1 :
明日 :
2008/02/04(月) 19:08:15 0 芸術的抵抗と挫折』『異端と正系』『擬制の終焉』『丸山真男論』『模写と鏡』『自立の思想的拠点』『言語にとって美とは何か』『カール・マルクス』『情況への発言』『共同幻想論』『心的現象論』『情況』『敗北の構造』『詩的乾坤』『書物の解体学』 『知の岸辺へ』『最後の親鸞』『初期歌謡論』『論註と喩』『悲劇の解読』『世界認識の方法』『「反核」異論』『相対幻論』『〈信〉の構造』『マス・イメージ論』『死の位相学』『重層的な非決定へ』『ハイ・イメージ論』『ハイ・エディプス論』 『平成版 対幻想』『甦えるヴェイユ』『わが「転向」』『宗教の最後のすがた』『母型論』『ひきこもれ』『超「20世紀論」』『超「戦争論」』『夏目漱石を読む』 『詩学叙説』… 引き続き、吉本隆明を語るスレッドです。
2 :
明日 :2008/02/04(月) 19:17:00 0
スレ立たせていただきました。
ようやく立ててくれたか。
4 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 07:59:38 0
『心的現象論』はもう購入できなくなったのでしようか。 いろいろあるようで。
6 :
考える名無しさん :2008/02/05(火) 22:23:11 0
共同幻想論や心的現象論のCDがあると聞いた事があるのですが、 どこに。。。
>>6 > 共同幻想論や心的現象論のCDがあると聞いた事があるのですが、どこに。。。
多分、弓立社から出ていた『吉本隆明全講演ライブ』のことでしょう。
『共同幻想論』関連はわかりませんが、『心的現象論』関連なら、『心とは何か』というタイトルで、このシリーズの18巻で昨年出ています。弓立社に問い合わせたら在庫があるか解ると思いますよ。
8 :
考える名無しさん :2008/02/06(水) 12:24:11 0
>>5 装丁なんぞ気にしねーなら、つまり積読でないんなら、
猫々堂のにしたらどうよ?
値段は文化科学高等研究院の約半分って話だぜ。
但し、猫々堂のやつは3分冊だがな。
もっとも、こちとらもカネがありゃ、絶対豪華愛蔵版を買うがな。
文化科学高等研究院と mononogeの別れで『心的現象論』の出版はどうなるのだろう 買っとけばよかった
新しいサイトで売るんでしょ。 まだ何もできてないけどドメインだけとってある。 ↓ momouni.com
11 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 19:03:50 O
吉本に文体を真似するほど影響を与えた批評家、詩人、作家、思想家といえば、批評家で小林秀雄、詩人で高村光太郎、立原道造、作家で宮澤賢治、太宰治、思想家でマルクス、ヘーゲル、親鸞、てところか… 良しも悪しくもある時代が浮かんでくるような感がある。読書体験でこのような名前が出てくるのもある年代以上。若者では珍しいだろう。
12 :
考える名無しさん :2008/02/07(木) 23:28:47 0
哲学者は時代の子、といったのはヘーゲル。
マッカーサーが連れてきたニューディーラーの正体 日本の戦後は、アメリカの政界の最も悪質な部分である「ニューディーラー」にたちによってつくられた。 彼らニューディーラーたちは、1930年代のアメリカのリベラル勢力である。彼らの代表がフランクリン・ ルーズベルト大統領であった。この一部が敗戦直後にマッカーサー元師の取り巻きとして日本にも上陸した。 この者たちによって私たち日本人は、敗戦直後から現在までずっと管理・教育されてきた。この事を英文で書くと 次のようになる。 The‘New Dealers'(i.e the prototypical globalists)brought int japan with their ideeas that brainwashed the japanese people duringt the Occupation years.As a result,japan has led a sheltered existence for the past half-century from the rest of the world in terms of prevailing political thoughts,thus creating a one- domineted ruling class. This ruling class then intentionally isolated the country from the outside, in order to maintain control over the japanese people. 上の英文の訳 「ニューディーラー(すなわち、グローバリストの初期の形態)が、占領時代に日本に彼らの思想を植えつけた。 その後、それらの意図的な思想が、日本国民の思考の中に根づいた。だから日本は、この半世紀の間ずっと、 世界中で通用している本物の政治思想や考え方から壁を作られて遮られてきた。そして国内に専制的なひとつの 支配階級をつくった。この支配層は日本国内の支配を維持するために、日本を外側世界と意思が通じない状態に 置く原因をつくった。」 この英文を、自分の友人や知人のアメリカ人やイギリス人その他の英語圏国民に見せてみとよい。 政治問題に 関心のある少し知的な英米人であれば、必ずそれなりの興味深い反応を示すだろう。もし、本当に頭の良い賢明な アメリカ人であったら、「どうして、お前は、このことを知っているのだ?」と驚かれたあとに、さらに多くの 恐るべき真実をあれこれ語ってくれるだろう。 引用は副島隆彦「日本の危機の本質」P33〜34
14 :
考える名無しさん :2008/02/08(金) 18:22:34 0
要するに、当時の理想主義者に植え付けられた時代遅れの理想主義を日本人がみずから 再生産し続けていると言うこと?
15 :
考える名無しさん :2008/02/08(金) 20:05:04 0
ニューディーラーは現実的な政策左翼。社民あるいは自民党でいうと旧田中派。 ニューディール政策をみればあきらかだが。経済(学)的にはケインジアン。 「ニューディーラー(すなわち、グローバリストの初期の形態)」という認識は 失笑以上のなにものでもないぞ。
16 :
考える名無しさん :2008/02/09(土) 00:00:36 0
>>7 ありがとうございます。ハイパーテキスト仕様だと即購入希望ですが・・・
>>16 >
>>7 > ありがとうございます。ハイパーテキスト仕様だと即購入希望ですが・・・
“ハイパー”か否かは分かりませんが、講演テキストは付いてます。ただ、CDの方は講演後に質疑応答があり、その中のやり取りはテキストでは省かれてますね。ちなみにこのCDは以前弓立社から出ていた単行本『心とは何か』のCD版でしょう。
18 :
考える名無しさん :2008/02/10(日) 00:19:08 0
>>7 だいぶ前に吉本版朝まで生テレビみたいなノリのテープを買ったことがあった。
司会進行が中上健次で講演があったり宇野邦一との対談があったりと盛りだくさんだった。
知識人のテープを買ったのはそれが最初でたぶん最後のことだろうな。
19 :
考える名無しさん :2008/02/11(月) 08:36:57 0
>>18 それって品川かどっかの倉庫でやったヤツでしょ?
俺のオヤジはそん時、その倉庫会社に勤めてて
主催者との交渉窓口だったんだけど、
オヤジは
「吉本ってのは赤軍派の黒幕と聞いていたが、けっこう立派なやつだぞ。」
と言ってた。
私は東京に帰ってからこの本には邦訳があることを知った。「さらば吉田茂」(現在は「日本 永久占領」という文庫で発売されている)である。 私はこの本を読んで驚愕した。読みながら本当に手足が震えるのを感じた。自分が知りたかった 日本の敗戦後の政治秘話が正確に書かれていたからだ片岡教授の正確な冷静な描写は、現在日本 占領研究では最高とされるイギリス人日本研究者のイアン・ブルマ氏と共通する視座に立っている。 (中略) マックと吉田がやった日本の戦後政治体制の正確決定づけがもうひとつある。それは、この後 保守が二つに分裂するときに少数派である社会党がどちらかの保守にそれとなく加担することで ある多数派が作られ、政権を作る、という構図が生まれたことである。そして分裂したほうの 保守派に対しては殺戮にも等しい攻撃がくわわることになる。 (中略) 社会党や日教組、それから戦後日本共産党という「反戦平和・護憲、再軍備反対、海外派兵阻止」 を主張する勢力は、ソビエト・ロシアによって作られた勢力ではない。これらの勢力は、実は マッカーサーが憲法典と共に予め意図的に日本の戦後体制の中に仕組んだ装置であった。 引用は「日本の秘密」副島隆彦 P12,22
「戦後民主主義万歳」みたいなことを長年書いてきた知識人たちは、このことに 自覚がない。欧米では、戦後の日本社会のことを「ニューディーラーが植えつけて 育てた日本体制」と呼んでいる。 これを英語では、‘New Dealr ingrained japan system.'(ニューディーラー・ イングレインド・ジャパン・システム)と言う。 引用は副島隆彦「日本の危機の本質」P296
そして、真に驚くべきは、日本の保守派の責任ある立場の人々の政治家までもが、このアメリカの リベラル勢力の仮面をかぶったニューディーラー=グローバリストたちに、自分たち自身が戦後 ずっと育てられてきたのだという大きな事実を知らないことである。 (中略) 日本の保守派までもがなぜ、戦後、半世紀の間、アメリカのリベラル勢力に育てられなければ ならなかったのか?ここに戦後半世紀の最大の謎がある。そして、このことが日本の最大の弱点で ある。「どうして日本の保守が、アメリカのリベラルに育てられなければならなかったのか」と いう謎に答えようとして、私はこの本を書いている。 (中略) 日本国内のリベラル勢力はどうせ責任感のない人だからほっておくしかない。私自身が、学生時代 からずっと反体制急進リベラル派だったから、自分の愚かだったことを含めてこのように書く。 このように書いて少しもためらわない。日本の戦後左翼やリベラル派をつくって育てたのも マッカーサー進駐軍以来のアメリカの民主党系の連中である。ところが、日本の保守勢力を見守って、 育ててきたのもニューディーラー=初期グローバリストなのである。だから、現在、自民党と社民党 (社会党)の野合政権という奇妙な政権が続いているのだ。お願いだから、日本のリーダーたちは、 アメリカの共和党の本物の保守派の人々ともつきあってほしい。彼らから本物の保守思想とは どんなものなのかを真剣に聞きだしてほしい。それが、ヨーロッパ近代政治思想の各流派 (ロッキアン・バーキアン・ ベンサマイト)の対立にまで行き着く事を勉強してほしい。 副島隆彦「日本の危機の本質」
実は、日本の1960年の安保闘争というのも真実はこれとまったく同じような構図だったのである。1989年の 中国の天安門事件というのも、そういう構図だった。3000人の中国国内のCIA協力者たちが、あの民主化たちの 背後にいた。私が中国にいったときに話した中国の愛国派(民族派)のエリート学生たちがそのように話してくれた。 私は、そういうことを、日本で自力で解明してきた言論人だ。拙著「日本の秘密」の中で、日本の60年安保闘争を 指導した学生たちが、どのようにソビエトの情報部にではなく、アメリカの政治力に操られたかを、証拠つきで書いた。 世間で言われ考えられているような、「日本の、反共産党系の純粋な学生たちの正義の戦いだったのが、60年安保 闘争だ」という長年の神話を、私が、ぶち壊にした。 その衝撃は、今、政治知識人たちの間にじわじわと広がっている。確かにあそこには純朴な数万人の過激化した当時 の学生たちがいた。彼らは今、60歳ぐらいで、日本の各界で指導的な立場に立っている。この数万人の「純粋な 気持ちの学生」たちは、自分たちがまんまと操られたことに、今でもまだ、気付かない。 しかし、西部すすむ氏や佐藤誠三郎を下限とする、当時の安保ブンドと指導者たちは、自分たちが、CIAと資源派 (親米)財界人たちから支援を受けて「暴動」を計画的に実行したことを自覚している。この事実は、恐ろしい 悪夢となって彼らを襲う。そのひとりは、その後、中曽根康弘首相の辣腕秘書になった小林克也氏である。それから、 中曽根平和研の理事をしている東原良伸氏である。彼が、安保ブンドの財政部長であった。その他もろもろ、 「日本の秘密」に書いてある。 副島隆彦「属国日本論を越えて」P151~152
24 :
考える名無しさん :2008/02/11(月) 15:44:25 0
別に、お互い利用できるものは何でも利用してやれということだろ。安保ブントなんてアメリカやCIAと 比べたら芥子粒みたいに消えてなくなってしまったから、結局、利用されただけとケナされてもしようが ないやね。それを残念と思う感覚があるかないかは人それぞれ。
>>18 >
>>7 > だいぶ前に吉本版朝まで生テレビみたいなノリのテープを買ったことがあった。司会進行が中上健次で講演があったり宇野邦一との対談があったりと盛りだくさんだった。知識人のテープを買ったのはそれが最初でたぶん最後のことだろうな。
そのテープは弓立社から出てた『今、吉本隆明25時』でしょう。俺も買った人間の一人で、会場にも行ってましたが、会場では話の内容がよく掴めなかったところがあのテープでやっと解ったところがあります。
中上健次が自分の講演中にその前の吉本の講演に絡みだして、会場の人間とも質疑応答で揉めだして、島田雅彦まで壇上に上がり喋りだして、結局吉本自身が壇上に上がって中上とサシで話し始めた。
それがあのテープでの「そんな批評でいいのか」で、二人の話の後に島田が「僕、全然解りません」とか言ってたけど、俺も実はリアルタイムでは二人が何を喋っているのか全然解りませんでした。
あの日は会場に、糸井重里、まだ髪がロングなときのスガ秀実、故菅谷規矩雄、も見物に来ていた。菅谷は俺の前に来て、「ここ空いてますか?」と尋ねてきた。感じの良い男だった。
26 :
無名人 :2008/02/11(月) 19:45:03 0
副島って、馬鹿だねえ。 マルクスが書いたから『資本論』は正しく、 レーニンが書いたから『帝国主義論』は間違っている。 また、現・日本国憲法は、アメリカ人が作ったからだめで、 旧・大日本帝国憲法は、日本人が作ったから良いのだと主張しているようなものだ。
27 :
考える名無しさん :2008/02/11(月) 23:13:29 0
ふくしまてだれ?
28 :
16 :2008/02/13(水) 21:40:39 0
弓立社の吉本CDとDVDのほとんどが売り切れで残念です。。。
29 :
考える名無しさん :2008/02/13(水) 22:26:13 0
『心的現象論』完成後の一番の大作視されてた 『南島論総集』の刊行取りやめってのが惜しいよな。 やっぱ、パワー、ガッツ、気力なんかが萎えちまっ たんかな。 『中央公論』での中沢との対談を読んでも吉本翁は 元気ないよね。 市川昆91歳、吉本隆明83歳。まだまだ行けるだろが。 爺サン、がんがれ!
30 :
考える名無しさん :2008/02/14(木) 09:21:29 0
>29 91歳は92歳な。 昆は崑な。 『南島論総集』は『南島論総集本』な。
31 :
考える名無しさん :2008/02/19(火) 21:58:11 O
う
32 :
29 :2008/02/20(水) 08:48:11 0
>>30 遅レスでやんすが、ご訂正戴き、まっことあんがとね。
33 :
考える名無しさん :2008/03/08(土) 22:49:05 O
>>28 > 弓立社の吉本CDとDVDのほとんどが売り切れで残念です。。。
昨日、東京駅丸の内側の丸善3階行ったら、弓立社のCD、全巻ではないけど入荷されてましたよ。『心とは何か』は並んでましたよ。
34 :
考える名無しさん :2008/03/08(土) 23:12:01 0
心とは何か・・だってw 馬っ鹿じゃね〜の 心ひとつわからずにナニしてたんだろこのオッサン?
>>34 心について説明してくれ。
俺はわかっているつもりだけど
心とは何ぞやと問われても
答える術を知らないのでね。
36 :
考える名無しさん :2008/03/09(日) 10:50:17 0
>>35 >俺はわかっているつもり
そのまま逝け、曲げるな自分
38 :
考える名無しさん :2008/03/10(月) 00:32:23 O
>>34 この世の中の事柄で一つでも完全に解りきっていてそれを他人に
君自身が考えた言語で正確に伝えることができるものが君にはあるかね?
39 :
考える名無しさん :2008/03/10(月) 08:36:17 0
>>38 「完全」とはなんのことだ?
「君自身が考えた言語」てオレの発明した言葉のことか?
そうなら永久に解読できないと思うがw
40 :
考える名無しさん :2008/03/10(月) 14:50:36 O
遅まきながら、『「情況への発言」全集成2』(洋泉社)只今新刊で発売中!てか高橋哲哉ってデリダ研究者も昨年だか同じ『情況への発言』てタイトルの本出してたんだよねー中身は読んだことないけどねー
41 :
考える名無しさん :2008/03/16(日) 17:04:09 O
『情況への発言2』買いました!続けて『情況への発言3』も多分6月くらいには発売になるのだろう。さて、そうすると、俺の本棚の中の『情況へ』(1994年11月初版宝島社刊)はどうするか…既に『2』とは一部かぶさってるんだよなあ。
42 :
考える名無しさん :2008/03/21(金) 21:13:17 0
ふむ
心的現象論の序文が遺稿になりかねないんじゃないか?
44 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 00:25:19 0
45 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 07:32:25 0
46 :
考える名無しさん :2008/04/25(金) 14:33:54 0
>>45 そうでしたか、失礼しました。
てっきり「心的現象論」の宣伝に訪れたと勘違いしました。
47 :
鶏僕 :2008/04/27(日) 03:21:54 0
随分昔だけど、共同幻想論を読んだ。 男は大きな事を為し遂げる為に家庭を顧みなくても昔は良しとされていたが、それで本当に良いのか? と言うようなことが書いてあったように思う。 これは本の中で本筋とはあまり関係ない、些細な文かもしれない。 けれど、今それがふと思い出された。 それが吉本隆明から学んだ私の思考の行方。
48 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 06:08:46 O
>>47 > 随分昔だけど、共同幻想論を読んだ。男は大きな事を為し遂げる為に家庭を顧みなくても昔は良しとされていたが、それで本当に良いのか?と言うようなことが書いてあったように思う。
>これは本の中で本筋とはあまり関係ない、些細な文かもしれない。けれど、今それがふと思い出された。それが吉本隆明から学んだ私の思考の行方。
それは共同幻想、対幻想、自己幻想を同じ比重で見れなかった(と吉本には見えた)かつての左翼への吉本なりの批判、だったと思う。そこは吉本思想の重要な部分だろう。
つまり、公をいつでも私にたいし、重んじる。私など公に比べるべくもない。私に比重をおくなどとんでもない。とする暗黙の前提。右翼左翼中道とわず、それがあったろう。そこを撃つ思考だった。
49 :
考える名無しさん :2008/04/27(日) 17:29:04 0
そのおかげかどうか平成日本人はすっかり様変わりしてしまった、逆の極端へ。 日本人がバランス感覚にすぐれているなんてウソだったな。
50 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 08:58:50 0
>>42 ご要望のOFWのコピペをはります。
468 名前:OFW :03/08/31 12:22
>>464 (SWさん)
>政治経済からは説明できないどころか、解決はおろか分析すらできない。
ヘーゲルに倣って、<心>を精神の即自態(存在するものとしての精神)と定義すれば、唯物論の立場
からは、「それは仮象である」となります。
つまり、それは<あたかも存在するような対象>であり、まったくの無ではない。その対象性は他者の身
体行動(主体性)の観察から得られ、言語行動において現実的な心として<意識>になる。
つまり、<心>はそれ自体として存在しないから、その構造を客観的に論じる場合、身体(脳含む)や
行動(言語含む)から切り離せない。
フロイトは、無意識を神経生理の上に基礎づけようとしたが、社会的な本性をもつ心に対しては、社会
科学的なアプローチが必要です。
その点で、メルロ・ポンティの<身体図式>やピアジェの発達心理学を援用したトラン・デュク・タオ『意
識と言語の起源』は弁証法的唯物論の立場からの心的現象論の一例と言えます(その後の発展を聞
かないが)。
>吉本の論述に関しては芸術じみたものを感じることはありません。
形式は理論でも内容は理論(科学的説明)でなく、解釈的記述でしょう。
51 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 08:59:48 0
491 名前:OFW :03/09/02 06:51
>>471-472 (SWさん)
>「現象」する「本質」から読みとることしない
論理的に言えば、現象する本質が<現実性>(Wirklichkeit(独),actuality(英))です(byヘーゲ
ル)。それは現在進行形の(働く)本質のことであり、それに対して、本質自体は単なる可能性として、他
(であること)も可能な過去形の(働かない)存在です。本質の他者が不可能であることによって、本質
は必然的に現象するが、それには活動的主体が必要。
>時枝などの方法論
以前にも書いたが、三浦つとむによって継承・発展された言語過程説は、唯物論の立場に立つ言語の
本質論として、第一級のものでしょう。吉本言語論は、それに負う所が多いかと。
52 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 09:03:23 0
108 名前:OFW :03/10/17 05:29 >根拠存在が物とはいえない。 たとえば、「雨の根拠(何故雨が降るのか)は雲(雲が厚いから)」と言う場合、雨に対する雲の関係が根 拠(理由)付けですね。 両者は異なる現存在(existence)ですが、その根拠関係を担っている存在は、両者のうちにある同一 の物つまり<水>であり、雨と雲とは水の異なる現われ(existence)と言われる。 雲は(直接的に)雨に変化し、雨は(間接的に)雲に変化するが、両者の同一性としての水自体は変 化しない。それが<現存在の根拠としての本質>(ヘーゲル)の自己同一性であり、存在間の根拠関 係を担う基体として立てられた対象、つまりカントの言う<物自体>(Ding an sich(独))です。存在の 根拠自体は関係的本質ですが、関係が実体化(それ自体で存在する存在者として立てること)された 場合、対象は物という存在性格(カテゴリー)に移行するわけです。 そして、物とその諸性質との関係は<持つ>という切り離し可能な外在的関係であり、実在(現存在) とその質・量との<である>という切り離し不可能な内在的関係ではなく、労働者の固有性である労 働力はさらに不可。
53 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 09:06:10 0
628 名前:OFW :03/11/07 22:13 >それとも実体という事に何か意味があったのか アリストテレス『形而上学』(metaphysics)の主題は「何が実体か?」という設問ですが、実体 (substance)という概念は西洋哲学全体を貫く根本概念の一つであり、通常、諸存在者の根源をな す自体的存在を言います。 アリストテレスは「離れてある」個体的存在者を実体としたが、スピノザは、実体は唯一不可分であると して、連続量的な一者を実体と考えた。それは、個体の生成消滅を超えて、自己同一的に存在する 無限(量)かつ無時間的な自然そのものを形相的に捉えたものです。つまり具体的な諸存在は生成の 結果(様態)であるが、実体の自己産出の結果として捉えれば、その本来性において永遠であるという ことです。 今日の関係主義的な思潮のもとでは、実体は形而上学的な仮構物として否定的に扱われるが、実体 とは事物の歴史的な連続性の面を<現在する過去>として立てたものであり、事物の諸関係間の関 係(総体)としての自己関係性を指しているわけです。
54 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 09:08:33 0
629 名前:OFW :03/11/07 22:15 (つづき) 「この生産物には価値が含まれている」という表現は、(その正体が何かは分からないが)その物には価 値実体が内在している、と言っているわけですが、「経済的価値の実体は労働である」との労働価値説 の主張は、 1.価値の自体的存在とは(それ自体は消滅した)過去の労働において支出された労働エネルギー(実 在的な労働量)を指している 2.しかし、労働エネルギーとは自然的(生理学的)なものであり、経済的価値は生産物の中に自然的 に“内在している”はずもないから、 <価値の実体>とは真ならざる仮の(物象化された)概念で ある 3.上記1と2の結論として、価値自体とは、現存する生産物において、表象された、当該生産物の再 生産に必要な未来の(社会的かつ抽象的)労働であり、それを過去に支出された(個別的かつ実 在的)労働により評価したものである ということです。
55 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 09:09:51 0
630 名前:OFW :03/11/07 22:16 >諸主体であり(色)諸関係である(空)という事ですか? <色>とは諸現象であり、実在的な諸存在者を指す仏教用語でしょうが、主体は知るものそして働く ものとして、社会的諸関係を担い、それらを動かすものです。関係主義的・機能主義的に言えば、主 体とは役割存在であり、実体の代理人(agent)として、諸関係を再生産するもの。 「資本家とは資本(principal)の人格化(agent)に過ぎない。」(マルクスにおける“プリンシプル・エージェ ント問題”、かな) <空>とは実体の無(諸実在の仮象性)を言う仏教用語でしょうが、仮象の全体が現象(世界)であ り、遇有的な諸関係(相関)は総体として実体的本質の現象であり、現象ではなく、現実と呼ばれま す。 「実体とは遇有的諸関係の総体である。それは他の現象ではなく、自己の現象として、現実的なもので ある。」(ヘーゲル)
56 :
考える名無しさん :2008/04/28(月) 23:02:15 0
>>51 >>三浦つとむによって継承・発展された言語過程説は、唯物論の立場に立つ言語の
>>本質論として、第一級のものでしょう。吉本言語論は、それに負う所が多いかと。
今さらなんだってのよ。
前から言ってんじゃんかよ、
自慰サン言語論なんぞ時枝と三浦からの剽窃と、それへの若干の現象論的な
色づけだってね。
57 :
考える名無しさん :2008/04/29(火) 17:54:54 0
>>56 『資本論』つ〜か、マルクスについては三浦つとむの教えを乞うた旨を
吉本は公表してるがね。
58 :
考える名無しさん :2008/04/29(火) 18:04:13 0
三浦にヘーゲル、マルクス、吉本って、 まるっきり団塊ですね^^ うんざりします。もううんざりだよ!!!
59 :
鶏僕 :2008/04/29(火) 22:51:59 0
おれも少しうんざりしてるんだが だれか面白いスレかHPしらない?
60 :
考える名無しさん :2008/04/30(水) 07:59:11 0
>>58 簡単なハナシだぜ。
三浦もヘーゲルもマルクスも自慰サンもやめればいいだけよ。
61 :
考える名無しさん :2008/04/30(水) 19:33:36 0
まったくだ。2chのスレぐらいに団塊の憩いの場があったっていいじゃないか。
62 :
考える名無しさん :2008/05/03(土) 14:31:13 0
糸井重里と自慰サンとの連続対談がここんところ相次いで掲載されてるが、 糸井も自慰サンの余命少なしと読んだってとこかな。
63 :
考える名無しさん :2008/05/09(金) 12:13:08 0
>>62 その連続対談を読みに行ったら、
吉本氏と糸井氏の対談映像が流れてました。
初めてリューメー氏の肉声を聴きました。
なんか得した感じ。
64 :
考える名無しさん :2008/05/10(土) 19:38:06 0
>>63 爺さん、結構元気に映ってたよな。
背景が雛人形ってとこから推すと、この三月だな。
なあ「心とは何か」って本読めば心的現象論序説の代わりになるのか? まあどっちも絶版だけどさ。
代わりにはならないでしょう 「読む」って行為はすべて意味を求める行為だと思ってない? 精神安定剤を飲んでるだけのことだってあるでしょう
67 :
考える名無しさん :2008/05/16(金) 21:00:08 O
洋泉社から『情況への発言3』刊行!完結。後書きに吉本による書き下ろし6頁付き。通して読んでると、70年代、80年代、90年代の社会状況、思想状況が浮かんできますね(゚_゚)(。_。)
関係者さん、もうヤバそうなのこの人?
69 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 13:28:53 0
70 :
考える名無しさん :2008/05/20(火) 14:20:17 0
6000円の価値とは?
71 :
考える名無しさん :2008/05/21(水) 13:00:02 O
『ほぼ日刊イトイ新聞』にこのゴールデンウィーク中に糸井重里とやった対談が掲載されてるけど、相変わらず冴えまくりだね(感心)。あと、久しぶり(?)の吉本の講演の告知も『ほぼ日刊イトイ新聞』に掲載されてますね。精力的です。
72 :
考える名無しさん :2008/05/23(金) 19:54:12 0
>>70 だからさぁ、生で自慰サンを観れるだけじゃん。
それで6千円払えとよ。
73 :
無名人 :2008/06/07(土) 07:23:48 0
吉本さんが、東京新聞6月7日朝刊で ドストエフスキーが注目されていることにコメントしています。 団塊の世代に対する批判も述べています。
74 :
考える名無しさん :2008/06/07(土) 22:17:33 0
>>73 死に損ないの自慰サンから批判される団塊世代って、
まともな反論もできないような連中なんだろうな。
75 :
考える名無しさん :2008/06/07(土) 23:40:46 0
吉本は「愚に還れ」てなことを云っている。 マルクスも含め利口そうなことを云っていたヤツらは 信用できんぜ。ということだろ。 簡単に言えば「純粋疎外」的言説への不信であるのだが 一方で「構想力」なぞと云ってるのは調子良すぎないか?
76 :
考える名無しさん :2008/06/08(日) 00:34:46 0
「還れ」といわれるまでもないけどなあ。。。
77 :
考える名無しさん :2008/06/08(日) 06:49:40 0
78 :
考える名無しさん :2008/06/08(日) 08:24:44 0
吉本隆明って、数学っぽい言葉をけっこう使ってるよね? 位相とか。 あれって、どの程度正しい用語法なんだろう? 単なるイメージ的比喩? 本人は若い頃数学者を志したくらいだから、まったくメチャクチャってこともないんだろうけど。 数学者の吉本ファンもいたと思うんだけど、その人たちはどういう関わり方だったのかな? レヴィストロースの構造主義の定式化には数学者のヴェイユ(シモーヌ・ヴェイユの兄)の支援があって、 それは思想的にもきわめて重要な役割を占めていると思うんだけど。 吉本の思想に対しても、数学者の専門的なかかわりがあれば、思想の表現ももっと明晰なものになってたような気もするな。
79 :
考える名無しさん :2008/06/08(日) 09:19:29 0
レヴィストロースの構造主義は、厳密な代数学の言葉というわけではないしないから。 かなり自由な形だと思う。 比喩的といわれればそれまで。
>>78 「位相」はphaseとtopologyの両方の訳語だったりするんでややこしいのだが、
吉本の言ってるのは専らphaseの方かな。
ただし吉本の場合、どんな場合でも理科系的な意味はほとんど消去するか
勝手な再定義をやった上で使われている(書評などで理科系の本を評している場合は別)。
つまり「まったくメチャクチャ」というのに近い。とはいえ、もとの意味が消去されているから
ソーカルに突っ込まれたクリステヴァのように顔を真っ赤にする必要もない。
そこらへん周到に手を打ってあるところが、もと理科系らしいと言えなくもないなw
吉本が「若い頃数学者を志した」なんて聞いたことないな。バケガク屋さんだよ?
ただ東工大の学生だったころ遠山啓の自主講義を聴いて感銘を受けた、
という話なら、ご本人が何度も書いているから有名だな
「C.G.ユング」評でユングの四元説にツッコミ入れてる個所は珍しくちゃんとした数学に言及してるが
あのあたりは遠山教授とのかかわりでご本人が一生懸命ベンキョーしたんだろう。
ちなみに、確か同じ本の別のページでは「完備」と書いて「コンパクト」とルビが振ってある。
これ吉本流の「消去と再定義」。実質2文字で完備とコンパクトの両方の、本来の定義が木っ端微塵ww
数学者が吉本を読んでも頭クラクラするだけだと思う。
レヴィ・ストロースの「親族の基本構造」だっけか、それでアンドレ・ヴェイユの助けを借りて
婚姻関係の算術を群論で解き明かしてみせたというのが構造主義の大成果みたいに言われるが
ヴェイユは確かそれをほとんどひと晩で見抜いたんだよ。そのくらいの天才なんだけども。
吉本なら「数学的天才にひと晩で見抜かれる程度の構造主義に、
ご本人達が言うほどの大層な思想的意味なんてあるわけねえだろ」くらいのことは言うと思う。
ただ公に言うと橋爪君が泣いちゃう(笑)から、必要のないことは言わない、と。
81 :
考える名無しさん :2008/06/08(日) 10:17:34 0
>>80 詳しいご説明ありがとうです。
吉本隆明は東工大の電気化学だったかな?
で、ノイマンの「量子力学の数学的基礎」を読んで感動して、遠山啓の研究室に入れてくれって
頼みに行ったんだけど、「数学者なんてメシ食えないからやめとけ。」って説得された、
みたいな話をどこかで読んだことがある。吉本の著書だったか遠山の著書だったか忘れたけど。
そんなワケで、吉本の「位相」ってtopologyだとばっかり思ってた。topologyとphaseじゃえらい違いだなw
「言語にとって美とはなにか」なんか読むと、図式の作り方とかに数学モデル?的な志向は感じるんだけどな。
82 :
考える名無しさん :2008/06/08(日) 10:28:05 0
>>80 すごい感銘を受けました。
私は吉本の「勝手な再定義」大好きです。
ある意味ドゥルーズより無茶苦茶なことをやった人ではなかろうかと。
83 :
考える名無しさん :2008/06/08(日) 10:34:31 0
心的現象論序説を読むと2次元の座標軸に3次元のラセンが描かれていて そのわからなさに笑った記憶がある。大学の理学部にいた頃だ。 研究室の飲み会で吉本ごっこと称してそのラセンを描いて見せたら妙に受けていた。
84 :
考える名無しさん :2008/06/08(日) 10:55:43 0
>>83 「心的現象論序説」は読んでないから、その可笑しさがよくわからないや。
「2次元の座標軸に3次元のラセン」って、第3軸を省略したとか射影とか、そういうことじゃないの?
何を説明しようとした図なんだろう?
>>84 グルグルは(例えば上向の)「過程」を表現している。
ヘーゲルの時間論に由来すると思われる。
86 :
考える名無しさん :2008/06/08(日) 22:09:02 0
>>85 あー、なるほど。サンクス。
そういわれると、ごくふつーのイメージのようにも思えるんだけど。
明日図書館で探してみよう。
>>67 こりゃ宣伝屋、吉本スレで吉本の新刊の宣伝するのは構わぬが、何じゃそのコピーは。
肝心なことを書かないと吉本が悲しむぞ?
ひと月遅れでレスつけといて言うのは何だが、昨日届いた3巻目を読んでて俺はぶったまげた。
(この巻の収録分は一番最後の方を除いて「情況へ」で収録されたものだし、
>>67 の気の抜けたコピーに
安心してしまって、ネットで他に注文する本ができたついでに今頃買って読んだわけだ)
このスレを眺めていて、吉本の読者を自任する人は、立ち読みで構わん(笑)から
この「情況への発言3」の書き下ろし分、巻末の「新書版へのあとがき」を読んでみてほしい。
特にp.432のうしろ4行から最後にかけての部分。
俺は読んでて、吉本がおそろしく重要なことを言っていると感じたのだが、
字面上はひどく慎重な書き方がされていて
──「一体その根元は誰なのか。どこなのか」とあるから、吉本自身にも根元が見えないのだと思う──
正直、ここで言われている内容について確信が持てない。
(なのになぜ重要だと判るかというと、俺自身がここ2年ほどの間抱いてきた感じと、
ここらへんの書きっぷりから受け取る印象がほぼぴったり符合するから)
「オレは判ったよ、こんなのは簡単だ」という人がいたらぜひ教えてほしい、
というか、恥を忍んでお尋ねいたします。
「近代経済学における最もいかがわしい言説」(p.433)って
本当のところ何のことを言ってると思いますか。
88 :
考える名無しさん :2008/06/30(月) 22:16:21 O
松岡祥男の猫々堂からはコンスタントに資料集が刊行されているようだ。あの資料集は価値があると思う。最新刊には文学同人誌との座談会が収録されているが、相手方の理解や無理解にたいし、一切怯まず己の思想を訴え続ける吉本の姿勢にも感心させられる。
89 :
考える名無しさん :2008/07/02(水) 21:04:49 0
「近代経済学における最もいかがわしい言説」(p.433)が、はたして世に言う「新自由主義=市場原理主義」を指しているのか、 それとも、格差社会批判の尻馬に乗って頭をもたげてきた似而非ケインジアン的言説を指しているのか? まったくわからん。 「これがマルクス主義だというのなら、平伏して指示を承るほかあるまい。」(p.435) とあるのは、逆説でいっているのか、文字通りに受け取るべきなのか? もしかして、事ここに至れば、似而非ケインジアン的な一国マルクス主義の日本共産党にでも一票を投じるほかあるまい、とでもいうことなのだろうか??? (普通に読めば、そうとしか読めないと思うのだが……)
90 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 18:07:03 O
吉本隆明の、というよりは周辺ネタになるんだけど。 今日、書店行ったら、山本哲士の主宰するE.L.なんとか、てところから『心的現象論本論』が改めて、出版されているのを発見した。因みに私は以前、同書が出版された際、20000円だして普及版を購入した。ところで、今回、若干版が小さくなり、 文字も2段組みになって8000円で出ていた。安い。また、前回の普及版よりも、印刷装丁はじめ、良い感じに見える。何で初めからこれを出してくれなかったか、山本哲士さん、どうなってるの?
91 :
考える名無しさん :2008/07/05(土) 19:38:15 0
>>90 「だからはなから言ってんじゃんかよ、猫々堂の三冊組を買えって。
ハンディーだしさぁ、値段も山哲の半分だぜ。」
ってな半畳を入れたいところだが、今日は抑えとこっと。
山哲の弁解もだが、自慰サンのコメントも訊きた気もすっけどね。
92 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 09:46:42 0
>>91 内容を求める連中は猫々堂版でもな〜んも問題ないわな。
積読とか本棚を飾るだけの連中は装丁を求めて山哲版を買う(ヴォケも多い)と。
93 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 12:57:04 O
まあ、『心的現象論』は半分だけ読んでそのままになっとる(笑) しかし、敢えて絡ませてもらえば、同じE.L.普及版でも、前回の青い装丁の(20000円)は巻頭の吉本の肖像が画像が荒れて綺麗ではない。今回出た版(8000円)では巻頭の吉本の肖像が画像が綺麗。 また、前回の普及版は文字1段組みで頁数がかさんで持運びに不便。今回のは文字2段組みなせいでコンパクト、持運びに便利。どっからどうみても今回出た普及版の方がお買い得ですよ。 前回のは古本屋で売り飛ばし、最新版を買い直そうとか思わざるをえない。或いは、最初っから私のような読者が現れるのを予想しての計画的な行動だった可能性もある。巧妙だし、巧くやったな、と思わざるをえない。
94 :
考える名無しさん :2008/07/06(日) 21:17:33 O
先程、山本哲士のHPをみたが、やはり『心的現象論』の出版について書いてあり、それによると、詳しい経緯は不明だが、2007年版については2007年11月で出版は終了、とある。で、2008年版からは、研究者が直接出版に携わる、とある。 どうやら、私が入手した青い普及版と、今回の白い装丁の普及版は編集担当が違う、今回からは研究者が直接編集する、ということのようだ。何だかややこしいが、纏めるとそのようなことらしい。 とすると、2007年版については山本や吉本の意見はあんまり生かされてなかった、ということかもしれない。
95 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 11:16:29 0
山本が吉本に「それは山本理論だ」といわれた、とあるのが面白い。 それでも、それだからこそ「やる」と決意したとか。
96 :
考える名無しさん :2008/07/07(月) 11:21:29 O
われは も じゃ
97 :
sage :2008/07/07(月) 22:45:38 0
>>8 >>91 >>92 猫々堂による「心的現象論」は、いまのところ「全5冊」の予定と聞いています。
資料集56『心的現象論 眼の知覚論・身体論』
資料集59『心的現象論 関係論』
資料集65『心的現象論 了解論1』
資料集68『心的現象論 了解論2』
資料集72『心的現象論 了解論3』
98 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 09:21:53 0
99 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 11:43:44 O
>>98 >
>>97 > で、御代は〆て如何ほど?
山本哲士版の『心的現象論』の場合、山本の言によると、「印税は著者10%が通例だが、『心的現象論』については著者20%にした」とのこと。
101 :
考える名無しさん :2008/07/09(水) 11:19:23 0
山本版の『現象論』ってかなり厚いんだろ? でありゃ、 電車で一読、 寝そべって一読、 便所で一読、 ファミレスで一読、 スタバで一読、 ってのには不便だな? ただ、昼寝の簡易まくらには最適なんかな?
103 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 13:49:18 0
>103 この人の「レクサスうんちゃら」って本を読んだのだが 驚くくらい酷いものだった。自称ホスピタリティの権威らしいけどな。 もう、何処をどうやったら、あれだけ読みづらい文章が書けるのか? 腹立たしいを通り越して感心した。
てめぇで調べろ、ボケッ 資料集56『心的現象論 眼の知覚論・身体論』 1800 資料集59『心的現象論 関係論』 1600 資料集65『心的現象論 了解論1』 1500 資料集68『心的現象論 了解論2』 1500 資料集72『心的現象論 了解論3』 2400
106 :
考える名無しさん :2008/07/10(木) 19:56:06 0
松岡祥男氏の吉本理解はベストだと思うが、 書店でもほとんど見かけないね、あの吉本論の本。
107 :
考える名無しさん :2008/07/11(金) 09:23:24 0
>>105 そんな怒ったみたいに書いてるけど、値段、調べてくれたんだね。
嬉しい!
1800+1600+1500+1500+2400=八千八百円也。
だったら、山哲のでも、つか、山哲のがいいと推うけど。
108 :
考える名無しさん :2008/07/13(日) 23:14:43 0
山哲版を読んでるけど、気になったページを探すのが楽でいいよ。 猫々堂版はマークしたり書き込みするのに使ってるな。
109 :
考える名無しさん :2008/07/15(火) 10:53:46 0
>>108 そういうのって、ちょい豪華すぎない?
つか、めちゃ羨ましい+少しばっかルサンチマンかな。
110 :
108 :2008/07/15(火) 12:13:04 0
オレだって趣味も何にもないもんね。家族も親族もいないし。 自動車はとっくの前に捨てたし。ここ何年もスーツ着たことないしさ。 デパートで買い物したこともないし。読みたい本をとことん読んで、 ちょっと音楽聴くくらいかな。
111 :
考える名無しさん :2008/07/15(火) 20:15:51 0
>>110 うッ、えっと、へーえ?
だったらいいじゃんかよ、な?
112 :
108 :2008/07/15(火) 20:23:22 0
カネもってないし、酒も飲めないし、吉本本買うことくらいしか 楽しみも出費もしないよっていいたかっただけだよ。 いい本て、何回読み返してもいいよお。 吉本はそういう本だったなあ。
113 :
考える名無しさん :2008/07/16(水) 09:11:29 0
心的現象論って研究以外で何回も読み直す本か? そいつぁ、知的感動とかを再経験したいが為ってことか?
114 :
108 :2008/07/16(水) 20:59:12 0
何度読んでも感心するのは分析の仕方や考え方かな。 文章や表現の仕方じゃなくて「よくこういうことに気がつくなあ」とか、 「こういう風に理解するのか」みたいな驚きが読むたびに繰り返しあるよ。
115 :
考える名無しさん :2008/07/17(木) 10:19:11 0
>>114 まぁ、よく解んないけど、夏向きじゃねーってことは言えるね。
116 :
考える名無しさん :2008/07/17(木) 13:45:10 0
>>115 そんなこと無いって。
今はエアコンなんて便利なモノがありますからね。
エアコンをぐあんぐあん効かせながらの読書なんてのも、
これまたオツなもんですよ。
117 :
考える名無しさん :2008/07/18(金) 14:18:04 0
「心的現象論」すんげえ〜 メルロ=ポンティのヘーゲル理解を検討するところなんかスゴスギ。 このジジイとフーコーの対談はスサマジイものだったんだろなあ。 ジジイすごすぎ、スゴスギですよ、この人。
フーコーとの対談のテープが行方不明だそうな。 蓮見の通訳がダメで吉本の言ってることがよく伝わらなかったらしい。
119 :
考える名無しさん :2008/07/20(日) 20:02:52 0
>>117 文庫で読む限りは力む吉本に対して
フーコーは社交辞令で逃げてる感じだな
120 :
考える名無しさん :2008/07/20(日) 20:30:02 0
そのテープは蓮實がわざと紛失したんだよ。w イヤな奴でしょ。
121 :
考える名無しさん :2008/07/20(日) 20:44:24 O
マルクスとマルクス主義を端的に分けるべき、という発想について、両者には落差があったと思う。 フーコーはマルクス主義を、近代に特有な<知=権力>の図式にあてはめる。対する吉本の場合、マルクス主義への否定性ではフーコーとも共有してはいるが、同時に、マルクスからまだ受け取り得るものがありはしないか、という点に拘る。“マルクスからまだ何かを” という点、それも未来社会への展望という視点でマルクスを読み直そうとしていたのであって、それは後の埴谷雄高との論争や高度資本主義論にまで継承されるが、その辺までくると、フーコーには理解を絶するところがあったと推測する。 フーコーからすると、吉本ほどにはまだマルクスに何かを期待することなど出来ないと思われたろう。フーコーなりにマルクスへの敬意は対談でも払われてはいるが、マルクスから改めて未来社会への展望を読み取る、という発想はフーコーにはなかったと思う。 よく知られているように、吉本には<段階>という考え方が強い。歴史を、人間が意図せずして、或いは意図して、何かが実現されてしまう行程として捉える。その考え方を根強く固持する。 世界的な思想家で、吉本のように<段階>に固持する人はおそらくそんなにはいない。 フーコーとのマルクスをめぐる落差にはその辺の<段階>への捉え方が影を落としているとみる。
フーコーは「所詮」の人であり、吉本は「執念」なのだから フーコーは丸山の「大衆」への「所詮感」には無条件で感激した。 のじゃなかろうか。
123 :
考える名無しさん :2008/07/21(月) 13:09:30 0
>>121 <段階>?
吉本タームとして正確には「階程」だね。
現存在としての心的現象のレベルと、環界としての資本主義のある段階の
交差するところ。
124 :
考える名無しさん :2008/07/21(月) 13:11:37 0
>>120 だとしたら蓮實ってサイテーじゃん。
奥方の戦略かな? ヒスかキチだからな、あいつら。
>>123 この場合
>>121 の言ってるのは「アジア的段階」「アフリカ的段階」の「段階」じゃないか?
フーコーにもエピステーメの非連続性(不連続性だったっけ?)という視点はあったわけだけど
吉本の言うような(ヘーゲル・マルクス的な由緒を強く感じさせる)「段階」概念とは当然違うものだ
うろ覚えだが、吉本が日本の「主体性唯物論」か何かの話を切り出して、
フーコーが「うち(西洋哲学)は意志論は苦手だから」なんて応答してるところとか
両者の根本的な発想の噛み合わなさ具合が表れていたとは思う
西洋哲学に意志論がないなんてバカな話はない。ただ、
フーコーの関心は権力の、今日で言うところの進化ゲーム理論みたいなところに終始あって、
「人間」とか「主体」といった概念に対するやたら冷たい扱い方もそこから出たものだと思えるのだが、
これは「情況」で吉本が的確にそう読んだように「機能主義」的な、
ひらたく言えば「上から目線」の議論になってしまう難点がどうしてもつきまとうことになる
吉本は「言葉と物」に驚きながらも、この種の議論から機能主義的な(たぶん吉本に言わせれば余計な)ニュアンスを
外して、かわりにヘーゲル的な弁証法やマルクス的な自然哲学(「段階」概念もここから出てくる)を代入すると
何が起きるのか、古典的な「主体とその意志」のような概念がそこでどのような変容を蒙ることになるのか、
そういったことを知りたかったに違いない。でもそれははぐらかされたという感じだ。
いっかなフーコーだってそんな途轍もないことは考えてもみなかったことだろうし。
フランス人の俺にドイツのことを訊かれてもなあ(笑)、みたいな言い方してたよな
>>124 この件は今や公然の秘密みたいになってるが
吉本自身「まあまあ、そういうツマンないことは黙っててやれよ」的に振る舞ってるような気がする
どっちみちフーコーなんかにゃ敵わねえよってしょっちゅう言ってるし
126 :
考える名無しさん :2008/07/22(火) 07:40:13 0
そういえば フーコーが対談でショーペンハウエルをやりたいとかなんとか言っていたように記憶してるが。 誰か教えて。
127 :
考える名無しさん :2008/07/22(火) 11:36:10 0
>>125 やっぱりフーコーの応答は「はぐらかし」っぽいね。
「単独者のオレには(歴史的な)意志論はいらねーの」と言いつつ、
「でもさ、医療っぽく(機能主義的に)<生>を観ることは必要だよね!」
とか言ってる気がするもん。
吉本が評価する(最近特に)フーコーの生物学的な見地って、
ある種思想全般に関するパノプティコン的な感じがするけどね。
そのへんを「この人はわかってくれるかも」というスタンスが、
吉本へのリップサービス的なもんに感じる。
「はぐらかし」はフーコーのテレじゃないの、シャイな感じがする。
まあゲイってああゆうもんかもしれないが。w
128 :
考える名無しさん :2008/07/22(火) 22:46:11 0
19日、ほぼ日の講演会行かれた方はいませんでしょうか? 正直私には耄碌しているとしか思えなかったのですが、 ブログ等、「すごかった」という感想が多くて どう考えればいいのやら・・・です。
>>128 ブロガーは特に糸井信者が多いのではないでしょうか。
個人的にはチケットの価格に見合わない内容のイベントだと感じました。
130 :
考える名無しさん :2008/07/22(火) 23:57:32 0
信者であれば、失望しない内容だったんでしょうかね。 理解し難いな・・・
>>128 半分は耄碌してるんじゃない。
糸井氏自身が以前「言葉の繰り返しとか、迷路に入ったりみたいなボケはある」と
言ってたし、パンフレットの経歴の最近を見てると、
お迎えがすぐそこまで来てる感じだ。
俺はそこらへん覚悟で行ったけど、講演の3分の1ぐらいは寝ちゃった。
起きてる間の3分の1はモゴモゴとしか聞こえなかったw
残りの時間は、なかなか面白かったよ。
ほんとに牛歩という感じだけど、進み続けてる感じがあって、少し感動した。
しかし、話を理解しようとするだけで疲労困憊したなぁ。
「ほぼ日」でのフォローに期待ですな。
昔 講演会などに老いた金子光晴が引っ張り出されて なんとなくあわれ感じた思い出があるけど 老醜を覚悟で吉本さんは出るのだろうか。 まあそこがすごいといえばすごい
134 :
考える名無しさん :2008/07/25(金) 12:45:34 0
分厚い心的現象論にブルーベリーヨーグルトをこぼしたオレはステキ!
モノノゲの青いやつならティッシュでふける
136 :
考える名無しさん :2008/07/26(土) 10:17:21 0
高校のとき、文芸評論家の山本健吉の講演を聞いたことがある。 マイクがあるのにボソボソ声で何を言ってるのかさっぱりわからなかった。 母親につまらなかったと感想を言ったら、偉い人の声を聞けただけでも よしとしなきゃと諭された。山本の偉さを知らなかったから何の説得力もなかったが。
137 :
考える名無しさん :2008/07/26(土) 19:45:38 O
吉本の講演の場合、講演自体もさることながら、講演後の質疑応答、或いは他の講演者もいる場合、その講演者に名指しされて壇上に上がり、サシで討論が始まる場合もある。 名指しされて、壇上に上がらされ、討論が始まった例としては1987年のイベントでの中上健次、宇野邦一の各講演後の例がある。 二つとも目の前で見れたが、切り返す吉本の思考は見事という他ない。ただ、その場ではその凄さが分からなくて、活字になってから気付いたのがまあ情けないが。 「俺をただの文芸批評家だと思ってはいけない」とか、居丈高に見下すばかりの某批評家とは雲泥の差を感じた。
おいらも何度か講演に行ったが、席の前の方には有名人がチラホラ・・・・ ビートたけしも見たような気がするなあ・・・・ 声は若く、喋るとき手持ち無沙汰な手を脇の下に挟んだり、うなじに掛けたり落ち着き無かったが、 論旨は、やはり書き言葉を喋ってるのが直ぐに分かり、密度が濃いので、自然と緊張感に満ちた ものになっていったっけ。 そして質疑応答に移ると、やや和らいだ雰囲気になり、トンチンカンな質問にも丁寧に答えようとし、 けれども、やはり書き言葉の人なので咄嗟に出てくる言葉が堅すぎて気に食わないのか、何度も言い直し 最後は苦笑いしながら、赦しを請うような哀れさがあったな。 要するに、無知あるいは非知に対しては、全力で戦いを挑むという覚悟のようなものを感じたよ。
139 :
考える名無しさん :2008/07/27(日) 12:12:11 0
19日の講演会終了後、自慰サンが車に乗り込むのを偶然目撃した。 糸井重里が自慰サンの身体上部を支え、下部を女性と中沢新一が 抱えながら、中沢は自慰サンの靴を履かしていもたな。
140 :
考える名無しさん :2008/07/27(日) 18:32:10 0
>>139 あれって遠くから見てて、なんか哀れっぽかったね。
誰かが揶揄してたが、
まさに「老いさらばえた自立できない思想家。」って図だな。
>>140 そうやって煽ると…吉本はロボに跨ってでも自立歩行してやってくるぞw
なんたって東工大だからな
そうなったら、お前、女装して「知識人がロボに跨るとは何事ですか」って言う役な。
142 :
考える名無しさん :2008/07/27(日) 19:48:56 O
最後に元気なころの吉本の講演聴いたのは、駿河台下にある日大の記念館?で広松渉の一周忌の記念講演が雑誌『情況』の主催でやはり他の講演者との合同で開かれた時だ。あれが1995年だったと思う。 あの時やはり質疑応答があり、講演では座っていたが、質疑応答では吉本は正面左端に立って左手を右脇にさし、右手を頬にあてながら答えていた。 『情況』では広松渉と吉本の対談を企画しており、しかし、実現するまでに広松が健康を害し、急逝してしまった、という経過が『情況』の古賀から話されていた。 広松渉ついでに言えば、91年に池袋で開かれたシンポジウムで、広松が「やはりマルクス研究をしてらっしゃる吉本隆明さんについてどう評価しますか?」と聴かれ、答えたのが 「私は吉本さんを大変尊敬しております。ただ、私の共同主観性と吉本さんのいう共同幻想と、関係あるのかとよく聴かれるんですが、当初は関係ないと思ってました。しかし、今から考えてみると、重なるところもあるな、と思うようになりました。 あと、自然哲学者マルクス、という吉本さんの読み方ですけども、私はそれは違うのでは?と思います。しかし、別に違ってたっていいではないか、とも思います。言ってみればマルクスをダシにして吉本さんの思想を展開しているのだし、巷に溢れる訓詁注釈よりか、 よほど良い、と私は考えております。」とのことであった。
143 :
考える名無しさん :2008/07/27(日) 22:05:11 0
>>141 いやぁ、煽るなんてつもりじゃないんだ。
マジ、実感さ。
昔、それなりの気合をこめて読んだ著作の筆者の老体を見たんでね。
それに、何処かのスレでもカキコされてたが、
TV局の記録室で60年安保闘争記録集のなかに品川駅でのブントの
集会での若い吉本氏の元気なアジ演説をこの1月に見たりしたんで、
氏の老体が苦しげに見えたってとこかな。
>>143 いや、俺(141)も冗談を言っただけだ。気にしないでくれ。
皆が吉本の講演の話で盛り上がってるから、俺も参加してみたくなったんだ
「70年代の光と影」という講演の中で、学生運動の時代、客席から大声上げて邪魔するやつがいて
ムカついた吉本がやおら演壇を降りてそいつを「小突きまわしていた」ら
(吉本自身は別のところでそう書いてるが、どうせ「軽く2,3発ぶん殴っていた」のだと思う)
女子学生から「知識人が暴力を振るうとは何事ですか」と怒鳴られて絶句した、という昔話をやっていた
20年も前の話なのに「思い起こせば…くそっ、今もって憤懣遣る方ねえっ…!」という感じの
吉本の表情が今も忘れられないくらい印象的だった
吉本は講演でも対談でも時々口籠るが、あれはただ絶句してるんじゃなくて
どうも3度に1度くらいの割合で激怒してるな、と、あの時初めてわかった
吉本の逆鱗に触れて絶交した人は、たいてい最初は狐につままれたような対応をする理由も。
そういや、糸井重里や中沢新一はかの「脳軟化症」事件の当事者だよな
回想が多いな いよいよ終わり? なんだかわびしい
中沢の他人に対する姿勢は酷いから。 態度がころころ変るので本心がつかめない。 約束も守らないし、誠意とかも感じられない。
あの人見での講演は本になるのだろうか。
148 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 12:29:10 0
山本哲士が四の五の言っていかに弁解しても 一回『試行』誌に掲載されたのをまとめただけの 心的現象論が8400円たぁ、ぶったくりだぜ。 そいと、本棚のホコリにしかならない愛蔵版が 数万円とくりゃ、販売ターゲットはスノッブだな。
149 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 12:44:29 0
>>148 なるほどね。
で、山哲はこの『本論』を一回発売開始して、
直ぐに販売停止して、価格を変えて今回販売再開した理由ってナニよ?
