでは、“それ”が“意味”だ。)
だがそれ(そうした“原指示対象”)は、「一旦発せられ、共有され、使い回される時、その対象を(意味を)見失う」。
勿論、原初のまま継続使用される可能性もゼロではないし、
コミュニケーションの効率の為「“継続使用すること”が目指され」もするだろう。
そのための、学習、教育であろう。
だが、そこに潜む不確実性を忘れずにおくのが、哲学的姿勢なのかもしれない・・・。
駄弁失礼した。
397 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/29(月) 22:23:08 0
コップはコップでしょうが、
甘いはまさにあの甘さを指示していると思っている人や、
言葉は固定的で限定的な指示対象を有していると信仰し
ている人は、他人の感情が一切理解できないのでをつけ
ましょう。
彼らは、前後のセンテンスや文脈、行間に意味を見出すことが
できません。
勝手な解釈を展開しては、他人に向けて勝手な解釈(学)を
展開します。
398 :
動物君:2008/09/29(月) 22:25:27 0
動物は勝手です。他人の感情は他人のものであり、
自分の感情は自分のものです。
まったく人間というものは、動物らしくない身の程知らずです。
こんな風に動物君は考えます。
「白い恋人」の意味は白い恋人だ。
−−−>(文字通り)白い恋人
−−−>(銘菓)白い恋人
400 :
動物君:2008/09/29(月) 22:39:19 0
動物君は知っています。自分の領分とテリトリーは、物質的である。
で、死んだら終わりです。たまたま、今、間借りして住み着いている事も知らず。
人間は知らないのです。他の領分でも獲得できると信じている。
しかも体を動かさずに…。快適、安全、発展の名のもとに、汚染装置を使って。
これは動物から見れば猛獣です。しかも、自分の環境すら自分で汚染する猛獣です。
取れるものはばんばん搾取する。もう暴力です。さらに共食いまで行う。
現在、異常繁殖中の獣それが人間です。
動物君談。
401 :
動物君:2008/09/29(月) 22:41:15 0
でも、「私」と「人間」は違いますね。
言葉の上でも、実体の上でも。
>>399はやっかいな構造だなw
「白い」と「恋人」との複合による「白い恋人」は、おそらく、
原初は、指示対象も意味も「菓子名」であろう。
ここに別の意味、別の指示対象を想定するのは、
「白い」及び「恋人」に、既に別の指示対象、別の意味があるから、それによって喚起されるものであろう。
(が同時に、「白い」及び「恋人」に既に別の指示対象、別の意味があるからこそ、『菓子名として採用された』とも言えるw)
菓子名でない「白い恋人」は、『通常、使用されない』。
(詩的表現として個人的に使用した人はいるかもしれないが・・・w)
ま、この例に限らず、
状況・文脈に左右されない言語使用は無い、ということなのかな。
403 :
考える名無しさん:2008/09/29(月) 23:46:56 0
やつがくる
404 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/09/29(月) 23:47:48 0
最近よく採り上げられている
「和菓子」に近いものでしょうか。
音声、言葉、文字
言葉以前の何かを表現する手段ではないでしょうか。
405 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/29(月) 23:48:11 0
>>400 >動物君は知っています。自分の領分とテリトリーは、物質的である。
>で、死んだら終わりです。たまたま、今、間借りして住み着いている事も知らず。
間借りして住み着いている事 って、何の事?
知らず って、誰が?
何の話??
自演ですな。
408 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/29(月) 23:59:45 0
気味が悪いな
なんか、とんでもない所から電波を受信してるんかねぇ
409 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 00:04:07 0
でた ケイオス態度
>>296 ・"A" means A.
「昼行灯」の意味は昼行灯である。
「ウドの大木」の意味はウドの大木である。
「青瓢箪」の意味は青瓢箪である。
「黒幕」の意味は黒幕である。
たとえばオレと
>>300が話してるときに
オレが
>>300に向かって
「お前は黒幕だな」
って言うと
・文字列 → 黒幕
・指示対象 →
>>300 ・意味 → 陰で暗躍している人物
てなことになる
ならこれは
4:「Aという文字列の指示対象はBであり、意味はCである」
となる。
ついでに、オレが
>>300に向かって
「操ってる黒幕がいるよな」
って言うと
パターン3:になる
>>満豚君
抽象的なことはもういいから、これに答えてくれ。
「蝿のいる写真」の意味は何?
「リンゴ」の意味は? 「ミカン」でもいい。
君は長文を書きこみながら、意味とは何?に答えていない。
意味(という言葉)には、どんな意味があるのですか。
412 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 00:38:21 0
>>411 そんなのあのブタにわかるわけないじゃん。
あなたが、本当にそういった(意味ってなに?)とか言語哲学的なこと
について興味があるなら、L.Wittgensteinを読まれることをお勧めします
。
ブタをいじってるだけなら何も言わないけど、本気でああいう人間の相手
をしようとは考えないほうがいいと私は思います。
>>412 ご忠告、ありがとう。
では、あのブタにかわって、あなたに同じ質問をしますので、
前記のそれぞれの意味を教えてください。
414 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 01:10:43 0
その場合,私が「黒幕」の(比喩的)意味(使い方)を知らなかったら
>>410が伝えようとした“意味”は私には届かない。
「どういう意味だろう?」と首をかしげて、次いでその“意味”を
尋ねるに違いない。
意味は観念的栄養素
416 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 03:09:47 0
ニートじゃないんでもう寝ます
417 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 07:25:49 0
>>404 >言葉以前の何かを表現する手段ではないでしょうか。
そうだね。
その何かを「名前」と言ったり「意味」と言ったり
「指示対象」と言ったりしてるだけでしょう。
仏教ではその何かを「分別」と称するのでしょう。
での「何か」がなくても言葉はあるなんて言ってる
バカがいる。
418 :
動物君:2008/09/30(火) 07:36:49 0
>>405 >間借りして住み着いている事 って、何の事?
>知らず って、誰が?
動物君が「動物」と言っているものです。
人間も含みます。で、人間に「誰が」?という主体など在りません。
たんなる言葉であり観念ですから。
動物君の思想における「誰が」はこのように存在しえないわけです。
419 :
動物君:2008/09/30(火) 07:39:47 0
言葉以前の何かを表現する手段は動物君は在ると思う。
それは言葉です。言葉以前の何かが既に表現しているからです。
つまり「私」達です。まあ、肉体という事ですね。
420 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 07:54:24 0
>>415 >意味は観念的栄養素
私にとっては「意味」より「観念的」や「栄養素」のほうが
ずっと難しい意味不明の言葉なんだけど。
言葉の説明するならその言葉よりやさしい基本語を使って
説明してください。
「意味」って何?(笑)
421 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 08:02:41 0
>>419 言葉以前といったら言葉は含まないのが日本語の常識だ。
常識を乱すことが哲学ではない。
422 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 08:55:54 0
>>351 >「全ての言葉には意味がある」ということでもある。
そうだね。それでいいのだ。
>(もっとも、この場合には、「一種類の文字列(或いは音声)が複数の指示対象を持つ」ということにもなり、
そうだね。それもやむをえない。
>以前誰かが言った、「言葉の指示対象は一つ」という言明の却下理由となる。)
誰がそんなバカなこと言ったの?
言葉の指示対象は一つには限らない、でいいじゃないか。
423 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 09:12:42 0
>>420 いみ 【意味】
・言葉・記号などで表現され、また理解される一定の内容。
424 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 09:17:58 0
>>423 そうだね。
辞書的な「意味」の記述だね。
わざわざレスするまでもない。
425 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 09:27:37 0
>>410 英語に疎いのでお聞きするが、mean(動詞)を「独活の大木 means 独活の大木」
のように使うことはあるのですか。meanのかわりにbe動詞を使うのと、どこが違う
のでしょうか。
黒幕の意味は黒幕である。黒幕は黒幕である。これは、同義なのか。そもそも、
mean や be動詞をこのように使うことがあるのでしょうか。
>>410 でなくてもかまいません。英語に強い方、お願いします。
リンゴの意味はリンゴである。リンゴはリンゴである。??
426 :
動物君:2008/09/30(火) 09:28:52 0
>>421 >言葉以前といったら言葉は含まないのが日本語の常識だ。
ああ、日本語の常識の話しですか。私は哲学をしているんです。
>常識を乱すことが哲学ではない。
常識とはなんですか?単なる流行でしょう。
427 :
動物君:2008/09/30(火) 09:33:12 0
全ての出来事には意味などありませんよ。
なぜならば、「意味は?」など問う主体が存在しないんですから。
つまり「私」ですね。
動物君は「私」自体が存在せず、意味というものも「私」ありきで
その存在が保証される訳です。
その意味の作り手である「私」が存在しないと言い切る動物君の思想に
おいては、全てに意味などは存在しないわけです。
つまり言葉にも意味は無いです。これは「私」というものが在るか?
ちゃんと考えれば解ります。もし、「私」が在るというならば、
その「私」の存在性にすら意味がないのですからね。
こんな風に動物君は考える。
428 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 09:42:47 0
>>427 >全ての出来事には意味などありませんよ。
出来事が在るならば意味も出来事として在る。「私」も然り。
Aさんが「私」と発語した場合と、Bさんが「私」と発語した場合では、
明らかに「指示対象」は違う存在です。
しかし、「発語者自身を指す」という「私」の「語の使用規則」は同じです。
この話は、「意味の指示対象説」うんぬんと何か関係がありますか。
430 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 10:04:44 0
>>418 ようするにキミは
デカルトの「我思う故に我あり」が理解できない
という事かな?
あと
> >間借りして住み着いている事 って、何の事?
> >知らず って、誰が?
> 動物君が「動物」と言っているものです。
「動物」が、何を間借りしているのかね?
431 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 10:30:23 0
>>427 >その意味の作り手である「私」が存在しないと言い切る動物君の思想
>こんな風に動物君は考える。
あれ?
動物君は、存在しないんじゃないの??
するの? しないの? どっち?
つーか
考える って何?
考えてたら、考えてる存在がいるじゃんか
と
またまた、そう考えている私が存在している
という事が否定できないよな
それがデカルトの第一原理
それを動物君は理解できないわけかい?
自我のある私の場合は、そうなっているんだけどねぇ
動物君ことキミには、自我はない という事かね?
出来事という言葉がもう“意味”を担っています。
むしろ動物さんは、こういうべきです。
「出来事などはない。それは私(自我)が世界の一齣としてでっちあげたもの」
いえ、もっと直截的に「存在には意味はない」というべきでしょう。
その無意味な存在から、なぜ主(私)と客(世界)が分かたれたのか。
動物さんは「存在」への回帰を説きますが(そのようにみえますが)
もしそうなら、内語し発語する、つまり言葉をつかうのをやめればいい。
意味は消え、私(自我)も世界も存在に融けてしまうのではないでしょうか。
しかし、もう引き返すことは不可能でしょう?
意味をつくる、この業を引き受けるしかなさそうです。
動物さんが語りちらすのをやめられないように。
433 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 10:36:34 0
仮に
自分は存在しない という結論に到達した人がいたとしよう
しかし、その結論に到達したのが自分である
という事が否定できない事に気づくだろう
こんなのは、いくらなんでも、小学生でも理解できるだろう
434 :
動物君:2008/09/30(火) 10:50:24 0
>>428 動物君は意味も「私」も存在すると言っている訳です。
但し存在条件が在ると言っている訳です。
>>430 「我思う故に我あり」つまり「私」ありきの観念ですね。
理解するものでもないでしょう。ただそういう思想が在る。
「動物」つまり主体など存在しないでしょう。
在るのは、「動物」を個とみなす、主体の創作者です。
つまり哲学者最高位の創作であるという事です。
435 :
動物君:2008/09/30(火) 10:53:20 0
>>431 >動物君は、存在しないんじゃないの??
動物君は存在形態をとって、これを書いている。
こういう事です。
主体などはどこにも存在しないですが、
主体の形態はとることができるという事ですね。
また、デカルトの第一原理などは、だれかの思想に過ぎません。
しかし思想は存在しますね。
436 :
動物君:2008/09/30(火) 10:57:01 0
>>432 よくお分かりで…。そういう事です。
>>433 >その結論に到達したのが自分である
また主体を創っていますよね。哲学者最高位。
主体が存在するのは、
>>432氏のおっしゃるようなカラクリによるものです。
場、背景として「私」が在るわけではないですが、「私」は
でっち上げられている主体というものです。どこまでいっても背景が
主体?となります。その背景に個別化されたものなのは存在しえません。
437 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 10:59:26 0
>>434 >但し存在条件が在ると言っている訳です。
条件て何?
>「我思う故に我あり」つまり「私」ありきの観念ですね。
>理解するものでもないでしょう。ただそういう思想が在る。
思想は、単独では存在しえません
思想は必ず「誰か」の思想なのです
キミの言う「動物」が、何を指しているのかよくわからん
「動物君」は、キミの名前だろ?
>つまり哲学者最高位の創作であるという事です。
この考え方でいくと
べつに「動物」に限定された話ではないはずだが
なぜに「動物」なん??
438 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 11:06:30 0
>>436 なんで、そんな結論で納得できるのか理解に苦しむねぇ・・・
知能が低いとしか考えられんよ
他人は他人、私は私だろ
どうでっちあげたら、私でないものが、私になるのかね??
439 :
動物君:2008/09/30(火) 11:11:06 0
>>437 「私」の存在しえる条件は、肉体です。
あるいは、時間といってもよい、空間といってもよい。
物質と「私」はセットで生まれるでしょう。
相互依存で存在しています。ま、簡単に言えば心と体が主体であり、
その主体自体も相互依存状態ですからどこまでいっても個別化などは
ありませんが、言葉によって、分類して語る時に、個別化されて存在します。
ただ、それだけの事でしょう。極めてシンプルです。
>「動物」が、何を指しているのかよくわからん
単なる言葉ですよ。
>なぜに「動物」なん??
理由などあるわけがないでしょう。主体が存在しないのですから。
もし問いがあるならば、それは主体を探している哲学者最高位が
あるだけです。ま、それすらでっち上げなんですがね…。
440 :
動物君:2008/09/30(火) 11:19:32 0
>>438 >なんで、そんな結論で納得できるのか理解に苦しむねぇ・・・
○でしょ。
>知能が低いとしか考えられんよ
○そうなんです。主体が在るという前提で考えるならば、
知能に頼るわけです。主体などはもともと無いんです。
>他人は他人、私は私だろ
>どうでっちあげたら、私でないものが、私になるのかね??
○他人と私は同じものです。人間ですね。単なる観念ですから。
441 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 11:22:52 0
>>439 >「私」の存在しえる条件は、肉体です。
>あるいは、時間といってもよい、空間といってもよい。
うむ
それは、そうかも知れないね
その可能性はあるね
>物質と「私」はセットで生まれるでしょう。
唯物論でいくと「私」は物理現象である となる
すなわち結果的存在だとね
で
私は、いかなる物理的要素が「私の正体」なのかね?
と問うているわけでね
結論を言うと
「私を現象させている原因的な物的要素はありえない」なんだよ
そこんとこ理解できてますか?
物質と「私」がセットであり、「私」が物質による結果的存在ではない
という思想ならば、それは唯物論の崩壊を意味します
「私」(人間の精神)は物質による結果的存在ではなく
その原因性を追求すれば
それは物質をどんなに研究してもありえず
物質の存在原因と全く同じく、とんでもない宇宙の根本問題である
という事になるからです
442 :
動物君:2008/09/30(火) 11:32:18 0
>>439 >「私を現象させている原因的な物的要素はありえない」なんだよ
いいえ、原因自体が無いんです。問い自体がないんです。
無いことを問うている主体が在るだけです。その主体は個別化されてはいませんが、
個別化された形態をとることはできている事実があるという事です。
また、唯物論など崩壊しません。もともと物質的には崩壊しています。思想ですから。
思想として在るだけでしょう。
>とんでもない宇宙の根本問題である
いいえ、それは哲学者最高位の観念です。
そんなものは、問題ですらないです。そういう業(癖)があるだけです。
443 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 11:38:03 0
>>441 >物質と「私」がセットであり、「私」が物質による結果的存在ではない
>という思想ならば、それは唯物論の崩壊を意味します
それは間違い。
セットであることによって、最高位が論破されたというのがこれまでの流れ。
物質と「私」がセットであるからこそ、唯物論が正しいのだよ。
444 :
動物君:2008/09/30(火) 11:52:48 0
ま、動物君にとっては、、唯物論などは、どうでも
良いことですけど…。
ただ、思考も物質であり、物質も思考である。
このように動物君は、考えているけれどもね。
445 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 11:56:55 0
>>439 存在条件が無ければ、私は存在しない。
「私」が無ければ意味も私も存在しないというわけだな。
だが存在条件なら在りまくりだから、
>動物君は意味も「私」も存在すると言っている訳です。
となるのだな。
実に普通の何の捻りもない当たり前の事を言っているわけだ。
>>432を肯定しているのならば、
意識の機能に重大な損傷を受ければ、望みが叶うかもね。
446 :
動物君:2008/09/30(火) 12:07:37 0
>>445 >意識の機能に重大な損傷を受ければ、望みが叶うかもね。
仮にそうなったばあいの結果を予測できるならば、
それは今起こっている事です。
なぜならば、主体が無いのですから、望みも損傷も無いです。
観念上にだけ在ります。
こんな風に動物君は思うわけです。
447 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 12:22:02 0
>>445 それよりも死ぬほうが確実。死ねば存在に溶け込める。仏になれるということだ。
448 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 12:59:23 0
死んだら神様や仏様になれる、といって抵抗ないのも
日本文化の特徴だろう。
449 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 13:06:04 0
>>440 反射的に反発してないで
もっと、よく考えなさいよ
>○他人と私は同じものです。人間ですね。
人間というのは種による分類であって
他人と私は、明らかに別人だろ
別の存在であり
他人は他人、私は私です
物質や他人を、いくらいじっても、何をどうでっちあげても
私にはなりませんよ
>単なる観念ですから。
観念というのは、誰かの観念です
誰の観念でもない観念など、ありえません
もしあると言うなら、例を挙げてみて下さい
450 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 13:13:21 0
>>442 > >「私を現象させている原因的な物的要素はありえない」なんだよ
> いいえ、原因自体が無いんです。問い自体がないんです。
原因が物理現象でなければ、唯物論は崩壊です
>また、唯物論など崩壊しません。もともと物質的には崩壊しています。思想ですから。
>思想として在るだけでしょう。
それは「キミ」の思想でしょう
「キミ」がいて「キミの思想」があるなら
その「キミ」の原因的要素を物理的要素に還元できず、唯物論は崩壊します
> >とんでもない宇宙の根本問題である
> いいえ、それは哲学者最高位の観念です。
> そんなものは、問題ですらないです。そういう業(癖)があるだけです。
だからその哲学者最高位の観念の存在を前提し
そういう業(癖)の存在を前提するなら
それらを物質的な要素に還元できない と言っているんだよ
それらの思想を前提している時点で、前提してしまっている存在がいるから
その思想の存在が成り立つんだろ
キミは論を煮詰めずに、途中経過で結果としてしまっているんだよ
451 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 13:14:47 0
>>443 >セットであることによって、最高位が論破されたというのがこれまでの流れ。
そのキミらの考え方が浅すぎて間違いだ と説明し続けてるわけだよ(苦笑
>物質と「私」がセットであるからこそ、唯物論が正しいのだよ。
物質の存在原因と『私』の存在原因がセットだという考え方の
どこが唯物論なんだ??(爆笑
唯物論で考えると
物理的要素が原因で、人間の精神が結果であるという主張だぞ?
452 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 13:21:11 0
>>451 精神現象と「私」は違うでしょう。同じだとでも思ってるの?
唯物論というのは、人間の肉体が原因で、人間の精神が結果である
という主張でしょう。
454 :
動物君:2008/09/30(火) 14:14:46 0
>>449 >反射的に反発してないでもっと、よく考えなさいよ
いいえ、私はあなたが語る全ての発言は哲学者最高位のでっち上げだと
申し上げているだけです。
>もしあると言うなら、例を挙げてみて下さい
●上の例がそのもっともたるものでしょう。
>>450 原因が物理現象でなければ、唯物論は崩壊でするんですか?
それを言うならば、物質が何か?を知ってからはじめて言える事ですね。
>キミは論を煮詰めずに、途中経過で結果としてしまっているんだよ
●またしても上の例がそのもっともたるものでしょう。
哲学者最高位。このような飛躍的論理があるから、哲学者最高位の
論理は崩壊するんです。唯物論を語るならば物質を観察すれば良いでしょう。
物質も観察せずに、唯物論が崩壊だなどとはとうてい言えないのです。
455 :
◆unh/PgDNnM :2008/09/30(火) 14:46:28 0
「てんさいくん」が天才なのは間違い無い。
ただ「てんさいくん」が天才になれないのは、・・。
456 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 15:25:00 0
>>453 それは、人間の精神(意識)が物理現象だと証明されて初めて言えること。
まだ、身心のあいだには因果関係はおろか対応関係も確定できていない。
ある種の傾向は解明されつつあるようだが。
>>454 最高位さんの言い方を真似るなら、
「でっちあげる私(自我)は存在する」ということでしょう。
458 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 15:42:25 0
>>456 >人間の精神(意識)が物理現象だと証明されて初めて言えること。
脳死は人の死だと認められているのではないか?
脳死でも意識はあると思うのか。
459 :
動物君:2008/09/30(火) 15:49:23 0
>>457 そう思想することは可能ですから、
その思想も存在していますね。
あくまで思想です。
腹へったら飯のことを頻繁に考えるものだし、
心なんてものは余裕で肉体に従属しとるわい。
461 :
動物君:2008/09/30(火) 15:59:26 0
個である私が存在しているという感覚および思い
その他、それに類する個別化された観念すべては、
完全に間違いです。独立して存在しているものなどは何一つ無いです。
但し、好きなように思う事はできます。
これが自由意思と俗に言ってるものです。
ま、観念は自由って事ですね。
462 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 16:15:28 0
>>461 それって自由といえるのかな?
お釈迦様の掌の上的な感じですね。
観念させられてると言った方が正確なような。
463 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 16:26:23 0
脳が死ぬだって? その一言で
>>458 が観念論者であることがわかる。
物体に“死”はないだろう?
死ぬのは精神(意識)であり、それは対象(世界)との関係を意識として
紡ぎだせなくなることを意味している。
そのあとどうなるかは意見がわかれる。世界の半分の人たちは何処かへ
召されると思っているらしい。
「死ねば死にきり」と考えている人も少なくない。
あるいは「わからない」という人も多いのではないか。
いずれにせよ、その先は別の板で語ったほうがよさそうである。
心(意識)の行方はわからないが、身体(物体)は変容を重ねながら
存在し続ける、と聞いている。うそかまことか知らない。
464 :
動物君:2008/09/30(火) 16:31:36 0
考えは自由意思(意志)によるものです。
しかし思いは自由意思ではない。ここがポイントですね。
思っている。考えている。ここには違いがあります。
思っている事は自分の意志ではない。
考えているは、自分の意志です。
幸福な心境があるとするならば、考えている時ではなく、
思っている時でしょう。正確にいうならば、わかがわからず、
幸福感を味わっている。そこに理由はない。
理由があるものは全て人工的で、自由意思(意思)であるから、
自由ではなく、既知内でグルグルこねくり回して思考しているだけです。
これを不自由って言うわけです。
>>460 それが第2唯物論というやつだね。第2君は喜ぶだろう。
>>463 全然逆だろ。死ぬのは肉体であって、精神ではない。
観察可能なのは他人の死であって、他人に精神があるかどうかは測定不能だ。
467 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 16:40:29 0
>>464 ちょっとよくわからない。
自由意志は不自由であるっていうことかな?
468 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 16:46:52 0
>>466 肉体が物体なら、物体は死なない。ただ変化するのみ。
精神は、少なくともこの世?からはいなくなる可能性大とみる。根拠はない。w
それとも、幽霊として居残るのかな。
469 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 16:55:10 0
物質は根性があるからな。煮ても焼いても死なねぇ。
>>468 ある種の物体(生物)がある種の不可逆的変化を遂げることを
「死ぬ」という。「死ぬ」にそれ以外の意味などない。
肉体が死ぬと精神も消滅するかどうかは測定不能だが。
471 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 16:56:53 0
>>468 精神を不変の魂というようにみるからそういう言い方になるんじゃない?
精神もいろいろと様変わりしていくでしょ?
少なくとも自分は昔と比べて随分と変わったという自覚がある。
472 :
動物君:2008/09/30(火) 16:58:32 0
>>467 自由と不自由は、簡単な事ですよ。
先入観が在るか無いか?だけです。
つまり観念を捨てれば、即自由です。
但し、人間は自由を嫌いますから…。
でも、自由自在ってのもあるね。
自由でありながら、自覚して選択ができる状態。
473 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 17:03:08 0
コップが割れても不可逆的。ありとしあるものそうでないものはなかろう。
コップが死んだとは言わず、生物についてのみそういうのは“生”に格別の
意味(観念)wを付与しているからだろう。
474 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 17:08:04 0
>>471 不変のものはないだろう、という立場。身心もまたしかり。
475 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 17:09:47 0
>>464 考えも自由意志ではない。
思っている事も考えている事も自分の意思である。
だが、自由意思ではない。
自由意思などというものは存在しない。
476 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 17:17:31 0
>>472 ますますわからなくなったw
観念を捨てるってのは考えることをやめて思うだけの状態になるってこと?
>>473 完全に物質的な基準に基づいて、ある種の物体(生物)に特別な意味を
付与する(分類する)。これは「生物」と「無生物」に限ったことではなく、
無論「観念論」などとは何の関係もない。
478 :
動物君:2008/09/30(火) 17:19:20 0
>>475 自由意思は思想ですよ。
思想として存在しています。
>自由意思などというものは存在しない。
というならば、「私」に自由は無いと言えば済むことです。
私などは、自由意思および、自由意志を満喫していますから。
ま、この点では、哲学者最高位も同じですね。
479 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 17:25:33 0
>>478 >思想として存在しています。
そう、思想としてのみ存在する。幻想。
>「私」に自由は無いと言えば済むことです。
貴方にも誰にも無い。
>私などは、自由意思および、自由意志を満喫していますから。
不自由意思を満喫してるだけ。
480 :
動物君:2008/09/30(火) 17:35:39 0
>>479 不自由意思だろうが自由意思だろうが「私」ありきの問題ですね。
動物君は、それを感ずる主体自体が個別化されていないという思想です。
あなたの思想も「無い」と言えるならば、「私」も無いと言えますか?
481 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 17:45:25 0
>>480 思想が無いとは言っていない。私は在る。
>動物君は、それを感ずる主体自体が個別化されていないという思想です。
何故。存在条件が肉体なのだから、それを以て個別化されているだろう。
482 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 17:48:15 0
動物君は「私」なんか無いと思ってるんじゃないの?
483 :
動物君:2008/09/30(火) 17:58:19 0
>>481 なるほど、あなたの思想は、私は在る。しかし、自由意思は無いと言う。
つまり、あなたの意思ではなにもできないわけだ。
私の思想は、肉体から生まれたものが「私」である。
肉体は動物として個別化されている。しかし「私」は観念である。
だから観念である「私」どんな事でも思えるし考える事ができる。
こんな違いがありますね。
484 :
素人:2008/09/30(火) 17:59:43 0
>>463>>468>>473 だから、
その立場からすると「安楽死」や「尊厳死」、「終末医療」についてはどういう見解が出てくるんだ?
死後の世界の問題へすり替えるな!
(ネコも最高位も、いつもそうだ。肝心なことには答えない。)
>>484 ネコでも最高位でもないけど、「安楽死」や「尊厳死」、「終末医療」と
どういう関係があるのか、まず自分が書けば?
でないと、何が言いたいのかわからんw
486 :
動物君:2008/09/30(火) 18:12:01 0
>>482 >動物君は「私」なんか無いと思ってるんじゃないの?
「私」というフィクションが在る。
そう思っているのは私ではなく神である。
それを思っているという行為が在る。こういう事です。
主体が存在するという常識は間違っています。
こういう主張です。
※神に当てはめる文字は、なんでもOK。
487 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 18:27:44 0
>>483 >肉体は動物として個別化されている。しかし「私」は観念である。
>だから観念である「私」どんな事でも思えるし考える事ができる。
観念だからといって、どんな事でも思えるわけではないし考える事もできないだろう。
思う事も考える事も貴方の記憶や感覚や環境、個体としての性質等に依存する。
488 :
455 ◆DqHByghvs6 :2008/09/30(火) 18:37:12 0
トリ変えるぞ。
_
>>460 拒食症で餓死してるケースは、どう説明する。 ?
489 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 18:39:14 0
490 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 18:43:19 0
>>477 物質という観念なくして、あるいは物質の概念を規定せずに、
どうやって物質を分類するのだ?
唯物論もまた広義の観念論なのである。
491 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 19:02:49 0
なんだ、やっぱり豚は口だけだったか。
昨日の質問にひとつも答えられずに逃げたな。
>>488 腹へったらと言ってるだろう。
拒食症の人は、超腹減ってるのに我慢してるのか?
