952 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 02:57:53 0
>>951 功利主義がどのようなものであるかの理解が、間違ってるような気がするのだが。
953 :
429:2008/07/25(金) 03:02:28 0
>>949 楽しかった理由ですか?いなくなる理由ですか?
リアルでこういう誤解されやすい意見は言えませんからね。相手にしてもらえるだけで楽しいです。
いなくなる理由は試験です。(
>>825)
今までがんばってきて、一次試験にギリギリ受かって、いよいよ二次試験というときに、何を血迷ったのか、このスレに書き込みあとはもう・・・すっかり夜型になっちゃうし・・・もう僕だめかもしんないw\(^o^)/
>>951 美意識や金の損得を同列に扱うか否かは功利主義の中でも争いがありますが、
僕は、美意識や金の損得を含めて、それらを個体の欲求として、同列に扱いますね。
それは、ただこれは、欲求に(集団における)優劣がないと主張しているわけではありません。
どちらの欲求が優れているかは、
その欲求がある集団の功利にどのような影響を及ぼすかでしか決まらないという考えです。
隣人愛という欲求が食欲より優れているといわれることが多いのは、
隣人愛という欲求の方が集団の功利を増加させることが多いからという話です。
あなたは、どうして同列でないと説明しますか?
954 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 03:15:54 0
>>953 答えてくれてありがとう。本当に楽しそうなんで、こっちもなんか楽しくなってきますw
試験頑張って下さいね。考える名無しが、受かるように祈ってますんで。
955 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 03:18:15 0
>>948 倫理とは「〜べき」ということで当為だわな。
そして倫理そのものもどうあるべきかが、哲学のような根本的な議論では問われるべきだろう。
つまり「 倫 理 は ど う あ る べ き か 」ということだ。
倫理は功利主義である べ き で は な い し、超越論的なもので ある べ き だ、と俺は主張する。
現実に社会的規範がどのようにして出来上がったかに関係なく、それと区別して、倫理は論じられなければならない、ということ。
問いの対象が倫理である限り、答えは倫理的な倫理でなければならない。
956 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 03:21:16 0
957 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 03:23:53 0
>>956 「集団の利益を増加せしめるべき」なんだろ?
そういうのも歴史的には社会的規範の発展の大きな原因となっただろうけど、倫理の原理として中心にすえるには問題ありなんじゃね?ってこと。
だいたい直観と一致しないじゃん、功利主義は。
958 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 03:42:44 0
959 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 03:44:27 0
この一文が適当かな
倫理学においては功利主義は「万人の利益」となることを善とする立場を指し、「私利」のみを図ることをよしとする利己主義とは異なるとする。
960 :
429:2008/07/25(金) 03:46:41 0
>>954 めっちゃやる気でた!ああああああああありがとう あなたは僕の功利を増加させた(・∀・)
よしやろう・・・でもちょっとれすしてから・・・
>>955 なぜ、倫理は超越論的なものであるべきなのでしょうか?
倫理を超越的なものとしておく方が、功利主義にするより、集団の利益を増加させるからってのはどうでしょう
>>957 そうですか?
