☆ハゲとフサの哲学的差異☆

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1考える名無しさん
もう考えすぎで毛が抜けるのはウンザリなんだよ!!!!!!!!!
2考える名無しさん:2008/07/30(水) 05:24:39 O
フーコーの痛恨のミスは、開き直ってハゲをファッションとして認知させようとしたことにある。すなわち、
馬鹿ものこれはハゲではないわ、
スキンヘッドというのだ!覚えとけ愚か者!
などといいたげなのである。
しかしハゲとの闘争において、抜け毛量というのは基本的な大切なデータであり、
これを剃りあげることで捨てさってしまえばもうおしまいである。
天才的な頭脳をもってしても、
基本的なデータを採取するのに怯えてしまう腑抜けでは仕方あるまい。
抜け毛からの逃走…これこそツルッパゲへの確かな道なのである。

3考える名無しさん:2008/07/30(水) 09:08:41 0
誰もが経年劣化により抜け毛を経験するが、
その誰もがゲーハーにはならない。
タダモノ論に謂う量と質の関係は髪の毛には適応されないのか?
4考える名無しさん:2008/07/30(水) 09:55:28 O
抜け毛を直視することがフサ維持のための第一歩であろう。
スキンヘッドなどハゲの強がりにすぎないのだ。
それは毛という領域における弱者のルサンチマンが惹起した価値観の転倒工作である。
5考える名無しさん:2008/07/31(木) 10:39:20 0
ただの遺伝である。最近の研究では父方の遺伝ではなく、
母方の祖父からの遺伝が多く影響しているらしい。
6考える名無しさん:2008/07/31(木) 15:39:09 0
実存的不安というのは、ハゲとフサフサの境界線である。
ちょっと薄くなってきたかなという中途半端な位置。
7考える名無しさん:2008/07/31(木) 16:24:51 O
ハゲとフサのあいだ…
そこで繰り広げられる闘争の真剣さは、いわゆる戦争のそれをも軽々と凌駕している。
それは時間のように、あらゆる人々を叩きのめす死に至る病である。
だがその絶望こそが我々を駆り立て、世界を彩るのではなかろうか。
8考える名無しさん:2008/08/01(金) 19:23:32 0
お前らノリ良いな…w
9考える名無しさん:2008/08/01(金) 19:46:43 0
ハゲたら終わりという世間の風潮がある。
しかし終わりから始めるのが哲学なのである。
10考える名無しさん:2008/08/02(土) 10:18:32 0
むしろ問題なのは、ハゲとかヒゲとか、あらゆる男性的なものを隠蔽しようとする風潮だ
女性の警戒を解くため、女の群れに受け入れて貰うため、男である事を隠し続ける
「女のフリでもしなきゃヤッてけない」そう思ってるのだろうけど
ヤッてけてないんだよ!女どもの靴を舐めながら、捕虜の様に養われてるだけ
何故、対等に向き合う事ができないのだろう?
11考える名無しさん:2008/09/19(金) 06:39:48 0
age
12考える名無しさん:2008/09/20(土) 12:01:38 0
13考える名無しさん
マエガミフッサール