1 :
考える名無しさん :
2008/05/08(木) 21:07:13 0
2 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 21:12:25 0
>>前スレの1000
「信じすぎ」で意味が分かりにくいなら
「擁護しすぎ」と言えば分かるだろう。
もっとも
>>972 は擁護の域を超えている。あそこまでいくと
擁護ではなく信じている、と言った方が適当だ。解釈に無理がありすぎるからな。
実在の話を物理といったり、CGの例を持ち出したり、
しまいには、人間が作り出したに過ぎない数学を根拠にしている。
これは何も知らずに反論してるのがバレバレ。
3 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 21:58:59 0
なんというか 「思考実験」 という概念は一般には理解されにくいのかな。 だいたい、どんな内容のものでも 2ch で、「思考実験」を持ち出すと、 本質的な議論以前の段階でトンチンカンなところで難癖をつける奴が 群がり出てきてスレが荒れまくって人が離れて立ち消え・・・・ってパターンになるんだよな。
4 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 22:01:40 0
きちんとした設定をせずに、単なる空想と、 「何となくそうなりそう」という予想の組み合わせを 「思考実験」って呼んでも、誰も理解しないのが当然。
>>3 こんなところでばかを相手にするだけ時間の無駄だよ。
クオリアのことかー!!!
7 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 21:13:10 0
そもそもなんで水槽の中の脳の話が出てきたの?
例えば、腕が「痛い」と感じる。 しかし本当に痛いと感じているのは脳である。 しかししかし、脳に「腕が痛いと感じろ」と命令を 出しているのは腕である。脳だけで「腕が痛い」と感じられるのか? 痛みの入力装置として腕が必要ではないか? ーーーーーーーーーーー ↑ざっとまとめると、これが『水槽の脳』への疑問
9 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 23:21:56 0
幻肢痛は?
>>8 ええと、「腕は必要ないのではないのか?」という問題提起が『水槽の脳』という思考実験で、
「腕が必要ではないか? 」というのが、あなたの「『水槽の脳』への疑問」ということだよね?
実際は脳が痛みを感じるのに使われる大量のエネルギーを供給する体外活動を行っている器官が腕だから それだけだったら現実と乖離した言葉遊びの次元に近いと思われるよね
12 :
考える名無しさん :2008/05/12(月) 04:16:03 0
幻肢痛
幻肢痛も入力が無いわけじゃないんじゃないの。 それまで腕と繋がっていた神経が残ってるわけで。知らんけど。
幻肢痛は、本当に痛みなの?もし物理的なものを重視するなら、物理的には腕がないのに、 腕が痛いなどということはおかしい(せいぜい、「腕の痛みに似た変なもの」があるだけ) と考えるほうが筋が通るのでは? 逆に、幻肢痛も痛みだと認められるのは、物理的なものが第一なのではなく、まずは当人が 痛みを感じる(と言っている)のが第一だ、ということが暗に前提になっているんじゃないの? と適当なことを書いてみる。
腕は必要ないんじゃないかな 腕の感覚を司る脳の部分に刺激与えればいいんでしょ? 最初から腕がない場合はどうなのか知らないけど。 なくなった筈の手とかの痛みを感じるってのは、その痛みが起きた時に関係する記憶や感覚が起きた時、脳神経が連動して痛みを感じさせるんじゃないかな トラウマのフラッシュバックみたいな… アンビリバボでやってたけど、片手無くしたひとが、鏡に無事な方の手を映して動かしそれをみていると、無くしたはずの手が戻ったかのような感覚がするらしい。その発見を何に活かしたかは忘れた。義手だったかな
いずれにしても神経を通じて脳に「腕の痛み」を感じさせる電流を 入力する器官(機関)が必要なわけでしょ。 生身の腕でも機械でもいいし、記憶をフラッシュバックさせるような 視覚的情報でもなんでもいいんだけど。
>>11 >大量のエネルギーを供給する
腕が必ずしも必要ない、というのは、そういうもの(エネルギーとか)が必要ない、と言う意味ではなくて、
それ(エネルギーとか)を脳に供給するのは、他のもの(人工臓器とか)でも代替可能じゃないか?
つまり、必ずしも、腕じゃなくてもいいのではないか?
と言う意味。
「ものすごい高度な科学力」という前提に頼ってる思考実験ではある。
いや別に高度な科学力とかじゃなくて、脳が痛みやクオリアを感じるには 生身であろうが機械であろうが身体、或いは外部性は必要だよねという話。
そうじゃない思考実験なんてあるのか? 「双子のパラドックス」とか、「ラプラスの魔」は今のの科学力で実現可能なん?
ちょっと思い付いたのだけど… 1.ある人Aの前に、白いボールを置くと、Aが「白いボールが見える」と言った →これは普通に見えたのだろう。 2.Aの前に白いボールなどないのだが、Aは「白いボールが見える」と言った これは普通に見間違いあるいは幻覚だろう。 では、3.Aの前にボールはないが、Aの脳状態を操作したところ、「白いボールが見える」と言った →これは、見間違いあるいは幻覚のほうだと考えていいの? そうでないとしたら、どう考えればいいの? さらに、4.Aの前にボールを置いたが、同時に、Aの脳状態も操作したところ、「白いボールが見える」と言った →これは、どう考えればいいの?
脳に障害があるとは考えないのかな。
23 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 11:10:40 0
>そうでないとしたら、どう考えればいいの? そうなるように脳を操作したと前提しているじゃないか? お前の脳がぼけてるとしか思えない。
痛みでなくて視覚だったら? 夢の場合は、対象も光もないし目もつぶっているのに視覚のクオリアはあるだろ。 (痛みもありえるか?) 脳の中の情報だけで視覚のクオリアは成立するということだろ。 だったら幻肢痛だって同じことではないのか。
>>24 だからずっとその話をしてきてるわけでしょ。
夢・現実・幻覚に区別はあるのか。
で、夢・現実・幻覚にそれぞれズレがあると
クオリアを感じるんじゃないかと言っておる。
なんの違和感も無くいスムーズに意識が流れる、つまりフロー状態ならクオリアを感じていないのではないかと。
26 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 13:32:59 0
>>14 >腕の痛みに似た変なもの
それを幻肢痛というんだよ。
痛みというのは本人が感じるかどうかでしか判断できないよ。
麻酔かけて神経麻痺させておけば「本来痛みを感じるはずの状態」にしても痛みは感じないんだから。
>>19 幻肢痛
幻肢痛は免疫系と同様に 自己の境界を問い直すものとして 80年代にとりあげられてたね。
ほんとおもしろいこと言うよなあ。 幻肢痛は「腕が無い」から幻肢痛なんだよお。 身体が無くなることが条件なの。 ややこしい話なんだが。 腕が4本あるように感じたり3本目の足が痛く感じたとしたらただの幻覚でしょうなあ。
>>23 もう少し説明を書いておけばよかった。
目の前にボールがないのに、「ボールが見える」というのは、見間違いあるいは幻覚ではないのか。
そうだとしたら、脳の操作により知覚を再現するというのは、実は知覚を再現しているのでは
なくて、せいぜい、見間違いあるいは幻覚のような、きちんとした知覚ではないものを
再現するのにすぎない、ということになってしまわないか、というのが思い付いた疑問。
また、もし、脳の操作によって、きちんとした知覚が再現できるのだとすると、では、
きちんとした知覚を生み出すものが二つ同時に(実際のボールと、脳の操作)あったら、
それはどういうことになるのか?
30 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 15:50:10 0
まあまあ。 下條信輔 /〈意識〉とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤(講談社現代新書) まずはこれ読んで。 話はそれから。
>>29 脳を操作する機械がその脳にとっての身体(目)だと言っておるだろう。
脳を水槽に浮かばそうが頭蓋骨の中に入れようが関係ない。
幻覚だろうが現実だろうが外部があろうがなかろうが、入力器官が機械だろうが生身だろうがそんなことはどうでもいい。 問題は脳内で起こっていること、何故ニューロネットワークに電流が流れるとボールのつるっとした質感や 丸い輪郭、重たさが感じられるのかということなんだ。
例えば、光センサーがついていて電池とモーターで常に光に向かって進む機械を想定しよう。 それは光を感じてると言えるのか。
34 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 14:46:27 0
>>33 それは意識があるといえるか。
それはクオリアがあるといえるか。
それは魂があるといえるか。
それは意思があるといえるか。
それは光を見ているといえるか。
36 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 15:07:51 0
クオリアの基礎知識のないヤツはwikiでもぐぐってこい 話しはそれからだb ここはしったかがおおすぎる・・・
なるほど、ここでループするわけか。
38 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 15:14:23 0
>>33 電池とモーターで動く人間が居たらどうなる?
なんらかの身体的障害を負った結果そのようになる可能性は否定できないが。
>>36 「wikiをぐぐる」
ずいぶんまどろっこしい使い方だな
>>33 言えなさそうに思うけどでも、「センサーが光を感じる」とか言い方普通にあるからなあ。
>>31 、
>>32 ようは、きちんとした知覚であるかどうかは、別に関係ない、ということ?
いや、ふと考えてみると、仮に脳の操作とか培養液の中の脳が実現したとして、それは、
そもそも何が実現されたということになるのか、また、実現内容をどう確かめるのか、と
疑問に思ったので。
変な言い方になるけど、Aの脳を取り出して培養し、白いボールを目の前に置いた時と
同様の脳状態にしたとする。しかし、Aは、何せ脳みそだけなもんだから、「白いボールが見える」
などと発言することができないw(もちろん他にも何もできない)
それは、Aが白いボールを見ていると呼べるような状況なの?そうだとしたら、その根拠は?
42 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 19:01:39 0
脳を持つ生物の数だけクオリアがあり クオリアの数だけ答えがある つまりこの場はクオリア討論の試験場である。 クオリア=感覚質←これで理解できないものはないを言っても所詮わからないまま
43 :
考える名無しさん :2008/05/14(水) 19:09:09 0
ちがう言い方をすれば同じものをみているようで 実はそれぞれ微妙に感じ方が違っているかもしれない それが!クオリアなのだ。 クオリアをもつ機械は同じ数値を入力するとまったくおなじ感じ方をするが クオリアもつ生物は誤差を生じることがあるのだよ この文を見てあなたたちも色々な感じ方をしているはずだ それこそがクオリアの働きによるものだと言えよう。 繰り返し言うがわれわれはクオリア試験場のモルモットでしかないことに気がつこうか。
>>41 >しかし、Aは、何せ脳みそだけなもんだから、「白いボールが見える」
>などと発言することができないw(もちろん他にも何もできない)
脳への入力をいじくる技術力があるなら
脳からの出力を読み取ることだってできるだろうよ
ずいぶん細かいことにこだわるんだなきみは
>>41 いや、思考実験というのは、それを実現することには目的はないから。
ぶっちゃけ、「そんなことはできこない」と言い出したら、思考実験なんてなりたたない。
双子のパラドックスの議論をするのに、光速ロケットの実現可能性とか議論し始めたら、
運動の非対称性という結論にはとうていたどり着けないというか、
あさっての方向の話にしかならない。
46 :
41 :2008/05/14(水) 22:28:09 O
>>44 確かに何にこだわってるのか分かりにくいかもしれないので、説明してみる。
私が今このように見えたり発言したりしていることが、実は培養液の脳が生み出して
いるのではないか、という想定は、何となくわかる。
しかし、他人であるAの脳を培養する、という想定は、そのままでは、つまりAの脳みそが水槽に
ぷかぷか浮いて、脳神経の反応とか何とかがみられる、という状況にすぎないはず。これで
何が確かめられるんだろうか。
いわば私とAの脳みそを同一視するとか、私がAの脳みそになったつもりになるとか、そういう
ことをさらに想像してみて、初めて、Aの脳を培養するという想定に意味が出てくるんじゃないか。
他人の脳まで含めて培養液の中の脳という想定を当然にしてしまうのは、つまり、私が今
このように見えたり発言したりしていることが、(細部はともかく)他人にも同様であって、
かつ、脳みそだけになっても同様である、ということを、当然のごとく前提にしてしまって
いるのではないか。本当にそれでいいのか。
というようなことが言いたかった。
47 :
41 :2008/05/14(水) 22:32:26 O
(続き)
まあ当たり前といえば当たり前の前提なので、「アホか」と思われるかもしれないけど…
>>45 というようなことが言いたかったので、別に現実的に脳の培養が可能かどうかと言いたかった
わけじゃないので。むしろ考え方レベルの話のつもり。
>>46-47 そもそも水槽の脳の話ってのは
夢と現実の区別はつくかって話の
過激バージョンなんで、
自分がその水槽の中の脳になってるっていう
立場じゃないと意味が無い。
>>46 >>47 「水槽の脳」に対するアンチテーゼとして、そのことを持ち出すのはなんか変な気がするんだよね。
何でかと言うと、クオリアなんかの議論でまさに、「そういうものを当然のごとく前提にしてしまって いる」
状況があって、「そう前提するなら、このようなことも考えられる」というアンチテーゼとして、
「水槽の脳」というものは提出されたと言う面もあると思うから。
「水槽の脳」は、「当然のごとく前提にしてしまって いる」「そういうもの」についての
問題提起なのであって、それによって、「水槽の脳」が提出される以前に、
「当然のごとく前提にしてしまって いた」「そういうもの」の
本当の意味を考えてみてろ、という話なので、
なんか、そういうことを棚上げにして、何もないところから「水槽の脳」の議論が振って沸いたように言われてもね。
「そういうものを当然のごとく前提にしてしまって いる」状況が無かったのなら、
そもそも「水槽の脳」が提出される必要もなかったんだよ。
50 :
47 :2008/05/15(木) 00:52:05 O
>>48 元の「水槽の脳」については、もちろんそのとおりだと思う。
ひょっとしたら48氏(49氏にも?)に誤解されているかもしれないけど、「水槽の脳」という
想定自体が全くおかしい、などと言いたいわけではないので。
繰り返しになるけど、今の私が実は…という想定は、何となくわかる。ただ、他人までを(さらに脳みそだけの
状態までを)まるでひとしなみに扱ってしまって、何も問題が残らないのだろうか、ということ。
それで、不謹慎なことを思い付いたのだけど、目の前にパトナムが現われたとする。そこで、
脳を取り出し…というのはひどすぎるので、脳を全面的にコントロールできる器具を取り付ける。
そして、器具を取り付けられてむにゃむにゃ言ってるパトナムに対し、「水槽の脳について
説明してください」と頼む(に当たる器具操作をする)。するとパトナムは、器具につながれた
状態のまま、「これこれこういうわけで成り立たない」と説明する。(大変失礼)
さて、パトナムのこの発言は、正しいんでしょうか、間違ってるんでしょうかw
正しい。 パトナムの「水槽の中の脳」の議論はクオリアとまったく関係ないから。
52 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 02:05:34 0
>>42 何故生物限定なの?機械はクオリアをもたないの?
機械にしかわからない。
>>51 それだけでは、理由がよくわからないのだけど…
ここで想定した目の前にいるパトナムは、事実として水槽の中の脳のような状態なんだけど、
それでも議論は正しいの?
>>54 自己レス。
「事実として水槽の中の脳のような状態」というのは、おかしかったかもしれない。
やはり、本当に脳みそだけになってもらって、その脳が、以前に「水槽の中の脳」の議論を
した時と同様の状態になった、という想定のほうがいいかもしれない。
>>54 パトナムの「水槽の中の脳」の議論は「もしも私が水槽の中の脳だったとしたら」と言うところからスタートしている。
そもそも指示論と懐疑論の話なのでクオリアに関する議論じゃない。
>>55 パトナムの「水槽の中の脳」は「水槽の中の」脳なのであって、「脳だけ」なわけじゃない。
パトナムの議論の文脈ではこれはわりと重要かも知れない。
私があれは赤いと言い、あなたがうなずくとき、同じ赤を見て感じているわけだけれども 赤の主観的な現れが一致しているかはわからない。 あなたに見えている赤(の主観的現れ)は、私にとっては青(の主観的現れ)かも知れない。 逆転スペクトルという想像なのだけれど、理解できる? この場合の主観的現れがクオリア。 もちろん、私にとっての赤のクオリアとあなたにとっての赤のクオリアが一致するかもしれない。 つまり、クオリアと感覚は完全にはイコールではない。 感覚から意味内容を取り除いたものだと考えると近い。 脳だけ人間の痛みは腕の痛みではない「腕の痛みもどき」という議論を成り立たせることは可能。 でも、そのことは、脳だけになった場合に、「主観的現れ」が変わることは保障しない。 幻肢痛の例なら、「腕の痛み」ではない、という定義で幻肢痛を感じている人と合意することはできるだろう。 でも、「幻肢痛のクオリア」と「腕の痛みのクオリア」は同じだと言い続けるだろう。 ちなみに上の逆転スペクトルの話の私と貴方は、「5分前の俺」と「今の俺」に置き換え可能だけど この問題は幻肢痛になったり、脳だけになったりしなくても同じなので関係ない。
>>58 推敲ミス
×あなたに見えている赤(の主観的現れ)は、私にとっては青(の主観的現れ)かも知れない。
○あなたに見えている赤(の主観的現れ)は、私にとっての青(の主観的現れ)と同じかも知れない。
○あなたに見えている赤(の主観的現れ)は、私にとっては青を見ているときの青の主観的現れと同じかも知れない。
うーん。クオリアの個別性というやつですか。 そもそも個々が感じてる赤のクオリアは経験からの記憶などによる多少の歪みはあるとしても 概ね同じじゃないと他者との合意はできないんじゃないかという哲学的証明ができそう。 というのも、脳の入力器官としての光を「感じる」視覚細胞が遺伝的に同じシステムなので、 個々のシステムに極端に違いが生じる、赤のベクトルが青のベクトルに変換するなんてことはあり得るのか。 経験してきたことが違うから個性があるんだよね、ということはできても 感じるクオリアが違うから個性があり他者とわかりあえない、他者の痛みはわからないというふうにはならないんじゃないか。
つまり、脳のみを捉える場合と脳に繋がっている神経細胞全部をまとめた場合とでは随分異なる。 脳には可塑性があり個別性が宿るが入力システムは普遍性を持つ。 問題はセンサー部でクオリアを感じてるのかマイクロチップでクオリアを感じてるのか、というあたり。
62 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 11:45:57 0
言葉が複雑なので簡単に要約すると 質感はどこで感じてるのってことね。 脳?記憶?神経細胞? クオリアは所詮は類似記憶の共有なのかしら?
63 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 12:04:24 0
質感は、「質感というようなものが存在するであろう」という知識に従って、 我々が作ってるんだよ。 「どんな感じだった?」と他人に聞かれるたり、自分で思い出そうとしたりするときに、 その必要に応じて、作り上げてるの。
>>63 でも突然質感に気がつくときってない?
お酒飲んでるときにメロンの食いかすがやけになめまかしく見えたり。
おおこれはなんとなめまかしい!と写真を撮ってあとで見てみたらどう見てもただの食いかすにしか見えないとか。
65 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 12:12:22 0
>>63 それがまさにクオリアなのだよ!
クオリアの説明なんて対話すれば7行で十分だ。
形や記憶、物質ではない感覚的なものこそクオリアであろう
意味をはきちがえてるのはワシか?
直接視覚から入ってくる情報と脳が参照する記憶とのあいだにズレがあると 異常を感知して情動系に働きかける、というのがクオリアの正体じゃないかな。 情報は思い出せても情動は思い出せない。
メロンの味はクオリアなのかクオリアでないのか、どっちだ。
メロンが美味しかったらクオリア、水っぽかったらクオリアじゃない。
クオリアメロン味新発売
>>63 逆かもしれない。
世界はクオリアに満ち溢れているのに我々が気がついていない。
現実を見てない、記憶の残像ばかり見ている。
「どんな感じ?」と問われ注意を向けるとクオリアに気がつく。
>>60 >概ね同じじゃないと他者との合意はできないんじゃないかという哲学的証明ができそう。
逆転スペクトルの想定は、まったく同じように行動し理解しあいながらも、クオリアは同じではないかもしれないという想定。
> 個々のシステムに極端に違いが生じる、赤のベクトルが青のベクトルに変換するなんてことはあり得るのか。
脳の構造が同じであってもクオリアが同じになるという「証拠」はない。
脳の構造から主観的質は導ける根拠がないから。
メアリーの思考実験って奴がある。
メアリーという盲目の科学者がいた。
彼女は視覚研究の超天才で脳や眼や光など視覚に関わる物理的な事柄については知り尽くしていた。
赤の波長も脳や眼がそれをどう処理するかも全て知っていたし、
素粒子レベルで記述することさえ可能だった。視覚の文化的側面も理解していた。
欠けていたのは実際の体験のみだった。
メアリーは手術して視覚を手に入れた。そして実際に赤を見た。
「これが赤か。体験をともなわない知識だけからじゃわからないものを得た」
彼女がこう言わない保証はない。
メアリーは自分が実際に赤を見たら脳神経が赤のベクトルをどう実現するか、完璧に知っていたし、
上記の発言含め客観的に見て自分がどう振る舞うか完璧に知っていた。
欠けていたのは主観的な体験だけ。
脳神経の物理的な振る舞いをいくら知っても、その主観的体験がわかるようになる保証はない。
この客観的にわからない側面がクオリア。
メアリーを「視覚をもともと持たない宇宙人が、地球人の視覚のデータを全て得た」としてもOKだし、視覚を嗅覚や痛みに変えてもOK。
もし脳に関わる客観的な事柄から、どんな主観的体験をしているか全く導きだせないなら
脳の客観的状態が全く同じであれば、全く同じ主観的体験をしているはずとは断定できない。
>感じるクオリアが違うから個性があり他者とわかりあえない、他者の痛みはわからないというふうにはならないんじゃないか。
誰もそんなことは言ってない。
おいおい、メアリーは盲目じゃないぞ もうね、アホかと
元論文では白と黒しかない環境で育った人なのか>メアリー
74 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 15:23:48 0
>>71 「これが赤なのか」は「赤」を見たあと、その記憶を元に行っている発言なのだから
体験する前に出てこないのは当たり前だ。
もしそれを「クオリア」というのなら、クオリア=記憶、って事だぞ。
>>71 いやだから、主体的体験としての赤のクオリアは全く同じでないにしても
脳までに到達する視覚細胞と神経細胞のシステムは人類ほぼ共通なので
ニューロネットワークの構造が人それぞれ違うとしても入出力は同じなんじゃないの。
例えば記憶装置だけ取り替えられるロボットがあったとする。 記憶装置はハードディスク、メモリーカード、ブルーレイと様々だ。 記憶装置にそれぞれカメラから赤色を感知して取り込む。 記憶装置は違えど、ディスプレイの出力はやはり赤色になるはず。
メアリーが「これが赤か」と言うことを我々は容易に予測することができる。
>>74 > 「これが赤なのか」は「赤」を見たあと、その記憶を元に行っている発言なのだから
見た後なら「あれが赤なのか」と言うんじゃないか?
「これが赤なのか」は見ているときに言う発言。
体験してから判断するまでの心的プロセスに時間的経過があれば、記憶であると言いたいかもしれないが
この主張は判断の前に体験があるということが前提になるので、自己論駁的。
よってクオリアは記憶だとは言えない。
>体験する前に出てこないのは当たり前だ。
クオリアの記憶が、記憶する前に出てこないのは記憶の定義上当たり前だが、記憶=クオリアには成らない。
赤の視覚に関する客観的事実を記憶しても、それは主観的体験の記憶の替りにはならない。記憶はクオリアではない。
また、意識に現れていなくても記憶はあるわけだが、記憶=クオリアにはならない。
意識に登ったときだけクオリアを感じるとした場合、そもそもクオリア=意識への現象的側面なのだから意識されたものにクオリアがあるのは当り前。記憶とクオリアが同じだという根拠にはならない。
また、「赤を見た」記憶があっても、「赤がどんな体験だったか」思い出せない場合もありうる。
よって記憶とクオリアはイコールではない。
まぁ74の論法でいえば「全ては記憶」といえてしまうだろうね。
>>77 でもメアリーが見ているのが本当に赤なのかどうかはわからないんだろ。
>>80 赤の波長を持った光を与えメアリーもそれを知識として知っている。
>>75-76 その通り。
> いやだから、主体的体験としての赤のクオリアは全く同じでないにしても
クオリアの話をしていたんじゃないのか?
>>77 それもその通り。
ただし、そう予測するのは我々は物理的事実から導きだせない「主観的体験」って領域を信じているので、
「主観的体験」をしたメアリーがそう言うだろうと期待するから。
>>82 信じてるからなのかなあ。
メアリーも我々と同じ身体を持っているから、じゃないか。
他の生物、たとえばハチが見る赤色のベクトルのクオリアは全く想像がつかないが。
>>80 本当の赤かどうかを議論するの無意味。
私が「赤だ」と感じているとき、貴方にとっての青のクオリアを感じていて、私が「青だ」と感じているとき、貴方にとっての赤を感じている想定は、
貴方が「赤だ」と感じているとき、私にとっての青のクオリアを感じていて、貴方が「青だ」と感じているとき、私にとっての赤を感じている想定と、全く同じこと。
どちらが本物の赤のクオリアかを問うことは無意味。
客観的な赤かどうかが問題になるのは、意味内容的側面であって現象的側面(クオリア)ではない。
極端な話、何の主観的体験もなしに「赤だ」と発言したとしても、意味内容的側面は持ち得る。
まあ、いいや。 主体的体験が観測できないからといってクオリアが普遍性を持たないわけじゃないよとは言っておく。 で、クオリアの個別性だがいずれにせよ主体的体験を観測できないのならそちらのほうが怪しくないか。 どう違うのかを観測できない。
>>83 同じような体を持っているから
同じような主観的体験を持つにちがいないって
信じてるんだろ?
>>84 いや本当かどうかはともかく、メアリーが見たそれが他人の見ている
「赤」のクオリアと同じかどうかは、わからないんだろ。
>>83 客観的な物理的事実を全て知ればどんな主観的体験をするかわかるなら、メアリーは体験前からどんな体験をするか知ってることになるし、
ハチの見る赤もわかる。(視覚に関する全ての客観的知識を知っている想定なので)。
わからないと考えるのは、ハチの物理的生物学的事実に還元できないハチの主観を信じているから。
>>86 そりゃまあブラックボックスに赤色のボールを入れて赤色のボールが出てきたら
そのような機構になってるのだろうね。
青色のボールを入れたら青色のボールが出てくるわな。
>>85 逆転スペクトルは、あくまで同じだとは証明できない。こういうことも想定できるって話で
クオリアが人それぞれ違うと言う証明じゃない。
何なら、たとえ、まったく同じように行動しても、神経脳の人間と電子頭脳のロボットじゃ主観的体験も違うような気がするけど
実は全く同じかもしれないみたいな想定も可能。
>>87 イエス
最初からそう言っている。
哲学的ゾンビなあ。 頭蓋骨が空っぽなのに人間の振る舞いをするなら「ありゃま!」だけど ちゃんと脳みそがあって人間の振る舞いをするならそりゃ人間だわな。 頭蓋骨にチップが埋め込まれていたら我々と同じクオリアと言えるかは難しい。
>>87 しかし、そんなことを言い出したら、他人が「色」を見ているのか
どうかさえわからないのでは?
「色」という言葉が共通なだけで、中身は別物かもしれん。
というか、他人の意識と自分の意識の中身に何かの共通性があるかどうか
自体わからんではないか。
93 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 16:54:48 0
>>78 >この主張は判断の前に体験があるということが前提になるので
元々のレスにある話が「体験をした後の話」でしょ。
体験が前提の話だよ。
>赤の視覚に関する客観的事実を記憶しても、それは主観的体験の記憶の替りにはならない。
そりゃ赤を見て無いんだから当たり前だ。
こんなのわざわざ主張するほどの事じゃないでしょ?
サッカーに関してどれだけ知識を得ても、実際にボールを上手く蹴れるわけじゃない。
それのどこに疑問があるの?
もし「クオリアは記憶じゃない」ってなら、赤を見る前に赤のクオリアを感じないとダメだよ。
今更こんな話で盛り上がってるんじゃ ある程度ものを知ってる人は 参加しようと思わないわな。
96 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 16:58:01 0
他人に説明できないということは、自分の知識が足りていないという事だよ。
>>94 ウィキペディア読んでも理解できないはずだよね。
>>93 >もし「クオリアは記憶じゃない」ってなら、赤を見る前に赤のクオリアを感じないとダメだよ。
めちゃくちゃな論理だなw
赤を見た事があり、「これが赤だよ」と教えられていて初めて 「赤のクオリア」を感じる事が出来るわけだね。
>>93 > 元々のレスにある話が「体験をした後の話」でしょ。
> 体験が前提の話だよ。
前提にしちゃ駄目だろ。
>
> >赤の視覚に関する客観的事実を記憶しても、それは主観的体験の記憶の替りにはならない。
>
> そりゃ赤を見て無いんだから当たり前だ。
主観的体験を記憶で説明するのに、その記憶の前提に説明されるべき主観的体験を持ってきては駄目。
> こんなのわざわざ主張するほどの事じゃないでしょ?
> サッカーに関してどれだけ知識を得ても、実際にボールを上手く蹴れるわけじゃない。
> それのどこに疑問があるの?
サッカーに関する全ての客観的知識を知っている人間は、実際に蹴れるようになったとしても、それで何かを知ることはないよ。
どんな角度でどんな速さでければいいか、どこに力を入れればいいか全て知っている想定。
どう筋肉がついていくかどう神経系が調整されるかもわかっている。
わからないかもしれないのは、実際にされを体験することがどういうことかのみ。
赤を見たときに何故その色(RGB237, 26, 61)に見えるのか?ってのがクオリア問題でしょ。 その色の質感はどこから来ているのか、という。 でもこれって白と黒の事を考えればそれほど疑問じゃないよね。 色の話からクオリアを考えるのはわかりやすいようでわかりにくいと思うのだが。 何故色の話が主たる例として使われるんだろう。
>>100 メアリーは脳神経がどういう状態になると赤を認識するのかを知っていた
しかし実際の赤を体験した事がなかったので「これが赤か」となった。
サッカーの話と同じだよ。
いくらどう体をコントロールしたら上手にボールが蹴れるのかを知識としてしっていても
練習しなければ上手には蹴れない。
極々当然の話で、議論の余地が無いぞ。
>>101 単純に何も見えないって状態を、視覚が黒で多い尽くされるものとして想像しちゃうからじゃないか?
視覚自体が存在しない生き物には、そういう想像自体が不可能じゃないだろうか。
>>103 人間以外の生き物の事はわからないが、
人間は明るい(光量が多い)と白く、少ないと黒く、という風にものを認識してるわけだから
そこにそれほど疑問は無いと思うんだよね。
もし人によって白が黒に見えたり黒が白に見えたりするのなら
ある人が「まぶしい!」といって目を細めるところである人が爛々と目を見開いているとか
ある人が「暗くて何もみえない」って言ってるところで「まぶしい!」って叫ぶ人がいたり、と
めちゃくちゃな事になってしまうじゃないか。
>>102 >>100 の答えにはなっていないよ。
メアリーは赤の体験自体を知らなかった。見ることで赤の体験の知識を得た。
サッカーの話は、サッカーの蹴り方を「知った」ことだけで、知識は得ていない。
「知った」の意味が違う。
サッカーの蹴り方を覚える過程で得た全てを、蹴り方を覚える前から全て知識として知っていたという想定だから。
>>105 >>100 は質問には見えないよね。
>メアリーは赤の体験自体を知らなかった。見ることで赤の体験の知識を得た。
サッカーボールは蹴ってみてなきゃ上手に蹴れるようにはならないのさ。
メアリーがいくら知識として「赤とは何か」を勉強したろころで
それが実際に赤を見る代わりにならないのは当たり前だぞ?
それのどこにクオリアの話が関係するのかね。
>>106 >>102 を繰り返しているだけで、
>>105 への反論になってないよね。
サッカーは物理的事実から全て導き出せる。
どんな角度で蹴れば、どう飛ぶか、どう筋肉がついていればどうなるか、どう神経系がなっていればどんな反応をするか。
全て物理的事実。
一方、主観的体験は物理的事実だけから、神経系がどういう状態にあればどんな主観的体験が起きるか、がわかるという根拠はない。
>サッカーボールは蹴ってみてなきゃ上手に蹴れるようにはならないのさ。
サッカーボールを蹴るとはどういうことなのかはわかる。
>メアリーがいくら知識として「赤とは何か」を勉強したろころで
>それが実際に赤を見る代わりにならないのは当たり前だぞ?