直観って、属する集団の中で育まれるものですから
属する集団の善悪とある程度一致する傾向にはあると思いますよ。
ひどいDQN家族で育った場合や、逆に非常に戒律的な家族で育った場合は一致しないでしょうけど
961 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 03:59:00 0
>>958>>959 うんそれくらいわかっているよ。
それでも全体のために個人を軽視する危険があるし、漸進改良的な批判にしか向かわない傾向にあるんじゃないかってこと。
>>960 >属する集団の善悪とある程度一致する傾向にはあると思いますよ。
俺は倫理的直観が属する集団の中で相対的に決まるとは思っていない。
倫理的であるというのは社会的規範から自由であることだからね。
963 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 04:10:39 0
>>961 功利主義は、「最大多数の最大幸福」を求めるんで、そこから外れてしまうことはあるかもしれないけど
必ずしも、個人を軽視しているとは言えないんのではないかと。
964 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 04:13:29 0
IDが出ないから、証明のしようが無いけど全然別人ですよ。
429さんが誤解されてるとしたら、悲しいですね。
965 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 04:14:02 0
>>963 功利主義者が、一方で倫理の独立性を認めながら、他方で社会に適用するときにひとつの道具として功利主義的手法を用いるというのなら、俺は反対しない。
だが、429の主張は、功利主義原理こそ倫理の本質であり、普遍的真実だと言っている。
だから俺はそれは違うといっているの。
967 :
429:2008/07/25(金) 04:21:52 0
>>961 ちょっと怖い話。
ポーランドかどこかで昔、人肉を食べる家族ってのがいたそうなんですね。
外界との接触を一切断ち、洞窟の中で自給自足して、道行く旅人を狩りの対象にして生きて、ただ家族内の殺しは硬く禁じて、近親相姦を繰り返し、50人くらいの家族になったとかそんなこわーい話。
この家族の中で育った子供は、殺人が悪であるという倫理的直観を有していないと思いますね。
家族内の人を殺すのは悪という倫理的直観は有しているでしょう。
僕は、倫理的直観は属する集団の中で決まる後天的なものだと思いますね。
>>965 うん。功利主義こそ倫理の本質であり、普遍的真実だと思ってます。
ただ、それは不都合な真実かもしれないとも思ってますね。
功利主義を声高に叫べば社会は悪くなるかもしれない。
でも、ここでは、そんなの関係ねーって感じです。
なんかおもしろいバトルがw俺のことで争うのはよしたまえ君たちなんちゃってw
>>965 詳しいことはわかりませんが、倫理における功利主義者なんじゃないですか?
>>939参照
色んな立場があるみたいなんで。
>>967 本人が楽しんでるようなんで、同一人物でも構わないことにしましたw
>>968 うまくごまかしたつもりなのか、これは
429は詐欺師みたいだな
970 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 04:32:06 0
>>967 さあ、どうして殺人が悪と思っていなかった言えるんだ?
俺には、もしその家族の誰かが、相手と自分が同じだと一瞬でも思えば、それが悪であることに気づいただろうと思うね。
それでも悪をやったかもしれない。人間は悪と知りつつやることはできる。
>功利主義を声高に叫べば社会は悪くなるかもしれない。
だったらそれは倫理であるべきではない。
結局君がやっているのは社会的規範がどのようにして現れたかという憶測に過ぎないだろ。
そのことは社会的規範が正当であることを意味しない。
また人がそれから自由でありえないということも意味しない。人肉食の例も、社会的規範の一
例だろ。功利主義的に、自分たちの家族の集団のことのみを考えていたから、悪をやったわ
けだな。だがそれから自由でありえないということはないだろう。
「ところで感性的衝動によってのみ、換言すれば 感 性 的 にのみ規定せられる意志は、単なる
動 物 的 意志である。これに対して感性的衝動にかかわりなく、理性の指示する動因によっての
み規定せられる意志は 自 由 意 志 と呼ばれる。そしてかかる自由意志に結びつく一切のものは、
それが理由であると帰結であるとを問わず、すべて 実 践 的 と言われる。(中略)それだから理性
もまた法則を与える、それは命法(Imperativ)、すなわち客観的な 自 由 の 法 則 である。この法
則は、 何 が 生 起 す べ き で あ る か を我々に命じる、たとえ実際にはそのことが恐らくは決し
て生起しないにしても、このように命令するのである。ここに自由の法則と 自 然 の 法 則 との差
異が存する、・・・」
カント『純粋理性批判(下)』(篠田英雄訳・岩波文庫・pp95-96)
つまり倫理は自然の法則ではなく自由の法則だ。
971 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 04:33:14 0
>>970 3行目の補足:相手=旅人な。
殺そうとする相手が、自分と同じだと思えば、悪だと気づきえただろうということ。
>>969 全ては謎に包まれている。
ID無いのが悪いんだよね。
>>972 同一人物でも構わないことにしましたwって書いといて
ID無いのが悪いとか見苦しい言い訳すんな
>>973 それではおやすみ、明智君と429さんノシ
975 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 04:42:06 0
本当に薄ら寒いねw
976 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 04:47:25 0
>>970 悪いレスではないんだが、別にそんな風な言い方しなくても、
>>967の例には、食べるために目の前でニワトリが殺されたのを見て
子供がどう反応するか、といった例をぶつければ終了だろ
978 :
429:2008/07/25(金) 04:53:34 0
>>974 多分最後の交わり・・・おやすみ。
煽り(?)があるからこそおもしろい
煽りはここの人たちの功利を増加させるかもしれない
すなわち、煽りはここの人たちにとって正義かもしれない
>>970 明確に僕とは違う見解ですね。
同じ生命でも、僕らの倫理的直観は、牛と人を食べてよいものと食べてはいけないものに区別します。
同じヒトでも、彼らの倫理的直観は、家族と家族でないものを区別するのではないでしょうか?
