心の仕組みドットコム

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946NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/03/19(水) 18:20:04 0
キュピーン!見える!キュピーン!分かる!
悟りのエリアはすごいですね♪
見えます!嘘で固めた現実という事が・・・!
947心の仕組みドットコム:2008/03/19(水) 18:28:27 0

>>845
>すなわち、自我を抑えて客観的なものの見方をすることで、
>世の中を正確に知ることができるということだろうか。
自我を抑えると欲求不満と言う無理が生じますので、自我はそのまま放置しておいて下さい。
そして他我を育めば、他我の育った分だけ自我は消滅します。
>追求するようで恐縮だが、脳内での尺度というものが寸分の狂いもない
>精度を持つということの論拠はあるのだろうか?
ほぼ正確に測れますが、この件は貴方に他我を育て理性を産みだして戴かなくては説明の方法がないのです。
表の物差しではなく頭の中の物差しですから、その実感を伝えられないのです。
兎も角、言えることは悪い考えは一切持てませんが長年着けていた目隠しを外した様なものです。
色々なものが見えてきますので、面白いと言うか楽しいですので人生観が変わりますよ。
私の言うことを信じなくて良いんです。
法則は、そうすればそう成ると決まっているのですね。
948考える名無しさん:2008/03/19(水) 18:55:46 0
>>947
他我を育たせれば、頭の中に物差しが生じる。
この両者の関係というのは何だろう。
自我を可能なだけ消滅させて得られるのは、他我を主とした心。
偏見などを捨てて、客観的な正しいヴィジョンを得られるということだろうか。
どちらにせよある種の尺度を備えるには、公平な視点以外の要素が必要に思う。
日常においても、単に見ただけで物の重さが正確にわかることがないのと同じだ。
これについてはどうだろうか?

どうでもいいことだが、アンカーが100ほどずれている。
949考える名無しさん:2008/03/19(水) 18:57:46 0
ドットマジで痴呆すぐるwwww
950NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/03/19(水) 19:00:20 0
自分から見た他人を自分が思いやるってありがた迷惑ってことは無いですか?
951考える名無しさん:2008/03/19(水) 19:02:15 0
それが実際に正しい思想かどうかは別に、一つの考え方として見るのはいいんじゃないか?
キリスト教について考えたりとか、アーレフの布教活内容について考えるのとかとさ。
952:2008/03/19(水) 19:02:56 0
>一番罪深い欲望は天国や来世を願うことです。

何故でしょうか?
953心の仕組みドットコム:2008/03/19(水) 20:19:21 0
>>948
他我を育めば理性が育ち物事の理を悟り知ることができます。
この理が物差しです。
>自我を可能なだけ消滅させて得られるのは、他我を主とした心。
自我を消滅させても他我が育つとは限りません。
他我を育てる為のプロセスが大切なのです。
>どちらにせよある種の尺度を備えるには、公平な視点以外の要素が必要に思う。
>日常においても、単に見ただけで物の重さが正確にわかることがないのと同じだ。
やはり、理と言う物差しを手に入れて戴く以外に方法はないと思います。
私もこの件では5〜6年、取り組んでいますが、結論としては物事の理を悟る方法を伝え、その後は相手に委ねることが一番だと言うことに達しました。
>どうでもいいことだが、アンカーが100ほどずれている。
そうですね。
済みませんでした。

>>952
☆一番罪深い欲望は天国や来世を願うことです。
随分、古い書き込みぜすよね。
命の限りを知り、その命を大切に扱うことから理に通ずる心が育ちます。
従って、来世や天国に想いを馳せればその段階で人は真理に通ずる道が断たれます。
そして、その様な思想を扱っている者達は教義を教え従わせることを旨としますが、それを習い覚えた者達は思考を失ってしまうのです。
つまり脳にインプットされた教義と言う命令に従うと言う一種のロボット化してしまうのです。
ですから誰しもが感心する素晴らしい教えで有っても、それを吹聴しては成らないのです。
どんな者が言おうと命のお代わりは有りません。
誰しもが一度限りの人生で生きているのに天国や来世など、命の代替えを望むなど厚かましいと思いませんか?
954考える名無しさん:2008/03/19(水) 20:30:49 0
>>953
>やはり理と言う物差しを手に入れて戴く以外に方法はないと思います。
つまり言語による伝達は不可能であるということだろうか。
しかし意味から言葉が作られたというあなたの言からすると、
『尺度を得るための「公平な視点」以外のファクター』という言葉がある以上、
その中身である「理」についての言語化は可能ではないだろうか?

