1 :
考える名無しさん:
アガンベン、エーコ、ネグリ、ヴィルノ・・・
いまや世界の現代思想のシーンは、イタリアの思想家たちを抜きにしては語れない。
ジル・ドゥルーズやジャック・デリダらフランスの巨星たちがあいついでこの世を去ったあと、
なぜいまイタリア思想なのか
読みやすいのがよい。
2 :
考える名無しさん:2008/06/22(日) 23:24:55 0
以下、3の倍数のレス番だとアホになり、
それ以外のレス番だともっとアホになります
オモロー
イタリア語できる日本哲学者っている?
4 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 09:34:09 0
>>4=1
なんという悲しい自作自演…少しは頭使ってくれようww
6 :
4:2008/06/23(月) 10:12:39 0
>>5 >>1じゃないんだが。
あなた相当重症な2ちゃん脳ですね。
イタリア人といったら恋愛とパスタのことしか考えてないのかと思っていたが、けっして
そうではないんだなw
ドイツとフランスのいいとこ取りなんだよな
日本がふがいないとも言える
イタリア現代思想(笑)
スイーツ(笑)
イタリア思想、流行ってたよな。ちょい悪ってやつだろ。
11 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 14:39:34 0
NHKラジオ講座でイタリア語だけは聴いたことがない。
思想には関係ないと思っていたが不覚だった。
次郎裸猛
13 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 15:38:41 O
最近のイタリア思想の良さはなんだろう。仏ポスモダ思想の混乱を乗り越えている。
仏はもうなにもいえないようににつまってしまった。伊思想は仏と連続性をもちつつ美学という媒介をうまく利用する。
たとえば仏に脱構築があれば美学は形而上学と脱構築をつなく存在としてある。さらに生権力にもつながる。
14 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 18:10:48 0
アガンベン? エーコ? ネグリ? ヴィルノ?
イタリアといえば、モニカ・ベルッチ。w
>>1 読みやすいか?
アガンベンなんてかなり難解だと思うのだけど・・・
ネグリとヴィルノは読みやすいとは思ったけどね。
16 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 18:26:03 0
フランスはデリダのあとにはペンペン草も生えなくなったね。
脱構築によって齎された哲学への被害は、ドイツにおけるユダヤ人虐殺と同じくらいの影響だね。
EURO負けたなイタリア、いくらなんでも弱体化しすぎ。
トーニはブンデスいってヘタレになったか?
とにかく糞すぎです。
>>15 フランス思想はアイロニ-が強くて読むのが大変。
それに比べて、アガンベンしかり、普通に書いている分かなり読みやすい。
>>16 脱構築は強迫神経症だからフランス思想は失語症になった。
また脱構築のせいにして思考停止に陥ってるバカが湧いてるな
デリダ以後のフランス思想は確かに渾沌としてるが、
まだそれなりに人材はいる
ナンシー、バディウ、ランシエール、バリバール等々
このクラスなら、アガンベン、ネグリ、カッチャーリと比べても
遜色ないと思うが
それらがデリダ以後と呼べるのか?
21 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 21:17:59 0
仏系でデリダ以後と呼べるのはジジェクだけ
脱構築は強迫神経症だからジジェクだけが失語症からまぬがれた
そのかわりジジェクは喋りすぎ
ジジェクはラカニアンだが、仏系ではない。
ラカニアンは仏系
24 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 21:36:00 0
ジジェクにフランス語の著作は少ししかない。
誰もフランスの思想家だなどとは思ってない。
パオロ・マッツァリーノ
それは日本人でしょ
27 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 22:18:27 0
バディウって今時、毛沢東な人なんだよな。
誰彼の流れに乗らずずっと毛沢東主義って言うのに気骨は感じるけど、魅力は感じない。
30 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 22:59:09 0
ジジェクはなにげにデリダ大好きだよな。
ラカンの宿敵と位置づけながら、デリダを取り込んでいる。
みんなハイデガーっ子だからな。
32 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 23:09:34 0
>>23 ラカニアンだからフランス系なのかよ。
馬鹿か。
ハイデガー以降みんなハイデガーっ子だよな。
>>32 ジジェクはフランスでミレールに学んだラカニアンだけど、
英語圏で活躍していて、フランス系じゃない。もうそれでいいだろ。
36 :
考える名無しさん:2008/06/23(月) 23:36:50 O
ジジェクが仏系でなければなに系?w
英語圏で活躍しているから英米系という馬鹿がいたりしてw
クワインやウィトゲンシュタインなどの分析哲学や言語哲学に深い影響を受けた人間のことを英米系と言いたいのだろう。
ハイデガーやデリダの影響下にある人間を大陸系、今の場合仏系と言っているが、そういうことなんだろうね。
以前この垣根はあるけど、以前に比べてこの分けかたはあまり有効ではなくなったと思う。
それこそ、ド・マンのようにアメリカで活躍しているが、デリダの脱構築を受け継いだ人間もいる。
文学畑だけではなく、コーネルのように法学でそれを扱う人間もいる。
極めつけはローティだね。彼はクワインやデイヴィドソンとハイデガーやデリダに影響を受けたし、ヴァッティモと本も書いている。
もはや大陸系と英米系の区別事態意味がないとも言える。
ラカニアンは仏系でよいだろう。仏系でないラカニアンがいれば、パチものだ。
ローティはプラグマティズムで英米系
大陸系は超越論大好き。英米系は超越論を見ると吐き気がする
これでよいだろう。
>>41 その論理でいけば、ラカン自身は
フロイトやハイデガーの影響を受けているので
独系ということになる。
デリダやフーコーもハイデガーの影響を
受けているから独系ってことになるな。
斎藤環なんかはラカニアンだから仏系なのか?w
そういう区別に拘ることが下らないということに
いい加減気づいた方がいいぞ。
>>42 科学には地域性が低いだろう。
ハイデガーとラカン、ラカンとジジェクの関係の違いぐらい考えないと。
空気を読むことにいい加減気づいた方がいいぞ。
>>43 ようやく分かったか。仏系だのなんだのは
見方を変えれば簡単に崩れる恣意的な区別
にすぎないってことだよ。
イタリア現代思想ってのもそうだよ。イタリア系って
いっても一枚岩じゃない。あたりまえなんだが
2チャンネルのような場所だと
分類を自己目的化させる連中が出てくるから、
気をつけなくてはね。
45 :
考える名無しさん:2008/06/24(火) 12:51:51 0
なんでジジェクがフランス系ということを
必死に隠蔽しようとしているんだよ。
どの系の回し者?
