・必要条件
ストーカー君は、真理の必要条件を質問しているのか?
必要条件なんて数学で使う言葉が、なんで現実を問題にする真理に関わってくるのか疑問なのだが
「真理の必要条件」てのは誰が使っている言葉なんだ?
あとは言葉がグチャグチャしてて読む気が起きない
もうちょっと整理した文章を書いてくれ
本を読んだ経験が文章の明瞭さを培うんだぜ
つーか、どんな本を読めばそんな腐った文章が書けるんだよ
953 :
考える名無しさん:2008/08/21(木) 19:01:40 0
>>950 > 俺は「普遍化可能性のチェック」と言ったんであって
>「普遍性のチェック」とは言ってないんだが
普遍化可能性を必要とするということは
普遍化が不可能であったと自覚しているにせよそれを標榜しているということだ。
つまらない言い逃れをしないこと。
>こんなつまらんミスするからポパーも読めないんだよ
>反証と反証可能性の区別もできないんだろ?
いや、わかるよ。ポパー教徒以外どうでもいい概念だがなw
>ある正義の定義を正当と主張することは、
正当化のはなしなんてだれもしてないが。混同しているのはどっちだ?
>真理の定義とは簡単に言うとこういう質問だ
>「あなたは『真理』という言葉をどのように使用しているのですか?」
で?
>真理の必要条件を質問しているのか?
ちがうよ。
>必要条件なんて数学で使う言葉が、なんで現実を問題にする真理に関わってくるのか疑問なのだが
ここは笑うところだよな。
> 「真理の必要条件」てのは誰が使っている言葉なんだ?
おまえだけだよ。
>あとは言葉がグチャグチャしてて読む気が起きない
>もうちょっと整理した文章を書いてくれ
もっと易しく書いてやったほうが良かったか?
細かくレスするな
こっちはコピペできないんだ
1、普遍化可能性は個別性の禁止だ
「わたし」などの主観的用語が入った理論はないだろ
この種の個別理由付けの禁止のチェック
「論理のチェック」もそうだが、ある理論にかかる修正圧力の話だ
2、不明瞭な文章を書く技術だけ上げてどうする
論旨が明快でストレートな主張を書くのが現代のトレンドなんだよ
荘厳な文章なんてのは今流行りの自己欺瞞ってやつだ
間違ってもいいから、分かりやすくストレートに書く
これが21世紀のスタイルなんだよ
ストーカー
3、真理の定義の真理
「真理」という言葉を説明するのにその真理を問題にするというのはハイセンスだな
定義に真もクソもないだろ
もうちょっと反論しようと思ったが疲れた
場違いなバカは消えろ
ROMがお前に対して邪魔だって感じてるぞ
956 :
考える名無しさん:2008/08/21(木) 19:29:27 0
>>954 >細かくレスするな
>こっちはコピペできないんだ
知るかよ。
>1、普遍化可能性は個別性の禁止だ
そうだよ。だからどうだというんだ。
おまえ意味もわからず引用しているだけだろ。
それがどのような帰結をもたらすか理解できてないんだよ。
> 2、不明瞭な文章を書く技術だけ上げてどうする
ほんとに曲解ばかりだな。おまえにあわせて
レベルをさげてやろうというだけのはなしだよ。
・普遍化可能性
分かるわ、ボケ
「個別性」てのは俺の言葉だ
夢君は「単一性」と表現した
形容詞ってあるよな
形容詞は様々なグループに共通する性質を表す言葉だ
「あれは白いけど、これは白くない」と発言したら
あれとこれの違いが普遍化可能な形で区別できるとして
そのような違いを挙げなければならない
先の表現は「これはこれであれはあれだ」以上のことを発言したと見なされる
これが普遍化要求だ
958 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/21(木) 19:42:16 0
>>957 長文出来ないなら、パソコンで書いて携帯にメールで送ってコピーして2chに投稿するといいよ。
なんで、お前みたいなバカ相手にいちいち説明しなきゃなんねーんだ
俺にも相手を選ぶ自由はある
960 :
考える名無しさん:2008/08/21(木) 19:50:50 0
>>957 馬鹿で話の筋が理解できないようだから解説してあげるけど、
おまえがしなくてはならないのは
普遍化可能性をチェックするという動機に普遍性への希求が存在しないことを説明することだよ。
さぁ、わかりやすく説明したまえ。できるんだろ?
