1 :
考える名無しさん :
2008/05/01(木) 15:59:37 0 底が浅過ぎる人生
2 :
考える名無しさん :2008/05/01(木) 15:59:58 0
そです珍古的ミスチル・チンチン思想です
それなら、バカで底が浅くて、金魚みたいに浅瀬を泳いでる方がマシです。
miss散る
時津風部屋の親方ぐるみの新人リンチ殺人事件や 花田家骨肉のドロドロ確執や不倫騒動や 貴乃花ステロイド抜けたらガリガリで横チンを公共電波に晒したり 土俵に力水はいたり尻の穴ほじくった手でツッパリして相手をひるませたり 自分で隠し持っていた山響株を兄が盗んだと騒いだりするより 子供たちとの草サッカー の方が力士としての品格に欠け 極悪な犯罪とされてしまう。 これがル・サウンチマン(=知的ルサンチマン)に苛まれた知的土人のまじない師どもが 日夜アホダラ経を唱えるサル・パラダイス、 日本なのだよ。
7 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 00:48:43 O
おれミスチルファンだから逆に困るスレだな
8 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 01:31:20 0
みんな知らないだろうが、ミスチルは俺様のために存在したバンドだ。
9 :
↑ :2008/05/02(金) 01:33:55 0
じそれゃ、早く飛び降りろ お前の生き様は恥ずかしい 迷惑
10 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 01:35:56 0
11 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 01:40:14 0
ル・サンチマン™ というあまりにも的確な呼称に対して「いちいちムキにな」ってる奴が一匹だけいるよね。 そいつが ル・サンチマン™ なんだよ。 わかったか。おれの草マラにいちいちしゃぶりつくんじゃねえよ。
12 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 01:41:36 0
わかったか。おれの草マラにいちいちしゃぶりつくんじゃねえよ
13 :
汚らしい :2008/05/02(金) 01:41:54 0
肥満児だな うわぁっ恥ずかしい 関わっちった。えんがちょ
たわけ。 ル・サンチマン™ というあまりにも的確な呼称に対して「いちいちムキにな」ってる奴が一匹だけいるよね。 そいつが ル・サンチマン™ なんだよ。淫靡なんだよ。 わかったか。おれの草マラにいちいちしゃぶりつくんじゃねえよ。
そです魔堕乱夜的プャ・プュンプュン思想です
16 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 19:34:34 O
Mr.Childrenのどんなところが偉大なのか、誰か説明してくれ。因みにMr.Childrenが偉大だ、というのは、どれくらい偉大なのか。 わざわざ哲学板に立てるくらいだから、哲学者よりは偉大だ、という意味もあるのか?
17 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 21:14:08 0
「偉大である」ということは主観的なことなので、あなたが「偉大でない」と考えたとしても 「偉大でない」ということはかぎりない。 私はミスチルは偉大であると考える。それを確かめるには聴いてみるしかない。
歌は思想の最前線を行っていると、昔は言われていたくらいだから (今では最前線な感じはしないな)、哲学との関わりもなくはないだろう。
19 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 21:27:22 0
ミスチルを持ち上げる人は変な人。 BOOMをきけ!
20 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 22:52:08 0
ミスチルは科学の世界で言うとアインシュタインくらい偉大だ。 その説明で十分だろう。
それはアインシュタインに失礼。 アインシュタインは科学界では革命を起こした人であり 20世紀を代表する人に選ばれた人だよ。 あいにくミスチルは革命的なことはやってないでしょう。 時代を象徴する人にもなれてない。
22 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 23:16:20 0
BOOMも良いがミスチルはやっぱ偉大だよ。 マシンガンをぶっ放せ、傘の下の君に告ぐ、掌の詞をよく読め
23 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 23:18:05 0
確かに偉大だ 小林武史は。
>>17 > 「偉大である」ということは主観的なことなので、あなたが「偉大でない」と考えたとしても「偉大でない」ということはかぎりない。私はミスチルは偉大であると考える。それを確かめるには聴いてみるしかない。
貴方が具体的に語らないのであれば私が具体的にやりましょう。
「タガタメ」という曲がある。佐世保市で起こったような児童同士の殺傷事件にヒントを得て作った曲だろう。因みに歌詞は次のようなもの。
「タガタメ」より抜粋
子供らを被害者に加害者にもせずに、この街で暮らすため、まず何をすべきだろう。でももし被害者に、加害者になったとき、出来ることといえば、涙を流し、瞼をはらし、祈るほかにないのか?
子供らを被害者に、加害者にもせずに、、この街で暮らすため、まず何をすべきだろう。でももしも被害者に、加害者になったとき、かろうじて出来ることは、相変わらず、性懲りもなく、愛すこと以外にない
(戦って 戦って)
(誰がため 戦って)
(戦って 誰 勝った)
(誰がためだ? 誰がためだ?)
(誰がため戦った?)
私は最初、「タガタメ」を聴いたとき、ひどく感動しました。子供同士の殺傷事件にたいし、シンガーソングライターが作品で取り上げ、結晶させた、というのは桜井が初めてだったろう。やりきれなさや、残虐な事件当事者への愛しみが湛えられた、名曲だと思った。
ただ、今、改めてこの曲を耳にして、子供の世界を含めた社会の壊れ方は、「タガタメ」のようなスタンスで向かい、カバーできる段階を越えたのではないか、という気がします。
今、私などが感じるのは、子供が<壊れる>ことにたいして、ヒューマニズムで対峙しないほうが良いのではないか、ということで、
今の子供が抱える問題というのは、生まれながらにして関係性の何処かが病んでいたり、そのために世界が最初から攻撃的な対象であったり、或いは、自分自身を攻撃してくる対象に見えたりするところにある。
佐世保市でクラスメイトを殺傷した女子は「バトルロワイヤル」のファンで、自分でも似たような小説を書いていた。それは彼女が、事件より前にそのような世界観に魅せられていたことを表している。この人にヒューマニズムは通用しないだろう。
25 :
考える名無しさん :2008/05/02(金) 23:22:14 0
小林武史あってのミスチル。
関係性が生まれた時から病んでいる、というのが、実はこの日本が抱えている、深層で進行している問題の一つではないか。そのような人間が癒えるには何が必要かといえば、それは甚だ難しいだろうとしか言えない。 同時に、社会の速度というのが、これまた関係性を壊す方向に加速しているような気がします。いちいち家族や他人に構ってられない、というのが皆の正直な感覚ではないか。これまた、個人がどうこう出来る問題じゃない気がする。 家族が<壊れ>、子供が<壊れ>、あらゆる関係性が<壊れ>、というのが目下、我々が見ている社会の風景ではないか。 それをアーティストはどう表現し、そこに生きている一人一人の心を映し出すことが出来るのか。ただ、そこまで過敏になると、作り辛くなるかもね。 そこまで過敏にはならずに作ろうとするならば、「タガタメ」のような作風も未だ有効だとも思います。ただ、それがどれだけ事態に対峙出来ているか、というと、自ずとそれは別になる。未だに胸を打つ部分と、もうこの段階は過ぎたのでは?という部分がある。 Mr.Childrenが立っている場所というのは、柔軟ではあるが、古典的でもあると思う。“皆でやれば世界は変わる”という夢を見させてくれる所がある。そんな、左翼みたいな所と、今の若者のような、冷笑的な所とが混在してるのが特徴だろう。 だけど、『シフクノオト』以降、彼らのスタンスは、時代と同伴するのを止めて、何かを守ろうとする、それは自分自身の生活であったり、家族であったり、アーティストという仕事であったり、するんだろうけど、どこまでも果てまで突き進む、てスタンスは今はない。 いや、昔からそんな先端的な人間ではなかったよ、というのがファンの見方かもしれないが、私は彼らに過剰に期待していたせいで、だんだん興味が失せていった。私の方が彼らより病んでいたり、ニヒリズムに落ち込んでいるせいもあるんだろうが。 というのが目下、私がMr.Childrenについて語り得る所です。あと一つ。Mr.Childrenの偉大さとは何か。そんなことは恐らくどうでもいいことだ。
27 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 00:15:44 0
商業音楽界の重鎮ミスチル
28 :
あほくさ :2008/05/03(土) 08:57:55 0
17 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2008/05/02(金) 21:14:08 0 「偉大である」ということは主観的なことなので、あなたが「偉大でない」と考えたとしても 「偉大でない」ということはかぎりない。 私はミスチルは偉大であると考える。それを確かめるには聴いてみるしかない ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 神の存在証明は、『プロスロギオン』の特に第2章を中心に展開されたもので、おおよそ以下のような形をとる。 1 神はそれ以上大きなものがないような存在である。 2 一般に、何かが人間の理解の内にあるだけではなく、実際に(現実に)存在する方が、より大きいと言える。 3 もしもそのような存在が人間の理解の内にあるだけで、実際に存在しないのであれば、それは「それ以上大きなものがない」という定義に反する。 4 そこで、神は人間の理解の内にあるだけではなく、実際に存在する。
休みで暇なんでもう少しやります。ミスチルの“偉大さ”について。 『I LOVE YOU』てアルバムがあります。このアルバム、面白いのが、歌詞を注意深く読むと、当時彼らが始めたap banlていう地球環境保護運動に対する想いや動機をちりばめ、ラブソングに喩えた、手の込んだ曲作りが目立つ。実に巧くねじこんでいる。 以下に例を挙げてみます。 ・少なくとも今日まで、出会った日の僕らの前にはただ、美しい予感があって、それを信じたまま、甘い恋をしていられた。そして今、音もたてず忍び寄る、この別れの予感を信じたくなくて、光を探している。生まれたての僕らの前にはただ、果てしない未来があって、 それを信じてれば何も恐れずにいられた。そして今、僕の目の前に横たわる、先の知れた未来を信じたくなくて、少しだけあがいてみる。いつか、この僕の目の前に横たわる先の知れた未来を、変えてみせると、この胸に刻み付けるよ。 自分を信じたならほら、未来が動きだすよ。(「未来」) ・そうだ理論や知識にもとづいたものじゃなくて、信じた音を奏でよう。間違ってなんかない、ホラ、ホラ、ホラ。きっと正解もない。これが僕らの音。(「僕らの音」) ・仕組んだのは他の誰でもない。俺だって。自首したって誰も聞いてない。まして罪が軽くなんかならねえ。なら、息絶えるまで駈けてみよう。恥を撒き散らして、退きどきだと言うなかれ、素人!まだ走れるんだ。息絶えるまで駈けてみよう。 恥を撒き散らして、胸に纏う玉虫色の衣装を見せびらかしにいこう。(「ランニングハイ」) ・跳べ!向かい風に乗って「どうせ出来やしない」と植え付けた自己暗示を引っこ抜いて、呪縛を解け!カーペットの上、ソファーの上、思い立った瞬間、そこは滑走路。跳べ 跳べ。 失敗を前提にした言い逃れを引っこ抜いて呪縛を解け!思い立った瞬間、そこは出発点。跳べ 跳べ。自分を縛ってる命綱、そいつを離してみるんだ。そして自由を掴み取るんだ。ワン、ツー、スリー、GO!で走りだすんだ。 目指すべき場所はなくとも、いつか辿り着くんだ。跳ぶんだ。そうさここが出発点。そうだここが滑走路。(「跳べ」) まあ、よくもこれだけねじ込んだもんだと感心するほど、自らの心境や動機について、様々に喩え尽くしている。
私は、このアルバムに込められた、上記のような、心境や動機を読んで、変わらないんだなあ、人間は、と思いました。一昔前の学生運動(今もやってる人はやってるけど)に参加した人間の、心境吐露に同一の、<跳躍>が述べられている。 なぜいつも、<参加>は<跳躍>であり、<向こう側>への<跳躍>になるのか、てところに、桜井が無理強いにこの時やろうとしたことの質が漏れ出ている、と私は考えます。 少なくとも、歌を作り、歌う、て次元とは別の領域に行くんだ、という感覚があったことを表す。 この時、Mr.Childrenは、或いは桜井は、共同性、てことをどう自らの精神に取り入れるのか、という難題と取り組んだのだと思います。そこに、日常と地続きでない<跳躍>があることを桜井は直感し、作風もそれに見合ったものになった。 問題は、この時桜井が<跳躍>した場所が、真に現在を象徴する、<跳ぶ>か否かが決定的な分岐点を意味するものであったのか、というところに、ある。 私は、桜井たちが設定した分岐点とは、<世界はまだ変えられる>という信仰の場所だと思う。 桜井がなぜ、作品で、<跳躍>を暗示しなきゃならなかったのかに、その意味は表れている、とみる。 <世界>を<信じる>か<信じない>か、という二者択一を彼は自分に課したのだ、と思う。いわば、対象的、外在的な信仰である。だから<跳躍>になった。 この場所が、決定的な分岐点であるか、否かというのがこのアルバムが暗喩する問いかけとしてあると思います。私は、その二者択一の観念自体に、脆さを痛感しないでいられない。脆弱なわけ、その観念自体がね。だから、<跳躍>になる。 その<跳躍>には、普遍的な意味はない。桜井がどう納得してみせても、そうだと思います。それより、あれらの作品に、そこに至る心境を映し出してみせた、その力量の方に私は感心します。やってることより作品の方が素晴らしい。皮肉な結論だけどね。 で、さてこの件に関してMr.Childrenは偉大であるのか否か?やってることは昔からいろんな人がやってることと変わらないので、偉大ではない。むしろ当たり前な青年であることを、立証した。と言える。
31 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 11:43:43 0
>>30 お前のような凡人には手の届かない所に居るんだからやっぱり偉大だと思いますよ
32 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 11:55:13 0
歌はきっと語るでも貶しあうものでもなくて 気がつけば聞こえてくるもの
神話的な感覚なんじゃないかと思うけどね・・・・。
ある記号やシンボルを、別のところで、別の形式で、示される事で
インパクトは大きくなると言うのは、隠喩やアレゴリーなどの
手法として、割と古典的に使われているよ。その手法は、表面的には
意味が不明確で、形式だけの不思議な模様だけど、形式と意味が
ある3点で一致した時には、とても大きな爆発力が得られる。
ミスチルは、社会風刺と、歌詞と、プログレ的なムードの
三つが重なり現すことで、大きな衝撃と感動を与えているんじゃないのかな。
なんて、ミスチルをまったく知らない人が、
>>24-30 の評論を読んで
適当にレスしてみるw
34 :
考える名無しさん :2008/05/04(日) 23:39:46 0
ただの1アーティストに過ぎん
いや重鎮であり太陽のような中心的バンド XJapanとかは月みたいに暗いところじゃないと輝けないけど
36 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 00:35:06 0
ミスチルは何となくそれっぽいこと言って 何となくリスナーを満足させるってことを売りにしてる 商業主義の一例に過ぎない
37 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 01:04:04 0
>>36 そんな単純な考えで売れることできたら
貧乏人はみんな音楽やるさ
38 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 01:08:59 0
>>37 それっぽい歌詞と、適当に変調するそれっぽい曲と
凄いマスクと、それ以上に凄い運があれば
貧乏人でも歌手で儲けられるよ
繊細な人は向かないね。ある種の図太さが必要。 ある歌詞を書いた時に、誠実な人だとその歌詞の薄っぺらさに 気付いてしまい、言葉にならない念いを意識してしまうから そこで悩んでしまい止まってしまう。図太い人は、「地球の危機だ」 「子供たちの僕たちは」とは、くさい台詞を、恥ずかしげもなく堂々といえる。
あの臭さがウケるよな 小室とかは個人的な孤独の詩ばっかだったから消えちゃった
俺もガキのころハマったよ… でもヒロトとマーシーや民生に比べると キャラっぽいんだよな〜ガキ臭さが… “憂いの歌は売れない” そう嘆いていた頃の歌がまだ唄えればまた違うんだが…もう充分稼いだろ?
Bzに比べたらまだまだ稼ぎたりない 自然保護活動の資金だってもっといるんだ
43 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 15:16:54 0
>>41 ブルーハーツや民生を挙げれば通振れると思っている人間って居るよな。
「ミスチルを否定している自分ってカッコイイ」って感じか。
44 :
NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/05/05(月) 15:20:16 0
所詮神頼みに過ぎません
>>42 直接、自然保護活動に金払った方がいいと思う
47 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 17:40:24 0
ミスチルにしろ誰にしろ 音楽じゃ世界は現実的に変えられないだろ。 そんなものが偉大なのか?
音楽は人々の感情を変える そして感情は世界を変える原動力となる 感情なくしては行為もおこらない 音楽は行為の母である 母は偉大である!