「赤を見る代わりになる」ってのが何を指しているか不明確だが、「赤を見る」ことがどういうことかわかるかどうか不明。
あと、「赤を見る」ことがどういうことかわかるか不明といっているのであって、絶対にわからないとは言ってない。
そんなことが断言できるほど、我々は脳については知っていない。
ただ、「視覚に関する物理的事実の全てを知るには程遠い」我々にはとてつもなく想像困難なだけかもしれない。
「飛行力学の全てを知っていても、翼などがなければ空を飛ぶことはできない」と断言できる
物理的不可能性と想像不可能性(と思えるもの)は別種の問題。
サッカーは前者
>>107 >神経系がどういう状態にあればどんな主観的体験が起きるか、がわかるという根拠はない。
メアリーは神経系がどうなれば赤を感じるのかを知っているわけだが。
>>108 その赤を感じるということが、主観的にどういうことであるのかがわからないかも知れないと言っている。
メアリーの話は、孫引きでちょっと読んだだけなんだけど、全然ピンと来なかった。 隣の家は、白黒のものばかりの家で、そこに住んでるAは、白黒しか見たことがないらしい。 そこで、赤いリンゴをプレゼントしたら、「これが赤なのか、初めて見た」と感激していた ようなので、「それはよかった」と答えて、めでたしめでたし… ここのAは、脳神経に別に詳しくないんだけど、それが何か影響するんだろうか? 赤いリンゴを見たことがない人が、「初めて赤を見た」と言ったら、まあ新しい知識を得たと 言っていいんだろうし、ただそれだけのような気がするんだけど… 元ネタに詳しい人にとって馬鹿げた疑問だったら、申し訳ないけど。
>>107 >サッカーは物理的事実から全て導き出せる。
まてまて、ボールを上手に蹴るにはボールを見る必要があるぞ。
>ここのAは、脳神経に別に詳しくないんだけど、それが何か影響するんだろうか? するどころかそこがこの話のキモなんだよ。
>>112 ここのAが、白黒の家の中で、脳に関する白黒の文献を読み漁ったり、白黒の照明の下で(?)
実験を繰り返したり議論したりしたら、メアリーと同様と思われるけど、そんなことを
いくら付け加えたからといって、赤いリンゴを初めて見ることと何も関係ないような気が…
いや、機会があったら元ネタか何か読みます。失礼。
>>113 1.精神現象や社会現象も含め、あらゆる事実は全て物理的事実である。
したがって、全ての物理的事実を知れば、全ての事実を知ることになる。
2.物理的事実を全て知っている人間が知らなかった事実がある。
したがって、物理的事実でない事実がある。
3.1か2のどちらか、または両方に問題がある。
こんな感じの議論だったはず。
115 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 22:52:38 0
>>114 そもそも「物理的事実」が何を意味するか分からない。
物理現象を記述した言語情報が「物理的事実」ならそれは
物理現象ではない。
>>115 物理現象を記述した言語情報が物理的事実なんてどっからでてきたんだ?
117 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 23:07:32 0
>>70 まあ、可能性はあるけど、無駄な理屈。
>>63 で説明ができるんだから、「あるかもしれない」クオリアなんて、
オッカムの剃刀で切り落とされちゃう。
>>116 物理現象を記述した言語が物理現象じゃなくても、物理現象を記述した言語であることにかわりはないなw
120 :
考える名無しさん :2008/05/15(木) 23:18:16 0
>>118 全くそのとおりだから、「オッカムの剃刀」を持ち出してるんだよ。
オッカムの剃刀の場合、その都度「質感」を作っているという想定より、
単に質感があるという想定の方がシンプルだよ。
>>63 は「質感の存在」にさらに「思考する度に質感を製作する」というステップを入れている。
>>121 その考え方だと「神様」という想定を持ち出せば、シンプルにできることはいっぱいでてくるね。
つまり、「従来あることの組み合わせで、説明できる」 ことを、「組み合わせるよりも、別の想定を導入したほうがシンプル」 といえるのなら。
>>63 は以前からあることの組み合わせで何かを説明してるのかよw
>>124 感覚と記憶と論理的思考能力だけで説明できてますが?
つうかそもそも、「従来あるものだけでは説明できない」ということを、 言い出したのがクオリア厨なわけでしょ。 都合が悪くなると逆のこと言い出すのかよ。
>>126 誰も都合悪くなんかなっていないと思うが。
だいたい哲学的ゾンビとか逆転スペクトルを誰にも言われず考え付く子供がたくさんいるのに
「質感というようなものが存在するであろう」という知識に従って作った、なんて想定は事実によって論駁される
>>127 >>63 が肯定しているのは、「質感は、「質感というようなものが存在するであろう」という知識」の存在だけだよ。
>>127 それ以外に何を使ってる?
>>128 >誰も都合悪くなんかなっていないと思うが。
じゃあ、反論する必要ないじゃん?
>だいたい哲学的ゾンビとか逆転スペクトルを誰にも言われず考え付く子供がたくさんいるのに
>「質感というようなものが存在するであろう」という知識に従って作った、なんて想定は事実によって論駁される
でも、哲学的ゾンビとか逆転スペクトルって、演繹的に考え付くもんだよね?
(直感的になにもないところからひらめくものではないよね?)
>>129 >「質感は、「質感というようなものが存在するであろう」という知識」の存在だけだよ。
主語になってるのが質感という時点でアウト。
マジレスすると、「「質感というようなものが存在するであろう」という知識」が何をどうやって作っているか説明できていない。
>>130 >でも、哲学的ゾンビとか逆転スペクトルって、演繹的に考え付くもんだよね?
>(直感的になにもないところからひらめくものではないよね?)
演繹的にも帰納的にも考え付くものじゃないと思うぞ。
それどころか、演繹的や帰納的に説明することさえ不可能。
逆転スペクトルも、哲学的ゾンビも、メアリーもコウモリも、論理だけじゃなくて
第一に相手の直感に訴えている。
少なくとも自分の場合は哲学的ゾンビはふと思いついた。
>>128 >だいたい哲学的ゾンビとか逆転スペクトルを誰にも言われず考え付く子供がたくさんいるのに
>「質感というようなものが存在するであろう」という知識に従って作った、なんて想定は事実によって論駁される
まあ、「神」とか「幽霊」を誰にも言われず考え付く子供もたくさんいるな。
君の理屈では「幽霊の 正体見たり 枯れ雄花」も、そのような事実によって論駁される わけだ。
>>131 >主語になってるのが質感という時点でアウト。
なんだそりゃ。もうヤクザの難癖と変わらんな。
>マジレスすると、「「質感というようなものが存在するであろう」という知識」が何をどうやって作っているか説明できていない。
それが説明できないと、「質感」主語にした時点で、「質感」の存在を肯定していることになるのか?
じゃあ、「念力」や「アストラルパワー」も、君の論理では、存在することになるわけだ。
>演繹的にも帰納的にも考え付くものじゃないと思うぞ。
>それどころか、演繹的や帰納的に説明することさえ不可能。
>逆転スペクトルも、哲学的ゾンビも、メアリーもコウモリも、論理だけじゃなくて
>第一に相手の直感に訴えている。
このポエムに、俺って付き合わなきゃなんないの?
機械はクオリアをもってるの?
>>21 >>92 だから記号論だろ。それテンプレに入れておけよ。
毎回、同じ話題が繰り返されている。
>>132 >まあ、「神」とか「幽霊」を誰にも言われず考え付く子供もたくさんいるな。
クオリアや質感と違って、神や幽霊という概念に触れる機会は多いから、そんな話(現実にたくさんいる)は信じがたいな。
単に「神」や「幽霊」にあたる概念を誰にも言われずに思いつくかもしれない、とかそんな子供がいたという話ならわかるが。
>君の理屈では「幽霊の 正体見たり 枯れ雄花」も、そのような事実によって論駁される わけだ。
残念、論駁されるのは「その幽霊の錯覚は幽霊というものが存在するだろうという知識によって作られた」というものだけ。
>>133 >それが説明できないと、「質感」主語にした時点で、「質感」の存在を肯定していることになるのか?
>じゃあ、「念力」や「アストラルパワー」も、君の論理では、存在することになるわけだ。
「アストラル・パワーは知識によって作られている」ならアストラル・パワーの存在を肯定している文になる。
当たり前過ぎる話。
>このポエムに、俺って付き合わなきゃなんないの?
何がポエムなんなんだか知らないが、付き合う必要はないんじゃないか。
想像可能性論法は、直感に訴えている側面があるのは事実。
メアリーの例にしても、「メアリーが「これが赤ね。はじめて知った」というだろう」という直感に訴えかけている。
この直感を共有しない人にとって、メアリーの話は主観的体験って領域の存在証明にはまるで感じられないだろう。
>残念、論駁されるのは「その幽霊の錯覚は幽霊というものが存在するだろうという知識によって作られた」というものだけ。 ちょっと不正確だな。 「幽霊の錯覚は、幽霊というものが存在するはずだという知識によって生み出される」というものだな。 幽霊という外から与えられた知識なしに霊体験を語る子供がいたとしてだが。 あと、この場合、質感が「質感というものがあるはずだ」という知識から作られる、と同一になるのは 幽霊が「幽霊というものがあるはずだ」という知識から作られる、であって 幽霊の錯覚と質感ではないな。 錯覚ってのは、意識と意識が指し示している対象との相違なので、 意識現象それ自体である質感を錯覚というもので説明するとき、 単に「錯覚」という言葉で片付けるのではなく、錯覚という言葉の再定義が必要になってくる。
まあ白黒メアリーの家の話は実生活でよくあることだよね。 タージマハールの写真や映像で見たことがあるという人と インドに行って見た人とは違うということはわかる。 それがどう哲学的な話になるのか。 主体的体験と言おうが脳に新たな情報が加わっただけなので 5と5+1は違うよねと言ってるだけじゃないの。
139 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 07:27:10 0
>>136 >クオリアや質感と違って、神や幽霊という概念に触れる機会は多いから、そんな話(現実にたくさんいる)は信じがたいな。
>単に「神」や「幽霊」にあたる概念を誰にも言われずに思いつくかもしれない、とかそんな子供がいたという話ならわかるが。
もちろん、そういう意味だが、何か?
>残念、論駁されるのは「その幽霊の錯覚は幽霊というものが存在するだろうという知識によって作られた」というものだけ。
もし、「その幽霊の錯覚は幽霊というものが存在するだろうという知識によって作られた」ものでないとしたら、
なぜ作られた、とあなたは説明するの?
>>138 「脳に新たな情報が加わるだけ」とはどういう意味?
特に「だけ」というのは。
つまり、「タージマハールについての物理的事実」をすべて (建造物やその周囲の空気や光等の環境までを素粒子レベルで) 知り尽くしていて、なおかつ「自分の脳や体についての物理的事実」 もすべて(どんな波長の光が眼に当たったら脳がどう変化するかとか) 知り尽くしていても、 「タージマハールが自分にどう見えるか(感じられるか)はわからない」 ということから、 「タージマハールが自分にどう見える(感じられる)という事実は 物理的事実に含まれない」、という結論を出せるか、ということでしょ。
「想像していたとおりのタージマハールだったよ」とか 「写真で見たとおりのタージマハールだったよ」とか メアリーが「赤なんてとっくに知ってたわ」 ということも実生活ではおおいにあるわけでして。でして。 だから主体的経験がことさら意味を持つわけでもないんじゃないかな。かな。
新しい知識としての情報を得ることと 新しい体験をすることに脳の中で差などあるのかないのか。
144 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 10:14:42 0
見聞きによる知識は現物体験の代わりにはならない。
もちろん情報量の差で言うなら体験のほうが圧倒的に情報量が多いからね。 画質の良いテレビで観るほうが感動は大きい。 一方で逆に体験に知識を乗せてもまたメアリーのようなことがいえるのではないか。 逆メアリー 赤色に囲まれて育ったメアリーだがなぜ世界が赤色なのか知らなかった。 ある日、本を読んでそれが光の波長が物質に当たって変換された色なのだと知った。
>>139 > もし、「その幽霊の錯覚は幽霊というものが存在するだろうという知識によって作られた」ものでないとしたら、
> なぜ作られた、とあなたは説明するの?
どうつくられたのであれ、幽霊の錯覚に先行して幽霊の知識がなければ、後者は前者の原因ではない。
>>142 この話の肝は、物理的な事柄から主観的な体験を導きだせないはずという話なので、
それまでの主観的な体験を元に主観的な体験を想像できても問題じゃない。
>>145 メアリーは「全ての物理的事柄」を知っている前提。
情報量の多さの問題なら、メアリーの物理的事柄に関する知識>>>体験。
情報量の問題ではない。
あくまで主観的な体験に関する知識が「全ての物理的事柄に関する知識」に含まれないということ論理関係が問題。
131さんへ 横から失礼するけど 哲学では当然だったクオリアが自然科学で検討されていくことで どんな影響があると思う?
>>147 主観的かどうかという話じゃなく、単に得る情報の種類が違う、というだけでしょ。
視覚器官を通じて得た情報と、言語として得た情報じゃあ種類が違うのは当然でしょう。
メアリーが知っている「全ての物理現象」というのは、言語を用いて説明されたものに限られるわけだからね。
そそ。 つまり「メアリーの部屋」の視覚の主観的体験もまた感覚器官を通じて電気信号として 情報に変換され脳に到達しているということを考慮していない。 もしくは、知識を得るということもまた主観的体験であるとも言えるわけだ。 知識と体験の違いは情報の量と入力器官の違いだけだ。 その証拠に、SFを読んだだけで行ったこともない星を、実際に体験した過去を思い出すかのようにイメージすることができる。
俺、子供の頃に北海道に行った事があると思ってた。 記憶も明確にあるし、なんの疑問も持ってなかった。 ところが大人になったある日、親と話をしていたら俺は実際には北海道に行っていない事がわかった。 本当は行くはずだったのだが、直前に予定の変更があり行けなくなったんだそうだ。 しかしうちの親も俺が北海道に行ったと勘違いしていたため、家庭内で過去に何度も北海道旅行に行った話をしていた。 その話を子供のころから当然のように聞いていた俺は、何の疑問も持たず自分は北海道に行った事があると思っていた。 しかし俺のなかには今も明確に「北海道に行ったときの質感」が記憶されている。 人間なんて実にいい加減な生き物だな、と実感したよ。
芸能人の格付け番組で、どれが高級ワインか当てるやつがあるがあれなんか見るとな。 味覚とラベルや価格は比例しない。 同じ味でもブランドや価格で主体的体験は変化するのな。
ということで、つまり哲学的にはクオリアも方法によっては物理で扱うことができるということになるわけですー。 決してクオリアは科学で扱えない、科学ではないということではないんですー。
>>153 そうやってなんでも聖書から見つけ出そうとするんじゃないよ。
>>149 基本的洞察としてはおそらく正しいんじゃないかと思うが
単に言語と視覚イメージの違いなら
視覚イメージとして脳等の物理状態の全てを把握していれば、そこにある主観的な視覚イメージも導きだせることになるぞ。
物理状態と主観的な体験の間の推論ギャップはそれだけじゃ消えない。
>メアリーが知っている「全ての物理現象」というのは、言語を用いて説明されたものに限られるわけだからね。
色の経験がないだけだぞ。
>>150 > その証拠に、SFを読んだだけで行ったこともない星を、実際に体験した過去を思い出すかのようにイメージすることができる。
なんの証拠にもならないぞ。
>>155 そこで情動が出てくるわけですよ。
視覚イメージだろうが知識だろうが新しいものを取り入れるときには情動が伴う。
コンピューターなら保存をクリックすればディスクに書き込まれるが
人間は記憶と記憶になかった新しい情報とを瞬時に峻別して情動という
重要さのラベル付けを行い新しい記憶に書き換えるわけだ。
つまり主体的体験には情報+情動が含まれているわけ。
>>156 情動だって脳活動の一種には違いないだろう。
メアリーは情動の変化についてもあらかじめ知っているはずだ。
>>155 >視覚イメージとして脳等の物理状態の全てを把握していれば、そこにある主観的な視覚イメージも導きだせることになるぞ。
もちろん導き出せるよ。
外部から人工的に作りだしたわけではないが、夢はまさに主観的なイメージでしょ。
「クオリアなどは存在しない」という主張があるということで二通りのことが考えられる。 ひとつ目は単純だ 「その主張をしている人間がクオリアという概念を理解できない」 ふたつ目はこうだ 「じつは人類の中には哲学的ゾンビが存在している」 これは衝撃的な事実だ。しかしこれはけっして冗談などではない。 クオリアに関する議論をめぐる、不可解かつ根本的と思われる齟齬は 一方にクオリアの不在を帰属させることで容易に理解できるようになる。 人類の永い歴史の中でいままで気付かれなかったこの事実に初めて光があたることは クオリアの議論が生んだ最も重要な点かもしれない。
>>159 何故人類限定?
機械はクオリアをもっていないの?
161 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 16:54:05 0
赤のクオリアを感じるから赤く見えるのではなくて 赤いものがそこにあるから赤が見える、って考えればいいだけじゃないのか。 わざわざクオリアっていう考え方をもってくる理由はなんなんだ?
>>160 あいにく機械と議論することがないもので
機械が「クオリアなどは存在しない」と主張するところに
立ち会ったことがないんだよ。
163 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 16:56:44 0
>>162 え?クオリアって自己主張でしか存在を確認できないものなの?
あなたは「機械はクオリアを持っていると思いますか?」という質問にどう答える?
>>163 「そんなことわかるわけないだろう」と答えるよ。
165 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 17:00:20 0
>>164 そうか、クオリアってのは存在するのかどうか、わからないんだな。
「あるかもしれない」っていう仮説みたいなものなのかね。
168 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 17:16:47 0
>>159 こういうレス見てると神について語っている宗教家と何が違うんだろう?と思うよね。
神を信じないものは人間じゃない クオリアを信じないものはゾンビ 笑えるw
↑なんかぶつぶつ言って笑ってるよ。 ちょっとこわい・・・
>>170 神なんて信じなくたって人間だけど
クオリアを感じないのはゾンビだろ。
信じるとか信じないなんてのは意味がわからないが。
機械がクオリアを持っているのかはわからないけど
クオリアをもっていない人間は人間として扱わない。
こういう主張をしている人はクオリアというものについて自分ではどこまで理解しているんだろう?
質問をされても「わからない」というのに、じゃあクオリアってよくわからないものなんだね、といわれるとゾンビ扱い。
いったい何が主張したいんだろうか。
>>172 俺はクオリアなんて感じて無いけど、ゾンビだったの?
それは困ったな。
しかし他人を勝手にゾンビ扱いするって、ずいぶん失礼な話だよね。
>>173 そうかきみはゾンビだったんだね。
でもべつに悪いことではないんだから
気を落とすことないよ。
これからもがんばってね。
>>159 だからさ、あなたの言いたいのは「気持ちはわかる」なんだよ。
気持ちはとても良く分かる、がしかし、あまりにも非科学的なんだ。
それに、人類史の中で今まで気付かれなかった訳ではない。
再三、話題に上っている。だけど今回の話題で何かが進歩したかと言うと
これといった進展がある様には思えない。
176 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 18:29:43 0
>>146 そんなことはわかってるよ。
だから、「どう説明するのか?」と聞いてるんだよ。
>>173 「神の言語を見聞きしているはずです」→「信仰が足りないと神の言語に気付かない」
「クオリアを感じているのです」→「感じていないのなら哲学的ゾンビ」
完全に形態しかありませんから、↓応用してこんなのでもいいよ
「魂を世界と呼応させることで世界を知れる」→「世界が分からないのは魂が未熟だから」
>>175 そりゃ非科学的だろうね。哲学なんだから。
べつにクオリアも扱えないような自然科学にこだわる必要もないだろう。
自然科学の内部での方法論的反省はこれからだろうけどね。
クオリアは哲学史では再三登場しているよ。
自然科学で進展がないのは知ったことではないな。
179 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 18:35:20 0
「クオリアを感じていない」と自分で言うなら、それは哲学的ゾンビではないよ。
>>175 >>178 科学がクオリアを「扱わない」ことと、科学の「進展」は関係ない。
科学がどれほど進展しようと、クオリアが科学の形式を備えない限り、永久に、科学はクオリアを「扱わない」。
で、科学が扱わないからといって、「クオリア」が否定されるわけではない。
単に「そういう種類の問題ではない」というだけのこと。
逆に、「クオリア」を「扱わない」からといって科学を非難すべきものでもない。
>>180 もちろん科学はクオリアを「扱わない」が
扱おうとしたところで「扱えない」んだよ。
>>174 で、何が主張したいの?
クオリアを感じてる人は人間で、感じてない人はゾンビ。
そう定義してるんだよね?それは何のため?
そこから何が生まれるの?
>>181 どんなものでも「扱わない」ものはたいてい、無理に扱おうとしても「扱えない」のは当たり前だね。
別に科学とクオリアに限ったことではない。
>>181 科学で扱えないとする根拠が貧弱すぎる。
自分が見ている赤がなぜその色の質感であるのかは絶対にわからない、というのはただの決め付けだよ。
その質感に意味がある、という人間の勝手な思い込み。
>>182 >で、何が主張したいの?
ゾンビだって幸せになれるよってこと。
あ、幸せを「感じる」ことがないから無理かw
>クオリアを感じてる人は人間で、感じてない人はゾンビ。
>そう定義してるんだよね?それは何のため?
物理主義を批判するためだよ。
>そこから何が生まれるの?
物理主義以外の可能性。
>>185 勝手に自分で定義していいならなんでもありだなw
クオリアを感じてるってやつは哲学的ゾンビ、って定義されたらどうするのよ。
>>186 おれが定義しているわけじゃないんだけど。
そんなことも知らないでよく議論に参加してるなw
>>187 もちろんそんな事は知っているよw
「哲学的ゾンビ」という定義を使う人としての貴方に対してレスをしてるだけだよ。
>>188 じゃあ
>勝手に自分で定義していいならなんでもありだなw
は意味不明だな。
>>159 クオリアがあると主張する哲学的ゾンビも考えられる
ワケワカラン。
191 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 19:22:55 0
哲学的ゾンビという概念がもっとも不可解でありえない概念だね。
192 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 19:24:50 0
>>186 で、「哲学的ゾンビ」の定義は、その場合どうなるの?
ありえるかありえないかじゃなくて 想像できるかできないかの問題
194 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 19:52:58 0
>>193 想像できない物事もあるという世界観かな?
>>189 いや、まさに書いたとおりの意味だが。
「哲学的ゾンビ」という定義を使っている人たちは
「哲学的ゾンビ」という定義を勝手に作り出しているわけだからね。
そちら(哲学的ゾンビという定義を用いている人達)は勝手に定義を作ってよくて
こちら(用いていない人達)は定義づけをする事が許されない、なんて事はないよね?
別の定義をするというのは、元の議論とは別に新しい議論を始める、って意味しかないと思うが。
>>194 それは「物事」の定義によるわな
哲学的ゾンビについては、そういうものが想像できれば
それだけで議論は進められる。
>>195 「哲学的ゾンビ」という概念とそのもととなった思考実験は
多くの哲学者の間で意味のあるものとされ検討され続けているよ。
批判するのはかまわないけどそういった文脈をちゃんと踏まえてね。
それとは別に君がクオリアをもつ人間を「哲学的ゾンビ」と定義するのはけっこうだけど
その概念を使った思考実験が哲学的に魅力のあるものならみんながそれをめぐって
議論するんじゃないの。
>>198 もちろん「クオリア問題」を考えている哲学者はたくさんいるから
多くの哲学者が「哲学的ゾンビ」という概念について考えている。
しかしそれがだからといって「意味のあるもの」とは限らないんだよ。
もしあなたが「意味がある」と思うなら、そのあなたの思う意味を教えてくれないか。
「他の多くの哲学者」といっても、彼らの多くはここには居ないんだから。
>その概念を使った思考実験が
もし「哲学的ゾンビ」が「思考実験」であるなら、相手の事を「ゾンビ」と呼ぶのはダメだね。
思考実験の枠から外れすぎだよ。
ある程度連続してレスしてる人はコテハンつけたら? 数字コテでもいいから
>>199 きみが
>>188 と同一人物なら多くの哲学者たちがなにゆえに
哲学的ゾンビの思考実験をめぐって議論しているのか知っているだろう。
彼らとおなじように意味があると思っているんだよ。
同一人物でなかったら
「哲学的ゾンビ」をぐぐってくれ。そこまで面倒見きれん。
>もし「哲学的ゾンビ」が「思考実験」であるなら、相手の事を「ゾンビ」と呼ぶのはダメだね。
>思考実験の枠から外れすぎだよ。
それチャーマーズに言ってやれよw
ほれ
http://consc.net/chalmers/
202 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 20:51:58 0
チャーマーズはほとんど論理的な文章の書けない人だから 無視したほうがいいよ。
>>158 なんで物理状態の知識から意識の主観的側面を知ることができるか、という問いが
外界の「赤」なしに、「赤」の主観的体験をすることができる、と答えるんだ?
>>201 チャーマーズに言いたいならここに書かないよ。
まあ、届ける方法も知らないけどw
>彼らとおなじように意味があると思っているんだよ。
「彼ら」とかじゃないんだ、あなたの意見が聞きたいんだよ。
他の人とコミュニケーションが取りたい場合は他の場所へ行くから。
2ちゃんの哲学板のクオリアスレにいる「あなた」とコミュニケーションが取りたいから
俺はここに書き込みをしているんだよ。
205 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 22:41:26 0
・人工知能(強いAIと弱いAI) もし強いAIの人工意識が人間の脳の神経細胞をシュミレートできるレベルに達した時 機械もやはりクオリアを生じるのであろうか?それとも・・・ただの超演算処理に過ぎぬのであろうか? 意識とはなんぞ!
206 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 00:38:52 O
>>178 >>180 それがポモ的なんだよな〜 近代批判と言うかさ。
反論になってるようで、反論した時点ではテーマから逸れてるでしょ。
科学ではないって事を認めた時点で、それは遊戯にしかなってないんだよ。
それでも数学のように、無矛盾や矛盾を説明できる体系には出来るだろう。
けれど、何でもアリの世界に足を突っ込んでいる事に違いはない訳だ。
だとすると、「クオリアと質感は違う。質感は感じている現象そのものだが
クオリアは質感を発生させるのに必要な構成要因であり、質感の根源と
なっているのだ。そして、質感の根源であるクオリアを直接感じられる人と
クオリアそのものは感じられないが、クオリアから発せられる質感は感じられる
人に分かれており、哲学的ゾンビは質感しか感じられない存在である」だとか
もう、それっぽいロジックを言ったもん勝ちの世界になっちゃう訳で
目指してる物とは違う気がするんだな。
哲学的ゾンビの話は終わったはずだぞ。 「クオリアを感じてる」と証言するAという人物と 「クオリア?なにそれ?」と証言するBという人物がいた場合、 AとBのシステムが同じならクオリアは存在する。 クオリアは観測できないので、存在しないという理由にはならない。
209 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 09:07:11 0
春のそよ風 夏の柑橘類 秋の紅葉 冬の...(ryry ↑これらを見ておまいらはどう感じ?何を想う?けど再現されるだろ感覚が。 同じようならイメージをすればより近似値的なクオリアを持ち まったく違うイメージをする場合もあるのがクオリア つまり感覚的な質感を感覚質という。これは基本だぞ... ついでだから哲学的ゾンビについて補足する。 同じ哺乳類のコウモリがいるだろ ・コウモリは超音波で空を飛び障害物をよけるがその感覚を人間はたやすく想像はできる がしかし、コウモリそのものではないため人間が実際にそれを感じることができない。 ・人間はたやすく想像できる←この部分にクオリアが働いてはいるが ・人間がそれを実際に感じることができない←この部分がいわゆる哲学的ゾンビと言われているもの つまり人間≠コウモリであるからである。(種としての絶対超えられない壁) クオリアの解釈がほしいやつはwikiへ行き悟ってこい 今クオリアは物理分野にまで広がりつつあるのだぞ・・・白痴どもよ。
クオリアは物理的に測定、観測できない、個別性を持ち普遍性を持たない、 だから他者が私と同じクオリアを感じる人物か外部からは知りようがない というのがみそ。 理由は脳内のニューロネットワークの可塑性にあるわけだ。 人類共通して赤のクオリアを感じたときのニューロネットワークが対になっていれば よいのだがそうなっていないわけだからね。 だけど脳が柔軟でも脳に入出力する器官は遺伝的形質を受けつつ物理的に観測可能。 たとえ物体を構成する部品が脳にバラバラに収めこまれていたとしても 入出力時にちゃんと物体を構成していれば問題ない。 なにが入ってくるかわからない倉庫はむしろ収まり方が決まっていないほうがいい。
>>209 コウモリの感覚をたやすく想像なんかできんぞ。
哲学的ゾンビというのは、外見も行動も普通の人間だが主観的な意識体験(クオリア)
を全く持たない人のことを言うんじゃないのか。
>>209 人間とこうもりでは脳も脳への入力器官も違うから当然といえば当然。
遺伝子の違いはクオリアの違い。
対になっているので違いを知りたいなら遺伝子を測定すればいい。
物理や科学で扱えないわけじゃない。
つまりクオリアの違いが生殖に影響し種を分ける。
やっぱりウィキペディアだよw 日本語版はダメだと言ってるだろ。あんなもん読むと頭がバカになるぞ。 あれは2chと本質が同じ、wikiシステムを使った落書き帳なんだから。 書き込みを見ると「あー、こいつウィキペディア見てきたな┐(´-`)┌」ってのが すぐ分かるんだよ。入れ替わり立ち替わり、そんな人がスレにやって来て 有意義な話題もなくスレを減らして行く。 #読め読め詐欺。神秘主義。精神運動としては評価できるが哲学的ではない。
「〔チャーマーズの議論に関して〕おそらく、実感としては、こういうことでしょう。「俺には 確かに意識であるこれがある。しかし、他者にもこのようなものがあるのだろうか?」〔中略〕 そもそも「他者」に「このような」ものがあるとかないということ自体が、経験的な事実言明の ふりをした論理的な同語反復か矛盾言明なのではないでしょうか?そうです。他者に「このような」 ものはないのです。だからこそ、他者なのです。では、他者はゾンビなのでしょうか。一つの 意味では、まさにそうなのです。だって、そうでしょう。外的な振舞いも内的な脳や神経の状態も 全くふつうの人間なのに、痛さも酸っぱさも不安も憂鬱も感じない人は、だあれ?と問われたら、 この謎々の答えは「他人」しかありえないでしょう。〔中略〕しかし、しかしですよ、その 「他人」って誰ですか?私はいま、なぜこのことを、賛同を期待して、あなたがた他人たちに 語ることができるのでしょうか?」 適当なところを引用してみた。前後の文脈まで示していないのであまり意味はない。
最近、茂木という人の本を読んだのだけどなんだか変化違和感が残ったんだ。 なんだろうなコレはと思ったのだけど・・・ ようはクオリア問題というか、意識のハードプロブレムというのは、 人の意識という現象を、現代の科学の根幹をなす道具、数学を用いて記述することが現状できていないことなのかな。 でもさ、その数学というものも、人の意識に現れる現象の一つ、りんごの赤い色や、木の葉のざわめきなどと同じく、 意識が近くする多種多様なクオリアの一つ、と言っていいのだよね。 つまり科学的に意識の問題を解決、解明することって、 あるクオリアについて、別のクオリアで説明するってことだよね。 数学って、科学畑の人にとっては、永遠の真理であり人間の力を超えた宇宙の根幹をなすものである、という印象なのだけど。 でも数学の証明などの真理も、有限の生と死をいきる一個体の哺乳類、ヒトの脳髄のなか意識にのぼるものであり、ユニークなクオリアの一種であるわけだから・・・ クオリアでクオリアを証明、解明するって、なんか自分の尻尾を食べちゃうような感じがするんだ。 だからいくらクオリアとか意識の本を読んでも、なんかスッキリしないのは、たぶん、彼らがよって立つところの数学的真理が消えちゃうからなのかなーとか。 あー、なんかもやもやしている気分をそのまま文章にしただけなので、まったく意味不明の電波書き込みですいませんとは思うのだけど、どうにもスッキリしなくて言葉にしたくて、また誰かに聞いて欲しかったんだ。
217 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 10:08:33 0
>>216 その考え方を突き詰めて行くと、「存在するのはクオリアだけである」
という「唯クオリア論」となります。
>>217 ああ、そうなるのかー
お手軽だけど、あまりヒトの役には立ちそうにない結論だね。
ただ「数」というものがクオリアであるとすると、数学の証明とかをしている時の数学者の脳はどこが活動しているのかの研究とかしないのかな。
科学者いじめのネタにしかならないか・・・
永遠に完結する真理というものが ヒトの外にあるのか、内にあるとするのか。 内にあるとすると、 「真理をみつけたぞー!!」って血走った目で街中で叫んでも 「ああ、またヒト脳内クオリア真理か」って言われちゃうのか。 自分にとっては真理でも、他人と共有できないものは、他人にとって価値はないね! かといって、ある個体の脳内に発生した真理のクオリア(真理感?)を、他の個体と共有させる方法はあるのかと言われると・・・ ある個体に真理感が発生する手続き、真理感発生レシピを、他の個体にも行わせ真理感が発生すれば、よしとするのか。 証明、論文というものの機能は、その手続きを他の個体が実行可能であり、真理感が発生するか否かで評価が分かれるのかねぇ。 現状、ヒトの外にある真理って、記述されたレシピでしかないわけか。 妄想してみる。 科学畑のヒトががんばって、脳の物理的構造とクオリアの一対一対応関係を明らかにしたとする。 さらにがんばって、任意のクオリアが発生するように、自由に脳の物理構造を変化させることが可能になったとする。 すると(省略) 書くの飽きた。ワッフルワッフル。
唯クオリア論?的な考え方を検討した本は、あるんだろうか。 少なくとも本屋で簡単に見つかるような範囲だと、見当たらないように思った。 物質が客観的に存在し、かつ、きちんと研究すれば物質についての知識がちゃんと手に入る、 というところまでは、当然の前提にしているということですかね。 しかし、科学哲学の入門書だと、近年では「観察の理論負荷性」なるものが話題になって いるとされている(もう古いのかもしれないけど)。それとの関係とか、ないのかねえ?
