939 :
私:2009/11/24(火) 20:01:24 0
『超多神教』の世界では、存在を許されるのでは?
一人の一人の神の世界。一神教のような全知全能の神はいなくても、「私」限定の神の存在は「私」以外誰も否定できない。
これだと、人が自分を神だと勘違いする理由も解明できます。
同時に、多神教の世界観も解明できます。
実は勘違いしていただけで、多神教であり、一神教だったと言うだけで、
様は『神』というモノの見方の違いなのでしょう。
多神教の神は、神というよりも妖怪に近い存在だと思うんだよね。
つまり、何か不思議だったり、人知が及ばない事象に識別子を与えて
安心するためのの存在。そういう視点で見ると自分の中に
神を見るというのは、自分で理解できない自分(の行動や能力)を
飼いならすための道だったりするわけだ。
神は定義によりいくらでも存在しどこにもいない。
神は人間の定義の上にいるしその中にはいない。
格ゲー五神(提唱者ヌキ)
ウメハラ、ヌキ、ハイタニ、ときど、sako
神?
先週錦糸町でいっしょに飲んだよ
神 御社宮司様 洩矢諏訪子 樋口加奈子
945 :
考える名無しさん:2009/12/08(火) 09:35:03 0
もう終わりだが捕手挙げ
俺は今度の金曜、西新宿と神と飲むけど
おまいらも来るか?
947 :
考える名無しさん:2009/12/08(火) 13:59:46 O
>>946 宝くじで高額当選するようにお願いしといてくれ
さて人の生活の有り様はその宗教に依存して宗教は哲学をわかりやすくしたものだ。
神は宗教の源であり有形無形を問わない。
人はなぜ生きているのか。 カラスや鳩は人が近づくと逃げるのはなぜか。 生きていたいからだ。
生きていたいから危険から身を遠ざける。
心と体を構成する物質とは別物?いや体を構成するものが組み合わせられて意識が形作られる。
死とは?意識を維持することができなくなることで体の損傷が大きいことを意味する。
死んだ後はどうなるか?意識を編み出していたものが拡散して大地や大気に帰るだけで何も残らない。
だから私は声を大にして謂うのだ。
今できることをやりたいことを気が済むまでやり抜け。
美味しいものはすぐ食べろ。
善行は己のためにやれ。 人のためになるのは副産物だ。
まず己のためだけに生きろ。それができたら余った力を周囲に分けてやれ。
悪党の生き方は本能に正直な生き方だ。
昔の人はよくわかっていた、「憎まれっ子 世にはばかる」「美人薄命」とな。
950 :
NAS6 ◆aoxOJEA26M :2009/12/16(水) 00:12:32 0
哀戦士♪井上大輔
哀 かなしみの哀
いまは 残るだけ
名を知らぬ 戦士を討ち
生きのびて 血へど吐く
疾風(はやて)のごとき 死神の列
あらがう術は わが手にはない
(´o`)
952 :
考える名無しさん:2009/12/20(日) 11:18:10 0
サンタ・クロースっているのでしょうか?(1/3)
以下のようなお手紙を頂き、何はさて措き早速、喜んでお答えい
たします。と同時に、誠実な心を持つ著者がサン新聞社一同を友達
と思い信頼して下さった、ことに大変感謝しています:
編集者さま:
私は八才です。お友達は、「サンタ・クロースはいないよ」
と言います。
お父さんが、「サン新聞社がそう言うなら、そうなんだろうね。」
と言います。
どうぞ、本当のことを教えて下さい、「サンタ・クロースは
いるのでしょうか?」
バージニア・オハンロン
西95通り 115番
バージニアさん、お友達は間違っています。みんな、疑う時代の
疑い病に慣れてしまっているのです。自分に見えることだけしか信
じません。心が狭くて、分からないことは無いこと思っているので
す。バージニアさん、そのような人は大人であっても子どもであっ
ても、心が狭いのです。真実と知識の全てを分かることができる知
恵や人を取り巻く広い世界に比べ、我々のこの大きな宇宙で、人は
知恵において虫や蟻にすぎません。
953 :
考える名無しさん:2009/12/20(日) 11:19:10 0
サンタ・クロースっているのでしょうか?(2/3)
そうです、バージニアさん、サンタ・クロースはいるのですよ。