493 :
素人:2008/09/30(火) 19:11:05 0
>>485 言いだしっぺの法則活用か?w
まあいい。
まず、
>>458に対する
>>463の返しについて。
458に於いて、一行目は、「法制度」や「文化的社会的コンセンサス」に関わるから、まあいいとしよう。
問題は、二行目に於いて >脳死でも意識はあると思うのか。 と発言している。
勿論、これに対して、「死は、(誕生以来)ゆっくりと変化するその途上に、“恣意的に楔を打ち込む”ことだ」
というのは、答え方の一つとして許容される。463の1・2行目がそれに当たるかもしれない。
が、もう一つ答え方がある。
特に3・4行目を踏まえるなら、
「そのような意識の消失が確認できないなら、“脳死という基準設定”が反人道的である可能性を含む」ことになり、
「現在運用されている“脳死という基準”が、
『まだ意識が(主観が・私が)あるのに』そこに“死”というラベルを貼り付けている、殺人を犯している、ことになるのではないか?」と。
458の文章に対しては、寧ろ後者の方向性でレスを入れるべき流れだ。
それを、「死後どうなるかはわからない」という別の議論へシフトさせるのは姑息じゃないか?
また、
>>468に於いては「肉体が(物質が)変化するのみ。」「精神(意識)は無くなるだろう」と述べる。
ならば、脳死という基準設定にいちゃもんをつける必要はない。
>>473は言わずもがなだ。「脳死・安楽死全然OKじゃんw」という立場だと解釈できる。
特に“最高位氏の『私』論”が絡んだ時に、最大の緊張を生ずるわけだが、
その考え方からすると、いったいどっちの(或いはどういう)スタンスになるんだ?と。
脳死は、どちらかと言えば、唯物論的視線から肯定されているものであろう?
これに対して真っ向反逆せず、却って肯定するかのような立場をとれる理由が不可解だから、説明してくれと言うのだ。
どういう関係があるかわからない?w 笑わせるな。
494 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 19:19:44 0
しかも脳死と、尊厳死、終末医療はぜんぜん別問題だしw
496 :
455 ◆DqHByghvs6 :2008/09/30(火) 19:30:50 0
>>438 「てんさいくん」は、ただ「好き勝手したい」て言ってるように聞こえるのね。おれは。
おれは「知能=好き勝手」、と思ったことがたぶんほとんど無いので。そう感じるわけだが。
_
なので、おれは「さいこうい」派 なわけです。
497 :
素人:2008/09/30(火) 19:43:31 0
>>495 そうですか?
私は、“繋がっている”と見ていましたが・・・。
扱う範囲が広すぎて気に入らないというなら、
このスレに於いては「脳死」及び「植物状態」に限ればいいですか?
まあいいです。(スレチにもなるし)、別に、深くツッコんで語ってほしいというわけでなく、
最高位氏やネコ氏のスタンスからそれらの問題を見た場合何が見えるのか、
を聞きたかっただけですから・・・。
(やるなら自分も勉強しなきゃならんしw、
法律上の問題・制度上の問題・文化的社会的伝統の問題等々との区別もつけていかなきゃならないのだろうし、
やっかいなのは承知しています。ただ、最高位氏の長年の言辞からは、
「(死後の)臓器移植はOkっぽい」
「脳死は、主観の有無はわからないことだから、可能性がゼロでないから、反対」
というスタンスかな・・・という想定しかできなかったので・・・。
「最高位氏の『私』は、脳死や臓器移植の場でどこに位置付けられるのか?」
興味が湧きませんか?)
>>497 >最高位氏の『私』は、脳死や臓器移植の場でどこに位置付けられるのか?
>興味が湧きませんか?
他人の死について他人が判断するわけだから、どうしてもそこはアバウトに
ならざるを得ないと思う。
それを厳密に線引きしようという「脳死」の発想にはそもそも無理があると思う。
499 :
◆DqHByghvs6 :2008/09/30(火) 20:10:05 0
>>451 _
、親にたまにきいてもね
「すきにしたらいい」だよ。
_
、でも「すきにしたらいい=好き勝手 無茶苦茶したらいい」では無い(はず)
_
例えばファミコンとか通話料とか。そんな問題では無い。
、大学からは自分で学費払った、教材とかもな
、あと事故で損害出した時とかも弁済費(?)とか自分の働いた金で払ってきた
、会社に金払う形式とか、役所に金払う形式とかいろいろ.
_
、親は言った「そこはアタマ(親に)さげて、たのむ(なんとかする)とこちゃうの?」と。
、おれは断った、ウザかったし、嫌だったのだ。
、なんでかワカランけどそれ親に負担させたら「おれ」は終わるって思ってたんだよ
、それなりにキツイ思いはした、それでもおれの個人としてのプライドは保たれた
、それでいい( ´,_ゝ`).
500 :
動物君:2008/09/30(火) 20:14:47 0
>>487 肉体は動物として個別化されている。しかし「私」は観念である。
だから観念である「私」どんな事でも思えるし考える事ができる。
これが私の思想ですね。
さらに、「私」はどんな事でもできますよ。
ということで、もう一つ付け加えましょうか。
「私」は無限であり、選択することができる。
よって制限を設けることも、環境に依存することも肉体を持つこともできる。
だから私の思想は完璧なのです。つまり全てを肯定する思想という事です。
501 :
◆DqHByghvs6 :2008/09/30(火) 20:24:03 0
>>500 アンタの思想はどうでもいいんだよ。わからんガキだな。
_
>>さいこうい
なんか言ったれ.
502 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 20:24:27 0
動物君は正しいんだが、破壊的な言語だな。
最後の行の私にもカッコを付けておいてもらいたい。
503 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 20:45:34 0
504 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 20:47:24 0
思想から逃れられる人間なんて、まずい無い。
これが事実。
505 :
素人:2008/09/30(火) 20:48:59 0
>>498 >それを厳密に線引きしようという「脳死」の発想にはそもそも無理があると思う。
それは勿論そうなんですが・・・。
現実に、今、運用されていて、(「臓器移植の為の脳死である」という論は措くとして)、ある基準が設けられている。
この時、これに反対を唱えるとして、「どこに、その説得力を持ってくるか」が重要だと思うのです。
「いのち」とか「神聖性」とか「総体としての尊厳、重さ」とか、そういった方向や、
或いは(もっと色濃い)宗教的価値観を持ちださないのならば、
まるで、このスレでの最高位派と唯物論擁護派のやりとりのように(w)、
「意識の在り様や、その始まり・終わり」或いは「意識の在り処」を問うていくことになるでしょう。
様々な科学的知見・研究は、脳(や肉体)と意識の繋がりをどんどんと強める方向にある。(だから、基準として採用されているのだろう。)
「ここはまだ死ではない」とすることは、「ここを死と判断する」ことと等価だ。どちらも恣意的であることに変わりはない。
(だとするならば、脳死推進派の方が、その根拠の多さ・確からしさから、多少優勢かもしれない・・・。)
ここへ、“「意識」とは別である「『私』」”を放り込むとどうなるのか?
ややこしくなるのか、はたまた一発逆転、「脳死など許されるはずがない」という価値観で世界を覆うことができるのか?
非常に興味深いw
で、引用文 >それを厳密に線引きしようという「脳死」の発想にはそもそも無理があると思う。 は、
「脳死の必要性」を議論してゆく方向での話となるのでしょう。(これまでの「心停止」でいいじゃないか、と。)
(ちなみに、ツッコまれる前に記しておくとw、私は(現時点では)脳死賛成派です。)
506 :
◆DqHByghvs6 :2008/09/30(火) 20:54:45 0
このスレ。無茶苦茶深いな。
、ノーベル賞取りたいやつは、がんばれ。(笑
507 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 21:04:28 0
>>506 ぷっ。
君が何も知ってないだけの話だと思うねw。
>>505 >様々な科学的知見・研究は、脳(や肉体)と意識の繋がりをどんどんと強める方向にある。
そう?
心脳問題について書いてあるのを見ても、相変わらず昔からある心身問題と同じく
真相は闇の中という感じだけどね。
>現実に、今、運用されていて、(「臓器移植の為の脳死である」という論は措くとして)、ある基準が設けられている。
「臓器移植の為」を措いたら、脳死問題なんて生じなかっただろう。
>ここへ、“「意識」とは別である「『私』」”を放り込むとどうなるのか?
他人の死についての判断と〈私〉は、直接関係しないだろ。
〈私〉を外側から見ることはできないんだから。
509 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 21:13:47 0
>>508 そいつただの馬鹿だからスルーしておけばいいよ。
510 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/30(火) 21:17:51 0
脳みそ死んじゃってるのに、心臓とかほかの臓器を大切にしたいという
日本の文化は何処に?。
欧米風にしろっていっても日本人は困るだろうね。
で、なんで日本人は困るのだろう?、生き返るのだろうと
期待するのだろうか?。
511 :
◆DqHByghvs6 :2008/09/30(火) 21:25:19 0
507 :考える名無しさん:2008/09/30(火) 21:04:28 0
>>506 ぷっ。
俺は何でも知っているw。
_
509 :考える名無しさん:2008/09/30(火) 21:13:47 0
>>508 おれは天才だ。だからNGしないで(*´д`*)
512 :
素人:2008/09/30(火) 21:30:49 0
513 :
動物君:2008/09/30(火) 21:38:32 0
>>501 > アンタの思想はどうでもいいんだよ。わからんガキだな。
また、画面に向かって、主体を探している人が居ますね。
こんな言葉が思い浮かびます。
「他力本願」
>>502 >最後の行の私にもカッコを付けておいてもらいたい。
そうでしたね。後から読み返してもカッコ付きでもOKだった。
そして、「破壊的な言語だな。」という感想ですが、
その通りなんです。私は思想というものが如何に愚かしい事かという点を
強調しておきたいのです。
514 :
◆DqHByghvs6 :2008/09/30(火) 21:42:19 0
>>500 コテだけじゃ無くて、トリもつけたほうがいいな。
_
名無しは好き勝手してればよい。
*
515 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/30(火) 21:52:13 0
脳死したら移植コーディネータは、こういうだろうよ、心臓くれよとね。
移植コーディネーターはこーでねーとなw。
脳死も何も、脳が死んでるってのに、なに後生大事に
その心臓とか肝臓腎臓、角膜、他云々を手放さないんだよ。
ちなみに僕の肝臓は、脂肪肝なので使えませんよw。
516 :
◆DqHByghvs6 :2008/09/30(火) 21:53:59 0
>>513 、主体っていうか、アンタは個人なの。「さいこうい」にも言われてるでしょ。?
_
>その通りなんです。私は思想というものが如何に愚かしい事かという点を
、それは、「おれ」も「さいこうい」もわかってる。
、たぶん、他のコテもわかってる(はず).
_
しかし、「おれ」、「さいこうい」、「ほかのコテ」、は思想 を放棄しない。
、なんでかわかる?
_
、「おれ」とか「さいこうい」(など)_が、名無し_の掲示板で、トリつけてる意味わかる?
517 :
動物君:2008/09/30(火) 21:54:57 0
>>514 動物は好き勝手している訳です。
好き勝手していない動物など居ないわけです。
人間は好き勝手している事に気づいていない動物なのです。
518 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/30(火) 21:55:32 0
>>516 文章の後についてる_(アンダーバー)は何かね?。
誰のつもりを気取ったレスなのかね?。
519 :
動物君:2008/09/30(火) 21:57:58 0
>>516 いいえ、個人として扱いたいあなたが居るだけです。
また、私は思想を放棄していません。
むしろ思想ばかり話しています。
>名無し_の掲示板で、トリつけてる意味わかる?
言いたければ、どうぞ。
520 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/30(火) 21:59:06 0
>>511 ぷっ、キミはレス番の付け方も知らないのか?。
マジかよ、この哲板においてw。
521 :
◆DqHByghvs6 :2008/09/30(火) 21:59:50 0
>>515 >移植コーディネーターはこーでねーとなw。
コレ 置いておきますね (´・ω・`)つ_[y=ー]_
522 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/30(火) 22:00:41 0
結構この板には、無知が多いようだねw。
序に度胸もw。
コテも鳥も付けられないとは情けない。
523 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/30(火) 22:01:30 0
524 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 22:01:40 0
>>520 507、509の内容を言い換えてるんだろ
525 :
◆DqHByghvs6 :2008/09/30(火) 22:08:08 0
>>517 動物が好き勝手してるわけ無いだろがw。
_
あと、好き勝手してる人間はいない。というか少ない。
____________________________.
>>520 すまん。おれはアホなのだ。
_
>>518 気取って無い。とくに意味も無い。
_____________________________.
>>519 なるほど。
あと、
・「おれの主観」によると、アンタは天才なんだよ。間違いなく。
ただ、
・「世間からしたら」ゴミ扱いされる。そんだけだな
_
__________________________________.
509 :考える名無しさん:2008/09/30(火) 21:13:47 0
オナニー気持ちいい (*´д`*)ハァハァ
526 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/30(火) 22:11:30 0
まぁなぁ、脳死って負う概念は、移植のために生み
出された概念ってのは、紛れも無く事実だが、
といってみても、俺のこの発言の後を追うものはこのスレに誰も
居ないことを俺は知ってる。だから、今日も勝手に騒いで
寝ることにするぜ。
精精、哲学の教科書でも持ち出し合って、
文言の定義域を確かめ合うことで和んでいてくれ。
哲板で、解釈学が展開されることはいまだ殆ど無い。
あんまし読んだ覚えはないがドゥルーズしてみたかったぜ。
↓ 俺にかまうことなく、寧ろ無かったかのように、いつものテンポでお願いね。
527 :
動物君:2008/09/30(火) 22:15:39 0
>>525 >動物が好き勝手してるわけ無いだろがw。
いち動物であるあなたは今何をしているんですか?勝手していないとでも
いうわけですか。好き勝手しないという勝手もあるんです。
このように動物君は思います。
528 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 22:19:58 0
>>452 もちろん違いますよ
「私」の精神活動 ですからね
だから「私」を抜きにした精神性もありえないわけです
より本質的な問題意識に立てば
精神活動は、「私」という主観性の活動であり
より本質的な問題意識は
「私」の原因性にある という事に気づくでしょう
問題は精神性全般、精神世界全般 であり
単に、それを「精神」と表現しているだけです
ちょっと考えれば、わかる事だと思いますが?(苦笑
529 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 22:21:53 0
>>454 何の反論にもなっていませんねぇ
自分で気づきもしませんか??
あと
> >もしあると言うなら、例を挙げてみて下さい
> ●上の例がそのもっともたるものでしょう。
上の例 って、何の例??
>原因が物理現象でなければ、唯物論は崩壊でするんですか?
もちろん、そのまんま崩壊しますね
ど真ん中
ストライク!アウト!です(笑
>それを言うならば、物質が何か?を知ってからはじめて言える事ですね。
唯物論者に言ってるの?(爆笑
> >キミは論を煮詰めずに、途中経過で結果としてしまっているんだよ
> ●またしても上の例がそのもっともたるものでしょう。
またしても上の例 がわかりませんね
どの例ですか?
530 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/09/30(火) 22:26:15 0
>文言の定義域を確かめ合う
w
これも似てるよね、あれも似てるよねって考えて、
その哲学的理論理屈の延長線上とか、それらの応用を
捉えられるほどの知性を持った人間はいないようね。
その典型さんの登場らしいw。
531 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 22:43:18 0
>>457 ありがとう
彼らは「でっちあげてる」と言えば、それで済むと思っているわけだが
それが不思議だね
それ以上には知能が働かないようだ・・・
でっちあげているとしても
誰が誰に、でっちあげてるのか
というアホみたいに簡単な事が発想できないんだよな(苦笑
他人が他人に、でっちあげても
私など、どこからも出てこない
どうやったって
私が居ない所に私なんか、でっちあげられないよね(爆笑
どうやって私の居ない所に私をでっちあげるのか、その方法を聞きたいね
>>484 素人くん
>死後の世界の問題へすり替えるな!
>(ネコも最高位も、いつもそうだ。肝心なことには答えない。)
死後の世界の事は、「わからん」 のだよ
だから私は、言及しません
論理哲学的には「わからん」とだけ言及します(笑
それ以上に言及する時は、自分なりの宗教哲学を語る時ですね
ここではスレ違いです
532 :
動物君:2008/09/30(火) 23:29:20 0
>>531 > 彼らは「でっちあげてる」と言えば、それで済むと思っているわけだが
それで済みますよ。
> どうやって私の居ない所に私をでっちあげるのか、その方法を聞きたいね
あなたがやってるもの。一体、どこに哲学者最高位が居るのですか。
どこにも居ないです。何故ならば、哲学者最高位の観念であるからです。
だから「私」を「でっちあげてる」で済む訳です。
533 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 23:39:55 0
>>532 >あなたがやってるもの。一体、どこに哲学者最高位が居るのですか。
>どこにも居ないです。何故ならば、哲学者最高位の観念であるからです。
>哲学者最高位が居るのですか。
と聞いておきながら
>哲学者最高位の観念があるからです。
というのは
明らかに、おかしいだろ(苦笑
とにかく
哲学者最高位の観念があるんだろ?
で
誰が、その観念をでっちあげてるのかね?
>だから「私」を「でっちあげてる」で済む訳です。
で、結局
誰が
「私」を「でっちあげてる」のかね?
534 :
考える名無しさん:2008/09/30(火) 23:40:25 0
>>500 >肉体は動物として個別化されている。しかし「私」は観念である。
>だから観念である「私」どんな事でも思えるし考える事ができる。
観念だからといって、どんな事でも思えるわけではないし考える事もできないだろう。
思う事も考える事も貴方の記憶や感覚や環境、個体としての性質等に依存する。
>制限を設けることも、環境に依存することも肉体を持つこともできる。
できるのではなく、そう在らざるを得ない不自由な存在だ。
どんな事でもは出来はしない。諸々の条件に依属せざるを得ない不自由な存在だ。
535 :
動物君:2008/09/30(火) 23:47:38 0
>>533 >哲学者最高位の観念があるんだろ?
あるんですか?ないんですか?簡単な質問ですが。
答える事ができないのなら、あなたは、今、肉体をもっているのですか?
これくらいは答えられるでしょう。
> 誰が「私」を「でっちあげてる」のかね?
上の私からの問いにあなたが答えないと先に進まないでしょう。
536 :
○丸:2008/09/30(火) 23:56:03 0
> 誰が「私」を「でっちあげてる」のかね?
嘘つきの私。
537 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/09/30(火) 23:57:53 0
>>535 > >哲学者最高位の観念があるんだろ?
> あるんですか?ないんですか?簡単な質問ですが。
それ、オレが聞いてるんだけど? 大丈夫か??マジで・・・
まぁいいや
哲学者最高位の観念は、もちろんありますけど何か?
で
答えた上で、もう一回聞くけど
誰が「私」を「でっちあげてる」のかね?
538 :
動物君:2008/09/30(火) 23:59:05 0
>>534 > 観念だからといって、どんな事でも思えるわけではないし考える事もできないだろう。
思えます。思えない事は無いでしょう。無いものが在りますか?
簡単に言えば、思えないものが在るのですか?
それをあなたは認識できるとでも言うのですか?
> どんな事でもは出来はしない。諸々の条件に依属せざるを得ない不自由な存在だ
諸々の条件に依属せざるを得ないのなら、そうですね。
但しそれは肉体の限定であって、観念は自由ですよ。条件であっても観念が
創っているんですからね。創る自由もあるでしょう。また条件にしばられる自由も在る。
539 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/01(水) 00:01:43 0
>>528最高位さん
それではまだまだ「私」の原因の理由付けにしては浅いですね。
>>537のように「誰が」と人称で問われるべきではなく
「何が」「何に因って」が正解です。
540 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/01(水) 00:02:15 0
つまらん。
,, -‐''" ̄ ̄`゙ ヽ、
/ \
/ i
ノ ___ノ
(____,,--‐‐'''"⌒:::::l.川
. |(●), 、(●)、.:|川
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|リリ
. | mj |=‐ァ' .::::|(((
彡\,〈__ノニニ´ .:::/ミミ
/ノ ノ -‐‐一´\
542 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/01(水) 00:06:10 0
さらに、議論になってないのが酷く笑える。
流石は2chクオリティーw、話が噛みあうことなくあきら様に見事に交錯してる。
交錯する議論がそんなに面白いのか?。訳ワカメだ。
543 :
動物君:2008/10/01(水) 00:06:37 0
>>537 哲学者最高位の観念は在るわけですね。
哲学者最高位は肉体を持ってるか?という質問には答えてもらえないようですが、
肉体をもっているとしましょう。
そこで、
> 誰が「私」を「でっちあげてる」のかね?
という質問ですが…。誰にとっての「私」か明確ではないですね。
私とあなたとの会話ですから、その可能性の両方に答えます。
哲学者最高位にとっての「私」に関する事は全て哲学者最高位の観念です。
私、動物君にとっての「私」に関する事は全て動物君の観念です。
観念の発言者が「私」について語る場合、それはその発言者の観念上の「私」です。
この行為を「私」という観念のでっち上げと言う訳です。
544 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/01(水) 00:08:11 0
>>539 >それではまだまだ「私」の原因の理由付けにしては浅いですね。
そもそも私の原因の理由付け なんてしてないけど?
頭、大丈夫ですか?
まぁいいや
そんなに偉そうに言うならさ
その「浅くない理由付け」とやらを言ってもらいましょうか?(爆笑
545 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 00:09:01 0
546 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/01(水) 00:11:13 0
この議論の交錯に収集は付かないだろうw。
レスが明後日過ぎるw。
547 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/01(水) 00:12:28 0
おまえ等ガンガレ、フルパワーで頼む。
特定な奴が詰まんないわけじゃなく、このスレの流れ全体が
全然詰まんないからねw。
548 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 00:14:24 0
549 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/01(水) 00:16:22 0
>>548 おれは建設的な議論は好きだが、
破壊だけのレスは、俺の趣味で無い。w
550 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/01(水) 00:17:53 0
>>543 > > 誰が「私」を「でっちあげてる」のかね?
> という質問ですが…。誰にとっての「私」か明確ではないですね。
> 私とあなたとの会話ですから、その可能性の両方に答えます。
↑
この時点でキミの論は、すでに「私とあなた」の存在を前提しているんだよ
無自覚すぎるんだよ
>観念の発言者が「私」について語る場合、それはその発言者の観念上の「私」です。
>この行為を「私」という観念のでっち上げと言う訳です。
はぁ???
それなら、そもそも発話者である私がいて
その発話者(私)が、自分を自分だと認識している というだけの話で
「でっちあげ」でも何でもない
単なる、自我意識による認識作業だろバカ
どこがどう「でっちあげ」なのかね?
「でっちあげ」というのは
私じゃないものが、私じゃないものに、しかし私だと騙してる状態の事だろバカ
551 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/01(水) 00:20:27 0
>>550最高位さん
自我意識による認識作業とはどういうことでしょう?
この辺りも浅いと言いますか、なにもかもごちゃ混ぜ状態ですね。
552 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/01(水) 00:21:04 0
これがまさに哲学的K1スレってことかw。
言い負かしたが勝ちかよw。
つまんね。
実際K1も、戦法も無けりゃ戦術とか戦略って概念も無いからね。
俺はアウトボクシングとか好きだったけど、バカみたいなK1は大嫌い。
ここもK1流で全然詰まんないとだけ言って去ることにするよ。
いい年こいて最高位、寿命ちじめるぞ、全くw。
553 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 00:25:37 0
>>549 おれなんか、何が破壊で 何が建設なんか・・。 ?
、ハッキリわかって無いところがあるから。つまりアホなわけだが、、 。
554 :
動物君:2008/10/01(水) 00:27:41 0
>>550 「私とあなたとの会話です」と私は言いました。
私とあなたとの会話ではありませんか?私は哲学者最高位に問うている訳です。
あなたが存在しているとは思っていません。ただ会話が在る。それだけを
言っているのです。
では、哲学者最高位にとって、自我意識による認識作業には肉体は必要なのでしょうか?
このような質問をする理由も言っておきましょう。
あなたが本当に存在するかどうかは、会話が成り立つだけでは信用できないのです。
でっち上げかもしれませんしね。
ということで、繰り返しましょう。
哲学者最高位にとって、自我意識による認識作業には肉体は必要なのでしょうか?
555 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 00:28:14 0
>>549 このスレみて、おもしろいとか・・・・。たぶんアタマおかしい.
_
>>1 日付変わったらー、連投規制解除なんかな、ここ。 _
、おれは気分がのってる時は一気に規制されるまで連投する。規制かかったら止める。そんだけ.
556 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 00:29:59 0
>>538 貴方はアンドラに住む80歳の老人の65歳の頃のカタルーニャ語を交えた思い出を思い出したりするのですか?
貴方は即座にサイェレット・マトカルの越境作戦を詳細にわたってヘブライ語で考えられるのですか?
貴方は哲学者最高位と同じ事を彼と同時に思ったりできるのでしょうか?
貴方は思えない事が無い程の高い能力を持っているのですか?
具体的に言えば超能力をお持ちなのですか?
人にはそれぞれ思えない事があるのです。
他人の意識は認識できません。
超能力があれば別ですが。
557 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 00:31:17 0
>>552 おれには、勝ち負けの概念が、あんまし無い。
_
、あとつまらんかどうかは、他人が判断するのだ
558 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/01(水) 00:35:24 0
そうだ、こういった議論の流れを経済学的になぞらえて、
ポジショントークって言うんだよね。
自分等にとって都合の良いことだけを並べて、
ネガティブな要素は発表しないって言う意味だけど、
実は、そこには一つの比喩が隠れてて、
己の立ち位置(主義や主張、思想)からしか語らない
って言う意味でもあるんだ。
w
>>557 実際、勝ったら、北島大輔風に「なんも言えねぇっ、
きもちええっ」って感じだろ。
哲板で、すっぱい葡萄(ルサンチマン)の話をするなw。
まで、勝ち負けの構図の外に出る行為も負けたくないからこそ、
その外に出るのだろうなw。
559 :
動物君:2008/10/01(水) 00:39:58 0
>>556 一つだけ例を上げて、答えましょう。他人の意識は認識できないとしましょう。
他人の意識は認識できないと思えますよね。間違っても他人の意識は認識できないのに、
出来るとは思えないですよね。また、それが出来ると考える事もできるし、
考えないこともできる。とてもシンプルな事だと思いますが。違いますか?
560 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 00:40:22 0
>>558 >己の立ち位置(主義や主張、思想)からしか語らない
、ん?。だからそれで良いんじゃねの。?
_
>ネガティブな要素は発表しないって言う意味だけど、
、存在自体が、ネガティブなもんだから、今更いいんだよ。おれは。
_
>実際、勝ったら、北島大輔風に「なんも言えねぇっ、
だから、どっから勝ち?。で、 どっから負け?。か、 わからんだろ。 ?
_
>その外に出るのだろうなw。
だから、「外」とか「内」て何処で決めてんの。? みたいな .
561 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 00:42:56 0
※ このスレはキチガイのふりをした、キチガイが参加してるスレです (・∀・) イイ !!
_
そろそろ規制かかるな。 恐いよパパ ><
誰宛とも言えて、誰宛とも言えない日記。
「異種混合格闘技」が始まってそろそろ7〜8年くらいは経ったかな?
(初期の頃なんて、もぅ。「殺し合いだった」よなぁ〜。)
なんだか、色々狂ってた。1999〜2000年辺りを境に。
・・・今にして思える事。
「体制というのは一度出来上がると、その善悪は問われなくなる。」ということ位か・・・
ここ2chもさ。
いわば体制なんじゃね?
どれだけ糞だと言われても、数値としては動員数最大を誇る(?)「個人サイト」と言う事らしい。
んま。基礎からしてもぅ既に糞。設定がなってない。というよりも、「設定が無い。」んだ。
そういう場所、空間感の中で自分も何かを発している。
考え出すとキリないけどね。
そういう場所だと思って、今一度。自分の考え方に立ち戻ってみるのもいいかもしれんもんよ?
「此処が個人サイトだというのならば、だけど。」ならば、なにも、こんな糞個人サイトなんざに貢献してやる気もねぇし。
いや、コレも個人的発想の範疇を超えていませんがw
ふ。
考えててアホらしゅうなってまいりました。
寝る。
ほな、ばいなら。
563 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 00:45:21 0
>>556 すごくおもしろいレスなので感銘してしまいました(笑)
私自身の考えを述べます。
カタルーニャ語云々については、それは思えないことが存在するという意味
ではないと思います。言語というのは、思考の対象ではなくて、思考
の形式だと考えるからです。
たとえば、「リンゴ」と日本語を発したときに、「思っている」のは
赤くてすべすべした食欲をそそる果物の一つです。しかし、
それは「リンゴ」という言語そのものではありません。
>貴方は哲学者最高位と同じ事を彼と同時に思ったりできるのでしょうか?
については、これはありそうもないことですが、しかし「不可能」な
ことではありません。
(結論)思考不可能なものなど存在しない。(by L.Wittgenstein)
564 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/01(水) 00:45:26 0
>>551 >この辺りも浅いと言いますか、なにもかもごちゃ混ぜ状態ですね。
なんで?
というか会話になってないので、もう一度言うよ?
544 :哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/01(水) 00:08:11 0
>>539 >それではまだまだ「私」の原因の理由付けにしては浅いですね。
そもそも私の原因の理由付け なんてしてないけど?
頭、大丈夫ですか?
