101 :
考える名無しさん:
>>94 「体系への意志は誠実さの欠如」って、ニュアンスとしては
「誠実」をそのまま「誠実」として読むより、
永井均の『これがニーチェだ』の中で言ってる「率直」に近い気がする。
思ったこと、感じたことをあれこれ理屈付け・体系化しないで、
そのまま文章化していた。即興の絵描きや音楽家みたいに。
詩文形式において「考えるな感じるんだ」を体現してたんじゃないかな。
だから
>>95の言うように『道徳の系譜』みたいな論文形式だと、
むしろ体系化に対して「誠実」だったと思う。
102 :
Wittgenstein教:2008/04/04(金) 03:17:32 0
>>101 うーん、ちょっと違うと思う。
ちゃんと覚えてないけどたしか、「体系への意志とは誠実さの欠如なの
である」という考えは「体系への意志は複雑な事実を単純化、簡略化す
る働き」であるとう旨の文脈で述べられていました。
だから「率直」または「無垢」とかとはちょっと離れていると思うな。
ニーチェは「無垢」を重要視するけど、ニーチェが誠実であったのは
「どんな恐ろしい真実からも目を背けない強靭な意志と認識の勇気」
(『これがニーチェだ』p.37)に重きを置いていたからじゃないかな。
あと、ざっと『これがニーチェだ』を読み返してみたけど永井氏は
上記の通り「誠実」を「嘘」に対立させて描いてるね。
「率直」とはちょっと違うかもね。
(関係ないが、永井氏はあまり信用しない方がいいぜ。
会ってみればわかるけど。)
>>102よりは、
>>101のほうが良いね。
ニーチェは「誠実」を大きく分けて二種の意味で使う。
1は「真理への意志」という意味をこめて、主にネガティブに。
2は「自分自身に率直・正直であること」という意味で、ポジティブに。
「体系への意志は誠実さの欠如」の「誠実」は2の意味で使われている。
体系への意志は、閉じた体系を捏造することによって、他の遠近法の可能性を
否定しようとする意志だ。『曙光』318にこうある。
「体系家のお芝居というものがある。彼らは体系を仕上げようと思い、それの回りの
地平線を完成するので、彼らは自分たちの弱い性質を強い性質の様式で登場させる
ことを試みざるを得ない。」
地平線を完成して閉じた体系を造り上げる意志とは対照的に
ニーチェは「世界の無限の解釈可能性」を認める。
「ついに水平線はわれわれのために再び開かれたように見える。・・・
われわれの船は再び出帆してもかまわないのだ。」(悦ばしき知識)
ニーチェはこのように体系への意志を「弱さ」にもとづく意志と見ている。
弱さにもとづく意志は、自らを支えるための確固たるもの(その代表的なものが神)を必要とする。
それは、ニーチェの「誠実」の1の意味である「真理への意志」に近い。
「実際のところ、そうした真理への意志といったものが、ある種の奔放にして
冒険的な勇気が、危険な最前哨にいる形而上学者の功名心が、働いているではあろう。
がしかし、そうしたものとても、結局のところ、一握りの『確実性』の方を、
山をなす美しい可能性よりも好ましいとみなすことには変わりないのだ。その上さらに、
不確実な何ものかのためよりは、むしろ確実な虚無のために死んだ方がましだと考える、
清教徒的な良心の狂信者もいるであろう。」 (善悪の彼岸)
このような真理への意志に対して、
「多種多様の『真理』があり、したがっていかなる真理もない」
が、ニーチェの遠近法主義。
>>102 >ちゃんと覚えてないけどたしか、「体系への意志とは誠実さの欠如なの
>である」という考えは「体系への意志は複雑な事実を単純化、簡略化す
>る働き」であるとう旨の文脈で述べられていました。
「体系への意志は誠実さの欠如」は、『偶像の黄昏』箴言と矢26の短いアフォリズム。
「私は全ての体系家を信用せず彼らを避ける。体系への意志は誠実さの欠如だ」これで全部。
他にも同じ文を書いている箇所があれば教えてほしい。
【複雑な事実を単純化、簡略化する働き】という点に関しては
ニーチェは「事実などはなく、解釈だけがある」と考えるので、「事実」という言葉を
そういう意味では使わないと思う。
「単純化、簡略化する働き」をニーチェは「あらゆる有機体の根源的誤謬」と考えており、
人間もその誤謬から逃れることはできない。それが人間の生存条件だ。
だから単純化、簡略化すること自体をニーチェはネガティブには見ていない。
「或る特定種がおのれを保存しその権力を増大させるためには、それはその実在性の
構想のうちにきわめて多くの算定しうる不易のものをとらえていなければならないゆえ、
これにもとづいておのれのとる態度の範型が構成されうるのである。自己保存の有用性が、
動機として認識機関の発達の背後にある。」(遺稿)
106 :
Wittgenstein教:2008/04/04(金) 20:00:08 0
>>105 おお、すげーな。読みこんでるな。けれど、私の解釈はちょっと違う。
>他にも同じ文を書いている箇所があれば教えてほしい。
同じ文ではないが、私が念頭においていたのは下のほうだった。
(『偶像の黄昏』と混同してた。)
「体系への意志、これは、哲学者の場合には、道徳的に表現すれば、一つ
のより洗練された堕落、一つの性格上の病気、(中略)いっそう愚鈍に
ということは、いっそう強く、いっそう単純に、いっそう尊大に、い
っそう無教養に、いっそう命令的に、いっそう圧制的にということだ」
,1248『生成の無垢,上』(ちくま,1994)
私は、この「単純に」という言葉が引っかかっていたわけだ。
上の箴言をどう解釈するかだけど…
勿論「真理への意志」の意味合いも含まれていると思う。けれど、むしろ
私は体系というものが何らかの現象を不正に単純化し歪曲する働きである
、という解釈で読んでる。
たとえば数学についてもニーチェは批判的だけど、こういっている。
「数学に関しても事情は同様である。もしはじめから自然には決して