150 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 13:57:30 0
>>149 印刷会社が山本の命令を聞かなかったんじゃなかったかな。
151 :
考える名無しさん :2008/08/07(木) 15:06:16 0
翻訳をしてるんじゃないの? どこ向けか知らないけどさ。
論座で党員作家と対談してた
将来吉本さんの死後 どこかの出版社から完全な全集を出すということになるのだろうか。 どこの出版社になるのか。 角川あたりでやってくれればいいが。 全集完結まで10年ぐらいかかるのではないか。 未発表のノートやメモをいれるととんでもない膨大な量だろう。 たぶん主著の心的現象論が第一巻配本になり また俺はそれを購入することになる いつか文庫化されるとまた買うことになる。 解説を読むためだ。終わらない(www)
154 :
考える名無しさん :2008/08/08(金) 10:47:46 0
>>153 その全集の編集者としては誰が適してるんかな?
当然編集者は複数になるし、
駄洒落じゃないけど、編集者のなかには偏執者も参加させなきゃね。
155 :
考える名無しさん :2008/08/08(金) 10:59:46 0
だいたいでいいじゃない、じゃだめかあ?
なんだかんだでまた勁草書房になったりしたら もう大爆笑
候補として 柄谷行人 浅田彰 中沢新一 最適なのはほぼ日の・・・ ああ誰もいない 山本や猫ねこや・・ いっそのこと ばなながやれば
ヤスケンが生きてりゃよかったんだが、死んじまったからな 奴なら吉本が死んでも地獄から原稿取ってきたことだろう 取った後で勝手に売り捌いちゃったりするけどww
159 :
考える名無しさん :2008/08/08(金) 18:12:45 0
>>154 自慰サン、もしかして既に編集者候補を決めてたりしてな。
もっとも、自慰サンって、死後の世事は当人預かり知らぬことってスタンスだから、
ばなな任せかな?
160 :
考える名無しさん :2008/08/11(月) 19:10:20 O
全集の編集方針からして難問。埴谷や小林秀雄の全集のように編年体か、もしくは頸草書房版の旧著作集のように分野別か。旧著作集的だとどうしても、漏れる対談やら講演やらが出てくるだろう。しかし、編年体で完璧にやるなら、相当な巻数と時間が必要だろう。 編集委員としては、中沢新一、松岡祥男、芹沢俊介、糸井重里、吉本ばなな、あたりが最適だと思います。間違っても柄谷、浅田、蓮実らには触れさせるべきではない。
161 :
考える名無しさん :2008/08/12(火) 01:15:42 0
中沢新一、松岡祥男、芹沢俊介、糸井重里、吉本ばななって、、 糸井重里の将来フリー化(目指す)講演集とか、すばらしいコンセプトだとは思うけど。 フツーに弓立社の人とか、本人から信頼のある編集者の人じゃダメなのか? てかよっぽど、オマケとか、 充実した資料集がつかない限り、全集自体いるか? 文庫全集とか、使い勝手が良い方がイイな。
吉本思想を読むガイドはないの。いきなり読めないよ。
163 :
考える名無しさん :2008/08/12(火) 10:03:09 0
全集の編集委員というのは、実際に編集するんではなくて、販売のための広告塔というのが、日本の場合の通例です。 また、日本には完璧版(に近い)個人全集というのは、ほとんどありません。 初出、転載、誤記・誤植などのヴァリアントをどう処理するか等々、専門的な知識を持たなければ無理なのです。 今まであがっているひとびとができるとは思えません。 川上春雄が生きていても、これは無理でしょうね。
>>161 「本人から信頼のある編集者」の方が先に、次々と鬼籍に入ってるんだからしょうがない
「弓立社の人」だって創業者(名前は失念した)は死んじゃってる。
生きてる人といえば寺田博かな。でも15年くらい前だか、吉本と大喧嘩したんだよな…
>>162 ずっと昔にfor beginnersシリーズ(日本版)の1冊として出てる
あと「現代思想」「文藝」「現代詩手帖」の特集本とかがいくつかある。「国文学」ていうのもあったかな?
でもどれもあまりお薦めはしない
こういうのはたいがい「信者の信者による信者のための本」だから…
吉本はいきなり読んでいきなり活字で叱られる(笑)方が面白いし、よく判ると思う
「試行」やってたころは「情況への発言」が、だからある種入門編のようになっていたんだが…
「自立の思想的拠点」
「情況」
「書物の解体学」
「『反核』異論」
こういったあたりを手に入れて読んでみたら如何。
165 :
考える名無しさん :2008/08/12(火) 10:25:34 0
>>163 へぇー、そうなんだ。あんがとよ。
いやね、編集委員を誰にすっかてなお遊びをしてるだけでさぁ、
要は誰でもいいのよ。
166 :
考える名無しさん :2008/08/12(火) 12:38:28 0
>>162 次の3冊は比較的わかりやすいと思う。
村瀬学『次の時代のための吉本隆明の読み方』(洋泉社)
小浜逸郎『吉本隆明 思想の普遍性とは何か』(筑摩書房)
橋爪大三郎『永遠の吉本隆明』(洋泉社)
俺が読んだのは橋爪のだけだけど、橋爪のは丁寧な読みを感じたし納得できる内容だった。ただ、『永遠の吉本隆明』てタイトルだけはイマイチ、センスのなさを感じた。 第一、あのタイトルほどに迎合的に書いてあるわけでもなく、リアルタイムで同時代の一読者がどう読んでフォローしてきたか、というあれは批評でもあると同時にドキュメントだと思う。
168 :
無名人 :2008/08/12(火) 15:18:42 0
ちょっと古い(1990年初版)のと分量が多い(約500頁)のですけど 文章が読みやすく、わかりやすいと思います。 鷲田小弥太『吉本隆明論 戦後思想史の検証』
現在のところ 本当にすぐれたと思えるほどの吉本思想の解説者はみあたらない。 全く新しい若手がいつか現れて世界に紹介するのだろうな。 とりあえず自宅にある資料の管理をばななさんにしてもらうことだな。 間違っても蓮見はだめ。
170 :
考える名無しさん :2008/08/12(火) 20:31:02 O
たしか1980年代後半に大和書房から、全集とまではいかず『全集撰』ていう吉本隆明本人による撰集が出てるんだよな。全9巻?で、まあ、7冊出たあたりで完結せぬまま頓挫するんだが(笑)あの形式自体は悪くなかったと思う。 内容は「全詩撰」「文学」「政治思想」「思想家」「宗教」「古典」「イメージ論」「別巻」の計9巻だったと思う。各巻、約500頁ではなかったか。かなり分厚い。 あの時の編集方針で再度、出版社は分からんけど、出しそうな予感はある。
吉本の入門書というのなら、 今尚、磯田光一の『吉本隆明論」+『戦後批評家論』(吉本論含む) がベターかと思います。 『磯田光一著作集』のは『吉本隆明論全論考』とかいうのがあったはず。 それから、吉本宅の資料管理その他はハルノヨイコがやることでしょう。ばななじゃダメ。
172 :
考える名無しさん :2008/08/12(火) 23:08:23 0
>>142 亀レスだが、エロ松の慇懃無礼を真に受けないように。 もちろん、エロは吉本をバカにしているよ。
広松なんて所詮マルクス主義訓詁学
ハルノとばななの違いは? ばななは日記を見てなんとなくだめかなとおもうが ハルノはよく知らないので・・
175 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 09:13:03 0
>>173 つか、廣松の基本はマッハ主義者だよね。
マッハ主義、、、懐しいな、、、
177 :
考える名無しさん :2008/08/13(水) 21:03:40 0
吉本と廣松の関係は中々とらえがたいね。べつに対立していたとはいえないし、かといって仲が良かったわけでもない。 しかも客観的にみると、武井昭夫(初代全学連委員長)をはさんで、結構近い政治人脈の中にいたともいえる。 周辺的人脈では、柄谷行人との位置関係でもそんな感じがする。 案外近かった政治人脈の内部で、吉本は島成郎、味岡修らと親しく、廣松は島、味岡の系統とはそりが合わなかった。 この辺は叛旗・情況派が叛旗派と情況派に分裂したこととも無関係ではないような肌合いか何かの違いがあるのだろう。 近傍にいれば、全然違うのは一目瞭然すぎて言い表しにくく、外部からみると、どこが違うのか結構言い当てにくい、というような。
178 :
考える名無しさん :2008/08/17(日) 23:43:28 0
>>177 こういう政治的?関係なおはなしを吉本さんは一番嫌うのじゃ「ないかな
ほんとにどうでもいい話だ。
当時のことを知ってる者のうちわ談義。
広松の講演を昔聞いたことがあるけど
つうの話なんかわかったようでさっぱりわからなかった。
広松を吉本は礼儀として悪くは言わなかったけど
本音は全くダメだと思っているのではと思うね。
179 :
考える名無しさん :2008/08/18(月) 00:06:24 0
『存在と意味』を読む限り広松の認識論はそれなりに骨太のものだった。 広松の共同主観性はあくまでもその延長上にあるものだから 吉本の共同幻想とは発想の起点が違う。 それがどこで交わるかはまさに共同という字の共通性でとしか言いようがない。
180 :
考える名無しさん :2008/08/18(月) 10:14:51 0
>>175 マッハ主義とはわたしにも誠に懐かしい。
更に、広松氏をマッハ主義者と看破するとは、
これまた愉快なり。
181 :
考える名無しさん :2008/08/19(火) 17:15:02 0
>179 発想の基点ということでいえば、共同幻想も共同主観性も、デュルケームの「集合表象」にあるのは明らか。 でも、同じ基点から、展開していく方向がまったく違ったという点では、 >それがどこで交わるかはまさに共同という字の共通性でとしか言いようがない。 というのに賛成。吉本があくまでも文化人類学や民俗学的なイメージで展開したのに対して、廣松はマッハはフッサールのような 認識論の方向で考えていたからね。これだと、共同幻想だけでなく自己幻想も対幻想もすべて共同主観性ということになる。 つまり言葉は似ていても範疇の次元が違うということ。 >178 広松を吉本は礼儀として悪くは言わなかったけど 本音は全くダメだと思っているのではと思うね。 廣松には吉本や柄谷が問題にしていたことが最後までわからなかったフシがあるけど、だからといって、自分がわからないものを 全くダメだとか、「どうでもいい話しだ」とか切って捨てるような短絡的で了見の狭い男だったかどうかはわからんね。 勝手に決めつけるのは如何なものか。
182 :
考える名無しさん :2008/08/19(火) 18:32:46 0
自己幻想・対幻想・共同幻想の相互の関連(互に依拠するが還元し得ない)を堀り下げていくのに、 フッサールやポンティを機能主義としてその限界まで使いこなしてしまう姿勢が専門家に羨望どころか恐怖心を植えつけるだろうと思うわな。 欧米思想は全部そうだが、としたうえで機能主義のその限界を現象学がどのように遁走(しようと)したか ・・・と考察する心的現象論はやはり徹底した哲学と思想の書だと思った。 吉本はたぶん吉本ファンが読み飛ばす「鬱病」への孝察だけで、ほとんど現存の学を凌駕してしまっている。。。
183 :
考える名無しさん :2008/08/20(水) 01:40:17 O
主著はやはり『共同幻想論』になるだろう。 西欧的な知の枠組みを破壊するような力がある。
184 :
考える名無しさん :2008/08/20(水) 09:45:16 0
ある意味「共同幻想論」は結果だから、現在まで続く心的現象論がメインでしょう。 それに共同幻想論の現代版であるイメージ論は3バカからはバカにされ、 エピゴーネンには理解もできなかったようだし。
185 :
考える名無しさん :2008/08/20(水) 11:51:13 0
>>184 まぁ、山哲が『心的現象論』の英訳と仏訳を画策してるらしいから、
そいつがうまく行ってだな、且つそれなりの評価を得られれば
三ヴァカも四ヴァカもなびくんだろうって先の長〜いお話しよ。
186 :
考える名無しさん :2008/08/20(水) 17:50:06 0
評論家の宮崎哲弥が橋爪大三郎の『永遠の吉本隆明』を評する中で、以前吉本との 対論本を出す予定だったと明かしている。(『新書365冊』朝日新書) その本は宮崎側の意向でボツになったのだが、その主な理由は、対論を続けたも のの吉本が何を言いたいのかさっぱりわからなかったからだそうだ。 実はわたしにも吉本の言いたいことはよくわからない。ただ、わかる部分での言い方 に納得できるところがあって、たぶんわからない部分でもいい事を言ってるんだろうと 思っているだけだ。
187 :
考える名無しさん :2008/08/21(木) 02:46:10 O
心的現象論、読みたいが高すぎるよ。 文庫にならない?
188 :
考える名無しさん :2008/08/21(木) 09:10:02 0
マジに3ヴァカいらね。 浅田はフェリクス−ガタリまで誤読してるのがバレちまってるし。 柄谷は爺のマネばっか。20、30年遅れて巧妙に、な。 中沢は失礼。 それにしても心的現象論って高いよなあ。
189 :
考える名無しさん :2008/08/21(木) 09:17:22 0
>>185 山哲って心的幻想論を販ってる山本哲士さんだよね。
山本さんって前もさぁ、共同幻想論をフーコーに読まそうとして
蓮実さんとひと悶着起こしたって聞いたし、
今度は心的現象論なんですね。
山本さんってなんか策士って感じですね。
190 :
考える名無しさん :2008/08/21(木) 13:38:09 0
山哲って別に策士じゃないんじゃない? ただ在野だし我が強い人なんだろうけど。 フーコーとの対談テープを隠蔽してる蓮実さんの方がアヤシイよ。w それより「共同幻想論」をフランス語で出した人がいたよね。CDで。 仏語訳はフーコーの恋人に渡したらしいけど。
191 :
考える名無しさん :2008/08/22(金) 12:41:40 0
>>189 ,
>>190 山本が山師だろうとイカサマ野郎だろうと、
当の自慰サンがOKしてんなら、そいでOKじゃん。
つか、こちとら外野はな〜んも言えねーわな。
ただな、柄谷とドゥルーズだかの逸話を思い出したぜ。
ドウルーズに柄谷が言われたんだと。
「なして自分の論文を英語だか仏語だかに訳すんよ?
世界がオメーの思想無しに前進できなきゃ、
放っておいたってよ、世界がオメーの思想を訳してくれるんとちゃうの?」
この話、茂木のサイトで読んだんだけんど、この話、茂木は自慰サンから
聞いたんだとよ。
この話の顰にならえば、自慰サンの『現象論』がなけりゃ二進も三進も行かなけりゃ、
おフランスの方から訳し頂戴って来るんとちゃうかな?
192 :
考える名無しさん :2008/08/22(金) 15:37:28 0
柄谷はもともとが英文科だからいいが、吉本には、化学系の論文の翻訳はできるかもしれないが、自分の『現象論』の英訳、仏訳等は無理だろな。
193 :
考える名無しさん :2008/08/22(金) 17:38:46 O
吉本は昔、収入がない時代、本来は鮎川信夫の仕事だったエラリー・クイーンの翻訳を蔭で鮎川から代行させてもらい、鮎川に分け前をもらっていた、と何かで喋っていたことがある。英語なら自分の本の和文英訳くらいは実は出来ると思われる。 やらないのは前レスで書かれていた、真にその著作が価値あるなら、ほっといても海外の翻訳家は黙ってはいなかろう、という理由だろう。
194 :
考える名無しさん :2008/08/22(金) 17:42:13 0
で吉本の本は翻訳されてるの?
195 :
考える名無しさん :2008/08/22(金) 19:50:12 0
だからあ、共同幻想論が仏訳されたことがある。ただし日本人によって。
196 :
考える名無しさん :2008/08/22(金) 19:52:56 0
訳すことそのものが必然的に違う解釈を付与しちゃうからな。 前後の文脈を読んで適切な訳ができる人は○○さんだけ、みたいなことを じいさんもどこかで言ってたね。慶応の教授か何かだったような。
197 :
考える名無しさん :2008/08/22(金) 21:30:56 0
>193 その話しを聞いて、ふだん推理小説はあまり読まないが、『Xの悲劇』だか『Yの悲劇』だかを読んだことあるけど、お世辞にも読みやすい訳とは思えなかったなあ。。。
>>191 それ、試行#62の「情況への発言」にあった話じゃないか?
ドゥルーズじゃなく、デリダから「きみは日本語で書けばいいじゃないか」と言われて柄谷がムクレた、っていう。
どうでもいいけど、できればこのスレでルイセンコ茂木の名前なんか出しなさんな
>>193 >>197 吉本がやったのは「下訳」で、最終的には当然鮎川信夫(英文科卒)が仕上げたはず
あと、吉本が自著の英訳とか独訳とか、そんなもん単独でできるはずがない
学生時代の論文だって英語で書いたのはabstractだけじゃないかな
吉本はともかく、東工大生や卒業生の外国語能力が過大評価されたりしたら大変だから念のためw
199 :
考える名無しさん :2008/08/23(土) 10:59:48 0
>>198 僕も茂木さんがやってるサイトで読みましたよ。
もっとも、191氏の文章と同じじゃないけどね。
200 :
考える名無しさん :2008/08/23(土) 11:10:27 0
これだろ? 茂木健一郎 クオリア日記からの抜粋な。 qte 吉本さんが柄谷行人さんから聞いたという話。 柄谷さんがジャック・デリダとニューヨークで会った時のこと。 デリダは、柄谷さんに、「お前の著作を通り過ぎなければ どうしても前に進めない、と思えば、みんな日本語を一生懸命 勉強するだろう。なのになぜお前はわざわざ英語で本を書くのだ」 と言ったという。 吉本さんは、これまでの生涯の中で、一度も外国に行っていないのだそうである。 Unqte
201 :
考える名無しさん :2008/08/23(土) 17:25:46 0
柄谷がデリダにいわれた話なら、朝日ジャーナルでのデリダと柄谷、浅田の 鼎談でも出ていなよーな。
202 :
考える名無しさん :2008/08/23(土) 18:16:39 0
203 :
考える名無しさん :2008/08/24(日) 10:50:17 O
『朝日ジャーナル』て吉本には結構敵対視してたね。あの雑誌はサルトルや小田実的な「行動する知識人」を好んでいたから、サルトル来日時の講演や生前最後のインタビューでは頁数割いて全文掲載。吉本が87年にやった講演と討論のイベントでは細部は忘れたが、 たしかスガ秀実に現場に行かせ、記事書かせ、辛い評価になっていた。そのスガ秀実は現場では吉本と他の論者の対話の最中にだらしない笑い声をあげ、かなり迷惑だったのは覚えている。
204 :
考える名無しさん :2008/08/24(日) 18:42:00 0
ジャンクなスガ秀実とは何者か?
205 :
考える名無しさん :2008/08/24(日) 21:04:08 O
スガが何者かはまあともかく、スガはたしか今年秋に『吉本隆明論』を刊行予定ではなかったか?ていうか、スガが吉本をどうみているかについては『砂のペルソナ』や他の対談からももう解っているので、あまり新鮮味も感じないね。
206 :
考える名無しさん :2008/08/26(火) 19:50:52 O
青土社の『現代思想』が『臨時増刊 吉本隆明』を刊行。70年代に何回か『現代思想』が吉本隆明を特集したことがあったような?記憶はおぼろ気にはあるが、その後はばったり、吉本を特集することはなくなっていた。非常に久々の特集号となった。 巻頭には高橋順一がインタビュアーとなったロングインタビューも掲載されている。
207 :
考える名無しさん :2008/08/26(火) 21:45:44 0
>>206 なに宣伝してんだ。
性奴社のちょうちん持ちか?
208 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 17:21:20 0
>>207 どっちかつーと、自慰サンの太鼓持ちだろ。
209 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 18:02:05 0
爺さんの特集の紹介だからいいじゃねえか。何つっかかってんだよ。 爺さんの特集といえば、昔は學燈社の「國文學」が何回かやってる。 通算では思潮社の「現代詩手帳」が一番多いかな。 河出の「文藝」もよく爺さんがらみの特集組んでた。 「樹が陣営」「あんかるわ」とか思想系の同人誌なんかも吉本論はよく載ってたな。 俺は今「現代思想」の臨時増刊読みながら、ほぼ日の「五十度の講演」聞いてる。 これでだいぶ提灯持ちしたかな。
210 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 18:12:27 0
提灯持ちすぎだろ。
211 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 19:40:17 O
ムックや単行本、「吉本特集」が多々ある けど、みんなのおすすめを教えてください
212 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 19:49:15 O
そりゃあ、今回でた青土社『現代思想臨時増刊 吉本隆明』でしょ。吉本による自身のこれまでの仕事の全体的回顧までロングインタビューとして収録されている。これは読み応えあるよ。年度別の著作発行記録まで巻末に付いてるし。 表紙に採用されているポートレート、レイアウトもあの『ほぼ日』の画面を連想させて楽しい。
213 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 21:07:34 0
おすすめってオメエ、日替わり定食じゃないんだからよ。 自分で手当たり次第読めよ。 俺的には1986年現代詩手帳12月臨時増刊「吉本隆明と現在」が充実してた。 論者や論考も多岐にわたっていたし、年譜や著作目録だけでなく、週刊読書人なんかも含めて 過去の雑誌の特集号、吉本論の単行本もリストアップされていた。 それによると単独著者による吉本隆明論の単行本も30冊を越えている。 現代思想の吉本特集は1974年の10月「吉本隆明・その思想的主題と核心」以来2回目。
214 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 22:04:52 O
何々、1974年?てことは『現代思想』による吉本隆明特集は34年ぶりか。長!それは異常な長さだ。しかし、俺の記憶によると、『吉本隆明特集』はやってないかもだが、関連特集に吉本を引っ張りだしたことはあるはず。たしか1980年頃『学問の現在』という特集で 吉本を引っ張りだし、インタビューしている。また、同じ頃、『臨時増刊 親鸞』で佐藤正英と吉本と対談させている。ただ、『現在思想』誌上に吉本隆明が載ること自体、1980年頃以降、たしかなくなったのではなかったかと思う。
215 :
考える名無しさん :2008/08/27(水) 23:24:59 0
まあ、棺おけに足突っ込んでいる爺さんに群れる葬式商売でしょう。
216 :
考える名無しさん :2008/08/28(木) 12:49:40 O
吉本は身体はまあ片足棺桶入ってきてる?けど、思想はまだ生きてるよね。身体はまだ生きているが思想は既に死んでいる、というのが一番多いと思うが。
217 :
考える名無しさん :2008/08/28(木) 13:47:06 0
知の3ヴァカ連中なんかは何も残らないだろうなあ。 生きてるときから思想もねーしさ。
218 :
考える名無しさん :2008/08/28(木) 23:37:17 0
>>217 浅田はよく判んないが、蓮實や柄谷はまあ普通に大学教師を勤め上げたわけだから
研究者としての弟子ならたくさんいるだろう
219 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 00:56:15 0
弟子は残っても思想は残らず。 弟子ってもそいつら公務員かサラリーマンだろ。 お仕事なんだから。
220 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 07:42:27 O
柄谷とかは自分自身の仕事にかかりきりで、学生とのゼミナールに力を注いだり、学生の書いた論文に目を通し、アドバイスを送る、てタイプではないでしょう。 柄谷と一般読者との質疑応答記録を読んだことがあるけど、やたらと“上から目線”ばかり振り回し、思考の深さや自在さには欠けるという感触を受けた。あの人物自身、人格に広がりも深みもなく、人間性の魅力もない。柄谷の作品にしても、 自分では「批評」と称しているが、実はいわゆる「随想(エッセイ)」と呼ぶべき代物ではないか、という気もする。現実への適応性には欠けており、柄谷の著書が紡ぎだすターミノロギーを外れて尚も通用するものではない。そのターミノロギー自体がまた狭量なものであり、 拡がりはない。自分の書いた本への評価が自身のなかで物凄く高い。なんで俺はもっと世界中で評価されてないのか、と絶えず不満を抱えている。しかも、自分の思考や感覚を絶対化するばかりで、相対化はできない。人格的歪(いびつ)さがどうも目につく。
221 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 09:27:47 0
柄谷の本なんか全部ゴミだよ。
222 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 10:38:32 0
>>221 中途半端だなぁ。
いっそ、本は全てゴミだぜ、くらいは行けるんとちゃう?
223 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 11:16:54 0
人格改造セミナーに何度も行った人だからね、柄谷さんは
224 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 14:56:45 O
俺は吉本が好きだが柄谷や蓮實も好きだぜ
225 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 17:07:24 0
柄谷は読んできたがどうも生理的に好きになれんとこがある。 デビューの「畏怖する人間」から現在までの思想の変遷がよく分からん。 思想の変遷をたどることはできるが、不可避性が感じられんのだな。 蓮實はガッコのセンセだ。
226 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 17:28:58 0
自慰サンはハスミのことスターリニストってレッテル貼ったことあったよね?
227 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 18:09:16 O
それを言うなら、柄谷、浅田、蓮実らは「知のスターリン主義」で括られる存在。彼らの言説の硬直化、党派性、閉鎖性をみると、吉本にそう評されるのはごもっともと思ってしまう。
インタビューにテレパシーの話があった萌え
229 :
考える名無しさん :2008/08/29(金) 22:16:29 0
爺さんの言及してんのはカッコつきの超能力じゃなくて 心的現象としてのニンゲン存在だろ。
230 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 01:52:05 O
青土社のロングインタビューで面白かったのが、麻原について語っているところ、“獄中から僕のところにあの人は何か送ってきてましたね。中沢新一さんに聴いたら中沢さんも感じてたそうです”てところだよね。あれはすごく興味深い。 あんなことを“麻原=狂人、たんなる詐欺師”の評価の定着した今頃告白する、というのも、なんか凄味を感じた。ほんと率直な人だ。
↑本来なら編集者が気をきかせて、頭を下げて割愛すべき箇所なんだとおもう
232 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 02:46:59 O
≧231:考える名無しさんsage2008/08/30(土) 02:29:11 0 ↑本来なら編集者が気をきかせて、頭を下げて割愛すべき箇所なんだとおもう いやいや、あの箇所は重要だよ、あれを削除したらそれこそ吉本らしさ(類い稀な率直さ)がなくなる。人間における未知なる領域へ、今も吉本の眼は開かれている、という証左でもある。あれを例えば「ボケ老人みたいだから削除しといた方が吉本さんのためだ」 というのは根本的に駄目な感性で、それこそ、今話題の(笑)柄谷、浅田、蓮実らのような、格好付けてばかりで保守的な知識人や、その取り巻きのやり口と変わらないことになる。
233 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 08:59:00 0
柄谷や浅田なんて湾岸戦争の時に憲法9条を守れなんて言い出して すっかり底が割れているんだよな
234 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 10:30:43 O
ちょっと感じたことなんだけど、糸井さんの『ほぼ日刊イトイ新聞』で吉本さんのことを初めて知った人、てどれくらいいるのかな。つまり、その人達にとっては吉本は“誰だかよく知らないけど『ほぼ日』に出てきて、糸井が信頼を寄せている爺さん”てわけだ。 そういう人達というのは実際、どれくらいいるのかな。つまり、『ほぼ日』から吉本隆明を知った人達?若い人達(20歳代)とかだと、吉本隆明とか、他に知るチャンスもないだろうし。 因みに私(所謂中年)の場合、「吉本隆明」の名前を初めて知ったのは1979年頃、『現代詩手帳』での鮎川信夫との対談で、当時の私が崇めていたサルトルをこっぴどく批判していた許しがたい男(笑)として視界に現れた。
235 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 11:11:27 0
そんなこと聞いてどうすんだよ。 ファンクラブにでも入れてもらいたいのか。 だらしのねえ中年だな。幾つなんだ。
236 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 11:44:19 O
かつて、吉本隆明の読者といえば、組合運動や左翼運動に片足突っ込んだ末の幻滅や敗北感を抱え、世の中の片隅でひっそり生き永らえてゆく、ちょうど吉本隆明の1950年代の詩に描かれているような人達か、 もしくは全共闘世代に象徴的な、政治学生や文学青年的な感性を学生時代からずっと持ちつつ生きている人達か、 いずれにせよ、活字に淫した、活字中毒者みたいな人達が多かったと思うし、そのタイプが吉本の読者として、購買層として永年支えてきたはずである。その購買層というのは、愛読書層として今だに持続しているのか、それとも、別の購買層が新に現われだしているのか、 そういう問題を感じているということ。つまり、読者層の切断はあるのか、ということ。
237 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 12:03:21 O
その購買層の切断、というのを敷延すると、かつての吉本読者が必然的に抱え込んでいた文脈、左翼的な、または文学的な、その世代が抱えていた、吉本への怨恨やまたは逆に迎合性というのがある。それらから切断された世代は果たして現れてきつつあるのか、ということ。 もっと言ってしまえば、かつて吉本は自分の詩のなかで、己の思想が、名もなき大衆の一人とテーブルを隔てて出会い得る、その瞬間を夢見ている、と書いたことがある。その時は果たして訪れてきつつあるのか、まだ来ないのか。
238 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 14:05:47 0
かつての(あるいは現在も)爺さんの主な読者層は、爺さんと同年代もしくは 団塊の世代を含んだ周辺にあっただろう。 この辺は爺さんの思想に沿いつつ、のめり込みあるいは反発し、自らの人生を たどりながら齢を重ねて現在に至っている。 ただ爺さんのフィールドは文学、哲学、民族学、心理学、と多岐にわたっている から、影響を受けた読者層といっても一概に同世代で丸括りできないところもあ るんだなあ。 まあ、爺さんの思想は党派やイデオロギーを越えたところに本質があるし、かと いって戦中世代の受けた傷痕を返したいという生身の不可避性もある。 大衆という概念だって、目の前にいる市民生活者の向こう側にある理念の体現だ から、若い世代が云々といった話でもない。 俺にとっては読者層がどうの、購買層がどうのといったことには特別の関心はな いね。どれだけ俺の人生と爺さんの思想が不可避に重なり合うかどうかの問題だ けだ。もしそれが普遍性のあるものなら、その向き合い方が俺をどこかへ連れて いってくれるさ。 大衆といっても
鮎川信夫との思想的訣別って、いまから見れば 鮎川の方が正論だったんじゃないっすか
240 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 14:42:10 0
>>239 どちらが正論とか、そういうことではない。吉本自身がこんな風に書いてる。
「よくかんがえると親米反ソの鮎川と反米反ソの吉本とも、思想の根拠がまるでちがうものな。
それがむき出しにならないうちはよかったけれどむき出しになってくると、その点の喰い違いも
はっきりしてしまった。」
鮎川信夫は80年代の米国で新保守主義が台頭してきたのを他の誰よりも先駆けて注目し重要視していた
その点ではやはり慧眼の持ち主だったのだけれど、次第に自分もそっちへ引きずられたところが
あったんだよ。最後の対談で吉本はそれを率直に指摘していたわけだ。
241 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 14:58:22 0
>>234 >当時の私が崇めていたサルトル
俺以外でそんな人が同世代にいたとは驚きだ
さぞかし周囲から嘲笑されたものではないかな。俺がそうだったから
ちなみに俺は現代思想のサルトル追悼特集で追悼文を読んだのが「吉本を読んだ」最初だったので
「許しがたい男」とはならなかったな
242 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 18:10:14 O
>ちなみに俺は現代思想のサルトル追悼特集で追悼文を読んだのが「吉本を読んだ」最初だったので「許しがたい男」とはならなかったな 私も『現代思想』の特集号「追悼サルトル」は読みましたが。あそこでは確か吉本は、サルトルにとって、“何故、世界には希望が必要か。絶望的であってはいけないか”という問いを担う存在として描いていた。その問いを担うサルトル、というのが 自分(吉本)にとっては理解不能であり、サルトルのソ連への同伴になると尚のこと理解不能である、しかし、ほとんど追随できない速度と筆力で、思想の力を試そうとし続けるサルトルを、自分(吉本)は興味津々で見守ってきた…、そんな大意だった。 そこでの吉本はサルトルを、方向には賛同できないところはあったが、「偉大な知識人」の一人として追悼する、というスタンスで書いている。一方、その年暮れに出た『現代詩手帳』での鮎川信夫との対談では、鮎川による「サルトルは全部間違っていた」という発言に 同意し「サルトルは間違ってばかりいて、覚めたのは死の間際だけだと思います」と述べていた。この対話には伏線があり、『荒地』での二人の仲間、黒田三郎がこの年亡くなり、亡くなる前数年間、黒田が日本共産党の同伴者として選挙協力に奔走した、その黒田の 晩年の変貌をきっかけに対話は始まっており、勢い、共産党と知識人との関係の様々、という辺りで話は交わされた。吉本が「サルトルは間違ってばかりいて、」と語るのもその文脈、ソ連への同伴者、という文脈でのことだったと今は伺える。吉本がサルトルを全て 否定する気もなければ、力量を軽んじているわけでもないことくらいは後に私には解ってきた。 当時、サルトルの死の直前、最後の対談となった『今、希望とは』が『朝日ジャーナル』に3週連続掲載で完全翻訳されており、サルトルの発言は1980年当時、日本ではまだ力を持っていたと私には見える。
243 :
けい :2008/08/30(土) 18:11:32 0
この人のこと二行で要約して
244 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 18:18:03 O
博識、独創的思想、語学音痴
245 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 19:50:32 0
>>242 >サルトルの発言は1980年当時、日本ではまだ力を持っていた
どうなんだろうな。当時俺は田舎の高校生で、田舎の本屋じゃサルトルの本なんてもう影も形もなかったし
しょうがないから県立図書館まで行って借り出して読んでいたが、
ふと貸出カードを見たら、ああ忘れもしない、どの本を見ても十年間貸出記録がまったくなかった
それ以前には毎年コンスタントに一件は貸出記録があったから、
なるほどこれは1970年頃で終わった思想なんだと痛感させられたな
ましてソ連のアフガン侵攻以来、日本では見るもの聞くもの全部が「右傾化」して
これはもうまったくとめどもないくらいのことになっていたじゃないか。
その最中にマルクスやサルトルを読んでる俺は超時代錯誤のバカなんじゃないかと悩んだもんさw
そういう中で読んだ吉本の追悼文は、正直、当時は内容の全部を理解できたわけじゃなかったが、
ほとんど絶賛のようにさえ読めたものだった
246 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 20:06:14 O
たしかに。1980年から数年はサルトルの死去で やや関心が復活したという感じ。フランスでも 同じで、ずっと忘れられていた。リバイバルの 規模は2002年前後の方が上かな。 爺さんは結局自分にはない行動派、そして真の マルクス主義者としてサルトルは評価している らしい。フーコーのことは転向者呼ばわりだが
247 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 20:40:46 0
>245の述懐がサルトルを巡る率直な状況だったと思うよ。 サルトル・カミュ論争も含めて 不条理とか実存主義とかが一世を風靡してたのは60年代から70年まで。 それ以降はソシュールやレヴィ・ストロースなんかの構造主義の台頭で 一部の研究者やファン以外にはほとんど忘れられていた。 俺なんかも70年代初頭に「嘔吐」や「存在と無」なんかを読んでて けっこう遅れてきた青年という感じだったから。 80年以降はヨーロツパおけるマルクス主義の同伴思想家くらいの評価 しか、サルトルに関してはなされてないんではないかな。 「朝日ジャーナル」に評価された時点で思想家としては終わっている んだから。 これからもマルクスが再評価されることがあってもサルトルの復活は ないだろうな。今となってはカミュの方がレジスタンスをくぐり抜け てきた思想としてはリアリティがあるし。 そういう意味では、爺さんはサルトルに直接言及することはほとんど なかったが、批判的な口ぶりの中にも心情的には評価してた方ではな いかな、と思う。
248 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 22:50:34 0
80年代に屋久島で山尾三省に会って雑談をしたことがあった。 どんな本を読みますかと問われて吉本やヘッセをあげたが、 山尾は「吉本は最初の頃は僕らと共闘していたがいつしか離れて行った」 と語っていた。60年安保で全学連で活動し後にヒッピーとなった山尾にとっ て60年代までの吉本しか評価に値しないようだった。
249 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 23:36:39 0
70年代以降、吉本から振り切られたニンゲンはけっこういるよ。 山に入ったりヒッピーになったり、よく言えば脱俗して現実から 超越した場所から、世の中を批判的に云々する人間に対しては 爺さんの方から縁を切ってるだろう。 小山俊一に対してある程度許容しつつ、最終的には批判せざるを 得なかったのもその辺だろう。 あくまでフツウの生活を営む市井の庶民の存在をラジカルに包摂 できない思想は爺さんのものじゃない。 大衆の原像は、脱俗や超越や、ストイックな貧困や忍耐を批判し きったところにある理念だからな。 その辺、爺さんを誤解して離れて行ったやつは多いな。もともと そいつの勘違いだったのにさ。
ここの住人って、ほとんどオウム並みだな。 もちろん、爺さんの信者だから、オウム信者と言われて喜ぶんだろうが。
251 :
考える名無しさん :2008/08/30(土) 23:51:27 O
んー、結局、所謂「行動する知識人」と呼ばれる一連の知識人、その花形の一人がサルトルで、1970年代から1980年前後にはその「行動する知識人」という類型というのは、 今に比較すればまだまだ発言力を維持していたという記憶がありますけどね。典型的なところで小田実の求心力があり、1980年ころ、小田が中心となり、野間宏、井上光晴などと、かつて1970年前後の筑摩書房からの季刊誌『人間として』を再現したかのような 『使者』という季刊誌を小学館から発刊し、専らサルトル的な「文学に何ができるか」的なテーマで座談会を開いていた記憶がある。小田の講演に行けば、1985年頃はまだシンパはいっぱいいたもので、まだそういう、市民運動派は小田の周囲に大勢おり、 小田は人気を博していた。当時、私は「小田実と語る会」に出かけたことがあるが、その時の小田は吉本隆明をこっぴどく批判していた。「吉本隆明氏の話はSFのような話ばかりで現実離れしている」たしかそんな口振りだった。 それは小田ばかりでなく、当時吉本隆明を批判したがる運動家が口をそろえて言う批判であったはずである。吉本隆明の論というのは、現実に基盤をもつこと皆無に等しい、と。 1970-1980というのは、フランス現代思想が翻訳され、出版もされだしており、例の『現代思想』やら『パイデイア』、『エピステーメー』などにも一部の翻訳は掲載されていた。だが、それらが実質的な広い読者層を獲得できていたかはまた別で、 まだまだマイナーに留まっていたと思う。人文書院から出ていたサルトル全集というのは有名だが、当時、私の実家の側にあった大学生向け書店には『サルトル全集』と、頸草書房から出ていた『吉本隆明著作集』はいつ行っても ほとんど全巻そろえてあった記憶がある。つまり、両巨頭という感じ。 『サルトル全集』でいうと、『存在と無』は1980年代半ばまでは版を重ねていたはずである。私が1985年頃に新しい版を買ったのでそれは覚えている。1960年代ほどではないにしろ、サルトルはまだ思想家としては花形扱いだったと思う。 ソ連信仰も、サルトルばかりではない。信じられない話だろうが、ソ連崩壊まではかなり広く基盤を維持していたものだ。1970年代というのは、吉本もまだ今よりはマイナー、思想状況は入り乱れていた。というのが実感としてはある。
吉本自身が一時期「行動する知識人」だったんでないの?
253 :
考える名無しさん :2008/08/31(日) 00:22:32 0
左翼思想にトドメを刺したのは浅田彰の『構造と力』だな。 サルトルも毛沢東も埴谷雄高も吉本が批判していた対象だが 浅田はその対決の図式まで無化してしまった。左翼は吉本を含めて旧思想としてくくられてしまったわけだ。 浅田の暴力的な要約をすり抜けて吉本は延命してしまったわけだが。
254 :
考える名無しさん :2008/08/31(日) 00:49:55 0
>251の言ってることはいちいち分からんでもないが、70年代前半には俺のま わりにもベ平連のやつがけっこういたからね。時代の状況や雰囲気は理解で きる。ただ80年代に依然として花形だったというのは、俺の実感としてはな いんだなあ。シンパは根強くいたとは思うが。 サルトルの主要な仕事と活動は戦前から50年代だし、こと日本での高潮期も ノーベル文学賞を辞退したり、来日した60年代だったんじやないかな。 サルトルの思想はアンガージュマンと不即不離だったし、政治の季節の終わっ ていた80年代は少なくとも花形ではなかったような…。 まあ、これは当時の個人のおかれていた情況とも関連するので、認識の差異 もあるだろうが。 話は変わるが、70年代から左翼の論客で唯一、文化大革命を根底から批判し ソ連崩壊の遥か以前、80年代初頭に「反核異論」でソ連に及び腰の知識人と はきっぱりと袂を別った爺さんは、あらためてすごいと思うね。 埴谷との決別の遠因もそこにあるのだから。 浅田の暴力的な要約?俺には無知な要約でしかないが。無化したってチャ ートにしただけだろ。思想にリアリティがない。 爺さんの延命もなにも、浅田はすでに死に体じゃないの。ポストモダンの 戯れにさえなってない。浅田の思想に現実的な指南力なんてないよ。
255 :
考える名無しさん :2008/08/31(日) 05:12:37 O
>>254 >浅田の暴力的な要約?俺には無知な要約でしかないが。無化したってチャートにしただけだろ。思想にリアリティがない。
なるほど…漸く浅田彰まで来たか(笑)とか言って(笑)何の話じゃ。
まあ、浅田彰の当時の登場が斬新さがあったのは認めるんだけど、ただ、吉本が早々に見破ったのが、「浅田彰は意外に感性として古い。旧左翼的な感性を引き摺っている」的な感想をもらしていた。吉本がいうのが、組織体について、革命について、
浅田はいまだに古い体質を切断できずに引き摺っている、てことだったと思う。吉本が看破したことは当りで、浅田はよくよく話を聴くと、明らかにエリート主義、知識主義、の温存者だよね。私は浅田とはほぼ同世代だけど、あれは恥だと思いますねえ(笑)
浅田が新鮮にみえたのはドゥルーズらの思想を紹介していた頃止まりで、柄谷とタッグを組んで、一緒になって吉本にたいして無知蒙昧な批判をやりだすし、やはり馬鹿だったか(笑)と思うようになった。
浅田が快刀乱麻のごとく斬りまくる思想家論というのは粗雑極まりないし、まさにノートとりながら本読んでただけの男の感想文止まり。どんな思想家も浅田にかかれば卑小化され、つまらなくなる。こんな批評家は居ないほうが良いし阿呆らしいの一言です。
まあ、本人も自分に批評の才能があるなんて思ってないだろうし、思われては困るし(笑)
サルトルというのは、今だに潜在的な力量というのは凄いと思って、特に1960年に出た『弁証法的理性批判』でマルクスを実存主義的に消化し再生する辺り、1970年代のフローベール論『家の馬鹿息子』での作家の幼年期の分析は凄いと思う。
柄谷などは『存在と無』をやたら持ち上げるんだけど、柄谷の本と同じであれはそうたいした本ではない。
256 :
考える名無しさん :2008/08/31(日) 22:23:15 0
サルトルの「存在と無」は柄谷の本と同じではない。 はるかに意義のある論考。 だいたい柄谷が言及したり引用している思想家は近代、現代思想の重鎮ばかり。 そういう著書の重要性と、柄谷の限界とは別。
257 :
考える名無しさん :2008/08/31(日) 23:33:11 O
≧256:考える名無しさん2008/08/31(日) 22:23:15 0 >サルトルの「存在と無」は柄谷の本と同じではない。はるかに意義のある論考。 そうなんだけど、柄谷の思考にある、有への盲目性(存在がどういうことか、見えていないということ)その特徴が、サルトルのあの本にある有への盲目性と濃い繋がりを持っているのは確かなんで。端的にいえば、人間の行為の孕む歴史性、意識されざる履歴、 その支配性、―これを自然と呼んでもいい―について、非常に甘い認識しか両者とも持てないでいる。サルトルならば状況への責任、柄谷だと未来の他者への責任、とか、そういった責任というのを前面に押し出すわけだけども、サルトル的に言うならば、 人間(個体)における即自性、或いは自然というのはサルトルが当初考えたよりも把握困難な、乗り越え難いものである。それを晩年になってサルトルは気付いてゆくわけだけど、その辺が初期には楽天的に過ぎるわけ。責任とかのあの出し方が、個体性にたいする盲目、 つまりは把握の甘さから出てきているのは間違いないと思う。柄谷でいえば、可能世界論というのがあるわけですが、そこでの柄谷の立論というのは様々な水準での歴史のもつ対抗し難さをなんと偶然性に還元しようとしている、歴史という概念を偶然性に還元できたら これほどめでたい話はない。また阿呆らしい話はない。それをやってしまうわけです。駄目な理論を書き連ねている。初期サルトルにしても柄谷にしても、歴史という概念の根幹を換骨奪胎し、軽く考え過ぎている。だから身軽なアクロバットのような哲学が構築可能 にもなるわけです。吉本隆明的に言えば、<不可避性>という概念が綺麗に抜き取られている。で、軽業師みたいな哲学を構築するわけ。そこはやはり駄目なところが似ているわけです。
258 :
考える名無しさん :2008/09/01(月) 00:12:06 0
たしかにサルトルの存在論にはある種の楽観性というのは感じるな。 人間性に対する先験的な信頼というのか、本質的にモラリストなんだろう。 その辺はレヴィ・ストロース以後の構造主義者から批判にさらされた要因だから。 ただ、サルトルには甘かったかもしれないが相当の倫理的な格闘があったと思う。 それが不可避性といえるかどうか分からないが。 柄谷には後発のニンゲンのお手軽さというか、知のアクロバットの面しか見えて こないんだな。
259 :
考える名無しさん :2008/09/02(火) 12:22:00 0
>>柄谷には後発のニンゲンのお手軽さというか、知のアクロバットの面しか見えて こないんだな。 そう見切った上で、軽業師の華麗なる「探究遊戯」を楽しむのも一興ではあった。
260 :
考える名無しさん :2008/09/02(火) 13:07:40 O
柄谷って人は後のNAMでの言動の記録を辿ってみると、相当壊れてますね。西部忠という地域通貨の学者にかんする中傷をばらまく件など、各方面に相当な影を落とした。見解の相違、てことが柄谷の場合、容易く、信じられないほどの憎悪やら見苦しい政治力の行使の 根拠になってしまう。あれは紛れもない新左翼の悪しき名残で、柄谷が内実はどのような人物かを照らして余りある。彼が1990年代からソ連や新左翼への思い入れをあからさまにしだすのは、要するに早い話、“尻尾が切れてなかった”ことを如実に証している、 とみるのが正しい。柄谷がその“切れてなかった尻尾”を露骨にするにしたがい、同じような、“切れない尻尾”を引き摺る人達があとから続々附いていって(笑)ソ連を頂点とする左翼の党派性を無化しようとした吉本隆明を、柄谷と同じように断罪しはじめた。 それはそんな昔ではなく、ついこの間の風潮だった感がある。柄谷がどんな人格か、分かり始めるにつれ、盛り下がったようだけど(笑)あれがどんな人間か、今頃判るなんて遅いよ。(笑) アレの言説をチェックしてればアレが<存在の盲人=存在がどういうことか見えてない人>であり、だから自己へも他者へも錯誤で塗り固める人間でありとはすぐ分かりそうなもんだけどね。
サルトルにとっては、 即自存在と対自存在との間には、絶対的な無=否定性があって、 それは自由の担保でもあるわけだが、「呪われた」自由なんでないの? サルトルが「全体性」の哲学者だというのは、そうだが、それは到達不可能なものとして設定されている。 サルトルは、確かにモラル=倫理の問題を解こうとしたが、 ついに完成できなかった。この程度のことは押さえて論議しましょう。
262 :
考える名無しさん :2008/09/02(火) 13:39:31 O
柄谷の盲人性というのは、個体の歴史性、履歴への無理解にかんして露骨で、それが判らないというのは、文学も本格的には判らない、思想も、最深部では実は解っていないことを証している。人間理解としてはせいぜいマルクス的な<社会的諸関係の総体>が良いところで。 それより先に行こうとしたのが例の『探究U』かもしれない。しかし、個体性に対する把握として、フランス現代思想的、否定神学的にまとめようとしたために限界に行き当たり頓挫する。 そこが柄谷の人間把握が行き着いた最高地点で、あとはひたすら革命運動の読み直しに終始する。
「フランス現代思想」って誰のことを指しているのか知らないが、 「否定神学的」なんですか?
264 :
考える名無しさん :2008/09/02(火) 16:08:06 0
オレの印象では90年代半ばぐらいから、吉本と柄谷は罵りあうのを基本的にやめているように思うんだが。。。 御大どうしは知らぬ間に手打ちをしてるのに、てか。
265 :
考える名無しさん :2008/09/02(火) 17:16:45 0
「フランス現代思想」って誰のことを指しているのか 否定神学的なフランス現代思想家の名前とその内容を要約紹介してくれれば わかるかも。
≧265:考える名無しさん2008/09/02(火) 17:16:45 0 ≧「フランス現代思想」って誰のことを指しているのか。否定神学的なフランス現代思想家の名前とその内容を要約紹介してくれればわかるかも。 デリダにおけるハイデガーの読み方にそれは表れてますよ。それは特徴的な読み方で、ハイデガーにおける有をまさに脱構築し、否定神学的に読み換える。その情熱たるや凄いものがある。私はただ、あれは不毛な試みで、ハイデガーへのアプローチとして戴けないと 以前から見なす人間で。というのも、ハイデガーの有の思索とは否定神学的な迷宮とは無縁なのだから。しかし初期のデリダの主要な仕事がそうなってると思います。そのようなデリダの仕事を真に受けた、ないし畏敬の念で受け取った人間が日本には恐らく大勢おり、 例えば柄谷、浅田、蓮実らはそれらの何れも、難解な哲学用語を駆使しながら、一方、精神が全く自由ではない、どっかでいつでも新左翼的になれる、という奇妙な特徴を保持していた。そのような彼らのルーツの一つにデリダがある。 要するに、思想てものの怖さ、難しさにデリダは足を掬われたと思う。ひたすら脱構築すれば良いわけではないのにそれを見抜けなかった。個体としての人間には己にとって何が真で、何が真ではないか、というのは絶対値としてあり得る。 デリダの哲学にはそれは抜けてしまう。これはやはり存在の盲人性だと私は見なすわけです。柄谷の場合、哲学は不毛、人間をみる場合、盲人、というね。ただ、これはデリダの責任とは一概に言えない。 第一、デリダ自身は日本の崇拝者が崇めるほどに自分の仕事をたいしたものだとは思ってなかった。そんなこと考えるわけないと思います。要するに結論としては、彼らは頭は良かったがその著作から何を受け取るべきか、にかんするセンスが、皆無だった(笑)てわけで。
267 :
考える名無しさん :2008/09/03(水) 00:14:43 0
たとえばデリダは名辞の由来における場所を否認するとか・・・ 認識の自由を確保したいがゆえに変な制限が内包されていたりして、 その点こそがデリダの限界を如実に露呈させてるでしょう。 いまさら日本において場所を捨象した認識のどこに学ぶところがあるのか・・・ わからんもんね。
↑東HIROKIの受け売りですか? フーコーの初期が否定神学的というのは、豊崎光一が指摘。 エノンセ概念導出の説明としてでしたね。 しかし、エノンセ自体はポジティヴな概念でしょう。 もちろん、『監獄の誕生』以降は違います デリダの後期も否定神学とは言えない。 ましてや、ドゥルーズは否定神学とは無縁。 浅田・蓮実のルーツにデリダはない。蓮実は最初からデリダに否定的。 柄谷のデリダにしても、多くは否定神学的というレベルではない。 資本のディコンストラクティヴヴな性格を指摘しているだけでしょう。 ジジェクにバカにされている程度のものです。
むしろ、竹田セージの受け売りdないの?
>>266 何を言ってるのかさっぱりわからない。
探究2のキーワードは「単独性」だろ?
