1 :
考える名無しさん:
なぜ人を殺してはいけないのか
2 :
考える名無しさん:2008/05/08(木) 03:46:59 0
定言命法
3 :
考える名無しさん:2008/05/08(木) 03:55:06 0
論理的に考えると
問いを立てる人が殺してはいけないという前提にたっているから
4 :
考える名無しさん:2008/05/08(木) 03:58:05 0
>>3 はあ? いけないに決まってるだろw
お前は人を殺してもいいと思ってるの?
5 :
考える名無しさん:2008/05/08(木) 06:22:43 0
@@@@@@@@
@@@@@@@@@@
@@@@、,,__ _,,, j
@@@@,、 _, ' '、_ } / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
@@@ `´ `i < 物価も上がって、もうあなた(無職)を養えません
@@(6 ,(oo)、 } \_________
/ /-===-、 i
/ \ 、ヽ ヽ こ ノノ
/ ` ー-- ' \
6 :
考える名無しさん:2008/05/08(木) 08:02:43 O
別に殺しても良いんじゃない
そのかわり…
それが常識になればあなたも殺される確率が上がりますよ
死ぬ事に意味があるならテロだって犯罪じゃないかもよ
7 :
考える名無しさん:2008/05/08(木) 09:49:33 0
なぜ人は生きなくてはいけないのか?
そういう宿命なんだろ。
なぜ人を殺してはいけないのか?
そういう宿命なんだろ。
なぜ鯨を殺してはいけないのか?
そういう宿命なんだろ。
なぜ?
そういう宿命なんだろ。
本当は真面目な疑問だったのかもしれないが、同じようなスレが重複・乱立してすぐに
クソスレ化する、という流れがあまりにも繰り返されるもんだから、もはやスレタイ見ただけで、
クソスレとしか思えないねえ。
なぜ人を殺してはいけないのか。難しいですよね。確固たる答えを、私は見つけれらていません。
誰かにどうして人を殺したらいけないの?と聞かれたら、私は殺してはいけないのからだよ、と答えると思います。
ところで、人を殺すとはいったいどのような行為なんでしょうか?
10 :
考える名無しさん:2008/05/08(木) 11:36:05 0
>私は殺してはいけないのからだよ、と答え
日本語が不自由なふりをするってことか?w
11 :
考える名無しさん:2008/05/08(木) 11:45:57 0
刑務所に行って毎晩消灯後に
ケツ穴に肉棒突っ込まれたり
肉棒咥えさせられたりするのが
大好きだという奇特な香具師は
別に人殺してもいいじゃね?
12 :
考える名無しさん:2008/05/08(木) 11:46:00 0
だっふんだw
ダメなら死刑もないはず。
14 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 01:34:27 0
死刑は駄目だろw
現代の一般的な殺人禁忌は平時の市民社会にのみ成り立ち、
それ以外では(たとえば戦争などで)は「人を殺してはいけない」というルールは無い。
平時の社会内部でも正当防衛、死刑、堕胎、安楽死など、殺人禁忌には割合と例外が多い。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」という疑問は、その意味で疑問として成り立っていない、とも言える。
むしろ「なぜ人を殺すのか?」という疑問の方が妥当性がある。
もう少し突き詰めると、「人を殺して良いとされるのはどんな場合で、殺していけないとされるのはどんな場合か」
すなわち殺人禁忌の成立要件とその根拠。
17 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 04:15:30 0
>>16 一般意思によるか否か。
この場合の「一般意思」とは、J.J.ルソーの定義による。
cf)社会契約論など
それが、現代日本における多人数の多幸福であるから、とりあえず強制を要されることにはなる
19 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 16:47:32 0
自分がいつ殺されるか分からない、というリスクを冒してまで、人殺したいと思わないしな。
大体、集団社会が安定しない。ソマリアとか悲惨過ぎるだろ。
20 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 17:50:05 O
カント読もうかおまえら
21 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 18:10:54 0
>>20 お前が要約して自分の意見に反映させれば済む話だろ
たいがい人間ってのは、人間に害のある毒素を持たない動物の死体は
肉であり御馳走と思うんだよ。
ましてや脊椎動物なんて特にな。
たいがい人間ってのは、動物を殺すのは、襲われた時の自己防衛を除けば
肉を食いたい時って相場が決まってんだよ。
ところが、同属の肉を食うのが一般化すると種の保存が難しくなる。
だから人肉を食うのは禁止、って考えが一般化する。
結果、動物を殺す大きな理由の一つが失われる。
食いもしない動物を殺すのは無益、って考えも出て、殺す意味が無くなる。
豚や魚はバカスカ殺すが人は殺さない。理由は豚や魚が食い物だから。
当たり前っちゃ当たり前。これがほぼ真実、なんじゃねの?
23 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 22:27:06 0
豚や魚は生きていくために仕方なく殺してるだけ。
24 :
考える名無しさん:2008/05/09(金) 23:56:56 0
>>1 軍隊では殺人技術教えてますから
問題が間違ってんの
25 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 00:07:27 0
26 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 00:08:40 0
なぜってことはない、人を殺していけないのは現代社会において
基本的なルールだからだ。
人を殺していけないのは、それ以上でもなければ、
それ以下でもないないお。
27 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 00:23:37 0
カント読もうかw
28 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 00:47:57 0
>>25 デカルト−従軍経験あり
ニーチェ−従軍経験あり。著書で「むしろ殺せ」と
ハイデガー−ナチス
ウィトゲンシュタイン−従軍経験あり。戦果を挙げている。
こいつら全員間違いか?
29 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 01:51:51 0
>>28 そうだ。その点では全員間違っている。
だがやむをえなかった人間もいるだろうな。
30 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 02:14:56 0
それは人間のエントロピーの問題だ。
同じ日本人を殺すのは死刑だ。何故ならば不安を増してエントロピーを高めるからだ。
それに対して異人種との戦争は善でもありえる。なぜならエントロピーをさげるからだ。
人生を楽しいものと肯定できなければ、「お前だって殺されたくはないだろ」的な理由付けが不可能なのは確かだろう。
生きるに値するものと過去に思ってたけど今は死にたいと思ってる人が突然人を殺そうと決心したら、その人を止める手段は限られるよな。
32 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 02:23:44 0
>>23 だから、生きていくために殺して「食う」んだろ?
そう言ってんじゃねえか。
ついでに言うと、戦争中には
「生きていくために仕方なく」殺人をするケースが多発するわけだが
その場合は「人を殺してはいけない」というルール自体が崩壊していて
人殺しが英雄になる。
ただし終戦するとまたルールが変わるので、一時的な特殊ケースと言える。
34 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 03:00:16 0
>>33 分かってないな。たとえ自分が殺されそうになっても、人を殺してはいけないのはまったく揺るがない。
「豚や魚は生きていくために仕方なく殺してるだけ」というのは、豚や魚を殺すことが善であると主張する意味ではない。
その通り。
人を殺すことは悪いことであり、やってはいけない。
でも、人は悪いことや、やってはいけない事をやらないと、
生きていけない時もある。
36 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 03:41:27 0
おまえらは、哲学者より思想家・文学者・宗教家とかの方が向いてる
38 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 12:24:12 0
>>37 >>1が倫理学としての問いだとしたら
>>34でこの問いの完全な解答は与えられたのだから、この問題は終局的に解決された。
>>1が倫理を問うているのでないとしても、倫理は「人を殺してはいけない」と言い続けるし、我々は倫理を侵すことはできないのだから、これ以上議論しても無駄だろう。
39 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 12:31:20 0
40 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 12:32:21 0
41 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 12:50:34 0
42 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:01:35 0
43 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:05:23 0
答えなど書いてないことを認めたってことかな?
44 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:07:18 0
定言命法であって、理由はないよ。
もし理由があるとすれば、理由がない場合に許されることになる。(仮言命法)
倫理は定言命法の形をとる。
45 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:14:56 0
カントの定言命法から「人を殺してはならない」が帰結するかどうか
疑わしい。死刑に賛成しているところから考えれば、
カント自身は帰結しないと考えていたと推定できる。
定言命法の帰結であれば、例外はないはずだから。
46 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:33:52 0
47 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:40:04 0
民主主義的に考えると殺されたくないと考える人がが多いから殺してはならない
といううことは
殺されてもいいと考える人が多くなれば殺してもいいとなる・・・。
48 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:41:20 0
49 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:42:34 0
>>48 純粋理性批判読めよ。道徳形而上学原論読めよ。
50 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:47:18 0
あなたがもしその2冊を読んだ上で
>>44を主張しているのだとすれば、
あなたには基本的な読解力が欠けているとしか言いようがない。
まあ、実際には倫理社会の教科書で書名を見ただけだろうが。
51 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:47:39 0
理解できてないくせに実践理性批判だけ読んだだけのゆとり(藁
52 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:48:40 0
>>50 読解力がないのはお前だよ(藁
哲学的才能ゼロだから早く止めたほうがいい(藁
53 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:53:22 0
>>45の内容なら、明らかに『道徳形而上学言論』が直接の典拠であることが
わかるはず。やっぱり証明だけ覚えた阿呆か。ここは学問板、サルは消えろよ。
54 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:53:55 0
証明→書名
55 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:55:29 O
56 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:55:35 0
哲学の基本は自分で考えることにある
他人に思考停止を呼びかけるものにこそ
哲学の才能がないと思われる。
by哲学の専門書も読んだことのない47
57 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:56:21 0
では、なぜ人を殺したくなるのだろうか?。
という問いかけには興味引かれる。
58 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 13:59:16 O
アホが多いな
定言命法は思考停止じゃない
てか純理読んでるなら、統整的理念の説明してみろよ
>>50
59 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:01:30 0
47だが
>>哲学的才能ゼロだから早く止めたほうがいい
↑
これが定言命法なのか?
アホでも違うってわかるんだが。
60 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:01:53 0
61 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:04:36 O
え、純理も読まずに、カントを語ってたの
>>50は?
そりゃ自分で思考できないはずだわw
62 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:06:09 O
63 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:09:27 0
純理を読むと「人を殺してはならない」が定言命法であり、
定言命法だから理由はない、ということになるのかい?w
64 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:12:39 O
>>63 なるよ
純理も読めないで、実践が理解できるはずもない
自分の頭が悪いことを認めろよ
65 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:13:59 O
バカが哲学やってもむだなだけ
66 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:16:39 0
>>64は
>>64という発言だけで自分の頭が悪いことを証明している。
すごいと言えばすごいかも。w
67 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:18:18 0
こいつ、以前には論理学のスレに出没してサルぶりを発揮して、
ついに誰からも相手にされなくなった奴じゃね?
内容がある書き込みが何もできないと言う点がソックリ。w
68 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:19:10 0
>>66 は? 人間の尊厳を根底に置く以上、殺人は定言命法として悪だろ。
自分で思考しろよこれくらい。
>>50 あのな、哲学にしろなんにしろ、書いてあることを正確に理解することが第一歩なんだよ。
『純粋理性批判』読んだか?
じゃあお前のカント理解を試してみようか?
純粋理性の誤謬推理
大前提:定言的判断
純粋理性のアンチノミー
大前提:(A)
第一アンチノミー:分量
第二アンチノミー:(B)
第三アンチノミー:(C)
第四アンチノミー:様態
カントは(D)を生・反対命題ともに間違っている、(E)をともに正しいとした。
純粋理性の理想
大前提:(F)的判断
A〜Fを穴埋めしてみ。簡単だろ。
69 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:19:19 0
63と64から
人を殺してはならないに理由はない
と読めんるんだが
そんなのは特定の人の哲学で
大衆の哲学ではないな。
意味を考えるのが大衆の哲学なんだから。
70 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:21:01 0
>>67 なんでいちいちこんな2chみたいなカスの集まりで、俺の思想を公表しなければならないわけ?
自分で考えろよ。
71 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 14:48:18 0
>>69 その「特定の人」ってカントじゃないから、それ誤解しないで下さいね。
定言命法というのは簡単に言えば、「すべての人がそのルールに従うことを、
(そのルール自体に基づいて)望み得るような、そうしたルールに従いなさい」
というもので、カントによればこれは理性を有する人なら誰でも認めざるを
得ない命題、幾何学でいえば公理に相当するものです。
「人を殺してはならない」のような個別の道徳的主張に関しては、
それが正しいものなら、幾何学における定理のように、
この定言命法だけから論理的に証明できるとカントは考えていたようです。
72 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:03:24 0
「人を殺してはならない」という主張は、倫理に反すると思う。
「人」とひとくくりで表現されても、倫理のほうが困るだろう。
この質問に答えるには、倫理も捨てなければならないと思う。
73 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:13:17 0
74 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:18:26 0
これ以上反論が出ないようにまとめておこう。
「「人を殺すなかれ」は定言命法である。それはいかなる条件によっても制約されない。
これによって死刑・安楽死・戦争・自殺がすべて否定される。
これは定言命法だから理由はない。しいて理由を挙げるとすれば人間の尊厳である。」
自ら考えればこれくらいの結論には容易に辿り着けるだろwww
>>50君?
75 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:21:29 0
>>74はただのサルがネットで見た「カント」だの「定言命法」だのの
言葉を散りばめながら、愚かな自説を披瀝しているだけですから、
カントにはまったく関係ありません。皆さん誤解なさらないよう。
76 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:23:25 0
>>75 アホかw
俺がカントの思想をなぞる必然性はどこにもない。カントの枠組みを使って考えているだけだ。
純理も読めない池沼が
>>74の議論の強力さを理解できるはずもない。
>>74ほど一貫した倫理的主張はないだろ?
77 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:25:48 0
78 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:26:14 0
「人を殺すなかれ」が定言命法であることの根拠は何?
79 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:30:50 O
>>78 人間の尊厳。人間は目的それ自体である。
カントのこの前提からすれば、
>>74のような結論は可能だし、むしろ必然と言える。
80 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:31:22 0
>>78 本気に受け取っちゃダメ。奴は「定言命法」って言葉の意味も知らず、
滅茶苦茶な使い方をしているだけ。カントは、理性のみによって倫理的
判断が基礎付けられると主張したために、カトリック教会の禁書リストに
挙げられた理性主義者。個別の道徳的主張に関して、「それは定言命法
だから理由はない」なんて言うはずがありません。お笑いもいいところです。
81 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:32:55 0
目的同士がぶつかり合うときはどうなるの?
82 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:37:33 O
>>80 純理読んでないから分かってないんだな
定言命法は道徳的法則なんだよ
理性によって倫理を知ることができると言うだけで、理由付けしなければならないとカントは言ってない
>>81 たとえば?
83 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:37:36 0
>>79 カント自身は逆に、罪がある人間に正当な報復を与えることこそが、
その人を人格として認めることになると言う理由で、死刑を肯定して
います。
84 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:38:13 0
>>74 74の論理で行くと平和時には人殺してはいけないが
戦争時には人殺ししてもいいんじゃねぇ?
平和時には戦争時の人殺しを否定しながら
戦争時には容認するその考えは矛盾してる
85 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:42:29 0
たとえば暴漢と争ううちに刺しちゃったとか。
86 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 15:49:16 0
>>82 『道徳形而上学言論』の中で、カントが定言命法はただ一つであるとして、
道徳的義務の全体を基礎付けようとしているのを、あなたは知らないの?
87 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:06:12 0
>>83 カントが間違っているだけだろw
>>84 戦争も否定と書いている
戦時だろうと倫理は不変だ。
>>85 故意ではなくても悪をやってしまったことに変わりないな。
>>86 三つだろアホw
88 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:19:07 0
つまりどんな場合であろうと人を殺せば罪悪感を感じざるを得ないということかな?
>>87 そりゃお前から見れば戦時も倫理は普遍だろうが
多くに人にとっては不変ではない。
戦争時は敵兵を殺せば英雄、これはほとんどの人が持つ価値観だろ
お前の理論だけでは矛盾してるんだよ。
>>34 そもそも、
「AというのはBであると主張する意味ではない。」
って文自体、日本語の文法的に間違ってね?
「Aという文章の中にはBという意味は含まれていない」
「Aという文章の中にはBという主張は含まれていない」
などと書くべきじゃねえのか?
91 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:25:35 0
92 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:27:22 0
> 三つだろアホw
同じ内容を他の形で言い換えはしますが、一つですよ、アホ。w
> それだから定言的命法は、ただ一つある、すなわち次に掲げる命題が
> それである−−「君は、君の格律が普遍的法則となることを、当の格律
> によって同時に欲し得るような格律に従ってのみ行為せよ。」
93 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:29:22 0
>>89 はあ?
>戦争時は敵兵を殺せば英雄、これはほとんどの人が持つ価値観
「味方を危険から守ったから英雄」であって、
人を殺したから英雄なのではない。
敵兵といっても捕虜を殺したら英雄どころか犯罪者だし、
そもそも人殺しなら味方や仲間も殺すキチガイ。
そんなキチガイが英雄なわけない。
94 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:31:11 0
>>92 まあ三つが完全に同じとはいえないだろ。結局、三つだな。
で、人間の尊厳を基礎としているんだから、「殺すなかれ」は帰結する。
誰も、人間を手段としてのみ扱うことはできない。人間は目的それ自体である。
だとすれば、殺すことはできない。殺すことは、目的として扱わずに、手段としてのみ扱うからだ。
95 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:32:58 0
「人を殺してはならない。これは絶対だ。理由などない」という主張では、
理論でも何でもないただの独断ですから、反論の対象にもなりません。
カントだの「定言命法」だのと言った、分かりもしないくせに付け加えた
言葉を取り除いてみれば、ただのサルだということが明々白々。w
>>91 だったら定言命法なんか持ち出すなよ。
それ以外にお前の理論が正しいことを証明してみろ
97 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:33:04 0
>>91 あなたは正しいです。
本当の意味での哲学を知っている本物の賢者です。
98 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:35:41 0
>>94 カント自身は、三つだとは考えていないし、
人間の尊厳から無条件の殺人の禁止が帰結するとも考えいない。
それについては「カントが間違っているだけ」というのであれば、
おまえがやっていることは、カント哲学をつまみ食いして
自分に都合がいいところだけ取り出し、自分の独断を正当化しようと
しているだけ。
99 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:37:22 0
>>95 じゃあ理由があるとしてみろ。理由がない場合には、殺してもよいと考える小ざかしい人間が出てくるだろ。
倫理はそういう思弁とは切り離すべきだ。
カントが倫理を命法として捉えたのは正しい。それは理由などというものを越えたものである。
100 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:38:18 0
>>98 独断であるというならば、反論するがいい。
101 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:41:32 0
〜してはいけない
〜しなければならない
〜でなければならない
という当為の問題は、結局は宗教の依らなければダメなんでしょうか
お前の言うカントの定言命法を持ち出すなら
大衆を正しいと言わなくてはならない
平和時の人は殺してはいけないという大衆と
戦争時に敵兵を殺せば英雄という大衆とどっちが正しいかは
どういう理論で考えているんだ?
衆人に訴える論証で大衆を馬鹿にするなら元の定言命法から間違ってるぞ。
103 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:47:27 0
>>99 定言命法/仮言命法の区別についても誤解しているようだね。
仮言命法は「もし・・・したいなら」というように、
ある目的のための手段として何かを命じる命法。
そうした目的の限定がないのが定言命法。
この区別と理由付け(根拠付け)の必要性は別問題。
何の根拠もなしに命令したって、従う奴なんていないでしょうに。
104 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:49:44 0
>>101 カントや功利主義者のような近代前期の倫理学者は、
宗教に頼らず理性的に道徳を基礎付けられると考えたが、
現代ではそれは無理だという見方をする人も多い。
105 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:53:35 0
> お前の言うカントの定言命法を持ち出すなら
> 大衆を正しいと言わなくてはならない
どこからこんな話がでてきたの? さっぱり分からん。
ひょっとして君って完全なアホ?
>>38 で、
>>22と
>>33のどこに「豚を殺す事が善行だ」という記述があるのかについては
いつ説明してくれるんだ?
>>34も
>>33も、「豚を殺す事が善行だ」と言ってない点では同じなのに
なんで
>>33だけが「分かってないな」と言われねばならんのだ?
これ言っても、また見当はずれの回答しか出てこねえんだろうなあ。
107 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:54:32 0
>>103 そうじゃない。仮言的というのは条件付きということだ。「もし〜ならば、…」
たとえば「もし裕福ならば、人に施しを与えろ」など。
「〜」に「したい」が入ると限定されない。目的と手段というのはその一つの例だ。
道徳の条件の系列を遡行したところに道徳的法則がある。
じゃあ理由を挙げてみろ。そしてその理由がない場合には、殺しても良いのだとおまえは認めるんだな?
108 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 16:58:16 0
人間の尊厳を基礎に置くなんてそりゃ人間であるものには抗いがたい
甘い響きがあるものな。
>>105 だったら
人を殺してはならないに理由はない
人を殺してよいに理由はない
の違いにどんな根拠で話してるんだよ
110 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:10:11 0
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対して「Aだから」という答えが与えられるなら、
「もしAならば、人を殺してはいけない」という仮言命法を主張することと同じだろ。
それに対して俺はそういう問いは無効だと言っているだけ。定言命法なんだから。
「「人を殺すなかれ」は定言命法である。それはいかなる条件によっても制約されない。
これによって死刑・安楽死・戦争・自殺がすべて否定される。
これは定言命法だから理由はない。しいて理由を挙げるとすれば人間の尊厳である。」
111 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:14:36 0
侵略してきた宇宙人に同じ理屈を言われたらどうすんの?
112 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:15:57 0
もしどうしても理由付けを与えたいとするならば、先験的理由付けでなければならないだろう。
経験によって反証されないということは、条件が除かれることがない(すなわち普遍的だ)ということだから。
それならば、その理由付けは命法を条件に限定することなく根拠付けることが可能だろう。
113 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:17:51 0
>>107 私は条件文で表されるものすべてを仮言的に含める解釈には疑問があるが、
まあ、それは結構微妙なところだからいいだろう。
で、「定言命法だから理由はない」という珍説の方はどうなの?
いまでもまだそれがカントの説だと言うつもり?
114 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:19:28 0
おやおや、少しずつ進歩してきたみたいだね。
当初の主張は「人を殺してはならない」は定言命法で、
定言命法だから理由はない、だったよね。
あれあれ???w
115 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:24:52 0
>>113 馬鹿だなあコイツwww
純理読めよ。純理に正確に、仮言的とは条件と条件付きのものであると書いてあるから。
純理も読まずに理解できるはずないだろ。
「仮言的判断は理由の帰結に対する関係でありこの仮言様式では二個の判断が考慮される」
先験的理由付けならおk
それ以外なら論外。
といっても純理も理解できない頭じゃ分からないか。
116 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:26:09 0
>>114 おまえ先験的証明がどんだけたいへんか分かってんの?
てか純理読んでんの?
答えろよ。
あのな、哲学にしろなんにしろ、書いてあることを正確に理解することが第一歩なんだよ。
『純粋理性批判』読んだか?
じゃあお前のカント理解を試してみようか?
純粋理性の誤謬推理
大前提:定言的判断
純粋理性のアンチノミー
大前提:(A)
第一アンチノミー:分量
第二アンチノミー:(B)
第三アンチノミー:(C)
第四アンチノミー:様態
カントは(D)を生・反対命題ともに間違っている、(E)をともに正しいとした。
純粋理性の理想
大前提:(F)的判断
A〜Fを穴埋めしてみ。簡単だろ。
117 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:27:27 0
>「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対して「Aだから」という答えが与えられるなら、
>「もしAならば、人を殺してはいけない」という仮言命法を主張することと同じだろ。
これは違うね。しかし、間違いに気づいて>112を言い出したみたいだから、いいか。w
118 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:27:35 0
119 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:28:34 0
>>117 間違いじゃねえよWww
経験的理由付けだったら、条件付けることと一緒だろ。
120 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:29:32 0
阿呆の分際でwww
121 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:31:16 0
このサル、ここまで醜態晒しといて、
強気な態度で居続ければそれが隠せると思ってんのかな。
ひょっとしてリア厨? 笑わせる奴。w
122 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:31:57 0
「なぜ人を殺してはいけないのか」
この質問の回答は、以下のように解釈している。
大事な人を殺された者Aは、殺した者Bに復讐する理由が立派にある。
しかし、それは許されずAはBを裁判所に訴える。(実際は警察が行う)
このような仕組みは社会の平和を守るために古くから、この機関が
存在した。不満を抑制しながら社会を維持するには、はけ口として
訴えるという機関が必要なのだ。正当な理由も奪う必要がある。
(例えこの機関にミスが在るとしても、社会は平和だ。当事者は不満だろうと)
が、これが国家対国家のレベルとなると実質、このような機関は無い。
(国連は無力だ)
そして各国家はそれを十分知っているだろう。たぶん。
123 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:32:53 0
>>110で終了だろw
あとは阿呆ドモがいちゃもんつけてるだけ。
先験的理由付け=人間の尊厳だろ。
個別の人間に、尊厳があるかないかは、たかが人間ごときに判断しうることではない。
したがって「人を殺すな」は定言命法である。
先験的証明終了。
反論できるならやれよ無能ドモ。
124 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:33:45 0
>>121 おまえは
>>1にすら答える能力も持たずいちゃもんつけるだけだな。
阿呆にありがちなこと。
サルハシですか? - いえ、おサルさんです。
126 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:35:17 0
人間の尊厳など信じない者は人間を殺してもいいわけですね!
127 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:38:25 0
128 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:38:28 0
>>119 Aという結論をTという理論で根拠付けたからといって、
Aという主張が「もし理論Tが正しいならAだ」という主張に
なるわけではないだろ?
129 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:38:59 0
これが
>>1の問題に対する最終的な解答。この解答は反論を許さない完璧なものであるから、これ以上の議論は不要である。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対して「Aだから」という経験的理由付けが与えられるなら、
「もしAならば、人を殺してはいけない」という仮言命法を主張することと同じである。
よって先験的理由付けのみが可能である。
誰も、人間を手段としてのみ扱うことはできない。人間は目的それ自体である。
だとすれば、殺すことはできない。殺すことは、目的として扱わずに、手段としてのみ扱うからだ。
個別の人間に、目的それ自体としての尊厳があるかないかは、たかが人間ごときに判断しうることではない。
したがって「人を殺すな」は定言命法である。
これはいかなる条件によっても制約されない。
これによって死刑・安楽死・戦争・自殺がすべて否定される。」
130 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:39:36 0
131 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:40:38 0
>誰も、人間を手段としてのみ扱うことはできない。人間は目的それ自体である。
意味不明
132 :
106:2008/05/10(土) 17:41:05 0
>>42のカントくんは =
>>34 >>46だと思うんだが、
>>106に無回答って事は、俺が論破成功って事でよろしいな?
それとも、この時間帯にはいないのかねえ?
今暴れてるのは別のやつなのか?
133 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:41:14 0
> たかが人間ごときに判断しうることではない。
> したがって「人を殺すな」は定言命法である。
これはまた典型的に反カント的なご意見w
134 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:41:46 0
>>128 「理論Tが正しいならAだ」と言えないとしたら、根拠付けられてないんだろw
135 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:43:46 0
>>133 はあ? おまえは人間を尊厳に値するものとそうでないものに区別できるくらい偉いの? 傲慢すぎだろwww
136 :
129:2008/05/10(土) 17:45:24 0
じゃあお前ら対抗解答出してみろよ。
対案はぜんぜん出てないだろwww
それだけの能力もないってかw
137 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:47:59 0
なんでいまだにKantごときに依存してる馬鹿ばっかなんだよwww
18世紀の人間かよおまえらwwwwww
138 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:48:06 0
そもそも、道徳的主張のカント的な根拠付けって説得力ないんだよね。
カント自身の「いついかなるときでも嘘をついてはならない」に納得する
奴なんていないでしょ。一切の理性的存在者に普遍的な道徳って概念に
しても、現代的に見れば???だしね。そもそも、カントがアプリオリと
考えた空間や時間という形式だって、そのままで成立するわけではない
ことは現代人には明らかだから。
139 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:49:06 0
>>138 え、おまえは空間と時間で直観してないのwww?
140 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:50:00 0
>>134 わざと分からないふりをして誤魔化そうとしてるのかな?
私が言っているのは、Aという主張を理論Tで根拠付けたからといって、
Aという主張=「もしTが正しいならA」という主張
にはならないだろってこと。
141 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:51:00 0
>>140 おいおい、Aが不確かだから、Tで根拠付けたんだろ?
じゃあTがない場合は、Aは不確かなままじゃないか。
これはAがTによって条件付けられていることと等しいだろ。
142 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:52:53 0
>>133 先験的証明はすでにその前で終了しているから、本当はその一行は要らないんだが、人間の尊厳を経験的判断基準だと誤解されると困るから入れておいただけ。
143 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:53:56 0
>>139 カントはその直観によって、ユークリッド幾何学で表現されているような
時空の性質がアプリオリだと考えたわけだが、現代人は現実の宇宙の時空の
形式が経験なものだということを知っているということを言ってるんだよ。
144 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:55:46 0
>>143 何言ってんだよw
お前自身は、空間と時間で直観しているだろ。
お前はそれらの形式を通してではなく直接知覚してんの?
相対性理論や非ユークリッドでカントの理論が揺らぐと思うとかばかもいいとこ。
145 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:56:36 0
>>141 全然違うよ。「もしTが正しいならA」という主張は、
Aが正しいかどうかについて何も断定していないんだから。
146 :
106:2008/05/10(土) 17:56:50 0
147 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:57:55 0
>>145 Tが正しくなくてAが正しい場合もあるだろうが、いずれにしろ理由付けにはなってないだろw
アホかと。
148 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 17:58:57 0
>>144 君がここでいくら叫んでも、カント研究者の一部以外では、
カントの時空論がそのままでは受け入れられないことは常識。
「総合的なアプリオリ」の概念などについても同様。
149 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 18:00:25 0
150 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 18:08:40 0
考えてみなさい。
誘拐犯が人質をとって政治犯の釈放を要求した事件。
誘拐犯を殺して人質を解放した現地警察は英雄だ。
誘拐犯を殺して人質も死んだら英雄ではない。
人を殺すことが英雄ではなく、仲間を救うから英雄なんだ。
戦争も同じだ。人を殺せばいいってもんじゃない。
151 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 18:14:47 0
152 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 18:15:39 0
>>150も言ってるように、功利主義的な理由だね
人を殺しちゃいけない理由なんてものが原理的に
存在するわけがない
153 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 18:28:04 0
>>150 いやさらに深く考えれば、誘拐犯といえども殺すべきではない。
殺したとしたら、やはりそれは悪だ。
悪がやむをえない場合はある。
154 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 18:28:37 0
>>152 人を殺しちゃいけない理由は原理的に存在する!
