フリードリヒ・シェリング 2【人間的自由の本質】

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130純一 ◆QzuB1xeuck
やっぱ、太郎はごまかしが多いですね。
ところで、私が木田元が復元したハイデガー像を
説明してあげましょう。

太郎が木田元の説明を気に入らないのは、
要するに保守的なハイデガー像にしたいからなんですよ。
131純一 ◆QzuB1xeuck :2008/10/21(火) 20:09:59 0
まず、太郎の言うハイデガー像は、
分析哲学者、つまり英米系に広く普及しているハイデガー像で、
基本線は、

前期=実存主義的=存在と時間既刊
後期=構造主義的=転回(ケーレ)存在と時間未刊

というのが大ざっぱな見方です。
だから、太郎は、純一は前期の実存主義的なハイデガーしか知らない、
と言うのですが、実際これは違います。
132純一 ◆QzuB1xeuck :2008/10/21(火) 20:13:16 0
つまり、>>131をベースにした太郎の言う、
保守的なハイデガー像というのは、

『前期は実存主義的だが、転回以後の後期では、
 構造主義的(つまりは分析哲学向き)になった』

という訳ですが、これは違いますね。
133純一 ◆QzuB1xeuck :2008/10/21(火) 20:16:54 0
木田元の説明によれば、通常、英米系の太郎なんかが
考えている様に、転回以後の主張の変更というのは、
『実は無い』のです。

木田によれば、転回というのは『言い方』が変わってるだけで
内容は同じなのです。私も後期っぽい著作を読んでも、
存在と時間のここを読め!とハイデガーが注釈を入れていて、
なるほど、存在と時間で言っていた事をここで言い変えていたのかー
と、思う箇所がいくつもあります。
134純一 ◆QzuB1xeuck :2008/10/21(火) 20:21:04 0
んで、太郎の言ってるのは、

『純一や木田のハイデガー像は、
 実存主義的だが、研究者は後期の構造主義的なのが常識だ』

と言いたいのですが、
これもおかしいと思いませんか?

実は太郎の言ってるのは、まんまウィトの事です。
つまり、ウィトは確かに前期は実存主義的だが、
後半実存主義的じゃなくなったみたいな説明が好きなのですね。
135純一 ◆QzuB1xeuck :2008/10/21(火) 20:23:14 0
つまり、ウィトとか要するに英米系言語哲学の
哲学の見方を、そのまま大陸哲学のハイデガーに
強引に当てはめると、

『前期は実存主義的だが、転回以後の後期では、
 構造主義的(つまりは分析哲学向き)になった』

という具合になる訳です。
しかし、これは木田の復元したハイデガー像ではない。

136純一 ◆QzuB1xeuck :2008/10/21(火) 20:36:59 0
木田の復元したハイデガー像を私純一なりにまとめてみましょう。

木田に拠ると、ハイデガーはソクラテス以前の哲学者に注目して、
昔の哲学がどんなんだったかを復元してみます。

まあ、詳細は端折ってですね、
要するに何を言ったかという事が重要なんですが、
つまりは、昔と今では「自然」に対する考え方が違う、
という事です。
137純一 ◆QzuB1xeuck :2008/10/21(火) 20:39:53 0
んで、それだけでは何を言ったのかよく分かりませんよね?
つまり、ハイデガーが言うのは、
太郎みたいな人間に対する批判なのです。

つまり、フッサールを支持するような人間に対する
批判、それをハイデガーは著作の中で何回もやるのです。
138考える名無しさん:2008/10/21(火) 20:43:43 0
139純一 ◆QzuB1xeuck :2008/10/21(火) 20:45:04 0
>>84を見て下さい。

@ プログラムとかがオタクの太郎は好きだった
A 論理学とか数学がプログラム言語っぽくて太郎は好きになった
B 太郎が頭良い事を証明する為にフッサールで論理学の基礎付け

実はハイデガーはこんな太郎の様な人間が一番嫌いでした。
無論、それは現実社会ではフッサールに対する嫌悪になります。
では、ハイデガーは本当はどんな主張をしたのでしょうか?

ハイデガー『太郎やフッサールというのは、基本的に自分が
      世界で一番頭が良いと思い込んでいるが、
      それは基本的に誤った思い上がりである』

と言いたいのです。
140純一 ◆QzuB1xeuck :2008/10/21(火) 20:49:47 0
太郎やフッサールの様な人間は、
基本的に自然を『支配』するものとして捉える。
その道具やその思考の最たるものが数学や論理学であります。

それは基本的に考え方の背後に、世界で一番頭のよい人間、
という前提が潜んでいる。と、こうハイデガーは指摘する。
ところが、これはソクラテス以前の、つまり大昔の哲学には
出てこない、むしろ、哲学が始まったのは人間がこういう
太郎やフッサールの様な思い上がりを得てからだ、と説明するのです。
141純一 ◆QzuB1xeuck :2008/10/21(火) 20:52:58 0
ですから、木田の復元した正しいハイデガー像に
従えば、そもそも分析哲学を支持する太郎ってのは、
ハイデガーの主張をそもそも理解しちゃいない。

ハイデガーはそれを現象学的破壊、要するに、
デリダの脱構築の元ネタともなった、

『破壊』

これに求める訳です。
とは言え、それは太郎やフッサールのような思い上がりを
破壊する運動である訳です。
142純一 ◆QzuB1xeuck :2008/10/21(火) 20:55:06 0
つまり、分析ってのはハイデガーが破壊すべき対象ではあっても、
それを共存させるものではない訳です。

もはや、その時点で太郎がハイデガーを理解していない事は良く分かります。