ミレールに学んだって意味では、「~系」ってのを「師弟関係」を言うのなら
たしかにジジェクは仏系だとは言える。
しかし、そのときハイデガーの講義を受けていたアガンベンは独系、
ロシア人(ドイツ留学あり)コジェーヴに講義を受けていた
メルロポンティ、バタイユ、ラカンもろもろは「独系or露系」となり
(正確には、コジェーヴはコイレの講義でヘーゲルに目覚めたから「独仏露系」でもあり、
かつ、彼のヘーゲルへの注目は青年時代を通しての東洋哲学への関心とつながっていることから
「露-東洋系」なのだとすら言うことも可能であり…以下略)、
ハイデガーとフッサール、ヘーゲルに相当のこだわりを見せるデリダは「独仏系」となり、
カール・シュミットやドイツ法学の議論を消化しながら『構成的権力』を記したネグりは「独系」かつ、
ガタリとの提携、ドゥルーズ&ガタリの議論との接続などの意味では「仏系」でもあり、
そもそもカッチャーリ、アガンベン、タフーリなどを輩出したイタリア美学(批評の意味に近い横断性を持っている)には
遡るとクローチェがいるが、彼は同時にヘーゲルからのつながりが濃い系譜にあるため、
イタリア美学の諸派はいわば「独系」の面をもち…
と、語るも馬鹿らしくなる混交状態になるのは目に見えてるじゃないか。
混ざってるに決まってるわけで。
昨日からジジェクが仏系だと繰り返し主張している輩の問題は、
ジジェクが本当に仏系かどうかという議論以前に、
どういう意味で「~系」と言っているのか全く定義してないで
レッテルだけを振り回しているという点。
>>46 >たしかにジジェクは仏系だとは言える。
やっとか。世話かけやがって。
回り回ってジジェクはラカンよりもデリダに近いとも言える。
もともとラカンとデリダは近いから。
49 :
46:2008/06/24(火) 13:36:59 0
たしかにそうだね。
この話題は
>>21から始まってしまっているわけだけれど、
その前からして、>>1-
>>20で、
フランス→イタリア に注目が移行しているとか、
デリダが元凶だとかデリダの死後何も無いだとか(これには疑問だ)、
それ自体問題のある提起が出発点になってしまってるんだよね、このスレは。
>>13の言う「仏ポスモダ思想の混乱」というのも何のこっちゃって感じだし。
強いて論点としてまとめると、
・「美学」
この軸は、国外からのフランス哲学への注目の際に力点がかからなかったがわけだが、
クローチェからカッチャーリ、アガンベンらを含む系譜までを見たとき、
なぜ美学として提出された諸議論が現在の問題系において出てきたのか。
・政治闘争
ネグリは能天気だとか政治的実効性は甘いのではとはよく言われることではあるが、
なるほどフランス哲学では政治闘争と実践方法の面でネグリのような議論は出なかったとはいえるし、
ポスト冷戦、ポスト911、ポストネオリベの状況下にあって需要が生じているがゆえの注目でもあるのだろう。
イタリアに直接関係ない人では、デヴィッド・グレーバーが訳されたり、サパティスタについて語られる背景は同じだろう。
・ハイデガー以降
ラカン・デリダ~アガンベン・バディウ というふうに遺産継承されながらも続く議論。
あと、いくつかの論点があるのかなあ。
50 :
46:2008/06/24(火) 13:40:46 0
>>48は、なぜ
>>46では一行目の留保を置いたのかわかんないのか。世話かけやがって。
51 :
考える名無しさん:2008/06/24(火) 16:13:42 0
>>49 ・「美学」
美学が注目されているのは、現代思想の流れと関係がある。
・論理論から修辞論(レトリック)へ
・言語論から行為論へ・・・認知科学のような運動ではなく、間接的に行為を拘束する
ディスポジション(配置)へ記号論として言語と繋がるが物質的な拘束
エーコの隠れた影響も大きいのでは
・政治闘争
サヨは基本、能天気。ネオリベブームにのっただけ。
・ハイデガー以降
アガンベンはフーコー、アーレント
ネグリはマルクス、ドゥルーズ
デリダ継承って、ジジェクぐらいか。
>>50 メルロポンティ、バタイユ、ラカンのハイデガーもコジェーブ経由
だからなんだ。仏系は仏系。中身の問題だ。
サッカーのエンブレムを比較するとよく分かるが、イタリアはまだ中世を維持し、都市国家がアイデンティティ
を保っている(ちなみにフランスなど「革命」を経た国のサッカーのエンブレムは味気ない)。
地域的差異がまだあり、均質化されていないのだ。
パゾリーニは消費社会による均質化を心配したが、良くも悪くも完全にグローバル化していないのがイタリアだ。
そこに思想的な可能性があるし、日本が自らの鏡としてそうした国を参照するのは変な勘違い(単一民族国家で
あるといったような)をしないですむのでいいことだと思う。
humu.