精密な直線とかほんとうの円とか絶対的な尺度などはない、と知られていたら
、数学はきっと成立しなかったであろう。」(『人間的』11)
これは、いわば(「事実」という言葉が悪ければ)現象を単純化、歪曲している
ということですね。「円にちかい形」を形を「円」に近似しちゃう。
「かどが丸い三角形」は数学的に問題視しない。体系ってこういうことだと
思うんだ。だから、「体系への意志」の箴言も私はこう読んでる。
107 :
Wittgenstein教:2008/04/04(金) 20:18:35 0
>>105 それから私があなたを一番批判したいのは下の点です。
>「単純化、簡略化する働き」をニーチェは「あらゆる有機体の根源的誤謬」と考えており、
>人間もその誤謬から逃れることはできない。それが人間の生存条件だ。
>だから単純化、簡略化すること自体をニーチェはネガティブには見ていない。
ニーチェが何かを「人間の存在条件だからネガティヴにはみていない」とい
うのは誤りだと思うな。根本的に。
たとえば、「人間は真理という誤謬なしでは生きられない生き物だ」という
言葉をみてもさ、これはまさしく人間の一面を否定的に捉えている批評
でしょう。(そう思わない?)陳腐な言葉になっちゃうけど、「ニヒリズム」
ってやつよ。
「人間はいまだに無意味である」という絶望的な現実に対して新たな
「価値付け」を行ったのが『ツァラトゥストラ』だと思う。
「lieber will noch der Mensch das Nichts wollen, als nicht wollen」
ニーチェの悲痛な叫びが伝わってくるよね。
108 :
Wittgenstein教:2008/04/05(土) 01:45:33 0
なあ、ニーチェ好きでヘーゲルも好きな人っている?
さっきの体系の話とも繋がるけど…ヘーゲル殺しやろうぜ。
109 :
考える名無しさん:2008/04/05(土) 01:48:13 0
君じゃ無理だよ
110 :
Wittgenstein教:2008/04/05(土) 02:05:16 0
111 :
Wittgenstein教:2008/04/05(土) 02:21:41 0
ヘーゲルの白痴ぶり。
@矛盾という言葉の意味をはきちがえている。
A「無限」を無意味にも二重化している。
B非理性的な人間の可能性を無視している。
Cナンセンスな文が多い。
D顔が気持ち悪い。
>>106 >私は体系というものが何らかの現象を不正に単純化し歪曲する働きである
>、という解釈で読んでる。
>>107 >たとえば、「人間は真理という誤謬なしでは生きられない生き物だ」という
>言葉をみてもさ、これはまさしく人間の一面を否定的に捉えている批評
>でしょう。
ニーチェは「歪曲」とか「誤謬」という語をを必ずしも否定的に使っていない。
「捏造」「虚構」「仮象」「嘘」なども同様。
「いやしくも何か崇拝すべきものがあるとすれば、崇拝されねばならないのは仮象なのではないのか。
そして、…真理ではなく…、嘘こそが神的であるのではないか?」(遺稿6[25])。
あらゆる世界解釈はそれぞれが一つの遠近法である。それは「虚構」であり「捏造」であり「嘘」だ。
それはニーチェの世界解釈も同じ。
だからニーチェは「誤謬」そのものを否定的にはとらえない。
問題はそれがどういう「誤謬」であり、どういう「捏造」であるのかということ。
ニーチェが「捏造」であると批判する時のポイントはいくつかあるが、
それが形而上学的世界(イデア的なもの)への信仰にもとづく捏造である場合がほとんどだ。
形而上学的世界への信仰をもつ者は、真なる世界は「発見」されるものと思っている。
それが「捏造(創造)」であるということに対する自覚がない。
その無自覚さをニーチェは批判する。
「『真理』とは、現存する或るもの、見出され、発見されるべき或るものではなく、
──つまりつくりだされるべき或るもの、過程に代わる、それのみならず、それ自体では
終わることのない征服の意志に代わる名称の役目をつとめる或るもののことである。
すなわち、真理を置き入れるのは、無限過程、能動的に規定するはたらきとしてであって
──それ自体で固定し確定しているかにみえる或るものの意識化としてではない。
それは『力への意志』の代名詞である。」(権力への意志552)
>「数学に関しても事情は同様である。もしはじめから自然には決して
>精密な直線とかほんとうの円とか絶対的な尺度などはない、と知られていたら
>、数学はきっと成立しなかったであろう。」(『人間的』11)
>これは、いわば(「事実」という言葉が悪ければ)現象を単純化、歪曲している
>ということですね。「円にちかい形」を形を「円」に近似しちゃう。
円に近い形を円と見なすことをニーチェは批判してるわけじゃない。
円に近い形を円と見なすことの背後には、【ほんとうの円】(イデア的なもの)への
信仰があるということをニーチェは言っている。そのことを自覚せよと。
>「lieber will noch der Mensch das Nichts wollen, als nicht wollen」
>ニーチェの悲痛な叫びが伝わってくるよね。
それは、弱者の中にも「力への意志」が働いているというニーチェの洞察です。
115 :
Wittgenstein教:2008/04/05(土) 11:06:30 0
>>114疲れてきたから私の主張を端的に書くな。
>ニーチェは「歪曲」とか「誤謬」という語をを必ずしも否定的に使っていない。
>「捏造」「虚構」「仮象」「嘘」なども同様。
は明らかにまちがい。あなたが下記のことを根拠としてあげているが
>それはニーチェの世界解釈も同じ。
少なくともニーチェは自分の「世界解釈」を捏造だとは言っていない思うよ。
>ニーチェが「捏造」であると批判する時のポイントはいくつかあるが、
>(中略)その無自覚さをニーチェは批判する。
「無自覚さ」じゃあなたのいう「率直さ」になっちゃうんじゃない?
