【ベンサム】功利主義・古典的リベラリズム【ミル】
1 :
考える名無しさん:
リベラリズムの原点に回帰し、改めて自由の擁護を見直そう。
2 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:10:44 0
面白そうなスレを立てたな
リベラリズム全般じゃないのが残念な気もするが
3 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:14:27 0
リベラリズム全般だと「左派・革新主義の功罪」の議論に膠着しそうなので、これでよいのではないか。
……と思ったら、アダム・スミスの経済学も「古典的リベラリズム」と呼ばれているぞ。
ベンサムの思想とは正反対に位置するのに同じ名称。どうするよ
>>1。
4 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:17:21 0
古典的自由主義=ネオリベ?
5 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:29:02 0
>>1だが、このスレッドにおけるリベラリズムとは、
アダム・スミスの経済的自由主義(≒ネオリベ)ではなく、
政治的自由主義、リベラル・デモクラシーのことだと理解してもらえると助かる。
6 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:14:07 0
7 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:16:22 O
ネオリベをアナキズム(アナルコキャピタリズム)と同一視するのはいかがなものか
8 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:21:11 0
ネオリベがアナキズムだってー
そしてリバタリアニズムは現代のアナキズムとも呼ばれる
あー政治思想ってなんて複雑なのでございましょうね
9 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:57:07 0
経済学は専門外でよくわからないのだ。
アダム・スミスは哲学の分野でも提言をしているとはいえ。
ではネオリベ≠アダム・スミス≠このスレッドでのリベラリズムということで。
10 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:58:25 0
把握。盛り上がるといいね。
11 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:07:41 O
ベンタム、ミルに連なる政治哲学者と言えば誰でしょうね?
12 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:08:19 0
ここの人には常識だと思うがネタ振り。
ベンサムが唱えた「最大多数の最大幸福」とは、別に少数者差別を肯定したものではない。
いかにもベンサムがマイノリティの敵のように言われているのは後世の曲解。
13 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:18:13 0
しかしそれを意図してなくても結果的に
少数者差別に利用されてしまうような欠陥は孕んでいたのでは?
よければ解説よろ
14 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:25:15 0
>>11 直接の弟子ではないがシジウィック。
彼がどのように功利主義に目覚めたのかは知らない。
>>13 多数者による少数者の抑圧の場合、
多数者の快楽≪少数者の苦痛
多数者の人口×多数者の快楽<少数者の人口×少数者の苦痛
となるため、絶対に正当化されないとベンサム自信が公言している、
と誰かの本に書いてあった。確か永井義雄か戒能通弘。
16 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 01:32:02 0
ベンタムじゃなくてベンサムな
変な拘りを見せてる奴ウザいよ
17 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 01:41:00 0
Wikipediaの「ベンタムこそ正しい、ベンサムという表記は誤りだ」という誤謬が弘まっているから仕方ない。
本当は「ベンタムこそ正しい」というのは少数説に過ぎないのだが。
>>6 > いやアダム・スミスの経済学と現在のネオリベは全然違うよ。
> ネオリベは単なるアナキズムだけど、アダム・スミスのは
> 彼の考えた倫理学(一種の神学)と一体となった経済学だから。
ネオリベだってそれが思想であるかぎりは立派なイデオロギーであり
ある意味で神学なんじゃないの?
19 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 02:18:00 0
>>17 Wikipediaをソースに使うというのは2ちゃんねるをソースに使っているのと似たようなものだしw
20 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 08:49:28 O
>>16 どっちでもいいじゃん
つまらない事にこだわるなよ
21 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 03:16:02 0
人が利益を最善に考えるのはよいことだ。
意味もなく禁欲主義に拘泥して社会を緊束する必要は無い。
功利主義への非難の余地が生まれるのは、
他人に危害を加えてまで自己の利益の保全を図る利己主義に陥った時だけ。
22 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 05:19:41 0
>>18 それは比喩としての「神学」でしょ?