>>220 ああ、自分ですぐ気付いたけど、「観察の理論負荷性」は、個々の人にどう見えるかなんて
こととは、直接関係ないか。失礼。
うん、「観察の理論負荷性」は、直接関係ないか個々の人にどう直接関係か失礼 自分ですぐ気付いたけど、個々の人にどうこことは失礼。
>>200 同意w
前から思っていたが電波が多すぎるw
そこに赤いものがあるから、赤が見える。 それだけの事でしょ。 赤いものをみたら何故か緑の質感を感じた、とかなら説明不能というのもわかるが。 >だから他者が私と同じクオリアを感じる人物か外部からは知りようがない 相手を観察すればわかるよ。 もしそれをわからないとするなら自然科学なんてなりたたないぞ。
225 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 13:29:41 0
でも観察って難しいよね。
結局のところ、ある個人の意識が観測しているクオリアを、他のヒトが観察できる可能性はゼロなのか。 観測できるのは、他者の意識の結果である肉体の変化だけで。 よく物理学で、観測行為自体が対象に影響を与える話が出てくるけれど 他者のクオリアを観察しようとしても、観察者の観察用器官(視覚・聴覚等)を通した結果、 それは観察者の意識に上った時点で、観察者のクオリアに変換される。 あ、かなり電波が入るうえに気持ちの悪い話を思いついた。 むかしむかしはるかかなたの銀河系の天才医師が、 恋人同士が互いが感じていること、お互いへの愛を 偽ることが可能な言葉に頼らず確認できるようにするため 二人の脳を手術で繋いで、互いの思い、意識、クオリアを 直接共有できるようにしました。 さて意識とクオリアを共有したそれは、二人といえるのか。
それは、脳神経などに関する観察・研究結果が同様なら、クオリアも同様だろうというくらいの意味? それとも、クオリアを観察できると言ってるの?
228 :
227 :2008/05/17(土) 14:23:41 O
>それは、脳神経などに関する AはBである CはBである ゆえにAはC Aが赤い花を眺めるときの脳神経などの観察・研究結果と Bが赤い花を眺めるときの脳神経などの観察・研究結果が 同じであれば AとBが知覚しているクオリアが同じと言えるのかというと、 言えないよね。 たぶん、言えないんじゃないかな。 あと僕は他人のクオリアは観察できないと思うよ。 脳と脳を直接繋くとか、愛のキューピッドの力をかりるとか、架空の話なのでなんでも良いのだけど、 今現状、人が他人の意識内容、クオリアを直接体験できないという問題?にハッキリとした原因があり、 その原因を何らかの方法で取り除けば、クオリアの観察、共有可能になるのが この世界、と仮定したうえの話なのだけど。 人が他の人のクオリアを、あたかも自分自身のクオリアと判別できない精度で知覚できたとさらに仮定すると、 その時点で観察対象と観察者の間に境界はないと言えるのかなと思ったの。 ありえない話なので考える価値はない話。 ああ、書いてて意味がわからない。
>>227 >>229 クオリアの観察をする、って考えるからおかしくなるのであって
クオリアがあるが故に起きているであろう現象の観察を繰り返せばいいんだよ。
>>161 > 赤のクオリアを感じるから赤く見えるのではなくて
> 赤いものがそこにあるから赤が見える、って考えればいいだけじゃないのか。
「赤のクオリアを感じるから赤く見える」という言い方は普通しないです。。
「赤く見える」を言い換えたものが「赤のクオリアを感じる」ということだから。
232 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 17:02:13 0
個々のクオリアが脳のどういう生理現象に対応するのかがまだ 不明だということだけでしょう。 仮説をたてて実験するしか無いんじゃないの?
>>231 でもそれだとクオリアという言葉が要らないことになってしまう。
>>233 要る要らないは別の話だと思うんですけど、
要は「赤が見える」ことのメカニズムを考える以前に言葉の使い方がおかしいのではないかということが言いたかったわけです。
でも「赤く見える」っていえばいいだけのことだし 赤が見えるのはそこに赤いものがあるからなわけで クオリアという言葉、というよりクオリアという概念が必要ないよね。 何か意味があるからクオリアという概念が持ち出されているんじゃないの?
>>235 クオリアなんて概念なしでも脳の機能は記述できる。
にもかかわらず、主観的には必ず視覚体験には
クオリアというのが付随している。
それはどうして?ってのが根本の疑問なわけ。
主観性なんか持ち出さないで、脳の機能だけに注目してれば
おっしゃるとおりクオリアなんて概念は全く必要ない。
>>236 主観的にも赤を見れば赤くみえる、それだけだよ。
赤をみなくても赤の質感を感じるというのなら考える余地があるだろうけど。
あと「自分が見ているものと他人が見ているものが同じ質感であるか確認する方法がない」
というような話も出てくるけど、これは多数の人間を観察すればわかることだよ。
238 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 20:16:12 0
>>236 クオリアを生じるのも脳の機能の一部だろう。
クオリアがどうして生じるか、脳内現象として何が生じているの
か説明できていないだろ。
クオリアがなければ知覚の言語化はできないだろう。
意識の無いところに言語は無いだろう。
>>237 >あと「自分が見ているものと他人が見ているものが同じ質感であるか確認する方法がない」
>というような話も出てくるけど、これは多数の人間を観察すればわかることだよ。
これが不可能だってことがわからないと、クオリアを議論する意味はわからない。
>>239 それを不可能と言ってしまうと自然科学なんて成り立たないぞ。
同じものを見たときに同じ質感を感じているわけじゃないのなら
その質感を得たときに取る行動が変わる等、なにかしらの変化が起こる。
そういう観察方法を否定するのはあまりにも酷い。
>>241 きみの言ってる「質感」ってのはクオリアのことじゃないの?
そうじゃないなら別に文句は言わないけど、そしたら
「自分が見ているものと他人が見ているものが同じ質感であるか確認する方法がない」
なんて言明はクオリアと全く関係ないので、ここで話題にする意味が無い。
>>242 それはむしろこちらから質問したい事なんだよな。
もし俺の使っている「質感」と貴方の使っている「クオリア」が同じ意味なら
わざわざ「クオリア」という新しい概念を打ち立てる必要はどこにあるの?
>>243 >もし俺の使っている「質感」と貴方の使っている「クオリア」が同じ意味なら
いや、間違いなく違う意味でしょう。
同じ意味なら
>>237 のような発言が出てくるはずが無いので。
では
>>242 の
>きみの言ってる「質感」ってのはクオリアのことじゃないの?
には「違う」と答えればいいのかな。
「クオリア」にせよ「質感」にせよ、「自分が感じているものと他人が感じているものが同じであるかわからない」
なんていう論は通らないでしょ。
>>245 >「クオリア」にせよ「質感」にせよ、「自分が感じているものと他人が感じているものが同じであるかわからない」
>なんていう論は通らないでしょ。
だから、そういう素朴な信念に実は根拠が無いってことがわからないと
クオリアを議論する意味もわからないの。
>>246 上に書いた事は読んでもらえてないのかな。
「自分と他人が同じ質感を感じているのかどうかなんてわからない」が通るなら
自然科学なんて成り立たないよ。
>>247 だから、きみの言う「質感」については何にも文句言ってないでしょ。
それが他者と比較できようとできまいと、このスレ的にはどうでもいいの。
それはクオリアと関係ないから。
249 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 22:19:40 0
>>248 他人と自分が同じ質感を感じているのかどうかはわからない、ってのは
クオリア問題の一部だよ。
またおまえらか もう少し成長しろよw おまえらそもそも本とか読まねーの?
>>249 >>247 の人が言うような、他者との比較が自然科学的な手法で可能なような
「質感」ってのは、クオリアと関係ないでしょ。
その「質感」が何を意味してるのかよくわからないし、知るつもりも無いけど。
泥沼だなあw
253 :
考える名無しさん :2008/05/17(土) 22:59:43 0
>>251 いや、従来自然科学の分野で特に問題とされていなかった「個々人が感じてる質感」は
クオリア問題を考える上で重要だよ。
>類義語を採用しない理由 >現象的意識や主観的体験などもクオリアとほぼ同義の言葉であるが、[…略] >[略…]この意味の厳密さへの志向と科学的な傾向の強さの二点から、旧来の用語とは >異なる「クオリア」という新語が使われる。 だから、これだろ? 日本語wikipediaを見てきた奴ってのはすぐ分かるんだよ。 あんなデタラメなサイトを参照にするのは勧めない。 英語版を翻訳してみて読んでみろ。こんなバカげた節はないから。
255 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 07:12:38 0
>>254 wikiアンチ乙
じゃおまえが英語版を翻訳して日本語wikipediaを書き換えればいいだろが
できないくせに吠えるなよ白痴にみえるぞ
どうせ翻訳サイトで訳したのみただけなんじゃね?もしEnglishができたとしても
おまえじゃwikipediaの編集すら無理だろうなw
ちなみにwikipediaはweb上の百科事典だ。
辞書程度のものだがデタラメだとしても(仮)定義がなければ対話すらできないのがわからないようだな。
では>>254に世界中が納得するクオリアの定義をしてもらうとしようwみんなおkだよな?期待してようぜ
☆言語の違いは違う出版社が出す辞書みたいなものなのに本当に白痴っているんだな。久々にわらた
256 :
255 :2008/05/18(日) 07:42:30 0
こんにちは=Hello=안녕하세요=你好=Guten Tag=Bonjour=Ciao=Hola=Oi などなど 言語は違うがすべて同じ意味をもつとされている。 しかしこれは単純な意味の言語だから万人が理解されることは難しくないだろう。 おそらくはこの言語を聞くと万人が同じようなクオリア感じることだろう。 だが学術的な高度な言語になるとどうだろう? ぴったりはまる言語はあるのだろうか?かなり難しい作業になることだろう。 なので辞書でも出版社が違えば訳の言い回し方が違う場合があるだろ?このことの補足をしたかった。 何事も好き嫌いや食わず嫌いがあれば本質にも偏見を生じかねないぞ。
257 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 08:08:25 0
噂のウイグル獄長か
そういえば光の波長が視覚細胞でどうのようにして電気信号に変換されているのかは もうわかっているのかな。
クオリアを政治的に認めたくない立場の人たち ・なんでも自己責任に還元されたくない社会的弱者。 ・他者との関わりで人は生きている。人との間と書いて人間なんだ。 ・意思が脳内から派生していることを認めたくない宗教指導者。 クオリアは認めるがクオリアを物質に還元したくない立場の人たち ・同上 ・情報論的立場→チャーマーズ(すべては011011に還元できる情報である)
>>255 翻訳サイトの事を言ってるんだよ。ボケ。
翻訳機を通せと言う意味で
>>254 を言ったの。
英語ができるかできないかで競うつもりもない。
そうやって、意地の張った読解をして煽りをしてる事こそどうかと思うぞ。
http://www.google.co.jp/ ここの翻訳通して読むだけでも十分だ。それだけでも日本語版のおかしさがわかる。
>>256 そんな戯れ言はどうでもいい。
アンチとか言って質の低いラベル合戦をする気もない。
そもそも「アンチ」を作る事で「信者」も自然に生成されてしまう訳で
「信じる」ことに意義を見いだしてしまったら、百科事典で哲学でもない。
「○○という用語は科学で頻繁に使われます」「だから○○は科学です」
なんて、論理を大真面目で書くなんてあり得ないの。用語の使い方なんて
定義を変えればそれまでだし、科学論文で使われるからその用語が科学だ
なんてのは、理系オンチというか、論文オンチを"騙す"ための論理だ。
読む人が読めば一発で欺瞞である事がわかる。
分からないのが許されるは論文とかには触れない高校生までだ。
中には使える分野もあるのだろうが(と言ってもそれを調査してないけど)
哲学においては本当に最悪だと思うよ。元々、哲学は解釈で成り立っている学問
みたいな所があるから仕方が無いのかもしれないけど。
しかし、書き散らし的な側面はする。
記号論の話が出てくるのも、そのせいだろう。 何の必要性もなく、シニフィアンを崇めているからだ。
変なのが出てきたな。
263 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 13:21:37 0
クオリア問題は科学では扱えない、っていうからおかしくなるんじゃないの?
>>207 >
>>178 >>180 >それがポモ的なんだよな〜 近代批判と言うかさ。
>反論になってるようで、反論した時点ではテーマから逸れてるでしょ。
テーマからそれてるも何も、私は、特になんらかのテーマについて、書いたつもりはないが。
単に、一般論として、なんでもかんでもあつかえるものなんてものはないのだから、
科学とクオリアにおいて、科学がクオリアを扱わないことについてだけとやかく言うのはおかしい、
といっているだけで、それ以外の「テーマ」なんて知ったことではない。
>科学ではないって事を認めた時点で、それは遊戯にしかなってないんだよ。
>それでも数学のように、無矛盾や矛盾を説明できる体系には出来るだろう。
>けれど、何でもアリの世界に足を突っ込んでいる事に違いはない訳だ。
私は、科学は「何でもアリの世界」じゃない、といっているだけだが?
なぜ、そう言うことが、「何でもアリの世界に足を突っ込んでいる事」になるんだ?
>だとすると、「クオリアと質感は違う。質感は感じている現象そのものだが
〜
>もう、それっぽいロジックを言ったもん勝ちの世界になっちゃう訳で
>目指してる物とは違う気がするんだな。
だから、
>>180 の内容の何をどう解釈すると、そういうわけのわからん世界になっちゃうの?
>>254 >現象的意識や主観的体験などもクオリアとほぼ同義の言葉であるが、[…略]
間違いなのか?
>>262 お前の言ってる「変なの」が、「主張」についてなら考慮する余地があるが
「人」に付いているのなら論外だな。
もう、ウィキペディアについてテンプレに入れておけよ。
「類義語を採用しない理由」の項目のせいで、スレが記号論で埋まるんだよ。
害にしかなってない。
>>265 合ってはいると思うよ。
しかし、そこで「>旧来の用語とは異なる「クオリア」という新語が使われる」
と言う、結論に行くのはおかしい。言語学をやってる訳ではないからね。
文献を調査する手法かなにかでしょ、これは。
なんですかいきなり。
「くおりあ」という記号のクオリアが、キミとボクで同じであるか、科学的に分からない悲しさ。 「くおりあ」を「愛」に置き換えて読むと、とってもポエムです。
なんでクオリアなんて概念を導入しなければならないんだよ。 そこに赤いものがあるから赤が見えるでいいじゃん。 そこに幽霊がいるから幽霊が見えるでいいじゃん。 そこに神がいるから神が見えるんだよ!
赤いものがあると思うから赤が見えるのかもしれないし 幽霊がいなくても幽霊がいると思うから幽霊が見えるのかもしれないし、 神がいなくても神がいると思っていなくても神が見えるかもしれないじゃん。
いくら赤いものがあると思ったって そこに赤いものがなけりゃ赤が見えたりしないよ。 幽霊なんか見たくないってひとが幽霊をみているんだから。 赤が見えるのはそこに赤いものがあるからで 幽霊をみたってことはそこに幽霊がいたってことだし 神を見たってことはそこに神がいたってこと。 だからクオリアという概念は必要なし。
>>272 あなたが統合失調症にならないことを心から祈ります。
じゃあなんでクオリアなんて概念が必要なんだよ。 そこに幽霊がいるから、幽霊が見える。 それだけの事でしょ。 わざわざ新しい概念を導入する必要なんかないよ。
>>270 少し冷静になりましょう。
>そこに赤いものがあるから赤が見えるでいいじゃん。
別にいいと思いますよ。
普通の経験としては多分誰もそれを否定しない。
議論されているのは「で、赤ってなによ?赤が見えるってどういうことよ?物理の言葉で言い尽くせるわけ?」という問いかけとそれに対する応答なわけですよ。
で、赤だけじゃなくって匂いとか痛みとか他にも同じ議論が成立しそうな仲間がいるんですよ。
だから古いか新しいかはともかくみんなひっくるめた名前がないと不便なんです。
議論が終われば名前も概念もまとめて捨てればいいですね。
赤が見えるてことはそこに赤い物理的な対象が存在するということです。 幽霊が見えるということはそこに幽霊という物理的な対象が存在するということです。 神が見えるということはそこに神という物理的な対象が存在するということです。 ですから物理の言葉で言い尽くせるわけです。 そしてこれらをひっくるめた名前は「対象」です。
278 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 21:16:35 0
>幽霊が見えるということはそこに幽霊という物理的な対象が存在するということです。 いや、いや、幽霊が見えるのは錯覚や幻想だろう。見えるものが全て実在として存在するわけでもない。 脳は過ちを犯す器官である。
279 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 21:37:36 O
何で幽霊が錯覚で赤い色が錯覚じゃないの?
280 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 21:53:07 0
>>279 現実に存在するか、すなわち実在か否かの違いだろ。
そんなことも分からないでよく人間勤まるね。
色の実在性を否定する哲学者は大勢いるね
282 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 23:08:49 O
>>280 じゃああんた幽霊が実在しない根拠を言ってみろよ。
なにこのかまってちゃん よっぽど寂しいんだな
捨て台詞とかゆうやつですかww なにそれって感じだけどw
285 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 23:52:16 0
>>282 幽霊の存在の実証が出来なければ実在するとはいえない。
>>277 いや、その発想でいくと、ディスプレイ画面の二次元のあの子も物理的に存在することになってしまう。
287 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 23:56:56 0
色の実在性を確認できない哲学者は単なる色盲だね。
アホきたよ
289 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 00:27:32 0
アホの実在性について
290 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 00:32:05 0
アホの実在性を確認できない哲学者は単なるアホだね。
>>286 ディスプレイ画面の模様として物理的に存在はしているがな。
ただその模様である対象を見たときに発生する、この胸のほにゃららは、
俺からすれば紛れもない現実の一部ではあるが、
物理的に俺を観測する他人から見ると、顔の紅潮などの肉体的変化としては観測できるが
胸のほにゃらら自体そのものを数式で記述できないのはなぜだろう?また他人に存在を証明できないのはなぜだらうという問題が萌クオリア問題である。嘘だけど。
色盲といえば、鳥は人間よりも知覚できる波長が多いと聞いたが、鳥がどのような視覚世界を体験しているのかわからんね。
鳥に比べれば人間って色盲だな。
幽霊とかが見える霊能者の真偽がつかないのは、「幽霊が見える」というは内観報告なわけで、
その人の視覚世界を他者が直接検討することが不可能だからだよな。
見える人同士なら、うん、「見えるよね」「見えるね」で済む話だけど。
「血だらけで赤い幽霊だね」「うん赤いね」「・・・幽霊は見えるけど赤ってなに?」
実際の話、色盲に限らず全盲の方など、生まれつきある種の視覚体験、クオリアを知覚したことがない人にとって
どれだけ特定の色や幽霊や、光の視覚的実在性をいくら説明されても、ピンとこないのだろうな。
あと俺はアホだな。今、確認した。
>>291 みんな確認してるから心配するなよ
ガンバ♥
293 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 01:03:00 0
アリの巣コロリってあるじゃん。 蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。 邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。 そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。 そいつをマネして何匹も入る。 毒とも知らずにツブツブを運び出す。一匹が一粒づつ。 いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。 黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。 一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。 せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。 蟻さんって働き者だなと思う。俺も頑張らなきゃなと思う。 次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。 ほんとにいない。探してもいない。泣きたくなった。 このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・ それが嫌ならこのレスを5つのスレにコピペしてください。 信じるか信じないかはあなた次第です。 >
294 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 01:10:31 O
>>285 じゃああんたは日常的に見るものをいちいち実在しているか実証しながら生きてるのか
ずいぶんひまなんだな。
296 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 01:29:09 O
>>294 言いたいことはわからんでもないが、荒いよね。
哲学にしては荒いよね。
クオリアと幽霊の実在の線引きは結局多数の人がその存在を合理的に理解し、合意
できるかによる。
幽霊には存在を確認できるだけの合理性が無いが、クオリアにはあるのか?
というのがこのスレの本題。
「うにゃうにゃしてる感じ」など, 扱ってる対象があまりにも抽象的なので、 哲学ではなかなか扱えずに科学の方がまだ扱いがマシというのが皮肉だ。 本来ならこのような抽象性は哲学が扱うべき領域なのだが、 哲学者は論理が大雑把で強引で現実無視で レトリックでごまかしてばかりで無知な人なので駄目だ。 いかに今の哲学が駄目なのか分かる。
>>298 なんだよそれ。
目の前に現れた「赤いもの」は多数の人がその存在を合理的に理解し、合意したものですかー?
ちがうだろっちゅうの!
赤いものはいつ皆さんが合意してくれたの?
幽霊はいつみなさんがNGだしてくれたの?
なにが「粗いよね」だっての。自分の方がよっぽど粗いわ。
それからスレの主題はあんたが勝手に決めるもんじゃないから。
>>300 自分には幽霊が見えるけど他の人は知らんとか言い出したらそもそも哲学の議論にならんでしょ。
そんな奴はオカルト板にでも逝けと。
幽霊でも神でもクオリアでもいいが
他者が理解し合意できるそれなりの理由なり証拠を示せと。
>>301 逆だろ。
幽霊の実在を否定するのなら他者が理解し合意できるそれなりの理由なり証拠を示せよ。
それもなく赤いものはあるけど幽霊はないなんてまったく説得力ないわ。
303 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 13:21:09 0
>>302 実在する物事の否定など出来ないだろ。
現実に存在するのが実在だから、実在の物証を一つでも示せば
実在の証明だね。
>>302 幽霊でも神でもクオリアでも赤いものでもなんでもいいが、
実在しようがしまいが、他者が理解し合意できるそれなりの理由なり証拠を示せと。
頭の中に幽霊のクオリアとして存在しているということは合意できるだろうね。
一般的に、「〜がない」ことを証明するのは非常に難しい。 何かがあるかないかの議論になったら、あることを主張する方が それが存在することを立証するのが常識。 「〜がないことを証明しろ!」というのはトンデモや詭弁の常套手段。
そのそも
>>278 が「幽霊は錯覚や幻覚だ」て言ったからなんだけど。
それが間違いだったってことね。
じゃあ幽霊はあるよ。おれは幽霊を見たことがある。
赤いものもあるよ。おれは赤いものを見たことがあるからね。
だからクオリアなんて必要なし。
308 :
308 :2008/05/20(火) 15:37:04 0
何かピントはずれな議論が続くな。 クオリアの存在云々の話は 1.それは現在の物理学の世界観の中に還元できる、 2.いや、現在の物理学の存在論の拡張しないとクオリアは取り扱えない、 この二つが基本的な対立軸だよ。
>>307 > じゃあ幽霊はあるよ。おれは幽霊を見たことがある。
> 赤いものもあるよ。おれは赤いものを見たことがあるからね。
これで存在証明になっていると思っている
あなたのおめでたい脳に乾杯☆
>>309 じゃあ自分が赤いものみてもそれは存在していると思わんの?
あっそ。
>>311 おまえは論理のかけらもないじゃんw
実在を主張するものが他者に対して、他者が理解し合意できるそれなりの理由なり証拠が示され、
合意が形成されて初めて実在が実証され、それなくしては実在するとはいえない。
としたらおまえが今日みたものは何一つ実証されていないじゃん。
そしてそれはおれの見た「幽霊」となんら変わらないじゃん。
おまえが見たものが実在するのだとしたら、おなじようにおれの見た幽霊も
実在するといわなくちゃならないね。
どこが飛躍なんだい?
だれか暇な人は
>>312 のお相手してあげて。
認識論の議論の恰好の練習相手になると思うよw
>>312 もよっぽど暇そうだから
精魂尽き果てるまで付き合ってあげてね☆
>>313 なんだよ結局逃げるのかよ。口ほどにもねえバカだな。
だったら最初っからだまってろよ。
>>314 いや、あんまりくだらないんでまじめに相手する気にならないだけw
一応教えといてあげると、過去スレをじっくり読み直せば
きみの探してる答えが見つかるかもしれないよ☆
>>315 過去スレに答えなんかないよ。
だいたいおまえに聞いてるんだよ。
ほれ、ひとに頼らないで答えてみ。
317 :
308 :2008/05/20(火) 18:00:36 0
名前つけてくれ。どっちがどっちか わけが分らん。
318 :
316 :2008/05/20(火) 18:14:08 0
319 :
308 :2008/05/20(火) 18:25:49 0
サンクスコ。
上の言い合いの対立軸がよくわからんが、とりあえず
>>274 のレスに関して
>じゃあなんでクオリアなんて概念が必要なんだよ。
>そこに幽霊がいるから、幽霊が見える。
>それだけの事でしょ。
>わざわざ新しい概念を導入する必要なんかないよ。
これは夢を考えれば分る。
意識体験には対象が必ずし必要なはないということが。
今までに見たこともない風景や、聞いたこともない音楽を、夢の中で体験することができる。
こうした夢の中での体験は、「そこに空があるから、空が見える」という状況ではない。
320 :
316 :2008/05/20(火) 18:42:11 0
>>319 そうだね。
でもだからといって
今日目覚めてからいままで見たもののどれが対象があるもので
どれが対象がないものなのかはリアルタイムに判断できないじゃん。
もしこれが夢だったら幽霊だけじゃなくて赤いものを含む現在の全ての体験に対象がないことになるし、
夢じゃなかったら幽霊にも対象があるってことにならない?
そうじゃないとしたらなんで赤いものは対象があってなんで幽霊に対象がないなんて言えるの?
みんなが「幽霊なんているわけないじゃん」って言ってるからだけでしょ?
321 :
308 :2008/05/20(火) 18:55:47 0
>>320 そうだね。
辻褄があってることや、操作できるということ、あたりが
人が「何かは存在する」と考える重要な基準にはなってるけど
実際には、何が存在してるか、について判断なんて、そもそもできない。
つまり何が存在するのか、という問いには答えがない(反実在論)。
何かが意識に現われている、という事は確かだが、その背後に何があるのかは分らない(現象主義)。
322 :
316 :2008/05/20(火) 19:13:16 0
[客観] 1.机の上に赤いものが在るから→2.意識の上に赤いものが見える(たぶん) ‖こえられない壁‖ 1.意識の上に赤いものが見えるから→2.机の上に赤いものが在る(たぶん) [主観] こうですか?わかりません!
>>321 >何かが意識に現われている、という事は確かだが
その「何か」のことをクオリアというのではないのか?
確かなのは、「何かが意識に現われている」と言うやつがいる、って事だけだろう。
そしてそれを聞いた人がいる、って事か。 このクオリアの問題ってさ、世界に自分ひとりだけの状態では発生しないのかな。 自分以外の誰か、他者の存在があり、他者と関わる上で発生する問題のような。 なぜ言葉が必要になるのか、というか。
問題、というけど、何がどう問題なの?
好きな人に告白したいけど、上手く気持ちを伝えられない、ということ。
また、相手が自分に好意をいだいているのか確認できない、ということ。
そんなもんクオリアと何の関係も無いだろうが! ソープでも行っとけバカ!
主観的体験を客観的体験に変換する装置であるところの言葉だが 意識内容を言語化はしてきたが自然言語では求むる精度に対しては 曖昧すぎるためとても厳密な数学という言語で気持ちを表現したいができない、というのがクオリア問題。
そんな正確かつ可及的速やかな意識内容の他者への伝達もしくは他者の意識内容の把握が必要になる状況といえば
生存に直結した行為、戦闘もしくは繁殖が代表的ではないかと思うわけだが、
確かに口説くよりも数字が書かれた紙束で頬をたたくのは分かりやすくて良いね。年収が高いのも分かりやすくて良いよね。
強姦はダメだよ
>>330 。
ぶっちゃけ、学問的な問題といえるほどの普遍性がないんでは?
334 :
考える名無しさん :2008/05/21(水) 01:59:11 0
ソープが強姦ってどれだけ童貞なんだ
>>320 経験、記憶から判断してるんだろ。
いま目の前の幽霊が存在しているのは過去の例から言ってありえない。
これは幻覚に違いないってね。
尤も、その瞬間驚愕と恐怖が混じったような情動が伴うだろうがね。
赤いものはありがちなのでたとえ実在しないのに見えていてもおかしいとは思わない。
この場合の他者とは過去の経験からくる自分の記憶のことだが。
>>307 何度も書きこみされてますが皆さんあなたの主張をよく理解されていないのでは?
正直俺もよくわかりません。
>>276 にも書きましたが、赤いものや神や幽霊が本当に存在しようがしまいが当面それはどうでもいいことでしょう。
どうでもよくないのは、それらのことからどうして「だからクオリアは必要なし」ということになるのか、ということです。
そこを丁寧に論じることがまさに「赤ってなによ?」という問いに対する一つの説明になりうると思うのですが。
337 :
考える名無しさん :2008/05/21(水) 19:54:26 0
クオリアが必要になった経緯をだれか三行でたのむ。
>>337 すべての物理現象の理論を知り尽くした、スペシャルな少女がいました。
しかしこの少女は、直接に物理現象を体験したことがありません。
(色を見たり、音を聞いたり、感触を確かめたり・・・)
では、ここで質問です。彼女に体験したことのない物理的な作用を起こします。
その体験は、知識の一種とは言えないでしょうか? 知識だとしたら
物理現象の理論すべてを知り尽くしているとは言えません。
この体験による知識こそ「クオリア」なのです。
339 :
考える名無しさん :2008/05/21(水) 21:13:06 0
それは進化上の必要性という意味か? もちろん仮説だろうがオレも知りたい。 わかりやすく七行ぐらいで頼む。
340 :
考える名無しさん :2008/05/21(水) 21:13:41 0
>>338 「現象の知覚」と「現象を説明する理論」はもちろん別のものですが、
それが何か?
342 :
337 :2008/05/21(水) 22:05:46 0
>>338 もっと縮めて三行で!
いえ、わかりやすいです。ありがとう。
>>339 意味は338が書いてくれた内容だけど、そっちも知りたいね。
だけど7行ではさすがに無理じゃないか?