54 :
考える名無しさん:2008/06/26(木) 10:06:12 0
結局、フランス思想は理論的になりすぎたのか。
作品は違っても、理論として受容されている。
それに対して、イタリア思想は実在的で語る。
そのポイントが美学。美学を経由することで
理論化を回避する。ベンヤミン手法だ
ドイツってやっぱり偉大だったんだな。
カントやヘーゲルはもちろんのこと、ハイデガーやベンヤミンを生み出した土壌は素晴らしいな。
「仏系」と言いたいだけの同一人物が何度も書き込んでいるようだな。
>>46が皮肉って書いたのは、要するに「仏系と言われている系譜が
すでに独仏混ざり合ってるんだから、独/仏って分け方自体が問題では?」ってことだろ。
それによって
>>1以来の「伊系」という括り方に対しても批判している。
ある時点、たとえば現在において「フランス哲学の系譜」と見なされているものが、
その出現当時にあっては独仏混ざり合ったものである面が強いとか、
フランスなりの継承の仕方であるとか言えるわけだし、
さらにはコジェーヴが「フランス人として」という意識があったかというとかなり疑問で、
パリ在住時代の彼は「ユーラシア主義」の運動にも関わってる親ソ家だったりもする。
あるいは現在イタリアにおいて生じているのも独仏からの系譜の、
イタリア内部の系譜も混ざり合った、イタリアなりの継承的な議論だと見ることもできるわけだろう。
>>47の言うように「どういう意味で「~系」と言っているのか
全く定義してないでレッテルだけを振り回している」だけだよ。
レッテルと言うのがきつければ、現在成立している分類項目に漠然と従った命名法だ。
お前ら邪魔だから2人まとめてどっか行け
58 :
考える名無しさん:2008/06/26(木) 11:19:36 0
ここはイタリア現代思想総合スレになりました
ケンカしないで使いましょう
>>56 >たしかにジジェクは仏系だとは言える。
どういう意味ももう自分でいっとるがな!(ツッコミそして笑い
60 :
考える名無しさん:2008/06/26(木) 11:27:11 0
「「~系」ってのを「師弟関係」を言うのなら」と限定つきでね。
でもそんなの師弟関係だけで言えるはずがないわけで、皮肉が入ってる。
それに「やっとか。世話かけやがって。」と返した当人は、
そのあとでコジェーヴからの影響・師弟関係について「だからなんだ。仏系は仏系。中身の問題だ。」
と矛盾を炸裂させてきたわけだが。
結論のフレーズだけ似てれば何でもよかったんだろうね。
構造主義は静的、そして理論的なんだよな。
ポスト構想主義は、そこに動性を持ち込んだと言われるが、
やはり構造主義的な理論が残っている。
この乗り越えは、実際の語ること。
現実は決して理論的ではない。
美学とは実際を語ることだから、仏系の乗り越えの
可能性がある。
ジジェクはユーモアでのりこえをもくろんでいるが、
ラカンである以上、理論(象徴界、想像界、現実界)に回帰する。
そこに退屈さがある。そして仏系から逃れられない。
イタリア現代思想の話しは全然でないで、ジジェクが仏系かどうかの議論かよ。
ジジェクスレでやってくれよぅ。
>>61 お前しつこい。ジジェクの話はジジェクのスレでやれ。あっちいけ、シッシッ。
64 :
考える名無しさん:2008/06/26(木) 12:29:01 O
ジジェクとアガンベン、現代において同じような立ち位置の二人
しかしジジェクのラカン、デリダの継承の仕方はその圏内に囚われたままた。
それに対してアガンベンの在り方は圏内へ逃れている。この差異にこそ仏系/伊系の意味がある。
やっとラッツァラートの訳が出たね。
ヴィルノ、ラッツァラートらが出るのはうれしいのだが、
カッチャーリはどうなってるのか。
せめて昔『批評空間』に翻訳連載されていた分だけでも単行本にしてほしい。
英訳(Posthuous People)で読むのはそろそろ疲れてくる。
ラッツァラートねぇ・・・
批評空間に訳出されていたのは『世紀末転換期のウィーン』か、あれだけ出版してもしょうがないでしょう・・・
カッチャーリはずっと月曜社が『多島海』が近刊予定になっているね。翻訳はとっくに終わっているから校正に手間取っているんでしょうかね・・・
しかし、他社でもまるで噂がないのはすごいね。
ヴァッティモも以前未来社からデリダとの抱き合わせで出版される予定だったのに、それが無くなってから雑誌には翻訳が出ているけど単行本は出る気配なし。
正直ラッツァラートとかヴィルノよりカッチャーリやヴァッティモの方がよっぽど哲学的には評価されているし、おもしろいとおもうのだけどね。
何故かネグリ関連、マルチチュードたぐいは出版されているね。
イタリアの現代思想は、手がけることのできる訳者の数が独仏に比べ圧倒的に少ないんだよ。
思想の勉強している若手のみなさん、
イタリア語をやりましょう。
これからまだまだ需要はあると思うので
イタリア思想を専門にすれば
食いっぱぐれることはないでしょうw