アダム・スミスのは実際の、「神をめぐる学」としての神学だよ。
彼の生きてた時代、まだ神は「生きてた」からね。
それと無政府資本主義(
>>7の言うとおり、ネオリベと
アナルコ・キャピタリズムは必ずしも同一じゃないので
こう書くわ)には「自由」はあっても「倫理」はないよ。
そういう「倫理」からの解放を謳うのが、
そもそもの無政府資本主義だからね。
23 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 10:37:40 0
>>20 ややこしいので、ベンサムに統一しろ
校正レベルで問題になる
24 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 17:45:04 O
>>23 了解
>>15 ハイエクは違うんじゃないかな
ベンサム、ミルらは偽の個人主義の影響が大きいと評価しているし
少なくともハイエク自身の認識においては異なる流れにいると考えていると思う。
25 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 20:09:35 O
>>22 そんなことは無いと思うよ。
マリー・ロスバードの自由の倫理学はよんだ?
26 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 03:51:09 0
とりあえず自由を語るならスピノザ・カントくらい読めよw
>>26 日本の功利主義の研究者は英語文献しか読めない連中
ばっかだからそっとしとておいてやれ
28 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 18:22:34 0
カントは功利主義者か?
29 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 22:09:24 0
ねーよw
30 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 01:23:49 0
B
31 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 23:55:16 0
ミルの『自由論』は驚くほど熱っぽくて心にしみる。ハイエクが随所に引用した理由がよく分かる。
32 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 01:18:40 O
リバタリアニズム、古典的自由主義寄りの
雑誌を作ろうと考えてる者ですが
雑誌の出版経験もなくコネもないです。。。
ネオリベとどこが違うの?
ブログでも作れば
36 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 20:39:39 0
>>32 おいおい、そんなやつがやってる雑誌に誰が書くんだよ。
こっちも暇じゃないんだからさあ。
37 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 00:30:18 0
人間は功利主義を信じない。
功利主義を信じるのはイギリス人と京大関係者だけ。
信じる信じないの問題じゃないだろ
39 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:12:43 0
功利主義(笑)
思想・哲学を信じる信じないで評する人っていうのもすごいな。
いろいろ楽そうだ。
41 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 01:28:30 O
東大=合理主義 京大=功利主義 なの?
42 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 12:23:32 0
>>40 いやーそんなに誉められると照れちゃうなあ。
2ちゃんでもっともらしいこと書いていっぱし気取りの
ネらーほどじゃないっすよ。
43 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 12:36:43 0
>>42 そんなに謙遜しなさんなって
あなたも立派ないっぱし気取りのネラーだよ
44 :
考える名無しさん:2008/06/21(土) 13:01:08 0
功利主義についてなら、正しいか正しくないかよりも、信じるか信じないか、だな
45 :
考える名無しさん:2008/06/22(日) 16:26:47 0
その心は?
46 :
考える名無しさん:2008/06/29(日) 14:13:37 0
47 :
考える名無しさん:2008/06/29(日) 15:07:02 0
早稲田大学を創立した大隈重信はベンサムの影響を強く受けていた。
スーフリの自由論
49 :
考える名無しさん:2008/06/30(月) 23:44:06 0
スーフリはベンサムに葉影響されていなかったと思う
ベンサム→大隈→早稲田大学→スーフリ
test
52 :
考える名無しさん:2008/07/03(木) 17:57:22 0
スーフリやるような連中は講義なんか真面目に聴いてないだろ
詩文馬鹿駄風情が哲学(笑)
54 :
考える名無しさん:2008/07/16(水) 02:40:41 0
シジウィックの議論はこのスレッド的にどうよ
55 :
考える名無しさん:2008/07/22(火) 20:02:57 0
ベンサムが英米法を批判した理由について、功利主義との関係があれば詳しく教えてほしい。
功利主義を1500字程度で教えて
ミルが黄金率を重視したというのは
簡単に言うと、どういう意味でしょうか
58 :
考える名無しさん:2008/08/03(日) 22:01:04 0
質問だけ溜まってるスレだな
宇野弘蔵
【このスレッドは ル・サンチマン™ の提供でお送りしております】
原点のヒュームからでおk
ミルについてレポートを書くのだが、序文はどういう切り口にするのがよいかな。
64 :
考える名無しさん:2009/01/30(金) 04:44:52 O
あれば
選好功利主義ってよくわかんないんだけど
イメージだけどなんかもはや功利主義じゃなくない?