彼らの倫理的直観が、同じヒトであるということに特別性を見出しうる理由はなんでしょう?
カントはその主張の大前提に根拠がないというのが欠点だからね・・・。
きつく言えば、教条主義的なんですよね。
979 :
429:2008/07/25(金) 05:03:22 0
あと少し・・・
>>977 小さいころから食べる為に目の前で鶏を殺されて、何ら生命の尊さを教えることをしなかったなら、
子供はそれを悪だとは、思わないでしょう。
後天的なしつけ等を通じて、子供は生命を奪うことの倫理的直観を身に着けるのだと思いますね。
980 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 05:09:28 0
>>978 俺はそれこそ功利主義の問題点だと思うね。
動物だって他の動物を食べて生きている。
人間も同じことをしているだけだろう。
ただ過剰に、家畜にしたり、商品流通に乗せたりして、たくさんを殺すのはよくない。
また、太古の人類だって、狩をしているときに、相手をかわいそうと思うことが無数にあっただろう。
動物を食べないとなるとベジタリアンになるしかない。シンガーはベジタリアンなんだろ?
でも植物だって生命なんだから、食べるのはよくないということになる。そうすると餓死しかない。
狩をしていた人類は、たぶん動物の霊を供養したりする宗教的儀式をやっているだろ。
つまり人間の倫理的直観は侮れないということだよ。
981 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 05:09:49 0
982 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 05:10:55 0
そうかな。
他人から教わらなくても自分で感じる事ってあるし。
人を殺して子供や親が泣いてたら、
「あれ?悪いことしちゃったかな?」と感じるじゃないの。
たとえ生命の大事さを教わらなかったとしても。
983 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 05:13:43 0
功利主義は、痛みを感じるかで分ける。これはとても恣意的だと思うね。
だから幼児や植物=自然は殺してもいいことになる。
そうではないんだよ。自然というものが、総体として人間にとって敬うべきものであるかのように直観的に感じられる。そこから倫理や宗教が出てくるんじゃないの?
984 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 05:14:17 0
訂正:胎児だな。シンガーは堕胎を肯定したんだろ。
985 :
429:2008/07/25(金) 05:19:06 0
>>980 功利主義から、必ず動物を殺してはいけないという結論がでるわけではありませんよ。
功利計算や集団の区切り方によってはそういう結論を出しうるというだけです。
植物は幸福を感じませんから功利はありませんね。多分。
倫理的直観を侮ってはいませんよ、
僕は、集団の善悪と一致する傾向にあるといってますから、かなり高い評価をしています。
非常に基礎的な倫理的直観は、本能と同じように自然淘汰により形成されてきたのでしょう。
986 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 05:22:05 0
>>985 >植物は幸福を感じませんから功利はありませんね。多分。
そんなん分からないだろWWWWWWWWWWWW植物になったことあるのかよw
987 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 05:24:19 0
>>985 胎児については?
幸福を感じる可能性のなくなった脳死の場合は?
