【2ちゃん発】哲学本を出版するよ!Part1

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44考える名無しさん
>>42
kyrie@鬱病は、「倫理・政治」を遠ざける努力をすれば哲学は自律(そもそもこの言い回しってどうよ)
しうると考えるのは「哲学的」だと思ってるわけだろ? だとしたら、倫理・政治は、そのような「哲学的」な
試みを裏切る形で必ず存立してしまう構造を持っているってこと。

あらゆる考え方は必然的に政治的・倫理的であってしまう。概念の使用は必ず領域を画定する。
領域の画定をすることは必然的に政治的・倫理的になる。例えば「哲学的」領域を画定すると、
その画定のロジックに関わらず、必然的にその外側の領域を政治的に「哲学的」とみなさない立場を
とることになるし、倫理的に内側の領域を「哲学的」とみなせという立場をとることになる。
ここでの領域は明らかに自律的に成立していない。政治的・倫理的なものによって画定されている。

こういった具合で(何かと区別された領域として)「哲学」が自律するという考え方はとれない。
領域という発想自体が優れて政治的な発想なんだよ。哲学は領域を画定する政治的・倫理的な作用を
政治的・倫理的と名づけられるようなものであるならば、領域的な「哲学」に自律性という性質を付与
するのは、哲学的分析として虚偽ということになる。
45kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/07/31(木) 15:19:28 0
>>44

丁寧な解説ありがとう。
概念の使用が、そのように「領域の比喩形象」に還元されるのに、まず異議を唱えるものだょ。
それは内部の哲学じゃないし、外部へと開いていく哲学でもないお。
領域の限界部分、縁に沿って、倫理・政治を触れえないものにしつつ、その画定された線を歩いてみようじゃないか。
ぎりぎりのところで。
46考える名無しさん:2008/07/31(木) 16:27:14 0
>>45
「概念の使用が、そのように「領域の比喩形象」に還元されるのに、まず異議を唱える」と言うが、
その異議に根拠があるかどうかが問題だし、「内部の哲学じゃないし」「外部へと開いていく哲学」という規定は、
>>44に説明したとおり、虚偽の「哲学」そのものとしか言いようがない。

「領域の限界部分、縁に沿って、倫理・政治を触れえないものにしつつ、その画定された線を歩いてみよう・・・
ぎりぎりのところで。」は、詐欺的レトリックに過ぎない(哲学と非哲学に分けた境界部分の上を歩くなら、
「哲学」にも非「哲学」にも触れないことになる、というのは、ナンセンスな領域をとって、そこから「哲学」と
非「哲学」を分けましょう、と言っているだけで、実際にやってることは「哲学」と非「哲学」を分けることだ)。
47考える名無しさん:2008/07/31(木) 17:17:42 0
>>45

「領域の比喩形象」に還元されるのに異議を唱えるのに、「内部」「外部」という形象を使うのは矛盾してるだろ
48考える名無しさん:2008/07/31(木) 21:16:14 0
早くも出版断念の方向で話が進んでいるようですね。さすがです。
49kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/08/01(金) 10:21:21 0
>>46

領域の比喩形象は、後に続く全ての時空質化までは、まだ使わない方がいいんでないかなあ。
俺としては、とにかく時空質を排した記述からはじめて、のちに時空質を過剰的要素として付加する・再解釈する
方向を取っていきたい。

>詐欺的レトリックに過ぎない(哲学と非哲学に分けた境界部分の上を歩くなら、
「哲学」にも非「哲学」にも触れないことになる、というのは、ナンセンスな領域をとって、そこから「哲学」と
非「哲学」を分けましょう、と言っているだけで、実際にやってることは「哲学」と非「哲学」を分けることだ)。

非哲学と哲学を分けることでいいじゃん。まずは初めの段階でね。
分けることで十分哲学にも非「哲学」にも触れていると思うけどね。でないと分けることすらできないし。

>>47

うん、そこはかなり自由に解釈してる。単純に「外・内」という言葉を使うから形象的なのではなくて。
もっと柔軟に考えようぜ。
50考える名無しさん:2008/08/01(金) 15:05:11 0
>>49
>>46への反論に答えていない。
「領域の比喩形象は、後に続く全ての時空質化までは、まだ使わない方がいい」は、「領域の限界部分、
縁に沿って、倫理・政治を触れえないものにしつつ、その画定された線を歩いてみよう」と論理的に全く
区別する理由がない。「非哲学と哲学を分けることでいいじゃん。まずは初めの段階でね。」
「分けることで十分哲学にも非「哲学」にも触れていると思うけど」も同じ。説明しようとする区別を
最初に前提してしまうのはおかしい。きわめて初歩的なレベルの誤りだ。