これがフランス現代思想とどう関連していてどう否定神学的なのかを説明してくれ
まぁ、吉本自身がハイデッガーもサルトルも読めてないわけだから、 その腰ぎんがトンチンカンなこと言っても驚きませんが。
272 :
考える名無しさん :2008/09/03(水) 04:28:04 O
≧270:考える名無しさんsage2008/09/03(水) 01:41:17 0 >何を言ってるのかさっぱりわからない。探究2のキーワードは「単独性」だろ?これがフランス現代思想とどう関連していてどう否定神学的なのかを説明してくれ いいでしょう。(笑)取り敢えず『探究U』の第一部 固有名をめぐって の第一章 単独性と特殊性を開いてください。手元にあるのが講談社学術文庫版なのでそれをもとに行きます。 20頁終わりから4行目《だれも「この私」を書くことは出来ない。書こうとすれば、それはただ特殊性を積み重ねるだけである。「この私」についてどんなに説明しても、それは一般的なものの特殊化(限定)でしかない。(中略)ここで問題なのは、 単独性をさす「この」という指示が、特殊性をさす「この」という指示と異なるということである。》 21頁終わりから6行目《「この私」における「この」は、何も指示しない。それにしても、「この」は何かを指示するといわねばならない。それはたんに私と他者の差異(菲対称性)を指示するのだ。というより、この差異が他者を他者として、私を私としてあらしめるのである。 この差異は、同一性(一般性)からみられた差異(特殊性)ではない。したがってまた、それは積極的に語られることはできない。単独性としての「この」は、差異を、いいかえれば「他なるもの」を根本的に前提している。なぜなら、「この」とは、「他ならぬこの」 であるから。単独性は一般性には所属しない。》 このような、柄谷によって描かれる単独性の説明は、ひたすら否定的にのみ記述されている。柄谷はかようにしか説明は出来なかった。では、個体というものは実際、柄谷の説明するようなものかといえば、それはまるっきり違うということは ハイデガーを丹念に読めば解る(笑)何よりも、歴史、履歴、という概念について、語らなければならない。ところが柄谷は『探究U』第一部 第四章 可能性と現実性 において、こう書いてしまう。 《私の考えでは、現実性とは、諸可能性の一つの「選別と排除」である。何かが現実的なのは、ああであったかもしれないのにこうであるということである。いいかえれば、現実性は「他なるもの」を排除しながらそれをはらんでいる。》
273 :
考える名無しさん :2008/09/03(水) 04:58:48 O
同書66頁最終行《ある発語を、たんにそれだけで見てはならない。それの現実性は、諸可能性の排除と排除による保存にこそあるのだ。ソシュールが言語は価値だというのは、実際の発語または表現を、直接に意味や対象と結び付けるのではなく、 「可能世界」との関係において見るということなのである。》 このように、ある行為や発語というものは、その必然性、吉本隆明的な不可避性というものを徹底的に剥奪されてゆく。そうして、剥奪されたそれが「現実性」として語られてしまう。「現実性」の認識として、或いは「歴史性」として、最も重たい部分、 様々な水準での「自然必然性」としてあるはずの部分は柄谷の盲人性によって無化される。無化するのはよいが、それはもはや、「現実」や「歴史」としてまともに論ずるには値しない空想でしかなくなる。つまり、柄谷がこの本で描いている個体の姿は足のない幽霊 みたいなものであり、柄谷の力説と裏腹な、現実味の失せた存在である。むしろ現実味を剥奪したところで個体にたいし、貴重な身軽さ(笑)を獲得させることに成功している。もちろん、この個体は幽霊であるから、幽霊画の描写としての成功なのである。 それから、フランス現代思想というのは、どれだけ齧ってみても人間のリアリティーには到達は難しい。理性の孕む権力や、精神分析の孕む権力に慎重になるあまり、これまた個体にたいし、リアルなアプローチを喪失した。もちろん、残された膨大なる著作が無だ というわけではない。しかし、どれを開いても、個体としての人間を把握する根本的な方法論はそこにはない。つまり、それらに精出して取り組んだ学者もまた、その意味ではたいした成果は得られることはない。有の盲人の行列を生んだということだ。
あと、誰がどれの影響を受けている、という事情には疎いので、その辺はまあ粗雑には違いない。(笑)ただ、影響受けてないけど考えてることや構えは何故だかひどく近接している、ということもありますしね。その辺は勘弁してほしいですねえ(笑)
275 :
考える名無しさん :2008/09/03(水) 14:19:40 0
「個体としての人間を把握する根本的な方法論はそこにはない。」 これはまさしく浅田や蓮見や柄谷にも当てはまることだな。 主体や倫理やイデオロギーを無化するのはけっこうなんだけど、 そういう身振りや袖の下から旧左翼的な言説がチラ見するからたまらんよ。 そういう意味では、3人のうち浅田が一番馬鹿。 蓮見は学者でサラリーマンで東大の学長の職務も背負って自覚的に俗物性を体現してる。 柄谷なんかも輸入思想の波に常にさらされている日本の悲劇性を少しは了解してるだろう。 浅田なんかの甘ちゃんとは馬鹿馬鹿しさと踏みはずしのレベルが違うと思う。 この坊ちゃんは爺さんの言うとおり確かに、そうとう無意識が荒れてるね。
276 :
考える名無しさん :2008/09/03(水) 17:49:02 O
あと、私の話が「竹田青嗣の受け売り」ではないのか、という意見もあるようなので、ついでに竹田青嗣のことについても一言やっておきましょう。 ハイデガーに『「ヒューマニズム」に関する書簡』というのがあり、そこで、こう書いてある。 《それとも、その思索は、「ヒューマニズム」にたいする公然たる抵抗を通じて、次のことへの切っ掛けとなりうるかもしれない衝撃を敢行することを試みるべきであるのか、すなわちその事とは、人間ラシイ人間<homo humamus>の人間性<humanitas>とその人間性の 根拠づけとに関して先ず一度は愕然とする、ということである。》(創文社版ハイデガー全集第9巻道標437頁) これは何を意味しているかといえば、ハイデガーに於いては、理性的動物という人間性への定義を越えた領域へ、眼差しは開かれている。有の問い、とよく言われるけども、既にそこに、理性的動物としての我々をして驚愕させるもの、畏怖させるものを、 有という領域が歴運として予め孕んでいる可能性、そこに有の問いは開かれていたことを証している。これは吉本隆明でもそうなので、例えば親鸞の造悪論について語る手付きのなかに、やはり理性的動物としての我々からすれば考えられない精神ヘ向けて、 開かれていることがみえるわけです。 それで、竹田青嗣のなかに、そのような人間性への洞察や深度がみえるだろうか、となると、これは見えない。彼の立論が有効性をもつのは、近代国家という枠組みのなかで、個体と共同性とをどう止揚させるのか、という辺り、そこだと思います。 彼が書いていた現象学理解―信憑構造の分析?―は確かに面白かったが、しかし、一方、よりそこから歩を進めた思想としてのハイデガー読みとしては、とても前二者のようなスケールや深度は期待できないし、しても無駄だと私はみている。 吉本隆明を超えてゆく竹田青嗣の言説というのがオウム事件後にあったわけだけど、あれをずっと辿っていて、吉本隆明よりも遥かに後退してしまったと私はみる。 竹田青嗣を真似するほどヤキは回っちゃいませんぜ(笑)
277 :
考える名無しさん :2008/09/03(水) 21:16:32 0
竹田青嗣も小浜逸郎も村瀬学もみんな大学の先生になっちゃうんだなあ。 まあ、別に大学の先生になっちゃ悪いってんじゃないが。 ただ爺さんのそのへんのケジメは揺るぐことはなかったな。 東大や東工大からも誘われたらしいんだが断ってる。 爺さんの本の中でも国文の先生と批評家の違いを截然と述べてたが。 何冊か本が売れるとホイホイ大学の先生に飛びつくんじゃどうもね。
278 :
考える名無しさん :2008/09/03(水) 23:25:01 0
>>271 :考える名無しさん:2008/09/03(水) 01:47:38 0
まぁ、吉本自身がハイデッガーもサルトルも読めてないわけだから、
その腰ぎんがトンチンカンなこと言っても驚きませんが。
ここは吉本スレだから吉本について語れればいいんじゃない?
読めてないとかトンチンカンとかいうより、そんな悪罵でしか自分の
出番をつくることができないアンタの病気の方が気になるわあ。
ウザイというより、いらない、ってな感じだね。
279 :
考える名無しさん :2008/09/03(水) 23:42:46 0
吉本がハイデガーに見切りを付けたのはハイデガーが「本質論者」であり サルトルが「倫理」を確立できなかったからじゃなかろうか。 とはいえ、いずれも簡単に乗り越えられるようなもんじゃないだろうけど。 それも吉本は分かっていたのだろうけど。
280 :
考える名無しさん :2008/09/04(木) 00:04:30 O
この人の最近の本しか読んでないからわからないけど、そんなに凄い人なの? ボケジジイのたわごとにしか見えない。
281 :
考える名無しさん :2008/09/04(木) 00:37:53 0
>>280 美空ひばり程じゃないけど、都はるみ程度には凄い。
>>なんだその喩え?この頓馬
283 :
考える名無しさん :2008/09/04(木) 02:22:52 O
≫279:考える名無しさん2008/09/03(水) 23:42:46 0 >吉本がハイデガーに見切りを付けたのはハイデガーが「本質論者」でありサルトルが「倫理」を確立できなかったからじゃなかろうか。 吉本隆明がハイデガーやサルトルに“見切りをつけていた”か否か、は私は何とも言い難い…何かとハイデガー、サルトルを引用し、解釈をすることは繰り返してますよね。だから見切りをつける、というよりは、二人を引用し、読み返しながら、自身との対比をしていただろう、 というのが正しいような…あと、ハイデガーと吉本隆明というのは注意深く読む必要がある…何故かと言えば、二人の思索というのは気味が悪いほどに似通っている部分があるからで。吉本自身は指摘したことないですけどね。 <自立>というタームが吉本には欠かせない基本的構えとしてありませが、『有と時』を読めば一目瞭然なごとく、『有と時』において、<自-立>というのは<有の真ん中に立つ><本来的>という意味で重要なタームである。 <自立>というタームは、吉本の場合、知識人が党派性を止揚する、という意味で専ら使われると私は思っていたが、より内在的意義をそこで探ることが可能である、と気が付いた。むしろ吉本隆明における内在的倫理を考えるならば、ハイデガー的な<自-立>を 当てはめた方がより分かりやすい。これは吉本は口には出さないが、実はそうである、と私は受け取っています。 加えて、吉本思想の根幹というべき自己幻想、対幻想、共同幻想、の幻想論。これは、<…にとって〜で有る>という有の異なる水準の提示である、と私には見える。そう見るのが妥当に思えるわけです。ただ、吉本がハイデガーからそのようなヒントを得たというのは 違うだろうし、それはなかろう。それはないが、奇妙な符号があると思う。一般に幻想論の背景にあるとされるのはヘーゲル、マルクス、フロイトらである。しかし、それだけではその本当の意義、深度は掴みがたいと思えるわけです。そこに有論的な意義を読み込む方が、 吉本幻想論の射程、それは一体、どこへ向けて開かれているのか、という辺りが見えてくるのではないか。
もう一つ吉本隆明における大衆の原像というのがあり、価値の源泉としてある。それは吉本隆明における最も特徴的な概念としてある。これも、単なる<生活者の論理>であるととらないほうが私は妥当だと思える。例えばオウム事件のときに吉本は、 市民主義と激しく敵対しました。市民主義というのは吉本によれば、「やや知的に上昇した大衆」だと思うけども、ただ、「大衆」も「市民」も、「生活者」ということでは同じじゃないかとも言える。なのに吉本にとって片や価値の源泉、片や敵対の対象となるのは何故か、 じゃあ、どう違い、どっから落差が生まれるのか、となる。 これも途中にハイデガーを媒介させると分かりやすいところがある。ハイデガーの『有と時』にはいわゆる<世人、ひとDas Man>という概念がある。公共的被解釈性でしか生きられない人間であり、ハイデガー的な自-立と背反する存在である。 これを媒介させると、吉本が市民主義の何と敵対したか、判ってくるところがあります。 ただ、そうすると、また問題があって、大衆の原像本来の意義と解離してくるのではないか、という気も起こってくる。大衆の原像とは「庶民の論理」「生活者」なはずではないか。確かに「庶民」には違いないが、そこに吉本はもう一つ、実存範疇的な、孤独感というか、 生の不可避を塗り込めていると思えます。個体の自然必然性ですね。人間には皆、誰にも理解されず、一人で背負ってゆくしかない宿命的なものがある、誰とも分かち合えるなんて嘘だ、というね。そこにハイデガー的な自-立があり、そこで市民主義とは分かたれている。 吉本的な大衆というのは、孤独な存在を指すのではないか、ということです。
>>283-284 俺の読んできた限りだと、思想の「自立」と「大衆の原像」の関係は試行#65「情況への発言」で
吉本が自分で説明しているのが一番明確で判りやすいように思う。
岩井克人と柄谷行人のタッグから難癖つけられたのに反論しているやつ。
市民主義というのは、いわば絵に描いた市民大衆の像を掲げて看板にしているだけのもの。
それは結局大衆それ自体ではなく、それを描いた画家の色メガネ=党派的理念を根拠にすることにしか
ならないので、そうではなく大衆の原像それ自体を思想の根拠として置くということが思想の「自立」だ、
というような意味のことを吉本は言っていると思う。
俺は本業が計算機屋なのでその比喩でいえば、古典的な計算機技術者が理念としてのユーザ像を
参照しながらアプリケーション・ソフトを開発している限りでは、まかり間違っても現在あるような
ゲームソフトやワープロ、表計算のようなソフトが生み出されることはなかっただろう、というようなこと。
そこで古典的な技術者が「俺はユーザのためを考えて設計したのだ」などと、いかに主観的な誠実さの
確信のもとで言ったとしても「ユーザの原像」とは決して噛み合わないインチキしか構成しえない→
いずれ「転向」を強いられる、というようなこと。
ハイデガーとの対応関係については、正直無知なので俺からは何とも言えない。
286 :
考える名無しさん :2008/09/04(木) 12:21:57 0
ハイデッガーと吉本の比較という意味では、 下手にハイデッガーの初期存在論をこねくりまわして比較するよりも、 ケーレ以降のハイデッガーの詩重視と、吉本のそれが考えられるべきでしょう。 私見では、存在の聴従を言う前者と、自己表現(表出)性を強調する後者とは、 まったくの対極にあります。
287 :
考える名無しさん :2008/09/04(木) 12:56:39 0
■ ニートの年間コスト 食費・光熱費ほか 3000円 × 365日 = 1,095,000円 ほか市民税・健康保険・年金を加算して 年間140〜150万円 150万円 × 10年 =15,000,000円!!!(笑)
288 :
考える名無しさん :2008/09/04(木) 16:17:56 O
≫286:考える名無しさん2008/09/04(木) 12:21:57 0 >ハイデッガーと吉本の比較という意味では、下手にハイデッガーの初期存在論をこねくりまわして比較するよりも、ケーレ以降のハイデッガーの詩重視と、吉本のそれが考えられるべきでしょう。 >私見では、存在の聴従を言う前者と、自己表現(表出)性を強調する後者とは、まったくの対極にあります。 ちょっと後半、違うかな、と思うのが、ハイデガー的な有への聴従と、表出、とはやはり近接性はある、と思えるんですね。というのは、表出と表現とは違いますね。例えば自己表出、という場合、主体の意識的領域を外れたむしろハイデガー的な脱-自という意味合いが 強いと思います。かつてある対談で吉本は“自己表出とは自動表出(オート表出)と言い換えてもよい”、と語っていますね。その場合の「オート表出」という意味合いはそうである、と見てるんですけどね。ハイデガー的な歴運Geschickという言い方がある。 慮sorgeという言い方がある。個体の経歴がもたらす情態性、がある。それらというのは、吉本隆明的に言い直せば、表出性だと思います。つまり脱-自的な領域なわけで。主体性を外れた領域なわけですね。そこが表現にたいして表出という概念の卓越さがあるのであり、 吉本の卓越さだと見てるんですけどね。 あと、親鸞でいえば、人間の行為をどうみるか、という場合の業縁(ないし宿縁)という概念がある。業というのは回帰してくるもの、時間性であり、縁というのは空間性ですね。これは親鸞における重要な概念ですし、吉本もそれを度々引用し、評価してたと思いますが、 これもハイデガー的な領域に入るのです。まさに歴運、つまり回帰性と空間性の交差を行為と考える、その発想はハイデガーにとても近いのです。その辺の行為への捉まえ方は、ハイデガーと親鸞でとても近い。吉本は親鸞の業縁(または宿縁)を契機という概念に翻訳して とても高く評価してますよね。それは私からみると歴運に近接している。という具合に、色々と考えさせられるわけです。
289 :
考える名無しさん :2008/09/04(木) 16:45:21 0
「表出」と「表現」が違うとは、「言語にとって美とはなにか」が、 自己表現中心主義で、言語のコミュニケーション的側面を無視しているという批判を受けた(竹内成明などから)時、 吉本がエクスキューズで言っていたことですが、 「詩とはなにか」なんかも参照すると、ちょっと説得的ではないですね。 弁明のための弁明以上ではないかと。 事実、その後の『戦後詩史論』を読んでも、 その他文学批評(『書物の解体学』のヘルダーリン論とハイデッガーのヘルダーリン論は全然接点がない) を見ても、ハイデッガーの「聞従」との親近性は見出せません。 見出せるところあったら、ご教示ください。
sorgeはハイデッガーの「詩」論とは全然関わらんでしょう。
自己表出の、ごくシンプルな例は 足をぶつけて「イテッ」というようなのだろ。
無声で観念の中だけで何かを考えたり思ったりしても それは自己表出だよ。個人の脳内で自己問答してもそれは 指示と自己それぞれの表出になる。ついでに対幻想でもある、と。 ハイ・イメージ論でソシュールを論じるところで触れてた、かな。
<指示>と<自己>の峻別が不可能な場?が<純粋>概念。 あの<原生的疎外><純粋疎外>・・・の<純粋>ね。
>吉本的な大衆というのは、孤独な存在を指すのではないか、ということです。 とうより大衆は孤独だと吉本は気がついてしまった、と感じるな。
295 :
考える名無しさん :2008/09/04(木) 21:00:14 0
オレは、初期の吉本が抱いていた<大衆の原像>には、どこかハイデッガーのいう<本来性>がこだましているというのならば賛成だな。 半知識人的になったプチ市民的な大衆の実在像にたいして、頽落的なダス・マンの<日常性>を感じ取って憎悪しているのはあからさまだった。 しかし、<日常性>の大衆の実在像につくのか、<本来性>のありもしない哲学的エリート主義に堕しかねない<大衆の原像>につくのか、 吉本はたえず揺れ続けてきたといえるのではあるまいか。
296 :
考える名無しさん :2008/09/04(木) 23:09:11 0
爺さんとハイデガーの近縁性を論ずるのも勿論いいんだけど、 爺さんの「大衆の原像」とはどうも肝心なとこですれ違ってる気がするなあ。 ここは爺さんじしんの言葉をじっくり味わえば 「僕は、生まれ、婚姻し、子を産み、育て、老いたる無数のひとたちを畏れよう。 僕がいちばん畏敬するひとたちだ」(箴言T) 「結婚して子供を産み、そして、子供に背かれ、老いくたばって死ぬ。そういう そういう生活者をもし想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終 えるものが、いちばん価値がある存在なんだ」(自己とは何か) でいいんじゃないか。 ここに「大衆の原像」の出自があるし根拠もある。 それは孤独な存在でも、日常性の大衆の実在性でも、本来性のありもしない哲学的 エリート主義でもない。 もちろん「そういう生活者をもし想定できるならば」だから爺さんの理念(原像) でもあるし、そういう「原像」と市民主義者の根源的な違いも明らかだよ。
297 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 00:57:01 0
20年くらい前に吉本と話しをしたことがあるけれど、「やっぱりヘーゲルだよ」と言ってたな。
>>296 元はこれだよな。最初にこれを読んだ時は驚いた。
いったいどこからどうしてこんな認識が出て来たのだろうと思った。
「どこからどうして」については、今もってよくわからないけど。
ただ、ここで引用された字面上の大衆像をそのまま延長して
2008年の現在に持ってくると、やっぱり誤解を生じるんじゃないだろうか。
2008年どころか1986年でも岩井克人や柄谷行人は誤解して
「吉本のいう大衆は高度成長と一緒に消えてしまった(だから「自立」思想の根拠もすでにないのだ)」
というような意味のことを言ったらしいからね。
比較的最近でも、河出から出た「吉本隆明」特集号の中で呉智英がインタビューに答えて
「要は大衆迎合主義というのとどこが違うのか」くらいのトンチンカンなことを言っていたし。
>>280 みたいな(たぶん)若いやつが吉本の書いたものを読んで「ボケジジイのたわごと」としか
感じないというのも、おおむねそういうあたりに帰着するんじゃなかろうか。そんな気がする。
俺でさえ「生まれ、婚姻し、子を産み、育て、老いたる無数のひとたちを畏れよう」というのは
もし単なる字面としてだけ読んだとしたら、「言葉を味わう」どころか、ほとんど理解を絶する。
実際にそんな読み方はしないから俺はいいけど、初見の読者は狐につままれた気分になると思う。
>>297 20年くらい前というと、昭和の終わり頃ですかね。
300 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 03:06:48 O
≫296:考える名無しさん2008/09/04(木) 23:09:11 0 >「僕は、生まれ、婚姻し、子を産み、育て、老いたる無数のひとたちを畏れよう。僕がいちばん畏敬するひとたちだ」(箴言T) >「結婚して子供を産み、そして、子供に背かれ、老いくたばって死ぬ。そういうそういう生活者をもし想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終えるものが、いちばん価値がある存在なんだ」(自己とは何か) >ここに「大衆の原像」の出自があるし根拠もある。 >それは孤独な存在でも、日常性の大衆の実在性でも、本来性のありもしない哲学的エリート主義でもない。 >もちろん「そういう生活者をもし想定できるならば」だから爺さんの理念(原像)でもあるし、そういう「原像」と市民主義者の根源的な違いも明らかだよ。 大衆の原像の発想についてはまさにここに引用されている吉本の語るとおりであって、その通りなわけです。 ただ、そのような大衆の原像への讃歌というか、そこに小さな穴が開いたのがオウム事件である、と私には思える。大衆の原像へのそれまでのアプローチからすると、それと敵対するオウムの教義を認める根拠は皆無な気がするんですね。 それはかつての無差別テロを、爆弾テロなどを否定するのと同じで否定するしかない。吉本は親鸞における造悪論を引っ張ることで、また高度消費社会の倫理を考えるべきとすることで、オウムの無差別テロをかつての無差別テロと別に扱おうとした。 しかし、私からみると、そこで大衆の原像と拮抗する倫理などあろうか、とは思えない訳です。そこはあの有名な(笑)竹田青嗣が指摘しており、吉本自身、オウムへの評価が自分の大衆の原像と背反することを認めてもいる。それはどう考えても残る解りにくさだと思える。 何故、吉本がオウムへ全面否定を拒むのか。という辺りに、やはり『有と時』が見えてしまう。何故かといえば、『有と時』には、本来性へのアプローチとして、個体が己の把握しがたい履歴を遡行し、あり得た可能性を反復する、というのがあるわけです。 実際、何らかの理由で「私は間違えて生まれてきた」と自己認識する人にとり、そのような発想をするしか道はない。で、その場合のハイデガーの発想というのは実は麻原の修業とか、瞑想の発想、と酷似している。
301 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 03:34:59 O
つまり、麻原の考える個体にはそれなりに履歴という発想が繰り込まれ、彼が個体を考える場合に、それをどう処理できるのか、という辺りがポイントになる。麻原の言動には他人の過去世への視線があり、色んな、私からみるといい加減じゃないか、 と笑えることも言っている。しかし、個体観として、根本は誤ってはいないと思える。他人をみるには、救うにはどこを見れば良いかのポイントは外していないと思えるわけです。現有の歴史、履歴、というのはそのポイントにあたる。ポイントは外されていない。 とすると、地下鉄サリンでの無差別テロ行為にたいして、どこかに正当性があるのじゃないか、と思考を強いられたとしても無理はない気がします。 そこで大衆の原像との解離が生じる。また、生活者の擁護の立場からオウム排撃を訴える人たち、との落差も生まれる。そこにはオウムの教義への求心力を感じる吉本がいるのではないか、と思えるわけです。あんまり表立っては公言はしないだろうけども(笑)
吉本の大衆の原像とハイデッガーの本来性や大地性の概念が似ているのは確かだが、 そんなのロマン主義一般の共通項でしかないだろう。
>>300 >大衆の原像へのそれまでのアプローチからすると、それと敵対するオウムの教義を認める根拠は
>皆無な気がするんですね。
たぶんこれと同じことを考えて、ちょろっと異論をさし挿んだら言下に叱られてしまったのが
小浜逸郎ではなかったかな。
304 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 10:34:28 O
で、前レスで少し触れた、吉本幻想論とハイデガー的な有論との繋がり方についてもちっと話させてもらえば、ハイデガー的な有論の場合、何が画期的かといえば、有るものが世界において、この場合の世界とは、歴運的なもの、有が人間に投げる、 それによって人間は被投的な存在となる、その意味の世界だとします、世界に現れる、その開かれ方を示した。そこにある。有るものが世界に現れる、有るもの全体の開かれ方、ですね。 一方、吉本幻想論にしたところで、どこに重心が置かれ読まれるべきなのか、という場合、やはりそこで存在者が、有るものが幻想において、どのように開かれているのか、そこだと思えるわけです。で、有るものの開かれ方として、その異なる水準として、 個体幻想、対幻想、共同幻想の異なる水準がある。そこは詳細に具体的に展開されてゆく。しかし、基本的なラインはハイデガーと酷似してるのであり、歴運的な存在として、幻想もまたあるのは疑いないところである。つまり、人間の主体性が左右できるのではない。 人間はそこでは、幻想としては、むしろ左右されてゆくしかない。むしろ左右され、拘束されてゆく、しかもその幻想とは、歴運的、運命的に人間にやってくるものである、そこに吉本幻想論の重心は置かれるべきである。つまり、吉本幻想論とは、主体性を越えた、 彼岸的領域なわけで。だからこそ無気味であり、また、論究する場合に厄介さが伴われる。人間の精神や観念の量り難さをそのような意味合いで構造的に総体的に解明しようとした、そこに吉本幻想論の意義はあり、それが未だに底知れない仕事である所以だと見るわけです。 そこらあたり、向こう側から、有るものの開示性をとらえようとする、そこがやはりハイデガー有論と酷似していると思います。ただ、ハイデガーには吉本とちがい、具体的な論究がない、形而上学との関わり、そこから如何にして離脱するのか、 という問題からアプローチするので、そこで、最初からその辺の問題は終わっている吉本との差異はありますけどね。だけど問い方の基本線というか、有るものの開かれ方、その歴運的領域、そこが問題になる、というところへ両者とも視線は落ちてゆく、 そこは共通している。
305 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 11:53:46 0
爺さんは地下鉄サリン事件での無差別テロ行為に正当性があるとは考えていないだろう。 爺さんが麻原というよか「生死を超える」を評価(面白い)したのは、そこに奈良仏教まで の苦行と修行の果てにさとり(成仏)を見いだすという、秘教的でベールに隠れていた 過程をすべて暴露してしまっている明快さなんじゃなかったかな。奈良仏教までの坊さんが むずかしそうな顔をして修行やさとりといってたものは、ここに全部さらされちゃってるじゃ ないか、と。 爺さんじしん、オームの出現で奈良仏教以前の仏教理念は死んだんだ、というようなことを 述べていたような気がする。それに対する規制仏教側からは何の反論も出せなかった。 爺さんが評価したのは親鸞のような比叡山を降りた鎌倉以後の仏教なわけで、事実上、 一遍や法然は、踊りあるいたり、念仏歌ったり唱えたりでいいと、それまでの体系的、 秘教的な奈良(国家)仏教を解体してしまったわけだから。 親鸞はさらに肉食妻帯、出家じゃなくて在家仏教を肯定して、生涯に念仏一遍、それだ ってどっちでもいいんだと、さらに遠くまで無化してしまった。 きつい修行や苦行の果てに境地を開くといったオームのような出家仏教を根底的に無化 したのが親鸞で、それを思想的に評価したのが爺さんなんだ。 だから爺さんはオームの存在や事件を重く見たんじゃなくて、つまらん坊さんのもった いぶった修行を、素人のオームが遥かに目の当たりに超えちゃってることに愉快を感じ たんだろう。 それとサリン事件後の報道や市民的批判が、宗教の持つ日常性を超えた超越性に対する 理解に全く届いてないことに対するいらだちもあったんだろうな。そこは確かに爺さん の言葉たらずもあったのだと思うが。 だからサリン事件の報道や市民主義的批判のお先棒をかついでテレビに連日出まくって た江川昭子なんかの弁護士らも爺さんは許せなかったんだろう。 実際、爺さんはオームの直接的被害者が直接に自分の言説に反感を覚えると言ってきた ら頭を下げると言ってたよ。 ここでも反核運動のダイイングメッセイジでいっせいに死んだポーズをとってた市民主義者と 大衆を区別してた爺さんの理念にたいするシンセリティを感じるんだけどな。俺としてはね。
質問ですが、 有(存在)と幻想って対蹠的なんじゃないかと、常識的に思えるんですけど。 たとえば、ハイデッガーの「共‐存在」と「吉本の「共同幻想」とはどう同じで、 どう違うんですか? わかるように説明してくらはい。
307 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 12:04:21 0
ちょっとは自分で考えた方がいいと思うが…。本当に自分にとって必要で不可避な問題ならばね。 ていうか、ここはレクチャーの場ではないだろ、と思うんだけど。
308 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 12:13:52 0
>>307 そう思うのも自由だし、
「ここはレクチャーの場だ!」と思うのも自由じゃん。
要はな〜んでもアリの2チャンさ。
>>306 吉本は哲学用語としての「存在」という言葉を使わないってだけ。
ごく乱暴に言えば、吉本のいう3つの幻想は現存在の3(主)モードということだと思う。
310 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 13:02:14 0
>306へのレクチャー(講義)はもういいのかな。それともまだ続く?
311 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 13:27:34 0
>>309 吉本は「幻想」は「イリュージョン」という訳だと言ったんだそうだけど、
蓮実はフーコー=吉本対談で「ファンタスム」と訳したと言って、
松岡某というひとが怒っていたのを最近読んだが、
「ファンタスム」と考えたほうが、
まだ吉本の思想的可能性が掬えると思う。
そう考えたら、ハイデガーの存在概念(「有」というよりはコプラとしての)と少し接するかと。
しかしまあ、ほとんど関係ないか。
共同幻想は現存在のさしあたり日常的かつ非-本来的な Sorge を構成し、 大衆は愚民として、あるいはダス・マンとしてそこに頽落しているわけで 理念としての原像と現実的な日常性のズレが、ベクトル変容或いは不条理と して実存論的に了解されるわけだよ。
314 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 18:24:42 0
なるほど、実存論的に了解させてもらいました。 なもんで、そろそろ ハイデガーを使って爺さんを解説(or分析)するのはもういいよ。 他の哲学者の言説で爺さんの思想的可能性をすくってもなあ…。 爺さんもあんまり望まないんじゃないか。
なんか、すっごい通俗的なことを、吉本やハイデッガーのターム使って言ってるって感じですね。 そもそも爺さんの幻想って言葉は、マルクス(というかエンゲルス)の誤読に発しているわけでしょう?
316 :
考える名無しさん :2008/09/05(金) 21:42:35 0
経済学者や哲学者も含めて、日本じゃ マルクスを創造的に読めているニンゲンは 爺さんを含めてそうはいないだろ。 たいていはマルクスの祖述で精一杯なんだから。
≫306:考える名無しさんsage2008/09/05(金) 11:57:42 0 >質問ですが、有(存在)と幻想って対蹠的なんじゃないかと、常識的に思えるんですけど。たとえば、ハイデッガーの「共‐存在」と「吉本の「共同幻想」とはどう同じで、どう違うんですか?判るように説明して下さい。 共-存在と言われる場合、これは現存在がさしあたり、一人ではない、という仕方で有ることを指している。そこに主眼はある。 共同幻想という場合どうなのか。吉本の幻想論で絶えず方法として、問題として問われてゆくのは、どのように、主体の異なる水準にとり、世界が開示されていくか、有るものの全体が開示されていくか、その世界が開示されていくか、にある。 世界が歴運としてかようにしてやってくる、開かれるという事実が最も重要で、主体にとって、そのように世界が開かれているそのことが重要であり、その主体の生の条件になる。 共同幻想というタームが重要である根底にはそのような事情がある。他界が信仰されたり、転生が信じられたり、国のために死ぬことが英霊として祭られたり、また、天皇が生き神にされたり、で、国民は皆、天皇の僕だと信じられたり、様々な、特異な世界が開かれてゆく。 主体にとって世界が開示される、とはそういうことを指している。共同幻想として初めてそのような世界は有る。そのような世界が強固な信仰を主体にもたらす。それも突然空から降ってくるのではなく、歴史的な履歴を神話や伝承という形式で堆積させながら、 宗教として、共同幻想として開示してゆく。その、幻想として開示されてゆく、ということが有論と重なっていきます。ただ、共同幻想のような領域は手を付けてませんけどね。共-存在というのも、単に現存在が社会において、複数で有る、ただその意味合いしかなく、 共同幻想のように、そこで特異な信仰を開き、それにより拘束してゆく、という意味合いはない。単に現存在は一人では存在していない、という意味だけである。しかし、幻想という領域の取り出し方は紛れもなく有論的なものです。 有るものの全体が開示されてゆく、歴史性を根底に問いながらその構造を超越論的に問題化するところが、世界が何故有るかを問い直す辺りが同じなわけです。
318 :
考える名無しさん :2008/09/06(土) 00:06:04 0
>>共同幻想は現存在のさしあたり日常的かつ非-本来的な Sorge を構成し、 ???? 吉本の考えかたって、そーゆうのと真っ向から対立しそうな気がするんだが… 「共同幻想」は「さしあたり」でも「非本来的」でもないんじゃないの? 誰もが不可避的に包摂され、かつ包摂しているようなありかたなんじゃないの?
319 :
考える名無しさん :2008/09/06(土) 00:43:47 0
経済大国日本とか一億層中流というような「幻想」は「さしあたり」で 「非本来的」だったのですが、共同幻想に逆立する「個体」の意識に とっては「関係の絶対性」あたりが「本来性」と通底して来るのだと 思われます。
>>315 経済学者や哲学者も含めて、日本じゃ
マルクスを創造的に読めているニンゲンは
爺さんを含めてそうはいないだろ。
たいていはマルクスの祖述で精一杯なんだから。
確かに創造的誤読ということはありますが、爺さんのばやいは‐‐www
321 :
考える名無しさん :2008/09/06(土) 12:59:47 O
≫320:考える名無しさんsage2008/09/06(土) 08:42:48 0 >確かに創造的誤読ということはありますが、爺さんのばやいは。 それはかつて広松渉が吉本のマルクス論について語ったこととニュアンスは同じですね “吉本さんの言う自然哲学者マルクスというのは私は違うと思う。けど、違ってもよいではないかと思います。言ってみればマルクスをダシにして吉本さんのの哲学を語っているわけで、ありふれた訓詁注釈よりはよほどいい”という。 あの発言は広松なりに吉本の仕事を認めていた証左だと思いますけどね。
322 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 00:16:53 0
>吉本は「幻想」は「イリュージョン」という訳だと言ったんだそうだけど、 マルクス・エンゲルス全集における「パブリック・イリュージョン」というタームを利用した、と吉本全集に書いてありますね。 共同幻想を理解したかったらマルエン全集を読め、と挑発的?に書いてます。
323 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 00:26:02 0
それ以前にヘーゲル全集を読まないとダメだろ。
324 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 00:27:28 0
フォイエルバッハ全集も勿論読まねばならない。
325 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 13:15:01 0
吉本全集ってあるけ? 勁草書房の全著作集のまちがいか。
326 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 18:39:23 0
三浦つとむや三木成夫も必読と。 ほんで、聖書は如何?
327 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 18:44:56 O
ヘーゲル全集を日本語で読むなんてクソだと 思うよ
ジジイの守備範囲、広過ぎやんけ
329 :
考える名無しさん :2008/09/07(日) 22:59:17 0
フロイト全集忘れちゃいかんべ。 爺さんは学者みたいに外国の思想家の祖述や紹介をしたんじゃない。 独力で固有で根源的な思想体系を築こうとしたニンゲンは日本じゃ珍しかろ。 だから守備範囲が広いのはしかたがない。 文学、哲学、精神分析学、民俗学等々、あらゆる分野を網羅してるから。 だからハイデガーとかヘーゲルとか他の思想家の理念で説明をしようとしても 所詮爺さんの思想の一部分にしか該当しないってことになってしまうな。
不安な季節が秋になる
331 :
考える名無しさん :2008/09/08(月) 04:57:43 O
いたずらな偶像化はやめたほうがよい。それをやれば読む側は楽になるし、最初から「大変な人だからね(賛嘆)」で纏めておけば、何が言われていても「分かるわけないし」で済んでしまう。無論、柄谷、浅田的な誤読や無理解は問題外だが。 ハイデガーやヘーゲルやフロイトを読みながら吉本が思想を形成したのは間違いないので、多角的に光をあてながらそれらとの共有部分や差異を挙げることは決して無駄ではない。少なくともいたずらな偶像化、思考停止よりは遥かにましである。
332 :
考える名無しさん :2008/09/08(月) 12:48:03 0
サルトルのいう「主=客」がパラノイア患者にはないことを説明するとこなんか わかりやすくていいぜ。 対幻想の母形たる母子関係の峻別ができてない状態のことだと思うが。
333 :
考える名無しさん :2008/09/10(水) 03:54:35 0
>>331 >いたずらな偶像化はやめたほうがよい。
これには同意。
ただ、「多角的に光をあてる」というならば、吉本の教養のベースに自然科学があることも多少は注目されていいのではないかと思う。
例えば『心的現象論序説』で使われている「ベクトル変容」なる用語の「ベクトル」とは何か?
方向性を持った変容?
ベクトル空間での変換?
微分幾何的な意味でのベクトル場?
どれをとっても文脈上の齟齬を来たさないが、かといってしっくりくるわけでもない。
吉本の造語にはこういうもどかしさがある。煙に巻かれたような気もする。
みんな何の疑問も持たずに、なんとなくそんなもんだと読みすごしているのだろうか?
哲学や心理学から借りてきた用語も「ベクトル変容」と同様の変容を蒙っているのではないか?という気もする。
334 :
考える名無しさん :2008/09/10(水) 09:29:00 0
>>333 造語つか造字(漢字)もかっては有名で、印刷会社泣かせとも聞いた。
335 :
考える名無しさん :2008/09/10(水) 10:47:17 O
「情況」という語彙も、最初に使ったのは、調べたわけではないが、吉本隆明ではないか?通常は「状況」でしょう。しかし、単に「状況論」というのではない特徴が吉本の立つ場所にはあった。単に世界状況というのではなく、何故ならそれだと「状況」でよいわけだから。 そこに個体の情態性を孕んで生きられている、開示されているという意味で「情況」、と思うんだけど。だから『情況への発言』はいつでも、総繊滅的な(!)情態性―「どうでもいいから死ね」「弛緩した豚ロース」「三馬鹿」等々―によって書かれていたわけで、 あれの、人によっては苦手としていた全否定的批評も、吉本における論理性と繊滅的な情態(罵倒)にあったのは今思い返すと間違いないところでしょう。
336 :
考える名無しさん :2008/09/10(水) 13:20:52 0
殲滅? これも造語か。 ところで「情況」という語を流行らせたのは確かに吉本じゃないのか。それを受けて雑誌のタイトルにもなったんだろう?
337 :
考える名無しさん :2008/09/10(水) 13:29:55 O
そうそう、間違えた。正しくは「殲滅」だ(笑)全否定的という意味合いで、吉本の『情況への発言』にぴったりの表現ではなかろうか。
338 :
考える名無しさん :2008/09/10(水) 13:30:20 O
情況派の方が先
339 :
考える名無しさん :2008/09/10(水) 16:09:42 O
≫338:考える名無しさん2008/09/10(水) 13:30:20 O >情況派の方が先 WIKIPEDIA「共産主義者同盟」で調べると、「情況派」というのは70年安保の敗北後のブント第二次分裂(第一次分裂は60年安保後だとされている)で誕生した派閥とされている。 周知のように、吉本の『情況への発言』は『試行』で60年代から書かれていたのだから、『情況への発言』の方が古い。むしろ、ブントの第二次分裂における「情況派」の方が『情況への発言』の影響を受けていたと言えるのではないか?
340 :
考える名無しさん :2008/09/10(水) 16:15:01 0
言葉の選択や使い方に独特のこだわりがあるのは 爺さんが基本的に詩人だからだろう。 ただ、ヘーゲルでもハイデガーでも独自な思想家ってのは やっぱり固有のタームを造ってる。 これまでの概念にない理念を叙述しようとすればやむを得ないところかな。 特に精神分析学なんかラカンも含めてそういう意味での造語は多いね。
341 :
考える名無しさん :2008/09/11(木) 00:43:17 0
ラカンかよ… あんなコケおどしのはったり屋といっしょにされたんじゃ、いくらなんでもかわいそう って気もするんだが… 意外と似たようなもんかも?
342 :
考える名無しさん :2008/09/11(木) 08:47:15 0
対幻想と共同幻想が相互に依存あるいは影響し合うけど還元できないとすれば、 その「還元の出来なさ」はラカン的には象徴界といえるだろうね。 その点の発見者としてはラカンもたいしたものでしょ。爺さんもラカンを 褒めてるけどさ。
343 :
考える名無しさん :2008/09/11(木) 14:12:47 0
>>340 「固有のターム」って、例えばヘーゲルみたいに特別な造語じゃなくって
日常語を使ってるけど、意味とか指示範囲はもっと拡張させたってのもあるよね。
『心的現象論 総論』、山本哲士により新編集版が出回ってるな。以前は普及版でも\20'000したけど税込\8'400とかなり安くなってる。まあ、吉本の30年に及ぶ大作が入手しやすくなったのは良いことだよな。
345 :
考える名無しさん :2008/09/12(金) 07:31:05 0
>>344 どこかのスレにもあったけど、
試行で発表された文章を一冊化しただけでしょ?
それに、ナントカ堂っていう本屋からも三分冊で
同内容の本が販売されてるんだもの、
安くするのは当然だよね。
つか、以前の値段設定がおかしいかっただけとちゃう?
347 :
考える名無しさん :2008/09/12(金) 22:12:57 0
山本哲士ってのはどうもうさん臭くてイヤだな。 エピゴーネンはすべて嫌いなわけじゃないが 学者の馬鹿さかげんが鼻についてどうしようもないね。 高額な講演音源(といってもCD50枚以上だから適正価格)を出して さらに廉価版も販売し、ホームページで対談を公開しながら、ちゃんと 儲けさせてもらってますからって言ってるイトイの方が100倍マシ。
348 :
考える名無しさん :2008/09/13(土) 17:06:24 0
>>347 そのイトイのサイト(ほぼ日刊イトイ新聞)で
自慰サンの講演音声約130分を流してるぞ。
演題は『喩としての聖書』な。
今月の26日?辺り迄の期限付きだとよ。
349 :
天照大神 :2008/09/14(日) 07:25:05 0
サンドイッチマン
350 :
考える名無しさん :2008/09/14(日) 21:38:11 0
>>348 聴いたぜ。
ちょい長いつか、自慰サンの話方がさぁ、くどいつか、下手つか
ドモってるつか、要は聴きにくいわけよ。
なしてあんなんに金払うんかな?
351 :
考える名無しさん :2008/09/14(日) 23:46:29 0
爺さんの話は繰り返しが多いし、聴衆へのサービス精神もからっきし無いから 「講演集」読んでる方が基本的にはよく分かるけど、音源だと現場の雰囲気は 確かに味わえるな。息遣いや声質から伝わる内容もある。 反復して考えるなら、聴くより読む方がいい。 読みながら聴くのもいいが。 金払うかどうかはそれを享受(消費)する方が決める。 「縁無き衆生」は金払ってまで聴くことはねえってことだろ。
弓立社版の時はDVDによる映像化もされてたよね。弓立社版のDVD(『太宰治を語る』『ハイ・イメージ論』)は一応揃えたが、たしか未発売の映像も残ってた筈。カセットテープでは一度発売されたが、'87の24時間イベントがたしか映像として残されている。 あれは宇野邦一や中上健次との対論、吉本批判への反批判など見所満載なわけだから、早くDVD化してほしいと思う。
353 :
考える名無しさん :2008/09/16(火) 19:59:33 0
ジジィの話たしかにくどいけど、多分普段の読み方もあんな感じ なんじゃないのかな。 何回も読んで自分の言葉で言い表せるまでがんばるみたいな。 すっ飛ばしながら読んで全然わからなくなるってのが普通だと 思うけど、今度からはジジィ見たいに読んでみようと思ったよ。
354 :
考える名無しさん :2008/09/18(木) 08:41:04 0
すっ飛ばしながら読んで全然わからなくなるってのが普通だと 思うけど、←普通じゃねえよ、お前さんだけだ。
355 :
考える名無しさん :2008/09/19(金) 09:57:33 0
>>350 「えーと」、「あの」、「つまり」、といった言葉が余りにも多いね。
それと、同じ事を何度も言うのにも呆れたね。
氏の著作には原稿用紙の枚数を増やすために、ひらがなが使われているけど、
講演でも時間を延ばすために、これと類似した作為があるのかな。
356 :
考える名無しさん :2008/09/19(金) 17:42:15 0
>>355 60年アムポの頃、自慰サンは暴力学生どもを前にアジ演説したらしいじゃん。
で、そん時も同じ感じだったんかな?
357 :
考える名無しさん :2008/09/21(日) 01:42:01 0
講演の時間はいつも大幅に延長することが多い。 それについて主催者も聴衆からはたいてい文句は出ないのは珍しい。 話し方のスタイルは今も昔も基本的には同じでしょ。
358 :
考える名無しさん :2008/09/22(月) 11:17:06 0
この10月にまた糸井の仕切りでまた自慰サンの講演会をするらしいな。
359 :
考える名無しさん :2008/09/22(月) 12:22:04 0
>>358 なんかお迎えが近いんで、出来るだけ記録を録っておきたいっていう
イトイと御大双方の要請からじゃないのかな?
360 :
考える名無しさん :2008/09/22(月) 22:38:22 0
>>359 まぁ、そのあたりはみんな承知つか、
暗黙の了解ってとこだろな。
361 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 01:09:49 0
爺さんにはお世話になったんで、なるべく長生きして いい人生をまっとうしてほしいね。
362 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 03:01:21 0
もしかして糸井に利用されてないか?
363 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 08:29:43 0
利用という言葉を使いたいのならそれでもいいんでねえの。 あの歳で利用される価値があるってことはたいしたもんじゃねえか。 イトイもボランティアや慈善事業なら絶対しないってはっきり言ってるし。
364 :
考える名無しさん :2008/09/23(火) 18:51:07 0
ちょいと話の角度を変えちまうが、 糸井重里は吉本んとこに、自分のお気に入りのタレント連中の キムタク、宮沢りえ、キョンキョン、宮崎あおい、なんかを 連れてってんだって。 で、宮崎あおいが殊の外お気に入りらしい。その理由ってのが 吉本んとこへのお土産に濡れ甘納豆を持っていったことらしい。 糸井重里の事務所で働いてる家族の話なんで、オレは結構信憑性が あるかなって、楽しんでる。 ほんでもさぁ、吉本隆明って糖尿病らしんだぜ。
365 :
考える名無しさん :2008/09/24(水) 01:38:45 0
糖尿病はもうずっと前から煩っている。 そのほかにもいろいろあって現在の爺さんは病気のデパートみたいなもんだ。 自分でオムツもしているって公言してるな。 そんな自分の老残を対象化して、老人の意識や介護に言及しているところが 今までの知識人の晩年と全く違うね。
366 :
考える名無しさん :2008/09/24(水) 02:09:04 O
なんかね、そんなエライ人なら今の日本の現状を変えてくれ。それが出来ないなら黙ってろ。政治家の方がまだマシだ。
367 :
考える名無しさん :2008/09/24(水) 18:42:55 0
>>365 おお、パンパースだよな。それって、どっかのスレで読んだよ。
「老い」ってことで言えば、ボーボワールの本について
自慰サンは何かいってるのかな?
"ロシア・マルクス主義の最後のチャンピオン"たるサルトルの恋人だった
てんで、自慰サンはボーボワールなんぞ無視かな?
自慰サンってさぁ、物書き女への偏見があるよな、絶対な。
オレ、そういう所好きよ。
368 :
考える名無しさん :2008/09/25(木) 00:46:43 0
大衆にオヤジの存在を知らしめる糸井に感謝!
369 :
考える名無しさん :2008/09/25(木) 02:12:18 0
以前、ボーボワールの「老い」という作品をとりあけて サルトルとの関係のあり方について書いていたことがある。 それから、シモーヌ・ヴェーユについての講演の中で、 ボーボワールがヴェーユと出会ったときのエピソードを 語っていたのではないかな。
370 :
考える名無しさん :2008/09/25(木) 09:06:03 0
>>369 面白そうなんで寄らしてもらいました。
その『老い』について言及している吉本氏の書名を
ご存知なら、お教え願いたい。
それと、シモーヌ・ヴェイユってトロツキーにも会っていませんでしたか?
ヴェイユ家は当時サロンのような場所だったんでしょうかね?