988 :
429:2008/07/25(金) 05:34:17 0
>>982 「親が泣いてたら」これがしつけ等にあたるわけです。
そういうのがなければ、気づけないから、後天的なものだというわけです。
>>983 功利を持つかどうかで分けるのは、功利主義としては当然のことです。
胎児は微妙なところというか功利があるでしょうけども、植物は無いですね。多分。
これは、植物を敬うことを否定する話ではありません。
植物の価値の本質が、植物さんがかわいそうだからというのではなくて、
植物はわれわれに利益をあたえてくれるから、われわれにとって価値のあるものだという説明になるということです。
>>984 >>987 胎児や脳死についてですが、シンガーの価値判断を外して、功利主義自体で説明しますと、
集団の功利が増加するなら、堕胎はその集団にとって善であるということです。
(堕胎が善であるとも悪であるとも言っていません)
これは、堕胎が悪である考える個人の信条とは別の話です。
その個人の信条も一つの功利として、集団の功利を構成します。
脳死してる人には功利がありません。多分。
これは、脳死している人を粗末に扱ってよいという意味ではありません。
臓器移植を考えて見ましょう。
それによって、遺族生じる遺族の不快感、助かる人の健康などが功利として上げられるわけです。
それらの功利によって臓器移植のその集団における善悪が決まります。
功利として、脳死者の快感とか不快感が出てこないというのが、脳死者に功利がないことの効果です。
989 :
429:2008/07/25(金) 06:23:07 0
最後にとても暗い話をして終わりますw
本当は功利主義自体から価値判断することができる場合があります。
誰かがとてもすばらしい薬を打ちつづけて寝たきりのまま天寿を全うさせてくれる
それは「自分にとって」最高の人生なのか?
その薬は、
自分の信条的欲求(人の役に立ちたい、自己実現を図りたい、子孫を残したいなど)を、
満たせないことからくる不快感を消し飛ばします。生涯を通じて感じうる最大の量の快感を与えます。
今までのケースと違って、この場合は、功利がプラスしかありませんから、
功利主義自体から価値判断できます。
自分にとって最高であると。
とてもすばらしい薬を全人類に自動で打ち続け天寿を全うさせることができる場合。
それは、その人類にとって最高なのか?
あなたがこのような薬による幸福に対して信条として不快感を持つというのは
この問いに対する答えになりませんが、
あなたの信条は、集団の功利のひとつとして数えられます。
しかし、薬によって、その不快感は消え、あなたの功利はプラスになります。他の人々も同じです。
この場合、功利はプラスしかありませんから、功利主義自体から価値判断できます。
その人類にとって最高であると。
功利主義自体に矛盾はありません。従ってこれらは真です。
これらが真であるということが、僕を不幸にします。
不幸にしますが真です。
功利主義をきちんと理解すれば理解した人は不幸になります。
真で無いと思える人は幸せです。
990 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 06:58:37 0
>>989 だから功利主義は間違っているんだってWWW
カントを読めよWWW
ほんといままでご苦労さん。君の理論は間違っている。矛盾がないからと言って正しいとは限らないんだよ。
君のやったことは、間違った前提から正しく推論したというだけに過ぎない。意味のないことだよ。
倫理は超越論的なものだ。倫理は行為するものの主観だ。
現象ではなく、帰結でもない。
これがあるべき倫理の姿なんだよ。
君のは倫理ではなく、社会的規範がいかに生成してくるか、それを演繹すればどのような結論が得られるか、という思考実験に過ぎない。
もっとも、人間というのは、単に社会的規範に屈従しているわけではないんだ。社会がYESということにも、NOということができるのが人間の自由さだ。
それは後天的にしか言えないとしても、その能力が後天的であるとかしつけによって構成された社会構成的なものだとか、そういう意味ではない。
社会的規範は社会構成的なものだろう。それは当然だ。しかし人間の倫理を直観する能力はそれから独立してあるんだよ。
991 :