まぁいいや
そんなに偉そうに言うならさ
その「浅くない理由付け」とやらを言ってもらいましょうか?(爆笑
>>552 妄想乙カレー
私は、まともな人なら理解できる事を説明しているだけです
565 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/01(水) 00:45:38 0
>>560 >、ん?。だからそれで良いんじゃねの。?
いつ俺が悪いって言ったよ。良いとか悪いとかって議論は止めようぜ。
昨日覚えたばかりのトートロジーに従えば、良い悪いに意味は無いぜw。
>>その外に出るのだろうなw。
>
>だから、「外」とか「内」て何処で決めてんの。? みたいな .
またその外に出るのかw。僕流の解釈学を駆使すれば
分析学的スタンスを取ったときにその外に出られるのさw。
難しい哲学用語を並べられなくてごめんよ。哲学的な用語知識は
ほぼ皆無だが、これでも哲学は大好きなんだ。
566 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/01(水) 00:46:59 0
>>554 >あなたが存在しているとは思っていません。ただ会話が在る。
相手がいないと思ってるのに、会話してんのか? キミは・・・
明らかに頭やばいな
>あなたが本当に存在するかどうかは、会話が成り立つだけでは信用できないのです。
>でっち上げかもしれませんしね。
先に「あなた」の話にして、すりかえちゃいかんな
まずは、「自分」は居るのか という話だよ
>哲学者最高位にとって、自我意識による認識作業には肉体は必要なのでしょうか?
精神活動を行うにさいして体は必要だろ?多分ね
しかし、「自分の体」だろ?
どの体でもいいわけじゃないわな 明らかに
自分を否定して、自分があるかよバカ
567 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/10/01(水) 00:48:07 0
>>564 >私は、まともな人なら理解できる事を説明しているだけです
ほんとにそうかなぁ、w。
>>562 ぃょぅ、短パンタン。
探したぜwwww。
568 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 00:55:24 0
>>559 幾ら出来ると考えてみても、それは自分の意識だ。自身の欲求に過ぎない。
他人と同じ事を思うことなど出来はしない。
最高位と同じ事を同時に考えて、
彼が投稿するのと同時に自分も同じ内容の投稿をする事ができると?
569 :
動物君:2008/10/01(水) 00:55:59 0
>>566 > 相手がいないと思ってるのに、会話してんのか?
何者かに向かって確認しているだけです。
> まずは、「自分」は居るのか という話だよ
私は肉体としてちゃんとこうしてキーボードを打っています。
つまり肉体がある証拠としてここに文字が打たれています。そちらから見えますね。
哲学者最高位にも体は在る。 「精神活動を行うにさいして体は必要だろ?」と言うわけだ。
では、哲学者最高位にとって、「私」は肉体が無くても精神活動が行えるのですか?
570 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/01(水) 00:56:05 0
>>566最高位さん
逆に自分の体でないとダメな理由は何でしょうか?
571 :
動物君:2008/10/01(水) 00:58:37 0
>>568 できないとも思える。出来るとも思える。
できるとも考える事ができるし、その逆も考えられる。
観念や思想は、それだけ自由であるという事です。
あなたは、肉体と観念とを同一化していませんか?
「私」という観念の話をしているはずですよね。
572 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/01(水) 01:11:18 0
>>569 >何者かに向かって確認しているだけです。
だったら何者かを前提しているわけだろ
なにが
「あなたが存在しているとは思っていません。ただ会話が在る。それだけを
言っているのです。」
だよ・・・
いい加減な思い付きだけで喋るなって
もっと論理立てて喋りなさいよね
>>570 >逆に自分の体でないとダメな理由は何でしょうか?
キミは、キミの体以外も、自分の体だと認識しているのか?
やはりキミは、本物のキ○ガイだな
573 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 01:18:26 0
自我意識による認識作業ww
自我意識による認識作業ww
自我意識による認識作業ww
自我意識による認識作業ww
574 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 01:20:43 0
>>572 最高位君もキ○ガイ相手に必死だな、hahaha.
精神病院の中にいると自分がビョーキだとも自覚しなくなるんだって
な。
東京都○○区「2チャンネル病院」様御中
575 :
動物君:2008/10/01(水) 01:25:07 0
>>572 > だったら何者かを前提しているわけだろ
何者かは生き物とは限りませんよ。単なる観念かもしれないのです。
だから私はあなたに肉体の有無と精神活動の根拠をたずねているだけです。
しかしあなたは肉体を持っているものではない、観念ですから答えることはできない。
だから再び問うてみましょうか?以下の質問一点に答えられない。
哲学者最高位にとって、「私」は肉体が無くても精神活動が行えるのですか?
576 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/01(水) 01:25:42 0
>>572最高位さん
つまり、私・精神活動・体は切り離せない
共に関わりながら存在するという事です。
先の自我意識云々ですが
認識作業は五感と意識のフィードバックの作業です。
自我意識が認識作業などという言は
>>572の
> キミは、キミの体以外も、自分の体だと認識しているのか?
> やはりキミは、本物のキ○ガイだな
と同様なくらい間違いです。
577 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 01:27:32 0
「おれ」は
、他人と、会話?、する時は
、口語系?っていうか、「日常語」をこころがけてる(はず)、なんだよ。ね .
_
おれの個人的な思考は、「ほとんど暗号、のノリ」、だから・・・ .
578 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 01:28:24 0
>>563 私は言語というのも思考の対象だと考えます。
>「リンゴ」と日本語を発したときに、「思っている」のは赤くてすべすべした食欲をそそる果物の一つです。
>しかし、 それは「リンゴ」という言語そのものではありません。
「リンゴ」という日本語の意味記憶を手がかりにして、
リンゴの視覚イメージや味覚イメージや臭覚イメージを想起し、
場合によっては文字のイメージや、音声のイメージまで想起し、
その全ての連合によって、「リンゴ」というものを解釈しているのではないでしょうか。
しかもイメージは人によってまちまちで、全く同一では無い筈です。
人は人それぞれの経験から、「リンゴ」に独自の意味付けをしています。
仮に日本語を知らない人が「リンゴ」という言葉を発した時には上記のようには思えず、
おそらくリンゴ・スターの事を想起するより仕方が無いように思えます。
>思考不可能なものなど存在しない。
他人の思考を思考できるのですか?他人のクオリアを感じる事が出来ると?
(他人を自分にしては駄目ですよ。)是非その方法があるのなら教えて頂きたく。
何と言っても、それが出来れば長年の疑問が氷解するのですから。おそらくある程度は。
579 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/01(水) 01:30:39 0
>>574 うむ
正直、悩んでる・・・
助けてくれ(苦笑 ←笑いごとぢゃナイってマジで・・・
オレは、本物のキ○ガイ相手に・・・・
多分、ある種の精神病なんだよな オレも
自覚はあるんだけど・・・助けてくれ〜〜〜 だよ
580 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 01:31:50 0
「おれ」の、その思考は、 「心の仕組みドットコム」 を もっとえげつない感じにしたやつね。
_、でも、「それだと 伝わらない」だろっていう。 ・・ w
581 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 01:39:02 0
>>571 それは「できないとも思える。」と考えているだけ。
または「出来るとも思える。」と考えているだけ。
ならば実際に出来るのかと言えば出来はしない。思えない。考えられない。
>あなたは、肉体と観念とを同一化していませんか?
同一化はしていない。が、切り離せるものでもない。
>「私」という観念の話をしているはずですよね。
だからこそ、「私」という観念の話だからこそ、肉体に縛られていると言っている。
582 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/01(水) 01:41:51 0
>>575 >何者かは生き物とは限りませんよ。単なる観念かもしれないのです。
だれが、いつ「生物だ」なんて言ったのかね?
マジでキ○ガイだな
>哲学者最高位にとって、「私」は肉体が無くても精神活動が行えるのですか?
だからアホか!!
精神活動の話じゃなく
「私」という存在性は、いかなる物理現象が原因で発生しているのか
と問うているのだよ
話をすりかえるなって言ってるだろ
>>576 >先の自我意識云々ですが
>認識作業は五感と意識のフィードバックの作業です。
私じゃない意識が、いくらフィードバックしても
そんなもん私には関係ないんだよ
というか
認識作業のないフィードバックって、どんなんだよ(爆笑
おまえは、キ○ガイすぎる
583 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 01:43:46 0
その発話者(私)が、自分を自分だと認識しているww
その発話者(私)が、自分を自分だと認識しているww
584 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 01:45:49 0
>「私」という存在性はwww
どんな性質なの?
585 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/01(水) 01:51:07 0
>>582さん
天才?動物君さんの質問から逃げているのは最高位さんですね。
きちんと答えるべきです。
私じゃない意識云々とありますが
その考えこそが浅いといいますか、ある種の逃げの手段でしょうか。
そのフィードバックにおいて
「私」なる言葉、それについての概念が生じるわけです。
繰り返しますが
「私」が認識作業をしているのではなく
「五感と意識」によって認識作業が行われる。
その過程において「私」という概念も生じる、ということです。
586 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 01:59:55 0
、例えば、「心の仕組みドットコム」は、
[ 「抽象語」、の羅列 ]、を、してるだろ。 ?
、なので、意味不明になる。
、なぜか?_
、その或る言語( というか論理構成 )に、含まれている(と推なせる可能性のある)、因子的なものが、
「総合で、多すぎる」.
、つまり「ある言語A]が「示唆している(だろう)」、「その対象=意味となりうる可能性のあるもの、全て」、
、が「多すぎる」ので、意味不明になっている。 、当然だが.
_
つまり、「示唆対象」を絞(しぼ)れ。て事だな。
、「自分なりに」、「適当に絞って」、「ある内容」、「或る対象」などを
、「示唆的に」、「説明する」事。これが大切。
、なんでもかんでも、いっしょくた(ごちゃまぜ)、にしたような状態に成っている説明の仕方しかしてないので、意味不明になっている.
、そんだけ.
*
587 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 02:09:10 0
つーかね、
「おれ」
の、思考パターンは、 ↓_
「てんさいくん」+「さいこうい」+「ゆいしき」+「こころ」 = 「おれ」.
、な感じだと思うな。(よーわからんが w
>>582 >「私」という存在性は、いかなる物理現象が原因で発生しているのか
という問題は、天才君の
>哲学者最高位にとって、「私」は肉体が無くても精神活動が行えるのですか?
という質問に最高位が答えることで、少しは解答に近づくと思うんだが、
なぜに最高位はこの問いに答えないんだ?
密接とはいかなくとも、両者の問いは関係があると思うんだが・・・。
589 :
Wiitgenstein教:2008/10/01(水) 02:24:39 0
>>578 >私は言語というのも思考の対象だと考えます。…@
については、おっしゃってることがよく呑み込めません。
たとえば、@の内容をあなたが思考しているときには、言語によって
思考が可能となっています。とすると、@が思考の内容であるとき、
それを可能にする言語…Aは@の内容ではありえません。
なぜならば、A=@となり、不合理だからです。
>思考不可能なものなど存在しない。…B
については、私の言い方に語弊がありました。
私が述べたのは、「他人の思考を思考できる」といったようないわゆる
超能力的な意味ではありません。
Aさんが思考しているとき、同じ時刻で同じ内容をBさんが思考している
ことも不可能ではないでしょうという意味です。
超能力のような「意図」という概念が入ってくる話題になると極端に話が複雑化
します。というのも、因果関係についても同時に考察しなければならなく
なるからです。それは、Bとは別のテーマですから、ここで話し合われる
べきことがらではないでしょうね。
590 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 02:34:35 0
_
おれにも、いちおう目標みたいなのがあって、
そこに到達するのに、あと5.10年努力した程度ではとても無理な、ところ、がある・・。
_
おれは時々天才扱いされてるけど、「ただのゴミ」なんだよ。マジで.
、、まやれる、やれそうなとこまで、やってるわ・・。おれ
591 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 02:38:26 0
神には依らん。それがおれの信念.
てす
コテがこれだけ集まるとスレの消費が速い
・発話者を前提としないと問いは成立しないのか
この最高位と天才君の問答では、俺は天才君を支持する
発話者を前提としなくても問うことはできる(語り得るかどうかは知らん)
だから「わたしの話し相手は存在するのだろうか」とか
「この思考を思考しているはずのわたし自身は存在するのだろうか」などの問いも
それらは問いとして成立するし
また、考えることに意義がないわけでもない
594 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/01(水) 03:21:41 0
>>585 >そのフィードバックにおいて
>「私」なる言葉、それについての概念が生じるわけです。
私じゃないものが、いくらフィードバックしても
それは私じゃないだろ
>「私」が認識作業をしているのではなく
>「五感と意識」によって認識作業が行われる。
>その過程において「私」という概念も生じる、ということです。
私じゃない他人が、いくら認識作業しても
それは他人が自分の事を自分だと認識するだけであって
私には関係ないだろバカ
おまえ、やっぱりダメだわ
あきらめろ
>>588 > >哲学者最高位にとって、「私」は肉体が無くても精神活動が行えるのですか?
> という質問に最高位が答えることで、少しは解答に近づくと思うんだが、
そんな「死後の世界はあるんですか?」みたいな質問に答えても意味ないだろ
>>593 キミも「我思う故に我あり」という基礎的な事すら理解できない人らしいな
595 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/01(水) 03:36:54 0
>>594最高位さん
何か大きい勘違いをされているのでは?
「私」「他人」ではなく
「五感、意識」が認識作業をしている、と申しているわけです。
何がダメなのか?
反論にすらなっていません。
596 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 03:50:47 0
「我思う故に我あり」は
基礎的な事、小学生でも分る簡単な事と言ってのけるあほんだらがいるな。
「我思う故に我あり」は
過去の哲学者にとって、あるいはいまでも相当な難問でありつづけている。
597 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 04:12:00 0
( ´O)η ファ〜ーあ
「可能性」が 鏡相手に だるまさんがころんだ
ころんだ!って振り返って鏡に移っているものが「私」
599 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 05:46:57 0
「神」の使い道として、なんかを絶叫したい時に、とりあず、
、「神ー!!」と絶叫するときもちいい。
_
ちなみに「神」は文字であり、「神」に対応する現象も存在してない。「0」と同じである。
、「おれの主観」によると、「うんこ」と「神」は同じである。
、「うんこ=神」でもいいな。
、「うんこー!」でもいいし、「神ー!」でも良い。
うんこー!と叫びながら、神だなを潰してもいいし、
神ー!と叫びながら、うんこを流してもいい。
_
100年後には、神社とか無くなってる.
600 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 06:14:23 0
このスレおもろいけど、結論はだいぶ前にでてるんだけどな。
>>528 哲学者最高位どの。
>だから「私」を抜きにした精神性もありえないわけです
これは本当ですかね。神経一本しかない原始腔腸類の筋肉を収縮させる摂食運動に「私」がありますかね。
神経一本しかないとはいえ、食事をする精神活動なのですがね。この段階の動物に「私」はないと思うなあ。
「私」の誕生は脳内鏡の誕生までまたなければならないと思うのですよ。
602 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 07:14:44 0
>>601 >神経一本しかない原始腔腸類の筋肉を収縮させる摂食運動に「私」がありますかね。
これは「私」の定義によるんじゃないのかな。
「私」が「自己」のことであれば生物は細胞一つの段階からすべて「私」がある。
細胞膜で自他の境界を作ったときから「私」はある。
「意識」は神経系の機能だから神経系のない植物に意識はないと思われる。
「自己意識」はさらに中枢神経系、すなわち脳の機能と思われるから脳の
ない動物には自己意識はないだろう。
>「自己意識」はさらに中枢神経系、すなわち脳の機能と思われるから脳の
>ない動物には自己意識はないだろう。
しかし、散在神経系の昆虫に自己意識がないとは必ずしもいえないわけですね。
昆虫はかなり高度な知的活動を行いますからね。
604 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 08:29:04 0
>精神活動は、「私」という主観性の活動であり
性質が何で活動するん?(げらげら
605 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/01(水) 08:29:22 0
>>595 >「私」「他人」ではなく
>「五感、意識」が認識作業をしている、と申しているわけです。
じゃぁ誰のでもない五感や意識が、どこにあるのか
その例を挙げて下さい
>>596 では、「我なし」の可能性を挙げて下さい
このスレの住人は
「私には体がある」
「体が無くなったら私はない」
という素朴な考え方しか思い浮かばない
何の要素で私なのか という発想は、想像する事すらできないんだな
606 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 08:30:54 0
茂木どんの真似して「「私」という主観性」なんて言っても嗤われるだけよw
607 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 08:35:34 0
>では、「我なし」の可能性を挙げて下さい
ぷ
「我←思う」ここで我の存在が分っているのに 、何故に
「故に」なのか ということね
608 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 08:37:30 0
何の要素で私なのか という発想は、
ガキでも想像することだよ・・・なんだかなぁ
609 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 08:41:11 0
もう10月だよ。
>>594 どうして死後の世界なんて解釈するのかよく分からんけど、
最高位の精神は肉体に依存するのかしないのかって話なんじゃ?
611 :
動物君:2008/10/01(水) 09:06:42 0
>>581 >「私」という観念の話だからこそ、肉体に縛られていると言っている。
そうですか。あなたの思想は、観念も肉体に縛られるというものですね。
私は、観念は肉体に縛られないという思想です。この違いがあるわけですね。
612 :
動物君:2008/10/01(水) 09:12:36 0
>>582 ま、マジでキ○ガイだのバカだの本題とは違う部分で、
取り合うつもりはありません。から文字の無駄になります。
>「私」という存在性は、いかなる物理現象が原因で発生しているのか
>と問うているのだよ
あなたの問題意識は私には関係ありません。
いずれにしても、あはたは、簡単な事すら答えられない。
つまり反論すらできない。全てが質問から逃げる為にある。
無様であるという事です。これは人格を攻撃しているのです。
その上で問いましょう。
哲学者最高位にとって、「私」は肉体が無くても精神活動が行えるのですか?
613 :
動物君:2008/10/01(水) 09:25:14 0
哲学者最高位
>じゃぁ誰のでもない五感や意識が、どこにあるのか
>その例を挙げて下さい
>「我なし」の可能性を挙げて下さい
こんな事を他人に質問する前に、以下の問いにあなたが答えれば、
先に進みます。あなたは自分が答えず、他者には質問する。
まいどのことながら、身の程知らずです。
以下の問いのあなたなりの考えでも述べれば、あなたは逃げ道が一つ塞がれるのですから、
先に進めるでしょう。
哲学者最高位にとって、「私」は肉体が無くても精神活動が行えるのですか?
614 :
素人:2008/10/01(水) 09:39:46 0
>>515 >脳死も何も、脳が死んでるってのに、なに後生大事に
>その心臓とか肝臓腎臓、角膜、他云々を手放さないんだよ。
重要な視点だと思います。
参考として、(「本人が手放さない」ということではありませんがw)、
「喪の途上にて」(野田正彰/岩波書店)を挙げておきます。
大事故犠牲者の遺族が、なぜ、欠片でもいいから遺体を求めるのか・・・。
>>531 > 死後の世界の事は、「わからん」 のだよ
> だから私は、言及しません
>
> 論理哲学的には「わからん」とだけ言及します(笑
> それ以上に言及する時は、自分なりの宗教哲学を語る時ですね
> ここではスレ違いです
てか、ほんっっっっっっっっっっっっっっっとに馬鹿なんだな。
>>484は、≪お前らが「死後の問題」へとすり替えている≫と言ってるんだよ。
死後の世界があるかどうかじゃなくて、
「死の時刻」を確定することは社会的に必要なことで、その確定の仕方に様々なバリエーションが存在している。
(或いは、「人為的に確定させること」に関してでもいい。)
これについての意見を求めているのに、「死後のことはわからん」だと?
笑わせるな!
ほんと、姑息・卑怯・詭弁を絵にかいたような性格だな。感心するよw
いいか?
この場合の(484内での)「肝心なこと」ってのは「死後の世界」のことじゃない。
「脳死という死の基準」についてだよ。或いは、「患者に、(人為的に)死を迎えさせること」についてだよ。
これを無視して「死後の世界はわからん」の一点張りか?w
お前には、馬鹿という罵倒すら勿体ない。
615 :
素人:2008/10/01(水) 09:41:33 0
さて、その主張(「唯物論の否定」「『私』という根幹の設定」)から推察されるに、
最高位氏こそ、脳死問題に敏感でなくてはならないと思うわけです。
最高位氏は、
唯物論と(唯物論的アプローチと)物理学・科学(物理的科学的アプローチ)とは違う、
と仰っています。
脳死肯定、或いは推進の立場は、「物理学・科学の分野からなされている」のではないでしょうか。
それが臓器移植の為に要請された基準作りでも、
その根拠には、科学的アプローチ(この場合は医学と言うべきかもしれませんが)による
様々な臨床データ・研究結果が用いられているのではないですか。
これが「唯物論的世界観からなされている」ならば、最高位氏は当然一連の事案を却下否定せねばなりません。
これが「物理学、科学、医学の立場からなされている」ならば、最高位氏は、
賛同するならばなぜ賛同するか、反対するならばなぜ反対するか、を述べる必要があります。
なぜなら、「物理的、科学的アプローチ」を肯定しているからです。(おそらく医学・医療の進歩、研究もお認めになるでしょう。)
「物理的、科学的アプローチ(この場合なら医学・医療の進歩、研究)」を肯定するならば、
そうした医学的見地、研究結果からのみ見るならば、基本的には、脳死判定は妥当であると言わねばなりません。
(実際に恩恵を受けている人がいる事実も無視できないでしょう。)
反対するならば、別の観点、
すなわち「社会的文化的コンセンサスの面」「人の(文化的基盤の上にある)“情”」或いは「(伝統的)倫理観」
などを基軸にするしかないでしょう。しかし、そちら方面での発言もない。
宗教的価値観を持ち込むことも、たぶん御嫌いなのでしょう。
結局、氏は、こうした問題に対して、
良く言えば「沈黙を保っている」、
中立で言えば「何も言葉を持ち合わせていない」、
悪く言えば「理解できていない」、
ということになります。
ま、「唯物論破壊!バンザーイ!」で終了という、
この辺が彼の限界なのでしょうが・・・w
616 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 10:08:43 0
>>556 そこから突っ込むのは少し野暮かな。w
彼が決して“自由”ではないことを指摘したいのだろうが。
たしかに天才君が“自由”でないゆえんは、その思想が「国語」に縛られているから。
それは共同体のなかの、いわばコップのなかの“自由”でしかない。
つまり天才君の思想、その言説は(当たり前だが)国語(の規則)によって組み立てられていて、
その外に出ることはできない。むろん、これは彼に限られる話ではないが。
天才君は不自由な自由を謳歌しているだけで、そのことに彼は自覚的でない…。
少なくともそのことを踏まえて言表しているとは思えない…。
ということかな?
617 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 10:13:54 0
;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`ヽ
トトハハトトトt 1トト、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;!
`ヾ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;!
'' ´´` l/ハj;:j;;j;;;;;;;;;;;;! . 定 み 30
juj!!;;;;;;;;;;;;;! 職 ん 代
;. 1 ;: ;: ;:;! に な に
ミヽ r'二ニミミヽ 1; :;: ;: ! つ そ な
` YニニニY´ ̄ ̄ ̄`ヽ 1;: ;: ;;;! い れ っ
リ i 、 =・=- j!jj!;:i;:i;:i;:i た な て
_ノ ヽ _ __ _ 丿 };:;:!!!;! : り
ミ州ハ の 俺
,; jii、 ミハ 以
.,′ ) / / 外
` ゙゙""`¨´ ,レ′
;: .: ;:. : ;:; :. : ,ハjハ
-===-、、,, ,ハj
、__ __ _, ハl
`¨¨¨¨´ ,イ {
.: ;,: .:;, : ,.: ,;: / L 女の醜さの証明2
;:; ;'`.; :;: ; ; イ )
ニTT 「「´ / ├- 、、_
i{! / ト、 ゙゙¨ `ー‐ -- 、、
i{! / // ト、ヽ ``
あのぐちゃぐちゃの言葉のどこが規則に縛られているんだよ
意図的に何も言おうとしていないんだから、何も言ってないに等しい
詩人に規則は必要ないだろ
かっこよさや耳心地のよさ、見た目の美しさ、それらのためには規則を無視することをいとわない
伝える内容なんてないんだから
619 :
動物君:2008/10/01(水) 10:40:14 0
>>618 そうなんです。言葉つまり観念は、ここ2CHの発言を観察すれば、
明らかなんです。思想自体に伝える内容は無いわけです。
ようは、読者がどう思うか?それだけです。
ここは、文字が羅列してあるだけなんです。
この事実を受け入れましょう!と言っているわけでもあります。
天才君は自由意志を否定したので(最近、またあるとか言い出したが無視)、
おれは天才君を攻撃する気はなかったが、暇になったのでいわせてもらう。
おれはSF小説の創作ということをしているが、
新しい発想を生み出すのはそれは苦労する試行錯誤がいるのだ。
その経験からして、思考が自由だなどとは思えない。
先入観があるため不自由なのではなく、新しいものを発想する努力を積み重ねなければ、
新しい発想は生まれてこない。
新しい発想を生み出したあと、過去の自分を振り返り、先入観が発想を生む邪魔をしていたなどとは思わない。
621 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 10:48:58 0
>>素人先生
朝から何を憤り、咆えているのだ?w
たしかに“死”はこのスレと大いに関係があり、いずれ本格的にw論じることもあるだろう。
しかし貴兄の「脳死は是か非か」という立て方は、少しズレている。
どうしても議論したいのなら、私は加わってもいいが。w
得意の一知半解レスで、そこそこの見せ場はつくりましょう。w
貴兄のレスから、こういう感想を持った。「私は“私の死”を死ねない」
脳死云々は、死に瀕する当人の“死”を問題にしているのではなく、
社会における一般的な“死(の基準)”を決めようという話だろう?
たしかに、それを決めておかないと具合いの悪いことが少なくないのはわかる。
しかし「死ぬ当人」以外の“利益”をめぐる議論なら、あまり食指が…。
622 :
天才君:2008/10/01(水) 10:54:58 0
>>620 私は自由意思(意志)を否定しますし、自由意思(意志)を肯定します。
また、あなたの発言そしてあなたの思想全てを肯定した上で、発言しますが…。
私は主体があるという信仰を持っていません。
だから私が生む自由も無ければ、私がもつ不自由もない。
「私」というフィクションあるいは、形態は、人との繋がりの中で
立ち現れる観念であると言うわけです。
だから自由の所有者が存在しないのです。
このような思想が天才君の思想です。
だから私は常に自由意思、色々な事を思えている。それに考えている。
これは私の仕業ではない。ただ、そういう行為がある。それだけです。
623 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 11:19:13 0
>>585 >「五感と意識」によって認識作業が行われる。
>その過程において「私」という概念も生じる、ということです。
唯識さんは唯識思想じゃないのかな。
五感と意識の六識では不足するからマナ識とかアラヤ識を追加したんだろ。
「私」はマナ識により発生する。
>>622 反論その1:
天才君には主体をもてないという不自由さがあるじゃないか。
反論その2:
天才君は創造神の一部ではありえても、創造神そのものではないよ。
おれの脳と天才君の脳が別個に離れて存在しているから、おれの脳という閉じた主体性が存在するのだ。
625 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 11:31:43 0
>>618 君はシェイクスピアの翻訳も読んだことがない御仁だからね。w
詩人は、その国語の(規則の)純化をめざすか、その破壊をめざす。
が、破壊といいながら、良い詩は自ずと規則(言葉の使い方)を拡張してしまう。
換言すれば、どちらをめざしても優れた表現は国語に回収される、ということだ。
「きょうは散々だ。憂鬱だよ」とサカナ屋のオヤジが呟いても、今日では奇天烈ではない。
動物君は「思想自体に伝える内容はない」と語っている。
が、そのことを表すためには国語の規則に則るしか方法はない。
文字どおり言葉を羅列したら「思想の無内容」を表すことはかなうまい。
簡単だから、単語を無茶苦茶に並べてみるがいい。
天才君もまた、しきりに意味を表出するべく足掻いていることがわかる。
626 :
哲学者最高位 ◆Trvm6PB/QQ :2008/10/01(水) 11:38:34 0
>>612 >哲学者最高位にとって、「私」は肉体が無くても精神活動が行えるのですか?