>>129 つまり人殺しを目的とした場合は人間ごときには判断できず
殺人を手段として考えた時は殺してはいけないってことか?
しかし死刑・安楽死・自殺は目的だからなぁそれは否定できないんじゃないか?
156 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 19:24:12 0
>>154 存在しない
だから現に人殺しはなくならない
157 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 19:33:44 0
さあ徐々に分かってきただろ、君たちも。
>>155 目的だの手段だのいってるのは人に対して。
詳しくはカントを読んでくれ。
>>156 「それだから理性
もまた法則を与える、それは命法(Imperativ)、すなわち客観的な 自 由 の 法 則 である。この法
則は、 何 が 生 起 す べ き で あ る か を我々に命じる、たとえ実際にはそのことが恐らくは決し
て生起しないにしても、このように命令するのである。ここに自由の法則と 自 然 の 法 則 との差
異が存する、・・・」
カント『純粋理性批判(下)』(篠田英雄訳・岩波文庫・pp95-96)
>>1 「いけない」という言葉は、誰かが、誰かに、禁止を要請する言葉。
要請を無視しうるかどうかは関係無い。
「殺してはいけない」と発しているのは社会。そしてそれに従わない者
には制裁を加える。ただそれだけのこと。これが『いけない』ということ。
なぜ社会がこのような要請を構成員にするかと言えば、殺人などの
集団を乱す行為が頻発すると社会が不安定になるから。
また、この殺人等の行為を排除しようとする衝動はヒトの本能でもある。
ヒトのように集団を形成することで生存確率を上げてきた生物は、仲間
を攻撃する行為が頻発すると、集団の維持が難しくなるため、これを抑
制する本能が備わっている。
>>16,
>>57 知能が高いから、相手を殺すことによるメリットも認知することができる。
また、刃物や銃を使ったり、策を弄することで、比較的少ない労力で相手
を殺すことが出来るということも大きい。
ただし、人間もほとんど人を殺したりはしない。
まわりに人を殺したことのある人間なんてほとんど見かけないし、普通に
安定した社会だと、千人に一人、0.1%にも満たない発現頻度なのでは?
160 :
106:2008/05/10(土) 20:08:50 0
>さあ徐々に分かってきただろ、君たちも。
くどい様だが俺の質問にも答えてくれ。
誰やねんあんた?
カント君は性格悪すぎなんだよ。
言い方を工夫すれば、もっといい議論ができるよ。
162 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 20:50:18 0
>>157 だから、それはキミがカントの信者であるという
信仰告白をしてるに過ぎないわけだよ
キミの信条がどうであろうが、カントが何を言おうが、
人殺しはなくならない
キリスト教信者が中絶批判をしても中絶がなくならない
ようにね
つまりキミの思考は、素朴な○○信者の域を出ない
程度のものだってこと
なぜその程度のメタ理解ができないかね
>>167 少し待て
このスレは人を殺してはいけない理由や論理を考える場で
人殺しを防ごうとするスレじゃない
今は157の論理でいけるかどうかをつめてる段階
157が気に入らないなら他の理由か論理を示せ。
164 :
163:2008/05/10(土) 21:48:00 0
アンカーミス
167じゃなくて162。
165 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 22:05:20 0
>>163 だから、「人を殺してはいけない理由や論理」なんてものは
(そして「人を殺していい理由や論理」も)
いくらでも作れるわけで、カント的論法で「つめてる」と感じてるのは
単なるカントに対する素朴な信仰告白に過ぎないと書いてるんだよ
リテラシーがないなぁ
166 :
163:2008/05/10(土) 22:13:52 0
>>165 いくらでも作れるなら一番いいやつ書き込みしろよ
もし議論する必要もないって意味ならなぜこのスレを覗いて書き込みしたんだ?
167 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 22:16:23 0
>>166 だから「一番いいやつ」という発想が頭悪いって言ってるのw
わかんないかなぁ
カントなんかを素朴に信じちゃう権威主義の馬鹿じゃわからんか
157も167人を馬鹿にしてもいいが
167は157みたいにわかりやすく言わないと
お前が馬鹿みたいだぞ?
それとも自分の思考を言葉にできないのか?
もっと理系の漏れにもわかるように論理的に話してくれ。
要するにカントって性善説なの?
カントの考え方が許されるなら、もはや哲学する必要がないような気もするが
「なぜ、○○なのか?」に対する答えは全て「いや、最初からそうなんだよ」で終了
これって哲学上ありなの?
170 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 23:41:26 0
171 :
考える名無しさん:2008/05/10(土) 23:48:51 0
とりあえずは一回カントから離れてみないか?
カント一人の哲学で「なぜ人を殺してはいけないのか」という問題に対して完全なる
答えが出せたとは思えないんだよ。ある一つの形としては決着がついたと思うんだけどね
地球全体が西洋的思想で体系化できるわけではなし、東洋的な考え方もあれば、
民族的な考え方もあるわけだから。
功利主義からの回答として,安藤『統治と功利』
173 :
考える名無しさん:2008/05/11(日) 00:31:14 0
たとえば、潜水艦が浸水し始めて防水ハッチを閉めればその外に居る10人が死ぬが、
閉めなければ乗組員100人全員が死ぬという場合、90人を助けるために10人が死ぬと
分かっていてもハッチを閉めるだろ。これはつまり、100人死ぬよりは10人死ぬ方が
ましというように人命を量的に考えている訳だが、それで正しいんじゃないだろうか。
174 :
つづき:2008/05/11(日) 01:26:46 0
>>122 単に、平和の為に平和を維持する必要などない。それが目的ではない。
社会を安定させるだけなら力でもよさそうだ。
つまり自由を維持する為には、平和である必要があった。
それは発展する為。
かつての皇帝も武力と開戦決定権は握っても、その他は法の下に委ねた。
と言うわけだ。
彼らは平和の為に平和を維持したのではない。
人を殺してはならないと決めているのは人だからね。しかも極めて最近誕生した文明人に限られている。
このタイトル通りの議題を扱うと、一番科学的な答えはある時期にそう定義した人間(集団)が、その当時の社会集団におけるプライマリーである場合に生じる問題であるため、
出題者を含めた人間をすべて説き伏せる事ができる返答のすべてを解とすべきとしか言いようがない。
ここで考えられている殺人の是非というのは全部『自己を含めた人間を説き伏せる方法論』であって、要するにそれが古典哲学の本質なのだけれど、
不特定多数の人間Xを対象にしているから、ある時期にある答が出ればそれで哲学が永遠に必要なくなって、人類が次の課題に進めるという類のものではない。
最終的には社会情勢やその他の要因に応じて日和見主義と極論を行ったり来たりしている。たぶん宗教が求められるのはこういう面で安定した哲学を提供してくれるからだろう。
あれだ、とりあえず俺は人は誰ひとりとして殺されてはならないとか、人類は全滅すべきだとかいう極論は嫌い。母の日だけどお金がないから家事を手伝ってあげようと思っている。
死刑囚も今日ぐらいは死刑を免れて親孝行をすればいいと思う。
>人を殺してはならないと決めているのは人だからね。しかも極めて最近誕生した文明人に限られている。
いや仲間殺しは大昔から禁止されてるだろ
多分動物でも禁止されてんじゃないの?
177 :
考える名無しさん:2008/05/11(日) 09:38:48 0
178 :
考える名無しさん:2008/05/11(日) 09:45:27 0
>>176 一般的には、禁止なんかされてないよ。
同種の動物を殺さない本能を持つ動物もいるが、
そうでない動物もいる。
動物が何かを「禁止する」ことなんて有り得るのか?
社会秩序を事後的に維持しろ喪前ら
少なくともうちの犬は常にオナ禁をしている。
182 :
考える名無しさん:2008/05/11(日) 10:25:32 0
「禁止」とはなんぞや
183 :
考える名無しさん:2008/05/11(日) 12:13:59 O
にゃ〜
, ´,・‥’ 彡彳 ,ζ;∴ ヘ ̄"ル‐ハ_
_/∴‥ ノ⌒ヾ/ ノ | ミリルノハリ`.、
, ´ ● / /ゞ、・’ノ ,|ヘ ∴‥‘ヽ
,/'',', .,|□■リル ',', '/ /∴  ̄ o゚(◎) \ ヘ
と,-‐ ´ ̄■■リξ',','巛彡/ / ノ゚⌒ | `' ヽ ’・,)
(´__',,',', 、■ / / (_人_) l。ノ ,ヘ 乙三冫 ‥ノ にゃ〜
 ̄ ̄`ヾ_ し'" 。o゚(◎) ノ ’∴ノ
,_ \ (● ゞ、_@γ⌒ヾ `' /ルリ-‐リ´
(__  ̄~" __ , --一~ ゞ:_・ノ__,r-‐'リ"ル
185 :
考える名無しさん:2008/05/11(日) 17:17:57 0
腐ってんな
>>173 そういう決断は現実でもあるな
「人命は地球よりも重い」
188 :
考える名無しさん:2008/05/11(日) 21:56:15 0
>>187 やはりより多くの人が助かる方を選ぶのが正しいと思うんですね。
だから、量的な比較を許さない人命の尊厳なんてのは、ただの理想論。
189 :
考える名無しさん:2008/05/11(日) 22:35:00 0
>>1-188 もしひと(生命)をころしてもいいとするならば(ry
そのさきにある生命系について話し合ってみないか?
おれの弁解は全ての生命系が滅亡・・・以上。
190 :
考える名無しさん:2008/05/12(月) 00:54:59 0
なぜ人を殺してはいけないのか?
人を殺すとその人が死ぬからじゃね。
191 :
考える名無しさん:2008/05/12(月) 01:46:01 0
おまえ頭いいな。
死ぬことがいいことなら、自殺すればいいんだもな。
>>189 これまでの長い人類の歴史の中で一度も人類は滅亡してきませんでしたよ?
193 :
通りすがりの老人:2008/05/13(火) 12:45:19 0
>>192 第二次世界大戦を振り返ってみよう
アメリカが核爆弾をつかう パネェからもうやめとこ。
現在核を保有してる国は多数
もうわかるよね?
細菌戦争とかも考えられる現在
科学技術力も進歩してる
おまえはどの時代で頭の中フーリズしてるのかな?
おまえはもっと想像力つけたほうがいいぞ。ゆとり脳さん
>>193 人を殺してはいけないという根拠がないということと、
人を殺していいということはまた別のことだよ。
まして大量殺人は飛躍しすぎ。
人を殺してはいけないという根拠がないのなら、
全生命を抹殺してはいけないという根拠もないと思うが。
>>195 根拠がないならしてもいいということにはならないんじゃないの?
禁止されていなくても、いろんな抑制が働くね。
>>193 はいはい。それはただの科学技術の問題だってことに気づこうね。
自分では頭がいいつもりの孫悟空さん
199 :
考える名無しさん:2008/05/13(火) 21:25:11 0
言葉尻だけを批判するなんの深みもないカスどものたまり場かここはwww(わろ
200 :
考える名無しさん:2008/05/13(火) 21:30:18 0
>>198 みたいな低脳は殺されてもいいとおもうよw
201 :
考える名無しさん:2008/05/14(水) 01:12:29 0
そして殺意が生まれる
202 :
考える名無しさん:2008/05/14(水) 02:33:20 O
善悪で判断したいならそれは社会の問題だね。他と関わらないかぎり善悪は発生しない。社会にとり人殺しが都合が悪いなら悪となる。その都合はどんな社会が人にとって生きやすいかに左右される。
もっと根源的なものをもとめたいなら本能の話になる。生命は自分の種をのこそうとする。その目的こそ謎である。
203 :
考える名無しさん:2008/05/14(水) 02:43:50 0
なぜ人を殺してはいけないのかを絶対に理解できない上に
殺人を実践するような人間は、できれば殺してしまいたい
すべての規範は社会関係の必要性から生まれる。
人間個人個人はひとりひとりが固有の宇宙を抱え持った唯我論的な神だ。
その神々の利害調整の結果が規範。
だから殺人(殺人のみならずすべての規範)は社会における個人同士の距離感に左右される。
どんな時と場所にも通用する「殺してはいけない理由」は存在しない。
だがそれは(変な言い方だが)は善いことなのだ。
単に「人を殺してはいけない」っていうルールをもった共同体が生存競争に強かっただけじゃねぇの
と過疎ったスレを煽ってみる
とゆうか知的生命体が社会を形成したら必然的に付随して発生するものだろ
一般的に、正常な動物は自分が他者から死に至らしめられることを望む事はありえない
人が人を殺す事を規制しなければ自分が他者から死に至らしめられるリスクを格段に上げることになる
よって殺人を規制すべき
この考えが自然と社会的に一致した事によって法ができた。
だから人間は食物連鎖において人間よりしたの位置にいる生命体の命を奪うことに関してはそこまで強い規制は無いだろ?
それはつまりそれらの生命体から自分らが死に至らしめられる危険がほとんどない事を人間が認識しているから
>>204 >>どんな時と場所にも通用する「殺してはいけない理由」は存在しない。
>>だがそれは(変な言い方だが)は善いことなのだ。
他を殺してでも欲しいものを手に入れる、 というのは実はもっと原始的な本能。
だが、群れを作る段になると、この本能が邪魔になる。だから「この本能を抑制
する本能」が集団化して生存率を上げる過程で必要になった。
ただ、資源が少ない状況では有能な個体に集中させたほうがより有利な場合
もあるので、「『仲間殺しの抑制』を抑制」した方が有利な局面では、そういう
回路の切り替えもある。
208 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 03:54:20 0
どういうレベルで答えるか、ということだと思う。
俺の考える価値基準の順位は
倫理=宗教>道徳>常識>法律
といった感じなんだが、法律のレベルで答えてる奴なんか本人は自覚ないんだろうけど
殺人OKっていう奴よりよっぽど不道徳に思える。
こういう重要なテーマで移ろいやすいものを土台にして語るやつの気がしれない。
あと自然発生的な説明もどうかと思うよ。
倫理や宗教を超えようとする気持ちはわかるが、現状の上に乗っかった結果論にすぎないし
真理を追究しようとする真摯さが感じられない。
人を殺してはいけないという結論を出すならば、倫理や宗教に頼るのが道徳的な態度だと思うよ。
209 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 04:26:50 0
人には倫理や法律云々よりも前に、動物としての本能がある。
本能とは、まず生存していくということ。種の存続である。生存は主体的ではない。
主体的というのは、本能の前には、位置づけできない。
自ら命を絶つというのは、主体的な行動であって、本能ではない。
生存=生きるという意味ではない。
生存していくために、同類が殺しあうことは、種の存続にかかわる。
したがって、なぜ人を殺してはいけないかという問いは、木を見て森を見ずの
問いかけではないだろうか。
210 :
考える名無しさん:2008/05/25(日) 23:22:32 0
>>208 倫理なり宗教なり本能なり全て生存競争によって存在しているだけ。
人を殺してはいけないという結論を出す気なんてさらさらないよ
>>209 人間に主体性があるなんて幻想に過ぎない
ただ自然法則に縛られた複雑系のゲームが続いている
人が殺してあっても社会なり種なりが存続するモデルはある
ただし条件が今は難しい (例えば出生率が何十倍も高ければとか)
よって人を殺してもよいかはそういった環境変数で変わる
211 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 01:00:40 0
>>210 そのモデルは少なくともあなたの示した例では成り立たないよ。
人間を侮りすぎでしょう。
出生率がべらぼうに高くなる前に人間は調整するでしょ。
俺ならそんな社会で子どもなんか作る気にならないよ。
かわいそうじゃない、殺しあわなきゃならんような社会に産み落とすのは。
倫理ってのは何も殺人を咎めるだけのものじゃないよ。
環境変数に左右されると言うけれど、そんな悲惨な社会になる前に
それを程よく調整しようとするのもまた人間の偽らざる姿でしょう。
どんな現実離れした設定を仮定してもいいけど、それに対応した人間の行動は
リアルに考えないと結論を間違うよ。
212 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 02:52:07 0
>>211 いや、可能性を示したかっただけで
現実的なのは 食料消費量 >> 食料生産量 ・・・ミス(失政他)やイレギュラー(天災他)で起こりうる場合に
社会が過剰反応して理性らしさを失った時とかかな。
悲惨な社会というけれどある程度環境が揃えば人は慣れて悲惨とは思わなくなってしまう。
歴史を見ても倫理観は変化してきているので、環境その他で変化するのは十分ありうると思う。
ま、最終的にはそれもゲームで決まるのだけど
213 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 03:08:33 0
あんまり、用語にとらわれた言葉遊びを哲学だと勘違いしているのが、
2chの哲学だとおもったけど、ここは、ちょっと、ましじゃの。
スレタイは単純だけど、だんだんいいかんじになってきた。
2ch哲学は、哲学者の著作を解釈することだと、思っている人がいかに
多いことか。大切なことだけど、ことばにコンセンサスを与えることだけでは、
学問の領域にいっていないんじゃないかな。
2ch哲学がふところ深くなることを望む。
本来は、豊かにならなきゃならんのに、いぢってばっかりなんだもん。
214 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 04:19:58 O
人間を殺してはいけないという"是非"についてのは、法律的な規制や宗教的な道徳的価値意識に依存しなければ結論を出すことはできない。
それならば人を殺してはいけないという問題意識について、「なぜそれを問題にするのか、問題だと思うのか」につい考えた方が、単なる論争だけで終始しなくて済むと思う。
215 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 04:33:34 O
続き。
なぜ人を殺すことを問題とするかついては、単に法律や道徳に依存するからではない。
問題と思うからこそ法律や道徳ができたと考えなければ、それらの起源は説明できないし、そう考えることが自然だ。
また、そう考えることは、やはり法律や道徳以前に問題意識が存在し、問題意識が存在することこそが絶対的な前提であることがわかる。
つまり、これからはこの問題意識に絞って考えて行くべきなのだと思う。
216 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 04:45:59 O
続き。
まずこの問題意識については、やはり人間の社会性がその根本をなしているのだと思う。
例えばそれは虫や動物を殺すことが規制されないことを思えば理解しやすい。
つまり人間以外の動物の殺害が認められるのは、それらが社会的生活の一員であると見なされないからであり、逆にそうであると見なされた社会においては動物愛護法などが作られるのだと理解できる。
もしこれが正しいのだとしたら、1.社会的生活の一員とは何であるか、2.社会的一員であるものを殺せばなぜ問題意識が生まれるのかを問わなくてはならない。
217 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 05:18:26 0
218 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 05:23:10 0
人間は他者を自分と同類と見なすことができる。本質において同じものだと。
換言すれば、私が私であるのは偶然に過ぎない、私が彼や彼女である場合もあったかもしれない、と。
私は自己のうちに何ものとも交換できない絶対的価値を見出すことができる。
前述の事項から他者にもそれを認めなければならないということが必然的に導出される。
したがって私は他者を殺すことができないし、それは誰にとってもそうである。
したがって倫理として「殺してはならない」は成立する。
219 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 07:05:26 0
成立するものは、崩れ去りもする。
もっと、余白をもたないと。
余白のない人生はないし、と同時に余白がある人生は存在するのだから。
人生と生は違う。
成立するかしないかではなく、あるものをもうすこし、見つめていこうよ。
220 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 07:08:23 0
間違えた
>余白のない人生はないし、と同時に余白がある人生は存在するのだから
余白のない人生は存在しないと同時に、余白のない人生も存在するに訂正です。
221 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 07:46:07 O
人を殺してはいけない理由は分からないけど、殺人という行為自体が不気味で不安を掻き立てるので、人を殺しません。
スレ違いか。。。
222 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 07:51:04 O
これまたスレチだけど、アメリカのTVゲームで、一般市民をひたすら殺していくゲームあったよな?あれ名前なんだったけ?
もっとぶっちゃけて根源的な議論してくれよ
224 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 09:12:02 0
>>218 ほんとにそうか?
私が彼や彼女である場合もあったかもしれない
↓
彼や彼女にも絶対的価値を認めなければならない
の間に本当に必然性があるか?
225 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 10:08:37 0
>>223 そう感じるなら、問題提起するべき。
どうやったら、根源的と考える議論までたどり着けるか。
次に進みましょう。
226 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 10:15:50 0
根源的というのとは違うかもしれないが、
俺は人を殺さなければならない場面を想像すると、
そのとき非常に躊躇を感じるだろうと思う。
「本当に殺していいのか? いま殺していいと考えているとしても、
この自分の考えが間違っているかもしれないぞ。殺してしまったら、
取り返しはつかないぞ」と。もちろん、想像してるだけだがね。
こうした躊躇をどう取り扱うべきか、関心がある。
なぜ人を殺してはいけないのか?
人が殺しあってたら絶滅するだろ?
人類保存のための超基礎。
わかりますか??
228 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 10:38:30 O
>>227 理論として成立していない。
そうと言える根拠を示さないと意味がない
>>228 ないね。
人はなぜ食事、睡眠をしないといけないのか。
それと同じような議論だと思う。
人を殺していけないって言うのは
人類保存のために作った、ただのルール。
やりたきゃやればいいし。
230 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 11:05:34 0
>>229 戦争はなぜ起こると思う。
あなたのいう、人類保存のルールに反しているよね。
あと、ルールとは、法律のことかな?
もうすこし、自分の考えを説明してくれないようとしないと。
次はそこまで進んでください。
231 :
ううんこ:2008/05/26(月) 11:22:27 0
私は母子を殺されました。あの世で待ってます。復讐します。必ず。あの世で
戦争はなぜ起こる?
戦争の根本は人類保存とは関係ないと思う。
欲望と恐怖が悪循環していって戦争までになったのでしょう。
まぁ身近に戦争を体験したことないので。
何度も言うが、人を殺していけないというのはただのルール。
これ以上説明のしようがない。
233 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 11:36:19 0
>>232 あなたの主張は、みなに伝わっています。
みなさんの考えも聞いてみてください。
人を殺さなくてはいけないほどの立場になった
自分の能力をもっと疑うべきだと思う。
お相手ありがとうございました^^
これにて失礼します。
235 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 11:58:26 0
>>234 そんなに生き急がなくても。
またのぞいてみてください。
236 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 12:02:02 0
「ただのルール」では「なぜそのルールに従わなければならないか?」
という問いへの答にならないんだが。
>>236 従わなければいけないというのはあなたの偏見では?
納得いかないルールがあるなら従わなくてもいいと思う。
人を殺している人が実際にいるわけだから。
やりたきゃやればいい。暑いから全裸になりたきゃなればいい。
っと時間なので途中で申し訳ないが本当に失礼します。
また来ます。
238 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 12:42:21 0
「人を殺してはいけない」というルールに従いたい奴は従えばいいし、
従いたくない奴は従わなければいい、ということ?
それはつまり、殺していいと思う奴は殺していいし、
殺してはいけいないと思う奴はは殺さなければいい、
というだけのことじゃね?
それがあなたが主張していることなの?
239 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 15:16:07 0
それルールいうんかいなぁ〜
人を殺してはいけない、っていう道徳観は不変ではない
実際、自分の共同体以外の人間の生命は尊重する必要はない
ってのが中世以前はスタンダードだったように思える
つまり可変的なものだ
(自己の共同体のメンバーでなくても、基本的には生命は尊重しなくてはならない
と変化してきた。あるいは、「人間」の範疇が拡大した)
となればそれ以上説明しようのないルール、ってことではないと思う
241 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 17:27:36 0
>>238 >殺していいと思う奴は殺していいし、殺してはいけいないと思う奴はは殺さなければいい
そのせめぎあいの中で決まるってだけだと思う。
条件次第でどっちにころんでもおかしくない。
ほんで、比較的に安定すると倫理とかルールとかラベル付けされる。
242 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 19:06:12 O
日本語の『いけない』と『できない』を混同すると話がややこしくなる。
殺人は物理的に『できない』わけではない、だからこそ『いけない』と禁止するわけで。
それは本当にそうだね。
「殺人ができる」と表現する分には誰も異論はないだろう。
問題は「人を殺してはいけない」と表現する場合だね。
全面的に禁止されるってのは、すぐに困ることはないが将来的に不都合が出てくる予感がある。
その時々の都合で原則を曲げるのは避けたい事態だから、俺は断言することはできないな。
245 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:21:43 O
>>244 じゃおまえは殺されても文句を言えないなw
246 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:30:53 0
>>245 まあ死んだらどのみち口は利けないけどな。
真面目に答えると、不満がある場合もあれば殺されても仕方ないと納得する
場合もあるだろうね。
247 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:35:11 O
倫理破壊の浅薄な経験論者は哲学者の名に値するのか?
248 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:37:16 0
倫理を破壊しているつもりはないよ。
君こそ倫理を単純化しようとしてないか?
249 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:39:33 0
>>230 >>232 戦争も保存のための行動でしょう 人類じゃなくて共同体の。
戦争に負けて消えた国なり社会なりたくさんあるし、強いところが(ry
250 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:40:03 O
単純なのはおまえ
ではなぜ殺すなが普遍的なんだ?
251 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:47:41 0
倫理が変容したり破壊されても人間は生きてくのだし
そのことを思考するのも十分哲学的だと思いますがどうでしょう
252 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:48:59 0
それは倫理と一言で言っても殺人から不倫までいろいろな禁止事項がある中で、
トップレベルの禁忌だからね。
でも決してどんな場面でも禁止されることじゃないと思うよ。
253 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:51:14 O
>>251 社会によって異なるなら、殺すなが成立しない社会もあるだろ
だがそのような社会はかつて世界のどこにもなかった
それは超越論的に殺すなという倫理が決まってるから
254 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:52:32 O
255 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:57:02 0
256 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 20:58:57 O
257 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 21:01:00 0
古くはいけにえとして殺したりとか
いまなら死刑、あと戦争
258 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 21:04:36 0
>>253 自分と別の種族の人間なら殺していいとか、
奴隷なら殺していいとかの社会だったら、
いくらでもあったぞ?
259 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 21:05:39 O
>>257 どれも例外だから、原則として殺すなは普遍的にどこでも成立している
260 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 21:09:45 0
261 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 21:10:48 O
>>258 ではなぜ自分と同類は殺してならないのか
また本当に殺してもよいが社会的道徳として成立していたか
またそのような社会で殺すことが倫理的に完全に問題ないとみなか信じていたと本当に言えるか
262 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 21:21:58 0
動物もあまり仲間を殺さないが条件によっては殺す
こういう行動は生存競争で獲得したものじゃないの。
なら人間もってことで
>>205 も妥当性あると思う。
263 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 21:52:17 0
>>261 > また本当に殺してもよいが社会的道徳として成立していたか
古代ローマなどでは、成立していたようだね。
> またそのような社会で殺すことが倫理的に完全に問題ないとみなか信じていたと本当に言えるか
みながってことはないだろうね。どんな社会でもその社会の道徳に異議を唱えるものはいる。
264 :
考える名無しさん:2008/05/26(月) 23:54:40 O
人を殺すことが倫理に反するか、またそうでなくても社会が成立していたか、という問い以前に、なぜ人を殺してはいけないという倫理が比較的普遍的に存在するのかということを考えた方が発展的だと思う。
なぜ人を殺すことをダメだと思い、道徳・倫理を作り出したのかを考えようよ。
265 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 00:15:53 0
つかヒトを殺すことのどこにメリットがあるのかがわからない。
倫理的にどうこうって以前に、生温くどす黒い血とか死骸の腐ってく
臭いとか、冷たくブヨブヨした肉の感触とか・・・
どれとってもオエ〜!!って感じw
266 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 00:48:00 0
>>264 それだと無難な回答が出やすくてあまり面白くならなさそう 実際この手のスレ過疎化しやすいしね。
道徳・倫理が必ずしも人間のコントロールだけでできたものではなくて外部の要因がおおきいとしたほうが
自由意志との絡みもあって挑発的だし、思考の守備範囲が広がりそうに思う。
そもそもスレタイだと倫理が破れている状態を想起しやすいのだから、その期待にもこたえられるかな
267 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 01:13:02 0
>>264 倫理の正当性を高めるのはほかでいくらでもやってるんじゃねぇの
匿名掲示板の哲学板なんだから多少ちがったのが見たいんだけど、
まあ、もっといろんな流れができてもいい
268 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 01:51:44 0
>>265 その気もい悪さ我慢できる程のメリットがあるとき殺すんじゃね。
死刑なるかも知れんのにとか考えるとよっぽどの事だろ。
けど実際の殺人犯の動機って意外とショボイ希ガス。
269 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 02:40:12 0
>>267 >倫理の正当性を高めるのはほかでいくらでもやってるんじゃねぇの
やってねえよ。
それこそ哲学者の仕事だろ。
哲学の素人乙。
270 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 03:36:20 O
倫理の正当性を高める議論は本旨から少しずれると思う。
でも、倫理が作られる"必然性"を述べるのであれば、なぜ人を殺してはいけないかという問いの本質に近付けると思う。
だから例えば、
気持ち悪いと思う→人を殺してはいけないという倫理を作る
も、一つの論としてあり。
271 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 17:50:06 0
>>269 あぁ ここは素人が書き込んじゃ駄目なのか
レベルたけぇな、2chのくせに
「仲間を殺してはいけない」ってのは歴史をみても普遍的なものに思えるんだが、
「人間(全体?)を殺してはいけない」ってのは何時からどういう理由でより重要になってきたんだ?
素人にもわかるように誰か教えてくれ
ってか、現状も 仲間を(ry >>> 人間を(ry のように思えるんだが。
272 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 20:59:53 O
>>271 仲間の範囲が広がったから、結果的に人間を殺してはいけないという見方になったんじゃない?