49 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 18:24:11 0
>>48 それじゃ、自民党・官僚・土建屋たちに
無駄遣いは良くないというテーマの曲でも作って
強制的に聞かせてやってくれ。
それで、彼らが改心したならば、
音楽の偉大さを認めてもいいさ。
50 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 18:32:38 0
ま、音楽はJ.S.BACHが神だな。 それ以外は糞。 ま、音楽にしろ小説にしろたいして違わないよ。 神以外はなw そんなもんよか人生の真実の方がもっと面白いぞww
51 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 18:53:41 0
果てしない闇の向こうに oh 道路がある 利権の為に造ってみても oh Taxpayer never knows プランのまま僕は造るさ 車走らぬ事ない道を
>>49 連中に音楽を聴く耳があったなら
とっくに国民の声に耳を傾けてるだろ
聴こうとしない奴らに音楽を強制しても無駄
53 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 20:54:26 O
今、改めてDVD『シフクノオト』視てたんだけど。観客が凄く善意なのね。アリーナだけじゃない、二階席の観客も全員立ち上がり、一斉手拍子、手拍子の打ち方もよく(?)揃ってる。全体的にこの観客の善意と総意が最後まで貫徹して、実に素晴らしいライブになっている。 因みに今のは皮肉である。ロックバンドのライブで予定調和的仕草が観客や演奏者に見えることほどつまらないものはない。Mr.ChildrenのDVD『シフクノオト』は、その手の予定調和で最初から最後まで埋められている。あれはロックコンサートといえるのか、 違うとしたら、一体何なのか。勿論、この疑問というのはMr.Childrenに限らない、日本のメジャーバンド全般のライブで言える話になる。Mr.Childrenはファンによれば“偉大”と名がつくほどのバンドである。(スレ主さん、そうでしょう?) そのMr.Childrenにしてこのザマか、という情けなさを感じる。 この手のコンサートを取材するマスコミの責任も感じる。あのような、DVD『シフクノオト』に記録されてるような光景、予定調和、あれをみて、一言“つまらない”と書いたマスコミが一人でもいたのか。『JAPAN』でも『BRIDGE』でもいい、一人でもいたのか。 言わなきゃならんだろう。何のための音楽ジャーナリズムなのか。ひたすら褒めそやすだけしか能がないのか。誰でもいい。日本のメジャーバンドのライブにおける真摯なやり取りの欠如について、一人くらいは書くべきではないのか。実は書いているのかもしれない。 だったらまだ救いがある。
もう一つ、この善意は裏腹な何かと両立しているのではないか、ということ。何故ならばここに集まる少年少女たちの日常は、Mr.Childrenのコンサートがそれで埋め尽くされているような、良心や善意と一緒には生きてはいないと思うからだ。 『リリイシュシュのすべて』という映画があった。カリスマ女性歌手リリイシュシュのファンサイトに集まる、コンサートに集まるファンが主人公だ。彼ら、中学生たちはファンサイトで無邪気な、或いは真摯なやり取りをする人間だが、現実の学校生活では 陰惨なイジメや支配-被支配の当事者であり、にも拘らず、リリイの作品の湛える、宇宙最初の物質(エーテル)を感じている。そこには背反する顔がある。あの映画に描かれたファンの姿に私は現実の生々しい中学生の姿をみる。宮台真司がいうところの、 <底の抜けた>社会の風景がよく表れていた。翻って、Mr.Childrenのライブでの善意のやり取りをみて、ここに日常では“善意”でない貌を持っている人間も混じっているかもしれない。その人間が人混みに紛れ、愛と平和を歌うバンドに拍手喝采を送っているとしたら、 それこそ今を象徴する風景に違いないと思った。Mr.Childrenのコンサートが見せる善意や予定調和を見ながら、そんな無名の少年少女の抱える退廃と壊れ方について、興味を馳せた。
55 :
考える名無しさん :2008/05/05(月) 22:23:23 0
そもそも流行歌なんてものは、結婚するまでの間の 不安定な気持ちを、恋だの愛だのと様々なレトリックとメロディー で表現する一過的なもの。 結婚してしまえば、待っているのは実生活。 実生活には幻想の入る余地が無いから、歌は不要。 だから、殆どのミュージシャンは中年以降だめになる。
>>43 一行目は分からないけど二行目については
通(気取り)はメジャーを毛嫌いする傾向は確かにある。音楽に限ったことじゃないけど
57 :
考える名無しさん :2008/05/06(火) 00:11:56 O
シーラカンスという曲昔よく聞いた。
歌詞やメロディは良いと思うんだけど、 ボーカル担当者の声と編曲が苦手だなあ。 シンプルにアコースティックやアンビエントノイズっぽくするか、 反対にノイズパンクっぽくするかにしてほしい。 詩はいいのに、耳の快感が足りない。
ミスチルの真髄は曲では無く詞にあると思う。 ミスチルの詞は非常に哲学的だ。 この世の本質に迫っている。 桜井自身も「ミスチルの音楽を聴く時は特に歌詞に注目して欲しい」と言っている。
>>47-48 政治と芸能は近い関係にあるから、社会に対して影響力はあるだろう。
求心力も得られるだろう。日本では芸能の人が政治の話をしないのは
意識的な部分が大きいよ。
そうなのかな。 イーノなんかは、ロックは1970年代は文化の中心だったけど、 今はもうそんな時代ではないと言っている。 影響力は1970年代と比べると、ポテンシャルが墜ちていると。 これから影響力を持つ文化は、もっと総合芸術的な、ロックバンドという形態にこだわらずに、視覚聴覚触覚をネットワークで統合した芸術形態に移っていくと思うな。 今のロックバンドの楽器編成から生まれる想像力って 限界に来ているようだし、流通もCD売れなくてipodになるし。 桜井さんも、そういう時代に合わせて表現形態が変わると面白くなるね。
62 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 07:44:57 O
大音響で奏でられるビート、金属的なトーン、歪められたトーン、早弾きに見られる高速感覚、崩れた節回しの歌、ロックの諸特徴であるそれらは、非日常への入り口を表している。 かつてジミヘンはvoodoo childという曲を作っており、コンサートで必ずといってよいほど演奏された。私がvoodooという名称を初めて知ったのはジミヘンの曲であり、二度目に見たのはバタイユの『エロティシズム』だった。 そこに口絵があり、鶏の首を斬り落とし、滴る血を浴びて恍惚としているvoodooの部族の写真が載っていた。ジミヘンがこのバタイの著書を知っていたかは定かでないが、しかし、1967年のモンタレー・ポップ・フェスでジミヘンは、自らの弾いていたギターにたいして 生け贄の儀式を敢行している。WILD THINGが終盤の絶頂を迎える中、横たえたギターに口付けし、ガソリンをかけ、火を附け、燃え上がるギターを何度も床に叩きつけ、破壊した。ギターは奇妙なノイズをあげていた。私はあれが何なのか、単なる見せ物、に過ぎないか にも思えたが、バタイユの著書をみてから、認識を変えた。あれは生け贄の儀式だったのだ。そのパフォーマンスはジミヘンの名を一挙に世間に知らしめた。ジミヘンがあのような儀式に造詣があったことはロックの意味を考える上で象徴的に思える。 ジミヘンがやった生け贄性は、その後、リッチー・ブラックモアらに受け継がれたが、いつしか当初のインパクトを喪失し、パターン化し年中行事化した。しかし、それによってジミヘンがやったことまで意味を喪失したことにはならないだろう。 ジミヘンというアーティストの特異性は、ロックにたいして、それが何なのかという問いにひとつの解答を暗示したことにあると思う。 大音響を始めとする初めの諸特徴によって、死を暗示する。バタイユの著書のタイトルに、《死まで至る歓喜の実践》というのがある。ジミヘンの意味を私はそこにみる。何故、ジミヘンの存在がいまだに影を投げ掛けるのか、ジミヘンにとって、 演奏は、生命の充溢であるのみならず、その充溢の果てに死をもたらすものだったのではないか。そこに彼の残した遺産をみるのだ。 ジミヘンにとってロックとはそういうものだ。そこをロックの前衛性をみる。ロックは死に近い。Mr.Childrenの保守性とそれは好対照をみせる。
なるほど(コピペ?)。 過剰を蕩尽する祝祭空間の記号論てところでしょうか。 おっしゃるとおりロックの魅力は若気の至りであると思います。 若い表現者が、舞台上で死を演じる。 観客は若者の自殺行為を見て熱狂し喜ぶ。 残酷な劇といえます。 ブライアン・ジョーンズ、マーク・ボラン、尾崎豊、カート・コバーン等。 彼らは、フィクションであるロックという制度に支配された者と言えます。 ロックという制度の支配から卒業できなかった尾崎豊氏。 思春期を終える前後、若気の至りにふと気づます。 その時、「ロック=若気の至り」に対してどう接するか。 ロックという制度は、職業としての商行為に求められる社会性と、 なかなか折り合いがつかない関係です。 折り合う過程で失敗すると、面白くない表現へと変わります。 ですから、中年以降のロックミュージシャンは「危うさ」を 自己演出する方法を模索しなければなりません。 どのように「危うさ」を演じるか方向性を大別すると二つあると思います。 一つはイギー・ポップのように暴れる肉体派と、 二つめはトム・ヨークのように内向的鬱神経症派です。 どちらも中途半端に追求すると面白くないですが、 体力のない日本人ミュージシャンは圧倒的に後者が得意だと思います。
64 :
考える名無しさん :2008/05/07(水) 23:38:51 O
今、YOUTUBEでBANK BANDの「MR.LONELY」をみた。悪くない。悪くないんだけど、このmovementにたいして、根本的に疑問を感じるのも確かなことだ。 マックス・シュティルナーという人が19世紀半ばに、エゴイズムを根本理念とする思想を築いた。その著書はマルクスらによって批判の対象となったらしい。が、21世紀の今日、この思想はまた甦ってきている感を受けた。 シュティルナーの考えは至って簡単で、“私を支配しうる、私に奉仕を要求しうる理念や理想などあり得ない。”というものだ。そこでシュティルナーが槍玉に挙げているのがヘーゲル左派が謳った諸概念、すなわち<人間>であり、類としての人間である。 私にたいして、支配し、へり下り卑屈になることを要求するこの概念は、ドイツ観念論が神に代わって担ぎ出した概念だった。それにたいし、猛烈な否定をシュティルナーは浴びせている。 何故私が人間にたいして、その全体性にたいして、それより小さい、卑しい、存在として相対しなければならないか。むしろ、私こそ、私にとって最も価値ある概念に他ならない。 類としての人間など、ドイツ観念論が担いでいた<神>と同じく、実体のない幽霊のようなものに過ぎない。私にとって、世界の頂点にあるのは私その人であり、私しかいない。このエゴイズムこそ、今日重要な理念を表すのだ、と。 そこで、BANK BAND FESの模様を眺めていると、そこに貫通するイデオロギーとは、紛れもなく人間への貢献であり、その讃歌であり、信仰だ。シュティルナーは、人間と私を区別している。 無論、私は人間でもある。私もまた類としての人間の一人である。しかし、私よりも人間の方が価値が高い、という纏め方に私は肯定しえない。 何故ならば、価値ある存在とは、<この私>に他ならないからだ。私に比して、人間の進歩や調和など、問題とするに当たらない。私なくして世界はない。それを忘却させる理念などろくなものではない。 Mr.Childrenや小林武史がやっていることは、シュティルナーによって槍玉に挙がっている当の理念に専ら貢献することだ。そこでは道徳や人類的善悪の方が<この私>よりか専ら価値あるものである。それは結局、失われた人倫を再構築する錯誤ではないのか。
>>63 面白かったんですが、挙げられていた人たちが皆、“ロックという制度に支配された”“ロックという制度を卒業出来なかった”というところだけ、そこだけ留保をつけたい。
例えば、ステージ上に死を暗示する、供儀を暗示する絵を現出させる、それは意識的であったりもするでしょうが、にしても、その人の渇望するものを表しているのは確かで、つまり、日常において、欠如するゆえに自らが真に生きていないと感ずる。
そこで、いわゆる《死へまで至る歓喜》という感覚への渇望が出てくる。
で、むしろ、それをやってしまう人たちというのは、どっかで(無意識に)やはり死を渇望しているんだと思う。なぜ自分が死に魅惑されるのか、解らぬうちに、引かれてるんだと解釈するんです。そこで資質というのがあって、つまり、そこで芸風の違いが出てくる。
Mr.Childrenも実は私はあれは結構病んでいる人間たちで、そう見えたんで昔は今より好きだったんですけどね。ap bankとかやりだす前までは。
話を戻すと、仰るような、“ロックという制度から卒業出来なかった”というのが仮に事実だとして、しかし、“卒業出来ない”のにも才能はいる、というか、死に牽引され、魅惑される、それも才能だと思うわけです。つまり、その意味で選ばれた人間だと思うわけです。
で、日本人でその手の人がいるか、てことですが、ロックではないが、阿部薫の生涯を辿ると、あれはそういう人間だったのではないか。体力もあったみたいだしね(笑)私が知らないだけで他にも居るんじゃないかな。
尾崎豊にしても、半ば自己演出があったにせよ、半ばは本気であったろう。こう言うと実も蓋もないみたいだけど、やっぱり資質が大きい。人間て自分が見ている夢が自分だけのものだとなかなか解らない。死ぬまで解らない、てこともあるでしょう。
若くして死んだロックミュージシャンの生涯を考えて、そんなことを感じるんですけどね。
66 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 02:23:03 O
いやあ、それにしても『移民の歌』は本当に良いね。 なんかこう普段は意識されない自分のワイルドな部分を呼び起こしてくれるっていうかさ。 まずはロバート・プラントの雄叫びがイントロから斬り込んでくるわけね。 そんでそのままのテンションでボンゾが引っ張ってっちゃうわけよ。 そしたら待ってましたとばかりにペイジがソロを始めるんだよね。 流れるような旋律の中にジミーの情熱が詰め込まれているのをヒシヒシと感じたよ。 この突っ走っちゃってる三人を後ろから黒子のように支えるのがジョン・Gの名人芸さな。 そして言わずもがな歌詞の壮大さ。 流氷の国から西の大地を目指してヴァイキングが突き進む様子が頭に浮かぶようだよ。 『Valhara, I am coming.』なんて言っちゃってさ、もう反則だよね。 「新しい大地を手に入れるためならヴァルハラに召されても構わない」っていう気持ち…なんていうのかなあ? 俺の知ってる単語でいうと『ロック』しかないんだよなこれが。 淫らで、スキャンダラスで享楽的な世界観。 それを体現してくれるような連中が俺には必要なんだわ。
世界の音楽の最先端に自分たちは居る、という高揚感があるから、 あんなに凄い力が渦巻く混沌とした世界を創造できたんだろうか。
英語とエイトビートと平均率。 これらは世界中を制服する力を持つ強力な武器。 グローバル性というやつかな。 世界を暴力的な力で混乱の渦に落とし入れる力を、 英語文化は持っているように思う。征服する言語。 その力が、迫力ある英米ロックにも現れている。 日本語の歌詞とロックの組み合わせという、 日本人ロックミュージシャンの才能が大きく問われる所で、 ミスチルは高い評価を得た(日本国内で)。 このような日本国内の評価は外国人にはなかなか理解しにくいだろう。 歌詞を大事にする日本のロックが、レッドツェッペリンのような 世界普遍性の力を持つのは困難だろうと思う。 ロックは、英語という強力な言語の力が近代的騒音となって、 空間を切り裂く時間芸術ではないかと思う。 となると、日本のロックはロックではなくJ-POPという分類形式に (誰が考えたんだろこの言葉)自らが入り込む保守的なものになる運命なのかもね、元々の構造が。
保守性、という言葉に以下のようなものを連想した。 白人英語ロック・・・ 侵略性、騒音が内包する戦争のイメージ、 攻撃性、閉塞空間を作る周囲の壁をぶちこわす快感。 それに対して、 日本語ロックの精神構造は、文化侵略された側の適応、 受け身、内攻性の快(不快?)・・・ ・・・無意識層にこのようなものが流れているのだろうか。
書いてて気がついたぞ。そうかぁ適応かぁ。
>>54 氏が述べたような、場に適応する少年少女・・・
あまりに無自覚な日本のロックは、文化侵略された側の
適応形態の一形式を、少年少女に示すという教育的役割を持つまでに、
変形されてしまうのだ。
71 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 19:54:25 O
ロックの始まりを語る上ではエルビスの存在は欠かせない。 腰をくねらせながら歌う様子に若者は熱狂し、保護者の苦情は殺到した。 次々と登場する破天荒なロックバンドのおかげでロック=不良というイメージが出来上がるまでそう時間はかからなかった。 そんな時に鳴り物入りで登場したのがビートルズだ。 彼らは愛や平和について歌い、「安全なロックバンド」としての地位を築き上げた。 その流れをくむのがミスチルだろう。 「盗んだバイクで走り出す」と歌った尾崎豊はさしがね日本のマリリンマンソンといった所か。
英米ロックの中でも先端的な存在のぶっとびかたは著しく突出してる。 彼らは過剰なんですね。 ルー・リードのMetal Machine Musicは人間が人間である根拠など おかまいなしの場所で鳴っている。 日本のロックは過激で過敏ですが、なんか過剰ってのがないように感じます。 でもそこに、はかなく消え去る一瞬のかわいらしさという魅力 (最近聞かなくなった「萌え」ってものでしょうか)を感じるわけです。
73 :
考える名無しさん :2008/05/08(木) 21:07:54 O
あの、ステージ上のミュージシャンに向かって一斉に両手を差し出し、曲げ伸ばしし、或いはやはり一斉に皆、揃って手拍子したり、まるで誰かに指揮されているかのような、振付けされているかのような、あれらの観客たちというのは、一体いつ頃から現れたのだろうか。 1970年代にはまだ居なかっただろう。80年代にもまだ?とすれば90年代か。何れにせよ、あれは単なる音楽好きのやる振る舞いとは思えないし、偶像を希求する心性と同一だと考える。価値判断の基準が見えなくなってきた時代に、絶対的な偶像を創作(捏造)し、 そこに支えを見いだしたがっているかにも思える。あれらのコンサートに現れて、両手を捧げ、一斉に曲げ伸ばしする人々の姿をみるたびに、どこかズレた心性を感じる。 あれは偶像崇拝に他ならず、偶像崇拝に落ち込んだ心性の中に、実は浮遊感―根の喪失―があるのではないか、その浮遊感に、日本の90年代以降の心性が象徴されているのではないか。 などと書いたりする前に、一言、あれが日本のメジャーロックコンサートだと思うとひたすら詫びしくなる。 観客が成熟できてないよね。本当の音楽好きはあそこには行かないだろうし、居ないと思う。 少なくとも内部に批評的眼差しを抱える聴き手はあそこには行かないだろう。批評的眼差しなどは不要とされているだろうし、ということは、耳を澄ます、ことは不要とされているのだろう。 かつて佐野元春(この人の名前を2ch.で出すと過敏に反応し、パクリ野郎とか言われる。その問題はひとまず伏せて)が、素敵なものは素敵だと、笑える心が好きさ、と謳った。音楽にたいして真に必要なのは、その精神だと思う。そう考えると、コンサートで、 偶像崇拝的な心性が支配する、という状況は健全だとは思えない。しかし、日本のメジャーバンドのコンサートで支配的なのはそれなのだ。 昔、ZEPPELINのKNEBWORTHをブートでみて、そこにいる観衆が実に勝手にバラバラに、好きなように楽しんでいる姿をみて、ひどく羨ましかった。本当にZEPPELINの音が好きな人たちが集まっているのが感じ取れた。あのような観衆の姿は 日本のメジャーバンドのコンサートにはない。あるのはお約束のみである。西欧個人主義が日本で根を下ろすまでは、あの光景は消えないのかもしれない。
僕の想像ですがスポーツの応援団文化をひき継いでいるような気がしますね。 それが、アイドルのコンサートで親衛隊が観客席を統率する形が出来て、 今に流れに至っていると。 日本プロ野球は応援団の鳴り物がうるさくて、 MLBの観客席と雰囲気が違うみたいな。
ミスチルといえば面白いのが『CENTER OF UNIVERSE』 「あぁ世界は薔薇色 ここは そう CENTER OF UNIVERSE 僕こそが中心です あぁ世界は素晴らしい」 ここから、彼らが独我論者であることがわかる。しかも、ライブでは「僕こそが」を 「君こそが」と変えており、独我論の伝達という難問に挑んでいることまでうかがえる。 (冗談)
76 :
考える名無しさん :2008/05/09(金) 02:52:45 O
>>71 > ロックの始まりを語る上ではエルビスの存在は欠かせない。腰をくねらせながら歌う様子に若者は熱狂し、保護者の苦情は殺到した。次々と登場する破天荒なロックバンドのおかげでロック=不良というイメージが出来上がるまでそう時間はかからなかった。
> そんな時に鳴り物入りで登場したのがビートルズだ。彼らは愛や平和について歌い、「安全なロックバンド」としての地位を築き上げた。その流れをくむのがミスチルだろう。
所謂「ジョン・レノンを継承する」とか、「ビートルズを継承する」とかいう場合に、それが通俗化に傾く、という問題がある。「愛と平和」っていう言葉にジョン・レノンやビートルズの曲をかぶせ、「彼らは愛と平和を音楽によって訴え続けた」と
でもナレーションを入れるといっぱしのビートルズ特集の締め括りになる。それで、リスナーの方でその手の纏め方を真に受ける人はそんなにいないと私は思うんだけど、例えば、ビートルズやジョン・レノンが公の場で紹介される場合に、
その手の言葉がまるで通行許可証であるかのように流通してゆく現実があります。“「愛と平和」が通行許可証であるかのように”、てところにこの状況を象徴するものがあるのではないか。それはつまり、シュティルナーが批判したような、現実の<私>にたいして、
<人間>や理想や理念などが君臨し、<私>のほうが下らない、低い存在として蔑視されてゆく、その状況ですね。その状況というのが、ビートルズやジョン・レノンが紹介される場合にまた起こってしまう。
実際はビートルズは「A DAY IN THE LIFE」のような、不吉なサウンド、「ヘルタースケルター」のような、不吉かつ暴力的なサウンドをも創っている。ジョン・レノンも、憎しみや嫌悪感を露にした曲を創っている。
総体的にみれば、たやすく纏められる人たちではないわけです。しかし、彼らのことが公に出される際に、上記のような通俗化が必ずといってよいほどついて回る。確かにジョン・レノンはチャリティー的なことをやっていた。
しかし、死の前のインタビューで、彼は自分の「愛と平和」運動が、暴力的衝動で周りの人間を傷つけてきた、それへの罪悪感からきていると告白している。つまり、「愛と平和」は極私的な動機に基づいていたことを明らかにしている。
77 :
考える名無しさん :2008/05/09(金) 05:02:02 O
みんなの話を参照しても確かなのは、英米のロッカーには「解放感」があるという事かな。 それも「ちょっと解放しすぎなんじゃね?」というレベルのね。 歌詞も演奏もやりたい放題なバンドが人気を獲得していたように思う。 それでも窮屈だと感じたのかイギー・ポップに至っては全裸だったからな。 それも次第に驚かれなくなって、レディへのように心をどこまで裸にできるかを追求したようなバンドも現れた。 ミスチルの理想はそこなのかもしれない。 ま、日本人はワビサビで対抗するしかないだろうというのが俺の意見だがね。
78 :
考える名無しさん :2008/05/09(金) 05:50:12 0
欧米のベビーブーマーによるロック世代 日本の場合のそれはフォークブームだったので 特に60年代まではカレッジフォークと歌謡曲化された GS 70年代に自作自演歌手がメジャーになってきて 野外フェスを開くようになる 中津川 つま恋など 基本的に演奏は手拍子しながら座って聞くものという認識は 西欧でも同じでした。70年代の映像を見る限り客は皆座っている。’75ストーンズ オリンピア劇場ですら。70年代後半になってアンコールで立ち上がったりするようになった 客席通路の前に押しかけるのはOKな時代も79年の札幌レインボー圧死事件から 禁止になる。このあたりから異常に締め付けが強くなったんだよ。 80年代米MTVでやらせのライブでスタンディングしてるのに影響を受けて みんな立たないとだめになったように思う。
79 :
考える名無しさん :2008/05/09(金) 20:34:26 O
Mr.Childrenの「タガタメ」は佐世保市の小学校で起きた女子生徒による同級生殺傷事件をもとに、その事件へ向けて歌われている。この事件へ向けて桜井は、やはり変わらぬスタンス、良心と思いやり、で向かってゆく。この曲が歌われたのは2004-2005年頃だった と思うが、当時それなりに感動していた頃より今聴くと、よりこの事件への私の感じ方とズレが出てきていることに、気が付き始めている。どの辺でズレてきたのか。 佐世保市のような、血塗られた惨たらしい殺傷事件があり、そのたびに、Mr.Childrenを持ち出すまでもなく、有職者は教育や家族の無能を指摘したり、何が必要かを並べ立てたりする。Mr.Childrenは要するに、何も出来ない、愛するより他には、という 悲劇的な立場を表明しているわけだ。 そのどれもに、事件から受ける私の感じとズレが出てきている。どの辺でズレるのかというと、教育評論家や社会評論家や、慈善家らの表明する論調が、あれらの事件の底辺にあるであろう、当事者たちの中の終末感、閉塞感、そのニヒリズムに到達してなくて、 為にどこか、反動的な感性に留まっている感を受けるのだ。止まらない殺傷事件の連鎖にたいして私が受ける感じとは、日常をこれ以上維持することに無意味を感じた人間の抱く乾いた感情だ。光市の母子殺害事件にしても、そこに漂ってくるのは、それだ。 それを感じさせる点で、底辺に抱えている点で、異なる殺傷事件は一本の線となる。<ゲームは終わり>という無言のメッセージがそこに籠められている気がする。<ゲームは終わり>というメッセージを感受している人間は、実は少なくないのではなかろうか。 全部終わってるし、日常とは無意味だし、今さら何が必要かなんて論議自体、無知や偽善以外のものではない。教育者も評論家も慈善家も、ポップスやロック歌手も、そのような感覚に蓋をし、まだ未来があるかのような顔をしたがる嘘つきだ。 あのような殺傷事件の当事者が放つ無言のメッセージがあるとしたら、それだと思う。ジョン・レノンの「GOD」を模して言えば、「ゲームは終わった。僕に何が言えるだろう」 日本のロックのなかでそのような<終わり>の感覚を表現しえている人間がいたら、それこそ、先端的感性だと思うわけです。それは間違ってもMr.Childrenにはない。
BLANKY JET CITYの曲で「ガソリンの揺れ方」というのがあった。バイクのタンクの中に、マッチ売りの少女の人形が落ちている。そこに落ちているのがマッチ売りの少女である、とすれば、ガソリンはマッチで火をつけられるべきなのか。そこで破滅願望が強烈に匂ってくる。 今、Mr.Childrenに象徴されるようなタイプが状況とズレていくその一方で、時代の感性を作品化しえているのは、「ガソリンの揺れ方」のような、破壊、破壊願望を前面に押し出した作品だと思う。 浅井健一は、そこに単なる暴力的衝動だけでなく、洗練された抒情があって、秀れてると(この言い方も抽象的だし勝手なランク付けには違いないが)思う。私は浅井健一についてはさほど知らないので、語るのは実は役不足なんだけど。
今夜 NHK BS1でバンドエイドのドキュメンタリーをやるらしい。 渋谷陽一などは批判的だった。 これが元凶なのだろうか 放送局:BS 1 (衛星第1放送) 放送日:2008年5月9日(金曜深夜) 時間 :午前0時10分〜午前1時
渋谷陽一はライブエイドには批判的だったね。ロック評論家の中でアレがどうとられていたか、よくは知らないんだけど。考えてみたら、ライブエイドと桜井=小林のap bank fesて似てるね。なんか参加することに意義がある、て論理によって味噌もナニも一緒くたに してしまう無造作さがそっくりだ(笑)井上陽水などap bank fesに対する疑念があったらしく、参加するにはしたが、曲目の中で毒を撒き散らして(※「氷の世界」「傘がない」)、次の年から呼ばれなくなってる。井上陽水がfesでの演奏の中で毒を撒き散らした、 それについて、そのfesを特集した雑誌『SWITCH』で小林と桜井は井上陽水についてコメントしている。小林は、“陽水さんのような、弱さや毒をもつ異端的な感性を排除してはいけない、と思っていたんだけど(結果的にはそうなりがちなのは事実だ)” 正確な語彙ではないが、たしかそんな内容をコメントしている。コメントとしては悪くないと思ったが、しかし案の定、翌年からは陽水は出演しなかった、ないし呼ばれなかった。ap bank fesと井上陽水の関係について、実は当初から注目していたため、 ミスチルのスレッドで私はこれについて何度か書いていた。結果は案の定総すかんを食ったのは言うまでもない(笑)お前は井上陽水オタだろうとか、回し者だろうとか、下らないのが多かった。 改めて、井上陽水は立派だし、わざわざfesに出演してまで毒を撒き散らし、曲目によって疑念を表明する、というのは勇気があったと思う。あのときのfesと陽水の間の断層に、ap bank fes問題のすべては暗示されていたとも言える。 また、ミスチルファンたちの間で、そのような問題が議論されることもなく事態は平穏に進行し、今も何も変わらない。ミスチルとap bank fes、その支持者の形作る全体が象徴するのが何か、上記のような状況はよく表している。 ※「氷の世界」歌詞抜粋 窓の外ではリンゴ売り 声を枯らしてリンゴ売り きっと誰かがふざけて リンゴ売りの真似をしているだけなんだろう 人を傷つけたいな 誰か傷つけたいな だけど出来ない理由は やっぱただ自分がこわいだけなんだな その優しさをひそかに胸に抱いてる人は いつかノーベル賞でももらうつもりで頑張ってるんじゃないのか
83 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 08:29:30 0
名もなき詩の初動107万枚は僅差だが歴代1位。
「傘がない」歌詞抜粋 TVでは我が国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をして喋ってる だけども 問題は今日の雨 傘がない 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の家に行かなくちゃ 雨に濡れ 冷たい雨が僕の眼の中に降る 君の事以外は何も見えなくなる それは良い事だろう?