また言語化による「理」に関する知識の定着ができないのならば、
どのような形で記憶されるのだろう?
単に「わかる」というのであれば、クオリアとさして変わらない。
理はクオリアだと思われるか?
955考える名無しさん:2008/03/19(水) 21:10:41 0
>>953
>誰しもが一度限りの人生で生きているのに

その証拠はありません。
真実かどうかわからないことを断言するのは無知蒙昧なる者がすることです。

>天国や来世など、命の代替えを望むなど厚かましいと思いませんか?

天国は命の代替えではないし、
来世は死後もこの宇宙という世界から逃れないことを示します。

来世がないと断定するのは、
自分たちの現世だけでよく、未来がどうなっても構わないという、
世代的利己主義を生み出す危険があります。

天国があってもなくても、来世があってもなくても、
どちらでもいいように、生きるのが正しい生き方です。
どこかの信者のように「ある」と決めつけるのも、
また逆に貴方のように「ない」と決めつけるもの、どちらも妄信であり、無知蒙昧なる間違った生き方です。
956考える名無しさん:2008/03/19(水) 21:58:00 0
自分の信じる事柄に心の深層で懐疑的だと
表層的には自己の意見に断定的になる。
根拠ってのはその場合、曖昧にならざるを得ない。
なぜならそれは断定した思考に過ぎないから。
妄信は心の弱さなのかもしれないね。
957考える名無しさん:2008/03/20(木) 03:01:47 0
実験はこちらでどうぞ

http://nrlabo.nobody.jp/



958心の仕組みドットコム:2008/03/20(木) 05:45:52 0

>>954
>その中身である「理」についての言語化は可能ではないだろうか?
この理とは揺るぎない良心が産みだす真に正しい心、と先に申し上げましたね。
真に正しい心ですから、これが物差しとして使えるのです。
しかし理とは悟り知る以外に、人は理に近づけないのです。
ですから「智恵とは物事の理を悟り、適切に処理する能力」ですし「理解とは物事の道理を悟り知ること」と成るのです。
そして、この理は経験では悟り知ることができませんので教典を全て読み覚えても、一生滝に打たれても理を悟ることはできないのです。
言葉は意味から作られ、その意味は辞書に記されていますが心に関する言葉の意味は過去、理に通ずる者達の手で作られましたので皆さんには通じないのです。
でも誰もが思い込みに捕らわれていますので、人は自分に通じない、自分に理解できないなんて馬鹿な話しが有るものかと思うのです。
理解も理と言う物差しに照らし合わせ、物事を正しく解きほどくことです。
人類に大切なもの全ては、この理に納められていますのが誰もが悟れる理を悟らない為に争いが繰り返されるのです。
そこで私は物事の理を悟る方法を伝え、その後は自分で方法に添って悟って戴こうと考えたのです。
今までの人類は思い込みの智恵が当たり前ですが、今度は本物の智恵が当たり前の時代に変わりますよ。

959心の仕組みドットコム:2008/03/20(木) 06:00:54 0

>>955
☆誰しもが一度限りの人生で生きているのに
>その証拠はありません。
>真実かどうかわからないことを断言するのは無知蒙昧なる者がすることです。
バクテリアでも無からは産まれません。
誰の命も数十億年、永遠と受け継がれて産まれてくるのです。
ですから一度死んだら来世も天国も無いのです。
来世に想いを馳せて自爆し、他人を殺めていたのでは馬鹿丸出しでしょう。
巻き添えを食った者達はどうするんですか?
冗談じゃない、命は一度かぎりですよ。
未来は必然ですが、来世は幻想です。
来世と未来をごっちゃにしないで下さい。
馬鹿な考えは他人に迷惑を及ぼしますので、即刻捨てなさい。
960考える名無しさん:2008/03/20(木) 06:38:47 0
>>958
すまないが、もう一度だけ「答えて」ほしいのだが…