知りません
行えるか行えないかは、誰にもわからないんじゃありませんかね
実は行えるのかも知れません
しかし逆に、物質である体の側から考えれば
いかなる物理的要素を以ってしても「私」を現象させる事は、絶対に不可能だという論理的結論は出ています
この一つの結論からだけで
いずれにせよ唯物論が間違いである という結論が導けます
物質の側に、私を現象させている要素は、ありえないからです
627 :
天才君:2008/10/01(水) 11:41:43 0
>>624 >天才君には主体をもてないという不自由さがあるじゃないか。
主体がもてるからこうして肉体を持っている。私はフィクションですと
すでにお話しておりますね。
>天才君は創造神の一部ではありえても、創造神そのものではないよ。
個別であり全体でもある訳です。神しかいないという思想です。
※神という言葉には何を当てはめてもかまいません。
>おれの脳と天才君の脳が別個に離れて存在しているから、おれの脳という閉じた主体性>が存在するのだ。
肉体の話しですね。肉体は個別で存在していますね。但しこれは言語による
分類ですが、物質に個別はありません。全体で一つではないでしょうか。
一部を見れば個別です。全体であり個でもあるだけです。
このようにお答えします。
628 :
天才君:2008/10/01(水) 11:43:40 0
>>625 その通りです。異論はまったくありません。
>>626 最高位。
>いかなる物理的要素を以ってしても「私」を現象させる事は、
>絶対に不可能だという論理的結論は出ています
なんてことは証明されてないよ。証明されてると思ってるのは、最高位の論理的飛躍だよ。
少なくとも、一つは物質から「私」を作り出す方法が知られている。
精子と卵子をくっつけて、成長させることである。
最高位は、いい加減に妄説から離れるのだ。
最高位の過去の功績は残しても、最高位自身は変わりつづけないといけないだろう。
最高位は同じ場所にずっととどまっているということばを痛感するよ。
>>627 天才君はフィクションではありませんよ。断言します。
天才君は創造神の個別であっても全体ではありえないよ。
おれの脳という肉体から発生する天才君とは断絶した情報体が存在するんだよ。
630 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 12:05:43 0
論理的結論とはいっても、私的なものだから。
話の筋道のスタートは勝手に設定できるんだし。
2chで好き勝手な事を言ってたらいいがな。
631 :
天才君:2008/10/01(水) 12:07:53 0
>>629 >おれの脳という肉体から発生する天才君とは断絶した情報体が存在するんだよ。
なるほど、そういう思想ですか。私の思想とは違いますね。
633 :
素人:2008/10/01(水) 12:36:42 0
>>621 別に議論までは望んでいない。
「意識」とは別に『私』がある・いるならば、それは、脳死等とどう関わるのか?
これだけでいい。無関係なら無関係でもいい。
ただ、一応、肉体の状態・存続と関係はあるというお立場のようだし、
一人一人が“我が事として”考えた場合、
「ちょっと待て!俺はまだここにいるぞ!棺桶の蓋を閉めるな!」という事態があるのかどうか。
これまで、脈を取って心停止(或いは呼気吸気)等が基準だったわけだが、
その際も、肉体が動かなくなっただけで、それぞれの『私』はまだそこにいたのかどうか。
人間は、永きに渡りそのようにして、膨大な数の殺人を犯してきたことになるのか。
≪(たとえ心停止であっても)、肉体の活動停止は“その人の死である”≫という伝統的基準は、
(唯物的と言ってよいかどうかわからないが)唯物的価値観に色濃く侵蝕されていないか。
(しかも、自己申告でなく!当事者でない他者が判断を下す。)
別に、「魂が抜けたから肉体が活動を停止した」という価値観でもよいが、
それは、現在どれくらい支持されている価値観だろう。
脳死でなくてもいい。これまでの「死の基準」は、「『私』の消失」とどれくらいリンクしているのか?
「『私』の消失が“死”である」と言い得るのか? いや、≪『私』の消失をこそ“死”と言うべき≫なのか?
しかしそうであるなら、他者が「『私』の消失」を知りえないとしたら、土葬にしろ火葬にしろ鳥葬にしろ、
他者が、同意も無く、強制的に、まだ存続する『私』を消失させる行為にならないのか?
なぜ、人は長い歴史に於いて、そこに「その人の死」を見てきたのだろうか・・・。
それとも「“死”と『私』の消失は無関係」なのか?「どうせわからないんだから」、と無視しておけるものなのか?
もし、そうであるなら、そんな『私』はチリ紙と一緒に捨ててしまえばいい・・・w。
625
そのレスは文学的とかいうレスなのかもしれないが
哲学的には幼稚
最高位じゃないが、デカルトの「われおもうゆえにわれあり」を考えろ
俺がなんで天才君を批判する時にピュロンを出したか
「実際に」がどれほどの基礎づけになるのか
少しは考えてみてもいいのでは?
ついでに、天才君の発言は本当に無意味
それが無意味であることでひとつの意味を暗に語っていることは哲学をかじった人間だから分かること
635 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 12:54:17 0
>>633 >これまでの「死の基準」は、「『私』の消失」とどれくらいリンクしているのか?
>「『私』の消失が“死”である」と言い得るのか? いや、≪『私』の消失をこそ“死”と言うべき≫なのか?
>しかしそうであるなら、他者が「『私』の消失」を知りえないとしたら、土葬にしろ火葬にしろ鳥葬にしろ、
>他者が、同意も無く、強制的に、まだ存続する『私』を消失させる行為にならないのか?
哲学における死と、社会的約束事としての死は、別物。
たしか素人さんは仏教徒だったよね。
仏教では「生即死」と言います。
質問ばかりしている素人さん自身は、「生即死」と「脳死肯定」との
折り合いをどうつけているわけ?
636 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 12:54:36 0
>>605 >「体が無くなったら私はない」
ほほう、では最高位は「体がなくても私はある」派かな?
デカルトみたく。
637 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 13:00:10 0
>>635 >「生即死」と「脳死肯定」との
>折り合いをどうつけているわけ?
折り合いをつけるも何も全然矛盾がないじゃん。
生きたまま死と判定するのが脳死だ。
昔の死は九相誌絵巻にあるようにしゃれこうべになるまで
見届けて初めて「死」であろうとなった。
そのしゃれこうべでさえ骸骨踊りをするかもしれない、
と恐れられた。
流暢な日本語で「わたしは日本語を話せません」と言われたら
誰もが、彼は冗談を言っていると思うだろう
レスでもそう
「わたし、ゾルは外人で日本語をまったく読めないし何一つ書き込めない」
このようなレスがあれば、誰もが嘘だと思うだろう
では、それが嘘でなく本当である可能性はあるのだろうか?
「わたしは存在しない」
こう発言する人間がいたら、誰もが同じように冗談だと思うだろう
では、冗談でない可能性はあるのか?
その発言の真偽を真剣に考えることは、果たして馬鹿馬鹿しいことなのか、
それともそうではないのか
もう時間だ、さらば
639 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 13:03:51 0
>>638 >流暢な日本語で「わたしは日本語を話せません」と言われたら
>誰もが、彼は冗談を言っていると思うだろう
思わないよ。
外国にいって、その国の言葉で「わたしは○○語(その国の言葉)を話せません」と言うのは
よくあること。
640 :
「わたし」 ◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 13:08:21 0
>>1 、結論出てるだろ.
_
「わたし」=「オナニーゴミクソ」でいい。、それ以上でも、以下でもない
_
「わたし」=「餌くれ」でもいいし、
「わたし」=「役に立たない」
「わたし」=「害のかたまり」でもいい.
_
「わたし」=「ゴミ」なのだから、社会に出来るだけ迷惑かけないようにして、身の程をわきまえて生活してくれればよい.
_
、あとこのスレがどうなろうが、おれにとってはどうでもいい
_
*
I cant speak Englishではなく
I dont speak Englishと言うのが正確
上で言っても通じるけど「英語が弱い人なのね」と思われるだけ
ま、英語が苦手なのは通じるわな
642 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 13:13:04 0
>>640 それはおまえだけの結論として大切にしなさい。
643 :
おれ=ゴミ ◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 13:16:17 0
644 :
天才君:2008/10/01(水) 13:16:20 0
>>632 >天才君は絶滅危惧種の唯心論者です。
いいえ、私は私以外なにものでもないです。
コマーシャル拝見しました。
>>634 つまり天才君の発言を読み、意味を見いだせなかったあなた自身を発見した。
主体性不在とは無意味なんです。
「PはAであり、また、Pは非Aである」のような物言いは無情報
天才君はこの手の表現が好みのようだ、よく使っている
あとは、天才君が何か語りたいことがあるのか、そうでないのか、それは天才君のレスの一貫性を見て見当をつけるだけ
かくいう俺も、天才君が書いた、合理性を否定する発言で気がついたんだがね
ああ、この人は無意味だと分かってわざとそんな発言をしてるんだ、、、と
その意図を組めるのは俺しかいないんだから、俺が対話相手になろう
はじめはそんな気持ちで絡んだ
はいはい、おおいに天才君にからんでちょうだい。
キミのお相手をしてくれるのは、天才のおじさんしかいません。
647 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 13:38:50 0
648 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 13:45:43 0
、だいたいこんなスレが面白いとか、キチガイなんだよ。少数派
_
多数の人間はファミコン(など)してキャッキャッしてるんだぜ ?
649 :
天才君:2008/10/01(水) 13:52:21 0
>>645 >「PはAであり、また、Pは非Aである」のような物言いは無情報
全体は部分を含み、部分は全体を構成している。と言っているだけであり、
どこにも独立した個などは存在しえないんだよ。
こう天才君は主張しているわけです。
人間というものは「私」が独立して存在できると信じていると
いわんばかりの論者が多いね。
650 :
素人:2008/10/01(水) 14:08:13 0
>>635 「生即死」という言い方は(私個人は)あまりしないので、よくわかりません。
また、その「生」が「(人として)生まれる」ことなのか「日々連なる生活・人生としての生」なのかでも変わってくると思います。
また、双方を加味して「生まれ、そして生きること」としても、
今度は、「死」が「一般的な所謂“死”を指す場合」と「“死”が持つ何らかの要素からの譬喩としての“死”」なのかでも変わるでしょう。
(仏教関係者(特に禅系)が語る際は、基本的には後者である場合が殆どだと思いますが・・・。)
その言葉が発せられた文脈を見ないと何とも言えません・・・。 m(_ _)m
ただ言える事は、仏教内には様々な言辞がありますが、
それら全てが、そのまま、絶対的に脳死を否定する言辞となることはありません。
全て解釈次第です。なんとなれば、仏教という枠組みの中に「脳死」という概念が生じたのはつい最近のことです。
各種伝統的言葉は「脳死」という事例に対応してはいません。
貴方の挙げた例も、或る人はそれを以って肯定し、或る人はそれを以って否定するかもしれません。
各種言辞が、肯定にも利用でき、否定にも利用できます。
(それは、貴方が言う >哲学における死と、社会的約束事としての死は、別物。 と構造を同とするのかもしれません。)
651 :
素人:2008/10/01(水) 14:09:12 0
>>635 私は、現代の様々な医学的見地を信頼すべきだと思っています。(勿論、発展途中の訂正があってもいい。)
(また、仏教はそうした進歩と、現在のところ抵触してはいません。一神教系のような緊張感はありません。)
文明、技術、文化等の発展は素直に享受していけばいい。
その上で、最低限押えるべき点はどこか、を見失わないようにすべきかと。
この時、指針、或いは参考として、
「倫理道徳」だったり「人情(人としての自然な想い)」だったり「社会的要請」であったり「共同体(社会)の秩序維持」だったり
「宗教的価値観、教義」だったりが参照されるのでしょう。
現代医学の諸問題に関しては、仏教関係者が100人いれば100通りの答えがあります。
一人一人が、自分の受け止めた仏教を軸に、自分が考え、
「これこれを参考にして“私は”こう考える」と発言すべきだし、
また、上でも述べたように、それしかありません。
私自身について言えば、まだ、明確に説明文を作ることはできません。
(途中経過としての)詳細は、また要請と機会があれば、言葉を紡いで見ることも吝かではありませんが、
するにしても、暫く忙しい時期に入ることもあり、ずっと先のことになるでしょう。
この問題自体についても、一生考え続けることとなるでしょう。
ただ、
縁起し、無常なる五蘊としてある我々は、状況をよく観察し、
“極端な「生へのこだわり」”もまた斥けられるべきだと受けとめるのが
ふさわしい姿勢なのかもしれません。
ではまた。 ノシ
652 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 14:10:03 0
もうこなくていいよ
全体の内部と部分の内部で乖離しているものは時間でしょうね
654 :
天才君:2008/10/01(水) 14:23:04 0
>全体の内部と部分の内部で乖離しているものは時間でしょうね
そう思います。時空と私は表現します。
人間向けにいうならば、人生とも言えます。
655 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 14:26:57 0
つーかこのスレは、まともに通訳出来るコテはおらんのか
>>654 天才君が創造神じゃないのはわかっているんだぜ。
もし、天才君が創造神の全体にもなれるんなら、どのように宇宙を創造したか教えてよ。
天才君は、今日までおれのSF小説の存在を知らなかっただろ。
でも、おれのSF小説はずっとむかしから存在していたんだ。
これは天才君の認識の外があることを示し、天才君が宇宙の全体と等しくないことを示すものだよ。
657 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 14:30:13 0
脳死-移植についての仏教の立場からの意見としては、
梅原猛が、布施としてなら移植を許容できるかも知れんと言っていた。
「お布施」w
658 :
天才君:2008/10/01(水) 14:35:56 0
>>656 >天才君が創造神じゃないのはわかっているんだぜ。
私は全体の一部ですよ。まるで私が神であると言わんばかりの勢いですね。
創造神は全体で一つという意味あい用いればいいのではないですか。
みんなは、その一部であり、天才君もその一部。その全体が神とすれば
いいでしょう。まあ、神を人間扱いする思想もありますが…。
で、どのように宇宙を創造したか?という質問ですが、こうして
今、この瞬間でも起こっていますよね。宇宙形成の事実が。
659 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 14:54:03 0
、なんか何処でもそうだけど、「名無し」で参加してるのに、
「俺の存在を認めろ」みたいなやつが、すごい多い。
_
、存在は別にいいけど、コテかトリか、なんかつけてくれたら、分かり易いんだが.
_
、アンタ誰?て、なるぜ。 逆の立場で ものを見てくれ
660 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 15:17:45 0
>>638 >「わたしは存在しない」
>こう発言する人間がいたら、誰もが同じように冗談だと思うだろう
>では、冗談でない可能性はあるのか?
仏教では「無我」だ、と聞いた。
無我とは「わたしは存在しない」ということではないか?
661 :
天才君:2008/10/01(水) 15:27:26 0
哲学は人間が考え、人間が思う事をベースにしている。
だから人生において考えられる事を思想する。
よって「私」は生〜死にかけては存在する。
こんな事はだれでもわかる事です。人生の中で考え思う事ですからね。
では哲学は何をするのか?この各々の答えが、我々個々の哲学の
ベースとなっていますね。
天才君談。
646
うぜーな
この問題、一応「合理性の問題」と言って、哲学問題の一つなんだよ
俺はもともとこの問題に関心があったんだよ
天才君に絡む価値があるのは俺ぐらいなんだよ
他の者にとって天才君の言葉は無意味なんだから無視すればいい
だけど、俺は自分の立場上無視できない
それだけのこと
647
「できない」というのは不可能を示す
日本語の謙遜して言う文化に侵されすぎじゃないか?英語ではパラドクスだから、もともとそんな言い方しないんだよ
この日常的な例が、実は実際論的パラドクスを形成するというのがポイント
実際論的パラドクスをもってただちにそれを却下していいのか
メインテーマはこっち
お前邪魔だから絡むな!
知的関心ではなく、俺への対抗心だけでレスしてるだろ?
邪魔、消えろ
663 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 15:45:27 0
_
・ [おれの主観]で見た感じ。
_↓
1_ ニュー速 > よーわからん.日本語(?)通じてる、らしい
2_ ゲハー > ファミコンバカのたまり場.日本語っていうかゲーム、語
3_ 鉄痛 > 日本語で会話してるのかも、不明
4_ メンタルヘルス > 好き勝手してきた人たちの、たまり場. (いちおう)日本語(らしい)
.
*
664 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 15:50:16 0
>663
_
1 ループしてる(らしい)
2 ループ( 飽きてきた。 おれ
3 ループしている。 (が、何故かおもしろい. これはキチガイなのか !?
4 ループしまくり。 ( つーかだるい.
_
*
665 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 16:06:00 0
>663
「1〜3」は、くだらんことに一生懸命なってる人達が集まってる、場所だ。
_
4は、しらん.
_
*
666 :
天才君:2008/10/01(水) 16:06:26 0
合理性を持たない発言は果たしてあるのでしょうか?
天才君は全体と個は一つである。この前提に対し、
合理的な論理を創造しております。
みなさんが無意味と称しているものは、
主体・客体が融合し、かつ個を保っているという状態が
理解できないのでしょう。ま、続けてください。
667 :
天才君:2008/10/01(水) 16:11:40 0
哲学とは心身でおこなう心身操作術である。
天才君談。
668 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 16:19:05 0
>>662 おまえは馬鹿なんだからそんなに無理しなくていいよ。
669 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 17:08:07 0
いやいやw
哲学は哲学だろう。
勝手に改変スンナ、この、うんこたれ!
670 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 17:15:50 0
天才君も最高位も同じところから見てるよね。
671 :
天才君:2008/10/01(水) 17:20:03 0
そうなのです、哲学は哲学なのです。
神は神であり、私は私なのです。
>>658の「私は全体の一部ですよ。まるで私が神であると言わんばかりの勢いですね。
創造神は全体で一つという意味あい用いればいいのではないですか。
みんなは、その一部であり、天才君もその一部。その全体が神とすれば
いいでしょう。」
と
>>627の「個別であり全体でもある訳です。」や
>>666の「全体と個は一つである。」
は矛盾しないか。天才君よ。
天才君は創造神の一部であって、全体ではありえないんだぜ。
673 :
625:2008/10/01(水) 17:24:40 0
>>662 もともとそうなのかもしれぬが、このところ一段と夜郎自大ぶりが目立つね。
君に対抗心を燃やす輩なんぞ、このスレにはいないだろう? 君を揶揄したい
御仁ならいるかもしれぬが。ただし、それは私ではないぞ。w
天才君の「思想」は、ようやく理解されつつある。が、それは君の見方とは
違う。君は、彼のそれを言語ゲーム内・言葉遊びとしてしか捉えていない。
いや天才君に対するものだけでなく、君のレスのほとんどが言葉遊び、それも
古びた趣しか感じられないものばかり。それが君へのレスの少ない理由だ。
「一人でやれば」というわけだ。
天才君は「無意味」を伝えようとしているのではない。(自我と世界をめぐる)
言語ゲーム、換言すれば翻訳された“和製・哲学”のつまらなさを表白している
のである。
彼の視線は言語ゲームの彼方を指している。が、それは語りえぬものであり、
にもかかわらず言葉で語るしかないところに彼のもどかしさがあるのだろう。
沈黙するか、語り死にするか…。笑えない話です。
674 :
天才君:2008/10/01(水) 17:34:37 0
>>672 >天才君は創造神の一部であって、全体ではありえないんだぜ。
全体の要素は個です。個が一つでも抜けたらその全体は別のものになります。
つまりあなたは、神(宇宙・自然でも創造でもいいです)の一部である人間は
完全に独立して存在しえるとお考えという事ですか?
繰り返しますが、天才君の思想の根底は、
「天才君は全体と個は一つである。」「個であり全体である」これは
分けることができない。できるのは言葉による。このような考えです。
たぶんウィト先生は「言語ゲーム」にギリギリの意味をこめたはず。
が、この国では“パラドクス遊び”になっちゃうんだよね。
676 :
天才君:2008/10/01(水) 17:42:12 0
>>673 その通りです。異論はまったくありません。
私の場合は、生きる、死生観あるいは使命といわれれば、そうであると答える。
間違っていたら死ねますから。つまり死なない殺さない哲学でもあります。
677 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 17:44:38 0
その遊び、ゾル君、大好きだろう。
678 :
ゴミの、おれ ◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 19:34:05 0
>>675 、パラドクスとか、存在しないんだよ。
、おれは、’超知能’?
、の(ような)ものを、、、。 得てしまったために
、「それ」がわからなくなってる。
_
、パラドクスが、わからなくなってしまってる。
、おそらく、おれのインターフェーシング的な知能と、その分別能力は、素晴らしい。
_
しかし、かといって・・・。、ある能力の持ち主がそれで、幸せかどうかは、わからない。
_
、おれは、今の自分の能力に満足してるが、あまり充実感は無い。
ただ、この能力を欲しがってる人は全世界に無数にいるだろうと。
、ただ、 ’おれにとっての、当たり前(的)な能力’ になってしまっているので。
あまり感動とかが無いな。つまり今更だと。.
_
679 :
満豚:2008/10/01(水) 19:38:51 O
>>411 >>491 はじめに言っておくが俺はニートではない(笑)
お前あれだろ(笑) 俺と「自民党総裁選」の話してた奴だろ?(笑) 自民党総裁選の指示対象について「自民党総裁選」としか答えれず、俺の「それはトートロジーで何も言っていないのと同じだ」という指摘を無視して、
つまり、説明責任を果たさずに「じゃあ、お前が答えろよ」とか言って勝ち誇ってた奴だろ?(笑)
あの時も俺は君のその問いを無視した。覚えてるだろ(笑) 何故無視したか今でも分からないか? 正しい議論の仕方とは思えないからだよ(笑)
まるで小学生の口喧嘩レベルだ。
ま、あの時も結局お前がバカなんで勝ち誇られるのもしゃくなんで、シャーなしで答えてやったがな(笑)
でもお前は「それは俺じゃない」って言うかもな(笑)まぁ道徳や倫理に訴えるつもりはないんでどっちでもいいんだけどね(笑)
でもまぁカスにはカスの次元まで落としてお前に光を当ててやるよ(笑)
だが今この俺に説明責任があるのなら別だが、俺は自分の努力によって得たものを簡単に他人には与えない。だから、じっくり読んでお前も自分でその問題意識に身を投じ、自分で答えをだすんだな。
では雑談とはサヨナラを告げて本題だ。
680 :
満豚:2008/10/01(水) 19:39:50 O
>>続き
>「蝿のいる写真」の意味は何?
「リンゴ」の意味は? 「ミカン」でもいい。
君のこの問いの立て方はナンセンスだ。とても膨大なピース量のパズルから一つだけピースを渡されて「何のパズルか当てろ」と言われてるのと同じだからな(笑)
ある言葉の意味を知りたければ、その言葉がどのように使われているのかを分析しろ。ある言葉の意味を知っているとは、その言葉をどのような文脈で、どのような状況で、どのような振る舞いのもとに使われるのかを知っているということだ。
文脈や状況、振る舞いなどから切り話して、言葉の意味など出てくるわけがない。
少しは本など読んで参考にしろ。
例えば「りんご」という言葉は、ある時には空腹を満たすための意識表示として使われ、ある時には人の名前として使用し、ある時には頭の上にのせて弓で射る的にするために使用するだろう。「りんご」という言葉をだぞ。
まぁじっくり考えろ。
で、問題の
>意味(という言葉)には、どんな意味があるのですか。
という問いについてだが、「意味の意味」ではなく「「意味」という言葉の意味」を問われて正直ホッとしているよ(笑)
で「「意味」という言葉の意味」についてだが、これも先に述べたことと同じだ。 (まだまだ暫定的な考えだが)「意味の意味」については問わないでくれ(笑)俺は神様じゃないからな(笑)
で、お前は「りんご」という言葉の意味をどう答えるのさ(笑) あぁあ、これで俺もカスの仲間入りか(笑)
681 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 19:55:00 0
ゾルもそうだけどこういうやつらって
「特定のだれかが自分を攻撃している」っていう妄想をもつようだな。
682 :
ゴミ ◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 20:01:46 0
>>679まんぶた
、アンタが「むちゃくちゃアタマがキレる」のはわかる(おれはそう思ってる )
が、いつもボロクソに「あなた」が叩かれてるのは、説明の「それ」が
、あまりにも手続き(的)〜過ぎるために「おもしろく無い(状態)」になってしまってるからだ.
、大多数のアホには超的高度な、論理的思考能力はおそらく備わって無いのだ。
、多数のアホは、情緒的表現などから相手を判断する。
、もともと生体である、生物は、論理能力(のみ的)に優れているような「もの」には成ってはいない.
、そして「多数のアホ」はアホなりに、面白く無いか?、既出であるかどうか?。などの判断基準で判断する。
、つまり「論理性そのものの、構成のなされかたの美しさ」という点での評価尺度(というよりセンス)をもって無い.
、なので「理解出来ない(低脳)」と成ってるわけだ.
そんな感じ.
683 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 20:04:03 0
「まんぶた」はアタマは良いんだけど・・。
、なんかユーモアがな。、今ひとつっていうか.
*
>>680 「『意味』という語の意味」
は辞書にあたれば簡単に分かることだけどさ、
「意味の意味」
ってのが難しいと思ってるのは何で?
685 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 20:10:16 0
>>681 >「特定のだれかが自分を攻撃している」っていう妄想をもつようだな。
「まんぶた」はそういった、妄想のようなものは持ってない。
、ただ高度に組まれた論理は、他人の(くんだ)論理と競合し易い面を持ってしまうので、そういった事になる
(というか印象がそうなる)
_
、あと「681 名無し」は理解力というより、「精神的な寛容さ」のキャパが低い。
、これはアンタが自覚して直すしかない。(というと、たいていキレだす、 「パターン」 になるが・・・ . )
_ *
686 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 20:12:06 0
>>684 >「意味の意味」ってのが難しいと思ってるのは何で?
例えば「心の仕組みドットコム」の、 パターン とか _.
>>684 読解の仕方によって、やっかいなことになるからじゃね?
「意味が存在する意味は何?」という意味でw
それは「私が生きている意味は何?」とか「私が生まれた意味は何?」とか
「宇宙がある意味は何?」とかと同等な問いになるからじゃね?
688 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 20:15:13 0
とりあえず、「まんぶた」はアタマが良いが「理解されがたい〜タイプ」なので
、おれが勝手にフォロー入れといた。
_
(そろそろ規制が入るな ・・ .
少し分かったような……
「素数」という語の意味は、「1とそれ自身でしか割り切れない数」。
「1とそれ自身でしか割り切れない数」の意味は、「素数」。
「意味の意味」を最後まで突き詰めていける、とすると、
「意味の意味」それ自身が指示対象と同じことを言っちゃう、
言葉を最後まで展開できるなら、
意味=指示対象
っていうトートロジーが成り立っちゃう、
これでいいの?
690 :
ゴミ ◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 20:27:24 0
、エリート教育から、〜・・完成されてしまうと「まんぶた」みたいに成る(ケースが多い).
_
おれは寄り道、し過ぎたため「完全なゴミ」に成ってしまった・・ |´∀`)ノ なんか文句ある?
625
天才君が合理主義哲学を攻撃しているのは俺の解釈通りだし
だからこそ、俺が天才君と議論することに意味はあったのよ
ついでに言うと、もう議論の大半は終わったの
哲学がつまらないと思うかどうかは人それぞれ
ただ、既存の哲学を馬鹿馬鹿しいと考える人たちが現れた
天才君にしろ、NASにしろ、そういう思想的影響を受けている
で、そういう人たちを「非合理主義」と呼ぶんだが
今まではそういう人たちを相手にしないでスルーするというのが一般的な立場だった
ちなみにパラドクス遊びとあるが、天才君の発言は必ずパラドクスになる
パラドクスをもって却下していいならば天才君の言葉をただちに却下してよい
だから、このパラドクスの問題を積極的に俺は挙げてきた
まぁ、何と言われようがいい
俺はこの哲学の伝統的な問題に関心があり
合理性や道徳の批判可能性を明確にすることを研究課題としてきた
それだけ
で、天才君からはそういう気配はしないが
この手の非合理主義はマルクス主義と結びつくことが多い
言葉じゃ何も変わらん
暴力だけが世界を実際に変えられる
だから労働者よ、行動せよ
実存主義哲学から構造主義を経て今に至るまで
大陸哲学はマルクス主義の影響が多大にある
天才君は単に非合理主義をもって遊んでいるだけっぽい
で、その内容は相対主義と変わらん(形式上、相対主義ではないだけで、実質的には相対主義だ)
だから、俺の価値相対主義批判が真っ向からの批判になる
693 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 21:07:17 0
>>691 >天才君の発言は必ずパラドクスになる
つーか「てんさいくん」は非合理主義ではなくて、「超的合理主義」を
とってる(はず)なんだけどな.
、あとたぶん普通(?)の人がみたら「パラドクス」として見え〜、てるんだろうけど
、おれのからしたら「ごく普通」に見えてる > 「てんさいくん」
、あと「てんさいくん」の天才的なとこは、その視点の傾向を、徹底している点のように思える
天才君のような、この手のぐちゃぐちゃした言葉を使う連中がわんさか出てきた歴史が70年代にある
俺が以前に引用したのは、この種の言葉を使う人たちを暗に批判する文書だ
「ウンコ議論」と呼ばれるそれは天才君がするような議論
じゃあ、ウンコな発言とそうでない発言に線引きはできるのか
ウンコな発言もそうでない発言も同等なのではないか
といった疑問が生じる
この議論に向かうには真理理念の検討が必要だと俺は考える
これが、俺が以前に真理について書いたときの問題意識
で、夜郎自大と言われようが言うぜ
この問題意識、共有してないだろ?
だから、俺だけが天才君と議論することに意義があるんだよ
この問題意識がない人には天才君の言葉は無意味だ
スルーしろ
693
はいはい、呼び名は何でもいいですよ
ただ、哲学の伝統では「非合理主義」と呼ぶんです
別に何でもいいんですよ、名前なんて
問題は、超越論的実際論的パラドクスを侵している発言をまともに相手する価値があるのかということにあるだろう
ちなみに俺は「非合理主義は合理的に擁護されうる」と考える(ポパーと一緒)
696 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 21:33:06 0
>>694 >この問題意識がない人には天才君の言葉は無意味だ
、よーわからん。
、自論?て。なんだと?。っていう。
、例えば、普通では「てんさいくん」みたいなのは意味不明だし、嫌われる(傾向にある)わけだな。
、しかし「てんさいくん」の「それ」は一つの信念(のような)傾向によって構成されてるのでおもしろい.