「傘がない」歌詞前半 都会では自殺する若者が増えている 今朝きた新聞の片隅に書いていた だけども 問題は今日の雨 傘がない 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ 君の家に行かなくちゃ 雨に濡れ 冷たい雨が僕の心に染みる 君の事以外は考えられなくなる それは良い事だろう?
86 :
アンティーオナン ◆CDiYyaksok :2008/05/10(土) 15:46:49 0
,.、,'・・ '・,.、,'・、′,'・, ,' ,.、,'・、′,'・ | |~ /^ ) ,.、,'・、,/
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\ ・, \ \,.、: '・,.、,'・ ・, ,'・,、「∴;゜∴ ;.」 ,.、,' ・、′/
'・,.、,'・,' \ _,,_ ,.、: ・, '・,.、,'・,'・, i,. ,,゙;; ゙,●,i ,.、,'・、 /
\ ′, ̄,. /●゙・;\ ; ; '・,.、,'・ \∵o/ '・,.、,'・/
'・,.、,'・ 「;,,''。∴・ |・ '・,.、,'・、′,  ̄,.、:・, '・,.、,'・,' ・, ' /
\ :i,.∴ ,,゙;;,ノ / '・,.、 '・,.、,'・,'・ /
\∵,,/ '・,.、,' |,.、,'・・ '・,.、,'・ '・,.、 '・,.、,'・, '・、/
∴: '"-ゞ ∴ '・,.、,'・:: ・ ;,'・ ;,'・, /
\ ・ '・,.、,'・、′,'・,'・, , ,.、/,'・ ・ ' ・,'・ ・,'・ ・,'・ /
ヽ=ヘ三ニ-i `-` ー''" ヽ;;;;::::::::::;;;/ 7 !‐=ニZ_
` ー-ュ-─! 。 ○ ○。 !'--= _ `ヽ
ヽ_ j ///// (/。 U . ' ⌒ /、 l>‐ー '"
l r===、、
>>1 } l
ヽ !! !! ヽ . !
\ ヾ 三彡 ノ
`ー、 ._. _.. /
/ >トr| `¨ ´ト‐<r'´ ̄ \
87 :
ミス散る尾 :2008/05/10(土) 16:01:48 0
俺の友達が 全然興味ねえんだなあ ミスチルよりアジカンだろっっ とかいってんだけど..... はあ ミスチルの偉大さをわかってくれよ
88 :
ミス散る尾 :2008/05/10(土) 16:02:55 0
あああああああああああああああああああああああい穴子暇の疎さミら手と背須磨四席の瑠璃手の巣に杵費暇二の名なら迫り゛れりしれ゛ね陸けるめげ゜世話意にかすくにいんくはねひりなんちりけはれわきゆなせらかね
89 :
ミス散る尾 :2008/05/10(土) 16:03:45 0
ストレスでつい
90 :
優しい歌 :2008/05/10(土) 16:06:48 0
誰かが救いの手を 君に差し出している だけど 今はそれに気付けずにいるんだろう
91 :
優しい歌 :2008/05/10(土) 16:08:26 0
しらけムードの僕等は 胸の中の洞窟に 住みつく魔物と対峙していけるかな
92 :
優しい歌 :2008/05/10(土) 16:10:08 0
一吹きで消えそうな 儚い願い 言いかけて飲み込んで 恥ずかしくなる
93 :
優しい歌 :2008/05/10(土) 16:11:35 0
魂の歌 くすぶってた 照れ隠しの裏に忍ばせた 確信犯の声
94 :
優しい歌 :2008/05/10(土) 16:12:56 0
出口のない自問自答 何度繰り返しても やっぱり僕は僕でしかないなら
下品な週刊誌的意見で恐縮だけど、 小脳梗塞で入院して約半年間休んだというのも関係あるのでは。 坂本龍一も健康に不安を感じて整体に通い出してから変になってきた。
>>83 > 名もなき詩の初動107万枚は僅差だが歴代1位。
その「名もなき詩」の中に、
成り行き任せの恋に落ち
時には誰かを傷つけることがあるとしても、そのたび心傷めるよな時代じゃねえ。
誰かを思いやりゃ仇になり自分の胸つきささる
だけど、あるがままの心で生きようと願うから人はまた傷ついて行く。知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中でもがいてるなら、僕だってそう。誰だってそうなんだ
と歌われている。
「TOMORROW NEVER KNOWS」では、
無邪気に人を裏切れるほど何もかもを欲しがっていた。解り合えた友の愛した人でさえも。償うことさえ出来ずに今日も痛みを抱き、夢中で駆け抜けるけれどもまだ明日は見えず。勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いてく
と歌われている。
この頃のMr.Childrenの歌詞を読むと、「心のままに」生きることを求めながら、そのことによって周囲と軋轢を生じる、その苦しさを歌った歌詞が目につく。実生活でも桜井は糠味噌の妻を捨てて、不倫に走る。爛れた日常を送っていた。
しかし、この当時の、周囲と軋轢を生じさせながら生きていた頃の曲の方が、ひたすら夢を、愛する心の大切さを歌っている今の桜井よりも、遥かに魅力的に私には見える。日常を見据えた上で紡がれる言葉の迫真性が数段優ってる。
曲としてみると、「旅立ちの唄」も「彩り」も、確かに悪くないし、そりゃ良いですよ。だけど、歌われている世界の孕む不安定さが、かつての作品を素晴らしいものにしたのにたいし、歌っている主体の位置が静的だ。どこかで腰を下ろした感が否めない。
そこはかつての作品と大きく違ってきた所だと私には見える。
心のままに生きてゆくのさ、と歌った彼らも年を取り、家庭を作り、そこで保守的に成らざるをえなかった、と言ってしまえばそれまでだが、ap bankの事を色々言うまでもなく、インパクトは稀薄になってきてる。
“転向”と敢えて呼ぶが、転向した背景に、桜井は病死した少女のファンのことを『JAPAN』であげている。これにより、自分が恵まれていながら不満を抱えていたことに気付いた、確かそんなことを喋ってる。そんなよい子になることないのに!バカだこいつは、
と私は思った。
『ファスナー』もなかなか面白い。 「きっと ウルトラマンのそれのように 君の背中にもファスナーが付いていて」 「もしも ウルトラマンのそれのように 総ての事にはファスナーが付いていて」 つまり、親しいはずの女性や、世の中の事は、実は背中にファスナーが付いているかのように、 表面は嘘であって中身は全然違うのではないか、と歌われている。 もちろん、普通に読めば、「他人の心はわからない」「世の中のことには裏がある」というくらいの 意味だが、哲学的に読めば、明らかに、懐疑論とそれへの対決が読み取れる。 しかも、これだけでは終わらない。 「きっと 仮面ライダーのそれのように 僕の背中にもファスナーが付いていて」 つまり、普通なら、懐疑は他人や外界に向けられるが、それにとどまらす、自分自身にまで 懐疑が向けられているのだ。これは、ちょっとした懐疑では思い至らないところで、彼らの 懐疑論が相当突込んだものであることがうかがえる。 (中の人などいない)
98 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 03:29:43 0
だけど あるがままの心で生きようと願うから人はまた傷ついて行くんじゃね? 知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中でもがいてるならさ 僕だってそうだし誰だってそうなんだよな
99 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 07:27:26 0
「マシンガンをぶっ放せ」や「掌」の歌詞は哲学的だと思うな
『Monster』は、普通に読むだけでも面白いが、哲学的にあえて読み込んでみても興味深い。 「彼女は「カナリヤ」 人目に触れたがらない メモ帳の中にだけ存在している 聞かせてくれたことはまだ無いが きれいな虹色の声で歌うよ」 メモ帳の中にだけ存在している女性、すなわち架空の女性は、存在しているといえるのか。 また、誰も聞いたことのない歌声は、すなわち誰も認識していないものは、それでも存在しているのか。 いずれもよく知られた存在論に関する哲学的問題だ。 しかも、さらにこう続く。 「誰ともSEXしなくても 子供だって身籠もれる 全裸でいるのは宗教上の理由だ 慈悲の御心で世界を救う」 何の宗教のことを言っているかは(全裸はともかく)説明不要と思われるが、それにつき、 すでに書いたとおり、実は存在しないんじゃないか、存在するとしても誰にも認識できないん じゃないか、と問われている。 ここには、「神は死んだ」という問題意識と、存在論的な疑問との結合という、かなり複雑な 哲学的問題があるのではないだろうか。 (ありません)
101 :
考える名無しさん :2008/05/11(日) 16:23:09 O
今、たまたま『I LOVE YOU』収録の「DOOR」を聴いてたんだけど、打楽器と生ギター、KEYBOARDの伴奏でがなりたてるVOCAL、あとコード進行もたぶん、THE BEATLESの通称『WHITE ALBUM』にある「WHY DO WE DO IT IN THE ROAD?」のパクリだね、これ。 パクリが違うなら、パロディだね。もしかしたらミスチルオタクの中では常識的な話かも、だけど、面白かった。 「MONSTER」は同じ『I LOVE YOU』の2曲目だ。歌詞カードに描かれた指名手配的な肖像からして、過激派や新興宗教のアジトの生活感、感性をなぞり、同時に我々の中で流通する彼らへの固定観念―彼らは怪物MONSTER、という―をなぞり、そのホラー映画的なイメージを 故意になぞって遊んでみせた、て感じでしょう。つまり、桜井なりの過激派パロディ。面白いね。そこには自分が彼らと違う、日陰の運動にはしない、という決意も籠められたのかもしれない。 それにしても、『シフトノオト』収録の「ANY」て曲あるけど、相当ばっさりと過去の自分がどんなで、切り捨てたか、を総括してみせてんのね。例えば 上辺ばかりを撫で回されて、急にすべてに嫌気がさした僕は、僕の中に潜んだ暗闇を、無理矢理ほじくりだしてもがいてたようだ。 真実からは嘘を、嘘からは真実を、夢中で探してきたけど 今僕のいる場所が、探してたのと違っても、間違いじゃない。きっと答えは一つじゃない。何度も手を加えた、汚れた自画像にほら、また12色の心で、好きな背景を描きたして行く。 いろんなことを犠牲にして巻き添いにして、悦に浸って走った自分を時代のせいにしたんだ。「もっといいことはないか?」って言いながら、卓上の空論を振り回してばっか。 そして僕は知ってしまった。小手先でやりくりしたって、何一つ変えられはしない。 今、僕のいる場所が、望んだものと違っても、悪くはない。きっと答えは一つじゃない。「愛してる」と君が言う。口先だけだとしても、たまらなく嬉しくなるから、それもまた僕にとって真実。 桜井からみた自分自身てそんな風にみえたのか、という驚きと、そのような論理で自己否定することで、宙ぶらりんで、どこにも落ち着き先のない、帰属意識の持てない、アルバム『HOME』をもじって言えば、“帰る場所 HOME”のない、自己を切り捨てたか、 という感を受ける。
そうした自己否定することで、今や独自の環境保護運動を立ち上げ、立役者となり、運動でカネを還元することにより、歌で大金手にする、という罪悪感からもめでたく自由になり、晴れて桜井はMr.Childrenとして活動し続けることもできる。よかったよかった。 しかし、生まれたのはそれだけではないのも確かだ。一方、その自己否定は、それまでのMr.Childrenにあり得たリアリティを奪った。前のレスにあった、「マシンガンをぶっ放せ」にあるようなニヒリズムは、同時に21世紀における倫理を、暗喩してもいた。 それは世界に何らかの価値判断によって一線を引くことを留保し、善悪の価値判断を判断停止し、全てをひとまず、同一線に並べることを意味する。当時桜井は「マシンガンをぶっ放せ」でこう歌っていた。 やがて来る“死の存在”に目を背け過ごすけど、残念ですが僕が生きている事に意味はない。愛せよ、目の前の不条理を。憎めよ、都合のいい道徳を。そして僕に才能をくれ。 見えない敵にマシンガンをぶっ放せ、SISTER AND BROTHER。正義も悪もないこの時代を行進していく兵士です。殺人鬼も聖者も凡人も共存してくしかないんですね。触らなくたって神は祟っちゃう。救いの唄は聞こえちゃこないさ。 このような感性を指して、桜井は「ANY」を書いたのだろうか。私からすれば、問題なのは、“無責任”“後向き”“ひねくれ”“卓上の空論”“空想的”“あり得ない立場”等々の言辞を以て、混沌を収束させてゆく思考の方だ。重要なのは、 このような混沌をリアルなものとして感受しながら、そこに尚、死守するものがあるのかを模索する構えだった。それは決して共同的なものではなく、極私的な、利己的な、内面的なものにしかならないだろう。しかし、それは私は不可避であり、 却って無理強いな共同性の方に、虚構を感じるのだ。極私的な、利己的な、唯一者的な倫理しか残らなくなったときに、どんな歌があり得るか、というのが実は当時桜井が抱えていた課題だったのではなかろうか。もちろん、桜井は90年代から完全に転向したわけではない。 というのは、桜井は結局、歌で幻想や実感を歌うことしか出来ない人間、と思うからだ。運動でさえ、彼の私的な、夢の賜物にすぎない。また、それ以外の意義は見出だせない。
「Sign」というのは名曲だと思う。この曲は、曲の中のサビで歌われている次のようなフレーズが鍵だと思う。 君が見せる仕草、僕に向けられてるサイン、もう何一つ見逃さない。そんなことを考えている。 めぐり逢った全てのものから送られるサイン、もう何一つ見逃さない。そうやって暮らしてゆこう。 あらゆるものから送られてくるサイン、という言葉を、そのままに受け取ることを拒ませるものがある。何故なら、あらゆるものから送られてくるサイン、という概念には、送られてくるサインを受け取る者の解釈、という位相が初めから包含されなければならない はずだからだ。それがなければ、送られてくるサイン、は成立しない。 この曲が主題歌となったドラマ『オレンジ・デイズ』は聴力を失った女性と男子大学生の恋愛を描いたドラマだった。聴力を失った人間は、喋ることも困難だから、手話で会話する。ドラマの中でも、手話による会話で恋愛は進行した。 聴力がある人間同士でも、勘違いや誤解は起こり得る。しかも、送られてくるサインを解釈し損なって起こる誤解もある。或いは、こうも言えるだろう。送られてくるサインは、受け取る者の中では、半ば解釈し終えられている場合もある。 その相手が自分自身にとってどういう存在かによって、解釈は拘束される。また、その者にとって、世界はどのように意味付けされていきつつあるか、によっても拘束され、また、有るものの意味はそのような世界性によって引き摺られる運命にある。 世界は慈しみによって埋められているか、憎しみによって埋められているか、それを決定するのは半ば、送られてくるサインの受け取り手によるのだろう。最近、流行りの殺傷事件によれば、殺傷事件犯は、空や街角から、「殺せ」というサインを受け取ることによって 殺傷に及ぶ、というケースもあるようだ。これまた、送られてくるサイン、の一つの在り方に違いない。 その文脈で言うならば、Mr.Childrenにとって、社会や世の中は、慈しみや思いやりや夢が欠如し、それを求めている、君を愛してる、という一言を求めている、そのような事になろう。しかし、私にはそれは、そのような解釈を施す主体の執着や気掛かりや、 内部の渇望をむしろ表すものである。必ずしも、世の中がそのような渇望をしている、という保証はない。
「哲学を音楽に乗せると、とてつもない爆発力が得られる」 のだと、改めて思った。
特に『I LOVE YOU』の頃から桜井の歌詞の中に、“本で読んだことなんか何の足しにもなりはしない。僕は自分の足でで歩くんだ”的な言葉が出てくることが多くなる。 積まれた理屈を超えて その理屈を超えて(「箒星」) 心配事ばかり見つけないで 慌てないで探しに行こう(「箒星」) そうだ、理論や知識にもとづいたものじゃなくても、信じた音を奏でよう。間違ってなんかない。きっと正解もない。これが僕らの音。(「僕らの音」) 失敗を前提にした言い逃れをひっこぬいて、呪縛を解け!滑り台の上、ベンチの上、思い立った瞬間、そこは出発点、跳べ 跳べ(「跳べ」) 今、僕らのいる場所が、探してたのと違っても、間違いじゃない。きっと答えは一つじゃない。何度も手を加えた、汚れた自画像にほら、また12色の心で、好きな風景を描きたして行く(「ANY」) などは典型で、それによって曲は、過去に縛られない軽やかさと飛翔のPOWERを獲得する。自分たちはいかなる歴史も当てにはしない、また、縛られない、とする姿勢が明確に打ち出されている。彼らの勢いはそんなところからも感じられる。 しかし、その一方、BANK FESでの井上陽水とのすれ違いに見られたように、相も変わらぬ問題を潜在的に孕んでいるのも確かだ。井上陽水はMr.Childrenや小林のやっていることに、実はかつての運動家と違わぬ何かを見たはずで、それが感じられたからこそ わざわざ昔の自分の、全共闘華やかなりし時代にアンチテーゼのように作られた曲まで引っ張りだして、ぶつけてきたのだと思われる。井上陽水からすると、そこにはかつての運動家と同様な、強迫観念が存在したのだろう。 ただ、それは21世紀に見合ったソフトさ、軽やかさを装っていた。しかし、根底においては、寸分違わぬものを持ち併せていた。そんな井上陽水は、Mr.Childrenからみると、過去の歴史に呪縛された人間なのだろうか。 一切の歴史や記録の呪縛を振り切って、自分たちは自分たちのやりたいように、自分たちらしい夢を描くのだ、とするMr.Childrenと小林武史。だが、他者からみられた姿が、自分たちの言っていることと違うとしたら、そのズレをどれだけ誠実に乗り越えられるかに 彼らの真価はかかっているだろう。 果たして彼らは歴史から真に自由たりえているだろうか。
ひさしぶりに2ちゃんに来てみたら同じようなメンバーでまだ布教活動してるんだね。
>>24 「タガタメ」という曲がある。佐世保市で起こったような児童同士の殺傷事件にヒントを得て作った曲だろう。因みに歌詞は次のようなもの。
前は9.11〜イラク戦争を歌にしたって言ってたじゃん。NEWS23出演時にメンバーも含めてそういう曲として紹介したでしょ。
>>26 家族が<壊れ>、子供が<壊れ>、あらゆる関係性が<壊れ>、というのが目下、我々が見ている社会の風景ではないか。
それはマスコミが作った幻想。日本の家族殺しの件数は戦前から変わっていない。人口の増加を考えると相対的にはむしろ減っている。
未成年による凶悪犯罪の件数も実は変わっていない。子供が減ったから主に都心における共同体の力が緩まってきている。これは事実。
>>29 ねじ込んでねえって(笑)お前の引用はしている部分は
いいことばかりでは無いさ でも次の扉をノックしよう「終わりなき旅」
果てしない闇の向こうに oh oh 手を伸ばそう〜 心のまま僕はゆくのさ誰も知ることのない明日へ「Tomorrow Never knows」
と同じパターンの部分だ。そんな引用だったら過去の作品からいくらでも出来る。
続き
>>53 >>54 福祉系とか良いことしたい系の女はそんなのばっかりだよ。自分や周りの行動を疑えない。
相手に悪いことをしたくないから何でも合わせる。良く受けとめようとする。
そこを突っ込んだり、批判をすると「そんな事ないもん」と逆ギレする。
そういうのが寄ってくる活動してるんだからしょうがない。
>>79 全部終わってるし、日常とは無意味だし、今さら何が必要かなんて論議自体、無知や偽善以外のものではない。教育者も評論家も慈善家も、
>> ポップスやロック歌手も、そのような感覚に蓋をし、まだ未来があるかのような顔をしたがる嘘つきだ。
大概の人間にとっては始まっても終わってもいない。適当に話を合わせているだけ。
そんな暗くなるような事は考えるのをやめて自分に出来る小さな事から一歩ずつ頑張るとか小さな幸せを探す。これが最近の流行。
>>96 小さい幸せを大切にする系は最近の流行だから。もうちょっと続くだろうが気にする事はない。
>>103 ミスチルにそんなイデオロギー無い。固定した価値観なんて持つ訳がない。
「答えなんかは分からないけど、その時々でみんなと一生懸命に考えてやるだけさ」というのが彼らのスタンス。
それが固定した価値観とも言えるけどね。楽だから。日本人の大概はこれ。
>>105 本で読んだことなんか何の足しにもなりはしない。僕は自分の足でで歩くんだ”的な言葉が出てくることが多くなる。
>>積まれた理屈を超えて その理屈を超えて 心配事ばかり見つけないで 慌てないで探しに行こう
本当だね。詞を読んで理屈こねて妄想解釈しても何の足しにもならない。自分の行動に繋がるようにならないと。
桜井の詞を本当に理解しているのか大いに疑問だ。
銭儲けが主体にある音楽。偉大なり盲進する信者。
109 :
アンティーオナン ◆CDiYyaksok :2008/05/12(月) 17:31:53 0
カスチル様は偉大なり アーメン
110 :
アンティーオナン ◆CDiYyaksok :2008/05/12(月) 17:32:45 0
111 :
アンティーオナン ◆CDiYyaksok :2008/05/12(月) 17:33:11 0
ソーメン
112 :
アンティーオナン ◆CDiYyaksok :2008/05/12(月) 17:51:00 0
ザー(ry
>>108 ,110
金は天下の回りもの。でもある訳で、循環させているならいいんじゃね?