「とにかく時空質を排した記述からはじめて、」とあるが、なぜそこからはじめられるのか不問にするなら
それは哲学的とはいえない(それには理由がない)。そのようにはじめられる理由は考えられない。
最初から「時空質」という高度に抽象的な概念を前提とする理由はないからだ。

何を問題にするにせよ、ある区別を絶対視するという誤りを避けるためには、何らかの区別が生じる
理由から入る必要がある。何らかの区別が生じる理由から入ろうとするなら、それが大掛かりな区別に
ならないことは、少し対象について考えれば、簡単に理解できるはずのことだ。
51考える名無しさん:2008/08/01(金) 15:06:12 0
>>46への反論に答えていない。→>>46の反論に答えていない。
52考える名無しさん:2008/08/01(金) 15:09:29 0
>うん、そこはかなり自由に解釈してる。単純に「外・内」という言葉を使うから形象的なのではなくて。
>もっと柔軟に考えようぜ。

外・内という言葉を使うなら領域的に考えていることになる。これは論理的な問題であり、
「柔軟に考え」れば、そういう問題がなくなるかのように言うのはおかしい。

というか、自説を合理化する流れで「柔軟に考えよう」などと相手に呼びかけるのは、
哲学(する人の態度)として、完全に「終わってる」。
53kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/08/01(金) 18:53:00 0
>>50

区別する理由?
>「領域の比喩形象は、後に続く全ての時空質化までは、まだ使わない方がいい」
>「領域の限界部分、
>縁に沿って、倫理・政治を触れえないものにしつつ、その画定された線を歩いてみよう」

…ないね。貴方の言うとおり。
まあ後者は言葉遊びみたいなもんだから。
ただし!俺は区別を連続性へ、連続性を失神へと止揚させることができるとは考えているぜ。

>「とにかく時空質を排した記述からはじめて、」とあるが、なぜそこからはじめられるのか不問にするなら
それは哲学的とはいえない(それには理由がない)。

時空質をとりあえずエポケーしようってこと。時空質だけでなく、「人間」もね。
時空質を意識はするが、そこから退いて、比喩形象から、なにもないところから考えてみましょうってこと。
そこにある哲学的意義は、時空質から退きもしない哲学よりは未来を感じさせるだろ?w

>ある区別を絶対視するという誤りを

俺は相対論者でも絶対論者でもないんでえ。そう言われてもな^^;
54考える名無しさん:2008/08/01(金) 22:52:58 0
>>53
> まあ後者は言葉遊びみたいなもんだから。

 開き直ってどうする・・・。んなふざけた態度で哲学本なんぞ出されちゃかなわんな。

> 区別を連続性へ、連続性を失神へと止揚させることができるとは考えている

 区別が連続性によって特徴付けられるなら、論理的には、哲学から倫理・政治を「切り離す」のは
 無理と認めたも同然だ。

> 時空質をとりあえずエポケーしようってこと。時空質だけでなく、「人間」もね。

 なんでkyrie@鬱病は、「時空質」を「とりあえず」エポケーできるのだ。エポケーは、
 何らかの体系の自律性を論証する最初の段階で問題にできることじゃないだろ。
 エポケーされる対象があると認めるんだったら、その時点で、哲学の自律性は言えないと
 認めなければ非論理的だ。先行する批判されるべき体系の存立が前提になるんだから。

 エポケーにはいろいろな意味があるが、一般には現象学的な文脈で、客観的存在に関する
 判断を中止することを意味しているわけだろ。そのような判断を中止すると言うということは、
 中止して作ろうとする体系の存立は、中止する対象としての客観的存在の体系に依存すると
 論理的に認めることだ。

> 俺は相対論者でも絶対論者でもないんでえ。そう言われてもな^^;

 場当たり的にレトリックで逃げているが、kyrie@鬱病のレスを普通に読む限りでは、
 kyrie@鬱病は「絶対」論者だ。あるカテゴリ(「哲学」)から別のカテゴリ(「倫理・政治」)が
 排される理論を確立しようとしているのだから。自分が拠って立つ立場を論理的に把握することすら
 しないで、何が論だ。
55考える名無しさん:2008/08/02(土) 14:02:45 0
レベル低…
なんだこれ。
56考える名無しさん:2008/08/02(土) 14:25:40 0
全ての哲学原理はスタコラサッサー長老の陰謀として説明できるのであり、
21世紀に哲学書は不要である。
57考える名無しさん:2008/08/02(土) 15:00:43 0
コロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセコロセ
58考える名無しさん:2008/08/02(土) 16:05:58 0
kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEIがついにキレたようだねw
59kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/08/03(日) 18:09:37 0
>>54