、「1+1=2」ではつまらんのだ、おれは。
例えば、数学(などの)2次式(LVの問題)をスラスラ解く人間が、
、「小学校の 算数ドリル」をやりたがるのか。?、て問題だと。
、「1+1」=2とか、3とか、マイナス2、とかではつまらんのだ.
・「てんさいくん」の「それ」は → 「1+1」=「a;lnuga:lkdjmg:di」<? 、みたいなとこがあっておもしろい
_______________________________ .
>>695 >問題は、超越論的実際論的パラドクスを侵している発言をまともに相手する価値があるのかということにあるだろう
・・。
だから、「1+1=2」の延長だと面白く無いだろ?っていう。
_
>超越論的実際論的パラドクスを侵している発言をまともに相手する価値があるのか〜
価値はある。なぜか?
、「おれにとっておもしろい」からだ.
、なんか文句ある?w.
696
君はそうすればいい
言葉の内容に着目し、その「正しさ」を問題にする伝統がある
「合理主義的伝統」と呼ばれるものだ
この伝統は今では世界標準のように浸透したが
未開部族のように、それらが浸透していない伝統、文化もある
合理主義も一つの伝統に過ぎない
このことをもって文化相対主義者などは、合理主義を必要以上に攻撃する
そのような過剰な文化相対主義的態度は正しいのか
俺は、「正しくない」と考える
それだけ
698 :
天才君:2008/10/01(水) 21:45:13 0
【哲学の伝統的な問題に関心があり】氏さんへ。
確認と合意事項はあなたと分かち合いたい。
よってあなたの断定に対して私の思いは伝えるのが天才君流の礼儀です。
>既存の哲学を馬鹿馬鹿しいと考える人たちが現れた。
哲学はインド、東洋、西洋と様々。どれを哲学というかはさておき、
馬鹿馬鹿しいと考えているのは、「哲学史」の鵜呑み論者です。
>天才君の発言は必ずパラドクスになる
>天才君は単に非合理主義をもって遊んでいるだけっぽい
これらの考えに対する私の考えは、一生涯を賭けています。神、縁、道とも言います。
一元論者です。
>議論に向かうには真理理念の検討が必要だと俺は考える
同感ですね。私は動機と言います。実用的でしょう。
動機が見下しなら全てはそれであり、動機が繁栄ならすべてがそれである。
動機が全てである。
おおむねこんな所でしょうか。
699 :
天才君:2008/10/01(水) 21:51:49 0
私の算数では、1+1=1です。
宇宙+宇宙=宇宙って事です。
2+2=1です。
これは宇宙が4つに言葉により分断された状態です。
それらを足せば、また宇宙に戻ります。
こんな単純な思想です。
700 :
サザエさん ◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 21:55:36 0
J(´∀`)しシ < みんな見てる〜 ?
701 :
天才君:2008/10/01(水) 21:56:15 0
哲学が行っている事は神の論理的実証でしょう。
で、できない。
できないなら論理的実証に欠陥がある。
それは言葉を使うからである。言葉は常に反対側が置き去りになる。
反論と逆説が成立する。だから飛躍・仮説を立てねばならない。
しかし飛躍は、論理的ではないから論理的実証の対象にはならない。
だから哲学は既知内で収まる。私は既知外である。
天才君談。
702 :
天才君:2008/10/01(水) 21:59:08 0
神、真理は論理的実証で人は納得するものではない。
体で感ずるものである。つまり論理は体で感ずるものを
論理的に説明もできないし、レッテルを貼って処理する。
そのレッテルをこんどは解釈合戦をする。
馬鹿馬鹿しいのである。
天才君談。
天才君
失礼、「遊び」ではないようだ
そう感じた理由は、
思ってたより合理性を攻撃しないということ
自分の印象では、非合理主義者は、
口では言わないが「合理主義こそ悪の権化だ」って雰囲気プンプンみたいな論調が多かった
天才君はそうではなかったので、その真剣さを疑っていた
すまん
704 :
天才君:2008/10/01(水) 22:08:32 0
>>703 > 失礼、「遊び」ではないようだ
いいえ、正直な動機であることは天才君は知っています。
あなたのいかなる文面からも悪気はくみ取れない。
私には、見下しすら見いだせない。
> 思ってたより合理性を攻撃しないということ
合理性は間違っていないからね。但し限界がある。
こう言っているだけです。哲学者最高位も論者として、その限界に内に
止まっている。間違いでもないし、是非を問うものでもない。ただ
そうであるというだけです。
>すまん
誤る必要はないのです。
真摯な態度にむしろ私は敬意を表します。立派である。
私は人生をフィクションであると言う程度の人間ですから。
で、遊びは真剣に遊ぶという思想の持ち主です。
705 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 22:18:20 0
ま、他人の存在てけっこう、、。 重要だよな
、キチガイ他人がおらんかったら
、こういう無駄(?)な事も、(かいわ?)とかも出来ないわけだし・・。ねぇ
706 :
天才君:2008/10/01(水) 22:23:17 0
哲学には形而上学つまり、対象が存在する理由や原因を考える学派がある。
これに哲学者最高位は踏み込まない。不思議である。
哲学は本当に幅が広い。観念の存在をあたかも物質的に扱うようなインド哲学や、
全てを否定する一派や、全肯定。考える手法は無限にある。
なのに、物理学的アプローチが多いのは何故だ?
単なる流行である。それも快楽主義・現世利益・人間主義でもいい。
ようは死と生の生側にあるものしか対象にしない。考える行為はなんでも考えられるのである。
途中でストップをかけ、思考停止する必要はないのである。
天才君談。
707 :
天才君:2008/10/01(水) 22:26:45 0
諸君、死をこえようではないか。生側だけに限定する必要はない。
検証が必要でない世界が死の側にあったとしたら?
それが真理であったとしたら?こういう可能性すらあるし、
生の反対が死であるならば、現在よりどころにしている論理すべてが
あべこべなんです。このような創造力だれでも持てる。
ブレーキを外せばね。
708 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 22:39:45 0
>>「さいこうい」
、つーかこの「てんさいくん」はリアルに居る(存在してる人間)、なわけだな。
、こういう人間が居るってのは珍しい。
_
こういう「センス」を持っている(持てる、人間)は、少ない.
709 :
○丸:2008/10/01(水) 22:49:24 0
>哲学には形而上学つまり、対象が存在する理由や原因を考える学派がある。
>これに哲学者最高位は踏み込まない。不思議である。
デカルトは、「我思う故に、我あり」これ以外はすべ疑った。
もちろん形而上学も疑い、そして
「我思う故に、我あり」から出発して
物理学に寄与したらしい。
座標なんかも、デカルトの考案なんだって?
でも俺も、形而上学的真理うんぬんより、
道徳問題だな。
710 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/01(水) 22:50:43 0
_
、「哲学」てなんだろな。?
、これ、わからんひとはマジで、わからん(はず)だしな。
_
あと、おれは「てつがく」とか、どうでもいい。
おれ、がしたいのは、「理解」と「発展の可能性 ? 」だ。
、それ以外に・・・。 特に興味は、無い。
711 :
625:2008/10/01(水) 23:25:30 0
満豚君は「言葉には意味がある」という主張だった。それに対して天才君は
言葉は空虚、と応じた。これが発端だ。先後は忘れた。私は天才君支持。
結局、言葉自体に意味があるのではなく、使用され、その使い方が相手に
理解されたとき「意味」を生じるというのが満豚君の結論のようだ。違う?
満豚君「リンゴ」に意味などないよ。述語がなければ。初めからそう言っている。
ただし、天才君の「言葉は空虚だ」というのは、そういう意味wではない。
彼は一見、言葉遊びに興じている。そこだけみると、私以上にふざけている。w
が、彼の場合、方法論的・言葉遊びだ。たまには楽しんでいるようにみえる。w
が、それが目的ではない。
たとえば「リンゴ」について何かを言述すればするほど空虚になるというのが
彼の言いたいことらしい。なぜなら言葉はただ対象を差異化するだけだからだ。
それは自我の投影だ。天才君はその反対を志向している。言葉、自我の消去を。
酔っているので、支離滅裂な点、ご容赦。
712 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 23:38:47 0
>、「哲学」てなんだろな。?
「哲学とは痴を愛すること」で結論がでている。www
713 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 23:51:34 0
さあ、天才君圧倒的優位の中、最高位は出てこられるか?
オラわくわくするぞ
714 :
考える名無しさん:2008/10/01(水) 23:51:50 0
>>706 >単なる流行である。それも快楽主義・現世利益・人間主義でもいい。
流行?
唯物論はお釈迦さんの生きてた時代、紀元前4世紀から六師外道の一つ
順世派(ローカヤタ)として存在していた。
もちろん唯物論を信じる快楽主義・現世利益・功利主義の一派だ。
唯物論は流行ではなく不易だろ。いつの時代でも唯物論はある。
インド哲学の唯物論が第ゼロ唯物論かは知らない。www
715 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 00:02:07 0
>>680 >ある言葉の意味を知っているとは、その言葉をどのような文脈で、どのような状況で、どのような振る舞いのもとに使われるのかを知っているということだ。
「言葉の意味は何か?」という質問の答えではない。
言葉の意味をどのようにして知るか、という答えだろ。
言葉の意味はその指示対象である、に対する反論でもない。
716 :
ネオマトリクス:2008/10/02(木) 00:11:00 0
ここは記憶絶対教という妄信好きな狂信者の集いだろうか?
自分の記憶がどれくらいの確率で、何を根拠として正確なのかも
分からないのに、過去の物事を取り上げ
意識について断定的に語りまくって、
いや実に原住民というか未開惑星というか野蛮人というか。
貴方方は自分が快苦で動いてる事すら考えていないのでは?
トリップで思想名乗ってる煩悩まみれの唯識なんかも、
イスラム原理とかキリスト原始主義とか
そういったのと似た『ゴッコ遊び』『アイデンティティ欲しさ』
程度の快苦で動いてるようにしか感じませんね。。
ま、この私の発生源を変化させられない者は哀れですなあ
717 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/02(木) 00:13:30 0
>>605最高位さん
そういう「私」や他人というものを
精神、こころから切り離した一辺倒な見方ですから
そういう問いになるのでしょうが
そうした概念も認識作業(私的には作用と言いたいですが)によって
生じるものです。
>>623さん
すでに何度も最高位さんに説明してるいのですが。
718 :
○丸:2008/10/02(木) 00:34:30 0
機械氏は、「君ら懐疑論者が、なぜ新幹線に乗れるんだ。」
と言ってたが、機械論の生みの親は懐疑論じゃね。知らんけど。
wiki***************************************************************
32歳のデカルトは、自己の使命を自覚して本格的に哲学にとりかかる。
この頃に書かれたのが『世界論』(『宇宙論』)である。
これは、デカルトの機械論的世界観をその誕生から解き明かしたもので
あった。しかし、1633年にガリレイが地動説を唱えたのに対して、
ローマの異端審問所が審問、そして地動説の破棄を求めた事件が起こる。
これを知ったデカルトは、『世界論』の公刊を断念した。
****************************************************************
719 :
○丸:2008/10/02(木) 00:47:49 0
今じゃ、彼らが異端審問所を開くわけか?
やり口はかわらんな。
720 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/02(木) 01:22:14 0
>>719 あんま、此処の名無し、コテをなめんほうがいいぞ。
「まんぶた」とかは実力の100分の1も出してない
721 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/02(木) 01:26:19 0
天才君は、創造神の全体であり一部であるということろを突いてやれば、
簡単にボロが出ると思ってたけど、論理的破綻はしなかったね。
天才君は、創造神の一部であり、
創造神の全体を形作る必要最小限の部分であるという思想なのかな。
全体であり一部でもあると格好よくいってるけど、そのことばの意味に振りまわされてはいないようだ。
723 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 02:42:06 0
「私」は、快・苦で動いてるデジタル的存在。さあ?
724 :
192:2008/10/02(木) 02:46:20 0
何を言っているのか分らない、というのは
「何かを語ろうとしている」事実があることを前提としている。
「言葉を交わす・会話する」ことさえ分らなければ、
「その交わされている言葉に意味なんて無い」という判断も生まれない。
言葉が道具であるならば、そこに緩やかな必然を認めるのでなければならない。
ハサミが道具であるためには、何かしら切れるはず、という緩やかな必然がなければならず、
言葉も道具であるかぎり、発した言葉はアバウトながら通じるはずという必然を前提としている。
何かしらの必然を前提としなければ、もはや「それを、道具として見なしていない」のである。
「まぶしい」という言葉は、それを聞いたり見たりする相手(会話を知っている人)が
「光の刺激が強くて、目蓋を伏せたくなる」その感覚、あるいは
「勿体なくて、目を大きく開けて直視しえない」というような気持ちをすでに分っており、
「まぶしい」で、それを間接的に伝えられるはずであるから、「道具として用いる」のである。
「言葉に意味がある」というのは、「伝えられる・共有しうることの、緩やかな必然(力)」である。
部分としての「私」の内部の時間は必ずひとつである(分断可)
とは言えそう
726 :
天才君:2008/10/02(木) 07:04:32 0
>>722 記憶喪失した男さんは、天才君の言う、神と私との関係を
観念的にとらえているようですが、私は事実を述べているだけであり、
空論を振り回しているつもりはないです。だから論理的破綻はあり得ない。
私が空論を言っても、それは破綻しない。否定が無いからです。
単純に言えば、この世界は在る。殺さない。この二つが倫理であり規範です。
シンプルに言えば、「在る」在るだけじゃ、何が?と思われるでしょうから、
「神が在る」などと言っているに過ぎません。もう一つ倫理を追加しましょうか。
「形態」を崇拝しない。
> 天才君は、創造神の一部であり、
>創造神の全体を形作る必要最小限の部分であるという思想なのかな。
創造神という象徴を高く評価しすぎていませんか?一部と全体になんらかの
差違はありませんよ。我々が神の一部であり、神は我々の誰一人がかけても
神ではないです。
※神=唯一無二の存在ならばどんな言葉でもOK、私が一者というならばそれも在り。
727 :
天才君:2008/10/02(木) 07:25:57 0
「形態」を崇拝しない。偶像崇拝ですね。
これについてちょっと話しておきます。
有名人、言葉、頭、知性、形在るもの、
つまり人が在るといっているもの全般ですね。
無いものは語れませんが、あるものの背景として無が在ると考えれば
いいでしょう。無は定義も語ることもできませんが、人は時空内に
いますから、そこで使われるいかなる概念も対極を成しています。
人間は全くないものからは考える事すらできない。
だから無や空や神という代数Xを持ち込めばいいんです。
既に在るものから考えるからどこまでいっても絶対にたどり着けないだけです。
これは論理構築や考えるという技術的な手法の話ですが、絶対を語る以上、
真理でもあります。
だから無をあえて定義するわけです。場、背景、陰、隠れた向こう側・こちら側、
という定義でいいでしょう。それに単純に物を切断した場合、その断面しか
我々は見ることができないです。また人体には空間がある。寸分の狂いもなく
内蔵で埋め尽くされているわけではない。空間がある。空間を中心に
内臓をみることも出来るわけです。
形態の崇拝のもっともたる人間の癖は、生側のみの考えに囚われるという事です。
人間は生死をもって人生とするわけです。死を受け入れた思想でない思想は
肉体を語る。あるいは肉体を否定する。そのどちらかの相対思想に終始するわけで
永遠に絶対につまり真理にたどり着けない。こういう事です。
>>726 天才君の思想にあまり興味はないのだが、暇なので指摘させてもらう。
「殺さない」が倫理であり規範であるなら、どうやって食べていくんだ。
弱肉強食は進化の法則に則った聖なる教えだぞ。
まあ、弱肉強食より偉大な教えが存在するのは事実だがな。その教えが文明を支えている。
729 :
天才君:2008/10/02(木) 08:54:15 0
ネオマトリクス
>ここは記憶絶対教という妄信好きな狂信者の集いだろうか?
・
・
>ま、この私の発生源を変化させられない者は哀れですなあ
あなたは、その一員に含まれているのですか?
Yesならば、哀れであり、
Noならば、あなたは一体なにものか?
それ以外に属す事ができるならば、それは神の下僕です。
できれば、それ以外の可能性があると面白いのです。
天才君談。
730 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 08:58:20 0
>>687 >「意味が存在する意味は何?」という意味でw
「意味の意味」から「意味の存在する意味」を引き出すのは
深読みではないか?
「意味の意味」で普通に意味することは「意味という言葉の意味」だろ。
言葉の意味はその指示対象である、を認めるなら、「意味」という「対象」
の意味だろ。すなわち「意味ということ」の指示対象は何か?ということ。
「宇宙」の意味と「宇宙のある」意味はまったく違うことではないか。
天才君は、一個の固い宇宙という世界観をもっている。
これは決定論者の世界観に近い。
決定論者のおれとしては、天才君の世界観とそれほど対立しないので、天才君とは論争にならないのだな。
732 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 09:06:49 0
「言葉には意味がある」は「意味がなければ言葉ではない」という
当たり前の言明だね。
意味がわからない言語は言葉にならないシミや雑音と同じだ。
意味という言葉には3つくらいの意味がある。
@言葉の指している内容。
たとえばコップという言葉を聞いたら、コップのイメージや
コップの感触の記憶などコップにまつわる事柄が心の中に浮かぶ。
A存在意義。
コップが存在する狙い。目的。
B存在の重要さ。
この世界にコップが存在することの大事さ。世界における価値。
これら3つのどれなのだろうか。
734 :
○丸:2008/10/02(木) 09:24:02 0
世紀の大発見をしたんだが、どんな言葉も当てはまらない場合
どのように説明するか?
735 :
天才君:2008/10/02(木) 09:32:40 0
>>731 天才君の思想に対立概念というものはありません。
私があるいは宇宙が反逆や対立を起こしているという形態として
みられる視点は、単に「違い」、つまり観察点の相違を発見できないからです。
対立の結末は融合です。但し融合しない個という存在は、
宇宙に飲み込まれる宿命であるという事です。宇宙一の重力をもてば別ですが…。
それとて中心足り得ない。
対立はただ対立している。しかし殺意は違う。
ある論者の動機が個が絶対者の立場に立つという事で、支配という形態をとる。
当然、そういう論者あるいは、動機をもつものは、反作用として
宇宙自体から圧力が加わる。殺意は宇宙からの殺意を受ける。
私の役目は一に戻す仕事です。私とは、神の一部であり、神でもあります。
>>734 「言語に絶する新理論を打ち立てた!」と吹聴して回る。
>>735 >しかし殺意は違う。
>ある論者の動機が個が絶対者の立場に立つという事で、支配という形態をとる。
>当然、そういう論者あるいは、動機をもつものは、反作用として
>宇宙自体から圧力が加わる。殺意は宇宙からの殺意を受ける。
このような現象は、宇宙では観測されていないように思いますが。
>私の役目は一に戻す仕事です。私とは、神の一部であり、神でもあります。
何度もいいますが、天才君は神の一部であっても、神ではありません。
それに、宇宙を多様化させる方向に人類は動くべきです。一に戻すべきではないです。
738 :
○丸:2008/10/02(木) 09:49:58 0
>>736 >「言語に絶する新理論を打ち立てた!」と吹聴して回る。
うむ。君にはそれで十分だな。
739 :
天才君:2008/10/02(木) 09:59:55 0
>>737 殺意とか支配という形態、つまり個、特有の概念。これは下記で
あなたがおっしゃるとおり…。↓です。
>このような現象は、宇宙では観測されていないように思いますが。
よって消え失せる宿命であると天才君は語っているわけです。
>何度もいいますが、天才君は神の一部であっても、神ではありません。
>それに、宇宙を多様化させる方向に人類は動くべきです。一に戻すべきではないです
どうか天才君を崇拝するのは止めていただきたい。
天才君はの仕事が一に戻す仕事であるのは、個としての天才君はありませんよ。
個は全体であり全体の一つが個の表現ですからね。
個は多様化しますが、いぜん宇宙は一つではありませんか。
多様化するのは、観念であり、「個」としての「私」の多様性の表現です。
これとて神の一部でしょう。
神は全体ですよ。全体が個になりえず、個は全体になりえないのです。
ここを読み間違えないでください。
740 :
天才君:2008/10/02(木) 10:15:38 0
個と全体との関係の理解しにくい部分の補足をします。
地球を中心に天空が動いているという観念が在る。
太陽の周りを地球が回っている観念がある。
太陽は…回っているという観念がある。
どれも間違いではない。
それと同じで、私が在るという観念がある。
神の一部である私が機能しているという観念がある。
ま、ぜっとこんな所でしょう。
741 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 10:45:58 O
運動なんて人の脳が作り出してる現象だろ。どうとでもなる。
何れが正しいと言う事ではない。
742 :
天才君:2008/10/02(木) 11:02:20 0
どうとでもなる。良い言葉です。
>>739 >殺意とか支配という形態、つまり個、特有の概念。これは下記で
>あなたがおっしゃるとおり…。↓です。
>>このような現象は、宇宙では観測されていないように思いますが。
>よって消え失せる宿命であると天才君は語っているわけです。
おれは殺意や支配が観測されないといっているのではなく、その反作用が観測されないといっているのだ。
だから、殺意や支配は消え去らない。
>個は全体であり全体の一つが個の表現ですからね。
と
>全体が個になりえず、個は全体になりえないのです。
は矛盾しませんかね。
744 :
天才君:2008/10/02(木) 11:22:11 0
>>743 >殺意や支配は消え去らない。
なるほど、そのようにお考えですか。そのあたりは私の思想と違いますね。
殺意が最初からあるわけではないのです。生まれたものは変化しますからね。
固定して残るという思想は天才君にはあり得ないという事でもあります。
天才君の思想のみならず、この世界の事実ではありませんか。
>矛盾しませんかね。
論理的に矛盾するだけでしょ。矛盾は論理上のみ存在する概念ですよね。
個は矛盾を許さないですが全体はなんでも許してしまいます。
>>744 諸行無常ですからね。発生した殺意はいつかは消え去るでしょう。
しかし、
>>735の殺意に反作用が発生するという発言はまちがいではありませんか。
訂正してください。天才君には、自分の過去のまちがいを訂正することができますか。
おれは天才君と同じように物質世界の宇宙には矛盾するものはないと考えています。
しかし、天才君と違い、物質世界に貼りついた情報体には矛盾が存在すると思っています。
天才君という情報体の発言には矛盾があると申し上げます。
746 :
天才君:2008/10/02(木) 12:10:35 0
>>745 >殺意に反作用が発生するという発言はまちがいではありませんか。
はい間違い在りません。殺意は在ります。しかし何時かは消えます。
殺意つまり意志ですね。必ず反作用があります。何かをすれば何かが起こる。
当然の事ですね。
間違いというものは、固定的観点からみれば、過ぎ去ったものは全て間違いですよ。
それを訂正するという事は、私たちの世界は固定してまったく変化しない状態という事を
受け入れる事になります。そのような思想は傾聴しますが、私の思想とは異なりますね。
訂正することができるか?ですって。思想であれば、できますよ。
といっても観点を変えるとなんでも正しいし間違いです。しかし訂正して欲しいというニーズには
答えたいと天才君は思います。これはサービスですから。
過去の間違いはいつでも直せます。しかし過ぎ去った過去の事実は訂正したくても
私の都合ではどうにもなりません。
>天才君という情報体の発言には矛盾があると申し上げます。
はい、矛盾があります。先ほど申した通りですね。宇宙が矛盾ではなく、
論理が矛盾を創っています。
>>746 これで天才君との論争は終わりです。それではまた。
748 :
天才君:2008/10/02(木) 12:20:31 0
ということで、みなさん続けてください。
【私】を記述してください【私の存在性】24
749 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 12:25:29 0
> お前あれだろ(笑) 俺と「自民党総裁選」の話してた奴だろ?(笑)
>自民党総裁選の指示対象について「自民党総裁選」としか答えれず、
>俺の「それはトートロジーで何も言っていないのと同じだ」という指摘を無視して、
>つまり、説明責任を果たさずに「じゃあ、お前が答えろよ」とか言って勝ち誇ってた奴だろ?(笑)
なるほど、あのとき君はそういう解釈をしていたんだね。
君にとってはトートロジーであってもおれにとってはそうじゃないんだよ。
それに「じゃあ、お前は答えろよ」なんて言って勝ち誇ったりしてないよ。
こう尋ねている。
>おれはそういう意味で使ってるけどあんたは違うのかい?
>>680での
>蝿のいる写真」の意味は何?
>「リンゴ」の意味は? 「ミカン」でもいい。
は俺の質問じゃないが、
>ある言葉の意味を知りたければ、その言葉がどのように使われているのかを分析しろ。
>ある言葉の意味を知っているとは、その言葉をどのような文脈で、どのような状況で、
>どのような振る舞いのもとに使われるのかを知っているということだ。
これに関しては
>>715氏も言っているが
「ある言葉の意味とはなにか」の回答になっていない。
単に「ある言葉を使用できるということは、その言葉の意味を知っているからだ」という主張でしかないから。
>で、お前は「りんご」という言葉の意味をどう答えるのさ(笑)
俺に向けての質問じゃないけど答えてあげるよ。
君が多少なりとも本を読んでいることを前提にすると
「りんご」の意味はりんごだよ。
750 :
635:2008/10/02(木) 12:59:56 0
>>651 素人さん
脳死問題を提起している仏教徒の素人さん自身が、脳死についての仏教的視点からの
見解をもっておられないのは残念ですね。
仏教では「生」を言いあらわす時によく「海」と「波」の比喩をつかいますね。
「海」が生命全体であるとすれば、「波」は個々の個体的生命を表すわけですが、
「波」は「色」(あるいは「事」)、「海」は「空」(あるいは「理」)
と言い換えることができます。
「波」は実際は「海」としての生命そのものなのであって(色即是空、理事無碍)、
もし一つの「波」が『自分の命は独立した命だ』などと思うとすれば、それは
愚かしい妄想だというわけです。
脳死というのは、個体的生命(「波」)としての命の境界線を明確に引こうという
考え方に基づくものではないでしょうか。
それは、「海」の中の一つ一つの「波」に線を引いて印をつけようとするような
ものであって、「理事無碍」(つまり海と波とはさまたげ合うことなく溶け合っている)
という考え方に全く反するものではないのでしょうか?
751 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/02(木) 13:09:35 0
、「てんさいくん」はてんさい?、なんだろけど、
それでもおれは「さいこうい」派。なんでかわからんけど
752 :
kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/10/02(木) 13:33:10 0
どうしてみんな「私」を統覚する者として同一性をたもちたがるのかなぁ。
本当は全然違うのに…
「XXの意味は?」という言い方は日常生活で普通に見られるから、
この問いがナンセンスというのがナンセンスだな。
>>750 しかし、その考え方だと脳死に限らず心臓死でも何でも
同じように根拠がないということにならないか。
また個体の別が絶対のものでないのなら、むしろ臓器移植については
積極推進の根拠にもなる。可能なら心臓でも脳でもどんどん移植して、
つぎはぎのサイボーグ人間みたいなのを作っていけない倫理的理由もない。
それに加えて「死は社会的な約束事に過ぎない」というのなら、
「80歳になったら死んだものとみなして臓器を取り出してもいい」と
決めても別に構わないことにもなる。
仏教というのはそういうニヒリズムにつながる潜在的傾向を
持っているのか。
755 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/02(木) 14:01:07 0
>>752 、アンタが、認識してる「わたし」と、
、他人が認識してる「わたし」は違うんだが。
756 :
kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/10/02(木) 14:28:53 0
>>755 どうして違うって分かるのw
>>750さんは命を「海」という至極分かりやすいイメージに還元してるのが残念だね。
本当は海なんかよりも命はずっと複雑なのにね。
757 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/02(木) 14:38:20 0
758 :
天才君:2008/10/02(木) 15:28:33 0
なにを指し示して「私」とするかは、各々違うでしょう。
天才君の思想は、「私」全般を包括する思想である。
「私」ではない「何か」を「私」に置き換えた場合。
置き換えた「私」がその置き換えたものの、発生原因になります。
「私」を何であるか?これを言い切り、かつ、批判に耐えるものは、
「神」しかいないのです。あるいは「一者である私」以外にはないです。
すべての原因は背景がまず存在している。そして第一原因は、目覚める。
次ぎに目覚めていると「思う」です。で、この現象を観察すると時間差が生まれ、
そこからみれば、過去が見える。それを「私」だと言えば、発生原因自体が「私」で帰着する。
しかし観察による時間差を考慮していない。言える事は「在る」だけである。
その一部に当然「私」もある。「他」も全部ある。
天才君談。
759 :
天才君:2008/10/02(木) 15:48:41 0
思い。思っている自分。思う。これは主観です。
その主観は、肉体をもっている以上、0.3〜0.5秒遅れで認識されるという。
すくなくとも、0.3〜0.5秒前を仮説するか。または、今在るもののみを
第一原因とするしかない。ポイントは認識以前は存在しているという点である。
つまり時空の発生がもし、0.01秒で個体化されている現実をしったなら。
あるいは、0.000000001で時空が発生するならば、殆どこの世界は永遠です。
その可能性は否定も肯定もできない。
760 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 15:48:45 0
>>611 観念には指向性があり、出所は個別化されている。肉体毎に。
故に観念は肉体に縛られている。
761 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 15:54:07 0
>>589 Aは言語体系の事ですね。
>>578での言語としたのは音声や文字による記号の事であって、
言語体系という意味ではありません。言葉とした方が良かったかもしれませんね。
>思考不可能なものなど存在しない。
については、例えば、一般的な2000年前の人がエアバスA380の操縦方法を思考する事はできないと思います。
人の思考は、環境、記憶、性質等にに依存するのだと考えますが、別の解釈があるのでしょうか。
762 :
動物君:2008/10/02(木) 16:04:19 0
>>760 そうですね。
肉体に縛られているという観念をもつこともできますね。
763 :
24:2008/10/02(木) 16:27:35 0
>>679 > お前あれだろ(笑) 俺と「自民党総裁選」の話してた奴だろ?(笑) 自民党総裁選の指示対象について「自民党総裁選」としか答えれず、俺の「それはトートロジーで何も言っていないのと同じだ」という指摘を無視して、
今思ったんだけど、もしかして満豚くんのトートロジーっていう批判はつまり
「俺の質問にオウム返しで返事するなよ!」ってこと?