114 :
アンティーオナン ◆CDiYyaksok :2008/05/12(月) 19:18:58 0
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>>113 がさっさと死にますように...
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カスによるカス信者の為に仕組まれた偽音楽。それが循環偽装カスチル搾取原理の真髄なり。
『フェイク』では、夢や努力や、手に入ったものや、女性との関係など、どれもこれもが フェイク(まがいもの)であって嘘だ、と歌われている。こういう全体的な内容は、ある意味 ありがちで、正直、特に哲学的な感じはしない。 だが、あれも嘘、これもフェイクとされた上での、最後のこの締めは注目される。 「すべてはフェイク それすら…」 それすらフェイク、ということだと思われ、だとすれば興味深い。つまり、「すべてがフェイク」 ということ自体が、フェイクではないかと問われているのだ。 「何も信用するな(できない)」「全てを疑え」というようなスローガン的なことを言う人は多い。 だが、本当に文字通り「全て」を疑うなら、そのスローガンも、それを言う人も、やはり疑わ なくてはならないはずだ。しかし、そこまでを明確に言う人は、だいぶ少なくなるように思われる。 しかし、彼らは、きちんとそこまで問うているようだ。ここにも、彼らの懐疑が場当り的なもの ではなく哲学的に突込んだ内容であることが、現われているのではないだろうか。 (そろそろネタ切れ)
>>116 ば〜か。ただのネタものの詞をマジに考えているんじゃねえよ。
しばらくしたら、
「信じられるものがあるとして生きていく」
「分からないままでもいい 探しにいくよ明日を」
「強がっては投げやりになったりして」
とか歌い出して飽きられたらまた
「すべて信じられなくなった」
「そもそも全てと呼べるものなどない」
とか言って繰り返すだけだ。そういう商売なんだよ。分かったか単細胞(笑)
そもそもポストモダン的な価値の相対化は20年前にとっくにやられている。
その辺を真剣に考えていた奴ならこんな安直なアプローチで政治や環境問題に手を出す訳がない。
>>106 >
>>24 「タガタメ」という曲がある。
> 前は9.11〜イラク戦争を歌にしたって言ってたじゃん。NEWS23出演時にメンバーも含めてそういう曲として紹介したでしょ。
桜井が「タガタメ」について書いた文章がネットで公開されている。それによれば、この曲を録音する日の朝、TVをみていて、事件のことを知った。やりきれなくなった。子供をもつ父親として、考えざるを得なくなった。色んな物事と出会い、人と出会い、そうして、
その人間の生きる軌道がある。その過程で、もし違う出会いがあれば、違う軌道も生まれたかもしれない。そんなことを考えた。大体そんなことが書かれてある。語られている心情や語彙からして、テロ事件ではないことは判る。
>
>>26 家族が<壊れ>、子供が<壊れ>、あらゆる関係性が<壊れ>、
> それはマスコミが作った幻想。日本の家族殺しの件数は戦前から変わっていない。人口の増加を考えると相対的にはむしろ減っている。未成年による凶悪犯罪の件数も実は変わっていない。
少なくとも90年代以降の青少年の凶悪犯罪の流れをみて、<壊れ>というのはどうみても外せないキーワードになる。酒鬼薔薇事件、佐世保市同級生殺害事件、母親毒殺計画事件、バスジャック事件、また、<終わり>の感覚というのも今や、鋭敏な人にとって、
広く染み渡っている感覚だろう。これも90年代のオウム真理教事件に象徴的に表れている。自己が社会のなかで感ずる、息苦しさが普遍化してきた、社会の課す速度と肉体の速度とのズレが堪え難くなるほど激しくなり、精神に異常をきたすほどになる、
また、ストレスからくる人間関係の荒廃、も拡大深化する、こういった諸要因が考えられる。もはや社会は私が生きる場所とは思えない。家族や学校は、しかし、旧態依然な原則しか与えない。そこで不信や拒絶もまた普遍化する。
>
>>29 > ねじ込んでねえって(笑)お前の引用はしている部分は、そんな引用だったら過去の作品からいくらでも出来る。
『I LOVE YOU』に頻発されるのは、<跳躍>を自己に促し、<今、やらなければ>と決意させる歌詞。明らかに何らかのコミットメントを秘めていると読めなければおかしい。
>>117 よくは知らないけど、80年代の価値の相対化にも、
>>116 で書いたことは当てはまるのではないだろうか。
つまり、「絶対的な価値などない」「全てを相対的に捉えるべきだ」というような相対主義的な
スローガンも、「全て」というのを文字通りにとれば、そのスローガン自体も絶対的なものと
しない、つまり、絶対的な価値を主張することも必ずしも否定しない、ということになるはずだ。
しかし実際には、そのように言う人は少なく、むしろ、とにかく相対主義以外の価値を全て否定する、
という言い方が強かったような気がする。多分、その人たちは、実際は、「全て」ではなくて、
「既存の価値」を相対化することを目的としていたのだろう。
それが政治的・社会的・その他の意味で正しいか間違いかは知らないが、哲学的な懐疑という
意味でいう限り、不徹底といわざるを得ないのではないだろうか。
それに対し、ミスチルは、あるいは少なくとも『フェイク』の締めの部分は、哲学的に
一歩踏み込んでいるように思われる。
(なんか釣れた)
>>118 どこが? 柄本 陽三が長崎市の男児誘拐殺害事件〜を曲紹介の文章の中で引用しているみたいだけど
桜井の公式HPに書かれたコメントを見る限りイラクの子供が死んでいく事件を見たのかもしれないし分からない。
>>少なくとも〜そこで不信や拒絶もまた普遍化する。
感性が敏感だとかどうではなくてTVに影響を受けすぎ。あえて言うのなら社会の本質は昔から変わっていない。
終末論は80年代からあるよ。それを求めた人達がオウム事件を起こしたとは言えるかもね。ただし狂っている人はいつの時代にも居て、
そいつらが狂気を満たすためにやった行動の動機に終末論を後付けしただけかもよ。相対的な人数は減っている訳だから。
そもそも時代や社会情勢の影響の無い犯罪なんてあるのか?(笑)桜井が敏感なのか知らないけど雰囲気に流されすぎだ。
メディアが垂れ流す不信だの拒絶だのになることが面倒くさくなって君が唱っているような難しい事を考えるのを止めて生きている人達がスタンダート。
これは真実。それと「AND I LOVE YOU」はどうみても社会的なコミットがテーマの歌じゃねえだろ。お前の解釈が跳躍しているだけだ。
>>119 そもそもお前が妄想したようにFAKEだと言ってる自分さえも疑ってくれと桜井が言っているのかすら分からない。
世相を切りながら「俺も嘘ついているかもしれないぞ」「偽物かもしれないぞ」って言うアプローチは昔からある。
ビートたけしなんかモロだね。
結論
お前の妄想は跳躍し過ぎて桜井の詞とコミットメントできていない。
>>114 何言ってるのよ? 今のご時世は作品も産業化されているから
儲けるのを目的にしちゃう事だってできるんだよ。
哲学にしてもそうだ。新しい画期的で斬新なアイディアを生み出すのもいいが
二番煎じだろうとも、既存のアイディアを瞬発的に再利用し続けるのは
生き残り戦略としては十分です。
もっとも、このやり方は日本人にはあまり受けが良くなくて、場合によっては
軽蔑もされるから気をつけないといけないけどね。
120へ回答しますが、堅苦しくなってきたので架空の人物の対話で語ることと します。尚、二人併せて一人の私を表すとします。 A:120の批判を読んで、いくつかBLOGを読んでみた。「かさこワールド」、柄 本陽三って人の。「かさこワールド」では120が見たらしい「ニュース23」で の筑紫哲也の「タガタメ」へのコメントも引用してある。これによると、筑紫 は「タガタメ」に引っ掛けて、「ほんと、誰がために(イラクへ)行っている かってことですよね」と発言していたらしい。筑紫や柄本のように「戦争」と だぶらせて聴く聴き方もあるだろうけど、歌詞のなかの“この街の被害者‐加 害者としての子供”また、その時々によって入れ替え可能かもしれない“被害 者‐加害者”てところまで歩を進めれば、発想の根にあったのは今日の殺人に おける途中経過のなさ、容易い殺傷ってところ、しかも当事者が子供、てとこ ろから発想が起こったのはすぐに察しがつくところだろう。 B:唯一120みたいな男を除いてね。大体歌詞の中にある“加害者‐被害者”が “双方とも子供”で、何で国家と国家の戦争の話になるのかね。訳わからん。 読解に問題があるのか、筑紫や柄本のように“当事者は双方とも子供”てとこ を消去して意味を拡大するか、どれかだろう。桜井の公式HPの文面を読んでも 、彼がその事件を知って自分も含めた親と子の繋がりについて考えたのは明ら かだ。つまり歪み切った子供の内面にたいする憐れみ、が読み取れる。 A:またまた「どこが」かもよ(笑い)この人、天才だから(笑い)
B:120が言うには、“社会の本質は昔から変わっていない”“ただし、狂って る人はいつの時代にもいる”“そいつらが狂気を満たすためにやった行動の 動機に終末論を後付しただけかも”ということだ。これだと人間の社会って一 切何にも変わってないかのようだ。また、歴史的な分析など無意味であるかの ようだ。そんな話、聴いたことないね。“そもそも時代や社会情勢の影響のな い犯罪なんてあるのか?”だからその“時代や社会情勢の影響”て何なんだ、 てところを提示してくれって言いたいわけだ。MEDIAの作る幻想、とかで済む ならそにこしたことなどない。楽天的だねえ。途方もなく。 A:ところで宮台真司のやっているBLOGがあり、そこでも「タガタメ」について 取り上げられている。宮台は「タガタメ」についてこう書いている。 《ありきたりの日常を誰もが同じように生きる。かと思えば子供が殺傷される 悲惨さ。でも公園に行けば別の世界が回る。悲惨な事件と公園と日常。まるで 別世界のようだが全ては連鎖している。日常にコミットするしかない。》 宮台はよくこの曲を捉えているよ。無理やりな拡張も控えて、素直に受け取っ ている。あと、宮台は桜井の表現についても多言を費やしている。 《桜井のditatchment (社会への没入からの距離化」)な歌詞世界は、(1) 陰と陽、光と影、夢と現実、」虚と実、本当の自分とウソの自分、…といった ダイコトミー(二項対立)を示しつつ、(2)どちらかを一方的に肯定するより もむしろ1/f 的に揺らぐ、といった説話論的構造を持つ点に特徴がある。 その上で、(3)そうした揺らぎは多くの場合「即自(感じる自分)」と「対自 (考える自分)」との間の振幅として描かれていて、かつ、(4)そうした揺ら ぎを謂わば「人間の摂理」として肯定することでditatchmentな感覚を醸し出 す、といった構成になっている。》 そうして、『シフクノオト』における表現についてこう述べる。 《今回はいったんditatchした後、「あえて」感じる自分へと戻り、コミット しようとする。大きな翻身である。その結果、ナルシスチックな自己撞着を 大きくブレイクスルーした。》
124 :
119 :2008/05/13(火) 10:46:13 O
>>120 氏は、どうやら、
>>119 と、
>>118 氏とが、同一人物だと考えて、それを前提に
あれこれ反論を検討したようだ。
だとすれば、そんな120氏に捧げるこの一節
「この手が掴んだものは またしてもフェイク」
(w)
>>122 >>123 ま〜た宮台か(笑)自分で感じて考えられる脳味噌は相変わらず無いのね。成長しろ。
評論家が言っているのを引用されても何とも言えない。どの事件に何を感じたかを具体的に提示できない(リスクを背負えない)桜井君だから。
「タガタメ」も相変わらずの「答えなんかは分からないけど、その時々でみんなと一生懸命に考えてやるだけさ」スタンス。
そもそも物事の動機に注目すればどっちが被害者でどっちが加害者か分からないのは当たり前。いつの時代だって同じ。
それを明確に分かっているかのように報道したり考えられていたのは単一的な価値観がまかり通っていた時代の幻想にすぎない。
時代や社会情勢の影響など無いとは言っていないがメディアが報道しているような時代や社会情勢ではないと言っているだけ。
社会の閉塞感とかってのは戦前からずっとある。個と集団の目標をすり合わせるのは難しいからね。
社会に対して言いたい事ややりたい事をなかなか言えずに陰で愚痴をこぼしながらも「なあなあ」にやっていくのが日本の文化。
支配層や社会の変化が根本的な原因ではなくて、みんなそういうノリの中で生きているの。周りもそうだろ?
楽天的というより物事の動機をきちんと捉えれば「どうでもいい言葉」に振り回されることはないということ。
桜井、宮台、マスコミ、チルヲタ…etc 宮台はノリから飛びだす時もあるけどな。
お前等(俺にコメントしたチルヲタ)は文ばっかり読んで引用していないでそろそろ自立しなさい。
それと感じている事が音楽やメディアの影響に偏り過ぎている。そりゃ鬱になって悲観的にもなるよ。
まずは荒川の土手をウォーキングするとかから始めた方がいい。そして彼女を見つけろ。考え方が変わるから。
>>124 どっちも引用ばかりのフェイクだから同じようなもんだ。
A:宮台の分析は流石だよ。桜井って作家の表現を的確に把握してる。残念ながら、(というより当然か(;^_^A)我々より優れてるね。全然我々の聴き方と食い違うわけではないけど、具体的だし解りやすい。どうした、ぐったりして。 B:いや、叶わねえと思うとね、がっくりくるじゃねえか。あんだけ頑張ったのに。 A:でも宮台と我々のかぶさる箇所もあるにはあるよ。『シフクノオト』までのMr.Childrenが、対立項の「揺らぎ」を孕み、しかも、その「揺らぎ」を通して、唯一的な、「固有の履歴を持つがゆえに固有の志向を持つ私」を根本に置いていた、としている辺り。 勿論、我々より教養もあるし、的確に分析しえているんだけどね。 B:つまり、宮台の分析によれば、「固有の履歴を持つがゆえに固有の志向を持つ私」が、様々なる対立項を孕み、「揺らぐ」。これがMr.Childrenが表現する世界である、ということになるのかな。 A:そうでしょう。それで、しかし、『シフクノオト』に至って、さらなる転回が訪れた。宮台の言を借りれば、 《ナルシスチックな自己撞着を大きくブレイクスルーした。》《「社会」に没入しきれないネガティビティから、あえてする日常肯定のポジティビティへ翻身し、一挙に深さを増したのだ。》 となる。しかも、底辺には変わらぬ「固有の履歴を持つがゆえに固有の志向を持つ私」がある。我々からみて詰まらないように見えたのは、今のMr.Childrenが放つ一種の肯定感というか、まあ、宮台に倣って「日常への肯定」と言ってもいいかもしれないけど、 それなんだろうね。 B:しかし、「FAKE」などをみると、変わらぬ「揺らぎ」が見えたりもする。それにしても、「彩りや」「箒星」の楽天性は凄い。あれは見習うべきなのかね。 A:いや、宮台説によれば、信と懐疑はMr.Childrenにおいては、背中合わせの関係にある。だから面白い。分裂的なんじゃないかね。今は確かに楽天性や日常肯定感が占めてる感があるけど、そこには必ず彼らの場合、相反する要素があるはずだから。
>>125 もうあんたの自信満々なだけの無内容な話はいいよ。聞き飽きた。近所の子供でも集めて説教してなさい。2ch.とかに書いてるような大人にはなるな、体を鍛えて立派な日本国民になりなさい、とかさ。あんたにはそーゆーのが一番似合ってる。
ジャージ着て子供と走ってなさい。
何をやりたいのかさっぱり分からない。シンプルに言おう。 矛盾する二つの自分がいるのなんか当たり前。 ミスチルに限って言えば昔からの芸風。 何でいつもメディアにとってタイムリーな悩みを抱えているんだ? その小さくてつぶらな脳味噌でよ〜く考えよう。 君はそろそろ彼女作った方がいい。
>>128 お前も含めたチルヲタの書いたコメントにどれだけの内容があるんだよ。
何でも都合良く解釈しようとする君らの方がよっぽど傲慢じゃないか。
そういうノリの人間が集まっているから自分達の傲慢さに気がついていないだけ。
>>130 >
>>128 > お前も含めたチルヲタの書いたコメントにどれだけの内容があるんだよ。何でも都合良く解釈しようとする君らの方がよっぽど傲慢じゃないか。そういうノリの人間が集まっているから自分達の傲慢さに気がついていないだけ。
いや、何と言われてもあなたよりは他の人の方が遥かにマシ。他の人はちゃんと聴いて解釈してるじゃない。あなたが無内容ではないと言い張るなら、あなたなりのミスチルとの対峙の仕方が(肯定的にしろ否定的にしろ)あるはず。しかし、それは感じられない。
多分あなたにはミスチルは必要ない。したがってここに来る理由もない。じゃ、帰んなさい。
>>131 言い分が女っぽいね。
>>いや、何と言われてもあなたよりは他の人の方が遥かにマシ。
やっぱり傲慢だなぁ。
>>他の人はちゃんと聴いて解釈してるじゃない。
他の人はちゃんと聴いてると決めたのは貴方ですね。
>>あなたが無内容ではないと言い張るなら、あなたなりのミスチルとの対峙の仕方が(肯定的にしろ否定的にしろ)あるはず。
対峙してるだろ。ミスチルは何でいつもメディアにとってタイムリーな悩みを抱えているんだ?いつまで悩むんだ?
悩んでいるわりに結局は「答えは分からないけど、その時々でみんな(または相手と)と一生懸命に考えてやる」に戻るだけ。
共感度や好感度は上がるだろうが不自然極まりない。ただの芸風と考えるのが自然。
>>多分あなたにはミスチルは必要ない。したがってここに来る理由もない。じゃ、帰んなさい。
君はさっさと街に出なさい。チルヲタ以外の人とも壁を作らずに正直に自分を話せるようになりなさい。
>>132 メディアにとって→メディアやその時の最大公約数の人間にとって
実は『フェイク』については、ライブDVDで、さらなる展開を見出すことができる。 「全てがフェイク、フェイク…」と繰り返された後、直接そのまま、「その全てが真実」(『Any』)と、 つなげて歌われているのだ。これが注目される。 例えば独我論では、「外界に存在するとされるものも、実は全て、私の心に現われるにすぎない」 と考えられる。そう考えるとすれば、「例えばあれにはこんな根拠があるじゃないか」 と、普通考えられる個々の根拠を挙げてみても、役に立たない。そういう全てが、 私の心にすぎないとして、全体的に疑われているからだ。 逆に、もし独我論が解決されるなら、その解決方法も、個々の根拠がどうこうではなく、 全体的な解決になるはずだ。 哲学的な問題は、このように全体的であることが多いと思われる。 そこで、上で書いたような、「全てがフェイク」から、直接いきなり「全てが真実」につなげ られる流れには、このような全体的解決との対応が見出だされる。 このあたりにも、彼らの哲学的な傾向が現われているのではないだろうか。 (しつこい)
135 :
考える名無しさん :2008/05/13(火) 22:16:01 O
50に同意
>>134 全部嘘→全部肯定なんて腐るほどある。
そんなつまらない哲学を頭で考えているくらいなら自己啓発セミナーにでも行けば?