ここまで大幅に修正してまだ功利主義という名前にこだわる意味あるのかみたいな
66 :
考える名無しさん:2009/02/01(日) 14:00:36 0
幸福=選好充足説で功利主義を解釈すれば、
ただちに選好功利主義になるだろ?
どこが「大幅な修正」なんだ?
67 :
考える名無しさん:2009/04/30(木) 04:26:20 0
age
68 :
闇:2009/04/30(木) 04:38:07 0
らくもなし
69 :
闇:2009/04/30(木) 04:42:01 0
さつがい
70 :
考える名無しさん:2009/04/30(木) 13:43:55 0
きもちわりーと遮断するぞあ
71 :
¥:2009/04/30(木) 13:44:53 0
おいひとごろししたやつとしない俺とどっちが偉いよ?
72 :
¥:2009/04/30(木) 13:48:23 0
ラッキーじゃねえぞ
>>66 選好の充足(幸福な状態)と快楽の感情(幸福感)の間に必然的な関係がないからだろ。
功利主義って日常には多く潜んでいる考え方ですか?僕は高校で倫理をやっているんですが功利主義に対してはあまり抵抗を感じません。明らかに皆さんと比べて知識は少ないし、馬鹿な質問かもしれませんが答えていただけたらうれしいです。
功利主義は個別幸福の単純合計だから
「意図せざる結果」による個別利益の縮減を想定してない点で不十分といわざるをえない
76 :
考える名無しさん:2009/10/24(土) 21:20:55 0
>>74 すごく自然。「世のため人のためにつくしなさい」って
この点が義務論者は気に入らんみたいだがw
功利(氷)主義を愛す(アイス)
78 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 18:58:24 0
植民地支配されている奴は子供と同じで
自由を主張資格ないと断言するあたりが時代の限界で惜しい。
でも一方では野蛮な習慣を持っているからといって
勝手に他人の社会に入り込んでいって強制すべきではないともいっているけど
それは同じ西洋人だからだけで、やっぱりダブルスタンダードだと思う。
第三章はその後の人類の全体主義や大衆社会を予言する一番重要な章だ
自由主義の個人主義的傾向は実存主義と重なるところも多いと思う。
俺はオルテガからミルを知った。
79 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 19:18:20 0
>>74 功利主義の考え方自身が、誰かの独創というよりは、
漠然と人間が思っていたことの表現だし、
表現が与えられたことでそうした考え方がさらに強められ、
現代人はその影響下にあるからね。
80 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 19:22:59 0
自由論の要点
「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」は
世界中の何処に住んでいる未開の土人にも理解できる道理だけど
迷惑の定義が知れなかったらこれほど揺るぎやすい言葉もない。
だから戦争がなくならないわけだけど・・・・
81 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 19:25:50 0
何でそれが自由論の要点なんだ?
どっちかと言えば、
「ひとに迷惑かけてないんなら、何しようとそいつの勝手だろ」じゃね?
82 :
考える名無しさん:2009/11/22(日) 19:27:31 0
>>81 ミルは黄金律を参考にしているとはっきりいっている。
同じこと
83 :
考える名無しさん:2010/03/27(土) 11:52:34 0
功利主義の何が問題なの?
84 :
考える名無しさん:2010/04/11(日) 19:14:39 0
NHK教育で今サンデルが講義してたぞ。
85 :
考える名無しさん:2010/04/12(月) 00:14:41 O BE:492989344-2BP(3555)
皿の上に頭が乗ってるのか。
さてここで問題です
「ある船が難破し、11人の人間が救命ボートで脱出しようとしている。しかし、このボートの定員は10名で、
定員を超すと横転する可能性が高い。11人の中には、重要人物である外交官も含まれておれば、一方
護送中の極悪の殺人犯もいるとしよう。そこでいったいどうすればよいのだろうか?」
のベンサム的解答はどうなるでしょう?