>やはり理と言う物差しを手に入れて戴く以外に方法はないと思います。
つまり言語による伝達は不可能であるということだろうか。
しかし意味から言葉が作られたというあなたの言からすると、
『尺度を得るための「公平な視点」以外のファクター』という言葉がある以上、
その中身である「理」についての言語化は可能ではないだろうか?

また言語化による「理」に関する知識の定着ができないのならば、
どのような形で記憶されるのだろう?
単に「わかる」というのであれば、クオリアとさして変わらない。
理はクオリアだと思われるか?

961考える名無しさん:2008/03/20(木) 09:06:58 0
急に過疎りだしたのはどういうわけだ?ww
962考える名無しさん:2008/03/20(木) 09:15:04 0
>>959
死んだら、私という存在がなくなって、なにもなくなって終わりなのなら、
理を悟って死ぬのも、悟らずに死ぬのも
人殺しとして死ぬのも、殺されて死ぬのも
全部、同じで、無意味。結局死ぬから何やっても無意味。
963考える名無しさん:2008/03/20(木) 09:33:45 0
そんなことを言うと、また妙なのが沸くぞ
結果よりもその過程のほうが大事なんです、とか言ってさ。



この言葉を信じたばっかりに受験が…
964NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/03/20(木) 09:42:32 0
>>962
生まれたときはそのなにもなくなって終わりの状態を
通ってきたのでまた生まれるんですよ
965心の仕組みドットコム:2008/03/20(木) 09:42:33 0

>>960
何度でも大丈夫ですよ。
人の脳は物事の理を悟らなければ「知る」と言う機能が働かないのです。
貴方は、そんな馬鹿なと思われますが、理に通じた啓蒙家達が書き残した辞書の原義を見て下さい。
【智・知】物事を理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。
この【智・知】が知るや知識や知能や知恵の源に成るのです。
そして、物事を理解し、ですから、、
【理解】物事の道理を悟り知ること。
と繋がるのです。
>単に「わかる」というのであれば、クオリアとさして変わらない。
私が言う、分かると言う意味は物事の筋道がはっきりする、理解できると言うことです。



966心の仕組みドットコム:2008/03/20(木) 09:49:28 0

>>962
物事の理を悟り、楽しい人生を送るか
物事の理を悟らず、無知蒙昧の儘で楽しくない人生を送るのか、
ただ、其れだけの違いですよ。
天国、来世は筋道の通る話しでは有りません。
967考える名無しさん:2008/03/20(木) 10:04:56 0
>>966
>物事の理を悟り、楽しい人生を送るか
物事の理を悟らず、無知蒙昧の儘で楽しくない人生を送るのか、
ただ、其れだけの違いですよ。

そう、結局死んだら一緒なんだよね。
968考える名無しさん:2008/03/20(木) 11:04:36 0
>>965
>人の脳は物事の理を悟らなければ「知る」と言う機能が働かないのです。
それはすべての事柄に当てはまることとお考えだろうか?
単に十進法を知るには、理を悟る必要があるだろうか。
物事には定義がなされているものがあり、地球上(つまり同じ慣性系)においては
それを事実と認識することは可能だと私は考える。
例示するなら、(n+1)+1=n+2という式を知るには、単にこの定義たる式を
記憶すればよいと思う。またこのようなことが他の事象についても言えるならば、
理の定義を記憶するだけで理を知ることができるという可能性が示唆される。
世界が法則性を持って動いているのならば、上の数式のように示すことは可能と思われる。
よって理についても、数式化された定義の記憶により、「知る」ことはできないだろうか?