愛や広い心や敬虔さと同じ様に、サンタ・クロースは確かにいます。
愛や広い心や敬虔さは、あたの人生を美しさと楽しさに満ち溢れた
ものにしていることをあたなたはよく知っていますね。サンタ・ク
ロースがいないなら、ああ、世界はどんなに寂しくなるでしょう。
バージニアがいなかったら、どんなに寂しくなるのかと同じです。
子どもらしい誠実な心がないなら、そうなればこの現実に耐えられ
るようにしてくれる詩や物語もなくなります。我々は楽しみを持て
なくなり、ただ感覚と視覚的なものだけになってしまうでしょう。
子どもらしさがその光明でこの世界を満たしていた、その永遠の光
も消え失せてしまいます。
サンタ・クロースがいるって信じない、ですって! 妖精がい
るって、信じないというのと同じです。クリスマス・イブに煙突み
んなを見張りサンタ・クロースを捕まえ証明しようと、人を雇って
とお父さんに頼んでみるのもいいのですが、その人達が降りてくる
サンタ・クロースをだれも見なかったとしても、それが証拠になる
のでしょうか?だれもサンタ・クロースを見ていませんがサンタ・
クロースがいないという証拠にはなりません。この世界でもっとも
現実的なものは、子どもにも大人にも目で見ることができるような
ものではありません。芝生で踊っている妖精を見たことがありまし
たか?勿論ありませんね、しかし妖精がいないという証拠にはなり
ません。誰かが、この世界で目に見えなく探すこともできない不思
議なこと全部を思い付いたり「存在しないもの」を思い描いたりし
たのものではありませんし、そんなことのできる人はひとりもいま
せん。
954 :
考える名無しさん:2009/12/20(日) 11:20:07 0
サンタ・クロースっているのでしょうか?(3/3)
赤ん坊のガラガラおもちゃをこわし、内側で音を出しているのは
何かを目で見ることはできます。しかし目に見えない世界のベール
は、一番力持ちの男でもまた今まで生きていた力持ちが集まっても、
引き裂くことができないものです。信頼・想像力・詩・愛・物語だ
けがそのカーテンを上げ、その向こうに在る素晴しい美しさと輝き
を見せありありと描いてくれます。それ全部、事実なの? オー、
バージニア、この世界でこれほど真実で長くつづくものは、他には
ありません。
サンタ・クロスはいないって! ありがたことに、彼はいて、ま
た永遠に生きています。バージニアさん、今から千年も、いや今か
ら一万年の十倍も子どもの心に喜びを与え続けるのですよ。
サン新聞編集者から。 9月21日1897年
955 :
考える名無しさん:2009/12/20(日) 22:24:20 O
神ってやっぱり人間の
不安や悩みや悲しさを解消するために
人間が発明したものでしょ。
だって神を信仰してる人って皆こんな感情を
神のところに持っていって捨ててるでしょ。
人間が発明したゴミ捨て場が神
956 :
し:2009/12/20(日) 22:31:06 0
いやそうではなくてセミナー案内のメールでもながしてもらえれば
話は早いのだが。なにせ前に出てもいつもろくなことはないからね?何もわからないことだらけだしね。
神が居るとするならあなたの心の中です。
958 :
考える名無しさん:2009/12/20(日) 23:39:08 0
神とは全ての集合体。その中では何かが生まれても消えても、何かが有っても無くても何も変わらないし、どうでもいいこと。全ては既に決まっていて、その通りに紡がれていくだけ。人間は人間であるが故つまらなく思うだろうが、俺はそう思う。
959 :
考える名無しさん:2009/12/20(日) 23:50:04 0
>>955が言うような心理的な要請としての神は多分幻想だろうし、
>>958が言うような形而上学的な神は、まあ好きなように定義したらいいけど、
結局単なる概念に過ぎないでしょ。そういうものではない本当の神は、
いないのか、あるいは我々の手も眼も届かないところにいるような・・・。
レスする奴は「神」を定義してから書け
961 :
考える名無しさん:2009/12/21(月) 04:49:35 O
神とは世界を私にみせている意図
だれが
963 :
考える名無しさん:2009/12/21(月) 10:04:22 0