>>136 「イライラして過ごしてんなら愛を補充〜」
(w)
125:
>>122 >>123 ま〜た宮台か(笑)自分で感じて考えられる脳味噌は相変わらず無いのね。成長しろ。評論家が言っているのを引用されても何とも言えない。
A:この男、我々が引用した宮台の文章、結局理解出来なかったんだろうな。そんな読解力はないわけでバカの一つ覚えみたく外に出ろ、女と付き合え、をリフレインするだけだ。こいつこそ風俗通いが関の山だろうに(笑)。よく言うよ。
B:いたずらに持論にこだわり、自分より優れてる見方からは目を塞ぐようなのを“成長なし”と言うことくらいは理解しないとねえ。
A:評論家が言ってることから目を塞がずに、具体的にどこがどうだと指摘できれば大したもんだが、そんな力量はなし、社会も犯罪も本質は昔から同じとか、何を言ったことにもならない話を繰り返してるだけの空っぽな話よりか“評論家”の分析のほうが遥かに面白い。
>そもそも物事の動機に注目すればどっちが被害者でどっちが加害者か分からないのは当たり前。いつの時代だって同じ。それを明確に分かっているかのように報道したり考えられていたのは単一的な価値観がまかり通っていた時代の幻想にすぎない。
A:具体的に事件をあげてみるとこの手の話の空っぽさは一目瞭然になる。佐世保市の同級生殺害で、被害者と加害者は“どっちが被害者‐加害者か分からない”とすれば“ある事が気に食わない”から“殺害”までの中間過程が省略されているかにみえることを抜きにしては
考えられない。その点で、今日の感性にある<日常を維持することは徒労>という感覚と結び付いている。“動機”をどっちがもつかで“加害者”が決まる、なんてことを言っているわけではない、てことがこの男には解ってないんだ。そんなことは議論するにも値しない
前提なんだ。小学生じゃないんだから(笑)
>時代や社会情勢の影響など無いとは言っていないがメディアが報道しているような時代や社会情勢ではないと言っているだけ。社会の閉塞感とかってのは戦前からずっとある。個と集団の目標をすり合わせるのは難しいからね。
A:これまた味噌もクソも一緒にした空論だ。“社会にある閉塞感は戦前からある”として、その内実は全く同じか、違うところはないか、違うとしたらどこか、まで語らないと、何を大雑把な話してるのか、てことにしかならない。
>129:何をやりたいのかさっぱり分からない。シンプルに言おう。矛盾する二つの自分がいるのなんか当たり前。ミスチルに限って言えば昔からの芸風。何でいつもメディアにとってタイムリーな悩みを抱えているんだ?その小さくてつぶらな脳味噌でよ〜く考えよう。 A:“矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前”か。多分、「あなた、私とあの子のどっちが良いの。どっちが好きなわけ、この場で言ってくれない?」とか指弾され、「矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前」とか言い逃れした場合、どういうことになるか、 経験したことないんだろうな。 B:他にも色んなケースがある。「わがA派と一緒に活動しながら、対立するB派とも付き合う、とはどういうつもりか?スパイなのか?」と聴かれ、「矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前」とか言い逃れした場合、鉄拳が飛んでくるであろうことも知らない。 馬鹿丸出しだ。 A:矛盾てのは矛盾である限り、正されるべきもの、という一般的な観念がない。ないから堂々と「当たり前」とかのセリフが出てくる。正されるべき、にも拘らず、内面において、その方途が見出だせない場合、苦悩が現れる。文学における苦悩の表現のモチーフになりやすい。 むしろ、そのようにしてのみ内面の矛盾には対峙しうる。 B:組織的な運動を内心で否定しているにも拘らず、組織的な運動でしか立ち向かえない現状がある、としたら、組織的な運動に頼るしかない。そこに矛盾がある。その矛盾を止揚できるのか、というのは政治社会思想では困難な課題として絶えず持ち上がってくる。 その場合、「矛盾する二つの自分がいるなんて当たり前」なんてのは軽業師か曲芸師のセリフに過ぎない。何にも経験したことない人間の空っぽな話だね。
>>138 前にちゃんと一つ一つ答えてあげたら逃げた癖に(笑)ま〜た過疎らしちゃうよ?
宮台も「どうにも日本のエリート層は業界の空気に飲まれてしまって内部に迎合した個の無い論調ばかりになってしまう」
「そういう奴がいざ立場が悪くなると掌を返すのを自分の父だかおじいちゃんだかが戦争が終わった直後に見ていて、
「人の話している内容ではなくて動機(か行動)を見ろ」と言われて育った」とか言っていたの知ってる?PCの番組で言ってたよ。
宮台は立場上、支配層への提言として言っているけど、実際はそういう国民性から来ている部分が大きいんだよね。
「なあなあ」「所属する業界や時代が変われば掌を返す」「周りの顔色ばかり気にして生きる」それは戦前から変わっていないらしいよ。
俺も最初は戦後教育の問題かなと思っていたけど、もっと根が深い文化レベルの問題であることに気がついたんだよね。
とりあえず「中空構造日本の深層」「母性社会日本の病理」「菊と刀」でも読んで見れば?同じこと言ってるから。
俺はミスチルの桜井君には同じ臭いを感じるから嫌。でも文化的にウケるのは分かる。好みの問題。
続く
続き 頭でっかちなだけの君に分かりやすく言うと、人にはそれぞれ動機があって裁判という便宜上「理由」を特定し裁きをする。 でも、加害者とされた人間の生い立ちや資質などをきちんと聞けば、一部の猟奇殺人を除けば「もし自分がそういう環境で育ったら…」 と自分の胸に手を当てて考えた時に一方的に加害者となった人間を叩く側にはなれないはずなんだよね。 ほとんどの人間が(特にマスコミ)「分からない」のが恐いから「もっともらしい理由」や「自分とは違う理由」をつけて安心していただけでしょ。 佐世保の事件は「ついに分からない殺人事件が起こった」「そういう時代になった」をネタにして分かったようなことを言っているんだと思う。 事実「分からないね…物騒な世の中になったもんだ。ま、友達や家族は大事にしよう」のまま消えちゃった。 猟奇殺人を見つけるとこぞって取り上げるマスコミってどうなのかね?それが全人口のどれくらい居るって言うんだ? どちらにしろ世の中にあった数々の平凡な出来事はとりあげないんだから偏ってるんだよね。 で、そんな報道を適当に受け流して実際はどうなのよ?と周りを見渡してみると危なっかしそうな奴の数はそんなに変わっていない。 調べてみると日本の家族殺しの件数は戦前から変わっていない。人口の増加を考えると相対的にはむしろ減っている。 未成年による凶悪犯罪の件数も実は変わっていない。子供が減ったから主に都心における共同体の力が緩まってきている。 そのくらいの認識が本当のとこでしょ。ま、「物騒な世の中になった」「子供が心配だ」くらい言わないと常識を疑われるけどね。 そう言っている奴等ほど結局は問題を解決出来るようなことは何もしないし言わないのは知っている。
>>139 そもそも一般社会で君が例に出したような詰め寄られるシチュエーションにはなかなかならないよ。
そうならないためにも「なあなあ」にして、みんなが納得しそうな空気にあったことしか言わないようにするんだよ。
そうやって「なあなあ」にするから、だんだん活動目的が分からなくなるんだよね。君の好きそうな政治団体なんか見ていると分かりやすい。
一般社会経験が無いのは君だと思うけど。
君が例に出したシチュエーション以外でも「矛盾する二つの自分がいる」事は誰にでも良くある。
それを一般社会ではっきり言うのは馬鹿。それをネタにするのが文学であったり詞の世界の基本。
声を聞きたいけど迷惑かな…電話をかけられない…明日まで待とう…でも、待てない…ああ、声を聞くと安心する…貴方に夢中
みたいなさ。テキトーだけど。そういう話をしているんだけど…。
ミスチルに限って言えば昔からの芸風。
何でいつもメディアにとってタイムリーな悩みを抱えているんだ? と考えてみよう。
と思ったけど、その前に彼女を作った方がいい。 君の場合はまずそれからだ。
>>142 >>声を聞きたいけど迷惑かな…電話をかけられない…明日まで待とう…でも、待てない…ああ、声を聞くと安心する…貴方に夢中
頭が固いからこの例えは違うとか言ってきそうだな。
ま、「矛盾する二つの自分がいる」のは当然で誰にでも良くある。文学や詞の世界の基本。そんだけ本ばかり読んでいれば分かるだろ?
お前の頭の中のミスチルは居ないんだからスポーツ好きな彼女でも見つけなさい。
>141:頭でっかちなだけの君に分かりやすく言うと、人にはそれぞれ動機があって裁判という便宜上「理由」を特定し裁きをする。でも、加害者とされた人間の生い立ちや資質などをきちんと聞けば、一部の猟奇殺人を除けば「もし自分がそういう環境で育ったら…」 >と自分の胸に手を当てて考えた時に一方的に加害者となった人間を叩く側にはなれないはずなんだよね。 A:犯罪には動機があり、行為に及ぶ。責任能力の有無によって刑の加重に差が出てくる。ところで問題は何かといえば、近年の殺人事件においては、動機が不鮮明、また、従って何故かような行為に及んだのか、という分析が困難、という事件が起きてきた。 加害者は様々で、日常既に異常を近しい人間に感じさせた者もあるが、そうでなく、異常性を感じさせなかった者もある。そこに薄気味の悪さがある。この人の言うように、家族殺人件数は過去と比べて、激増しているわけではない。しかし、問題は今述べたような、 不鮮明さにある。要するに質の変化なんだよ、問題は。そこを見なければ現代日本の抱えてる病巣は見えてこない。どういう人間が、何故、かような殺人に及んだか、その構造が見えてこない事例が多発しているわけだ。だから困るわけで、確かにマスコミが興味深く描く その手法に問題なし、とまでは言わないが、それは枝葉末節の問題だよ。マスコミが取材したお蔭で見えてきた特異性もある。“いつの時代にもいるおかしなヤツがしでかしただけ。社会は実はたいして変わってなどいない”と結論できれば良いが、そうは言えない。 そう結論するには理解困難なことが余りに多く近年の少年による殺害事件にある。だから困るわけだ。そこを理解しなきゃならん。 B:そう。“頭がおかしなヤツはどこにでもいるからな(笑)”で済ます、というのは、一般市民に、特に年長者に多いんじゃないかと思うが、事態の困難さを把握できてない故の通俗的な分け方にしか見えない。俺の仕事場にもいたけど、あー、そうやって安心したいのかなあ 、としか思わなかった。しかし、この人、だんだん真面目に喋るようになってきたんじゃね?良い傾向だよ。そう来なくちゃ(笑)。ついでにバカみたいに“外に出ろ”“女と付き合え”とか言わなくなればなおいい(笑)
>142:そもそも一般社会で君が例に出したような詰め寄られるシチュエーションにはなかなかならないよ。そうならないためにも「なあなあ」にして、みんなが納得しそうな空気にあったことしか言わないようにするんだよ。そうやって「なあなあ」にするから、 >だんだん活動目的が分からなくなるんだよね。君の好きそうな政治団体なんか見ていると分かりやすい。一般社会経験が無いのは君だと思うけど。 A:“一般社会”で矛盾した言動なんか繰り返してたら大変なことになるぞ。仕事場で矛盾した言動なんかしたら「一体どっちなんだ!」「何が言いたいんだ?」と指弾されるのは間違いないだろう。 B:俺の働いてる仕事場で、大事な連絡事項が書かれたメモがいつの間にかなくなってた事がある。探したら、丸めてゴミ箱に入ってた。誰が捨てたんだ、てことになった。ところが、そこにいた人間全員、「私じゃありません」としらを切り出した。 しかし、メモがホワイトボードに貼られてからゴミ箱に見つかるまで、そう時間はたってないし、そこにいた中の誰かがやったのは間違いない。でなきゃ、見知らぬ侵入者が電光石火の早業でメモを剥がして捨てた、としか言えない。矛盾してるんだよ。 仕事場の上司は最初怒ってたが最後は呆れ返ってたよ。何て奴らだ、と言いたげだった。もうそいつらの信用はない。そんなもんだ。 A:自己対自己の関係というか、要するに内面的な問題で悩みながら、右往左往する、それなら誰も迷惑は蒙らない。しかし、社会では別だ。責任ある場所で矛盾は許されないよ。彼だって仕事してるのだろうからそれくらいな話は理解してるだろうに、不思議だな。 てか、ミスチルとこんな話、関係あるのか(笑)?
B:ミスチルのスレなんだから、ミスチルのネタを書いてゆこう。手軽なところ でやっぱ悪口になるね(笑)。「彩り」なんか言い易いよ。 《僕のした単純作業がこの世界中を回り回って まだ出会ったこともない人の 笑い声を作ってゆく。そんな些細な生き甲斐が 日常に色を加えるモノクロの 僕の毎日に、少ないけど 赤 黄色 緑》 桜井のこんな歌詞を聴いて無闇に笑ってるのはコンサートで体操みたく腕を曲 げ伸ばししてるファンだけだ。少なくとも俺は、ちっとも笑えない。よくもこ こまで脳天気に自分たちの表現の価値を無造作に提示できるのか、感心はする けどね。《子供らを被害者に 加害者にもせずに この街で暮らすため まず 何をすべきだろう》って言うけど、ひとまず歌うことを停止し、冷たい視線で 状況を分析してみること、それをやれって言うんだ。《涙を流し 瞼を腫らし 祈るほかない》わけではないよ。そのセンチメンタリズムで事態を塗りたく るのは止めろ、桜井。「マシンガンをぶっ放せ」の歌詞を思い出せ。お前の今 の姿はあの中で皮肉られてた《良識を重んじてる善人》と同じだぞ。 A:ただ、「FAKE」ではニヒリズムを披露してもいる。宮台の言うように、「 揺らぎ」もありなんだけどね。 B:じゃ、それを止揚しろよ。と言いたい。一体どっちが自分の立場なのか、聴 いてる人間も判らん。どっちでもないなら第三の立場が何なのか、提示できな きゃ、単なる優柔不断に過ぎないぜ。
A:桜井って、歌詞などで書いてる割りにはさほど、可能性を徹底的に突き詰める、てことはしないよね。思考で突き詰める代わりに何をやるかといえば、センチメンタルに泣いてみせる、チャリティーの雰囲気に酔い痴れる、それが実際どんな内実を孕んで進行してるか、 あんまり考えてないようだ。日本の若者が抱えてる精神的、社会的な状況のきつさを考えてみれば、ap baok fesに数万人集まり、有名アーティストが集まったくらいのことで何にも大した事実ではないことは理解容易な話だ。そこで「彩り」みたいに脳天気な歌が書ける、 というのが、現状とズレた楽天性を抱ける背景になってるんだろう。 B:気分なんだよ、「地球を救うため、人々を一つにしたような」「子供への救いは悲劇的にしかなりはしないような」というね。自己満足だ、早い話が。 A:宮台が分析してる桜井の表現手法を考えてみると、《固有な履歴をもち、故に固有な志向をもつ私》というのはハイデガー的なんだけど、たとえそれが底辺にあるにせよ、実際のライブからは、伝達は成功している、という安易な確信しかしてないと解るし、 そもそも、ただのアイドルコンサートのノリで来てる観客に満面な笑顔振りまく馬鹿がどこにいる。もっと信者やファンを疑え、桜井!お前の姿はくだらなさ過ぎだぞ。 B:宮台がせっかく誉めてくれたにも拘らず、根本的感性が小市民をたいして出ないんだよ、この男は。過激になりかかるとすぐ自分でSTOPをかけてしまい、また元の職業人気歌手の仲間入りしてしまう。臆病なんだな、根が。だからそこでROCKに成り切れない。 A:ビートルズとミスチルを比べて何か言いたがる人間もいるようだが、ビートルズもアイドルには違いないが、ビートルズには小市民性を内部から食い破る過激さがある。また、聴く人間を不安にさせ、不吉な予感をもたらす曲を平気で発表する大胆さもある。 小市民的な殻を破れないミスチルなどと一緒にされては困るね。
>>144 分析困難な殺人が増えたってマスコミが報道しているだけだろ。
分析困難な殺人は一昔前に一部の猟奇的殺人として扱われていたのかもしれないよ?
線引きが曖昧な報道に踊らされているだけだ。
しいて言うのなら共同体の力が弱まったから、親密なコミュニケーションの機会が減ったり、
ブログのように頭でのコミュニケーションばかりで「自分の感情」と向き合う時間が減った。
そのため自分の中にどんな感情が溜まっているかも分からずに(言語化されないまま)爆発してしまった。
そういう可能性はある。ただし、それはマイノリティーの問題であってマスコミが拡大して社会問題にしているに過ぎない。
日本人のほぼ100%に当てはまる「なあなあ」「所属する業界や時代が変われば掌を返す」「周りの顔色ばかり気にして生きる」のが俄然メインでしょ。
>>145 ほら〜だから多くの人は責任をとりたくないんだよ。しかも、そういう出来事が毎日起こっている訳ではなくて、
何ヶ月もの「なあなあ」な時間があってそういう日もあった。という話だね。
貴方の言っているような揉め事に多くの人は巻き込まれないように逃げ道のある無難な言葉しか喋らなくなるの。
で、そういった言動は本心とは離れているからストレスが溜まったり愚痴りたくなったりする「矛盾する二つの自分がいる」状態になる。
そういう人間と同じ心情の歌詞を書けるから桜井は支持を受ける訳。俺は嫌い。つまらん。
お前は自分の狭い世界から解釈が抜け出せていない。同じところをぐるぐる回っている。そろそろ学習しろ。
君にはまともなお父さんは居るか?上手くいってないのか?そっちの方が彼女を作るのと同じくらい問題だぞ。
>>146 >>147 「答えなんかは分からないけど、その時々でみんなと一生懸命に考えてやるだけさ」というのが桜井等のスタンス。
つまり「なあなあ」「所属する業界や時代が変われば掌を返す」「周りの顔色ばかり気にして生きる」スタンスだから
多数派に変に思われるような(立場を明確にしてリスクを負うような)やり方はしないよ。そこがつまらない。
だったら最初っから触るなって感じ。
これは俺の意見ではないけど「なんだ結局は商売かよ」と言う奴等の気持ちも分かる。
ビートルズなんかは空気に流されずに立場を明確に出来る過激さがある。そういう意味だったら同意。
A:他のレスではまた色んな意見が出始めてるみたいだけど、ここで一冊の本を簡単に紹介してみよう。『戦前の少年犯罪』(築地書館)という本で、2007年の10月に初版が出ている。著者は管賀江留郎(かんがえるろう)という。管賀は国会図書館で膨大な新聞記事を漁り、 戦前の日本で、今日問題となっている少年犯罪が実は既に戦前の日本で多発していたこと、つまり、今日、メディアや識者が未曾有と騒いでいる様々な少年犯罪が、戦前の日本で数えきれないほど起こっていたこと、を実証している。目次からして面白い。 「戦前は小学生が人を殺す時代」 「戦前は脳の壊れた異常犯罪の時代」 「戦前は親殺しの時代」 「戦前はキレやすい少年の時代」等々… 管賀は実に豊富な資料を発掘し、これら、今日の日本で初めて起こったとされる少年犯罪を、昔っから既にあったこと、“未曾有”などと騒いでいるメディアや識者がいかにこのような事実に疎いか。その疎い知識によって世の中を裁断し、勘違いを流布しているか を冷静沈着に指摘している。 管賀はその膨大な資料を丁寧に書き記した後書きで、こう書いている。 《酒鬼薔薇事件や長崎小学生女子の殺人事件など、平成の少年犯罪とこの本に掲載した事件の数々とを読み比べてどのような印象をもたれるでしょうか。実際に起きた事件のごく一部を集めた本書を眺めただけで、戦前は数も質も遥かにひどい少年犯罪があふれていたこと がおわかりいただけたのではないかと思います。》 《それも、貧困ゆえの犯罪などはほとんどなく、むしろ金持ちの子どもが異様な動機から快楽殺人を犯したり、ささいなことでキレて頭が真っ白になってめった突きにするような事件が多かったり、親殺しや兄弟殺し、おじいさん、おばあさん殺しなんてのも次々 起こっていたことが理解していただけたのではないでしょうか。》 《あの時代にどうしてわざわざ、親を大切に、兄弟仲良くなんてことを毎日学校で教えなければならなかったのか。考えてみれば簡単なことで、世の中がそうなっていなかったからなのです。今よりも家族同士の殺し合いはずっと多かったのでした。》 《戦後60年間、膨大な数が積み上げられてきた日本論のたぐいはすべてニセモノだったということです。教育論のたぐいはいわずもがな。》
B:そんな本、出てるの?知らなかったね。それはでも、画期的な本じゃないか?その管賀江留郎って人の調べた資料が真実なら、現代日本の少年犯罪論のほとんどすべて、いかがわしい虚構、てことになる。それに、例の“外に出て女を作れ”の人が言ってた話は 根拠があったのだということになる。言ってみれば、管賀江留郎と“女を作れ”の人が勝ち、てことだぜ。 A:そうなんだ。大した本だよ。管賀江留郎なんて全然初耳だけど、よくやってる。まあ、管賀によれば、“私はただ資料を調べただけで、これくらいの作業なら誰でも出来ます”と至って謙虚な姿勢を崩さない。余裕綽々だ。“間違った情報があったらご連絡下さい。” なんて言ってる。 B:で、反論はないのかね。管賀の話に全面的に承服する? A:まず、近年の少年犯罪で特徴的なのがどこにあるのかを思い起こしてみよう。俺は2つ挙げることが出来ると思う。 一つは、全然自分と無関係な人間にたいする無差別な殺人衝動、或いはたまたまそこにいたというだけで殺人対象と化した事例が起こってきている。“たまたまそこにいた”というのは、これもやはり、偶然性なので、誰でもよい、という無差別感覚の表れだと見る。 そこから惹き起こされている事件がある。 もう一つは、この無差別、無作為な殺人衝動にたいし、対社会的な破壊衝動、ないしは破滅衝動とが表裏一体のように噛み合っている事例が多々ある。つまり、社会的規範にたいする<ゲームは終わり>という感覚。社会的規範にたいする<徒労>という感覚。 日常を維持することに根拠が喪失したこと、つまり、いわゆる<脱社会化>の感性ってことだ。 その2つの要素が噛み合って、異様な事件になっている、と思える。「酒鬼薔薇事件」にしても、「てるくはのる事件」、「佐世保市女子同級生殺害事件」、「会津若松母親殺害事件」、「静岡母親毒殺未遂事件」、等々、この感性が基礎にあるのだと考えられる。 先の管賀江留郎の著書の中にも、かようなタイプの事件は見当たらない。したがって、管賀江留郎の発掘した膨大な資料のなかには現代にも妥当する事件はあろうが、だが労作にも拘らず、現在進行中の状況へはこの著書は妥当していない、と見なければならない。
>>150 その本から「戦前が今より悪い時代だった」と言えるのかは分からないけれど。
戦前から世の中にたまに起こるショッキングな事件をマスコミが取り扱って拡大解釈をして
それを聞いた庶民が「ああ、今の社会は問題だ。物騒な世の中だ。気をつけなければ」
知っておいてよかったと安心する構造は戦前から変わっていないということじゃないかな。
この作者はメディア報道じゃなくて少年犯罪の件数(家族殺し 友人殺し 猟奇殺人)などの統計データを調べれば
当時のデータが不正確(つまり、届け出が無かった可能性がある)というを差し引いても変わっていない。
という主張をすれば良かったのにね。
>>151 「作者が謙虚だから良い」とか「〜人が勝ち」とか言ってる時点で話にならない。
自分が間違っていようが正しい答えが見つかればいい。という姿勢じゃないとね。
>>A:まず、近年の少年犯罪で特徴的なのがどこにあるのかを思い起こしてみよう。
分析困難な殺人が増えたってマスコミが報道しているだけだろ。
分析困難な殺人は一昔前に一部の猟奇的殺人として扱われていたのかもしれないよ?