そもそも訳者だけで食っていけるのか
ヴァッティモ、カッチャーリの方を早く出してよというのは同感。
岡田の本もそうした訳出の動きに拍車をかけるものだとして期待したい。
>>67 ウラゲツでは、ドイツ現代思想を手がける若手が少ないらしいことも
コメントでの応酬で言われていたね。イタリアに比べるとまだいい方なのかもしれないけれど。
ボーアとかいろいろ出ないですかね。スレ違いの話題だけど。
確かに翻訳だけでは食っていくのは難しいかもしれません。
でも、アガンベンの訳者である高桑和巳氏のように
フランス現代思想だけでなくイタリア現代思想の翻訳を
手がけることで、独自の専門性をアピールし、大学に
就職した人もいますね。
昔は日本で哲学って言えばドイツを指したものなんだけどね。
フランスの哲学は文学者が訳していたことも多かった。
けど、今はフランスばっかりなのか・・・
高桑さんは翻訳マシンと自ら言っているが、
今はアガンベンの二冊ともう一冊訳しているようだから、大変ですな。
この分野翻訳しているのって、あとは上村と岡田ちゃん、柱本さんだけかな?
74 :
70:2008/06/27(金) 11:06:06 0
>>72 いや、若手のドイツ哲学研究者がいないってことを言いたかったんじゃないんだ。
込み入った美学関係のドイツ哲学者の本を訳するとなると、
それ相応の系譜に熟知した人でないと適任ではないという意味と、
アカデミックに邦訳刊行が要請されるとは限らないため、そうした適任のための知見を
持っている人が必ずしもいないんじゃないか、って意味。
私の推測にすぎないから、実際は違うかもしれないけど。
ただ、若手がいるいないでいうと、フランス研究の若手でも
ドミニク・ジャニコーやディディエ・フランクの本などを訳する人がいたり、
中公の哲学の歴史の執筆陣を見ていると
思いもよらぬ系譜に通じた若手がいるらしいことに気づいたりする。
同じように、ドイツ哲学研究の方面でも人は育ってる可能性もある。
若手がいるいないにかかわらず版元が刊行を企図しない
/企図しているがめぐり合わないってのもあるだろうしね。
(このスレでスレ違い気味に言及されたコジェーヴにしたって、
長年不当なまでに翻訳紹介されず、ずっとエアポケットのように日本語環境では不在だった)
>>73 私も精通してないからよく知らんけど、あとは多賀健太郎など共訳に参加している若手陣、
哲学研究じゃないけど和田忠彦、とかかなあ。
そういえば、誰も名前挙げてないけど、美学系ではペルニオーラって人もいるよね。
数年前に京都に来てシンポジウムに参加していたけど、割と面白い人だったよ。
たしか、pensieroのサイトやってる佐藤啓介が簡単な主著一覧を載せてる。
先んず、カッチャーリとヴァッティモだ。
77 :
考える名無しさん:2008/06/29(日) 08:05:04 0
ネグリって今更って人だよ。むかしっから日本でもそれなりに著名な人のはず。
鯖江秀樹の「グラムシの「美学」」(美学、no.221、2005年)を
読んでいたら、このスレ向きな記述が冒頭から出てきて面白かった。
「イタリアの近代美学思想史では、
グラムシをマルクス主義美学の担い手として論じる立場がある(…)。
『獄中ノート』でグラムシは哲学者ベネディット・クローチェの美学を
念頭に置きつつ、次のように述べた。
美学は学として、芸術、美、表出の理論を練り上げる以外に、
別の段階を果たすことができるか、問われるべきだろう。
ここでの美学とは、「現実に即して活動する批評」を意味する。
しかしその活動する批評はただ批評するだけなのか。
現実に即して芸術の歴史を、「個人の芸術的表出」の歴史を作り上げるにすぎないのか」
ちなみに、注ではマリオ・ペルニオーラのL'eststica del Novecento II, 1997が挙げられ、
「ヘーゲルが提起した「活動」と芸術との関係性から、より具体的な議論を行っている」とされている。
79 :
ハミルカル:2008/06/30(月) 02:03:16 0
今が民主制で敗戦国でも参加できるからです。
日本語でおk
>>81 寡聞にして初耳の名前。ライプニッツを学際的に研究してる人か。
アナロジーの論理学的-哲学的研究、とかタイトルの時点で面白そうだね。
アガンベンが「900年間のヨーロッパ哲学の精髄」と評するなんて、
一体どんな本なのかとわくわくする。
国際的哲学レヴュー誌「Topoi」の実現に参加…って、
この雑誌名、『主体の後に誰が来るのか?』の邦訳でしか知らなかったけれど、
一体どんな雑誌だったんだろう。
イタリア美学も、ロシア現代美学のヤンポリスキーやグロイスや、
ドイツのスローターダイクのように面白いんだろうなあ
スローターダイクは・・・つまらないだろう・・・
そんなに嫌いじゃないけど、スローターダイク。
だけど外語、外語訳でわざわざ読もうとまではしてないな…。
イタリアすごいな、文化財に落書きしても何とも思わないんだな。
お前はニュー速に戻れ
何でだよ?