「無自覚」であることをニーチェは「批判」してるわけではないよ。
キリスト者には「こっそりとこの世からいなくなって」もらうことが望ましいと
思ってるわけだ。
>それは、弱者の中にも「力への意志」が働いているというニーチェの洞察です。
そういう解釈もあるかも知れないが、逆に私の提示した意味で言われていないと
する根拠は何だ?ニーチェは「捏造」がはびこる世界に嫌気がさしています。
(たとえば『道徳の系譜』の「工場」のところを読んでみて)
また、キリスト教的価値観を否定する上での論法に「捏造」という言葉がでて
きているわけで、それは完全に否定的な意味を持っている。
116 :
Wittgenstein教:2008/04/05(土) 11:30:21 0
私のよくわからないこと
@ニーチェがヘーゲルを何箇所かで批判しているが、よく意味が酌めない。
私がアホだからだと思うけど。
Aクロソウスキーの『ニーチェと悪循環』が結局何をいいたいのかわからない。
これも私のせいだろうけどさ。
何か知ってる人いたら教えて頂戴!
117 :
横:2008/04/05(土) 12:14:24 0
>>107 >「単純化、簡略化する働き」をニーチェは「あらゆる有機体の根源的誤謬」と考えており、
>人間もその誤謬から逃れることはできない。それが人間の生存条件だ。
確かにニヒリズムにもみえる。
しかし、彼曰く、
「何も欲さないよりは、寧ろ無を欲す。」(うる覚えですが。。。。)
これも同じニヒリズムについて語っている。
ニーチェはよくニヒりズムを徹底した先に超人がなんとかと言う。
ニヒりズム自体(どまり)と、それを徹底するのは別だと聞こえる。
あらゆる力を利用しようと考えているように見える。
この辺が思惟的創造、俺的には進化の様。
第一、ニヒリズムには落ちやすいのだから、これを利用しない手はない。
よく言うでしょ、馬鹿とハサミは使いようって。
>>115 >>ニーチェは「歪曲」とか「誤謬」という語をを必ずしも否定的に使っていない。
>>「捏造」「虚構」「仮象」「嘘」なども同様。
>は明らかにまちがい。あなたが下記のことを根拠としてあげているが
根拠はそこじゃない。根拠として一つ引用しましたよ。
「いやしくも何か崇拝すべきものがあるとすれば、崇拝されねばならないのは仮象なのではないのか。
そして、…真理ではなく…、嘘こそが神的であるのではないか?」(遺稿6[25])。
では、重要なところだと思われるので、もう少し引用しておきます。
「あらゆる力の中心は、残りのもの全体に対してその遠近法を、つまりその特定の価値付けを、
その作用の仕方と抵抗の仕方をもっている。・・・そして『世界』とは、このような諸作用の
遊戯全体をあらわす言葉であるにすぎない。ここでは仮象について語る権利はひとかけらも
残されていない。」(遺稿14[184])
「創造(形成、捏造、虚構)の能力が、諸々の存在者の根本能力である。」(遺稿34[247])
「何が我々を強要して『真』と『偽』との本質的対立があるという仮定をなさしめるのだろうか?
・・・我々に何らかの関わりを持つこの世界が一つの虚構であってはならない理由があるのか?」
(善悪の彼岸34)
「我々は真の世界を処分した。どんな世界が残っているのか?ひょっとしたら仮象の世界が?
とんでもない。我々は真の世界と一緒に仮象の世界をも処分したのだ。」
(偶像の黄昏、いかにして「真の世界」がついに寓話となったか)
「真の世界」が力を失うことは「神の死」を意味する。それはニヒリズムをもたらす。
しかし「真の世界」とともに「仮象の世界」も処分し、【『真』と『偽』との本質的対立】から
脱却することは、神の死によるニヒリズムからも脱却することを意味する。
>>103で引用した
「ついに水平線はわれわれのために再び開かれたように見える。・・・
われわれの船は再び出帆してもかまわないのだ。」(悦ばしき知識)
は、そのような立脚点から書かれている言葉だ。
>少なくともニーチェは自分の「世界解釈」を捏造だとは言っていない思うよ。
それは翻訳の問題だろう。「捏造」と訳されるのが一番多いのは‘Erfinden’だと思うけど、
‘Erfinden’がいつも「捏造」と訳されているわけでもない。「創案」などとも訳される。
上で引用した遺稿34[247]の「捏造」が‘Erfinden’。そこでは「創造」の同義語として書かれている。
>そういう解釈もあるかも知れないが、逆に私の提示した意味で言われていないと
>する根拠は何だ?
あなたの解釈ってどれですか?