371 :
考える名無しさん :2008/09/25(木) 10:49:51 0
『老い』について言及している書名は、今すぐには確かめられない。ゴメン。 確か、その中で欧米人の人間関係は日本人のそれに比べてキツイといっていた。 欧米人のほうが孤独に向かい合う精神力が強いということかな。 ヴェイユ家が当時どうなっていたのかわからないが、ヴェイユの著書を読んで いる限りでは、相当ストイックな性格のようだな。ボーボワールとも意見が合わ なくて、すれちがいのようだった。
372 :
370 :2008/09/25(木) 11:58:22 0
371さん、早速のお気遣い、多謝。 見つけたら、このスレに書いて下されば、幸甚です。 時々寄らせてもらいますんで。
373 :
無名人 :2008/09/25(木) 17:28:18 0
『生涯現役』の162頁でボーヴォワールの『老い』について少しふれています。 ボーヴォワールが、サルトルの浮気の後始末をしたというのは、また別の本だったかと。。。
374 :
考える名無しさん :2008/09/26(金) 00:55:42 0
375 :
考える名無しさん :2008/09/26(金) 01:24:34 0
確かに「家族のゆくえ」162ページにもあるね。 「最近、ボーヴォワールの『老い』という本を丁寧に読み直した」とある。 ミケランジェロやイェイツやヴォルテールなんかの老年期の手紙を調べて いる箇所を引用しているね。 サルトルとの関係は別の本だったか…。
377 :
370 :2008/09/26(金) 06:28:45 0
無名人さん、374さん ご教示ありがとうございます。 さっそく入手して読んでみます。 今さっき、ネッとでちょっと見たんですが、 『家族のゆくえ』の表紙に吉本氏と一緒に写っているのは ばばなさんですかね? それで、思い出したんですが、父親の本棚から持ち出した 磯田光一氏の『吉本隆明論』というかなり昔の本にも 同様な構図の写真が写ってました。 その本ではタイガーマスクを読んでいる眼帯の少女を 吉本氏がうしろから抱くようにながめている構図です。 いい写真だと思います。
378 :
考える名無しさん :2008/09/26(金) 11:09:38 0
今『グロテスクな教養』(ちくま新書)という本を読んでいるんだけど、途中で ふと吉本のことを思い出した。旧制高校の寮に代表される特権エリートの共 同体とその教養主義は今では消滅してしまった。しかし吉本の言葉はあくま でもその共同体を前提にしないと流通しない性質のものではないかと思える。 では、なぜ今吉本の言葉が現実に流通しているのか。これはかつては現実 の人間の関係として存在した特権エリート共同体を未だに幻想の共同体と して夢想できる層がいるからではないか。 吉本はすでに失われた幻想の共同体の中からモノを言っている。その共同 体を感じ取れる者だけが、吉本と問題意識を共有できるのではないか。
379 :
考える名無しさん :2008/09/26(金) 11:15:32 0
しかし、それは吉本のそれに限らない。一つの言説が流通するとすれば 幻想の共同性が成立しているからだ。
380 :
考える名無しさん :2008/09/26(金) 22:52:11 0
「特攻崩れ」で名を馳せた鶴田浩二は1924年12月6日生まれ。 学徒出陣令により徴兵。終戦まで海軍航空隊に所属した。 吉本は1924年11月25日生まれでわずかに鶴田より早いが 戦時中は「軍国少年」として過ごしていた。 このとき既に吉本は鶴田に遅れを取っていたのである。
381 :
考える名無しさん :2008/09/26(金) 23:04:22 0
「特攻崩れ」の心理は戦地に散った戦友を悼み、自分だけが生き残った 悔恨と慚愧の念に苦しむというものであったが、 このような心理は吉本には持ち得べくも無かった。
382 :
考える名無しさん :2008/09/26(金) 23:36:43 0
鶴田は俳優であるので「思想」とまで呼ぶべきものは無いが 戦争指導者を憎み、郷土と民衆とを愛した。 「東条英機は切腹すべきであった」とまで言っている。 武士道・良い意味での大和魂・義理人情の人であり、 反戦的愛国者であったのである。
383 :
考える名無しさん :2008/09/27(土) 02:24:20 0
爺さんの思想と、戦前の「旧制高校的な教養主義」とは全く接点がない。 ましてや特権エリート共同体とは関係ない。 本を読んでいろいろ考えるのはいいが、すぐに短絡的に結びつけるのは どうかと思うよ。 爺さんは不可避性のないアカデミックな教養の価値を、昔から認めてい ないし、ましてや現在のようなネットの時代に、大正教養主義の幻想な んて、幻想のかけらさえ存在することは不可能だよ。 今さら、旧制高校生のバイブルだった、阿部次郎の「三太郎の日記」や 三木清の「人生論ノート」でもねえだろ。 爺さんの思想とは縁のない世界だぜ。
384 :
考える名無しさん :2008/09/27(土) 09:21:42 0
鶴田浩二が爺さんよりエライってことをいいたいのなら別に異論はないが…。 武士道とか大和魂という言葉は、もう少しナイーブに用いた方がいいんじゃないかな。 武士道は、江戸時代の幕藩体制が固まった時期に、佐賀藩の家臣がお家存続のために 武士としての身の振る舞い方を論じた「葉隠」から、さらに換骨奪胎して新渡戸稲造 が、近代国家として国際社会で生きていくための日本人のアイデンティティの基礎と して作り上げた概念だし、大和魂は本居宣長が源氏物語の「もののあはれ」の根底に ある宮廷人の独特のものの感じ方やとらえ方を言い表した言葉だろ。 あまりにナイーブだと、右翼の凱旋カーの使い方と同じになっちゃうぜ。 鶴田浩二の評価はそれぞれだからかまわないが。東映の任侠路線ならどっちかつうと 高倉連のほうが個人的には好きだったけどな。
385 :
考える名無しさん :2008/09/28(日) 00:04:20 O
鶴田浩二の歌を聴いてると、吉本隆明の初期の詩の通俗化なような気がするときがある。例えば吉本の初期の詩に頻出する「運河のほとり」が鶴田浩二の「東京詩集」ではこう使われている。 《6月10日 雨 運河のほとりで/雨 雨 雨/誰の涙かしめやかに/黒い運河に雨が降る/恋は男をこんなに泣かす/君を抱けば/君を抱けば ああ 涙ふる》 因みに吉本の詩では運河は次のように出てくる。 《君はいくつかの 物語のない街街をゆききして/ひよいとかわいた通路の端から孤独な顔をつきだす/そのとき きみは窮迫した浮浪人だ/きみがたつている運河べりからは/すてられた少女とやりきれない近親が/投身する/ きみはきみが/まつたくこの世界とくひちがふのを/感じたとき きみの/影を突き落としたのだ》 「傷だらけの人生」になると、まさに吉本隆明のイメージを通俗化したような男の独白で思わず苦笑してしまう。 《何から何まで真っ暗闇よ/すじの通らぬことばかり/右を向いても左を見てもバカと阿呆の絡み合い/どこに男の夢がある》 これを書いたのは藤田まさとという人らしいが、吉本のイメージを勝手に膨らませ、書いた歌詞だと私は勝手に解釈している。吉本隆明流の孤立感に、ヤクザの疎外感をミックスさせ、それを鶴田にあてがった。 当時の吉本の読者なら、鶴田の「傷だらけの人生」がそのような歌だとすぐに分かったろう。そうして、実際の吉本の詩集にある疎外のイメージと鶴田の歌にある渡世人のイメージの落差に苦笑したことだろう。
386 :
考える名無しさん :2008/09/28(日) 00:36:45 0
鶴田は時代を民衆の一人として生きた。或いは生きたと見せて演じた。 そこには思索し詩作した吉本とは自ずから違いがある。 通俗化に何の咎めるところもなかろう。 多くの歌謡曲・演歌に啄木・賢治・中也などが本歌取りされているのは 当たり前であり、それは日本の詩歌の伝統ですらある。
387 :
考える名無しさん :2008/09/28(日) 18:14:48 0
ただ鶴田は大根だがな。
388 :
考える名無しさん :2008/09/28(日) 20:10:28 0
389 :
考える名無しさん :2008/09/29(月) 09:52:08 0
>>388 そんなもんかな。
オレは鶴田は博徒映画を離れた時からいい男優になったと思ってたがな。
鶴田は自分像をつくりあげることに終始した俳優。 初期は単なる二枚目俳優。大根とみられていた。 ひばりの最初の男ともいわれている。 東映時代に、彼なりに演技に開眼したのだろう。 超越的な価値に自らを捧げる役を演じさせたら、なかなかのもの。 あの三島も惚れていたらしい。 しかし彼の根底にあるのはナルシズム。 ときおり、それが透けてみえる。 それに気づいたものは嫌気がさし、彼から遠ざかった。 彼の死は、映画界の連中からはほとんど悼まれなかった。 吉本にも自己愛的なところはある。 が、だいぶん前からそれには自覚的。その始末をつけてきている。 彼の死は、この国の片隅のそれでしかあるまい。 が、何人かからは悼まれるにちがいない。
391 :
考える名無しさん :2008/09/29(月) 12:29:00 0
鶴田も若い頃、黒澤の映画に出てた頃は瑞々しかったなあ。 ひばりの相手役にも抜擢されて、本当に甘い二枚目役だった。 東映の任侠路線は斜陽化しつつあった日本映画の観客動員数 に歯止めをかけてたんだろうが、鶴谷はあまりにも任侠イメージ が強く定着しすぎて、その後の彼の役者人生の幅を狭めてしま ったきらいもある。 高倉健はその辺をうまく払拭することに成功したんじゃないか な。任侠シリーズが終わった後も、けっこうおいしい役どころ が回ってきたからね。晩年の鶴田は役者の仕事よりも歌謡番組 に出演していたイメージが強いね。 まあ、爺さんの話とはあんまり関係ないが。
>>391 鶴田が片手を耳にかざして歌う姿を何かでみたことがある。
あれは音程をとるためだそうだ。
が、ああして歌うと自分の声がきわだって美声に聞こえるのがミソ。
彼は自分を味わっていたのだろう。
もっと驚いたのは、そのとき彼がマイク持つ手の小指を立てていたことだ。
ちょっとキモいだろう?
本当かどうかは知らないが、高倉にはゲイだという噂がたえない。
もしそうなら、ゲイは心身に“他者性”を抱えており、ナルシズムに浸れない
ものを初めから刻印されている、ともいえる。
任侠シリーズ終了後にもおいしい役がまわってきたことと、
そのことは無関係ではないかもしれぬ。
393 :
考える名無しさん :2008/09/29(月) 17:57:42 0
高倉健がなんで江利チエミと結婚したのかもよくわからないんだな。 江利チエミといえは、彼女の晩年は悲惨だったな。 最後は部屋で酔いつぶれての孤独死だった。 ウイスキーの牛乳割りをいつもがぶ飲みしていたようだ。 サザエさんのイメージがあっただけにギャップが大きかったなあ。 また爺さんの話とは離れてしまったが。
394 :
無名人 :2008/09/29(月) 19:00:20 0
三島由紀夫が、鶴田のガマンの演技を「不決断の英雄性」と評していたが、 吉本さんの「重層的な非決定」とは関係ないだろうなあ。
高倉がチエミに好意を持ったのは確かだろうが、しかし一種の偽装結婚だった疑い は晴れない。そのことにチエミが気づき、離婚に至ったのだろう。 このケースは芸能界では、しばしばみられる。 高倉は、このことでずっと(チエミに)後ろめたさを抱いてきたのではないか。 彼は、今日でもチエミの墓参りを欠かさないともいわれている。 爺さんとは直接関係ない話をしたいね。w
396 :
考える名無しさん :2008/09/29(月) 19:27:52 0
最低限、「自慰サン」の痔の痔も書かないことだね。
爺さんの詩は吉岡実から「歌謡曲」と揶揄されていたそうだ。 ムベなるかな。
>>397 吉岡は“詩の商人”だからね。
玄人の彼からみたら、吉本の詩はさぞや甘くみえたことだろう。
吉本は、谷川もプロ詩人とみなしていたと思う。
どちらにも、一線を画しつつ、高評価を与えていた。
しかし、本心は“プロ詩人”というあり方に懐疑的だったのではないか。
この谷川は俊のほう。
400 :
考える名無しさん :2008/09/30(火) 22:53:56 O
プロ詩人とはプロレタリア詩人のほう。
401 :
考える名無しさん :2008/10/01(水) 02:41:01 0
爺さんの詩は吉岡実から「歌謡曲」と揶揄されていたそうだ。 ↑ 爺さんの吉岡の詩の理解からはちよっと腑に落ちないので できれば出典を教えてほしいが。
402 :
考える名無しさん :2008/10/02(木) 12:56:11 0
>>401 おえ、爺さんなどと失礼な。
はっきり、自慰サンって書け!
今や自慰さえも叶わないほど老いさらばえた吉本だ。
せめて自慰サンって呼んで手向けにしろ。
403 :
考える名無しさん :2008/10/02(木) 23:02:10 0
馬鹿だな、オメエは。 なにが、「書け!」だ。 オメエが自慰さんと書こうが、だれが爺さんと書こうが、自由だろうが。 自慰のやり過ぎは勝手だが、他人にまで強要するんじゃねえ、カス。
404 :
考える名無しさん :2008/10/03(金) 09:20:31 0
>>402 自慰もできないジイさんもいいが、
自立できなくなった"自立"思想の元祖ってのもあるよ。
>>403 こんなヴォケもいるんだ。
これぞ2chじゃんか。
405 :
考える名無しさん :2008/10/03(金) 13:05:46 0
何がヴォケだ。 2chだから何をどう書いてもオケなんじゃねえのか。 どうこう書け!なんて文句や強制される筋合いはねえって言ってるんだ。 わけわかんないオメエこそ、2chを勘違いしてる馬鹿だろ。
406 :
考える名無しさん :2008/10/03(金) 16:47:52 0
>>405 だったら無視したら。
だけど、何カッカしてんの。
あッ、会社をリストラかなんかされたんだ。
それとも奥さんに浮気されたのかな。
と書きながらスレは続くのであった、ってか。激藁)
407 :
考える名無しさん :2008/10/04(土) 02:08:29 0
はいはい、会社をリストラされまして、 嫁には浮気をされました。 これで、2chらしいってか。
よせやいっ
409 :
考える名無しさん :2008/10/05(日) 11:08:00 0
時代の病理
410 :
考える名無しさん :2008/10/08(水) 22:04:02 0
♪♪♪Fucking all night♪♪♪と唄いながら、 今夜はfucking all nightだ。
411 :
考える名無しさん :2008/10/09(木) 09:07:27 0
412 :
考える名無しさん :2008/10/09(木) 09:48:05 0
吉本隆明=前世紀の遺物
413 :
考える名無しさん :2008/10/09(木) 12:03:02 0
>>412 つか、自慰サンを識ってるってことだけで前世紀の遺物って言われそうだぜ。
まぁ、自慰サンがその"前世紀の遺物"的知識を切り売りして喰ってるってのは
確かだし、
その"前世紀の遺物"的知識を購ってる今世紀の現存物もいるわな。
世の中新製品ばかりが"商品"じゃねーと。
中古どころか絶古の自慰サンの老いさらばえた姿でさえ商売になる。
イトイはいいところに目をつけたってとこかな。
414 :
考える名無しさん :2008/10/09(木) 16:41:29 0
まともな新製品は皆無で最初からガラクタ、業界が壊滅状態だから 前世紀の遺物であっても骨董趣味のほうがマシだから
415 :
考える名無しさん :2008/10/09(木) 21:59:05 0
>>413 腰
同じ腰巾着でも糸井のほうが山哲や芹沢や中沢より
自慰サンの振り回し方が上手いやね。
416 :
考える名無しさん :2008/10/10(金) 08:01:02 0
>>415 イトイのミーハー的なアプローチが自慰さんの"金銭"に触れて、
矢継ぎ早の講演、CD・本販売といった冥途の土産仕事に
生まれかわったんじゃね?
417 :
考える名無しさん :2008/10/10(金) 11:19:36 0
冥土の土産を5万円で買った。
暇なときにボーっと聴いてる。5万円で骨董趣味なら安いもんだ。
でも、鑑定団ならジャジャーン 5円とかねw
>>414 まともな新製品は皆無で最初からガラクタ、業界が壊滅状態だから
前世紀の遺物であっても骨董趣味のほうがマシだから
だよなあ、まともな新製品ないもんな
骨董リニューアルして売らなきゃしようがないんだろ。
それだけ業界も人材不足ってことだね。
近年たくさん出ている語りおろしみたいな本の中では何が良いですかね? 「遺書」が割と良かったんで他も読もうと思っているのですが。 「よせやい」あたりがいいんじゃないかと、ちょっと目星はつけてるんですけどね。 おすすめがあればw
419 :
考える名無しさん :2008/10/10(金) 22:24:07 0
正直言ってわかんないんだよね。 爺さんの著書をずっと追ってこなかった若い人たちが近年の語りおろしを読んでも ただの年寄りの繰り言程度にしか思わないかもしれないしね。前世紀の遺物とか…。 それでもしかたないし。今の爺さんはある意味好々爺になっちゃってるでしょ。 今の時代、若い人が真剣にぶつかって格闘できるような思想家がいないんだろね。 そういうのも必要ないって言うかもしれないしね。 読書ってのは自分で読みたいものをたくさん読んだらいいんじゃないかな。 答えになってないな。
420 :
考える名無しさん :2008/10/11(土) 23:22:17 0
>>419 つか、418の"良い"ってのがどんな視点からなのが見えないかぎり、
誰でも和姦ねーよな。
値段、装丁、活字、出版社、厚さ、重さ、とかいろいろあるからな。
でありゃ、"自分で読みたいものをたくさん読んだらいい"みたいな
お利口サンの返事で充分なんじゃねーの。
421 :
考える名無しさん :2008/10/12(日) 10:01:28 0
>>420 「お利口サンの返事」とはあんまりな言いかただね。
まぁ、善意ある返事でしょう、善意ある解釈をすれば。
422 :
418 :2008/10/13(月) 19:02:57 0
ご返答ありがとうございます。 私の質問が説明不足だったようです。 私は若僧ですが、過去の吉本の理論に興味があります。 ですが、過去の著作…「共同幻想論」「言語美」などは私にはちと難解…もしくは 言葉づかいにちょっと時代臭を感じてしまい、読了できそうにありません。 ですので、これまでの吉本理論の重要キーワードのエッセンスが、本人の口から平 易に語りおろされているものでオススメがあれば、ぜひ教えてくださいという趣旨でした。
423 :
考える名無しさん :2008/10/13(月) 23:28:53 0
「日本語の行方」光文社2008年2月発行1500円 東工大の学生に語った内容をまとめたもの。講義だから純粋の語りおろしではないが 「言語美」と「幻想論」の入門書にはなってるかも。 「心とは何か」弓立社2001年6月発行1650円 ちょっと古いがサブにまさに「心的現象論」入門とあってわかりやすい。 どちらもアマゾンで中古本が半額程度で出ている。 吉本理論がわかりやすく語られているという意味ではオススメ。 その後、気が向けば原著に当たるもよし。
424 :
考える名無しさん :2008/10/13(月) 23:45:04 0
「日本語の行方」→「日本語のゆくえ」
425 :
418 :2008/10/14(火) 00:23:15 0
ありがとうございます!! さっそく購入したいと思います!!
426 :
無名人 :2008/10/14(火) 08:20:13 0
なんといってもオススメはこれです。 『吉本隆明 自著を語る』
427 :
考える名無しさん :2008/10/14(火) 17:13:31 0
「自著を語る」も悪くはないが さらっと流し過ぎてるきらいがある。 入門の入門編かな。
あの、ここにいらっしゃる方にお聞きしたいのですけど 山本哲士という東京学芸大客員教授が居ると思いますが この人が吉本隆明の後継者で吉本研究の権威とされています。 自身のブログでも吉本をしきりに礼讃しています。 吉本隆明の著書はどれもとても難しくて読むのは大変ですが 読めば最終的には理解出来るような内容という事が感じられます。 しかし、この山本哲士氏の著書はホスピタリティ原論などを 薦められて読んでみましたし、氏のブログを読んで見ても とにかく難解で、読んでも読んでも本質に行き当たらないのです。 私自身は哲学を勉強している訳でもありませんし 高等な知能を有している訳でもありません しかし、何故か山本氏の論説などで吉本を理解できないものはバカだ 的なことを高圧的に書かれ、しかも氏の文章を読んでもどうしても 本質的な事に行き当たらない事から、妙な憤りを感じてしまうのです。 果たして、吉本ファンの皆様はどのように思われているのか お伺いしたいのですが…。いかがでしょう?
429 :
無名人 :2008/10/16(木) 15:57:51 0
山本哲士は何を言っているのか解らないし、 何を言いたいのかも解らない。 熱気がないのか伝わってこない。
430 :
考える名無しさん :2008/10/16(木) 21:31:37 0
>>428 >山本哲士という東京学芸大客員教授が居ると思いますが
この人が吉本隆明の後継者で吉本研究の権威とされています。
まったくそんなことはありません。
山本はメヒコでイリイチについて学んで帰国した後「学校・医療・交通の神話」という本を出すのだが、
これがバナキュラーとかいうイリイチ受け売りの概念を振り回し、受け売りにもなっていないひどい本
なんで驚いたことがある。爺さんはイリイチの倫理的にダメな側面(馬鹿エコロジストと共通する部分)
をその当時でもきちんと指摘していた。山本はその後、爺さんとの対談本(「教育 学校 思想)を一冊
出すのだが、その後も訳のわからない爺さんの礼賛だけは勝手にやっている。
言っとくが爺さんの思想と山本とはほとんどなんの接点もない。山本の自己本位なこじつけ以上のもの
ではありませんから。騙されないようにね。
とにかく山本哲士だけはダメ。いくら好意的に読んでも内容が馬鹿馬鹿しすぎるわ。
431 :
考える名無しさん :2008/10/16(木) 23:09:57 0
芹沢俊介も爺さんのひいきの引き倒したが、山本哲士はもっとひどい、最悪! 山本なんかが勝手に爺さんの周りをうろうろしてるんで読者はいい迷惑だよ。 特に馬鹿みたいに高価な「心的現象論」を出版して、とち狂ってるとしか言い ようがない。内容もないが文章も下手。まともな日本語で書けちゅうねん。
「心的現象論本論」でしたっけ
http://ehesc.blog.so-net.ne.jp/ これなんで6マンもするんですか?
この人の書いた本って、信じられないくらい難解ですよね。
何て言うのでしょうか、難しければ難しいほど高度であると
勘違いしているような。ただ細かいディティールだけで
なんの本質も見られないというか…。
むしろ、本質を読み取れない自分自身がきっと解読が甘いのかと思い
何度も読むのですが、読めば読むほど書かれている
物事が断片的にしか理解できません。と、いうよりもただの言い換えにや
言葉遊びの類にしか思えません。
本当に金返せといいたい気持ちになりました。
433 :
考える名無しさん :2008/10/16(木) 23:51:29 0
爺さんの文章も癖があるが「心的現象論」が書かれなければならない不可避性はわかる。
ひどいのはそれを6万円で売り出した山本の阿保や。あいつの本こそ何書いてるかまった
く分からん。単なる独りよがりの自己満足やね。まだしも爺さんを評価するやつはいるが、
山本を評価する奴なんかいないよ。昨日今日じゃなくて、初めからあいつは馬鹿です。
>>432 本当に金返せといいたい気持ちになりました。
まさか6万で買ったんじゃないだろうな。猫々堂の「吉本隆明資料集成」なら一万でおつり
くるのに。それに最近山本も廉価版出したみたいだ。馬鹿もさすがに気がとがめたのかも。
山本に比べたらイトイのほうが100倍まし。
434 :
考える名無しさん :2008/10/16(木) 23:58:19 0
内容もないが文章も下手。まともな日本語で書けちゅうねん。 ↑ 山本哲士のこと<431
失礼しました。金返せと思ったのは、吉本の心的現象論・本論ではなくて、山本と言う人のホスピタリティなんちゃらと、レクサスがどうたらです。 会社のマネージャがこの人のセミナーに行ってとても感化されたらしく、この2冊を買え買え言うので、丁度骨盤骨折で入院しているし、読書は好きやので買いました。 吉本は読了できてませんが、満足しています。 山本はこれ程までに読むのが苦痛な本に出会って正直驚いています。そのマネージャは、日本のトップインテリだから、山本は活躍の場所がジュネーブなんだ。と言ってましたし、吉本研究の第一人者で、唯一認めた後継者だと。 何だか信じられない感じがしまして、ここで聞いてみた次第です。確かに私よりも知性の高い方で、頭の回転も良いのでしょうけどね。 私の金銭感覚では、あの本の内容(ホスピタリティなんちゃら)に1万以上は払えません。吉本の本も文化資本投資にどうのとか言われても、私には納得が行きませんし、吉本やイリイチやフーコーなどの名前を利用しているだけで、彼等の価値を下げているようにしか思えません。
436 :
考える名無しさん :2008/10/17(金) 11:26:16 0
ここまで行くと詐欺だな。 知性が高くて頭の回転がよけりゃ、あんな駄本出しゃせんよ。 だれも山本が爺さんの後継者なんて認めてなんかいないだろ。 だいたい政治家でも学者でもない在野の思想家に、後継者もへったくれもない。 本当なら何勘違いしてるんだっつうの。
437 :
考える名無しさん :2008/10/17(金) 13:08:21 0
438 :
考える名無しさん :2008/10/17(金) 14:08:07 0
どこに顔出そうが馬鹿は馬鹿!
439 :
考える名無しさん :2008/10/18(土) 01:14:24 0
詐欺師ヤマモト
後継者って自分で言ってんの?
441 :
考える名無しさん :2008/10/18(土) 19:50:29 0
爺さんがそんなキモイこと言うわけねえし。
442 :
考える名無しさん :2008/10/18(土) 22:13:05 O
山本の取り巻き社長達がいってんじゃね?金巻き上げられてるだけなのにな。
この人が、後継者と自分で言っているとは思えんがな。 だって、この人は吉本主義(者)をあれほど批判していたし、 いくつかの著書では、吉本さんの対幻想論に納得できないと異論を提示している。
444 :
考える名無しさん :2008/10/21(火) 13:48:04 0
吉本のエピゴーネンにさえ遠く及ばない馬鹿。 どうせまともな日本語で書けてない。 たぶん、自分で自分の愚かさに気づいていないぶん始末に悪いが、 めんどくさいから無視するに限る。
でも、山本さんの書いていること(特に情況論)がそう感じられるように このスレッドの書き込みも似たようなものじゃない? ただの愚痴を吐いているだけに聞こえるし、ただの悪口だけで内容がなく、 ほとんど読む価値がない。
446 :
考える名無しさん :2008/10/21(火) 14:00:48 0
山本さんの文章が難解とか意味不明とか言われるけど、吉本さんのそれに比べると ずっと分かりやすく書かれていると思うけどなあ。 吉本さんの文章のほうが非常に込み入った表現の仕方をしていて、けっきょくなに を言っているのか掴み所がないことがよくある。でもとにかく凄い思想家なんだって ことで読者はしちゃっているw
読者は納得しちゃっているw
【このスレッドは ル・サンチマン™ の提供でお送りしております】
449 :
考える名無しさん :2008/10/22(水) 01:28:59 0
>>445 でも、山本さんの書いていること(特に情況論)がそう感じられるように
このスレッドの書き込みも似たようなものじゃない?
その通り、だってあなた、ここは2ちゃんですぜ。
まさか、読む価値を求めて来るようなとこじゃないだろ。
>>446 山本さんの文章が難解とか意味不明とか言われるけど、吉本さんのそれに比べると
ずっと分かりやすく書かれていると思うけどなあ。
もちろん爺さんの文章だって難解だ。間違っても名文なんかじゃない。
どっちかというと悪文の範疇に入るだろうな。そんなことは以前から誰でもわかってる。
ただ、にもかかわらず爺さんの論考が評価されてきたのは、内容はもちろんだが、そこに
どうしても書かねばならない思想的な不可避性を感じるからじゃないの。でなきゃ、あれ
ほど多くの多彩な論者に、賛否は別にして、言及されてこなかっただろうと思うよ。
爺さんの悪文には、思想的な格闘の跡が見える。そして、ある程度その思は普遍性に到達
しているか。だから爺さんの悪文は駄文ではない。もしそうなら誰も相手をしないだろ。
そこへいくと山本哲士の文章は、ただ韜晦のための駄文。なんの必然性もないし内容もな
い。名文である必要はさらさらないが、日本語能力に知性が感じられないんだな。
もちろんこのオレの文章も読む価値のない駄文と言われればそれまで。だから2ちゃんに
カキコしてるんだよ。
450 :
考える名無しさん :2008/10/22(水) 11:20:58 0
セクースやオナーニの合間でさぁ、 ひまならさぁ、 2chでも覘きに来いや。 ほんでも、自慰サンにゃ 2chの常連だなんあてバラスなよ。 馬鹿にされて、軽蔑されるだけだかんな。
451 :
考える名無しさん :2008/10/22(水) 12:47:45 0
セークスは10年くらいご無沙汰だべ。ていうか息子も役に立たねえ。 オナーニも原料の方が枯渇してしまって空井戸になったせいか無縁の状態だ。 セークスやオナーニの合間に覗いてるオメエがうらやましいぜ。 やり過ぎとカキ過ぎに注意しろよ。
452 :
考える名無しさん :2008/10/23(木) 10:45:13 0
>>449 > その通り、だってあなた、ここは2ちゃんですぜ。
> まさか、読む価値を求めて来るようなとこじゃないだろ。
そういえば、
吉本爺さんはネット嫌いというか電子ネット社会に否定的なことを書いているよな。
科学技術の発展進歩マンセーの爺さんにしてはちょっと変だなあと思ったんだけど、
もしかすると、この2ちゃんねるを見ちゃったんだろうかw
453 :
考える名無しさん :2008/10/23(木) 13:34:58 0
オナーニと言えば、 研究室の先輩がシコシコとかいてるとこを 新婚ニケ月のかみさんに見られて、 現在別居中らしい。 わかるじゃん先輩の気持ち。 やっぱオナーニは最高だもんね。 白も黒も黄色も、 爆乳も貧乳も、 前でも後ろでも、 穴という穴も、 なーんでもOKだもんね。
454 :
考える名無しさん :2008/10/23(木) 13:48:12 0
吉本がPCとかネットとかをやらないのは単純に「用がない」のと 目が悪いんでモニタ画面のちっこい字とか見てらんないからだと何かに書いてあった 「電子ネット社会に否定的なこと」を書いていると言っても、それは いわゆるネット民主主義論とかユビキタス社会(笑)とかのお気楽ユートピア的な考えに対して 否定的なだけで、技術や技術の普及そのものに否定的なことは書いてないと思う インターネット・コミュニケーションの特徴は、社会のさまざまな要素の間に 従来ありえなかったような結合を作り出しているところだ、というような意味のことを書いていた。 「ハイ・イメージ論」の著者らしいというか、まずまず妥当な見方じゃないかと思うね。 要は有象無象の粒度が下がって、馬鹿騒ぎの局所的な解像度が上がっただけだと、 そのくらいのところで見ているような気がするな。 仮に吉本本人が2chとかをうっかり覗くことがあったとして、 「これは素晴らしい」的なコメントが出てくるとは到底思えないけど(笑) いちいち悪し様に言うこともなさそうな気がする。 「ひきこもれ!」の吉本にとってはどうでもいいことなんだよ、こういうのは
だいたい、日本知識人は、私の「世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち」と、佐々木毅(現東大総長)の 「アメリカの保守とリベラル」(講談社学術文庫)が現れるまでは、現在のあるいは、この100年ぐらいの、現代 アメリカ政治知識人たちが、一体どういう人たちであり、どういう思想を持っていて、それはヨーロッパの知識人の 伝統から、どのように分岐していったのかまったく分からなかったのだ。 政治思想系の日本の知識人たちというのは右(保守派)だろうが、左(リベラル派)だろうが本当にひどいものなのだ。 昔、大繁栄したドイツ思想や、ドイツ哲学の研究者や、フランス思想の紹介・解説専門の知識人たちも今から考えれば 相当にひどかった。しかし、日本の文科系で一番頭のいい者たちは、70年代までは、ドイツ語かフランス語に熱中した 人々だ。英語系は馬鹿だけが行った。真面目に、一生懸命、ドイツ語やフランス語を勉強して、なんとかこの独仏思想系 の秀才たちがヨーロッパの知識と伝統に接近しようとした、涙ぐましい努力は、私も同情するし馬鹿にしない。誰が やってもあんなものだっただろうから。きっと生来秀才だった日本人たちが、真剣に「文化移植」使用としてもこの程度 だったのだ、と憐れみの気持ちで同じ東アジアの原住民知識人として共感できる。
ところがアメリカ理解となるとこれが桁違いにひどくなる。今もひどい。 「一体、アメリカ合衆国なんかに政治思想 なんかあるのか?」という態度で、岩波・朝日文化の連中が、ずっとそういう感じで何十年もやってきた。彼らが、 ソビエト思想の精神的な奴隷だったから、ではなくて、そもそも、英語でアメリカ知識人から、しっかりとした 「世界基準での政治思想」を学んだ人間がいないのだ。また日本でアメリカ研究をやる連中が、政治思想も思想センス もないうえに輪をかけて頭が悪くて、「政治思想」というのは、そもそもこういうものなのだ、という理科の基本枠が ない人々だ。このような生まれたときから政治思想理解の適正を欠いた人間たち(即ち、日本の大学の文学部出の アメリカ研究のような連中)が、アメリカ思想を自分たちの縄張りとしてやってきた。自分は左翼ではない、という 信念だけに支えられて。本間長世(成城学園園長)に、最大の責任がある。 この人が、公然と、アメリカのロックフェラー系に見込まれて育てられた、「日本人アメリカ研究学の一番偉い先生」 だものだから、日本のアメリカ研究(アメリカン・スタディーズ)は世界最低にならざるを得なかったのだ。 副島隆彦「属国日本論を超えて」P226~227
ここでもう一つ、キリスト教の聖書とアリストテレスの学問体系の違いという問題がある。アリストテレスは 二五〇〇年前の人である。キリストは、二〇〇〇年前の人である。キリスト教よりもギリシア古典学問の方が ずっと古いのである。しかも、アリストテレスやソクラテス、プラトンのおいては、神は神でも、キリスト教の 神ではない。古代ギリシアの神である。ところが、中世ヨーロッパ全体は、ヘブライズムとしてのキリスト教の 神によって支配された神である。ギリシアというよりも、現在に至るヨーロッパ古典学問全体の体系を築いた アリストテレスの学問は、たとえその解釈がキリスト教の中に多く取り込まれたとしても、やはり相互に矛盾を 起こすはずなのである。 簡単に言おう。十五世紀頃から、ヨーロッパでは、学問の諸結果を内心で信じるようになった者たちは、教会の 修道院の立場でありながら、神 Godの体系に対する疑いを抱き始めた。すなわち、神が世界を創造creat:genesis したという考えを疑いだしたのである。 たとえば、ポーランド人のコペルニクスも神学者でありかつ修道僧である。彼が天動説を疑い、地動説を唱えだした。 これがいわゆるコペルニクス的回転Copernican Revolutionである。ガリレオ・ガリレイはどれよりも百年遅い人だが、 彼はその事実を、自分で作った望遠鏡で、木星の第六惑星タイタンの姿を観察し、自分の目で観察し、自分の目で 確かめた。この瞬間に、「全宇宙」universeという考えが滅び、世界は「空間」spaceであることが発見されたのである。 ただし教会はこの事を断じてめとめず、サイエンティスト達を弾圧した。この十七世紀初期には、学者たちはもう 修道士として修道院で暮らさなくても生きていけるようになっていた。
都市の産業が発達していたために、俗人のまま生きられるようになった。ガリレオやオランダのスピノザが、 そのような人々の代表で、彼らはレンズ磨き職人であった。レンズ磨き職人とは、今で言えば、ハイテク・ コンピューター・エンジニアリングであろう。当時の最先端のテクノロジーを開発し続けた人々でもある。 このようにして、神の体系を打ち破ろうとした人々のことを、「アリストテレスの学徒」と呼び、これが学問 (サイエンス)の系譜に連なる。ヨーロッパの知識人は、大体十五歳の頃「自分は神を信じない」という 声明を発表して、自らサイエンティストになっていくのである。このように近代学問の系譜は、神の体系を 信じる神学セオロジーとの戦いに入っていく。 学問(サイエンス)と神学(セオロジー)の激しい闘争を中心にして、この五百年間のヨーロッパ人の学問の 歴史は進んだのだ。ちなみにフィロソファーphilosophyを、日本人は「哲学」などというワケの分からない 言葉に訳すした。サイエンスを「科学」などと意味不明に訳した。近代学問の体系のことを初めから何にも 分かっていないに等しい。日本人はいまだにすべてが前近代の人間たちなのである。 極めて簡単に言えば、ヨーロッパ世界とは、未だにこの学問と神学の戦いの中にある。そして、この神学の 下女あるいは「はしため」と位置づけられているのがフィロソフィー(知を愛すること)と呼ばれ、これが 実は神学と同盟を結んでいるのである。 そして、サイエンスと激しく争いあうのだ。この大きな理解がなければ、日本人が欧米の大学で本当に学ぶ ことなどできない。「文学部心理学科」「文学部哲学科」などとやっている馬鹿げた国は日本だけだ。この 「文学」というのは、サイエンスから見れば下等学問あるいは初級学問のことだ。 文学とはヒューマニティーズのことである。 「ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ(下)」P212~214
日本では、戦後、学者・知識人が圧倒的な数で、「科学的社会主義」などという、ソビエト帝国型の考えに 集団で脳を犯されたので、「科学的」といえば「社会主義(共産主義)のことだと信じ込んで、この 「科学的社会主義」という宗教を日本国民に、各種高級学問の振りをして押し付けた。それを商売として やったのが、岩波書店である。だから日本国民の方が、すっかりイヤ気がして、「科学」というコトバを 使わなくなった。なぜなら使ってみても、ちっとも「科学的」ではないからだ。「君の考えは科学的だね」 と友人に言ってみると、まるで、馬鹿丸出しで、「一体、オマエは何が言いたいんだ」と、相手から嘲笑 されるからである。ソビエト教の信者以外の世界では通用しない。だから、日本人の「科学」不振は物凄く 深い。そこで、私が、「哲学は科学じゃないんだよ」というと、日本人はケゲンな顔をする。何を言って いるのか分からない。哲学というのは、日本では「文学部哲学科」だから「文学」のお友達で、これは、 絶対に「文科系」だよ、となる。そうではない。哲学は、科学の一種とは違う。神学の一族なのだ。 Philosophy is not a science! アメリカ人やイギリス人の大卒の人に尋ねてみるとよい。彼らは、必ずこう言う。例外はない。 こんなことも知らないで日本人は、「自分達も欧米人に負けない高等学問をやっている国民なのだ」と 思いこんでいる。日本の大学生が、学制(カリキュラム)として大学で受けている講義は学問などでは ない。あれは「土人のコトバ遊び」だ。
(中略) 「科学=学問」とは、この世界の「事実」や「真実」について、現段階で知り得る限りの「組み立て られた知識」である。かつそのための合理的な事実への接近「方法(メソード)」のことである。だから、 この意味で、神(宗教・信仰)の問題と決定的に別れる。宗教が「人間についての、世界について、 初めから、分かっている」のに対して、科学(サイエンス)は、次のように言う。科学(学問サイエンス) は次のように言う。「何故、人間が存在し、この世界が存在するのかについて、私は分からない。しかし、 今のところ確実なこととして、分かったことがある。それらを、みんなに公表します」というこなのだ。 だから、科学(学問)をするひとは、懐疑的であり謙虚である。サイエンス(近代学問)は、神学と 戦い続けている。そしてどちらが勝つか、まだ決着はついていない。 副島隆彦「決然たる政治学への道」P171〜177
461 :
考える名無しさん :2008/10/23(木) 21:18:07 0
>>454 > 「電子ネット社会に否定的なこと」を書いていると言っても、それは
> いわゆるネット民主主義論とかユビキタス社会(笑)とかのお気楽ユートピア的な考えに対して
> 否定的なだけで、技術や技術の普及そのものに否定的なことは書いてないと思う
いやあ、それだけかなあ。
ネットの世界にはすごく冷たい人間関係しかない、あんなのでは人の心の深みは絶対養えない、
みたいなことを書いていなかった?
>>461 情報技術の進歩が人間の心のありようまで変えて行く(進歩させる)といった
(多分に現在の認知科学に引きずられた三流の情報科学屋に典型的な)言い分に対して
反論する、といった文脈でそれに近い書き方をしているのは見たことがある。
技術の進歩が人間の表層的な「感覚」のありようを変えて行くことは(過去もあったし、これからも)あるだろうが
「心的現象」という意味での「心(の深み)」まで変えられはしない(養えもしない)、というような。
今の吉本は三木成夫の影響から「『心(の深み)』は内臓にあり説」みたいなことを主張するようになっているし、
その立場と実感の両方からそう言っているのだろうと俺は理解している。
で、「ネットの世界にはすごく冷たい人間関係しかない」という言い草は
その立場から直接出て来るものではないし、仮にホントにそう言ったのだとして…
うーん…つい口が滑ったんじゃないのかねえ?
第一、そんなこと本気で言ってるのなら、糸井のサイトでインタビューを公開するなんて認めないと思うよ。
あるいは
「ネットの世界にはすごく冷たい人間関係しかない…だが、それがどうした?それはそれで面白いじゃないか。
ただし、心の世界はそういうのと別にちゃんとある。変な認知科学屋とかのインチキくさい心脳同一説なんかに
たぶらかされたりしないで、その肝心なことを忘れなければ、それでいいんだ」というのが本意ではないかと思う。
吉本親鸞の本義に沿って言えばそういうことになるはずだ。これも俺がそう理解しているというだけだけどな。
463 :
考える名無しさん :2008/10/24(金) 02:09:25 0
>>461 ネットの世界にはすごく冷たい人間関係しかない、あんなのでは人の心の深みは絶対養えない、
みたいなことを書いていなかった?
爺さんの理念からして、そんなことは書かないと思うな。もし、書いているならソースを教えてほしい。
>>454 と
>>462 にほぼ同意。
爺さんなら2ちゃんは肯定も否定もしないだろうが、ネット民主主義なんかには否定的だろう。
テクノロジーの進歩は良いも悪いも不可逆的なものだが、それに倫理がからんできたりするのを
一番嫌うと思うよ。ユートピア思想のインチキ性や抑圧性を見抜いてきた爺さんなら当然。
464 :
考える名無しさん :2008/10/24(金) 12:27:17 0
『僕なら言うぞ!』ジャマイカ? 「情報化社会が人間関係を冷たくする」 「人間関係は、これからもっと冷たくなる」 「西欧を追いかけることの勘違い」
近年の吉本さんは、超西欧的へのころとは少しずつ変わってきたんじゃないか? 西欧的なエコロジーには嫌悪感があるようだけど、アジア的、アフリカ的なもの への思い入れはなんとなくありそうだな。 大衆の原像についても距離をとる考えをいっぽうで語ってきたり。
466 :
考える名無しさん :2008/10/24(金) 15:20:22 0
「家にいて、何々をどこそこに注文する、ということをインターネットでやれば、百貨店から持ってきてくれるとか、 そういうふうになるから、直接的な人間関係はますます希薄になっていくでしょう。これは避けがたいから、 人間 関係が冷たい、温かいという言い方をすれば、だんだん冷えてきて、氷点下に冷えるかどうかは別として、 とにかく 冷えっきり、というふうになって、人と人とのつきあいも間に合っちゃうということになるでしょう。 電話なんかでも、テレビ電話とかで、映像が出るようになれば、出かけていって会わなくたって、顔を見ながら 話ができる。だから、人間関係が疎遠になるというよりも、高度に複雑になるんだけど冷たくなる。という感じ じゃないでしょうか」(「僕なら言うぞ」1997年) 「近代・現代の文明開化はヨーロッパが先遣の役を果たしたが、現代以後も歴史はそうなるかどうかは、まだ誰も 知らないところです」(同上) 人間関係が希薄になることを倫理的に良い悪いじゃなくて、テクノロジーの進歩によって避けがたい不可避なもの として捉えているんだろ。ただ、その新しい倫理は資本主義の地平にあって、いまだ確立されていないってのは、 「反核異論」の頃からの爺さんのスタンスであって変わっちゃいないよ。というか、倫理で科学技術を批判するの は初期の爺さんの思想の根拠でもあったんだから。よく見据えれば一貫性の水脈はきちんとたどることができる。
467 :
考える名無しさん :2008/10/24(金) 15:30:17 0
>466 倫理で科学技術を批判するのは(訂正) ↓ 倫理で科学技術を批判するのはダメだというのは(○)
>>464 この本は俺も読んだ記憶があるな。読んだ上で
>>462 みたいな理解をしているわけだけれど
でも、こうして見出しの字面だけ拾って行くと、
>>461 みたいな懸念を抱く読者が出てきてしまうのも、
もっともだという気はするな。
ただ、この本が出た当時は今よりもっとインターネットみたいなものがもてはやされていた
(今はもてはやされていないわけではないが、すっかり日常の一部になってしまった)から
そういう風潮をにらんだ上で「一糸乱れて」みせたんだと思う。
当時はそれこそ「ネットやらない奴は21世紀に生きる資格がない」くらいのことを言って煽りたてるバカが
一杯いた。また事情が判ってるはずの専門家が「自重しる」と窘めるどころか一緒になって煽ったりしてさ。
そうなってくると「よせやい」というのが吉本だよ。
>>465 吉本は1980年前後、つまり、いわゆる「市民」運動みたいな連中の間で「リサイクル」みたいな言い方が
登場してきた当初から、反文明「エコロジー」思想の系譜をほとんど全否定してきた人物のひとりだ。
そこのところは「少しずつ」どころか一切変わってなどいないはずだよ。
「アジア的」「アフリカ的」の論考にしても、西欧中心の文明観にアジアやアフリカの「反文明」をぶつけよ、
などという環境テロリズムの愚劣なニュアンスは少しも含まれていない。まったく逆で、あくまでも
未来の「超文明」の理念は人間存在の「超基盤」の上に築かれるしかない、という発想のもとで進められて
きたものだと思う。
大衆の原像と「距離」ということについては、20年以上前からこんな風に言ってる。
おれは主義主張以前に、理窟ぬきに「一般大衆」とか「マス」とかが好きで、そこにまみれて
まぎれて生きたいという願望を我慢して、耐えながらそこから逸脱を余儀なくされているんだ。
おれは<一般大衆がんばれ>と応援しているのに、一般大衆の方で仲間に入れてくれないんで
孤独を感じてきたんだ。 (「情況への発言」試行#65)
469 :
考える名無しさん :2008/10/24(金) 16:41:46 0
試行の65号にそんなこと書いてあったっけなあ? まあ、どっかに書いてあったんだろ。 どっちにしても「一般大衆の方で仲間に入れてくれないんで」っていうのはお座興で 「耐えながらそこから逸脱を余儀なくされている」というのがキーワードだな。 目に一丁字ない大衆なんて現実に想定できないが、理念としての大衆の原像と知識人 としての存在の架橋を、往相から環相への道としてとらえていることが爺さんの理念 の中核なんじゃないの。
>>468 > 「アジア的」「アフリカ的」の論考にしても、西欧中心の文明観にアジアやアフリカの「反文明」をぶつけよ、
> などという環境テロリズムの愚劣なニュアンスは少しも含まれていない。まったく逆で、あくまでも
> 未来の「超文明」の理念は人間存在の「超基盤」の上に築かれるしかない、という発想のもとで進められて
> きたものだと思う。
『超西欧的まで』のスタンスは基本的にそうなんだろうけど、もちろん最近もそのスタンスは
基本的には持っているんだろうけど、でも他方で、
『僕なら言うぞ!』には「西欧を追いかけることの勘違い」という項もあって、
西欧文明をどんどん突き詰め追っかければいいんだみたいに私が言っているように受け取るのは誤解だ
みたいな弁解をちらほらするようになってきてはいて、あれ?って印象もあるんだな。
大衆の原像については、オウム真理教事件について、麻原を仏教徒として高く評価したことと
大衆の原像とは矛盾するんじゃないかと言われて、まあそうかもしれないけどみたいに言っていたよね?
471 :
考える名無しさん :2008/10/24(金) 23:45:39 0
>>470 >西欧文明をどんどん突き詰め追っかければいいんだみたいに私が言っているように受け取るのは誤解だ
みたいな弁解をちらほらするようになってきてはいて、あれ?って印象もあるんだな。
↑
そんなことは言ってないだろ、爺さんは。自分の都合に合わせて引用しちゃあいけないぜ。
「アイヌの人でも、沖縄の人でも、「純粋のアイヌ人だ」「純粋の琉球人だ」という人は立派ですからね。琉球、沖縄の人でも、
九州人と似ている長い顔の人もいるけど、生粋な沖縄の人は立派な頭蓋を持っています。純粋な沖縄の人は丸顔で、横顔が立体
的で立派で、眉も濃くてはっきりしています。でも、だからといって発達しているということでもないんで、それは特色の問題
です。比べてみてどうこうという問題ではないんです。そこを勘違いしてはいけないと思います。「僕ならいうぞ」P186
ここは人類学的、民俗学的に南東論の延長で言ってるんであって、もとより「西欧文明をどんどん突き詰め追っかければいいん
だ」てなことは、爺さんは一度も言ったことはない。爺さんが西欧文明を評価するのは、欧米圏が資本主義の到達点で、社会主
義諸国より大衆を経済的に解放していることに関してだけだよ。それを「歴史の無意識としては資本主義は現在の最良の部分を
実現している」ともいっている。ここは、埴谷雄高とのコムデキャルソン論争の分岐点ともなったところだ。
基本的には<<462と<<468の前半の理解の方がまだしも当たっているよ。
472 :
考える名無しさん :2008/10/24(金) 23:53:53 0
>>470 >大衆の原像については、オウム真理教事件について、麻原を仏教徒として高く評価したことと
大衆の原像とは矛盾するんじゃないかと言われて、まあそうかもしれないけどみたいに言っていたよね?
そこは非常にデリケートなところだから、できれば「麻原を仏教徒として高く評価したことと大衆の原像
とは矛盾する」と爺さんが言っている箇所のソースをあげてほしいな。
吉本が今まだ現役バリバリだったとしたら 「一般大衆」とか「マス」が好きなんてそれほど無邪気に言えるかな? 言えるならすげえよ。今人気の某とかはもはや満腔の軽蔑を隠そうともしてない。
474 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 07:46:37 0
>>473 「まだ現役バリバリ」って、アッチのことか?