>区別が連続性によって特徴付けられるなら、論理的には、哲学から倫理・政治を「切り離す」のは
 無理と認めたも同然だ。

なんでそうなるの?区別を連続性によって特徴づけるのではない、連続性そのものにするんだょ。
その射程は哲学、倫理・政治にまで及ばない、なぜなら、全ての概念に共通して連続性を付するのではなくて、
初めから了解的に区別されたものを区別しつつ、連続性でありうるものは連続させる。
いきなり哲学・倫理・政治を連続させるのではなくてね。

>なんでkyrie@鬱病は、「時空質」を「とりあえず」エポケーできるのだ。エポケーは、
 何らかの体系の自律性を論証する最初の段階で問題にできることじゃないだろ。
 エポケーされる対象があると認めるんだったら、その時点で、哲学の自律性は言えないと
 認めなければ非論理的だ。先行する批判されるべき体系の存立が前提になるんだから。

批判されるべき体系は、カントの直観、ショーペンハウエルの直観、ベルグソンの直観、フッサールの直観。
彼らの哲学から、形而上学的部分(哲学的部分)を抽出して、エポケーします。
カントは、表象なしに時空はあり得ないと言ったけど、表象なしに、時空による直観なしに思考が可能であることが
可能だと言う事を証明します。

>エポケーにはいろいろな意味があるが、一般には現象学的な文脈で、客観的存在に関する
 判断を中止することを意味しているわけだろ。そのような判断を中止すると言うということは、
 中止して作ろうとする体系の存立は、中止する対象としての客観的存在の体系に依存すると
 論理的に認めることだ。

そうだょ。倫理や政治も、中止する対象に含まれる。それはそれでいいのです。倫理や政治を遠ざけつつ、
かつそれに触れないよう意識しながら、時空質を排して原初を考察する。
限りなくエポケーして、現象学を超えてえぽけーして、現象学すらエポケーして、まだ残る要素について考察しつつ、
少しづつ判断を停止から再開へと導いていくのが、俺の哲学です。首尾一貫してませんね、でもこれが
本当のことです。

60考える名無しさん:2008/08/03(日) 18:22:32 0
これから書かれる論文・著作をめぐって批判、反批判しあってもしょうがないでしょう。
そういうのはkyrie@鬱病さんがなにか本論を書いてからやることでしょ。
61考える名無しさん:2008/08/03(日) 18:30:17 0
>>59
カントって「表象無しに時空はありえない」なんて言ったっけ?
時間空間という直感の形式無しに表象はありえない、とは言ってたと思うけど。
62kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/08/03(日) 18:36:59 0
>>60

本論はある程度書いてあるんだよ、でもそれ以前の問題として論の在り方をめぐって納得できない方が
いるみたいなので

>>61

>時間空間という直感の形式無しに表象はありえない、とは言ってたと思うけど。

それは教科書的だよね。ただ、純粋内観としての時間の把握を、線という比喩形象に頼ってた時点で、
ベルグソンも同罪だけど、「表象なしに時空は在りえない」と言ってるも同然じゃないかな。
そして空間論をば、時間的に展開している限りで、やはり時間の表象なしに空間はあり得ないと言えるとおも
63考える名無しさん:2008/08/03(日) 19:05:25 0
>>62
教科書的でスミマセンね^^
ただカントとしては時間空間は表象に先立って与えられる先験的な形式だという主張なわけだから
「表象無しに時空はあり得ない」なんていう主張はカントと真っ向から対立するよね?これをカントが言ったっていうのは
かなり無理があるんじゃないの?
あなたの言い方を見てると、時間空間を内観や線などで表象可能だということが、「表象無しに時空はあり得ない」っていう主張へ飛躍している
としか思えないんだけど。
64kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/08/03(日) 21:02:07 0
>>63