9行で誰か頼む。
すべてのクオリアを体験し尽くした、スペシャルな少年がいました。 しかしこの少年は、一切の物理現象の理論を知りません。 (a=(v*1000/3600)/t;a;a/g;1/2*a*t^2やsqrt( 1- (v^2) / (c^2) )*L0;v/c*100など・・・) では、ここで質問です。彼に知らない知識を教えます。 その知識は、体験の一種とは言えないでしょうか? 体験だとしたら クオリアすべてを体験し尽くしているとは言えません。 この知識による体験こそ「物理現象の理論」なのです。
344 :
308 :2008/05/22(木) 02:25:21 0
三行で言うと、 「現在の物理の基礎方程式、及びその基礎方程式を用いて作られる複雑な系を記述する方程式 そのどちらにもクオリアは含まれていないようだ。 これは問題だ。」 ということ。
345 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 04:56:37 0
だからさ、なんで問題なの?
346 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 05:28:36 0
>>345 308じゃないけど
理想と現実の差を問題と呼ぶでしょう。
すべてを方程式で記述することが理想の人にとっての問題。
空を自由に飛びたい、月に行きたい、この世界を理解したい・・・などの人が抱く夢の一つ。
この夢が実現可能と仮定して、その目標が達成された結果、何が起こるかはわからない。
347 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 05:39:40 0
348 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 06:12:42 0
何がしたいのだろうね。 暇をつぶしたいという話ではなさそうだけど。
349 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 06:29:01 0
グダグダやん。
幽霊や神や赤いものの実在を一緒くたに論じれるからだろ。 哲学的には「われ思う、故にわれあり」を超えてはいないけど。
哲学に限らず数学や物理学のような高度に専門家された領域では、 なにが問題になっているのかを素人が理解するのは 非常に困難なことだということは一般的なことだから なにが問題なのかを理解できなくても不思議ではない。 そしてそれを理解するには膨大な予備知識が必要になることも当然のことだ。 だからここでなにが問題なのか理解できないものは 初歩から一歩づつ理解を深めていくことがいいだろう。
科学がいくら発展しても どうしてもわからないことが 自分の足下にあったっていうことを 科学者が気がついて騒ぎ始めたっていうのが クオリア問題
「この色がいいね」と君が言ったから 七月六日はクオリア記念日
354 :
308 :2008/05/22(木) 17:35:08 0
>>345 なぜ問題かというと、物理学者を含むほとんどの科学者達は、
物理理論の中に、世界の状況を記述するための基本的な部品がすでに組み込まれている、と信じてるから。
つまり説明できないことは単にデータ集めが難しいか、または計算するのが難しいか、のどちらかでしかない、
とそんな風に捉えている。
こういう信念は古くからあるが、その最も端的な例が18世紀の数学者ラプラスが語った悪魔的知性のアイデア。
以下ウィキペディアより引用。
>もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、
>かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、
>この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。
つまりデータさえ集められて、それを計算できるだけの十分な計算能力さえあれば、
物理理論をもとに、永遠の過去から果てしない未来まで、世界のすべてのことが知ることが出来るだろう、という信念。
20世紀に量子力学が導入されてから、こうした単純な決定論的世界観は以前ほどふるわなくなったが、
それでも、物理理論の中に、世界の状況を記述するための基本的な部品はすでに組み込まれているだろう、
という信念はやはりまだ広く科学者たちの間で共通して保持されている。
そしてクオリアの話はこの信念とかち合う。だから問題になる。
355 :
308 :2008/05/22(木) 17:48:45 0
>>347 理論的に取りうるのは次の二つだけ。
クオリアを今の物理学の中に還元して消し去るか、
クオリアを含む新しい物理学を作るか、
この二つだけ。
でもどちらの方向に向かうとしても、具体的な知識が足りなさ過ぎる。
共感覚や幻視痛、盲視や半側空間無視、こういう具体的な問題についてさえ
まだ満足な説明を与えることができない。こういう状態では還元も拡張も、どちらに行くにしても駒足らずだ。
だから現実的には
脳、これを研究していくしかない。
臨床例を集めたり、実験したり、コンピューターでシミュレーションをしてみたりと、
そういう作業を一つ一つ積み重ねていくしかない。
>>355 もうひとつあるだろ。
クオリアはなかったことにして今まで通りの物理学を続ける
357 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 20:57:26 0
4:「クオリア学」に宗旨がえする。
358 :
考える名無しさん :2008/05/22(木) 23:14:11 0
>>354 >もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、
>かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、
>この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。
「ラプラスの悪魔」やん。
>つまりデータさえ集められて、それを計算できるだけの十分な計算能力さえあれば、
>物理理論をもとに、永遠の過去から果てしない未来まで、世界のすべてのことが知ることが出来るだろう、という信念。
いや、「ラプラス悪魔」のような思考実験が提示されること自体、そういう信念なんて持ってないということの証左だと思うが。
そもそも、「世界には因果律と法則性がある」というのは、科学においては、「信念」というより、
「思考の形式」だと思う。
そのことが「正しい」という科学的根拠は無い。この点に異論を唱える科学者はいないと思う。
>そしてクオリアの話はこの信念とかち合う。だから問題になる。
まあ仮に、そのような信念があったとしても、別にかち合わないと思うが。
観測可能な現象が、
説明できない事象があることが喜びなんだよ。問題を考えることが喜びなんだよ。
「哲学的な何かあと科学とか」でクオリアを知りましたが、 どうにもあの記事だけ納得がいかないので質問 「ゾンビはクオリアを感じない」 (あるいはクオリアを感じない人間(ゾンビ)が存在する) という事実を勝手に仮定してるようだけど、これって全然自明じゃないし むしろ普通に考えて成り立たないでしょ? てかクオリア、クオリアって騒がれてるけど一体何が問題なの? 探れば探るほど 単に言葉もてあそんで、検証不可能な命題作ってるようにしか見えないんだけど。
361 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 00:41:38 0
>>360 いや、「クオリアを持ってない」っていうのがゾンビの定義だから。
で、クオリアを問題にしてる人はみんな そんなゾンビが仮定できると本当に思ってるの? クオリアの実態が何なのかも分かってないのに?
363 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 01:03:52 0
どんなことでも仮定ならできるだろ。 反例が出るまでは有効だ。
「仮定できる」って言うのは言葉足らずだったかもしれん。 とにかく哲学的ゾンビにかんしてはそれが、 存在するかどうかすら重要な問題のはずなのに 自明に存在すると思っている人が多すぎる気がする。 あらゆる観測手段に関して区別できない二つのものA、Bを 同一視するのは、科学的手法と言う以前に 人間の根本的な思考形態だと思うんだが。
365 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 01:15:09 0
>とにかく哲学的ゾンビにかんしてはそれが、 >存在するかどうかすら重要な問題のはずなのに >自明に存在すると思っている人が多すぎる気がする。 えーそんなやついるか? 存在するかどうかなんてはっきり言ってどうでもいいことなんだが。 存在するとか言っちゃうやつはただのアホだろ。
wikiや「哲学的な何か〜」見る限りじゃ・・・ でもクオリアに関する問題やパラドックスの多くは ゾンビの存在に密接に関係してるわけで 存在しない、と言い切ればかなりすっきりするんじゃないかと思うんですけど?
367 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 01:28:53 0
>wikiや「哲学的な何か〜」見る限りじゃ・・・ いや、どっちにも「実際にゾンビが存在する」なんて書いてないでしょ。 存在するかどうかじゃなくて、そういう存在を想像できるかどうかだけが問題なの。 >でもクオリアに関する問題やパラドックスの多くは >ゾンビの存在に密接に関係してるわけで >存在しない、と言い切ればかなりすっきりするんじゃないかと思うんですけど? 自然科学の枠組みで考えると、どんな人間も、どうしてもゾンビと区別できない。 だから存在しないと言い切ることは(自然科学の枠の中にいる限りは)不可能なわけ。
>>366 が言っているのは仮定することが可能かどうかってことだと思う。
文章がおかしいだけで。
369 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 01:34:18 0
戻らないだろ。 3kgと2人を足すという可能性を想像できるか?
自分の文章がどれだけ自分だけの概念で構成されているかと思うと、何もいえない。
372 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 03:37:51 0
>>370 ゾンビの話は、そういうカテゴリー的に不可能な仮定ではない。
373 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 08:42:32 0
哲学的ゾンビについていえば、「想定できるか」という問題ではなくて、 「否定できるか」という問題のはず。
あらかじめ想定してなきゃ否定もできないでしょ
375 :
366 :2008/05/23(金) 11:05:07 0
自分にとって 「哲学的ゾンビ」にまつわりクオリアの話は 「1+2+3+4+5よりも大きくて10よりも小さい数xを仮定すると こんなパラドックスがおきる」 と言っているのと同じようにしか聞こえないんですよ。 1+…+5よりも大きいと言うことは取りも直さず10より大きいということで、 同様に、ゾンビに関して"あらゆる(外在的)観測手段で区別できない"が"内在的には区別できる" という仮定そのものが、ほとんど意味をなしていない気がするんですよ。 でもそういう過程をある程度素直に受け入れてしまう人の多くは 絶対にアンドロイドや中国人の箱が、クオリアを感じているはずが無いし、 自分の感じているクオリアはもっと普遍的なものだ という根拠の無い信念を持っているように思えるんです。 それこそがクオリアの問題を、問題たらしめている根源なんじゃないですかね?
>>375 > 同様に、ゾンビに関して"あらゆる(外在的)観測手段で区別できない"が"内在的には区別できる"
> という仮定そのものが、ほとんど意味をなしていない気がするんですよ。
これは実は、「他者が自分と同じ主観的体験を持っているか」っていう問題の裏返しなんだよね。
この問題が意味を持つなら、ゾンビ問題も意味を持つ。
逆に、この問題に興味のない人は、ゾンビ問題の意義が理解できない。
「俺はこんな風に見えてこう感じてるけど、ほかの人はどうなんだろう? そもそも、他の人と同じように見えているのだろうか?」 「モノを見たときに、モノは見えているけどモノ自体は本当にそこにあるのだろうか? そしてそこにいると思われる自分以外の人たちは本当にそこに存在して同じように思考いるのだろうか?」 という問いがベースになっていると解釈しているんだけどあってますかね?、
>>377 > 「俺はこんな風に見えてこう感じてるけど、ほかの人はどうなんだろう?
> そもそも、他の人と同じように見えているのだろうか?」
これは
>>376 で言った、「他者が自分と同じ主観的体験を持っているか」という問題と同じ。
こういう疑問を持っていればゾンビ問題も理解できると思うんだが。
> 「モノを見たときに、モノは見えているけどモノ自体は本当にそこにあるのだろうか?
> そしてそこにいると思われる自分以外の人たちは本当にそこに存在して同じように思考いるのだろうか?」
これは観念論vs実在論の問題だな。
クオリアとかの話とは別。
wikiの記述に云々言ってた人がいたけど、wikiの記述はどんくらいの合意を得てるのかね? 変なトコを指摘するなり、とりあえずwikiにのっとって展開するなり、 とりあえず、一部でもイイからこのスレでの基本合意みたいなのをテンプレ化しないと話が先に進まない気がするんですけど。
380 :
316 :2008/05/23(金) 13:08:17 0
ゾンビはまだ見たことないなぁ。
スタンフォード辞典と英語のWikipediaをweb翻訳して読んでみたけど日本のWikipediaの記述と そう変わらないように思うのだけど。 どこが違うのか指摘してもらわないとわからない程度。 たぶんニュアンスが違うとかその程度じゃないかなあ。
wikiの記述は非常によくまとまっていると感じた。 いじる必要はないと思われ。
>>376 そういうのは分かるんですよ。
例えば
「Aに赤に見えているものが全てBにとっては青に見え
Bにとっての赤がAにとっての青だったらどうなるか?」とか
「Aにとっては全ての光景が上下逆に見えていたらどうなるか?」とか
「目の見えないコウモリは超音波でどのように世界を感じているのか?」
「精巧なアンドロイドはどの時点で「心」を持つのか?」
とか、誰しもが考える素朴な疑問だとは思う。
でもクオリア信者の言う「それに対する科学的な解釈は未だ存在しない」というのは
間違いだと思うんです。
私が思うに上に上げた4つの命題は、
どれも素朴ではあるけれど、実際には命題として成立していない。
「(自分が見た世界の)質感」というものがそもそも内在的にしか意味を持たない以上
それを外在的に評価するなんてのは不可能だと思うんです。
不可能だし、考える意味が無い。
「私の意識を演算する脳が、ただの有機物の塊なのだとしたら
なぜそこにクオリアは存在するのか?」
というのもまた意味のない疑問。
大体、自分自身のクオリアですら
突き詰めれば、それほど普遍的なものじゃない気がしてきませんか?
分かりやすい視覚のクオリアばかり話題に上がるけど、クオリアってそれだけじゃないですよね?
385 :
376 :2008/05/23(金) 15:33:30 0
>>384 > 「(自分が見た世界の)質感」というものがそもそも内在的にしか意味を持たない以上
> それを外在的に評価するなんてのは不可能だと思うんです。
そのとおりだね。
そこが問題の出発点なわけ。
> 不可能だし、考える意味が無い。
「不可能」から「考える意味が無い」に飛ばないで、
「うまく考えられるように自然科学を拡張しよう」
というふうに考えるのがあなたの言う「クオリア信者」なわけ。
俺自身はあなたの考えに全面的に同意だけど。
参考に、むかし俺が他のスレで書いたレスを貼っとくよ。
==============================================================
そもそもどうして自然科学的な議論にクオリアなんて概念が出てきうるのかと考えると、
このクオリアという概念は、主観的な世界観からの安直な借り物であって、
自然科学的な世界観の中でははっきりとした位置づけがされていないことがわかる。
つまり自然科学的な議論の中でクオリアについて語る人は、片足を自然科学的な世界観に、
もう片足を主観的な世界観に置いていて、議論の場面ごとに都合よくそれぞれの世界観を
使い分けて語ってるわけ。
そういうどっちつかずの立場で考えてるから、上述のようなパラドクスが出てくる。
一貫して自然科学的に考えれば、クオリアなんてそもそも語り得ない。
逆に、主観的に考えれば、クオリアは明らかに機能を持っている。
これらの立場を(無自覚のうちに)行ったりきたりするから、パラドクスがあるように見えてしまう、ってこと。
>>385 >そういうどっちつかずの立場で考えてるから、上述のようなパラドクスが出てくる。
>一貫して自然科学的に考えれば、クオリアなんてそもそも語り得ない。
>逆に、主観的に考えれば、クオリアは明らかに機能を持っている。
べつにいったりきたりしないで
世界を主観的に記述する方法のほうが自然科学的に記述する方法よりも優れている
とすればいいだけじゃん。
387 :
376 :2008/05/23(金) 16:18:18 0
どういう意味で優れてるの?
>>387 だってある立場では語りえない事象が、もう一方の立場にたった記述では意味を持っているんでしょ?
世界を記述するうえでどちらが優れているか明白だと思うんだけど。
でも主観的な記述に留まってたら自然科学の発達はなかっただろうよ
>>384 普遍的って言葉が不明瞭で意味が伝わりにくい。
単純に「確実に実在する」かどうかを言いたいんだろうと推測してみたけど
言葉の使い方がキチガイ過ぎて「記号論」君と同じレベルになってるぞ。
391 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 18:59:12 0
主観的記述が自然科学的記述でないと言うことも無い。 主観的かどうかは科学的かどうかを識別できることではない。
現象学最強ってことだ。
自然科学的記述は普遍性を重んじるが故に客観的でなければならない
自然科学的記述と現象学的記述のすり合わせを行っていくことが
もっとも意義がある心脳問題へのアプローチだろうと
>>385 のレスを書いたスレでも書いた。
>>394 それは単なる現象学だよ。
現象学は自然科学を内包することはできるが
その逆はできないからね。
>>395 その点に関しては、それでいいのかはっきり言ってよくわからない。
仮に現象学が自然科学を内包できるほど発展したとして、
その自然科学で超越論的主観性を取り扱うことができるか?
まあできないだろう。
その道は現象学では最初から閉ざされてる。
一方、現象学に内包されていない、現在の自然科学は、
主観性を生み出すための客観的神経機構の解明に肉薄している、
ように見える。
このまま現在の自然科学の手法で突き進んでいっても、
あと一歩のところで主観性に跳ね返されるだろうというのは
目に見えてるんだが、だからと言って、主観性に関連しそうな
自然科学の知見を捨ててしまうのは、惜しい気がする。
現象学的記述と自然科学的記述の間の架け橋となるような、
もう一つ別の記述の立場というのをなんとかして用意しないと
いけないんだろうが、並大抵の難しさではないだろうな。
>>396 どうすればそこまでトンチンカンなことが言えるのか理解できないね。
たぶん君には現象学と自然科学の関係がよくわかっていないのだろう。
わるいが説明する気力も失せた。
>>374 その考え方でいけば、「質感」だって想定できないよ。
・「質感」を想定すること
・「質感」をもたない人間を想定すること
この二つの合理性に優劣なんてないでしょ?
400 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 00:12:08 0
>>399 悪いけど何が言いたいのかさっぱりわからない。
そもそも
>・「質感」を想定すること
>・「質感」をもたない人間を想定すること
両方同時に想定してもなんの不都合もない。
401 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 01:22:13 0
>>400 では、「哲学的ゾンビ」を想定してもなんの不都合もないんでは?
402 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 08:13:37 0
科学的ゾンビを想定してもいいよね。 クオリアが神経細胞等の物質から発生しているものとし、 クオリアを一時的に停止させることが可能な人間(自分自身でもいい)を想定してみる。
無機質的ゾンビを想定してもいいよね。 クオリアが金属から発生しているものとする。 石的ゾンビを想定してもいい。 クオリアが石から発生してるものとする。 有機化合物的ゾンビ(ry 生化学的ゾンビ(ry たんぱく質的ゾンビなどなど。
404 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 11:18:50 0
クオリアが存在しないサーモスタットのゾンビを想定してもいいよね。
せっかくだから、私が実はゾンビであるとか、私が感覚を持ち続けながら石になるとか、 そんなことも想定してみるのはどうだろうか。
406 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 13:11:36 O
で、どういう思考実験するの?
>>401 そうだよ。
それをずっと説明してきてるんだよ
408 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 14:00:16 0
お前ゾンビだろ、と言われても相手の主観上に、俺が感じるクオリアの存在を実証できないから困る。
どの人も、
>>408 氏と同様、自分が感じるものの存在を他人に実証するなんてことはできないと思われる。
もし、実証できない人がゾンビであるとするなら、誰も実証できないから、誰もがゾンビということになるね。
めでたしめでたし(?)
むちゃくちゃなもしだな
411 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 17:03:07 O
つーか、ばかばっかしだな。
石に意思があると言ってみても石が感じるクオリアをおまえらが感じることができないから 実証できない。 たんぱく質の塊に意思が(ry
413 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 19:11:13 0
日常的な感覚としては、周りの人にも自分と同じ意識があると思っている。 これは周りの人が、クオリアをもつ自分と似ているから、たぶん同じようなものを感じているのだろう、という 単純な三段論法にすぎないということですね。 え、さんざん論じられているクオリアの存在を、他人に実証できる人はどこにもいないわけ? そんなわけないよね?
414 :
308 :2008/05/24(土) 19:20:58 0
ゾンビの思考実験は印象的だから、けっこう広く知られてるみたいだけど 意味の方はよく伝わってないようだ。 この思考実験の核心というのは、他我問題ではなくて 「僕らの物質概念には足りないものがある」 という所だよ。
>>413 > え、さんざん論じられているクオリアの存在を、他人に実証できる人はどこにもいないわけ?
> そんなわけないよね?
いないよ。
んなことはクオリア論じてる奴なら誰でもわかってる。
416 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 19:27:50 0
物質概念かぁ。おれの日常感覚だと、見て触って味と匂いがあって叩くと音がするアレ、というものでしかないけども。 こんな単純な話ではないのですね。
だけど、哲学的ゾンビって、電子機器が発展していく過程で SF的・文学的に出てきた、人間の自然な発想でしかない気もするんだよな。 科学技術の発展に伴って新たに出てくる発想ってのは、いつの時代でも あるものだ。哲学的ゾンビもそれに近い気がするんだよね。 2008年の時点で哲学的ゾンビを同列に話せるとは思えないんだな。
>>308 俺にとって机の上のりんごと呼ばれる物質概念の構成要素は
見たときの赤い感じ、食べた時の甘酸っぱい感じ、触ったときのすべすべした感じ、
手に持った時の腕にかかる負担という感じ、測りなどの観測機器にかけた結果のディスプレイの表面に構成される直線や曲線を見たときに心に浮かぶ数という感じ。
なんとなく物質というと、感じられる質感が多様な、クオリアの密度?が高い対象、という感覚で生活しているなぁ。
個人的な報告にすぎなく他人に実証できないけどさ。
哲学的ゾンビは、物質だけでは説明できないこともあるじゃないか、という議論のための道具とWikiにあったけど、
物質という概念自体はヒトの感覚器、もしくは感覚器の機能を拡張した観測器から得られたクオリアの統合じゃないか、
という意見ってないの?
419 :
考える名無しさん :2008/05/24(土) 23:48:46 0
便宜的な術語としてなら納得できるんだよな。 例えば、服の風合いとか、自動車の運転感覚みたいなもので、 「こういうクオリアを感じさせるものが必要だ」みたいな。
420 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 01:11:02 0
>>418 >物質という概念自体はヒトの感覚器、もしくは感覚器の機能を拡張した観測器から得られたクオリアの統合じゃないか、
>という意見ってないの?
つ現象学
421 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 07:56:26 0
>>419 >例えば、服の風合いとか、自動車の運転感覚みたいなもので、
これは「クオリア」という概念を狭く捉えすぎているだろう。
色と音と味と臭いと痛みのそれぞれを違う質の感覚として意識
出来ことそのものがクオリアだろう。
唯識論もしくは唯クオリア論か。 まあ、おれっちもこっちのほうに近いな。物質:クオリアでは49:51でクオリアが先立つ。
423 :
あまのじゃく :2008/05/25(日) 08:35:23 0
世界をコインに喩えると物質もクオリアも同じ側
424 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 08:36:03 0
>>421 だからさ、そういう細かいことは、必要に応じて考えればいいの。
わたしがいいたいのは、マーケティングとか、商品企画とかに役立つ、
便利な概念として使う分には、「存在意義がある」、ってこと。
>>424 なんとなく日常で使う奴がいるからこうして「?」フラグが立ちまくるんでしょうが。
「そのクオリアいいよね」
「クオリア?」
「質感のことだよ」
「なるほど!」
426 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 10:16:15 0
>>425 「トレンド」とか似たような単語がいくらでもあるよ。
若干軽薄の向きはあるとはいえ、一応、言葉としてある程度の
利便性はある(あった)わけだから、それでいいじゃん。
>>426 そんな結論で回収してしまうと、ポストモダンそのものになってしまう訳だが
428 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 12:13:48 0
>>427 つうか、「ポストモダン」と言う言葉(と、そのあんたのレス)についても同じことがいえるじゃね?
429 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 12:18:23 0
要するに、「ポストモダン」も含め、「バズワード」ってやつでしょう。 話のまとまりをつけるには都合がいいが、深い内実は無いってこと。 そういう本質を突かれて、さらに「ポストモダン」というバズワードを持ち出して反論するあたり、 要するに「踊らされやすい人」なんでしょうね。
430 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 13:36:32 0
>>424 それは学術用語の「クオリア」とは何の関係も無いことだね。
「バイオ」とおなじ語音のVAIOを商標登録するようなものだ。
431 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 13:44:44 0
>>430 いや、だからさ、「学術用語」と言い出すから変なことになっちゃう、ってことが言いたいんだけど。
432 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 13:50:08 0
つまりさ、「バズワード」なら、多くのクオリア論者が言うような、 学問的厳密さにかける、多分に主観的、感覚的でいい加減なものでも、 別に構わないわけだけど、それを、「学術」とか言い出すからおかしくなるんでしょう。 こういうことを言うと、「進歩のために、既存の枠組みを変える必要がある」みたいなことを言うけどさ、 「学問を有用たらしめてきた合理的な体型を破壊して、主観的、感覚的な思いつきも扱うようにしろ」 というのは、要するに学問とオカルトを区別するなと言うに等しい暴論だから。
確かにオカルティックなクオリア論者もいるのかもしれんが 「主観的、感覚的な思いつきも合理的な体系において扱えるように出来ないだろうか」という 至極もっともな望みを持つクオリア論が一般的なんだが。 あと存在性のレベルを捉え違いしすぎてるやつが多くて困る。 物質を当たり前のように捉えておきながらクオリアを当たり前のように否定するのは矛盾してる。
434 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 16:18:43 0
「クオリア」という言葉をバズワード的に使うやつがいるからって 「クオリア」がバズワードとしての意義しか持たないというわけではない。 一度でもクオリアに関する学術的な論文・書籍を読んだことがあれば 当然理解できるはずのことなんだが。 要はその言葉を使う人間のレベルの問題だってこと。
>>418 > 物質という概念自体はヒトの感覚器、もしくは感覚器の機能を拡張した観測器から得られたクオリアの統合じゃないか、
> という意見ってないの?
代表的なのはエルンスト・マッハかなあ。
あとその流れで論理実証主義とか
>>420 さんが書いてる現象学とか。
>>428-429 そうやって、自分だけを高みに置こうとするのはいかがなものか。
と言うより、どうして
>>427 が反論になっていて
「ポストモダン」を内実のある言葉として使っていると思い込んだんだ?
俺が言いたいのは
>>434 と似ていて、そんな安易なバズワードだの
ポストモダンだのに回収できるような物なのかと問うているんだ。
つまり、それで良いのかってこと。
あと「ポストモダン」が「バズワード」に含まれるって発言は
ポストモダンを理解していないと思うぞ。そんな単純な包摂関係にはない。
これだと「バズワード」が超越的な単語になってしまっている。
なにより申し訳ないが「ポストモダン」という単語を使っている
俺に対して、釈迦に説法的な反論をしているあんたら、一体なんだ?
んなことは、わーとるぞ。偉そうに言わなくても。少しムカつくな。
437 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 18:09:15 0
>>433 >「主観的、感覚的な思いつきも合理的な体系において扱えるように出来ないだろうか」という
というか、クオリアの話は「主観的、感覚的な思いつき」を「合理的な体系において扱えるように」という話ではないじゃん。
「空を飛びたい」という「主観的、感覚的な思いつき」を、航空力学と言う「合理的な体系において扱えるように」
するためには、なんら、学問の合理性自体を壊す必要はないけど(だから、航空力学は合理的な思考形式に従っているけれど)、
クオリアの議論は(当人たちにその自覚はないだろうけど)「合理性そのものを壊せ」といってるのだから。
>>434 ちがうちがう、「バズワード的な意味しか持たない」じゃなくて、「バズワードとして使う分には問題ない」っていってるだけだよ。
クオリアに関する学術的な文献?例えば?
>>436 >そうやって、自分だけを高みに置こうとするのはいかがなものか。
バカじゃないの?そういうことを最初にやったのは、
>>428 で、
>>430 以降は、まさにそういうことを指摘してるんだよ。その論法そそのまま返したからそのように感じられるだけ。
「天に唾を吐く」というのはそういうことだよ。
>「ポストモダン」を内実のある言葉として使っていると思い込んだんだ?
逆だよ、「ポストモダン」は、「内実のない言葉」といして使われていると思ったの。
だから、「クオリア」だって内実の無い言葉で、「ポストモダン」と同じだ、といっているの。
438 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 20:22:51 0
>>437 >ちがうちがう、「バズワード的な意味しか持たない」じゃなくて、「バズワードとして使う分には問題ない」っていってるだけだよ。
>>431 で
>いや、だからさ、「学術用語」と言い出すから変なことになっちゃう、ってことが言いたいんだけど。
と言ってるのは君じゃないのか?
これは「バズワードとして使う分には問題ない」以上のことを言ってると思うが。
あと、おれが言ってるのは「意味」じゃなくて「意義」だから。
>クオリアに関する学術的な文献?例えば?
現在のクオリア議論の盛り上がりは1990年代にチャーマーズが発表した
一連の論文によるところが大きい。
彼のHPにいけばそれらの論文がすべてダウンロードできるから読んでみるといい。
439 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 21:39:54 0
>>438 >と言ってるのは君じゃないのか?
別に矛盾しないだろ。
「バズワードとして使う分には問題ない」=(バズワードではなく)「学術用語」と言い出すから変なことになっちゃう
>現在のクオリア議論の盛り上がりは1990年代にチャーマーズが発表した
持ち出すに事欠いて、「哲学的ゾンビ」の愛用者じゃん・・・
さっきまでの批判はなんだったの?
440 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 21:41:54 O
wikipediaでさえわからないなんていう連中に 学術論文なんて無理に決まってるじゃん。
441 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 21:50:16 0
>>439 >別に矛盾しないだろ。
>「バズワードとして使う分には問題ない」=(バズワードではなく)「学術用語」と言い出すから変なことになっちゃう
矛盾してると言ってるわけじゃない。
バズワードとして以外の用法はいくらでもあると思うが、
そのうちの学術的用法に関して君は「問題がある」と言ってるわけだ。
俺は、学術的に特に問題なく使われている、実際に学術論文でも使われている、
ということを言ってるの。
>持ち出すに事欠いて、「哲学的ゾンビ」の愛用者じゃん・・・
>さっきまでの批判はなんだったの?
名無しで申し訳ないが、おれはゾンビ批判など一度もしていない。
442 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 21:51:40 0
メコスジの味覚的クオリアは哲学上ではどのように解釈されるのでつか?
443 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 22:00:49 0
恥ずかしいので考えません。
444 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 22:02:19 0
>>441 >バズワードとして以外の用法はいくらでもあると思うが、
だからさ、使うのは使う人間の自由でしょ。
ただ、「おかしなことになる」というだけのこと。
>名無しで申し訳ないが、おれはゾンビ批判など一度もしていない。
だからさ、お前ら意見統一しろよ。
一人の人間の主張を批判してると、別の人間が俺は知らん、
ってパターンをずーーーーーーっと繰り返してるじゃん。
もぐら叩きかよ。
そう思うなら、そのときに批判しろよ、「そういうクオリアについての主張はおかしい」って。
それで、オマエラの間でちゃんと結論出してからにしろよ。
445 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 22:04:46 0
このスレのみんなで、問題に答えを出そうということですか。
446 :
ゾンビ批判しない人 :2008/05/25(日) 22:18:14 0
>>444 >だからさ、使うのは使う人間の自由でしょ。
>ただ、「おかしなことになる」というだけのこと。
学術的な用法では「おかしなことになってない」って俺は言ってるの。
>だからさ、お前ら意見統一しろよ。
>一人の人間の主張を批判してると、別の人間が俺は知らん、
>ってパターンをずーーーーーーっと繰り返してるじゃん。
「クオリア」って用語の使い方とゾンビ批判とは全く別の話だろ。
そっちが勝手にチャーマーズって名前からゾンビの話を持ち出してきたんじゃないか。
関係ない話題について意見の統一なんてする必要ないし、
そもそもこんな場で意見の統一なんてできるわけがない。
チャーマーズがゾンビ論者であるということと「学術用語にするとおかしなことになる」ことにどういう繋がりがあるのか。
こんな場所もどんな場所にするかは参加者次第だと思うわけですが 実際の所、脳をいじることができない、言葉を客観的に観察できるようにするだけの場所で 解決可能な問題ってあるのかねぇ。
スレのテンプレ用に、初学者向けの分かりやすい、まとめサイトを作るくらいかね。 2ch的な最近の流行りだと、やる夫で学ぶシリーズとか浮かぶけど、あれは書くのが難しいからなぁ・・・
450 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 23:10:05 0
>>446 >>447 >そっちが勝手にチャーマーズって名前からゾンビの話を持ち出してきたんじゃないか。
なんか胸糞枠なってきた。
ゾンビの話を持ち出してきたのは「アンタラ」のほうだろう?
なんで俺がオマエに文句言われなきゃならんの?