線引きが曖昧な報道に踊らされているだけだ。
猟奇殺人を見つけるとこぞって取り上げるマスコミってどうなのかね?それが全人口のどれくらい居るって言うんだ?
どちらにしろ世の中にあった数々の平凡な出来事はとりあげないんだから偏ってるんだよね(コピペ)
アホ犬みたいに同じところをぐるぐる回っていないでまともに考えて答えよう。
そしてお父さんと仲直りしてスポーツ好きな彼女でも見つけろ。
社会問題よりお前の問題の方が逼迫しているぞ(笑)
「今 社会とか世界のどこかで起きる大きな出来事を 取り上げて議論して 少し自分が高尚な人種になれた気がして 夜が明けて また小さな庶民」 変に偉ぶっている人たちには、さっさと夜明けが来ますように。
>>154 みたいに「そんなこと考えたってしょうがないじゃん」と「なあなあ」にして、
身近な人間関係のやりくりばかり気にして生きている奴がほとんどだと言っている。
みんながそうだからって妙に偉そうなコメントをしている。
お互い様だね。同じ人間なんだから仲良くしよう。
育ってきた環境も価値観も違うけど 分かり合えなくてもいい 認め合えればいい(ミスチル調)
あ〜くだらねぇ歌詞だ。
>>155 解り合えると認め合えるの差は当然解ってての言葉だよね?
その言葉
>>156 差というか意味は分かるけど出来ている奴は滅多に見たことねぇ。
そんぐらい難しい事なのにその場の言い争いや揉め事を回避するためによく使われる。
便利だから。そしてそういう事をあっさり言ってる奴ほど大して考えていない。
後になって「あの時はそう思ったけど…やっぱり嫌」とか認められない奴がほとんど。
そんなもんだよ人間は。無理すんなって。
ミスチルの安易に使ってる感じがくだらねぇ。中国政府に言ってみろ。
屁理屈で回避したつもりだろうけど最後の >安易に使ってる感じがくだらねぇ でちゃんと聴いてないし理解してないことを「感じが」って単語が表してるね。
>>158 ミスチル調の文を作っただけで実際の詞じゃないから「感じ」と言ったんだろ。
相変わらず揚げ足とりしかできない。
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B05470 価値観も理念も宗教も一つにならなくていいよ
認め合うことが出来るなら
それで素晴らしい
(掌より一部抜粋)
やっぱり安易でくだらねぇ。
どんなにミスチルファンが歌詞の世界に陶酔しようが、たかだか自分とは違うアンチの価値観を認められていないし、
せいぜい無視するだけだろ。そんなもんだって人間。良い人ぶるな。無理すんな。チルヲタはそれを自覚しよう。
ミスチルは試しに中国政府に言ってみろ。
最近、YOUTUBEでみたエレカシの「ガストロンジャー」は凄かった。ミスチルのような洗練さはないけど、畳み掛けるような過激な喋りとサウンドには酔い痴れた。歌詞もいい。桜井はエレカシに惚れてる、と何かで読んだことがある。せっかくだから歌詞も書いておく。 「ガストロンジャー」 詞:宮本浩次 お前、どうなんだよ、正直な話、俺たちゃよオ、これで良いのか?なあ、お前、どうなんだよ率直に言って、お前正直な話、率直に言って お前、日本(ニッポン)の現状どう思う、あー?おめえ、どう思ってんだごらァ、あー!?お前、正直な話、率直に言って日本の現状どう思う。 俺ァこれは憂うべき状況とは全然思わないけれども、かといって素晴らしいとは絶対!思わねえなあ、俺ァ ヘッ! 翻って(ひるがえって)己(おのれ)自身の現況を鑑みる(かんがみる)に、こりゃやっぱり良いとも悪いとも言えねえな。君はどうだ!?君はどうだ!?俺ァこれは憂うべき状況とは思わないけれども、 ならばこれが良いのかときかれれば、まあまあだとでも答えるのは大いに不本意である。 もっと力強い生活を、この手に WOH!(メロディ附き)胸を張って!(メロディ附き) WOH!(メロディ附き)胸を張って、出かけようぜ! EVERYBODY! LET'S GO! 俺がなァ生まれたなアそう、所謂高度経済成長の真っ只中でさア、そりゃ日本が黒船から敗戦に象徴される、欧米人に対する欝屈したコンプレックスを一気に晴らすべく、我々の上の世代の人間が神風のように猛然と追い続けた 繁栄という名のテーマだったんだよ。 WOH!(メロディ附き)俺たちが受け継いだのはなア、豊かさと!ドッちらけだよ、馬鹿野郎挙げ句にお前、人の良さそうな、変なヤツがノセられてヨ!総理大臣になっちゃってヨ!それでもそこそこ、俺たちも生活してんだからヨ、訳判んないよなア 化けの皮剥がしに行こうぜ
161 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 21:38:27 O
(続き) “下らねえ世の中”“下らねえ俺たち”“下らねえ…”馬鹿野郎、お前、そんなもんなあ、100年前から言ってる愚痴なんだよ。もっと言やあ、縄文時代からお前、言ってること変わってねえんだよ、馬鹿野郎 海の向こうから来る人が好きなんだよ、ポンニチ人だから。ただなあ、破壊されちまうんだ、駄目なものは全部。 WOH!(メロディ附き)胸を張って!(メロディ附き)EVERYBODY! 俺だってこの世の中、思い通りにはならないことくらい百も承知だからヨオただなア、俺はロックバンドのヴォーカリストだから、死ぬまで、あいつらと戦うってこと、さっき楽屋で、結論しました!EVERYBODY! 戦うってこと、楽屋で、結論しました!EVERYBODY!だからヨ、EVERYBODY、その調子だ!ドーンと行こうぜ、EVERYBODY!ドーンと行こうぜ、EVERYBODY!真面目に、格好よく、EVERYBODY キリスト教の聖書にだってお前、論語の、何だってお前、学校の先生だって言ってることだろ、きっと、胸を張って生きていこうぜってヨ! そう。 だから胸を張ってさ!だから胸を張ってさ!だから胸を張ってさ!だから胸を張ってさ!だから胸を張ってさ!だから胸を張ってさ!そう!WOH!(メロディ附き)出かけようぜェ!(メロディ附き) WOH!(メロディ附き)EVERYBODY!その調子だ! WOH!(メロディ附き)でたらめだっていいよ!一歩一歩!AH! HEY! 死ぬときがヨ、この世とおさらばだってことなんだろ?だったら、その日まで、出来得る限り、自分自身の道を歩もうぜ!歩もうぜ! EVERYBODY!約束したぞォ!俺が聴いたぞォ!HEY!
坂本龍一さんの活動は家族との別居やDVなどへの罪悪感が ベースにあるというのは分かるのですが、 桜井さんの場合は動機がよく分かりません。 そのような桜井さんの掴み所のなさも 今的なものを象徴しているのでしょうか。
関係ない
なんでミスチル関連のスレタイは挑発的なんだ? ファンの人はそういうの望んでんの?
認め合えればいいじゃないか。
自分の論調が危うくなると逃げる。本当に社会を何とかしたいと考えているのか? その程度で社会問題を語るな(ミスチルにも言える) こっちの論調に都合の良いレッテルを貼るのではなく1/f揺らぎで悩んでみろ(宮台調) なあなあで周りの顔色を伺っただけの言葉に善人ぶって酔ってるだけの馬鹿ファンどもめ。
>>166 自分が2chに入り浸ってばっかいるからって他人もそうだと思うなよw
普通の奴はデートもすりゃバイトもする。これからの社会を考えるならネットで議論して
何かを為した気になって悦に入るより、不足する人材を少しでも補う為のボランティアに
でも勤しんだ方が余程有効だと思うし俺はそうしてる。
あるいは健康増進に役立つスポーツでもして将来医療費の社会負担を少しでも下げられる
様に協力した方がマシだと思うぞ、メタボリック予備軍さんよ
お前の論調(何となくこんな主旨っていう意味だろ)ってのは「ミスチルさんが一つに
ならなくていいって言ってるんだからアンチの俺らの意見も認めてください」って話か?
アンチするのが楽しくてやってるような奴らの無定見な「論調」のどこが社会を何とか
したいとかいう話になるんだか知らんが、他者の作った詩やその他に後出しで(しかも
一部しか知らない)もっともらしく批判するのは馬鹿でもできる簡単な事なんだよ。
コロンブスの卵の例を出すまでもなくね。
だから、どんなに言葉を重ねようとその対象と同列に扱われるわけないし、まして匿名を
いい事に言いたい放題してる奴はゴミでしかない。その位弁えような。
その上でストレス解消の為の遊びとして相手を傷つけ過ぎない程度に茶化すのがおまいらの
正しい立ち位置だろ
でも今の流れだと、桜井よりもサザンの桑田の方が、 「現在」を的確に歌っていると思えるほど、 堕落していくと思うよ。
「時代とか 社会とか 無理にでも敵に仕立てないと 味方を探せない 愉快に暮らせないよ」 こんなふうに、いちいち敵を探して叩いて、それで自分が優位に立っていると思わないと やっていけない心理状態になってしまった人は、いろいろ大変だろうね。 ミスチル自身はどうかというと、このように自ら歌っているからには、たんに敵を見つけて 満足するというのではなく、わざわざ敵を見つけて攻撃することにより自分を慰めるという 精神状態についても、冷静に批判的にみている可能性がうかがえる。
>>167 このスレにコメントを残した奴等とそれに同調できる感性の奴、要するに2ちゃんねるの住人へコメントしただけ。
たしかに今やっている馬鹿退治はストレス発散だけど言ってる事は合っているし社会活動をやろうとしている人達には基本的に同じような事を言っている。
それでも的外れな論調で社会活動をやろうとする人とは関わらない。大体の偏った論調の人間はトラウマだのが関わっているからそっちのケアを勧める。
ちなみに俺は音楽と社会福祉系の仕事をしていて、ちょっと前に30歳になったがスポーツ好きもあって肉体年齢は20歳の平均、
つまり測定不能でこれ以上若返れない。お前の洞察力はそんなもんだ。
>>169 ああ「ランニング・ハイ」だっけ?まさに争いになりそうだったり多数派に非難されそうになると
「なあなあ」「所属する業界や時代が変われば掌を返す」「周りの顔色ばかり気にして生きる」スタンスだよね。
悪いとは言わないけど、「平和」「自由」だろうが何かを手に入れようとすることは何かを失うことだ。
権利を手に入れることは誰かの権利を奪うことになる。立場を主張することは対立を生む。
それが苦手で「なあなあ」に「自分を曖昧」にして生きていたいのなら社会問題と関わらない方がいい。
メディア受けしそうな題材ばかり歌わないで「僕はみんなに嫌われたくない」「仲良くやりたい」
「楽しくやりたい」「誉められたい」だけどなかなか上手くいかないなぁとかそういう歌を歌えばいい。
だったら批判しないしむしろ好きになれる。中途半端に知ったような事を言わないで欲しい。
言葉が浮いていて個人とかけ離れているから気持ち悪い。
B:またまた荒らしが何か喚いてるみたいだ。 A:この男の親玉みたいな管賀江留郎の立論が崩された時点でこの男の持論も半ば終わったも同然だとなぜ気付かないかな。ホラーだ(笑)サリン嗅がされたのにまだ元気に喋ってる(笑) B:福祉やってる人間にもこんな人間が混じってると皆に知れただけでも良かったね。親孝行、スポーツマンもこう抑圧的になっちゃおしまいだ。“親孝行”“スポーツマン”の面汚しだ。 A:管賀の持論には事件の内容、行為の類似にばかり目線をとられ、裾野に広がる予備軍の存在、つまり、事件を支える底辺や背景を洞察する目線が欠けている。欠けているために“昔から猟奇事件はよくありました”で終わってしまう。で、論破される(笑) 自分の立論が甘い、ずれてることに気付かなきゃならない。 B:まあ、いいじゃない。荒らしが何をここで喚こうが、世の中にインパクトがあるわけじゃなし、我々の話も同じ。たいして変わりゃしないんだから(笑)言説の力なんてそんなもんだ。過信しちゃいけない。喚いたところでファンも変わらないし、世の中も変わらない。 ミスチルも変わらない。それが前提で遊んでるだけだ。世の中、勝手に動いてくんだからさ。 A:ミスチル桜井はスポーツマンだし、家族も大事にしてる。環境問題もやってる。荒らし君と似たようなもんじゃないか(笑)荒らし君よりは影響力もってるけどね。 B:桜井が荒らし君みたいな口調で説教しだしたら面白いよ。家族を大事にしろ!スポーツをやれ!馬鹿ファンが!驚いてよく顔見たら桜井じゃなく2ch.の馬鹿だった(笑)
B:自分が健全で健康的な人間だと他人にわざわざ説明するかね。その根性が不健全だ(笑)勘弁してほしいな。 A:人間が自分の経験からしか見えない、というのは致し方ないし、また、それがあるからその人なんだとも言える。結局、肉体二十歳君も、トラウマ抱えた他人の考えを変えることは難しいと認めているわけだからね。ある程度まで話し合えば、 ああ、これ以上は互いの経験から来てる話で、それぞれがその人間の真理なのだから、ほっとく以外にない、てところに来てしまう。引きこもりみたいな子供を無理やり変えようとすれば、戸塚宏みたいなショック療法、ヨットに乗せて海に突き落とせばいい、 自力ではい上がることをたたき込む以外ない、みたいな話になる。死んだらそいつが悪いんだ、私の他にこの子供を直せるやつが居たのか?こいつの親が私に縋りついてきたんだ。親が無能なんだ。子供が死んだと騒ぐくらいなら最初から連れてくるな。て話になる。 生まれ育った経緯に客観的になれるのはある程度年齢経てからだ。二十歳くらいじゃ無理なんだ。また今の親は子供がダメになったら私が生きている限りあの子の面倒をみる、くらいな覚悟などない。また、何で子供がダメになったのか、親自身が自分の何がダメだったのか 振り返って考えられるような、子供に曝け出せる覚悟もない。お前は頭がおかしい、病気だ、を繰り返し、病院送りにするくらいしか能がない。子供に殺されたら自業自得だ。 B:健全な主張が抑圧的にならないためには可能な限り、寛容さを保つ以外ない。俺は健康的だ、良かった良かった、で止めとけばいいのに、他人の人生や感性にまで口出しされるほど迷惑な話はない。親でも今やその手の口出しは無理だ。会津若松母親殺害事件はその手の 母親が惨殺された事件だった。子供がおかしくなるか、ならないか、て境目はますます見えにくくなる。政治家、親戚など無責任なことしか言わない。今や家庭が幸福の温床だとか言い触らす人間は減ってきたとは思うが、家庭が幸福の温床になるか、惨殺事件の温床になるか 、わからないというのが現実なんだ。(当事者だけは解ってて、しかし、家の恥は黙っておこう、というのが本音だろう)不安なら家庭など持たないことだ。利いた風なことを言い触らすやつが言動の責任とるわけないからな。
>>122-127 一応言っておきますけど、あれは社会学者としての発言とは
看做さない方がいいですから。社会学の射程圏外なんですよ。
ハッキリ言うと社会の分析になってない。
どういう事かと言うと、社会学は、作品や伝承などを分析するために
作られた学問ではないから、本来は分析するのは不可能なんだ。
作品を調べたければ、神話学・民俗学の領域になります。
じゃあ、宮台氏のあれはなんだと言うと、批評や評論です。
歌と哲学・社会には親和性がありますので元々似やすいのです。
>>171 まず管賀江留郎の名前を出したのは俺では無い。その人の事を知らなかったし。
「国会図書館で膨大な新聞記事を漁って」 と書いてあったから
>>152 で
作者はメディア報道じゃなくて少年犯罪の件数(家族殺し 友人殺し 猟奇殺人)などの統計データを調べれば
当時のデータが不正確(つまり、届け出が無かった可能性がある)というを差し引いても変わっていない。
という主張をすれば良かったのにね。と言った。
http://kangaeru.s59.xrea.com/ 今、上記のホームページを見ると、きちんと統計データ及び新聞を読んでいる人みたいだから信憑性が高い。
戦前の新聞を引っ張り出している人は他にも居るから、その人達の本を読めばお前がこだわっている
「動機が分からない殺人?」がゴロゴロあったのは分かる。
そもそも俺は
分析困難な殺人が増えたってマスコミが報道しているだけだろ。
分析困難な殺人は一昔前に一部の猟奇的殺人として扱われていたのかもしれないよ? 線引きが曖昧な報道に踊らされているだけだ。
猟奇殺人を見つけるとこぞって取り上げるマスコミってどうなのかね?それが全人口のどれくらい居るって言うんだ?
どちらにしろ世の中にあった数々の平凡な出来事はとりあげないんだから偏ってるんだよね(コピペ)
要するに「曖昧な基準やマスコミを鵜呑みにしないで統計データを元に判断しろ」とずっと言っているだけだ。
お前が取り上げている事件も裁判の時点では便宜上の「犯行動機」が出来上がっている。
それだけ見たら違いが分からなくなるぞ?当時の事件を資料を見ただけで同じように判断している可能性はないのか?
いいかげんに学習しろバカ犬。
>>171 >>まあ、いいじゃない。荒らしが何をここで喚こうが、世の中にインパクトがあるわけじゃなし、我々の話も同じ。たいして変わりゃしないんだから(笑)言説の力なんてそんなもんだ。過信しちゃいけないーそれが前提で遊んでるだけだ。
そうそう。社会派ぶったり善人ぶったりしているが君たちはミスチルをネタに頭で勝手に良いように妄想解釈をして遊んでいるだけだ。学習能力もなく。
>>172 >>人間が自分の経験からしか見えない-て話になる。
それを「なあなあ」と言うんだよね。「海に突き落とせ」とかは反対だけど。人にはそれぞれ仕方のないだけの理由がある。
環境破壊をしている人も殺人を犯した人も引きこもりの人も2ちゃんねら〜も。
個人として接する時とは分けないととね。今やっているのはミスチルだの社会だのへの批評や評論だからごっちゃにしたら駄目。
それが出来ないから日本を見渡すと「個人の事情(周りの顔色)」ばかり考慮された歪んだ論説になるの。家族関係とは別。
「海に突き落とせ」だの「抑圧的」だの勝手に飛躍させるな。俺はお前や読んでいる人間の家族ではない。
んで何?お前は20歳そこそこの引きこもり君なの?やっぱりお父さんと上手くいってないの?
いじめだか社会的な迫害をうけて大きなトラウマでも残っているのか?