ただ、カント自身は線を時間の持続そのものと捉えてた節がある。

>時間空間を内観や線などで表象可能

これはその通り。ただし、線と時間とはカントにおいて絶対に切り離せなかった。
それを疑いもしなかった。ベルグソンはもっと酷い。
持続がスペクトルを通過する伸縮可能な弾性体だと主張したのはベルグソンだが、
どうも時間が表象を横断する線という表象は、「天と地」に対して態度を保留する、という意味をもっている
と考える。
だからそれは重力の法則に依っていて、地球上では通用するが、宇宙的には際どいんじゃないかな。
65考える名無しさん:2008/08/03(日) 23:06:28 0
>>59
> なんでそうなるの?区別を連続性によって特徴づけるのではない、連続性そのものにするんだょ。
> その射程は哲学、倫理・政治にまで及ばない、なぜなら、全ての概念に共通して連続性を付するのではなくて、
> 初めから了解的に区別されたものを区別しつつ、連続性でありうるものは連続させる。
> いきなり哲学・倫理・政治を連続させるのではなくてね。

 「区別が連続性によって特徴付けられる」と書いたのは、そもそも区別がそのような概念ではない
 ――境界をつくって分ける(別ける)ことを意味する――からだよ。「連続性そのもの」と考えるなら、
 そもそも区別できていない・していない(「哲学」、「倫理」・「政治」と境界づけをして、それに及ぶか
 及ばないかを問題にできない)と言わなければならない。

 「区別」という語を、普通の意味と正反対の意味で使わない限り、この結論は論理的に覆らない。
 このような初歩的な指摘を単純に無視しなければ成り立たない体系は、普通の意味で哲学的とも言えない。

 また、「全ての概念に共通して連続性を付するのではなくて、初めから了解的に区別されたものを区別しつつ、
 連続性でありうるものは連続させる。」という議論は、「全ての概念に共通」する何かが考えにくいという錯覚を
 利用して説得力を稼いだ議論にすぎず、実質的な理由付けは何も含まれていない。

 実際、kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI は、このような批判を受けることを予期していなかったであろう段階、
 >>37等において、自らの偏向をまったく隠していない。

    【追求】する【姿勢】をとるのだったら、政治や倫理は【排されるべき】で、それは哲学の【欲求】なのです。

 上のような議論を念頭に「初めから了解的に区別されたものを区別しつつ」の意味を論理的に把握するなら、
 kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI の「哲学」的関心は、哲学的な必然性に基づいていないことがはっきりと分かる。
 【】内で示された概念は、【排されるべき】を除き、明らかに哲学的概念ではなく、【排されるべき】は、明らかに
 政治的・倫理的発想から来る表現である。
66考える名無しさん:2008/08/03(日) 23:27:49 0
>>65続き)

> 批判されるべき体系は、カントの直観、ショーペンハウエルの直観、ベルグソンの直観、フッサールの直観。
> 彼らの哲学から、形而上学的部分(哲学的部分)を抽出して、エポケーします。(〜)

 繰り返すが、>>54に説明した通り、そのように論ずるならば、哲学の自律性は言えないと認めなければ非論理的だ。
 先行する批判されるべき体系の存立が前提になるからだ。先行する批判されるべき体系の存立を前提としなければ、
 「形而上学的部分(哲学的部分)を抽出」できない。この点に関して、kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI は、

> そうだょ。倫理や政治も、中止する対象に含まれる。それはそれでいいのです。倫理や政治を遠ざけつつ、
> かつそれに触れないよう意識しながら、時空質を排して原初を考察する。
> 限りなくエポケーして、現象学を超えてえぽけーして、現象学すらエポケーして、まだ残る要素について考察しつつ、
> 少しづつ判断を停止から再開へと導いていくのが、俺の哲学です。首尾一貫してませんね、でもこれが本当のことです。

 「首尾一貫してませんね。」とまで認めておきながら、ただ「でもこれが本当のことです。」と言い切っている。
 そのような態度は全く哲学的ではない。ただの強弁に過ぎない。

 私は、倫理や政治という概念でくくられる判断を、そのまま援用しないからといって、哲学から「政治や倫理は
 【排されるべき】」という考え方が論理的に導かれるわけではない、ことを指摘したに過ぎない。
 この指摘が論理的に正しいことを、kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI は認めているにも関わらず、ただ「遠ざけつつ、」と
 >>37から表現をトーンダウンさせることによって、無視しようとしている。
67kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/08/04(月) 06:02:01 0
>>65

連続性の概念がそもそも生まれたのは、言語学的に了解的に先天的に区別されていた諸々に対して、その区別が
恣意的だと考えたからではないのかな?