764 :
24:2008/10/02(木) 16:28:27 0
満豚くんさ、どうやら指示対象説を積極的に主張してる人もいないようだし、そもそもスレ違いっぽいよ。
いい加減この辺りで切り上げて次の「心的述語」の話にいってはどうだろうか。
もともと君にとって指示対象説批判はそれ自体が目的じゃなくて「スレが提起する問題に一定の解答を与える」為の手段なんじゃなかった?
我思うゆえに我あり、とは言うけれども、それでは、我思わずゆえに我なし、といえるのだろうか?
「思う」がないことも、我は包含しているのではないか。
なぜなら「思う」は沈黙の中に浮かんでいる。
766 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 18:20:25 0
>>571 >あなたは、肉体と観念とを同一化していませんか?
肉体と観念は「私」において同一化する。
私の肉体が私の観念を生み出す。
767 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 18:26:07 0
>>582 >「私」という存在性は、いかなる物理現象が原因で発生しているのか
>と問うているのだよ
そんなこと人に問うまでもないだろ。
私は私の体があるから存在する。それだけのことだ。
それともデカルトのように私は体がなくても存在すると思ってるのかね。
768 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 18:32:52 0
>>603 >散在神経系の昆虫に自己意識がないとは必ずしもいえないわけですね。
ふむふむ。
で、その昆虫の自己意識をどうしたら確認できるのかな?
人間でさえ他人が意識があるかないかを確認することは難しい。
意識を確認できないときは意識不明とするしかない。
昆虫の意識なっていつでも意識不明とするしかないだろ。
まして昆虫の自己意識など確認できない。
もちろん確認できないから「ない」とすることも出来ない。
「必ずしもいえない」ということは正しい。
769 :
W:2008/10/02(木) 18:37:31 0
>>761 >一般的な2000年前の人がエアバスA380の操縦方法を思考する事はでき
>ない
とのことですが、「思考不可能なものなど存在しない。」という言葉
はそのような意味ではありません。ここでいう「思考不可能なもの」
とは、「論理に反するもの」です。
たとえば、「円でありかつ三角形であるような図形」などというもの
を思考「しよう」としてみるとわかりやすいと思います。このような
図形はつねにすでに論理的に矛盾を含んでいるため、思考不可能です。
あなたの議論に則れば、2000年前の人がエアバスA380の構造と
目的を思い描き、操縦方法を考察することも「不可能」ではありません
でした。そのような人は存在しえたのです。
「不可能」という深遠な言葉の意味をもっと厳密に「思考」してみて
ください。
770 :
Wittgenstein教:2008/10/02(木) 18:38:35 0
失礼、
>>769の名前はWittgenstein教です。
771 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 18:45:07 0
>>765 デカルトによれば「我思うゆえに我あり」とは言えても
「我歩くゆえに我あり」とは言えないのだよ。
歩くことで私の存在を示すことは出来ない。なぜか?
>>771 我歩くゆえに我ありは言えるように思われる。
なぜなら、デカルト自身が言っているように、「思う」(cogitare)
とは狭義の思考ではないからである。
773 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 19:03:14 0
「我歩く」はだめでしょ。
自分は歩いていると思っていてもそうじゃなかったということが可能だから。
774 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 19:04:46 0
>>769 >論理的に矛盾を含んでいるため、思考不可能です。
そんなことないよ。
論理矛盾を許容する「矛盾許容論理」というのもある。
775 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 19:08:24 0
>>773 >自分は歩いていると思っていても
歩いている思っているのは我だろうから「我思う」という条件は満たされているね。
776 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/02(木) 19:20:57 0
( ´O)η ファーーー!!!!!
777 :
24:2008/10/02(木) 20:14:02 0
>>775 恥ずかしながらデカルトの議論はちゃんとは知らないんだけど少し。
疑いうるものは捨てる、ということだから
>>773さんが言ってるように「我歩く」は捨てられる。
しかし、「ほんとは歩いていないのかもしれない」と疑っているなにかは疑えない、ということでしょ?
つまり、「我歩く」ではなにかが確実であるための条件を満たせない、その条件を満たすためには必ず「思う」が必要、ということだと思うな。
だから「我歩くゆえに我あり」とは言えない、ということになる。
意味を分解・展開していき、それ以上は展開できない語があると仮定する。
それを固定語と呼ぶことにする。
意味が固定されているから固定語である。他に、意味素、概念素と言い換えても良い。
次に、同語反復(トートロジー)文型が、意味を持つ記述の中で最も下の部類、
すなわち、無意味に属すると仮定する。
□ □ □
ここで、固定語をトートロジー文型の中に組み込む。
すると、どのような固定語を当てはめても、
その文はトートロジー文型なので無意味になり、意味を持たない。
しかし、固定語はそれ以上分解できないので、トートロジー文型でしか表すことができない。
また、固定語がただ一つしか存在しない場合。
その固定語は無限の解釈、無限の意味づけが可能になる。
さらに、個別の固定語は、固定語であるかぎり、他の固定語からの意味の干渉は受けない。
従って、個別の固定語は無限の解釈、無限の意味づけが可能となる。
これだと、固定語がただの一つしか存在しない場合と全く同じ状況に陥る。
□ □ □
以上から、固定語の存在はもっともらしく聞こえるものの、
非常に多くの矛盾を孕んでいる。
>>777 いや、十分でしょw
問題は、
その「思う」が「我(或いは『私』)」と直結するのかどうか?
ということ。
なぜ、その「思う」を「“我”思う」へと変換できるのか?
ということ。
最高位氏は、これを文法的に導いている。
デカルトがどのように導き、結び付けているかは知らない。
だが、
なぜ、「思う」が(問答無用に)「“我”の行為」なのか?
については不問のままなのではなかろうか。
780 :
24:2008/10/02(木) 20:45:24 0
782 :
24:2008/10/02(木) 21:15:15 0
>>781 ああ、なるほど、ってデカルトちゃんと読んでないって言ってるのに。
なぜ我の行為なのかといえばそれはいうまでもなく他の行為は疑えるから、だろう。
「他の行為」は捨てられている。
「思う」と「我」を結びつけるとか変換するというような関係と考えるのはデカルトの懐疑を多分理解してないんだと思う。
デカルトの議論で本質的なのはここで「行為」と呼ばれてる「疑う」「思う」であって
この「疑う」「思う」が「疑う」「思う」自身によって名指されるとき「我」と呼ばれる、ということ。
文法的に導かれた、というよりは単に文法的にそう表現されているだけということだと俺は理解している。
>>782 >単に文法的にそう表現されているだけ
だからもう一つ、
『そこには「思う」しかない』『「疑っている」しかない』『「行為」しかない』
という立場が存在しうるわけで・・w
『「思う」故に「思う」あり』と・・・w
784 :
24:2008/10/02(木) 21:28:07 0
>>783 それはだめ。
それはまだ疑える。だから捨てられる。
>>784 なぜ、「思う」のは「我」なの?
>それはまだ疑える。
なぜ「疑っている」のは「我」なの?
786 :
24:2008/10/02(木) 21:36:53 0
>>785 こう考えてみたらどうかな?
君は自分自身を指すときなんて言う?
「俺」とか「私」とか言うよね?
そして君の名前は「思う」だ、と。
>>786 「ユウ君はね、バナナが好きなの」とか
「アッちゃんはハンバーグが好き」とか
「美加はピーマンが嫌い」とか色々あるよ。
「俺」とか「私」である必要性はどこに?w
それ以前に、「どのように自分自身を指示するか?」という問いが成立するなら、
もはや我は存在することが前提とされていないだろうか。
789 :
24:2008/10/02(木) 21:48:07 0
>>787 固有名詞と代名詞では指示対象が同じでも意味するところは違うよ。
>>788 もちろん存在するよ。疑ったうえで捨てられなかったんだから。
>>789 でも、やっぱり、
なぜ、「思う」のは「我」なのか?
という問いは残ってるよ。
>>789 「我は存在するか?」は「我をどのように指示するか?」の
メタレベルの問いである。メタレベルの問い
>>785について、
その上位の質問
>>786によって反論を加えることはできない
ように思われる。
このことはラッセルも『哲学入門』で言っている通りである。
つまり、「思いあり」から出てくるのは、「何かが思っている」
ということであり、「私が思っている」ということではない。
だが私はもっと根源的な反論がありえるように思う。
すなわち、「思い有り」から出てくるのは、「思い有り」であり、
誰かが思っている必要すらないのである。
793 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 22:00:57 0
「私は歩いている」という言明が不完全なのである。
これは、私は歩いていることを(鮮明の度はともかく)私は意識している、
という意味だ。
とすると
>>767 の一見もっともらしい「私は私の体があるから存在する」
との言明も怪しい。これは「私は私の体があるから存在する、と私は考えている」
と言い直す必要がある。
体があるから私がある、という常識は
>>767の『私』の思惟(意識)のなかに宿っている
ことがわかる。天才君ふうに言えば、それは
>>767の観念である。
問題は、考えている、思っている、意識している『私』は存在するや否や、である。
最高位の考えは周知のとおりだ。天才君は『私』を仮象とみなしている。
794 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 22:03:01 0
>>785 そうだね。
>なぜ、「思う」のは「我」なの?
だから、「我」は余分だね。「思う」だけでいい。
>なぜ「疑っている」のは「我」なの?
だから、「我」は余分だね。「疑っている」だけでいい。
「我思うゆえに我あり」となったのはデカルトがフランス語で
「方法序説」を書いたからだといわれる。フランス語の文法では
主語なしの文は許されない。
だからこれをラテン語に翻訳したときは「我」は明示されていない。
(コギト エルゴ スム に我はない)
が、ラテン語も動詞には人称変化があるため、間接的に「我」が示される。
日本語では主語はいらないし同士の人称変化もないからデカルトが日本人
だったら思っていたことを確実に表現できただろう。
「思っている」と言うことは疑いなく確実なことだと。
>>794 ラテン語においても「思い有り」cogitatio estで足りる。
つまり、他動詞から出発することがこの論証のミソなのである。
cogitatio estからはsumは全く出てこないであろう。
疑う余地があるかどうかではなくて、
「もし、私が〜している、が真ならば、私は存在している。」ということではないのか。
〜に「歩く」が入ろうと「思う」が入ろうと、変わりあるまい。
何も思っていなくても(たとえば完全に意識がなくても)、
「私が歩いている」が真ならば、「私が存在している」も真なのだ。
この点で、別に「思う」が特権的なわけではなかろう。
ここに認識論を入れて「私が〜している、と疑いの余地なく認識できるような
〜は何か」と考えると「思う」が入るというだけで、これははっきり言えば
くだらない同語反復に過ぎない。
第一原理的に「私」という言葉を使う必要はないのではないか。
思う者=思う者である。思う者=私であるという証明は無い。
「思う者が思っている故に思う者あり」で事足りる。
「私」という言葉が出てくるのは「他人」に向けて言葉を発する時である。
他人の存在は第一原理的に疑い得るのだから、当然に私の存在も疑い得る。
『記号のみが思考、思考こそが記号』
○擬似デカルト文
・肯定も反論も困難で、大量の哲学的批評・批判が引き出せそうな短文のこと。
・私、考える、存在する、有る、などの語から成る。
・守備範囲の広い語を選ぶ。
・文全体の意味はできるだけあいまいにする。
・多義性を持たせる。
・擬似デカルト文が量産されれば、原始デカルト文の価値は一気に下がる。
・文型と語の組み合わせに、擬似デカルト文の成否が懸かっている。
pseudo cogito ergo sum script (PCESS) というスクリプトが完成したと仮定する。
このとき、PCESSから生成された擬似デカルト文は哲学性を持つか?
800 :
考える名無しさん:2008/10/02(木) 23:50:34 0
思う者は存在する。
私は思う者である。
ゆえに私は存在する。
これは唯物論者ガッサンディの言葉(推論)である。
デカルトはこの三段論法に賛成しなかった、といわれる。
思いがある、強いて言えば、我において。
802 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 00:07:56 0
考える人こそ人である。
考えない人は人もどきであって人ではない。
江戸時代はそう言う人を人非人といった。
今は人非人は差別語で使用を禁じられている。
『思考の記述は、「私」に帰結する』
デカルトが三段論法に賛成しなかったのは
デカルトにとって第一原理の確実さは内的直観によって得られたものだからだよ
デカルトは論証を徹底しているわけじゃない
じゃあ、現代に生きる我々は、デカルトが確実と感じた内的直観が本当に確実なのか
それを論証によって検討できよう
言葉の役目は分別だと上の流れにあった
ではデカルトは「われおもうわれあり」の言葉で
何と何を分別しようとしたのだろうか
「われおもうわれあり」の言葉が排除しているものとは何だろう
『私は「私」という内省性がある。ゆえに私は思考できる』
807 :
唯識 ◆Vidya0E1.s :2008/10/03(金) 00:45:37 0
>>805さん
思いつきです失礼ですが
例えば「内と外」でしょうか。
私を知りたい人はヒト事でしょ。他人に同調しているに過ぎないんだと思いますよ。
人間の体を弄りたいなら、医学を学んでしっかりした手続きを学んでください。
809 :
Wittgenstein教:2008/10/03(金) 00:48:21 0
>>796 頭いいな。私も、その通りだと思う。
ただし、「我思う故に我あり」が「くだらない同語反復」かどうかに
ついては???ですが…
私は中学のときにデカルトのこの議論を聞いて感銘を受けたよ。
810 :
Wittgenstein教:2008/10/03(金) 00:50:39 0
>>774 >矛盾許容論理
そんなのは、思考可能性の議論に一切関係ないです。
そうでないというなら、具体的な論拠を書いて頂戴。
デカルトの言葉を解釈してみる
デカルトは方法的懐疑を試みた
「すべては疑える」(「疑えないものはない」)
この言葉の否定は「疑えないものがある」である
デカルトは徹底した破壊的懐疑ですべてを疑った
しかし、「疑えないものは何もない」と結論しようとした時、
そう疑っている何かはあると結論した
→「『すべては疑える』わけではない」
「すべては疑える」とした時、
この「すべては疑える」は疑えないからである
ここにあるのは「すべて」という語が、当の言明も含む、自己言及の問題である
デカルトは自己言及言明による実際論的基礎付けを内的直観によって確実で疑いようがないとしたのである
だが、果たして本当にそうなのだろうか?
○擬似哲学文
・いかにも哲学を語っているような短文。
>>799と同様に、
pseudo philosophic phrase program (PPPP)
という短文生成プログラムがあると仮定する。
このとき、PPPPから生成された擬似哲学文は哲学性を持つか?
そもそも、哲学性とは何か?
また、PPPPのソースコードそのものは哲学性を持つか?
さらに、PPPPのソースコードを書いた人物は、哲学者か?
807
解釈は多種多様だが、ここではオースティン、ヒンティカの「われおもうゆえにわれあり」解釈に沿いたい
デカルトはピュロン流の懐疑論に反発し、懐疑論の克服を試みた
ピュロン流懐疑論(フィデイズム)は
次のような考えにまとめることができよう
・信仰は知識に先行する
・知識の源泉は個人の信仰ないし決断である
・「わたくしは、それを信じたいから、信じるのだ」
すべての原理は個人の決断に回帰されてしまうものなのか
それともフィデイストのどんな奇想天外な仮定にも揺るがない確固としたものがあるのか
π
哲学者や哲学言明があるんじゃなくて、ただ哲学問題があるのでしょう
プログラムがつくった、意図がない文章だろうが
それを目の前にして刑而上学的な問い(観察によって解決されない問い)に向かうならば
その言明は哲学的問題を含むと俺は考える
携帯君談
815 :
Wittgenstein教:2008/10/03(金) 01:41:23 0
>>812 意味不明な点。
1.擬似哲学文の定義における「困難」、「引き出せそう」、
「など」、「守備範囲の広い」、「できるだけ」などの概念の定義。
2.>PPPPから生成された擬似哲学文は哲学性を持つか?
における「哲学性」とい%
816 :
Wittgenstein教:2008/10/03(金) 01:43:51 0
ん?
>>815の続き。
2…「哲学性」という言葉の意味が不明瞭。
3.「短文生成プログラム」なるものの生成過程が未定義。
(結論)
むちゃくちゃ
ある問題を「哲学的」と感じるような感性はどこから来るのだろうか。
とある精神科医の本を読んでいたら、哲学的問題に対して不思議に感じて哲学にハマる性格の人と、
哲学的問題に無関心でだから何?下らないとスルーする性格の人とタイプが分かれるようだ。
犬や猫とも共有できる哲学。
818 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 06:49:53 0
>>810 たとえば、「円でありかつ三角形であるような図形」などというもの
も思考可能だね。たとえば円錐は見る角度によって円でもあり三角でもある。
製図をやったことのある人には常識だね。
もちろん二次元ユークリッド平面で考える限り「たとえば、「円でありかつ三角形であるような図形」などというもの
は存在できない。
論理はどの範囲で考えるかによりどうとでもなる形式的なもの。
819 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 06:54:30 0
何を思考の範囲とするかにもよるけど、
思考に自省(内省性)が必要だろうか?
たとえば計算などは自省なしにできると思われる。
現在のコンピュータには自省はない。
820 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 07:04:25 0
確実性の探求はウィトゲンシュタインが最後まで取り組んでいて
結局果たせなかった哲学問題だね。
算術の積み重ねに過ぎないというやつか。
簡単な計算ならチンパンジーに反復訓練させたら出来そうな気がするが。
>>821 機械的に暗記するだけでなく、
なぜそうなのか?なぜそうなるのか?
も大事なんじゃない?
日本の受験用教育はそこが批判されてるんじゃない?
823 :
天才君:2008/10/03(金) 07:30:57 0
私はこんな風に考えるんですね。
哲学的思考という文化。考えるという文化。ようするに考えることは
人間が発明あるいは発見した訳です。
「考えるという行為」は個体がの創作物である。
これは懐疑の余地があるが、ここでは置いておく。
個体の創作物であるならば、その根元は、どこまでいっても個体に終始する。
しかし言葉は呼び名です。呼び名をつかって考えても呼び名について
考えているだけなんです。
で天才君は、人間を懐疑しているわけです。つまり個というものを懐疑の
対象にしている訳です。であるから、人間の創作品すべてを懐疑にかける。
すると、個が立ち現れる以前にはあらゆる可能性があると考えるに至った。
その可能性の一つに個という感覚を人間が体験した。ある生命が、肉体自体をもつに
至ったのも、実は言葉どうよう、何者か?の道具ではないか?そう考えるに至ったわけです。
その何者かが在るかどうかはここでは問題にしていませんが、個は創作品であり
肉体すら創作品であると言いたいわけですね。
824 :
天才君:2008/10/03(金) 07:52:09 0
我々が当たり前のように行っている、考える、書く、話す。
これは背景が必要ではないでしょうか。
書くには、紙が必要ですし、話すには空間が必要。考えるには、時間が必要。
詳細を語れば、上記は語弊がありますが、上に上げた必要物が一つぬけただけで、
我々は考える、書く、話すはできない。
こうして文字をうつには、さらに、文明によってなされた在る/無いという
デジタルや、水晶を用いた振動数というルールによって、文字を表示させ、
こうしてみなさんと交流しているわけです。
我々が考えねばならぬ事といえば、人間の発見、発明は、つまり創造は、
もっといえば、何者かの創造は、なんなのか?です。
すくなくとも人間は言葉を発見したのか?
あるいは何者かが人間自体を発見したのか?
はたまた、身体自体や時空は何者かの単なる発見か?
我々はこんな事もあまり考えないのです。
それなのに、言葉を使って、「私」は在るなどと信じているかもしれないのです。
私が創作品であることを考えるという発想は、すでになんらかの存在および
行為を前提に「私」というものを観察しているという訳ではないでしょうか。
つまり「私」は単なる背景の顕れかもしれないという事です。
天才君は、「私」は全体のでっち上げ(一部・観点・視点)←個を表すであるという
アプローチですが、まだ全容を語っているわけではありません。
>>822 よく分からないが、小鳥だって何でエサが出てくるのかを考えて、
戸を叩くとエサが出るんだなと分かると戸を叩くようになるし、
戸を叩いて何秒か待つとエサが出るんだなと分かると、
叩いた後に待つようになる。これも学習だろう。
これとどこが違うんだか。
ニューロコンピュータとノイマン型コンピュータの違いかな。
脳の外にノイマン型コンピュータを作って、
それを道具にして外面と内面を探る。
紙に言葉を書くのもある意味ノイマン型コンピュータで、
言葉を道具にして自分の脳と外界を探る感じ。
827 :
○丸:2008/10/03(金) 08:01:56 0
>>825 ニュートンは、「それは、神にでも聞いてくれ」
バカボンのパパは、「これでいいのだ。」
828 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 08:52:38 0
なるほど。
神に任せる他律か、私による自律か、ということか。
デカルトは本心で神を信じていない、といって非難した
パスカルの気持ちが理解できる。
829 :
○丸:2008/10/03(金) 09:01:30 0
本来の目的は、責任者は誰だ?
830 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 09:06:56 0
>>805 >「われおもうわれあり」の言葉が排除しているものとは何だろう
月並みな回答だけど「私の身体」だろうね。
身体特に神経系の中枢、脳によって考えているということを排除している。
考えるとは脳の機能である。
脳が脳を知覚することを考えるという。
西洋哲学は責任論の歴史だな。昔から責任主体をどこに置くかずっと議論している。
832 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 09:09:18 0
子供の教育はカミさんまかせだ。これでいいのだ。
833 :
天才君:2008/10/03(金) 09:18:25 0
>>831 >西洋哲学は責任論の歴史だな。昔から責任主体をどこに置くかずっと議論している。
なるほど、確かにそれは言えるね。私の身近な経験では、幼少の頃、連帯責任などという
ものを取らされたです。でも連帯責任を取らせるのは支配・強要という個人であり、
私はその個人に反逆しましたね。
834 :
○丸:2008/10/03(金) 09:25:19 0
話が恐ろしく伝わるな。
実証主義の根底が成立し、近代の幕が上がった。
って感じかな。
830
「言葉が排除しているもの」ってのはちと変な表現だったかも
Aは¬Aを排除している
だから、¬Aを理解することはAを理解することと同等である
パッと見、わからない表現はこの方法が理解しやすいと俺は考える
「われおもうゆえにわれあり」という表現で、
デカルトが否定しようとした言明があるはずだ
(もし、ないならデカルトの言葉はトートロジーでしかない)
じゃあそれは何なのかということ
その言明が成立する余地があるかどうかが
「われおもうゆえにわれあり」の確実性を考えるカギになるはずだ
・学習
学習は知識の取得とは逆だ
学習が知識の取得の妨げになる例
・ピアノの演奏は習熟すると楽譜を見ないで弾けるようになる
しかし、間違えたまま覚えると、その間違いが身体に染み着いてしまう
・タバコを一度かがせた犬は二度とタバコを嗅ごうとしない
タバコに似たものですら遠ざけるようになる
俺がひとつ追加
・あつものに懲りてナマスをふく
837 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 09:42:32 0
>>835 >「われおもうゆえにわれあり」という表現で、
>デカルトが否定しようとした言明があるはずだ
ちょっとひねった答えだけど
>>802ではどうかな?
デカルトの「われ」は「人は誰でも」くらいの意味で言っている。
838 :
天才君:2008/10/03(金) 09:43:30 0
私は支配の法則の一つとして、個人というものを創り上げた。
そして個という全体と分断された存在である。
その証拠に肉体があるではないか。痛いではないか。と洗脳した。
その張本人が居た。偉大なる発見、創造である。
我々はいぜんとして個を信じている。またそれをベースに…。
つまり支配構造、権力構造、形態崇拝の混ざり合った個という
奴隷に成り下がった。
個はたんなる呼び名であり道具に過ぎなかったが、
信じる事により、同一化する。大方こんな流れで個が確立された。
このように天才君は思う。だから文化的背景、歴史的背景から
個の象徴物「私」は誕生しているという側面もある。しかしそれが
すべてではない。ただ、言葉が密接に関わっているのは確かだ。
こう結論づけたい。
>>838 天才君は心が嫌いかい。
全てにして一つである物質界は平和だが、心は個として離れ離れなものだよ。
心の誕生は決して不幸なことではなかったと思うよ。
837
解釈は人それぞれですが
その答えにわたしは不満が残る
フィデイズム批判として
「すべてを同時に疑うことはできない」とする方がしっくりくる
841 :
天才君:2008/10/03(金) 10:02:28 0
>>839 私の全ては一つであり、全ては個であるという思想です。心も例外ではない。
つまり心これを認識ツールとしましょう。これは全体の個という観察点です。
心に幸不幸もなく、あるのは個としての快不快です。またその快不快も
全体に反映されているでしょう。
記憶喪失した男さんのように個の情動のドラマを表現することも
可能ですが、それを語るとフィクションで楽しんでしまう。
フィクションは観念だけで十分であり、流行思想をリアルとした時、
私はそれをフィクションと言うわけです。
しかしセンチメンタリズムも私は嫌いではないです。
842 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 10:10:55 0
私見では
>>801 の「思いがある。我において」というのが当を得て…。
たとえば、救求者は「思いあり」で足りるとしながら、別のレスでは
「何かが思っている」と述べている。
それをどう呼ぶかは、どうでもよかろう。それを「私」「何か」「これ」と
呼ぼうと
>>797 のように「思う者」と名指そうと、思惟・言明の外にあって、
それらを支える“何ものか”があるかどうかが、ここでは問われている。
「何か」「思うもの」「これ」「それ」と呼んでみても、畢竟、それは「私」を
言い換えたにすぎず、その隠蔽の意図が透けてみえるばかりだ。
843 :
天才君:2008/10/03(金) 10:14:38 0
「私」を定義するもっとも適切であると思うのは、「行為」である。
天才君はこう思うのです。
842
では、デカルトが排除している言葉は
「思う者(もしくはそう語らせる何か)は存在しない」という言葉でいいね
「疑い(思う者)は存在しない」というのは一つの内容ある言葉である
この言葉は到底受け入れられないとデカルトは直観によって把握したのだろう
だが、本当にそうなのか
なぜ「疑いは存在しない」という発言は棄却されてしまうのだろう?
845 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 10:29:18 0
行為も身体の機能でしかないから「私は身体である」でいいじゃないか。
ブラックホールの中心がブラックホールの中心を必死に見ようとしてるようなものだな。
そのものは観測できないが、周囲のガスが落ち込むときに放出するX線によって存在が分かる。
私みたいなものだ。
848 :
天才君:2008/10/03(金) 10:48:20 0
そもそも中心などないのでは?
つまり主体が存在していない。
主体と思っているものが全体である。言い方をかえれば
中心の中に居る。物理的観念でいえばビックバン中。
天才君が斬り捨てる観念。
言葉ありきの観念。なぜ観念が在るか?