960
矛盾の有無のチェックに恒真であることを希求しないがごとし
普遍化可能性要求は個別理由付けを禁止する
これによって排除されるのは「あれはあれ、これはこれ」という説明が
言葉として何の説明もされていないために破棄されるということだ(天才君がよく使う表現は破棄される)
これに対して、「普遍性の希求」とは、、、何だろう?
当の表現を挙げたストーカー君にご説明いただくとするか
普遍化可能性の例で俺はよく論理の例を挙げる
PならばP
果たしてそうか、「左辺のP」と「右辺のP」は異なる
異なるものが同じとは矛盾である
上のような批判は両者の違いを個別による違いしか挙げていないため破棄されねばならない
ある実験が反証例となった
その時「この実験は、まさにこの実験であったからこそ失敗した」という言い訳はできない
「温度、湿度などが悪かった」「撹拌が足りなかった」などと普遍化可能な言い訳をする義務がある
(このような言い訳は次の実験につながる言い訳である)
963 :
考える名無しさん:2008/08/21(木) 20:39:45 0
>>961 それじゃ同じことだ。
普遍可能性概念の解説を繰り返してどうする。
ほんとコミュニケーション能力がないな。
はよ、説明してみろ。
>これに対して、「普遍性の希求」とは、、、何だろう?
質問で返すな、ばかたれ。
「普遍性の希求」とは「普遍性を求めること」だよ。そのままだ。
そんなに難しいか?これ。
本に書いてない言葉は理解できないのか?
このような普遍化可能性を求めることは
ストーカー君が言う普遍性の要求とは関係ないと思うのだが
965 :
考える名無しさん:2008/08/21(木) 20:43:59 0
>>962 ほれ、それじゃ
>>960に答えてないぞ。
たまには自分の頭を使って考えてみろ。
>>964 だからなぜ関係ないのかを説明しろといっているんだよ。
分かりやすくな。
「あれはあれ」「これはこれ」という理由付けが何の説明にも
なっていないことは分かるのだが、そういう理由付けをする人は
実際には全然いないように思われる。
例えば、「私がやってよいと思うから」というのは、普遍化可能性
があるのである。なぜなら、これは「私は私だからやってよい」と
いう理由付けをしているわけではないからである。
967 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/21(木) 21:29:08 0
>>935 普遍性を求めてないということは、個別的、個人的、特殊的であるということですか。
あなたの客観的規範理念というのは、「焼きが回った」というような客観的には
自明で説明不要であり、かつ特殊な状態を指す言葉のように、そうなった場合
の自分を救ってくれるような説明、帰属的語句を探すことであるように思えますが、
どうなんでしょうか。
968 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/21(木) 22:10:25 0
言葉とは文字通りに受け取ることができるだけではない。そこから各人が自由な連想をつなげる
ことができるのであり、その限りでは言葉は無限の可能性を持つ。本来意図された意味内容
を受け取ることは、客観的規範性の要請であると思われるが、その有意味性は、誤解を防ぐ、
アナーキズムに陥らない、というところにあることが考えられると思う。つまり、円滑なコミュニケーション
が可能となることである。完璧な規範など存在しないので、負の面もある。それが、自由の
制限、可能性の制限である。
969 :
天才君:2008/08/22(金) 00:52:42 0
>>954 > 1、普遍化可能性は個別性の禁止だ
> 2、不明瞭な文章を書く技術だけ上げてどうする
こういう事を言うことは自由だが、あなたの発言内容は、
主観的用語を持ち要らないだけで、極めて主観的内容の連発です。
まずは、このスレタイである、
【私】を記述してください【私の存在性】
を記述することをお勧めします。個別性自体の主題をどのように普遍化可能性に
結びつけるのでしょう?