長々と申し訳ない…
969NAS6 ◆o1AYEkZmQU :2008/03/20(木) 13:04:28 0
全て嘘でした
完璧な真実です
970考える名無しさん:2008/03/20(木) 14:06:28 0
>>966
楽しい思い出もなにもかも、
楽しい人生を送った事実すらも
すべて死んだら消えてなくなるわけだから、
楽しくたって無意味だよね。
971考える名無しさん:2008/03/20(木) 14:33:48 0
知らぬが仏という諺があってだな
972心の仕組みドットコム:2008/03/20(木) 15:17:17 0

>>968
>単に十進法を知るには、理を悟る必要があるだろうか。
数学の法則は単に覚えて応用すれば良いのですが、知ると言う意味は先程示した様に
【智・知】物事を理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。
を会得し、これで濾過し正しく訂正して其れに関する全てを取り込んだ資料を指すのです。
ですから皆さんは覚えたことを知ったと思い込んでいますが知ると言うのは単に記憶した、見たと言うことでは有りません。
先に理とは揺るぎない良心が産みだす真に正しい心、と先に申し上げましたね。
こればっかりは悟り知る以外に方法は無いのです。
人が物事の理を悟り始めたら、世の中全体が良い方向にひっくり返るのです。
973考える名無しさん:2008/03/20(木) 15:39:14 0
「バカの一つ覚え」
974考える名無しさん:2008/03/20(木) 16:07:59 0
>>959

>バクテリアでも無からは産まれません。
>誰の命も数十億年、永遠と受け継がれて産まれてくるのです。

ここは否定しませんが、

>ですから一度死んだら来世も天国も無いのです。

にはなりませんし、そんな根拠はどこにもありません。
「桶の中の脳」を否定することも不可能です。
真実かどうかわからないことを断言するのは無知蒙昧なる者がすることです。

>未来は必然ですが、来世は幻想です。

来世は未来のことですよ。貴方は釈迦の教えを全く理解していませんね。
当時、前世、現世、来世と呼ばれたものは、現代では、過去、現在、未来を意味します。

>天国や来世など、命の代替えを望むなど厚かましいと思いませんか?

天国は命の代替えではないし、
来世は死後もこの宇宙という世界から逃れないことを示します。

来世がないと断定するのは、
自分たちの現世だけでよく、未来がどうなっても構わないという、
世代的利己主義を生み出す危険があります。

天国があってもなくても、来世があってもなくても、
どちらでもいいように、生きるのが正しい生き方です。
どこかの信者のように「ある」と決めつけるのも、
また逆に貴方のように「ない」と決めつけるもの、どちらも妄信であり、無知蒙昧なる間違った生き方です。
975考える名無しさん:2008/03/20(木) 16:10:19 0
>>966
誰が見ても、ドットよりも他の人の方が楽しいそうだし、幸せそう。
お前みたいな不幸にみえる老人には誰もなりたくない。
たとえお前の論理が正しかったとしても。
976考える名無しさん:2008/03/20(木) 16:21:30 0
>>972
>知ると言うのは単に記憶した、見たと言うことでは有りません。
>数学の法則は単に覚えて応用すれば良いのですが、
十進法を知ることはできない、ということになる。
また、ただの記憶として認識される事象に関しては、「知る」ことはできないことになる。
ゆえに数式によって示されるものは記憶するだけでよいので、「知る」ことはできない…(*)

一方で、世界はある種の法則性によって成り立っているとあなたは言った(と記憶している)。
法則というのは、一般化のこと。物理法則と同様に、一般化されたものを数式として示している。
しかし(*)のように、数式化されたものを「知る」ことはできない。
理もまた、事物を貫く法則なので、やはり「知る」ことはできない。
もし理が法則性、つまり客観性を持たないとなると、人間は同じ真理を悟ることができないことになる。
言い換えると、ある事物に対する「正しい」解釈が複数生じてしまう。


これではあなたの主張に矛盾しないだろうか?
別に揚げ足を取るつもりではなく、単に興味があるのでお聞きしたい。
977考える名無しさん:2008/03/20(木) 16:26:01 0
>>972
世の中がよくなろうが、悪くなろうが、
どうせ死ぬんだから同じだよ。
世の中ごと消えてなくなるわけだから。
978心の仕組みドットコム:2008/03/20(木) 16:28:43 0