>>473 バリバリ現役なら、まさしく「僕なら言うぞ!」的に言うと思うよ。
自己表出するのにいちいち空気読んで自己抑制とかしない人だからな。
>>475 いや、自己表出以前に果たして本当に好きだと思えただろうか?ということだよ。
その困難に比べたら空気読むの読まんのというのは些細な問題にすぎない。
477 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 10:18:39 0
試行の65号の「情況への発言」にはそういうこと書いてなかったけどね。
>>468 は原資料をまちがえたのかな。
もともと爺さんは大衆の存在たいしてはアンビバレントな感情を持ってた。
それは、敗戦直後に軍の隠匿物資を背嚢にいっぱい詰めて帰ってきた復員兵を
見たときからあったと思う。もちろん大衆の原像は理念として爺さんの思想の底流
に脈々と流れてはいるが。今でも半政治的な市民主義者は嫌いだろう。
爺さんが「マス」とか「現在」とかいうタームを用いだしたのは80年代だから、その
辺に転回点はあったかもしれない。「修辞的な現在」とかね。
>>476 空気云々はただの冗談というか、躊躇うことなんかないという意味で「無邪気に言える」だろうと。
そんなことより、俺にはどうして「果たして本当に好きだと思えただろうか?」という疑問を持つのか
それがわからんね
つまり
>>475 にとっては吉本みたいに「『一般大衆』とか『マス』とかが好きで」なんて言える人物が
現在のこの日本に存在すること自体が理解できない、ということだろうか。
吉本の「主義主張以前の」心境なんて、本人がわざわざ語らない限り知りようもないことだし、
せっかくだから訊くが、
>>475 自身はどういう風に思っているのかね。
俺なんかは吉本が「大衆」というと、おおよそ自分の両親みたいな人達のことをイメージするわけだが
(吉本の読者に判りがいいように言えば、中野重治の「村の家」に出てくる親父みたいな、あんな感じ?だ)
そういう人達を「好き」とは言わないまでも「満腔の軽蔑」だなんて冗談じゃねえという感じになるんだが。
>>477 えー。
>>468 の引用元は「情況へ」で、その初出データを参照して「試行#65」と書いたわけだが。
間違っているとしたらこの本が間違っているということになるな。
念のためつけ加えると日付は「1986年2月」、サブタイトルは「雑多な音響批判」だ。
480 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 10:58:02 0
>>478 悪い!悪い! オレの読み落としだったわ。ゴメン。
たしかに蓮見への批判のくだりでちゃんとあるよ。
どっかで読んだ記憶があったんだが、このごろボケちゃってダメだな。
他の仕事と平行して覗いてたってこともあるが、言い訳になんねえな。
ついでだ。
>>477 「修辞的な現在」というのは「戦後詩史論(1978)」の中の一章のタイトルで
内容は1970年代当時の現代詩の状況について論じたものだ。
吉本が「現在」の2文字を固有な意味で積極的に使いだしたのは1980年代だというのは
間違っていないと思うが、「修辞的な現在」自体は1980年代じゃないよ。
ありゃりゃ、これじゃ追い打ちをかけたみたいになったな。 そんな意図はないので。実際よく間違う人がいるんでな。
>>478 現在の日本では(もしかすると日本に限らないかもしれないが)
大衆自らが大衆の首を絞めているように見える。まあそれだけなら別にいいんだろうが
そのことを憂えるインテリまで攻撃されているように見える。
だからそういう状況下で心底大衆が好きだと思えるのなら、これは相当気合入ってんなあと
俺はそう思って
>>473 >>476 を書いた。俺自身は亜インテリですらないけれども。
484 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 11:19:26 0
>>481 たしかにオレが「修辞的現在」という文言を初めて目にしたのは
「戦後詩史論」1978年9月15日初版の
「戦後詩の修辞的な現在は傾向とか流派としてあるのではなく、いわば全体の存在としてあるといってよい」
のくだり。で、80年代に入って爺さんの論考を見るときに「現在」
という視点は外せない要素となったんだと認識している。確認して
くれて感謝。
>>483 ふむ。「大衆自らが大衆の首を絞めているように見える」というのが
具体的にどのへんの事象を指して言っているのかよく判らないが、それはひとまずおくとして
「そのことを憂えるインテリ」なんていうものの存在を、大衆も吉本も信じてなどいないだろう。
俺もまったく信じていない。
>>485 前段について、俺にはそうとしか見えないんだけどまあそれならそれでいいや。
後段については目からウロコでした。
>>486 >俺にはそうとしか見えないんだけど
いや、「大衆自らが大衆の首を絞めているように見える」という見方が
ありえないと思っているわけじゃなくて、漠然と、そういう見方があるかな、くらいまでは判るんだが
具体的に何を指しているのかがはっきりしないんで、何とも言いようがないんだ。
488 :
486 :2008/10/25(土) 11:59:38 0
やっぱりこいつらは徹底的に軽蔑してやるのが正しい
>>487 いやそれは多すぎていちいち列挙する意味がないので。
むしろそうは見えない人がいることに驚いた。
>>489 いやあ、いろいろ陰惨な事件が起きてて「嫌な世の中だねえ」という意味でなら判るし、
特にここ十数年の日本は不況続きで、「嫌な世の中」の感じが強まっているということも判るんだが
それしきのことを「大衆自らが大衆の首を絞めている」なんていうのは大袈裟じゃねえのか
という気がするわけだよ。
もっと言えば、その謎の「それを憂えるインテリ」諸氏が己の憂いのために捏造した「大衆」像が
彼らの「憂いたい願望」通りに首を絞めあってる、そんな妄想に浸っているだけなんじゃないかという気さえする。
昔から「憂えるインテリ」なんていうのは、大衆の首を締めたい願望と裏腹でしか存在したためしがないからな。
とはいえ、具体的にどれがどうと例示されないので、勝手にそこまで解釈するのもどうかと思うわけだが。
491 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 12:24:24 0
ま、現状分析に関してはもういいんじゃねえの。 どっちにしても爺さんは「大衆は原像」を自分の思想の根拠にしているが 大衆を利用する市民主義者は大嫌いで、そういう市民主義者の同伴者に なってる馬鹿なインテリも認めてこなかったってことだ。
492 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 12:26:47 0
「大衆は原像」→「大衆の原像」ね。 また指摘されるといけないから。
だから自分だけが本当の大衆をわかってるっていうのがそもそも変なんだよ。 まあいいけど。せいぜい訓詁学にひたってろ。
494 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 13:51:20 0
>>471 > そんなことは言ってないだろ、爺さんは。自分の都合に合わせて引用しちゃあいけないぜ。
ちょっと今は手元にすべての資料が無いんであれだけど、それを言っていたのは『僕ならいうぞ!』
じゃなかったかもしれません。ソースがはっきり特定できしだい書き込みます。
> ここは人類学的、民俗学的に南東論の延長で言ってるんであって、もとより「西欧文明をどんどん突き詰め追っかければいいん
> だ」てなことは、爺さんは一度も言ったことはない。爺さんが西欧文明を評価するのは、欧米圏が資本主義の到達点で、社会主
> 義諸国より大衆を経済的に解放していることに関してだけだよ。
まあ、それは吉本さん(独自の?)のマルクス解釈(マルクスの自然哲学解釈)からして当然なんでしょうね。
科学や技術がどんどん進歩していくのは止められることじゃなくて、それは自然過程として捉える必要があるんだという。
そしてそれが到達する限界のところまでいってもなお残る部分があるとしたらそれは人間の本質だみたいに言っていたしね。
価値判断とは別問題としてね。もし価値問題としてもそれを全面的に評価しているんだとしたら
>>466 の引用箇所みたいに
言うのはちょっと偏った見方のような気がする。それとなく倫理的な裁断を行なってしまっているような物言いだよ。
そこで言っていることは、頭の固い親父世代の人が、今時の携帯電話文化やらテレビゲーム文化やらを人間として
不健全だとかなんとか愚痴るときの評価の仕方そのまんま。吉本さんにそのつもりがこれっぽちもないというならば、
もっと言葉を選ばないとね。ネットのほうが実は直接的な人間関係が出る、人間のコミュニケーションの本質が出る、
という側面が多々あるのに、吉本さんはそこに目を向けない。吉本さんらしくない。
情況論のつもりで情況論になっていない。親父の頭の情況論にしかなっていない。少なくとも今の若者大衆の時代感覚
から乖離した情況論になってしまっているとしか言いようがない。吉本さんもそこまでとうとう老いぼれてしまったのかと。
80年代の消費社会にはあれほど肯定的だった吉本さんが、90年代後半以降は時代に対する評価が暗くなってきた。
495 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 13:59:53 0
吉本さんが、時代錯誤の復古主義者、反動主義者として悪評しているイリイチが、 電子ネットワーク社会では、そのコアな技術を担ったハッカーたちの一部から絶大に 評価されてもいたという事実は、なんとも皮肉としか言いようがない。 吉本さんに比べイリイチのほうがずっと進歩的で非反動的な思想家だったかもしれないのに。
>>494 >ネットのほうが実は直接的な人間関係が出る、人間のコミュニケーションの本質が出る、
まあこればっかりは、ご本人が直接ネットにかかわってくれないことには
吉本からネット世代に対して「理解ある言葉」が出てくることはないだろうと思うよ
いずれにせよ吉本はインターネットのようなものが人間の感覚的なレヴェルでコミュニケーションのあり方を
変えて行くことには少しも否定的ではないのだし、そこから先は
>>494 自身が考えて埋めて行くくらいの
気持ちでいた方がいいんじゃないの。
>>495 俺は古株のパソコン屋だから、1980年前後にイリイチがその文脈で凄く注目されていたことを覚えている。
「スモール・イズ・ビューティフル」のシューマッハーとかさ。読んでない奴がいないくらいだったよ。
しかしな、イリイチの著書をどう逆さに振ったって「電子ネットワーク社会」なんて空恐ろしいもの(笑)を
肯定するような文脈は出て来ないわけだよ。シューマッハーはそれほどではなかったけど、
しかし彼の言うことを鵜呑みにしたら、現在あるようなパソコンなど到底作れないのは明らかだった。
今のパソコンは見かけこそ「スモール」でも、中身は当時のスパコン並みにヒュージなんだからして。
ここまで来ることは当時のパソコン屋にとって自明の未来像だったけれど、これらの思想家は
そういう事態に対応できるだけの幅までは持ち合わせていなかった。
でもって、イリイチのような視点も許容できて、一方ではハイテク技術の価値もちゃんと評価できる思想は
ないのかと思って探していたら、唯一吉本だけがまともだったんだ。
俺の場合はそれが吉本を読むきっかけになった。
497 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 16:09:46 0
>>493 だから自分だけが本当の大衆をわかってるっていうのがそもそも変なんだよ。
↑
爺さんのことか? それならあまりにも浅薄な理解だぜ。
爺さんは自分だけが大衆をわかってるなんてレベルで大衆に向き合ってきたんじゃないよ。
理念としての「大衆の原像」から知的に離脱するのは人間の自然過程で、自分もその過程に
いることには自覚的だよ。そこからいかにして非知の領域に着地するのかが「知」の最終的
な課題だと言っている。それは大衆との距離を埋めることでもないし、大衆をわかったよう
な気で理解することでもないさ。親鸞の論考の中で出てきた往相と環相の視点も、爺さんの
思想と大衆の不可避の関係から捉えられている。批判するのなら、せめてそのくらいのこと
は押さえていてほしいね。繰り返すが、爺さんは単なる大衆迎合でもないし、大衆の理解者
でもない。ましてや自分だけが大衆わかってます、なんて思ってるわけないだろ。
不可避の
498 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 17:20:48 0
「現代思想」(8月臨時増刊)53ページで吉本隆明の話している 以下のくだりが読解不能でした。ご教授いただければ、 幸いです。 ・・・ある製品が消費者の手に渡ったのはいつ頃からということは 小売り連に連絡して聞けばすぐ分かるので、そこから産業の循環の 速さが分かります。産業の一循環の速さというのは、人間心理の 速度を規定する。それとひどく違うところにいる住民は巨悪をやったり することになるから、そういうのを調べたらどうかと言ったんです。 そうすると、枠が外れて巨悪がおこったり、・・・年寄りで言えば 孤立感が深まってくるということも、産業の速度は、都市で取れば たぶん地域ごとにも、政治的な枠組みなしに、つまり共同幻想の 枠組みなしに、ちゃんと判明するから、それはやったらどうですか、 ということを話した憶えがあります。
499 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 18:25:10 0
>>462 > 今の吉本は三木成夫の影響から「『心(の深み)』は内臓にあり説」みたいなことを主張するようになっているし、
> その立場と実感の両方からそう言っているのだろうと俺は理解している。
技術が自然過程としてどんどん進歩していったらそんな内臓説なんてふっとんでしまうように思うけどなあ。
臓器なんていくらでも複製可能になるし、交換可能になるし、心の本質とはまったく関係なくなるような気が。
>>498 手元にあるからちょっと読み直してみたんだが、別に読解不能になるほど難解なことは言われていないと
思うんだがな…まあちょっとやってみよう。
たとえば資産や負債について「流動性」ということを言ったりするが、ほんとのところ流動性について
普遍性のある数量的な規定というのはないと思う。銀行預金はすぐ現金化できるから流動性が高いとか、
土地家屋のような固定資産はなかなか売れないから流動性が低いとか、だいたいはそういう大雑把な
比較として言及できるだけだ。
一事が万事で、経済的な概念というのは究極的には個々人の意志的な判断や、その個々人が集まって
できた社会の制度(共同幻想)のありかたに依存するから、「流動性」のような単純な概念でも本当に
普遍的な数量的な把握は不可能だと考えられている。それはいいけど経済学というのは経済の算数を
やってるつもりが、いつの間にか特定の時代や社会の「政治的な枠組み」や「共同幻想の枠組み」に
知らず知らず依存したことをやってしまって、しかもやってる本人がそれに気づかずに途轍もないアホな
ことを「科学」だなどと称するようになってしまったりする。もともと厳密な定義などしようがない概念を
記号化して数式の上でいじくり回していると、得てしてそんなことになりがちだ。
だからそういうのではなくて、ここの部分で書かれているように、経済の実態に直接切り込んだ数量的な
アプローチを取れば、少なくともその範囲では「政治的な枠組み」や「共同幻想の枠組み」に左右されない
数量分析ができて、さらに、それは部分的にせよ「人間心理の速度」というような、本来は数量分析など
不可能だと考えられている領域についても一定の有意味な結論を導き出せるはずだ、
と、おおよそそんなことを言おうとしているのだと。
>>499 その通りだ。実は俺も前々からそう思っている。だから
>>462 のそこはちょっと微妙な書き方をしたつもり。
実のところ三木成夫の説はストレートに心の内臓説を導くようなものでもなくて、もっと不明解さに満ちている。
だから吉本の説も本当は単なる内臓説というのを超えた(超えようとしている)ところがあるかもしれない。
ないのかもしれない。いずれにせよ今のところは本人の著作からもあんまりはっきりしたところがわからない。
で、うかうかするとこのまま(中略)ということになりそうだから、俺自身は吉本の内臓説について
あまり深くは考えないことにしている。
別に内臓説というところに具体化しなくても、吉本が心的現象の究極的に物理過程に還元可能な部分(感覚)と
究極的には還元不能な部分(心の深み)を別次元のものとして扱おうとしていることだけははっきりしている。
俺としてはそれだけでもはっきり言ってくれていれば十分だと思っている。
現在の心の科学や哲学の世界的水準で言っても、このあたりのことをはっきり言えてる奴は他にほとんど
いないわけだからして、とりあえず後者の根拠を内臓説に置いて三木成夫の研究に照応させつつ論じるのは
…まあ相当に「怪しい」道筋だと言わざるを得ないが、吉本がここから何を言い出すことになるのか興味深い
ものがある、と思っている。まるっきりダメダメかもしんないけど、まあそん時はそん時だ。
502 :
考える名無しさん :2008/10/25(土) 22:12:03 0
>>498 産業の循環速度というのは原材料から加工、製造、流通、販売、消費のサイクルだと思うんだけど、
現在の情報革命や流通革命はそういう順序過程や時間性をずいぶん変容したり破壊しているところ
があるのだと思う。具体的な例は挙げないけど、そういうものが人間心理(人間の内的時間)の速
度を規定しているってことじゃないかな。統合失調症なんかは現実の時間と内的な時間に照応性が
見られなくなって症状が現れるみたいな。その辺の専門的なことはオレはよくわからないし自信も
ないけど、たぶん心的現象と人間存在の爺さんなりの把握の仕方から出てきているんじゃないかな。
>>499 技術が自然過程としてどんどん進歩していったらそんな内臓説なんてふっとんでしまうように思うけどなあ。
臓器なんていくらでも複製可能になるし、交換可能になるし、心の本質とはまったく関係なくなるような気が。
じゃあ心の本質って何なんだって話になるんだよね。爺さんはいくら脳神経科学が発達しても、
神経細胞の機能がいくら詳細に解明されても心の働きを説明することはできないという考えだ
から。インターネットや情報工学が発展すれば、言葉の指示表出の機能は展開するかもしれな
いが、心の表現の自己表出とは関係ないと言ってる。この場合の指示表出が体壁系で、自己表
出が内臓系に対応しているんだろう。「情報工学や情報科学の専門家達は、感覚というものと
心や精神というものを同じだと考えているが、それは間違ってる」とも言ってる。つまり、
臓器がいくら機能として交換可能になったりしても、それが内蔵であるかぎり、脳神経が自覚
的に統御できるわけじゃないからね。もちろんサイボーグやアンドロイドなら話は別次元。それ
だともう人間の概念の範疇じゃないだろ。
503 :
考える名無しさん :2008/10/26(日) 09:22:28 0
>>500 >>502 早速のご丁寧な回答ありがとうございます。
さらに、わからないことがあるのですが。・・・
《産業の一循環の速さというのは、人間心理の速度を規定する。》
これはわかります。
《それとひどく違うところにいる住民は巨悪をやったりすることに
なるから・・・》
これを単純に理解すると、田舎は「巨悪」で都会はそうではない、
あるいは逆に都会は「巨悪」で田舎はそうではない、と受け取れるの
ですが、この発言にあまりこだわる必要はないのですね?
吉本隆明の言いたいのは、単に小売り連に連絡して聞けば地域ごとの
産業の速度が数量的に判明するから、それをやったらどうですか、
ということでしょうか?
その調査結果で産業の速度と例えば犯罪率の相関関係はわかるかも
知れないし、わからないかも知れないけれど、やってみる価値は
ありますよ、という理解でいいでしょうか?
>>503 いいんじゃないでしょうか。
巨悪云々のところはあまり明確な言い方になっていなくて、本当のところ何を言おうとしたのか
よく判らないところがある。しかしいずれにせよ、一概に田舎が巨悪だとか都市が巨悪だとかいう考えは
吉本に関して言えばありえないと思うので。
505 :
考える名無しさん :2008/10/27(月) 15:30:24 0
>>502 そうすると、『2001年宇宙の旅』に出てくるコンピュータHALみたいなのは、
吉本さんのハイイメージ論には入ってこないんでしょうかね。
人間の精神は、コンピュータのメモリに複製して働かすことがもし可能になったとしても、
それはもう人間ではなくなってしまうという話になっちゃっているんでしょうか。
もしも吉本さんがいう意味で「心」というのを限界づけられるとしたら、「心」というのも
人間精神にとってあまり「本質的」とは言えないもののように思えるんですけどねえ。
エコロジストが地球圏内での「生態系」にのみ注目していて、そこが彼らの限界だ嘘だと
いう言い方を吉本さんはするでしょう?
そういう吉本さんの「心」論もエコロジストと同様の狭い視野に陥っちゃっていませんかね?
506 :
考える名無しさん :2008/10/27(月) 15:35:09 0
吉本さん流に技術の進歩過程をそのまま受け止めるとするなら、機械やロボットこそまさしく 人間の本質の延長、人間の進化した姿というふうな発想をそのまま受け入れる必要があるのでは? 機械とかロボットも自然の人間化だから人間の一部だと。疎外は表出だと、進化だと。 マルクスならどう言うでしょうかね?
508 :
考える名無しさん :2008/10/27(月) 16:33:21 O
今日紀伊国屋いくやついる?
509 :
考える名無しさん :2008/10/27(月) 19:58:40 0
>>508 そんなヒマとカネがありゃ、2chなんぞでマスかいてねーだろが。
510 :
考える名無しさん :2008/10/27(月) 21:01:04 0
>>505 人間の精神は、コンピュータのメモリに複製して働かすことがもし可能になったとしても、
それはもう人間ではなくなってしまうという話になっちゃっているんでしょうか。
コンピュータのポテンシャルというのは人今でも間の能力をはるかに上回ってるし、今後もその領域はさらに拡大するだろう。
そのことについて爺さんは倫理的に肯定も否定もしていない。科学が発達するのは自然過程で不可避なことだから。
ただ、いくらコンピュータのインプットされたプロクラムの学習能力や創造力が極限までいったとしても、人間の精神との溝は
埋められない、ていうか両者の間には千里の径庭があるし、いくら近づいたってもともと別ものだと爺さんは考えているんじゃ
ないかな。
宗教のような超越的なものに対する情動や、タナトスへの不可解な衝動、性的人間としての不明瞭な自己規定とか、無数の
整合性のない行動規範や精神活動の集合体は、コンピュータがより高度になることとは異なる次元ということなんじゃないかな。
人間は人間を作れない。かりに、人間を作ってしまう人間を想定すると、それ自身が超越的な外部(神)ってことになるから、
それはもうSFの方でやっちゃって下さい、ということになるんじゃないでしょうかね。
「2001年宇宙の旅」のテーマは一見新しい意匠をまとってはいるけど、モチーフはあの時点でけっこう古いんじゃないかと
オレは思うんだけどね。コンピュータが精神を持つについては、モノと心のフェティッシュな関係の物語性に還元できるし、
超越的なモノに対する畏怖も昔からの馴染みのあるテーマだから。かと思うと最近の活劇的な宇宙映画は、舞台は宇宙だが、
内容はギリシャ神話だったりで、あのドラマツルギーは何とかならんものかね。話がそれちゃってゴメン。
511 :
考える名無しさん :2008/10/27(月) 21:05:30 0
>510の一行目、読みにくくてゴメン。 人今でも間の(×)→今でも人間の(○)
512 :
考える名無しさん :2008/10/27(月) 22:23:16 O
いったよ。老若男女いたね。千円だった
513 :
考える名無しさん :2008/10/27(月) 23:10:32 0
意外に若い奴が多かったなあ。20代の女の子とか。 日テレの土屋プロデューサーも来てた。 てか、みんな珍獣でも見に来る感じで、「動く吉本」を 見にきた客なんだろうから、もっとサービスしてあげないと。 講演のテーマがマニアックすぎるぜ
>>510 そういや昔、吉本が「宇宙もの」のSF映画をまとめて論じたことがあったな。
題名は確か「宇宙フィクションについて」。当時の有名なSF映画、ないしは話題作を5本並べて論じて、
最後に気に入った順のランキングをつけて
1. さらば宇宙戦艦ヤマト
2. 機動戦士ガンダム
3. 惑星ソラリス
4. スター・ウォーズ(ep4)
5. 2001年宇宙の旅
当時(今もだが)SWオタだった俺は、読んで大いにムクレたw
ほかのジャンルでもそうだが、吉本の作品評は(広い意味で)性的刺激がない、
あるいは乏しい作品に対して、極端に評価が辛くなる傾向があると思う。
515 :
考える名無しさん :2008/10/28(火) 08:01:40 O
ほぼ時間内におわったのは話すの下手と言いながらちゃんと構成はたてられんだね。問題は喋り方か。後出来たら株安円高について話して欲しかった(笑)
516 :
考える名無しさん :2008/10/28(火) 08:58:53 0
>>515 ハスミだったかが書いてたじゃんかよ、
自慰サンの講演はあの訥弁が解消しちまえば、
半分の時間で済むってさ。
とにかく、あのー、そのー、なんてのが多いし
同じ事を同じコトバで何回もくっ喋るのは困ったもんよ。
それもわかるがあの語りが変に信用度を上げてるのも事実だと思うぞ
>>514 そのエッセイが掲載されている書名が分かれば教えてくださいませんか。
519 :
考える名無しさん :2008/10/28(火) 21:04:49 0
520 :
考える名無しさん :2008/10/28(火) 21:16:00 0
>>518 そのエッセイが掲載されている書名が分かれば教えてくださいませんか。
「夏を越した映画」昭和六十二年発行の中の――宇宙フィクションについて――
>>514 当時(今もだが)SWオタだった俺は、読んで大いにムクレたw
爺さんの評価の基準は、昨今の(当時の)宇宙映画が本当に宇宙を舞台に設定する必然性が
あるのかどうかという点だったと思うよ。
宇宙を舞台にしながら、その実、内容はチャンバラや西部劇やローマやアーサー王の物語の
焼き直しに過ぎないじゃないか。江戸や荒野や古代の背景をそっくり宇宙空間に置き換えた
だけの活劇に過ぎねえよ、ということだったと思う。もちろんSWはSWとして楽しい映画だが。
爺さんが宇宙フィクションとして一番評価してたのはスピルバーグの「未知との遭遇」だった。
「わたしたちのあいだで、UFOを入眠感覚のうちに創り出してみせ、やがてその未知の体験に
再会したくて編集的になってゆき、ついには宇宙人まで目撃し、一緒に円盤に乗ってどこかへ
救いを求めて出発してゆく現代社会の、平凡な市民の不安と孤独を雰囲気を、ぬきさしなら
ないリアリティでこれだけ描ける映画は可能だろうか」(「夏を越した映画」)
爺さんはこの論考でユングと共同幻想の出会いを「未知との遭遇」にみていたのかもしれない。
この映画がはらんでいる思想に拮抗できるのは、三島由紀夫の長編「美しい星」だけのように
思われると書いていたな。「夏を越える映画」は一冊まるごと映画評論だが、この本を読んだ
ときオレは爺さんの批評の裾野の広さを感じたことを覚えている。
521 :
考える名無しさん :2008/10/28(火) 21:20:37 0
>520「夏を越した映画」の 編集的(×)→偏執的(○)
522 :
考える名無しさん :2008/10/28(火) 22:00:45 O
若い女や男多かったな。モー娘。やジャニーズの追っ掛けよりイケてる奴等が多かった。俺はオヤジだがまさかナンパとかしたやつらいないよな?
523 :
考える名無しさん :2008/10/28(火) 23:05:22 0
>>522 モー娘。やジャニーズの追っ掛けよりって、比較する対象の平均的ルックスが低すぎだろ?
そのへんはオタとかぶってるんだぞ。
>>520 うん、その論旨はそれなりに理解できたけど、オタクの内在的で心情的な理解の範囲では
ただムクレてみせるしかなかったというわけさw
吉本の言う通りSWがただの面白おかしい宇宙チャンバラ映画だったら、
世界中であれほどの大衆的熱狂を呼んだことの説明がつかないじゃないか。
吉本といえども世界規模の原像を繰り込むことはできないのかねえ、と思えて、
当時は少々残念な気持ちにはなった。
今は、そういうよりも
>>514 で書いたようにSWはシリーズ全般で「色気」が足りないっちゃ足りないんで、
そこが吉本のお気に召さなかったんだろうと思っている。
「未知との遭遇」評は、こちらは当時から大いに感心して読んだ。
依頼されれば何にでも手を出すとはいっても、やっぱり吉本の本業は「文芸」評論家なのだなと思った。
スピルバーグ作品にはSFにおさまりきらない色気が、どこかあるんだ。ぶっちゃけグロ系ということだが、
それを露骨には言わずに
>>520 のような書き方ができるのが吉本の上手いところだな。
>>523 「地球へ…」評だったかどうかは覚えてないが、竹宮恵子作品のどれかはどこかで論じていたような気がする。
>現実世界が実はフィクション、仮想現実だった
同じような主題の筒井康隆作品を論じていたことならあったと思う。「空虚としての主題」
あるいは「マス・イメージ論」の中のどれか。
526 :
考える名無しさん :2008/10/29(水) 10:48:26 O
おれは安心したんだよ。会場に来てたのが普通だったから。イメージとしては若い奴ではまるのはオタクみたいな奴かとおもってたから
527 :
考える名無しさん :2008/10/29(水) 11:31:16 0
>>523 『地球へ・・・』について具体的に触れているかどうかは知らない。山岸涼子や萩尾望都なんかの女性アニメ作家
については「マス・イメージ論」の語相論で論じていたと思う。竹宮恵子についても対談その他どこかで触れて
いるかもしれない。情報化と現実については、まあ「ハイ・イメージ論」全体が情報化社会論として読めないこと
はない。もちろん爺さんの批評は単なる社会学なんかじゃないことは言うまでもないけど。
指摘の具体的な作品とは離れるかもしれないが、爺さんは生殖や遺伝子も含めてサイエンスそのものに
倫理的な是非を問うことはしない。それは「反核異論」のなかでも、原発がイヤなら原発を揚棄するような
科学技術がそれを可能にするのであって、生活の利便性をストップさせたり後退するようなエコロジストは
ダメだという主張にも表れている。もちろん当面する個々の問題は解決していかなければならないが、それは
当事者である生活者や技術者の課題であって、爺さんが具体的な指南役を買って出て大衆を領導するような
ことはない。それは過去の組合や労働運動に対するスタンスでも同じで、もともと啓蒙的な知識人や前衛を
嫌っていたからね。
生殖や遺伝子技術の進歩、高度な情報化それ自体のなかに、管理社会に向かうのか、あるいは大衆にとっての
相対的な解放に向かうのかの倫理的な要素はないと考えているんじゃないかな。テクノロジーによって、出産や
育児の困難から女性が少しでも解放されるのなら、それ自体としてはいいことだというスタンスだと思う。
まあ、爺さん自身の個人的な理想は佃島の下町の生活にあるのかもしれないが。
528 :
考える名無しさん :2008/10/29(水) 14:59:52 O
月島でないっけ?いつも歩きながらみるが月島と爺さんは結びつかないな。あそこは中央区?江東区?
529 :
考える名無しさん :2008/10/29(水) 16:55:33 0
>>527 > 指摘の具体的な作品とは離れるかもしれないが、爺さんは生殖や遺伝子も含めてサイエンスそのものに
> 倫理的な是非を問うことはしない。
> 生殖や遺伝子技術の進歩、高度な情報化それ自体のなかに、管理社会に向かうのか、あるいは大衆にとっての
> 相対的な解放に向かうのかの倫理的な要素はないと考えているんじゃないかな。テクノロジーによって、出産や
> 育児の困難から女性が少しでも解放されるのなら、それ自体としてはいいことだというスタンスだと思う。
とは言いつつも、家族に関わる問題になると途端に対幻想の病理として語るかのごとく、
悲壮感と批判じみた語り口を帯びてこないかなあ? 特に母性とフェミニズムとの関係で。
女が産む性から解放されるのは技術の進歩だから大変結構なことじゃないか、番万歳だ!
それを批判する奴の顔が見てみたい!、エコロジスト同然のとんでもない見当違いな発想だ!
といった技術擁護の姿勢は途端に後退して、家族の危機だ=母性の危機だみたな調子になる。
あるいは読み手の感じ方の違いかなあ。育児や出産からの女性の解放を吉本さんはいつも
あまり明るいニュアンスでは語っていない印象が強いなあ。吉本さんがフェミニズムに疑念を
抱くところも(?)その部分にあるんじゃないかというふうにいつも見えて仕方がないんですよね。
家族の病理の精神分析をしてみせるところでは、母親の母性的責任をとりわけ強調するよね?
『地球へ・・・』は、技術が進み、出産や育児という母性的機能がほぼ完全に機械やコンピュータや
代理家族にとって代わられる社会を描いている。そしてそれが義務になる社会という情況設定。
主人公は母性というものに愛着を抱いているが、それは成人検査によって消去される運命にある。
消去したはずなのに尚その情念から逃れられない個人は異常な情念をもつ個体として抹殺される。
母親の情を知らず、完全に試験管のなかで培養されて育った青年が出世しエリート役を担っている。
こういう社会像を吉本さんはどういうふうに分析するんだろうかと興味があったんですけどもね。
530 :
考える名無しさん :2008/10/29(水) 21:17:31 O
月島今住んでたらシャンデリア以上に埴谷に叩かれたかもな。
531 :
考える名無しさん :2008/10/29(水) 21:46:27 0
相手が埴谷だったら返り討ちにしてんじゃない。
532 :
考える名無しさん :2008/10/29(水) 22:11:26 0
>>529 確かにね。そこらへんがフェミニストと対立する分岐点なんだろうね。
まあ爺さんはフロイドの自分なりの解釈から、特に乳児期に限って、子どもと母性との関係を重視する。
とにかく乳児期の間は安定的な関係が必要で、それを過ぎたら後は少々適当でもいいんだよって物言い
だよな。その間は他のことは犠牲にしてもっていうニュアンスが強いから、フェミニストにしたら育児に
縛りつけてるような取られ方をするんだろう。母性=女性じゃなくてもかまわないんだけど、爺さんの
場合は妊娠中の母親の環境や精神状態にまでおよぶから、何でも母親の責任か!なんてことになるわな。
このへんは非常に原理主義的に語っているので爺さんもよくないと思うのだが、あくまでもラジカルに
語っているので、爺さんも母親の胎内にいたころは家が経済的に貧窮してて、夫婦間も上手くいってな
かっから、自分も性格に歪みがあるのはそのせいだが、自身の子育ての経験からも六十点つけられたら
上出来と言ってるから、もっとその辺の「だいたいでいいじゃない」を強調すればいいのにな、と思う
ことはあるな。
533 :
考える名無しさん :2008/10/30(木) 07:29:39 O
あそこは今や東京有数のセレブ街だぞ
534 :
考える名無しさん :2008/10/30(木) 11:05:05 0
>>533 土建屋の売り込み文句を信じてるんか?
従来の高級住宅地を購入できない貧乏人の巣でしかないじゃん。
535 :
考える名無しさん :2008/10/30(木) 12:53:10 0
>>528 月島でないっけ?いつも歩きながらみるが月島と爺さんは結びつかないな。
月島(新佃島)は昭和15年、爺さんが16歳の時まで住んでいた所で
現在は全く様変わりしているから、当時の下町の雰囲気は捜してもないだろう。
536 :
考える名無しさん :2008/10/30(木) 16:18:28 0
>>529 >>532 母性といえば、「北斗の拳」「聖闘士星矢」も最終的には母性の話だったよな。
特に「北斗の拳」はその傾向が強く、吉本流フロイト解釈、吉本流精神分析の世界そのものだった。
母親の不幸な運命が子の将来の運命にも及び、みたいなところに最終的な因果関係をもっていっていた。
537 :
考える名無しさん :2008/10/30(木) 21:20:45 O
確かにそうかもな。郊外でゆうところの私鉄沿いの高級住宅地みたいなもんか。けどあんなとこがあんなになったのは驚きだ。まぁ昔は知らんが
538 :
考える名無しさん :2008/10/30(木) 21:55:31 O
面影かぁあれはねぇだろう。昔ここに住んでたんだって意地で思いだそうとしない限りは。ある意味日本で一番故郷の思い出を無くさせた町ともいえるからなぁ。ダムに沈んだ町の方がマシかもしれんもんな(笑)
539 :
考える名無しさん :2008/10/31(金) 23:07:03 O
島って東京湾にあるの?
540 :
考える名無しさん :2008/11/01(土) 01:05:40 0
う〜ん。マジレスしていいのかな。 あの、東京湾沿岸ってほとんど埋め立てだよ。 江戸湾は江戸城の側まで来てたんだから。 月島は付き島。佃島も陸続きになったのは埋め立てられたから。
541 :
考える名無しさん :2008/11/01(土) 09:04:29 O
銀座とかも昔は海だったの?
542 :
考える名無しさん :2008/11/01(土) 10:41:34 0
皇居があるところは島だったんだよね〜
543 :
考える名無しさん :2008/11/01(土) 12:40:37 O
がんばったんだね昔の人達も、
544 :
考える名無しさん :2008/11/01(土) 21:26:56 0
なんだか一挙に幼くなっちまったな。
545 :
考える名無しさん :2008/11/01(土) 23:10:28 O
吉本の追いかけ方が違うんだよ。最近の書き込みは一人の生活者としてみてるね。都内に詳しいし。俺は地方在住だから面白い意見だと思ってるよ。実際過去の人でなく電話すりゃ話せる人なわけだからね、こうゆう書き込みもありだとおもうな
546 :
考える名無しさん :2008/11/02(日) 20:20:57 0
↑ 2ちゃんだから何でもありですけど、日本語がよく分かりません。
547 :
考える名無しさん :2008/11/02(日) 23:58:45 0
俺は>540だけど地方在住だぜ。
548 :
考える名無しさん :2008/11/03(月) 00:27:04 O
なら実際に行ってみた方がいいよ。都心の変化わかるから。俺仙台だけど比べものにならないと思ったよ
549 :
吉田メロウ :2008/11/03(月) 07:31:01 O
童謡の「春の小川」は渋谷にあったんだな。いまは暗きょとなって、コンクリートの下を流れてる。東京オリンピックの頃さね。見栄えが悪いなんてチンマイ事でズイブン埋められたものだ。川がね。(´`)yー゜
550 :
考える名無しさん :2008/11/03(月) 09:40:23 O
携帯から書くとああなるんじゃない?
551 :
吉田メロウ :2008/11/03(月) 10:26:23 O
>>550 俺はケータイ厨だからな。(*´`*)yー~
552 :
考える名無しさん :2008/11/04(火) 18:33:00 O
2チャンは携帯だよ俺も。
553 :
考える名無しさん :2008/11/05(水) 10:51:26 0
2ちゃんマンセー! 携帯マンセー! まんこマンセー! マンセー! マンセー!
554 :
考える名無しさん :2008/11/05(水) 23:45:48 0
スガの『吉本隆明の時代』が今月の中旬に刊行されるようだが、 今度こそ吉本は、『花田清輝 砂のペルソナ』のときのように かわしたりせずに、真正面から応答するのだろうか?
>>554 序章 「普遍的」知識人の誕生――ジッドからサルトルへ/小林秀雄から吉本隆明へ
第一章 一九五〇年代のヘゲモニー闘争――「文学者の戦争責任」と花田清輝
第二章 ドレフュス事件としての六〇年安保――共産主義者同盟と武井昭夫
第三章 六〇年安保後の知識人界――黒田寛一と「真の」前衛党
第四章 市民社会と大学――丸山真男と六〇年代
終章 「六八年」へ――再びサルトル、そして岩田弘/廣松渉/津村喬
著者がスガでなかったとしても、この内容で題名が「吉本隆明の時代」ってだけで
当の吉本はまったく相手にもしないんじゃないかと思うわけだが。
556 :
考える名無しさん :2008/11/06(木) 09:45:52 0
俺もそう思う。 タイトルで少しでも話題性を集めようって魂胆ミエミエ。 スガは他人のケツを追い回してばかりいないで、自分の仕事をきちんとやればいい。 できるのならね。
557 :
考える名無しさん :2008/11/06(木) 09:59:48 0
そのスガ本の購入者ってさぁ、 団塊世代のみってのがもろ見えてるじゃん。 売れてもいいとこ5セン部程度?
扱っている時代見ると、鹿島茂の吉本論(「月刊百科」連載)と同じところだ。 鹿島も、その冒頭で、この時代の吉本がいいんだと言っている。 団塊にとっての吉本が、このあたりしか意味ないんか、 それとも、事実そうなのか。議論は分かれるだろうな。
559 :
考える名無しさん :2008/11/06(木) 12:07:00 0
「ひきこもれ」の吉本さんがイイ! 若い人向きの本は取り上げられないんですか?
自慰さんの「ひきこもれ!」は「試行」に引きこもれと言った60年代のヴァージョンだろう。 しかし、現代のヒキコは、2chでオダあげているだけだからね〜。 ちょっとピントがずれていると思うぞ。
>>557 スガの読者が5000もいたら、スガ自身が嬉し泣きのあまり頓死するんじゃね
>>559 このスレの住人はだいたい最近の本も(対象読者層に関係なく)半分は読んでると思う
ただまあ、あらかたオッサンだから、どうしても昔話の方が多くなるわけだw
「ひきこもれ!」はもともと週刊誌の記事で短文だったが、
ここ十年くらいの間で吉本の書いたもの(と言っても、原稿は記者の聞き書きだが)では一番好きなひとつだな
斎藤環だっけか、ああいう調子づいた阿呆を涙目にする程度にはインパクトがあったと思うしな
562 :
考える名無しさん :2008/11/06(木) 14:47:16 0
吉本さんらしく、仏教的な世捨て思想をできるだけ世俗化(大衆原像化)したものとして語ろう という意図でもあったのかな。
563 :
考える名無しさん :2008/11/06(木) 14:53:57 0
>>561 最近ではその斎藤環さんも、コミュニケーションの過剰化社会に苦言を呈すような
論評やコメントなどをあちらこちらでするようになっているよね。
秋葉原の通り魔事件についての論評を集めた大澤 真幸さんの編書でもたしか、
そんな主題で書いていたと思う。
564 :
考える名無しさん :2008/11/06(木) 16:17:31 0
>>557 >そのスガ本の購入者ってさぁ、
>団塊世代のみってのがもろ見えてるじゃん。
おれは>556だが、スガの本を読んでいるのは40代から50代前半まで。
団塊世代は馬鹿馬鹿しくてスガの本なんか読まねえよ。
団塊は相当なマーケットだから、そこが読めばけっこう売れるが、見込み無し。
>>562 そういう方向ではなかったと思う。当時は「ひきこもりは悪だ」くらいの乱暴な言い草が大手を振って
まかり通るようになっちゃってたから、「バカを言うな」という棹を差そうとしたものだと思う。
週刊誌の記事として読めば単にそれだけのこととしても読めるし、
もう少し丁寧に読めば、大なり小なり「ひきこもり」やそれに類した時期を過ごさずに内面の深化する
契機なんて得られないんだぜ、というようなことが読み取れる内容だったと記憶している。
「ただし、ホントの病気なら早く治せ」とも言ってたなw
「何かの分野で一人前になりたかったらつべこべ言わずに十年やれ」という吉本十八番のバリエーションだ。
十年の(孤独な)研鑽の深まりは、人づきあい(コミュニケーション)の感覚的な多寡や巧拙なんかで
補いのつくようなものじゃないんだ、という意味でな。
言ってる内容は平易だが、ちゃんと「心的現象論」の核心につながっているわけだ。
>>563 >最近ではその斎藤環さんも、コミュニケーションの過剰化社会に苦言を呈すような
そらまたえらい変わりようだw 過剰化の旗振った張本人みたいな奴がいまさら何をだな。
相変わらずのお調子者が、ちょっと外神田で騒動が起きたんで眉を顰めてみましたというところか?
(ボンバヘの本はまだ読んでないんであてずっぽうだから、違っていたらフォローしてくれ)
566 :
考える名無しさん :2008/11/06(木) 17:59:59 O
救われた吉本の言葉とかある?
567 :
考える名無しさん :2008/11/06(木) 18:41:02 0
爺さんの言葉を癒しにしようと思ったことはない。 爺さんの思想的営為に励まされたことはあるけどな。
568 :
無名人 :2008/11/06(木) 20:40:33 0
569 :
考える名無しさん :2008/11/06(木) 21:15:43 O
馬鹿
>>566 救われた、というと大袈裟すぎるが、以下の「『反核』異論」の一節
宇宙はあらゆる種類と段階の放射能物質と、物質構成の素粒子である放射線とに充ち満ちている。
半衰期がどんな長かろうと短かろうと、放射性物質の宇宙廃棄(還元)は、原理的には自在なのだ。
この、特に2行目を読まなかったら今日ある俺はなかった、というくらいの大きな影響を受けた。
理科系の人間にとって1行目のことはごく当たり前の初歩的な知識にすぎないわけだが、
当時もそうだし現在に至るまで、俺は同じ理科系の人間から2行目のような認識を聞かされたことは
(本で読んだことも)一度もない。もちろん文系の、いまどきエコロジーと言えば何でも通ると思ってるような
党派性のしみったれた(反)文明観からは、それこそ逆さに振ったって絶対に出てくることはない言葉だ。
つまりこの一言を肝心な場面ですぱっと言い切れるというだけで、吉本は現在においてなお
日本のあらゆる思想をはるかに凌駕した存在だということだ。少なくとも俺はそう思っている。
>>565 > そういう方向ではなかったと思う。当時は「ひきこもりは悪だ」くらいの乱暴な言い草が大手を振って
> まかり通るようになっちゃってたから、「バカを言うな」という棹を差そうとしたものだと思う。
ただ、その「バカを言うな!」と吉本さんに思わせるだけの動機が、
吉本さんの長年の思想的背景との深い関わりであったんじゃないの?
だから黙っていられなかったということじゃないかと。
「最後は個人がいちばん強い」ということを盛んに強調していたよね。
それともこれは昨今の吉本思想の新しい傾向なのかな?
572 :
考える名無しさん :2008/11/07(金) 12:11:17 0
>>571 「最後は個人がいちばん強い」てなことを言わざるを得ないんよね。
自慰サンってさぁ、党派の論理を毛嫌いしてっけど、自分が強調性つか
みなと和気藹々でやってけないだけじゃん。
573 :
考える名無しさん :2008/11/07(金) 13:41:46 O
宇宙は大きなゴミ箱だ。遙か未来それも含めた環境も考えることになるだろうがな
574 :
考える名無しさん :2008/11/07(金) 14:29:27 0
>>571 >562さんの「仏教的な世捨て思想をできるだけ世俗化(大衆原像化)したものとして語ろうという意図でもあった」という
「ひきこもれ」の理解に対して、>565さんは「そういう方向ではなかったと思う」ってカキコしたんじゃなかったのかな。
>565さんの解説はけっこう届いてると思うよ。
>>572 個人の生活や倫理を集団のそれよりも上位におくというのか爺さんの考えだと思う。
家族や大衆の倫理や幸福を思想的に筋道つけてきたのは爺さんだろ。
戦争中に国家への協調性や隣組の和気藹々が大衆を地獄へ連れていったことへの
苦渋を、ただ表層的に戦争反対のスローガンとは異なる位相の論理で語ってきたんで。
爺さんは孤高の知識人じゃありまへん。
>>573 「半衰期がどんな長かろうと短かろうと、放射性物質の宇宙廃棄(還元)は、原理的には自在なのだ」
という「反核異論」の文意は「宇宙は大きなゴミ箱」というのとはちょっと違うと思うが。
575 :
考える名無しさん :2008/11/07(金) 16:16:52 O
無であるみたいなのって真実かもしれんがむなしい。
>>572 まあ、確かに引っ込み思案なところがあるとは、吉本自身がどこかでそう語っていたな。
でも単なる引っ込み思案の弱虫(笑)だったら、以下のようなことは絶対に言わないし言えないと思う
(ちなみに引用部分は
>>571 のレスにもなると思う)。
(ビートたけしの「フライデー」乱入事件の後、三島由紀夫の「楯の会」と割腹自殺に類比させて)
単独より二人、二人より三人、三人より大勢が集合した方が強いという発想が根底にあるんだ。
また擬制左翼や進歩屋の発想とおなじで、どんな仲間でもいい大勢あれば有利という発想だ。
おれは徹底的に反対だな。二人より単独、三人より二人、多勢よりも少勢のほうが強いという
発想だし、そう目指すべきだとおもっている。(中略)おれは三島さんの楯の会もビートたけしの
たけし軍団もこの発想においてちがっているし、また弟子を囲うように組織化しているすべての
集団は駄目だとおもう。(「情況への発言」試行#67, 1987.12)
吉本は「党派の論理を毛嫌いして」るだけじゃない。「すべて駄目だとおも」ってるんだ。根底から。
協調性がなくて「みなと和気藹々でやってけない」だけの人物なら、たまたま好意的に誘ってくれる
組織──宗教とか共産党とか──があったりすると、たちまちそっちに靡いて行っちゃったりするじゃないか。
吉本はそういうのは全部駄目だというし、自身が本当にその通りにやってきている。全然レベルが違うんだ。
出処を思い出せないのだが、「ひきこもりは悪だ」の世間に対抗して「ひきこもり」の互助組織みたいな
ものを作ろうと考えているらしいワカモノから相談されて、吉本が「そういうのは駄目だ」とアドバイスした、
というような話がどこかに書いてあった。
「ひきこもってもいいんだよ」という猫撫で声じゃない、「ひきこもれ!」という命法こそが吉本だよ。
>>575 む?
577 :
考える名無しさん :2008/11/07(金) 21:59:30 0
>>572 まぁ、吉本隆明って基本的には個人主義者で合理主義者だし
自分でも、奥さんに
「あーたはこっちが寄りかかると、ひょいっと身をかわすような処がる」
って言われたと書いてる。
吉本隆明にワキアイアイは通じないと言うより、
彼にはそれを善しとする感度が無いんだな。
578 :
考える名無しさん :2008/11/07(金) 23:21:18 0
俺は吉本は個人主義者でも合理主義者でもない、 いわゆる「……主義者」ではないと思うな。 吉本の思想的営為は「……主義者」のできることではない。 スターリニストや民族主義者も含めて吉本が否定してきたのは しわゆる「……主義者」達の倒錯したイデオロギーだったし。 吉本ほど自分の結婚の経緯も含めて私生活を語ってる思想家は 珍しいと思うけどな。
579 :
考える名無しさん :2008/11/07(金) 23:24:07 0
吉本家はけっこうワキアイアイでねえの。
>>577 >あーたはこっちが寄りかかると、ひょいっと身をかわすような処がある
こういうのは個人主義とか合理主義とかいうよりは、
単に「よせやい」の恥ずかしがりなんではないかな…
581 :
考える名無しさん :2008/11/08(土) 11:05:57 0
>>566 大道は無門である
ただおまへは千差諸異の道を行くのだ
もしおまへが孤独な無の門を透ることができたら
いいか
そのときさびしい天の河原に立つだらう
582 :
考える名無しさん :2008/11/08(土) 16:59:28 O
吉本の著作半分位読んでるとして同じような作家いる?
>>582 すまないが、言ってる意味がよくわからない。もちついて説明してくれ
「同じような作家」って?
584 :
考える名無しさん :2008/11/08(土) 19:55:02 O
よく読む作者は吉本以外だと誰?ってことじゃない
585 :
考える名無しさん :2008/11/08(土) 21:13:57 0
↑ 意味がよくわからないが。 吉本とよく似た詩人や思想家という意味か?
>>584 そうか、スレ住人に訊いてるのか…それなら意味が通るな。
せっかく訊ねてくれたのだし、ヒマだから答えてみる。
吉本みたいに新刊が出るたびにチェックして買うような(小説・評論・思想)作家は、今の俺にはいない。
十年、いや二十年前ならたくさんいたんだが、大概死んじゃったり駄目になったりで買わ(え)なくなった。
今だと「(欧米)哲学者」ならそういうのが何人かいる。
あとは一作売れて消えて行くようなマンガとかラノベとか、本業の専門書(数式だらけ)。
このあたりは著者を云々する意味がないか、吉本とはさしあたり全然関係ない。
本屋で手に取って多少面白そうだったら、で買う本は結構あるけど、著者名で買うことはまずない。
去年だったか、たまたま池田晶子という人の本が近所の本屋にたくさん並んでたんで
ものはためし一冊買って読んでみたら、中身がまるきり女子小学生の作文だったんで呆れた。
日々そんな調子だ。ここ最近だと、読んでて一番面白かったのは「北一輝」(渡辺京二・ちくま学芸文庫)。
あとはもうこっちが訊きたい。どっかにもっと面白い本はないのか。
「プラスチック成形物語」のたぐいでも何でもいいから。
587 :
考える名無しさん :2008/11/08(土) 21:57:39 O
俺は松尾鈴木
>>586 このひと、どうしてこんなにエラそうなんですか?
大家の駄文の模倣?
589 :
考える名無しさん :2008/11/08(土) 22:26:57 0
模倣じゃないだろ。大家にこんな文体の人おらんよ。 数学の教師かも。ちょっと先生口調だから。
>>588 エラそうなのは認めるが、俺は模倣するほど大家の文章を読んだことはない。
第一、誰が大家なのかもよくわからん。
先生にしても、下らんセンコーだね
>>589 専門は数学じゃないし、教職は1単位も取ってない。教師嫌いだし。
でも後学のために聞く。「ちょっと先生口調」って、たとえばどのへん?
吉本信者って皆エラそうだよね。 爺さん本人も、人格は謙虚なひとらしいが、文章はエラそう。
>>593 それも指摘してくれたら嬉しいな。
俺の文体なんか正直どうでもいいことだが、吉本の文体が「エラそう」というのは初耳だから
595 :
考える名無しさん :2008/11/08(土) 23:23:02 0
爺さんの文体をエラそうというのは見当違いだよ。 本業が数式だらけってあったので数学関係の人かと。 まあ、人を傷つけるのなら別だが 文体なんか気にせんとドンドンやりゃいいよ。
>>595 >本業が数式だらけってあったので数学関係の人かと
生物系や情報系は別として、理工系の専門書はたいてい数式ばっかりなもんです。
ぼかしたつもりが、かえって誤解を招いてしまったようで。
────
しかしまあ…たとえ反感嫌悪からきた見当違いだとしても
吉本の文章に向かって「エラそう」という字句がいったいどこから出てきたものかな…
俺の理解している限り「エラそう」という日本語は「何かの権威に依ってものを言っている」というような
だいたいそういう意味やニュアンスの言葉だと思う。で、たとえば
吉本スレで
>>866 みたいなことをつらつら書いてる(あからさまに吉本オタな)俺が
「(吉本という後光を背負って)エラそうにしてるバカ」に見えたというなら、それは我ながらわからんでもない。
そんなつもりは少しもないんだが、そう読まれちゃったら、
もとより淫酒家ならぬ淫読書家の「バカ」話には違いないわけで仕方がない。
今後は気をつけまーす(舌)。
だが
>>593 は吉本の文章のどこをどういう風に読んだら
「エラそうに=権威に依って」ものを言ってるという印象を持ったのだろうか。
予め念を押すがこっちには皮肉な意味など少しも込めていないし、
「クソ若僧が吉本上人様にケチつけてんじゃねえ」的な、まさしく「吉本信者のエラそう」な意味でもない。
大真面目に驚いたし、もの凄い大きな謎の気配すら感じるのだがな。
598 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 07:43:18 O
3バカトリオ
599 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 08:26:03 0
>>596 >だが
>>593 は吉本の文章のどこをどういう風に読んだら
「エラそうに=権威に依って」ものを言ってるという印象を持ったのだろうか。
ただ単にうわべの印象で言ってんだからかまうことないよ。ろくに読んじゃいねえから。
誰に対してもていねいにレスしてるとつかれるぜ。ぼちぼちやりなはれ。
600 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 10:23:31 0
>>599 いままで自慰サンが潜り抜けた痴話ゲンカを読んでみりゃ、
自慰サンの"文章はエラそう"ってのもその過程で身につけた
護身術のひとつさ。
601 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 10:42:05 0
むしろ権威によらないから偉そうなんじゃないの。 自ら権威あるものであるかのような物言いだものな。
602 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 12:24:28 O
今の所爺さんが日本1だとして次は誰が道標になるのかな?
603 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 14:24:47 O
いたらこのスレ意味ない。
>>599 >ぼちぼちやりなはれ。
気遣ってくれて有難う。確かに少々くたびれた…
ただ重ねて書いておくと、俺が訊こうとしたのはその「うわべの印象」の出処なんで。
吉本の思想的核心に触れることだと思ったら、それこそ吉本オタまるだしで噛みついたりするだろうけど。
>>600 >>601 確かに花田清輝とかの年長世代に噛みついてた頃の吉本にはそんなところがあるな。
相手は意識的にも無意識的にも「マルクス主義思想の世界性」みたいな幻影を背にして言っていたりするから
対抗上どうしたってそういうことになったのだろうと思う。
たとえ幻影でも龍を召喚してきた相手なら、及ばずながらこっちも自前の虎を出さしてもらうぜ、みたいな。
どうもそれが板につきすぎちゃって、女子供を相手にする時までうっかり出してしまっているようなところが
あるのかもな。
605 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 15:03:23 O
吉本には女子供とゆう概念はないか、嫌いだろ。そうゆうとこ読み抜くべきだ
606 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 15:17:29 0
>>600 「情況への発言」の物言いも、いわゆる「エラそうな文章」じゃなくて
月島の下町の住人のケンカ言葉だよ。
「エラそうな文章」ってのは、いわゆる政治家さんの文章みたいなもの。
>>601 かりに自ら権威あるもののごとくモノ申していたとしても
爺さんの思想に内容がともなわないんじゃ誰も相手にせんじゃろ
607 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 15:24:34 0
イエス・キリストも権威ある者のように語ってパリサイ人たちを驚かせた。 イエスの言葉に納得した者は教徒となり、そうでない者たちは反感を持っ て迫害した。吉本教の場合も同じ構図なんだろう。
>>605 わざと「女子供」なんて書いたらきっちり反応する人がいてびっくりした。怖いな。
もちろん言わんとすることは判る。
ただ吉本の場合、通常とは逆の方向で「女子供」の概念(?)がちゃんとあるんだ。
本人もそう言ってるよ。ただし「俺は無意識が荒れてる」という言い方で。
609 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 15:36:44 0
昔、富岡多恵子が「女子供の反乱」という本を書いていた。 さすが、富岡多恵子だと思ったね。まだ彼女が詩人だった頃だと思うが。 富岡多恵子はときどきフェミニストに冷や水浴びせるようなことを言う。 「男大人」より「女子供」の方がだんぜん面白い。
610 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 15:53:38 0
>>607 いつの世にもパリサイ人らの絶えることはないな。
ピラトはいう「わたしに何も言わないのか。私にはそちを許す権威もあり、そちを十字架に架ける権威もある」
イエスは答えて言う「あなたは天から与えられねば私に対して何の権威もない。それゆえ私をあなたに売った
ものの罪はあなたより重い」
ピラトはイエスを許そうとしたがユダヤ人達は叫んだ。
「片付けよ、片付けよ、十字架につけよ」と。 「ヨハネ福音書58」
611 :
吉田メロウ :2008/11/09(日) 16:14:27 O
>>607 俺っちも最近さ信者を増やしつつあるヨ。ほら何ていうの?
カリスマ?的感じ。
(*^-^*)
そろそろ宗教団体旗揚げすんのに、バイブルとか必要じゃ
ねーか。そのへんの感じまでキてるね。何かイイワ。ホンマに。
(´-`;)yー~
612 :
吉田メロウ :2008/11/09(日) 16:25:33 O
どっかの編集長さんよ。吉田メロウvs吉本隆明 対談って のはどうだ。とりあえず思想家界にも世代交代の季節が訪 れた事を世間に喧伝できるし。フツーにイイだろ。俺は寺 山修司も凌駕する時代のトリックスターだ。夜露死苦な。 因みに族上がりでもある。 (´-`;)yー~
613 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 16:28:16 0
ニセ壺など売って布施を集めるべからず。 変態猥褻行為など信者に強要すべからず。 遅かれ早かれどうせ捕まる身じゃぞ。
614 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 16:34:48 0
>>612 まだ爺さんでとりあえず商売できてるからいらない。
ちなみに族上がりはメディア的にはもう古いんで、よけいいらない。
宗教は宗教板でおながいします
616 :
吉田メロウ :2008/11/09(日) 16:40:02 O
>>613 壺はバレないよーに裏でピッと捌くよ。信者を十分洗脳し
てからな。あとオネーチャンの信者にはフェラ30分コー
スで、お布施3万円分の功徳ありってのも用意しとく。わ
りと早漏なんで3回くらいイケる筈だ。みんな!コゾって
シャブリにきてくれ!
p(´⌒`q)
>>612 世代交代と意気込んで吉本と対談した類の人物はひとり残らず討死してるのを知らんのかね
悪いことは言わない、ひとりでやりたまえ。
独法師と書いてひとりぼっちと読む。族上がりなら知ってんだろ
618 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 17:01:13 O
前あったが吉本は下町出や庶民なのか?腐っても中央区?だぜ。皇居も日本橋も銀座も歩いていける
知人に生まれも育ちも月島の人がいるが、 あそこはいまだにベランメエ言葉なんだな。ちょっと驚いた。 まだ江戸言葉をつかってる若い人がいるなんて。
620 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 17:18:27 0
621 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 17:35:44 O
農村はわかるが下町は分からないんじゃない?
622 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 17:48:32 O
この話し大事だと思うが地方人にはわからんので終了
623 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 18:32:45 O
新刊でてたな
624 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 18:42:05 0
>>623 ますますお迎えが近いってことかな。
まぁ、当のご本人がいちばん感じてるんだろうな。
イトイよ、この冬を自慰サンは越せないかもな。
せいぜい今んとこ稼ぐこったな。
625 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 18:57:17 O
大学でみたかぎりまだ生きるぞ
626 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 18:58:12 0
糸井重里は数年前ラジオ番組で売れそうにない商品をいかにコピーの力 で売るかという企画をやっていた。当時は一膳1万5千の箸とか1つ数万円の かつお節削り機を売ってたけど、今もやっていれば吉本隆明五十度の講演 を売ってるんだろうな。
627 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 19:00:13 0
>>624 人間って不思議なもので80代を見ると70代が若く見える。
反対に90代を見ると80代が若く見える。
見方によっては爺さんもまだ若いってことだ。
俺は核家族で育ったので、 人はどのように老いてボケていくか、 老人の内面に興味ある。
629 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 19:25:16 0
630 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 19:27:49 O
吉本は物書きだが政治労働文学運動をした。それに比べ俺は読書してるだけ
>>464 『吉本隆明肯定の思想』のなかでも爺さんは情報化産業革命に否定的な見解を述べていなかった?
>>630 「読書してるだけ」なら大いに結構じゃないか。
吉本は「労働運動なんかしたせいで生涯祟られてる」ってボヤいていたぜ。
それより、
吉本は政治運動や労働運動ならやったことある人だが
「政治労働文学運動」なんていうような切れ目のないグズグズなことはやってないよ。
>>631 今ざっとめくり返してみたけど「情報化産業革命に否定的な見解」らしきものは見当たらなかった。
申し訳ないが、
>>498 みたいに該当箇所を引用するか、せめて頁数を指示してほしい。
634 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 20:53:12 O
吉本オタと西部進オタどっちが優秀だろう?
635 :
考える名無しさん :2008/11/09(日) 21:36:52 0
進と邁じゃ大違い。西部オタの負け。
オタに優秀もへちまもあるかよ。 吉本オタには何十年選手がゴロゴロいるから、とけて流れりゃみな同じだって自覚してる程度のことだ 違いがあったとすればだがな
637 :
考える名無しさん :2008/11/10(月) 10:37:32 0
富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変わりがあるじゃなし 溶けて流れりゃみな同じ(1964年 マヒナスターズ)
×雪に変わりがあるじゃなし ○雪に変わりがないじゃなし この歌のミソですよ。お間違いなく
吉本オタのスレとゆうことはみんな60位か?