キリスト教は全員を家族・同胞としたから結果的に人間を殺すなということになる。
273 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 21:04:38 0
>>272 すべての人間に人権を認め、殺してはならないとする考え方の発生には、
キリスト教の影響が大きいとされるが、ホントかどうかは分からんね。
「人を殺してはならない」の「人」をキリスト教徒に限定しているかのような
奴らも沢山いたし。
274 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 21:15:44 O
>>273 でも結局仲間を殺してはいけないというのは変わらないから、やっぱりどこまでを仲間と見るかが重要なんじゃない?
275 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 21:37:46 O
宗教が殺生を禁じるのは倫理の原因ではなく結果だろう
なぜそのような教義が生まれ広く受け入れられたか
276 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 23:11:15 0
>>275 たしかに宗教は倫理に大きな関連があるが、宗教=倫理ではない。
教義が広まったのは歴史的政治的なものも大きく、それを明らかにしても本旨からはずれると思う。
あなた自身が本旨にあった解釈なりを提示してほしい。
それができないのなら板違い、続きは宗教板で
278 :
考える名無しさん:2008/05/27(火) 23:17:16 O
>>276 キリスト教が人を殺してはならないという倫理の原因であるかのような流れになっていたから、違うんじゃないと書いたまでだよ
あくまで哲学の範囲にとどまっている
279 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 00:01:28 0
>>278 ごめん、なんか読み違えてたみたいだな。
280 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 00:05:31 O
キリスト教が人を殺してはいけないという倫理の原因というよりも、どこまでを仲間とするかという倫理的価値観が仲間意識を作りだし、それが全人類に及んだら結果的に人を殺してはいけないという倫理になったという仮説は立てられると思う。
でも、本旨として重要なのはなぜ人(仲間)を殺してはいけないのかという問いで、どこまでを仲間と見るかは条件によって異なるのであまり重要ではないかも知れない。
281 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 01:21:08 0
アメリカ人なんかだと
「自分や大事な人を守るためならば、殺してもいい場合がある。無条件に殺してはいけないなどということは無い」
って考える奴が結構いるだろうな。
カマキリのメスはオスを喰っちまうぜ
虫の神様は殺虫を良いと思ってるんだな
283 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 01:45:17 0
>>268 うん、だからそのギャップが理解できんのよ。
結局のとこ、ヒトを殺す瞬間って大方の場合、
主観がヴァーチャルな次元にはまり込んだ状態、
心理学・精神医学的に言えば離人状態にあるとき
なんじゃねの?だとしたら問題はもう、倫理とか
哲学ってよりは純粋に医学的なもんだと思うが?
284 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 02:41:34 O
>>283 別にバーチャルな世界に入っているわけじゃないと思う。
バーチャルな世界に入り込んでいると決め付けるのは、正常な人間が人を殺すはずがないという信念から来ているだけでしょ。
つまり、殺人者を同じ人間ではない、異常者だとしたいだけであって、それこそ現実逃避だと思う。
まぁ、議題はなぜ人を殺してはいけないのか、またそう思うのかということだから、実際に殺す人のことは問題外だと思う。
>>268 気持ち悪さが歯止めになってるとしたら食肉加工業の方々は
そんなの無きに等しくないか?
286 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 03:00:20 O
>>285 完全に歯止めになっていないのは、仕方ないことだと自分に言い聞かせたり、動物を仲間だと思わないようにしたからでしょ。
でも実際あなたこの牛を殺しなさいと、目の前で鳴いている牛を差し出されてもためらうんだから、やっぱり歯止めにはなってる。
287 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 03:12:23 0
>>286 でもそのとき歯止めになるのは気持ち悪さ以外の何かでしょ?
288 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 04:48:50 O
>>287 それは牛に共通性を見出だしているから。つまり仲間意識。
仮に虫の場合は共通性が少ないから比較的簡単に殺せる。
自分はその共通性という仲間意識こそが人を殺してはいけないという倫理・道徳の作られる原因だと思ってる。
つまり、「仲間意識という本質→言葉としての道徳」、の順番なのに、道徳だけが一人歩きして、いつのまにか"人を殺してはいけない"だけが取り沙汰される。
金持ちが貧乏人に襲われないためじゃないの?
290 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 05:18:56 O
>>289 その論も面白いし、正しいかもしれない。
でも正しさを証明したいなら歴史的資料を調べないといけないから大変だと思う。
でも、人それぞれ。
これが絶対なんてないんでしょうね。
291 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 05:23:08 O
>>289 あとその論だと哲学の領域よりも社会学かもしれない。
金持ちは強いんだから道徳で自分を守る必要なんてないだろ
金で強い奴を雇えばいい
それを言うなら弱者が虐げられないためじゃないか?
293 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 12:58:50 O
>>292 金持ちが強いから…
は、権力のあるものが道徳を作れるから、自分に都合の良いように作ったという考え。
実際、経営者は会社にとって都合のよいように社員に道徳教育をしているからね。
貧しいもののため…
というのも良いと思う。
でも自分の見方だとそれは建て前にすぎないような気がする。
でも、それだけじゃないのも事実だから、資料とかを探さないと何ともいえない。
294 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 14:06:21 O
続き。
あのハンムラビ法典の「目には目を…」は同じ権力同士の争いのとき。
弱者が罪を犯したらそれ以上の罰を課せられるらしい。
だから、昔は弱者のためという視点はなかったのかも知れない。
wiki参照
結局、金持ちであってもなくても、「人は人を自由に殺していい」
となったら困るわけだよ。
だから「別に殺されてもいいよ」という人か「俺は絶対に殺されない」
という自信のある人以外は、「人を殺してはいけない」というルールに
同意するわけだよ。
296 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 15:03:20 O
>>295 殺されたら困るから(被害者目線)道徳や法律を作るのか?
殺すことを悪いと感じるから(加害者目線)道徳や法律を作るのか?
前者だと結局、みんな困るから法律を守らないといけない、という結論になる。
でも「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いは法律以上の何か良心的な答えを期待している気がする。
本当に人間は法律がないと殺し合う存在なのか、みたいな。
だから自分はその答えはあまり好きじゃない。
297 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 15:03:58 0
インドなんかだと、カーストの上位がさしたる罪悪感も無く、カーストの下位を殺すことがあるよね。
298 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 15:51:56 O
>>297 それは自分達が虫を殺すのに罪悪感を感じないのと同じで、下位の人を同じ人(仲間)として見ていないから。
でもそんな人でも同じ人だと思うから殺せない。
299 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 15:53:43 O
間違い(汗)
同じ人だと思うから殺せない。
↓
同じ人だと思うと殺せないです。
>>296 それは、普通は「自分は殺されると困る」から「他人も殺されると困るのだろうなあ」
と感じるので、それを殺したら「悪いことをした」と感じるのだろう。
相手が動物でも虫でも、程度の差はあれそう感じる。
あくまでも「被害者目線→加害者目線」で、特に問題はないのではないか。
実際、もしも「俺は殺されても全く困らない」と感じている人がいたら、
そいつは他人を殺しても全く悪いとは思わないだろう。本気で
「何が悪いの?」と聞き返してくるかもしれない。
301 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 16:10:03 O
まあ、ひぐらしのなく頃にの世界のようなもの。
仲間じゃなくなった瞬間殺せる。警察に捕まるのは別問題みたいな。
302 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 16:26:06 O
>>300 悪いことをしたなと思うのは道徳があるから。
道徳を学んでない純粋な子供は虫を殺してもまったく罪悪感はない。
道徳→罪悪感、だから本末転倒だと思う。
問題はなぜ人を殺してはいけないという道徳が作られたのか。
殺されても困らないと思う人がいるとしたら、彼は地位や財産、仲間などこの世のすべてを捨てた人だろう。
つまり誰も仲間だと思わないから殺しても罪悪感など起こるはずがない。
303 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 16:29:49 0
>>280 >>302 「仲間を殺してはいけない」は社会の様な行動をもつ生物にほぼみられる事。
これは人間が主体的に理性や知性で決定した事ではなく、ここを考えていくならば生物学的な視点が必要。
サルの研究が重要視されたのもここにつながるから。
生物の行動進化の話になってどんどん本旨からずれそうな気が・・まぁ面白いならそれもいいが。
大雑把な解答としては生存競争→自然淘汰で決まったといえる。
仲間の範囲の決定方法のほうが人間の意志が反映される部分が多いので、こっちで考えていっていいのでは?
アリとかだと仲間の識別はフェロモンなど化学物質によるが、人間はなにで決めてきたのかな。
304 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 16:46:12 O
>>303 生物学的な視点は必ずしも必要ではないと思う。
哲学の場合、たぶん人間理性や意識、思考などを大前提にしていて、なぜそれが生まれたのかは問題にしないと思われる。
例えば仲間意識についても、「悟性による共通性の認識、またその強弱により同一視(同情)が発現し、殺すことがためらわれるのである。また同一視とは、他者に対して自己の心情を投影することである」みたいなことを言えば、十分哲学的領域での答えは出せると思う。
305 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 17:08:08 O
>>303の補足。
哲学の場合、仲間意識が生まれた理由でなく、仲間意識とは何かを問うのだろうね。
「仲間意識はそもそも共通性の悟性(客観性じゃなく、そうであると直感的に認識すること)に依存している。」
この答えは生物学では得られない。
ここに哲学的に考えることに意義が出て来る。
306 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 18:03:29 0
>>305 う〜ん、確かにこのスレの本流はそうあるべきなんだろう。
けどこのスレタイを見てくる人ってそっちに解答を求める人ばかりじゃないように思う。
ま、そっちに関心があまりない俺の感想だし、暫く様子をみようかな。
307 :
考える名無しさん:2008/05/28(水) 18:04:52 0
>>303 お前ってほんと馬鹿だな。
サル含めて動物にも倫理があるんだろw
>>296 全面的に賛成します。
あんたすごいね。
309 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 02:52:34 O
>>308 ありがとうございます。
ここで整理しておきたいので、勝手ながらここまでに考えた私の仮説を書かせていただきたいと思います。
『なぜ人を殺してはいけないのか』
仮説:仲間意識がある場合に人は"自発的"に、"良心的"に人を殺してはいけないと思う。しかし、仲間意識がない場合、人を殺すことをためらわない。
仲間意識とは?
1、仲間意識は、共通性の悟性(直感)、また共通性の強弱に依存する。これは生まれて来るすべての人に備わっている。
ex)人>牛>虫、虫に対してはほとんど殺すことをためらわない。
また、道徳に支配されていない人ほど、共通性の悟性に依存する。
2、仲間意識は経験的信念によっても作られる。
つまり、経験により共通性の認識が拡大し、いわゆる慈愛のようなものが芽生える。
ex)博愛主義者であれば、経験的に人類全体を、または牛や虫にでさえも強い共通性を見出だし、これを殺してはいけないと思う。それは道徳による拘束的な信念ではない。
310 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 03:01:17 O
>>309の続き
なぜ、人(全人類)を殺してはいけないとされるのか?
1、本来この経験的信念による仲間意識の範囲は個々の経験に依存する。それにもかかわらず、この仲間意識の範囲が広い人は実際に理想の人であるので(キリスト、ガンジー、マザー・テレサなど)、その道徳だけが一人歩きして、私達を拘束する。
2、平等という社会的信念、戦争領域の拡大などにより、[仲間-敵]関係が奴隷や民族を越え、全人類まで拡大した。現在では、社会的信念においてどんな人種や民族も殺してはいけないのが理想となる。
つまり、個人だけでなく社会的レベルにおいても、仲間意識の経験的信念が存在する。
(しかし、これは社会的信念であって、個々の経験的信念とは必ずしも合致しない)
以上が私の考える仮説です。異議があれば答えるようにはしますし、自由なスレですので他の仮説や、独り言でもどんどん書き込んでください。
>>296 人が人を殺さないのは本能的なものだとおもいますよ。
例えば『高いところで足がすくむ』、『ヘビやクモに嫌悪感を感じたり』
と同様なレベルの原始的なもので、脳内にこの機能を持つ回路が形
成されていると考えた方が自然でしょう。(あるいは、動物や昆虫が、
毒々しい色のキノコを食べることをためらうのと同じレベルの話?)
もちろん、どちらも育った環境や、訓練次第では克服することができる
程度の本能なのでしょうが。
312 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 03:30:26 O
>>311 その論も正しいかもしれないけど、哲学というより生物学だと思う。
哲学的に考えるなら「高いところで足がすくむ」「蜘蛛や蛇に対する嫌悪」は、死の想像にあると思う。
そして死の想像・恐怖は、その根本に自分の存在が無になることにある。
例えば、蛇などがいなくても、自分が無になってしまう想像をすれば(魂だけになるとかじゃなく、存在そのものが無になること)、同じ恐怖感が湧いてくると思う。
危険なことをするスリルとはまた違う、無になるという恐怖。
なぜ無になることに恐怖を感じるのかまで理論立てられれば、それに対して哲学的な考察が成り立つことになると思う。
313 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 04:40:47 0
なぜあなたは人を殺してはいけないと思うのか?
人を殺してはいけないということは、人を殺してはいけないと思うからである。
宅間守の行為が「悪い」と考えるのは私たちの視点からである。
314 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 05:12:16 O
>>313 人を殺してはいけないと思う→「人を殺してはいけない」という主張・道徳意識→人を殺してはいけないと思う→……、の堂々巡りだから、論理的ではなくて、議論の本質を円の中に隠しているだけ。
宅間守の意見については賛成だけどね。まぁ、自分の知り合いが殺されたなら話は別だけど。
315 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 12:41:20 0
>>310 でも昔は、仲間じゃない人間を殺してよいと思ったか、それは個人の内部の倫理だから検証しようがないし想像で語るしかないよね。
俺は、どんな昔でも、仲間じゃない人間をも殺すことは倫理に反すると人は思っていたと思う。
316 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 15:24:47 O
>>315 人間は完全に個人として独立していないと思う。
だからこそ社会的な道徳意識が個人を縛り付けるのだと思う。
例えば、自由であることは良いと全員に近い人が思っているけど、それは個人の経験的に得られた信念ではない。
個人の経験的な信念の余白に、教育された社会的信念があるのだと思う。
だから昔の個人の倫理は見ることはできなくても、社会的な倫理観は歴史から十分推測することができる。
317 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 15:35:09 0
>>316 倫理は社会的道徳の結果であるという説も憶測に過ぎない。
根拠がない。
俺はむしろ、社会的道徳の原因として個人の倫理があると思っているからな。
・個人の倫理
・社会環境
この両者があいまって、社会的道徳を生む。
したがって単に道徳を社会的な産物として規定することはできない。
318 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 15:39:36 O
>>315 あと昔の人は"人間"といって思い浮かべていたのは今とは違うと思う。
昔の人は"人間"と言っても世界が狭いから仲間の人間しか思い浮かべられず、だからこそ外部の人間を野獣か悪魔かに思った、だから殺せた。
その意味で人間=仲間はどんな時代でも成り立っていたと思う。
今想定する人間があらゆる民族や人種を含むだけで、例えば虫の形した人が「私、人間です」て言ったって人間だと思えないでしょう。でももしかしたらそれは未来に同じ人間と見なされるかもしれない。
319 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 15:43:01 O
320 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 15:55:55 O
>>317 確かに…それはあるかもしれない。
それは個人の経験的信念が社会を作るという視点なのだと思う。
でもそれは社会的倫理の生成過程であって、やがてそれも権威を持ち、人々に教育する側になり、私たちを拘束するのは確かだと思う。
だから視点が違うかも。
317の理論→自分の理論という流れかもしれない。
倫理それ自体の流動性か。
321 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 15:59:01 O
>>319 人間の認識が時代の環境に依存するのは明らかでしょ?
322 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 16:05:12 O
>>321 倫理は認識ではないし、認識のすべてが環境で変わるとも考えられない
QED
323 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 16:06:57 O
>>320 馬鹿だな
アプリオリに倫理はあるんだよ
324 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 16:13:25 0
325 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 16:14:23 O
326 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 16:15:59 0
サルのどんな行動からそういう結論が出たの?
327 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 16:19:36 O
>>322 道徳は認識ではないけど、認識がなければ道徳など作れるはずがない。
あと、認識のすべてが環境で変わるとは限らないとしても、無視しても問題ない程度でしょ?
そこまでは考えようがないし、そこまで考えたら結論は出ないと思う。
>>323 すみません。道徳と言うようにします。
328 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/05/29(木) 16:40:34 0
自分の共同体の長が命じれば、ほかの共同体に属するヒトを殺すことにより、自分の共同体に帰属するすべしかなかった。
しかし、ここで問題になるのは、自分の属する共同体に内的な矛盾(例えば権力争い)などがある場合、同じ共同体の内部での殺戮が平然と共同体内存在としてのヒト同士で行われることである。
これは21世紀の現在でも日常的に起きている。
同一の共同体内で必然的に生じてしまう共同体内存在としてのヒトによるヒトの殺戮は、なんらかの権力が無いと共同体を維持できないという、共同体自体が持つ延命本能に由来する。
即ち、共同体内存在それ自体に由来する必然性を伴うだけに、ヒトにとっては、やっかいな問題となる。
329 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 16:43:13 O
>>327 倫理は作るものではなく与えられてるもの
認識についてアプリオリなものを軽視するのも誤り
カント読んでるか?
330 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 16:57:25 O
>>329 別に軽視はしていない。カントも読んでる。
そういうことじゃなくて、言葉選びが悪かったから訂正しただけ。
331 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 16:59:59 O
>>328 確かに集団内部のことを考えるのも大事かも。
332 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 17:34:53 O
俺も
>>329を皮肉るけど、早くサルの倫理に付いて説明した方がいいよ。
倫理は確かに与えられたものとも言えるけど、サルにアプリオリな思考が出来なければ倫理はないはずだから、カントでは説明出来ないと思うよ(怒)
333 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 17:49:29 O
334 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 17:52:45 0
人間以外の自然界には無意味なものはあるはずがないという先入観じゃない?
336 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 18:04:23 O
猿が無意味に殺したとしたら倫理を破っただけ
まそういうことはないだろうけど
人間社会の犯罪にも自然科学的認識論を当てはめるならば
たとえ人間社会の現象であっても無意味なものはなくなるんじゃないか?
338 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 18:20:14 0
>>336 じゃあ意味のある殺しなら倫理を破ったことにはならないの?
339 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 18:21:28 O
>>337 その通りだな
しかし人間は悪を悪と知りながらあえてやることがある
猿にそれがないとは言えない
また自然に従うから善いとは限らない
病がある
動物が病にかかるように、人は悪をなす
人殺しは最終手段。
最終手段という事は最悪の行為だという事。
最悪の行為という事は、倫理的にも良くないという事。
ただし、正当な理由ならプラスマイナスゼロでチャラにはなる。
341 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 18:37:38 0
>>340 そんなこといったらカントに怒られるぞw
342 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 23:32:49 O
>>333 >>336の意見に賛成。
>>339 自分の考えでは悪を悪と知りながらあえてやることはないと思う。
悪をやる人は、これこそが正しいことなんだ、正義なんて現実を見ていないだけの愚かさだ、みたいな正当化を"必ず"している。
もしくは悪をやらなくてはいけない場合。
でもこれは義務だからやらざるを得ないのであって、主体的な行為でないから倫理上悪ではない。
例えば、心身喪失状態の人は犯罪を起こしても無罪になる。
これは人間の意思を前提としている倫理上の判断。
彼は悪という意思がない状態、気がついたら目の前で人が死んでいたという状態だから、倫理上、悪とはみなされない。
343 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 23:41:11 0
そうだな。意志と知性は等しい。知性が誤るから悪を為す。というより悪を為さざるを得ない人間は、知性的にも誤らざるを得ない。
344 :
考える名無しさん:2008/05/29(木) 23:42:38 O
345 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 02:58:59 O
最近自分でも思いはじめたんだけど、このスレって、正式な意味の哲学的思考をするスレ?
それとも自分哲学みたいな広い意味の哲学スレ?
今まで自分は哲学的思考に限って注意してきたんだけど、もっと生物学や社会学みたいな色々な考えを認めて、ちゃんとした考えかどうかだけを注意すべきなのかな〜と(汗)
だとしたらでしゃばり過ぎたので、一歩引きます。
意見求む。
346 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:23:32 0
347 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:31:08 O
348 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:42:45 O
人を殺すって法律上禁止されているけど、それをやってのけるのは簡単。
さっきまで野菜切っていたように人を刺せばいい。
でも実際、逮捕されたり報道されたりするとそれで現実に戻されるというよりも、逆に社会の作り出す劇場に追いやられて、非現実的になる。
社会は犯罪者を妄想にかられた異常者と見るが、社会に生きる人こそ妄想にかられた異常者でしょ。
349 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:59:05 0
350 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 03:59:43 0
>>348 社会ってそんなもんなんじゃない?
皆が皆々、イデオロギーや社会通念を真理と思い込む。
皆が皆々、その真理にすがる。
真理なんて見掛け倒しの張りぼてなのにね。
角度を変えて見りゃなんのその。今にも風に飛ばされそうだ。
だめだよ人殺しちゃ・・・
351 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:04:38 0
アホスギw
なんもわかっていないな。
再三主張しているだろ。
俺の主張は一貫して、人間の倫理は社会によって左右されない。
宗教・社会的道徳その他社会的なものは、倫理の結果であり原因ではない。
倫理は、人間が生まれながらにして持っているものだ。
352 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:08:32 0
>>351 メデタスギw
先天的な倫理があるなら、なぜ凶悪殺人者が存在するの?
なぜ、人間の歴史は戦争の歴史なの?
353 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:09:09 O
>>350 殺さないよ、それで人生壊したくないから。
でも社会の中に現実があると思っている人が多すぎる。
現実の中に社会があるのにそれに気がついていない。
354 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:13:31 0
>>352 どのような経験的事実があっても、倫理がアプリオリに全人類に存在することは、自明だろ。
むやみやたらに人を殺すやつがいるか?
そんなやつは稀だ。
もし社会が存在しなければ倫理は完全な姿を実現しているだろう。だが社会が存在するから倫理がゆがめられ、悪につながる。
戦争はその最たるものだな。
355 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:14:58 0
まあ倫理は個人間のものという意味で社会的だといえるかもしれない。しかしそれ以上の意味で社会的ではない。
個と個の関係で出てくるのが倫理だ。
356 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:14:59 O
かっこいい奴は強い奴にぶつかっていくもんだ。
かっこわるい奴は弱いモノを殺す。
どっちも殺人は犯罪だが、前者は英雄になる場合がある。
殺したくて仕方ない奴はよく考えてほしい。
弱々しいのを殺すことは何の利益にもならないからな。
357 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:15:50 0
>>354 むやみやたらに野菜切る奴もいないだろ?
358 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:20:32 0
他人をおもんぱかり、仲良く過ごしたい。他人のことも自分のことのように考える。
こういうのは自然の素質だろ。社会が教育なんかしなくても、個と個の関係で自然と身につくものだろ。
小学生に「人を殺していいと思うか?」って聞いてみろ。分からないなんて答えるやつがどれくらいいるか。
当たり前なんだよ。
それを分からなくするのが理性なんだよ。哲学によって当たり前が分からなくなっている。
359 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:27:05 0
>>358 皆が皆々、イデオロギーや社会通念を真理と思い込む。
皆が皆々、その真理にすがる。
そして、358もまた思い込み、すがる。
360 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:28:45 0
>>359 だからイデオロギーなら、そうでない社会が、どこか、いつの時代かに存在したはずだろって言ってる。
それがないんだろ?
361 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 04:37:05 O
>>360 学問の中に現実があるんじゃないよ。
現実の中に学問があるんだよ。
あなたは学問に振り回されてる。
362 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 07:12:09 O
そもそも、人類の歴史で最初に「人を殺してはいけない」と言ったのは誰で、いつの時代だろう?そして、それ以前は殺人は当然に行われてきたのか?
そこが分かれば、少なくとも「人を殺してはいけない」の概念(殺人に対する嫌悪感?)が存在するのは社会的ルールが先なのか、本能的に在るものなのかわかるかも。
364 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 07:37:39 O
362の自演なんだけど…。
少し考えてみて、本来は同種で殺し合うのはリスクが高いから、それを避ける為に本能としてやはり組み込まれていたと仮定してみる。
そのうち、社会が成熟するにあたって、殺人に至る理由も多種多様になり、殺人はいけないの概念が曖昧になってきたのかもしれない。
私としては、一つは本来持っていた、殺し合うリスクに対するなごりと、あとは、皆が云うように、様々な社会的な梗塞で殺人はいけないとの概念が生まれたと憶測する。
今の段階で、殺人を絶対的な悪だと定義することは不可能なんだろうね。
365 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 09:43:56 0
>>360 近い日本の歴史では江戸時代?
農民を殺しても罪にはならなかったよね?
それ以前の日本はどうだったのだろう?
あとそれから、ゲルマン民族なんて決闘(殺し合い)制度があったと聞く。
中国の歴史はどうかなぁ?
「倫理」って言葉で美化されているけれど、
「個々人の利害」、「社会(コミュニティー)の均衡の目的」とかの方が分かり安くない?
「それは倫理があるからだ」って、
なんだか聞こえは素晴らしいが、答えにはなってないのじゃないかな?
ハーレークイン小説の完結「それは運命の愛なのであった」みたいな・・・
366 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 09:53:25 0
>>363 ちがいますw
確かに今の社会にすっかり適合できたまともな人間だと思います。
殺人そのものを行為として根源悪としたのは近代のことで、近代でもそれは達成できていなかったりする。
少なくとも人を殺すかどうかそれ自体が第一義に善悪の判断材料になるものではなかった。
368 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 10:17:20 0
うん? カントが言う様な意味で超越論的に倫理が成立しているとか言っていたんじゃなかったのか?
それがどうして歴史的事実(経験)と直接的に結びつくんだ?
話がずれてないか?
単に倫理は普遍的だと僕は思いますと言っているだけだったのか?
369 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 10:41:30 0
文化の違いで、それぞれの「倫理観」に違いがあるのはなぜ?
カントってキリスト教文化ドップリの人間でしょ?
普遍的→真理→張りぼて?固定観念的?
>>365 たしかに普段の生活で倫理と呼べるような崇高な行為をしている人はいないだろう。
それはせいぜい常識とか道徳と呼ばれるべきレベルなんだろう。
しかしそういう普通の生活をしていた人がある日、高い倫理を感じさせる行為を
してみせることがある。一例をあげれば線路に落ちた人を危険を顧みず助けに行って
残念ながら亡くなってしまったということがあったね。
それは誰にでもできるレベルのものじゃない。才能なのか努力なのかわからないが、
簡単にできることじゃないことは確かだ。
利害とか均衡とか言ってちゃいざというときそういう倫理をあっさりと捨て去って良心の
呵責もないといった倫理とは無縁の人間を生み出すことになる。
倫理ってのはそういう意味で努力と我慢の尊い結晶ととらえるべきだろう。
お年寄りに席を譲る。
でも「まだ自分の足で立てる!そんなに年取ってないわよ!毎日グルコサミン飲んでるのよ!」
って思うお年寄りがいることも確かだ。
同情心と倫理の違いは?
だから現実の目線でみているという意味でいうと、361→358ではないと思う。
>>1は歴史的理由よりも現実問題なぜなのかを、つまりあまりいいたくないが、
今殺意があって、それを踏みとどまる為の理由のようなものを、聞いているんだろう。
だから
>>364のような解釈は言うのは自由だが本筋ではないし、
>>359のような
解釈も、本筋ではない。なぜって現実問題、殺人はいけないってこの社会では
社会通念としてなってるんだから。それが真理といえば真理だろう。
いやちょっとまて、と言って
>>359のように反省してみるのは、学問の中に現実
(社会通念やイデオロギー)を置いて考えることで、これは現実を置いている
ようで過去(過去の記憶としての現実)を入れていることになる。それをあれこれ
考えてるわけだ。これこそ学問(思考や情報)に振り回されて現実をみていないと言えるのでは。
「今殺意があって、それを踏みとどまるべきか/実行してよいか の答え」としては、
358が一番現実的な答えであることは揺ぎ無いと思うよ。
>>366の2行目は皮肉ではなく真実として受け止めるべき。
>>359の真理ってなんだい? 最も理が通っているということなら、現実の社会通念がそうだ。
昔はどうだったとか、将来的にはこうこうすべきとかの理屈ではない。
>>359は現実の社会通念を否定しているが、仮に間違っているとしても、
間違っているという理解が社会になく、かつ正解が社会に示されていなければ、
それこそ机上の空論(現実がムシされ、学問でおおわれている)でしょうに。
>>372 359の真理ってなんだい?→
>>350 それから359=366
やはり名無しじゃいけないねぇ
375 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 12:02:42 O
>>358 が問いに対する的確な答えだというけれど、358にも書いてある通り、小学生にでも分かる常識を言ってるだけで、その程度の答えを1が求めているとは思えないのだが。
それが社会の常識だよでは、逃げだと思う私は異端かな…。
376 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 12:05:39 O
>>361だけど、
>>362は書いてないよ。
殺人が現実的と言ったのは、どんなに良心的であろうとしてもそれは理想にすぎなくて、理想は人間的な成長の目標だから必要なんだけど(カント)、憎しみがそれに一時的に勝った場合、殺人は現実として起こるよという意味。
377 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 13:18:22 0
法は強制力を伴うので全員を納得させる必要はない。反対意見の人も当然殺人を犯せば罰せられる。
だから全員が納得する理由を用意する必要はない。そもそも全員が納得する理由なんてどんな問題においてもありえない。
378 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 13:45:45 O
>>377 法は個人とは全く関係ないよね。
自分のやったことの善悪の判断が他人に決められてしまう。
善のつもりでやってもそれが法律に反するなら犯罪になりうる。
社会からは悪と見なされる。
379 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 13:45:49 O
殺人を抑止するには法の強制力を必要とする。
そのことは何を示しているかというと、根本悪との認識で殺人を定義すること自体が無意味だということですか?