私が在るからであって、私(主体)不在の観念は成立しないのです。
天才君はこのように思う。
849 :
天才君:2008/10/03(金) 10:49:59 0
また、尺度は数字は、無限からみれば意味が無い。
大きさも小ささもないのです。だから始まりも終わりもないですね。
天才君談。
>>844 「疑いは存在するが、疑う者(主体)は存在しない」も
ありなんじゃないの。
851 :
天才君:2008/10/03(金) 10:59:35 0
それをいっちゃお終いだよ。こう思われるかもしれない。
だから倫理や規範は意味をもってくる。
どのような宇宙を創造するか?これが全体と個の共同作業となるわけで、
今、もこれからもそれが起こっている。全体の夢でありフィクションが
この物質界の宇宙である。こう天才君は一つのドラマを観る視点に
たつこともできるわけです。
それぞれがこのような観点をもつ持たないは別として、
全体は、その力学において、形態に影響を与えて、この宇宙を創造しているのでしょう。
天才君談。
852 :
天才君語録集終了:2008/10/03(金) 11:11:03 0
ここ数年、この世界では、個という視点に基づいた宇宙観が
幅を利かせているので、全てがそのように見えている。
風景も視覚、意識さえも、一つしかもてない、あるいは持たないように
しないと気違いとみなされる。しかし気違いがあるのではなく、
視点の違いがあるだけだ。
意識が一つにしたルールづけがあるから、無意識を創るわけであり、
全ては意識でもあるから起こっている事を排除しなければいいだけです。
全てにおいて個別が無いのです。全ては名付けから分裂が起こっているのですから。
そしてそれを支配の道具に用いた人間が居た。これがドグマの正体です。
しかしその支配は生側だけに適応する。死側には無力です。
だから創造の余地は常に反対側に在る。また背景にある。また盲点にある。
また反逆にある。間違っても創造発見の余地は既知内にはなく、既知外である。
天才君談。
853 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 11:15:54 0
>>804 「私は存在する」が事実命題であるならその真偽を論証で決めることは
不可能ではないか。
854 :
842:2008/10/03(金) 11:35:19 0
>>844 「すべては疑える」としたとき、この「すべては…」は疑えない、というのは
君のレスだろう? はたしてそうか。それは君の“論理主義”的帰結にすぎぬ。
それもまた疑えるというのがデ氏の方法的懐疑の凄みだと思う。
たとえば「円であり、三角形であるものはない」は確かなことに思える。
が、これも
>>818 の言うように、それは一つの論理体系から演繹された“真”
でしかなく、その前提を疑えば、その言明は揺らいでしまう。
どこまでも疑える、というのがデ氏の到達点だろう? しかし、これはただ
懐疑主義を深化させただけである。
デ氏は“思惟の構造”に着目する。すると、無限に疑い続けるのを可能にする
“場”に自ずと行き当たる。
しかし、この“場”思惟の基底を『私』とみなすのは、むしろ最高位のそれに近い。
デ氏は『私』と“思惟する(天才君の言う行為)”を切り離さない。
思惟する(疑う)私をデ氏は“精神”と呼んでいる。
天才君は… 彼については後ほど。w
天才君の神とデ氏のそれの内実は異なるが、その要請の仕方は似ている。
>デ氏は“思惟の構造”に着目する。すると、無限に疑い続けるのを可能にする
>“場”に自ずと行き当たる。
行き当たらないよw
思惟は思惟。「思惟に構造がある」だの「場がなければ疑いもない」だのは
いくらでも疑い得る先入見に過ぎない。
856 :
842:2008/10/03(金) 11:56:32 0
ちなみに天才君はデ氏の“精神”から「思惟する」という行為を抜き取り、
こちらを確かなものとし、この行為“において”「私」は立ちあらわれる
としているようだ。この立場はここでは多い。
857 :
842:2008/10/03(金) 12:08:34 0
>>855 読解力がない御仁だなぁ。どんなことでも疑いうると言っているだろう。
みえないのか。
無限に疑うことはできる。が、それを可能にする“何か”があるのではないか
という話をしているのである。
それを“場”と呼ぼうと“私”と言おうとどうでもよろしい。
その“何か”の有無を問うているのである。
突っ込み方がわからなければ、教えてあげてもいいよ。w
>無限に疑うことはできる。が、それを可能にする“何か”があるのではないか
>という話をしているのである。
>その“何か”の有無を問うているのである。
だから、そんなものはあるか無いかわからない(疑いうる)。
「疑いうるものはすべて捨てる」というのがデカルトの方針なのだから、
残るのは「思惟あり」だけだ。それがいやなら最初から方法的懐疑などと
言わなければいいのだ。それだけの話よw
859 :
842:2008/10/03(金) 12:37:14 0
>>858 最高位なら「残るのは思惟だけだ」と思惟している君がいるだろう、と
直截的に返すところだろう。w
その「思惟だけがある」という思惟は“何において”可能なのか、と私なら
もってまわった聞き方をする。やっぱり最高位のほうが迫力がある。w
この“思惟”は意識という言葉に一般化できる。“私”の存在を否定し、
「意識だけがある」とはどういう事態なのだろう?
その帰属先が“身体”だということだろうか。これは有力な見解である。
思惟があるならば思惟している主体が存在すると推測できる
というなら分かるのだが、
思惟があるなら私が存在するはずであると導くことは可能なのだろうか。
>>859 だから、「思惟があるなら、思惟している何かがあるはずだ」とか
「思惟があるなら、それは何かにおいて可能なはずだ」とかいうのが
いくらでも疑い得る先入見に過ぎない、と言っているだろうに。
読解力がない御仁だねえw
(
>>860のように常識的に推測できる、というのならわかるが、
デカルトの懐疑の前では一蹴されなければならない。)
「身体」も「場」や「私」や「精神」と同様にいくらでも疑い得る。
疑い得るものは捨てる、という方針に従うなら、当然捨てなければならない。
もちろん、そんな方針に従う義理は無いがw
デカルトの「我思うゆえに我あり」が第一原理であるならば、
これはもはや論証不能である。
なぜなら、これが論証されるならば、それはもはや第一原理では
ないからである。
863 :
天才君:2008/10/03(金) 13:49:45 0
>>859 >“私”の存在を否定し、
>「意識だけがある」とはどういう事態なのだろう?
その帰属先が“身体”であるとしてもいいでしょう。
これは、現流行思想に敗北しますよ。
何において可能なのか?となるでしょう。
すると、物質とは何か?つまり物質の帰属先ですね。
これを考える帰属先も現流行思想の個が考えるという視点確保で、
敗北です。だからいたちごっこなんです。ここまでは論理哲学で
到達できるんです。最高位も唯物論の崩壊って事でお終いです。
この先は、まずもって、主体が在るという思想から脱却しなくてはならない。
その一点からはじめるしかないと思います。
最高位は現流行思想を楯にする。私は信仰を楯にしますね。
ただ最高位は自らの信仰は語らない。あなたは今のところ語っていない。
この先に進むには、個の信仰は避けて通れないという事です。
自らの、信仰自体に無頓着なのも現代思想の流行でもあります。
このように天才君は考える。
864 :
天才君:2008/10/03(金) 14:13:29 0
個が無いという視点で考える事すらできない。
つまり実験を拒絶する思想が氾濫しているわけです。
これが現代思想であります。
で、私が考えている、思っている。これは最後に結論づければいいではないか?
アイデアというものは、最後まで考え抜き結論づけ。そして最後に考えている
主体を最後に疑ってみる。この繰り返しではないでしょうか。
どのみ考えている・思っている行為自体は、観念であり思想なんですからね。
全ては在る無いの世界ですから。思えば在る。思わないものは無い。
思いが先か後かなどは時間とセットであって、思いと同時に在る。
これなら時間がなくても在りますね。
こんな風に天才君は考えますね。
救求者
そのとおりだが
デカルトの第一原理をデカルトにならって受け入れるだけでは最高位と変わらない
再度、デカルトの問題に立ち返ってこそ、現代においてデカルトを読み直す価値があるというもの
ネコ
解釈は自由だ
だが、デカルトに構造の発想があるとは思えん
ここでどんな議論をしようが構わないが
デカルトに沿う以上、俺は同じことを繰り返す
それと天才君の解釈をするのは的はずれだ
天才君は現代のピュロン
俺の提出する問題は簡単
「われおもうわれあり」はフィデイズム反駁に成功しているのか
866 :
天才君:2008/10/03(金) 14:26:23 0
>>865 >俺の提出する問題は簡単
>「われおもうわれあり」はフィデイズム反駁に成功しているのか
ちょっとあなたの問題に興味があるが、どんな問題なんですか?
ポイントをお聞かせ願いたいです。
>>865 私は受け入れろとは言っていない。
デカルトがこの命題を第一原理と主張するならば、
1、論証されることによって第一原理ではなくなる。
かあるいは、
2、否定される。
ということを言っているだけである。
また、ピュロニズムはフィディズムと何ら関係がない。
なぜなら、ピュロニズムは一次的感覚の確実性を認めるからである。
哲学史上、「全てを同時に疑いえる」という主張をした哲学者はいないし、
「全てが信仰である」と主張した哲学者もいないのである。
懐疑主義哲学(アカデメイア派にせよピュロニズムにせよ)に
対する批判が藁人形たたきであったこと、すなわち当の懐疑主義者
たちが何ら主張していないことについて批判が行われ続けたこと、
このことは西洋哲学史において鍵主義に対する誤解を招いている。
869 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/03(金) 16:02:11 0
デカルトの業績は大きいが、偶然に恵まれている面もあると思う。
第一原理で残ったのが思うということであることである。
残ったのが知的作業であるから、建設的であるし、本にも残せる。
これが残ったのがセックスであるなどとなれば、とても後生には残らなかっただろう。
また、明晰判明なことを明らかにする、という作業にも不満が残る。
あまり確かでないことによって論を組み立てても、矛盾が出た時点で考えればいいこと
であって、その他のツールを捨ててしまうというのはいかにももったいない。
それに実情(医学など)とはそぐわないだろう。
哲学の中にこもってしまったのである。
そこに不満が残る。
じゃあおまえやれ、と言われても困るけど。
救求者
わたしはあなたの意見のすべてに反対です
それでは、ただのデカルト的実際的基礎づけへの後退と変わらないでしょう
デカルトの試みを失敗と見なすわたしからは到底賛同できません
詳細は18時以降に
>>869 デカルトの業績は西洋哲学の伝統に沿っているという面も
見逃せないように思われる。つまり、「我思うゆえに我あり」
と最初に言ったのは、アクグスティヌスなのであり、彼は
アカデメイア派に反対したのである。
実際、17世紀の書物において、デカルトの「我思うゆえに
我あり」の部分はあまり注目されていないし、その点が新しい
という記述も私は見たことがない。むしろ、精神と肉体の
相互作用の否定の方が重要であろう(ライプニッツの
『モナドロジー』参照)。
懐疑すれば懐疑するほど
動機が存在することを証明しているのでは?
874 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 17:33:22 0
デカルトの意図なんてだれにもわからないんだから
各自重要だと思った問題を考えればいいし、それしかありえない。
>>873 なるほど懐疑が先にあったのか、実はよくわかってませんが。どんな動機でしょう?懐疑に
耐えるということか。
876 :
○丸:2008/10/03(金) 18:04:28 0
777-797
お疲れ様でした。
なにか、ヒマラヤの峰を行くような、
見応えありました。
877 :
満豚:2008/10/03(金) 18:08:55 O
>>753 >「XXの意味は?」という言い方は日常生活で普通に見られるから、
この問いがナンセンスというのがナンセンスだな。
日常生活においてナンセンスな会話が存在しないなんて保証がどこにあるのだい?
あと日常生活においては、当然(その時の状況や振る舞い、態度なども含めた意味で)前後の文脈があるのだから、発した言葉だけを見てナンセンスかどうかを判断することは不可能だろうな。
で、今回の僕のナンセンス発言についてだが、
我々は実に多くのことを見落としがちである。それは特に哲学しているときに顕著にあらわれる。ウィトゲンシュタイン
どういった状況で、どういった振る舞いのもとに、つまりそれらを含めた意味で、どういった文脈のもとに「りんご」という言葉が使用されているのか、といった説明なしに、ただ「りんご」という言葉の意味について問うことを、私は「ナンセンスだ」と指摘したのです。
どっかの誰かは「りんご」と答えていたけどね(笑)
以上!!
878 :
満豚:2008/10/03(金) 18:09:52 O
>>749 >君にとってはトートロジーであってもおれにとってはそうじゃないんだよ。
じゃあ、どうしてトートロジーではないのかの満足のいく説明をしてって感じ。で、君はきっとこう答えるんだよ「後ろのは指示対象だから」ってね。
だ〜か〜ら「それは指示対象ではなく解釈だ」という僕の指摘に対して満足のいく説明をしてって感じ。
そういった一連の僕の指摘に対し、満足のいく説明を果たさないまま
>>おれはそういう意味で使ってるけどあんたは違うのかい?
なんて問い返すこんなやり方が正しい議論の仕方だと本気で考えているのかい? その問いに対する僕の無視に君は
>「逃げないで答えろよ」
と、だいぶ勝ち誇っていた様子だったがね(笑)
>「ある言葉の意味とはなにか」の回答になっていない
という君の指摘についてだが、「じっくり読んで、自分でこの問題意識の中に身を投じ、自分で答えをだすんだな」という僕の書いた文章の意味を理解出来なかったのかい?
母国語もマスターしていないのに意味について問うなんて止めといた方が賢明だろうな。
あと、一つ言い忘れていたが、君が僕の言っていることを少しでも理解出来た時、それでも君が僕への対抗心から意味の指示対象を擁護し、僕への反論を企んだ時の為に幾つか地雷を仕掛けておいた。せいぜい踏まないように歩くんだな。
>「りんご」の意味はりんごだよ。
もう嫌だ(悲) マジで勘弁してくれ。飽きた(笑)
だから、誰かからの僕への指摘の通り、次のステップに移る。戦いの場所をそちらに移そう。
ま、君には期待していないけどね。 以上!!
879 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 18:20:10 0
>>878 で、その長い独り言のどこに「ある言葉の意味とはなにか」の回答があるんだい?
救求者
上で、プログラムの話が出た
プログラムがつくった言葉だろうが、考えることに意義はあるし、哲学問題足りうるとわたしは答えた
これは、そう主張する人格や言葉の有無で哲学問題は左右されないということでもある
独我論者がいたとする
論者は独我論を主張する必要がない
主張されない独我論を検討することに意味がないとはわたしは考えない
独我論がわれわれの常識的な世界観の可能的批判因子ならば、
独我論を批判する試みは意味がある行為である
このスレでも非ユークリド幾何学や矛盾許容論理を反例に挙げる人がいる
だが、それらはそれを正しいと主張する人が実際にいるかどうかに関わらず検討可能である
われわれの批判や議論などの行為は、実際に批判する相手がいるという条件に留まらず
可能的な批判を相手にすることもできる
宇宙人の論理や、死語の世界の論理(天才君のような)
それらを想定した可能的批判を自身に向けることは
哲学のもつ反省や内省に即した行動である
881 :
842:2008/10/03(金) 18:21:39 0
>>865 デ氏は構造という言葉をつかっていないだけ。
彼の“私”=精神には、主観(我、思う)と主体(我、在り)が不即不離のまま内属している。
これは後に切り離され、主観は基点(超越論的主観)に、主体は実存として様変わりする。
もう一つの実体が周知のように物体だ。
この二つの要素(実体)の外部に“私の不完全性”を論拠に「神」を定立する。
この“神において”二つの実体は“根拠”づけられるのだが、この論証のしかたが
成功しているとみる向きは少ないようだ。
救求者は、実際に懐疑論者は主張しないから批判する必要がないと言う
ここには、懐疑論はそれを主張することは自己論駁的であるという前提を彼が受け入れていることがうかがえる
(そして、これはアウグスティヌスやデカルトの指摘と同様である)
だが、果たしてこの自己論駁性をもってただちに懐疑論を棄却してよいのか甚だ疑問である
実際論的パラドクスをもってただちにその主張を棄却してよいのだろうか?
ここにはまだ問題があるように思える
天才君
合理性の問題については後日、説明する
ちゃんと本を読んでまとめる
書き込みは明日の午後ぐらいになるだろう
さぁ、そろそろこのへんでスピノザ先生を招聘いたしましょう。
881
構造主義によるデカルト批判って結構多い
(俺は興味がないから流し読みしかしてない)
そのデカルトに構造の発想があったというのは斬新だね
デカルトの「われおもうわれあり」はアウグスティヌスの流用って説明が哲学史では主流だろう
もとは、異教の儀式を何でも行える司祭的立場の古代の懐疑主義者がいた
彼らは、信念から異教を信じるのではなく
ご都合主義的に何でも儀式を利用できた
そのご都合主義っぷり、何でもありっぷりが、
当時のアウグスティヌスをはじめ敬虔なキリスト教のかんにさわったのは想像に難くない
○私の記述、そして私の考え方の原点の記述
・考え方の原点を見つければ&書くことができれば、
デカルトのような仕事ができるかもしれない! すごい! ステキ!
・デカルトが自分で決めた、思考の四つの規則が原点みたい
・その第一、「疑っても疑いきれないものだけを認める」
・じゃ、それって何? 疑えないものって何?
・そりゃ、疑ってる自分自身だろ
・懐疑主義者も真っ青! 反論無用!
・じゃあそれを手短にまとめよう
『私の記述』ってのが『私の考え方の原点の記述』なら、
誰にも反論できないような、自分独自の言明=考えが
自分自身?
ここの住民が見出したいのは、『私の考え方の原点の記述』?
886 :
満豚:2008/10/03(金) 18:54:29 O
>>877の補足
例えば「・」という、この記号の意味について問われたらどうだろう??? まさに何を問われているのかが分からない、というやつだ。
(しかし日常生活においても、哲学とはまったく関係のない文脈で、こんなバカな問い方をする奴を俺は知っている。少し指摘すれば「あ〜」と言って詳しく説明してくれるが)
僕なら「その問いはナンセンスだ」と指摘したうえでこう答える。
「・」はしかる場所にあれば読点を意味するだろうし、しかる場所にあれば月を意味するだろうし、しかる場所にあればホクロを意味するだろう。
日常生活において、ある言葉の意味を説明する場合とは、説明される側がその言葉の意味を知らない場合がほとんどだろう。哲学するうえで日常生活を無視することはナンセンス極まりないが、
例えば「んをあや」という僕自身も知らなければ、おそらくこのサイトにいる全員が知らない言葉を(なんたって僕が目をつむりながら適当に打ったんだから)、ある人が知っている、としよう。
「なんだお前、そんなことも知らないのかよ(笑)
「んをあや」の意味はんをあやだ」
「「りんご」という言葉の意味はりんごだよ」という言明は、明らかに相手も「りんご」という言葉の意味を知っているだろうという常識に乗っかった意味の説明の仕方だろう。
少しは、その常識に考察の目を向けてやって感じ。
887 :
満豚:2008/10/03(金) 18:56:48 O
>>879 僕を批判するのではなく、君のそのセンスの無さに批判の目を向けてやってくれ。
また明日な。
・合理性の問題、簡易バージョン
経験、観察や論証、証拠の有無
それらによって競合する2つ以上の言説の是非を問い
片方がもう片方より正しいと考えるに足ると結論する
そのような伝統、合理主義がある
合理主義の基本理念は、理性(ratio)の使用、議論、論証の肯定にある
では、「論証を大事にせよ」と論証できるだろうか?
もし、論証を馬鹿馬鹿しいと考える人がいるならば、
彼に論証を訴えることは馬の耳に念仏行為である
では、実際に論証を大事にしない人がいたらどうすればいいか
彼らにとっては、発言の一貫性や矛盾の有無は気にするところではない
そのような態度は擁護できるのか、そうでないのか
また、そのような態度を無視して論証を重視する決断的態度をとることは、非理性的な態度ではないのか?
合理主義は一貫性をもってその態度を保つことができるのか
そうでないならば、合理主義もまた自己論駁的であるのではないか
とりあえず問題提起
明日はハバーマスを読み直すつもり
889 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 19:03:11 0
なんでどうでもいいおしゃべりはするのに
肝心の答えは言わないんだろう。
それがいちばん不思議。
「私は思う。故に私はある」という言葉が何光年も先の星から
私の元に届いた。
この言葉を発した当のデカルト氏は数年前に死んでいるのだ。
「私は思う。故に私はある」という言葉の「私」という意味は何だろうか。
デカルト氏はこの世に存在しない。
「私」とは何か。
890
「何か」って問題設定がよくない
What is 、、、?
って質問が用語の説明を質問しているだけだし
「辞書をひけ」と答え返されるだけ
892 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/03(金) 19:56:15 0
>>886 似たような話で、「伝染るんです。」という漫画で吉田戦車がかいたように、意味のない文字が黒板に書いてあって、
それはなんと読むのですかと質問したところ、吹き出しの中にその文字が書いてあった、ここでは
意味の伝達は起こっているのだろうか。(長々と例を挙げてすみません)
あなたの「んをあや」でも、その意味を説明している人にとっては、意味があるし、我々もある一定の意味を
「んをあや」に認めていると考えるべきではないであろうか。
我々は意味のカテゴリーの体系を持っていて(異論歓迎)、その中のあるカテゴリーの中に「んをあや」
分類してしまっているのではないか。そしてそれは、ナンセンスではないのではないか。具体的に
言えば、記号がある文脈におかれていて、その文脈とはある人にとってはその意味が自明である、
というものだから、記号には仮定した相手は知っていてその他の全員や、文脈外ではしらない、
と言う意味がここで付与されている。
と考えました。
日本語と英語では子音の数が違う
はじめていく外国でvの音を伝えようとしたら
吉田戦車のマンガのようになるかもしれない
もっとも、その場合は発音が先にあって後から文字をあてはめる
マンガでは先に字の発明があって後から音を後付けする
そこが笑いどころなわけだが
>>891 ・・・・汗
あのね、「私」」という言葉は、辞書にはデカルト的意味では載っていないのだよ。
公に対するものを指す言葉など。
デカルトが公に対する「私」という意味で「私」という言葉を使っているのなら、
我思う、ゆえに我と公が存在するとなってしまい、
デカルトは公の存在を疑っていなかったという事になってしまうよ。
895 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 20:10:17 0
>>887 まぁいいよ。答えたくなかったら答えなくても。
で、おれ休日は書けないから書いておくけど
>で、君はきっとこう答えるんだよ「後ろのは指示対象だから」ってね。
いや、そうは答えないよ。
単純に分哲系の記述方法に従えば引用符つきの「りんご」はトークンを表して
つぎのりんごはタイプを表すからトートロジーではないよ。
本読んでるならタルスキの T文とか知ってるでしょ。
それから
>ある言葉の意味を知りたければ、その言葉がどのように使われているのかを分析しろ。
と言っているけど、
ある言葉の意味を知ろうと思ってその言葉をどのような文脈で、どのような状況で、
どのような振る舞いのもとに使われるのかを知ったところで、その言葉の意味がわかったことにはならない。
なぜなら言葉の意味を知らなくても適切な文脈でその言葉を使用することができるから。
しかもこの主張はあきらかにパラドクスを発生させる。
どのような文脈で、どのような状況で、 どのような振る舞いのもとに使われるのかを知らなければ
その言葉の意味を知っていることにならなくて
さらに
>文脈や状況、振る舞いなどから切り話して、言葉の意味など出てくるわけがない。
ならば
これから発する語はいまから発生する文脈、状況によって初めて意味を与えられるということになる。
とすると、われわれは自分の話している言葉の意味もわからずに言葉を発しているという奇妙な帰結に至る。
発話者も含めてだれも言葉の意味など知らないというわけだ。
ウィトゲンシュタインの意味の理論は飯田さんみたいに持ち上げる人がいるけど
このような本質的かつ決定的な欠陥を持っている。これなら心理主義的な意味の理論のほうがずっとマシだ。
896 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 20:10:55 0
>895のつづき
それから、おれの言語観を書いておく。
言葉(語でも、文でも)はそれ自体意味をもたない。
使用者が意図を伝えるために状況に応じた内容を盛り込むだけだ。
言葉はもちろん内容を盛り込まずに使用することもできる。
「だるまさんがころんだ」や、じゃんけんをしてチョキで勝った場合「チヨコレイト」といって進む遊び、
人の発言を一例として取り上げる場合など、さまざまな使用法が考えられる。
言葉の意味が問われるのは発話者がいて内容を盛り込んだときだけだ。
このとき初めて言葉に意味が付与される。
当然その時々で意味・指示対象は変わるだろう。
だから言葉の意味とは発話者にしかわからない。
ウィトゲンシュタインと違うのはここ。
「おれの発した言葉の意味は、おれしか知らない」
言語とは根本的には私的言語なんだよ。
他のものはそれを聞いて推測するしかない。自分の知識や経験に照らし合わせて、不明なところは質問し情報を増やすことで意味を確定していく。あらゆる局面で解釈が行われる。解釈を必要としない局面などない。それがコミュニケーションの核心だ。
だから自分の意図を伝えたい発話者はできるだけ一般的な用法だと思われる使い方で言葉に意味を乗せる。
自民党の総裁を決める選挙を伝えたい場合には、「ジミントウソウサイセン」と発話するようなことだ。
同じことを意図して「サーフボード」と発話するのは自由だが、
まず一度では意図が伝わらないだろう。
ここまでくると非常に常識的な話だ。
でもウィトゲンシュタインもどこかで言ってなかったっけ。
「哲学はその結論においてあたりまえのことでなくてはならない」って。
897 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 20:12:33 0
>>862 >デカルトの「我思うゆえに我あり」が第一原理であるならば、
>これはもはや論証不能である。
そうだね。
これを第一原理とすることでデカルトは独断論者となり懐疑論者に
敗れたということだね。懐疑主義の論駁はデカルトには出来なかった。
898 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 20:14:01 0
899 :
Wittgenstein教:2008/10/03(金) 20:21:40 0
>>818 円と三角形の定義知ってる?
それを知っていたら、
>二次元ユークリッド平面で考える限り
などという発言はできないはずだが…
>>820 「確実性の問題」において、Wittgensteinは「確実」という概念について
ある一定の哲学的解答を提示しています。
>結局果たせなかった
というのはどういう意味?
900 :
Wittgenstein教:2008/10/03(金) 20:32:40 0
>>895 だからさ、あんなブタさんにそんな高尚な問題を問いかけても無駄だよ。
>ある言葉の意味を知りたければ、その言葉がどのように使われているのかを分析しろ。
これはブタさんが発言したみたいだけど、これとほぼ同様の内容
を哲学者L.Wittgensteinが『哲学探究』で述べています。
つまり、Wittgensteinの語っていることを、偉そうにまねして
話しているだけ。一言で言うと、
剽窃。
901 :
896:2008/10/03(金) 20:36:44 0
>>900 それは充分わかってるよ。
だからウィトゲンシュタインの見解がどうしてうまくいかないかということと、
それより上手く説明できる考え方を書いたんだ。
俺もウィトゲンシュタイン教信者だった時期があるけど、
今はウィトから離れつつある。
903 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 20:59:34 0
>>898 >>818をアップしたものです。
一言、割り込みレスさせて。
思考不可能と思考したことがないとは違うと思う。
たとえば「コロンブスの卵」のたとえ話知ってるよね。
あの話を聞いてしまえば「なぁんだ」と思えることで
それが自分には思いつかなかっただけで思考不可能なこと
とは思えないでしょ。
知らなかったや思いつかなかったことと思考不可能なこと
は違うんじゃないか。
あなたは何を以って思考不可能とするのかな?
「バカの壁」www
904 :
天才君:2008/10/03(金) 21:08:15 0
>>885 >『私の記述』ってのが『私の考え方の原点の記述』なら、
>誰にも反論できないような、自分独自の言明=考えが
>自分自身?
>ここの住民が見出したいのは、『私の考え方の原点の記述』?
この思想について、私は一言で信仰・信念体系・自己規定で片づける。
個の思想の限界、個の認識の限界は、それである。こう天才君は思想する。
だから思った事しか起こらないし、受け入れられない。
開かれた精神があるとするならば、それは未知に認識を開く事だ。
つまり思考は未知に対し、すべて肯定する以外に未知(道)は無い。
何処まで開いてゆけるかが、論争というものがあるとするならば、
勝ちは開きつづけた者である。対話であるならば、確実に真理に到達する。
まあ、神頼みという所なんですが…。気づきが来るという事ですね。
考え出すのではなく、知らされるという現象として無知は感じるだろうね。
雑談的天才君談でした。
905 :
天才君:2008/10/03(金) 21:09:04 0
>>888 >合理主義もまた自己論駁的であるのではないか
天才君にとって、合理主義は一つの思想として社会制度内では有効な
論法だと思います。但しその根底には、社会的規範にてらした合理で
あるという条件があるほうの勝ちになります。
つまり合理主義はつねに前提がある。これは戦術に使う手法です。
望む結果を想定する。それに対する理屈(手法や事実、実例、)を
組み立てる。こういう戦術に有効な論法・考え方であり、受験慣れしている
人間が得意な分野でしょう。泥臭い話ですけどね。社会生活上では、
天才君もお世話になっている論法です。
ただ、野生や自然はその通りにはいかないね。
こんな風に天才君は思うんだ。
906 :
天才君:2008/10/03(金) 21:28:00 0
社会生活上、思想の力学的に上位にあるのは原理主義と還元主義です。
ま、信仰であると天才君は言いたげであり先走っている訳なんですがね。
客観的事実は、実は、戦いでしょう。
何が正しいか?敵味方があり多数をみかたにつけた思想がまかり通るわけでしょ。
みなさんもそれをベースに知識を得た訳ですしね。捨てているわけでもない。
使えますからね。社会生活には。人に認められる思想が力がある。こう
考えるのが功利主義的人間のすることですからね。
しかし私自身、考える場合、それを全否定します。
真理といものは数でも、流行でもない。
無知つまり真理をかいま見る以前は、素朴に、こうであったらなぁ〜と漠然と思う。
そして答えを見出した瞬間、やっぱりそうであったんだ。
あるいは、なあぁんだそうなんだぁ〜。
または、俺はバカであった!というようなものです。
つまり「ただ、知る」という極めて当たり前の再発見です。
「私」の無知を知るという事です。
いかなる難しい問題でも解けた時はみなこのような感動?を
味わっていませんか?