640 :
考える名無しさん :2008/11/10(月) 13:27:49 0
吉本さんの思想でいちばんダメなのが、これがマルクスの自然哲学だとそれを受け継いでいる部分。 というか、マルクスがいちばん批判されなくちゃならないのがその自然哲学思想。これが諸悪の根源。
641 :
考える名無しさん :2008/11/10(月) 17:25:54 0
「雪に変わりがないじゃなし」っていうのが正しいんだとは知ってたんだけど、 なんとなく「雪に変わりがあるじゃなし」が人口に膾炙しちゃって、マヒナも 一時期ひよって「ある」の方で歌ってたんじゃないかなあ。でも「ない」が正解。 マヒナの「お座敷小唄」もいいが「松の木小唄」もいけるね。やっぱああいう 手拍子が入る歌は日本人には調子がよく合ってたんだなあ。
google検索結果 「お座敷小唄 雪に変わりがあるじゃなし」 2,280 「お座敷小唄 雪に変わりがないじゃなし」 2,200 検索語の組み合わせでも変化するので、まあ同数だな。 この論争は有名なんで、たいてい併記されてるようだ。 俺(636)は「ある」派だが、ここで論争したくはない(笑)。
643 :
考える名無しさん :2008/11/10(月) 18:46:53 0
>>640 俺はそうは思わないね。爺さんのマルクス理解は正鵠を射ているし、
マルクスの可能性の根源に届いていると思うな。
諸悪の根源はマルクス主義者やマルクス経済学者たちの方だろ。
もちろん爺さんも諸手を挙げてマルクス礼賛じゃないのは、著書を
読んでいれば誰にでも分かるんじゃないかな。
>>643 いや、
>>640 はマルクスの自然哲学それ自体が「諸悪の根源」だと言いたいわけだろ
それはそれでいいんじゃねえの。
ただし、それなら
>>640 自身の自然哲学とはどんなものかを示してくれないとな。
実際、マルクスのそれよりましな自然哲学(の基礎)を、分哲系にしろ大陸系にしろ、
今までのところは世界中のどんな哲学者も提示できているとは、俺には思えない。
率直に言って、哲学プロパの世界的水準で、当面の目標がマルクスに据えられているという印象もない。
マルクスのと違う自然哲学は、もちろん無数にありうる。けれども現時点ではどれが正解だとか善悪だとか
言えるような議論の水準には達していないんで、吉本の口真似をすれば、
それぞれが「己の甲羅に似せて穴を掘る」しかない。それが現状だと思う。
吉本がマルクスの自然哲学を踏襲しているのも、単に世界思想の現時点では
改訂の必要を認めていないからだろう。
だいたいマルクスの自然哲学は独特なものには違いないがシンプルなもので、
そう言ってよければユークリッド幾何の公理系のようなものでしかない。
これとは違う言い方だが、吉本も「カール・マルクス」他ではそのように整理していたと思う。
「人間は自然に意志的に働きかけることによってこれを人間化する、
その一方で自然は人間を自然化する」要はそんだけのことだ、というように。
(いま手元に資料がないんで、字句が違っていたら修正してくれ)
こんな単純な哲学──だが紛れもない哲学だし、「人間は自由意志を持つ」というのと同程度には
世界中の誰でもすぐに了解できる「真」だ──を「諸悪の根源」とまで言ってのけるからには、
>>640 にはよほど途轍もない革命的非ユークリッド幾何学の、せめて腹案があるんだろうな。
そうでなきゃ話にならんぜ。
よそうよそうと思っているのについ重たいことを書いてしまうな。
>>639 んなことはない。俺の見るところ主に20代から50代、60代がいるとしてちらほら、という印象。
リアル厨房工房も時々寄ってくようだが、つまんない悪口だけ書き逃げして行く感じ。
「エラそう」に見えるんだそうで、無理もないことだが。
ちなみに俺は生年が「お座敷小唄」と同じで、17歳(笑)。
646 :
考える名無しさん :2008/11/10(月) 22:34:48 O
若い奴はどこで爺さん知るんだ?メジャーか?
647 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 00:19:38 0
こんだけインタビュー形式の本が出てりゃ書店でも目につくし イトイ効果もあって、名前くらいはけっこう知ってるでしょ。 ただし、ここ10年くらいの爺さんだとは思うが。
648 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 00:43:38 O
10年オタなんぞまだまだだ。
>>648 おい忘れちゃいけねえ。吉本は「10年やれ」って言うわけだ。それって、
10年オタでもその10年が正味の10年なら、うかつに侮ったりすると
しっぺ返しを食うってことだと思うぞ。
650 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 05:04:27 0
>>643 マルクス主義やマルクス経済学のいちばん悪いところがその自然哲学ってことですよ。
651 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 07:42:09 O
運動性を交えた10年だろ、オタには関係ないよ。オタには知識が大事
>>650 俺(644)が指されているわけではないからひとつだけ。
マルクスの自然哲学の具体的に何がどう悪いのか、それを示さなくては
>>643 氏も答えようがないと思う。
今の貴方の言い方は「自民党政治のいちばん悪いところは小泉元首相ってことですよ」と言うのと同じで、
なるほど小泉は悪いのかもしれないが(笑)、それにしても具体的にどう悪いのかを「貴方が」示さなくては、
他者は「貴方の見解に対して」賛同も反論もしようがない、ということです。
>>651 そういうもんかね。吉本ならたとえ昼寝の10年でも頭から侮ったりはしないと思うんだが。
654 :
無名人 :2008/11/11(火) 08:51:18 0
吉本さんの言うマルクスの自然哲学は、 対立物の相互浸透(自然の人間化=人間の自然化)だと思うのですが、 マルクス「主義」には、対立(敵対関係)はあっても相互浸透がなかったと思います。 党派的なマルクス主義は、 「敵の敵は味方」と主張して、 「敵の中の味方」や「味方の中の敵」を見ることはなかったと思います。
655 :
無名人 :2008/11/11(火) 08:56:33 0
当然ですが、マルクスとマルクス主義は別のモノというのが吉本さんの主張です。
656 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 08:59:07 0
>>640 >>650 そんな言い草じゃ爺さんとマルクス主義者やマルクス経済学者が洞穴の狢になっちゃうぜ。
そういうことがいいたいのか。
マルクスの自然哲学は>644の言うように、ある意味ベーシックな公理系のようなもんだ。
それを恣意的な歴史観で勝手に倫理的に色あげしたのはマルクスで飯喰ってる学者の勝手で
そんなバカ連中の責任までマルクスが背負うことはないだろ。
ましてイデオロギーを脱色してマルクスの思想に可能性の中心をみている爺さんとは何の
関係もない話じゃねえの。
そうじゃなきゃ、マルクスとは違う自然哲学の学説をオメエさんが展開しなきゃな。
657 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 10:04:16 O
歩き煙草許容するのが下町だよ。月島は2つに分かれてるけど
658 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 10:06:48 0
>>651 運動性云々は本質的には関係ないと思うよ。
「昼寝のすすめ」とか「ひきこもれ!」とか、爺さんはときどき面白いことを言う。
660 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 15:11:23 0
>>656 こういう似非べらんめえ口調って自慰さんの真似ですか?
聞き苦しいんですが。
661 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 16:58:06 0
>>656 なるほど、吉本とマルクス主義者の区別もできないし
マルクスの自然哲学を諸悪の根源とまで断定しながら
自前の自然哲学も展開できないんじゃ語るに落ちたな。
662 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 17:01:37 0
>>660 江戸っ子じゃないんでべかんめえ口調は知らないね。
2ちゃんなんでお前さんだけを相手にしてるんじない。
聞き苦しけれゃスルーしてくれ。
663 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 17:33:40 O
オフ会したいな
>>658 吉本は十代のころからどうしようもないくらいの啄木オタだったらしいんだよな。
オタらしく「巡礼」がてら岩手の(旧制)中学に通ったくらいで
(本人はそんなこと言ってないけど、吉本の友人の…名前を失念した…誰だったかがそう書いていた)。
今でもこと啄木のこととなると批評家としての客観性が保ちにくいのか、めったに論じない。
起きるな、起きるな、日の暮れるまで。
そなたの一生に涼しい静かな夕ぐれの来るまで。
何処かで艶いた女の笑ひ声。 (石川啄木「起きるな」終3行)
こういう詩を一瞥して、言葉の内側に吸い寄せられるようにすーっと判ってしまう人なら、
吉本のあらゆる著作の、まあ半分くらいは読まんでも判るんじゃないかという気がする。
残りの半分だって重要なんだし、そんなことができたからってホメられたことじゃないわけだが、
しかし吉本の著作からラディカルな思想の烈しさや厳しさばかりを受け取ってしまったとしたら、
それはちょっと勿体ないよと思う。
原稿も書かずにテレビに見つかっちゃあ、「絶対に働きたくないでござる」とかなんとか
内臓のあたりで呟いていそうな吉本もまたいるわけだよ。
665 :
考える名無しさん :2008/11/11(火) 20:56:26 0
爺さんの著作がラディカルな思想の烈しさや厳しさばかりだったら これほどのめり込むような読者はいなかったんじゃないかな。 エリアンの詩も含めて初期の詩に「少女」は欠かせないモチーフだし、 爺さんの青年期はたいした抒情詩人だよ。 宮澤賢治に大きく惹かれるまでは相当の啄木ファンだったことは いろんな論考から十分推察できるな。「起きるな」も昭和三十七年の 「啄木詩について」で言及している。他にも自分が志ならずうらぶれ た時のためにひそかに用意している短歌があると言って 友がみな我よりえらく見ゆる日に花を買いきて妻と親しむ という啄木の歌をあげていた。 爺さんはやっぱ基本的に詩人だな。ただ並みの詩人じゃないと思うのは、 万葉や西行、実朝、なんかの古典だけでなく、塚本や岡井のような現代 短歌まで、爺さんの短歌を読み抜く技量だね。本職の歌人でもあれだけ 短歌を読めるやつはいない。本当に驚嘆するよ。
>>665 いや、その「妻と親しむ」の歌に関するエピソードを聞いたときは背筋に悪寒が走った。
俺はリアル工房の頃にまったく同じことをやったことがあるんだよw
もちろん当時は吉本なんて名前すら知らない、ただの啄木オタだったんだが
ホント、オタのすることなんぞは何のオタでも、どいつもこいつも、まるで一緒だよなと。
もちろんそこから先はまったく違っていて、
吉本はそこから古典を含めた詩歌の本格的な観賞力を身につけ、
他方では詩の実作もやって、ついには一個の詩人や批評家として自立するまでの
研鑽を積んでいったわけなんだよな。
吉本の本当に凄いのはその過程を概ね意識的に辿って辿りおおせたところだと思う。
意識的・自覚的に辿っているから、一方では戦後詩・現代詩の突端で仕事をしながらも、
自分がただの啄木オタだったことも忘れたふりなどしないで、時々ひょいとそんな貌を
覗かせてみたりすることもできるわけだ。宇多田ヒカルの歌詞を論じたって、大批評家の
弛緩した余技なんかではない、ちゃんと読み込んでみせるよというような形でね。
いつか吉本が「思想ってのは正解とか不正解とかいうことじゃない、幅なんだよ」
みたいなことを言ってたことがあるが、まさしくそうした「幅」の大きさ広さにおいて
今後とも吉本の右に出るものはないだろうと思う。
667 :
無名人 :2008/11/12(水) 06:47:11 0
近著の『「芸術言語論」への覚書』127頁 一青窈という詞人の「詞」が抜群に優れているとおもった。 もう少し詳しく聞きたいと思いました。 なお歌の歌詞である「詞」と現代詩の「詩」と区別しています。
668 :
考える名無しさん :2008/11/12(水) 10:41:31 0
「言語芸術論」には手書きの文章も少しは混じっていたな。 電子拡大鏡で文字を読むくらい目も悪くて体も不自由だろうに、まだ手書きの原稿を 渡しているんだなあ。 「人生についての断層」はおそらく談話だろうが味わい深かった。 談話とかインタビューは勢い下世話なことや時事ネタに話が及ぶから、神さまでない 限り絶対間違うこともある。誤解されたりする危険性も多いんだが、そこは爺さんの 誠実さなんだろうな。 戦前、戦中に、私淑している作家や知識人の言葉が欲しかったとき、小林秀雄を初め 黙して事変に処して、その本音を聞くことはかなわなかった。だから戦後、何事も なかったように無傷で復活できたやつも多かった。 だから、爺さんは間違うことを怖れず、自分も自分の手持ちの札もさらして話してる んだと思うが。そこに大家の余裕も、倫理めいた訓話の影もない。たいしたもんだ。
>>668 「人生についての断層」は、中身については申し分ないが、
文体が「ですます」と「た/だ/である」が混在していて、手入れが行き届いていないと感じた。
断片と聞き書きを整理して文字校やって、いいやもうこのまま出しちまえ、で出したという印象。
意味不明なところはないからいいけど、なんか雑な仕事だ。
ゆとりがないのは吉本の方か、出版社の方か。
670 :
コピペ :2008/11/12(水) 12:02:14 0
>>644 ほか
『ハイ・イメージ論U』収録の「自然論」におけるマルクス批判は以下のようなもの。
P180)
本来的にいえば摂動(ゆらぎ)として、余裕、反響、戯れ、遊び
として存在した交換作用を、ぬきさしならない「組みこみ」の概
念に転化してしまった・・・
P180.181)
ほんとうは人間という自然の一階程は、そのなかに非有機的な
階程と、植物的な階程と動物的な階程をぜんぶふくんでいて、
これが余裕、反響、戯れ、遊びとしての摂動(揺らぎ)を人間に
あたえているにちがいないのだ。これは本質的にだけいえば人
間の不変の条件としてあるはずなのに、マルクスの人間という
自然からは消えてしまった。
>>670 とりあえずご指摘に感謝。
いま手元に「ハイ・イメージ論」がないので、探して読み返してから感想を書いてみます。
見つからなかったらだいぶ先になるかもしれませんが…
672 :
考える名無しさん :2008/11/12(水) 13:10:19 0
>>669 「人生についての断章」の二,三の章で「です」と「である」の混在があることは
読んでいて誰でも気づくと思う。この本には爺さんの前書きも後書きもなくて、
出版社の編集後記だけがあるが、たぶん未発表の原稿を爺さんに貰って編集した
本なんだろうね。その編集後記にこんなのがある。
「人生についての断章」と名づけた文章は、談話原稿をまとめたゲラの
余白を使ってとても細かな字でびっしりと加筆・訂正がなされていた。
「目が悪くなった」という吉本さんが、深夜ひとり、拡大鏡をのぞき込み
ながら原稿用紙に向かっている姿が目に浮かんでくる。
正直びっくらこいたね。著者にここまで加筆・訂正やらせておきながら、出版社は
ただ原稿もらってきて並べただけかいってあきれたよ。語尾の整合性も含めて誤字
脱字、その他の更正は、爺さんくらいの文筆家の原稿なら、当然出版社がやるべき
仕事だ。昔は原稿はすべて手書きだから、作家のミミズの這ったような悪筆の原稿
でも、きちんと文字に起こして印刷にまわしたもんだ。お百度参りして原稿貰って
くるまでなら誰でもできる。最近は出版社もいいかげんになったもんだ、という感想
を持ったけどね。
そういうことを感じながら読んでたが、他の未発表の文章も含めて、爺さんの仕事は
まだまだ確かだなと思った次第。
>>672 いやそう簡単に編集の手抜きだと決めてはいけない。
吉本は昔っからしつこくゲラに手を入れるんで有名だし、今回もそのつもりでいたら、
これが吉本の体調が思わしくなくて「途中から」全然進まなくなった。
シビレを切らした編集「もうこのまま出しちまいますぜ」
体調悪化で鬱入った吉本「ああいいよ」ということであったのかもしれない。
少なくとも著者の承諾を得ずに出すということはありえない。ましてや相手は吉本だ。
まあ、テニヲハの乱れくらいは編集が直した上で吉本の承諾を取りゃ済む話だろうに、
とも思うんだけどね。それも無理、だとしたら吉本どんだけ調子悪いんだと。
いろいろ想像してしまって心配になる。
優れた編集者でも時々こんなことがある。たとえば
このスレタイにもある「情況へ」という本は誤植だらけでうんざりさせられるところがある。
何があったかよく判らないけど、小川哲生にしてこのことがある、と。
674 :
考える名無しさん :2008/11/12(水) 18:25:13 0
>>673 そこまで爺さんの体調が悪いのなら編集後記にそれを気遣うような文言があってしかるべき。
少なくとも「もういいか」といった見切り発車のようなことを出版社がすべきではない。
それに、深夜に目の悪い老人が拡大鏡使って加筆・訂正やってるんだから、身体はともかく
気力は衰えていないと考えていいんじゃないかな。どっちにしろ、推測でものを言いたくは
ないが、もしそれが体調のせいなら編集後記は配慮が足らないね。
誤植や脱字は編集トップより、その出版社の校正係の人間が優秀か無能かによる方が多いよ。
校正ってのはある種、職人芸だからな。
675 :
考える名無しさん :2008/11/12(水) 22:58:07 O
オタばかりだ。
>>671 自己フォロー。なぜか「II」が見つからないので文庫版をポチった。感想は書けたとしてたぶん来週
今書けそうなことを少し書く
>>644 を書いてる時もこのくだりだけは微妙に気がかりだった。
吉本が直接マルクスの自然哲学について批判的に言及しているのはこの「自然論」や、
ほぼ同時期に出たいくつかの著作の中くらいで、それ以後はマルクスを批判するというよりも
三木成夫の線に沿って議論を展開するようになって行ったように思う。マルクスについて言及する
際はむしろ「自然の人間化=人間の自然化」(
>>654 を借りる)ということを改めて強調するように
なっている。その変化をどう見るか。それによって
>>670 の引用箇所の評価が変わってくる気がする。
ともあれ、せっかくの機会だから「自然論」本文を丁寧に読み返してみようと思う。
>>674 まあ…そうかな。べつに編集者の肩を過剰に持ちたいわけでもないしな。
安原顕が健在なら絶対、事実関係とか関係なしに編集者も吉本も一緒くたにボロクソけなしてるだろう、
と思って俺が書くと
>>673 のようになっちまう次第。
>>675 ご覧の通りだ。ほかに言うことはないのか。
677 :
考える名無しさん :2008/11/13(木) 11:12:36 0
>>676 現存の作家の生原稿を勝手に闇で売りさばいていたような奴がどう言おうが関係ない。
くだらない小説まがいの自分の原稿を売り込んでも、結局誰も評価してくれないんで
とち狂っていたケチな輩だろ。たとえ健在でも他人の仕事に口を挟む資格なんかないよ。
世渡りだけ考えていた馬鹿な男だ。
678 :
考える名無しさん :2008/11/13(木) 12:31:55 O
バカ
679 :
考える名無しさん :2008/11/13(木) 13:32:50 0
>>677 …もちついて読んでくれよ。誰も「ヤスケンは偉かった」なんて言ってるわけじゃねんだぜ?
(もちついて読めない奴がいるに違えねえ、とか思いながら
>>676 書いちまう俺も俺なんだけど)
必ず両面あるんだよ。夫婦喧嘩みたいなもんなんだ。
あの村上春樹の生原稿の一件ですらもだ。
変にどっちかに肩入れして眺めたらバカを見るのは読者の方だぜって言いたいだけだよ。
681 :
考える名無しさん :2008/11/14(金) 06:59:41 O
確かに
682 :
考える名無しさん :2008/11/14(金) 07:25:11 0
>>680 夫婦ケンカや痴話ケンカとは次元が異なるね。
少なくとも吉本はその辺の基準はシビアだったよ。
埴谷とのシャンデリア(コムデもか)論争だって
大岡との塀から降りた場所が云々論争だって
発端は他からみたらくだらないコップの中の論争に思えたかもしれない。
だが、吉本にとっては自分の思想の死活問題だったんだよ。
村上も吉本の研鑽も、安原のバカとは比べようもないが
それぞれ自分の道を真摯に歩いてきた人間が
まあまあいいじゃんと看過できるような問題ではなかったんだ。
そこを見抜くことができないで
「変にどっちかに肩入れして眺めたらバカを見るのは読者」なんて
つまらない常識ぶったカスカスの読者にはなりたくないね。
>>682 ひょっとして吉本が「村上春樹の生原稿」の一件にコメントしたのを読んでないかな
まだ読んでないなら探して読んでみたらいいよ。
俺にしても読んでなかったら
>>680 みたいな書き方はしてないことだ。
まあそのことは別として、俺は「村上春樹が大人気ない、よくない」なんて言ってるわけじゃないし
「まあまあいいじゃん」なんて、図に乗ったオタのお節介を言いたいわけでもない。勘違いするなよ。
それこそ「常識ぶって」言えば、あれは大人気ない、村上春樹のくせして何だとしか言いようがないことだぜ。
でも村上が告発した文章を読むと、安原との間にはよくよく因縁浅からぬものがあったようだし
多少の文句を言われるのは承知で、なお黙って済ませておけない残念があったのだろうと俺には思えた
それはいいんだよ
結局は見解の違いだということにしかならないんだろうが、少なくとも俺にとってこの手のことは
当事者にとってはともかく、どうでもいい外野の一読者(=オタ)にすぎない場所からは
「夫婦喧嘩の次元」に内在して目を凝らしてみることの方がはるかに重要だと思えるし、
逆にそうしないことは、自分のいる場所が判ってないという意味でバカだということにもなりかねんと思う。
684 :
考える名無しさん :2008/11/14(金) 13:34:38 0
まぁ、自慰サンは売文家だぜ。 うれりゃ、なーんでもありだぜ。 イトイとの関係にしたってお互いギブアンドテイク、テレマカシだぜ。 明日土曜日にゃ、中沢と上野に"お出かけ"だとよ。 転んでクタバルなよ、自慰サン。
685 :
考える名無しさん :2008/11/14(金) 18:27:39 O
おい明日上野交通規制かかるのか
明日上野で何かあんの?
>>684 まあな。実際、あの「『反核』異論」の後記風メモでも、そんな風なこと書いていたな
「だがこの本だけは別だ」とも書いてたけどさw
687 :
考える名無しさん :2008/11/14(金) 22:54:17 0
>>654 「対立物の相互浸透」は自然哲学かどうかの問題というよりは
弁証法のある側面ではないの?
人為的なもの、たとえば党派性に「対立物の相互浸透」が希薄な場合、
その希薄さの度合いは人為的な度合いに反比例する…反自然的である…
ということじゃないかな。
つまり弁証法論理(自然哲学の論理)と形式論理(反自然的な論理)の
関係、あるいは自己表出(の論理性)と指示表出(の論理性)の関係かな。
688 :
考える名無しさん :2008/11/14(金) 22:55:32 0
>>688 >明日上野で何かあんの?
週間朝日だか中公新社だかの連載企画だったと思いましたけど、たぶん。
吉本さんご贔屓のレバカツやらカツ丼やら塩大福の店を中沢さんと
一緒に巡るって企画だと聞きましたけど。
吉本さんは糖尿病って聞いてますが、問題ないんすかね?
>>688 そういう事かw むしろ中沢の方が心配だな…なんとなく
チベットあがりだしさ、食細そうな印象があるんだよな。そうでもないのか
しかし週刊朝日に吉本だったら珍しいな。西原理恵子が挿絵描いたりしないのか?
描いてたら10部でも買ってやるぜw
吉本(楊枝)「グルタミン酸ソーダってやっぱうめえ」
中沢(涙目)「このキカクを根底から揺さぶるようなこと言わないでください吉本さん」
なんて。
690 :
考える名無しさん :2008/11/15(土) 09:44:40 O
レバカツくったことねぇな。食いたくなった
691 :
考える名無しさん :2008/11/15(土) 15:25:16 0
吉本隆明のせいで、中村光夫を食わず嫌いにしている奴が 多いんじゃないのか?自慢話をする西欧派を"いも"と呼ぶとき、 その元祖としてよく中村光夫が召喚されるから。 ただ、ハスミンとの対談(「批評にとって作品とは何か」)では、 割と丁寧に中村光夫を批判していて面白い。 漱石や小林秀雄にはある、美人(近代以降のヨーロッパの文化や文学) に対する自分は不美人だという自覚がないから中村光夫の批評は つまらい、と吉本は言っている(と、私は受けとった)。 コンプレックス(複合感情)のないような奴は、人間味がなくてつまらない。 苦悩や思い込みのない文章は、味もそっけもないというのは よくわかる。 が、面白いと思ったのは、今まで「不美人」で(あるにもかかわらず)、 且つ味もそっけもないような人と出くわしたとき、単にそれはそういう人だ、 さっぱりした性格の人なんだと私は判断していたのだが、実はそのような人は、 自分を「美人」と錯覚し、無意識に、黙っていても人は構ってくれるものだと 思っているのだと吉本が述べているところだ。 と、ハスミンとの対談で吉本隆明が中村光夫について言及しているくだりを 解釈したのですが、違いますでしょうか?
692 :
考える名無しさん :2008/11/15(土) 16:49:22 0
>>689 挿絵だったら自慰サンの娘がいるじゃない?
絵描きだか何だかって言ってなかったかなぁ?
>>691 食わず嫌いというか、吉本が対談で言ってたことを俺なりに解釈して
「きっと外国文学オタにとっては必読なんだろうねえ」くらいに思っている。
俺は外文オタではないが、音楽なら洋楽オタだから、そこから連想すれば
昔の音楽評論家なんていうのは、ほとんどひとり残らず「洋楽の光を当てて邦楽の歪みをただす」
くらいのことを思っていそうな、身の程知らずのバカ丸出しな連中ばっかりだった
(ただそのバカっぷりこそが芸だとか、そういう意味で愛すべきところがないわけでもなかった)。
吉本が中村光夫について言ったことはその連想にぴったり符合すると思えたし、
外文オタの世界もどうせ同じようなもんなんだろうぜ、と。
これで答になっているかどうかは知らん。
>>692 ハルノ宵子って言ったっけな。絵描きじゃなくマンガ家。
家の近所でもブクオフでならたまに本を見かける。
週刊誌向きの騒々しい作風じゃなかったと記憶している。
694 :
考える名無しさん :2008/11/15(土) 18:09:41 0
>>693 いやぁ、ハルノ宵子が吉本さんの娘さんとは知らんかった。
てーことは、ひとりはマンガ家、ひとりは小説家とすると
芸術一家、いやさ上部構造一家と。
695 :
考える名無しさん :2008/11/16(日) 00:50:18 O
長女は有名なのか?
吉本って大衆の原像から乖離した思想家だな。いまどきスターリンやヒトラーといえば若者のヒーローだぞ。 ふつうに誉め言葉になっているじゃんwww
697 :
考える名無しさん :2008/11/16(日) 11:25:40 0
>>696 誉め言葉もへちまもない。スターリンはともかく、
吉本はヒトラーやヒトラー・ユーゲントが「戦前戦中の日本でもヒーローだった」と率直に、
かつ終始一貫してそう言っている、論客の左右を問わずほとんど唯一の人物だ。
その上で「大衆の原像」と言っている意味を理解しなくては駄目だ。
吉本は「大衆について対象的に論じる」ことはそれ自体が「大衆の原像から乖離する(疎外される)」行為だ
ということを指摘したうえで、「原像」こそが思想の自立する根拠だと言っている。
要するに大衆に迎合的だろうと批判的だろうと、この図式に自覚的なところをもたない思想は全部無効で
全部無意味な文字の並びにすぎないということだ。
もっとわかりやすく言えば
>>696 がスターリンやヒトラーを「いまどき若者のヒーロー」だと言う根拠は何だということさ。
>>696 自身がいまどきワカモノであったにしても(俺にはそれも疑わしいと思えるが)、ワカモノのひとりにすぎない。
つまり
>>696 がいかにも実体あるもののごとくに装っている「いまどき若者」は、その「原像」とは何の関係もない、
ただの名辞にすぎないと言われたら(事実、いまどき若者についての言説はひとつ残らずそうなのだが)
何と答えるつもりなのか、それが問われているわけだ。
699 :
考える名無しさん :2008/11/16(日) 14:43:47 0
>>684 土曜じゃなくって今日だったな、
上野・松坂屋の地下食堂。
あの様子から推すと補助なしじゃ一歩も歩けねーな。
憔悴しきったというか、やつれたね御大は。
700 :
考える名無しさん :2008/11/16(日) 20:03:36 O
見たのか?
701 :
考える名無しさん :2008/11/16(日) 21:20:26 0
>>698 すると…<大衆を対象化できない>ことが吉本式の大衆定義だとすると、
別の言い方で<大衆は再帰できない>とか<大衆は自己言及できない>でもオケ?
そしてこの対象化能力や再帰性、自己言及性が<知>ってことかな?
っていうと宮台真司なんかやっぱ吉本の真髄にアプローチできてるワケだね。
宮台そのものが大衆に即してるのは吉本だけ≠ンたいなことを言ってるけどさ。
>>701 正直、その種の理論社会学風の語法に俺は慣れてないんで、よくわからんな。
言わんとすることは判るような気もするんだが。
そこで俺が使える語法で別の言い方をしてみると、大衆の原像をX、論者の対象的な理解像をYとして
YからXを一意に逆構成することは一般に不可能だというようなことになる。
たとえば、Yは言葉による記述、つまりコンパクト・サポートな概念の有限な結合体だという意味で
必然的にコンパクト・サポートだが、そのことはXもまたそうだということを少しも意味しない。
Xは通常の意味でいう概念ではない、吉本の言い方をそのまま使えば「開かれた概念」だということだ。
宮台真司については、宮台が吉本について何と言っているのか正確なところを俺は知らないし、
そこに言われたことだけでは何とも判断がつかないな。いくつか著書を読んだ限りの印象からすると、
このくらいは直ちに判ってもおかしくはない程度の頭脳と専門知識はある人だと思っているけどね。
しかし実際、そんなのは全然アテにならんのだ。このあたりのことは、知識だけなら浅田彰にだって
あるはずなんだ。理論経済学の論文は書けなくても、勉強はしなきゃ助教授にも教授にもなれないさ。
しかしまあ、浅田にはいかんせん応用力と想像力が足りねえのさw
703 :
考える名無しさん :2008/11/16(日) 23:39:53 O
簡単な言葉に略せないのは理解出来てない証拠。
簡単な言葉でデタラメを言うよりはましさ。
705 :
考える名無しさん :2008/11/17(月) 01:07:14 0
そのYとXなら、Xは自己表出でYは指示表出てな感じもするな。 アバウトでわりいけど。
>>705 アバウトというか、話として少々違うところに行ってしまうような気もするけど、言いたいことは判る。
Xというのを対象的な観察やそれに相当する手続きによっては伺い知ることのできない
(少なくともそうした部分を含む)領域だと見るわけだよな。
>>702 自体は「大衆の原像」に限らない一般的な図式のつもりだし、そういう方向の解釈もアリだと思う。
表出概念の話と関係あるかどうか判んないけど、吉本は大衆の原像について
「自己思想の成り立ちの過程を逆に向こう側から視ている外部であり他者」(試行#71)
だという言い方もしているな。
表出概念と関連するところではこっちの方がいいかな。 …スガ秀実なぞバカだからきみが「あれは一種の大東亜戦争」で「吉本理論をもって西欧に むかって玉砕する」なんて言ってる。 ようするに無知なんだよ。きみ(吉本)の『言語にとって美とはなにか』が「表現としての言語」を あつかっているから日本語(一般的にいえば民俗語)の構造と不可分にしか扱えないし、そうで なければ無意味なんだということすらわからないんだ。 ソシュールの言語学がいう「聴覚映像の概念」の結合として〔言語(ラング)〕という次元で言語を 扱ったって、文学の言語のなかへはいってゆくことなど永遠にできないんだぜ。…(試行#62)
708 :
考える名無しさん :2008/11/17(月) 09:41:05 0
>>706 その「伺い知ることのできない(少なくともそうした部分を含む)領域」には
なんでも代入できて、
それが共同幻想だ、というのがオレの吉本解釈なんだけど。
宮台がそこに「天皇」を代入して右翼を肯定し、その空間的広がりとしては(アメリカ的理念≠ニしての)
グローバリズムではなく家族的な「アジア」を!
と主張したのをみて、コイツは正統?に吉本を読み取ってると思ったさ。
>>707 ソシュールって結局は会話が前提なんだよね?
オヤジの『言語美』は言葉も文字も包括してるけどさ。
言語を運動(発声)と観念(概念)の統一態とする発想を三木成夫から得たらしいけど、三木といい吉本といい
スゲエ思想家?だと思った。
吉本を読んだことないヤツなんて、人生もったいない気がするな。
>>708 そりゃさすがに違う。少なくとも俺とは違う何かのことを
>>708 は言っている。
俺の言ってる「伺い知ることのできない領域」は外からは伺い知れない、典型的には私(秘)的な領域のことだ。
共同幻想のための空き領域なんかではない。
>>708 がたったいま内心で思っているそのことは、
>>708 自身にとって、どんな内容とでも取り換えのきく
ようなものではないはずだ。そんだけのことさ。
あと、宮台が具体的に何をどう言ってるのかは知らないが、少なくとも吉本の方には
「グローバリズムではなく家族的な『アジア』を!」などという文脈は存在しない。
これははっきり言える。もし宮台が文字通りそう言っていて(言うのは構わないんだが)
それこそが正統な吉本解釈だと主張しているのだとしたら、それはとんだ勘違いだ。
確かに吉本はグローバリズムという名のアメリカ的押しつけを批判するし、
アジア的な家族や親子関係のあり方を(それが不当に貶められたりすることに逆らって)
評価したりすることもある。でも単純に両者を短絡して主張するという方法は、吉本にはない。
第一そこまで言ったら、それこそスガの阿呆が言った通りで「一種の大東亜戦争」になっちゃうからな。
710 :
考える名無しさん :2008/11/17(月) 10:30:44 0
今ヘーゲルの精神の現象学が再評価されているけど、 吉本の思想ってヘーゲルの良質な部分を継承しているのではないか。 吉本は自らの思想をマルクスを逆立させることで発展させた。 マルクス自体はヘーゲルを逆立させたわけだから、吉本は、マルクスを 媒介にしてヘーゲルに到達し、ある意味ヘーゲルを越えたと言うこともできる。
自慰さんのわけのワカラン<思想>を、わけも分からず<スコラ的>に解釈(あーでもない、こーでもないと言って)して、 何が面白いんか?
>>710 いやあ、そうではないと思うよ。
これとまったく同じことを、かつて鮎川信夫がアメリカの新保守主義の思潮について言い、
吉本に向かって「さあどう思う」的に問うたことがある。
吉本は弱り切って「そこは僕にとって手痛い箇所だと思います」と答えていたけど、
別に「その通りです」とか「僕もそう考えます」とは言っていなかったと思う。
>>711 面白いとか面白くないとかではないよ。他の人のことは知らないが、
俺はこのスレで自分の言ってることに、同じ場所で可能な限りつづまりをつけようとしているだけだ。
そうしないと俺自身が別の意味で「面白くない」からさ。スコラ的もへちまもないよ。
だいたい吉本の思想が「わけワカラン」なんていう人物が、このスレにいったい何の用があるのかね。
わかんないなら黙って眺めていれば、それでいいじゃないか。
713 :
考える名無しさん :2008/11/17(月) 12:25:37 0
>>709 >「伺い知ることのできない領域」は外からは伺い知れない、典型的には私(秘)的な領域
だとすると…
「外からは伺い知れない」ならばそれは完全に自己幻想の世界だよね?
「典型的には私(秘)的な領域」ならば自己幻想で間違いないよね?
…というかそれ以外の定義は出来ないわけだけど。吉本タームの中では。
すると問題点がハッキリしてくる。
708発言は『序説』に即したものだからさ。
714 :
考える名無しさん :2008/11/17(月) 12:47:08 0
>>709 その「共同幻想のための空き領域」がどこにあるか探究してるのが
『心的現象論序説』だね。
もっと簡単にいえば、あるいは別の言い方で問題提起をすれば、
共同幻想はドコにナゼ生じるか?≠ニいう根本的な問いだろうね。
ナゼ≠ノついては<共同幻想は対幻想の逆立である>という繰り返されてきた
文言があるし、吉本の主張もこのヴァリエーションが多いけど。
ドコ≠ノついては『序説』にしかでてこない。
そのためかナゼ≠ニドコ≠一緒くたにした論議ばかりになる…
この論議の構造は必然的に<共同幻想は対幻想の逆立である>がメインで
そちらに引き寄せられたものでしかなくなっていく、かな。感想としては。
715 :
考える名無しさん :2008/11/17(月) 14:08:10 0
>>709 まあ「コイツは正統?に吉本を読み取ってる」というのは買い被りというより、願望かな。宮台の理論の原点にある予期理論・権力論からして吉本に触発されたふしがあるから。
あるいは対幻想を前提にした理論だとみなすことが可能だから、かな。
吉本理論からの後継や発展系が見当たらないかぎり期待も込めて宮台理論への興味は尽きないからね。
以前から宮台を吉本派とする人もいるみたいだけど。
ただ吉本が提示する共同幻想のバリエーションである各地域と各歴史の階程を
知識とし、
いま吉本が民主党を評価してるスタンスなども加味すると
宮台の主張は可能性として吉本の近似値なんだよ。
直接的には宮台はギデンズの影響らしいけどね。
だから「それはとんだ勘違いだ」とは全然いえない。
むしろ「とんだ勘違い」とする方に興味がわくね。
それは根本的な党派性じゃないかな。
つまり見なし方(否定するも肯定するも)の特徴に党派性が現れてる…程度の問題でしょうに。
確かに「単純に両者を短絡して主張するという方法は、吉本にはない」。
どうしてかというと単に吉本が文学者だからでしょう。
宮台は社会学者であり政策を通じて現実にコミットメントするのが前提。
つまりはスターリンになる覚悟を前提にしてる、とうことでは?
「「一種の大東亜戦争」になっちゃう」覚悟。もちろん
宮台のリアルなベクトルは反対で戦争にさせない覚悟≠セろうけどね。
むしろ最近になって糸井のところで吉本が民主党を評価し、
二大政党制を評価してる方が興味あるね。
宮台にとってはそういう現実へのアプローチは単に前提だけど。
駄文が多文でわりいす…
>>698 乖離しているというのはそういう意味ではなく、大衆の原像に届いていないという意味。
少なくとも今時の若者の原像には届いていない。吉本思想は。
ガキの頃にはヒトラーやスターリンに憧れたなあ。 ふつうじゃん、そういうのって。 今のガキはそれがいつまでも続いてるかもしれないな。
718 :
考える名無しさん :2008/11/17(月) 23:20:42 0
>>683 所用で数日アクセスできずレスもしなかったが
当然「村上春樹の生原稿」の件についての吉本の言及箇所はすべて読んでいる。
その上で安原のバカさかげんについて当たり前のことを言っているつもりだ。
吉本は自分の名前をだしに使われて下らない原稿を売り込もうとした安原に
ついては、その馬鹿さ加減にはフォローのしようもないくらいあきれているよ。
他方、村上に対しては吉本は自分のことを高名な文芸批評家と遠回しに示唆
されたことで若干気分を害したってところだ。村上にも吉本には少々遠慮が
あったのだろう。ただこれまでも吉本は村上の作品には高い評価をしてきたし、
小説の力量に関しては今後も批評家としてぶれない態度を保つだろうがね。
だいたいこの件についても安原のバカの姑息な行為がすべての原因だ。作家に
とって出版社に渡した自分の生原稿が、自分の関与しないところで勝手に市場
に出回っていたことは、それだけで出版社と作家の信頼関係の根幹にかかわる
出来事だ。金銭の問題じゃない。
まがりなりにも編集の仕事に関わってきた安原が、いくらバカでもそんなこと
に気づかないはずがない(もし気づかなかったら救いようがないが)。だから
こそ村上は見逃せなかったんだよ。
そればかりか安原は一度袂を分かった吉本の名前を利用してまで(吉本がおれ
の小説を評価した云々)嘘をかまして自分の小説を売り込もうとした。これに
はさすがに吉本も全くの事実無根だといって安原の行為を批判している。
そこに目が届かないままで大仰に「夫婦喧嘩に次元」に内在して目を凝らそう
と凝らすまいと、それこそ自分の場所どころか問題の本質さえ見ることができ
ない読者だと俺は思うね。要するに安原は一点の曇りもなくバカ。それだけだ。
見解の相違だろうからかまわないが、俺の見解を一応レスした。
>>718 まずはレスに感謝。
俺は俺で言いたいことは全部言ったつもりでいるし、
そちらもヤスケンの「一点の曇りもないバカ」っぷりを丁寧に指摘した上で見解を書いてくれたと思うので、
これでよしということにしたいな。
あとはこのスレ読んでる人がめいめい考えたいところを考えてくれたらいいと思う。
もちろんこの間に自分の言ったことに対するレスには、求められれば返事はする。
まあ、もとはと言えば俺が
>>669 みたいな本筋外したことをちょろっと書いたせいで
いつの間にか肝心の「『芸術言語論』への覚書」の方がすっかりおルスになってしまった。
そっちの感想を書こうとしていた人がいたとしたら、ひどく邪魔した格好になってしまった。
それについてはまったく俺が悪いんで反省したい。大変申し訳ありませんでした。
>>715 >だから「それはとんだ勘違いだ」とは全然いえない
いま読み返してみたら俺の方に書き方の拙いところがあったと思えるので補足訂正する。
>>709 は宮台が勘違いだと言おうとしたわけではない。
「グローバリズムではなく家族的な『アジア』を!」と宮台が主張した(らしい)ことについて、
それを
>>708 が「吉本を正統に読解している印だ」と評価していることについて、
それは
>>708 が吉本を勘違いしている、と言おうとした。何がどう勘違いなのかは
>>709 の通りだ。
「短絡」というのはもちろん、かつて吉本・埴谷論争で埴谷が「シャンデリア」と「タイの青年」を短絡して
スターリ二ズムそのものの倫理反動を構成してみせたことに対して
吉本が徹底批判したという事実を思い出してもらいたくて使った。「試行」でさんざんやってた話だしな。
もちろん「一種の大東亜戦争」をやりたい人がいるなら、ひとりで勝手にすればいいことだ。
ただ吉本がそう言ったからなんて言われた日にゃ吉本オタの立つ瀬がない。
だから明らかな勘違いだけは指摘させてもらった。あとは
>>708 が自分で考えることだ。
とにかく混乱させてしまったようで申し訳ない。
今日はもう謝るばっかりだな、俺は。
721 :
考える名無しさん :2008/11/18(火) 01:21:06 O
吉本オタ又は吉本教原理主義者。知性のかけらもない。
>>716 >少なくとも今時の若者の原像には届いていない。吉本思想は。
そうかもな。吉本自身が「『蟹工船』と新貧困社会」(「『芸術言語論』への覚書」所収)でも
「僕には今の若い人の生活の実態はよくわかりません」と言ってることだ。
自分だって判りもしねえ「若者の原像」なんかを知ったふりして決めつけてみせる
>>716 とは大違いなんだ。
興味がないなら吉本なんか読まなくたって別に困ることはないんだ。まず「論語」を読めよ。
子曰く、由よ、女(なんじ)に之(これ)を知ることを誨(おし)えんか。
之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らざると為せ。是れ知るなり。(為政第二)
723 :
考える名無しさん :2008/11/18(火) 03:32:00 0
>>722 そりゃそうだわ、一億層中流とかいう吉本さんの時代展望が見事に外れたからなあwwwwww
意識の水準でも経済(自然哲学)の水準でも
>>723 吉本が「一億総中流」と言ったかどうかは、俺は記憶にないが、
「早晩9割9分の日本人が自分を中流と思うようになる」というようなことなら、90年代前半に確かに言っていた。
それはまあ同じような意味だとして、吉本はこの数字を「算術的な外挿」として言っていたわけだ。
そんな外挿に何の意味があるかと言って、べつに投機家が明日の株価を予測するような意味合いではなく、
「9割9分が中流」となったときの日本社会の姿がどのようになって行くことか、一個の思想家としてそれを
見通すための指標として言っていたんだ。どうせ読んでなどいないんだろうがな。
これはたとえばハイテク産業の経営者がムーアの法則を外挿して数年後の半導体価格や容量を予測し、
装置としてどのような構成の製品を作れば最も売れるかを考えて長期の製品化計画を進めるというのと
同じようなことだ。予測は外れることもあるからその時は先行投資が無駄になったりもするわけだが、
そうした計画がなければ黙っていてもその会社は市場の中で地位を失い衰退して行くしかない。
現に当時吉本説にぶつくさ言ってみせた柄谷行人などはその時々で無定見な言動と言動の変貌を
繰り返していただけで、今や思想家としてどんな存在感も持たなくなってしまっているわけだ。
何にせよ吉本の「9割9分」説は外れたのだから、外野の無関係な人間がたまたま小耳にはさんだ話で
「ざまぁ」などと言って囃し立てるのは勝手なんだが、わざわざ吉本スレまでやって来ては
>>723 みたいなことしか言えない奴は、そのころ何を考え、何をしていたのかね。
今頃になって20年も前の日本と現在の日本を見比べては短絡してみせているだけではないのか。
それは要するに日本社会がどうなって行くかについて考えてみることもないし、第一興味もないってことだ。
だったら言うべきことは
>>716 と同じだ。興味がないなら「論語」でも読んでいたらいいんだ。
子曰く、人にして遠き慮り無ければ、必ず近き憂い有り。(衛霊公第十五)
726 :
考える名無しさん :2008/11/18(火) 06:56:55 0
>>719 だよな。これでよしだ。お互いに不必要な論争はしないにこしたことはない。
安原のような外野にかかずらう暇があったら「『言語芸術論』への覚書」に
ついて論じる方がはるかに有益だ。同感。
ちょっと中流云々の話が出ているので俺の感想を述べると「早晩9割9分の
日本人が自分を中流と思うようになる」といった吉本の見解はあながち外れ
てはいないと思うね。中流っていうのは経済学上の限定された概念でも用語
でもなく、どちらかといえば大衆の総意識や社会生活上の見取り図といった
社会学的なタームだろう。中流は所得が真ん中って意味じゃないし、実際9割
9分が自分を中流と思うようになれば、「中流」意識自体が無効になっている
だろう。吉本は「自分を中流と思うようになる」膨大な大衆の中間層の出現を
いってるんで、ある意味では現在のネット社会の境目のない意識のぶ厚い層も、
9割9分の新しい大衆の中間層と言えなくもないと思う。吉本はもはや身ぐる
み的な支配、被支配の構図で世の中を説明するような社会民主主義的な世界観
に無効を宣したい気持ちもあったんじゃないかな。そういう中間層を想定しな
ければわざわざ「下流志向」なんて奇妙な意識の雪崩現象もわかんないだろう。
あっ、ちょっと話の方向がずれてきたんでこの辺でやめておく。
>>726 その理解は正しいと思う。
ただ、もともと「8割中流」とか「9割中流」とかはアンケート調査の結果か何かだったわけで
今でも同じアンケートを取ったとしたら、どういうことになるかわからないしな。
つまんない実証主義の研究者か何かがそんな数字を挙げつらって変なこと言い出したりしたら
鬱陶しいことこの上ないんで、まるごと窓から投げ捨てておくのがいいと思うわけだ。
吉本の方法は大衆の原像を自らの思想課題に「絶えず繰り込んで行くこと」だから、
誰にとっても20年前とは一変してしまったと感じられるだろう現在の日本の社会環境を考察する上では
吉本は別に20年前の自説に強くこだわったりもせず、淡々と現在の大衆現象の諸相に分け入り
これらを媒介としながら「原像」を繰り込もうとしていると思う。
つまり吉本の本というのは20年もたない本であるということですね。 信者の面々も胡散臭いのばっかり。
>>727 にもかかわらず、「絶えず繰り込む」ことを放棄して、若者批判をする吉本頑固オヤジ。
730 :
考える名無しさん :2008/11/18(火) 13:57:08 0
>>728 「言語美」も「共同幻想論」も「序説」も吉本の主要な論考は二十年以上前のもんだ。
まあ、お前さんが読むにはちと難しすぎるだろうがな。もっとも読む必要もないか。
胡散臭いとわかってんならもう覗くなよ。
>>729 非常に残念なことなんだか、お前さんのような脳天気も含めて吉本は「若者批判」ってやつを
まったくしたことがないんだよな。たぶんろくに読んじゃいないだろうから教えといてやる。
731 :
考える名無しさん :2008/11/18(火) 18:59:55 O
みんないくつ?
732 :
考える名無しさん :2008/11/18(火) 19:30:50 0
>>731 "みんな"なんてのは存在しないよ。
ヘーゲル読んでないのばれたね。
つーことは、自慰サンの本も理解できない、のかな?
733 :
考える名無しさん :2008/11/18(火) 22:54:53 0
吉本隆明が落合博満を世界最高の打者と書いた、大リーガーたちの バッティングなど滅多に見られなかった15年位前とは違い、 いまや地上波でも彼らのバッティングを簡単に観察できる時代となった。 そんないまでも、吉本にとって落合は「世界最高の打者」なのだろうか? と、イヤらしい書き方をしたが、いまメジャーにはイチロー以外に 大した打者はいないので、吉本はイチローのバッティングぐらいは 見たことがあるだろうから、誰かが吉本にイチローがバッティングについて 述べた本を渡して、それを吉本が読むことを期待する。 それで吉本がどう言うか、素直にわくわくする。
>>732 >>731 は日本語で書いてるんだし、いいじゃないか別に。
あんただって吉本の名前すらちゃんと書けないんだ。もちろんそれだってちっとも構わんのさ。
俺の年齢は前に書いた。探すな。
735 :
考える名無しさん :2008/11/18(火) 23:44:04 O
野球ヲタは山本スレへ帰れ。いくら山本が弟子だからって、吉本スレに出張ってくんじゃねーよ
>>735 野球ネタならみんな山本つながりなのかよw
今ちょっと山本スレ覗いてきたが、あっちはもうなんか野球とかそっちのけじゃねえかw
>>733 がマルチなら困るが、そうでもないようだし、イチローや落合が吉本の敵だってわけでもないし、
別にいいだろ。変な選り好みすんなや
そう言えば吉本家にはBS/CSアンテナとかちゃんと立ってるんだろうか
あのテレビ好きの吉本が、BS/CSの番組について何か語っていたという記憶がないな
>>670 氏へ業務連絡
「ハイ・イメージ論」は先週末に届いて、いまも読んでます。で…
20年ぶりに読んだけど、やっぱこれ超難物。「自然論」など当時はまったく歯が立たなかった。
今だとまあ歯は立つ感じだが、それでもなかなか噛み砕くには至らない。
指摘された部分もマルクス批判と言えば確かにそうなんだが
これトータルでマルクス批判と言えるのか、特に吉本はマルクスを超えたと言えるのかというと微妙。
この「微妙」というのは「怪しい・疑わしい」という近頃の意味ではなく
こっちが内容の咀嚼に難儀しまくってて容易には見定められないという意味。
「自然論」の主な登場人物はアリストテレス・ライプニッツ・ヘーゲル・フォイエルバッハ・マルクスだが
吉本め、こんな超↑大物ばっか5人も出しゃがって、そら観客は戸惑うぜ
とか毒づきながら読み返してる。まともな感想なんて当分書けそうな気がしないが
期待しないで待ってて呉。
738 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 08:32:33 0
>>735 野球ネタには関心はないが、山本は吉本の弟子なんかではないので間違えないように。
吉本に私淑しているやつは多いだろうが、その中では山本は群を抜いてバカ。
だいたい吉本は学者でも職人でもないんだから弟子など作らないよ。
739 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 10:48:41 0
自慰サンのイトイがらみの講演放映の希望者募集が始まったな。
740 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 10:56:58 0
>>734 そうよ、その通りだぜ。
ここは屁下痢の糞論理学のスレじゃねーんだぞ。
"みんな"ってのはな、日本語が理解できるんなら
誰にでも正確な意味範囲を持って通じる言葉だっての。
もっとも、
カラタニの「ヘーゲルを通ってない連中は吉本隆明を理解できない」
とか
中沢の「ヘーゲルを今頃になって読むのは吉本理解の為」
なんてのを読むと、カント止まりのオレとしては辛いモノがあるがな。
741 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 12:52:06 0
> 吉本は「若者批判」ってやつをまったくしたことがない ヤレヤレ┐(´∀`)┌ 妄信者はこれだから...
742 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 16:34:34 0
>>741 それなら吉本のいわゆる「若者批判」の具体的箇所を示してくれないとな。
俺としてはあったらうれしいが。
ヤレヤレこれだから最近の馬鹿ガキは…とかねw。
743 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 17:36:47 0
貧困、貧困と叫ぶ今時の若者の感覚が全く分からない(理解しようとしない)頑固自慰さんww
744 :
考える名無しさん :2008/11/19(水) 19:12:40 0
↑ お前さんバカだな。 世の中の貧困な若者を吉本に救済してほしいのか?吉本に何を求めてるんだ? お前さんの理解力じゃ永遠に吉本とは縁がないよ。
そしてそういう若者を批判するしか能がない戦後最大の思想家wwwwwwwwwwwwww
つーかさ、このスレROMってる人の中にも吉本嫌いの左翼の人はいるんだろ?
