【応用倫理学】菜食について考えるpart21

このエントリーをはてなブックマークに追加
424考える名無しさん
苦痛を与えることが問題なのではなく,
苦痛を与えることを認識している自分が苦痛を感じるかどうか,こそが問題だ

人間にとって,八つ裂きにされることは苦痛だ
八つ裂きにされたい奴はいないだろう

だが,他人が八つ裂きにされるのを認識する自分の苦痛は対象によって,人によって異なる
上戸彩が八つ裂きにされるのを認識することは,たいそうな苦痛であるが、
コンクリート殺人の主犯が八つ裂きにされることは,多くの人にとって,快感だ

牛は何も悪いことをしていない