人を殺す人は、それが悪いことだとわかっていて殺すのであって、
悪くないと思うから殺すのではない。
381 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 14:01:27 O
>>379 例えば自分が犬を殺す。
でも、法律上は犬を殺しても犯罪になる。
もし法律で虫を殺してはいけないとされていたら、虫を殺すことさえも犯罪になる。
382 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 14:22:19 0
最近流れが複雑で参加できません
383 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 14:22:48 O
例えば、その人が本心で犬さえも仲間だと思っているなら、その人は犬を殺すことを悪と感じるけど、そうでないなら虫を殺すように犬を殺すと思う。
そのレベルの違いで、憎む人を仲間だと思ってないから殺す。
でも、法律上は憎む人も人間という仲間になってるから、逮捕される。
その人も仲間を殺すのは本心で悪と感じるだろうけど。
逮捕されたり、道徳を聞いたら人を殺してはいけないのかと罪悪感を抱くのだろうけど、それは作られた罪悪感であって、本心の罪悪感じゃない。
384 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 14:41:02 0
>>378 法は個人とは関係ないとか本気で言ってんのかw
個人を守るために法が定められるという観点も持った方がいいぞw
385 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 14:59:03 O
>>384 でも、法律なんてなくても成り立つ社会が理想でしょ。
善悪の判断を他人から決められたくない。
386 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 15:08:59 0
お前が無政府主義のアナキストなのはよく分かった
387 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 16:39:38 O
本質的には、命を奪うことは悪ではないよね。それを悪だとしたら、家畜や害虫や植物の命を奪った者はみんな悪だ。たぶん…。
ここで言ってるのは、人を殺めることに関してだよね?
法律や国家も信用できないよ。状況によって、殺人も認めてるから。
人それぞれに答えは持っていて、それはその人にとっては人を殺してはならない理由として成立してるので、少なくともその人にとっては真実なんだろうか。
ならば、安易に否定するのもどうかと思う。
実のところ私には、殺人を否定する理由を持っていない。
ここで一番自分に合う考えを参考にしてみようと思っている。
388 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 16:43:47 O
判断されたくないは言い過ぎたけど、実際法律より個人の心情の方が大事でしょう?
法律は個人を守るためにあるというのは結果的な話で、本来は何が善悪であるかを純粋に諭すためにあるべき。
確かに、自分が無知だから犯してしまう犯罪はあるんだろうけれど……
389 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 16:52:02 O
>>388 気持ちはわかります。
でも、法律は個人を守るのでなく、人権を守っていると思います。
例えば、人権を保護する為には合法的に、死刑という形で個人を破壊します。
390 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 16:57:46 O
>>387 命を奪うことは本質的に悪ではないのだとしたら、人間の命を奪うこともどんなに考えても悪とすることが出来ないと思う。
じゃあ、サルならいいのか? その境界線は何かという話になるし……
だから命を奪うことは本質的に悪なんだろう。
391 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 17:00:49 O
>>389 じゃあ、家畜や植物には人権(?)がないから殺してもいいの?
392 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:00:18 O
善悪とは別だけど、少なくとも日本の法律には、動物や植物の権利について書かれてある条文はないんじゃないかな…。
あくまで器物損壊止まりだと思います。つまり、動植物は、日本の法律では物とほぼ同等なんじゃないかな?
解釈にもよるのかな?
393 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:05:13 O
>>390 今日、昼食は寿司でした。魚を殺して食べた訳です。命を奪うことが悪なら、食物連鎖は悪となり、生きること事態が罪となります。
少なくとも私は、毎日その罪を感じて生きているのです。
それが悪でも自己のさしせまった命を防衛するための
正当性はあるのだから、プラスマイナスゼロでチャラ。
食べ残しが出るほど無駄に殺せば悪。
船場吉兆のあれだって、お客さんは最初から食べられる量を考えて
食べる物だけを頼まないのは悪だと思うよ。
マスコミも変で、お客さんも批判すべきなんだよね。
ニュアンス的に罪と悪って少し違いがあるんじゃないかな。
罪というのは社会的に決まりを破って他者から罰せられたり、
責任とらされたりする社会的な感じだけど、悪はもっと根源的な、
生き物としての嫌悪感のような本能的な感じがするよ。
396 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 18:55:30 O
みんなの考えは非常に参考になるね。
みんなは殺人をイメージするとき何をイメージする?他者が身内を殺害?自身が他者を殺害?
あくまで私の考えだが、原始的な殺人の概念ってのは、『他者が私を殺害する』ということだと思うんだ。
自身の命の喪失は、通常は最大の災難であるから、殺人であれ、事故であれ、病であれ、主観的にはそれらに対する感情は、悪に対する感情になると思うんだ。
殺される側から見れば、殺人は如何なる理由があれ、やはり悪事に相違ないかと…。
つまり、殺人がいけないのは、誰かが誰かを殺すと、他の誰の目から見ても、被害者に対して加害者は感情的に悪となるので、悪である。
ってダメかな…?
単純なケースならこれでいけないかな?
自信ないけど、誰か意見下さい。
原始人にも殺すの大好き!って人は少なからず、いたと思うよ
あと動物は他の動物を殺すのが好きな気がする、子供が虫を殺したりちぎったり燃やしたりするのは本能だと思う
成長していく内に常識が身について他の動物や人を殺さない様にできる…のかな?駄文ごめんね
>>388 389の言う通りで個人を守る法というのは具体的には
人権的なものだ。だが勿論、その人権自体が守られない場合や
単に建前で人権を保護してる場合もある。まぁそれは理念の話という事でね。
他人の心情を安易に否定するのが良くないというお前の考えなら
言論の自由や思想の自由などの人権が一切認められてない社会よりは
そういうものが保障されてる社会の方が望ましいと思えるはずだ。
例えば人間の多様性や考え方の相違、文化の違いに寛容的な国家では
基本的には思想や内面、心情、あとはなんだ
本心の罪悪感とかいうのも侵害されることはないはずだ。
だがそんな国家でも私人による私的な理由での殺人は認めえない。
それはあんたの言うように「殺人が善悪かどうか」に関する
個人の考えを抑圧して、勝手に決めた道徳を強制するからじゃない。
むしろそういうものの抑圧を悪と見なすからこそ
心情の自由を保障するためには必然的に他人のそれを完全に否定し
消滅させるような行為である殺人は認めることは出来ない。
という理由によるものだ。
「殺してはいけない」は権力者の不当な命令ではなく
個人や人間を尊重して、自由や人権を守るために必要な決まりなんだよ。
それは価値観の多様性に寛容だからこその
多様性を破壊しようとする価値観への不寛容なんだよ。
その程度の不寛容は必要だとは思わないか?
ちなみにもし何でそういうものを尊重しなくちゃいけないの?
なんで寛容的じゃないといけないの?なんて根本的な疑問をぶつけるようなら
まず個人の心情が大切だとか本心の罪悪感が大切だとかいう考えも捨ててもらう必要があるな。
399 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 19:33:31 0
>>396 要するに殺されるのは誰でも嫌だから誰も殺されるべきではないって事?
400 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 19:38:56 O
倫理は全生命に共通に備わっている
>>400 うるさい。主張するだけで、なんの根拠も示さない時点でアウト。
再三再四、指摘されているのにもかかわらず・・・
402 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:05:16 0
「人を殺してはいけない」という問いには死は"悪い"ことだという考えが含まれている。
極端にいえば死が"善い"事ならば、殺す事も"善い"行動だ。
"死"自体は当然起こる自然現象のひとつに過ぎないが、それをなぜ"悪い"事だと感じるのだろう。
この"死"を否定的に捉えようとするのは、感情?本能?イデオロギー?
もちろん、僕もナゼか死にたくないのだが・・・
403 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:13:52 0
あらゆる死が悪いのではなくて禁止されたり裁かれるべき死は
人間によって恣意的に齎される死だけじゃないか?
少なくとも俺は自然死には大して否定的な感覚は持ってない。
ましてや道徳に関係するなんて全然思わない。
404 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:15:46 0
>>402 それはもちろん本能以外にあり得ないでしょう
405 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:18:58 0
>>403 うらやましいな
俺はどんな死にかたであろうとメチャメチャ怖い。
怖いと悪いは違うと思う
407 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:23:39 0
明日死ぬかもしれないよ?常にビビってるのか?
408 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:26:40 O
>>402 自然に死に至るのと、強制的に死に至らせるのは大違いだろ池沼
409 :
283:2008/05/30(金) 22:52:13 0
>>284 >つまり、殺人者を同じ人間ではない、異常者だとしたいだけであって、
>それこそ現実逃避だと思う。
いや、それは違うよ。「異常者」というレッテルが実際に「現実逃避」に
なるのは正常/異常という境界が明確でそれらが非連続のときだけであって、
実際のヒトはそれらの間を容易に往還できる。
「離人状態」ってのは正常な人間でも日常経験してる現象であって、
症状の軽重はあれ、過度の疲労やストレスなどによる意識水準の低下によって
容易に現われるものだよ。
410 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 22:55:08 O
みんな殺されたくないんだよ
だから法律とかで自分を擁護しようとしてるんだよ
自分以外の他人が死ぬのは勝手だけど、自分に危険が及ぶ可能性があるなら、反対する。ようは自分が可愛いんだよ…
人を殺したいという少数派も利己的だし、
殺されたくないという多数派も利己的
412 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:07:20 O
>>411 なるほど
たしかに
人は知恵が付いてきたから、同種を殺すようになったのかな?チンパンジーとかゴリラはNO.1を争うけど殺したりはあまりしないじゃん?違いは知恵が付いたかどうかなのかな?
413 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:07:56 0
あーもうしゃらくさいよこのすれ
法が整備されたことにより、公然と徹底的に痛めつけて上下関係を教え込ませることが出来なくなったのと関係あるのかね
415 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:24:35 0
殺したければ殺せばいいさwwwそして裁かれるがいいwww
416 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:27:53 0
>>413 哲学はしゃらくさいものだよ。思考の過程を楽しむんだ。
417 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:30:03 0
>>410 まさにそれを克服しようとするのが倫理だと思う。
倫理的に判断して生かしておけない人間は死んでもらう。
倫理的に判断して死に値するなら潔く刑を受ける。あるいは自害する。
自分の立場を超えなければ法律すら満足には作れない。
加害者でも被害者でもない倫理的な視点を持つことが人間には必要。
人を殺すことでしか幸せを感じることが出来ない人がいたとしたら、
そいつは大衆の幸福のために不幸な人生を歩まされるのか
419 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:49:31 0
その通り
そういう奴は人間として社会的存在として欠陥品なのだよ
>>418 大衆の幸福のためじゃないよ。
大多数がそういう人間だったとしても少数者によってその大多数を相手に
戦わなければならない。
倫理ってのはそういうこと。
421 :
考える名無しさん:2008/05/30(金) 23:59:32 0
イミフ
>>419 自分達のために犠牲になれ!と言ってる奴のために自分の幸福を犠牲にする必要はないな
423 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:06:26 0
生命としての個は他の生命としての個を自分と同類と見なすことができる。本質において同じものだと。
換言すれば、自己が自己であるのは偶然に過ぎない、<私>がそれやあれである場合もあったかもしれない、と。
<私>は自己のうちに何ものとも交換できない絶対的価値を見出すことができる。
前述の事項から他の生命としての個(それやあれ)にもそのことを認めなければならないということが必然的に導出される。
したがって私は他の生命を殺すことができないし、それは他のすべてのものにとってもそうである。
したがって倫理として「殺してはならない」は成立する。
QED
以上の証明は経験に依存しない超越論的なものである。
したがって、経験から倫理を導くすべての倫理学は反証された。経験的倫理学は派生的妥当性(「根源的」ではない!)を持つに過ぎない。
424 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:15:30 0
>>422 そう思う奴が人を殺したり犯罪者になったりするのだろう
そう思うならガンガン法律や道徳を破ってアウトローとして生きていけばいい
425 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:16:30 O
>>423 生命っていうのは動物や植物も含まれる?
その判断は個人が決める? 社会が決める?
426 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:17:39 0
「ところで感性的衝動によってのみ、換言すれば 感 性 的 にのみ規定せられる意志は、単なる
動 物 的 意志である。これに対して感性的衝動にかかわりなく、理性の指示する動因によっての
み規定せられる意志は 自 由 意 志 と呼ばれる。そしてかかる自由意志に結びつく一切のものは、
それが理由であると帰結であるとを問わず、すべて 実 践 的 と言われる。(中略)それだから理性
もまた法則を与える、それは命法(Imperativ)、すなわち客観的な 自 由 の 法 則 である。この法
則は、 何 が 生 起 す べ き で あ る か を我々に命じる、たとえ実際にはそのことが恐らくは決し
て生起しないにしても、このように命令するのである。ここに自由の法則と 自 然 の 法 則 との差
異が存する、・・・」
カント『純粋理性批判(下)』(篠田英雄訳・岩波文庫・pp95-96)
>>426 憎しみによる犯罪は感情的衝動だから厳罰され、計画的犯行は理性による指示だから悪になるということだよね?
>>426 憎しみによる犯罪は感情的衝動だから減罰され、計画的犯行は理性による指示だから悪になるということだよね?
429 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:29:09 0
>>423 ><私>は自己のうちに何ものとも交換できない絶対的価値を見出すことができる。
これが経験に依存しないことの証明は?
430 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:33:33 0
>>429 俺は423ではないけど、それはデカルトの「我思う、ゆえに我あり」(方法序説)じゃない?
432 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:37:02 0
>>423 むしろ前提と五行目までは納得できるが
最後の「したがって」が納得できない。
他の生命としての個にも絶対的価値がある私が見出せるからといって
なぜ論理的にそれを奪ってはならないという倫理に繋がるのか。
433 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:41:31 0
>>432 他の生命としての個にも絶対的価値があるから、奪ってはならない。
これが分からない人間はなにか脳に欠損があるかもしれないから病院に行ったほうがいい。
434 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:45:36 0
要するにその倫理の導出方法は
@自分って大事でしょ?
A他人もみんなそう思ってるのよ?
Bだから皆を大事にしなきゃいけないの
って事だろ?明らかにAとBの間に恣意的な飛躍があるだろ。
こんな論理で話が解決するならこんなスレ何回も立たんわ。
435 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:47:05 0
>>432 いや、まだ納得できないw
<私>というからには他人のことはわからない。
また絶対的価値というからにはただの存在証明じゃないでしょ?
存在=価値ではないはず。
436 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:48:10 0
>>434 かなり違うな。
大事に思っているではない。
「絶対的価値」と言った。これは普遍的で人がどう思おうが関係がない。
したがって価値あるものを滅ぼすことはできないし、生命としての個はその価値を認識できるという話をしているだけだ。
少しレベルが高すぎるかなwww?
437 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:49:39 0
<私>というのは仮象だろ。けっきょく生命は一つなんだから。森羅万象一つのものが分化したあり方に過ぎないんだよ。
したがって価値は等しいし、その価値を自己から敷衍して認識することができる。
438 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:57:15 0
>>435 下二行はよく分かんないけど上二行は同意
所詮は他人にもそれがあるっぽいってだけで実際に他人にそれがあるかは確信できない
>>436 「俺には確かに絶対的価値があるが、あいつにあるかは分からんから
そんな倫理は知らん。尊いのは俺だけだ。」と言われたら
その理屈でそいつを止める事は出来ないだろ?
>>437 生命は一つと証明出来なければ、ただの思想になってしまう。
440 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 00:58:26 0
>>438 はあ? そいつが倫理に従っていないだけだろw
認識しようがしまいが、価値があることは事実なんだよ。
441 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 01:04:23 0
>>439 ひとつじゃなければなぜ「生命」という名辞を与えたの?
442 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 01:04:24 0
443 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 01:09:10 0
ブッダって、連続殺人鬼を弟子にしてるんだよな。
444 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 01:10:12 0
>>440 そんなものは所詮は思想を共有した一部の人間だけの倫理だろ?
倫理というか自分達に都合の良い思想に倫理という名前をつけてるだけだろうな。
てかお前の言ってる倫理は人間が創るものじゃなくそれ以前に存在してるものなのか?
445 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 01:11:48 0
カントの勘違いじゃないか?
生きてるうちに「あんたに絶対的価値なんかないよ」と言ってやる人が
いればよかったのに。
>>441 なぜ生命という言葉を与えたのか、その過程を考察すれば証明したことにはなるとは思うけど…
でも、単に動いているから生命と名付けたのかも知れない。
生命とは何かを哲学的に証明出来たら、意見に賛成するけども…
ただの価値観にすぎないなら説得力はない。
447 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 01:13:13 0
皆さん元気ですね
>>445 方法序論を読んでみればいい。
薄い本だけど、結構説得力あったし、だからこそ評価されているんでしょ
449 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 01:41:14 0
>>444 先験的なものだね。普遍的なものは先験的と見なしてよい。
デカルトは簡単に言えば、絶対的確実性を求めてあらゆることを疑った。
現実も夢のようにただ視覚や触覚が与えている幻想かも知れないと疑った。
そうしていくと確かなものは一つもないのだけど、いくら疑おうとしても、今、疑おういるという思考自体は、確かにあるもので、疑うことの出来ない事実。
だから「我思う、ゆえに我あり」
絶対的価値というより、他人ではない絶対的存在といった方が正しいかな?
451 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/05/31(土) 01:54:18 0
@自分って大事でしょ?
A他人もみんなそう思ってるのよ?
Bだから皆を大事にしなきゃいけないの
Cでも一番自分が大事でしょ
Dだから勝手にしやがれ
452 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 02:00:38 0
人間以外の動物は殺してもいいの?
453 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 02:03:56 0
>>450 それなら当然自らの絶対的価値にも懐疑的だったんじゃないの?
絶対的価値が何を指しているかはわからないんだけど、デカルトを持ち出したのは
>>423 の"自己のうちに何者とも交換出来ない"という部分に賛成だったから。
それなら我思う、ゆえに我ありで、説明出来ると思う。
455 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 03:00:01 O
>>453 絶対的価値ってどういう意味を指してるの?
456 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 03:02:53 0
457 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 03:36:26 0
色々考えたが、「偶然である」というのが最も妥当な結論となりました。
>>453 デカルトの話には続きがあって、
自分という存在が絶対的に認識されるなら、同じように明晰かつ判明に認識されるものは、自分と同じように確実だと考えた。
つまり、自分以外にも明晰かつ判明に認識されるものは確実だとしていく。
彼の論で重要なのは、世界の中に私がいるのではなく、
私が世界の外に、世界より先に存在する、
つまり私の認識が根拠になって世界が存在する、ということ。
だから、自分の存在以外認めないということではないみたい。
参考『図解雑学 哲学』
459 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 05:17:50 O
「我思う、ゆえに我あり」
->だから私は存在する
->だから殺してはならない。
は私には飛躍に見えるのですがどうですか?
方法叙説は一応読みましたが、デカルトを持ち出すなら、彼は命の重さについても徹底的に疑うと思うんですよ。
彼は、哲学の原理を説いただけで、命を証明した訳ではないですよね。
デカルトの原理は大切ですが、直接的に引用するのは少し違うと私はあれを読んで思ったのです。
私なりの解釈なので、間違えていたらすみません。
460 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 05:45:04 O
>>423 絶対的価値については、仰る通りでしょう。
言葉の上の論理的にも筋は通ります。
あなたの仰ることは全面的に理解しますが、生命は、必ずしも他の生命の犠牲の上に成り立っているでしょう。
絶対的価値の犠牲の上に絶対的価値は成り立っているので、そこに矛盾は生じませんか?
だから尊い。まではそうなんでしょうが、だから殺してはいけない。が、どうしても分かりません。
ぶしつけですが、親切な方がいらしたら、愚かな私にもわかるような言葉で説明して下さい。
461 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 05:55:28 O
倫理がどうとか言っていますが、倫理と哲学は観点が違うのでは?
生命を抽象的な個で見れば、そうでしょう。
しかし、我々が求めるものは、社会というフィルターを通して見た場合の、現実に殺されている人がいることに対しての否定な訳で、抽象的な生命の価値を説いても、当たり前のことを論理的に確認しただけで終わると思うのです。
462 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 06:03:09 O
>>461のつづき
そこを起点として、現実に対して何を言えるのかを自分の言葉で説明しなければどうなのでしょう。
古典を引用するのは有効でしょう。しかし、古典は誰でも読むことができますし、敢えてここで引用するのならば、そこから発展させて、独自の意見を述べて欲しいものです。
いえ、聡明なあなたの意見だからこそ、聞いてみたいのです。
人類的には生ませておいて、殺すことはないよね
自分の子孫を残そうとする為に他の同姓を無くしていくというと、或る意味納得できる
持って置きたいのでばら撒くものや出す気の無いものを無くしていくのも納得できる
気持ちよければ他人がどうなってもいいとも言える
しかし、こういうのは駄目だ。殺して嫌な気分になったり、
一途な人であったり、自分を殺してしまうと、
人間的でないという訳だ。
すると、人は増えるし、ライバルや移り気な奴なら気持ちよく殺せるということだね
464 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 09:51:37 O
>>399 殺されるのはみんな嫌だから、誰も殺すべきではない。
というより、単に殺される側から見れば、自分を死に至らしめる要因は好ましくないことだと言いたかった。
哲学ではないかもしれないが、感情や本能の面から言えば、『私は殺されたくない』だから『殺さないでくれ』。
この感情(本能)を大多数の生物が持つと仮定する。それはもちろん経験や想像でしかないから、反対意見もあるだろう。
しかし、直感的にこれは正しいのではないかと、一般の人は考えると思う。
だから、少し飛躍するが、とりあえず直感的に『人として、同種の人間を殺すのは良いとは言えない』としようということではないか?
先天的、または超越的に殺人が悪だと皆が認識し従うならば、法律で拘束する意味はない。
今の科学では、死の定義さえバラバラなのだから、とりあえず直感と、持てる範囲の論理でルールを決めるしかないんじゃないか…。
その方が、今の常識で考え得る範囲内では、社会的にも各個人としても得られる利益は大きいと全体としては考えている訳だと思う。
殺人が絶対的な悪だと言い切るのは違和感があるので、相対的に悪であるとするのは卑怯な考え方かな?
独りよがりかもしれないから、様々な意見が聞きたいな。
読みづらくて申し訳ない。
465 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 10:21:00 0
普遍性とはなにかを念頭に議論していくと、
展望がもうすこしひらけるかもしれません。
次に進んでください。
466 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 15:33:42 0
いいですか。
人間には、生命を慈しむ感情もあれば、殺人衝動もあります。
殺人衝動が優勢だったら、人間社会は繁栄しません。
生命を慈しむ感情が優勢だったから、人間社会が繁栄します。
今現在人間社会は繁栄しているので、生命を慈しむ感情が優勢なのです。
つまり、たまたまです。
467 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 15:44:53 0
殺人犯て、自分が食べる動物は自分で殺さずに、
食べない人間を殺しちゃうんだから、
やってることがふざけてるよな。
468 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 22:46:03 O
>>467 同意。
人食鬼もいるけどなw
食べる為にバラバラにされた死体の写真を見たことあるぞ。
食べた部分だけ順番に切り取られていたから、悲惨なことになってたなw
469 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 22:59:21 0
>>1 本質的には人は殺してもいいんだよ。
人を殺してはいけないというのが、
何がしかの真理であるという前提で考えるから話がおかしくなる。
ただし、殺すと処罰される。それは社会のルールだからね。
それはもっと別次元の話だね。
そもそもこの宇宙の中に、
人間なんて存在しても、しなくてもいいんだよ。
だから人間が最初からいなかったと考えれば、
人類が滅んでも何の問題もないし、何の罪もない。
至極当然のことだね。
それならばこの宇宙、いや漠然と「ある」ものそのものが
必要ないといっても過言ではなくなってしまわないかね
471 :
考える名無しさん:2008/05/31(土) 23:54:20 0
>>1 もし人を殺すのがokだったら、どうなる?
自分は一人だけ。自分以外は自分を殺す可能性がある。
誰かを殺せる可能性より、殺される可能性の方が圧倒的に高い。
バトルロイヤル。こんなの割に合わないだろ。
これでもいいって奴いるのか?
殺しが駄目だから、こんな疑問を持てるまで成長できたと思うが。
472 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 00:15:35 0
何でそういう選択なの。
自分以外はみんな「人を殺してはならない」と考える中で、
自分ひとりが自由に人を殺せるのが一番いいじゃん。
473 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 00:59:31 0
>何でそういう選択なの。
>自分ひとりが自由に人を殺せるのが一番いいじゃん。
お前は頭の中で選択しただけで、実際に選択してはいない。
いわゆる口だけ。
「自由に人を殺せる」これも頭の中の考えにすぎない。
現実を見れば、こんなことが可能かどうかはすぐ分かる。
岐阜で人を刺しただけで歌舞伎町で見つかり、埼玉で捕獲される。
こういう思想を持つのはいじめられていた奴が多そうだが、
それと同じことが社会レベルで起きることになるからやめとけ。
474 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 01:04:17 0
君、日本語も読めないの? どこに私が選択するって書いてあるんだ?
>>472が、全員が自由に他の人を殺す世界と、
「殺してはならない」がルールになっている世界のどちらかを選ぶなら、
という二者択一になってることを批判してるんだよ。
ば〜か。
475 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 01:14:42 0
設問が間違っている。
「どんな場合に殺すべきか?」だろ。
例えば「殺されそうな時」だ。
476 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 01:20:22 0
設問が間違っている。
「どういうやり方で殺すべきか?」だろ。w
477 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 01:37:45 0
ところで、あんたら殺したい人間とかいるの?
ちなみに俺は、殺したい人間とかは特にいない。
拙者もそういう人物には思い当らぬなり
479 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 02:05:48 0
>>474 お前がなに言ってるのか全然分からない。
472のどこをどう読めば「二者択一になってることを批判してる」かも分からん。
大体1の質問に対する答えとして、その逆の状態を提示した。
「もし人を殺しても良かったらどういうことになるか?」
480 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 04:19:53 O
>>459 デカルトは明確に認識されることは確実だと考えたけど、その中には形而上学的な、絶対的に善であることも入っているっぽいよ。
481 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 06:44:54 O
>>480 そうなのか?それはすまない。俺の勉強不足だた。絶対的な善ってどういうこと?めんどうだろうが教えてくれ。あなたとは話が合いそうだ。
ところで、殺してはいけない理由として法律を挙げてる人もいるみたいだが、人を殺して捕まって、法的に罪を償うのは一部だと思うのだが。
少なくとも100パーセントではないし、責任能力が認められなければ、罪にすらならない。
482 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 06:57:10 O
>>465 あなたの言う普遍性とは、人間は絶対的に尊いということでしょうか?
483 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 11:15:27 0
>>470 その通りだよ。
「この宇宙、いや漠然と「ある」ものそのもの」が、
最初からなかったと考えてもなんの問題もない。
ただ、「無」から「有」が生じないように、
「有」が「無」になることは原理的に不可能だとは思うけどね。
いずれにしても、漠然と「ある」ものが、仮に無くなっても関係ない。
何の問題も生じない。
至極当然のことだね。
484 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 12:44:39 0
>>479 誰に取っても、自分の周囲の人間が「人を殺してはならない」という
ルールに従っていることは、たしかに都合がいい。
しかし、これが直接、自分がこのルールに従う理由にはならない、
ってことだ。
485 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 14:00:58 O
>>483 「無」から「有」に関しては、真空のゆらぎってのが面白い。
「なぜ人を殺してはいけないか」
に関しては、『囚人のジレンマ』がヒントになると思う。
486 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 15:53:25 0
>>485 それがヒントになるのは、各人が自分の利益を追求することから
道徳が導き出されると言う枠組みで考える場合だけ。
ここであれこれ他人が言っても、結局自分の行動は自分で決めるんだから。
僕らは社会的理由や倫理的理由など外的な理由は述べられるけど、
自分の考えは最終的に自分で考えて決めてよ。
>>1的な質問て、自分の考えが自分で決まらないという悩みでしょ。
そんなの知らないよ。
>>486 あんたは悪人の気持ちがよくわかっててしかも頭がいい。
したくはないが賛成せざるを得ない。
>>486 生命の誕生以来ずっと自己の利益の追求が行われ、
その数億年にわたる損得勘定の演算の結果に獲得
したのが「汝殺すなかれ」と命ずる回路なのでは。
そもそも「〜はいけない」は当然にルールであるという前提を誰も疑わないのが笑える
491 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 23:33:08 O
>>485-490 つまり、古来から暗黙のルールとして存在した、「汝殺すなかれ」を明文化したのが法律って訳か。そして、囚人のジレンマ的なバランスを超越して、殺人のリスクをまったく無視した香具師が宅間守みたいになるんだな。
>>1的な質問は、人間不信なのかもしれないし、俺等を試しているだけかもしれない。と妄想してみる。
492 :
考える名無しさん:2008/06/01(日) 23:41:55 O
人を殺すと未来が無くなる
>>490 そりゃま、明文化されてりゃルールだけど
明文化されておらず、暗黙の了解で守られていた時代もあるんじゃないの?
定言命法とルールを、どうやって間違えるんだよwwwww
人間という存在の通時性を考慮したら、「ルールであるという前提」がおかしいだろ。
書いてから気付いたwwww
すまんwwwww
俺が誤読してたwwwww
ほとんどの人が殺人のない世の中を望んでるからだろ
どうしても殺したけりゃ殺せばいい
ま、殺人者がいることを快く思わない人達に攻撃されることになるだろうけどね
シラーなんかは、カントの事を皮肉った詩を作ってるからな。
定言命法とか、カント的人間にしか了解されない可能性が無きにしもあらず。
502 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 04:49:26 0
ていうか了解しようがしまいが、命令なんだからw
了解できないからって命令を拒否することはできない。
503 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 06:15:04 O
棋士にしろ数学者にしろ、ルールや公理を疑う馬鹿はいない。
しかし、哲学者はそんな馬鹿をやる。
だから、殺人者に最も近い存在は哲学者である。
>>502 こんなふうに、カント及びそのエピゴーネンって傲慢だよね。
505 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 15:44:05 0
命令じゃないなら、なんなんだよw
公理を疑う数学者はいない??