アガンベンもそう思っているはずだ。
それは彼の美学思想につながるだろう。
マフィアとかすごいもんな、イタリア。
警察は憲兵と対立してたりするし。
先進国だったら、こんなは思想生まれなかっただろう。
貧乏国家のインテリと言うのは概して偽善的なのだ。
後発国ぶりは日本と大きく変わらないだろ。
しかし日本になぜこういうことが起きないのか、とよく悩む。
あんなに治安が荒れ、あんなに政治や経済が荒れ、テロの時代を超えてなお
成果が出るってのはすごい。バブル以後の日本とは対照的なんじゃないか。
荒れなきゃ思想なんて生まれやしないよ。
ある意味じゃフクヤマは正しい。
とてつもないアイロニーだな、それは…。
日本は思想書の読者数だけはすごいんだよな
書き手がショボい
そりゃあ宇波だし
岡田の本、読み始めたけど、ここの著者について掘り込んで説明してないから、
単に主観的な形容詞をばら撒かれているようにも見える。
分量の制限もあるし、補遺などの加筆部分はありがたかったから買い甲斐はあったけど…。
うーん。
あ、カッチャーリ×ネグリの対立とともに60年代末以後の局面が開かれる、というのは実に興味深かった。
しかし、弁証法を語る側が「否定の思考」を肯定ではないがゆえに批判するネグリってどうなのよと思う。
ヘーゲルって否定性の人ではないかと。
100 :
訂正:2008/07/26(土) 21:42:58 0
個々の
アレは色んな情報があるって本だよね。
102 :
99:2008/07/27(日) 09:39:59 0
うん、その意味で特に悪い本じゃないとは思う。
☆ チン マチクタビレタ~
マチクタビレタ~
☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ヽ ___\(\・∀・) < カッチャーリまだ~?
\_/⊂ ⊂_ ) \_____________
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
| 愛媛みかん |/
カッチャーリを翻訳した米山優先生はブログでババアや、オッサン、学生のことボロカス書いているな。
この人、昔月曜社を批判していたしなぁ。
翻訳してから出版する気配がないフザケンな!ってさ。
まぁ実際、翻訳は2004年に完成してるのに全然でないんでは本人も怒りたくなるかもしれんが、色々事情があるんだろうよ。
大人としてどうなのよ・・・
哲学教員は厨房が多いから。
心が狭いやつの方が論文が面白かったりするから仕方ない面がある
また、地下鉄ネタ
車内マナーの悪さは、若者ばかりではないことは、いまや当たり前。
先日見たババアは足を組み、自分の両側に荷物を置いて、まさにたっぷり三人分の座席を占領していた。
空いている車内ならまだいい。
立っている乗客がいる状況でそれである。
日本はもう老人の年代から崩れている。
もうだいぶ前のことになる。
とにかく忙しいのでブログが更新できなかった。
これまた地下鉄の中での話なんだけど、私の講義に出ていた学生さんや「・・・哲学館」の人たち(ああ、先日はどうも!!)には、私から、直接、話を聞いた人もいるでしょう。
また「化粧ネタ」です。
例のごとく、地下鉄の中で若い女性が化粧をしている。
私は、いつものように、観察している。
ファウンデーションっていうんですか、それをパタパタと顔に付けている(塗っている?)。
すると、<余った粉を、その場に捨てた>!!!!!
おいおい、ここはどこなんだあ?
思わず、私は、粉がかからないように、足をどけたんですぜ!
まったく、いい加減にせえよ! このアホ豚娘!
気づいていないことなのかも知れないなあ。
昨日、大学からの帰りに地下鉄に乗りました。
となりに座ったのが、老境に入らんとするオジサン。
この人の身体全体から、煙草ベースの<ホントーに>イヤな匂い(要するに加齢臭なんだろうな)がしてきます。もちろん口臭も、煙草ベースです。
疲れていたのでそのまま私は隣に座り続けましたが、もう少し元気だったら立ったと思います。
煙草を吸う人たちは、そういう事態になっていることを本当に知らないんじゃないのかなぁ・・・。
通勤ラッシュとまではいかない時間だけど、結構込んでいる地下鉄で、今日、足を組んでいる男がいた。
みんなが迷惑そうな顔をしているのに、知らん顔。
「そんなのいくらでもいるよ」といわれるだろうが、
ネクタイをしてサラリーマン風なのに、靴がだめなのが強調されて、笑えた。
雨で濡れたかしたままで磨きもしていていないんだろうな、靴に白いシミが浮いている。
靴クリームなどが雨によって移動した痕に違いない。
カッコ悪!!!
米山先生www俺の書くブログとレベル変わらないねw。
12年ぐらい前、NHKの番組でエーコと対談してた日本人ってだれ?
でも素朴な疑問、なんで訳が済んでるのに刊行されないんだろうね。
図版や写真が多くて、権利対応が面倒な本なのか…?
