■■■■フロイトからラカンへ・2■■■■

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348考える名無しさん
誰のラカンを学ぶか。それぞれのラカンはまるで別のもののようです。
特に大きくは、精神分析系と哲学系に分けることができるでしょ。

これもラカンを学ぶことをむずかしくしている理由の一つですが、
ラカンは本来、精神分析という医療です。しかしまた哲学思想史の構造主義の
中心人物として位置づけられます。
むずかしいのが、精神分析の中ではラカン派は実用に耐えないと
言われるほど、評判がよくなく、亜流はに位置づけられます。
それに比べて、哲学思想史の中では欠かせない重要な位置を
もっています。

ラカンが精神分析に最新の主体論や言語論などを大胆に取り入れました。
それによって、いままでの主体・言語論をおおきなパラダイムシフトを
もたらし、後世に多大な影響を与えました。
それに対して、精神分析という人間学に対して、主体という抽象的人物像を
取り入れすぎたことで、生の人間の臨床にはむいていないといわれます。
349考える名無しさん:2009/08/16(日) 11:01:03 0
それぞれのラカン理解という意味で精神分析は、二つに分かれます。
一つはラカンの主体論を臨床に適用するために、再度フロイトのもどって
臨床的な知識を不可視ながら再組み立てすることです。
このようなラカンの構築は英米系に多いようです。
むしろ唯一、ラカンを臨床へ使えるものにする試みと言えます。

もう一つは、ラカンをまわりから分離して丸飲みすることです。ラカンが
いったことを正面から受け入れます。とくに様々にラカンが影響されただろう
哲学の影響を排除し、もっとも強固で純化したなラカンが生まれます。
このために教条主義的になりがちです。

彼らの特徴は、「原典に当たれ」「ラカンのみを読め」ということになります。
実際は、原典だけでは理解できないので、ラカンのみを当たれと言う解説書に
よっているわけですが。日本人の素人精神分析好きによく見られる傾向です。
350第三の波平 ◆JXLBbnYqTY :2009/08/16(日) 11:09:05 0
>>348-349 コテがはずれてました・・・

哲学系は当然、構造主義として思想史の中に
位置づけます。このためにラカンの言語主体論はどこからきたのか、
というメタラカン学のように理解します。

だからそれぞれのラカン理解では、他の思想との
関係の中でラカン理解が作られます。

ここ数年、ラカンを引っ張ってきたジジェクはもともと
ハイデガーの研究者であり、また左派思想家であるために、
ヘーゲル−マルクスからの理解も大きいでしょ。

実際は、これらのようにわかりやすい分類でなく、
複雑に絡み合い、独自のラカンが作られています。