泳ぎのうまい者が海に飛び込んでボートにしがみつき
残りの10人で力をあわせてボートを漕ぐ
>>81 自由を強調するニュアンスはむしろベンサムでしょうね。
89 :
考える名無しさん:2010/05/30(日) 19:08:43 0
自由っていっても功利を減少させない限りだけどね
最近話題の「幸福度」について、ここの住人はどう思っているの?
90 :
考える名無しさん:2010/05/30(日) 19:58:13 0
幻想
91 :
考える名無しさん:2010/05/31(月) 11:33:23 0
大福主義
一応「大福餅」の大福も念頭に置いてるんだよなw
93 :
考える名無しさん:2010/06/10(木) 13:37:24 0
資本主義の走狗だよね。
>>86 ある種の「囚人のジレンマ」的解でいいの?
限界効用逓減の考えに則れば、資源を平等に配分したほうが全体の効用を最大にできる。
しがたって、古典的功利主義は(少なくともその限りでは)「社会主義」を支持しなくてはならない。
96 :
考える名無しさん:2010/06/12(土) 14:30:24 O
岩波文庫のJ・S・ミル『経済学原理』を復刊希望
97 :
考える名無しさん:2010/06/12(土) 19:49:46 0
「効用の大きさはそのモノの使用によって得られる効果の大きさであり、
究極的には主体の主観的な満足度そのものとされる。しかし、個人の満足には限度があることを知るのは、
知恵の第一歩である。たとえば、人が米を食用に供するのは、それにより空腹を満たすためである。
その場合、夕飯に茶碗2杯分の飯を常用する個人にとって、茶碗1杯分の米では不十分であり、
また茶碗3杯では多過ぎるだろうから、満足の大きさが(過不足のない)茶碗2杯で最大になることは、容易に分かる。
では、満足度によって計られた、米の効用の“客観的な”大きさも茶碗2杯で最大か?と問えば、
通常は「否」という答が返ってくるだろう。<モノの効用>とは相対的な存在であり、一方で主体の目的や性質、
他方でモノの機能や品質によってその質および量が異なるから、
常に「誰にとって、何のための、いかなる状況での効用か?」が指示されなくては意味のない事柄である。
そしてまた、<満足度>という主観的かつ浮動的な効果から計られた効用を、
客観的にも妥当すると主張することはさらにできない、と。
実際「誰にとっても、いつでも、変わらずに有用(つまり常に無用)」なのは貨幣くらいだろう。
しかし逆に、効用とは単に主観的なもので何らの客観性もない、と主張することもまた誤りである。
たとえば、主食としての米の効用が万人にとって普遍的であることには生物学的な根拠があり、
基礎的栄養源としての米の効用とは客観的なものである。
その限り、<茶碗1杯分>という飯の単位は標準的な個人(身の丈)を基準にした米の効用の単位でもあり、
効用の客観性を表している。」by Old-Fashioned Well
98 :
考える名無しさん:2010/06/12(土) 21:09:45 0
功利主義ってリバタリアニズムからもその対論たるコミュニタリアリズムからも批判されてるけど
何で?
個人倫理から社会道徳としてのそれ、はては経済倫理から政治思想としての功利主義まであるからね
功利の評価方法も幾つかあって統一されてるといえないし
リバタリアンの批判の対象としてのとコミュニタリアンの批判の対象としての功利主義が
同一である可能性は低い
>>98 どちらにとってもその産みの親だからかな。親批判は自己確立の条件。
シンジロー いくら口がうまくなったとはいえ
その批判は失敗だな
103 :
考える名無しさん:2010/06/16(水) 00:19:19 0
小さな政府、すなわち
「最小人数の最高幸福を目指す」の言い間違いじゃねーの?