哲学書房も休眠状態だった時期があるし、こんなもんだろう
ロザリンド・クラウスの翻訳早く出してほしい
月曜と哲学書房は違うだろう。
月曜は定期的にちゃんと本出しているよ。
ただ月曜は企画をぶちまけて置きながら、なかなか刊行しないだけだ。
丹生谷の『光の国』も復刊すると言って、まるでそんなことないし。
極めつけはデュットマンだね。こっちは翻訳が終わってないのかもしれないけど、2002年くらいから出すと言ってるからね。
まぁデリダの『余白』やガーダマーの『真理と方法』に比べたらまだまだだと思うけどね。
他にもデリダなら『マルクスの亡霊たち』や『葉書』もすごかったもんなぁ。
このスレでカッチャーリと連呼されているから、『必要なる天使』を読んでみたけど、ほとんど理解出来なかった。
とにかく前提としている知識レベルが高すぎる。そのせいか論理展開が理解不能で、論理が飛び飛びになっている印象を受ける。
多くの哲学書はヘーゲル、デカルト、カントあたりを主軸に議論を展開してくれるから、そういうのを知っていればそこそこ読めるのだけれども、
これはそういう哲学者とは離れていて、俺には無理だった。
皆はこれ読んで余裕で理解出来るの?すごいなぁ・・・
イタリアの左翼に「赤い貴族」が多い理由の一端が窺える
でもさ、水声社、みすず、法政も、翻訳権だけとって予告だけしてほったらかしってことはよくあるわけで…
>>113で挙げられているようにデリダ翻訳なんてそういう感じになってるしね。
違いは、月曜社は近刊予告をHPに設置し続けているから、「まだかよぅ」感が強いってぐらいじゃないかな。
経営上の理由から、というのは、あの規模の版元だとありうるかもしれないので、同情する。
個人的には月曜社はすごいと思うので、「仕方ないなブランショとか暴力論叢書とか買い残してるの買うか」ぐらいには思ったが。
>>115 俺にも難しいっす。デリダにつながる論脈を見出せないかなとか思ってるけど…
ベンヤミンとかジンメルのような感じでエッセイスタイルが混じってるから難しいんだよ
イタリア現代思想系でこれから刊行予定されている本って
カッチャーリ『多島海』月曜社
アガンベン『潜勢力』月曜社
アガンベン『王国と栄光』青土社
ネグリ『野生のアノマリー』作品社
こんなもんなの?
>>119 あとは、長らく入手困難だったグラムシ『現代の君主』新訳が最近ちくま学芸入りしたのがニュースぐらいかな。
そもそも人文系は刊行予告がはっきりしない世界だから、突然ヴィーコやクローチェの新刊、
ネグリの新刊などが出る可能性もあるけど、あまり期待しないで待つか、英訳仏訳で手を打って読むしかないかと。
ネグリって何でこんなに翻訳されているんだ?
あんまりイタ語で書いて無いからか?
英仏の著作から日本語訳されてる本多いよ<ネグリ
やっぱり、イタ語じゃないからなんだな。
イタ語だったら、ここまで輸入されなかっただろうね。
構成的権力は仏訳から(とはいえネグリ自身が関与して訳した、自身も決定版とするもの)、
転覆の政治学、ヨブ、生政治的自伝、自由の新たな空間、未来への帰還は仏語から、
ハートとの共著は英語著作、かな。
ちくま学芸から出てる講義録集や芸術とマルチチュード、
帝国をめぐる五つの講義はイタリア語からだったと思う。
さらば近代民主主義、未来派左翼、マルクスを超えるマルクスは持ってないから知らない。
野生のアノマリーはイタリア語から訳される予定だと思う。
ちなみに昔の広告では水声社から、丹生谷・篠原訳とかだった(仏語から訳するつもりだったのかな)。
まあドゥルーズのシネマみたいに、訳者・版権が移動したんだろうね。
訳者が杉村だから構成的権力同様仏語からだろ
128 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 02:52:53 0
一過性のブームで終わりそう
少なくとも哲学ではないな。
政治学、社会学系の思想だよ。
130 :
考える名無しさん:2008/10/07(火) 03:55:10 0
>>129 まずはネグリのスピノザ論を読めばいい。紛れもなく哲学。
どうせ分析哲学以外は糞なんじゃねw
豚骨ラーメンおいしかですよ。紅ショウガがうまか!!
おいは具は焼き豚と海苔とキクラゲが好きよ。
薬味はネギと紅ショウガね。
マジうまかさ。スープのたまらんもん。あんにおいがよかね!
ああ~また食いたくなってきた~。
明日も食うけん!!
>>130 「野生のアノマリー」か
社会思想の本ですな
ほらw
大陸哲学は全部思想なんだぜ
哲学とはそもそもプラトンからして社会思想だろ
あほか
スピノザなんぞどうでもいい
アントニオ・寝下痢
138 :
考える名無しさん:2008/10/08(水) 01:19:11 0
ジャック・下痢ダ
139 :
考える名無しさん:2008/10/18(土) 14:20:05 0
こんな糞スレで、森尾由美好きが多数派の勝ち組であり、
ロリコンは少数派の負け組という事実が判明するとはな。
ネットの力はおそろしい。
_/ミ \_
/ ! ミ \_
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=ロ -=・=- ∥ ∥ -=・=- ロ=
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ヽ======/ . ⌒ ` ========ノ
. ( .(● ●) )ノ |
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| \ <-l^l^lヽ/ /|/|
140 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 06:11:50 0
デリダを哲学としてる時点でダメでしょw 思考停止なんかしませんよ
逆に解釈ばっかで自分で考えない輩が多い・・
141 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 13:56:40 0
なぜイタリア現代思想なのかと言えばフランス思想は大体商品化し終えたから。
次はスペインとポルトガルですよ(笑)。
142 :
考える名無しさん:2008/10/29(水) 20:33:25 0
ローマだから。
イミフ
144 :
考える名無しさん:2008/10/31(金) 23:20:20 0
>>125 > ちなみに昔の広告では水声社から、丹生谷・篠原訳とかだった(仏語から訳するつもりだったのかな)。
二人ともイタリア語できるべ
145 :
125:2008/11/01(土) 07:52:41 0
>>144 言われるまで忘れてた。篠原はエーコ、丹生谷はロンギの訳をやったことがあったね
146 :
考える名無しさん:2008/11/22(土) 11:40:36 0
ヴァッティモまだかな?