天才君
俺はI think をつけるのを否定しないし
個人が意見を言うことを何ら否定しない
だが、個人が発した言葉は議論の場においていくつかの規範による圧力を受ける
将棋のルールがしっかりしているからといって、自由に駒を動かせないわけではあるまい
それとも、「駒の動きからも自由」と叫びながら
「将棋をする自由」を放棄するのかい?
Ab
普遍性と普遍化可能性は区別してくれ
大きい違いだ
俺が普遍性を求めていないというのは、
将棋を指すように、相手との言葉のやりとりを認めているということ
ただ、そのような会話、言葉のやりとりにおいても
自分勝手な言葉を好き勝手に並べていいわけじゃなくて、いくつかのルールがある
「王手をされたら王は逃げなければならない」のように
これらのルールは将棋というゲームを成立させている
じゃ会話は?
会話におけるチェックメイトは矛盾だ
両立不可能な関係の言明の指摘は、それだけで王手をかけたのと同じだけの圧力をかけたことになる
では、王手を受けて王を将棋盤の外に逃がす行為はどうか
彼は「自分の王は詰んでない」と無矛盾で言い張れるのか
972 :
考える名無しさん:2008/08/22(金) 02:07:30 0
>>969 自分だけ自由で他人の議論には自由を与えないんだな
議論に参加する価値はないんじゃないか?
矛盾が会話の終着点ならば、それはやはり整合説なのではないだろうか?
対応説では事実と言明の不一致が終着点であるように思われる。
ところで、規範に関する会話において矛盾を終着点とするのは
狭すぎるように思われる。というのは、私が観る限りでは、
規範体系間で矛盾することは多々あるのだが、それらが内部で
無矛盾と言うのはよくあることだからである。
これは法律において顕著である。
王手をかけることと実際に玉が詰むことは異なる
王手をかけられた時、彼は駒の動きに著しい制約を受ける
俺は、議論においてある状況になった時、
彼が言明に関する制約を受けると言っている
終着点は端から気にしてない
・対応説
俺は整合説ではなく対応説をとる
これは、無矛盾なだけでなく、
事実と反するならば偽と斥けられるべきであると考えているということ
では事実の基準とは?
俺はそれは分からないが
ある人が「Aが事実である」と言い、別の人が「非Aが事実である」と言うならば両者が同時に正しいとはありえないことを認める
各々は無矛盾で整合的であっても両者は正しいわけではない
あとは素直に観察に反するならばそれは偽とされるべきであると考えている
このような考え方から対応説を支持する
つーか誤解を避けるためはっきり言おう
俺は議論に終着点はないと考えている
終着点のような発想がすっぽり抜け落ちているのがポパー思想の特徴だ
>>974 少し君の言い方を変えると「Aが事実である」「Bが事実である」「Cが…」
という事態はありうるのではないか。たとえば“浮気”のような場合は。w
君はまた「事実の基準はわからない」とも述べている。それは「ある」けれども
「わからない」のか。それとも、そんなもの(基準)はないのか。
どちらの場合も、結局、たとえば浮気(の事実)の基準は主観の判断に委ねられ、
主観の数だけあることになってしまう。“客観的”基準は立てられないということだ。
基準が「わからない」にせよ「ない」にせよ“事実”を確定できないのだから、
対応説はその根拠を失なうことになる。
977 :
天才君:2008/08/22(金) 10:34:20 0
>>970 >個人が発した言葉は議論の場においていくつかの規範による圧力を受ける
そうですよ。そういう圧力も含めて議論は万人に開かれて成り立っています。
実際の現場である、ここであってもそうでしょ。
978 :
天才君:2008/08/22(金) 10:40:15 0
>>972 >自分だけ自由で他人の議論には自由を与えないんだな
自由はすでにあたえられていますよ。今でもね。
私もその一人として発言しています。
定義に根拠もクソもないと思うのだが。
対応説は「真理」という言葉をそのように使いますよってだけだ
そりゃ文化が違えば言葉の使い方も違う
別に整合説だろうがいいんだよ
そのように「真理」って言葉を使うというだけなんだから
誰だかが哲学と関係なく
ライフスペースの「定説」と同じ使い方をする「定説説」を提唱したとしてもかまわない
そのように言葉を使用してますよって約束でしかないんだから
定義(用語の使用法)には根拠はないし、必要ともしない
ただ、整合説では、
内的整合性があれば反駁も不可能になってしまう
この欠陥を克服するために対応説の立場をとるというだけ
先の例に挙げた通り、ある男が「Aだ」と言い、別の男が「いや、違う」と言う
双方とも内的整合性をもっている以上、2人の発言は共に真理なのか
いや、われわれはそのようには「真理」という言葉を使わない
とりつく
・「Aである」「Bである」「Cである」
排中律を前提とするならば
妻は、「浮気をしている」か「浮気をしていない」かのどちらかである
夫が、そのどちらだろう?と悩むことはあっても
そのどれもが正しいのではないか?と悩むことはないだろう
それを認めるならば、妻は「浮気している、かつ、浮気していない」という状態になる
あなたはそのような重ね合わせの現実を指摘しているのですか?