他の動物は本能的ルールがおおよそ決まっているが、
人間はいい加減である。
ルール改変に柔軟性があると言えばプラス評価にも見えるが、
哲学者は最も優柔不断でウジウジした、自分で手を汚したくない
ズルい人種である。
508 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 16:09:22 O
公理の調整は数理哲学者がやる。
下手にいじればみすぼらしい世界になるから、
よおく考え、途方もない時間を要する。
人間社会のルールも性急にいじると…。
509 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 16:16:23 0
脳内哲学者と脳内数学者を比較して、
空想的結論を引き出して得意になるヒキコモリ。w
510 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 16:17:33 0
命令といわれるとそこで思考停止する人は、
日本のような国にいるより北朝鮮なんかが向いてるんじゃ
なかろうか。
511 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 16:23:44 O
歩が横に進めないことにいつまでも思考をこねるのはいかがなもんかと。
横に進めることができる新しいルールを造ったところで、
従来の将棋よりおもしろくなるかどうかな。
512 :
490:2008/06/02(月) 18:25:34 0
>>491-511 ほとんど全員疑えてない。本質的には人を殺しても良いとか、
絶対的な理由はないとか言ってるバカは典型。
>>396>>464の方向性はよいかな。彼自身が、彼が展開する議論を
もっぱら感情的なものと理解しているのは大きな誤りだけど。
>>494 その書き方からすると、494は「人を殺してはいけない」と言える、という考えに
立ってるんだよな。それは正しいよ。
ただ、それが言えるかどうかは、ルールと結びつく、という理解は完全な誤り。
ふだん、何かをいけないというとき、それが必ずルールであるか普通に考えてみればいい。
このスレのほとんどの議論が、いかに的外れか分かるよ。
514 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 19:15:00 O
絶対人を殺してはいけないとした場合、世の中成り立たないから、人の定義を狭めないといけないね。
515 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 19:45:18 0
べんじょにながすやつだっている。あれもにんげんだ。
516 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 20:18:02 O
確固たる理由なんてねぇだろ。
漠然と決まっていること。哲学なんかでわかりえないこともある。
人類が長い年月かけて感じとったことだろうし。
確固たる理由なんてない。
517 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 22:07:40 0
「戦争」についてはどういう見方をするべきなんだ?
戦争は古代から一貫して人間の主要な営みのひとつであるし、
少なくとも国家などの共同体の形成やその統治機構の確立には多大な影響を及ぼしている。
近代的自我はこの影響から逃れられないし、他のあらゆる人間活動も「戦争」と深く結びついているんじゃないの。
こんな「戦争」をただの例外的な蛮行にカテゴライズするのはおかしいと思うが。
むしろ「戦争」ルールの下位に 人を殺(ry が位置するんじゃないの?
518 :
考える名無しさん:2008/06/02(月) 22:08:44 0
>>516 おまえみたいなのをしょんべんやろうっていうんだぞ。
わかりえないことを思考することこそ、哲学なんだ。
だから、こんなくだらんスレになっちまったんだ。
国ってのは、定言命法に従わなくてもいいのかい?
なんか急にスレのレベルが落ちてないか?
521 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 00:36:11 0
くだらなくなったよな。せっかくよくなってきたと思ったのに、一週間前とぜんぜん
ちがう。
絶対とかつかうな、絶対って何だよ。そういう疑問すらないもん。
まず、世界をうたげよ。
哲学じゃなくて、学校教育でうえつえられた世界観。議論じゃなくて世間話だよ。中学生のホームルームレベル。
どうりで、スレののびがよくなったわけだ。
哲学用語つかわなくてもいいから、哲学しろよ。
「定言命法」一本槍で、話し合いを止めさせたい奴がいるからな。
いや、話し合いを止めさせる呪文だったか…
524 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 01:56:39 0
>>519 国が破ってるだけだろw
カントくらい嫁や。
おまえ、カント信者を貶めるための工作員だろwww
526 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 03:03:35 0
〜が破ってるだけだろw
これ名言ね
生きるために殺すのは仕方のないことだと思います
528 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 04:39:10 O
考えることは分かるための手段だけど、分かり得ないことを考えることが哲学とするなら、
哲学は人間の認識範囲を超えたものを目指しているのか。
そうなると人間以外のアドバイザーがいないと無理だろ。
529 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 08:36:46 0
>>528 そういうことだよ。
人間以外のアドバイザーがいないから、宗教が生まれる。
いまは、科学が宗教みたいになっているだろ。
今の科学の圧倒的な信頼性っていうのが、昔の宗教にはあった。
すべては、仮定からそれを発展させていくことにある。
科学は物理的に立証することができるとされているから、いまは、宗教より
ある意味、神になっているんだよ。
哲学は、人間がいまの人間を超えていけるか、そういうものだよ。
あんたは、哲学の前にしっかり立っているよ。
科学は未知を既知に変える。
哲学は既知を未知に変える。
531 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 13:49:46 O
>>521 くだらなくなった
だから
スレの伸びがよくなった
実に論理的発言だ
532 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 14:44:34 O
「隣人」が私利私欲を離れた態度を誉めたたえるのは、彼がそれによって利益を受けるからである。
もしその隣人自身が「私利私欲を離れて」考えたとすれば、彼はそのような力の毀損や損傷を
…それは確かに彼自身のためにはなるのだが…
否定し、そのような傾向の発生に反対し、何よりもまず、そういう私利私欲を離れた態度を善とは呼ばないというまさにそのことによって、おのれが私利私欲を離れていることを示すであろう。
…これによって、今日おおいに尊重されているあの道徳の根本矛盾が露呈する。
この道徳の動機はその原理に反している。
533 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 15:58:42 O
倫理や定言命法に関する書き込み感動しました!
そこで質問なんですが、尊厳死って倫理的にはどのような評価をされてるんですか?
534 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 16:06:24 0
535 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 20:03:45 0
「人を殺してはいけない。」という真理があるという前提で、
考えているから議論がおかしくなっている。
人が人を殺す場合もあるが、
少なくともいいことをしているとは思っていないのだという趣旨の
書き込みがあったが、それには根拠が示されていない。
いいことをしていると思う人が存在する事実と矛盾する。
「人を殺してはいけない」が定言命法であるという書き込みも、
みられたが、なぜ定言命法であるのかという根拠が全く示されていない。
「人間の尊厳」がその根拠という書き込みもあったようだが、
そもそも人間に尊厳があるという根拠が示されていないので、
根拠にならない。
したがって、それらを根拠にする議論はすべて空論である。
536 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 20:45:01 O
すべては啓示幻覚思い込み詐欺騙し奇声錯覚馴れ合い雰囲気だの何だのというくだらない仮定から始まる。
それを直感だの何だのと呼んでるたけ。
戦争という特殊な状態に陥った場合は、敵を殺してもいいのです。
敵を殺さないと、味方・同胞を殺される可能性もある。
自分の属する共同体・国家にとっての損害が生じる可能性があります。
ただ、平和な状態の時に人を殺すことは共同体・国家にとって損害です。
人を殺してはいけません。勿論他所の国の人間もです。
538 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 21:06:39 0
戦争は特殊な状態じゃねーよ。
もう、どっかいけ。勘弁しろよ。
戦争が地球上からなかったときなんて一度もない。あほか、おまえ。
へいわぼけの典型だな。
こういう奴は、フェミニストにありがちだ。津田塾でもいってろあほが。
539 :
下僕:2008/06/03(火) 21:15:11 0
人は殺してもよいのです。もちろん、殺さなくてもよいのです。
要するにこの問題は善悪の問題ではなく、選択の問題です。
この問いは、人を殺す選択、殺さない選択があるだけで、
既に、人は自分自身を殺している。あるいは他人を殺している。
気づかないだけです。
一気に殺すのを殺人というが、実際、徐々にからだを痛めつける
ストレス、汚染物質、寿命を縮める行為。これ全て時間をかけた
殺人行為です。
殺してはならない理由は、既に殺しているのだから、
もう止めなさいという理由から生まれた教訓にすぎません。
殺すな!という教えを選択する前に、殺しているという現実と
まず、向き合う事が殺人者である罪人のする事です。
540 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 21:19:43 0
「なぜ人殺してはいけないのか?」というのは愚問だ。
なぜならば、人は片時も休むことなく、
人を殺し続けてきたのが事実だからだ。
したがって問われるべき問いは、
「なぜ人は人を殺すのか?」だろう。
541 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 21:21:50 O
一気に殺すことは悪いことではない。
瞬時に殺せば痛みはないから安楽死になる、だからだ。
時間かけて殺すのも悪いことではない。
痛みが薄まるからだ。
一番悪いのは中途半端に殺すこと。
542 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 21:41:44 0
なぜ人を殺してはいけないのか?
このスレタイを聞いて、自分が無意識にどの方向にいったのか。
そういうとこをもっと大事にしたほうがいいよ。
このスレタイは、いいとかわるいとか、ひとつも書いていないんだから。
それを、勝手に読むほうが無意識に解釈しているだけ。
どうして、そう考えるか、そう受け取ってしまうか、本能からきているのか、
後天的な学習からきているのか、切り分けていくことも、整理するのも。
スレは500超えたんだから。
543 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 21:44:57 0
せめて、良いとか悪いの二元論からは抜け出してください。
544 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 21:46:12 O
微妙にスレチだが、仮に「人を殺してはいけない」が論証されたとして、次に「人」をどう定義するんだ?
奴隷貿易が行われたころ、黒人は「人」として扱われなかったはず。
545 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 21:49:25 O
知らん
外国のおじさんが首を切られているのを初めて見た時はショックのあまり久々に胸が痛んだが、
見慣れてくるとそうでもない。これは、恐らく万人に共通する。
万人が慣れたら大丈夫になる殺人は、誰も咎めなくなるから、本質的にはいけないことではない。戦争なんかはそうだろう。
しかし世の中には慣れないこともある訳だ。
547 :
下僕:2008/06/03(火) 22:06:40 0
問いの立て方として、殺さない文化があるか?ですが、
考え方としては原始的な動物としての人間に立ち戻ればよいのです。
実際の手段としては、
文化は現在のように進行してしまった。比較文化、競争社会とは、
殺し合いと泥棒を生む社会ですからね。
殺人行為をコントロールする時代に来ています。
モデルとしては、比較、競争、分類を止めるという事です。
贅沢から素朴に、比較から個性化に、便利から、始末に。
分類から成り立ちを思い出すというように。
その人の数の増加によって変革が始まるという事ですが、
もう既に始まっていますね。
欲の社会には必ず、重要項目が存在します。例えば経済などです。
重要という分類やタブーの消滅によって徐々に殺人は減ってゆくでしょう。
つまり次世代を極端に表すならこういう事です。
殺人OK。麻薬OK。泥棒OK。同性結婚OK、裏表のない方向性に向かい、
どれも重要な事はない。ないから違反がない。だから特別な行為や
極端な行為をする人間も減ってくるというカラクリです。
人はドキドキする事がすきなのですが、それが普通になったら、
だれも見向きもしませんから。
548 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 22:09:33 O
????
549 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 22:25:07 O
密かに楽しむサイコパスもいるから、
むしれサイコパスと戦争の違いを明確にした上で哲学せよ。
ただし、戦争は普通タクドラみたいにサイコっぽくなる。
人を殺すのは悪い。
しかし殺意みえみえのライオンのように襲ってくる気が狂った獣には、
ダメージを与えて良い。
そのダメージで獣が死んでも責任は取らなくて良い。
時には、気が狂った獣の部類に人間も入ることもあるが、
その時の人間は獣同然であるから、死なせても罪には問われない。
551 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 22:39:55 O
今も昔も世界を支配しているのはライオンと同類である。
おそらこれからも変わらない。
552 :
考える名無しさん:2008/06/03(火) 22:49:25 0
菌は素晴らしい。
変わらないものは変わらないから、男らしく諦めることは武である。
庶民は虫のように無価値であり、殺してもいけないし女将から殺されても文句も言えない。
その善悪ではなく甘受するかどうか。人間的器の大きさ。
日本人は、人を殺さないからこそ、こういうスレが伸びるんだろうね。
欧米人の方が、日本人よりも簡単に殺すでしょ。
556 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 00:16:29 O
共産主義の思想は頭の先から爪の先まで理路整然とした論理の一丁ラン。
支離滅裂とか何だとか言ってやたらと他人を辱める奴は大抵共産主義のスーツを来ている。
人を殺してもいいけど、ルールがあるよね。
このルールは、倫理とか法律とか教えとか条約とか呼ばれてる。
それぞれもっともらしい理由があるように教えられてるけど、
結局のところ、人間の個体が増加した経験則から決められてきた。
経験則だから間違いもあるけど、間違ったルールを持った集団は淘汰されるから、
今のルールは人間の個体を増加させるっていう目的には合ってるんだろう。
戦場なんかだと、敵を殺さないで逃亡して、味方に被害を及ぼしたら
軍法会議で死刑になりそう
559 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 04:59:19 O
ゲリラになると兵士かどうかの区別さえつかないから、
結局戦争は何でもありに近くなる。
戦争とサイコはそんなに大差ないし、下っ端の兵士はサイコに限り無く近付かざるを得ない。
戦場から帰還したらカウンセリングを受け、軽井沢あたりの保養地で数年穏やかな生活を送って頂きたい。
560 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 06:23:30 O
>>534 どちらがスレチかよく考えてください。
人の尊厳が生きることだけだと思うのですか?
殺してはいけない=尊厳
の思想に対する純粋な問いです。
哲学が問いに答えずに逃げるのですか?
帰還兵を一人で静かにさせていると鬱病になっちゃうらしいよ。
戦場の狂気の記憶がフラッシュバックして。
戦争神経症対策は、気が狂わないように朝から夜中まで単純作業の仕事に没頭させるのが一番いいらしい。
日本の戦後復興はそれで成功した。
敗戦直後の日本人はヒロポン、今で言う覚醒剤打って、朝から夜中まで戦争の辛い記憶を忘れるために働きまくった。
帰還兵で一人でボンヤリ休んでるのは自殺未遂したりする。
562 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 06:52:59 O
>>544 の問いが何を求めているのか分からないが、純粋な問いならば…。
この場合、生物学上で分類された人とか、法律上で定義された人でいいんじゃないかな?
深く追求すれば本筋から外れるから、偏見に満ちた主観ではなく、単純に種として分類された人ではどう?
563 :
考える名無しさん:2008/06/04(水) 07:02:37 O
兵士は体力が普通のリーマンよりは遥かにある。
普通のリーマンの肉体は女のように脂肪分が多いからだ。
そんな頑丈な肉体をした兵士がガチで病むんだから、
普通の心の病じゃない。単純作業で治るような甘いもんじゃないだろうな。
戦後直後の病んだ兵士とか武勇伝や日本兵の蛮行話の大半は、自己正当化の嘘に過ぎない。
戦後日本の復興を支えたのは要するにそういう自己正当化的歴史の捏造による所が大きい。
どうして、何かをいけないというとき、それが必ずルールであるか、
普通に考えてみないんだ。
>>517 君は何か鋭いことを言ったつもりのようだが。
なぜ、食事や刑罰について同じように考えてみようとしないのかね。
何があらゆる人間活動も戦争と深く結びつくだか。
あらゆる人間活動、例えば睡眠をとったり、風呂に入ったりするのも戦争と結びつくのかね。
君みたいなバカは、何かについてどういう見方をすべきか心配する前に、自分の見方の
いい加減さの自覚について心配すべきだろう。
>>557 普通に読むと、人を殺してもいい(人を殺すことを原則的に許容する)ルールが
倫理・法律・教え・条約と呼ばれている(それらが限度を定めている)と読めるが。
そんなバカな解釈をしている人間は君ぐらいのもんだ。
ここには君みたいなバカが何人もいるようだが。
ていうか、君らは、ルールについてどうこう論ずる前に、自分らが論理的にモノをいう
能力について相互に批判してみなよ。適当な思いつきばかり並べて何がルールだよ。
>>566 まず、何がバカな解釈なのか論理的に批判しような。
ちゃんと書いてあるじゃん
>>568 どこに?何を?
これ以上、中身の無いスレで荒らすのは迷惑だから、ROMててくれない。
>>566 つーか、死刑執行とか正当防衛とか合法的に殺人できる場合を言ってるんじゃ
ね?
>>557は。
> このルールは、倫理とか法律とか教えとか条約とか呼ばれてる。
ってのは何だか趣旨不明瞭だけど。
>>557を批判するなら、もっと別な部分じゃないかなあ。
>>566は、いわゆる「西洋哲学馬鹿」って奴ですね。
572 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 01:47:17 0
>>560 尊厳死は駄目、自殺も駄目。
すべて生命の価値を決定する権利は当人にも他人にもない。
命の自己決定権という権利の主張が肥大化してきてるんだよね。
命は自分で決めるもんじゃなくて、半分以上は自然に任せて、
医療は受けずに自然死を目指した方が良い。
尊厳死とか自己決定権などという言葉は胡散臭い。
60歳も過ぎて自分の死に方は自分で決めるとか言ってる人は嘘つきなんだよ。
医者にかからなきゃ平均寿命50歳が自然なんだから。
574 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 02:55:07 0
「医療は受けずに自然死を目指す」と決めるのも、
命の自己決定権の行使の一形態ではないですか?
575 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 03:13:20 0
>>572 つーか、「なんで生命だけは特別扱いなのか」ってことこそ論証の必要がある
ところだろ。
命の価値を決めちゃいかんのなら、
それを守ろうと体を張ったりすることも無益だな。
579 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 14:33:19 0
守らないと決めた時点で価値を決めてる。
580 :
考える名無しさん:2008/06/05(木) 16:01:54 O
カントの時代は「人間中心主義」で論理展開していると思う。
時代はもはや、「構造主義」へと移り変わり変わっている。
『人を殺してはいけない』を構造の中で捉えるには、様々な考えを聞き議論することは有意義だと思う。
ニュートン力学で、宇宙の解明をしようとするようなものだからな。
582 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 01:13:29 0
カント信者へ贈る、カントの言葉
私自身は生まれつき研究者である。無学の愚民を軽蔑した時代もあった。しかしルソーが私の謬りを正しくしてくれた。私は人間を尊敬することを学ぶようになった。
584 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 01:31:54 0
あしたから、ブエノスアイレスにいってきます。
今の時代は、地球の裏側言ってもねっとがあるから、
かえって、さみしいです。
ついたら、のぞきます。
586 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 14:12:58 O
>>584 気をつけていってらちしゃいノシ
帰るときも報告してね。
587 :
考える名無しさん:2008/06/06(金) 14:32:20 O
>>582 私は今倫理を信じているのだが、良ければ教えてくれ。
下らないと思ったらスルーしてくれても構わない。
思春期によくあることだが、論理の森に迷い込み、なぜ人を殺してはいけないのか解らなくなった者がいる。
彼は頭で考えて決断するタイプだ。
倫理や宗教では納得してくれない。
そして今、憎い相手を殺そうか迷っている。
彼は私の友人だ。
どのように説得したらいい?
>>587 冷静に損得勘定を計算しろと言えばよい。憎しみなどたいていは
一時のものだが、人殺しの烙印は一生消えない。
ただし、彼に完全犯罪をやり遂げる自信があるのなら、
君が口封じに殺される可能性があるから用心しろ。
>>587 彼は頭で考えて決断するタイプの人間が
憎しみが原因で人を殺そうとしているなんておかしいだろ。
>>569 >>566の2〜3行目にちゃんと書いてあるだろう。
ていうか、荒らすとか迷惑とかの言葉を安易に使う奴が
このスレに書き込んでるとか、バカすぎるだろ。
>>570 エスパーごっこはやめろ。
>>571 お前はただのバカだろ。
>>573 お前が一人で目指せよ。他人に強要するなバカ。
>>572>>576 572、生命の価値は、単に生きていさえすればあるものなのか。
そういう考え方は道徳的に問題はないのか。
そもそも価値がないなら、生命は奪ってよいものなのか。
576、生命は特別でないのか? 特別扱いという言葉の響きに
酔っているだけではないのか。
>>578 「命の価値を決めちゃいかん」は、そもそも何かを無益なものにしてしまえるような何かなのか。
>>579 守らないなら価値はないと決めたことになるという意味に見えるが、
守らないが、価値はあるという判断はありえないのかな。
>>587 >>589の通り。
>>587が設定している条件がおかしい。
そもそも倫理や宗教で納得することは、頭で考えて決断するパターンの一部ではないのか。
>>590 > 576、生命は特別でないのか? 特別扱いという言葉の響きに
> 酔っているだけではないのか。
尊厳死も自殺も駄目という。しかし、その他のいわゆる法益を自分で処分する
ことは許されている(自己所有物を捨てるとかね)。何で自分の命は自分で処
分しちゃいけないのか、それこそが肝心要の問題でしょ。そしてそれが「なぜ
人を殺してはいけないのか」という問題とも繋がってくる。「生命の特別扱い
は論証不要で自明だ」というのでは哲学にならんのでは?
論理的に「人を殺してはいけない」という帰結を導くことが出来ない。
故に、定言命法で命ずる。
となれば、定言命法は何を根拠にしているのか?
論理をも規定するより上位のものを根拠とするならば、哲学は論理的である必要は無い。
このような帰結はまた、論理に基づくものなのだが、論理によって導かれる上位規定とは、いかなるものなのか?
>>593 カント曰くその根拠は
<私>は自己のうちに何ものとも交換できない絶対的価値を見出すことができる
からなんだとさ。
思い上がりも甚だしいと思わない?
>>594 ダーウィンの進化論もメンデルの遺伝法則も、まだ見出されていない時代だったからな。
現代では、かなり多くの人間が、人間はサルから進化したものであり、遺伝子に規定されているであろうと考えているが
カントの時代は、人間は太古の昔から人間だったと考えていただろうな。
ショーペンハウエルの「倫理学の二つの根本問題」が
おもしろいよ。
>>595 思い上がりというのはそれとは違って、もっと根本的なことなんだ。
すべての生物に関して言えることだが、あらゆる行動に制限がない。
人間に関して言えば、貧しい人に寄付をしたり、クラスメートをいじめてみたり、
悪と思われる行為を禁止する法を作ってみたり、原子爆弾を市街地に落してみたりと
無限と思われるような可能性を持って生きている。
そういう認識があれば、自分たちに絶対的価値があるなどとはおこがましくて
言えるはずがない。
言えるとすればせいぜい、崇高な行為をする可能性があるという相対的価値がある
というところでとどめておくべきだった。
時代に関係なく、カントはかなり恥ずかしい間違いをしてしまったと思うよ。
>>597 その考え方で言うと、「絶対価値がある」といえるものは、この世に存在しえるの?
>>598 少なくとも今まで生きてきた中では、お目にかかったことはない。
ただ、尊敬できる人間の背後に「絶対的価値」を見出すことはあったよ。
注意すべきは人間自体でなく、その行為(その源である精神)に価値が宿る場合がある
ということでしょう。
>>599 いや、あなたの経験を聞いてるのではなく、論理的存在可能性の話。
もしも、ある個人が「見出す」ことが「絶対的価値」の意味であるのなら、
「無限と思われるような可能性を持って生きている。」生命に関しても、
「絶対的価値」を「見出す」人がいる可能性はあるわけじゃん?
>>600 可能性はあってもそれは勘違いだよ。
生命自体に価値があるってのが思い上がりっていうのよ。
尊敬していた人が、突然ゲスなことをし始める可能性もあるでしょ?
602 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 12:18:14 0
カンjントは普通の人だけど、
カントを奉っている奴は馬鹿だな。
>>601 >可能性はあってもそれは勘違いだよ。
>もしも、ある個人が「見出す」ことが「絶対的価値」の意味であるのなら、
語義として勘違いなんてありえないはず。(当人がそう思うことそれ自体で要件が成立してるんだから)
そうでないなら、
>ただ、尊敬できる人間の背後に「絶対的価値」を見出すことはあったよ。
というのは、「絶対的価値」の「論理的存在可能性の話」としては意味がない。
あなたが、そのときの気分によって、「見出すことはあった」「勘違いだよ」と
思いつきで言っているだけなら、そもそもあなたにおいて、「絶対的価値」
というものに一定した意味がないのだから、その存在を、
あなたがあなた意外の人間に語るのは無意味。
604 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 13:40:27 0
取り巻きがバカだからと言って
その学者がDQNとは限らないけど、
言葉遣いが下手な場合が多い
いいファンがついている学者は、
申し分ない知性の持ち主と言えるよね?
605 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 13:43:49 0
馬鹿を周りに集めてる学者は、DQNか詐欺師だよ。
取り巻きどもに、「おまいらは俺の言っていることの意味も
分かってないじゃないか。俺に近づくんじゃねえ」と
言うべきなんだ。
>>603 たしかに俺の勘違いかもしれないね。
ただ、語ることに意味がないというのは承服しかねる。
俺と君の意見は真っ向から対立しているが、君の意見が正しいと思えば
即座に自分の過りを認めるつもりでいる。逆に君にもそういう期待をしている。
価値というのは尊さという意味でよろしいか?
生命を尊重する、たしかに無益な殺生には俺も反対だ。
しかし君のいう絶対的価値という言葉はずいぶんと安売りされてやしないか?
「絶対的」というからには例外なんか認められないというのが常識的解釈でしょ?
絶対的に尊いものを毎日食べるなどという認識では、俺の軟弱な精神ではもたないな。
動物や植物を侮辱するつもりはないが、下等な生き物であるからこそ平気で口にできる。
そう考えなければ罪悪感でどうにかなってしまう。
君はどうやってそれを克服しているのか是非教えてほしい。
>>606 >俺と君の意見は真っ向から対立しているが、君の意見が正しいと思えば
対立しているかどうかはわからない。
意見の対立というのは、議論の前提となる対立の対象の定義についての合意が存在しなければ成立しないからだ。
君において、「絶対的価値」の定義が一定しない以上、
余人と君の間でそれに関する、意見の一致も対立も成立しようがない。
私が「意味が無い」といっているのはそういう意味だ。
>>607 じゃあ、俺の考える定義を書くね。
「神聖にして侵すべからざる尊さ」です。
>>608 で、それは、「ある個人が「見出す」」ようなものなの?そうでないの?
610 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 14:47:34 0
見出すものだよ
611 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 14:48:33 O
>>601それはおまえの観念の中でゲスなだけだろW
>>610 >もしも、ある個人が「見出す」ことが「絶対的価値」の意味であるのなら、
>「無限と思われるような可能性を持って生きている。」生命に関しても、
>「絶対的価値」を「見出す」人がいる可能性はあるわけじゃん?
>>612 では生命が絶対的価値を持つという認識もあなたの勘違いかもしれない
ということでよろしいか?
615 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 15:08:03 0
>>594 はあ? 俺がいったことだろw勝手に脳内でカントが言ったことに変換すんなw
無教養ってどうも困るねWWWWWWWW
616 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 15:09:09 0
>>583 見てみろ。この2chを。これでも軽蔑しないでいられるか?
昔の人間はよかったんだろうさ。だが今は駄目だ。
>>614 >>もしも、ある個人が「見出す」ことが「絶対的価値」の意味であるのなら、
>語義として勘違いなんてありえないはず。(当人がそう思うことそれ自体で要件が成立してるんだから)
618 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 16:37:37 0
>>615 へ? カントは善意志がなんたらかんたらとか言ってるじゃん。
>>617 ありえるっての。
絶対だと思ってたらやっぱり勘違いだったということがありえないって?
君いくつなの?
>>619 だから、それは、君の「絶対的価値」の定義と矛盾するだろ。
何らかの別の定義が「絶対的価値」にあって、(その別の定義にあてはまるかどうかを)「見出した」のなら、
(「見出すこと」自体は「絶対的価値」では無い場合は)
勘違いということはもちろんありえる。
でも、君の定義では、「個人が見出すこと」「それ自体」が「絶対的価値」の「意味」なんだから、
そうすると、「見出した」時点で定義に合致してしまって勘違いとかそういう余地はないのよ
>>620 あるっつーのに。
君はこれからもそういうことはないんだろうが
過去に「絶対的価値」を見出したものの、後になってそれを勘違いだったと思いなおす
という状況はあるのよ。
というか、そんな前提も共有できずに議論なんかしても確かに無駄ではあるな、とは思ったね。
622 :
考える名無しさん:2008/06/07(土) 17:18:33 0
別に人は殺していい、ただしオレは殺害などしないよ、でおk。
それらは世界の理のごとくに、当然だれしもの持つ自由行動の範囲だが、自分とは無関係のものだ、
誰か殺したいのならお好きにどうぞ、そんな初歩的なことを説得する気も起こらない、
かの哲人はこう言った「それでもみんな少しずつ学んでいる・・・それでいい」と。
「生まれ変わり」があるから、だとかどうでもいい、殺る奴はやる、殺らない奴は何があってもやらない、
それで十分だろ、子供に「なぜ人を殺してはいけないのか?」と聞かれたら動揺しないで
こう冷静に話してあげると良い「勝手にしな」ってね
そして次にこう優しく聞いてあげてくれ「なにか学校であったのか」と・・・
>>621 だから、もしそういう状況を認めるなら、
>ある個人が「見出す」ことが「絶対的価値」の意味である
ということにはならないだろ?
だけど君は、
>610 名前:考える名無しさん 投稿日:2008/06/07(土) 14:47:34 0
>見出すものだよ
といってるじゃないの。
つまり、君の定義はその時々で変わってるの。
だから、
>余人と君の間でそれに関する、意見の一致も対立も成立しようがない。
>私が「意味が無い」といっているのはそういう意味だ。
と言っているの。
>>591 生命はあらゆる「扱い」の前提条件とみることができるわけだが、
そのような条件は特別ではないのかな?
特別扱いできないとみなす方が難しい(根拠がない)だろう。
>>592 アホか。
>>593-603>>604-623 なぜ、何かをいけないというとき、それが必ずルールであるか、普通に考えてみないんだ?
>>622 お前は自分のものを盗んで欲しくないと考えているだろうが、そのお前は、
「別に盗んでもいい、自分は盗みなどしないがでおk」などと言うのかね。
622みたいなことをもっともらしそうに書くバカって一体何を考えてるんだろうな。
>>624 >なぜ、何かをいけないというとき、それが必ずルールであるか、普通に考えてみないんだ?