あなたが解釈していないようだから私が解釈したんだけど。
>>117 >ニーチェはよくニヒりズムを徹底した先に超人がなんとかと言う。
>ニヒりズム自体(どまり)と、それを徹底するのは別だと聞こえる。
上で少し書いたように神の死によるニヒリズムの徹底は、そのニヒリズムからの脱却でもある。
(ニヒリズムにもいろんな意味があるけれど、ここでは神の死によるニヒリズムについてだけ)
神の死(従来の諸価値の無価値化)によって現実世界があたかも無意味で無価値であるように
見えてくるのは、人がまだ「神」(真の世界)を価値の尺度として持っているから。
従来、現実世界は真の世界を尺度にして測られて「仮象の世界」として貶められてきた。
神の死によって残されたのは、まさにこの貶められてきた仮象の世界だから、
そのままでは人はそこに価値を見いだすことができない。
「ニヒリストというのは、あるがままの世界については、そういう世界はあってほしくないと
判断し、あってほしいと思う世界については、そういう世界は実在しないと判断する人間だ。」
(遺稿9[60])
>>115で引用した「我々は真の世界と一緒に仮象の世界をも処分したのだ」は、現実世界に
残っている「仮象」というネガティブな意味を捨て去ることを意味します。
(たとえば失恋した時に世界全体が無意味に思われるとしたら、それはそれまで自分がその恋に
最高の価値を置いていたからであって、それまで世界がその恋によって意味づけられていたから。
失恋とか、愛する人の死などの個人的なことならば、時間が経過して忘却することによって自然に
ニヒリズムからも抜け出せる。)
121 :
Wittgenstein教:2008/04/05(土) 20:15:36 0
>>119 >それは翻訳の問題だろう。
これは、「少なくともニーチェは自分の「世界解釈」を捏造だとは言ってい
ない思うよ。」という私の意見に対する反駁の具体的根拠にはならないな。
正しいと思うなら「Yes」。間違いだと思うなら「NO, because…」。これ
議論の上での基本。
>あなたが解釈していないようだから私が解釈したんだけど。
じゃあ、もともと、あなたは私のどの意見に反発したの?
まあもう、やめよう。水掛け論になってる。
一言いっておくと、あなたは人に何かを「教えること」と「押し付ける」こと
を混同してる。(あと引用がちょっと多いな)まあ、私も勿論そうだが、
誠実であることって難しいよな。
122 :
Wittgenstein教:2008/04/05(土) 20:28:08 0
>>117 >しかし、彼曰く、「何も欲さないよりは、寧ろ無を欲す。」
なんたる偶然。その文章が
>>107で私が引用したこれですよ。
lieber will noch der Mensch das Nichts wollen, als nicht wollen
ちなみに、『道徳の系譜』の最後な。
ところで、あなたは私に対して
「確かにニヒリズムにもみえる。 しかし、」
といっているところを見ると反論しているみたいだね。
私の理解力不足でよく意味が酌めなかった。
良かったら、もう一度説明してくれないか?
123 :
横:2008/04/05(土) 21:46:31 0
>>122 これはどうもです。
>lieber will noch der Mensch das Nichts wollen, als nicht wollen
>ちなみに、『道徳の系譜』の最後な。
これは偶然ですね。まったく分かりませんでした。
>>107より
>>「単純化、簡略化する働き」をニーチェは「あらゆる有機体の根源的誤謬」と考えており、
>>人間もその誤謬から逃れることはできない。それが人間の生存条件だ。
>>だから単純化、簡略化すること自体をニーチェはネガティブには見ていない。
>ニーチェが何かを「人間の存在条件だからネガティヴにはみていない」とい
>うのは誤りだと思うな。根本的に。
上記の「単純化、簡略化する働き」から「あらゆる有機体の根源的誤謬」
という文は簡単にまとめてしまうと、『変換』されると解釈しちゃいます。
どこで変換されるのかというと、人間の身体上(有機体なので)。
つまり感覚の事でもあると。
固い、柔らかい、重い、軽い。。。。。これらも誤謬。
(もっとも対象の近い位置にいるのが感覚だと。。。。誤謬ですが。。。)
しかし、おっぱいの柔らかさは誤謬でもいいものでは在りませぬか。ん〜。
しかし、おっぱいの柔らかさは誤謬でもいいものでは在りませぬか。ん〜。
強調の為二行にしてみました。
絶対手放したくない誤謬(喜び、動機)です。
こんな意味です^o^
124 :
Wittgenstein教:2008/04/05(土) 23:20:31 0
>>123 >しかし、おっぱいの柔らかさは誤謬でもいいものでは在りませぬか。ん〜。
そういうことか、してやられた。彼女によろしくな(^ ^)/
おまいら、発狂するぞ。発狂。
126 :
Wittgenstein教:2008/04/06(日) 01:00:41 0
ニーチェってある本によると「あやしげな宿」に泊まって、その一夜
が原因で梅毒におかされたんだってな。ほんとなのかな?
ニーチェとルー・サロメを描いてた映画でもそういうシーンがあった。
この映画は色々局部とか見えちゃってて「隠すとこは隠せ」と思った。
これは本当の話な。題名なんだっけな。「ルー・ザロメ 善悪の彼岸」
とかだった。ちなみに、ニーチェがサロメにふられて彼女の前で切腹
するシーンもある。
127 :
考える名無しさん:2008/04/06(日) 07:32:42 O
>>1がフランスニーチェ左派を踏まえてMüller-Lauter.jp氏と議論すればおもしろいのに。
Wit教氏は役不足だったな。。。
130 :
Wittgenstein教:2008/04/06(日) 11:44:03 0
>>128 そういうなら、あなたが参戦しなさいよ。上のMüller-Lauter氏との議論で私が
力不足だとする根拠はなんだろうな?
