現実(外界)は心(内界)の鏡に過ぎないのだようん

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12観念は具現化する ◆3PwDX5T6IA
続き

その4「虐めは人格に問題がある者を矯正する手段」
 人格矯正に必要なのは広く豊かな経験や知識であり、虐めは却って人間不信・社会憎悪を増しかねず逆効果である。この場合、矯正すべきは「虐め以外の手段を知らない者の短絡さ・浅はかさ」である(躾と称した虐待や体罰も同じ)

その5「弱いから虐められる。強くなればいい」「この世は弱肉強食」
 論点のすり替えである。方法論・回避策としては必ずしも間違いとは言えないが、これによって「虐めの原因」が無くなる訳ではない
 なお弱肉強食は生物界の一側面に過ぎず、共生など異生物間でさえ相互扶助している例は幾らでもある。また虐めは、己を脅かす存在を排除しようとする行為即ち免疫力・抵抗力の低さの現れであり、「弱者の証明」に他ならない

その6「相手に不快感を与えたのだから虐められても仕方がない」
 不快感の原因はそれを感じる各人の固定観念であり自業自得。他人のせいにするのは筋違いである(虐められた不快感も同様。>1-3参照)

その7「虐めは本能」
 本能とは呼吸・睡眠・摂食のように「生命維持に欠かせない行動」をいう。「誰かを虐めてないと死ぬ」という人はいないので本能ではない。この理屈は脳が未発達な未熟者ほど好んで多用する

その8「虐めは無くならない」
 主張者が「無くし方を知らない」というだけである。確かにいつの時代も成長途中の人間は存在するが、感染症の病原菌等と同じで「理に適った正しい無くし方」を施せば確実に無くなる
 また多くの名も無き人々の不断の努力により人知れず無くなって(解決して)いる事例は幾らでもある。大きく報道されることだけが全てではない

その9「虐めをしたら厳罰に処すればよい」
 飲酒運転と同じで、安易な厳罰化や一時的な対処は問題の陰湿化・冗長化を招くだけである。虐めは脳が未成熟な証拠。日頃のストレスが背景にある事も多いので、非難や制裁以前に監察や教育を施すべきである

その10「虐められる側を助けるべき」
 緊急時はさておき、真に救うべきは”愛に飢えた”虐める側である。加害者側を救えば被害者は自動的に救われる。被害者のみを救おうとするのは自己満足に過ぎない