451 :
ゾンビ批判しない人 :2008/05/25(日) 23:23:26 0
>>450 あのなあ、君自身も名無しなんだから、こっちからすれば
君が以前にゾンビの話してたかどうかなんてわかりっこないんだよ。
今のところ、君は「クオリア」って用語の使い方に文句を言ってる人、
としてしか認知されてないの。
それがいきなり関係ないゾンビの話を出してきて、しかも
そっちが勝手に俺が前からゾンビの批判してると勘違いして
意見の統一しろとか言い出すから、文句言われるんだろ。
何か誤解が生じているようだから、客観的な議論にまとめなおしてみて。
453 :
考える名無しさん :2008/05/25(日) 23:46:19 0
>>451 だから、ゾンビの話をしてたのは、俺じゃなくて、「アンタラ」。
俺が言いたいのは、ゾンビがおかしくないと思うなら、
なんで「アンタラ」の誰かがそれを言ってるときに、
「アンタラ」のなかのほかの誰かはそれを批判しないのか?ってこと。
「アンタラ」のAがBという主張をしてるときに、
俺らがそれを批判してると、あんたみたいな別の奴が出てきて、
Bに対する俺の批判に、「Bなんて俺はいってない、Bなんておかしいじゃん」と言い出す。
じゃあ、なんで、「アンタラ」のAがBという主張をしてるときには、
誰一人Bを批判しようとしないわけ?
ふざけてんの?
454 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 00:00:41 0
>>453 何度言ったらわかるんだよ。
ゾンビの話は「クオリア」って言葉の使い方と何の関係もないだろ。
そんなにゾンビの話がしたいなら、
>>だからさ、使うのは使う人間の自由でしょ。
>>ただ、「おかしなことになる」というだけのこと。
>学術的な用法では「おかしなことになってない」って俺は言ってるの。
これに返答してこっちの話にけりつけてからにしろよ。
あと、「アンタラ」ってのが何を指してるのか知らんが、
このスレに参加してる全員が常にどのレスにも注意払ってるとか思ってるんじゃないだろうな?
たまたま君が議論してる間に応援がなかったからって、
君と同じ意見を持ってる者がこのスレにいないと限ったわけじゃない。
そんな文句言いたいならせめて数ヶ月ぐらい議論続けてからにしろよ。
455 :
ゾンビ批判しない人 :2008/05/26(月) 00:01:05 0
456 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 00:25:23 0
>>454 >何度言ったらわかるんだよ。
>ゾンビの話は「クオリア」って言葉の使い方と何の関係もないだろ。
関係ない?フザケンナ!
この問題は今さっき起きた問題じゃないだろ。
アンタラ、このスレのその1いらい、何度もおなじ事繰り返してきた挙句、
この後に及ん「俺は」関係ないかよ。フザケンナ!!
後から「そんな主張は「俺はしてない」」という態度を繰り替えす、アンタラは悪くないことになるのかよ?
オマエは結局「この点」についてはなんの反論もできてないじゃん。
457 :
ゾンビ批判しない人 :2008/05/26(月) 00:27:54 0
>>456 てかそんなに議論に一貫性を求めるなら、まず自分がハンドルつけろよ。
名無しで何言ったって、一度スレが流れたらもうどれが誰の発言かなんて
だれもおぼえちゃいないんだから。
458 :
ゾンビ批判しない人 :2008/05/26(月) 00:32:53 0
>>456 あと、君のレスの仕方から、君が「クオリア」の学術的用法について
何の知識もないだろうことがわかってきたから、もう
>>454 の返答はいいです。
「クオリア」はバズワードとしてだけでなく、
学術的にも使われる意義がある言葉だってことで。
459 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 00:37:58 0
>>457 >>458 つうか、議論以前の問題だろ。
恥知らずな言動をしておいて、恬として恥じない、オマエラのような人間が並べてる御託に過ぎない、
って事を、お前がお前自身の言動で証明しただけじゃん。
460 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 00:39:51 0
461 :
ゾンビ批判しない人 :2008/05/26(月) 00:45:51 0
>>459 俺が恥知らずかどうかはようわからんが、
君がここまで言われてもハンドルをつけられない恥ずかしがりやだということは
よくわかったw
>>460 とりあえずwiki読んで、わからないところがあったら質問して
>>459 一応第三者として言わせてもらうと恥ずかしいのは君のほうだ。
ハンドルつけないくせにずっとスレにいるんだ、なんて切れるのはギャグにしかならん。
一貫性のある主張を大事にしたいなら、相手への気遣い以前に自分のストレスのために
数字コテくらいつけるんだよ。普通なら
463 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 01:00:18 0
メコスジの味覚的クオリア ガハハハハハハハハ。www
464 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 01:04:14 0
465 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 01:25:14 0
>>461 >クオリア(英:複数形 Qualia、単数形 Quale)とは、心的生活のうち、
>内観によって知られうる意識の現象的側面(現象的意識)のこと、
>またはそれを構成する個々の質感のこと。感覚質(かんかくしつ)とも訳される。
これでいいの?
まず、この出典は何?
次に内容に移るけど、
>内観によって知られうる意識の現象的側面(現象的意識)のこと
内観はここではどういう意味で使われているの?
>>465 >まず、この出典は何?
恐らくスタンフォード哲学百科事典だろう。
wikiのクオリアの項の最後にリンクが張ってある。
>内観はここではどういう意味で使われているの?
内省とか自己観察の意味だろう。
introspective(ly)を日本語に直したものと思われる。
467 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 02:51:35 0
>>466 ありがとう。
>内省とか自己観察の意味だろう。
単純に「自分で自分の内面を省みて」という意味合いでいいのかな?
それとも心理学等の専門用語としてみたほうがいいの?
>>467 いや、一般的な意味でいいでしょう。
というか、そこにこだわらずにそれ以降の記述読んだほうが理解しやすいと思う。
オカルト信者がクオリアを認めるわけないだろ。 それから、確かに存在してるけど確認のしようがないってだけで 別にバズワードでもないんじゃないか。 確認できないんだったら存在してないってことだということも「哲学的には」できるけど。
この世界に、少なくとも一人は、クオリアを持っていることが確実な人間が存在する、ということが重要。
自然科学で使用される概念でさえ明確な定義などされていないと サールも言っているが素人衆はどうも科学を過大評価する傾向があるね。 極端な話全ての概念がバズワードだということもできる。
クオリアがNGなんて言ったら現象学のすべての概念がNGだろう。 実際はハイデガーが20世紀最大の哲学者とか言われてるわけで。 哲学なんてそんなもん。
変な話だなあ。 皆が主観的に体験しつつも 客観的に確認のしようがないってだけで「無いもの」とされてしまうなんて。 それをクオリアと呼んでこうやって議論がかわされているにもかかわらずだよ。 だとしたら、否定すべきは哲学のほうなんだよ。
「無いもの」と断言してしまうのは暴論ですね。
> 皆が主観的に体験しつつも >客観的に確認のしようがないってだけで「無いもの」とされてしまうなんて。 そういった意味で「唯物論」は「反実在論」だとデイヴィドソンはいっていたな。
>>474 じゃあクオリアは存在するの?
存在しているものを合理的に説明しようとするのが哲学なのだけど
合理性が先に来たらそりゃ順番が逆だ。合理的に考えて存在しないはずなのに
存在してたとしたらそれは合理的じゃないから。
>存在しているものを合理的に説明しようとするのが哲学 俺様定義乙
でも存在しているものを合理的に説明できなければ欠陥があるとみなされるだろうから あながち間違いではないだろうね。 ただその際の「存在する」とか「合理的」とか「説明」といった概念が どういうことかについてさまざまな見解があるだろうが。
クオリアというのはじつは哲学にぽっかりと開いた穴なんじゃないか。 ゾンビだろうが他者だろうがクオリアがあるか客観的に合理的に確認・説明のしようがない。 自分にはある。他者にもある「だろう」としか言いようがない。
哲学では客観性なんか二の次だって何度言えばわかるんだ。 そんなのにこだわってるやつは、永井均が哲学者として認知されてる状況をどう理解するんだ?
>>479 いやいや、ある種の哲学ではふつうに扱われている概念だよ。
むしろ科学にぽっかりと開いた穴なんじゃないか。
それを塞ごうと四苦八苦しているのは科学者の方じゃないか。
ほとんどの哲学者はむしろなにをいまさらという思いをしているだろう。
客観性を気にする人は、以下のように考えてみたらどうか。 我々がクオリアの集合として構成された主観的体験を持つこと、そして、 自分のそのような主観的体験は他人の主観的体験と比較できないことを、 ほとんどの人間は(適切に説明されれば)了解する。 つまり、「他人とは比較不可能な主観的体験を自分は持つ」という意見に対する見解には、 ほとんどの人間に共通する普遍性がある。 このことから、「他人とは比較不可能な主観的体験」は人間に普遍的に備わっている、 と考えてしまってもいいのではないか。 少なくとも、この様に了解された主観的体験(やそれを構成する要素としてのクオリア) についての公共的な議論のための、最低条件はこれでクリアされているだろう。
>>481 いやつまり、哲学を論じたところでクオリアのようなものが現に存在しているが
ためにほとんど学の体を成していない。いろいろな考え方があるものだねということ
はわかっても、じゃあどの意見が本当に正しいのかまた合理的なのか論理的なのか
ということを知りようがないし確かめようがないということ。
哲学を論じれば論じるほど実感や直感や主体的体験からほど遠くなっていく。
>>483 > じゃあどの意見が本当に正しいのかまた合理的なのか論理的なのか
> ということを知りようがないし確かめようがないということ。
んなことない。
どんな意見についてであろうと、そこに合理性や論理性があるかないかは、
それが何に関する意見かということとは独立に判断できることだろ。
>>483 >哲学を論じたところでクオリアのようなものが現に存在しているが
>ためにほとんど学の体を成していない。
学の体を成しているのはどの分野のことを言っているのだろう。
まさかクオリアをまるごと記述できないような不完全な性格をもつ自然科学のことではないよね。
だから、wikiを勧めるなよ。例えば「哲学的ゾンビ」の項目を見たが、これも酷いもんだぞ。
「物理主義を攻撃する際に用いられる」じゃ、用語が内輪的で分かんないよ。
「物理主義」なんて非一般的な用語を平然と使うことからしてがダメダメ。
・哲学的ゾンビとは次のような意味では「ない」
なんて項目も考えられない。宗教じゃあるまいし、これは何かの戒律なのか?
「何々ではない」なんて記述はあり得ないです、まるっきし神秘主義。
否定神学でもやるつもりかよ。
・・・・で、変だと思うから英語版を翻訳機通してみて見るだろ。
案の定、そんな記述はないんだよな。だから日本語版のレベルは落書き帳なんだって。
http://en.wikipedia.org/wiki/Philosophical_zombie http://www.google.co.jp/
>>360 >>362 >>364 >>366 最近ではゾンビの可能性について否定的な見解をとる論者も増えているという話も聞きます。
あなたの言われるようにゾンビに関するある仮定がパラドクスを引き起こすからというのが理由のようです。
簡単に言うと、ゾンビが成立するためにはクオリアについての随伴現象説をとることが必要になりますが、
このことが我々が現にクオリアについてあれこれ語っているという経験的事実と衝突するということです。
クオリアを語る、とりわけクオリアがあると主張する為にはなによりもまずクオリアを主観的に直接把握する必要がありますが
クオリアが随伴現象である限りそれは定義上不可能です。
我々がいかにクオリアクオリアと連呼しようがそれは「クオリア」にはかすりもせず徒労に終わります。
一方、随伴現象説を捨てクオリアに機能性を認めた場合、いわゆる「ゾンビ」は我々が
持っているクオリアを持たないためその分の機能を補う何らかのしくみ(それがどんなものかはわかりませんが)を持つ必要があります。
しかし、これはゾンビの定義に反します。
「現象報告(判断)のパラドクス」と呼ばれていますがこのパラドクスが有効であると考える限り、
ゾンビを認める代わりにクオリアについて語るというムダなことはあきらめるか、
ゾンビを否定するかどちらかになります。
>>487 wikiの記述。
>おもに性質二元論(または中立一元論)の立場から物理主義(または唯物論)の立場を攻撃する際に用いられる。
性質二元論と物理主義はそれぞれのwikiページへのリンクになっており、そこで十分な説明がされている。
何の問題もない。
>哲学的ゾンビとは次のような意味では「ない」
>* 罪悪感の希薄な人や、冷たい人、等の人間の性格を表す言葉ではない。
>* 精神疾患を意味する精神医学関連の用語ではない。
>哲学的ゾンビという言葉は、心の哲学の分野における純粋な理論的なアイデアであって、単なる議論の道具であり、「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験(意識やクオリア)を持たない人間」という形で定義された仮想の存在である。
よく見られる誤解をとりあげて、それと対比させることで正しい「哲学的ゾンビ」の意味をより正確に伝えようとしているだけ。
何の問題もない。
490 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 19:06:48 0
他人のクオリアを自分のクオリアに翻訳してくれる機械があればいいのにねー
英語を読めない
>>487 にはなんのことかさっぱり解らんだろうが、英語のwikiにも
>The notion of a philosophical zombie is mainly used in arguments (often called zombie arguments) in the philosophy of mind, particularly arguments against forms of physicalism, such as materialism and behaviorism.
と書いてある。
>>489 そこで解説がなされているのなら、そこの解説を読めばいいのであって
wikiには頼らない方がいいってことになる。
>>491 バカだのと他人を侮辱ばかりしてないで、このスレで解説をしてみたらどうだ?
何も解説できないくせに分かったつもりになってるのは
裸の王様を、裸だと指摘できず素敵な服だと誉めちぎるような行為であり
恥ずべき行動だ。
>>492 騙そうとしなくていいよ。読めないのをいい事に欺こうとしてるだろ?
翻訳者は嘘をつく生き物だからな。「physicalism」ってのは気になるけど
少なくとも「物理主義」というのは日本語では一般的ではないし使われない。
>>489 問題がない訳ない。「○○ではない」を列挙していくのは形態論的になってしまい、
キリがなくなって、終わらなくなってしまう。論文としても、よほどの事がない限り
そんな記述はしないものだ。ややこしくなるだけだから。
ましてや、辞書や百科事典が使用法を禁止してしまうなんて、何様だという話でもある。
つまり、この程度の情報源なんだから、あまり前面に出すのは控えた方がいいとは思う。
wikiを使うなら部分的に箇所書きを引用するのに控えて、鵜呑みにしない方がいいと
言いたい。
釣りかよ・・・とっとと消えろカス
>>493 解説?おりにふれてやってますけど。
まぁおまえには難しすぎるだろうがね。
ほんとにたちのわるい釣りだね。
498 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 20:31:09 0
こういう掲示板上の混乱をみるにつけ、 言葉の意味というか・・・言葉から受け取るクオリアというか・・・ ある言葉と、それに随伴する(と書いちゃうけど)クオリアの結びつきが 脳それぞれで違っている現状をどうにかできないのかね。 正確には違っているのか同じなのか、実証できないという事だけど。
これから反wiki厨は無視の方向で。
500 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 21:41:06 0
無視したら議論にならないよー ここから言葉とクオリアの問題に話を発展させた方が 掲示板的には楽しいと思うけど。
501 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 22:29:54 0
wikiの記述が正しいとすると、クオリアとはそもそも他者からは確認する事が出来ないもの、 っていう定義だよね。 「自分はクオリアを持っている!」と幾ら主張したところで それが第三者から確認してもらえないのであれば、科学的には無いのに等しいのでは?
503 :
501 :2008/05/26(月) 22:40:51 0
>>502 「クオリアの客観性」を気にしているのは俺じゃなくてwikiの記述をした人(またはその出典元を書いた人)
なんだが。
どう理屈をつけようとも「他人には確認出来ないこと」という定義をしている以上
科学的に意味のあるものにはならないだろう。
504 :
考える名無しさん :2008/05/26(月) 22:45:42 0
ああ、そうか 科学的な意味を求めるのであれば、 他人にも確認可能である、と仮定しなければいけないわな。
価値の原子論な。うんうん。
>>476 >じゃあクオリアは存在するの?
「存在する」と断言してしまうのも暴論のような気がしますね。
文脈によりますが、存在の是非を真剣に議論できるほど、
明確な問題定義がなされているとは、私には思えません。
ですから、「無いもの」と断言してしまうのも、「有るもの」と断言してしまうのも
暴論に思えます。
主観はある 客観はない 1と0の連なり。この世はデジタルですね。
>>503 > どう理屈をつけようとも「他人には確認出来ないこと」という定義をしている以上
それは定義じゃないだろwww
>>508 言葉の使い方ねぇ。
言葉自体は光や音などの物理的な刺激、エネルギーの変化だけど、神経細胞内の電気パルスに変化した先、
どのようにして意味、主観的なクオリアとなるのかは科学的に(あんまり使いたくないなこの表現)分からない、ということでいいのかな。
言葉の意味、それ自体はクオリアであり、他人に対して言葉を伝えても、その言葉自体は物理刺激であり、
相手の物理的身体に届いた刺激は、対象の脳内にてクオリアとなると仮定されるが、自分自身がその言葉に抱く意味と同じ意味を相手が感じているのかを確認しようがないという。
赤という色のクオリアうんぬんって問題そのままだけど。
言葉の意味の正しさの証明という行為自体に、根っこが危うい部分があるのかな。
あと、ふと思ったのが、この掲示板にみんなが書いているこの文字も、文字自体は物理的な刺激でしかないわけで
この文字を読んで思い浮かぶ意味内容やこの文章を書いている俺という人物像は
あくまで読んでいる人の意識内を占めるクオリアの一部でしかないということになるけど
いちいちこんなまわりくどいこと考えてたら掲示板で遊べないよなぁ。
はい、俺の言葉使いもなっていないですね。ごめんね。
しかしこの板ってあがってないスレにはほんとレスつかないね
512 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 13:15:36 0
>>509 ウィキペディアにある記述を読む限り
「他人には確認出来ないこと」という定義になるだろう。
このスレ、哲学じゃなくて生物学じゃないか?
>>512 今「クオリア」のページを開いてますが、どのあたりの記述ですか?
515 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 13:52:25 0
>心的生活のうち、内観によって知られうる意識の現象的側面(現象的意識)のこと、 >またはそれを構成する個々の質感のこと。感覚質(かんかくしつ)とも訳される。 という部分。
>>515 そこはクオリアについての事実認識であって定義ではないと思いますけどね。
それだけからページ全体が「他人には確認できない」という定義をしてるとはいえない
と思いますが、他に該当するような記述はありますか?
517 :
517 :2008/05/28(水) 14:11:19 0
>>516 じゃあクオリアの定義ってどんなのなんだよ。
どう定義されようと、クオリアが他人には確認できないってことは確実。
そうでないとゾンビの議論がなりたたないし。
518 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 14:15:20 0
>>516 いや、定義でしょう。
「クオリアとは○○ということです」っていう文章なんだから。
これが定義じゃないのなら、何をもって定義とするのか。
現在の技術では確認できないということだろう。 将来的には物理によって観測できるようになるはず、とかで立場が分かれる。 少なくとも死人はクオリアを感じているかという話ではない。
クオリアは他人には確認できないという話があるが、 それなら普通の物質だって何だって他人には確認できないんでは ないのか? そもそも他人が何かを確認しているのかしていないのか、 知る手段がないわけだろ。
哲学的ゾンビの話はクオリアを感じてるか外側からはわからないというだけのはなし。 いまならfMRiとかで脳機能の測定ができていて、科学的にはゾンビなんて存在しない。
>>517 まだよくわかっていないこともありますから一言で言えるようなはっきりした定義はないと思いますよ。
それでもまとめると
>>515 みたいになるかと。
なので、通常「こう定義するとこうなるけど、どうかな?」みたいに議論のなかではっきりさせていくような感じです。
その一例がゾンビ(
>>488 )。
「他人には確認できないかどうか」ということも重要な論点の一つでしょう。
例えば俺は今、尻のあたりが猛烈に痒いんですがこの「かゆみ」もクオリアのひとつといえます。
この俺の「かゆみ」がもし他人に確認できた場合この「かゆみ」はクオリアではなくなるのか、とか。
524 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 14:25:25 0
>>520 クオリアは他人には確認できない、という事ではなく
クオリアを「他人には確認出来ないもの」と定義づけている人がいる、という事。
525 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 14:28:31 0
>>522 確認するのは無理。
例えばある人Aの痒みを他人Bの中に再現する科学的手法が確立したとして、それを実行したとする。
Bが「おお、これがAの感じていた痒みか!」と納得したとしても
本当にAとBが同じ痒みを感じたのか?はどうしても確認できない。
これがクオリア問題の一番大きな部分なのでは?
ちょっと待て。 もしかして問題を勘違いしてる人がいるかもしれないので念のため。 ここで言っている「クオリアは他人には確認できない」というのは、 「自分のクオリアを、自分以外の他人が確認することはできない」ということであって、 その「他人」がその人自身のクオリアを持ってることは否定してないぞ。
527 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 14:32:01 0
>>526 いや、確認出来ないという事は他人はクオリアを持っていないかもしれない、という事だよ。
確認は出来ないけど持っているに決まってるだろ!なんていう決め付けはさすがに無理だ。
もちろん、「たぶん他人も持ってるだろ」という推測くらいは出来るけどね。
>>527 んなことはわかってる。
「否定してない」って言ってるだけだ
>>525 いや、今言っているのは「確認できるかできないのか」ということではなくて
「確認できない」としてそれは単なる事実なのか定義なのかということです。
まあ、定義という言葉の使いかたなのかな?
で、俺としてはwikipediaの記述からはそのようなことは「定義」としては読み取れないなと。
たとえばいわゆる読心術が使える超能力者がいて、 こちらの考えていることや感じていることをずばずば言い当てられたら、 それは「私のクオリアを感じている」ことになるのだろうか。
531 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 14:44:59 O
>>530 なるだろうね
そして実際そんな超能力者が存在しない事実がクオリアという概念を担保してはる訳どす
532 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 14:45:55 0
>>529 クオリアについて話ているのだから、「クオリアとは何か」を決めないといけないでしょう。
そこに共通認識を持たぬまま「クオリアについての話」をするのは無理。
クオリアとは何か?という話と
事実・・・、例えば痒いとか赤いとかいう事を「感じる」という話は別のものだよ。
で、クオリアについてウィキペディアにある記述を定義とするなら
他人には確認できないものである事が一番最初の段落に書いてある。
定義に入ってようがなかろうがどっちでもええがな。 「他人には確認できない」ってことがクオリアの本質的な性質だってことがわかってりゃ十分
>>532 要は「他人には確認できない」という事実を抜きにしてもクオリアは定義できますよと。
そしてそのクオリアについて「他人には確認できるかできないか」が議論できますよということです。
535 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 15:11:01 O
536 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 15:11:08 0
>>534 では定義してください。
あともしそうであるなら、「wikiをみろ」は禁句にしていただきたい。
過去に何度も「クオリアとは何か」という根本の問いかけに対して
「wikiを見ろ」という回答がなされ話が進まない、という流れを見てきたので。
>>536 だからwikipediaの冒頭の一節でいいんですよ。
それで大体わかりますから。
で、そこには「他人に確認できない」なんて書いてないです。
>内観によって知られうる意識の現象的側面(現象的意識)
は直ちに「他人に確認でき」ることを排除するわけではないです。
他にもそういう記述は見当たらないから
「他にありますか?」と聞いています。
>>537 「現象的側面」ってのは「他人に確認できない側面」ってことを暗に含んでるんだよ
>>538 そこは微妙な点だとい思います。
「他人に確認できない(ようにみえる)側面」ぐらいじゃないでしょうか。
「内観によって知られうる意識の現象的側面(現象的意識)」のだったら 原理的に他人には確認できない。 だから(ようにみえる)とか(現時点では)とか(技術の進歩によって)などの留保は すべて成り立たない。
>>539 wikiの「現象的意識」の項目、私秘性のとこ読んでみな。
542 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 15:39:18 O
>>541 気がつかなかったけどこんな項目もあったんだな。
哲学の「主観」っていう項目がなんでないんだろう。
へたに「現象的意識」なんていうから「他人にも確認できるかもしれない」
なんていう憶測をよんでしまうんじゃないかな。
>>541 「私秘性」はまさに微妙な点だと思います。
「観測」とか「確認」は比較的変容しやすい概念だと思います。
そしてそこに挙げられている現象的意識の性質のうち私秘性が成立しなくても尚、
現象的意識は成り立ちうると俺には思えます。
逆に、なぜそこまで私秘性を排除したいのかがわからん
>>545 「私秘性を排除したい」のではなく、私秘性を定義として最初から前提にすることを排除したいのです。
なぜなら科学との関係とか記述とかに関して大事な論点だと思うからです。
そこの「現象的意識」の項目にも書いてありますが意識研究はまだ途上にあって
いろいろな概念も混乱していますよね(
>>522 )。
だから概念の定義は論者間で指示対象が共有できる程度に留めておくべきだと俺は考えます。
まあwikipediaの記述を真に受けたからといって、 「クオリアは他人には確認できないし、科学でも扱えない。なぜならそれが定義だから」 みたいなことをいう人はいないと思いますから気の回し過ぎかとは思うんですが。
548 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 16:26:50 0
逆に聞きたいのだが、「クオリアは他人が確認する事のできるもの」でいいの?
>>547 「クオリアは他人には確認できないし、科学でも扱えない」
ということは誤解を招かないためにも言っておいたほうがいいと思うがね。
さもないと脳科学厨がわいてきて議論にならないだろう。実際いままでの経緯を見ても
そんな話ばっかりだ。
>>546 > だから概念の定義は論者間で指示対象が共有できる程度に留めておくべきだと俺は考えます。
でも実際、クオリアを研究してる人の間では、クオリアが私秘的なものだという認識は
当然のものとして共有されてるんだよね。
別に君自身が私秘性を排除したクオリア論をはじめるのを否定はしないけど、
クオリアの議論における興味深い論点っていうのは、ほとんどが密接に
クオリアの私秘性に関わってるんだよね。
それ以上におもしろい論点をあなたが提供できるって言うなら、
君の意見に賛同する人も現れるだろうけど、何かアイデアはあるの?
>>550 > でも実際、クオリアを研究してる人の間では、クオリアが私秘的なものだという認識は
> 当然のものとして共有されてるんだよね。
> 別に君自身が私秘性を排除したクオリア論をはじめるのを否定はしないけど、
> クオリアの議論における興味深い論点っていうのは、ほとんどが密接に
> クオリアの私秘性に関わってるんだよね。
そうですね、俺もそう思います。
> それ以上におもしろい論点をあなたが提供できるって言うなら、
> 君の意見に賛同する人も現れるだろうけど、何かアイデアはあるの?
うーん、というか今クオリアと科学の関係で言われてるようなことが科学の他の事例でもないのかとか、
ないとしたら後どれだけ下駄を履かせれば通常の科学と呼べるようになるのかとか
いろいろ哲学の方で議論できることはあると思うんですけど。
少なくとも
>>482 さんが言うような客観性は確保できると思うので。
552 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 17:22:59 0
機械はクオリアを持つのだろうか?
>>549 クオリアが他人に確認できないからといって科学で扱えないというのは極論だと思うがね。
そもそも、生きた人間と死んだ人間くらいは常識的には科学で判断できるわけだし。
このあたりで哲学と科学はズレるよね。だから哲学的ゾンビって言うんだねえ。
555 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 17:56:22 0
>>553 生きているか死んでいるかは本人が決めるのではなく客観的事実によって決まる事。
クオリアはどうなの?
このあいだ客観的事実によって科学的に「死んだ」とされたひとが 生き返ったって騒ぎがあったけどね。
脳死は死かという議論がさかんな時期もあったね。
558 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 19:19:21 0
>>549 >「クオリアは他人には確認できないし、科学でも扱えない」
これは根拠の無い断定的異見ですね。
「クオリア」という概念は誰でも確認できる。
他人に確認できないのは特定の個人がそのとき感じている
クオリアがどのようなことかという事でクオリアに限らず
感覚や知覚など脳の現象としては当たり前のことでしょう。
クオリアだけを特別視することがおかしい。
>>558 >他人に確認できないのは特定の個人がそのとき感じている
>クオリアがどのようなことかという事で
そうだよ。そのことをみんな議論しているんだけど。
知らなかったの?
>クオリアに限らず
>感覚や知覚など脳の現象としては当たり前のことでしょう。
その当たり前のことを
「脳の現象」といってしまうことこそ「根拠の無い断定的意見」なんだけどね。
いや、ほとんどのクオリア論者はニュアンスの差はあれクオリア等心的なものは 「脳内現象」だって根拠なく前提してると思いますけどね。 実際、いわゆるクオリアに関する問題は科学という自然主義的態度の上で議論されてると思います。
ROM専みたいな者なのですが このスレッド上での「クオリア」という概念の、参加者間の暫定的な統一と、 その後のスムーズな進行のため、新規参入者への説明テンプレートの作成が必要だと思うのだけど、どう思います?
>>560 お互い「根拠がない」とわかっているなら
すばらしいことじゃないかw
>実際、いわゆるクオリアに関する問題は科学という自然主義的態度の上で議論されてると思います。
たしかに「クオリア」という概念自体が英米系の哲学からきたものであり
その歴史を考えると「科学より」であることは否めないだろう。
ただ今後「クオリア」という概念が一般的になるにしたがって、
皮肉なことに以前の大陸系の観念論哲学が注目されていくだろうね。
>>561 Wikipediaのクオリアの項目をリンクさせておけばいいじゃないか。
よほどの馬鹿でないかぎり、あれを読めばわかるだろう。
>>563 それが簡単ではあると思うのですが
そうするとWikipediaの記述内容の解釈でもめてスレッドが流れていくと思うので
テンプレートの作成の為の議論形式をとれば、少なくとも時間が立てば
参加者の合意が得られた文章ができ、その後はそれをもとに話が進められるのではないかと。
Wikipediaを利用すると編集合戦になりそうな気がしますし、
2chでの議論は2ch内で完結させた方が良いのではと思ったわけです。はい。
565 :
考える名無しさん :2008/05/28(水) 21:44:32 0
>>563 ウィキペディアを読んだけどわからなかったので質問させてください。
機械もクオリアを持っているの?
>>562 根拠がないは言い過ぎでしたかwもちろん根拠はありますよねw
> たしかに「クオリア」という概念自体が英米系の哲学からきたものであり
> その歴史を考えると「科学より」であることは否めないだろう。
> ただ今後「クオリア」という概念が一般的になるにしたがって、
> 皮肉なことに以前の大陸系の観念論哲学が注目されていくだろうね。
むしろクオリアの「科学的研究」の進展に引きずられる形で意識経験全般の探求が進展し、
それに伴って観念論哲学が見直されるというストーリーの方がありそうですが。
その場合クオリア及びクオリアの議論は相対的に小さくなっていくと思います。
そういえば谷徹さんが訳した小説仕立ての現象学系の意識研究の本がありましたけど、 あれも認知科学の成果を踏まえた上であえてクオリアを中心的に扱わない、という方向とか書いてあったような覚えがあります。
568 :
308 :2008/05/28(水) 23:54:47 0
>>535 現時点ではそれほどはっきりしたことは言えない。
でも「機械もクオリアを持つだろう」と考えてる研究者もけっこう多いよ。
その理由は、
「人間は一種の分子機械なんだから、その人間が意識体験を持つなら、他の物質だって意識体験を持つだろう」
というごく素朴なものだけどね。
569 :
考える名無しさん :2008/05/29(木) 00:16:39 0
>>568 機械が行う「認識」にもクオリアがあるんだとすれば
機械に何かを認識させ、その過程を見ればクオリアを外部から簡単に観察できるのでは?
