【ゼロアカ】東浩紀スレッド135【道場破りの憂鬱】

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565伏蔵 ◆p1AdJ397o.
■なぜ「正義に対する善の優位性」が重要であるのか

公平な封建社会

では本日は「公平と平等」について話をしたいと思います。みなさんはこ
の違いがわかるでしょうか。簡単にいえば、公平とは質的であり、平等
は量的である、といえます。たとえば封建社会の秩序はいかに保たれて
いたか。これを上からの物理的な暴力と考えることはできません。あれ
ほど長期に渡り、一部の特権階級が物理的な暴力だけで多くの人々を
拘束することは不可能です。

封建社会には封建社会の人々の間で安定性があったのです。それは、
上層と下層では質的に異なる人間であることが前提とされていました。
生まれが階級を決めたのは、当然です。階級に流動性を持たせると、
質的な差異が保たれません。封建社会の経済は、一般的に「再配分」
によって成り立っていたといわれますが、これは上層と下層の質的差異
をもとに、下層の安全を保証するかわりに、下層は量的に生産物を上
納していたわけです。

これは公平な社会です。質的、量的を含めて、人々がバランスが取られ
ていると考えることが「公平」です。これは現代でも微視的には一般的な
感覚です。人々に人気がある、実力が認められている人が優遇されて
も、人々はそれに対して納得します。そこには公平感があるからです。
566伏蔵 ◆p1AdJ397o. :2008/07/28(月) 15:10:23 0
平等な近代社会

近代化とはなにかといえば、一言でいえば「数量化」と言うことができる
でしょう。まるで氷がとけて水になるように、自然現象から封建的制度ま
で、質的なものが数量化されていきました。そして上層と下層では質的
に異なる人間という考えも氷解していきました。そこで現れたのが量的
な等しさとしての平等です。このような近代における平等思想において、
重要であるのが貨幣です。社会の質から量への氷解において、貨幣は
大きな役目をしました。

たとえば、マルクスはブルジョアジーとプロレタリアの格差を指摘しまし
たが、そこに封建社会のような質的な差異があると言ったわけではあり
ません。マルクスが指摘したのは、あくまでも数量の分配の問題です。
資本主義社会では、剰余価値は資本家の利益とされますが、真の平等
を目指すならば、これも労働者へ分配する必要があるのではないか。そ
れは搾取ではないか、と言ったのです。封建社会に比べて、資本主義
ののもつ平等性を認めた上で、より適切な平等性を求めたわけです。

現代が「帝国」と言われるときに、その意味は数量化によってもっとも説
明しやすいでしょう。すなわち世界全体が氷解した社会ということです。
これがフラット化といわれる現象です。しかしだからといって、格差がなく
なったわけではないありません。富は大きく偏在していますが、それは
あくまで数量化されて偏在しているのです。そこにはいつでも低いところ
へ流れ出す可能性があるという意味で、平等な社会なのです。

しかし格差が広がるのはなぜか。ここが問題になります。平等であるの
に、不公平感がある社会、それが現代と言えます。とりあえず、ここまで
質問がある人はいますか?
567伏蔵 ◆p1AdJ397o. :2008/07/28(月) 15:11:55 0
リベラリズム「公平に対する平等の優位性」の限界

ないようなので続けましょう。現代において、リベラリズムに新たな意味
を見出しものに、ロールズの「正義論」があります。ここでロールズが
言った重要なことは、「善に対する正義の優位性」ということです。これ
は先に、ボクが説明した公平と平等でつなげると、「公平に対する平等
の優位性」ということになるでしょう。善=公平という質的なものは、共同
体によって異なります。それよりも、正義=平等という量的な共通基盤
を重要視しましょう、ということです。そして量化された均等さとは、は暗
に、貨幣価値ということになるでしょう。

このように現代のリベラルは格差を救済することに役立ちません。では
なぜ格差は生まれるのでしょうか。一つの考え方は、数量化された自由
競争では、コンピュータシミュレーションをしても、格差が生まれるという
ことです。ここでは徹底的な数量化された世界があります。

しかし私が考えるのは少し違います。本当に世界は数量化可能なの
か。フラット化は存在するのか。ようするに質的なもの、公平感はどこに
いってのか、ということです。リベラルな平等社会の中で、公平感が偏在
しているのではないか。競争において、勝ち組は勝ち組をておくみ、負
け組を排除する。たとえば日本では天下りなどの官僚の強力関係が、
問題されていますが、このようなことはある種、人間社会においては当
たり前の事であって、社会に偏在し続ける。たとえば親は子を優遇する
レベルでも働くものです。
568伏蔵 ◆p1AdJ397o. :2008/07/28(月) 15:12:32 0
すなわち「正義に対する善の優位性」は決して、社会的な「義」であっ
て、排除されるようなものではなく、社会そのものを成り立たせている、
ということです。格差はむしろ、善から振り落とされることで生まれる。平
等であろうとするほど、負け組となるのです。

天下りなどは公務員という立場であり問題視されていますが、一般的な
社会では違法ではありません。身近な者を優遇する、身近な者と協力
する。それは信頼関係です。すなわち、「善に対する正義の優位性」な
社会システムだからこそ、「正義に対する善の優位性」=信頼性は強力
に働きます。多くの人はこの点を勘違いしています。どうですか、みなさ
んも、心当たりがありませんか。あなたにとって、信頼関係とはなにか、
今晩当たり考えてるのもよいと思います。