アキレスと競争しても負けない
シードマスター説ってあるけど細胞、生命の源を創造したやつが
いるのかもしれない。いるとするならばそいつが神だろう。あ
>>964 神は異界にいるのであって現世にはいない。
967 :
考える名無しさん:2009/12/22(火) 10:45:24 0
神はすべての原子に宿っている。
つまり、この世界は神で成り立っている。
という考えをどこかで読んだような気がしたが、
なんとなく納得した。
>>968 ならない。少なくともカトリックの神は存在そのものを含んでいるし、進化論も否定されない。
970 :
考える名無しさん:2009/12/22(火) 13:36:10 O
そもそも麦は死んで無いしぃ〜
971 :
考える名無しさん:2009/12/22(火) 19:16:26 0
>>965 異界なんてねーよ。俺らが居る世界も、いわゆる異界と呼ばれる世界も同じフィールド上にあるよ。あんたゲームのやりすぎ
>>959 神なら毎日見てるだろが。あんたの目の前のもの一つ一つがその一部だよ。
そもそも、居るとか居ないとかで表現出来るものなのか?あんたが言う本当の神とは、あんたが勝手に頭の中でボディーという有限の囲いをつけたあんただけに有効な神だ。
体があるのなら、むしろ神というより仏に近い存在だろうよ。
>>969 つまり進化は事実と言うこと?
進化は物理現象なのだが、カトリックは人間の出現に神が関与していないと言うことでOK?
カトリックはよくわからんが、米国のクリスチャンは進化論を強く否定するよね。なんでかな。
>>973 >つまり進化は事実と言うこと?
進化は多分正しいだろうという立場だが、カトリックはそれが正しいことを主張はしない。
科学が間違っていることは多々あるので、それには立脚しないってこと。
>進化は物理現象なのだが、カトリックは人間の出現に神が関与していないと言うことでOK?
カトリック的には物理現象自体が神の作用の一部なので、
物理現象が人間の出現に関与しているのであれば、当然人間の出現には神が関与していることになる。
>>975 >物理現象が人間の出現に関与しているのであれば、当然人間の出現には神が関与していることになる。
ほとんど汎神論だね。
で、そうだとするとその神に人格的な意思や意図はあるの?
進化が物理現象だとすると人類の出現は偶然で、アダムの原罪も、イエスの犠牲による救済も意味がなくなると思うのだがどうよ。
冬休みか。
神はそうみたい者の処にそう見たいように現れる。 でいいじゃん。
( ゚д゚ )
_(__つ/アッ禁 ̄/_
\/ 規制 /
 ̄ ̄ ̄
<`∀´>
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ 解除 /
 ̄ ̄ ̄
神の客観的物理的実在を認める人っているの?
>>976 >ほとんど汎神論だね。
実際その通りで、カトリックでいう「神」は、汎神論的に見えるペルソナを持っている。
その上で「汎神論」ではないというのは、「それだけではない」ということ。
>で、そうだとするとその神に人格的な意思や意図はあるの?
宇宙の中に、人間が居る以上、「人格的な意思や意図」は集合論的に存在するわけで、
当然、神にもそれは存在することになる。
>進化が物理現象だとすると人類の出現は偶然で、
神を持ち出すまでもなく、条件を満たせば出現するという「必然」になる。
そもそも「偶然」というのは、事象の原因に対する無知によって主観上に存在するものに過ぎない。
>アダムの原罪も、イエスの犠牲による救済も意味がなくなると思うのだがどうよ。
全然そんなことはない。
人類が歩んできた罪と贖罪の歴史、および倫理観を象徴的に示すものとして意味はある。
>>979 いるよ このまえ戸越銀座で買い物してるとこ見たもん
982 :
考える名無しさん:2009/12/25(金) 00:53:17 0
>>980 >実際その通りで、カトリックでいう「神」は、汎神論的に見えるペルソナを持っている。
>その上で「汎神論」ではないというのは、「それだけではない」ということ。
よくわからんが、汎神論の神と人格神と2つの側面を持つということか?