哲学が自律性のものではない、というのは、政治や倫理をエポケーすると宣言した時点で認めてるじゃないか。

>また、「全ての概念に共通して連続性を付するのではなくて、初めから了解的に区別されたものを区別しつつ、
 連続性でありうるものは連続させる。」という議論は、「全ての概念に共通」する何かが考えにくいという錯覚を
 利用して説得力を稼いだ議論にすぎず、実質的な理由付けは何も含まれていない。

全然理解してないのね。概念は全て連続性と考える限りで、概念自体の存続が既に危うく、概念として借定
されることが全く不可能な事態に陥る。だから、ア・プリオリに「了解的に区別されたものを区別しつつ」と書いた。
その了解をエポケーすることもできよう。ただ、了解を認める限りで、了解のなかにも連続性・非連続性は
あるわけだから、それを恣意的に連続させるのは二重に恣意的である。それをさらに失神させる積りだしね。

>繰り返すが、>>54に説明した通り、そのように論ずるならば、哲学の自律性は言えないと認めなければ非論理的だ。

だから認めますってば(笑)
68kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/08/04(月) 06:08:40 0
倫理や政治との距離を保つと言う意味での緊張は確かにあるが、記述自体は純粋に哲学的だょ。
69考える名無しさん:2008/08/04(月) 12:34:30 0
kyrieは「むしろ哲学、政治、倫理のもつれ合いにおいて、政治と倫理は切って離せないが、
哲学は自律しうるもの」>>40って書いてたんだけど。もともとの自説と矛盾する帰結を
認めることになってるのに、>>67のような態度はまずいんじゃないの?
おまけに>>68で純粋に哲学的とか言って自説復活させてるし。
70kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/08/04(月) 15:15:59 0
>>69

哲学的言説以前において、哲学は自律し得ないことを認めただけだょ。
ただ哲学的言説に、政治や倫理を含めないことはできる。
そのことを自律的といったまでだょ。

>>68
は誤謬を招く。「純粋に哲学的」ではなく、純粋に「形而上学的」と言ぃなおします。
71考える名無しさん:2008/08/04(月) 15:22:17 0
>>67
連続性の概念は恣意性ではなく時間や空間が限りなく分割可能であることから出てきたんじゃないの。
>>61-64でもカントの理解を論理的に把握できてないみたいだし、正直全然だめぽな感じなんだけど。
72考える名無しさん:2008/08/04(月) 15:24:19 0
>>70
>ただ哲学的言説に、政治や倫理を含めないことはできる。そのことを自律的といったまでだょ。

「含めない」じゃ区別していることになるし、「哲学が自律的」なんじゃなくて、
kyrieが区別した哲学が自律的だと言い張ってるだけになるじゃない。全然論理性ないなこの人。
73考える名無しさん:2008/08/04(月) 15:31:27 0
kyrie@鬱病は哲学は純粋なものだという思い込みから入ってる感じだよな。
なんでそう思い込むかといえば、政治や倫理に対する無関心とか反発とかから来てるっていう。
哲学者面してるけどその心はネトウヨ的。

本当は純粋なものが何もない(分けられない)のが哲学なのに。
だいたい、倫理や政治は哲学じゃないんですって言って何もしないのが哲学だといって、
誰が納得すると思ってるんだかな。ここ10年ぐらいこういうの多いよね。なんとかならないんだろうか。
74考える名無しさん:2008/08/04(月) 15:43:36 0
それに、>>67>>65-66が「初めから了解的に区別されたものを区別しつつ」を
>>37をもとに解釈した部分を完全無視した引用をしたうえで「全然理解してないのね。」って書いてるな。
それじゃ話にならないだろ。
75考える名無しさん:2008/08/04(月) 15:51:28 0
>>37でもアレだけど、>>14>>33の方がもっと致命的だよ。
76考える名無しさん:2008/08/04(月) 16:27:40 0
領域としての哲学、という認識をおしすすめると自己矛盾に陥るというのは重要な問題なんだがね。
大学哲学から出発した日本哲学の病理もそこにあるわけだし。
77kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/08/04(月) 16:33:18 0
>>71=72=73=74

連続性の概念は、恣意的です。時空を限りなく分割するのは恣意的ではありませんか。
それとも外在的に時空が分割され得るとでも言うのですか。

>>72

だから区別自体は認めるってば。区別の日常的了解から俺の哲学は始まるから。
区別を前提しないにしても、そのことで区別を前提しているよね。
区別を遠ざければ遠ざけるほど、「区別を認めない」論理は厳しくなるょ。