私がそのことを考えてみているか見ていないかはわからないが、
とりあえず、その話題は、レス先の議論とは直接は関係ないのでは?
私が言っているのは、そうやって、あなたが思いつきで議論の対象をコロコロ変えるようでは、
意味のある議論はできない、ということ。
ここで、バカを連呼している人物は、心底殺したいと思う
>>623 面倒くさいけど答えてあげるよ。
絶対的価値であろうと相対的価値であろうと
人が「見出すもの」でしかない、ということ。
君は難しい哲学書も熟読できるような頭があるんだからそれだけ言えばわかると信じる。
ああ、子供に人を殺してはいけないのか?と尋ねられたら、絶対ダメって答えないとダメだ。
理由はいろいろあるけど
1、そういう答え方が子供の想像力を奪うということはない。
2、人を殺さないことは社会にとって好ましい模範的なことである。
3、子供に理解できなくても従わなければならないものがあることを教える。
4、善悪は随伴現象として実在する。
特に3が子供にもたらす効果をここ十数年、いやもっと前からかもしれんが無視してることが
教育問題の根幹にあると思う。現実や絶対性や未来というものに対する情動的なロマンティシズムを
植えつけることをせずに自立した精神を育てようとするのは効率が悪すぎる。
それから相対性をやたらと重視したがる人らは、主観的記述と客観的記述を混同している。
自分が主体的存在として何か対象を外部から取るならば、必ず翻訳上のズレが生じるってことが
絶対主義的思考の基本。ここから倫理を論理的に導き出すことは、やろうと思えば可能。
然るに、やろうと思わない理由はわれわれにはない。道徳は「宇宙に」あるのではなく「われわれの内部」にあるのであり、
われわれの言明とは主体的行為であり、「われわれの内部」を含意せずに何かを語ることは不可能。
つまり道徳や倫理は主体的行為の随伴現象なので「道徳はない」だとか「価値は相対的である」だとかいう
言明は客観的記述としては整合性があるが、内的には矛盾しているということ。
>>628 だから、見出すもの「でしかない」のならば、「勘違い」ってことはありえないだろ、といっている。
「絶対的価値」というのは、そういうものでしかなくて、他の意味は無いんだから。
「勘違い」があるということは、
「見出したものでしかないということはなく、そうでないこともありえる」
(見出すこと以外の意味が「絶対的価値」にはあって、個人は「そうであろう」と推測して「見出す」似すぎず、
見出すこと自体には「絶対的価値」はない)
だろう。
>>630 >見出すもの「でしかない」のならば、「勘違い」ってことはありえないだろ
逆でしょ。見出すもの「でしかない」から「勘違い」がありえるんでしょ。
>>631 それではは、「(見出すことそれ自体は絶対的価値ではなくて、われわれはそれを推測して)見出すということしかできない」
という意味になってるだろ。
「見出した」と当人が認識した事実が存在した以上、その認識が勘違いなんてことはありえないじゃん。
例えば、女を男と勘違いすることはありえるけど、「そいつを男だと思ったこと」自体が勘違いなんてことがあるわけないだろ。
お前の理屈だと、女を男と勘違いした後に、そいつが女だとわかったら、
「そいつを男だと思ったこと」(そういう認識もったこと)は勘違いだけど、
「そいつを男だと思ったこと自体」(そういう認識持ったという認識)が勘違いなんてありえないじゃん。
通り魔きたよー
>>632 楽しいかい?
俺は君と議論すんのが面倒でしょうがない。
>「見出した」と当人が認識した事実が存在した以上、その認識が勘違いなんてことはありえないじゃん。
価値を事実と置き換えたのはどういう意図?
>>634 君の、
>610 名前:考える名無しさん 投稿日:2008/06/07(土) 14:47:34 0
>見出すものだよ
という定義に従って置き換えただけだが何か?
>>635 そういうところがめんどくさいっていうんだっつーの。
もうこのスレには俺と君ぐらいしか書き込みないでしょ?
みんな君に絡まれるのが面倒だから見てるしかないんだよ。
>>609 で、それは、「ある個人が「見出す」」ようなものなの?そうでないの?
と問われたから、見出すものだよ、と答えただけでしょ?
価値と事実を同一視するなどと書いた覚えはないよ。
もう相手するの疲れたよ。誰か変わってくれw
>>636 だからさ、君は、
「価値」というものについて個人は「見出す」というかたちで推測することしか出来ない。
「価値」それ自体の定義は「別にある」
と考えてるんじゃないの?
638 :
624:2008/06/08(日) 15:31:07 0
>>626 >>513から、何回か書いてるんだが、いっこうにその点に関して
反応がないのはおかしいと考えただけだ。
>>629 問いと関係のない限定(「子供に・・・尋ねられたら」)を持ち込むのは変だ
(子供でスレ検索しても、ほとんどヒットしないが)。
結論「絶対ダメって答えないとダメ」もおかしい。なんで「殺すか殺さないか」の
2択で考えなきゃならないのだ? 1.そもそもそんな不自然な選択肢に疑問を
さしはさまないことは、想像力なり論理性なりを損なう。
2.社会にとって模範的だから人を殺さないという考え方は間違っている。
社会が求めれば629は人を殺してよいと考えるのか。それは1の観点からもおかしい。
3.理解できなくても従わなければならないのは、従うことに合理的理由があるからだ。
合理的理由のあるなしにかかわらず従わなければならないと教えるのは間違っている。
4.随伴という語を一般的に理解するなら、善悪は「随伴」現象ではない(善悪という
価値判断は、価値判断の対象となる現象と独立に成立可能)。
>>636 ざっと見たところ、おかしなことを書いているのは君のようだ。
君の相手が君に向けている批判は論理的に正しい。
>>638 君のような人に言いたいのだが相手の意図を汲むということ覚えて欲しい。別におれはがちがちの体系構成のために
子供のシミュレートをしたわけじゃない。「人を殺してはいけないのかどうか」という問題は子供の教育に密接に関わってるから
「子供との対話」として前半部分は書いただけだから。
>>622みたいな相対主義の成れの果てが教育を困難にしていると思うのでふとね。
>3
合理的理由を説明せずに子供に教えるというプロセスが子供という理解力と経験が不足した存在の奥深くに、
概念としての絶対性と、社会や大人に対する従属意識を育てる。それに対する反発がもたらす子供の可塑的な成長も期待できる。
とは言えコミュニケイションの中でのことなので、子供の成長の度合いに応じて合理的、というよりは
それらしい説明をしてやることは肝要だろう。しかしそれは相対主義的な「殺すということは殺されてもいいということになるんだよ」
みたいな実益の問題であるかのような説明であってはならない。で、そのためにわれわれが善悪がいかに絶対的に
存在するのかということを知っていなければならない。
>4
価値判断が対象なしに成立するっていうのは興味深い。おれには主体である人間が対象を取らずに善悪が存在できるとは
思えないが。その上で必ず人間は対象を取らざるを得ないが故に、善悪は結果として実在すると主張してる。
640 :
629:2008/06/08(日) 19:54:14 0
まあ、全体的に見てわかることは
「人を殺してはいけない」と考えている人間が、「人を殺しても構わない」と考えている人間を
納得させることができる力を持っていないであろう、ということだな。
まあ、それも殺人に限らない。
どんな非合理な行動もやる奴はやる。
643 :
母:2008/06/08(日) 23:03:40 O
我が子を殺したくなった事ありますか?
644 :
考える名無しさん:2008/06/08(日) 23:08:30 0
>>642 そうそう、非合理だからこそ、言葉はほぼ無力なんだよな。
645 :
母:2008/06/08(日) 23:11:38 O
可愛い我が子を殺したくなる時があります。自分が怖いです。助けて欲しい。
ここ板には、子供はおろか、恋人すらいない人間ばかり集まっております。
647 :
母:2008/06/08(日) 23:20:36 O
ここで相談してもだめですか…
公的な相談所に行って下さい
>>647 あなただけで解決できるような問題ではないと思う。
だからこそ、きちんとした相談施設に行ってほしい。
それは決して恥ずかしいことではない。
秋葉凄いね。
本能的に自殺と殺人ってどっちが敷居が低いんだろ?
本能的には殺人の方が敷居が低いんだろうが、規範の働きかけによって殺人の
ハードルが上る分、自殺の方がやり易くなってるんじゃないかな。一般的には
ね。
だーーーーーーーーーーから、
人殺しそのものを罪として裁く法なんて日本にはないよ。
もしそんな罪があったなら死刑制度を廃止しなきゃならんだろ。
ん?フツーにあるだろ。殺人罪。刑法199条。死刑は正当行為で違法性阻却。何
を言いたいのか?
>>653 裁かれているのは、「人殺し全般」ではなく「死刑以外の人殺し」って言いたいんだろ。
655 :
考える名無しさん:2008/06/11(水) 04:30:55 0
知的に怠惰な者キタ━━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━━!!!
>>653 刑法の条文はちゃんと文脈によって理解しよう!
人殺しそれ自体が罪状として裁かれているなら死刑も裁かれなきゃあかん。
よって裁かれているのはあくまで「違法な」という部分であって、
人を殺しそれ自体ではない。
人を殺しそれ自体 → 人を殺すことそれ自体
「人を殺してはいけない」という社会的道徳的合意は
少なくともこの国にはまだない。
1の問いにはこう答えるしかない。
この国に生きる。
この星に生きる。
この世界に生きる。
どれも同質。
「人」の定義次第だろう。
我々社会に都合がよい役に立つありがたい「人」は殺してはいけない。
敵国兵や殺人強盗放火犯などの「人でなし」は場合によっては
「人ではない野獣」だから殺して良い。
宗教的倫理では、野獣のような人にも人の心があるから
殺してはいけないとなる。
社会機能上の規則と宗教的倫理の間で、心が揺れ動く事に耐える。
心が揺れ動くことに我慢して一方に偏らない。
こんな所でいいんじゃない?
>>657 それは思考の道筋としてフツーじゃないぜ?
刑法の立場は「人を殺せば原則として違法。でも人一人の命を犠牲にしても守
るべき利益がある場合には例外的に違法が否定されうる」ってことだ。
なぜ人を殺してはいけないのか?という問いに対して、「正当防衛で人を殺し
た場合は違法とは言えない。よってわが国においては人殺しそれ自体は裁かれ
ていないのだ」ってのはおかしい、腑に落ちない論法だ。
>>661 「人ではない野獣」というのは強弁だ。さらにギリギリの状況では、たとえ善
人を殺す場合でも正当なものと評価されうる。この場合は、「人」の定義じゃ
説明できない。
>>661 おまえ、わかってないな。
人を殺しても、心身耗弱などで「人としての体をなしていない」と判断された場合
罪に問われないだろ。
むしろ、計画的犯罪など、「より人として」人を殺した場合の方が、死刑になる可能性が高い。
664 :
624:2008/06/11(水) 23:26:21 0
>>639 >>629の「ああ、子供に人を殺してはいけないのか?と尋ねられたら」という書き出しから始まる文を、
「限定(「子供に・・・尋ねられたら」)を持ち込」んだものとみるのは、普通のことだろう。
自分が書いた文章の不備を、自分の「意図」を相手が理解しなかったとして正当化するな。
639のような、書かれた文章にあらわれてもいない「意図」を理由に相手を批判するような傲慢な考え方は、
教育を困難にする原因の最たるものだろう。
>>641>>644 人を殺しても構わないと考えたり、殺す人間は、人を殺してはいけないと考えている人間を
「納得させる」力を持っているのかね。なぜ、殺してはいけないと考えている側だけが、
そうでない側を納得させられないかのような言い方をするのかね。バカなのかわざとなのか
どっちだ? 十中八九バカだから考えがまわらなかったんだろうが。
>>659 なんで「いけない理由」が聞かれているのに、合意がないと答えるしかないという話になるんだ。
>>657>>662 657 「裁かれているのは・・・「違法な」という部分であって」は、支離滅裂な文章だ。
「裁かれる」のは受刑能力を持った主体であり、規定や基準ではない。知ったかぶりするな。
662 「でも・・・ってことだ。」の部分の説明は間違い。犠牲にしても守るべき利益があるなら
違法性が否定される、のではない。法的に守られべき利益に対する危害が及んでおり、
それを避ける緊急性が高い場合、そこでの危害を避けるためにした原則的に違法な行為の
違法性は否定される場合がある」が正しい。
刑法は「一人の命を犠牲にしても守るべき利益」なるものを一般的に認めているわけではない。
>>661 661が敵国にとっての敵(661には敵国兵とあるが、ここで敵国民としないあたりが、661の
欺瞞・最低さの現れだ)に該当したり、661がやっていない犯罪を理由に死刑になった場合には
殺してよいと考えるのか。バカか、お前は。
665 :
624:2008/06/11(水) 23:30:11 0
>>663 趣旨は分かるが、心身耗弱や心身喪失の判断は「人としての体」をなしているかどうかの判断ではない。
刑事責任能力の有無の問題だ。刑事責任能力が無いなら人でないなどと言うわけがないだろう。
このスレの書き込みはデタラメが多すぎるぞ。
666 :
662:2008/06/11(水) 23:34:07 0
>>664 > 662 「でも・・・ってことだ。」の部分の説明は間違い。犠牲にしても守るべき利益があるなら
> 違法性が否定される、のではない。法的に守られべき利益に対する危害が及んでおり、
> それを避ける緊急性が高い場合、そこでの危害を避けるためにした原則的に違法な行為の
> 違法性は否定される場合がある」が正しい。
これは正当防衛・緊急避難の説明としては正しいだろうけど、死刑等の合法的
な殺人は説明できないでしょ。「犠牲にしても守るべき利益」というのは、そ
れら違法性阻却される場合を包摂したもっと抽象度の高い説明のつもり。
>>665 「人としての体をなしていない」と「人ではない」は全く異なるぞ。
その辺は、注意して言葉を選んでいる。
刑事責任能力の有無を問うに当たって、「人としての体をなしているかいないか」というのは
判断の「根拠」の一つだろ。
「刑事責任能力の有無」を、無根拠で判断できる筈が無い。
失礼。
変換を間違っていた。心身ではなく心神だった。
wikiより
心神耗弱
精神の障害により事の是非善悪を弁識する能力(事理弁識能力)又は
それに従って行動する能力(行動制御能力)が著しく減退している状態をいう。
669 :
662:2008/06/11(水) 23:44:53 0
つーか
>>663には根本的な疑問がある。
>>661の意見には全く同意できないが、
>>661が問題としているのは、殺人の客体としての「人」だ。これに対し
て
>>663が「人として体をなしていない」とするのは殺人の主体としての「人」
だ。かみ合っていない。俺が何か読み違えているのか?
さらに殺人者が心神喪失である場合は、殺人罪にならないことは確かだが、彼
の犯した殺人行為は違法と評価される(やってはいけない悪いことをした)。
ただ、その違法行為に出たことについて殺人者である心神喪失者を責めること
はできないと扱われるだけだ。だからこの場合でも「人を殺してはいけない」
んだ。
>>666 刑罰は、あくまで不正に対する正という価値判断が成り立つから正当化されるので、
死刑が認められる(法理論的に合理化できる)とする立場をとったとしても、
そこでの根拠は「一人の命を犠牲にしても守るべき利益」にあるとはされない。
「一人の命を犠牲にしても守るべき利益」があれば、殺してよいという判断が仮に
正当化されるとすれば、それにより正当化される制度は「死刑」にとどまらない。
>>667 その論理は重度の知的障害者は「人としての体をなしていない」という帰結を正当化するが。
いつから刑法理論は東京都知事の考え方を反映するようになったんだね。
>>669 >>663は、
>>661の「殺人強盗放火犯などの「人でなし」は場合によっては
「人ではない野獣」だから(殺してよい)」という理由付けを批判したのだろう。
その文脈では、663の全体は客体(刑罰を受ける客体)に対する判断だ。
673 :
672:2008/06/11(水) 23:53:54 0
>>670 残酷だろうが、「法的」にはそう判断される。
もちろん、法的な判断が、全ての判断であり得る筈が無い。
>>669の後段の説明は概ね正しい。
構成要件該当性は満たされるので、違法と評価される(悪い結果を生じさせた)と表現する方が
より正確だとは思うし、殺人者である・・・という表現もどうかと思うが、結論部分(だからこの場合でも
「人を殺してはいけない」)は、まったく正しい。
>>674 だから、刑事責任能力の有無の話がなぜ
>>667>>670のような話になるのかね。
「法的」にはそんな話は問題にならないんだよ。何が残酷だろうが、だ。
>>675 あんたねぇ。
考えの異なる者を、「黙らせる」のは得意なようだが、「納得させる」能力はほぼゼロ。
書き込みが止まるのは、あきれて立ち去っているだけで、納得している奴はほとんどいない。
>>675 なぜ相手をバカだのアホだのと罵るのが良くないのかわかる?
あなたの大嫌いな殺人を助長させることにつながるからだよ。
そういう書き込みをみると大抵の人は不快に思うものなんだ。
だから
>>627みたいな書き込みも出てくる。
そうやってフラストレーションをため込んだ人が衝動的に暴力を振るってしまう可能性を
考えることもその人間の倫理の発露なんだよ。
人殺しが良くないと思うなら当然そのような振る舞いが自然にできなければおかしい。
あなたの書き込みを見てるとあなた自身結構簡単に殺っちゃいそうにみえるよ。
あなたごときが人に倫理を説くなど滑稽なことでしかない。
最後にあなたの書き込みでイライラを募らせた人達のために倫理的制裁を食らってもらう。
バカはお前だ。
>>208 貴方のの考える価値基準の順位は貴方固有の価値観ですね。
当然他の人にはまた違うの価値観が具わっているわけです。
無宗教者でも常識的な判断で殺さない場合もあるでしょう。
宗教でいけないとされていても、法に従って殺人を肯定する場合もあります。
誰しもの価値基準の最上位に宗教が置かれているなら、
死刑の執行を認めない法相ばかりになってしまいます。
価値観は千差万別で、全てにおいて全く同じ価値観を持っている人はいません。
そのうちのある部分について似たような価値観があるというだけです。
この人に人を殺してはいけないという価値観が存在するのは何故ですか?
答えは幾つもあるでしょうが、答えとなった事由それぞれの価値の順位は誰しも同じではありません。
事由の組み合わせも人それぞれに違い、同じ事はまずありえません。
ただ共通して言えるのは、〜への対処は・・・とする(べき)というように
ルール化された時点で、「する・しない」ではなく「してもよい・してはいけない」になるのでしょう。
ルールの無数の成り立ちの一つ一つを潰していくという膨大な作業をするか、
ルールが出来るのは何故なのかという方向から考えてみるのかは、 自由だー!!
>>1 > なぜ人を殺してはいけないのか
という質問に対しては
「人を殺していけなくはないよ」と答えるしかないのだよ。
殺人罪も違法な殺人が罪に問われているのであって、殺人そのものが罪に
問われているんじゃないということを理解しないと法律が矛盾をもつことになる。
680 :
675:2008/06/12(木) 20:19:34 0
>>676 バカが納得するかどうかで考えの正しさが決まるわけじゃないから。
このスレに書き込んでいる何人かのバカが「あきれて立ち去った」らなんだというのかね?
>>677 お前、バカといわせて内容で言い返せなかったから、なんとか言い返したくて屁理屈こねただけじゃん。
「バカはお前だ。」と最後に言い切りたいがためにそんなに言葉をつらねて・・・余程悔しかったんだな。
どう考えても、バカ・アホといわれた程度で「殺人を助長させる」と殺人に直結させるお前の頭がおかしいだけだろ。
バカはお前だ。
>>679 >>657だろお前。いい加減にしろ。普通に関連書籍読めばわかる程度のデタラメをしつこく書いて何がしたいんだ。
「殺人そのもの」が罪に問われているんじゃないとか、独り善がりな妄言を書き連ねるのはやめろ。
独り善がりなのは貴様だろ…
682 :
675:2008/06/12(木) 20:53:44 0
>>676によれば、わたしの書き込みにより、バカの書き込みは減少傾向にあるそうなので、
そろそろわたしの考えをはっきりまとめて書き込んでおくことにする。
まず、「なぜ、何かをいけないというとき、それが必ずルールであるか、普通に考えてみないんだ?」と繰り返した通り
「〜はいけない」が、当然ルールをあらわしているという考えはおかしい。「〜はいけない」という表現は、例えば
「(スナック菓子に入っている乾燥剤を)たべてはいけない」のように、単純にある不利益を念頭において、その不利益を
避ける行為を示すために使われる。
つまり、「殺される」ことに付随する不利益を避ける必要性があるなら、「人を殺してはいけない」と指示する理由は
当然ある。これは、人、殺す・殺される、いけないという言葉の意味を正しく使うならば、覆しようの無いことだ。
正しく使わなければ、デタラメな結論を出すことはできるが、それは、言葉を間違って使うことができることを示すにすぎず、
人を殺してよいと論じたことにはならない。だから、
>>1への答えは、殺されることによって生じる不利益を指摘すれば、
それでよいといえる。
「〜はいけない」が一般的にルールとして成り立つのは、そういう不利益が一般的に認められるからだ。人は、どういう表現を
とるにせよ、「殺される」ならば、「殺される」ことに不利益が付随すると考えるので(わざと死ぬ決断をすることがあっても、
そこに痛みとか、生きているという状態でなくなることに伴う不利益は観念できるので)、一般的ルールとして「人を殺しては
いけない」は成り立つ、と考えられるのだ。
あるときに人を殺す・殺した人間が存在することは、上のように成立することを妨げない。誰かが人を殺す選択をしたとしても、
その者が殺されることに伴う不利益を観念できないことにはならないからだ(むしろ、それが観念できる(人を殺してはいけない
ことを理解している)から、人を殺すという判断に至りうるとすらいえる)。また、当然だが、殺す側が殺される不利益以外の
利益を観念している事実は、殺される不利益があることを否定する理由にはならないので、やはり「人を殺してはいけない」という
ルールを否定しない。
同様に、殺されることに伴う不利益を観念していない人間や、自分が殺されることに伴う不利益を否定する人間を想定したとしても、
一般的なルールとして「人を殺してはいけない」が成立することは妨げられない。それらは、殺されることに伴う不利益に関する判断の
合理性の否定になっていないからだ。
人が〜しない事実からみたとき、「〜してはいけない」というルールは、人が〜しない事実を形づくる一要素であり、
「〜してはいけない」を、それに反する判断「〜する」と対置した関係に限定して、「〜してはいけない」かどうかを考えるのは、
問題の処理の仕方に関する、論理的な誤りにすぎない。
>>681 仮にそうだとしても、理由なく独り善がりと言い張って何かを言った気になれる681や、
普通に関連書籍読めばわかる程度のデタラメを書き連ねるバカよりはマシだ。
>>680訂正
バカといわせて内容で言い返せなかったから、
→バカといわれてムカついたものの、内容では言い返せなかったから、
ざっと読んだけど一般論に頼ってばっかだな
こんな馬鹿ばかりのとこに書いても685みたいなレスしかこないだろうによく書いたな
687 :
675:2008/06/12(木) 21:45:30 0
>>685 一般的な問題に関する議論に対して、一般論に頼ってばっかとだけ書いて批判になるのか?
まあ、反発ありきでバカが考えて出てくるコメントがその程度になるのはわかりきったことだが。
じゃあ「私を殺して」と不利益を甘受する、不利益をあえて希望する人を殺す
ことは、禁止されないのだね?あなたが言うような一般的なルールがあったと
しても、その趣旨からすれば、死を望む者を殺すことは個別的に許容されるこ
とになるはずと思うが、それで良いのかな?
690 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 21:53:59 0
>>685=
>>689何がじゃあなんだ?w
哲板ってしっかりした内容のレスが書かれるとすぐ質問モードに入るバカが出てくるなw
691 :
689:2008/06/12(木) 21:57:10 0
>>689 「不利益を甘受」てことは、不利益があると考えるんだからルールは成立することになるだろ
ルールに関係なく死にたがる奴はいるだろうが
693 :
689:2008/06/12(木) 22:00:32 0
不利益はある。しかし利益かどうかを問題にするならば、自分に帰属する利益
を放棄することは許されてしかるべきじゃないか?「不利益であっても俺はあ
えてそれを望む」というのであれば、ルールの例外を許容するのが筋じゃない
かな?
694 :
675:2008/06/12(木) 22:09:21 0
>>689>>693 >>692の通り、不利益をあえて希望しようが、不利益が不利益であることにはかわりないから、
「人を殺してはいけない」というルールは成り立つ。
そもそもルールを成り立たせるのは、不利益を受ける当人でなくてもよい(ルールがどういうものか、
ちゃんと踏まえてれば当たり前の理解のはずだが)。
不利益があってもあえて望む、というのは、不利益に関する合理的判断の否定ではない。
不利益という判断が成り立つことを認めるから、あえてという話になる。
例外が認められるとしても、ルールが一般的に成立しないことにはならないし、ルールに
理由が無いことにもならない。
>>1の問いには答えたことになる。
>>689は例外を過大に大きく見積もりたいようだが、それは689の関心がそういうところにある
(歪んでいる)からに過ぎない。
過大に大きく→過大に
それにしても、
>>682-683の議論を受けて、わざわざ自殺の権利主張に走るとは、さすがバカのやることは違うな!
696 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 22:14:00 0
697 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 22:19:19 0
出た、哲板に生息するバカの最後の砦「それは哲学じゃない」ww
698 :
689:2008/06/12(木) 22:21:54 0
>>694 納得できない。他人から物を盗むことはこれを禁止することが一般的なルール
として確立しているだろう。そして、俺が他人にタダで物をくれてやるのは、
俺にとって不利益だろう。しかしながらこれは禁止されていない。これはなぜ
だ。「不利益だから」という理由ならこれも禁止されるはずじゃないか?
つまりモノと命とを同列に扱えないことこそ、この問題を考えるについて最も
重要なことではないか。この問題についてあなたは答えていないのでは?
>>695 「自殺の権利主張」じゃないよ。「相手が同意しているときにこれを殺すこと
は許されるかどうか」の問題だ。
功利主義からの回答として,安藤『統治と功利』
何というか、歴史的な人間の価値観の変遷に思索の及ばない、陳腐な論だということだけしか伝わってこない
701 :
675:2008/06/12(木) 22:43:50 0
>>696 哲学をやってるつもりかどうかと、問いに正しく答えるかどうかと何か関係があるのか?
哲学やってるつもりかどうかと、哲学と何の関係があるんだ?
696みたいな人間の頭のなかにある「哲学」と、哲学(的態度)は完全に無縁だな。
>>698 どうして他人に贈与することを、「他人にタダで物をくれてやる」と表現したくなるのか興味深いが、
その種の愚劣さについて触れるのはほどほどにするとして、「俺にとって不利益」という点に着目すれば、
その点に関して「タダで物をくれてやるな」と命じるのは、
>>682-683に書いた通り普通に可能だし、
理由もあることだ。それが一般的ルールとして成立しない(ケチは正しい!)のは、そのような不利益を
「甘受」する理由が大いにある(むしろそちらが一般的なルールだから)からだ。当たり前の話だ。
また、しつこく「相手が同意しているときに相手を殺すことが許されるかどうか」に拘っているようだが、
689のバカがいくらがんばったところで、それは「人を殺してよい」ケースではない。
「人を殺してはいけない」というルールが成立しているから、許されるかどうかが問題になるのだ。
許される場合には、人を殺してもよい、という判断が成立するというのは単なる勘違いにすぎない。
>>699 >>690>>697が書いてるような反応がバカにされると、決まって本の名前だけ挙げるレスがつくよな。
>>700 700からは、700が何か言えたふうなカッコをつけるだけのバカだということがよく伝わってくるよ。
己だけが賢いと勘違いしているが故に、周りの者を小ばかにし
正しい自分の主張を受け入れないのは、馬鹿な連中が間違っているのだとのぼせ上がり
挙句の果てには、支持を得られずに終わる
愚かな左翼臭がプンプンする
703 :
689:2008/06/12(木) 22:50:58 0
だから!
>>701 > 「甘受」する理由が大いにある(むしろそちらが一般的なルールだから)からだ。当たり前の話だ。
ここでしょ、焦点は。なぜ、客体が物の場合にはそれが一般的なルールなのに、
命の場合にはそうじゃないか?ここを自明というなら、「なぜ人を殺してはい
けないのか」という問いに対して、「それが自明のルールだから」と答えてい
るのと一緒。
俺だって、相手が承諾している場合はそいつを殺しても良い、などとは思って
いない。ただ、それを説明するのは困難だといっているのだ。
704 :
考える名無しさん:2008/06/12(木) 22:55:22 0
>>701 一般的ルールとして殺してはいけないが成立してるのは承知の上で
ではなぜですか?と聞かれてるのにそれで答えたつもりになる。
お前のバカは一生直らんだろうなww
>>701 あんた本当に、人間の歴史なんか全く考慮してないのか?
>>702 お前みたいなバカよりマシだというと、なぜ己だけが賢いと考えていることになるのかな。バカの思考回路は不可解だな。
>>703 まず、元の文章の流れを無視して、一部だけ引用して「ここでしょ、焦点は」などと吼えるのはやめろ。
次に、689は「〜はいけない」は当然ルールをあらわしているという理解は間違いだとしている点を無視している。
あるルールが一般的になるのは、「〜はいけない」が一般的に成立するからであって、客体の性質は関係ない。
「そのような不利益を 「甘受」する理由が大いにある」のは、そのように考える理由があるからに過ぎない。
>>704 >>682-683に、説明してあるんだが。ルールを支える理由と、ルールが一般化する事情は別の問題なんだよ。
>>705 歴史を無視しないから、
>>682-683>>701のような立論になる。
よくまあ、その程度の思索レベルで、安易に人を馬鹿に出来るものだ。
感心するよ。
>>703 >>701はまさにそう言ってるんだよ。
最終的には定言命法というえらーい哲学者の便利な発明にすがればいいんだから。
「定言命法であって理由はないよ」
そうだよな?