104 :
考える名無しさん:2010/06/18(金) 10:24:54 0
「最大多数の最大幸福」は幸福な者の数が多ければいいというだけの原則だから
6割の極めて幸福な者、4割の極めて不幸な者がいる社会を許容してしまう
105 :
考える名無しさん:2010/06/20(日) 02:56:45 0
それは多数決と解釈していいのでしょうか?
極端な話、100人中51人が残りの49人の虐殺に賛成した場合、
49人を虐殺することが「最大多数の最大幸福」の実現になると。
ミルだけのスレッドが無いので、ここに書く。
ミルは、株式会社の活動における株主の有限責任の法制化に尽力した人として有名。
しかし、一つ疑問に思うことがある。
会社の活動によって他者に対して損害が発生した場合(BP、JR西、チッソのような例)、
被害者に対する責任は、会社法人と従業員個人と連帯債務となると思われる。
この場合に、株主は出資した範囲内での責任しか負わない。
しかしその従業員は個人として会社の活動に参加しているので、「無限」の責任を負う。
従業員は会社の活動によって無一文になる危険性と隣り合わせだが、株主の損害だけは限定されている。
なにか不公平な気がするのだが。
ミルはいったいどう考えていたのだろうか。
>>105 「ベンサム型社会的厚生関数」「社会選択理論」でググってみると面白いと思うよ。
殺す51人の満足が、殺される49人の不満を上回るならば「最大多数の最大幸福」に資する。
しかし、「最大多数の最大幸福」は効用の足し算や比較が可能であるという前提だから、
多数決による政治的決定や自由な経済における市場均衡が、それを実現しているかどうかとは別の話。
99人を虐殺する一人の満足が99人の不満を上回ったり。
とりあえず鶏が殺されることで失われる効用<人間の食べる楽しみの効用ということになっている。
じゃあ「神」を持ってきたら
同性愛者を律法に従って殺戮することで失われる効用<律法を守ることで満足する神の効用なら
宗教的因習からの開放としての功利主義は
110 :
考える名無しさん:2010/07/19(月) 05:19:18 0
>>110 功利主義には功利主義の切り口があると思うんだがな。
話題の一つとしては民主主義を取り上げるのはありだとおもうが。
個人的に今一番興味を持っている思想家がミルなので、
このスレはもっと伸びて欲しい。
>>112 「功利主義の一種」しか話題にしないスレッドは
「功利主義」のスレッドとは呼べないのでは。
民主主義と功利主義の素朴な同一視も無茶だし、
「功利主義の一種」と見なすことが「批判」になるというのもね……
114 :
考える名無しさん:2010/07/29(木) 16:00:41 0
>>113 民主主義を功利主義批判の素材の一つとして取り沙汰されただけで、
そのスレッドのタイトルからして、功利主義の一種への批判ではなく、
功利主義への全面的な批判が主題になっているスレッドだと分かるはず。
つまり、そのスレッドは民主主義を批判しようとしているのではなく、
民主主義の功利主義的側面を批判しているという意味で、功利主義批判が主眼だろう。
功利主義が民主主義をだめにしているというわけだ。
なんでもいいから
書けばいいんだよ
>>114 スレタイにもそのスレの
>>1にも「功利主義」の文言がないのに「分かるはず」とはな。
民主主義→多数決→功利主義
という連想なのだろうが、
SF→スペースオペラ→宇宙海賊
くらいのステレオタイプだと思う。
古典論理学の成立以前には、「論理」という言葉に上記のような連想も含まれる場合があったらしいが。
117 :
考える名無しさん:2010/07/29(木) 21:58:56 0
ならば、功利主義がマイノリティーの排除じゃないということを論証できるの?