考える名無しさん:2008/07/25(金) 07:05:51 0
>>989 しかし最後に功利主義の破綻をみずから示してくれてありがとう。
直観的に間違っていると誰しも思うだろう、そんな未来は。
>>978 429は、自身が煽られているとみなして、それを分析する余裕を演出していますが、
そのようなことをしても、429が過去に書いたレスは何も変わりません。実際には、
429は煽られているのではなく、軽蔑されているだけです。
>>910>>962、991
>>979 >>977は「どう反応するか」と書いただけなのに、なぜ429は、979で「子供は…悪だ
とは、思わない」と結論付けているのでしょうか。反応を検討して答えるなら、その
結論は論理的にありえません。
人間には、自分の感覚を、何らかの対象に投影して共感する能力があります(能力A)。
この能力は、しつけによって後天的に出来上がるわけではありません。
>>988に「親が
泣いてたら」がしつけにあたると書いてありますが、そのためには能力Aが必要です。
また、能力A等を記号的に表現する能力もあります。習得される記号は後天的に決まり
ですが、記号を習得可能とする能力(能力B)は、明らかに先天的なものです。
ところで、
>>967の例の家族が、家族内の殺しを禁じたとき、能力A・Bが作用していました。
このとき、能力A・Bの作用する範囲は、先天的に定まりません。「家族」と同じ姿をした「人」や、
「家族のように痛がる」「動物」について、未熟な段階で、共感する可能性Tがあるからです。
可能性Tを認めるならば、979「小さいころから食べる為に目の前で鶏を殺されて、何ら生命の
尊さを教えることをしなかった」場合でも、子供がそれを悪だと考えうる((自分・家族・人・
ニワトリいずれであっても、痛がっているのを見て共感しうる)のです。倫理的直観なるものが
あるとすれば、それは能力Bが介在する関係で後天的なものですが、967・979に述べられた形に
限定されると考えることには、根拠がありません。
429の979以下のレスは、429が、自身の立場が現実に拠っているかのように見せかけつつ、
実際には、429の立場を前提として現実を規定しようとしている(429の意見を見たものの
思考力・想像力を、ある一定の方向に傾向づけようとしている)ことを示すものです。
>>992 > 人間には、自分の感覚を、何らかの対象に投影して共感する能力があります(能力A)。
> この能力は、しつけによって後天的に出来上がるわけではありません。
ここはそう断言できるかな?幼少期の環境によって、共感能力が欠如した人格
が形成されることもありうるんじゃねーの?
能力Bがあっても、記号的に表現する能力を習得できない
場合は考えられるが(識字力がない場合など)、だからって
能力B(学習すれば識字可能になる能力)が先天的でない
ことにはならない
「『親が泣いてたら』がしつけにあたると書いてありますが、
そのためには能力Aが必要」って書いてあるんだから、能力Aは
993がいう共感能力を身につけうる能力のことだろ
幼少期の環境がまずくて993がいう共感能力の欠如が生じる
ことは、先天的な能力Aがないことを意味しない
>>989の話、薬を「打つ」っていうぐらいだから注射装置なんだろうが、
そんな装置を全人類分作ること自体、物理的・政治的にありえそうにない。
食糧(栄養補給)問題も一切触れられてないし、大災害で収容施設が
倒壊した場合の対策もわからない。989は不快感の理由を信条の問題に帰して
得意げだが、989の話に人が不快感を覚えるのは、全く現実性のない話をでっちあげた上で、
いえるかどうかすら怪しげなことを賢しらに語る989が、哀れだからだよ。
功利主義は現実的な関心に基づく。989の話は、現実的な関心に基づいてるわけではなく、
429個人の嗜好に基づいた、ただの妄想に過ぎない。989は、
>>588>>595>>605の終わりに
書かれてあるのと同じような「問題」に過ぎない。
>>994 そりゃ共感能力獲得の可能性は否定されないだろうけど・・・。つーか、
>>992が
何を言いたいのかサッパリ解らないw
何とは言わんが、下らんレスを叩き台にするようだったら、次スレはもう要らんよ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。