>>73

純粋なものだなんて思ってないよ。むしろ今までに純粋な哲学があったかぃ?
スピノザにしろカントにしろハイデガーにしろデリダにしろ。みんな倫理と不可分だったじゃないか。
それを改革してやろうとしているのが俺。
ただ、スピノザにしろハイデガーにしろ、最初は純粋な存在論から始めるじゃないか。
倫理は派生的であって、目指されたものは倫理的存在論。
純粋性はねぇ、使い飽きた。現象学で既に使い古された。でもね、俺の哲学は既に書き始めてるけど、
純粋に形而上学的だと言える。まだ見せられないけどね♪

78kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/08/04(月) 16:38:12 0
ハイデガーが死や良心を扱ったのには失望させられた。
俺的には、そういういくばくかの倫理性に結局帰着しちゃうのかぃ、という感じだった。
レヴィナスが愛を扱ったのにも。
それらは倫理性を経ずに、別の帰着法があったはずだ。
79考える名無しさん:2008/08/04(月) 16:40:28 0
>>78
それはいわゆる、時間がくるたびシュパっと消臭方式の詭弁だな。
80考える名無しさん:2008/08/04(月) 17:58:25 0
この人話にならないね。完全に思い込みにはまってる。
81考える名無しさん:2008/08/04(月) 18:00:52 0
>それを改革してやろうとしているのが俺

バカじゃねーの
82考える名無しさん:2008/08/04(月) 18:26:49 0
>>80
思い込みにはまっているだけでなく、論理性ゼロだし、都合の悪い指摘は完全に無視してる。
哲学以前に単に何かを論ずる能力自体がない。
83考える名無しさん:2008/08/04(月) 18:32:03 0

>>37 純粋に形而上学のみを追求する姿勢をとるのだったら、政治や倫理は排されるべきで、それは哲学の欲求(kyrie)

 ↓

>>73 kyrie@鬱病は哲学は純粋なものだという思い込みから入ってる
    なんでそう思い込むかといえば、政治や倫理に対する無関心とか反発とかから来てる
    本当は純粋なものが何もない(分けられない)のが哲学

 ↓

>>77 純粋なものだなんて思ってないよ。むしろ今までに純粋な哲学があったかぃ?
    スピノザにしろカントにしろハイデガーにしろデリダにしろ。みんな倫理と不可分だったじゃないか。
    それを改革してやろうとしているのが俺。

        スピノザにしろハイデガーにしろ、最初は純粋な存在論から始めるじゃないか。倫理は派生的

            ↓

        >>78 ハイデガーが死や良心を扱ったのには失望させられた。俺的には、そういういくばくかの倫理性に
        結局帰着しちゃうのかぃ、という感じだった


こいつ頭おかしいだろ。どう見ても場当たり的にごまかしてるだけ。
84考える名無しさん:2008/08/04(月) 18:38:26 0
>>4
形而上学っていうけど、命令、法、条件である。はっきりと命令が来たと自覚してたり、
物理法則であったり、水が干上がると風が吹くようなものなんですかね。
85考える名無しさん:2008/08/04(月) 18:42:06 0
>>83
>>73への>>77は完全に詐欺師の論理だね…
86考える名無しさん:2008/08/04(月) 20:02:56 0
倫理や政治が排除されるべきっていうのはすごい独りよがりだよなー誰が見ても。そういうスタンスを始めから正当化しようと
しているし。
「俺は形而上学が好きだからそれしか語らねえ!」って宣言して何か書き始めるのは勝手だけど、その態度が始めから正しいかのように言うのは無理だろ。
何かまとまったものを書いて、それで判断してもらえ。それがもし上手くいってりゃ誰も文句はねえよ。
87kyrie@鬱病 ◆.RYdSpBfEI :2008/08/04(月) 20:52:59 0
みんな否定しようと必死だねw夏だなあ

>>84

命令や法、条件、指示などの概念について、再構築していくょ。
それはまずもって俺の日常的了解からしか構築し得ないから、それを時空質を排した思考において
構築しなおすことを目標とするょ。

>>86

そうだね、独りよがりかもね。ただ、哲学のテーマなんてその人の嗜好だし。その態度が絶対に正しいとは今後言わないょ。
まとまったものは、明日にでもうpするょ。
88考える名無しさん:2008/08/04(月) 20:56:57 0
>哲学のテーマなんてその人の嗜好だし。

だめだこりゃ。

>みんな否定しようと必死だねw夏だなあ

そういう反応が起きてると思ってるのはアンタだけだよ。