>>117 1%の国民が100の利益を得る> 99%の国民が1の利益を得る
普通に、マイノリティの功利の合計がマジョリティの功利の合計を上回る場合が考えられるでしょ。
(ミルやベンサムがそういう意思決定を支持していたかどうかは知らないけど。)
ただ、上記の功利の計算が可能な場合でも、投票によってマイノリティの利益が確保されるとは限らないな。
>>114 > 民主主義の功利主義的側面を批判しているという意味で、功利主義批判が主眼だろう。
> 功利主義が民主主義をだめにしているというわけだ。
せっかくだから、これについても詳しく語ってくれないか?
119 :
考える名無しさん:2010/07/30(金) 23:10:44 0
120 :
118:2010/07/31(土) 09:32:55 0
>>119 自分の想定していたのは、エスニッククレンジングみたいな話。
人口の1%がエスニックだったとして、99%の国民がその絶滅を望んでいる場合。
1%のエスニックがジェノサイドされれば、残りの99%の国民が1の満足を得る。
このとき、ジェノサイドされたエスニックの満足は0(死んでしまうから)
一方で、ジェノサイドされなかった場合、1%のエスニックの満足は100
(死んでも不思議でないところを生き延びたから)
絶滅を望んでいた99%の国民の満足は0。
ジェノサイドが行われた場合の功利は 1%×0+99%×1=0.99
ジェノサイドが行われなかった場合の功利は1%×100+99%×0=1.00
ジェノサイドが行われない方が功利が大きい。
数字は恣意的だが、功利主義がマイノリティの幸福の増大を指向する場合はあると思う。
逆に、もしマイノリティが恵まれた少数派(富裕層など)だった場合には、
限界効用逓減によってマジョリティの幸福のほうが指向される(のだったと思う)
121 :
考える名無しさん:2010/08/01(日) 19:44:20 0
>>118 > 1%の国民が100の利益を得る> 99%の国民が1の利益を得る
極めて稀な場合だね。逆にいうと、その場合にしか功利主義はマイノリティの利益を擁護できない。
>>120 > 一方で、ジェノサイドされなかった場合、1%のエスニックの満足は100
> (死んでも不思議でないところを生き延びたから)
死んでも不思議でないところを生き延びたからってww
とするなら、99%の国民からすれば、1の利益を得ても不思議はないのにそれが叶わなかったから
マイナス1ポイントとなるんじゃないかな。あるいは1の利益では少なすぎることになる。
> 逆に、もしマイノリティが恵まれた少数派(富裕層など)だった場合には、
> 限界効用逓減によってマジョリティの幸福のほうが指向される(のだったと思う)
唯物論的にはそうなる。しかし功利主義はそれを前提にしないでしょ?
幼稚な議論してるんだな
123 :
考える名無しさん:2010/08/19(木) 14:51:33 0
ミルが主張した、対立意見にそれぞれ真理が分有する場合(これを
俺はミルの「真理分有説」と命名するが)を仮定した議論という
のがあらゆる分野で浸透すれば、論争勃発時の意見調整は敵対的でなく
穏健かつ友好的に出来るかもしれない、とつい楽天的に考えてしまう。
>>123 その「真理」って、科学的な真偽の話題じゃないよね?
政治の場も市場も、命題の真偽ではなく利益の分配を巡って争う場だし。
とはいっても、利益の分配の当否こそ功利主義の話題の真骨頂で、
ミルは、現実の政治の世界で活躍し、経済学者としても一流だったわけだけど。
125 :
考える名無しさん:2010/08/20(金) 21:06:58 0
gg
サンデル教授の『ハーバード白熱教室』見終わったけど、
功利主義を話題にしていた1〜2回目が一番面白かったかな。
功利主義はエキセントリックな結論の出る設問を作りやすいのかw
カントのあたりは余り理解できなかったし、
終盤のコミュニタリアニズムの部分に至っては、設問そのものがクダラネ〜とか思ってしまった。
だいたい、格差を論ずる際に「能力」のことしか話題に出ないのは、学生相手だからか?