147 :
考える名無しさん:2008/12/03(水) 19:13:49 0
ちょっww
いつの間にかカッチャーリの『Dell'inizio』が第3版になってるし
あの分厚いのを3冊も買う羽目になるなんてw
>>86 翻訳キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!!
現代経済の大転換
コミュニケーションが仕事になるとき
クリスチャン・マラッツィ 著 多賀健太郎 訳
200902刊/四六判/212頁
定価2520 円(本体2400 円)
ISBN978-4-7917-6459-4
人間関係が労働になる・・・。大量生産の時代が終わり、いまや
コミュニケーション的行為が仕事になるポスト・フォーディズ
ム期を迎えている。どうして、どのようにして労働はその形態
を転換させたのか。そして、いま、わたしたちにとって働くと
はどういうことなのか。そこからは新自由主義、格差社会、
労働問題の根底にある問題点が浮かび上がってくる。ポスト・
フォーディズムにおける労働を分析して、新自由主義の到来を
予見したマラッツィの、すでに古典とされる記念碑的名著が、
ついに待望の邦訳。現代経済の問題点と、わたしたちが置か
れた状況のすべてが解き明かされる。
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%B8%BD%C2%E5%B7%D0%BA%D1%A4%CE%C2%E7%C5%BE%B4%B9
そろそろネタ切れ?
150 :
考える名無しさん:2009/05/02(土) 21:50:00 0
まあアガンベン以外は、世界的な流行からは遅すぎるか
無理やりなものだったから仕方ないね
151 :
考える名無しさん:2009/05/02(土) 21:55:57 0
アガンベンなんかアッカンベー
アガンベンは中世イスラム哲学がミソだな
153 :
考える名無しさん:2009/05/11(月) 14:45:14 0
今いちばん暑いイタリア思想といえばパオロ・マッツァリーノ
おお、イタリアンの思想があるんだ。あまり知らなかった。
確かに、マッツァリーノは上がん便よりも20倍ぐらい面白いですね。
マッツァリーノって本名松原とか日本人なんじゃないの?
辻大介らしいよ
なるほど、新しいベンダサンか
159 :
プブリカヌス:2009/05/21(木) 10:11:26 0
バイリンガルみたいなのが増えたからじゃないの
>>158 ベンダサンより、もっとうさんくささを狙ってる感じ
「イタリア人の言うことだから」って
161 :
考える名無しさん:2009/07/10(金) 15:56:35 0
皆どこのチーム応援してるの?
俺はフィオレンティーナ応援してるよ。
sage
164 :
考える名無しさん:2009/09/28(月) 22:28:00 0
そろそろイタリア現代思想ブームも終わり見たいです
輸入業者のみなさん、次はスペインですか?ポルトガルですか?(^^;
純一さまが失望しておられるぞ
166 :
考える名無しさん:2009/09/29(火) 20:01:22 0
月曜社はいい加減『多島海』を出せ
カッチャーリの文章は他人に読ませるために書いてる文章じゃないから
訳者の責任ではないな
貴族と平民が厳然と存在する欧州知識人の典型だな
169 :
考える名無しさん:2009/10/10(土) 15:03:52 0
170 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/10/10(土) 17:56:48 0
171 :
考える名無しさん:2009/10/10(土) 22:57:06 0
エスポジトがいればアガンベンはいらない感じ
ヴェネツィアでやってる自転車レース見てたら
表彰台セレモニーにカッチャーリがいたw
いるだろうなあw
>>171 芸術が嫌いで政治思想が好きってだけなんじゃないの
止めときゃいいのに政治思想に手を出して株を落としたアガンベンの話?
実際問題、株を落としてるの?
べつに落としてないし。
むしろ「ホモサケル」が評判になって有名になったし。
だよな。岡田温司のおかげで、芸術論軽視が是正されたのは良かったと思うが。
元々イタリア外で売れ出したのは来るべき共同体からであって
ホモサケルじゃないじゃん
ホモサケルはシリーズを重ねるごとに評判悪くなるし
大体、イタリアの海外コンプレックスのある連中が
日本で「柄谷が英語に訳された。ジジェクに使われた」って喜んでたのと同じように喜んでる
イタリアの一部の連中のローカルヒーローに過ぎないんだから
来たるべき共同体はまだ邦訳もない。
ホモサケルがいまんところアガンベンの主著であることは明らかだし、
少なくとも、日本でブレイクしたのはホモサケルの訳が出て以降。
アガンベンは少なくとも現代の名だたる世界的な思想家の一人であることは間違いないでしょ。
なんかケチつけたがりのアンチがいるようだが。
エスポジトが好きな人でしょ
別にアガンベンを下げなくても評価できるのにな
一昔前の上村忠夫が占有してた時代よりは風通しが良くなったと思うが
日本でブレイクと言ったり
世界的な思想家と言ったりどこに観点を置いてるのか意味不明
日本の事情が分からないなら別に書き込まなくていいよ。
185 :
考える名無しさん:2009/10/11(日) 16:42:06 0
アガンベン自身の思想の価値はともかく、ブームは終わりつつあるから
学部生や院生は他の人をやった方が良いでしょうね。
日本以外の受容状況も考慮せずに、ないし知らずに「世界的」とか言ってるアホがいるのか
世界的な状況について語るのであれば、日本と日本以外のシーンを
それぞれ語らなきゃ意味ないでしょ
頭大丈夫?
