【私】を記述してください。【私の存在性】 10

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890考える名無しさん
>>884
>“この”と指しているのは何ですか

文意が必ずしもつかめませんが、ここで「この体」というのは表現ないし観念
のことではなく、その表現ないし観念によって指示されている
「特定の対象(物理状態)」のこととご理解ください。
ですから、表現している主体は何でも、いなくても別にかまいません。
第三者が「哲学者最高位の私は、哲学者最高位というこの体である」と表現しても、
意味は同じです。

>「この体」といった特定の対象を指し示す表現は“主体”を抜きには成立しない。

これはよく意味がわかりません。特定の対象でなく抽象的な対象一般を指し示す
表現でも、およそ表現は主体を抜きには成立しないと言えるでしょう。
「この体」でも「体一般」でも、「この人間」でも「人間一般」でも
「この素粒子」でも「素粒子一般」でも、何でも同じことです。

「『この体』とは、私の観念であって、その指示対象となっている物理状態など
存在しない」という考えは有り得るでしょうが、この場合もまた
「体一般」でも「人間一般」でも「素粒子一般」でも、何についても同じことで、
要するに、物質・物理状態などというものは一切存在しない、ということになります。
これは>>881でいえば、
5.『この体』と『私』のどちらか(あるいは両方)が存在しない。
という立場になりましょう。
ただし、この立場ですと、「この体が私である(他の体は私でない)」が
そもそも成り立たないので、「『この体』が、なぜ『私』なのか」という
最高位氏の疑問はやはり無意味である、というほかはありません。

誤解されると困りますが、>>881は『私』『この体』の意味やその関係について
何かを主張している文章ではありません。「『この体』が、なぜ『私』なのか?」
という疑問に答えがないことは、唯物論の是非とは関係がない(というか、
むしろ唯物論を支持するものである)、ということを論じているわけなのです。