>>701
「人を殺してはいけないことが、<本当に>わからない」人間なんかにとっては
定言命法とか意味無いよね
>>707 俺はお前みたいなバカじゃないから、いくら707みたいなレスを書いて偉ぶったところで、真に受けることはない。
諦めろ。バカが思索レベルとか吼えたところで無意味だ。
>>708 違う。理由はある。ある行為なり事実なりに付随する不利益が理由として挙げられる。
>>682-683
定言命法の人じゃないのかwwwww
>>709 それは、山の上から落ちてくる石に何を言っても無意味だと言っているのとほとんど同じだ。
それが「殺される側」にとっての不利益を指摘できることを否定する理由になるのかね。
人を殺してはいけないと言ったところで、命に関わる事実が身に降りかかれば、誰でも
死ぬだろうと指摘して何の意味がある? 709のバカさ加減を示すことになるだけだろう。
>>711 何を面白がってるんだ??
>>682-683の時点でそう判断できなかった自分のバカさ加減を笑えよ。
713 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 00:01:44 0
715 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 00:04:25 0
>>713 どう見ても君(ら)の方がカッカしてるように見えるけど…
>>714 基本的にこの種のスレは、人を殺せる余地を見つけることに喜びを見出すキモイ奴らのたまり場だから終わらないと思うよ
717 :
689:2008/06/13(金) 00:11:27 0
>
>>703 > あるルールが一般的になるのは、「〜はいけない」が一般的に成立するからであって、客体の性質は関係ない。
ん〜?客体によって「〜はいけない」が一般的に成立するかどうか左右された
じゃない?物と命の処分の問題で。
> 「そのような不利益を 「甘受」する理由が大いにある」のは、そのように考える理由があるからに過ぎない。
その理由とは?加えて命と別異に扱う理由とは?
不利益…。ホントはここで「利益」とは何ぞや、何をもって価値を判定する基
準とするかも問題になるのだろうが…それはとりあえず置いておくとして。
殺人以外の犯罪的行為については、たしかに「利益」で一応の説明がつくかも
知れない。そこで一般には利益帰属主体が自分で「利益」を処分した場合には、
これを「悪」とは評価できない。例えば経済的利益ね。しかし、なぜか「命」
はこれが許されないように思われる(自殺は許されるにしても承諾殺人はバ
ツ)。そうだとすると、命を単なる私益と捉えるのは不十分ということになら
ないか?
そこで上の問題を回避する一つの方法は一種宗教的確信を持って命を特別扱い
することだ。あるいは、人一人の命は単なる私益ではなく公益につながるもの
と考える方法もあるかも知れない(公益だとすれば自分の勝手で命を処分する
ことはできない。しかしその副作用として自殺も違法となりかねないけど)。
そういう視点を持ち込まないと「なぜ人を殺してはいけないのか」という問い
に答えるに不十分ではないのか。
718 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 00:13:48 0
誰が誰と会話してるんだ?
719 :
689:2008/06/13(金) 00:16:19 0
>>717 「〜はいけない」が一般的に成立するかどうかは、ある不利益の指摘が、一般的に成立するかどうかの問題だ。
客体の性質が関係あると言っているのは、689であって、わたしではない。
>>682-683もそういう論理になっていない。
わたしがことさらに命を特別扱いしているのではない。命は一般的に尊重されるような何かだから、命を特別扱い
するようなルールが成立するのだ。
>>682-683のように、言葉を普通に使えば。
また、命を私益と捉えた、というのは689の思い込みだ。わたしは利益と書いただけだ。勝手に書いてもいない意味を
読み込んで反論をするのはやめてくれ。
>>694に「そもそもルールを成り立たせるのは、不利益を受ける当人でなくてもよい
(ルールがどういうものか、ちゃんと踏まえてれば当たり前の理解のはずだが)。」とはっきり書いてあるのに、なぜ無視するのだ。
721 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 00:24:23 0
>>717 >客体によって「〜はいけない」が一般的に成立するかどうか左右されたじゃない?物と命の処分の問題で。
689が物と命の処分(命の処分??)が分かれると思い込んでるから、そう見えただけだと思われ
722 :
689:2008/06/13(金) 00:35:27 0
>>720 > 「〜はいけない」が一般的に成立するかどうかは、ある不利益の指摘が、一般的に成立するかどうかの問題だ。
だから一般的に成立するにしても、その成立させる理由を辿れば個別的に例外
を認めるのが筋なはずだろうと言っている。しかし命についてはその例外を認
められないと言うならば、その理由に不備があるからだ。
> わたしがことさらに命を特別扱いしているのではない。命は一般的に尊重されるような何かだから、命を特別扱い
> するようなルールが成立するのだ。
そう。命を特別扱いさせるような「何か」の探求こそが重要だろう。
>>721 具体例を挙げればこうだ。
1「俺を殺して良いよ」と言っている者を殺す
2「この本もってって良いよ」と言われてその本をもっていく
命と本とで扱いを変えるかどうか?単に利益を理由とした場合には同列に扱う
のが筋のように思われる。同列に扱って良いと言うなら筋は通る。
723 :
689:2008/06/13(金) 00:41:52 0
とりあえずもう寝る。
>>722 いつ「命についてはその例外を認められない」などと書いた。勝手に689好みに論理を改変するな。
わたしは、例外は、「人を殺してはいけない」というルールを否定する事情ではない、と書いているだけだ。
例えば、正当防衛は成り立たないとは言わない。正当防衛が成り立つからといって、
「人を殺してはいけない」というルールが否定されることにはならないと書いているだけだ。
>そう。命を特別扱いさせるような「何か」の探求こそが重要だろう。
わたしが「命は一般的に尊重されるような何か」と書いたのを無視して、論旨と無関係な重要性を
強調するような妄言と結びつけるのはカンベンしてくれ。救いようの無いバカだなお前は。
>>721 そんな感じだな。689は、物と命という区分から問題を切り分けることに固執しているからな。
そういうもっていきかたのせいで、わけわからんことになってるだけ。
>>682-683で理解できた人もいるみたいだし、必要なければこれ以上書かないんでよろしく頼む。
725 :
689:2008/06/13(金) 00:51:42 0
寝ると書いたが、誤読されたので。
>>724 > いつ「命についてはその例外を認められない」などと書いた。勝手に689好みに論理を改変するな。
> わたしは、例外は、「人を殺してはいけない」というルールを否定する事情ではない、と書いているだけだ。
> 例えば、正当防衛は成り立たないとは言わない。正当防衛が成り立つからといって、
> 「人を殺してはいけない」というルールが否定されることにはならないと書いているだけだ。
正当防衛のことなど言っていない。ここで例外とは、「利益は放棄できる。利
益帰属主体が利益を放棄する場合には利益の侵害は悪ではない」ということだ。
でも生命にはこの例外は認められないんでしょ?承諾している者でも殺しちゃ
駄目だ。そうだとすれば、単に利益・不利益を超える理由付けが必要だろうと
いうことだ。どうだ?答えられるのか?
>>724 君は、その都度相手を馬鹿にしないと、自分の意見を述べることが出来ないのかね?
>>725 正当防衛の前に「例えば、」と書いているのに、正当防衛のことなど言っていない。と書かれてもな。
また、689の粗雑な頭脳は、そもそも、侵害とは悪である場合に使うことを解さないらしいな。
利益帰属主体が利益を放棄する場合には、利益は侵害されていないだろう。譲渡され、「甘受」されたのだ。
バカの考え休むに似たりとしか言いようが無い。
689は、何度断っても、689が勝手に問題にしている区別を、こっちが行っていることにして議論をすすめようとするが、
689が何度勘違いしようが、725みたいな問いは、
>>682-683の議論とは無関係だ。
それから、「どうだ?答えられるのか?」みたいな間抜けな問いかけはやめろ。バカはすぐそういう文体で説得力を
演出しようとするが、そんなものに影響を受けるのは、689みたいなバカだけだ。
>>726 こういう議論において、哲学風吹かしながら言ってもいないことを言ったことにして反論するような奴は、バカというより
人として最低だろう。「命を特別扱いさせるような「何か」の探求こそが重要だろう。」などと、わかった風を気取って
デタラメ書くような奴は最低だ。前後の文脈を追ってみろよ。689のダメさ加減が痛いほど分かるから。
任意の人間の間において、ルールが成立するためには
任意の人間それぞれが、ルールを理解していなければならない
ルールを理解できない人間に対して、成立しているルールを適用するのは
文字通り、「ルールを理解している者が、ルールを適用している」
ただそれだけのことに過ぎない。
>>727 てかさ、
>>722で
「この本持ってって良いよ」と言われてその本を持っていく
となっているが、これをより「一般的に尊重される」「金」 にして
「この金持ってって良いよ」と言われてその金を持っていく
のは問題無いだろ。
命に、何らかの区別付けなきゃ説明できないじゃん。
>>722の後段は、
>>721向けになっているが、内容的にわたし向けとみてよいと思うので、こちらにも答えておく。
689は、1「俺を殺して良いよ」と言っている者を殺す 2「この本もってって良いよ」と言われてその本をもっていく で
是非の判断がちがえば、命と物で判断が分かれたことになると信じ込んでいるようだが、それは689の思い込みにすぎない。
1がいけないのは、あくまで、殺される(「俺」の)不利益ゆえだ。仮に1の事情により「俺」が殺されたとしても、その点は変わらない。
これは、物がどう扱われるかどうかや、俺が放棄するかどうかと何の関係も無い。1の事情と関係ないものがどう扱われようが、
俺が不利益を受けることに同意しようが、「俺」の不利益は不利益だ。だから、不利益に基づいた判断は可能だ。当然の理屈だ。
2がいけないといえないのは、この本をもっていかれることの不利益が、もっていった先で読まれる利益と比較したとき、ないのと
同然に扱われるからにすぎない(実際には、もっていかれれば読めなくなるのだから、必要ならば、もっていくなと主張されるのだ)。
例えば、2の例について、本=教科書、持っていってよいといったAが、次の授業で使うはずだったとしよう。Bがかりていき、
Cは「え、いいの?」と口をはさんだとする。その後、AはCに指摘されて、教科書をかしたことを後悔する。このとき、Aは、
本をもっていかれてはいけない(いけなかった)と判断するだろう。
689は、1と2の判断が分かれる理由を、689が想定している事情の枠内で考えて、命と本で扱いが変わる例だと思い込んで
いるが、実際には、そこで判断が分かれているのは、そのように判断が分かれる構造があるためだ。
689は、「〜はいけない」を、ルールだと思い込むなど、何らかの原因で、1と2の事例を関連付けないと気が済まないようだが、
それ自体が勘違いなのだ。
>>730 ん?本を持っていった奴が「読む」とは限らんだろ。
捨てるかもしれん。
>>728 ルールを理解できない人間に対して、成立しているルールを適用することが可能なのに、
なぜ任意の人間の間において、ルールが成立するためには、任意の人間それぞれが、
ルールを理解していなければならないことになるんだ。ルールが成立していれば、
ルールを理解していない者にも、ルールは適用されうると自ら認めているだろ、お前。頭おかしいんじゃないか?
何が「・・・過ぎない。」だ、バカが。
>>729 >>730で説明したから読んでくれ。命か金かで結論が分かれるのは、命と金それぞれが別の何かであり、
それぞれについて想定できる不利益の内容が異なるからだ。命が特別だからではない。
命の不利益の実質には、特別という形容が違和感無くあてはまるが、特別という形容があてはまるかどうかは、
このスレの問題とは何の関係もない。命は、むしろ、ルールが一般的に成立し、それがいろいろな形で意識され、
他の価値より優越するものだと順位付けされることによって、特別なものになるのだ。「人を殺してはいけない」
というルールの方が、命が特別であるという考えより、先に出来上がる、とも言える。
>>724で断った通り、
>>682-683で理解できた人もいるみたいだし、必要なければこれ以上書かない。
>>731 それで730の論旨が変わるのか。バカは黙れよ。
734 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 02:03:53 0
731みたいなのまで相手にしなくていいって。
>>732 あんた、哲学板の住人?
「ルールを理解できない者」って、ルールの埒外にいるんだよ。
だから、「ルールを理解できない当人」は、ルールでなされるゲームには参加できていないんだけど
例えば、「人生」みたいなものだと、ゲームから追い出す訳にいかないから
ルールを理解している者が、文字通り「適用しているだけ」に過ぎなくなるんだよ。
>>733 ちょっwwwwww捨てられたら
もっていった先で読まれる利益と比較したとき、ないのと
同然に扱われるからにすぎない
が成立しないwwwww
>>732 あんた滅茶苦茶だよ。
ちょっと時間を遡るだけで、仇討ちも決闘も認められてたんだよ。
政治的に適切に殺した者が、治世の権利を得ていた時代もちょっと前。
>>735 >>732は、
>>728を普通に読み、可能な指摘をしたまでだ。
735が過ぎなくなるとか、俺は哲学板の住人だとかほのめかしたところで、
728のおかしな理屈が正しくなったりはしない。
>>736 論旨は最後の段落だ。
>>731>>736のように、もらった本が捨てられたなら、それはそれとして問題になるだけだ。730に挙げた例のように、
教科書だったら、捨てたことはいけないと言われるだろうし、読むという前提でもっていった本を単に捨てただけなら、
主が持っていれば読めたのだから、いけないことになるだろう。読んだ上で捨てた場合は、主が読むことがありそうだったり、
その本を処分することでお金が得られるので、その機会をつぶすべきでないなら、返すべきだと考えられるだろうし、
読みそうにない上に処分しても金にならない本だったら、捨てても問題ないという話になるだろう。いずれにしても、
730の基本的な論旨にも、
>>682-683以下の論旨にも関係ない。
>>732 仇討ちや決闘で殺される人間は、殺されてもよかったのかね。
殺されてはいけないから、仇討ちや決闘に負けないようにするんだろ。
「政治的に適切に殺した者」を、737みたいなバカがことさらに問題にするのは実に滑稽だが、
それはともかく、そこで殺された者は殺されてもよかったのか。
殺して得た利益は、殺された不利益が不利益でないことを示す事情か。
滅茶苦茶なのはお前だろ。お前みたいなバカは、歴史的事実を知れば知るほどバカになっていくな。
738の732→
>>737 基本的にレスがバカからしかこないんで、マジでできるだけレス控えたい。話にならないんで。
もうちょっとマシな頭した人間からのレスを希望(っていっても、マシな頭してれば
>>682-683で
だいたい納得してしまうだろうが・・・)。
740 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 02:38:22 0
意見には同意するが、バカにもっとやさしくしてやってくれ
バカもバカなりの善意で書いてるつもりなんだ…
そんな感じには見えないけどなww
741 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 02:39:55 0
>>738 >殺されてもよかったのかね
滅茶苦茶に拍車がかかってるね。
スレの論旨は、「なぜ人を殺してはいけないのか」だ。
能動形であり、受動形の「殺される」ではない。
仇討ちや決闘が認められていた時代は、「殺してもいい」から認められていたのは自明だ。
戦国時代は、「殺してもいい」から、勝者に政治的な正当性が生じたのは自明だ。
近代民主主義的価値観を前提とした結論ありきの論が、破綻するのは必然だろう・
なぜ人は、どういう表現をとるにせよ、「殺される」ならば、「殺される」ことに不利益が付随すると
考えるのですか?
744 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 05:59:58 0
>>743 バカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカが
バカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカが
バカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカが
バカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカがバカが
745 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 11:38:53 0
>>742 まず
>>682を読んで貰いたい。
この場合ある不利益を念頭に置いて「〜してはいけない」と考えた人が存在するわけだ。
この時点で少なくとも誰か(表現した者)の念頭においてはルールとなっている。
「ルール」とは、ある個人のみがルールとしているものも「ルール」であるが、
法のように大抵の人々がルールとしている「一般的なルール」と個人の「ルール」は併存している。
法、宗教、慣習等、「一般的なルールA」「一般的なルールB」「一般的なルールC]と
「個人特有のルール」は同時に存在しうるものであって、
それぞれ何らかの利益・不利益という理由から定められたものであろう。
>>1を見ると、一般的なルールの種別も、誰にとってのルールについて尋ねているのかも指定されていない。
そこで、
>
>>1への答えは、殺されることによって生じる不利益を指摘すれば、それでよいといえる。
これは適切な答えの一つであると言っても差し支えなかろう。
しかし、どんな一般的なルールも個人のルールが根本にある事を考えれば、
個人のルールから始めて法律等の一般的なルールへと説明していった方が聞き手にも納得され易かろう。
また、どんな一般的なルールも個人のルールがあって成立した筈であるから、
個人のルールのような原初的な所から考えた方がいいのかもしれない。
殺人者が地獄にいかないからだ
747 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 13:28:33 O
⇒593
論理はいやに思いきってしまったね。
748 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 13:37:58 O
勘違いした智将顔のコレステロールの塊に何を言っても無駄だろ
749 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 13:41:18 0
くだらねぇレスだ
>>745 >個人のルールのような原初的な所から考えた方がいいのかもしれない。
とすると、
>>735のような話になるね。
「人を殺してはいけない」というのは、通時性・共時性のある、普遍的なルールではなく
それが理解できる大多数の人間の間において成り立っているルールに過ぎない。
単純に言ってしまえば、「多数決だから」という結論になる。
「人を殺してもいい」というルールに賛成するのは
「オレは自由に人を殺すことだけが生きがいだから、それを保障してくれるなら
自分がいつ誰に殺されるかわからなくても構わない」という奴だけだぞ。
そんな奴は、まずおらんよ。
752 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 13:54:00 O
そういうこと。
人を殺してはいけないと表では諭して歩く偽善丸出しの智将顔した奴が
影で多数派をバックにつけて少数派を苦しめている。
753 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 14:01:09 O
多数派の言う「人を殺してはいけない」というのは、要するに自分を殺すなということ。
脱糞しながら無惨にコレステロールの醜態をさらしたくないからだろう。
少数派の言う「人を殺してはいけない」というのは、自分を殺してでも他人を殺すなということ。
こちらは好感が持てる。
>>751 「人を殺してもよい」というルールは、「人を殺してはいけない」というルールとは
別に論じなくてはならないように思うが。
「人を殺してはいけない」というルールが否定されたからといって
「人を殺してもよい」というルールが成立するわけではないだろ。
そもそも、「〜してもよい」というルールはあるだろうか?
ルールにしたら、「人を殺さなければならない」という、恐ろしいものになるかwww
758 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 14:15:36 O
殺意が湧くのは人間だから仕方ないね。
殺意のパラメータにも上限があるから、殺人が起きるのも仕方ないわな。
殺意を持ったコレステロールの塊みたいな人間と、
殺意を持った真っ当な人間が闘う時、自分はどちらにつくか、という問題が一つ。
もう一つは、何を持って人間とするか、ということ。
>>751 というか、そういう奴は死刑も怖くないわけだろ。
だったら、人殺しがルールで禁止されていようがいまいが、同じことだろ。
ルールに賛成も反対もないんじゃないの?
この板の「なぜ人を殺してはいけないか」スレって、たまに強い意見が書かれると、その後必ず死ね死ね団が暴れだすよねw
762 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 14:24:50 O
しかし死ね死ね団は本質をついている
763 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 14:27:22 0
747 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/06/13(金) 13:28:33 O
⇒593
論理はいやに思いきってしまったね。
748 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/06/13(金) 13:37:58 O
勘違いした智将顔のコレステロールの塊に何を言っても無駄だろ
752 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/06/13(金) 13:54:00 O
そういうこと。
人を殺してはいけないと表では諭して歩く偽善丸出しの智将顔した奴が
影で多数派をバックにつけて少数派を苦しめている。
753 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/06/13(金) 14:01:09 O
多数派の言う「人を殺してはいけない」というのは、要するに自分を殺すなということ。
脱糞しながら無惨にコレステロールの醜態をさらしたくないからだろう。
少数派の言う「人を殺してはいけない」というのは、自分を殺してでも他人を殺すなということ。
こちらは好感が持てる。
758 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/06/13(金) 14:15:36 O
殺意が湧くのは人間だから仕方ないね。
殺意のパラメータにも上限があるから、殺人が起きるのも仕方ないわな。
殺意を持ったコレステロールの塊みたいな人間と、
殺意を持った真っ当な人間が闘う時、自分はどちらにつくか、という問題が一つ。
もう一つは、何を持って人間とするか、ということ。
762 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/06/13(金) 14:24:50 O
しかし死ね死ね団は本質をついている
*****
・・・まさにキティガイだな
764 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 14:27:46 0
765 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 14:30:54 O
まともなコレステロール人間なら、コレステロールだけに反応することはないな。
智将顔ってなに?
もしかして知的障害→池沼とひっかけたのかね
頭のおかしい人の考えそうなことだね
>>760 アホだなこいつ。
キティガイを排除して考えなきゃならないのは、ルールの限界だってことがわかってない。
ルールに限界がないなんて誰も言ってないじゃん
769 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 14:39:20 O
基地がいは定義しにくいが
ファットマンや内臓ファットマンの定義は簡単だな。
>>768 わかってないから、言及できていないだけだな。
大体、「
>>751がまともだ」って言ってる奴は、ピントがズレまくってるんだよな。
『「人を殺してもいい」というルール』、とかルールの意味が全くわかってない。
ルールならば、「人を殺さなくてはならない」だろ。
772 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 14:55:51 O
脂肪は邪魔だから排除されたり、殺意をもたれやすい。
だから、脂肪人間は慈善活動を行うのだ。
それが転じて、偽善活動家に脂肪がついた。
キョウサンに脂肪が多いのは、そのためである。
773 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 15:07:23 0
善行してたら天国にいける。
それなのに、意地悪や殺人をしても天国に行くと思ってる。地獄に行く為に殺人するならまだ理解できる。
悪行をするのに無事でいたり、地獄に行きたがらないのは辻褄が合わない。
だから、そういう奴は殺人してはいかんのだ。しっかり地獄をみなさい。
774 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 15:07:43 O
人を殺してもいいというのは、人を殺さなくてもいいということでもある。
つまり、将棋で言えば王将だろう。
これをルールと言えなくもないが、やはり王将はルールに縛られないから、
ルールとは言えないと思うね。
だから、ルールとしてあるのは、人を殺してはいけないことと、
人を殺さなくてはいけないこと、
この二つしかないな。
775 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 15:11:24 O
血統ではなく単に勘違いした血糖値の高い人だったのか。
バンコクとかにいそうな基地外だね。
アメリカだと、正当防衛の適用範囲が、日本よりもかなり広いよな。
武器を携帯して自宅に侵入し強盗を企図した人間を殺す権利が保護される。
778 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 15:23:18 O
アメリカはどちらかというと個人主義を尊重してるから、
一人一人が王将で、小さな政府でやってるんだろう。
780 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 15:29:21 O
勘違いした鬼畜を殺すための必殺仕事人なら全然ありだと思うな。
781 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 15:51:53 0
私闘や私刑や仇討ちや敵討ちや復讐や用心棒を認めますか。
悪者なので、恨みを抱いた人が罰していいとなると、美的な感じになって気持ちがいいです。
これは強者や派閥を使って殺害することを認めます。行き着くと、相手を圧倒する派閥同士の争いになります。
集団同士がいがみ合います。これは派閥の深刻な対立の温床になります。これは悪い。
国家の罪だから、私刑を認めるか。私刑を加えても、国家の罪は消えません。国の罪に加えて、リンチも加わり
ますので、過度の罪です。リンチの代わりに猶予をされても、他の事件により再度罪を問われる。これは脅迫が加
わります。それなので、猶予されている間は隷属状態が続きますし、脅迫され続けるので、リンチは一切受ける言
われはありません。
悪い奴は自分で裁いて良いというのは相手にしてはいけません。
782 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 15:54:47 O
勘違いを利用する心理学の達人は放っておいても死ぬ。
783 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 15:59:56 O
身近にいる血統詐欺の法螺吹きをどうにかしてほしいです。
784 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 16:25:09 O
>>781 人権派の悪質な捏造に関しては、
人権派の中で解決すれば問題はない。
放置するから人権派=鬼畜になる。
>>784 判っておりませんね。人権派の私に鬼畜呼ばわりとは。
暴れ牛が真っ赤になって二本の角を振り回し始めたら、人間社会を守る為に放置できません。
好きなだけ暴れろというのが鬼畜様です。
786 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 16:44:07 O
偽善者は捏造やる前に血糖値下げろって。
善の為なら嘘をついていいというやさしさがあるでしょ。
体型の問題なのか。
788 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 16:53:11 O
善のためとはどういうことだ。
少なくともお前は血糖値が高い。
ダイエットしてもあまり変わってないみたいだが、
食欲が強過ぎる豚は善なのか
糖尿気味ですかね。糖尿は緑内障になるといいますよ。
目の圧力が強すぎると眼球が濁ってものが見えなくなる、輪郭がボヤけてみえて泥まみれの生き物に
見えるだとか。
そういう人を目の前にするとこうなりたくないなあ、って思われるそうです。
790 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 17:00:35 O
それは悪行ですな。
他人の悪行を裁くタマじゃない。
791 :
考える名無しさん:2008/06/13(金) 18:52:54 O
痩せても皮が余るからどうしようもないね。
なぜ1+1は2なのか?って訊いても全然釣れないのに
なんでこの質問だとスレ伸びるん?
自分の良心を挑発されるからじゃない?
795 :
793:2008/06/13(金) 23:41:26 0
>>794 何が気に障ったの?
実際そうでしょ?
少なくとも自分はそうだったけど。
>>793のようなレスは、普通
>>794が揶揄してるような動機から書かれるからな
本当に良心に従って書きたくなっただけなら問題ないだろう
良心ってのは、倫理の問題でしょ。
倫理も哲学の一部だけど。
うおおおまともなレスがついとる
>>745 驚いた!
いや他にも同意してくれてる人いたが、ちゃんと文章として書いてるのはびっくりした。
なんのかんの言いつつ、ここは哲学板ってことか・・・
800 :
792:2008/06/14(土) 00:29:32 0
まともにレス読んでない流れ者で、すいませんw
自分も
>>682に同意というか"いけない"を辞書引けば早いだろって考えだが
この文には何というか言葉の定義がぶれて見えるような
釣りに応用できそうな優秀な仕掛けがあると思うのだが
この文がどの文のことかよくわからんです
スレタイw
803 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 01:00:49 O
偽の前提なら全て真になることは、お前が王将なら俺は信長だという言い回しの一般化だから、
論理ごときで人間を縛り付けることは、コレステロールで身体が動かなくなることに等しい。
>>799 自分に同意する者には感激して、自分に反論する者は馬鹿扱いか
めでたい奴だな
>>800 ほとんどの人間は一般的なルールを理解できるが、それを理解できない・理解できない状態に陥っている人間に対して
「根本となる」理由を、どう説明するかを考えている人間もいて
それは、突き詰めてしまえば極めて困難であり、場合によっては不可能ではないかとも思えるのだが
>>682では、一般的に理解できる価値観を共有する、という前提に基づく説明だから
「いちいち説明する必要無いじゃん」という理解は、極めて正しい。
>>805 > 「根本となる」理由を、どう説明するかを考えている人間もいて
> それは、突き詰めてしまえば極めて困難であり、場合によっては不可能ではないかとも思えるのだが
つーか、ここで議論が予定されているのは、その「極めて困難であり、場合に
よっては不可能ではないかとも思える」根本となる理由の方だろ。哲学板で突
き詰めないでどうするっていう。
>>806 まず彼らには
>>795で俺が書いたような事を表明してからじゃないと
まともな議論にはならないんだと思うよ。
ちょっと生命の価値を疑う程度でも許せないみたいだから。
勝手に人を人でなしみたいに位置づけて嘲笑と悪罵を投げつけてくるからね。
そういう人らに言いたいけどもうちょっと謙虚になったほうがいいよ。
自分の意見が間違ってるかも知れないからこそ議論に意味があるんだから
相手をしてくれる人にはとりあえずの敬意を払わないと。
少なくともおれはそうしてるつもりだよ。
>>806 いやいや、俺は「突き詰めるべき派」なんだよ。
『「いちいち説明する必要無いじゃん」という理解は、極めて正しい。』というのは皮肉です。
例えば、口にしたら死ぬから、「口にしてはいけない」と書かれた毒物があったとする。
一般的な人間は、禁止に従い口にはしないが、中には「口にしてみなければわからないではないか」
と確信している人間がいるであろうという想像がつき
そういう人間は、実際に口にして人が死ななきゃ納得できないような人間であろうという想像がつく。
そういう、実際の不利益を、実際に確認しなければ済まないような人間にとっては
「人を殺してはいけない」という禁止は、実際に確認する必要が出てしまう。
つまり、「誰かが人を殺して罰を受ける」という他人の経験を、自分の経験として納得できないわけだ。
>>682-683は、普通の人間であれば納得できるようなことを、事細かに説明しているだけなんだな。
809 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 13:43:46 0
>>1 実体のない、抽象的な議論をこんなとこでしたって仕方ないでしょ。
実体のないもの=抽象概念は結局のとこ自分で解決を図るしかないんだし、
ようはスタンスの問題。
類としてのヒトは出来事より先には生まれないし、これを具体的運営的な
レベルで議論するのが民法刑法の全部露出/一部露出の議論。
社会が民主主義である限り、その際の決定主体は民意=議会選挙であり、
すべて社会成員はその決定事項に従属する義務がある。
つまりルール(法律)は常に社会成員による淘汰を受けているわけで、
それは「不磨の大典」と呼ばれる憲法ですら例外ではない。
またひとつのルールはその基盤となる別次元のルールによっても
規定されてて、これは突き詰めてくと「存在」のルールに規定されてる
ように、現段階では見える。
「存在」を支えてるのは偶然性だし、偶然性というからには
それを破壊してはいけないという必然性はないでしょ。
810 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 14:01:49 O
試してみたい人は試すんじゃないかな。
ウンコの味を知りたい子供は実際食べて腹壊してるわけだし。
そう、子供なんかは、大きな不利益を被らない程度に、禁止すべき行為を体験させることが出来れば
禁止の意味を自分のものにすることが出来る可能性が極めて高い。
これは、言葉よりもはるかに効果的なんだけど、実際に体験させるわけにはいかない禁止事項だと問題になる。
812 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 14:15:27 0
813 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 14:22:11 O
しかしウンコを食べている人間が、ウンコ食べることを禁止出来ないと思うけどね。
体験することで、禁止の意味を理解する例ではないのか?