それだったらこれ以上は言わない方がいいかもしれない。
>>173 知ってるよ。個人的に社会学者としての宮台さんはけっこう信用している。
権威がミスチルを誉めているのが嬉しいのか、自分の論旨に自信が無いのか、
ここぞとばかりに引用してくる奴が居るから「それは違うんじゃね?」と言っているだけ。
A:この人も管賀も結局、今、何が起こっているのか。これに対する視線が何にもないのね。ないから楽天的な、ずれた話が可能になる。また、“頭がおかしい奴らはまとめて訓練するか監禁しちまえばいい”的な馬鹿丸出しな結論に陥りやすい。 そうならない保証はない。やはり色んな説明読んでも、現状認識がずれてる、という結論は翻らないね。あと、たかだかMr.Childrenのようなバンドの活動にキンキンヒステリックに騒ぐな、ていうんだ。うっとおしくて仕様がない。
>>177 >>今、何が起こっているのか。これに対する視線が何にもないのね
管賀は知らないけど今、起こっていることは「なあなあ」「所属する業界や時代が変われば掌を返す」「周りの顔色ばかり気にして生きる」
そういう文化を背景にした国民性から来るものだと話している。
それなのに表面上の理屈や社会構造だけ西洋化、近代化しようとする問題がこじれる。お前のような馬鹿がね。
君のような「今、何が起こっているか」を見えていない奴が社会問題に手を出すべきではない。
どこを読んでそんな事を言っているのか?引用してみろ。
>>頭がおかしい奴らはまとめて訓練するか監禁しちまえばいい”的な馬鹿丸出しな結論に陥りやすい。
誰もそんな事は言っていない。お前の得意な妄想解釈だ。どこを読んでそんな事を言っているんだ?引用してみろ。
また、自分の「今、起こっていること」への認識が正しいというのなら、それを証明するだけのデータを持ってこい。
>>あと、たかだかMr.Childrenのようなバンドの活動にキンキンヒステリックに騒ぐな、ていうんだ。うっとおしくて仕様がない。
1からスレを見る限りミスチルに依存しまくってヒステリックに騒いでいるのはお前だ(笑)
俺は何ヶ月も2ちゃんにさえ来ていなかった。
家族は良好で20歳じゃないんだね?んじゃ遠慮なく言わせてもらう。
宮台とミスチルに依存して自立した自分の考えを持てていないぞ。
お前はただ閉じこもって本だか音楽だかを聞いて怯えているだけだ。
A:肉体二十歳君がまた喚いてるみたいだけどひとまずほっといて勝手に喋って行こう。今、一部の若い世代にはびこる苦しさが何なのか、我々なりに考えてみると、一言で言って、<不能感><不全感>または<生きることの無意味>ということになると思う。 つまり、何一つ、遣り遂げる価値あるものなどない。また、何一つ、真実の言葉などない。これは我々のような大人がどう捉えるか、ではなく、二十歳未満の人たちの感覚をとって考えている。 児童期が終わり、大人社会のとば口が見えてくる、 自分の将来的なことを考えることを余儀なくされる。そのような時期に、外面的な閉塞感と内部的な不能感が同時進行でくる。外面的な閉塞感は、大人社会が見え透いたものだという感覚から来る。内部的な不能感は、親子関係のどこかで心的外傷を負ってしまったり、 不信感が拭えなくなったり、または他人には見えにくい場所で、自分自身が他の人たちと違って、どこか不鮮明な自我を持っていることに気付いたり、様々にやってくる。先にも書いたように、これらは大人になれば、少しずつ氷解してゆく所もある感覚だ。 しかし、10代半ばや後半の人間に、それが大人になれば氷解する、とか悟るのはまず不可能だ。そこで、外面的な閉塞感と、内部的な不能感が全面的になる。つまり、自分が生きていることの無意味、が逃れがたい真理のようにして支配する。 今日の少年凶悪犯罪から我々が嗅ぎとるのは閉塞感と不能感だ。先にも書いたように、これは大人から見れば、なんてことのない、狭い場所からみただけの幻想である。しかし、重要なのは、そのような感覚が普遍的に見える場所がある、ということにある。 もしも、そのような少年たちに、更正の道を示すとすれば、“生きることはそんなにひどくはない”“君にしか出来ないことがきっと見つかる”といったメッセージを送りつづけ、その大人自身が身を以てそれを示すことしかないだろう。 多分、凶悪犯罪を犯した少年たちに、施設の大人はそのように接しているはずだ。
A:それから、「なあなあ」「都合が悪くなると掌返して逃げ出す」裏表文化?のような文化が諸悪の根源、というのは一面当たってもいるだろう。そのような日本人たちが社会が下らない、まともに生きるに値しない、という感覚を子供に与えている可能性はある。 つまり、我々の言葉でいう、外面的な閉塞感。だけど、それもあるんだけど、そこに現代日本の抱える問題を限定はできない。特に少年犯罪をめぐってはね。ただ、肉体二十歳君が言ってる話が何ら事態から外れてるわけではない。
>>179 >>180 kimochinowarui bunnno hajimekatawo suruna
お前が言っているような「不能感」「無能感」「生きる意味の喪失」「不鮮明な自我」は俺が勧めている
「菊と刀」「中空構造日本の深層」という本に書いてあるよ。
原因は「なあなあ」「所属する業界や時代が変われば掌を返す」「周りの顔色ばかり気にして生きる」 から。
周りの顔色を基準に生きるから自分の感じている事に鈍感になる。
周りの顔色によって結論を曖昧に「なあなあ」にするから言葉が機能しなくなる。成し遂げた感覚が得られない。
周りの顔色を基準に行動を決めるから「自我がなかなか確立出来ない」「人生の意味を見出せない」
根底の部分は何も変わっていないのに情報だけ氾濫し理屈ばかりの価値観だけが多様化している。
だから情報に振り回されると問題の本質が見えなくなる。同じこと何度もいうの飽きてきた。
何でメディアが大きく取り上げているだけでマイノリティである少年犯罪者にこだわるのか分からないけど。
一部の猟奇殺人犯を除いて5歳までの何らかの愛情不足が原因の可能性が高いからフォーカスするならそっちだよ。
「生きている楽しさ」は体感として理解している人、そういう経験を積んでいる人が言わないと伝わらないだろう。
「君にしか出来ないことがきっと見つかる」は自分の価値を周りに求めている生き方なのであんまり言わない方が良いと思う。
間違いなく言えるのは、お前の論旨はもはや滅茶苦茶だ。俺が言っているのは、 ミスチルは「なあなあ」「所属する業界や時代が変われば掌を返す」「周りの顔色ばかり気にして生きる」スタンスだ。 周りの顔色を気にしてメディアの流しているタイムリーな社会問題をそれっぽく取り上げて作っている(偽善的なメッセージ) 周りの顔色を気にして雰囲気にあった音楽を詞を作っているだけ。 でも結局、権利や立場を主張することは対立を生む。というのは当たり前なのに批判や糾弾されそうになるとダンマリ。 そういう奴の作品は言葉が浮いていて個人とかけ離れているから気持ち悪い。好みの問題。 メディア受けしそうな題材ばかり歌わないで「僕はみんなに嫌われたくない」「仲良くやりたい」 「楽しくやりたい」「誉められたい」だけどなかなか上手くいかないなぁとかそういう歌を歌えばいい。 だったら批判しないしむしろ好きになれる。中途半端に知ったような事を言わないで欲しい。 一人でA.Bとかやってると気持ち悪い。
183 :
考える名無しさん :2008/05/18(日) 23:48:21 O
B:しかし、先の君の話は、そこに留まるものでは実はないでしょ。実際、先の話で終わりなら、Mr.Childrenの「タガタメ」でもいいわけで、Mr.Childrenがさっきのような、“生きることはそんなにひどくはない”といったメッセージを曲に乗せてリスナーに 届けていることを、支える話に思える。我々の立場はそこに留まるものではない。具体的には、近年の少年凶悪犯罪にたいして、“イカレてる”と同時に“イケてる”と感じる感性が我々の中にある。つまり、あれらの凶悪犯罪に見られる、家族や社会にたいする、 一切の拒絶の感覚、向こう側に行き切る、一切を拒絶する、そういう感性があるわけじゃない?それがどこへ行き着くのかは解らないにせよ、あれらの凶悪犯罪にたいして、どこかで肯定的になる感性が我々の中にもある。つまり、“よくやった”と褒めたくなる、 というね。そこは凶悪犯罪にたいして、悲劇的にのみ対峙し、愛の欠如だとみるMr.Childrenが物足りなく見える点だ。あれらの凶悪犯罪にたいして、狂気であると同時に、何かを取り戻そうとした、むしろ、壊れることによって、人間として認められない、 そのような場所へ出ていこうとした、いや、意志的ではないとすれば、異常な場所へ何かに押し出されたかのようなね、その、狂気へ向けて誘われていったかのような点に、肯定的だよね。つまり、あれらの行為の中にに浮かび上がる拒絶にね。 そこに仄みえる供儀の感覚、そこに引き付けられるんだ。供儀というのは未開時代の人類が頻繁に行っていた動物や人間の殺傷の儀式だが、それと同じ香りがする。未開時代の感性を呼び戻そうとしたのか、もしくは予めそこへ来てしまっていたかは解らないけども。 いずれにせよ、供儀への渇望が垣間見える点で、Mr.Childrenの立場と全く同一にはなれないし、あのようなヒューマニズムというのは事件の位置付けとして、それだけだというのは納得しがたい。 で、ここらで少しスレッドをあげてみよう。
184 :
167 :2008/05/18(日) 23:58:05 0
>>187-188 ここまで読んだが
具体的な職業は知らんけど、お前社会福祉関係の仕事してるって書いてなかったか?
そういう奴が「気持ち悪い」を連発するなよ。
つか、なんで職種なんか書いたの?、ひょっとしてボランティアの話を出したから
俺は福祉関係の仕事してるから社会的な勤めを果たしてるよとか言う意味?
それがどう「社会を何とかしたい」とか言う話とリンクするんだか教えてもらえるか?
俺にはどんな職業でも仕事は仕事でしかないけどな。
それと「菊と刀」「中空構造日本の深層」はないだろ。
日本人は終戦直後から全く変わってないとでも言うつもりか?
古事記が穴だらけだから日本人は空っぽだとかいう強引なこじ付けを間に受けるのか?
そりゃ、島国で多神教でハングリーさが足りない国民性ってのは根幹にあるかも知れんけど
今起こってる事の全てを半世紀以上前のバイブルに集約させてどうする
ABくんも指摘してた様だからあまり突く気はないけど傍から見ると芯のある頑固親父ぶってる
けど何でもレッテル貼って不安紛らわしてる中空の人って感じだよ
>>183 >>近年の少年凶悪犯罪にたいして、“イカレてる”と同時に“イケてる”と感じる感性が我々の中にある。つまり、あれらの凶悪犯罪に見られる、家族や社会にたいする、
>>一切の拒絶の感覚、向こう側に行き切る、一切を拒絶する、そういう感性があるわけじゃない?それがどこへ行き着くのかは解らないにせよ、あれらの凶悪犯罪にたいして、
>>どこかで肯定的になる感性が我々の中にもある。つまり、“よくやった”と褒めたくなる、 というね。
ほぉ〜何で少年犯罪者にこだわると思ったら、自分がそういう人間に共感してる訳ね。世界の終末に憧れている訳ね。
そういう極端な思想って幼少期に自分を無条件に受け入れてもらえた経験が圧倒的に不足してると来るんだよね。
つまり君は不幸なマイノリティ側の人間という訳だ。その物差しを世間一般に当てはめるのは無理があるよ。
心理学でいうとインナーチャイルドワークっていうの?をやって報われなかった感情や受けとめてもらえなかった感情を出し切ることを勧めるな。
気分転換にミスチルを聞くのもいいが2ちゃんはあまり勧めないなぁ。PCのコミュニケーションって依存的で偏っているから止めた方がいいと思う。
辛い経験や感情を思い出さなければいけないらしいから大変だろうが。自分を取り戻せるように頑張ってね。
…あ〜疲れた。
>>184 いや別に変な憶測を巡らしてきたから職種を言っただけ。社会貢献とかリンクとか何の関係もない。
>>古事記が穴だらけだから日本人は空っぽだとかいう強引なこじ付けを間に受けるのか?
>>そりゃ、島国で多神教でハングリーさが足りない国民性ってのは根幹にあるかも知れんけど
「菊と刀」「中空構造日本の深層」にそんな内容はどこにも書いていない。ちゃんと読んでから言うように。
身近に起こっているいろんな問題も結局は個々のメンタルから来ている部分が大きい。
そのメンタルの共通項を見つけていくうちに文化や国民性の問題が見えてきた。
共同体の力が緩まってきたり、近代化、西洋化は進んでいるがまだまだ根が深いと思うけどね。
これも過去にコメントしてあるよ。
>>ABくんも指摘してた様だからあまり突く気はないけど傍から見ると芯のある頑固親父ぶってる
>>けど何でもレッテル貼って不安紛らわしてる中空の人って感じだよ
何故、いろんな価値観を許容しないと頑固でレッテルを貼っている人と思うのか?それも「中空構造日本の深層」に書いてある。
俺は「問題の本質は何だろう?」「正しい答えは何だろう?」と考えているだけだから、
ちゃんと自分やその周りを見渡して「それは全然違う」と言える資料を持ってきて論破してくれたらいつでも折れるよ。
187 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 00:31:28 O
A:それから、181レスで肉体二十歳君が俺の書いた、10代の<不能感><不全感>を“自分が読んだ本にある”、とか書いてるけんだが、そのこととは対象の位相が違う。今一度説明すると、肉体二十歳君が挙げているような、日本人の精神様式の分析とは別個に論じており、 個体の出生から思春期に到るまでの間に母子関係の中で蓄積されたものとして挙げている。なので、肉体二十歳君が言っていることとは別の領域の話になる。日本人論と関係あるとすれば、夫婦が擬制の間柄に堕ちているも拘らず、既に心の通い合いは失われている にも拘らず、世間体のために夫婦を続け、“立派な教育”や“恥ずかしくない我が家”の風評を維持しようとする、その結果、子供に出生期からトラウマを刻み込む愚劣さ、つまり、“立派な教育”の表層と深層の落差、体面重視、など、その辺だろう。
>>182 それぞれが技能と沢山の部下を従えてる様な沢山の人間が入れ替わりながら関わる
様な仕事の現場で周りの顔色も見ずに自己主張する奴って迷惑なだけだと思うけど、
ミスチルにもっと王様気取りになりなさいとでも進言してるのかな?
あるいは場も設けられてないし聞かれてもいないのにチベット問題について何か語れとか?
>「僕はみんなに嫌われたくない」「仲良くやりたい」 「楽しくやりたい」
>「誉められたい」だけどなかなか上手くいかないなぁとかそういう歌を歌えばいい
キミがやってみればいいんじゃないの?
ま、アクアとかコブクロとかと被りそうだけどね。多分俺は聴かんけど
>>183 タガタメの「愛す事以外にない」は愛情が欠如してると歌ってるんじゃなく
それ以外に出来ないという心情を歌ってるんだと思うよ
取りあえず横レスはこの辺で。
189 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 00:47:20 O
いえ、“横レス”なんて言わず、どんどん語ってください。
>>187 君が
>>179 >>180 で書いたような葛藤はそっちが勝手に現代の10代に絞っているだけで、
感じる奴は感じるし感じない奴は感じないレベルの話だったからね。
>>188 それは文化や組織によるんじゃない?白人文化だとガンガン自己主張してるところも多い。
社会問題をネタにするなら最低限のマナーとして小林よしのりみたいに自分の言葉で覚悟して喋れば?とは思うね。
やれないなら「僕はみんなに嫌われたくない」「仲良くやりたい」 「楽しくやりたい」
「誉められたい」だけどなかなか上手くいかないなぁとかそういう歌を歌えばいい。
俺はやらないよ。そういう人間じゃないから。
>>187 あ〜あと君は本の内容を推測してコメントしているけど「菊と刀」の10%くらい「中空構造日本の深層」に至っては全然当たっていないから。
読んでみれば分かるよ。
>>186 なんだ起きてたのか。
>島国で多神教でハングリーさが足りない国民性
ってのは俺が適当に考えただけだから乗ってなくて当然だよ
「中空構造日本の深層」は河合のだろ? 20年位前の。
大分前に読んだけど、古事記っていうか神話の中の主要なファクターは空っぽ
とかいう辺りのこじつけ臭が強くてほとんど印象に残ってないな
つか、誰かの本をバイブルにして勝手に偶像化された日本人像を忌み嫌うのも
西洋化を「進化」って思うのも昔の価値観でしか考えられない変な奴としか
思えんけどね
あと、精神の病は基本的には病気だよ。ソフト的な比重は軽くはないけど
ハード的にショートした状態でもあるわけだから、いくら生育環境や家族等の問題を
考えても答が見つからない場合も多い。食べ物の偏りとかでも起きるしね
逆に自分をそういう状況に追い込もうとしても簡単になれるわけでもない
193 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 01:09:09 O
B:まいったね。その人間が“幼少期に受け入れてもらえなかった”或いは“幼少期にひどく幸福であった”ことと、その人間が創造した作品ないし思想がどういう評価を受けるべきかは全く別個に考えるべきだろう。でなければ極悪人が書いた作品ないし思想は 極悪人が書いたがゆえに低い作品ないし思想だ、と予め決定されてしまう。こんなの話の前提条件だけどな。 それから、<拒絶>というのはマルティン・ハイデガーの著した謎めいた著作『哲学への寄与』のキーワードだ。 ハイデガーも察するに不幸な幼少期を過ごし、そこで自らの内面への洞察から哲学に入ったのではないか、と思うが、そのこととハイデガー思想がどれくらいな深さや射程を孕むかは別個に考えるしかない。これくらい前提条件として考えられる人間でないなら、 話にはならんね。 A:残虐行為に思想的意義を見出だしてる思想家って探せばいるよ。バタイユなど典型的な人だ。 B:よせよせ、言っても解らんのだから。(笑)こんな話が通ずる人間なら誰も苦労なんかするか(笑)
>>192 >>誰かの本をバイブルにして勝手に偶像化された日本人像を忌み嫌うのも
別にしていない。身近に起こっているいろんな問題も結局は個々のメンタルから来ている部分が大きい。
そのメンタルの共通項を見つけていくうちに文化や国民性の問題が見えてきた。
その時に勧められて読んだらその通りだと思っただけ。
神話の部分はどうやっても解釈の問題が入るからこじつけかもしれないけど、
日本社会の典型を表すスキームとしては合っていると思う。
>>西洋化を「進化」って思うのも昔の価値観でしか考えられない変な奴としか思えんけどね
そんなことは誰も言っていない。社会が近代化、西洋化していると言っただけだ。読解力を疑うね。
>>あと、精神の病は基本的には病気だよー簡単になれるわけでもない
いや、元来、人間の体ってのは健康に保とうとする力があるからよほどの貧乏でもない限り
精神が健康な状態で食べ物の偏りを起こすことは滅多にない。
寂しい人が拒食になったり、強いストレスをうち消す為に濃い味の物や酒を飲んだりそういう順番だよ。
たぐっていくと本人の思い癖とか考え方の偏りが出てきて、そのきっかけを探っていくと大概は幼少期の体験に行き着く。
お前、知ったようなこと言うんじゃねえよ。
>>193 >>その人間が“幼少期に受け入れてもらえなかった”或いは“幼少期にひどく幸福であった”ことと、
>>その人間が創造した作品ないし思想がどういう評価を受けるべきかは全く別個に考えるべきだろう。
>>でなければ極悪人が書いた作品ないし思想は極悪人が書いたがゆえに低い作品ないし思想だ、と予め決定されてしまう。
誰もそんなことは言っていないけど?どこを読みとったらそんなことになるんだ?眠いんじゃね?
お前は偏っているマイノリティでその事への自覚と客観性がない。読解力が乏しく勝手に妄想解釈するから批評が出来ていないぞ。
そういうのは幼少期のトラウマから来ている可能性が強いから心理療法でも受ければ?俺が言っているのはそれだけ。
A:相変わらず訳解らん男だな。人を励ましたいのか、落としたいのか。 B:いや、どっちでもなく、要するに、自分が強者であり、幸福であり、マジョリテイであり、健全であり、スポーツマンであり、女もおり、お前(ら)とは違う、てことを吹聴したいだけのただの薄っぺらな馬鹿だとだんだん解ってきた。 A:育ちで作品の価値が決まるとか確かに言ってはいないが、しかし、そんなことを問題にするまでもなく、育ちで他人をみ、見下げたりする癖が話から伝わってきてるからな。偏見の固まりだ。この手の蛆虫は早いとこ殺虫剤撒かれ死んだ方が世の中のためだ。
>>194 一つ聞くがキミの仕事って直接他人に関わるような類のもんじゃないだろうね?