>>974
>「桶の中の脳」を否定することも不可能です。
日本では火葬ですので「桶の中の脳」は有りません。
>来世は未来のことですよ。貴方は釈迦の教えを全く理解していませんね。
>当時、前世、現世、来世と呼ばれたものは、現代では、過去、現在、未来を意味します。
来世とは生まれ変わりを意味します。
>来世は死後もこの宇宙という世界から逃れないことを示します。
死んだら終わりです。
来世に想いを馳せるより、今の人生を大切にしなさい。
全ては無常である、、と誰かが言いました。
979考える名無しさん:2008/03/20(木) 16:41:20 0
>>978
>>「桶の中の脳」を否定することも不可能です。
>日本では火葬ですので「桶の中の脳」は有りません。

何をトボケテいるのですか?それとも哲学上の問題を知らないの?
シミュレーテッドリアリティって知らないのかな?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%A7%BD%E3%81%AE%E8%84%B3

>来世とは生まれ変わりを意味します。

それは貴方の勝手な解釈。釈迦は生まれ変わりなど言っていません。

>誰しもが一度限りの人生で生きているのに

その証拠はありません。
真実かどうかわからないことを断言するのは無知蒙昧なる者がすることです。

>天国や来世など、命の代替えを望むなど厚かましいと思いませんか?

天国は命の代替えではないし、
来世は死後もこの宇宙という世界から逃れないことを示します。

来世がないと断定するのは、
自分たちの現世だけでよく、未来がどうなっても構わないという、
世代的利己主義を生み出す危険があります。

天国があってもなくても、来世があってもなくても、
どちらでもいいように、生きるのが正しい生き方です。
どこかの信者のように「ある」と決めつけるのも、
また逆に貴方のように「ない」と決めつけるもの、どちらも妄信であり、無知蒙昧なる間違った生き方です。
980考える名無しさん:2008/03/20(木) 16:52:24 0
>>979
ドットにパラドックスの知識があるかどうかなんてわかりきった話じゃないかw
だがパラドックスを持ち込むのは賢いな。
これだと答えられるか否かで、真理を悟ったことによる正確な判断なるものができるかどうかがわかる。


あとどちらかといえば、「水槽の脳」の方が一般的じゃないか?
981考える名無しさん:2008/03/20(木) 18:06:11 0
問いに答えるか否かで判断基準になるというのは、問いを投げかける人が真理を悟っているということだね。
982心の仕組みドットコム:2008/03/20(木) 18:12:22 0

>>979
そんな事は、行き着く所まで行ってしまった者の考えで哲学とは無縁ですよ。
つまり来世とか天国などは、意識が彼方に行ってしまった人の考えです。
触らぬ神に祟りなし、ですね。
983976:2008/03/20(木) 18:34:01 0
>>982
あの・・・
984考える名無しさん:2008/03/20(木) 18:34:38 0
光を生み出すには闇が必要なのと同様、どんな人にも明暗がある。
光を見つめてみてはどうですか?
985考える名無しさん:2008/03/20(木) 18:37:09 0
>>981
そうじゃなくて、「真理とやらで何でも答えられるよ」って言ってるのに、
与えられた命題を証明できなかったら矛盾になるだろ?
だけどその命題がパラドックスとして知られているものなら、答えることは原理的にできない。
だからパラドックスを持ち込んだのは有効だと思ったまでのこと。
986考える名無しさん:2008/03/20(木) 21:23:09 0
>>982
>そんな事は、行き着く所まで行ってしまった者の考えで哲学とは無縁ですよ。

それは貴方の独り善がりの哲学であって、
貴方以外の数多くの人間の哲学では無縁なんかではありません。

>つまり来世とか天国などは、意識が彼方に行ってしまった人の考えです。

いい加減に間違いを認めなさい。来世とは未来のことです。

>来世とは生まれ変わりを意味します。

それは貴方の勝手な解釈。釈迦は生まれ変わりなど言っていません。

>誰しもが一度限りの人生で生きているのに

その証拠はありません。
真実かどうかわからないことを断言するのは無知蒙昧なる者がすることです。

>天国や来世など、命の代替えを望むなど厚かましいと思いませんか?

