【ゼロアカ】東浩紀スレッド109【レベル低過ぎ】

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昼間たかし

ブログの隆盛、『東京タワー〜』そして『シャナ』に「自分語り」という共通項を見出している。
『東京タワー』で「恋愛」という幻想が弱り、新たに「家族」「故郷」という幻想が創造された一方、『シャナ』ではその破壊が見られる。
ここで容易に出される反論に「「恋愛」という幻想は弱ってなどいない」というものがあろう。
それは『恋空』とその読者を見てもらえればすぐに分かることだ。「非モテ」だって『電車男』のように「恋愛」システムへの参入を夢見ている。
ゼロ年代という社会背景をしっかりと捉えられていないということだ。
複雑化した個々のシステムが個別にそれと分からぬように一神教の原理で働いている。
(藤田直哉氏の『神狩り2』の天使参照。)「恋愛」も「家族」も邪魔し合うことなく一神教の神であり続けている。
セカイ系が「自分語り」の一種だというのはいい。
俺だったらゼロ年代を強く出すために、60年代アメリカにおける「ナラティブ(自分語り)」と現代の日本の「自分語り」を比較考察する。
60年代アメリカはベトナム戦争での敗北で大きな物語がその権力を失った。
さらにホロコーストや原爆なんかの「日常における崇高」が支配的になった世の中で人々失った言葉というのはかなり多かった。そこで人々は政府のナラティブから離れ、個人の言葉で語り始めるしかなくなった。
それに比べ、今の日本の「自分語り」は日本という国家に対する抵抗言説を構築しようなんて
気概があるわけではなくて、島宇宙やらセカイ系やらそんなんだよっていう論を書く。