もしそうで、ここに書いてるのはただのストレス解消だから適当に書いてる
というスタンスでもないとしたら即刻仕事を辞める様進言するよ。
俺は社会問題やミスチルの創作スタイルの「本質は何だろう?」「正しい答えは何だろう?」と真面目に答えているだけ。
間違っていると言うのなら、ちゃんと自分やその周りを見渡して「それは全然違う」と言える資料を持ってきて論破しろ。
とずっと同じスタンスで話している。
あんまりに読解力が無く勝手に妄想解釈をしていたり偏っていて自分がマイノリティである自覚と客観性がないので、
批評が出来ていないから「そういうのは幼少期のトラウマから来ている可能性が強いから心理療法でも受ければ?」
と言ったり、病人だったらこれ以上言うのは止めておこうかと思ったけど、何のリアクションもなく続けてくるから
元に戻っただけ。
>>人を励ましたいのか、落としたいのか。
とか言ってる段階で批評する資格ないよ。お前の気持ちと判断の善し悪しは何の関係もないんだから。
>>育ちで他人をみ、見下げたりする癖が話から伝わってきてるからな
自分の感覚や育ってきた環境を客観的に判断出来ていない批評をしているなら、
裕福な家庭や恵まれて育った人間に対しても「その批評は間違っている」と言うよ。
判断の善し悪しとは何の関係もないのだから。
そこら辺を情に流されてぐちゃぐちゃにしてしまうのが「なあなあ」の日本文化だ。
だから相手の顔色見て掌を返したり言葉の意味が薄まっていくんだよ。日本に生まれてよかったね。
>>197 超〜密に他人と関わっているよ。楽しい。辞める気ナッシング(笑)
199 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 23:24:41 O
今日、宮台の対談集を読んでいたら、以下のような発言があった。 《(オウムの)村井も多くの信者も、「人生は、生きるに値するから生きるのだ」「社会を、生きるに値するから生きるのだ」というドグマにかられています。しかも、この種のドグマは、いじめ自殺の多発に際して、「生きていればいいことがあります」 「生きているだけで尊いことなのです」「だから死なないでください」といった、マスコミから日教組教研集会にいたるまで覆い尽くしているメッセージの背後にもあります。当たり前のことですけど、自殺したり、「こちら側」を捨てる人間たちにとっては、 「生きていてもいいことがない」ことこそ自明なんです。むしろ、「生きているだけで尊い」などというメッセージが交わされること自体が、この社会の欺瞞性を象徴するものとして受け取られていて、だからますます「生きていてもいいことはない」と 思わざるをえないわけです。》 これは私などの感覚ときわめて近く、私もまた、自分が生きるに値しないのではないか、という疑問を抱きながら、ただズルズルと生きてきた。そこで、宮台はまたこうも言っている。 《ところが、面白いことに、「意味があるから生きろ」というのが生徒にとってウソ・メッセージであるのと同じように、教員にとっても「教員をやることに意味があるから、教員をやれ」というのも、ウソ・メッセージですよね。》 《教員をやることに意味があるというよりも、ときおり訪れる喜びが糧になって教員を続けてしまう。意味があるから生きるのでも、意味があるから教員をやるのでもない。せいぜい、一定の条件下では大いなる確率で「生き続けてしまう」 「教員を続けてしまう」にすぎないわけです。》 このような立場に全面的に加担しているわけではないけども、意図せざるして宮台が言ったような形で自分が「生き続けてきた」ということは幸か不幸か言えそうだ。 そこでMr.Childrenの近年の楽曲を考えると、彼らの近年の曲は、「生きるこは素晴らしい」「この世界は生きるに値する」という「励まし」「意味付け」が曲に何かと盛り込まれ、そこが何となく胡散臭げに聞こえる。 実際の彼らは、桜井はともかく、他のメンバーはまったりと生きるタイプ、まさに宮台が分析した精神様式の担い手であると思える。
200 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 23:38:29 0
200ちるちる
201 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 23:53:24 O
桜井もまた、「議論した翌朝はただの庶民に逆戻り」といった歌詞を書いている。つまり、桜井自身もやはりまったり型の精神の持ち主だと思える。実際、無理やりに「生きる意味」を、価値を見出だしたがっているかのような近年の楽曲が、本当に彼らの生の感性を 歌っているのだろうか、という疑問を抱かせる。 私は自分で自分を病んでいると考えており、ろくなもんではないことを自覚している。しかし、そのようなろくでもない内面や生は、そのことだけで何ら卑下すべきものでもない、とある時から思うようになった。それをもたらしたのはマルティン・ハイデガーの著作 であり、彼の本の副題にもなっている<世界一有限性―単独性>という概念を知り、それが例えば輝きに満ちたものであっても、反対に私のような、ろくなもんではなくても、ハイデガー的にいえば有Seynということで等価だと考えられるようになった。 Mr.Childrenはアルバム『深海』の当時、今よりずっと鋭敏な感覚で作っていた気がする。ニヒルでありながら力強かった。私は当時の方が、より共感できた。 しかし、彼らにすれば、自分たちは『深海』当時よりもずっと進化したのだ、 と考えているかもしれない。こんな時代だからこそ希望を無理やりにでも歌う必要はあるのだ、と反論するかもしれない。しかし、私は無理やりな希望は虚しいと感じる。リアルさを感じられない。
202 :
考える名無しさん :2008/05/19(月) 23:59:53 0
ミスチルの作り出す感動は、錬金術師の作り出す金と同じである。
>>199 >>201 お〜かなり正直な文章になってきたね。いいんじゃない。批評とかもう止めとこうよ。
社会生活をしていると,どうしても判断を求められるから頭を使っちゃうけど、
とりあえず何かやってて「生きててよかった」と感じられる事を探してみるのがいいかもよ。
頭を使いすぎると実存感が薄れるから。
頭を使うってのは諸刃の剣で例えば相手を判断するほど隣りに誰かが居ても孤独を感じたり、
せっかく良い天気で気持ち良いのに嫌な事を考えていたら鬱々したりもする。
要するに「今、自分が何を感じているのか=存在しているのか=主体性」を感じられるように、
頭じゃなくて身体感覚に意識を向けようということ。
それが出来れば、「今は何事もなく幸せだなぁ」と思える時間が増える。
ま、最初はかなり難しいけどがんばって。ばいばいき〜ん
>>203 なんじゃその胡散臭い説教染みた文面は
どうみても、自分のなりたいポジションにミスチルがいる事への妬みで絡んでたとしか
思えん底の浅さを露呈したのはキミの方だと思うよ
こんな奴が社会福祉と称して心のバランスを欠いた子どもの傍にいるとしたら危険だな
自分だけが正しいと思う無神経さでどんどん相手を追い込んでいっても気付かないだろう
>>202 錬金術は近代科学発展の先駆けとして有名。
ミスチルはJ-POP発展の先駆けということですな!(w
錬金術は亜鉛などの卑金属を、金などの貴金属に見せようとした インチキ化学とも言えるけどな。
チルスレに絡むオザケンヲタとALFEEヲタって稀少だね
さて、ミスチルの偉大さが分からない人が馬鹿であるかどうかは、必ずしも明らかではない。 しかし、以下のようなことは、明らかである。 まず、スレ違いのレスを繰り返すのは馬鹿である。これは2chである以上明らかである。 次に、ここのスレタイは「ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿」である。これも明らかである。 そして、このスレタイから、ミスチルが偉大であるとするレスや、その偉大さを他人に 分からせようとするレスが、スレの趣旨に合うのは当然である。逆に、ミスチルの偉大さが 分からないようなレスがスレ違いであることは、これも明らかである。 以上のことをまとめると、つまり、ミスチルの偉大さが分からない人が馬鹿であるかどうかは 明らかではないが、このスレでミスチルの偉大さが分からないようなレスを繰り返す人が 馬鹿であることは、明らかである。 要するに、こうである。 「ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿」
あと、これまでのレスを踏まえてもう少し、気になる点を書いてみます。福祉士さんとのカラミで出てきていた問題について。 バタイユという思想家がおり、彼は最初の小説、『眼球潭』を、当時受診していた精神科医の勧めで書いています。自分の中の抑圧を出来るだけ解除しながら想ったところを書いてみてはどうか、という勧めで。 で、結果的に倒錯的な性が奔騰する小説になった。バタイユは自身のことを狂人と名乗っていた。また、彼の小説や思想書は、彼のそういった資質と関係なくはないだろう。自身の中の抑圧とその解除の繰り返しが彼の中にあった。 ソんな病気の自己治癒力が彼の小説や思想だったのかもしれない。ただ、それを以て、狂人の書いた妄想とは結論づけ難い。人々の生の実感に訴える力によって、バタイユは20世紀を代表する作家になった。これがつまり、作品の普遍性である。 つまり、資質で作品の価値まで決められるわけではない。 もう一つは、宮台が「帰属処理」「切断操作」とのべているめので、自分がすんでいる世界は異常者が住む世界とは違うとする。異常な犯罪が起こった世界と自己は関係ないとする。これは異常な犯罪にたいして起こる一般的な反応だと考えられる。
また一つ、私が引っ掛かった問題とは何かと考えてみると、例えばある言説があり、それが普遍的か否かを問題とする場合に、どのような実証がありうるか。というような問題である。そこに、その言説を証明する統計データなりがあればよいのだけれど、ない場合など。 それでその言説は無効になるか。無効、という考え方もあるでしょうけれど、もう一つ、人々の生活実感というか、日々生活している中での、なかなか言葉に出しにくい、胸の中にしまってゆかれるだけの願望とか、不平とか、夢だとか、そんな感覚があると思いますが、 それらにたいして形が与えられた場合、やはりそれは言説の普遍性ととるべきではないだろうか。そこまでは言説の普遍性を拡張して良いんでは?という疑問で、それさえも否定されてしまうと、問題提起もしにくくなってしまうと思えます。
212 :
アンティーオナン ◆CDiYyaksok :2008/05/23(金) 09:57:18 0
B'z→ ほとんどの曲が盗作で本人らも認めている。新規ファンの獲得に失敗している。ギターの人は老いてる ミスチル→ 虐殺北京五輪のタイアップを断らない。ボーカル以外は存在感0。不倫再婚。顔デカ不細工ハゲ GLAY→ 若いカッコして顔しわしわで見苦しい。年考えろ。実際声も演奏もレベル低い。スイーツソング ラルク→ 身長156cmが全てを駄目にしている。すでに退化の領域。覚せい剤。ライブでは閑古鳥 サザン→ 売れなくなりメンバー見捨てて解散、ソロ活動。メンバーはジジババ。オタ層もジジババ スピッツ→ 昔は人気あったみたいだが今は廃れている。あの人は今。声以外は中学文化祭レベル。
213 :
209 :2008/05/23(金) 21:55:15 O
>>209 では書き漏らしたが、ミスチルが偉大であるかどうか疑問を呈するレスや、その偉大さが
他人にきちんと説明されているかどうか疑問とするレスが、直ちにスレ違いになるわけでない。
適当な内容・範囲であればむしろスレの趣旨に合うことは、これも当然である。
また、レスの流れに応じて多少話が逸れたり膨らんだりすることも、ある程度は当然である。
用もないのにミスチルの偉大さが分からないようなレスをひたすら繰り返す人は、馬鹿である
ことが明らかだ、ということである。
もっとも、可能性としては、ミスチルの偉大さなどに疑問があるというレスや、話が逸れたような
レスが続き、ミスチルが偉大であるとするレスが続かなかったり、その内容に説得力がないという
こともあり得る。その場合、結果的には、スレ違いのはずのレスが繰り返されることになる。
しかし、そのような場合は、もはやスレ全体が役割を終えたとして、別にアンチスレを立てる
などして対処すべきであろう。
つまり、結局のところ、こうである。
「ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿」
>>209 それは循環論法になっていて、結論が先に来てしまっている。
このスレで、ミスチルが偉大ではない事を明らかにしてしまうことも
スレとしては許される範囲ではあるまいか?
216 :
209 :2008/05/25(日) 10:50:57 O
>>214 で循環だとされているのは、当たらないと思う。改めてまとめると、このような筋道である。
1 適当な内容・範囲を超えて、スレ違いのレスを繰り返すのは、馬鹿である
2 このスレでは、ミスチルが偉大であるとしないようなレスは、スレ違いである
→3 適当な内容・範囲を超えて、このスレでミスチルが偉大であるとしないようなレスを繰り返すのは、馬鹿である
前提となる1、2は当然のはずだし、そこから3へと推論するのも論理的に問題ないはずである。
問題になるのは、「適当な内容・範囲」という部分であろう。
>>213 では、ミスチルが実は
偉大ではなかったとするところまでいくと、別にアンチスレを立てるべきではないかと考えてみたが、
そこまでならなお適当な範囲内だという評価も、あり得るかもしれない。
そのあたりには議論の余地があることを踏まえつつ、こうである。
「ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿」
217 :
209 :2008/05/25(日) 11:10:51 O
>>215 は意味がわかりにくいが、以下のような意味であるとすれば、哲学板らしいツッコミである。
つまり、
>>209 、
>>213 、
>>216 は、「ミスチルが偉大であるとしないようなレスを繰り返すのは馬鹿である」と
述べてきたわけだが、このようなレスも、ミスチルが偉大であるとするレスではないのは明らかなので、
一度くらいならともかく、三度も繰り返せば、立派に馬鹿である。
(自己言及のパラドクスにちょっとだけ似ているような気がする)
では、スレ違いではないと安心していえるレスは、どのようなレスか。
今分かる答えは一つ、こうである。
「ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿」
「ミスチルが偉大であるとしないようなレスは、スレ違い」 いや、この前提は哲学とは言いがたい。 もはや信仰になっており、懐疑する精神が欠落している。
>>216 スレタイトルから1、2は判断できない。
スレ主がスレのルールを決めている場合(批判はスルーしろ。荒しはボコボコにしろ。など)
それに従うのが当然であるがそれもない。
よって、「ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿」かどうかを検証するのも許容するべきだし、
1.2のような前提が崩れる可能性も含めて議論するのも自由である。
>>216 の独りよがりと取るのが妥当。
>>214 はそういう意味で循環論法という語を使っていると思われる。
220 :
209 :2008/05/25(日) 15:27:27 O
>>218 、
>>219 >>216 を読み返すと、自分のまとめ方が正確ではなかったので、訂正する。少しややこしくなるが、こうである。
1 適当な内容・範囲を超えて、スレ違いのレスを繰り返すのは、馬鹿である
2 このスレでは、ミスチルが偉大であるとしないようなレスは、適当な内容・範囲を超えると、スレ違いである
→3 以下の2つの条件を満たす人は、馬鹿である
a このスレで、ミスチルが偉大であるとしないようなレスを、適当な内容・範囲を超えて行う
b aのようなレスを繰り返し行い、その繰り返しの程度も、適当な内容・範囲を超える
こうであれば、あとは、2箇所の「適当な内容・範囲」を適当に検討すれば、十分ではないか。
何にしても、
>>217 で述べたように、このようなレスを続けるのは馬鹿の上塗りなので、
特に必要があれば別だが、一旦打ち切りにしたい。
最後に、そりゃろくでもなく論証なんてもんでもなく、まして同意が得られる兆しもないが、
ただ単純明快に言いたいことは、こうである。
「ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿」
>>220 文章をきちんと読んでからコメントしてくれ。スレタイトルから1、2は判断できない。
スレ主がスレのルールを決めている場合(批判はスルーしろ。荒しはボコボコにしろ。など)
それに従うのが当然であるがそれもない。
よって、「ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿」かどうかを検証するのも許容するべきだし、
1.2のような前提が崩れる可能性も含めて議論するのも自由である。
>>216 の独りよがりと取るのが妥当。
>>214 はそういう意味で循環論法という語を使っていると思われる。
終わらせるのならスレ主がスレを閉じればいい。
>>221 ではもう一度だけレスすると、まず1の前提が認められないのは、いくら何でも理解しがたい。
「ある種のレスがスレ違いかどうか」と、スレ違いであることを前提にして「スレ違いのレスを
繰り返すのが馬鹿かどうか」は、別の問題で、1は後者の問題だが、これに何か異論の余地が
あるのだろうか。全く思い付かない。
だから問題は、2(前者)のほうのはずだが、これについては、特に
>>213 を見ていただきたい。
ミスチルが偉大であるか疑問とするレスも、適当な内容・範囲なら、スレの趣旨に合うものだとして
いる。そして、ミスチルが偉大でないことまで示すことについても、(個人的には賛成しないが)
そういう評価もあり得るとしている。そして、どのような評価が妥当かを、適当に検討するのが
適当だろう、というのが、
>>220 の訂正である。
だから、
>>219 と取り立てて対立する点などは、ないはずである。
とはいえ、議論の真意という形のないものを、伝えるのはいつも困難である。そこで、こうである。
「ミスチルの偉大さが分からない奴は馬鹿」
この209(馬鹿)はスレ主?
ところでミスチルの曲の中で偉大なのは、どれだろう。 とりあえず『終わりなき旅』は、ベタが突き抜けた歌詞、激しい転調、かなり長い、と、 「偉大」の語感に合う気がする。
226 :
考える名無しさん :2008/05/31(土) 00:45:08 O
ミスチルは作風として、破綻をしないよう作られ過ぎている。ライブもそう。あれは予定調和の極みで、何の面白みも感じられない。偉大、偉大でない、以前の話。ミスチルの歌を、特に最近の曲を聴いてると、「TOMORROW NEVER KNOWS」でなく、「TOMORROW KNOWS」 て言葉が相応しい。人間観としても、一定の像しか受け入れていない偏狭さが支配している。描かれてゆく世界に安定感はあるが、未知数な予感は皆無。また、退けられている。あーゆー歌を好むのは高校の生徒会、などで活動している連中、くらいだろう。全然深みなし。 ミスチルの墓碑銘はもう実は立っている。見えてないのは本人とファンだけ。終わったと思う。
227 :
アンティーオナン ◆CDiYyaksok :2008/05/31(土) 00:52:47 0
俺も含めてだがチルオタは本当に痛い。チルオタとアンチルを兼ねる奴が沢山いる。これはマジだ
カスチル=世の中を無難にやり過ごすいい子ちゃんの歌 チルヲタ=病 でOK
あと「偉大」と言えそうなのは『I'll be』か。 歌詞の内容も全体の音の雰囲気も、明らかにやり過ぎ。そしてとにかく長い。 どれかが中途半端なら、ツッコもうとも思うが、これだけ全部揃えられると、真面目に聞いても ちょっと許される気がする。 しかし『I'll be』というと、ミスチル最大の汚点(俺比)であるシングル版『I'LL BE』が どうしても付いて回るので、それは大きなマイナスポイントだw
230 :
考える名無しさん :2008/06/01(日) 00:43:05 O
人間からみた進化、分別、前進、乗り越え、…Mr.Childrenの歌にちりばめられたそれらのテーマの普遍性こそ、今や問いに付すべき代物である。それらはバラエティーに富み、かつひたむきであり、力強い。しかし、必要なのは、それらの歌のもつ鋭さが、 人間から、というただ一つの場所を意味していることであり、人間の主観性を土台として成立する鋭さである。振り返ってみて、ロックが最もラジカルである場合、人間の主観性は破粋されるべきものでしかなかった。ロックが歴史的に、そこをいつも指示してきたことが、 ロックの意味を暗示してきたこと。ロックが歴史的に背負ったそれにどのような意味があるかはさして考察されることはなかったかもしれない。しかし、だからといってそれらに蓋をするのは間違いである。Mr.Childrenは西欧のロックに通じてはいるが、 しかし、その解釈がどのようなものかは彼らの歌から知れるものである。したがって、そこからみれば、Mr.Childrenの意義とは揺れ戻しである。揺れ戻しに一定の意味があるなら、Mr.Childrenの歌にも意味はある。しかし、Mr.Childrenのそうした存在意義は 途中経過的なものでしかないだろう。
>>225 、
>>229 と同系統(?)の「偉大」ぽい曲は、あとは『ALIVE』か。
これも歌詞がやり過ぎで長さも以下同様
しかし、こういう、何というか、暗い中で必死で頑張ります的な曲は、最近なくなった気がする。
つまり最近のミスチルは偉大ではないということかw
別の「偉大」を探してみると、例えば『彩り』はどうだろう。
表面的にみると、偉大というよりは脳天気な感じがしないでもない。
しかし、ポイントは、「そして些細な生き甲斐は 時に馬鹿馬鹿しく思える」のところだと思う。
本当は、主観的な生き甲斐なんてものは、客観的には大して意味がない、つまり
馬鹿馬鹿しいのが通常だと思われる。
それでも、その馬鹿馬鹿しい些細な生き甲斐を、なお毎日信じ続ける、というのは、
なかなか偉大な気がする。
232 :
考える名無しさん :2008/06/03(火) 13:25:45 O
YOUTUBEで90年代後半のMr.Childrenのライブ映像「マシンガンをぶっぱなせ」「EVERYTHING IT'S YOU」みたんだけど、アリーナは照明あたらず暗い、ステージも暗い、桜井は震える声で熱唱、田原は自分の演奏にエクスタシー、最近のライブとは随分違ってみえた。 こっちの方がロックっぽくて断然カッコいいよ。あれみて悪口言おうて気にはならない。最近のMr.ChildrenのコンサートはSMAPなどジャニーズ系と同じでしょ。何であーなったかねえ(笑)カッコ悪(笑)
早熟の天才は20代がピークって事でしょ
ブ桜井さんの笑顔腹立つ!吐きそうでした!これからもっとですね?カスチルはキモいんです。ちなみに私はマジですけど
『黒か白で答えろ』という難題を突きつけられ ぶち当たった壁の前で僕らはまた迷っている 迷ってるけど 白と黒のその間に無限の色が広がってる 君に似合う色を探して優しい名前をつけたなら ほら一番綺麗な色 今君に贈るよ (GIFTより抜粋)
236 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 14:46:23 O
このスレッドでの少年犯罪をめぐる対話から、人間が自己の生きている世界から如何に離れがたいか、他者の生きている世界が理解しがたいか、よく判る。 また、「戦前から少年の凶悪犯罪は頻発しており、今に始まったことではない」を謳う研究者についても、結局彼が主張するのはそこ止まりで、では日本史全体からみてどうなのか、例えば江戸時代から明治時代にかけて犯罪の形態は、犯罪者の意識はどう推移したか、 同じか、違うか、という辺りまでは行かない。 また、対話式でも指摘したが、凶悪犯罪という外面的なところだけに気を取られ、そこでの容疑者たちの意識の変貌という側面には気を回さない。それがないから外面的な数字や形態に気を取られた分析にしかならない。これは件の研究者の欠陥だと思う。
>>236 『黒か白で答えろ』という難題を突きつけられ
ぶち当たった壁の前で僕らはまた迷っている
迷ってるけど
白と黒のその間に無限の色が広がってる
君に似合う色を探して優しい名前をつけたなら
ほら一番綺麗な色 今君に贈るよ
(GIFTより抜粋)
自分には中学生がノートに書きためたくさい詩の程度にしか 聞こえない。でも、あれで大もうけしたんだから、羨ましい。
この詞をすばらしい、と思うってのは、もう ミスチルは新興宗教なんだなって思うわ。
238,239誤爆.失礼しました.
241 :
考える名無しさん :2008/07/12(土) 17:39:11 0
>>238 カプーリングの曲の歌詞を見るといい。
ミスチルファンミスチルファンと言いながら好きな曲何って聞かれると
馬鹿売れシングルをあげるやつはブームに乗ってるだけだろボケとか思うね。
シングル曲が一番いいって思ってる時点で4年後にはもう聞いてないだろ…。
まぁ、思春期の夏が一番好きとか言われてもリアクションに困るがなwwwwww
>>241 『黒か白で答えろ』という難題を突きつけられ
ぶち当たった壁の前で僕らはまた迷っている
迷ってるけど
白と黒のその間に無限の色が広がってる
君に似合う色を探して優しい名前をつけたなら
ほら一番綺麗な色 今君に贈るよ
(GIFTより抜粋)
243 :
考える名無しさん :2008/08/26(火) 17:56:48 0
「未来」は明らかに世界を牛耳る悪に対しての失望を示唆しているでしょう。 でも失望するだけではなく、歌詞の最後には未来を変える努力をしたいという 希望がうかがえる。
何故、ミスチル・・・?
音楽の話題は音楽板で
>>243 まあ同意。
でもそういう歌詞はミスチルよりB'zのほうが多いな。
最近のミスチルの歌詞は大概、恋愛絡みでつまんなくなってきてる。
248 :
考える名無しさん :
2008/11/04(火) 01:49:47 0