131 :
考える名無しさん:2008/04/06(日) 11:47:28 0
>>126 理解もできないくせにそれに粘着してるのおまえだけなんだよ。それもうネタにはならないんだよ。過去レス見てるんだろ?
ほんとに理解できてないの?
132 :
Wittgenstein教:2008/04/06(日) 12:02:06 0
133 :
考える名無しさん:2008/04/06(日) 21:55:52 0
134 :
1:2008/04/07(月) 02:48:36 0
竹刀で打ったりしないで。
135 :
考える名無しさん:2008/04/07(月) 03:03:18 0
殴るなんてそんな野蛮な行為を紳士の俺がするわけねえじゃないか。
安心したまえ。
思想史における君のニーチェの位置づけが聞きたいな。
136 :
1:2008/04/07(月) 03:51:12 0
巨匠かな。
137 :
考える名無しさん:2008/04/07(月) 04:09:02 0
なるほど、わかった。ところであなた本当に
>>1か?
だったらもっと詳しく語れ。
138 :
1:2008/04/07(月) 04:12:46 0
お金くれる?
幾らでも書きますし
仕事辞めますよ。
139 :
考える名無しさん:2008/04/07(月) 05:39:33 0
高い基準を設定した1が議論をリードするのが
望ましい。
このスレがそこそこ盛り上がってるのは、挑発的な書き方をした1の功績だよ。
141 :
考える名無しさん:2008/04/10(木) 00:45:27 0
興味で訊ねてみたいけど、
みんなはニーチェの著作に当たるために適した参考書でどんなの読んでる?
>>135 イデア論(プラトン)にデカルト、カントがちょっとした注釈を書き込んだが、
ヘーゲルは余計なことを書き込むし、ニーチェは落書きや黒塗りをしたので、
ウィトがもう一度易しく書き直した
かな。
143 :
考える名無しさん:2008/04/10(木) 02:02:09 0
144 :
考える名無しさん:2008/04/10(木) 13:05:44 O
>>140 >このスレがそこそこ盛り上がってるのは、挑発的な書き方をした1の功績だよ。
このスレが盛り下がったのは、1が遁走した功績?
146 :
考える名無しさん:2008/04/26(土) 11:22:19 0
働いてる奴、税金払ってる奴は馬鹿www
俺は一生童貞だし、この国がどーなろうがしったこっちゃないよ。
愛国心?ばっかじゃね〜の?むしろ俺は日本という国に恨みを
持ってるね。みんな好き勝手やってるのに、俺は悲惨な人生だ。
どんどん壊れていったらいいよ。しるもんか。
おまえらが俺のことなんてしらないようにね。
所詮日本は利権構造だ。コネさえあればたいして努力しないで
大金が稼げる。公務員夫婦の世帯年収は40歳平均で2000万円。
マスコミ・銀行・その他、利権構造下にあるものは全部そう。
こいつら普通に50代で2〜3000万稼いどる。大して仕事してないし。
親族経営会社で利益を親族に手当てして税金払ってない所も山ほど。
そんななかで手取り2〜30万、年収で3〜400万円程度で
この利権構造体を存続させるために働け、ってか?
利権構造下にないのに労働してる奴らって、馬鹿だろ。おまえ。
おまえよりも馬鹿でロクデナシがロクに働きもせずに
大金を稼ぎ、佳い女(男)を抱いてるんだぜ。
馬鹿らしさに気づいた奴らは働かねーよ。俺とかな。
財産食いつぶして、金が無くなれば自殺するさね。
どうせ俺はキモくて生命としても次世代を遺せないわけだし、
この社会体がどーなろうが知ったこっちゃねーよ。
あぁわかってるよ。俺が一番馬鹿だってことぐらい。
俺は生まれてはいけなかったんだよ。さぁ俺を殺せ。日本
「副島隆彦の学問道場」(気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板)
[852]下の「850」番の自文を 補足・説明しておきましょう。 投稿者:副島隆彦投稿日:2008/04/21(Mon) 07:23:02
再度、人類の政治思想の大きな流れを説明する。私、副島隆彦は、これを何十度でもしなければいけない。学問道場に集まる
人の、まだ、大多数が、私がたどり着いて、日本国内に、導入して、世界水準の知識として広めようとしていることの中身を、
まだ、多くの人が素朴にさえ理解していない。だから私は、これから、以下の説明を、何十度でもやる。もう遠慮などして
いられない。いくら、私の主著をちゃんと読みなさい、と言っても、なかなか、その水準には到達していない。
さて、それで、まず、ナチュラル・ラー(natural law 自然法、素朴な自然界の掟を守ろうとする思想)派がある。これを微分
(びぶん)して、ナチュラル・ライツ(自然権、natural rights ジョン・ロックやルソー)派が生まれた。ナチュラル・ラー派と、
ナチュラル・ライツ派の思想の対立を知っている、日本人知識人層(政治学者、法学者を含めて)は、まだ、まだ、今でもほとんど