いや別に右翼であってもいいんだけど。どっちでもいい、
>>741 >>743 >>745 を回収して鍛えなおしてやってくれ。
デマだから実例を示せないのは当然としても、へ理屈のこじつけひとつできないんじゃ話になんないんだ。
ああ、そうそう、特に
>>743 は
「貧困、貧困と叫ぶ今時の若者(笑)」みたいだから、忘れずにメシも食わしてやってくれよ。
いつの時代も、そういう「感覚」は君らが一番よく分かってるはずだよな。
吉本は知らねえって言ってる(
>>722 )ことでさ、ただの吉本オタの俺なんかじゃとてもとても
スターリン呼ばわりwwwwwwwwwwwwww
>>740 おいおい。俺(734)に賛同してくれてるところにツッコミを入れるのは心苦しいけど、
でも、柄谷や中沢の言い草くらいで辛くなったりしてちゃカントが泣くってもんじゃないか。
確かに吉本オタの常道としては、吉本がヘーゲルをどう読んだか、その後を追うという目的で
遡ってヘーゲルを読んだりするわけだけど、逆にヘーゲルで止まっちゃう人も多いわけでさ
(ヘーゲルはカント哲学をボコボコやっつけてたりするからなおさらだ)。
カントを読み込んだところから吉本を眺め返せば、また何か違う見方ができるかもしれない。
そういうのあったら俺は聞いてみたいしな。
749 :
考える名無しさん :2008/11/20(木) 08:47:39 0
>748 同意。 『心的現象論序説』理解にカントは必須だと思います。
750 :
考える名無しさん :2008/11/20(木) 11:45:36 0
カントは「純粋理性批判」だけはきっちりと読んだことはあるが、後はなぜか読む気がおこらなかったなあ。 確かに面白いんだが、観念論の枠組みの中での論理の展開って感じがしたからかな。かといってバークリー なんかの経験論も、これも確かに面白いんだが経験論っていいながら、考え方の枠組みはやっばりこれも 観念論じゃないのって思ってしまう。着想の面白さと論理の緻密さには感心するんだが。今となっては両者 とも現象論で間に合っているんじゃないかな。すべての著作を読み込んでなくて判断するのはいけないのは 承知なんだが、これからまたカントを全部読みなおす気にはとうていならないなあ。 ようするに歴史哲学じゃないからかだろう。俺は研究者じゃないからカントで生涯の時間を費やすわけには いかないんで。カントは弁神論的でないにしても結局は神の存在を救済したし、その世界観も観念論の理想 主義からはみ出るものじゃなかった。教会にとって脅威でもなかったし、悪口を言えば毒にも薬にもならな かったと思う。カントの好きな埴谷や柄谷の理想主義的な思想の限界もその辺にあるような気がするのだが。 埴谷の「死霊」もそうだが、柄谷もともやたら「超越」的なことに囚われていそうだから。 マルクスも全身で批判するに値するのはヘーゲルだと思ったんだろう。それだけヘーゲルの哲学は近代社会 の成り立ちに関わってる部分が多いから後発の思想家の読み方によってずいぶん変わる。カントはあんまり そういうところはないんじゃないかな。もちろん教養としての必読文献としては外せないだろうけどね。 浅学の感想で申し訳ないが、カントの重要さはよくわかっているつもり。
751 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/11/20(木) 11:58:36 0
>>749 同じく同意。
a prioriな純粋理性が「あったとしても」、それが現前するのは「疎外されたもの」としかありえない。
埴谷、柄谷等に対する批判としても、共同幻想を説き起こすためにも、純理は看過できなかった(と思う)。
>750
<結局は神の存在を救済したし>
少なくとも純理の中では「神の救済」は無かった(と思う)。
752 :
考える名無しさん :2008/11/20(木) 17:07:09 0
>>751 カントが「結局は神の救済をしたし」という俺の意図を少しだけていねいに言っておく。
もちろんカントは「純粋理性批判」のなかで直接的に神の救済に言及してはいない。
する必要もなかっただろう。しかし、神の存在を人間のア・プリオリな認識の形式では
証明不可能なもの、つまり「神の有無の問題」は人間の理性によっては証明不可能なもの
の範疇としたことで、結果的に神を救済したと思う。それに「神」や「霊魂」のような
形而上学的理念(超越論的理念)について理性の認識は及ばないとしたことで、教会や
カトリック神学の延命ににもつながったともいえる。こういう俺の解釈では不満かね。
753 :
考える名無しさん :2008/11/21(金) 01:05:31 0
結果的に神を殺したとも言える
754 :
考える名無しさん :2008/11/21(金) 11:24:45 0
>>753 あのね、「純粋理性批判」のなかではそういうことにならないの。
それまでは神の存在ていうのは神学の内部、つまり信仰の問題であったわけで、処女懐胎にせよイエスの復活にせよ「そんなのあり得ねえよ」と
いう人間にとっては神なんか存在しないといってよかったわけ。それについては逆に「信仰が足りない」と返しておけばそれで済んでたんだが
神学者の内部ではやはり神の存在を形式論理学的にも証明したいわけで、ますます精緻な神学を構築するという事態になってしまう。一方では
デカルトなんかは「cogito,ergo,sum」(我疑う、故に我あり)から出発して<疑うわれ>という<不完全者>に対して<完全者>としての神が前提され
なければならない、といった存在論的証明で神の存在を認めていくことになる。
でもカントは神の存在を形式論理学的に思弁しようが、存在論的に語ろうが、それは本質的に神の存在を証明したことにはならないとしたわけだ。
そのうえでカントは「純粋理性批判」の第二部門先験的弁証論の第三章純粋理性の理想「『神の現存』の問題」のなかで、「神はある」というのも
「神がない」というのも人間の先験的認識形式における理性の範疇では、どちらも証明できないことを証明した。つまり「神の存在」に関しては
人間理性が対象とする理論的な学的認識としては成立しないとした。理性で考えればどちらの命題も証明の過程で矛盾が起こり、アカデミックな
学的理論ではこの「二律背反」を解決する事はできないとしたわけ。このへんの内容はとうていここで祖述できないので本編を読んでもらうしかないが、
最終的にはカントは「どうしても必要なのは神の現存在を確信することであって、それを証明することはさほど必要事ではない」と述べているのだから、
結局元へ戻るんだが、形式論理学的にも存在論的にも神の存在を否定したって意味ないし、そんなことできないよとクギをさしたことは大きいし、
こりゃ神の救済以外の何ものでもないわな。
755 :
考える名無しさん :2008/11/21(金) 11:28:23 0
蛇の足でいうと、思想的に「神を殺す」つまり「神の死」を宣告するのはニーチェをまたなければならないんだ。
だけどね、これはヨーロッパに数ヶ月でも滞在してると芯から感じることなんだが、現在でもニーチェの孤独は
痛いほど分かるぜ。
吉本のスレでちよっと吉本とは離れすぎてしまったかもしれないが、
>>751 の俺へのスレがあったんで少し補足して
みた。先にも言ったが俺はカントの著作をすべて読破したわけではないので、絡みがなければもうカントネタでは
店じまいにしてくれていいよ。
756 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/11/21(金) 11:59:37 0
>>754 論理では神の存否を説明できないということは、ヒトの理性では神の存在を肯定も否定もできないということ。
それはコギトエルゴスムスと同じく、「<不完全者>に対して<完全者>としての神が前提されなければならない、といった存在論的証明で神の存在を認めていくことになる」という論法と同じ。
即ち、「ヒトの理性では神には到達できない」、ゆえに、「それこそが神の救済である」、という超越論的二段論法、
即ち、不完全性は完全性の必要条件である(予め完全性があるからこそ不完全性が救済される=神は不完全性の十分条件である)という論法。
そうではなく、ヒトの「理性」は、何故、「必然的に」、その存在をおのれの「理性」等では説明も証明もできないような神(完全性)を希求するのか。
その解は、すくなくとも、純理には無い。
757 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/11/21(金) 12:35:43 0
>>755 <思想的に「神を殺す」つまり「神の死」を宣告するのはニーチェをまたなければならないんだ。>
同じく蛇の足で、吉本スレでこのネタを引っ張るのは最後にするけど、神の不在に最初に接近した思想家は、ニーチェではなく、キルケゴール。
そして、これも蛇の足のついでだけど、神を「殺しきった」のは、ニーチェではなく、フォイエルバッハ。
758 :
考える名無しさん :2008/11/21(金) 13:28:56 0
>>756 >ヒトの「理性」は、何故、「必然的に」、その存在をおのれの「理性」等では説明も証明もできないような神(完全性)を希求するのか。
その解は、すくなくとも、純理には無い。
どういう意図で
>>754 へのレスに上述のくだりを書いたのかは分からないが、そんなことが「純粋理性批判」にありませんよと言ったところで
もともとカントの論考のモチーフにないんだから当たり前だろ。純理にないことは無数にあるべ。それこそ蛇の足。
>>757 西欧の思想家で神の不在や否定を論じた思想家は幾らもいるだろ。「最初に接近した」とか「殺しきった」とかの韜晦な言い回しでキルケ
だのフォイエルバッハの名前を出すんじゃあ、ネタを引っ張っても終わりにするやり方じゃないぜ。蛇の足よりナメクジの目だよ。
俺としちゃカントが結果的に「神の救済」におよんでいる部分を言ってるわけで、俺の論述はそれにつきている。また韜晦なレクチャーを
されても困るんで補足しておくが、なにも神の救済に「最初に接近した」とか「救済しきった」なんてことは言ってないんで念のため。
おれは引っ張ったつもりはないんで、これでOKかな。
759 :
考える名無しさん :2008/11/21(金) 18:19:04 O
自演か?10代の哲学オタみたいだな。
760 :
考える名無しさん :2008/11/21(金) 20:54:54 O
哲学オタは行き場ないからな。ゲームオタにはあるのに。
761 :
考える名無しさん :2008/11/21(金) 21:46:20 0
もちろん自作自演だ。10代だ。哲学オタだ。ときどきオフ会に行ってる。 レス時の大家の駄文に似た口調が玉にキズだ。
762 :
考える名無しさん :2008/11/21(金) 22:49:34 0
レクチャー好きな吉本オタだな。
763 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/11/21(金) 23:11:19 0
>>759 ->762
結局、カントなりサルトルなりを、自分なりの「わが意を得たり」の領域でしか読み込めない、それが限界、ということは、多少とも哲学者やら思想家の著作と対峙したことのあるヒトにとっては、暗黙の了解のやり合いだよ。
764 :
考える名無しさん :2008/11/22(土) 00:20:41 0
暗黙の了解のやり合い=自作自演
まあ、やっぱり吉本オタとカントの平均距離はまだまだ遠いという感じがすることだな
それはそうと
>>761 は前に俺に同じようなこと言った奴(588)か?
お前はよっぽど大家の駄文が好きなんだなw
766 :
考える名無しさん :2008/11/22(土) 13:57:01 O
オレの方が深く正しく理解してるとか、競争、資本主義の鏡だな。だから昔話し好きなのか
>>766 >オレの方が深く正しく理解してるとか
それはどれを指して言ってるのかね。アンカーくらいつけろよ
理解度の競争やってるレスなんてここんとこないような気がするんだが。
もちろん、そんなものはなくて結構なことだ。
強いて言えば
>>740 が引用している柄谷発言なんかは吉本オタを挑発してる
(理解度競争に誘い込みたがっている)と言えなくもないが、そうだにしても柄谷が言ってるだけで
このスレの流れとは関係ない話だ
あと、昔話というが、「試行」が終刊してもう十年以上経つ。「情況へ」に至ってはほぼ15年経ってる
「情況へ」に収録されてる「情況への発言」は1980年代と1990年代前半のものだ。
一番最初のはほぼ30年前だぜ。スレタイに沿って話題を進めれば普通に昔話になるのさ。
糸井のサイトで吉本は「ここしばらく、求められない限りは情況的なコメントは避けている」と
いうような意味のことを語っている。
ttp://www.1101.com/2008yoshimoto/2008-02-20.html ttp://www.1101.com/2008yoshimoto/2008-02-21.html 確かにそうで、その理由を上ではそれほど明確には語っていないが、
俺は俺なりになんとなく想像して納得している。
とはいえ、べつに吉本オタまで一緒んなって、
吉本スレの雑談の中でも抑制してなきゃなんない謂われはないわな。
20年前でも30年前でも古証文を穿り返してきて類推してみるくらいのことはする。
有難いことに、吉本は過去の発言について忘れたふりをしたり、
訂正・修正もしないでいつの間にか正反対のことを言っていたりするようなことはないからな。
768 :
考える名無しさん :2008/11/22(土) 16:12:37 O
三連休だ!
「ぜ」で終わるの禁止!
>>769 えー(笑)。
納得できる理由を言ってくれたらやめてやらんでもな(ry
771 :
考える名無しさん :2008/11/22(土) 20:31:50 0
>>769 なんでもありの2ちゃんだろ。
「ろ」で終わるの禁止!
お前の言ってることは変だよ。
「よ」で終わるの禁止!
2ちゃんの意味ないじゃん。
「じゃん」で終わるの禁止!
やっぱお前学力低いな。
「な」で終わるの禁止!
こんなのつまんないぜ。
あっ「ぜ」で終わっちゃったw
772 :
考える名無しさん :2008/11/22(土) 20:49:46 0
内務省特高言論摘発係宛 〈言論統制はんたぁ〜い!〉 2ちゃん利用者より
773 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 00:07:21 0
>>767 >理解度の競争やってるレスなんてここんとこないような
自分のことは案外自分では分からないもんだよ。
>>773 「案外」どころか「全然」ということの方が、2ch、特にこの哲板では普通ではないかな
だからこそ、誰かの言ってることに反論したかったら、ちゃんと指摘して言えばいいんだ。
相手を特定することもなしに
>>766 みたく物陰からコソコソ言うような書き方すれば、
「まーたデマ野郎が来た」と早合点する奴だって出てくるさ。
実際、早合点ではないかもしれないしな。
おっと、下書きを少々大胆に削りすぎた。
>>774 の最初の一文の前に
「自分の書いてることが他人にどう受け取られるかなんて、確かに自分ではわからんね」
を入れてくれ。
776 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 09:21:14 0
「自分の書いてることが他人にどう受け取られるかなんて、確かに自分ではわからんね」 ↑ 「他人にどう受け取られるか」ではなくて、自分自身のことを案外自分でもわかっていないものだ、ということ。
777 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 09:55:55 0
現代思想は頭の悪い魯鈍の学問ゴッコにすぎない ( ^ω^)この明白な事実は事実として受け入れて、みんな仲良くやれお (^ω^)カリカリすんなお
778 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 10:37:10 0
>>777 >現代思想は頭の悪い魯鈍の学問ゴッコにすぎない
どの世界にも頭のいいやつと頭の悪いやつがいる。
ただ、頭のいいやつの方が少なくて、頭の悪いやつの方が圧倒的に多い。
一見頭がよさそうに見えて本当はバカというのは見分けがつきにくい。
これもどの世界でも同じこと。特段に仲良くやる必要もなかろ。
戦後の思想家の中では吉本はまれに見る質のいい思想家だと思う。
日本の戦後に掛け値なしに優れた思想家がいたのは僥倖だった。
779 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 11:07:49 O
特定して反論してもその相手と議論できるかわからないのが2チャン
780 :
吉田メロウ :2008/11/23(日) 12:18:11 O
>>779 匿名でも相手が優れた話し手だと、はっきりと「この人」だっ
てわかりますね。そこが面白いっところですよ。つまりその主
張にちゃんと「私」がある。ネームがなくてもね。
(´-`;)y―~
781 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 12:40:25 0
はたしてそうかな?
>>776 「皮肉」だから削ったんだが、削ったら
>>774 の意味がわからなくなることに書き込んでから気づいた次第だ
訂正しても判らない奴がいるのは皮肉というか生憎だ
他人の挙げ足とりしかできないボンクラが利いた風な口をきくなと言ってんのさ
>>777 このスレは現代思想のスレでもなければ学問ゴッコのスレでもない
見ての通り、吉本オタの雑談スレ(漠然としたお題つき)だ
だいたい「現代思想」も「学問ゴッコ」も、つまり知的な理解力競争のお遊びなんてのは、
いまの日本ではほとんど成り立たないし成り立っていない。
そんなのはこの哲板の頭からいくつかスレを流し読みしてみれば、中学生にだってわかるわな
本気で哲学をやりたかったら親の金ふんだくってでも国内・国外の大学に学ぶか、
さもなきゃ(特に「思想」はもとから)自分で勝手にやるだけのことなんだ。
吉本オタには後者の人が多いし、たいがい年季も入ってるから、
こういう息抜きの雑談スレならまだ成り立つわけだ
そんなことも判んない「学問ゴッコ」未満の痴れ者は回線切って宿題でもやってろ。
「仲良く」もへったくれもない。貴重な息抜きを邪魔する奴は叩き出す。そんだけだ。
>>779 誰も「議論しろ」なんて言ってるつもりはないよ。するのは勝手だけどな
雑談スレでもデマ野郎のレスはその通りに扱われるだけだから
それが嫌なら最小限のことはやれと勧めてるだけだよ
783 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 13:01:21 0
笠井潔は吉本について、「漫才や落語などの伝統的話芸にかんしては、 オタク的に一家言ありそうな雰囲気です」と書いているが、 コントについてはどうか。 吉本は松本人志『遺書』の書評で、松本はたけしやさんまの域まで 達してないと書いていたが、少なくともコントにかんしては、 「ひょうきん族」より「ごっつええ感じ」の方が上である。
>>781 お前さんもたまには「そうではないかもしれない」所以を語ってみせてもらいたいな
哲板でも純粋に哲学のスレなら、その疑問文だけで通してもらえるかもしれないが、
思想となったら主体性が問われるぜ。
この場合、主体性ってのは吉本の昔の文章によく出てくる「わたしのかんがえでは」ってやつだ
それがなくても哲学は実行可能かもしれないが、思想は実行可能ではない。俺はそう思う。
もっとも、そういう思想の手続きに意味があるかどうかは別の話だけどな。
定規とコンパスのほかに主体性があって初めて作図できる理念の幾何が存在するか、
またそれは実在として可能な幾何なのか、誰もまだ結論を持ってはいないんじゃないか。
>>783 それはちと不公平な比較だな。たとえばダウンタウンの漫才が話芸として
全盛期のビートたけしや明石家さんまのトーク番組の域にあるかと言ったら微妙じゃないか?
俺はここ数年テレビのお笑い番組はまったく見てないんで、最近はどうだか知らないんだが、
吉本が書評を書いた「遺書」の頃は、まだ観客や視聴者の「程度」を頼みにしてそうなところがあった。
松本にしてみれば当時は公私にいろいろ突っ張り通したいことがあってああなっていたんだろうけど、
あの時点でああいう評価になったのは仕方がないんじゃないか。
松本人志はむしろあれからものすごく進歩したように思えるし、一方で「たけし・さんま・タモリ」は
さすがにトシ食ったなというところが見え隠れするようになった。
いま吉本が書いたら別のことを書くだろうと思う。
ただ、それ以前に、吉本はもうそっち方面のことは書かないかもしれないな。
いまテレビ自体が急速に衰退しつつあって、吉本が番組や芸人の批評など書いてみせるような余裕が、
テレビ(業界)の側にも、またひょっとすると視聴者の側にもなくなっちゃってるからな。
785 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 15:06:07 0
修行者が空中浮遊すれば落ちるのが一般人より遅いはずだと力説していた件はスルー? ソースは『吉本隆明氏に聞く学校・宗教・家族の病理』
>>785 書名は挙げても本文の引用はしないというのが引っ掛かるんだが。ま、とりあえずはいいか。
その本のことは忘れていたし、いま手元にもないが、当時(1996年頃)これに類したことを
吉本があちこちで言っていたことまでは、うっすら覚えている。その俺の不確かな記憶では
(1) 「科学者が確かめもしないで頭ごなしに否定し、あまつさえオウム糾弾の根拠のように主張するのは
論理としておかしい」という文脈
(2) 落ちるのが「遅いはずだ」というよりは「遅いということはありうる」くらいのニュアンス
(3) それ自体に観察者の主体が関与する、宗教的(幻想的)な行為の枠内で考えるべき現象を、
一般常識的な、あるいは客観的実証的な現象の枠内で短絡的に解釈することの不適切、という
思想上の立場からする主張、または示唆
だいたいこの3つのどれかの中で言っていたと思う。
この3つの背景の上に置いてみれば、まったく理解不能なことを言っているとは思わなかったし、
今も思わない。
とはいえ、さすがにこれを真っ正直に受け止めるには、字面的に突拍子もなさすぎることが書いてあると
感じたことがあるのも確かだな。読んでそれなりに当惑させられたものだった。
伊豆で溺れかけたのはこの前後だし、心身とも相当参っていたのかもなと推測もした
(この手の憶測については辺見庸との対談その他で吉本は基本的に否定している)。
オウムの件が沈静化して以降は、吉本はこの種のことを上の(3)のあたりで語っていると思う。
三木成夫の著書だってこのくらいのことを背景に置いて考えないと、到底科学とは呼べないような
記述に満ちている。これから先も何度となくツッコミの入る箇所だろうが、吉本がこの点で譲る気がない
のは確かだと思う。
あとは
>>785 自身がどう考えているのか、語りたければ語ってみせたらいいや。
787 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 18:27:46 0
>>784 >それはちと不公平な比較だな。
なぜ、不公平なのでしょうか?
>いまテレビ自体が急速に衰退しつつあって、吉本が番組や芸人の批評など書いてみせるような余裕が、
>テレビ(業界)の側にも、またひょっとすると視聴者の側にもなくなっちゃってるからな。
読解不能です。
>>787 「不公平」というのは、吉本がこの手のことを論じるときは基本的に「話芸」について論じているし
松本の「遺書」についての評も「書かれた話芸」についての評であったように記憶している。
で、「ひょうきん族」はドタバタギャグの番組で、話芸のよさで人気を博していた番組ではなかったと思う。
片方で「遺書」評を引っ張り出し、他方で「ひょうきん族」より「ごっつええ感じ」の方が上、というのは、
まあ不公平というか、バランスが変じゃないかと。
「読解不能」に関しては、
>>784 の「〜書かないかな。」より下は俺が個人的に持っている印象を述べたまでなんで、
その印象を共有しない人にとっては読解不能で当然だと思う。
もちろん自分の印象にすぎないものを他者に強いるつもりはない。
もちろんまったくデタラメを述べたつもりはなく、テレビ局のCM収入が減っているとか、
いくつかのキー局がかつてない赤字を出したというようなニュースを近頃よく目に耳にする。
一方でニュース報道やコメンタリーが弱者や失敗者、少数者に対して極度に不寛容な
イメージの決め打ちで報道しがちな傾向を、これはもちろん主観だけれど、俺は感じている。
オウム事件以後に吉本が産経新聞以下のジャーナリズムから「麻原を評価するなどと言った」などと
そのようなことを言ったこと自体が許されざることのように集中的に非難されたことはご記憶のことと思う。
ちょうどあれと同じことを今日ではテレビ報道が、企業や個人の些細な不業績や逸脱的な振る舞いの
すべてに向けて無差別に、あたかも社会的殺意の執行人でもあるかのような勢いでやっているように
思えてならない。あまりひどいので、俺などテレビを見るのが嫌になった。
吉本も、たとえば経済学者植草一秀氏の件を例にとって報道のあり方を批判していたことがある。
もうお笑い番組や芸人についての批評などを、呑気な表情を作って書く気はしないだろうなあ、と思う。
繰り返すけど、以上の少なくとも半分は俺の主観の混成物だから、違うと思ったら違うと書いてもらえばいい。
789 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 19:29:29 0
>>785 >>786 「やっぱり何千年かかって,座禅を組んで飛び上がれるとかって、別にいんちきでも何でもないですよ。
なぜそんなことが問題になるのかというと、要するに飛び上がったって落っこちてくるに決まっている
わけですね、重力があるから落っこってくるわけです。ただ、それこそ中国流でいえば体の内部をめぐる
気の流れ、何か知りませんがエネルギーの流れ。要するに上昇の流れをつくれるということなんですよ。
そうすると上昇の流れがあるために、何も修行をしない人よりは落っこってくるのが遅いというわけです。
遅くなることができるというわけですよ。だけど別に空中に浮いてるわけじゃないでしょう。落っこちま
すよ。落っこちるけど、あの連中が何ていうか知りませんが、科学流でいえば上昇気流みたいなものが
体内で 作れるということなんです。それが強力であれば、飛び上がれば落っこってくるのは普通の人より
遅くなる。これは明らかに、何かがなければこんなに遅く落っこってくることはあり得ないよということです。
それは修行すればできるでしょ。それができるといってるわけだから。/だから、そういうのは神秘でも
何でもない。修行でそうした。できたということですね。」〈学校・宗教・家族の病理〉P128〜P129
当時も今も読んでも当惑させられるものは一字一句もないな。吉本隆明、心身ともにまだまだかくしゃくとして
いた時分だ。この本の大半はオウムのことについて語られているが、気魂に満ちた弁述はつまらぬ容喙をはさむ
隙もないね。ただ当たり前の事ながら、もちろんこういう修行の果ての能力を吉本は全く評価はしていないので、
念のためにもう少し引用しておく。
790 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 19:33:51 0
「それで、よくよく考えれば、東洋というのはばかだなと思うけど、そういうことができるために何千年も
かかっているわけです。だけど、外側から考えると、そんなのできたからってどうしたのということに
なります。/東洋というのは西欧がなければ何千年もかかって、少し長く飛び上がれるようになったぞ
みたいなことしかしてないんだから、しようがないといえばしようがないですね。」〈同前P129〜P130〉
目の前に餓死寸前の人間がごろごろいてそれを救えもしないで空中を数秒間落っこちるのを遅らせる修行に
何千年も費やしてきたことに価値を置く東洋の修行僧をやんわり揶揄している。
もちろんそうだ。数年かかって一分でスプーンを曲げられる能力がもし身につくにしても、普通にすれば
誰でも両手で数秒で曲げることができるのだから。念力で消しゴムを10センチ移動させてウォーと唸ら
せてたってなんにもならない。だって幼児でも腕の可動域なら数十センチはすぐに動かせてみせることが
できるのだから。超能力の馬鹿馬鹿しさってのはそういうことにつきるってこと。吉本は麻原を高く評価
したが、それは優秀なヨカの修行者としてで、しかもオウムの修行のマニュアルが比叡山の権威めかした
修行のベールをはがしてみせてくれたことにつきる。親鸞はそういうことは馬鹿馬鹿しいので自分は降り
るよ、そんな修行なんかしなくったって念仏だけ唱えりゃいいじゃんという教義にしたんだが。そういう
親鸞を評価する吉本が、ひっくり返っても麻原やオウムにイカれるわけないのも自明だ。
>>785 はせっかく
ネタ本を持っていながら論旨も読み取れないんじゃしようがないぜ。
>>789 あーこれか。思い出した。悪いけど俺は確かにこれには当惑したんだw
これでも一応理科系だし、当時は出戻り大学生をやっていたんでね。
>それこそ中国流でいえば体の内部をめぐる気の流れ、何か知りませんがエネルギーの流れ。
>要するに上昇の流れをつくれるということなんですよ。
どんな未知のエネルギーがあるとしても、それを「体の内部」でいくら巡らしたって
体が浮いたり、落ちるのが遅くなったりするわけないだろ、そんなの物理の基本じゃねえか、
くらいのツッコミを無言で入れながら読んでいた。
もちろん本当は体内で上昇気流(?)を作るだけじゃなく、何らかの形でエネルギーを体外へ放射している、
そういうことがあっておかしくないと言いたかったんだろうけどな。それは字面上は抜けちゃってるんだ。
まあ、その場の言葉の綾で大雑把に舌足らずになっちゃったということは、この文脈と語り口ではありうるし、
また吉本は現役のプロの科学者ではないから、どうでもいい細部まで発言に科学的厳正さを求められなきゃ
ならん謂われもない。特に目くじらを立てることでもねえな、と判断して読み進んだけどね。
792 :
考える名無しさん :2008/11/23(日) 20:28:56 0
>>791 少なくとも大雑把で〈舌足らず〉ってことはない。
そのくらい文脈と語り口で読み取るのは一般的に普通の読み方。
信者フィルターがすごい
>>792 何か勘違いしてないかな?俺は
>>791 で
「この文脈と語り口の上で読むなら、
>>789 の引用部分で吉本が、科学的には大雑把で舌足らずも
甚だしい珍説を披露する格好になってしまっていても、そんなのはたいして問題ではない」
と言ってるつもりなんだが。
>>791 で俺が書いてる補足だって、これが「一般的に普通の読み方」だとは思わない。
ましてや文脈と語り口から
>>791 の補足分を導出できるなんて信じらんねえな。
だって字面上まったく存在しない内容を埋めてるんだぜ。
俺が吉本オタだから「漠然とこんなことじゃないのかねえ?」と見当をつけられるってだけだし、
そんな怪しい見当つけておくだけで構わないというのも、オタらしく吉本を信頼しているからで、
この部分がどんな大雑把だろうと、本当の結論は未来に向かって留保して構わないと思えるからだ。
795 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 08:08:28 O
これは踏み絵だな。
796 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 08:58:37 0
>>794 吉本の弁述は「大雑把で舌足らずも甚だしい珍説」に「なってしまって」いない。
ちゃんと読めば普通に分かるないようなので、勘違いしようがない。
個々人でどんな内言語でイメージしようが補足しようが「字面上」にないことも
含めて読み取り、著者の世界と了解を共有したり異和を抱いたりするのが普通の
読み方。「導出できるなんて信じられないな」というのは大仰で自分を買いかぶり過ぎ。
吉本オタであろうとなかろうと時折顔を出すバカでない限り、普通に読めて了解
できる。よけいなレクチャーされても困るんで補足しておくが、文章の流れを
行間を埋めながら了解する時の「内言語」はあんたと同じ語彙でなくてもかまわ
ないのは、誰であっても自明のこと。
>>795 >>789 の引用部分の珍説を許容できるかどうかが「吉本オタの踏み絵」だと言いたいなら、
俺はそう思う。
そうは言っても、これは話の一部でしかない。もとは
>>786 で俺が書いたような(1)とか(3)の
文脈上にある話で、(3)はともかく(1)を理解するかどうかは吉本オタがどうこうの話ではないと思う。
珍説の方を理由に(1)を棄却したら、立場に関係なく「バカ」だと言われると思うよ。
まあ、吉本といえどもたまには変なこと言うんだ。いつぞやも「君が代」の歌詞を批判して
「サザレ石が(成長して)巌になるなんて非科学的な歌詞はおかしい」みたいなこと言っていた。
非科学的はそらそうだけどさ、そういう問題じゃねえだろw と田中の顔でツッコミ入れたくなったよ。
>>796 どう補って読むかはその人によるというのはその通りだ。
けれども字面上書かれていないことを補って読むということは、多少なりとも言ってる相手に対して
好意的なところがあってこそできることだと俺には思える。批判的な、あるいはニュートラルな読者に
対してそんなのは通用しないんじゃないか?
実際、この箇所はもともと「空中浮遊はインチキだ」の科学者に対抗して言ってるわけだから、
もともと懐疑的・批判的に決まっている科学者に向かってこんな大雑把な珍説並べたって
納得するわけがない。それどころか火に油を注ぎかねないと思う。
俺だったら、仮にニュートラルな科学者からここの箇所を指摘されて「これはムチャクチャじゃないか?」
と問われたら、まったくその通りだ、と答えた上で自分の理解しているところを説明すると思う。
「このくらい文脈から読みとれんだろjk」なんて言わねえよ。そんなの通用するわけないからな。
また吉本にしても、直接そう問われたら同じように対応するはずだ。それが科学者の常道だって
弁えているだろうからな。もっとも、たいていの批判者はそんな当たり前の手順すら踏まないで
初手からデマばっかり流したがるもんだから、いつも話がこじれるわけだけどな。
クオリアについてはどう思っているんだろう?この人は。
799 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 13:57:18 O
本業は詩人又は文芸評論家なのにオタは分かり易い哲学ばかり論じてる故にオタ
800 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 14:10:21 O
木を見て森を見ず著作の大半は詩、言語論だからな
801 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 14:43:16 0
「読む」という行為は相手が誰であろうと同じこと。批判的に読むということは対象に分け入って深く読み抜くということ。 また「読む」という行為は常に本質的に批判的でありきちんと「読む」ことは一般的に「批判的」な読者のうちに成立するので、 ニュートラルな「読む」という行為は存在しない。もしニュートラルに読んでいると思っている人間がいるとしたら「読む」と いう行為が分かっていないナイーブな読者か、あるいはただのバカな読者だろう。 加えて「読む」ということは、書かれてあることに「補足」して読むことでもない。すでに書かれてある言葉と自分の内言語との 対話の中で著者の世界と了解したり異和を感じたりすることで、いわゆる行間を埋めたり、紙背を読むということはいうことは 自分の考えを足してやって「補足」して読むということではない。また著者自身も「書く」「話す」という行為で自分の考えを 過不足なく表現できるということはあり得ない。吉本の言葉で言えば「真実を語ると世界が凍るという妄想」が言葉の背後には ある。そのような異和を著者と共有することも「読む」という行為に含まれる。言えることはニュートラルな立場で「補足」して ものが読めるという考えほどお気楽な幻想はないということだ。 吉本が「ニュートラル」な科学者から「ムチャクチャじゃないか」という物言いで問われて、吉本が別な言葉で答えてやるのか、 あるいは馬鹿な科学者と思って無視するか、なんていう仮定の話は想定するだけ無駄。問われた意図や雰囲気、聞き手の思想性の 深浅よって生起するナマモノなんで、それこそ「ニュートラル」な質問や「ニュートラル」な「お答え」など存在しない。
>>798 クオリアについて吉本が何か言ってるのを聞いたことはないな。探せばあるのかもしれんけど。
実際、わざわざそっちから用語や概念を借りて来て論じる必要があるとも思えないし。
西欧哲学プロパにとってはそこで論ずる理由があるとしても、そうでもなきゃどうだっていい概念じゃないか?
ジョン・サールは「そんなのはただ『意識の主観性』って言やいいじゃねえか、なんでわざわざクオリアとか」
って言ってる。サールは英米では(たぶん)珍しく主観性を当たり前に認めるからな。
でも現代英米哲学の主流は、心の底じゃ主観性はなしにして済ませたいと思ってるところがあるもんだから、
クオリアみたいなのが結構な大問題になったりするんだ。「クオリアの自然化」なんて言って。
むっつかしいことやってるよな。
英米哲学にはマルクスやヘーゲルを読む習慣がそもそもないもんだから、
今頃んなって唯物論論争やってる(やらざるを得なくなった)ようなところがあるように思う。
吉本はどうか?もとがマルクスやヘーゲルの吉本にとっては「心的現象論序説」の冒頭あたりで鎧袖一触、
後は全然問題にもしてないと思う。ただ、割合最近になって機能主義的タダモノ論をまんま移植してきて
変なこと言う奴が増えてきたから、たまに文句は言ってるみたいだけどな。機能主義は40年も前にさんざん
やっつけたはずだったのに、いまごろ別口でまた現れやがったと思って舌打ちしてるんじゃないかな。
>>799 そう思うんだったら文学板にでも行って、わかりにくさの衒学で一番競ってりゃいいんだ。ここは哲板。
>>800 作品数だったらマルクスでも詩が一番多いかもしれんな。数えたことないけど
803 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 16:33:27 0
そういや、「木を見て森を見ず」は欧米人的思考様式の特色かもしれないと 心理学的実験などを用いている論じている言語心理学の書があったな。 それに対して「森を見て木を見ず」がアジア人的思考様式なんだとか。
>>801 言わんとすることは判るんだが、俺はそこまで言う気がしないというだけだな。
まあ、これ以上は俺が言ってもしょうがない感じだから吉本のを引用する。
だいたいこの不況で忙しいご時勢に、他人の書いたものを丁寧に読み、
そのうえで批評するなどということは、よほどの愛着がなければできやぁしない(試行#65)
これに類したことは「情況の発言」で何度も言ってるわけなんだ。全部探すのは面倒だからしないけど。
俺は、吉本がただの照れや謙遜のたぐいでこんなこと言ってるとは思わないんだ。
あとは
>>797 で俺の書いたことに対する細かい勘違いがいくつかあるような気がするから
書いた本人として「補足」させてもらう。
>いわゆる行間を埋めたり…自分の考えを足してやって「補足」して読むということではない
「補足」ということはもちろん「読む」ことそのものではなく、読んだ結果として理解の内側で起こることの
外的な反映のひとつにすぎないよ。ただ外側から見て存在しない、導出もできない字句を
読みとっているように見えれば、それを外側からは「補足」と呼ぶことに特に問題はないはずだ。
>ニュートラルな立場で「補足」してものが読めるという考えほどお気楽な幻想はない
ニュートラルな立場で「補足」なんかできるわけない、そんなのはオタだからできるんだと俺は言ってる。
じゃあ読者はすべからくオタでなくちゃいけないのか。そんなわけねえや、と言いたいわけだ。
>「ムチャクチャじゃないか」という物言いで問われて
もちろん現実の科学者が見ず知らずの、初対面の相手にいきなりそんなこと言うわけがない。
互いの正体もわからない2chでカキコするんじゃあるまいし、そんな失礼なことするわけないだろ。
学生はともかく、大人の科学者だったらその場の礼はきちんと尽くすさ。
尽くしたって訊いてることは、ぶっちゃけそういうことだったりするってだけだ。
あれれ、オタの俺としたことが。
>>804 の「情況の発言」はもちろん「情況への発言」だ。
>>803 そこまで単純化されるとちょっと何だかなという感じはしてくるな。まあ実験結果がそうなんだろうが。
でもどうなんだろうな。
アジア人のことは全然判んないけど、日本人の思考様式ってのは即物的なところに
特徴があるような気がするんだが。俺もそうだが方向オンチの人が多いよな。
「地図を見て道を見ず」「道を見て地図を見ず」で、いつまで経っても道と地図が頭ん中で
結びつかないってやつだ。そのくせに廃道オタクや地図オタクがたくさんいたりしてな。
807 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 17:54:48 0
>>804 よく「補足」する御仁だな。まあ、いいか。
俺はあんた文の中の語彙や言葉遣いを用いてやってるつもりなんで
これからは初めからあんまり「補足」しなくて済むようにたのむぜ。
>>807 色々と至らないところがあるのは申し訳ない。
ただ俺はここでは自分のことを「ただの吉本オタ」と規定し、このスレは「雑談スレ」だと思ってやって
いて、実際何度もそう書いているので、書いてることの真剣度や稠密性もそのくらいのところで考慮してやって
いただきたい。むしろ単なるオタ談義の枠を外れてしまった時こそ注意していただけると有難い。
もちろん文脈関係なしにでも真面目に問われたと思ったことは、バカなりに精一杯真面目に答えます。
809 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 18:30:18 0
読解と補足の境界を設定して下さい><
>>809 ちゃんと意味が取れてるかどうか自信がないんだが、
読解というのを内的な過程、補足というのをその外的な現れの例とすれば
両者の間に境界なんて設定できるはずがないんじゃないかしら。どうかしら。
811 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 19:35:59 0
>>809 「読解」は「読解」、「補足」は「補足」、それぞれに固有の意味がある。まず辞書をひくことだろうね。
その上で、論文、批評、随筆、書簡、座談、それぞれが個々の形式を持っていて、例えば論文だったら
全体の組み立てや展開によってルールがあるし、エッセイや手紙のようなものなら筆の運びや息づかい
によって変わる生きものだろ。もともと概念の異なるものだし、しかも境界の「設定」なんてパソコン
じゃないんだから無意味だよ。
812 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 23:28:49 O
役立たず
813 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 23:33:16 O
セックスしたら出るぞ。全員じゃないけど。だけど自分勝手に子供作りゃあいい問題じゃねえのわかるよな?馬鹿じゃねえんだからマジで
>>812 オタと哲学が人様の役に立つようになったらオシマイですよ
個人がいちばんと集団性を忌み嫌いながらも、宗教を求める吉本爺さんの発想がわからん。
817 :
考える名無しさん :2008/11/24(月) 23:56:54 O
哲学のお陰で深く考えることができ知的な私を作る
>>816 吉本は「信仰はない」と常々言ってるし、それどころか「何だろうと信念というのは嫌い」だとさえ
言っている。宗教的な信念だけではない、知的な信念だろうと科学的という信念だろうと、
信念と名のつくものは全部好かん、ということだと思う。
ただ、批評家とはいえ吉本も文学者には違いないから、人間精神の不可解とかその深淵とかに
どうしても一番関心が向かわざるを得ない、ということなのだろうと思う。
俺みたいな理科系の単純な無神論者が書くとミもフタもない書き方にしかならないのだが、
それを持たない者にとってみれば、信仰ほど人間精神の暗い部分を感じさせるものはないわけで。
>>817 それは吉本スレで言わない方がいいよ
いや、言ったっていいんだけど
吉本は「それ(知的な私)は病気だ」って、これ以上ないくらいきっぱり言っちゃってるし…
連休ボケなのか、なんか凡ミスばかりやってるな…
>>818 の「何だろうと信念というのは嫌い」というのは吉本が言った通りの字句ではない。
割と最近の本のどれかで言っていたんだが、いま出典を思いだせない。
実際はもうほんの少し柔らかい表現だったと思う。
820 :
考える名無しさん :2008/11/26(水) 01:28:51 0
うーーん。戦後最大の思想家とは吉本のある種カリスマ性の成せる技だ。 吉本思想の核の‘大衆の原像’というのは実現されなかった。吉本は共産党 にも批判的だったんだが、それは体制や権力者への批判と共に新たな体制を構築する のが大衆の原像、一般の国民がなにか出来ると思ったのが大間違いだね。 吉本は戦後文学者の転向に手厳しい批判をしたがそれは時の状況(戦争状態=ファシズム) がそうさせたんであって、平和時に大衆の原像なんてのも要は実社会を知らない、つまり 知識人のたわごとだった。 埴谷との論争も罵倒。罵倒でこきおろすっていうのは、チンピラのやることで 山口昌男や谷沢永一、古くは花田清輝にもそうだった。山口のことをチンピラと言った りね。 結局、この人ファシズムを批判しながらスゴイファシスト的で、思想においても生ヌル かった。 あれは全共闘の盲目的な人間が崇めまつり、その後の日本の知識人の知的貧困が吉本をカリスマ に見せたのだろう。
吉本の知的限界は数多くあるが、まあ70年代の人だったんだろうね。高度資本主義だの消費社会だの 言ってたが渋澤龍彦が団地に住む人を例えて吉本のいう高度資本主義社会を批判したら、猛然と批判して いたもんな。 あと、朝生に頻繁に出演していた西部にもそう。西部が自著で吉本の大衆の原像を批判 していたときもね。 大体、大衆の論理で何か動いたことなど、古今東西皆無に等しい。吉本は戦争体験で軍国主義が ダメ。これは分かる。左翼もダメ。これも分かる。 しかし、大衆がなにか出来るなんてのは、あまりにも現実認識の欠落した人間の言うこと じゃないか? そして、もうひとつの致命的な大誤爆が‘高度消費社会’、‘高度資本主義’を無批判に無節操に受け入れた 点だ。自著でも超資本主義なんてあったが実現するわけないだろ。 これは消費社会になったら、物を消費、買うのが大衆だからその大衆がイニシアチブ を握るという全くもって荒唐無稽な論だった。思想というのはあるとき現実を踏まえなきゃいかん というのが吉本には間違いなくあった。そうじゃないと軍国主義とか理想だけの左翼になる。 その対抗理論として持ってきたのが、高度消費社会=大衆の原像=大衆の勝利だという 短絡的な思想で今、考えれば高校生レベルじゃないか。 ボードリヤールが来日したとき吉本と対談したんだが、吉本は消費過程で大衆が リコールすればそれでよくなるみたいなこと言っていて、ボードリヤールは その論のあまりの稚拙さに、もういいと投げてたもんな。 この辺がやはり欧米にはいつまでも肩を並べられない日本の限界だろう。その 限界を吉本に見たね。
822 :
考える名無しさん :2008/11/26(水) 03:26:43 0
>>820 何のことはない、お前さん自身がその吉本のカリスマとやらにイカレまくってきた当人じゃないか。
そう顔に書いてある。
俺は全共闘世代のことなんかほとんど何も知らないが、知らないおかげで
吉本にカリスマなんかまるっきり感じることもなくて済んできた。読み込んだ分だけオタにはなったがな。
そうすると逆に、もと全共闘やら、その応援団だか何だかのイカレポンチが言いそうなことはさ、
字句を眺めるだけでピンと来るんだ。
べつに霊感もヤマ勘も第六感もいらねえ、「これいったい誰の話よ?」と思うくらいピントがズレてんだ。
なるほどかつては吉本がカリスマだったんだ、いろいろと他人の人生狂わしてる人だなあ、と
こういうレスを読むたんび複雑な気分にさせられるな。
どうせなら己の40年になんとする知的貧困ぶりを自己批判するところから始めたらどうなんだ?
病気が病気の自己批判自己否定やってみせたところで、いまさら何がどうなるとも思えないわけだが、
程度と質の大差こそあれ、吉本に人生狂わされてるオタのよしみで許してやらんでもないことさ。
>>821 わざわざ読んでくれなんて言わないけど、このスレでも大衆の原像について時々やってるわけだ。
そうでなくてもスレタイに「情況へ」「試行」が入ってる。これらの中で
吉本は「大衆の原像」について中学生がうっかり読んでも勘違いしようがねえくらいの説明をやってるのさ。
>>820 もそうだが、あんたもまた何にも読んでない上に、どういうわけか読んでもいないことを
一言一句全部勘違いしてるよな。読んでる奴には丸わかりなんだぜ。
少しは恥入ったらいいんだ、このデマ廃人どもが。
824 :
考える名無しさん :2008/11/26(水) 11:35:09 O
>823 どうもどうも、それでいいです。話は変わりますが、「心的現象論」はなんで出版されないのですか?知っている人いたら解説願います。
825 :
考える名無しさん :2008/11/26(水) 19:38:47 0
「心的現象論」文化科学高等研究院出版局 8400円 他にも猫々堂から出ている「吉本隆明資料集」で29号から分冊で読むことができる。 人文系の本がそろってる大きめの書店ならたいてい置いてある。もしなくても注文 すればすぐに取り寄せられる。読むなら本気で読めよ。ところで序説は読んだのか。
826 :
考える名無しさん :2008/11/26(水) 19:48:58 0
>>820 >>821 こういう馬鹿が連チャンのスレで出てくるんやなあ。
ものを読む初歩的な力もないんだろうな。なんか呆れるね。
いちいち阿保相手にすると疲れるからやめとくわ。
>>824 がどっちだか知らないが、インターネットはあんまり慣れてない人のようだな
2chでもよそのスレだったら一言「ググレカス」ってやられてるとこだよ。
ところで、文化なんたら(長えよまったく)から出てる8400円のやつの題名は「心的現象論本論」だ。
今ググってみたら「本論」つけなくてもどっちでもちゃんと引っ掛かるけどな。
ややこしい話だが、同じ出版社から「心的現象論」(21000円)の題名で一度出ていて、
「本論」つけずにググるとそっちも一緒に引っ掛かって来る。
まだあちこちの本屋で古い方の在庫があったりするようだ。間違えないように。
もの凄い勢いで山本哲士がツッコミに来たら大変だから一応フォローなw
吉本スレだから吉本信者が多いのか?しかしこれじゃひどすぎるだろ。820=821
だけどさ。まるでこれじゃ3回戦ボーイ、いやプロテストを受ける前の練習生レベルじゃないか?
まずこの
>>823 だけどちょっとまずいんじゃないか。
>べつに霊感もヤマ勘も第六感もいらねえ、「これいったい誰の話よ?」と思うくらいピントがズレてんだ。
どこから霊感やヤマ勘、第六感が出てくるんだ。そして‘なんの意見もない’。これいったい誰の話よ
って、なんの具体性もない。
ムキになって吠えてるけど
>程度と質の大差こそあれ、吉本に人生狂わされてるオタのよしみで許してやらんでもないことさ。
吉本に人生狂わされて全共闘じゃないってどんな人種なんだ。
深く読み込んだならなんか論のひとつも書いてくれよ。オレまさかここまで
ひどいと思わなかったぜ。漫画読んだほうがいいんじゃないか。
>>826 これも論外だよな。吉本スレに出入りしてるなら3行以上でなにか書いてくれよ。
程度の低さが露見するからってさ。
>いちいち阿保相手にすると疲れるからやめとくわ。
負け犬になる前に痩せ犬の遠吠えで逃げるという2CH独特のパターンだな。
吉本も泣いてるよね。
もっとガツンとしたのないのか。せめて3回戦くらいの。あまりにひどすぎるわ。
誰かこのスレで吉本の『大衆の原像』が今もって有効性あるのかどうかを論証 してくれよ。 捨て台詞とか痩せ犬は抜きでね。頼むわ。
別に「心的現象論」とかって難しく考えることもないんだよ。それは70年代の言葉遊びで終わってるんだから。
分からんだろ。
>>823 には。
吉本はもう人生論とか老いをテーマにして書くことしかできなくなってる。思想家とは程遠い。そんな人生論
なんて吉本じゃなくても他にいくらでもいるだろ?生活のためもあったかもしれないが、
埴谷のほうがよっぽどいさぎよいな。売文家になったんじゃないか。
面白いこと教えてやるよ。吉本は田中角栄を肯定している。オレも田中は好きなほうだ。
田中と吉本は似ている。
田中は高度経済成長を達成した日本がさらにもっと豊かにと行動した。
吉本は『わが転向』だかという自著のなかでそれに近いことを言っている。
僕なら平気で人から贈り物をもらいますねとかな。
要は豊かになれば、それで万事okという思想だ。
だが、そんなことはないんだよ。
田中は貧農の出身で政治家だからそう考えるのはある程度わかる。しかし
吉本は文学者であり思想家だ。
そして吉本は経済はまるで分からない。第三次産業に資本注入すればそれで
よしとしている。ある一面頷けるがその手続き(過程)の説明が一切なされていない。
要は荒唐無稽なわけだ。
大体その程度のことしか言えないなら共産党のいう、自民、財界、高級官僚が日本を
ダメにしているという彼らの主張のほうがより強力なメッセージを発している。
オレは共産じゃないけどね。
吉本の思想はこの程度だよ。つまり宮台の言ったなしくずしに高度消費社会を肯定した
吉本はもう終わったということ。だいぶ前にな。
>>828 俺としたことが、とんだ勘違いをしでかしちまったようだな。
お前は全共闘崩れのデマ廃人じゃなくて、単に字の読み方すら判んない糞ガキだったんだな。
お前さんのセリフをそっくり返してやるよ。「まさかここまでひどいと思わなかったぜ」。
何がプロテストだ練習生だ。笑わせるな。お前はジムの会費すら払えないくせに
テレビの前でチャンピオンみたいな顔して嘘八百並べて試合解説ぶってみせてる知的貧者じゃないか。
>深く読み込んだならなんか論のひとつも書いてくれよ
俺(823)は「深く読み込んだ」なんて書いてないぜ。
「読み込んだぶんだけオタになった」と書いただけだ。そんなことがどうして
「論のひとつも」書いてみせなきゃいけない理由になるんだ?
もっとも
>>820 が初歩的でも何でも普通に吉本を読んだ感想だったら
俺は何か書いたかもしれない。俺は、そういうのはバカにしたり侮ったりはしていない。
このスレの中でもそうしているはずだ。だけど
>>820 はそんな「いいもの」じゃねえだろうが。
全然判ってないみたいだから重ねて言うが、
>>820 も
>>821 も、
吉本の著作なんてまともには一冊読んでもいないやつが、どこかで人づてに聞き込んできた
デマ話か何かを組み合わせて、読んでるこっちが「これいったい誰の話よ?」と呆れるしかないような
そういうデタラメ並べた文章の典型なんだ。
(このスレじゃ意見が合うことなんてめったにないんだが、お前のに限って珍しく意見が一致してるぜ)
そんな嘘八百に向かって
>>823 以上の何が書けると思うんだ?
(つづく)
(
>>831 の続き)
>吉本に人生狂わされて全共闘じゃないってどんな人種なんだ
「程度と質の大差」って書いてあるだろ。わざわざ引用までしといて読めないのか?
俺はオタだから吉本の著作だけでかれこれン十万くらいは遣ってる。
おまけに、こうして夜な夜な吉本スレで何か書いていたりする。
「ほかにすることねえのかよ」って、吉本オタじゃない奴から見れば思えるはずのことだ。
そのぶんだけ、ほんのカスリ傷程度だが、確かに俺も吉本に「人生狂わされてる」。そんだけさ。
驚くようなことでも何でもない。そんな奴は全共闘世代でなくても、字が読める日本人なら、
どの世代にだって、少数ではあってもいるんだよ。当然のことじゃないか。
ちなみに、俺が全共闘について知ってることと言ったら、
25年ばかり前に予備校生だったころ、物理では山本義隆の授業を受けたことくらいだよ。
もうひとつ言っておく。
「吉本に人生狂わされて全共闘じゃないってどんな人種なんだ」って、こんな言い方するってことは
お前さん自身は疑いもなく「吉本に人生狂わされ=全共闘でしかありえねえ」と思ってるってことだよな。
その思い込みは大間違いだし、そういう大間違いの思考パタンでものを言ってるってことは、
少なくともこの俺には完璧にバレちゃってるんだ。ほかでもないこの俺がそうじゃないからだ。
要するにお前さんは典型的にステレオタイプにあてはめた上でなければ事物が見れないし、
それについて考えることもできない、だから逆に、自分でそう思い込んだイメージに整合していさえすれば、
どんな嘘でもデマでもすいすい本気にしちまう上に、嘘八百じゃねえかと指摘されてさえ
それを認めることができない、そういうダメな奴になってんだ。その結果のひとつふたつが
>>820 や
>>821 の体たらくなんだ。誰がそんなものまともに相手すると思うんだ?
ひとりでよくよく考え直してみたらいいんだ。
>>829 まずお前が自分で読んで判断しろ。
「『情況への発言』全集成」全3巻はまだ売ってるはずだからな。
>>830 >それは70年代の言葉遊びで終わってるんだから。分からんだろ。
>>823 には。
ああ判らんね。吉本自身も判らないままだったから、「心的現象論」は「試行」終刊と同時に
未完となったわけだろうしな。俺が「本論」を買ったのは、そうは言っても30年かそこら書き継がれた論考だし
その時々の吉本の思考の道筋を追う上で何かの参考資料になるかもしれないと思ったからで、
それ読み込んで吉本思想の精髄をなんて、そんな大それたことは思いも寄らないことだな。
もしかしてお前さん自身はそれを目論んでるのなら、まあ頑張って読解すればいいさ。
ここ数年の吉本は「老い」や「死」について書く機会が増えているが、「人生論」を書いているとは思わないな。
むしろ「他にいくらでもいる」ような知ったかぶりの人生論なんぞ書きたくもねえと思ってるから
書く方も読む方もパッとしない「老いの現実」の現象学風ばっかりたくさん書いているんだろう、と
俺は思っている。いい加減たまに閉口させられてもいることさ。
あと、吉本はそれとは別口で文芸評論家としての仕事もやっているだろ。そっちも忘れちゃいけないさ。
吉本が田中角栄を「肯定してる」だって?どこをどう読んだらそう思えるんだ?
