>>115-118を、
日本の例で更に簡易にしてしまいましょう。
日本では『マスコミ』を『マスゴミ』と言ったりしますが、
これを仮に中国とかで訳す場合に、なるほど、
『マスコミ』→『報道会社』
『マスゴミ』→『全体屑物』
という具合に訳したとすると、これは問題です。
何故なら、マスコミを報道会社と訳すと、
報道の会社が悪いのは分かるが、マスゴミを
全体屑物と訳すと、何故か報道会社側に都合の良い言い方になってしまうからです。
なるほど、確かに、
『マスコミ』の原語は『mass+communication』なので、
『マスゴミ』は、mass=全体+ゴミ=屑物で、全体屑物と訳しても間違いでは無い。
しかし、それでは『肝心のマスコミを皮肉っている、
というウィット感』が無くなります。
つまり、デリダのDéconstructionを
脱構築と訳す事は、
マスゴミを全体屑物と訳すのと同じ事なのです。
これを、『肝心のマスコミを皮肉っている、
というウィット感』を残そうとすると、
『マスコミ』→『報道会社』
『マスゴミ』→『報道害社』
とでも訳すのが適切な訳です。
ですから、脱構築は、
破壊するというニュアンスを残す為には、
『破-壊』とか『破り壊す』とか訳すのが正しい訳です。
>>192 >『破-壊』とか『破り壊す』とか訳すのが正しい訳です。
なぜハイフンを入れるのか。
たとえば、Ge-stellを「立て-組み」や「組み-立て」と訳すのなら、まだ情状酌量の余地があるが、
哲学用語っぽさを出すために無意味にハイフンを入れるのはアホのやることだ。
ところで、「破壊」と訳すと -construction のニュアンスがまるで伝わらないのが問題だ。
一応代案として、「解体構築」という訳語があることを教えてあげよう。洗練されてはいないが、
原語のニュアンスを伝えようという苦労がひしひしと伝わってくるよい訳語だと思う。
『構築』って用語を入れたら駄目です。
いいですか?破壊するのに構築も何も無い訳ですよ。
ちょっとでも入ってると学者が調子に乗りますからね。
196 :
考える名無しさん:2008/10/23(木) 21:25:54 0
ハイデガーの前期と後期にあるケーレについては良いとて、
シェリングではないのこのスレ。
前期は可能性としての実存分析で「存在と時間」以降の後期は存在に
投げ込まれた現存在と言う読みで良いのではないかね。
同時に、木田元の解釈はどうであれ、やはり、同じ人間が進めた哲学の旅
はある意味で類似性はあるのだよ。だから、ケーレはないともあるとも言える。
見方次第だろう。いわゆる、読む側の立つ位置によって、解釈できるってこと
では。
197 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 01:29:07 O
そもそも今何故シェリングが求められるのか。
「西洋」全体の破局を前にだ。
198 :
考える名無しさん :2008/10/24(金) 06:20:38 0
脱構築は
壊しながら構築する
構築しながら壊してゆく
そういう両義的な営為
逆に言うとその程度の認識で充分だろう
デリダ自身だってちゃんと定義していないんだから
ある意味自由に解釈してよしということだよ、純一くん。
なんで純一のような馬鹿がいるわけ?
200 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 07:09:08 0
デモ、チンボ太郎のヘーゲル論を聞きたいな。
彼の詳細な読解は、このポストモダン時代だからこそ意味あるかも
しれんな。ただし、なぜ今ヘーゲル・シェリングなのかを先に
答えてもらいたいが。それと、太郎のやっている、読み会のような
方法は竹田青嗣・西研・小坂がやっている方法に似ているが、
いまこのような方法は流行っているのかい。
201 :
考える名無しさん:2008/10/24(金) 10:00:44 0
今時のヘーゲリアンって、何考えているのだろう。
定立―反定立―統合って言うけど、自分もそのスパイラルの中
にいながら、不完結の身でありながら、歴史は完結すると断定する事は
出来ないだろう?違うかい。どこかに神がいることを前提にしないと
いけないだろう。今は分からないが神がいるので、我々は絶対知へ
向かっているのだと言う確信・・・。
これって、最後の審判への過程と同じな訳だよ。最後に合格者と地獄へ
どうぞと言う選別が待っている。つまり、最終結審=絶対判断=真理
への道って事だろう。そう考えると古いねぇヘーゲル。
竹田って何でヘーゲル「精神現象学」なのかね今。
聞きたいことはなんでもかんでも答えてくれると思ってるのかね、このひとは。
ここはシェリングスレですから、せめてシェリングを前面に出しつつヘーゲルを絡め、
きちんとした形で質問したらどうです? 独り言ならチラシの裏にでも書いていなさい。
やれやれ、皆さん、アホですね?
「Destruction」を「Déconstruction」というのは、
日本で言えば、「マスコミ」を「マスゴミ」というのと同じ様に、
一種のジョークだって事が分からないみたいですね?
構築を入れては駄目なんですよ?
それは翻訳で日本のみで成り立ってる恣意的な歪曲なんですよ?
全く、馬鹿に説明するのは疲れますよ〜
太郎も自画自賛の自演ばかりでは駄目ですよ?
君は分析しかできやしないのに大陸を知ったかぶりしている。
知ったかぶりしている太郎なのに、厨房なので
それを決して認めない、それが君の哲学の全てなのですよ?
いい加減、分かってくださいよ〜
いいですか?
ハイデガーの「破壊」をデリダがジョークで「破り壊し」と
でも意味するところで言った事を、わざわざ構築してるみたいに
誤解をさそうようにわざと訳している学者の権力に踊らされてはいけませんよ?
そんな事も、太郎は普段偉そうにしている割に
復元できないのですか?アホですか?
日本の思想で勝手にデリダの思想を歪めるのはやめてくださいよ〜?