哲学の基本は対話 4の章

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452佃煮マニア
断絶、断絶、そういえば、「私についてこなかった男」って
断絶の懊悩が描かれている気がします。世界と私の断絶、
という漠然とした概念よりも、個人間の断絶を具体的に
考える事が出来そう。ちょっと感想文書いちゃおうかな。
453佃煮マニア:2008/08/26(火) 20:07:53 0
「私についてこなかった男」について・・・

「彼」が「私」を誤解すると、「彼」の中で、「私」のドッペルゲンガー
とも言うべきものが息づき始めます。「彼」は、「私」とドッペルゲンガー
の同一性は考慮に入れず、話していますが、やがてそれが、風をはらんで
形象化し、一人歩きし始める場合があります。それがもう一人の「彼」。

階段を下りて、ちょっと行った部屋にいるもう一人の彼は、要するに、
ロゴスによって深層心理に確実性を与えて、初めて形象化される意識の象徴
なんでしょう、彼らは三人称で語る権利を得たと言いながら、実は二人称で
語っていたことになります。
454佃煮マニア:2008/08/26(火) 20:09:20 0
(つづき)

この二人称は、「彼」と今ここにいる私佃煮、
または「私」と私の人称であるとも言えます。

彼らの部屋には、誠実な描写がなく、代名詞のみが存在し、すべてが曖昧です。
この曖昧さは、厳密なモチーフを私的体験から実写化させてしまいます。
彼らの対話が、虚構という枠を飛び出して、今ここにおいて現前された、
私自身の心的現象であるかのように。
ブランショの円環は、読者の体験を取り込んで、初めて閉じる訳です。
455佃煮マニア:2008/08/26(火) 20:10:31 0
(つづき)

彼らの会話の一つ一つは、私自身の中の「いつかあった対話」であり、
彼らのいる部屋の窓の外、地平さえない虚無の中を彷徨し、
私は、その対話のありかを当てもなく探し続け、探し当てれば、
すぐに、彼らの部屋、その階段をおりて向こうの椅子に縛り付けられ、
まったく話せず、動けずに、彼らの非難や痛烈な皮肉を浴びせられます。

それが永遠に続き、円環から逃げたいと思っても、出口などないのです。
456佃煮マニア:2008/08/26(火) 20:13:14 0
(つづき)

この精神的、肉体的拷問を、ブランショは、確信犯的に行いますが、
この、エクリチュールによる犯罪は、裁かれるべきものではなく、
必要なのは、「彼」と「私」に吹く風を、部屋に差し込む木漏れ日を
真っ白な絶望の中で抱き、語りかけ、愛撫し、彼らの秘密を守って、
たとえば、、、「冷蔵庫のジュースを一緒にどうですか」と、二人に、
誘いかけられる心性じゃないでしょうか・・・。