>>861 >しかし『この体』が、なぜ『私』なのか、その因果関係は不明
最高位氏、あなたも実に懲りない方ですなw
因果関係を問う前に、『この体』と『私』の発生(存在の始まり)に
ついての関係性を明らかにする必要があります。
考えうる『関係性』は、4つしかありません。
1.『この体』=『私』
2.『この体』から『私』が発生した(またはしつつある)。
3.『私』から『この体』が発生した(またはしつつある)。
4.『私』と『この体』は別々に発生し、過去のある時点で結合した。
1の場合、『この体』が存在して、それが『私』でなかった可能性はありません。
2の場合、『この体』が存在して、かつそれが『私』でなかった可能性はありますが、
『私』が存在して、かつそれが『この体』でなかった可能性はありません。
3の場合、『私』が存在して、かつそれが『この体』でなかった可能性はありますが、
『この体』が存在して、かつそれが『私』でなかった可能性はありません。
4の場合、『私』が存在して、かつそれが『この体』でなかった可能性も、
『この体』が存在して、かつそれが『私』でなかった可能性もあります。
このように、『私』が存在して、かつそれが『この体』でなかった可能性が
あるのは、3と4の場合だけなのです。
したがって、すでに存在する『私』が「『この体』が、なぜ『私』なのか」と
問うても答えがないのは、1と2の場合は当たり前なのです。
それは論理的必然であって、因果関係の介入する余地がないからです。
3と4の場合は何らかの答え、因果関係があって然るべきです。
あなたはしきりに「因果関係が不明(というかあり得ない)と力説して
おられますが、これ即ち1か2が正しい、要するに唯物論が正しい、と
力説しておられるに他ならないわけです。おわかりになりましたかw?