汎神論なら人間は神の一部だし、人格神なら人間は被造物で、両立はしないんじゃない?
> 宇宙の中に、人間が居る以上、「人格的な意思や意図」は集合論的に存在するわけで、
> 当然、神にもそれは存在することになる。
「集合論的」という部分がいまひとつわからんが「神=宇宙」で「人間∈宇宙」で「人間は人格的な意思や意図を持つ」から「神に人格的な意思や意図を持つ部分がある」ということ?
それって部品が人格を持つわけで、総体としての人格なんてないよね。
> 神を持ち出すまでもなく、条件を満たせば出現するという「必然」になる。
> そもそも「偶然」というのは、事象の原因に対する無知によって主観上に存在するものに過ぎない。
決定論か。
物理学的な見方では、全ては因果関係で成り立つというのはその通りだ。
量子論を考慮すると厳密に将来を予想することは不可能だが、それは世界が因果関係で成り立つことを否定するものではない。
しかし、ここで言う偶然は意図されたものではない、と言う意味だ。
創世記の記述では人類は他の生き物と共に神の意図で作られたことになっているが、人間を含む生命が神の意図の結果として作られたのか、勝手に出現したのかどっちなのさ。
> >アダムの原罪も、イエスの犠牲による救済も意味がなくなると思うのだがどうよ。
>
> 全然そんなことはない。
> 人類が歩んできた罪と贖罪の歴史、および倫理観を象徴的に示すものとして意味はある。
象徴的な意味があるということか。
しかし、事実関係としてはただの妄想ということになるのではないか?
983 :
テメオコメイト:2009/12/25(金) 01:01:15 0
神など存在しない
>>982 >よくわからんが、汎神論の神と人格神と2つの側面を持つということか?
円柱の影が円であったり、長方形であったりするようなもの。
>汎神論なら人間は神の一部だし、人格神なら人間は被造物で、両立はしないんじゃない?
両立以前の問題。円柱は円でもなければ、長方形でもない。
カトリックの神は、汎神論の神でも、人格神のそれでもない。それらの性質を含んでいるだけ。
>それって部品が人格を持つわけで、総体としての人格なんてないよね。
じゃあ「脳という部品が人格を持つわけで、人間という総体としての人格はない」と主張したいのか?
>創世記の記述では人類は他の生き物と共に神の意図で作られたことになっているが、
あれは単なる神話ですね。「象徴」であることは確かだけど、旧約を本気で信じている奴なんていない。
>人間を含む生命が神の意図の結果として作られたのか、
物理法則は神の意志の一部である。
物理法則に従って人間を含む生物が作られたことを認めるのであれば、それは神の意志でもある。
>しかし、事実関係としてはただの妄想ということになるのではないか?
カトリックはそれが科学的事実だなんて主張してないから「妄想」ではない。
動物があんなことするわけがないとイソップは妄想だと呼ぶぐらい馬鹿げている。
それが一体何を表しているかわからないものには妄想に見えるだけ。
>>984 >じゃあ「脳という部品が人格を持つわけで、人間という総体としての人格はない」と主張したいのか?
基本的な考え方としてはYesだな。
生物システムとしては他の内臓や手足もその一部ではあるが、人格の実態は脳の中の電気的な信号の束だ。
ただ、意識の実態が脳のどの部分までの範囲かといった点になると明確な境界は無いだろうな。
宇宙に人間の脳に相当するような中枢神経システムのようなものがあるとは思えないが、そのようなものがある、という主張ではないのだよね。
>物理法則に従って人間を含む生物が作られたことを認めるのであれば、それは神の意志でもある。
物理現象の結果を全て神の意志とすると、人間にとっての悪(例えば殺人)も神の意志となってしまい倫理的な主張は成り立たなくなるのではないか?
