ゼロ年代の想像力(第11回)@
>●なぜ「学園」を解雇するのか?
>前回は昭和ノスタルジーブームを取り扱ったわけだが、今回はゼロ年代日本映画を代表するもうひとつの潮流、
>「学園青春」ブームについて考えてみたい。
>周知の通り、このブームは2001年公開の矢口史靖監督『ウォーターボーイズ』のヒットに起因している。
>(…)多くの類似企画を生み続けている。(…)これらの映画はいずれも(一)広義のクラブ活動を舞台とし、
>(二)成績など社会的な達成は重視されず、(三)むしろ過程での連帯感が達成感につながるというフォーマット
>が共通している。(…)この矢口フォーマットが根強い支持を集めるその理由について考えてみたい。
>学園とはこの島宇宙化の時代に残された数少ない共通体験である。(…)学園とは、言ってみれば単一の
>アーキテクチャーの上で異なる価値観を有するコミュニティ同士が衝突する、決断主義的バトルロワイヤル的
>な現代社会のモデルがコンパクトにまとめられた縮図なのだ。
>では『ウォーターボーイズ』はこれまでの「学園青春もの」とどこが違うのだろうか。(…)ポイントは端的に
>言ってしまえば、そこに描かれる「青春の美しさ」が、「成功」や「社会的意義」といった「意味」に支えられて
>いない点だ。(…)「全国大会で優勝すること」でもなければ、「(思春期ならではの特権的な)大恋愛をすること」
>でもない。むしろそういった特別な意味(社会に保証された「価値のあること」)がそぎ落とされたからこそ浮かび
>上がる、連帯すること自体の持つ楽しさ、演技や演奏そのもののもつ楽しさが強調されているのだ。
>ではなぜ、青春から「意味」はそぎ落とされなければならなかったのか? それが今回のテーマである。(…)
>この矢口的「青春」観は(…)大きな射程をもつ問題に他ならないと考えるからだ。