いない。私の本から何とか学んだ、今の30台から下の、これから、政治学者や政治思想研究者になる者たち、数百人に、私が、
外側世界から持ち込んだ、この「世界の思想の流れの理解の仕方」が、ようやく理解され始めた段階である。私の本も読まない、
40台から上の、日本の知識人層は、ほとんどは、アホのままである。
私の本をかじり読みして、私と同世代か少し上の、朝日新聞(に書かせてもらう)知識人たち(私は、彼らのことをよく知って
いる)は、「副島隆彦は、右翼なのか、自分たちと同じ左翼リベラルなのか、判別できない」などど、言いあいながら、困惑して
いるそうだ。自分たちが、日本土人(どじん、原住民)のまじない師階級であり、かつてのお坊様のような存在なのだという自覚
がなかなか生まれない。その段階にも到達しない。そういう自己認識さえがない。
148 :
考える名無しさん:2008/05/03(土) 02:21:39 0
ニーチェLOVE
参考:ニーチェのスピノザ評
「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ。僕には先駆者がいたんだ、なんという先駆者だろう。
僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザを(読んで)認めるまで。………彼の説の五つの
主要な点に僕は僕の姿を見た。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近いのだ。
………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を苦しくさせたり、僕の血を流させ
たりした僕の孤独が、すくなくとも(スピノザを読んだ)いまは、二人連れの孤独になったんだ――不思
議だね!」
(ニーチェ。1881年、オーヴァーベック宛て書簡)』
150 :
考える名無しさん:2008/07/26(土) 14:17:34 0
あげ
そして、解釈だけが残った。
>>149 「うっとり」がキーワード。
キリスト教への回帰を除けばワーグナーとニーチェはやはり近い。
153 :
考える名無しさん:2008/09/13(土) 23:43:06 0
モコは ジェフ ベックや クラプトン、ジミー ペイジに…*
ジミー ヘンドリックスにも 負けないくらいの ギターを奏でたのです☆
そのギターの音は 宇宙の響きとも 言われました…*
モコのギターに 民衆は 大合唱を始めたのです…*
しかし…* おびえたミカンの通報で…*
警察が やってきて…*
たちどころに モコたちは 機動隊に 弾圧されたのです…*
モコのギターで 日本に 革命が 起きると …*
モコたちは 信じていました…*
だけど…*
敗北したのです…*
モコは 自分の無力さに 嘆き 号泣したのです…*
モコのギターは 敗北したのです…*
くやしいヨ☆
その後…*
連合赤軍が 浅間山荘事件や…*
よど号ハイジャック事件を起こし…*
革命運動は 終息していったのです…*
くやしいヨ☆
その後 モコは ギターを捨て 勤行を始めました…*
ギターの代わりに ご本尊に向かって 題目を 唱題したのです☆
折伏をして 学会員の増大に チャレンジしたのです…*
民衆を変えるのは 人間革命しかないと 判断したのです…*
そして 今…*
公明党は 政権を握り…*
創価学会は 勝利しました☆
<おそらくは両者の印象的な「二人の孤独」のゆえに、スピノザの姿は絶えずニーチェにつきまとっていた。
「隠者よ、私はあなたの正体を見抜いた[すなわち、仮面を剥ぎ取った]だろうか」
彼は実際に正体を見抜いたのだろうか。
と、「スピノザに」という詩のなかで彼は問いかけている。
「一者こそすべて」に愛の面ざしを向け
<神への愛>に酔い、知のもたらす至福に浸るーー
さあ、靴を脱げ! これは至純の聖なる土地なのだからーー
ーーしかし、この愛の下には秘かに、焼き尽くす、
復讐の炎が燃えさかっていた、
ユダヤ人の憎悪によって焼き尽くされたユダヤの神…
隠者よ! 私はあなたの正体を見抜いただろうか?
(ニーチェ貢作集j[ライプチヒ、クレーナ一社]第八巻、三六九頁
[邦訳、rニーチェ全詩集、人文書院、二二七頁]、英訳は引用者による)
スピノザについてのニーチェの評言のいくつかは、彼自身にも同じように当てはまるだろう。「病気の隠者」と
ニーチェはスピノザのことを呼び、詮索好きな俗世間から自分の最も個人的な哲学を隠すために「仮の衣装」
(彼の幾何学的方法)を身につけていた「内気」で「傷つきやすい」人間、とスピノザを評している。比喩の
方向を変えて、ニーチェはまたスピノザの仮面を「貞操帯」とも呼び、彼の個人的な哲学を「一人の処女」と
称している。性的なほのめかしは再び、この二人の独身哲学者(これはニーチェが他のところで強調してい
る類似点である)の双方に当てはまるのであって、それは「隠者」という言葉にさらに多くの光を投じている。>
(ヨベル『異端の系譜』p460)
スピノザとニーチェには、コナトゥスと力への意志、隠者=ツァラツストゥラといった相似点,論点が見出せる。