ウンコを食べることは、アプリオリにいけないことではなさそうだからな。
だから、「人を殺す」の議論における、定言命法ってのは、言い方は悪いが便利な概念。
815 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 15:12:52 0
ウンコは食べると腹壊すけど、人肉ならいいだろ。きっと、焼くと美味いんじゃないか?
死刑になりたくて人を殺す人間なんかにとっては
死ぬことは利益として認知されていそうだな
817 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 15:30:46 0
人肉食は繰り返していくとBSEみたいな病気を引き起こすっていう説があるが、
本当なんだろうか?
818 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 15:52:29 0
嘘だろ。
その病気になる説自体が滅多に起きないことを元にしている。
つまりアメリカ食肉業界へ圧力をかける政治・貿易摩擦の一つと捉えたらどうだ?
819 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 16:00:18 0
「人肉食を繰り返すと病気になる」という説が、どうしてアメリカ食肉業界への圧力になるんだ?
それを話すと長くなるけど、何も知らないなら首を突っ込まない方が身のためだよ
821 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 16:23:57 0
ますます分からん。「首を突っ込む」ってのはここでその点について、
議論することかね? それをしたりしなかったりすると、身のためになったり、
ならなかったりするのかね? ひょっとして頭おかしい人?
822 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 17:38:43 O
美味いとして、病気の心配なし、何より経済効果が見込めるとすれば、
恐らく一般の食卓にのぼることも夢の話ではなかろう。
823 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 17:38:44 0
>>806>>808 「普通の人間であれば納得できるようなことを、事細かに説明しているだけ」とか偉そうに言ってるけど、
お前は
>>682-683の説明理解できてないようだが。お前は普通の人間より頭の程度が劣るんだなw
ていうか、
>>682-683に答え出されて悔しがってるだけにしか見えないよ。
書かれてから簡単とか言うのはサルでもできるよw
>>804>>807 実際あんたらしょーもなさすぎだろw
>>727「
>>726 こういう議論において、哲学風吹かしながら言ってもいないことを言ったことにして反論するような奴は、
バカというより人として最低だろう。「命を特別扱いさせるような「何か」の探求こそが重要だろう。」などと、わかった風を
気取ってデタラメ書くような奴は最低だ。前後の文脈を追ってみろよ。689のダメさ加減が痛いほど分かるから。」
図星じゃないか、ログみてみろよw
>>823 >書かれてから簡単とか言うのはサルでもできる
「突き詰める」って、何のことはない、人殺しが起きるケースをあげつらってるだけのことだからね
ところで、すでに指摘されてたけど、ちゃんとしたレスがつくと「殺す」話に固執する動きが必ず出てくるのはなんでだろ
前からこの手のスレは哲学板に定期的に立つけど、基本的に「殺人できる」
ことを合理化してスカッとしたい人と、悪ふざけしてる人が集まりやすい
傾向があると思う。
「哲学」は、合理化する動機(実存的不満)をカモフラージュするのに都合の
いい道具で、まれに
>>682-683や
>>745のような意見が書かれて合理化が
危機に陥ると決まって呼び出される。
795の中の人は、
>>807で
>>795を表明したことを得意がってるけど、
不思議なことに、
>>796みたいなレスがついたことを無視してるんだよね。
何を考えているか、わかろうというもの。
せいぜい3人程度の頭のおかしい人が、しつこくまわしてる感じだよ。
もちろん長い目でみれば中の人は変わってるだろうけど。
少なくとも何年も同一人が
>>808のようなレスをつけ続けてる感じはある。
>ちゃんとしたレスがつくと「殺す」話に固執する動きが必ず出てくるのはなんでだろ
もともとそれが目的のやつが「哲学」するスレだからな
まあ、どう見ても実存的不満から出発して「哲学」者面して「世間」を見返した気になりたいバカの憩いの場って感じだよな
世間がろくでもないにしても、もっと他に考えることあるだろって感じ
>>823 そもそも「普通の人間であれば納得できるようなこと」を「事細かに説明」するのは難しい
普通の人間であれば「当たり前」としかいえない(それこそ
>>805-808みたいに)
「当たり前」ですます人は理解しているとも限らない、ていうかたいてい理解できてない(それこそ
>>805-808みたいに)
ところで、結局
>>800の「この文」ってなんだったの?スレタイ?
スレタイだったら、別に優秀な仕掛けでもなんでもないと思うけど
830 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 19:14:35 0
そもそも哲学って世間を見返した気になりたい自分では頭がいいつもりのバカがするもんだからな。
>>682-683でとっくに結論が出ているのにまだごちゃごちゃ言ってるw
>>829のスレ、902に911で「納得」した後に920、931はありがちな流れだな。
「こういう犯人は単に射殺対象ですよ。」とかが本当に好きだからな、キティガイは。
>>682-683はれっきとした哲学的議論だと思うんだけど
まあ書いた方は「問題と無関係」って言うだろうし、もちろんその通りではあるのだけど
このスレのなんちゃって哲学を、そのへんの哲学と一緒にするのはちょっとどうかと
833 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 19:50:45 0
>>830 哲学板自体がせいぜい10人程度の頭のおかしい人がしつこくまわしてる感じだよ。
>>832 大江健三郎にニーチェ本で噛み付いたような永井みたいな
なんちゃって哲学者が増えて困るよなw
>>828訂正
>>805-808→
>>805-809 スマソ
>>809は
>>825の人がいっているような動機がよく出たレスだね
簡単に言えば、人が生きていることは偶然なら、人は死ぬことも偶然、となるところで、
人をわざと殺すのも偶然、と混乱させている
ここには、明らかに偶然と意図的な破壊を結び付けたいという、809の実存的な動機が働いてるね
こんなのは哲学とはいわない。知的能力の面で異常を来たしているだけ
>>682-683の人が「問題の処理の仕方に関する、論理的な誤り」と表現してる点は重要だと思う
>>833 10人はないんじゃ(^^;;
ただ目立つのはそれぐらいだけど
836 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 20:03:24 0
>>834 そもそも哲学に興味持つ奴なんて頭がおかしい馬鹿に決まってるんだよwww
837 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 20:04:05 0
>>834 たしかに永井はビミョーだが大江は哲学者じゃなかろう。
なんか、死ね死ね団の人が風向きが悪くなってきたので哲学叩きに話をすりかえたがってるように見えるんですが、気のせい?
>>838 682のせいで哲学のなかみがいれかわったからな
840 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 20:07:29 0
くだらない。「人を殺してはいけない」なんて法も倫理も今の日本にはない。
キリスト教社会ならともかく、少なくとも今の日本ではまだまだコンセンサスを得られていない。
843 :
考える名無しさん:2008/06/14(土) 20:17:21 0
わざと荒らしてる感ありありだな。だが大江の話は永井の「これがニーチェだ」に
(なぜ人を殺してはいけないのか、に関して)出てくる話の事を指しているんだろう、多分。
まあ、なんというか、終わったな
>>809とか何気にオウムとかそれ系のカルトの匂いがするよな
しゃれにならん
1人で暴れているのが、丸わかりなのだが…
1人で暴れているのが、丸わかりなのだが…
852 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 00:09:44 0
人を殺してはいけないなんて、法律上のことだけ。
法律は、皆がスムーズに生きるためのルール。
この世にダメとかイイとか善悪とかない。
それは根拠なしの固定観念、もしくは生理的感情。
少なくとも原始時代にそんなのなかったのだから今もないだろう。
と「俺は」思う。
でも団体の中で人を殺したらまちがいなく孤立するだろうね。
固定観念にとらわれない哲学板の皆が大好きだ。
>哲学板の皆が大好きだ。
必死だなとしか言いようがない
854 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 00:18:52 0
ごめん。ただ親にも「狂ってる」って言われたばかりで・・・
そういう気分なんだ。。。
>>852 そのうえで善悪という感覚を大切にできるかどうかだな。
>>856 なんだ、そこまではわかってるんじゃん。
すまん、暴れてる人と勘違いした
あーなるほど。
861 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 01:47:09 0
>>852 >この世にダメとかイイとか善悪とかない。
じゃあ、あんた、物を選んだり決めたりするときに、どうやって決めてるの?
エポケーでしょう。
863 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 12:28:44 O
勘違いした集団が襲ってきそうな時は、必殺仕事人を送るしか身を守る方法はないね。
勘違いを嘆いてるだけじゃそのまま殺されちゃうよ。
やっぱりぃ!?
865 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 12:58:46 0
まだやってんのかw
もんだいは、どうやってムカツク奴を殺す(始末する)かってことだと思うんだけど。どお?
866 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:12:54 0
俺は自分だけは誰にもムカツク奴だと思われてないと思える自身がない。
867 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:18:00 0
>>862 自分の欲求の優先順位を考えて、決めますよ。
あと、自分の好き嫌い
868 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:23:12 O
ムカツクだけで人殺すって、土人や動物にさえ滅多にいないと思うが。
869 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:26:05 0
ムカツクってのは自分の欲求の邪魔になるってことだろ?
じゃあそれを排除するのは当然だとおもうけど
ただ捕まるとか他人から孤立するとか、もっとマイナス面がうまれてくるからやらない人が多い
870 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:27:35 0
何か利益あるときの人殺しを「殺しだ」というか?
人じゃなくても、ブタとか牛は殺されてるなんて思わないしな。
人殺しは、怨恨つまり「あいつムカツク!!」以外ありえないと思うよ。
「あいつムカツク!!」なのに殺しをしない奴は人間じゃないだろうな。そういう奴は産む機械ぐらいかなw
871 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:28:31 O
欲求というのは例えば何かな。
872 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:29:09 0
囚人のジレンマとか呉越同舟とか、「邪魔者を排除すること」が、
必ずしも自分の欲求の実現に繋がらないことは多い。
873 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:29:12 0
ちょっと短すぎたか。
ブタとか牛はが殺されていても、他人から見れば「あれは殺されてる」なんて思わないしな。
かな。
874 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:30:24 0
たとえば?人間の行動の根本は全て欲求ですよ?
875 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:31:37 O
>>873 つまりコレステロールや体脂肪率で人間か否かを定義出来るということか
876 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:32:22 0
法律で止めらてるわけじゃないし、好きなだけ殺しをしなよ
まずは身近な野良猫をサラダ油をかけて火あぶりとかでいいんじゃないの?
あの…誰だったか…堀江ブタとかもたしか殺しをやってるし、「殺してはいけません」とか、気にしすぎじゃないの?
1は加藤ちゃんの孤独なメッセージだったりして。
878 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:34:18 O
猫は美しいから無理ですね。
豚なら出来るかも知れないが。
879 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:38:48 0
>>871 すいません。質問に答えられていませんね。
たとえば、「仲間たちと楽しく暮らしたい」という欲求の中で、
ほかのやつが割り込んで来て、空気の読めない行動を起こしたあげく、
仲間たちがバラバラになってしまった。とかですかね。
>>872 とは意見が合いそうですね
880 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:42:41 0
>>878 なんだ、ニーチェかよw
猫がやなら野良犬でいいしょ。秋田犬みたいなのを焼き殺すなら、なお良し!
881 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 13:45:15 O
>>880 ニーチェは読んだことがないな。
ニーチェ好きの猫殺しが知り合いにいたが豚みたいな奴だったよ。
猫は美味しくないから。
そんな話してると、また興奮した奴に荒らされるぞwww
884 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:04:39 0
いやいや、そういう興奮したやつらこそが本当の芸術だと思わないか?
ネコを、イヌを、みなで焼き殺して「狂喜乱舞」のまさに血祭り。
アキバにいたあいつの脳みそが丸見えだし…そういう奴って、いつもヨダレが垂れてるでしょ
たぶん、日本刀とかあると「スパッ」と切断できるし喜ぶんじゃないか?
やっぱり怖いのは警察でしょ。
あの重そうな制服みてるとこっちも憂鬱になるんだよね。制服の色も重苦しいし。
886 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:10:11 O
猫殺しは結構冷静だし冷徹だね。
887 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:14:44 0
そういえば、嘘泣きも得意だったね
888 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:18:37 0
興奮してきた
興奮してきた
興奮してきたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああ・・??????・fr:・:え・f・
889 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:25:03 O
まあ俺の中では猫が一番にあって次に天皇、人間、その他動物の順番かな。
本来は全き平等なんだろうけど、教育や環境のせいでこうなった。
890 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:27:53 0
近所のノラ猫、病気持ちばかりで怖い。
疥癬に猫白血ウィルス、猫風邪にあと何か知らんが顔が膨れ上がって
クシャミばかりしてるやつとか、奇形がやたら多くて萎える。
891 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:29:36 0
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあ
892 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:32:45 O
どんな汚い猫も美しく感じられるのは何故か分からない。
哲学でさえ手のつけられない不思議な生き物だ。
天皇を不満に思う人もいるが殺したいとは思わない。
人間の中には殺したいと思う者がある。
その他動物への扱いは各自の倫理観に従うこと。
893 :
阿修羅∞落とし:2008/06/15(日) 14:32:46 0
猫猫猫猫
894 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:40:44 0
警察缶ってのは、人殺しより猫殺しをしたことある奴を警戒するんだよね。そういう奴の方ががよっぽどキケンだからw
895 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:41:31 0
結局「人殺しをしなければならない」ってことでFA
天皇は殺しちゃいかんだろww
897 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:43:11 0
人間性を殺しているのが国だから仕方ない
898 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:47:51 0
なんで国だとしょうがないんだろ。
猫は発情すると奇声を発するし、喧嘩もするでしょ。
近所迷惑なんだよな。天皇を焼き殺そうと考えてるなら、近所迷惑な猫の方を焼き殺してくれないか?誰でもいいから
>>863 アメリカだと、仕事人なんかに頼らなくても、銃で身を守る権利が保証されてる。
901 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:54:46 0
しょうりゅうけん
902 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 14:55:05 0
病気
↓
903 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:02:43 0
日本等を所持するには銃刀法により厳しく規制されているため所管警察署の厳正な承認手続きに基づいて所持してなければなりません
904 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:05:05 O
>>900 植民地から同化への時間は相当長いと思うが。
さて、次スレは必要でしょうか?
906 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:06:40 0
さもなくば制止に入った警察官に対して違法所持の日本刀を使って狂気のあまり警官を切りつけ警官の腕などを「スパ」っと切り取ってしまう恐れがあるからです
908 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:08:21 0
はどうけん
909 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:17:00 0
終わらないんだよ、人殺しが何故いけないのか?疑問があるうちは終われないんだよ・・
910 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:18:06 0
ところで「人殺しが何故いけないのか?」ですけど、どこの誰がいってるんですか?
それがわからないことには、答え様が無いんですけど…
912 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:21:46 0
日本刀は刃先に止まった「ハエ」すらも真っ二つにしちゃうからね〜
913 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:22:31 0
直接的に殺すことに関しては罰して、間接的なら罰せられない
914 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:22:56 O
人間家畜化時代に於いては、自分が人間かどうかを確認した上でってことかね
915 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:26:41 0
猫をいじめてる奴を殺すのに、何のためらがあるんだよw
日本刀なら一振りでいいんだよ
916 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:33:16 0
人殺しやるのは絶対ダメらのれす
>>910 そういう曖昧な質問をする人間を想定した上での話だから、厳密に哲学的な議論は不可能だな。
しかも、そういう曖昧な質問をする人間を想定した場合、厳密な論を立てたとしても
それが受け入れられるかどうかは、はなはだ疑問だ。
個人的には、「哲学気分で話すスレ」と受け止めているが
そういう話をすること自体が気に食わない人間が、若干いて
そういう話をするのは「死ね死ね団」ということのようだ。
918 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:39:32 O
死ね死ね団ならかわいいものだし、本質をついている。
919 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 15:57:40 O
猫殺しの豚を殺すことには世界的なニーズがある。
920 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:09:39 0
空き巣がある家に押し入った。住人は寝ていた。
住人は物音に起きたが、空き巣は住人にまだ気づいていない。
驚いた住人は飛び起きた。その拍子に空き巣は転び、頭を強く打って死んでしまった。
住人が防衛のために空き巣を押しのけたりしたのだとしたら
正当防衛とはいえ殺人となる。
住人にその意志がなければ、空き巣のただの不注意だといえる。
またこれを殺人だとするなら、そして殺人すべてが罪だとするなら住人は罪人だ。
>>900 逆にいうと、守る自己責任を持たされてる
>>921 銃乱射事件なんかが起きても、「銃を規制すべきだ」って意見より
「身を護るために銃を所持する必要性を感じた」って意見が多いように見えるしな。
923 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:27:55 O
そもそもアメの論法だと最終的に各自が小型水爆を所持する必要性に迫られる。
924 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:32:46 0
「殺すな」「盗むな」「騙すな」がほとんどの共同体に共通する禁止令かな?
その他に「暴力」や「侮蔑」も禁じるところは少なくない。
これらは
>>682 の言うように“不利益”を生じてしまうからだ。が、「盗むな」
以下は懇請や(事後的であっても)同意があれば“罪”にはならない。
「殺すな」だけが仮にそれが相手から請われたものであっても“犯罪”とされる。
>>682 はその理由を示していないように思うのだが…。
925 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 16:35:26 0
人を殺してもよい。むしろ殺したほうがいい。地球上の人口60億は
多すぎる。日本の1億2700万も多すぎる。今地球上で問題になって
いる、温暖化、環境破壊、食料問題、エネルギー問題すべて、人間が
多すぎるから起こっていることだ。大量に殺して人間の数を減らした方が
いろんな問題が解決するからいい。
926 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 17:29:59 0
問題が解決するとなぜいいの?
927 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 19:09:58 0
それで、どうやって殺そうか。誰か考えてくれた?
929 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 21:35:50 0
中国とインドが戦争すれば
相当減ると思われ
殺されることの不利益を指摘するだけでは足りないでしょう。
自分がそうだというわけじゃなく、相手を殺して自分はうまく立ち回って殺されないように
すればいい、と考える人もいるはず。
殺した時の罪悪感を想像できるような育て方をしないとろくな人間にならないと思うが。
931 :
考える名無しさん:2008/06/15(日) 21:49:08 0
人殺しを我慢させて育てると、秋葉原の犯人みたく歪んじゃうんじゃなかったのか?
>>924 やはりね、「人が死ぬ」ってことは、特別な位置付けにあると考えるのが妥当だよ。
「いけない」ことが等しく「いけない」のであれば、刑の多寡を合理的に説明できなくなる。
刑の多寡を合理的に説明するためには、価値の序列という不合理さを導入しなければならない。
「論理や文法の問題」といった、価値判断の伴わない、いわば平等な解釈においては
「人を殺してはいけない」ことの「特別性」がわからない人間と、無意識のうちに結託してしまっている。
933 :
689:2008/06/16(月) 03:13:58 0
>>932 > やはりね、「人が死ぬ」ってことは、特別な位置付けにあると考えるのが妥当だよ。
この点に関しては基本的に同意…かな。
> 「いけない」ことが等しく「いけない」のであれば、刑の多寡を合理的に説明できなくなる。
> 刑の多寡を合理的に説明するためには、価値の序列という不合理さを導入しなければならない。
ただ、これは?全ての犯罪で刑の軽重の序列がつけられるわけで、人の命の特
殊性の論証にはならないんじゃないかと思う。
「人を殺す」ってのは、「その人の肉体を滅ぼすだけ」じゃないからなあ。
935 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 14:58:32 O
日本刀と広辞苑
936 :
考える名無しさん:2008/06/16(月) 20:50:34 0
「隣の家に囲いができたんだってねぇ?」
「やぁねぇ〜」
アメリカにおいて、治療拒否は司法制度において自殺とみなされたことはなく
蘇生不要(DNR)指示に基づいて担当医が治療を中止することは自殺幇助とみなされたことはない。
法的に有効な蘇生不要(DNR)指示を医師などが拒否することは違法であり民法や刑法の処罰の対象となりうる。
うーん、国によってかなり事情が違いますね。
古来より人を殺してはいけないなんて法はない。
厳密に言うと人を殺してもよい。
ただ人間の法は(共同社会化においてのみ)、殺してはいけない
という法に適用される。
要するに、殺してもよいのだが、殺人が横行すると、
世は荒び、身の危険が危うくなるので、決まり事を作った。
共同社会として成り立たなくなる恐れがあるので、作る必要がある。
「人を殺していけない、なんてことはない」ではなく
「ある一定の状況下では、人を殺した事実が赦される」だな。
法学なら別板があるよ?
誘導までされたい?
940 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 03:56:52 0
941 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 04:14:43 O
しかしへし折ればいいのに切るっていう時間手間かけるのは美的理由でもあるのかな。
重いしねえ。
942 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 10:39:33 0
いやいや、赤子の首はひねるだけでおけ。一回転させれば首なんかもげちゃうからw
ほとんどの人間は「自分を殺してはいけない」と考えている。
理由は死にたくないからw
これを総計すると「人を殺してはいけない」となる。
944 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 10:46:19 0
女児連続殺人事件の宮崎勤死刑囚の死刑が執行されましたね
945 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 11:01:14 0
>>943 ほとんどの人間は殺されたくないと思っている。
だから、ほとんどの人間は、
自分以外の人間が「人を殺してはいけない」というルールを守る
ことを望む、だったらわかるが、
これは直接には、自分がそのルールを守る理由にならないね。
>>945 あるルールが存在している理由と、自分がそれを守るかどうかは、全く別問題。
「人を殺してはいけない」というルールについて言えば、
1.自分以外のすべての人間が、自分がそのルールを守ることを望んでいる、
という認識がもたらすプレッシャー。
2.その背後にある刑罰という物理的精神的不利益。
3.そもそも、「人を殺したい」という欲求や、目的を達成する手段として
人を殺す必要性自体が、あまり一般的なものではない。
等の理由で、守る人の方が多い。無論、上記の理由を押し切って人を殺して
しまう人もいる。しかし、それと「人を殺してはいけない」こととは関係ない。
ちなみに、そういう人は「人を殺してはいけない」ことは承知の上で殺して
いるのだから、殺人犯に対して「なぜ人を殺してはいけないのか」について
説教するのは、全くの無駄である。むしろ
1.人を殺すといかにひどい報復を受けるか思い知らせる。
2.人を殺したいという欲求が起こらない方法(または起こっても我慢する方法)
を教える。
3.人を殺す以外の方法で目的を達成する方法を教える(具体的には
仕事や住居を確保して強盗の必要がないようにするとか)。
などの方が、ずっと有効である。
947 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 12:58:17 0
いや、グダグダいうよりも殺した方が早いんじゃない?
難しいことを考えることもなくなって、スッキリするよ
うん。やっちゃいなよ
949 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 13:28:13 O
必殺仕事人みたいな美意識や倫理観がないと
ただの気持ち悪い殺人鬼だからね〜。
950 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 13:39:56 0
必殺仕事人ってなに?
951 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 13:47:33 0
秋葉原の奴は、瞬時(2分?)に7人を始末してるわけだし、ある意味芸術だよな
952 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 13:55:14 O
秋葉原の人は単独テロだったろうと思うが。
954 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:07:04 0
>>944 鳩山は正義を貫いたとの発言をしていたが、死刑執行が本当にそうなら、
法相自ら死刑執行の役目を果たし、範を示せばいい。正義の実践と言いつつ、
自分の手で死刑囚の首を吊るのはいやなのではないか。
彼自身はゆったりとした椅子にふんぞりかえり、手下に穢れ役をやらせて
いるというイメージは拭い去れない。
陪審員制度も悪くはないが、国民ひとり一人に死刑執行の役を勤めさせる
というのはどうよ? 死刑制度を続けるのなら。
955 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:11:39 0
君が今でもニートなのは、テレビの見すぎで君の頭がテレビに洗脳されちゃったからだと思うよ
956 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:12:59 0
ころせ
正直言うが、死刑執行人など、「日給5千円」で公募すれば
希望者はいくらでもいると思う。
死刑廃止論者の人で「誰でもいやがるに決まっている」と主張する人が
よくいるが、何を根拠にそう思っているのだろうか。
958 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:18:45 O
高血糖と神経症では無理と思うが。
959 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:19:17 0
>>957 で、君は五千円でやるのか。正義の実行だから、当然、公開されるが…。
960 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:24:40 0
>>957 そんなに抵抗感がないのなら、五千円の日当を出して
国民皆死刑執行人制度を導入することには意味があるね。w
>>959 いや、正直言うが、俺は喜んでやる。週末のバイトとしては結構なものだ。
ちなみに、現状では死刑は非公開だとは思うが。
962 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:29:09 0
>>957 正しいことなのに、どうしてカネをとるの? ボランティアでやりなさい。
君の意見は、五千円くれて、あとで咎められないのなら人を殺します、ということね。
963 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:31:19 0
964 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:33:45 0
>>961 正義の味方なのだから、名前くらいは公表すべき。
こそこそやると、むしろ問題を残しやすい。
このスレの左翼って発狂し過ぎだよね
966 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:35:06 0
左翼は保守や右翼からすれば発狂しているように見えるかもな。
天才と何とかは紙一重。
967 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:37:10 O
何が左翼で何が右翼なのか分からんね。
左翼って、普通に話ができない人ばかりだよね。
969 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:43:22 0
>>968 お前がレベルを上げれば話せるようになるよ^^
970 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:44:22 O
左翼、特に共産主義者は頭の先から爪の先まで西欧風の論理だけで出来ているからな。
右翼は日本独自の論理を持っている。話が通じるわけない。
>>962 正しいかどうかなんて関係ない。なんでただで働かねばならんのだw
罪もない人を殺すのも嫌だぞ。ちなみに、日当五千円で家畜のトサツ場や
原子力発電所で働けと言われても嫌だ。林業や農業でも気が進まない。
どうしても他に仕事がなければ仕方がないがw
>>969 ほら、「普通」に話ができない。
だから、一般市民が愛想を尽かすんだよね。
973 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:47:24 0
>>970 >日本独自の論理
そんなものがあると思っているのが右翼の幻想w
左翼「賢い僕たちを、理解できない方が間違ってるんだ!」
975 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 14:50:58 O
しかし事態は悪展したわけだよな。
今までは少なくとも日本では右翼様が冷静になれたが
左翼の謀略によってグローバル化したから、
もう日本独自の論理は通じない。
発狂するは右翼の方かも知れん。しかしアジア人は発狂しやすい。
確かに、左翼というより、日本いや「アジアの左翼」が愚かなのかもしれないね。
ウヨサヨ話してる連中はいったいなんなんだ
上の方でも唐突にそんなこと言い出してるヴァカがいたよな
979 :
977:2008/06/17(火) 15:14:22 0
スマソ
>>946がけっこういい説明してたね
無視した感じになっちゃった、ごめん
(ただ946が「人を殺してはいけない」というルール としたのは不正確かと)
981 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 15:20:37 O
東條英機先生の無念を晴らすため、立ち上がる。
振り出しから始まって、いきなり振り出しに戻すつもりかwwwww
985 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 15:31:03 O
死刑制度見直しには疑問を感じる。
誤って死刑した場合は、誤った奴を死刑すればいい。
死刑廃止などナンセンス。
Oで検索するとすげーおもしれー検索結果が出る件
「なぜ人を殺してはいけないのか?」
↓
「人を殺す」ってのは、特別なんだからじゃね?
↓
>>682-683→『「人を殺しては」いけない』ではなく、『「○○は」いけない』という命題の分析
↓
「人を殺す」ことが特別じゃないなら、
>>1と変わらないんじゃね?
↓
振り出しに戻る
989 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 15:40:32 O
東條英機先生を殺したのはどんな連中だったかな。
>>986 >>712で否定しているから、定言命法の人とは違うと思うよ。
「偽ってはいけない」って定言命法だから。
991 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 15:51:07 O
まあ高血糖と高コレステロール、神経症では無理ですね。
992 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 16:02:09 O
「血糖値を上げてはいけない」も?
つーか、
>>682-683の命題分析も相当怪しいぜ?菓子同封の乾燥剤を食った場合
の不利益は十分一般的だが、「乾燥剤食うな」は別にルールじゃないだろう。
「〜するな」が規範たる性質を有するかどうかは、何も不利益の一般性だけで
決まるわけじゃなかろう。
何より哲学板での「なぜ人を殺してはいけないのか」の答えが、「法益保護」
みたいな刑法の教科書に載っているようなシロモノで良いのかね?
994 :
考える名無しさん:2008/06/17(火) 17:03:21 0
>>993 「乾燥剤食うな」が当然ルールだと考えるのがおかしいと、当の682-683自身が断ってるわけだが
あとは
>>825が書いてる通りだな
命題分析とかそれっぽい言葉使えば、バカを悟られないと思ってるのか
勘違いすんなバカ
>>993 乾燥剤食うなはルールじゃないって682に書いてあるんだけど
>>993-994 いや、そうじゃなく…。
>>682には「不利益が一般的ならルールになる」みたい
なこと書いてあるでしょ。乾燥剤食う不利益は一般的じゃーないんですかって
ことだよ。
> 命題分析とかそれっぽい言葉使えば、バカを悟られないと思ってるのか
そこに反応されましても…。
>>987に「命題の分析」ってあったからさ。
>>990 君の前後にもある、頭のおかしいレス主のことを言ってるんじゃないの?
>>993>>996 すでにレスついてる通り、当の682-683自身が、「〜はいけない」は必ずルールであるわけではないと書いてるし、
規範たる性質(993みたいな人が言うと冗談みたいだけど)があるかどうかなんて、
>>682-683は問題にしてないし
問題にする必要も無いという考えでしょ。
>>720>>732 スレの終わりにきて、993みたいなの書いて「有終の美」でも飾りたかったのかね〜
バカみたい。。
>>996 そういえば、何回指摘されても「ルール」に重きを置く勘違いをしつづけたバカがいたっけな
だってルールって規範たる性質を有するってことだろ?
>>682-683の人、こっそり自賛してる?「バカ」使用頻度の高さからして、
どうしてもそう思っちゃうんだけど。
>>999 >
>>682-683の人、こっそり自賛してる?「バカ」使用頻度の高さからして、
> どうしてもそう思っちゃうんだけど。
確実にそうだろw
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。