977
では、君、天才君も規範に従っているのですか?
天才君はそのような規範から自由なのですか?それとも自由ではないのですか?
とりつく
・「確定できないのだから根拠を失う」
素晴らしい発言です!
で、「確定できる」ということがあなたにおける重要な価値観なのですね?
「確証不可能性からの議論」というものがあります
わたしは確証可能性テーゼそのものを破棄します
趣味は人それぞれ
不確定な指し将棋を好む人もいれば
確定的な詰め将棋を好む人もいるでしょう
わたしは指し将棋を好みます
あなたは詰め将棋を好む
お互いに嗜好が異なるのです
>>980 そのとおり。彼は妻が浮気しているかどうか、主観的に決めつけるだろう。
それを「事実」とみなすだろう。
君の言う“真”とは、彼が主観的に判断した、この「事実」に対応すれば
いいわけだね?
983 :
天才君:2008/08/22(金) 11:12:15 0
>>977 規範が私に従うのです。私の行為そのものが規範です。
だから自由という事です。あえていうなら「欲」でしょうか。
984 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 11:25:58 0
>>979 定義の自由さは、各人の好みに合わせて議論を展開できるので、いい感じですね。
しかし、意味のある理論を構築しようと思えば、その自由さは狭まってきます。
定義する際に、その定義を採用した基準というか、原因となったことがあるはずですね、
定義は各定義間で、うまく調節することも必要となってきます。周りを気にするKY、とは
ちょっと違いますが。自然科学なんかはその辺がほんとに厳密ですよね。哲学の場合は
知識量とセンス(才能)の問題になってきますが。
982
重ね合わせ状態は皮肉で言ったんで、曲解で返されるとは思わなかった
皮肉を言ったことは謝る
で、あなたの意見通りなら夫は問いを消失してしまう
わたしは、夫の疑念とそこから問いを発することを仮定して、「想像」と「現実」の二分を区分けしたにも関わらず
あなたは、問いの消失を説く
ここにわたしとあなたの違いを読み取れる
わたしにとって、理論的営みの目的が問題-解決であるのに対して
あなたの目的は、いかにして問いを消失させるかにあるようです
>>981 おいおい、変なふうに議論をもっていくなよ。そういう逃げ方をするから
ストーカー氏(失礼)にからかわれるんだよ。
君は「真」とは論理整合的であるかどうかではなく、「事実」に対応して
いるかどうかである、と断定している。
なら、なにが「事実」であるかを確定せずに、どうやってそのことが「真」
であると言い張れるんだい?