ちなみに、永劫回帰を思いついた直前、ニーチェはスピノザを発見しています。
ニーチェとスピノザに関しては、(すぐにニーチェがスピノザの理性主義に反発して決別するので無理もないですが)入門書ではほとんど語られないが最重要項目だと思います。
(それでも講談社学術文庫『ニーチェ』(山崎庸佑)、中公新書『ニーチェ』(藤田健治)は少しスピノザに言及していますが。)
1881年(7月30日=永劫回帰発見の直前)のニーチェのスピノザ評は
>>149
永劫回帰の発見以後、1881年から1882年にかけて、ニーチェはライプニッツによる「意識は表象の一偶有性
にすぎない」というテーゼを賞賛している。
(『悦ばしい知識』第5章「われら恐れを知らぬ者」357、講談社学術文庫『ニーチェ』山崎庸佑p338参照)
アガンベンやカウルバッハがしたようにライプニッツの先見性が見直されるべきだろう。
参考:
http://d.hatena.ne.jp/m-takeda/20060914/p1 バートルビー 偶然性について』
http://essentia.exblog.jp/2934781/ フリードリヒ・カウルバッハFriedrich Kaulbach『ニーチェにおけるモナドロギー』
ただし、先に示したようにニーチェはライプニッツに関しては自覚的だったと見ていい。
ハイデッガーが強調するように論理学的な認識の果に、論理学を否定、逸脱する力をそこにみるべきなのだろう。
個人的にはヘーゲル経由でスピノザが誤解されていることが多いので、ライプニッツよりもスピノザを強調したい。
なぜならニーチェの永劫回帰はライプニッツ経由の論理学的なものというよりはスピノザの無限理解に基づいた
より数学的なものだからだ。
ニーチェをカントの批判の延長と考えた(ニーチェの仮想敵はカントであるのは間違いない)ドゥルーズも
スピノザとニーチェに言及しながらそのことを強調しているように思えるが、柄谷行人の方が明確にスピノザ
の無限に関して書いているので(『探究2』)、今後のニーチェ読解に有効だと思う。
(ドゥルーズの批判を援用し、ニーチェが様相の逆転を目指し、想像力を擁護することを協調するならば
ニーチェはネグリあたりと近いということになる。)
また、ニーチェの歴史的なものに対する戦いは、題材は違っていても、スピノザの『神学政治論』にその
理想的な形を見出せると思う。
159 :
訂正:2008/09/30(火) 00:31:44 0
>>158 >1881年から1882年にかけて
↓
1886年
160 :
石垣眞人:2008/10/17(金) 14:54:53 0
161 :
考える名無しさん:2008/11/21(金) 15:32:39 0
ニイチャン
162 :
考える名無しさん:2008/11/21(金) 16:43:12 0
ネエチャン
163 :
訂正:2008/12/16(火) 00:22:47 0
/
/CフィヒテDシェリング
/ ドイツ哲学
/Aヤコービ Bカント____
/ベーコン <近代> 知性の時代
/とベーメ /デカルト,スピノザetc
/________/_________
/ /(宗教改革)
/新プラトン派 『哲学』 /復興
/ /
http://www.hegel.net/en/gif/antike-e.gif <ギリシア>/ / <中世>
/ タレスから /独断主義 / /
/アリストテレス/と懐疑主義/ アラビア / スコラ
/_______/_____/_______/________
/(詩)
http://www.hegel.net/en/e33.htm /
/_______ /_______
/(絵) /(音楽) / /(教団)
/ <個別>____ <絶対的精神> / <完成>/
/ 建築 /彫刻 / 概念 /(父) 表象 (子)
/_______/_______ /_______/_______
/ / / /
/芸術 『芸術』 /ロマン的 / /( 2ギリシア,3ローマ)
/ / /祭祀 『宗教』/ C自由
/ <理念> / / <形態> / /(1ペルシア,ユダヤ,エジプト)
/ / / / / <概念> / / <規定> /
/ 美 /自然 / 象徴的 /古典的 / / / /(中国,印度
/ 概念 / 知 / / / 概念 / 知 /A直接的自然 /B分裂 仏教,ラマ教)
/______/_____/________/________/______/_____/________/________
169 :
考える名無しさん:2008/12/16(火) 22:50:20 0
ヘーゲルは大家の奥さん手をだして、21歳若妻と三角関係泥沼に、女性関係苦労人。
ニーチェはリルケにザロメを寝取られ、クロソウスキーはリルケにママンを寝取られ、被害者の会成立。
よって?後者の価値。
ヘーゲルには私生児がいて外国で戦死している。
ニーチェは発狂したと言われているが、発狂したら普通手紙など書けない。
近代ドイツはいろいろ大変だったがヒトラー以前で彼らはまだましだった方だ。
亡命せざるを得なかった知識人というものを今の日本人は想像できないのではないか?