資本私有と利潤の正統性について一言も触れられていないではないか。
国政の場で株式会社制度の確立に尽力したミル、
社会を転覆し資本の国有化を主張したマルクス。
そういう所まで発展しうる話がモノスゲ〜矮小化されているような気がした。
政治哲学者の議論ってものすごく荒いから突っ込みどころが多いんだよね
ベンサムの剥製の写真には軽い衝撃を覚えたな。漱石の脳をすぐ
連想したけど見たことはないしw
見てないけど、リバタリアニズムのところとかで所有権について論じられてないのか。
というか能力の私有って論点は生産手段の私有って論点の部分で、
常識的に受けいれられているところだと思うので、そこを批判するのは有効だと思うが。
というか講義の全体的な枠組からいって、
「資本私有と利潤の正統性について」の話は、
よくて脱線、悪ければ蛇足になりそうな気が。
>>129 > 見てないけど、リバタリアニズムのところとかで所有権について論じられてないのか。
もちろん触れられていた。
しかし、利潤が「最初の取得」として正義にかなうとされるのかどうかまでは分からない。
ロックの回でも所有権の話は出た。
しかし、ここでも、自己に対する所有権の中に利潤が含まれるのかは、分からなかった。
但し書き(「他者に十分なものが残されている」)にも触れられていたけど、
この前提だと利潤には、正義が認められないような気がする。
(たとえばエクソンモービルの利潤は、油田を独占的に使用することから発生する)
> というか能力の私有って論点は生産手段の私有って論点の部分で、
> 常識的に受けいれられているところだと思うので、そこを批判するのは有効だと思うが。
資本私有と利潤は、意外に正当化しにくい話だと思う。
論者によって結論が異なる話題だからこそ、是非とも触れて欲しかった。
自分のミルに対する関心が株式会社制度のことに偏っているから、なおさらそう思う。
>>130 確かに。
講義は、正義とその対価が別の次元として論じられるような枠組みだったから、
資本私有の話題に触れると、正義と対価の関係を認める立場に偏ってしまうのかも。
つうか、少数派がジェノサイトされるような恐怖社会は
マジョリティにとっても不快だろ。
反功利主義者はなぜそれ無視するんだ
133 :
考える名無しさん:2010/09/02(木) 06:29:17 0
恐怖社会での恐怖はマイノリティにとっての恐怖でしかない。
マイノリティがいなくなっても新たなマイノリティが出来るのでなく、マジョリティが残るだけ。
つまり恐怖がなくなるだけだ。まさに理想郷だろ。
マイノリティの排除がマジョリティにとっても不快になりうるとすれば、
マジョリティがマイノリティに転落するという仮定がなくてはならない。
しかし、マジョリティはマジョリティである限りマイノリティであることはない(言葉の字義から自明)。
マイノリティに転落した(ように見える)者は実は最初からマジョリティでなかったというだけだ。
だから、マジョリティがマイノリティをジェノサイドすることに何の不快感も抱く必要は全くないろ。
全ての人間は何らかの意味でマイノリティ
為政者の都合でなんとでもなる。
マイノリティという理由だけで殺されるんじゃ、
どんな理由で消されるかわからん。
少なくとも、マイノリティになる事を恐れなくてはいけない社会。
イジメの標的になるのが怖くて、イジメに参加する子供みたいなもんだ
具体例を挙げれば、異端審問でも、言論弾圧でもいくらでもある。
村八分でも名誉殺人でもいい。
こういう同調圧力の恐怖から自由になるろうというのが自由主義だろうし、
人権を尊重する先進国が比較優位を持ってる点だろ
つまりはマジョリティだから絶対安全ということはないし、
そういう理不尽に巻き込まれなない事が現代に生きる俺達に取って
必要最低限の権利。
社会の「多様性」そのものに固有の価値があるという理由で、
アファーマティブ・アクションを支持するのも功利主義だそうだ。
サンデル教授の番組で言ってたような気がする。
「公平」に固有の価値があると言えば、
功利主義の立場からアファーマティブ・アクションを批判することも出来るけど。
>>134 独裁国家の場合は、むしろ、マジョリティの側がジュノサイドされる可能性もあるわけか。
バーナード・ショーの言葉を思い出す。