570 :
ラプラスの悪魔 :2008/05/29(木) 00:33:49 0
自己を味わう、自己的クオリア。wwww 俺がこの新概念を提起するよ。
人間にクオリアがあるかどうかも定かじゃないのに。
572 :
ラプラスの悪魔 :2008/05/29(木) 01:18:32 0
>>571 クオリア無き感覚世界。
想像するだけでぞっとするね。w
世界はワイヤーフレームで描かれ、
音は周波数な数字で表現され、
味覚、触覚、嗅覚、視覚は、全て数値、
記号に置換わる。w
そら恐ろしい。 MATRIXかよww。
>>572 まあ、クオリアが無いということがそういうことを意味するかどうかは定かではないし、
逆に、今の世界がそうでないと証明する手段もない。
574 :
考える名無しさん :2008/05/29(木) 01:45:06 0
何かの専門家とそうでない人では、 同じ能力を持った感覚器を用いて集めた情報でも 感じるものが違うという事はあるんじゃないかな。 それは専門家のほうから見たら「君の見ている世界はワイヤーフレームで出来ている」 とされるほどの差かもしれないよ。
>>574 だから専門バカには意見を求めるなということになるわけですな。
「そのクオリアいいよね」 「いや、クオリアというのは他者から確認できず科学的ではないんだ。 だからそのクオリアがいいか悪いかは主観であり他者からは区別がつかないはずなので 決してその意見には同意できない」 「氏ね」
577 :
考える名無しさん :2008/05/29(木) 08:48:27 0
>>559 >その当たり前のことを
>「脳の現象」といってしまうことこそ「根拠の無い断定的意見」なんだけどね。
感覚や知覚が脳の現象で無いと思ってる人がまだいるの?
脳科学や認知科学や神経生理学という科学があるのをしらないの?
機械がクオリアを持ってるわけねーだろっての。 なぜたんぱく質の塊である我々の脳がクオリアを感じるのかってのが問題なの。
>>577 脳科学や認知科学や神経生理学という科学は
感覚や知覚が脳の現象「だろう」という推測のもとに研究しているだけであって
感覚や知覚が脳の現象「である」とわかっているわけじゃないことは常識だろ。
中学生か?
>>579 一応わかってるでしょ。脳の活動が止まったら感覚や知覚は無くなるのだし。
死人に感覚や知覚が無いなんて確かめようがないと言うのは
石にクオリアがあるかもしれないじゃないかと言うのと同じ。
小学生か?
クオリアを認めない奴に限ってトンデモな主張をする件
582 :
考える名無しさん :2008/05/29(木) 16:44:00 0
>>578 >なぜたんぱく質の塊である我々の脳がクオリアを感じるのかってのが問題なの。
なぜ脳は機械ではないといえるのか?
脳が機械であっても何ら問題ない。
そしてなぜ機械である我々の脳がクオリアを感じるのかを問題にしても問題ない。
そもそも脳はクオリア生成機なのか、 それとも何処か別の場所にあるクオリアとの通信機なのか。
>>580 >脳の活動が止まったら感覚や知覚は無くなるのだし。
そんなことわからないだろう。おまえは死人かw
>死人に感覚や知覚が無いなんて確かめようがない
当然のことだな。
>石にクオリアがあるかもしれないじゃないかと言うのと同じ。
だれにもわからないな。
大人はわかってもいないことをわかっているなどといわないんだよ。
偉そうな大人が難しそうなことをやっているからといって
真に受けちゃいけないな。
幼稚園児か?
そしてついには受精卵に。 ぼくにもクオリアはあるのかな?
>>584 イデア界ならぬクオリア界があるのですね。わかります。
>>585 わかってないからといってゾンビが存在するとか言うのは意味ないっしょ。
脳の活動が止まったら意思も感覚もない死人だ。
新生児か?
589 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 09:26:13 0
死人かどうかも他人が判定することだ。 死んだ本人には確認しようが無い。
脳の一部が破壊された人は「ものが見えなくなった」と言った。 別の一部が破壊された人は「音が聞こえなくなった」と言った。 別の一部が破壊された人は「匂いを嗅げなくなった」と言った。 ↓ 脳の全部が破壊された人は、何も言わないが、多分、何も感じていないだろう。 このようなことなら、クオリアがどうこうとは関係なく、推測できると思うけどね。
死人にクオリアが無いのはいいが、新生児はいつからクオリアを生じるのか。
なんか「クオリア」って言葉が一般人に流通したせいか ぜんぜん哲学の議論にならないな。 「センスデータ」だったらこうはならなかったんだろうが。
594 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 13:16:47 0
俺の知り合いの娘は自分の彼氏の事をブラッド・ピットにソックリだとほざいてるが 俺からはどうみてもオラウータン程度にしか見えないのだが? その娘には確かにそう見えてるとしか思えない程ベタボレなんだよ。
595 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 13:32:43 0
なにこの自己言及
597 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 19:10:40 0
598 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 19:28:14 0
そういえば日常的にクオリアがない状態を経験しているな。 睡眠中のtことだが。 。 記憶にないだけか。
599 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 21:53:47 0
ある人間を構成する全分子集合をAとする。 そしてAの分子構造と全く同じBという人間を作ったとする。 この時AとBは、それぞれ独自のクオリア、主観的体験を持っていることになる。 AとBの構成は全く同じように見えるが、Aが使っている分子とBが使っている分子は違う。 大量生産される同じ製品でも、それぞれを構成する分子は違うように。 すなわち、Aという分子の集合によってAのクオリアが想起されるのであり、Aと同じ構成を しているからといってAとは違う分子であるBからはAのクオリアは想起されない。 「AとB何が違うの?」 「シリアルナンバーが違います」 それで済む話である。 だが、事はそんな単純ではない。 クオリアを論じている人間、これは生物だからだ。 生物を構成する分子集合、これは時間によって常に変わっているのだ。 そこでAとBを密室に閉じ込め、Aの排泄物で育てた食料をBが食べ、Bの 排泄物で育てた食料をAが食べるようにする。 このようなやり取りによって、今までAとBを構成していた分子がそのまま 入れ替わったとする。しかし、これによってAはBのクオリアを想起するだろか? 実験をしていないので何とも言えないが、答えは恐らくNOだろう。 これはどういう事だろうか?
600 :
考える名無しさん :2008/05/30(金) 21:54:07 0
Aをある瞬間、構成していた分子集合によってAのクオリアが想起されていたはずだが、 それがBになっても相変わらずAはAのままである。すなわち、常に変化し続ける 分子集合によってクオリアは想起されないという事になる。 そうなるとAとBの分子「構成」、型であるXによってクオリアが想起されている という結論になってしまう。しかしそれではA、Bそれぞれ独自の主観的体験を 持っているという事の説明が付かない。 これを説明するには、実は固有のクオリアなど存在しないと結論付けるしか 無いのではないか。そもそも1秒後に同じ人間の主観的体験ができる保証など 全く無いし、1秒前に主観的体感をしたという根拠もない。 ある瞬間、自分の「主観」が他人のものに乗り移ろうがそれを気付くことは 不可能だ。乗り移った瞬間に他人は自分になり、それまでの人生を思い出せるし 過去の「自分」のことなど知るはずもなくなる。 無数にいる人間のそれぞれの主観は、実はある一つのクオリアによって全て 共有しているのでは無いかと考えてしまう。
うーん、面白い。 コップの中の水は一つの塊のようでありながも、無数の分子の集まりであるように、 60億以上の意識が発生している地球も、人工衛星からの眺めで、一つの塊としてとらえてみると、 一つの塊の中、あちらこちらで同時にクオリアが発生、偏在しているといえるわけだが 60億あまりのクオリアそれぞれの個別性を無視し、全体として一つのものとして把握することもできるね。
602 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 00:42:06 0
他人と自分は意識を共有できないよ
604 :
sage :2008/05/31(土) 08:51:00 0
602の言ってることが全てじゃない。 たとえ科学が進んで脳の電気・化学パターンを他人に移すことができたと しても、絵を描いて比べようが、言葉をつくして説明しようが それが何万回完全に一致したとしても、主観により感じるクオリアは 違うんじゃないかといくらでも「言い張る」ことができる。 科学はすでに類似の問題をいくつも抱えているし 現時点での限界を知っていればそれで十分だともいえる。 わざわざクオリアを持ち出した奴って言葉遊びがしたいだけなんじゃない?
aw!さげ間違った。orz
命題:主観を客観的に証明せよ。 解答:馬鹿じゃねーの。 Q.E.D.
哲学的ゾンビがあれば、クオリアなんて必要ない。 クオリアは生物にとって必要なのだろうか?。 それとも進化していくうちに、たまたまクオリアができちゃったって事なんだろうか。
あるかどうかもわからないものの存在意義を考えてもしょうがない。
609 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 15:25:20 O
目的 脳機能の改善および拡張、複数の意識の共有を可能とする技術を基盤とする集合意識体の作成。
哲学的ゾンビを作るとしたら、無限に近いのデータベースが必要となる。 経験したこともない事象についても応答を用意する必要があるからだ。 ところが人間の遺伝子の情報量はCD1枚分だという。 脳についてのデータが半分だとしても、せいぜい3〜400MB。 これに進化の過程で獲得した脳の構造、基本プログラム いくつかののサブルーチン、無数のパラメータ。 これに後天的に獲得したデータ(知識、認識)を重ねて 思考という電気的・化学的なパターンの変化が形成される。 生物として、脳という並列コンピュータが、感覚器から得られる 全ての情報を一度に同等に処理するのは時間、資源的に無駄である。 そこで前処理として抽象化・簡略化された1個のパターンが クオリアだと思う。 前処理の過程において、記憶(後天的・先天的)と比較・分類され 新しいものは記憶されるが、類似のものは収束される傾向にあるだろう。 後天的で、映像など他者と比較しやすいものは修正・共通化されうるし 先天的で、味覚など比較しがたいものは、修正されにくい。 先天的な感覚欠損、隔絶した環境(狼少女等)における パターンとしてのクオリアが通常と大きく異なることは想像に難くない。
哲学的ゾンビのコスト > クオリアのコスト であれば生き物にとってはクオリアの方がいいわけだ。なるほど。
612 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 20:51:13 O
哲学的ゾンビ戦略をとるなら昆虫程度が限界か
あるかどうかもわからんもののコストの話をしてもしょうがないだろ。
613はゾンビなのか?w(冗談です) 俺も現在の物理学では説明できない。って言われると、はぁ?だけどw クオリアの説明のどの文章を読んでも 結局のところ「情報」の一種じゃないか。言語で説明するには複雑だけど。 なんで、理性の不可知領域やはては量子論まで持ち出す必要があるのか? 俺がクオリアを誤解してるのかな? 言語の限界を「盾」に、説明できないといわれればそれまでだけどね。w
上からずっと読んでみたけど 昔からある存在論・認知論に還元・帰結するのね。 要はクオリアという言葉を持ち出して 哲学者が同じ問題を蒸し返してるわけだ。 科学者にケンカ売るのが哲学の存在意義だからw・・くだらないね。
617 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 09:25:16 0
キミは何を読んだの??
618 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 09:40:58 O
何をって・・・何も・・・
クオリアの概念をいくら説明しても 「俺は俺だろw」みたいに理解できない人たちが多い。 最近、それは理解力云々というよりそういう人たちは本当に クオリアが無い哲学的ゾンビじゃないかと思い始めてきた。
クオリアの問題など仏教が1000年前に通過した地点に過ぎん。って烈海王が言ってました。
どうでもいいけど、今たまたまテレビをつけたら、競馬に「メイショウクオリア」という馬がおったわw
で、幽霊は存在して おれがwikipediaのクオリアの項目を理解できないから クオリアは存在しない。ってことで話はおわりみたいだね。
「君にとって」クオリアは存在しない、ってことで話はおわり。
こんだけレス費やしてまだ理解できないってどんだけ頭悪いんだよ。 しかもやることといえばwikipediaに突っ込むだけ。wikipediaって・・・。 気のきいたパラドクス考えるとかさ、他に芸見せてよ。
理解できないってのは本当にクオリアが存在しないんじゃないの? 煽りでも何でもなく、人類のうち何割かはリアルで哲学的ゾンビだと思う。
え、スレを盛り上げるために演じているネタキャラでしょこの人。
お馬鹿なのは演技じゃないっすよ!
PCにカメラ繋いで、ここからここまでが「赤」ここからここまでが「青」 って入力するのね。で、PCに赤っぽいもの見せて「赤」という たった一つの答えを導き出したら、それがクオリア。 それをPC自体に感じさせる自意識のプログラムの方が問題。 で、こういう事言っても、馬鹿にされるのは大問題。
補足 正確に言うと、そのクオリアが自意識内に投影されたもの。 でもPCは人間みたいに自意識で捻じ曲げないから=だな。
クオリア=経験 なんだよね。 目の見えない人は音で夢を見るそうだ。視覚のクオリアがないからね。 数学なんかはクオリアではない。経験したこと無い感覚も。 人はそれを想像すると、手持ちのクオリアで代用するけどね。
>>629 つまり変換された電気信号なんじゃないの?
634 :
考える名無しさん :2008/06/03(火) 19:54:38 0
>>626 クオリアは理解する事柄ではなく感じる事柄だと思うけど。
理解は感じた上での判断だろう。
感覚は知覚に先行する。知覚は理解に先行する。
632 物理的に言うとそうだね、俺もそう思う。 でもそれを認めたくない人は多いみたいだ。 コストの問題もあるけど、生物が未経験の体験に対処するためにも 有効だね。手持ちのクオリア合成して入力としてのイメージを作る。 で、脳コンピュータに他のと一緒に入力して処理。 数学なんかもそうだね。「1」ですら実在するもんじゃないから 最初は○○が一個で理解を助ける。じつは○○のクオリアなんだけど。 面倒だから定義を記号「1」の中に押し込めて、取り扱うようになるけど。
637 :
考える名無しさん :2008/06/03(火) 20:59:07 0
頭の中でイメージを作る事と、「クオリア問題」はあまり関係が無いでしょ。
>>636 >でもそれを認めたくない人は多いみたいだ。
つーかよくそんながさつな説明で納得できるな。
ってことだと思うよ。
639 :
考える名無しさん :2008/06/03(火) 21:13:28 0
>>629 >それをPC自体に感じさせる自意識のプログラムの方が問題。
色の判別をする機械なんていくらでもあるが。
>>639 確かにそう、ではそこに自意識が無いといえるか?
642 :
考える名無しさん :2008/06/03(火) 21:34:55 0
>>641 それに自意識があるってなら、世の中にある全ての物体には自意識があるという事になるね
>>642 でも、あるともないとも言えないだろう。
感情的否定、思い込みだといわれればどうしようもない。
哲学側が物理側につきつけてる問題の根本はそこじゃないの?
哲学も物理学も自意識を基準にしている。
自意識を証明するなら、ニュートンからアインシュタインへの
拡張のように基準を変えないといけないが、何にすれば良いと言うのか?
644 :
考える名無しさん :2008/06/03(火) 22:11:23 0
>>643 別にあるでも無いでもいいけど、この世の全ての物体が持っているのなら、あえて「持っている」という必要がなくなるし
この世の全ての物体が持っていないのなら、あえて「持っていない」という必要がなくなるよ。
>>495-497 まともな学者なら、みんなウィキペディアを相手になんかしてないよ。
一体誰が書いてるんだよ? 一人でもいいから名前出してみろ。
>>499 の反応なんて宗教そのもの。
推測だけど、このスレに出没してる、読め読め詐欺の連中は
ウィキペディアを信仰してる人達と被っていると思う。レスポンスの感触が似ている。
何も根拠がないのに、「読めば分かる!!」「アンチwikiの人は無視!!」と言い張り
しかも両者の上げてる情報源が同じときたもんだ。
内容も指摘してるのに、性懲りもなく論文オンチを欺こうと必死になっている。
これを信仰と言わずして何というか。
>>595 バカなんてチープなもんじゃない。これは信者だ。敢えて「信者」と言おう。
揶揄とかそんなレベルではなく、本気でwikiを聖書かなにかだと思っているみたいだ。
前々から、このスレでは「どうして『クオリア』という名称なんだ?」という
奇妙な応酬があった。なんで何度も同じような、しかも言語学みたいなやり取りが
続くのかと思っていたが、おそらく原因はjawpだろうな。あのトンでもな節の
せいで、このスレにやって来ているんだ。
ウィキペディアには2chよりも有害だという説もあるくらいだ。
2chは掲示板だから、情報を本気にする方がどうかしている。あくまで掲示板として
利用者も使っている。しかし、ウィキペディアはwikiを使っただけの素人・アマチュアが
書いているだけのサイトに過ぎないのに、それを百科事典だと偽っている?状態だ。
体裁だけは良くしようとしているから、うっかり信じ込むリテラシーが欠落している
間抜けが後を絶たない。
もちろん、だからと言って、ウィキペディアを全面否定する必要はない。
合っている記述もあるし、リンク先のサイトは真っ当だったりもする。
しかしだ、一部におかしな記述があるのも忘れてはならない。その一部の
おかしな記述を、おかしな記述であると見抜けない人たちも当然いるわけで、
結局は、見抜けない人は間違えたままの認識をし続けてしまう。
査読できて正誤の判断ができるレベルの人にとっては、引用元として使えるだろうけど
そうでない人は、使わない方が無難なサイトであると思うね。
いや、間違ってると思えば書き直せばいいじゃん。 Wkipedia 自身にそう書いてある。
えらくwikipediaに拘ってるね。 ここはクオリアの議論スレなんだからwikipediaについて議論したかったら 専用スレが沢山あるみたいだからそっちで思う存分やればいいと思うよ。
なんでこのタイミングで言うの?
650 :
考える名無しさん :2008/06/03(火) 23:23:18 0
反wiki厨はたちの悪い釣りなので相手にしないように
>>650 何を議論しようとしてるのかいまいちわからないなあ。
自意識が問題になってることはわかるけど。
クオリアの話なの?
>>651 サラリーマン素人の俺は、恥ずかしながらそうだったのかーと気付かされたよ。
夜道でいきなり私を拉致した暴漢たちに、 三日三晩輪姦され続けて、自分は淫乱な女だと気づかされました。
クオリアってなかなかむずかしいよね。
んもー、そういう煽り方はつまらないよん。
>>657 K. Mogi の論文が一つも入ってないとは!?
このサイト、モグリが作っているに違いない!!
>>660 モギには論文なんてないんだから当然だろ。
>>662 ハァ?誰ですかそれ??
K. Mogi も知らないぽっと出のモグリに
クオリアを語ってもらいたくないですね!
お金ってクオリア?
>>663 誰がモグリだ。
Sonyがかつて販売してたQualiaブランドつながりで
クオリアに興味を持つソニーのスタッフ、という形でMogiのことを知って人もいるが、
やつは世界ではまったく無名(何の実績もないんだから当たり前だけど)。
自分のことをノーベル賞候補とか言わせてるみたいだけど、そこまで妄想が進むと
もう悲壮としかいえない。
いっぱいほんかいているよね おかねのくおりあを たくさんあじわっているんだね うらやましいね
667 :
考える名無しさん :2008/06/06(金) 06:50:50 0
「偉い人が言っているかどうか」が問題なら、 2ちゃんのクオリアスレで語り合う意味なんて無いよね。
K.Mogiに対するすげえやっかみwみっともねえw でもまあまず間違いなくクオリアは金になる。これは本当。
だって海外では重鎮たちが論戦しまくってるのに日本人でクオリアクオリア 言ってるのはK.Mogiひとりだけなんだもの。 おまえら批判でもなんでもオモテでしたほうがウケるし金になるよ。
そもそも日本では仏教の唯識論が普通に信じられているので 50代以上のそれなりに教養のある人なんかにクオリアと言ってみても 「それって唯識みたいなもんか?」 と今更のように返される。
なのでむしろクオリアから物理がどうやって生じるのかを検討したほうがよいのかもしれず。 唯心論から実在論への飛躍が哲学には必要。対立してるわけではないよね。
>>671 クオリアから認識へだろ。物理だの数学だのはそのあとだ。
で、しかもそれはすでにフッサールがやっている。
クオリア=阿摩羅識 + 末那識 なんだろうけどね。 そうなると阿頼耶識に該当するものがない。
「感じる」っていうのは脳における瞬間的な情報処理のことだね。 上位の情報処理システムである自意識は それをひとまとめに「感じる」と処理する。
>海外では重鎮たちが論戦しまくってる 第5の力が必要だor物理学の拡張が必要だvsそんなの関係ねぇ 朝鮮人と日本人の激論に近いんだろうな。 日本人(普通の脳科学者&物理学者)うんざり。
神経をたどっていけは、脳内の感じる位置、すなわちクオリアにたどり付くのかな。
>>647 まあ、それが詭弁なんだな
あそこ書き直せないもん。誰もが書き直せるから
長期間間違った状態が続くと固定化されてしまって書き直せなくなる。
>>657 そして、この開き直りですよ。「間違ってない」ではなく「修正しな」ですか?
デタラメをバラ撒いているのを認めるんですね。
>>651 それもwiki中毒者の特徴だな。
「みんな、○○は無視してね!相手にしちゃ駄目だよ!」と
まるで小学生みたいなリアクションをとる。実質的には
『無視』ではなく『仲間外れ』ごっこをすることで、奇妙な一体感を
味わっているだけだろう。
それに無視されたら困るよ。間違いなくこのスレは、何かから影響を受けている。 それがwikiである可能性は高い。wikiには正しいことも書いてあるが 間違ったことも書いてあり、素人は正誤の判断ができないので間違いを鵜呑みにする。 その間違いを鵜呑みにして、このスレにやって来ているのだとしたら困った事態であり スレがループするのは当然の帰結。玄人の中にも、一部の正解を根拠にwiki全体を 推称している人がいるが、そんな事すればますます混乱していくばかりだろう。
>>679 >あそこ書き直せないもん。誰もが書き直せるから
>長期間間違った状態が続くと固定化されてしまって書き直せなくなる。
そんな機能はなかったと思うが・・・・。
書き直せなくなるのは、荒らしや編集合戦とかで保護がかかったときだけでしょう。
なんか政治的な問題がからまない学術系の項目でそういうことってあんまり起きないよ。
間違ってる個所があるなら具体的に指摘すればいいと思うが。
クオリアが何も実用モデルで定義できない時点で、 名ばかりのインチキといわれても当然だろ、 そのモデルで何か実用なものを1つでも出せよ。 クオリアがなんか応用できるのか?クオリアで精神活動で進歩した 成果を具体的にだせたのか? いあ、それは何も出来てない。 脳が神経細胞の集まり呼ぶだけの説明で何が説明といえるんだ。 クオリアの一言で片付けるのは痛いだけ
何をイライラしてるんだ? 批判的なものでも肯定的なものでもクオリア研究に関する本は 面白いのが多いから、読まないと損だよ。読んでないよな?
クオリアがインチキ? 「ボクの意識経験はインチキです」ってカミングアウトか?
>>679-680 いいかげんうるさい。
クオリアに関する議論のループは2chだからじゃなくてどこでも(つまり専門家の間でも)起きてること。
とりあえず英語ひとつ読めない時点で君の年齢(または教育レベルは)知れてる。
日本語で「感情とクオリアの謎」という本が読めるから、とりあえずそれでもよんどきなはい。
>>686 『感情とクオリアの謎』面白かった?
新しい議論してる人、いた?
新しい議論ってどんなことを言ってるんだろう。
>>688 今回工学者も参加して座談会もやったりしてるので、
まあ目新しい論点というか今までとはちょっと違う角度からの話というかそんな意味です、すみません・・・。
理系の板にクオリアのスレが無いな。 茂木ちゃんのスレはあるのに。
MGS4やっとクリアした。
>>631 どちらかというと脳が視覚の情報を経験してないから
夢としてそれが現れない…と考えたほうがしっくりくる
なんだかそれだと脳ではなくクオリアが夢の根源みたいで違和感を感じる
クオリアに偽はなく、常にクオリアは真。 >>629の文章に赤という文字が3つ出てきているけど、同じ赤なのに 「赤」と「赤っぽい」と「赤」と置き換えている時点で、彼の中でも私の中でも 真の赤のクオリアは「赤」と入力したときの質感でしかない。 クオリアとはそういう性質のもの。
694 :
考える名無しさん :2008/06/20(金) 15:03:10 0
とりあえずこのスレを覗いていてわかったのは クオリアっていうのは科学的方法論にどっぷり漬った ひとにはなかなか理解できないってことかな。 科学でなければ宗教だ、みたいな狭い世界に住んでいるから どうしても科学的アプローチへ突き進んで行っちゃうんだよね。 ほかの考え方が存在するってことを知らないんだろうね。
695 :
その2の583 :2008/06/20(金) 15:38:13 0
>どうしても科学的アプローチへ突き進んで行っちゃうんだよね。 >ほかの考え方が存在するってことを知らないんだろうね。 これはむしろクオリア論者の方に多いと思うが。 私がこのスレで議論した相手のほとんどがそう。 「科学では扱わない問題だ」というと、(ほかの考え方が存在するってことを知らない)から、 それがイコールクオリアそのものを否定されたと解釈してしまう。 果ては、「扱えるように科学を変えろ」とか言い出してしまう。
>>695 そうかな。
おれの印象はまたちがうんだけど。
「クオリアというものが存在し、それは科学では扱えない」
なんていうと科学を否定されたと解釈してしまう。
果てはクオリアを幽霊と同列にしてオカルト呼ばわり。
クオリア論者にそんなやつはいないんじゃないかな。
697 :
その2の583 :2008/06/20(金) 16:02:00 0
>>696 >「クオリアというものが存在し、それは科学では扱えない」
>なんていうと科学を否定されたと解釈してしまう。
というかその、「扱えない」のニュアンスの問題。
・「本来扱うべきものだが、なんらかの不備により扱う能力が無い」
・「本来扱うべきものでない」
あなたをはじめクオリア論者は前者の意味で発言する。
だから「扱え「ない」」という言い方になってしまう。
それは誤解だ、ということを言っているだけなのに、先入観(科学を絶対だと思っているであろう)があるから、
>なんていうと科学を否定されたと解釈してしまう。
と、解釈してしまう。
そもそも、「科学は(クオリアを含め)なんでも扱うべき」という考え方が、
クオリア論者が、
>科学でなければ宗教だ、みたいな狭い世界に住んでいるから
>どうしても科学的アプローチへ突き進んで行っちゃうんだよね。
という状態になっていることの証明なんだよね。
別に、科学が絶対なわけでも、宗教が否定されるべきものでもないのに。
>クオリア論者にそんなやつはいないんじゃないかな。
じゃあ、私が今まで何度もこのスレでやってきた議論はなんだったの?
そもそも、クオリアって科学で扱えないのか? 医学だの何だの、普通に扱っていると思うのだが。
クオリアがなければ、そもそも科学はなかっただけかもね。
>>697 >・「本来扱うべきものだが、なんらかの不備により扱う能力が無い」
とは思わないよ。本来扱うべきでもない。
科学には科学のやる領域があるからね。
ただ
>なんらかの不備により扱う能力が無い
というのはある意味そのとおり。
>科学を絶対だと思っているであろう
そう思っているひとはけっこういるだろうね。
聞いたら否定するだろうけど。
そうでなければ幽霊だのなんだのっていう話にはならんだろう。
だからその先入観は間違っているともいえない。
>別に、科学が絶対なわけでも、宗教が否定されるべきものでもないのに。
そのとおりだね。でもそう思える人はここでは少数じゃないかな。
>じゃあ、私が今まで何度もこのスレでやってきた議論はなんだったの?
さぁ、なんでしょう。相手を間違っていたんじゃないの?
>>697 > というかその、「扱えない」のニュアンスの問題。
>
> ・「本来扱うべきものだが、なんらかの不備により扱う能力が無い」
から扱えない
> ・「本来扱うべきものでない」
から扱わない
クオリアは科学的要素だから、扱うべきものではなく、クオリアを用いるのが科学
って事?となると、そういう立場の人はくオリアについて議論するのは不毛なのも
わかる気がする。
>
702 :
その2の583 :2008/06/20(金) 16:57:25 0
>>700 >とは思わないよ。本来扱うべきでもない。
であれば、
>>なんらかの不備により扱う能力が無い
>というのはある意味そのとおり。
というのは不適切じゃないの?
その考え方だと、自動車が空を飛べないのは不備ということになる。
>>科学を絶対だと思っているであろう
>そう思っているひとはけっこういるだろうね。
>そうでなければ幽霊だのなんだのっていう話にはならんだろう。
その理屈がよくわからない。幽霊の存在が科学的に認められていないからといって、
幽霊が絶対存在しないということにはならないんだよ?
>だからその先入観は間違っているともいえない。
「そういうひとはけっこういるだろうね」という先入観を、
特定の相手に対して、相手の考えをろくに確認せずに当てはめるのは、
間違っているんじゃないの?
>さぁ、なんでしょう。相手を間違っていたんじゃないの?
君の
>あえずこのスレを覗いていてわかったのは
ってのは、そのレベルの読み方しかしないで言っているわけね。
703 :
その2の583 :2008/06/20(金) 17:00:33 0
>>701 >クオリアは科学的要素
あなたの言う「科学的要素」って何?
とりあえず、私は科学がクオリアを扱わない理由を少なくとも3回ぐらいは書いているとおもうんだけど。
過去レスからステハン検索するのも面倒なの?
>>702 >というのは不適切じゃないの?
>その考え方だと、自動車が空を飛べないのは不備ということになる。
自動車が3次元空間の全てを移動できるツールであるべきだとするなら
空を飛べないのは不備ということになるね。
科学がクオリアを扱えないというのは自動車が空をとべないということと同じ。
自動車は空を飛べるが飛ばない。ではない。
>その理屈がよくわからない。幽霊の存在が科学的に認められていないからといって、
>幽霊が絶対存在しないということにはならないんだよ?
それは幽霊をもちだしてオカルト云々言うやつにいってやれよ。
>特定の相手に対して、相手の考えをろくに確認せずに当てはめるのは、
>間違っているんじゃないの?
幽霊をもちだしてオカルト云々言うやつに当てはめているわけだから
間違っていないだろ。
>ってのは、そのレベルの読み方しかしないで言っているわけね。
さぁ。それだけではなんの話をされているのかわからんね。
過去レスからステハン検索ってどうやるの?
706 :
その2の583 :2008/06/20(金) 17:17:22 0
>>704 >自動車は空を飛べるが飛ばない。ではない。
で、あなたの日本語では、「そういうこと」も「不備」と表現するわけね。
>それは幽霊をもちだしてオカルト云々言うやつにいってやれよ。
いや、別に、オカルトも、オカルトだから絶対間違っているというわけではないよ。
単に、科学ではないというだけ。だから、クオリアが幽霊と同様であろうと、オカルトだろうと、
クオリアが否定されるわけではない。(科学を絶対視していない限りは)。
>幽霊をもちだしてオカルト云々言うやつに当てはめているわけだから
>間違っていないだろ。
単に、幽霊と同様であるとか、オカルトであるというだけでは、
科学を絶対視しているとはいえないよ、「だから間違いだ」と結論づけるのでない限り。
>さぁ。それだけではなんの話をされているのかわからんね。
いや、君がわかってないってのは、もう分かったから念を押さなくてもいい。
>>706 >で、あなたの日本語では、「そういうこと」も「不備」と表現するわけね。
自動車が3次元空間の全てを移動できるツールであるべきだとするなら
って書いてあるのが読めないのか、はたまた理解が及ばないのか。
>いや、別に、オカルトも、オカルトだから絶対間違っているというわけではないよ。
だからそれは幽霊をもちだしてオカルト云々言うやつにいってやれよ。
>単に、幽霊と同様であるとか、オカルトであるというだけでは、
>科学を絶対視しているとはいえないよ、「だから間違いだ」と結論づけるのでない限り。
君は文章が読めても相手の意図が読めないようだね。
> いや、君がわかってないってのは、もう分かったから念を押さなくてもいい。
あっそう。
708 :
その2の583 :2008/06/20(金) 17:42:15 0
>>707 >自動車が3次元空間の全てを移動できるツールであるべきだとするなら
>って書いてあるのが読めないのか、はたまた理解が及ばないのか。
だからさ、君の、
>科学には科学のやる領域があるからね。
>ただ
>>なんらかの不備により扱う能力が無い
>>というのはある意味そのとおり。
ろいう理屈では、「あるべきとするわけではない」としても不備だってことになるんじゃね?