そこを曖昧にする君の立場は、整合説だよ。
指し将棋の腕はたいしたことあるまい。
986
俺は何らかの言明を「真である」と言い張ることはしたことがないし、
これからもずっとしないだろう
一気に脱力感を感じたからこのへんで終わりにしてくれないか
988 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 11:52:15 0
将棋の例が挙がっていますが、議論とは、言語ゲームである。その際のルールとはどのように
決まってくるか。また、ルール変更はないのか。
私の考えでは、その場その場で、ルールは両者間の合意(意識的であれ無意識的であれ)
によって決まり、また、大文字のルールとして、論理があげられる。ルールを変更する
場合には、よっぽどの理由(両者間の意見の不整合とか、意図的にゲームの勝敗を
気にするとか)がある。
>>985 いや、それも曲解だ。
ひとたび生じた「相方が浮気しているのでは?」との疑念(問い)は、
だれにも消しようがなかろう?w
が、この問いはもう一つの「問い」を要する。何を指して浮気(の事実)
とみなすのか。
もし、それが事実か否かを認定する基準がないのなら、その場合は
“対応説”は成り立たない。いや、主観的にしか成立しない。独断的に
浮気の有無を決めつけるしかないということだ。w
990 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 12:17:34 0
>>989 過去を確かめることは不可能に思える。化石や遺跡から推測したりするしかない。現在を
用いることによって推測をする。それなら真理はどこにあるのか。真理などなく、信仰だけが
あるのか。人間の記憶というものが鍵になる。浮気の例では、浮気相手を特定して、
本人に聞くことで事実であることを確かめるのがもっとも確実であると思われる。
991 :
天才君:2008/08/22(金) 12:18:42 0
私などは、疑念自体が独断だと考えますからね。
これは信じるか、疑うかという二つの選択の一つを独断で選択した。
独断でない発言などどこにもないですから。
この辺をみなさん認めないといけないね。
989
あなたに対して真面目に議論を交わす情熱を失ったのでまったりいくぜ
あなたが夫につきつける選択は、独断か破壊的懐疑かの二択である
なぜ夫はそのような呪われた二者択一を選択しなければならないのでしょうか?
ある事実を真として受けられる受容、信頼の基準を
確証可能性よりはるかに緩やかに解釈することによって、この二者択一を回避することができます
二つの回答のうちもっともらしい方を暫定的に受け入れるということでしのぐことができます
もしかしたら浮気しているかもしれないけど、興信所がこれだけ調べても浮気とリンクする事実が挙がらなかった
暫定的に浮気してないと受け入れるか、、
こういう選択は
俺が思うことが事実だ、俺が浮気していると疑ったんだから浮気したんだ
というような独善的な判断よりずっと健全です
Ab
浮気はここでは比喩
ホントに浮気をしているかどうかが問題になっているのではなく
われわれ哲学に携わる者が、
問いを建てそれと取り組みながら様々な理論を用いて検討する営みの是非、それが焦点
994 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 12:42:13 0
>>991 独断にも程度があると思う。絶対こう思う、こう主張する、こう信じるという発言と、いや、自信
ないんだけど何となくこう思う、というのと。文章である程度はわかりますが、他人に向ける
ときには、あるいは思考の癖か、独断的な決断を迫られることがありますね。
>>994 横レスになるが、彼の発言はつまるところ「浮気しているかどうかを
確定的に決めなくてもいい」ということであるように思われる。
だが私は次のように思う。
「日常生活は最初から呪われており、暫定的決断というものはあまり
受け入れられない」
と。私が繰り返し法律を出すのはこのためである。
996 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 12:48:50 0
>>993 議論の焦点が、いまいちわからないのですが、現実と想像について両者の区別がつけれるのか、
つけかたは、と言うところでしょうか。私の浮気に関する議論で、この焦点をはずしているところを
指摘していただけたらありがたいのですが(自分ではわからないので)。
997 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 13:17:00 0
自分で考えてみたのですが、既出の意見に従ってみると、「何が現実か」を考えているのが
私で、哲学的に問題となるのが「現実とは何か」ということかな。
998 :
Absalom ◆owNN8RDlXo :2008/08/22(金) 14:04:23 0
>>995 現実には、法律に違反すると逮捕されて刑罰を受けねばならない。裁判ではその際情状酌量
の余地があるなどというが、取り締まりの性格上こういうシステムになっているのは仕方ないことである。
これは他者に対するときに、誤解や行き違いを生んだりすることに対応しているのではないか。
呪われているというのはその通りだと思います。
999 :
考える名無しさん:2008/08/22(金) 14:45:03 0
ネコの野郎、議論を引っ張るのはうまいね。
ゾルちゃん、がんばらんかい。
なんだ、ネコだったのか
道理で基準や確定性にやたらこだわるわけだ
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