私はデカルト以前に、「汝自身を知れ」を重視しますね。
天才君談。
907 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/03(金) 21:32:01 0
「887:満豚」は、「895:名無し」に、おまえはゴミだ。と言ってる。
_
おわり*
908 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/03(金) 21:33:15 0
909 :
天才君:2008/10/03(金) 21:36:39 0
>>908 既知内ループなら知っている。
無限にループするならば停止という事です。
つまり思考停止となんら変わらない。
でも変わっている。だから取り残されている。
つまり時間を想定するならば、時間という求心力に
引き寄せられている時間の奴隷である。
無限ループの脱出方法は、時間を殺す事である。
910 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 21:39:20 0
>>894 >あのね、「私」」という言葉は、辞書にはデカルト的意味では載っていないのだよ。
>公に対するものを指す言葉など。
それはデカルトが「方法序説」をフランス語で誰にも読めるように記述した
事を無視するものだね。デカルトの「我」は哲学の業界用語ではない。
911 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/03(金) 21:46:13 0
>909
あーそう。
_
910 名前: (´σ `) ホジホジ :2008/10/03(金) 21:39:20 0
912 :
天才君:2008/10/03(金) 21:46:46 0
私は西洋哲学は攻撃がベースにあると思う。
殺し屋、捕獲、獲得、克服にとっては都合がいい哲学です。
無理がありますね。
ガンガン・ブンブンやりたければやればいいけれど、
自然には勝ち目がないね。攻撃は。自然と仲良くするには調和である。
個にてらして言えば、攻撃か?調和か?選べという所でしょう。
913 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/03(金) 21:48:48 0
914 :
天才君:2008/10/03(金) 21:51:10 0
ついでに、攻撃はターゲットがなくなれば、
つまり目的や前提、願望、まなんでもいいが、
的が必要だ。対極が全体とするならば、敵が必要だ。
だれがつくってるんだ?考える者である。
これは瞬間的に起こる。西洋哲学は相対主義がベースである。
だから絶対に個が必要なのです。「私」の消滅など考えられないのです。
いやそれどころか、それが崩れたら、全てが崩壊しますから。
徹底的に守るでしょう。つまり攻めるでしょう。
攻める事で「私」が輝くんですからね。
915 :
天才君:2008/10/03(金) 21:53:04 0
天才君語録集でした。
【私】を記述してください【私の存在性】24
916 :
天才君(付録):2008/10/03(金) 21:58:37 0
西洋流の無意味。
それは攻撃ターゲットが見つけられない!
私はここにいるのに、ここで発言しているのに、無意味?
何故?何を攻撃するか解らない?だから無意味。
917 :
考える名無しさん:2008/10/03(金) 22:08:23 0
>>916 自ら「言葉には意味はない」と発言し続けているだろ
無意味という評価はそれが理解されているということ。喜べ。
918 :
Wittgenstein教:2008/10/03(金) 22:47:34 0
>>896 ふむふむ。
>言語とは根本的には私的言語なんだよ。
Wittgensteinが聞いたら何ていうんだろうな。
まあ、よくわかんないけど、Wittgensteinからいわせると(ブタからではない)、
あなたの議論に則るとして、「チヨコレイト」のゲームにおいて、
「ジャンケンで勝ったら…をする」というそれ自体がそのゲームの意味だからさ
、Wittgensteinの反駁になってないと思うよ。
意味って何なんだろうな。
意味という言葉を無自覚に使っているようだが。
>>919 そりゃぁ意味は意味だろ
っていうか意味の意味は意味だろ?
意味は意味以上の意味を持たないよ
天才君
西洋哲学が攻撃がメインにあると言う割には、天才君
いつになく饒舌で、しかも言葉に制限が加わり、有意味な言葉を発してますね
その君の言葉は、「西洋哲学を攻撃する」という西洋哲学的なものではないですか?
まるで、アンチ西洋です
と皮肉の一つでも言っておきます
意味とは「意:心に思うこと」の味
なるほど。
重さのない視覚像の中で、味覚によって存在を目立たせてるわけだな。
・哲学の根本問題
(西洋)哲学の主要問題は「真なる知識はいかにして獲得できるか」にある
しかし、「知識に真なる知識も偽なる知識もない」と考える人たちがいる
彼らは知識の正当性を「自身が信じること」に還元する
彼らを「信仰主義(フィデイズム)」と呼ぶことにする
哲学の根本問題は「なぜフィデイストであってはならないのか」
(Why not have fede-its?)にある
なぜならば、もし信仰主義が支持可能であるならば
自らの信仰を根拠にして知識の真偽を扱える以上
「何を真として、何を偽として扱われるべきか」という哲学の主題全体が無意味とされかねないからである
ここでは信仰主義を挙げたが、(ノージックの文章をもとに改造しただけだから)
何らかの理由付けにより、知識を真なるものと偽なるものとに分けることを主題とする立場からすれば
「真なる知識も偽なる知識もない」という無分別こそが、
克服されるべき立場である
合理主義の伝統にある者は
「真なる知識と偽なる知識があるという前提を受け入れているけれども、この前提を受け入れてよいのだろうか?」という疑念にいかに答えるか
が、根本問題になるのではないか
そりゃ、科学が正しいとは限らないですよ
自然科学だって人間文化の産物で、人間の創造物ですよ
でも、「避雷針と雷神様の生け贄が同じくらい正しい」(なぜなら真なる知識も偽なる知識もないから)というのは
バカげたこと、この上ない
実際に日常を生きる上で、我々は様々な知識を前提として受け入れている
そして、日々をそれなりにうまく生き抜いている
そのような、一般常識的な知識をただ哲学の一立場からというだけで破壊するのはバカげたことこの上ない
そんなものはノストラダムスの預言者よろしく
過激なことを言って注目を浴びるだけの連中と大差ないように感じる
我々は、無関心な人間だけが公平な人間であるという考えを斥けねばなりません
我々は、偏見のない広い心と空っぽな考えを混同するような
知識についての堕落した考え方を斥けねばなりません
確か『On moral of philosophy』の一説
でもなんで、知識について堕落した考えをもっちゃダメなんだろうね
927 :
天才君:2008/10/04(土) 00:57:51 0
>>921 引き出しているのです。攻撃を仕掛けて攻撃をさせる西洋流手法でも
ありますが、誘って落とす忍法もありますね。ちょっとしたジョークです。
だからワサビの利いた流れができる。ちょっとした毒です。
人は不足を補います。相対主義の論者の癖です。
いいえ、あなたの事を言っているのではなく、我々の受けた
教育の癖です。これを茶化しているのです。
俺は相対主義は嫌いなんだよね
ただ、あからさまに相対主義を批判すると、「絶対主義」などの短絡的な批判がくるし
相対主義は現代では知的ファッションだから
とりたてて批判しないようにはしている
哲学的に価値相対主義が厳密な検討に耐えられるかどうかは別にして。
20世紀はファシズムが盛った時代だ
全体主義への批判もまた現代の哲学の流行だ
教育の癖とか、思考の癖とかは「みんなで同じ答えをもちましょう」的な発想に起因しそうだ
ここには、意見の対立が悪であり、両者の和解が善とされる価値観がある
しかし、論理だけでつきつめるならば、
異なる考えになるのは異なる土台の上に立つからであり
土台を異にするにも関わらず意見の統一を試みるのは
論理の破壊と論理以外の何らかの圧力の導入でしかない
また、土台の一致など到底不可能だろう
(土台もまた複数あるのだから)
俺はここで「意見が一致しなくてもいいじゃないか」と提案したい
同意の上に積み重ねる議論
相互了解への結末に向かわせる暗なる力
それらすべて「皆が意見が一致する」という全体主義的な理念に根差してないだろうか?
わたしはここから「全会一致主義」もまた批判可能であると考える
余談だが、アメリカで金融法案が否決された
国民の7割が反対らしいが
経済に詳しい有識者は事態を懸念する
もし、仮に全会一致で否決されたとしても事態に変化はないはずである
法案が通らないならば、アメリカ経済は破綻しかねない
それは国民の7割が反対しようが、国民の全員が反対しようが、変わらないはずである
ここに全会一致への衆愚政治としての批判が可能であるように思える
異なる考えに接するから異なる土台に立っていることが分かる。
それが分かった途端、別の共通の土台に立っていたりする。
正直もう天才君のレスしか読む気がしない。
天才君はマジで天才だった!
全体主義批判は時に個の尊重を招く
しかし、個を尊重するあまり、個人の決断を絶対視する態度もまた多いように思える
だが、個人の決断を絶対視するならば、
知識においては無分別に陥り
政治においては衆愚に陥りかねない
われわれは自らの決断の結果、予想もしない事態に巻き込まれることが多々ある
それらによって生じる最悪な結末を回避するためにも、
知識に対する考え方の改善が必要であるように思われる
「真と偽」「良い」と「悪い」については特に
同時に、反論を挙げること、反論が挙がる文化を美徳とすべきなのだろう
携帯君、談
どーでもいいがかなり主知主義的な見解だな
私とはブラックホールの中心である。
ブラックホール自体を直接観測することは出来ないが、
存在は信じられている。
935 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/04(土) 03:28:54 0
オナニストのすれ
私を記述か・・・
私とは創造の諸力である
自己における存在の中心点である
・・・書いてみた
937 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/10/04(土) 06:57:11 0
誰も書かないのが不思議なんですが、「私」と言ったときに、自己でとらえた自分の属性
と言う以外に、その裏に肉体的、実体的な私が事実としてある。これは、他者からみれば
明らかにそのことも、相手は言っている、ととらえるはず。自己でとらえる私と他者からとらえた私
の違いは、そこに、明らかにある。ということは、他者に規定される私は、自己意識と他者
からの視線の違いは、蓄積され、分裂を生むはずである。哲学で心身問題というのにあたると思う。
938 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 08:01:41 0
/⌒ヽ⌒ヽ
/ Y ヽ <みんな集まれー
/⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ
/ Y ヽ ( __//. ヽ, , ) /⌒ヽ⌒ヽ
/ 八 ヽ | i し 八 .| / Y ヽ
( __//. ヽ, , ). |ノ ( .八 .〉 / 八 ヽ
| i し 八 .|. ( '~ヽ 八 |/⌒ヽ⌒ヽ__//. ヽ, , )/⌒ヽ⌒ヽ
|ノ ( .八 .〉. | / Y ヽ し 八 .|/ Y |
( '~ヽ 八 | /⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ ( .八 .〉 八 | /⌒ヽ⌒ヽ
| | ./ Y ヽ .( __//. ヽ, , )ヽ 八 |__//. ヽ, , )/ Y /
| |/ 八 ヽ .| i し 八 .| |し ノヘ // 八 /
/⌒ヽ⌒ヽ ( __//. ヽ, , ) |ノ ( .八 /⌒ヽ⌒ヽ |( ノヘ /( __//. ヽ, )
| Y ヽ | i し 八 .| ( '~ヽ 八/ Y ヽ | ノヘ // / /
| 八 ヽ |ノ ( .八 /⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ| / / /
( __//. ヽ, , ) .( '~ヽ 八/ Y ヽ ( __//. ヽ, , )| / / /
ヽ i し ゝヽ ヽ/⌒ヽ⌒ヽ / 八 ヽ | i し 八 .| | / /
ヽ( ( ゝ / Y ヽ( __//. ヽ, , ) |ノ ( .八 .〉| / ./
\'~ヽ/ 八 ヽ .,|ヽ,ヽヽ,-|ヽ,ヽヽ ( '~ヽ 八 |//
ヽ( __//. ヽ, , ) /(\`")ノi (\`")ノ ヽi// /
ヾ\\ヾ ゝ "-" ゝ "-" ,,,,;;::'''''ヽ/
939 :
天才君:2008/10/04(土) 08:21:23 0
我々は、「私」を記述する。あるいは、もっと根本的に考えるという
行為や論理的活動全般の規範や倫理について、自分自身の立場を
知る必要があるのではないでしょうか。
つまり我々は、文部省によって、「このように考えよ!」と洗脳されている訳です。
それだけではない、スポーツによって「このように勝て!」と洗脳されている訳です。
学校のテスト方式によって、あるいは、制服や形式によってもうカルト教です。
その証拠に、何故、間違いや、変な人、違う人、天才、有名人が居るのですか?
ただの人ですよ。また仏教、ドラッグ、極道、アウトロー、ロック、同性愛色々あるけれど、
ただの思想が根底にあり、その色眼鏡で見ています。
真偽は誰が真偽を思うか?
カルト教の信者達が大半であるのですから、彼らの都合のよい真偽が
幅を利かすのは当然でしょう。またカルト教の信者は、盲目的に、
それを信ずる。信ずるというより疑う事などすら考えません。
つまりシステムの犬としての役割を演じます。
現在システムの番犬は、マスコミであり、ネットでしょう。
群衆がこぞって人を攻撃したり、ブログ炎上などと馬鹿げきった事をしていますね。
でも馬鹿げていません。本気で彼らは当然の行為であると信じ切っているのです。
ポイントは人は公平である。この信仰ですが、人が公平であるはずがないでしょう。
平等でもない。命において平等である。しかし平等というのは倫理ではなく、
ただそうでしょう。以上のような信仰がベースで哲学をするという事は、
これはもう哲学ではなくカルト教義の強化・固定化の推進活動と言わざるを得ないね。
ま、単純に天才君は形式主義っていいます。ただこれは間違いではなく、
ただそれが起きているという事です。気づけば変わります。気づかない仕組み、
気づかせない仕組みもあるわけですね。凄いですね。
940 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 09:36:24 0
>>925 常識の哲学、大賛成!
奇をてらうことが哲学ではない。
941 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 09:40:05 0
>>926 >知識について堕落した考えをもっちゃダメなんだろうね
その知識に基づいてやってみなはれ。
それでうまくいかなければ「ああそうか」となる。
942 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 09:46:09 0
>>932 >同時に、反論を挙げること、反論が挙がる文化を美徳とすべきなのだろう
そうだね。
言論の自由がない時代には戻りたくない。
教科書に墨を塗る体験は一度でいい。
943 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 09:56:20 0
温故知新
和而不同
付和雷同
944 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 09:58:20 0
>>939 杞憂である。
反面教師という言葉もある。
945 :
天才君:2008/10/04(土) 10:08:12 0
私は思う。頭がいい。頭が悪い。それがどうした。
頭がよければなんでもまかり通す事ができるとでも思う人もいるが、
そりゃ違う。群衆での力は強者である。
強者とは適者である。つまり時代流行は全体で創り上げるが、
最後のこれが、我々の真理であると声高らかに声明するのは、
学会であり、政治であり、集団の支配権を持ったものの声明に過ぎない。
簡単な理屈である。群衆は常に右往左往する。最後の一声をかけるのが
個人の公的声明である。それで決まる。
我々は群衆の真理は群衆の真理として認める。しかし「私」の真理は
そこにはない。在るのは、群衆との一致か、そうでないか。それだけだ。
問題は大多数の「私」が個を確立せず、盲目的に群衆真理(心理)に従う事であり、
奴隷である。これからの時代は「私」の解放に在る。それ以外に未知が
どこにあるのか?発展がどこにあるのか?「私」のカミングアウトが流行するであろう。
つまり旧来の「私」とは違う「私」観と言える。そのモデルケースの核となる発想は、
まず、全体に「私」を還元させ、原点を発見し、新しい「私」を創造するしかない。
天才君が言っているのは、「私」の修正ではない。生まれ変わった「私」の創造である。
これがあらゆる分野で求められている。この方法に痛みはない。但し、もっとも大事にする
思想的根底を疑う勇気は必要である。
946 :
天才君:2008/10/04(土) 10:12:36 0
今の時代に言論の自由はあるか?
社会的束縛は少ないであろうが、自らの思想的限定、
つまり自らの既知以外を認めない思想の氾濫を多様性と称している。
多様性を尊重しならが、別の多様性を排除する多様性とはなんたる
多様性であろうか?
つまり多様性とは全肯定。つまり全ての思想を受け入れる思想を
もつもののも与えられる権利でもある。否定が介入する多様性推進思想は、
どんなもんだろう?
天才君談。
天才君は、文章はあまり上手くないんだね。
948 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 10:41:32 0
>今の時代に言論の自由はあるか?
まぁ、この2ちゃんねるが存続してるくらいの言論の自由は
あるのだろうね。
949 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 10:50:19 0
>>903 言わんとする事は解ります。論理的な矛盾を含んでいなければ、どんな内容の思考も可能でしょう。
それは人間が思考できない内容があるかどうかの話ですね。
しかし、どの時点でも、誰しもが、どんな内容をも思考できるかといえば、それはそうではないと思います。
>それが自分には思いつかなかっただけで思考不可能なこととは思えないでしょ。
思いつかないのであれば、思考不可能な事であったのだと思います。その時点においては。
>知らなかったや思いつかなかったことと思考不可能なことは違うんじゃないか。
知らない事は思考できないと思います。新たな発想をするにしても、
既に知っている何かと何かを組み合わせる事で創り出すものです。
>あなたは何を以って思考不可能とするのかな?
条件。発想する為の条件が揃っていなければ、その発想がされる事は無いという事です。
各時点においての各人の発想は、その時の世界の状態によって規定されていると考えます。
ここまで言えば、ああアレか、という話だと思いますが、
ともかく矛盾する言明の処理の仕方という事ついては参考になりました。
950 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 11:01:34 0
>>949 >ともかく矛盾する言明の処理の仕方という事ついては参考になりました。
矛盾の処理方法は矛盾許容論理以外に「正反合」の弁証法でもいいと思う。
状況を固定しないでやわらか頭で発想することだろうね。
951 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 11:57:06 0
>>949 その“規定”という言葉をどのような意味wに使用するか、にかかっている。
厳密に規則化されているということなら、自由(意志)は単なる幻想である。
しかし、それが大雑把な“制限”という意味なら、すべてのスポーツと同様、
ルール(制限)内・自由は保障されている。諸プレーはルールから一意的に
規定されているわけではない。つまり“自由”の入りこむ余地はある。
もう一つ。“その時の世界の状態”は貴君の「観念」である。
事象(存在)そのままの“姿”を描出する方法はまだ知られていない。
一度たりとも“その時の世界の状態”が把捉されたことはないはずだ。
その「知らない」ことによって各人の発想が規定されている、との言明は
貴君の言う“条件”不足では?
>>949 > 各時点においての各人の発想は、その時の世界の状態によって規定されていると考えます。
この発想はどんな条件なんだろ?
もしくは、この発想自体が条件にみえてしまう。
953 :
◆DqHByghvs6 :2008/10/04(土) 13:14:18 0
*。
↓ こっから既出のゴミ
954 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 13:21:16 O
私、僕、俺、おいら、儂、おいどん、あっし、ウチ、あたい、摂者、わて、まろ
955 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 14:40:12 O
余、朕
天才君
遅くなった
合理性の問題について
論証や討議に価値を見いだす合理主義は
「討議によって根拠付ける」を討議によって根拠づけることができない、というジレンマに陥る
ここで討議へのコミットを決断や信仰に委ねるならば
それは討議からの退避になる
討議を強制することは価値の押し付けに等しい行為になる
これは理性を究極的価値に掲げる信仰と大差ないだろう
そうではなく、理性は道具として、何らかの目的の遂行に役立つように使用されるべきなのか、そうでないのか
ちと用事入った
こんな拙い説明で許して
957 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 20:36:30 0
>>954>>955 それらよりも古いのが、あ(吾) わ(我)。
それらの漢字を当てたのは後代。
日本国の旧名の倭は「わ(我)」に由来するという説もある。
この件に詳しい方、ご説明、請う。
958 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 20:56:40 0
>>957 あ(吾)は
>>166で既出。
「倭」は「わ」の音に由来するが意味は「劣る」とか「なえる」ということ。
中華思想そのもの。わが国では「和」という漢字をあてた。大和と書いてやまと
と読ませた。邪馬台国のことだ。
959 :
天才君:2008/10/04(土) 21:17:14 0
「私」の背景として社会的背景があり、我々が日本語を使っている者として、
やはり「私」の語源や「私」の歴史から、「私」観の原点および、今我々が
当たり前につかっている「私」を振り返る事により、「私」の多様性、
および、「私」の固有性など様々な視点が得られるね。
日本でいう「私」は天照大神の一部であり、神の国の一部でもあり、
世界の太陽自身であるというような信仰が在る。西洋式の高慢とは違う。
西洋式の解釈では、あたかも「私は神だ!」的に誤解されやすいが、
親子は家族で一つである。大和魂と言われるものは、西洋式視点でみると、
男気的に誤解されている。あれは女です。
ただ女といっても和の精神ですからこれまた西洋式に女というだけで誤解する
でしょう。
いずれにしても万事、西洋式ものの考え方がはびこった中では、
何をいっても相対主義にとけ込んでしまって結論づけられる宿命にあるね。
ここでちょっとしたお遊び。
視点というものは、例えば、↓を固定して見えていなくてはならないのです。
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/
この国?の連中が当時(漢?)、あちらの連中の前で、
自分を指して、しきりに「わ」を連発したので「わ国」と
名づけられたという説がある。怪しいけどね。
東夷なので当然ながら
>>958の言うように卑字が当てられた。
961 :
考える名無しさん:2008/10/04(土) 22:25:23 0
日本人て漢字が入ってくる以前の文字はどうしてたのかな。
言葉には文字言語と音声言語と2つあると思う。
音声言語は空間的で、集団内の情報伝達が中心だけど、
文字言語は時間的で、過去の自分と現在の自分を分割する。
音声言語の私は集団の中の私という社会的な存在で、
文字言語の私は過去の私と現在の私という内的で分裂的な存在。
漢字が入ってくる以前に文字はなかったのだろう。
文字の発明は偉大な発明であるが、世界で同時多発したようである。
日本人は漢字以前に独自の日本語を持ち、それを万葉仮名のように漢字で当てはめたようである。
東アジアの多くの言語が、漢字の模倣から作られているようである。
963 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 10:21:05 0
>>962 > 漢字が入ってくる以前に文字はなかったのだろう。
それはどうかわからない。
古代文字については、現物があるものの、偽物とされるが、いまだ謎。
日本語の「書く」の語源が、〈掻く〉であるとすると、
漢字・紙・筆が伝来するまでは、石や木片に何かしらの文字を
〈引っ掻く〉という方法で書いていたのかもしれない。
ちなみに、「ひと」という言葉は、
日本列島内に住んでいた有力部族名である可能性もある。
世界は、その時そうであった通りのあり方で、本当はまったく実在しない過去を「覚えている」と思い込んでいる全住民とともに、五分前に突如として存在しはじめた
−これは少なくともどういう事態がおこったのかがわかる。だから、全能でいたずら好きの神さまなら、その事態を引き起こすことができる。
しかし、その神さまでさえ、だれも覚えていない過去を‘そのとき’同時に作り出すことなどできない。全能の神でさえ、それは不可能なのである。
「私・今・そして神」永井均
965 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 10:36:04 0
結縄文字というのも有り。真偽不明。
「おい」も、日本列島内に住んでいた有力部族名である可能性もある。
自らを「おい」と称し、相手をも「おい」と呼ぶ。
後の 「おいら」「おれ」「おれら」に繋がったのか、どうか?
966 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 10:47:31 0
縄文土器の模様を文字とするなら漢字の前から文字は
有ったということになるだろ。
文字とは何かという定義をしてからでなければ議論は
始まらない。
定義は最後というのは哲学の悪い癖だ。
967 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 11:49:38 0
文字としての最低条件は「音」を表現でき「話言葉」を写せる
ということだろ。表音文字でなければ文字といえない。
意味を感じさせるシンボル(記号や絵)だけではまだ「文字」ではない。
969 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 12:10:25 0
未開の地の子供に「意味不明な絵」を見せると、
「●※▲×!」と言ったそうです。
そこで、こんどはこっちから
「●※▲×!」と言いながら、花を指を指す
と「$×%#」と答えたそうです。
花が「$×%#」と分かったそうです。
>>969 人類学だったか言語学だったかの、翻訳の始め方だね。
相手のことばを反復してその答えを書きとめていくというのが。
金田一博士の逸話のテレビで見たよ、確か。
>>969 子供にみせたのが“花の絵”なら意味不明ではなかろう。
それとも、文字通り“わけのからない絵”をみせたのだろうか?
たとえば、この国の子供たちが(1500年代に)宣教師から(みたことのない)キリンの絵を
みせられたとする。子供たちはどう答えるのだろう。
宣教師は、どうやって「わからせる」のだろう?
972 :
969:2008/10/05(日) 12:55:35 0
>>971 意味不明の絵なので、
「●※▲×!」(「何?これ?」)
カンガルーの話?
974 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 13:36:26 0
「●※▲×!」(「何じゃこりゃ!」) だろw
975 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 13:42:07 0
わかってねーな
976 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 13:43:03 0
ちなみに
結縄文字は縄文土器とは関係ありません。
結縄文字はキープと呼ばれる紐に結び目を付けて情報を伝達する手段のことです。
インカ帝国でこのキープが文字代わりに使用されてきたことは有名ですが、
日本においてもなぜか似たような伝達手段があったという研究があるわけです。
>>971 意味が通じるようになるまでに、50だったか500だったかのことばを試し、全部書き留めておいたそうだよ。
その指を指したものが
「花」を指すのか「植物」を指すのか「人差し指」を指すのか「コレ」を指すのか「地面に根付いている」を指すのか、はたまた
「一つの花」「赤い花」「食べられる花」を指すのか
いやいや、「知らない」「何それ?」「あんた言葉の使い方おかしいよ」「意味不明」
「眠いよ」「疲れた」「帰りたい」を指すのか
特定できない
翻訳の不確定性
不確定だが不可能なわけではない
たった一回の試行で、解ろう、確定しようとするから難しいんでしょw
母国語の学習だって、何十回何百回という(日常での、普段での)積み重ねで、
(ズレの少ない形で)身に付けていくもんなんじゃないかい?
繰り返したところで、「うさぎ」と「ぴょんぴょん跳ねる」の違いは確定しないかもな
>>980 ならば、
「思う」と「我(私)」の違いも確定しないだろうなw
(´ー`)y━~~
982 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 18:14:32 0
私をして私たらしめる私の本質は考えることにある。
考える人こそが人である。
私の実体は精神でありその本質は思惟である。
983 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 18:17:04 0
考える人こそが人である。
ポストモダンの怒りは、そのへんにある。
984 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 18:40:18 0
>>982 意識不明重体と判断されたら、人じゃないんだ。
じゃあ助けなくてもいいじゃんw
そのままほっとけばいいww
肉の塊にしか過ぎないんだからwww
>>981 その違いにも、そもそも我にも思惟にも、殆んど意味を認めていないのがスピノザだろう?
天才君にもそのケがある。実体は、無限なる神のみ。
どなたか新スレをお願いしたい。やってみたけど、うまくいかないのだ。
スンマセン。
986 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 18:50:52 0
そもそも、それ自体には意味のないもので、意味(の意味)を
教えるのは難しいということだね。
987 :
24:2008/10/05(日) 19:04:05 0
>>794 そうかなあ。俺は「我」は必要だと思うなあ。
やはり「思う故に思いあり」はよい表現とは言えないよ。
「思う」は他人事ではないのだから。
仮にデカルトが日本人であったとしてもより正確な表現をしようとしたなら
「「思っている私がいる」ということは疑いなく確実なことだ」といったと思うな。
>>982 この業界では、実体と本質はほぼ同義。
不変の本質的存在を実体という。
なら、その文章、こなれていない。
たいした問題ではないけど。
>>987 たしかに「故に」のような接続詞でつないだら、超越的な主観・主体が必要になる。
990 :
素人:2008/10/05(日) 19:24:42 0
>>987 >「思う」は他人事ではないのだから。
ですね。
ここが一番重要だと思います。
だから、(最高位氏も)『私』と表現せざるを得ないのです。
この一点が、『私』・「我」という言い方を強要するのです。
さて、
我々は、この呪縛から解き放たれることが可能だろうか・・・?
991 :
24:2008/10/05(日) 19:28:08 0
992 :
素人:2008/10/05(日) 19:36:26 0
>>991 いや、別に「縛り」「制限」「限界」「枠」等でもいいですが・・・w
単に洒落っ気を出しただけです。
一般的には(文学的・詩的には?w)、
「逃れられない枷、縛り」に対して「呪縛」という表現を当てることが多いので、その形式をとりました。
深い意味は、あるような無いような・・・w
994 :
24:2008/10/05(日) 19:58:45 0
>>992 だから、どうして「逃れられない枷、縛り」なのかということだけど。
枷だと考えるのは例えば君は「私の身体はなぜ私の身体であって他人のそれではないのか、いや他人の身体であってもいいはずだ」とか考えているということかな?
995 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 19:59:41 0
>>984 >意識不明重体と判断されたら、人じゃないんだ。
意識不明の人は考えていないと断定できるはずがない。
断定できるなら意識は明瞭となるはずだろ。
意識不明は意識がないことを言うのではない。
996 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 20:22:22 0
>>987 >「思う」は他人事ではないのだから。
いや、どう思おうと思うから私を導き出すことは
論理的には不可能だろう。
思っている私に気がついたということなら気がつくのは
感覚・知覚でありデカルトにとってはそれも疑いの対象
でなければ理が通らない。
997 :
24:2008/10/05(日) 20:27:23 0
>>996 「思う私」は「思う」から論理的に導かれたものでも、感覚・知覚により捉えられたものでもないと思うよ。
それは懐疑という行為の中で疑いようのないものとして確信されたということでしょう。
疑っている者は何人か
一人でしかありえない
999 :
考える名無しさん:2008/10/05(日) 20:46:04 0
>>997 >疑いようのないものとして
だからその疑いようのないものは精神であって私ではないんだよ。
私と精神はまだ結びついていない。
1001 :
1001:
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