>だからそれは幽霊をもちだしてオカルト云々言うやつにいってやれよ。
だからさ、ここで問題にしているのは「科学を絶対視すること」なのよ。
だから、単に「幽霊をもちだしてオカルト云々言う」だけでは、「科学を絶対視」していることにはならないということが言いたいの。
むしろ、「幽霊をもちだしてオカルト云々言」われたことを問題視する考えかたの方が、「科学を絶対視」していることになるわけよ。
科学を絶対視しないのなら、クオリアが幽霊と同様であろうと、オカルトであろうと、それがイコールクオリアの否定ではないのだから、
意に介する必要はないはずで、この議論の引きあいに出す必要もないわけ。
つまり、科学を絶対視しているのは、
>果てはクオリアを幽霊と同列にしてオカルト呼ばわり。
ということを問題視するあなたのほうであるということを言っているの。
>>708 基本的に君みたいに科学がどういう知的営みなのかを理解している
ひとに対して言っているわけじゃないからね。それがまず前提。
だから
>単に「幽霊をもちだしてオカルト云々言う」だけでは、「科学を絶対視」していることにはならない
っていうのはそこだけとってみればそのとおり、当たり前の話なんだけれど
それが「クオリアなどない。幽霊のような観察できない対象について云々するのはオカルトと同じ」
という主張とともに出てくるとはなしも変わってくるよね。
自然科学的方法による観察できない対象は存在しない。幽霊もクオリアもってことだから、
それは自然科学を絶対視していないなどとはとてもじゃないが言えない。
>つまり、科学を絶対視しているのは、
>>果てはクオリアを幽霊と同列にしてオカルト呼ばわり。
>ということを問題視するあなたのほうであるということを言っているの。
ということでそれは誤解だね。
>>703 科学がクオリアを扱わない理由は知りませんが、私は
クオリアは科学的要素だから、扱うべきものではないなら
クオリアについて議論してきたのはなんだったの!って
気持ちになるのも無理無いなって言っただけで、
科学がクオリアを扱わない理由に興味ないです。
711 :
その2の583 :2008/06/20(金) 18:07:22 0
>>709 細かい言い方の違いだけになってきたな。
基本的には了解。
>それが「クオリアなどない。幽霊のような観察できない対象について云々するのはオカルトと同じ」
>という主張とともに出てくるとはなしも変わってくるよね。
まあ、基本的にはオカルトであっても存在しないといえる理由にはならないんだけど、
>自然科学的方法による観察できない対象は存在しない。幽霊もクオリアもってことだから、
ならば、その主張をしているほうがおかしい。
まあ、逆に言うと、「そういう意味では幽霊と同じだけど、それが何か?」
というような切り替えしがあってもいいと思う。
そうならなくて、そのまま、幽霊、オカルトを持ち出した批判が、そのままクオリアの存在についての議論に繋がってしまうのは、
両者が科学を絶対視しすぎているってことなんじゃないかなと思う。
そういう意味で、クオリアについて、肯定的な人にも、批判的な人にも、科学を絶対視しすぎている人はいると思う。
>>711 >そういう意味で、クオリアについて、肯定的な人にも、批判的な人にも、科学を絶対視しすぎている人はいると思う。
そういう傾向はあるね。
・クオリアがある。科学はどうにかしてこれを扱わねばならない。
・クオリアがある。これを扱うためには科学を拡張しなければならない。
なんてのもよく聞くはなしだよね。
別に科学とか関係ないじゃんってひとはあまり聞かない。
そういう主観の相違を議論しあうのってクオリアとなんの関係ないってのと同じ事。
科学の議論も省略されてはいるが主観の相違なんだけど。
クオリアは主観の相違って言いたいの?
「水は主観の相違」意味不明。
「必殺仕事人」の評価は中村主水をどう観るかで変わってくるってことじゃね?
>>717 そうだろうか。
むしろ主水以外のメンバーがシリーズの評価におおきく影響を与える気がするが。
>>681 機能よりも慣習としてだろう。どちらかと言うとポリティカルな問題で動かせない。
>>682 『類義語を採用しない理由』の節
>>686 うるさいと思うのなら、まず、うるさくされる理由をいさぎよく認めましょう。
「地頭」というのがあってだな、いくら教育をしても、元がバカだと、やっぱバカ。
例えば、医師であっても振り込め詐欺の被害に遭うのは頻繁だ。
騙すとか欺瞞とかは、教育レベルよりも、むしろ社会経験の方が物をいうだろう。
俺が英語が出来なくとも、相手が変なことを言ってることを見抜けるよ。
「物理主義」が変だってのは、まず「物理主義」という日本語が存在しないことだ。
だから英語の問題じゃないわけ。これは翻訳の問題。翻訳は文化的なセンスと、創作的なセンスが
ないと、逐語訳になってしまう。他にも、もし英語の翻訳で「気持ちは分かります」なんて訳が
あったら、変なのは英語ができなくてもわかるだろう。「気持ちはわかる」なんて日本の文化に
依拠した言葉であり額面どおりの意味ではないからな。もし本当に他者の気持ちが分かったら
テレパシーだ。
社会学やマスコミだとメディアを斜めに見るのに、哲学だと素直すぎる傾向にあるのな。
哲学やってる人って、メディアリテラシーは低いのかなって思った。
>>694 それは宗教を知らないだけではないか?
古くは数学も宗教だよ。
それと《幽霊》がオカルトと考えるのは一般教養が欠落している。
便宜上の言葉というのがあって、自分の言葉に置き換えをするときには
人間ってのは馴染み深い言葉に直す習性があるものだ。
「専門バカ」ってのがあって、一般教養が欠落していると変人になる。
《幽霊》なんて、とても一般的で普通の言葉なのだから、何か未知のものを
解説する際に使うのは、神話学的には最適だと言えるだろう。
>>719 >機能よりも慣習としてだろう。どちらかと言うとポリティカルな問題で動かせない。
「ポリティカルな問題」って、具体的にはどういうこと?動かすと何が起きるの?
少なくとも、自分が内容を修正したときにそういう問題に突き当たったことはないよ。
722 :
考える名無しさん :2008/06/22(日) 19:18:03 0
>>719 >『類義語を採用しない理由』の節
で、どういう風に間違っているのか具体的な指摘はできないの?
>>719 ただの馬鹿だな。その意味ではphysicalismって英語も存在しないよ。
物理主義っていう単語を目にしたことがないくらいの 読書量だということはよくわかる。
読書量以前の問題だろw
現象報告のパラドックスについて質問したいんだけど、これがなぜパラドックスなのかがわからない 「クオリアが脳に何もフィードバックを返さないのなら(物理主義)、脳がクオリアを論じることはできないはず」 というのはわかるのだけど、そもそも脳に 「俺はクオリアを発生させるらしい」 っていう基本情報がプリインストールされていると考えれば、パラドックスにならない気がするのだけど。 赤ん坊は教えられなくても授乳ができる(授乳という行為の方法がプリインストールされている)し、空気も吸える。 脳が外部的要因でクオリアを学んぶのではなく、「クオリアという存在を知っている」という機能も(最初から)持っているのが脳なのでは?と。
728 :
考える名無しさん :2008/06/27(金) 17:43:08 0
>>726 同じ話を進化の過程でしようとしてみるとよい。
>>726 現象報告のパラドクスはクオリアが物理的な因果の外にあると考えるときに発生するパラドクスですよね。
そのような考えをとらない場合、例えばあなたのように脳にクオリアがプリセットされていると考える場合パラドクスが生じないのはむしろ当たり前でしょう。
それならそれでメカニズムやらなんやら説明しなきゃいけないことが山ほど出てくると思いますが、
とりあえず現象報告のパラドクスに悩むようなことはないはずです。
現象報告のパラドクスに答えないといけないのは、クオリアを随伴現象として片付けてしまうような物理主義者、
あるいは逆にゾンビや逆転クオリアが可能だと考えるような人たちだと思います。
>>728 ラマチャンドランによる、進化の過程でクオリアが獲得されたことの説明。
・判断を必要とする主体にクオリアを体感させることで、情報を強制的に知らしめることが出来る。
・想像や推理の余地を与えないことで主体の行動を最適化させることが出来る。
この主観内部のクオリアとクオリアでないものの差異についても機能主義的に説明していて見事だった。
>>729 だね。「体感」というものは主体の一部と同一なので、これを客観的に語る場合に
翻訳上の問題が起こるのは当たり前の話。クオリアを「これだよ、この赤い感じ」という文脈で説明したいのなら、
相手の脳を直接刺激しなければいけない。その代替行為として赤い丸を見せるという方法を取ると、
往々にして意図の混乱が起こる。
相手の主体の状態を変化させようとしてるくせに(その意味で脳を直接刺激しているのと同じこと)、
客観的に記述できるというふうに考えてしまいがち。
「赤いんだ」と報告したところで、結局は何も言ってないに等しいってことだね。
授乳というのは、観察できる行動だから、それを説明する理屈を考えるのに意味はあるけど、 クオリアを説明する理屈が必要な理由はないでしょ。
>>730 >
>>728 > ラマチャンドランによる、進化の過程でクオリアが獲得されたことの説明。
> ・判断を必要とする主体にクオリアを体感させることで、情報を強制的に知らしめることが出来る。
> ・想像や推理の余地を与えないことで主体の行動を最適化させることが出来る。
> この主観内部のクオリアとクオリアでないものの差異についても機能主義的に説明していて見事だった。
これでいいんか?
機能主義的な説明は常に「その機能はクオリアなしでも実現できる」と返されて終わりだろ。
上記のラマチャンドランのやつも同様。
しかもなんか暗黙のうちにホムンクルスを仮定しているようなにおいがプンプンする。
>>729 そういえば以前物理主義者ではないおれに向かって
現象報告のパラドックスをどう説明するんだって聞いた
まぬけがいたっけ。
しかし、よくもまあ、クオリアなんて架空の概念について、ここまで熱くなれるもんだ。 文系の哲学屋さんは、本当にそんなものを信じてるんだろうか?
もしかして、このスレの住人さんは、いわゆる「文系」?
「クオリア」など、語るに足るテーマにすらならないよ。
737 :
考える名無しさん :2008/06/28(土) 08:58:28 0
架空の概念って・・・頭痛が痛い日本語を平気で使うのね理系さんは。
分子も原子もクォークも、人間が仮定した概念ですよ。 クオリアとの違いは、それを仮定しないと説明できない観測事実の有無だけ。
というか、その「観測事実」というのがクオリアと違うの?
>>739 そのまえに、あなたにおける「クオリア」があなたにおける「観測事実」の
どのような要件を満たしているのかを示してくれませんか。
対応内容を示さなくてよいのなら、「○○は△△と違うの?」という疑問は、
○○と△△がなんであっても言うことができますよ。
幽霊を研究してる科学者がいたらキ○ガイとしか思われないだろう。 だが「幽霊」を「クオリア」にするだけで本が沢山売れ、マスコミからも引く手あまた。 実在しないもので食っていける文系商売というのは楽でいいね。
まあでも、クオリアの本書くより幽霊の本書いたほうが多分儲かるな。
743 :
考える名無しさん :2008/06/28(土) 16:26:43 0
それはスピリチュアルのことかー!
744 :
考える名無しさん :2008/06/28(土) 17:27:53 0
俺は木村カエラと一緒にアクエリアスが飲みたい。
>>734 まぁアレだな。
温暖化も科学的根拠がないとか言ってるヤツといっしょ。
架空なんつったら世の中全部架空だろ。
文系とか哲学屋とか、単に自分はお前らより高次なトコにいるよ、と言いたいだけ。ここに書き込む意味もない。
>>732 確かに言い方が悪かった。ラマチャンドランはクオリアの形而上学的な意味には興味がないと言ってる。
むしろ脳の一つの状態として「クオリア状態」というものを規定してるのに近いかもしれない。
クオリア的な状態がないと脳は困るか?困らないか?という話。
おれはクオリア状態は必要に迫られて存在しているものだと思うよ。
あとこのスレの混乱の多くもクオリアの機能的側面と形而上学的側面を別で考えてない
ことに起因してるっぽい。その意味でもラマチャンドランはすすめたい。面白いし。
もうアレだな。 wikiを否定するヤツも別に代替定義を示すわけでもないし、 お前らが読んで面白かったクオリア系著作物を挙げてみようぜ そんで一万字くらいでレポート書いてzipでうp。 それぞれのレポについて順番に皆で叩くw
748 :
考える名無しさん :2008/06/28(土) 22:32:55 0
>>746 > あとこのスレの混乱の多くもクオリアの機能的側面と形而上学的側面を別で考えてない
> ことに起因してるっぽい。その意味でもラマチャンドランはすすめたい。面白いし。
クオリアを唯一観測することが出来る視点つまり主観の視点(これはこれでいい加減な言い方だがw)にたつと、
引用したラマチャンドランの発言はクオリアの機能的側面(あるなら)に関する仮定としては意味がない。
つまり、ホムンクルスに見えるし、無用だという見解も出てくるのが普通。
安易に外からの視点に思考を広げないほうがよいだろう。安易に出て行くと容易に似非科学化するからな。
例えば、
> クオリア的な状態がないと脳は困るか?困らないか?という話。
> おれはクオリア状態は必要に迫られて存在しているものだと思うよ。
というのは728氏の思考実験への回答には全くなっていないように見える。
言いたいことは何となく分かるが、最低でもクオリアについて何かを語りうる視点に立っていないという一点において、
発言全体を自分で根無し草にしている様に見える。
赤の色は、光の波長の数値で、物理学で厳密に定義できる。 したがって赤の色のクオリアなど不要。
>>747 wikiを肯定してる奴こそいないよ。哲学板の奴がどれだけ専門バカなのかよーくわかった。
俺としては一般的なレベルで言ったつもりなんだよ。wikiの信頼度なんてこの程度だろうな〜。
と思ってスレに書いたのに、反応が激しいから驚いた。
>>722 要するに、「カレーのレシピ」を読もうとしたら「カレーが日本文化にどれだけ浸透しているか」
の、研究を発表されてるようなものだ。
「クオリア」という名詞がどれだけ使われているか調べるのも、それはそれで文献研究としては
意味があるだろうが、しかし趣旨とは違う。
751 :
考える名無しさん :2008/06/29(日) 10:17:59 0
>>749 >光の波長の数値
・・・は色ではない。数値は無色だ。
波長に色は無い。色はクオリアで感じるものだ。
>>750 都合の悪いところはばっさり切り捨ててきた/な。
>wikiの信頼度なんてこの程度だろうな〜。
確かに「その程度」のレスならたいした反応はなかったろう。
反応が激しかったのはあなたが、
「その程度」を大きく逸脱したことを書いた(君は、その点についてのレスは都合よく無視しているが・・・)
からだよん。
753 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 13:50:00 0
>>749 > 赤の色は、光の波長の数値で、物理学で厳密に定義できる。
物理学で厳密に定義、ではなく、心理学でそのように認定できる、だろう。
ちなみに心理学がやっていることは報告ないし行動のパターンの蓄積と分析であるが、その立場でクオリアが「必要ない」という見解が出るのは当然のことである。
この種のワカランチンはほぼ全員、「必要ない」というそれはそれで正しい見解に寄生して、元々正しかったはずの見解を腐敗させているいるだけである。
なお、
> 赤の色は、光の波長の数値で、物理学で厳密に定義できる。
出来るというなら、書いてみろ、というレスもある。
754 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 14:37:55 0
> 赤の色は、光の波長の数値で、物理学で厳密に定義できる。 何かこの種の間違いが流布しているようだが、 網膜の色覚細胞に三種類あってそれらの刺激の度合いで色が 感じられると言う、少し怪しげな生理学的説明しかできないよ。 物理的にまったくスペクトルが違うのにほぼ同じ色に見える 場合とかも当然ある。
「赤紫色を波長で厳密に定義してみてほしいものだ
物理学においても、波長の定義は便宜的なものでしかないでしょう。 つまり、物理学における「赤の定義」というのは、「赤についての絶対的な真理」ではなく、 例えば、さまざまな実験を同一の条件、対象について行うために、 恣意的に定めた物に過ぎない。
物理学そのものが絶対的な真理などではなく あくまでも便宜的なものだって 素直にいえばいいじゃない。
>>756 そもそも物理学で赤の定義なんかしてるのか?
どういう分野でどういう目的があってそんなことするの?
ありもしないものをさもあるかのように語ってないか?
コラー(クォリァー)!! こんなスレ立ておってーー!! その…なんだ…ごめん
762 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 22:24:02 0
カラーコーディネーターの資格試験むずいよ。
>>758 ニュートンの最初の研究は色彩に関するものだったし、
「赤方偏移」「赤外線」というようなことを言うとき、一定の定義はあるでしょう。
もちろん、最初に言ったように、それらはその目的に必要な範囲での
便宜的なものでしかないわけですが。
>>763 > ニュートンの最初の研究は色彩に関するものだったし、
だからなんなんだ
> 「赤方偏移」「赤外線」というようなことを言うとき、一定の定義はあるでしょう。
「赤方偏移」や「赤外線」の定義はあっても「赤」の定義はないだろ。
ここで使われてる「赤」ってのは単なる日常的な用法からの流用であって、
物理学で「赤」が定義されてるわけじゃない。
そもそも物理の世界に色などない(比ゆ的に用いられるだけ)
765 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 12:23:28 0
「赤っていうのはこういうものですよ」って誰かが教えてくれたから どれが「赤」なのかがわかる、ってだけでしょ? 「赤のクオリア」なるものがどこかにあって、それが「これが赤だぞ!」って示してくれるわけじゃない。
なぜ素人である自分の思いつきが世界中で議論されているこの問題全体を 否定できるなどと思うのだろうか? なぜ自分で勉強してから参加しようと考えないのだろうか? なぜこういう馬鹿が後を絶たないのだろうか? 世界はひろい
767 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 13:07:17 0
>>766 素人じゃない人が皆「クオリア」なるものの存在を認めているというわけではないぞ。
>>766 哲学は勉強しなくてもできると誤解されてるからだろ。
>>767 なるほど。きみはその「素人じゃない人」が
>>765 のようなレベルの理由で
クオリアの存在を認めていないのだと思っているわけか。
世界はひろい
>>768 あぁ、それはあるかもしれないね。
770 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 13:26:09 0
>>769 「君」とかいう話じゃなくて、世の中には「クオリアなんて存在しなくても世界は説明できる」
と考える「専門家」はたくさんいますよ、というだけだよ。
一応断っておくが、これと「クオリアなんて無い」という事が正しい、という事は必ずしもイコールじゃないからね。
だいたいさ、「クオリアの存在を認める」って、おかしな言い回しだと思わない?
そういうのならばはっきり質問してしまうけど、「クオリア」って何?
またかよw
なぜ素人である自分の思いつきが世界中で議論されているこの問題全体を 否定できるなどと思うのだろうか? なぜ自分で勉強してから参加しようと考えないのだろうか? なぜこういう馬鹿が後を絶たないのだろうか? 世界はひろい
むしろクオリアの存在を認めている物理学者は少数派だね。 あったとしてもそれが物理現象に影響を与えない、つまりあっても無くても結果は同じ、とするくらいがせいぜいで。
そりゃそうだろう。物理学者は哲学の素人なんだから。 なにが問題なのかすら理解してないんじゃないのか。
775 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 13:56:58 0
>773 >むしろクオリアの存在を認めている物理学者は少数派だね。 クオリアが物理ではないことは間違いない。
え?クオリア問題について考えるとき物理について考える事を避ける人はほとんどいないと思うのだが。 物理学者も専門家の一部だよ。
>>773 物理学者は素人だし哲学の勉強もしてない。アホか。
繰り返すが、哲学だけなぜか予備知識がなくても語る資格がある
と勘違いされる傾向にある。
だから、勉強は面倒だが、何か一端のことを言った気になりたいアホが
ワラワラと集まってくる。
778 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 14:00:22 0
>え?精神論&宗教問題について考えるとき物理について考える事を避ける人は >ほとんどいないと思うのだが。 どうゆうこと?
779 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 14:03:49 0
>>776 クオリアを語る前に初歩的なロジックの勉強をしてはどうか。
「クオリアの問題を考えるのに物理が必要」から、どうして
「物理学者もクオリアの専門家」が出てくるのか。
なんだこのスレ・・・。 まず確認しておきたいのだが、 まさかクオリア問題を考える上では物理学の事は無視していい、と考えている人はいないよね?
781 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 14:07:56 0
どちらがいるいらないという話ではなく 結局両方深く勉強してる人じゃないと解けない問題だと思うよ
>>780 なんでそんなこと確認する必要があるんだ?
そんなことぜんぜん問題になってないのに。
783 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 14:09:53 0
>物理学者は素人だし哲学の勉強もしてない。アホか。 繰り返すが、哲学だけなぜか予備知識がなくても語る資格がある と勘違いされる傾向にある。 だから、勉強は面倒だが、何か一端のことを言った気になりたいアホが ワラワラと集まってくる。 お前も一端のことを言ってからぬかせ。そんな遠吠えなんぞ犬の餌にもならんわ。
>>782 物理学がなんなのかよくわかっていないやつなんだよ。
>>783 本当に遠吠えと思うならそう反応しなくていいよw
786 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 14:22:41 0
>なんだこのスレ・・・。 >まず確認しておきたいのだが、 >まさか精神論問題を考える上では物理学の事は無視していい、 >と考えている人はいないよね? どういうこと?
787 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 14:23:14 0
>なんだこのスレ・・・。 >まず確認しておきたいのだが、 >まさか宗教問題を考える上では物理学の事は無視していい、 >と考えている人はいないよね? どういうこと?
788 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 14:24:41 0
>なんだこのスレ・・・。 >まず確認しておきたいのだが、 >まさか心霊的問題を考える上では物理学の事は無視していい、 >と考えている人はいないよね? どういうこと?
認識論の話だから物理学は無視してもいいんだけど。 物理にリンクさせたければそうすればいいだけの話だよ。 なんでそんな基本的なこと聞くの?
1.クオリアというのは、例えば主観的に感じる「赤い色」のことである。 2.光の波長や、眼球や視神経の構造や、脳の色覚を司る部位の物理状態を どんなに分析しても、そこから「主観的な赤い色のクオリア」は説明できない。 これが問題である。 この理解は間違ってますか?
791 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 14:47:49 0
クオリアについて専門的に考えている人で 物理に関する事は無視していいと思ってる人はいないだろう。 「物理学的考え方をすると、これこれこういう事になる」 という話に「ちょっとまて」と異論を挟む、というのはクオリアに関する話ではよく出てくる展開だぞ。
>>791 それは「クオリア」という概念をせまく捉えているからだよ。
「クオリア」を以前からある認識論で扱われる概念の一つとして考えれば、
つまりロックからフッサールに至る長い認識論の射程でとらえればいいはなし。
現在の扱われ方が自然科学との関係に偏りすぎている。
793 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 15:15:44 0
>現在の扱われ方が自然科学との関係に偏りすぎている。 という意見があるのももちろんわかるが、 現在クオリアについて考えている専門家で物理は無視してよいと思っている人なんてほとんどいないでしょ? たしかに偏りがあるのはどうかと思うが、「物理は無視でOK]ってのもまた偏りすぎでしょう。
クオリアの議論はいろんなやり方があるわけで、自然科学の知見が出てこない議論ももちろんありですよね。 でもそこでの議論も自然科学の知見と不整合というか、とんでもない飛躍はちょっと認められないですよね。 まあ、「物理学を無視していい」ってそういう意味ではないとは思いますけど、 言い方が少しきつくて誤解されるかもとちょっと思いました。
物理学は無視していいんだよ。 目の前にあるテーブルについて議論するのに 物理学は必要ないだろ。
796 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 16:06:46 0
>>795 それは議論次第。文脈を無視しちゃダメ。
>>796 文脈を無視しているもりはないよ。
>まさかクオリア問題を考える上では物理学の事は無視していい、と考えている人はいないよね?
これが発端だろ。
798 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 16:51:04 0
物理学を持ち出すなら、主観論で語ればトンデモ扱いされるのが当たり前だろ 客観論で話せよ、ソフトウエアは物質的に存在しないが、情報として存在する。 しかし物理的な要因なしで存在はできないから物理的なハードウエアを込みで 考えるが、物理的な素材が違っても情報のモデルが同じならば架空の物理層 つまりソフトウエアのみで実現する仮想ハードウエアでも実行可能だろ、 つまりソフトウエアは動作させる土台が物理的なものでなくても機能するわけだ。 神秘主義者が何を言うんだ。スピリチア信者だろ?茂木もスピリチア発言 するようになってからトンデモ扱いされるようになったわけだ。
また馬鹿がわいてきたか。
>>797 だな。みんな
>>780 のピンボケレスに釣られすぎ。
というか優しく相手しすぎ。そんなことしてるから
いつものバカもわいてくる。
>>780 は全然ピンボケじゃないよ。
実際、今哲学業界で論じられてるクオリアの問題は物理学との関係を論じるものが多いだろ。
この現状を理解するなら物理と無関係にクオリアを考えることは当然出来るとしても、だから物理学を無視していいとは決していえない。
あとバカがわいてくるのは関係ない。
ていうかいつものバカって誰よ?
803 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 18:34:55 0
780バカそのもの
801もそうとう馬鹿だな
>>801 >あとバカがわいてくるのは関係ない。
これは君が正しいのかもしれないが、
>>780 のズレっぷりを見抜けないのはちょっとどうかと思う。
>>764 >「赤方偏移」や「赤外線」の定義はあっても「赤」の定義はないだろ。
よくわからないが、そういう意味の「定義」というものは、ないのかもしれないね。
逆に、物理学以外のところに存在する、君の納得する意味での、「赤の定義」
って具体的例を挙げると何?
>>806 wikipediaで「赤」見りゃいろいろ載ってる
>>807 つまり、君は、これは「赤」の定義として認めるんだ?
>国際照明委員会 (CIE) は700 nm の波長をRGB表色系において赤(R)と規定している(赤より波長の長い光を赤外線と呼ぶ)。熟したイチゴや血液のような色の総称。語源は「明(アカ)るい」に通じるとされる。「朱・緋(あけ)」の表記が用いられることもある。
そして、物理学は「こういう」定義はしていない、と主張しているわけだね?
>>808 照明なんかの分野は人が感じる色彩に直接関わるから
どのような物理刺激がどのような色彩感を生じさせるかについて
業界内でのコンセンサスが必要。
よって業界内で「赤」の定義が存在し、実際の業務でも用いられる。
物理学では人が色をどう感じるかなんて問題にしないから
色名を物理学の体系内できっちり定義する必要がない。
よって「赤」の物理学的な定義など誰もしないし使うこともない。
>>809 まあ、必要がないのなら別に定義しなくてもいいね。
つまりは >赤の色は、光の波長の数値で、物理学で厳密に定義できる。 なんて書くやつはアホだがそれに対して >つまり、物理学における「赤の定義」というのは・・・ なんてレスするやつもどっこいどっこいだってことだな
なぜ?
813 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 11:21:33 0
「色」が物理の対象になら無いのはどうしてかと言う問題は残るね。 光の波長は物理対象てあっても色は物理では扱えないのはどうしてかな。
神経は物理対象であっても痛みは物理では扱えないのと同じでは
815 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 12:02:56 0
>>814 痛みの発生する物理(生理)は解明されているから麻酔などの薬品が
有効なのだろう。痛みも物理で解明できる。
816 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 12:15:59 0
>>815 そういう言い方でいいなら、何故色がついてみえるかは物理で説明できる事になるが。
痛みが解明できたのではなく、痛みの経路の仕組みの一部を解明できたわけで 痛みという高次的な認知が解明できたわけではない。
色という感覚(生物センサー)が物理で解明できても 色という価値観の高次の陳述可能な認知となる意識下の意味が、物理で解明できると いう説明は現状ではなりたたない。
819 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 13:08:20 0
>>818 何をもって「解明」とするの?
脳は物理現象の外側にある存在だ、と言いたいの?
痛みについて物理的に説明できることといえばせいぜい 「体のどこどこに強い物理的刺激を加えたら脳のどこどこの神経細胞が活動した」 ぐらいのことだろ。 これは痛みの説明には 全 く な っ て な い
そういった説明で「説明できた」と考える傾向の全体はひとつの「文化」ではあるけどね。 「キリスト教文化」というような意味で「自然科学文化」とでもいうような。 「20世紀を特徴づけるのは自然科学文化です」なんて将来の教科書に記述されちゃうんだろうな。
822 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 13:45:31 0
「物理」と言うのは「物がどのような仕組みでどのように機能するか?」 を解明することだろ。「物がなぜあるか?」など解明できないことは 最初から分かりきったことだね。
>>822 そのとおりだが今の議論とは全く関係ない
色は価値観なの?
>>820 > 痛みについて物理的に説明できることといえばせいぜい
> 「体のどこどこに強い物理的刺激を加えたら脳のどこどこの神経細胞が活動した」
> ぐらいのことだろ。
俺もこれが痛みの説明だとは思えないですね。
多分これは、痛みの経験のある事例について観察された物理的な変化の報告とでも呼ぶべきものなんでしょうね。
でも、こういった事例をたくさん集めたりするそういった努力の先に痛みの物理的な説明ができるようになるんだろうなあと思ったりします。
826 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 19:59:23 0
例えば手を針でつついて「痛い」と感じた。 人間の手には外部からの刺激を捕らえるセンサーがある。 人間の体にはセンサーから受けた信号を脳に伝える仕組みがある。 人間の脳にはセンサーから流れてきた信号を解析する仕組みがある。 この流れのうち、どの部分が解明されてないんですか?
827 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 20:02:00 0
/. ノ、i.|i 、、 ヽ i | ミ.\ヾヽ、___ヾヽヾ | | i 、ヽ_ヽ、_i , / `__,;―'彡-i | i ,'i/ `,ニ=ミ`-、ヾ三''―-―' / .| iイ | |' ;'(( ,;/ '~ ゛  ̄`;)" c ミ i. .i i.| ' ,|| i| ._ _-i ||:i | r-、 ヽ、 / / / | _|_ ― // ̄7l l _|_ 丿 `| (( _゛_i__`' (( ; ノ// i |ヽi. _/| _/| / | | ― / \/ | ――― / i || i` - -、` i ノノ 'i /ヽ | ヽ | | / | 丿 _/ / 丿 'ノ .. i )) '--、_`7 (( , 'i ノノ ヽ ノ Y `-- " )) ノ ""i ヽ ノヽ、 ノノ _/ i \ /ヽ ヽヽ、___,;//--'";;" ,/ヽ、 ヾヽ
>>826 そんなことがいくら解明されても痛みの説明にはならないって話をしてるの
829 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 20:14:05 0
>>828 それはあまりにも乱暴だ。
「痛み」という概念を知らぬものにそれを説明するときに
>>826 に書いてあるようなことを抜かす事は出来ないだろう。
>>828 どうしてそれが痛みの説明にならないのかって話が大事なんじゃないでしょうか?
俺は
>>826 が解明されたない部分があるなら痛みの説明のためには是非解明されなきゃいけないと思いますね。
俺は痛みの物理的な説明が難しい理由に、そもそもどういったものが痛み経験なのか、その外延が決めづらいことがまずあると思うんですがどうでしょうか?
例えば、すげえ頭が痛いときに、 痛みとは何かを説明してもらうことになにか意味があるのかな。
甘いという感覚を騙す食品があり、すっぱいものを食べるとか辛いものが甘いと 感じるものもある。 高次元では、錯乱している状態ではYesとNoを区別できなくなったり 相互の意味を逆に捉えたりする んな物理的になんたらのように単純な話ではない。
>>826 >人間の脳にはセンサーから流れてきた信号を解析する仕組みがある。
人間の脳には認知したものから感情に繋がる仕組みと、感情から行動へ繋がる
情動という仕組みがある。
つまり心は解明されていない。
おまえは心の定義ができるのか?