天国は命の代替えではないし、 来世は死後もこの宇宙という世界から逃れないことを示します。

来世がないと断定するのは、 自分たちの現世だけでよく、未来がどうなっても構わないという、
世代的利己主義を生み出す危険があります。

天国があってもなくても、来世があってもなくても、
どちらでもいいように、生きるのが正しい生き方です。
どこかの信者のように「ある」と決めつけるのも、
また逆に貴方のように「ない」と決めつけるもの、どちらも妄信であり、無知蒙昧なる間違った生き方です。
987考える名無しさん:2008/03/20(木) 21:24:59 0
行間スペース見辛い
988考える名無しさん:2008/03/20(木) 21:34:40 0
まあ予想通り、パラドックスはスルーしたな。
真理を悟って物事を正しく知ることができるなんて言ったところで、
どうせ出まかせだから解決なんてできないんだろうよ。

というか水槽の脳については前に出てた気はするがな。
989心の仕組みドットコム:2008/03/20(木) 22:05:37 0
>>983>>976
あの世に気を取られて、うっかりしていました。
済みません。
>一方で、世界はある種の法則性によって成り立っているとあなたは言った(と記憶している)。
その通りです。
>法則というのは、一般化のこと。物理法則と同様に、一般化されたものを数式として示している。
法則とは@必ず守らなければならない規範。おきて。
Aいつでも、またどこででも、一定の条件のものに成立するところの普遍的・必然的関係。
また、それを言い表したもの。
ですから貴方の法則とはニュアンスが違います。
>しかし(*)のように、数式化されたものを「知る」ことはできない。
これは覚えるだけですから、言われる通りに知ることはできませんね。
>理もまた、事物を貫く法則なので、やはり「知る」ことはできない。
物事の理は悟ると言う一定の条件をクリアーすることで知ることができるのです。
>もし理が法則性、つまり客観性を持たないとなると、人間は同じ真理を悟ることができないことになる。
理には法則性が有り、客観性的立場から考査するものです。
>言い換えると、ある事物に対する「正しい」解釈が複数生じてしまう。
理とは揺るぎない良心が産みだす真に正しい心、ですから理を悟った者達は一様に正しい同じ答が でます。

990考える名無しさん:2008/03/20(木) 22:33:16 0
>>989
返答どうも。わざわざ申し訳ない。

つまるところ、理は法則性・不偏性を持つが、数式化による法則とは異なる。
なので「知る」ことは可能であり、「正しい」答え・認識は共通のものとなる。
ゆえに数式を「知る」ことができないのと、理を「知る」ことができるという論理は矛盾しない。
こういうことか。

ただ少し気になったのは、「理」の法則性である。
数式化されるようなものではないとすると、どのような概念で記述できるだろう?
論理では、論理式という名の数式で書けるので、論理的な法則性というものではないのだろう。
残るは定義からの演繹と、クオリア的な「純粋な知覚」。あるいはもっと別の何か。
真理を共有する者同士が、互いの悟る真理について同じものであるという認識を得るために
このような法則性についての見地の比較を行うことは可能であると考える。
同じ結論を得たからと言って、その過程が同じとは限らないから。
人殺しは悪であるというあなたの言に対して同意を示したからと言って、その者があなたと同じように
真理を悟った人間である確証はないのだから。

先に挙げた「理」の法則性を記述する手立てとして、何が最もふさわしいとお考えだろう?
991考える名無しさん:2008/03/20(木) 22:40:03 0
>>990
一つ忠告しといておこう
ドットの体力は相当のものだ
多くの奴らが挫折した
ドットはどんなことでも可憐にスルーするし
体力勝負だから、その辺考えておけよ
992心の仕組みドットコム:2008/03/21(金) 07:36:39 0

