ゼロ年代の想像力(第11回)DE
疲弊してきた……続き本屋で買って読んでくれ。以下要約。
>●『ハルヒ』から『らき☆すた』へ
『らき☆すた』は「空気系」でぜんぜん酸っぱくない、素直に憧れてめいっぱい楽しめる、京アニは神。
『らき☆すた』の特徴は内容よりも消費形態にある。『らき☆すた』とニコニコ動画との関係についてを
東浩紀の劣化コピーのおまいらに、宇野さんが(また別の機会に)詳しく論じてくださるそうです(笑)
ただ「空気系」の作品は、現時点では男性ユーザーの所有欲が保証される範囲で祝福される日常性でしかない。
その空間は「誤配」のない再帰的な共同性の中でローカルなナルシシズムが確保される空間で、「萌え」サプリメントの
効率的な搾取のための箱庭にすぎない。誤配(笑)効率(笑)
>●ブルーハーツからパーランマウムへ
山下敦弘監督の劇場映画『リンダ リンダ リンダ』(2005年)について。
これはブルーハーツのコピーバンドの話、「パーランマウム」はバンド名、韓国語で「青い心」の意。
この映画に描かれてるのは他愛もないやりとりで、それが特別なものでないからこそ、魅力的だ。
本当に日常の中にロマンが存在するのなら、矢口的なドラマチックな「物語」すらいらない。
>こんなシーンがある。パーランマウムのメンバーが所属する軽音楽部の顧問を務める教師が、生徒に励ましの言葉をかけよう
>とする。教師は、自分が生徒だったころどんな思いを抱いていたか、そして今、教師として彼女たちの姿を見てどう思うか――
>そんな思いを口にしようとするが、モゴモゴしているうちに「先生、もう行ってもいいですか?」と生徒に話を打ち切られ
>てしまう。そう、余計な(矢口的な)説教(物語)なんていらない、青春はただそこにあるだけで美しいのだ――そんな
>スタッフの態度が伝わってくる名シーンだ。
トークラジオでモゴモゴした宇野さんGJ。
まぁ総じて、東浩紀の方程式から「大衆文化」を評論する、が宇野さんのスタンスとなったようだ。
宇野の醜悪な「転向」を晒すために転載しました、おしまい。