>カトリックはそれが科学的事実だなんて主張してないから「妄想」ではない。
>動物があんなことするわけがないとイソップは妄想だと呼ぶぐらい馬鹿げている。
>それが一体何を表しているかわからないものには妄想に見えるだけ。
つまり聖書に書いてあることは一種の比喩だ、という主張か。
そうだとすると、そこに書いてあるものはただの生活訓の一種に過ぎないものになってしまう。
そもそもイエスの贖罪はいったい何を意味しているのか?
986 :
考える名無しさん:2009/12/25(金) 08:50:39 0
[850] 自画像を描くチェンマイの象の映像です。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2008/04/20(Sun) 06:18:47
副島隆彦から
私も、このチェンマイの象が描く絵に感動しました。
仕付けたらこれぐらいは出来る、ということなのか、それとも、高等動物はこれぐらいの正確な外界認識をもともと
しているものなのか、と自問します。動物行動学(本当は、社会生物学、ソシオ・バイオロジー)の研究者たちが、
実験観察用に飼い慣らしているチンパンジーやゴリラでもこれほどの描写能力は無いでしょう。
私は、人間は、犬猫などの動物よりも劣る愚かな生物である、という、山本夏彦(やまもとなつひこ)翁の思想に
影響されて、ずっと30年ぐらい、そのように考えてきた人間ですから、さらにこの考えを深くします。
人間は、狂った猿である、と本当に思います。動物には、芸能人も、スポーツ選手も、政治家も、王様も、税金
取りも、官僚もいません。
動物は無益な争いはしません。餌を取る為にしか他の動物を殺しません。生活環境の改善と「生命の再生産」
( reproduction of life リプロダクション・オブ・ライフ、子育て、種の繁栄)以外のことには熱中しません。
スタジアムに集まって数万人で観戦や芸能に酔いしれるというような馬鹿なこともしません。
人間が持つ愚か極まりない、共同幻想(=集合的な無意識、イデオロギーや宗教などもこれ ) がありません。
西欧人は、近代(モダン Modern )が、はじまった今から丁度500年前から、「狂気としての人類の近代」を
生きざるを得なくなったのだと、私は判定しています。やめておけばいいのに自己の存在の理由を問いただしはじめた。
>>985 >生物システムとしては他の内臓や手足もその一部ではあるが、人格の実態は脳の中の電気的な信号の束だ。
>ただ、意識の実態が脳のどの部分までの範囲かといった点になると明確な境界は無いだろうな。
意識が電気信号の束だとしても、それは電子側なのか、回路側なのという問題もある。
電子を他のものに移せば、意識そのままが移動するかと言えば、そうではない(正確にはそうでないように観測されている)。
別の電子を流しても同じ人格が現れることから、回路側(器)に人格があると言える。
しかし、回路に電子を流さないと意識も主体も表れない。よって主体は電子側に存在する。
君は「意識」を「人格」を区別しないで、いい加減に言葉を使っている。
>宇宙に人間の脳に相当するような中枢神経システムのようなものがあるとは思えないが、
>そのようなものがある、という主張ではないのだよね。
宇宙自体が「脳」であると主張する。宇宙自体がコンピューティングを行う「脳」であると。
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0502/space.html >物理現象の結果を全て神の意志とすると、
その通り。
>人間にとっての悪(例えば殺人)も神の意志となってしまい倫理的な主張は成り立たなくなるのではないか?
倫理は人間側(各個人)にあるものに過ぎない。
>つまり聖書に書いてあることは一種の比喩だ、という主張か。
>そうだとすると、そこに書いてあるものはただの生活訓の一種に過ぎないものになってしまう。
そこは「ただの」ではなく、膨大な年月の経験から抽出された「人類の至上の生活訓」ということになる。