>>990
人の心の法則は理だけではなく非理の法則と言う−と+の葛藤で組み合わされています。
理の法則が@必ず守らなければならない規範。おきて。
非理の法則は、必ず守らなければならない規範。を守らぬおきて、と成ります。
数値の場合には固定した+と−関係を追い求めれば良いのですが理と非理の関係は流動的です。
個人に於いてもその日、その時で刻々と自我八割と他我二割のバランスは変わる訳です。
この数値の高い方が心の支配権を獲得するのですが人の心は常に自我に支配されていますので非理の法則に従い無知に陥ってしまうのです。
理とは揺るぎない良心が産みだす真に正しい心と言いましたが、これを難しい表現ですと「純粋な知覚」とでも言うのですかね?
哲学とは理性的な思考を通じて、様々な主題について論じる、学問の一種。ですから他我二割を育めば理性が育ち誰でも哲学ができる様に成るのです。
この他我を育てなければ、人は欲望の計算器しか持てませんので人類の未来は負の遺産が山積みされ人類が生き残る余地さえ無くなるのです。
そして多賀を育てることは学歴も年齢も性別や人種や現在の状況に等に一切関係せず知を望む純粋で謙虚な心の持ち主なら簡単にできます、とお伝えしているのです。
他我を育てることが簡単にできれば個人が幸せに成りますし、それに押されて世界が平和に成ることも簡単ですと言うことです。
できれば貴方も多賀を育て、人為の全てを測定できる真理の計算器を持って戴けば私とこの会話もせずに済む訳です。
もう一ランク上の会話できますね。
993考える名無しさん:2008/03/21(金) 08:18:15 0
>>992
>人為の全てを測定できる真理の計算器
これによって算出される値は、人によって変わることはない。
すなわちこの計算機は全事象を包括し、数値化できるということだろう。
一般化の集大成とでも言うのだろうか。
真理を悟ることでこの法則を「知る」ことができ、「正しい」ことを「知る」ことができる。

しかし数値化を行える一般法則とは数式に他ならない。
とするとその一般法則たる真理を「知る」ことができなくなり、
いくつか前のレスで言ったように、食い違いが生じる。
客観的な「正しさ」を見出させる真理を「知ることができる」ことと、「数式は知ることができない」ということは
両立しない。どちらかが誤っていることになるが、どちらが偽なのだろう?
994心の仕組みドットコム:2008/03/21(金) 09:59:38 0

>>933
人為は人それぞれですから、確実に数値化することはできないと思いますよ。
哲学は諸学の源で有ることの理由は、人が理性的な思考を通じて、様々な主題について論じたり研究しなければ人は欲望に走り、とんでも無い物を見つけだして人類に大きな害をもたらすことに成りかねないからです。
その、とんでも無い発明や発見が災いして地球の治癒力が秒読み態勢で崩壊の寸前を迎えているのです。
つまり人類が理性を蔑ろにした、そのツケの償いを迎える時が刻一刻と迫っているのです。
>真理を「知ることができる」
ではなくて真理を「悟り知ることができる」です。
真理も道理も同じものですから「理解=物事の理を悟り知ること」(広辞苑)と成るのです。
何はともあれ、人は物事の理を悟り知らなければ、何も理解できないと言うことですね。
995考える名無しさん
>>994
>人為は人それぞれですから、確実に数値化することはできないと思いますよ。
それでは前に出ていた予言や数値的な推測値についてはどうなるだろう。
確実な数値化など為し得ないと言うならば、それらの予言、さらにはアセンションの2012年という数字も
人それぞれということになる。
確実な数値化というものが不可能であるとこれらの将来的な見通しは、どれも
あなた個人のヴィジョンに依存するので、普遍的な法則としてこれを統一することはできない。

もっと言うと、確実な数値化の否定は、普遍性を裏付けている真理そのものの普遍性を否定することに等しい。
どのような場合であれ、数値化には普遍性が伴う(身長・体重etc)
少なくともわれわれヒトは同じ慣性系に存在するので、この「数値化の確実性の否定」は誤りでは?