>>826 > 人間の脳にはセンサーから流れてきた信号を解析する仕組みがある。
のうちの”信号を解析する仕組みがある”の部分だよ。
分かっていることは針でつつくと必ず活動が活発になる部分があることと、
ニューラルネットワークで計算機が原理的に作れること、の二つで、
各論はこれの発展または変種。
また、ニューラルネットワークの問題解決の方法はいわゆるアルゴリズム的な
方法ではないので、”解析する仕組み”というのは、恐らくだが、思い浮かべている
イメージ自体が間違っている。
また、現在の脳そのものの観察方法は時間的空間的な分解能が粗すぎて
細目を直接観察できる方法が無い為、「脳のどこそこで何々」と書いてあっても、
実際には憶測や想像が相当入り込んでいることに注意しておく必要がある。
ちなみにニューラルネットの構成要素であるニューロンのシミュレーターは、
単純に言うと多数決装置なのだが、仮に脳の中にあるこいつら全ての挙動の
目録が手に入っても、そこから仕組みを読み解く事は事実上不可能。
それどころか、例えば半角アルファベットを全て記憶させたニューラルネットの
状況を全てプリントアウトしても、シミュレーターを組んだプログラマにすら、
何をやってるのか皆目不明である。(笑
835 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 20:45:16 0
>>832 パソコンですら壊れたらいつもの入力に対して違う答えを出してくる事があるよ。
パソコンは物理の外側にあるの?それとも仕組みが解明されていないの?
>>833 何をもって「心を解明した」とするの?
>>834 脳がどう情報を処理しているのかはまだわかっていない、という事ですね?
836 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/03(木) 21:08:34 0
>>834 専門家じゃないが、人の脳も大差ないと思うけどさ、
あれは期待値を与えて学習させてるだけだからな。。
人にとっての期待値は、文化とか風習ってなるのかな?。
837 :
考える名無しさん :2008/07/03(木) 22:07:57 0
838 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/03(木) 22:29:32 0
期待値から外れたものを、落ちこぼれとか、ニートとか、 引きこもりとか、キティガイとかいうが、 期待値を変えることで人は如何様にも変化できるのだよ。 昨日のサバンのオッサンじゃないけどな。
>>836 > あれは期待値を与えて学習させてるだけだからな。。
一応、教師信号なしで特定の特徴に対する反応選択性を勝手に獲得して、視覚や感覚野の様に”地図”を作る奴もある。
が、問題は効率なんだよねぇ・・例えば脳で言うと、視覚情報が視覚領に入ると、1段目でいきなりその辺のカートの一覧
にあるサムネイル程度にまで視野全体の”画素数”が下がってしまう。
少ない画素数で高解像度の画像を再現する方法はあるにはある。
が、その様な処理の結果がクオリアだというなら、燃料効率的に不毛な努力。
極めて大雑把に言って、情報処理とは不要な細部を捨てる事だから、一旦捨てた細部を再構築するというのは、直感的な
レベルで既に意味不明。
その様な進化は物理学に反する。(笑
841 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 01:02:47 0
>>840 >極めて大雑把に言って、情報処理とは不要な細部を捨てる事だから、
君は無学なようだ、大雑把にいうのはいいが、不要な部分を捨てない情報処理
もあるわけだ、全てが重要だという点を見出せるアルゴリズムがあればよいだけ
842 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 01:17:05 0
>>841 > 君は無学なようだ、
それは知っている。多分寿命があと100年あってもかわらんだろう。
> 全てが重要だという点を見出せるアルゴリズムがあればよいだけ
さしあたり「重要」および「見出せる」とは何ぞや。あればよいだけ、などと言うが、どの辺が「〜だけ」なんだか、ちっとも明確でない。
844 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 01:27:42 0
>>843 「重要」、「見出せる」・・・文化とか期待値は重要じゃな。
文化が変われば重要なポイントも変わるし見出す、
ポイントも変わるし、そもそも価値観が変わるのは常識だな。
全てに関して演算してたら間に合わないよね。
重要度とか優先順位、閾値とか重み付けってことかな。
無駄な情報を捨てるのがカギなのだろね。
と、ずぶのどどどど素人が言ってみるw。
845 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 01:31:06 0
そんな俺は情報量の多さにに困惑していつも演算が間に合わずに タイムアウト食らってる運動音痴ですw。 情報量が多いと困惑しますねw。
846 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 02:15:24 0
多すぎる情報のほとんどがノイズだから、まずノイズの中から必要な情報を拾うだけでくたびれます クオリアは必要な情報を「リアルタイム」に抽出して世界を提示してると言えるかもしれない
>>829 > 「痛み」という概念を知らぬものにそれを説明するときに
>
>>826 に書いてあるようなことを抜かす事は出来ないだろう。
アホか。
子供が「痛み」という概念を持つのに神経科学の知識が要るとでも思ってるのか。
>>830 > 俺は痛みの物理的な説明が難しい理由に、そもそもどういったものが痛み経験なのか、その外延が決めづらいことがまずあると思うんですがどうでしょうか?
全然関係ない。
痛みだろうが色彩感だろうが問題は同じ。
すなわち、神経活動から主観的体験が生じるメカニズムは
物理的には説明不可能だということだ。
だからさ、「主観的体験が生じるメカニズムを説明する」必要が、 そもそも物理学にはないんだよ。
何が「だからさ」なんだ? 絡みかたおかしくないか?
別におかしいとは思いませんが? 意味が分からないというのなら、質問くだされば答えます。 感情的に気に食わないというのであれば、大人ならご自重ください。
852 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 13:17:09 0
>>848 >神経活動から主観的体験が生じるメカニズムは
>物理的には説明不可能だということだ。
主観的体験とはクオリアのことですか?
クオリアがどのような生理学的仕組み(メカニズム)で発生するのかは
物理的な説明しかありえないだろう。
頭の中の思弁的空想でもっともらしい根拠付けをして満足する似非哲学
なら無意味だね。
>>852 釣りじゃないとしたらすがすがしいぐらいナイーブだなw
「ハードプロブレム」あたりでググってみたら
クオリアに関してより深い理解が得られると思うよ
まあ、
>>852 みたいな馬鹿にも発言権を与えたことが
インターネットのもたらした弊害の一つだとは言える。
855 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 16:57:11 0
>>852 >神経活動から主観的体験が生じるメカニズムは
>物理的には説明不可能だということだ。
848の説明不可能とは神秘的な現象は物理的に説明できないと言っているだけだろ。
主観的にというのは、客観性がないことを理解しておけ。
「妄想」を物理的に説明できるならやってくれ。できるということは証明する可能性
はあるからな、できないという証明は不可能。
妄想の一部を拾って、これが妄想であると説明してところで それは証明には
なっていないからな。
気が狂っているんじゃないとしたら かなりの馬鹿だな。
>>848 > 全然関係ない。
> 痛みだろうが色彩感だろうが問題は同じ。
> すなわち、神経活動から主観的体験が生じるメカニズムは
> 物理的には説明不可能だということだ。
関係ないという指摘自体はありがたいのですが、その理由を書いてもらえないのですか?
物理的な説明が難しい、あるいは不可能なのはどうしてかを考えているので
そこをすっとばして「すなわち説明不可能だ」と言われてもちょっとついていけないです。
ついていけないからみんなに馬鹿って言われるのでは…
>>857 「主観的体験」が物理的に定義されえないから
>>859 うん、それはわかるんです。
わかるというか現状「定義されてない」ということはわかるんです。
教科書に載ってないと。
物理的に説明不可能だという主張はつまり物理的に定義付けようという試みが必ず失敗に終わる、ということが言いたい訳ですよね?
で、それはどうしてなのかということをもう少し聞きたいわけです。
>>860 失敗以前に、定義づけを行う必要が無いでしょう。
全ての事柄に定義づけを与えることは物理学の目的ではないので、
当然定義しないものはいくらでもあります。
862 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/04(金) 19:28:56 0
物理は定義づけ不要。 物理は物理量で語られるのみ。
>>860 基本的に物理量というのは操作的に、というのはつまり実験によって観測できる量を通じて、
定義されていなければならない。
主観的体験は客観的に観測され得ないから、操作的定義のしようがない。
クリプキでしたっけ?痛みの経験はそれが痛みの経験であるということ以外には定義付けされえない、みたいなこと言ってたのは。 意識経験って誰でも自分は持ってることがわかるのにいざ改めてこれこれこう言うことって 客観的に示そうとしたら結構難しいんじゃないかなあと思います。 例えばNCCをやってる神経科学者はNCCに対応する意識経験の方は具体的にどう定義付けてるんでしょうか
865 :
考える名無しさん :2008/07/04(金) 20:40:04 0
>>863 現状の技術で実現できていないからといってそれが
物理的に不可能である根拠とはならない。
クオリアの物理量を語ってくれ。 主観で存在する情報を定義してくれ。 できるわけないだろ。
>>865 現実の技術で実現できないという意味ではないだろう。
科学や物理という客観論で陳述可能な意味で表現できないものが存在するだけ。
主観的な妄想を、どうやって客観的に陳述するんだ?
>>860 意味になっていない事象、認知できる識別できない事象
具体的な例だと、「ランダム」「デタラメ」これをどうやって識別するの?
定義もできないし、意味にもできない。主観の世界ではこのような流動的な
意味不明なものがうようよしている。
妄想の世界というやつな。意味になりえない摩訶不思議な夢とか見たことないか?
それも言葉に表せず他人にはどのようにも説明できないもの。
これらは物理では説明できないし、学問でも妄想という言葉以外で説明は困難である
知らない価値観を言葉でいくら説明しても、相手にその経験がないなら理解させる
ことは1000万の言葉でいうより、1回の体感させる行為で伝えることができる。
つまり学問や言葉で意味論でどんなに説明しても観測しても無意味なものはある。
オカルト体験を科学してみろ、これは科学では到達できない域の情報処理といえる 何せ神秘的な存在なのだからw
>>870 の長距離砲(しかも狭い範囲に着弾)にシビレた。
心は脳が生み出しているのだから、脳を物理的に、徹底的に研究すれば、 哲学屋さんが何千年も解決できなかったことを、科学で完璧に解き明かすことができるよ。 そこにはもはやクオリアなどという錯覚は必要ない。 まあ、物理の世界で言うと「エーテル」みたいなもんだな、クオリアってのは。 「こうあってほしい」という妄想の産物。
脳の研究すらせず、言葉でああだこうだ、(最近はクオリアという妄想が流行りらしいが) と、何千年も同じ場所でどうどう巡りしている哲学屋さんって、何なんだろね? オレに言わせれば、哲学は宗教。 合理性を欠いた、狂信の産物でしかない。
クオリアなどという、流行の言葉さえ金科玉条のように出せば、 本が売れるなど、間違っている。科学にも反している。 断言しよう。 クオリアなど、ない。クオリアなど、妄想。
>>872 そういう意味では、「心」も「クオリア」とあんまり違わない。
なぜ、「クオリア」だけが「妄想の産物」で、「心」はそうでないといえるの?
876 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 15:18:00 0
クオリアも妄想も心の一部だろ。
>>872 例えばローレンツさんの妄想は体験の結果からの推定だが、クオリアは体験そのものである。
体験そのものが妄想である事を立証するのはかなり難しいだろう。泥沼化すると客観とは何ぞや、という所にまで向かっていくし、また、そうなるのが当然。
>>874 全く不明な事柄についてクソ真面目に科学的であろうとするなら、それに関して”思い込みを排して観察するという態度”は自己責任において徹底せねばならぬ。
従ってクオリアについて語ろうとするなら、その語りの内容について主観と客観の区別は今の所存在しない。(意味が無いのではない。存在しない。)
第一それ以前に、本が売れるかどうかと、科学に反するかどうかの間に、いったい何の関係がある?
>>878 >体験そのものが妄想である事を立証するのはかなり難しいだろう。
「体験そのもの」の存在を(科学的に)立証することも、(現段階では)難しいんじゃないですか?
(もちろん、そのことは、「体験そのもの」の存在を否定する根拠にはなりませんが)
クオリアというのは、精神エネルギーを物理学で問うというトンデモない理論ですか?
そうだねぇ。 喜怒哀楽などの感情を数量化するのはトンデモないですねぇ。
そうか? 「深い悲しみ」とか「大きな喜び」とか言うじゃん。
>>880 そんなことを言っているのではない。
第一、存在の証明は意味の説明と同程度に科学の範疇にはない。少なくとも今のところは。
”科学的”に言えというなら、(少なくとも痕跡らしきものが)”見える”ものはあるし、(痕跡らしきものすら)”見えない”ものは無い。(←ゾンビ論争の骨格w)
そして、体験は(あからさまに)”見える”ものである・・・というか、我々にとって”見える”ものとは体験以外には無い。(←白黒部屋の被虐待少女w)
要するに、クオリアとは推定や妄想の産物ではないし、その存在の認定にあたっては要不要や存在証明は関係ない。
但し、”そんなものはない”と主張するなら立証してもらわないと困る。何しろ経験的事実に合致しない。(笑
>>881 >>882 「霊的エネルギー」を数量化するチャンスを求めるなら、解脱した人を実験台にすべきである。非常に強力な電磁波が頭部から発信されているはずだ。w
言われてみればメアリーの育てられ方って虐待だわな。
>>884 >そんなことを言っているのではない。
ええと、「そんなこと」とは、「どんなこと」ですか?つまり、私が、あなたが「何を」言っている、と言いましたか?
私自身の認識では、あなたのレスの抜粋以外には、「あなたが何かを言った」というような意味のことを、
>>880 に書いたつもりはないのですが。
抜粋のしかたがまずくて意味が違っているというようなお話でしょうか?
>>886 > ええと、「そんなこと」とは、「どんなこと」ですか?
存在証明。
妄想に過ぎないということの立証は難しいとは言ったがな。少なくともその立証を考えている背後に常に小人さんがついて回る。w
ちなみに、小人さんと小人さんのオモチャ(体験)を分離できる明々白々たる根拠があるなら是非拝聴したいものだと常々思う。
もう少し言うと、小人さんと小人さんのオモチャが分離可能であるとするのはニュートンさんの物理では暗黙の了解であった。
> 私が、あなたが「何を」言っている、と言いましたか?
人に責任を転嫁するものではない。w ↓
>> 体験そのものが妄想である事を立証するのはかなり難しいだろう。
> 「体験そのもの」の存在を(科学的に)立証することも、(現段階では)難しいんじゃないですか?
こんな並べ方をすればまるで俺が存在証明についてこだわっているようではないか。w
そのような問題意識は実に退屈である、という事を言いたいのに、いくらなんでもこれは無かろう。
「ぎゃふん!」とか言うぞ。www
>>887 >こんな並べ方をすればまるで俺が存在証明についてこだわっているようではないか。w
いえ、私も存在証明にはこだわっていないので、逆にそのことがそんなに問題になるとは思いませんでした。
どちらかというと私は、「体験そのものが妄想である事を立証」云々は、
存在証明と同様(こだわるようなことではない)のではないか?
という意味で質問したつもりだったのですがね。
889 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 23:22:29 0
なんかうみねこくさくなってきたぞ
|体験そのものが妄想である事を立証するのはかなり難しいだろう。 |「体験そのもの」の存在を(科学的に)立証することも、(現段階では)難しいん |じゃないですか? 一見、同じかとおもったが583の策略だな
892 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 03:30:31 O
結局ここの人たちは クオリアについて何がわからないの? というかどうしたいの? 科学で扱われてなかろうが クオリアは確かにあるし、だけど存在の証明はできない。 クオリアってそういうものだと思う。 それで改めてクオリアに何を求めるの?チャーマーズと同じこと?
893 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 11:11:16 0
クオリアの定義を回避することで、 何かクオリアに意味があるかのようにパフォーマンスしてるだけね。
>>893 yakuza
クオリアには意味などない。
クオリアは科学でもない、意味を越えた超意味、科学を越えた超科学。
故にスピリチアや神秘的存在を扱える。
クオリアを理解できないものは、科学でクオリアを考えようとする。
故にクオリアは科学という計りで計ればトンデモ理論でFAだろう。
これは間違いのない事実、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかしだ、科学でたどり着けない領域は存在する、それは計れない存在だ
全てが計れると勘違いするのが科学信仰や科学万能主義が陥る論理であり、
それは計れないものなど存在しないという愚かな考えである。
君は全てを計れると思うのか?計れないものを結ぶ絆がクオリアという意味が
示す道である。
>>892 存在を証明できないものを客観論で扱うことはできない。
いくらでも仮説を作れるからこそ主観論というものになってしまう。
非決定という変えられない存在を 決定論のように決定されたものとして
捉えれば、それは幻想、つまり嘘になる。
嘘として表現されたソレは人が作った偶像、つまり便宜上の仮想形にすぎない。
>>892 チャーマーズと同じことってどんなことっすか?
896 :
892 :2008/07/07(月) 16:50:55 O
>>894 存在の証明をしたいってことでおk?
それとあなたのいう客観論は
何に基づいているの?
>>895 科学で扱えってこと
16層400GBディスクにはフリルの付いたケースで、かわいらしく、エレガントに売って欲しいね
>>892 まずは自論で発言してみろ、煽るだけでは相手にもならん
899 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 20:06:37 0
894の自己陶酔してる姿が浮かぶなあ。 典型的な統失だなあ。 自分にだけはわかっている・・・というところにしかアイデンティティがない。 いや精神の脆弱ゆえに他者に(も)わかるところには立脚しない。 なぜならば他者との共通認識を共有する領域そのものにおいて 被害妄想や障害意識が生じるから。これが統失の原理。 原了解レベルにおける障害だが。 こういった吉本隆明に茂木さんはどのように遇されたのかなあ。
>>888 > どちらかというと私は、「体験そのものが妄想である事を立証」云々は、
> 存在証明と同様(こだわるようなことではない)のではないか?
小人さんのオモチャが妄想でないとする立場は、客観とか言う奴を積極的に肯定する立場だが、小人さんのオモチャにその存在の証明を要求するのは、客観とかいう奴を懐疑する立場だろう。
小人さんのオモチャ箱の中に、「俺は小人さんである」というオモチャが含まれている事に気づくともう少し哲学っぽくなるだろう。w
>>899 釣りということに気がつけない愚か差を笑うものはいない。
もうすこしKYの能力をつけてみたほうがよいです。
そんなことよりクオリアの話しようぜ
>>863 同じ対象を複数人で観測する、というような意味での客観性を確保するのは難しいかもしれないですね、
脳を繋げてしまうといった技術でも開発されない限りは。
でも、物理的な操作・介入に拠るクオリアの変化という主観的な経験の普遍性の確からしさ、は間主観的に了解可能だと思うんです。
これは
>>482 さんがスマートに述べられているような意味での客観性といえると思います。
905 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 20:01:00 0
「私、茂木健一郎と大槻義彦で異なるのは江原のような霊能者・ 超能力者、および彼らが見せてくれる霊視・口寄せ・降霊術・ オーラ占い・霊感商法などに対する態度・意見である。 茂木健一郎と大槻義彦では科学者という基本的な立場は同じである。」
>>905 君のような奴をボウフラに喩えると良いだろう。沸ける場所があればどこにでも沸いて出る。
KYとか言えば話が終わってしまうが、釣るんならこうだ。
「脚気菌が見つかっていないからといって玄米を二等兵たちに食わせないのは愚かな事だ」。
907 :
スピノザ姫 ◆9E/lgCXN7E :2008/07/08(火) 23:05:52 O
クオリアって、脳を計算処理機だとするとアンサーみたいなものでしょ?
908 :
スピノザ姫 ◆9E/lgCXN7E :2008/07/08(火) 23:21:45 O
感覚って外界に対してうまく立ち回るためにできたわけで 多様な刺激を受け取り処理した答えとして感覚質を算出してる?
909 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/08(火) 23:23:22 0
910 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/08(火) 23:25:06 0
おおざつぱ杉だし。
911 :
スピノザ姫 ◆9E/lgCXN7E :2008/07/08(火) 23:29:52 O
クオリアを科学で!ってさ 1+1×20÷4−0=6の6とは何かについて加減乗除で語ろうってゆうようなもの?
912 :
ラプラスの悪魔 ◆daemontaDA :2008/07/08(火) 23:32:24 0
>>905 えーと、占いとか心霊と言うとそれは≪スピリチュアル・バーナム効果≫のことかw。
ちなみにこの文言の名付け親は俺だw。
ぐぐると結構楽しめるだろうw。
脳を「ソロバン」に例えるとクオリアは「位取り」に相当するのだが 説明はややこしいので、次の機会にゆずりたい。
感性を悟性優位で説明しようとするから、何かが違うなんて言うんだね クオリアは感性が主でしょ そうしたら、あんまり原則などを突き詰めすぎないで、こんな感じにすべきかな。
>>911 1982+12+28=という計算なら
1+9+8+2=10+10=20=2+1=3
1+2=3
2+8=10=1+0=1
3+3+1=7
という計算になる、答えは7
>>915 それってピタゴラスの数秘術という奴じゃない?
919 :
考える名無しさん :2008/07/13(日) 23:19:31 0
「まじめ」のクオリアについて考えつつ、 クオリアについてまじめに考えよう
>>918 >ガンマ波
電磁波のガンマー線ではなく、脳内のガンマ波があったという話でしょうw
>そのDavidsonたちの2004年の論文では、瞑想中の修行僧から脳波を
>計測している(宗教家がヘッドギアをつけている様子をイメージすれば良い?)。
>すると、瞑想中、凡人より強いガンマ波が観察されたそうだ。
ヘッドギアで脳波を観察する方法で得られるのは電磁波ではなく、脳波。
921 :
考える名無しさん :2008/07/14(月) 17:42:44 0
>>919 わかっているとは思うが「まじめ」のクオリアなどというものはない。
>>918 > 何かと思えばこういう話かな?
あー。w
電波とするか電磁波とするか、結構迷った。(笑
>>921 > わかっているとは思うが「まじめ」のクオリアなどというものはない。
わからん。
何しろ「まじめ」という言葉の意味について考えている時の俺はゾンビじゃないからな。
それともアンタは「まじめ」について考えるならば常に気絶でもするのか?その気持ちはよーーーーく分かるが・・www
>>923 こういう場合はゾンビ認定するべきか「素朴でええなぁ」とうらやむべきか。
まぁどっちでもええけど。
>>924 どっちも的外れなのでまあどっちでもいいよ。
「マジメ」という音を聞いた時に生じる印象は はたしてクオリアと言っていいのかな。
>>926 そこは曖昧じゃないでしょうか。
「マジメ」という音の経験はクオリアだけど、その音を聞いたときの印象は
現象的であるという共通点があっても感覚ではないという点でクオリア認定されないと俺は思うけど。
クオリアは五感に起因するものだということ? そうかな、クオリアってもっとひろい概念だと思うけどな。 だって「悲しい」っていうのもクオリアでしょ?
>>928 だから曖昧なところがあると思いますよ。
論者間で合意があれば広くとって良いと思うんですが一般的には感覚由来という狭い意味で定義されるのが普通と思います。
「悲しみ」等の感情については意識経験としては「独特の感じを持つ心的状態」としてクオリアと変わるところはないわけですが。
>>929 はちょっと舌足らずだったですかね。
現状「悲しい」はクオリアとは認定されてないと思います、ということです。
でも、この区別は単位便宜上取られてるだけだと思うので、
将来クオリアの科学的な研究が進んで感情もクオリアも物理的状態として一緒にまとめた方が良いとなれば「悲しい」もクオリアになるかもしれませんね。
いや、現状の哲学業界でも「悲しい」はクオリアと考えられてるよ、そう考える論者が多数だよ、ということであればごめんなさい。
>>930 なるほどそういう意味なんだね。
哲学では「悲しみ」も「わくわくする感じ」などもクオリアと言っているよ。
感情というのは、五感から認知した状態を起因とする抽象的で不安定な オカルト的な心の状態ではないの? 同じ名前の感情としても常に動く不安定なもの、安定したものならば静的な説明 ができても、このように凄く不安定な状態を静的な説明でできるのものなのか? 動的に変化するモデルとして認知しなければいけないのでは? クオリアはまたたく動く流れる動的なモデルも適用できるのか?
オカルトってどういう意味で使ってるの?
>>933 論理的に捉えればトンデモ。インチキ、デタラメのもの。
常時流転する解が存在しないもの。揺蕩うもの。
主流に対して反するもの。
不安定で抽象的で捉えられないもの。
どのようなモデルでも線形予測できない域にあるもの。
そんなもんだろ。
じゃあ「感情」にたいして使うのは間違ってるわけだね。
心理学はオカルトと クオリアがオカルトまではまだわかるとして感情がオカルトとはいったいw どこまで馬鹿なんだこいつは。
茂木以外のクオリア論で参考になる本はありますか? 茂木のはどんどんクオリアの定義が変わってきていて信用できない気が。。
茂木の本でいいんじゃない? 『脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか』とか。
クオリアを他人に説明できない時点で終わってる気が・・・
普通に信原幸弘あたりじゃないか
立場を超えて書かれている入門書というのは一冊もないな。 まあスーザン・ブラックモアのConsiousnessが入門には一番いいとは思うけど 邦訳はないんだよな。
943 :
考える名無しさん :2008/07/22(火) 22:03:12 0
私秘的なクオリア概念を理解すること説明すること自体が すらすらできると思うなら その人にとって クオリアなんて 存在してないも同然なわけだろよ。 クオリアって なんのことか だいたいわかりだしたとたんに クオリアのクオリア性は消えていく、あれ なんだったっけ クオリアって?っていうのはけっこう本質的なんだろうな。 内的経験が公共的記述におきかわるんなら クオリアのクオリア性ってなくなるんだろう。
947 :
考える名無しさん :2008/07/23(水) 15:23:36 0
結果として何の土台にもできないクオリアは言葉としての存在価値があやしい クオリアを研究した論文が引用され役に立っているとでもいうのか? そんなことはない、誰も見向きすらしない。 ダメな研究の例としてワーストに順位するだけにすぎない
>>946 その本知らなかったけど
入門書としてよさそうだね。
>茂木のはどんどんクオリアの定義が変わってきていて信用できない気が。 当初はニューロンの発火と説明、最近はアハッ体験だ、とかなんとかだよな、確かに。音楽にからめて時間のなんとかとか言い出してるしな。
茂木説が理論になってないことだけは確定だな。 中沢新一なみの売文屋とういうことだけは確か。
チャーマーズの「意識する心」読むのが結局一番はやい。
954 :
考える名無しさん :2008/07/26(土) 18:24:42 0
>>953 意識には必ずクオリアが伴うから心の哲学で意識現象とクオリアを分けて考える
必要はない、というサールのような立場もあるだろう。
955 :
考える名無しさん :2008/07/26(土) 18:41:34 0
>953 そう思います。 クオリアの定義とかがあやしい とか クオリアは言葉としての存在価値があやしい とかいっている人がいるが それは当然のことで それが クオリア問題の一部だと わからん人は 読むといいです。
956 :
考える名無しさん :2008/07/27(日) 13:31:47 0
http://www.tanteifile.com/newswatch/2008/06/05_01/index.html 大槻教授が脳科学者の茂木健一郎をオカルト認定!
大槻氏といえば、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏の霊視を批判的に
検討する著作「江原スピリチュアルの大嘘を暴く」を先頃刊行した。その大槻
氏が、「THEMIS」6月号の記事「いまやオカルト研究者?!
脳科学者・茂木健一郎へ噴出した「批判」」(同誌HPにも掲載)にコメント
を寄せている。
茂木氏の反論
「私、茂木健一郎と大槻義彦で異なるのは江原のような霊能者・超能力者、
および彼らが見せてくれる霊視・口寄せ・降霊術・オーラ占い・霊感商法
などに対する態度・意見である。茂木健一郎と大槻義彦では科学者という
基本的な立場は同じである。」
957 :
考える名無しさん :2008/07/27(日) 20:17:00 0
意識は物質に依拠するが物質に還元はできない…という理論なら30年も前から。物質からの疎外(生命であること)と、そこからのズレから観念(意識)を説明したのが「心的現象論」(吉本隆明)。 自己生成する遺伝子にすでに意識があるというのが「心の起源」(木下清一郎)などで既出。遺伝子の自己生成の構造から論理的に心の起源を見出したところが見事。 両理論とも生命であることがポイントで、AIに心が生じるようなトンデモな理論とはまったく無縁。吉本は東工大の化学というバリバリの理系。木下も生物学の権威。
汎心論の歴史がどんだけ古いと思ってんの。
959 :
考える名無しさん :2008/07/28(月) 08:25:46 0
自己生成する遺伝子も無生物からの自己生成で出現したものだろ。 自己生成するなら意識があるなら無生物に意識があっても論理的 矛盾は無い。
「無生物からの自己生成」なら何でもそうなんじゃね? 何もで意識があるってな汎心論。八百万の神ね。天皇万歳か? わざわざクオリアとか言う必要もねーよ。すべては神だよ。な? クオリア論もダサい教祖=茂木もいらね。自然だけでいいね、それと神。 ところがそこでわざわざクオリア論や茂木説を持ち出すのは、 「オレは知ってるぞ」とか「真理はこうだ」とかいうところに自分の出番を つくりたいヤツがいるだけ、だろ? うぜえ
茂木説って言ってる人、茂木の言ってることちゃんと理解できてる?
例えば
>>951 とか。
962 :
考える名無しさん :2008/07/29(火) 20:46:45 0
わからんことを言ってることが茂木説なんだろ?w
963 :
考える名無しさん :2008/07/29(火) 23:21:25 0
クオリア問題を提起しだした頃の茂木さんはよかったなあ。 「哲学の方がススンデル」というスタンスが謙虚でよかったよ。 小林秀雄賞もらってからヘンだもん。
964 :
考える名無しさん :2008/07/31(木) 13:10:52 0
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5. 茂木は対象外
965 :
考える名無しさん :2008/08/01(金) 03:02:11 0
おれがファイナルアンサーを説明する。 茂木は10年後でも今の茂木と同じ芸能人である。証明終わり。
茂木も太田も閣僚入りしたな。
967 :
考える名無しさん :2008/08/02(土) 15:39:46 0
細木と大槻と共演で番組やればいいんじゃない?>茂木
茂木スレになってしまうところが ここのレベルを象徴してるな…
969 :
考える名無しさん :2008/08/03(日) 02:48:16 0
ここのレベル?だあ? それがクオリア論議のレベルだろ。
じゃ、いいんじゃね?茂木読んでれば
まあそう煽らずに。
きっと
>>970 がレベルの高い議論を披露してくれるはずだから期待して待とうよ。
>>968 参考文献が茂木の本というならば茂木スレになってもいいじゃないですか?
問題は信用に値する本がないとうことじゃないの?
信用って何に対する信用?
日本語でのクオリア関係の出版物はすごい少ないからな。 英語なら沢山あるぜ。
「あはっ」に対する信用だろ w
977 :
考える名無しさん :2008/08/03(日) 23:19:10 0
このスレも4で終わりにしといた方が身のためだな。 いくら2chとは言えこれ以上恥をさらす必要はないだろう。
始めの方で
>>8 から「幻肢」が話題になってるけど。
「幻肢」はLSDを服用すると消失しちゃうんだってね。
参考→「LSDによる幻肢現象の研究」(黒丸正四郎、岡田幸夫、花田雅憲、笠原嘉、坂本健二)
ポイントは自己(の「足」でも自己が「感じたもの」でも)を認識するときの
構造の二重性。対象としての自己(「足」でも「感じたもの」でも)は同時に
認識している(自己)自身でもあるということ。
単一の自己が「対象としての自己(O)」と「認識主体としての自己(S)」
の二重構造になる。このOとSのギャップが観念性(=クオリア)。
LSDは薬理作用によってこのギャップをなくして直結してしまう。つまり身体と神経、脳と感覚器といった人間の物理的な構造における連関を直結してしまう。すると観念性(ここでは「幻肢」)は消失する。
…とか書いてあったよ。
青なら落ち着くとか赤なら暖かくなるんでしょ? 海がもし赤かったら落ち着かないんじゃないの? 緑が赤だったら森に行っても癒されないのでは? すいません素人ですけど
「落ち着く」「暖かくなる」「癒されない」・・・ どれも人間の価値判断でしかないから、それを根拠や基準にすると文学程度のものにしかならないよ。
やはりくだらないですかね? 感じた事を書いてみたのですが…
南の島に住んでいる人たちは青は暑苦しい色だって聞いたことがある。 だから寒色とか暖色のようなイメージも相対的なものらしい。
青が暑苦しいですか… やっぱり国によって違うのでしょうか?
沖縄では古い世代にとって色彩は「青・赤・白・黒」の4つしかないらしく、 しかもその評価が村によって違うらしいよ。 感覚のよる評価は相対的過ぎてあてにならないみたいね。 価値判断にちゃんとした根拠を与えるのは「言語」しかないんだよ。 特に科学はね。