大体日本でのアガンベンの政治絡みの受容なんて
フランス政治思想連中経由なんだからフランスでの受容を考慮しなきゃ意味がない
>>186 世界的と日本の受容云々をごっちゃにしてる人なんか最初からおらんでしょ。
勝手に誤解していきり立ってるのは君じゃない?
ま、君は、アガンベン読んでないみたいだからどうでもいいよ。
久々に伸びてると思ったら……
エスポジトの主要著作が出るのはありがたいね。
後はカッチャーリだろうけど、あの人のイタリア語は日本語にしにくいからね。
190 :
イタリア系麻雀ってどんな麻雀?:2010/01/14(木) 22:02:32 0
強引にピンフ待ち
国士無双をしたら囲んでる人に符を返す
191 :
考える名無しさん:2010/03/19(金) 02:26:46 0
age
192 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/23(水) 09:35:45 O
マラッツィ 資本と言語でた。
読みはじめたかけど面白い。
193 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/23(水) 09:40:40 O
マルクスの伝統から、左翼の資本主義分析はすばらしいですね。
その思想はおいておいても
自由主義者は楽観的、機械的分析でつまらない。
194 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/23(水) 09:43:25 O
金融を言語活動としてとらえ、ポストフォーディズムに繋げるというのは面白い。
Web2.0、グーグル分析も入っているのが新しい。
イタリア現代思想家がグーグル?
お前、また適当な嘘言ってんじゃないか?
196 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/29(火) 22:53:01 0
資本と言語―ニューエコノミーのサイクルと危機 クリスティアン・マラッツィ
ISBN:4409030779
自由の裏面は弱肉強食
非正規雇用は最初から現在のように社会悪のように言われていたわけではない。いままでの
固定的な労働の契約関係から解放されて、労働時間に縛られない新たな生活スタイとを生み
出す労働形態として受け入れられた。これはネオリベラリズムの政治的な主張であるとともに、
多くの若者が自ら歓迎したものであったはずた。それが景気が悪化するとともに、低賃金労働
で、雇用の調整弁とされて一気に、現代の搾取構造として問題視されるようになる。
ここにある教訓は自由の裏面は弱肉強食であるという点だ。自由な社会では弱者は犠牲にな
りやすい。これは自由主義そのものがもつ特徴である。
197 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2010/06/29(火) 22:54:00 0
アダムスミスから保守派の経済言説は楽観的で軽いのに対して、マルクスから左派の資本主
義分析はほんてにラディカルである。イデオロギーへの支持に関わらず読まれるべきである。
様々な左派言説が陳腐化する中で、最近ではフーコーの生政治分析を継承したイタリア左派
のポストフォーディズム分析がすばらしい。すでにネグリーハートの「帝国」、アガンベン、ヴェル
ノなどが翻訳され有名である。
先の非正規雇用の問題はまさに、ポストフォーディズムの問題そのものである。従来の工場に
労働者が組み込まれるフォーディズム体制から、労働者が解放される。ここではさらに効率化
を求めるために、わずかな高額の知的労働と、ほとんどの低賃金のマニュアル労働に分離さ
れる。そして人びとはわずかな知的労働をもとめて自主的に勉強(労働)しなければならず、労
働と生活の境界は解体され、流動化する。かつてのように企業は労働者の生活を保障せず、
ただ必要限の労働力として扱う。このように全生活が労働に包囲される。より生をターゲットに
した包囲が行われている。いま日本でも非正規雇用で起こっている問題の一部がここにあるだろう。
198 :
第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :
金融化とポストフォーディスム
イタリア左派として新たにマラッツィの「資本と言語」が翻訳された。本書は2001年作品に関わ
らず、さらに深く現代を描き出している。ポストフォーディズム体制と金融化の問題である。金融
化とは、現代人の生活が資本(金融)に包囲される状況である。ネット技術の発達で誰もが簡
単に株式市場へ参入し、様々なローンなどが金融商品化され、日本でも年金の金融運用が始
まりつつある。
すなわちかつてのように富裕層が生活資金とは別に富を増やすために資金運用するのではな
く、誰もが金融化されることで、まさに先に金融バブル崩壊が起こると、現在から将来にわかる
生そのものが危険にさらされる自体である。また誰もが株式投資することで、小さな資本家に
なることができる。これは資本家/労働者の対立を解体し、単に労働者の環境を改善する立
場でいられなくする。
このような金融化はポストフォーディズムと密接に結びつき、労働の流動化とともに、資本運用
へ人びとを向かわせる。