171 :
考える名無しさん:2008/12/17(水) 18:30:48 0
逐語訳の読みにくさに亡命知識人を夢想 くらいしか。
172 :
考える名無しさん:2008/12/17(水) 19:36:14 0
近年のニーチェ研究は英米系が盛んというので思い出した。
大大昔ジュリアン・ヤングのnietzsche's phirosophy of artを読んだがクソであった。
表紙はウッチェロ。俺の時間を返せと思ったが配達人が料金を回収し忘れていったので
一勝一敗か(?)。ちなみにcompanion to aestheticsとかいう本のニーチェの項目も
記述しておられた。それは上述の本の内容の要約であった。
ニーチェの芸術思想もくるくるランドという内容だったと思う。
別にアカデミックな意見でも有益な情報でもないです。
重箱の隅の多くは負債にしかなりません。
物事には優先順位があるものだと激しく痛感したものでした。。
173 :
考える名無しさん:2008/12/17(水) 20:00:43 0
174 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 21:37:10 0
可能性の中心はずばり・・
175 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 21:39:14 0
とりあえず、あらびき団にでて戯れてみよう。
176 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 21:44:52 0
虚無僧になって日興シティのまえにきたりて笛を吹く。
177 :
考える名無しさん:2008/12/19(金) 22:21:24 O
江戸時代に増えた虚無僧は罪があるので其が臨済宗が今受けている。そもそも上に立った仏陀の罪が臨済宗にはある。問答禅は確かに理にかなっているが下手をすると後々云々
178 :
考える名無しさん:2008/12/20(土) 16:11:35 0
可能性の中心、それはニーチェ総受け本です。
ニーチェ:総受け
ワーグナー:俺様受け
あれ?話が展開しない。
179 :
考える名無しさん:2008/12/20(土) 16:34:38 0
【攻め群】
ハイデガー:年下セクハラ攻め
クロソウスキー:幽体離脱攻め
【受け群】
ニーチェ:総受け
ドゥルーズ :へたれ受け
アルチュセール:発狂してる間受け
バルト:柔受け
フーコー:剛受け
リオタール:常識受け
ボードリヤール:痴呆受け
デリダ:じらし受け
ラカン:司祭受け
【分類不能】
バタイユ:SM受け、隠れリバ
セール:欠席
ビジュアル的には地獄絵ですが、よき設定とかあればどうぞ。
「監獄モノ」なんてピッタリだと思います。
180 :
考える名無しさん:2008/12/21(日) 13:30:27 0
作画と脚色はよしながふみがいいな。
181 :
考える名無しさん:2008/12/21(日) 14:44:52 0
天使を好きな人は多いが、天使はスピノザが好き。
182 :
考える名無しさん:2008/12/21(日) 15:57:58 0
ジュリアン・ヤングって「ニーチェの芸術思想はwounded mindからうまれたクルクルランド」ってやつだったか。
なんかどうしようもないような。ニーチェは創作者のための唯美主義で、クロソウスキーは神秘的直感の系譜でしょうか。
183 :
考える名無しさん:2008/12/21(日) 16:48:02 0
付録でおそ松くんの801。
作画と脚色は岡田あーみんを推薦します。
184 :
考える名無しさん:2008/12/21(日) 17:06:13 0
舞台は空き地、塀の隙間、忍者屋敷、大学の書庫、公園の噴水、公民館。
岡田あーみんもよしながふみもネームセンスいいですね。
185 :
考える名無しさん:2008/12/21(日) 20:37:04 0
186 :
考える名無しさん:2008/12/21(日) 20:53:08 0
187 :
考える名無しさん:2008/12/21(日) 21:09:45 0
タイトル案
「哲学者は脱獄の夢をみるか?」
「監獄ラッピング」
「裏切る理性とためらう悟性」
188 :
考える名無しさん:2008/12/21(日) 21:14:27 0
BGM案
カルミナ・ブラーナ
橘オーナーの店には未来派の絵がバーッとかかっているという。
189 :
考える名無しさん:2008/12/22(月) 19:13:32 0
ヘーゲルに、「ニーチェ君、君はそんな考え方しかできないのかね!?」とか言って欲しい。
で、ハーモニーだの世界精神だの革命に失敗した後憔悴しきった感じで
「お前の無邪気なとこ、ホントはずっと見てたんだ。」「好きだったんだ。」とか言うべきである。
やっぱネームと設定を考えてるうちが一番楽しいわ。売れないだろうな。
190 :
考える名無しさん:2008/12/22(月) 19:32:33 0
サウスパークの作者に頼むのが妥当なんだろうけど絵が幼稚だし微妙な萌えニュアンスは描けないよな。
人選はよしながあーみんしかいないのかなあ。
近現代史の哲学者たちが少女たちのオカズ(餌食)になるのはいいんだけどビジュアルがひどすぎて萎える。
シルベール×ディック本ならハンサムなんだけど、年がなあ。でもやっぱ「これを言わせたい」とか「設定はこれがはえる」とか考えてると
思想史的理解が深まります。日常の何気ないことをドラマ化したり細部にこだわるのはよい。ピンチョンも参考になる。
ニーチェは「お前ってホント、お尻を貸すか?って感じだな!」とか誰かに罵られてホシイ。
191 :
考える名無しさん:2008/12/22(月) 19:39:36 0
ヘーゲル×ニーチェの下克上本希望。タイトルは「城」。
192 :
考える名無しさん:2008/12/23(火) 02:48:50 0
男性や二等男性のような女性 のヒステリーをひきだすようなものをかけばいいんですよ。
193 :
考える名無しさん:2008/12/23(火) 17:49:45 0
↑飽きた。
194 :
考える名無しさん:2008/12/24(水) 15:20:52 0
それぞれの思想家の強みと弱点をカードにしてBL対戦させるわけです。
単純な勝ち負けではないところが良い。単なる脳トレのような気が。
195 :
考える名無しさん:2008/12/24(水) 15:56:54 0
>>1を見て、かなりレベルの高いスレなのかな?と思い覗いてみたら
猿が書いたようなゴミレスしかなくてワロタ
196 :
。:2008/12/24(水) 18:15:04 O
>>194 それぞれの弱みと強みって何なの?思想に強弱がありますってか?
197 :
考える名無しさん:2008/12/24(水) 19:37:40 0
198 :
考える名無しさん:2008/12/24(水) 21:15:40 0
攻めが少ないので足してみる
悪魔攻め:ゴダール 幽体離脱攻め:ピンチョン
ゲリラ攻め、鬼畜攻めもあると良い。
グールドはなんでしょうか。考えていて我ながら退屈である。
199 :
考える名無しさん:2008/12/24(水) 21:17:22 0
浅田ファン乙w
200 :
考える名無しさん:2008/12/24(水) 22:31:03 0
BLは象徴界への裏口入学のようなものなのか。