吉本は「麻原を評価する」「毛沢東を評価する」というのと同じような意味で
「現代日本ではほとんど最後のアジア型大物政治家としての田中を評価する」ようなことを
確かに言ってはいる。でもそんだけだぜ。
別に日本の政治家や政治理念はすべからく田中のようであるべしなんて、吉本が言ったことはないはずだ。
ただ、そんだけのことにしても、吉本のように田中角栄を評価している人物は
昔からの田中角栄の提灯持ちみたいな連中を別にすれば、ほとんどいないと思うけどな。
吉本に経済がわかっているかどうか、そんなことは俺にも判断がつかない。
ただ、そんな風に言うんだったら、まずお前がここ数年の日本経済なり世界経済なりについて
どんな理解を持っているんだか、ここで俺にも分かるように言ってみせてくれ。
お前だって何も言ってないじゃないか?何も言わないのは吉本の荒唐無稽よりマシだってのか?
「分からないから言わない」ならそれでいい。でも、それなら「吉本は分かってない」とも言えないはずだ。
(つづく)
(
>>833 の続き)
だいたい「第三次産業に資本注入すればそれでよし」なんて吉本は言ってねえよ。
現在の日本経済は6割を個人消費が占めているんだから、日本経済を活性化するには
個人消費を最優先にして上向かせるべきなんだという意味のことなら、
吉本はそれこそバブル崩壊前から言っていたんじゃないかな。
ところが日本政府の経済対策は相変わらず企業、それもおおよそ第二次産業の方ばっかり向いてきた
わけで、そんなんだったら個人消費に直結している第三次産業に注力した方がまだましなんだという、
そういう文脈で「第三次産業」って言ってるわけだ。お前さんが言うのとはニュアンスが違うんじゃないか。
なるほど、吉本が具体的にどう個人消費を伸ばせばいいかについての政策提言までできている
わけではない。もともとそんなことする気もないだろうが、それは事実だ。
でもそれは吉本には「経済が分からない」ということの証拠にはならないよ。
俺が記憶している限り、経済の専門家が雁首揃えて「個人消費を」なんて公に言い出したのは
吉本がそれを言うようになって優に5年や10年は経ってからのことだったはずだ。
そしてそれから以後でも、そいつらが個人消費拡大について何か実効ある政策などを打ち出したと
いう印象も、俺のいる場所(ほぼ一般の消費者大衆の場所)からだけ言えば、まるでないんだがね。
もちろん吉本の方が分かってるかどうかは、これだけでは言えないが、より分かっていないという風には
言えないと思うんだがな。
吉本が終わった思想家だとしても、お前の思想は要するに始まってすらいないんだ。
また宮台がお前の言う通りの文脈でそう言ったのだとすれば、宮台もまた終わっているんだ。
実際、宮台自身がこの間いろいろなし崩しに肯定したり否定したりを繰り返していて、
いまどき建築学博士課程の若僧からツッコミ入れられまくってんだからな。
別にできもしねえ思想なんて始める必要もないんだが、お前は始めたいのだとしたら、
こんなとこで呑気に油売ってる場合なのか?まあ息抜きの雑談スレなんだからいいけどさ。
ただ、デマくさいこと言うのはやめろよ。お前もかなり怪しいこと言ってるんだよ。
835 :
考える名無しさん :2008/11/27(木) 16:33:24 0
>>820 >>821 >>828 >>829 >>830 お前さんの文章のスカスカの内容にガツンとくるようなものが返ってくるとでも思っているのか。
本当におめでたいやつだな。3行でも返ってくるだけありがたいと思いな。面倒くさいからまとめて返しておく。
>吉本が「売文家になったんじゃないか」だって?
吉本は20年も前から自分のことを満腔の思いで「売文家」といっているよ。原稿を売って稼いだ金で米野菜を
買って身過ぎ世過ぎしている巷間の「売文家」だと自分のことを規定している。自分の仕事評価がどうであれ
毎月給料が入ってくる大学の教員や○×研究所の学芸員じゃないんだ。吉本の言い草じゃあ著者は自分の著作で
飢えることもあるんだぜ。かつて吉本は「お前にはまだ売文家としての悲哀がわかってないんだよ」といって馬鹿な
ジャーナリストを批判したこともあったくらいだ。ただけなしたいだけだろうが少しは相手のことも知っておけ。
これだけでもお前さんが吉本の思想とは遠く縁のない輩だということがわかるってもんだ。
>吉本の『大衆の原像』が今もって有効性あるのかどうかを論証してくれよ。
はあ?「有効性」だって?今時、昔のプロレタリア文学のプロパガンダの吹聴していた「文学」の「有効性」
じゃあるまいし、吉本が「大衆の原像」の「有効性」なんて幼稚なことは言ったことはただの一度もないぜ。
ましてや「大衆の論理で何か動いた」とか「大衆がなにか出来る」等という低次元の論理を展開したことも
ない。吉本は自らの思想を検証するメルクマールとして「大衆の原像」を根拠にしているというだけのことだ。
もちろん原像は理念であってイメージが具体的に固定しているわけではない。言えることはお前さんの稚拙な
文章は、十分お前さんの馬鹿さ加減を論証するぶんには「有効性」はあるってことだな。
836 :
考える名無しさん :2008/11/27(木) 16:51:00 0
さらに
>>820 >>821 >>828 >>829 >>830 「試行」の「情況への発言」は罵言もあるが、吉本が「試行」の「直接購読者」へ自分の素地のことば(佃の庶民のべらんめえ調)
で語っているものだ。それでも大方は相手からの売り言葉を買っての発言だ。売り言葉の中にはインテリぶったいやらしい
当てこすりもある。ただ、埴谷との往復論争のように「海燕」という商業誌上で行われた場合には、言葉遣いからちゃんと
礼を尽くしているのは普通に比べて読めば誰にでも分かるってもんだ。花田も、岡井も、山口も、渋澤もそれなりに吉本のことを
認めているさ。岡井などは吉本との論争をきっかけに自分の短歌理論を構築していった。
ずっと馬鹿なのは谷沢くらいだろう。谷沢なんか、自分がもともと左翼の活動家だったのを忘れたようにほっかむりした
まま書誌学なんかを専攻しつつ保守思想家然としていたのだが、吉本の著作歴を調べる方法があんまり杜撰だから本人が
指摘すると、そのことをずっと根に持ってる自称「人間通」の馬鹿な名誉教授だよ。自分じゃろくな仕事もしてないから
司馬遼太郎をやたらと持ち上げたり、開高健との交友だけをネタにしている能なしだ。ありゃ関西大学の恥だぜ。
吉本のケンカ言葉は佃の下町ことば(つくだんべえ)だ。少なくともお前さんのスカスカの文章より佃の人間の言葉の方が
よっぽど味わいがあるよ。
>吉本に人生狂わされて全共闘じゃないってどんな人種なんだ。
もしお前さんが全共闘世代なら全共闘世代の恥だし、相当の馬鹿だな。吉本に影響を受けて「遺書」に吉本へのメッセージを
残して自死を選んだ歌人の岸上大作を初め、ある意味で吉本に人生を狂わされた人間はむしろ全共闘以外で幾らもいるよ。
(もちろん吉本に何の責任もないが吉本はその負債を背負ってきている)お前さんみたいなポンチが出てくるいわれはどこにも
ないんだ。
なにがガツンとしたものが、だ。3行で十分過ぎるってもんだ。まったくふざけるんじゃねえよ。
先日、引っ越すために蔵書をかなり処分したが、吉本の本だけは惜しくて殆んど持ってきてしまった。数えてないが、『著作集』(勁草書房)『全集撰』(大和書房)『全対談』(青土社)などひっくるめると100冊はあるだろう。プラス弓立社のCD、DVDもある。 ちびちび読み直してるがやはり捨てないで正解だったと思っている。もう忘れた箇所を思い返したりや読みこぼしを見つけたり、楽しい。しばらくは吉本三昧になりそうだ。因みに小生、スレッドの冒頭文を考えた人間です。もう1000レスまで近くなってきましたね。
838 :
wisteria-1 ◆3MvUSsmnEU :2008/11/27(木) 18:22:24 0
>>834 ->836
確かに、吉本は「日本資本主義の研究」(署名うろ覚え)で、「主権個人消費」を解明していた。
ただ、個々の消費をどう組織化するか等に関しては、既存政党中央をハイアラーキーの頂点とする生協活動などとは違うよ、等というレベルの論考は進めていない。
しかし、吉本が、ここまでやるか、ということに対しては素直に驚いた。
839 :
考える名無しさん :2008/11/27(木) 18:56:23 0
840 :
考える名無しさん :2008/11/27(木) 19:31:18 O
主乙!同じく吉本の本は捨てれないよ。
841 :
考える名無しさん :2008/11/27(木) 20:46:15 0
>>838 吉本の論考に「日本資本主義の研究」ってのはなかっただろう。書名が違うんじゃないのか。
それに「個々の消費をどう組織化するか」なんて吉本の思想のスタンスからは逆立ちしたって出てこないぜ。
842 :
考える名無しさん :2008/11/27(木) 21:30:26 0
>>837 引っ越しってのは本当に大変だな。
俺もこの春に引っ越したんだが、蔵書が3000冊くらいあって段ボール箱で100箱以上はあった。
引っ越し屋は顔にはあまり出さなかったが、こっちが客なのになぜか恐縮したよ。
この次に引っ越すときは終の棲家になるだろうからだいぶん処分しなくちゃならないだろう。
ズバズバ棄てていけば一番いいんだろうが、なかなかふんぎりがつかない。ダメだな。
あのなぁ。どんなスレが返ってくるかと思ったらまた、この程度ですか。
>>834 >だいたい「第三次産業に資本注入すればそれでよし」なんて吉本は言ってねえよ。
「わが転向」、「超資本主義」で書いてるぜ。ここでさぁ、お前さんがぐだぐだ
言ってても何にもならんのよ。いいか、大分前から先進国のGDPを押し上げるのは
個人消費が上向くかだ。これくらいはお前さんにも分かるだろ?
それではその個人消費を押し上げるのに第三次産業(サービス業)に資本注入すればよい
と吉本は言っているんだ。自著でな。ただその具体的方法論がねーんだよ。
いわば、絵空事。現実に立脚してないんだな。
>吉本はそれこそバブル崩壊前から言っていたんじゃないかな。
あのなぁ。失われた10年から今、失われた15年と言われているんだぜ。バブル崩壊前
っていったら、20年近くなるだろうよ。
その間、吉本はなにやってたんだ。吉本は試行だの共同幻想論だの言ってるが
吉本が未来に描く社会になったことなんてない。これは事実じゃないか。
>また宮台がお前の言う通りの文脈でそう言ったのだとすれば、宮台もまた終わっているんだ。
あのなぁ。論なしの一方的な決めつけだぜ、それ。分かる。個別に論じろよ。
宮台=高度消費社会を盲目的に肯定した吉本を見切り。
この点は宮台の勝ちだぞ。大体よ、吉本は今の日本の格差社会を容認しているのか。
バブル崩壊の前から格差社会が起きると提言、予測したなら、吉本は認めてやってもいい。
現実にはそうならなかっただろ?つまり吉本の負けだろ。
>>835 >吉本が「大衆の原像」の「有効性」なんて幼稚なことは言ったことはただの一度もないぜ。
ましてや「大衆の論理で何か動いた」とか「大衆がなにか出来る」等という低次元の論理を展開したことも
あのなぁ。「有効性」と「無効性」の二項対立で言うとだな当然、有効性のほうが幼稚
ではないんだよ。問題はだな。逃げるなよ。「吉本思想の大衆の原像」が実現されたか
否かだ。答えはもちろん実現されてない。つまり絵空事=幼稚ってこと。
吉本は宝島社のある本で西部に対して「大衆を嫌悪している」と言っている。もちろん
西部は大衆はアホだと思っているし、事実そうだ。かつて大衆の論理で社会が動いたことは
ないんだ。吉本は共同幻想論か、もっと前に「大衆の原像」を言っている。
もう40年も前だぜ。つまり吉本は思考停止してたってこと。
だから、西部の論は受けいれない。西部と吉本。どっちが現実的有効性がある
かというと、大衆は無力で信用できないと言った西部に軍配があがる。
頼むからもっと論理的に反論してな。
>>836 >埴谷との往復論争のように「海燕」という商業誌上で行われた場合には、言葉遣いからちゃんと
礼を尽くしているのは普通に比べて読めば誰にでも分かるってもんだ。花田も、岡井も、山口も、渋澤もそれなりに吉本のことを
認めているさ。
あのなぁ。吉本は論につまれば罵倒する、その吉本信者のお前さんもそうでないのか。
埴谷という人は最後まで思想家、文学者としてまっとうした人間だぞ。
吉本は己の知的限界を悟りつつ売文家になってしまった。前スレで書いてる
だろ?よく読めよ。今の吉本のエッセイ風の著作など吉本じゃなくても書ける。
このことからも、吉本は消費社会になし崩しに迎合していったんだよ。
吉本の天敵柄谷行人が60になったら一線を引く。吉本みたいにぼけたくないと
言ったそうだ。その柄谷ももう60すぎだけどな。
>吉本に影響を受けて「遺書」に吉本へのメッセージを
残して自死を選んだ歌人の岸上大作を初め、ある意味で吉本に人生を狂わされた人間はむしろ全共闘以外で幾らもいるよ。
あのなぁ。だからなんだっての?疲れるぜ。俺が全共闘?全然違うぜ。
>(もちろん吉本に何の責任もないが吉本はその負債を背負ってきている)
そうかな。多少とも吉本に影響受けた人間なら今の吉本に幻滅するか大分
前に引退したほうがよかったんじゃないかな。
吉本は先端を気取っていたんだが、よく吟味すればわざと小難しく言ってただけで
70年代、あれほど難解な書物を出していた人が今じゃ、五木ひろゆき以下だもんな。
シャドーボクシングから始めて基礎の基礎からやりなおしてきてね。お前さんじゃ
悪いがとてもじゃないが物たりんわ。
>>832 >俺はオタだから吉本の著作だけでかれこれン十万くらいは遣ってる。
おまけに、こうして夜な夜な吉本スレで何か書いていたりする。
「ほかにすることねえのかよ」って、吉本オタじゃない奴から見れば思えるはずのことだ。
なんか前のほうでもレスしてたんだが、まずすぎるぜ。吉本の著作に10万
も使ってこの程度の駄文、罵倒しかかけないんじゃ、その10万を漫画代に
使ったほうがいいぜ。
ひどすぎるわ。それによ勝手な決めつけよしてな。一時興味があって吉本読んだ
けど、今じゃな。もっと金の使い道、考えろよ。
吉本、泣いてるぞ。あんたはヒステリックになってるだけで、ホントは自分の
論に自信がないのさ。もっとも論ともいえないけどな。
2008年の吉本隆明の公的活動を振り返ると、糸井重里によるプロデュース、また、山本哲士によるプロデュースが目立つ。糸井は今年、足の衰弱のために行われなかった講演会を企画。夏に会場での生講演会、秋には吉本宅と会場をカメラで結ぶ講演会を開催した。 また、糸井は吉本の過去の講演会を集大成したCDセットも企画、販売。今月出た『週刊読書人』には糸井のインタビューが掲載されている。それによると糸井は話し言葉の吉本に、凝縮された書き言葉とは違ったわかりやすさや魅力を感じたという。 拙者も同じく、話し言葉の吉本隆明に、書き言葉とは違った魅力を感じた一人である。特に見知らぬ観客や同席した文筆業者との会場での即興的な応答に、底知れない思考力や覚悟をみたと思う。その意味で、生身の吉本隆明を知らしめる仕事にはたしかに大きな意味がある。 山本哲士編集による『心的現象論(本論)』もまた、活字を二段組にした新編集版が出た。山本哲士は大部の吉本隆明論も出した。『吉本隆明 戦後50年を語る』につづくプロデュースになる。 青土社から、『現代思想』臨時増刊号『肯定の思想 吉本隆明』も出た。『現代思想』が吉本隆明を特集するのは約30年ぶりである。巻頭には高橋順一によるロングインタビュー約70頁も掲載されている。ロングインタビューを読む限り 吉本隆明はいまだ健在としか言いようはない。
848 :
考える名無しさん :2008/11/28(金) 19:34:59 O
厚労省事件裏あるよなぁ絶対
849 :
考える名無しさん :2008/11/28(金) 22:17:06 0
>>843 >>844 >>845 >>846 やっぱりお前には3行でももったいなかったよ。
まともに本も読めない下らねえ奴とやるとホント馬鹿見るよ。
>あのなぁ。だからなんだっての?疲れるぜ。俺が全共闘?全然違うぜ。
馬鹿野郎、疲れるのはこっちだ。俺がわざわざ岸上大作の例を出してやったのはお前の
「吉本に人生狂わされて全共闘じゃないってどんな人種なんだ」という無知な文章に
対して実例を出して諭してやったんだろうが。他人の文章を読む力が無いのはまだしも、
自分の書いた愚かな文章にくらい責任を持てよ。姑息に逃げるんじゃねえぜ。
>「吉本思想の大衆の原像」が実現されたか否かだ。答えはもちろん実現されてない。
本当、お前、思想的な読解能力無いよな。相手を批判するなら最低相手の思想的ターム
くらい正確に理解して使え。幼稚な頭でもわかるように前スレに書いてやってるだろ?
よく読め。「大衆の原像」ってのは「有効性」とか「実現する」とか政策決定レベルの
目標じゃねえんだよ。どうせ下らない駄本で仕入れたダレネタなんだろうが、少しは勉強
しろ。理解できないのなら使うな。
>かつて大衆の論理で社会が動いたことはないんだ。
>吉本は己の知的限界を悟りつつ売文家になってしまった。
思考力が無いんで同じネタ繰り返すんじゃみっともないぜ。面倒くさいんで同じことを
説明させるな。幼稚な頭でもわかるように前スレに書いてやってるだろ?よく読めよ。
文章だけじゃなく文字も読めないのか?
850 :
考える名無しさん :2008/11/28(金) 22:23:27 0
>>843 >>844 >>845 >>846 >吉本は宝島社のある本で西部に対して「大衆を嫌悪している」と言っている。
「ある本」だって?笑わせるなよ。自分に都合のいいように改竄して引用してるんじゃ
ねえよ。吉本は「姿勢の片隅で生まれ、そだち,生活し、老いて死ぬといった生涯をく
りかえした」無数の大衆を敬愛しているが「ぼくはきみたちに近親憎悪を感じてゐる」
とも言っている。こうした両面は拾い上げれば幾らでもあって、吉本の「大衆の原像」
は重層的な大衆へ向かい合う姿勢が背景にあって成立しているんだ。西部のように
「大衆」への「嫌悪」か、はたまた「賞賛」がといった単純なもんじゃないんだよ。
吉本の「大衆」にそれほど批判的なんだったら正確に引用するか、ちゃんとネタ本を
あげろ。じゃなきゃ手前勝手に歪曲して文句を言うな。
>今の吉本のエッセイ風の著作など吉本じゃなくても書ける。
>70年代、あれほど難解な書物を出していた人が今じゃ、五木ひろゆき以下だもんな。
吉本のように自分の老いに正面から向き合った批評家を俺は過去知らないね。作家なら
谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」他数人いるが。五木寛之のように、ほとんどが枯淡した
老境からの、人生への訓戒、啓蒙、倫理めいた抹香臭い駄本を書いてるやつばかりだよ。
五木が谷崎や室生犀星のような本格的な作家になれない所以だ。「老い」を正面から抉る
ような小説を書く力量などない五木が、スマートなスタイルでごまかしで書いてる説教
じみた駄本と、吉本の腰の据わった「老い」への向き合いも、お前の脳天気な思考力じ
ゃ区別がつかないんだろう。甥に小学生がいるがお前の読解力はそのレベルだな。
851 :
考える名無しさん :2008/11/28(金) 22:25:58 0
>>843 >>844 >>845 >>846 >吉本の天敵柄谷行人が60になったら一線を引く。吉本みたいにぼけたくないと
言ったそうだ。
柄谷が吉本の天敵だって(笑)NAMだかなんだかで赤っ恥をかいて雲隠れしていたと
思ったら、近頃未練がましく「文学界」なんかでお座敷がかかったらホイホイ出てくる
節操のない世間知らずなんぞ吉本とは縁無き衆生だ。ほっかむりして斜に構えているが
自分の老残もさらす根性がないんだろう。英語で書こうが、エスペラントで書こうが、
馬鹿はどの国でも評価されるわけがねえよ。
他人に論を書けとか場違いなたわごとを言いながら、お前のスカスカの文章には自分の
考えのかけらもないじゃねえか。唯一共産党のメッセージにはえらく共感しているらし
いから、代々木の玄関掃除でもさせてもらっときな。小学校レベルのお前のオツムじゃ
それくらいがお似合いだ。
852 :
考える名無しさん :2008/11/28(金) 23:28:30 O
さすがに吉本スレだな、みんな吉本の本通りだ。
853 :
考える名無しさん :2008/11/28(金) 23:32:49 0
>>843 >>844 >>845 そういえば小学校の時、いつも鼻垂らしていじめられていた頭の弱い奴の
口ぐせが「あのなぁ」「あのなぁ」だったよ。お前、まさかあいつじゃない
だろうな。馬鹿の口ぐせは似てるっていうからなw。
854 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 00:12:42 0
>>830 >面白いこと教えてやるよ。吉本は田中角栄を肯定している。オレも田中は好きなほうだ。
「面白いこと教えてやるよ」だって?プッ なに間抜けな口きいてるんだ。
この程度のうすらネタで、うれしそうにノコノコ出てくるなよ。カス。
855 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 00:16:45 0
当時の吉本は全共闘には距離をおいていたというかむしろ批判的でもあったはず。
856 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 00:22:39 0
>>846 >一時興味があって吉本読んだけど、今じゃな。もっと金の使い道、考えろよ。
へぇ「一時興味があって吉本読んだけど、今じゃな」だって?(笑)
無駄金使わされたんだな。かわいそうにw それで今でもうらんでるのかw。
だまされたアンタがバカなんだよ。自分のバカヅラに気がつきな。
857 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 00:54:44 0
吉本氏の「夏目漱石を読む」は読んだことないけど 漱石ってチビで不良の中原中也と小林秀雄にポロカス言われてなかった? 吉本氏って本当に東工大卒?駅弁の工学部の俺でも漱石は天才ではないことはわかるよ。 いまだに漱石をとり上げるのは世を惑わしている。 娘のばななと一緒に古本屋で100円で山積み決定w。 そんなに娘ほど売れてないか。
858 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 01:18:30 0
>>857 そうか、あんた駅弁の工学部なのか。エライネ、あんた。
>吉本氏の「夏目漱石を読む」は読んだことないけど
あんたが読む必要ないと思うよ。
あっ、それから、吉本は自分の本が100円の山積みでも困らないと思うけど
あんたは人生の負け組の方の山積みに放り込まれないように気をつけてね。
駅弁工学部のエライあんたなら心配ないと思うけど。
>>857 というかさ、漱石の悪口なら文学板でやりたまえよ。
860 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 01:55:17 0
>>820 >吉本は戦後文学者の転向に手厳しい批判をしたがそれは時の状況(戦争状態=ファシズム)がそうさせたんであって
↑
この人、文章メチャクチャですね。「戦後文学者」ってどういう定義で誰のことですか。
その「戦後文学者」の「転向」ってどんなことですか。で、その「戦後文学者」の「転向」の理由が
「時の情況(戦争状態=ファシズム)」ってもうわけわかりません。
戦後文学史のイロハを知っているのでしょうか。使用してる言葉の「定義」が分かっていないのに
気がつかないのでしょうか。ただどこかで読みかじった単語を並べて、変な日本語の文章にして
いるだけになっています。読んでて恥ずかしいです。
>>855 著作を読む限りそれは本当だと思うけど、一方で「シンパシー」も感じていたことも本当だと思うよ。
安田講堂に立て籠もった連中が最後に捕まったのを見て三島由紀夫が
「何てだらしない連中だ。ことここに至ったら腹でも切って果てるべきではないのか」とか言ったのに対して
「無茶言うな。そんなことしないのがこいつらのいいとこなんだ」みたいな反論をしたというしな。
その後三島は自分で言った通りのことを市ヶ谷駐屯地でやってみせ、
吉本は吉本で親鸞の「面々の御計にて云々」という還相の道を辿って行くことになったわけだ。
>>837 いつの間にかスレ主が降臨しているのに気づかなかった…
遅ればせながら挨拶させていただきます。
なんか勝手にスレに居座って火遊びしている感じが我ながらしていて、申し訳なく思ってます。
俺のことは、世代としては「全集撰」の時代の人間だと思ってもらうとわかりやすいと思います。
「固有時との対話」「カール・マルクス」他、吉本の古い詩や論考のいくつかはあれで初めて読んで、
そこから遡って古本屋巡りをやったものでした。全集撰の最終回刊行予定だった「文学」は
出ずじまい、そのくせ月報代わりの「シモーヌ・ヴェイユ覚書」は単行本化(蘇るヴェイユ)されたりして
最初から最後まで数奇なシリーズではありました。
吉本の著作を手放す人は、吉本が「『反核』異論」のあとがきで謙遜して言うほど多くはないようで、
だいたい揃ったかなと思えるまでえらく難儀したのを思い出します。
出ているときは、明らかに同一の持ち主からまとまって出ていることが多いので、
やはり引っ越しとかそういうのが契機になっている場合が多いのでしょう、が、
たまに、これはひょっとすると家族がわけもわからず処分したのかなと感じることもあって、
思わず手を合わせたくなったこともありました。信仰はないのでしませんが。
で、そういうのをやっと手に入れてページをめくっていると、前の持ち主の吉本オタがわけの判らぬ
書き込みをさんざんやった本だったりして(そういうヨゴレ本は格安なので、中身さえ読めればいい者には
有難いわけですが)、その書き込みの七転八倒のさまを我が身と引き比べつつ苦笑したり、
ニヤニヤしたりしたものでありました。
では、以後もよろしく。
挨拶文(
>>862 )に自己フォローというのも無粋だが、記憶違いがあった。
>吉本が「『反核』異論」のあとがきで謙遜
これは「『反核』異論」のあとがきではなく「試行#62」の以下の部分だった。訂正します。
あの『「反核」異論』は、十年くらいの射程距離があるつもりだから、十年もたったらまた
読んでくれればいい。それまでは捨ててもいいし、しまっておいてもいい。
そんときになって、古本屋のゾッキ棚から、二束三文で買ってくれてもいいよ。
いまは読んでくれなくってもしょうがねえや。ほんとは後記にそう書きたかった。(試行#62)
ちなみに十年後の1994年に古本屋を回ってみたが「『反核』異論」はどこにも見当たらなかった。
それどころか増刷(カバーは無地に変わっていた。事情は不明)が新刊書店に並んでいた(笑)。
864 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 07:01:18 0
マルクス主義に関し、責任の一端はマルクスにもあるが、それを一旦 カッコに入れ、テクストとしてのマルクスを読むという姿勢を 私は吉本や柄谷から学んだ。NAMの"失敗"を「赤っ恥」と表現したいのなら、 最低『NAM原理』は読むべきだろう。 現代思想のパパラッチをやめたという吉本に、この本を批判することは できないだろうが、NAMの三本柱である「地域通貨、くじ引き、 売るな買うな」をどう思うかについては、聞いてみたい。
865 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 08:48:21 0
雲隠れしたと思っていたら、意匠替えして,おちょぼ口でノコノコ出てくる人間って、どこの世界でもいるもんだなあ。
866 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 15:17:50 0
>>851 >柄谷が吉本の天敵だって(笑)NAMだかなんだかで赤っ恥をかいて
>雲隠れしていたと思ったら、近頃未練がましく「文学界」なんかで
>お座敷がかかったらホイホイ出てくる節操のない世間知らずなんぞ
>吉本とは縁無き衆生だ。
よせやぃ。NAM解散の後、柄谷が文芸誌の座談会に出たのは、
その「文学界」(11月号)が最初ではない。
したがって、「雲隠れ」「未練がましく」
「ホイホイ出てくる節操のない世間知らず」というフレーズは全て無効。
862:考える名無しさんsage2008/11/29(土) 03:58:31 0
>>837 いつの間にかスレ主が降臨しているのに気づかなかった…
遅ればせながら挨拶させていただきます。
なんか勝手にスレに居座って火遊びしている感じが我ながらしていて、申し訳なく思ってます。
俺のことは、世代としては「全集撰」の時代の人間だと思ってもらうとわかりやすいと思います。
はいはい。小生もやはり『全集撰』の辺りから読み始め、遡った人間です。『全集撰』て、活字も大きくて読みやすかった。吉本の1950-1960年代詩とか、あれで読んでイカれましたからね。ずいぶんと後から世代だけど、『全集撰』の「全詩撰」でイカれたものでした。
未だに当時の詩には感動させられます。『全集撰』て音楽でいえば自選のベストアルバムみたいなもんで、良いシリーズでしたよね。頓挫したのが残念です。
今回の引っ越しでは廃棄はしなくて、処分した本は古書店に売るか、市立図書館に引き取ってもらいました。吉本本では『重層的な非決定へ』(大和書房)と『情況へ』(宝島社)だけ、後に出た他の著作との重複分が多いんでないかと思い、市立図書館に引き取ってもらいました。
柄谷の話題が未だに吉本スレッドでも出ていますが、知への見方が吉本とは根本的に違いますから。吉本は知というのは不可避的な悪だと見ていて、敢えて自分の理論とかも、知らしめる必要なし、というスタンスを崩さない。そこらへんで、大衆は知識人に啓蒙されるべし、
とするスタンスを崩さない柄谷とは全然違いますよね。知という領域に入ると、どんな人間でもいわゆる「〜誇り」という姿勢になる。無なら無を、反権力なら反権力を、革命なら革命を、「誇る」という渦巻きに釣りだされてしまう。それは良くないことだという見方が
吉本にはあり、そこが柄谷はじめとする現代思想派とは一線を画するところだと思います。NAM騒動を振り返ると、かつて連合赤軍事件時に吉本が書いた、《日常性に復讐された》という言い方が当て嵌まるように思えます。
まあ吉本がNAMについてこれといったことは何も言ってないのは確かだと思う。
吉本オタの俺が2chの哲板覗くようになって、柄谷スレか何かでNAMの3文字を見るまで
全然知らなかったんだからな。今もって何も知らないと言っていい。
(吉本が一切何も言ってないかどうかは別だ。そこまでは保証しない)
柄谷の方も、もう吉本とは無縁なところでやっていたし、やろうとしていたんじゃないのかな?
でなかったら吉本が黙ってるはずがない気がするし。
「そんなのは吉本や吉本オタのおめえが鈍いだけだ」と言いたい柄谷オタ(で、吉本を知らないでもない)の
人がいたら、ここで改めて聞いてみてもいいけど。
…なんて言ったって何も出て来そうにないから
>>864 >「地域通貨、くじ引き、 売るな買うな」
この3語から(NAMについてホントに何も知らない)俺が「連想ゲーム」をやると
「何だそれ。大学生協の新規事業か?」という当てずっぽうが出てくる。それしか出て来ない。
さあ好きなだけツッコンでくれ。間違ってて当然だからこっちも気楽だ。
869 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 19:51:44 0
>>866 ハイ、ハイ、すべて無効でけっこうでっせ。
こちとら別に柄谷なんぞの言動をすべて注視しているわけじゃないからね。
別に座談会に出たのが最初であろうが何回目であろうが、そんなこたどうでもいいの。
どうぞ無効にしたいというのなら好きに勝手にやってくれ。
俺は柄谷なんかが吉本の「天敵」なんかとは思ってないし(吉本に聞かせてやったら笑うだろう)
柄谷の吉本への批判は全部無効だと思っている。そのすべては吉本によってきっちりと論破され
ている。吉本自身の言葉をそのまま借りれば「柄谷ってのは阿保じゃないのか」ということだ。
ただ、つまらん当てこすりには倍返しをしてる、それだけだよ。
吉本にとってもそうだろうが、俺にとってもあんな奴に関心ないし、どうでもいいんだよ。
吉本オタ君。柄谷の出現にムキになって『吉本にとってもそうだろうが、俺にとってもあんな奴に関心ないし、どうでもいいんだよ。
』
なにもそんなに怯えなくてもさ。柄谷一派なるものがあるのか知らないがもう柄谷
は吉本は相手にしていないでしょ。だいぶ前は柄谷もムキになって痛かったけどさ。
吉本オタはもういいです。不毛。あ、言っておくけどこの人、吉本みたいな罵倒して
それが格好いいと思ってるかもしれないけど、いい歳してやめたほうがいいよ。
レスはいらないから。
>>849 柄谷が知識人の優位性をいい、吉本が大衆。吉本は自著で大衆を見くびるとえらい目に合います
よなんて言っていたが、大衆の論理で動くことはない。それを吉本が提示できるかといったら無理。
ネット社会で小学生でも意見が言えるようになった。これは大衆参加の画期的なことだろう。
しかし、どうなった?ここの吉本オタのように、粗探しにやっきになりなんの意見もなければ、書いてるだろと罵倒(逃げ)
してる。そもそも議論しようとなんてしていない。
フランスの知識人なんて、ネット社会に苦言、危機感をだいぶ前から言ってる。もちろん
ネットは情報が早いという利便性があるが、それが活かされているかといったら、NOだ。
この一時を持ってしても、大衆はアホで知識人に優位性がある。馬鹿が利口を上回る
ことはありえん。自然の摂理だからな。
今見たんだが信じられないレスだ。例のオタ君。
>>850 >五木寛之のように、ほとんどが枯淡した
老境からの、人生への訓戒、啓蒙、倫理めいた抹香臭い駄本を書いてるやつばかりだよ。
あのなぁ。五木を肯定するわけではないが、確か今、ベストセラーの上位だぜ。
吉本いうところの大衆の支持を確実にゲットしてるじゃん。最も売れりゃいいか
っていうと、また話は別だけどね。
>吉本の腰の据わった「老い」への向き合いも、お前の脳天気な思考力じ
ゃ区別がつかないんだろう。甥に小学生がいるがお前の読解力はそのレベルだな。
あんた、本当に吉本読んでるのか。題名忘れたけど老いをテーマにした近年の本で
吉本の読んだけど、これがあの吉本かと思ったね。
レスはいらないからね。吉本びいきもここまで来るとは・・・
872 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 23:08:03 0
>>870 ↑
やっばりこの人、日本語でまともな文章が書けない人なんですね。
これぼど壊れた文章しか書けないんだったら、きっと頭も相当に壊れているんでしょう。
普通の一般の人間が読んでも、知的にも劣る、学力の低い方だということはわかります。
文章だけはそのままその人のレベルが現れるから隠せませんね。かわいそうです。
873 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 23:29:28 0
>>870 >>871 「レスはいらないから」って、怯えてるのはお前の方だろうがw
わかったよ。俺もそれほど暇じゃないんだ。もう溝に落ちた犬を撃つようなことはしねえよ。
ただ、マジで笑っちゃうんだが、お前さん書けば書くほど内容がなくなってるじゃないか。
俺はもういいんだが、大人が読めば誰でも馬鹿が書いた文章だということかばれちゃうぜ。
お前、国語の成績悪かっただろ。自分でも恥ずかしくないのかw
今、上にスクロールして言ったんだが、もういい加減にしてほしい。
>>850 >「ある本」だって?笑わせるなよ。自分に都合のいいように改竄して引用してるんじゃ
ねえよ。
>吉本は「姿勢の片隅で生まれ、そだち,生活し、老いて死ぬといった生涯をく
りかえした」無数の大衆を敬愛しているが「ぼくはきみたちに近親憎悪を感じてゐる」
とも言っている。こうした両面は拾い上げれば幾らでもあって、吉本の「大衆の原像」
は重層的な大衆へ向かい合う姿勢が背景にあって成立しているんだ。
ごちゃごちゃ書いてるけど、要は大衆を敬愛しつつ、嫌悪しているという二律背反だろ? だから、何だっての。
>吉本の「大衆の原像」 は重層的な大衆へ向かい合う姿勢が背景にあって成立しているんだ。
あのなぁ。吉本の重層的非決定という著書があったが、オレそれ全然読んでないけど この人、著作の題名だけ知っていて、それらしいこと言ってるだけじゃね。
重層的な大衆へ向いあう姿勢っていうのが、そもそも何を指し、何を目指している
か分からないだろ。そんなの何か吉本が提示したことあるか。疲れるぜ、ったく。
>吉本の「大衆」にそれほど批判的なんだったら正確に引用するか、ちゃんとネタ本を
あげろ。じゃなきゃ手前勝手に歪曲して文句を言うな。
オレは吉本の大衆の原像が絵空事でなんら有効性がないと言ってるんだぜ。 かつて、大衆の論理で動いたことなんてないと。動いたことがないなら、それは
批判につながる。これを批判するなら、あんたが大衆の原像を今の社会にあてはめ、 その有効性を実証、または少しでも論証するんだ。
できないなら、もうレスはやめたほうがいいよ。それでは。
>>872 =873 、これ、オタ。暇やなーーー
やっぱり、待ち受けてたんだな。オタ。なさけねーーー
いつ来るかとよ。www
876 :
考える名無しさん :2008/11/29(土) 23:54:45 0
>>869 あなたの言葉を借りれば、「俺にとってもあんな奴に関心ないし、
どうでもいいんだよ」。私はただ
>>866 で間違いを指摘しただけです。
>>870 >柄谷が知識人の優位性をいい、吉本が大衆。吉本は自著で大衆を見くびると
>えらい目に合いますよなんて言っていたが、大衆の論理で動くことはない。
>それを吉本が提示できるかといったら無理。
何が「大衆の論理で動くことはない」のか、わかりません。よって次に続く
「それを吉本が提示できるかといったら無理」 の「それ」が何を指しているのかも
わかりません。
877 :
考える名無しさん :2008/11/30(日) 00:27:06 0
>>874 やっぱり「あのなぁ」がないと言いたいことも続かねえんだなw。なんかのトラウマかw
「重層的非決定」なんて本は存在しない。「重層的な非決定へ」という本ならあるがな。
残念だが、文章も読み取れない無教養なお前と違って、俺は言及する本は最低読んでるよ。
俺が指摘しなくても、お前の幼稚な頭にも分かるように飽きるほど繰り返しているから
このスレを見ている人間なら誰でも分かっていると思うが、「大衆の原像」ってのは吉本が
自らの思想を検証するメルクマールなんだから「有効性」とか「実証」とか「論証」の対象
になるようなテーゼじゃないんだと言ってるだろが。「大衆の論理で動いた」なんて誰が
どこで言ってるんだよ。本当、お前、自分の馬鹿を衆目にさらけ出してるぜ。
>>875 何を脳天気なこと言ってうれしがってるんだ。
このスレ見てるやつなら誰でも気がついてるよ。
お前のような低能児を相手にするんだから、ちょっとは遊ばないとやってられないだろ。
お前は、はしゃぎ方まで馬鹿だな。
ん。(果てしなき沈黙) おっと寝そうだったな。 >>柄谷が知識人の優位性をいい、吉本が大衆。吉本は自著で大衆を見くびると >>えらい目に合いますよなんて言っていたが、大衆の論理で動くことはない。 >>それを吉本が提示できるかといったら無理。 >何が「大衆の論理で動くことはない」のか、わかりません。 >よって次に続く 「それを吉本が提示できるかといったら無理」 の「それ」が何を指しているのかも わかりません。 あのですね。意味不明はオタ君で懲りてるんだよね。 大衆の論理で動くと言ってるのは吉本だぜ。40年前から。大衆の論理で動いてないから (大衆の論理で動いてないこと)それをを批判するのは当たり前でしょ。 「それ」?答えはひとつ「大衆の原像」=「大衆の論理」だよ。 禅問答か。もっとパンチの効いたのいないなかよ。
あー出てきてる。オタ君。掲示板でなにが面白いかっていうと、絶対レス
してるやつのレベルっていうのは、どっかで出てくるんだよ、
>>870 >ここの吉本オタのように、粗探しにやっきになりなんの意見もなければ、書いてるだろと罵倒(逃げ)
してる。そもそも議論しようとなんてしていない。
↑ すでに見抜いてるオレ。
オタ君のレベル。↓
>「重層的非決定」なんて本は存在しない。「重層的な非決定へ」という本ならあるがな。
ただ、「な」が入ってるかいないか、こないなどーでもいい事にこだわってる、オタ君。
この人、このスレに常駐してることは間違いない。
オレによって、その程度があからさまになったわけだが、今までこの人に
同調してた人も今、恥ずかしくなってるかもな。このレベルなんだよ。
君はこのままだと単なるアラシか、君に賛同するものが増えればその程度
のスレだってこと。
これで、最後のレスだからね。
880 :
考える名無しさん :2008/11/30(日) 00:56:05 0
>>879 >これで、最後のレスだからね。
最後は論理的にもグチャグチャになって、尻尾巻いて逃げ出したかw
今度来るときまで、恥ずかしくないように「日本語」の勉強しとけよ。
スレ主よ。 どうだ。こういうのを面白がる余裕を身につけないと、掲示板も面白く ないよ。 オタは最終的に知的貧血(論なし)に陥り罵倒、いや糞レスしかできなくなった。 こんなヤツが知的ぶって常駐してたんだぜ。
882 :
考える名無しさん :2008/11/30(日) 01:46:33 0
>>868 私もNAMのことはよく知りません。でも、868は王のホームラン記録でも
あるので、知ってる範囲で、超単純化して書きます。
大分前読んだアエラで柄谷は「戦争なんか、不買運動でとめてみせますよ」と
言っていた。だから、「売るな買うな」とは、−特に武器を作っているような−
資本制企業に労働力商品を売るな、資本制企業の商品は買うな、
ということでしょうね。
利子がある限り、資本の「欲動」、「前進運動」がとまることはない。
だから、それへの対抗して利子のない「地域通貨」の普及を
考えていたのでしょう。
「地域通貨」は合法的であるが故に、国家はそれを排除することができない。
そういう資本主義(ガン)にとってのガン、「対抗ガン」としての「地域通貨」を
目指していたようです。排除しようとしても必ず湧き出る白アリ的な
闘争ということも言っていました。
「くじ引き」は、単に組織の代表者をくじ引きで決めるということのようです。
「くじ引き」という偶然性を導入することによって、権力の固定化を防止する。
代表者が最終的に「くじ引き」で決まるのなら、派閥争いに意味はなくなる。
この「くじ引き」を企業や各種団体もとり入れるべきだと柄谷は言っていました。
柄谷は「整体的革命」ということを言っていて、それは外科手術的な派手なものでは
なく、「くじ引き」の導入のようにちょっとシステムを−ツボを押すように−
いじることで、ちょっとだけ社会を変革しようとするものです。だからそれは
「共産主義革命」のような大時代的なものではありません。
883 :
考える名無しさん :2008/11/30(日) 01:47:52 0
>>876 そうか、あんたも柄谷には関心ないのか。
それでも、ご丁寧に柄谷の座談会への出席がNAM解散以後、最初でないのを指摘してくれたんだな。
俺は「最初」なんてどこにも言ってないんだが。まあいいや。どっちにしろ知らなかったんだから。
ただ、あんたのご親切に対して申し訳ないんだが、俺は柄谷が生意気に文壇を否定するような言動を
していたくせに、今以ってのこのこ「文芸誌」に顔を出しているていたらくを見ると、やっばり「未
練がましい」奴だなと感じるし、NAMで日常性に復習されたのも、柄谷の実務的に「節操のない世
間知らず」から来ているんじゃないかなと思う。だから柄谷が「未練がましく」て、思想的には「節
操のない世間知らず」という形容もあながち無効だとは思っていないんだ。まあ、これはあくまでも
俺の主観だから、あんたと違っていてもしかたがないけどね。
884 :
考える名無しさん :2008/11/30(日) 01:53:39 0
>>882 さんに聞きたいのだが
どうしてNAMは失敗、というか破綻したのかな。
吉本のレスで柄谷のことをあんまり引っ張ってもなんだけど
もし知ってたらご教授願えないかな。
885 :
考える名無しさん :2008/11/30(日) 02:47:51 0
>>883 あなたの考えはよくわかりました。特に反論はありません。
>>851 の文章では、「雲隠れ」、「未練がましく」 、「ホイホイ出てくる節操の
ない世間知らず」という言葉が、柄谷の「文学界」(11月号)への座談会出席にのみ
向けられていると読めたので、反射的に"もうとっくの昔にホイホイ出とるわい"と
思い、
>>866 を書いたのでした。
886 :
考える名無しさん :2008/11/30(日) 03:30:20 0
887 :
考える名無しさん :2008/11/30(日) 04:08:40 0
>>886 ありがとう。そういえば内田樹のその文章は読んだことがあったよ。
内田のブログでも読んだし、後の単行本にも入っていたかどうか、それは覚えていないが。
今、再読してみたけどなかなか面白かった。
NAMが必然的に破綻せざるを得なかった根拠が少しは分かったよ。
でも実際にNAMがダメになったのは理論的な欠陥ももちろんあっただろうが、柄谷自身
の「本当はやる気がなかった」という参加者をなめた精神と、実務家としての無能さに
あったんじゃないかとも、ちらっと思った。NAMがどうなろうが俺には関係ない話だが、
柄谷の非現実的な理論と、無責任な提言のために、きっと相当数の人が振り回されたんだ
ろうな。やりきれんね。でも面白いブログを再読させてくれて感謝。
NAMとか狭い世界で何やっても無駄
>>882 俺(868)の変な煽りにもめげずに回答してくれて本当に有難う。
しかしこんなところで「世界の王」に感謝を新たにすることになるとは思わなかったw
大方のことはもう他の人が書いているので、それとは重ならない感想をひとつだけ。
>外科手術的な派手なものではなく、
>「くじ引き」の導入のようにちょっとシステムを−ツボを押すように−いじることで、
>ちょっとだけ社会を変革しよう
柄谷の口からこうも可愛いらしいことが言われていると知ったら
吉本は泣けてきて何も言う気にならなかったのかもしれない。
>>886 この内田樹という人のことは全然知らないが、リンク先を読んでみると
この人もやっぱり「生協の新規事業か?」と思ったんだな
俺の当てずっぽうもそれほどひどく外れてはいなかったようでちょっと安心だ
でも仮にホントに生協の新規事業だったとして
>「ねえ、ねえ、すごいよ神戸のコープは地域通貨を出して、共産主義革命をするみたいだよ」
こんなことをホントに大学教師の仲間内で囁くのだったら、
それはそれで意地が悪いやw
891 :
考える名無しさん :2008/12/01(月) 09:07:01 O
話し変わるが不況だな。倒産か
ニュースとか見てないから判らんのだが、どっかの会社が倒産したのか? 不況なのは確かだな。 最近どこ行っても「ボーナスが下がる」「下がった」という話ばっかり聞かされてる こんなのはまだいい方かな
>>882 >大分前読んだアエラで柄谷は「戦争なんか、不買運動でとめてみせますよ」と
言っていた。だから、「売るな買うな」とは、−特に武器を作っているような−
資本制企業に労働力商品を売るな、資本制企業の商品は買うな、
ということでしょうね。
柄谷が気鋭の評論家(ただし、哲学者や思想家とはあまり呼ばれない)というのも、ここらが
スケールが小さいんだろうね。
不買運動自体ナンセンスじゃないか。日本製は抜群に優れているわけだし、輸入商品
だって、今、変なの売らんだろ。
それに、売り買いは今の日本じゃ完全に資本主義制度(いびつな競争社会)の上に
立っているんだから、要は搾取の塊。
それで、資本制企業に労働力商品を売るなと言ってもな。今の日本で資本制企業
じゃない企業なんてどれくらいあるんだ。
>>882 >利子がある限り、資本の「欲動」、「前進運動」がとまることはない。
だから、それへの対抗して利子のない「地域通貨」の普及を
考えていたのでしょう
島田雅彦がNAMを生協みたいといっていたが、その通りなんだろう。生協の
バックは共産だから、やはり柄谷もそうなのか。とにかく資本主義に対抗して
生協じゃな。それが全体性を獲得することはない。
>利子のない「地域通貨」の普及を
地方分権がだいぶ前から言われているが、あれは中央のほうで地方を統制できず
借金塗れになったから、地方自治とか言い出した。要は会社のリストラみたいなもんで
トップが出来なくなると、下のものに責任を転嫁するというやつだ。
地域通貨は地方自治が確立しなきゃ、実現できない。小さな政府と言えば
聞こえがいいが、あれは国家運営を間違えた中央が地方に押し付けただけ。
また、地方自治にその地方の経済構造を変えるのは無理も無理。
>>882 「地域通貨」は合法的であるが故に、国家はそれを排除することができない。
そういう資本主義(ガン)にとってのガン、「対抗ガン」としての「地域通貨」を
目指していたようです。
吉本も柄谷もまるで経済なんてわかってないかもな。経済っていうのは、モロに
生活にかかってくることだから、要は実践的じゃないとダメなんだ。
小難しいケインズだマルクスの理論を読んでいるのか、知らないが地域通貨の前に
世界の基軸通貨はドルだ。つまり、アメリカ。
内需拡大政策が中曽根のころから言われていたが、実現できなかった。日本がなぜ低迷、
迷走、下落しつづけているかというと、輸出してもアメリカのふところに流れていく
構造がある。これは副島隆彦が言ってる。副島は株のことも知ってるから、実践的な経済
については、柄谷、吉本の比ではない。最近の著書でも大暴落を当てているしな。
アメリカの凋落が見え始めているが、そうだとしても真っ先に日本はアメリカ
のために働かなければいけない。政治構造がそうなっている。自民がダメで
政権が民主になっても、そうは続かない。なぜなら、日本の支配者層はアメリカ
とツーカーだからだ。日本の下々の国民より、アメリカ様を大事にする。
円がドルより強くなることは、ありえん。
従って、地域通貨が流通する可能性はゼロに等しい。経済は政治の裏返し。
吉本、柄谷のような、書物だけに向かい合い、実践じゃ何も役に立たないのな
ら、ワイドショーのコメンテーターの意見を参考にしたほうがいいかもね。
>>893-895 何バカなこと言ってるんだろうと思ったら副島オタかよ。
ひょっとすると
>>891 の意味不明も同一人物か?くだらん。
経済の当て物がやりたかったら副島スレで、というより市況板あたりで「実践的に」やっててくれ。
柄谷はともかく、吉本はそんなコドモじみた当て物にかかわったことないから関係ないしな。
897 :
考える名無しさん :2008/12/02(火) 11:40:24 0
>>893 >>894 >>895 こいつが馬鹿な所以は吉本と柄谷の違いも分からずに、味噌も糞もいっしょにしか扱うことができないんことだな。
副島かなんかを持ち上げたいばっかりに、吉本と柄谷をワンセットにけなしたかったのだろうが、あんまり調子に
乗ると馬鹿がよけいに露呈する。知らないことには謙虚になっていた方がいいんだぜ。
吉本は経済学者でもなんでもない。ジャーナリズムじゃ「戦後最大の思想家」とか大仰に形容しているが、ご本人は
聞かれればいつでも、自分は文芸批評家だと規定している。柄谷みたいな阿保とは違って、常にその足場を抉り続け
ながら仕事をしてきているんだよ。
副島なんだりが、株や実践的な経済に強くて、そんなに景気の動向も当てるのなら、政府の国家運営や経済の
政策決定部門のブレーンでも入って仕事をしたらいいんじゃないか?その方が世の中のためになるし、副島先生も
自分の手腕が目の当たりに「実証」できていいだろう。ついでにお前さんも走り使いで「実践的」にお手伝いでも
させてもらいなよ。
まあ、竹中の例もあるから、学者さんの経済政策が必ずしも功を奏するとは限らないがな。お手並み拝見するぜ。
898 :
考える名無しさん :2008/12/02(火) 19:56:00 0
>897 おう、あんた、いいことゆうねえ。気に入ったぜ。
899 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 00:46:42 0
重層的非決定ってアルチュセールの「重層的決定」を捩ったんでしょ? でも「非決定」ほど大衆の姿を顕せた言葉もないね。詩人のセンスかなあ。
>>899 「重層的な非決定」の元ネタはその通り。
でも「詩人のセンス」なんて言ったら本人は照れくさがるかもしれない
現に、大塚英志との対談集の前書きでは
「わたしは昔、『重層的な非決定』などというわけのわからぬ言葉を使ったことがある」
とか、めちゃくちゃ照れくさそうに書いていた。
「確か埴谷雄高さんとの論争のときだったとおもう」なんて。まあ白々しいw
その埴谷との論争の時ですら吉本は「恰好をつけて言えば」と前置きしてその言葉を出していた。
吉本家の「シャンデリア」あるいは「コム・デ・ギャルソン」のCMに起用された吉本自身の姿と
「タイの青年」を短絡してまで(吉本の言うには「スターリ二ズム反動の」)倫理を
押し出してきた埴谷に対抗するためとはいえ
吉本もかなり使うのを躊躇った言葉ではあったんじゃないかな
で、この人はやっぱり「格差は幻想」派なんでしょ?
>>901 そう単純な言い方はしていないと思う。
確かに巷間で話題になってるレベルの「格差」論に乗っかるような主張は、吉本はしていない。
秋葉原の事件や「蟹工船」ブームにことよせたようなワカモノ世代の格差論の主張に対しては
「ホントの貧困も知らないくせに何言ってやがる」くらいのことは言っているように思う。
ただその一方で「今後の日本社会は欧米社会の後を追って」云々というような言い方も、
かなり前々から吉本はやっている。
つまり、いま欧米がそうであるような格差社会が今後日本でも出現しかねない、
くらいの見方はたぶん吉本も持っていて、また
ある程度まではどうしようもない必然の成り行きだとさえ思っているのではないかという気がする
ちょうど十年前くらいだっけか「あと10年か15年くらいでこの社会(現代日本社会)は死ぬぜ」
というようなことを「言いきって」いた。吉本オタの長い俺がちょっと驚いたくらい、きっぱりと。
そうは言っても、それをそんなにでかい声では言っていない、というのは
「どーせそうなる頃には俺死んでるし。死んじゃったら責任も取れねえし」
ということもあるからではないかと…まあ、こればっかりは邪推のたぐいだが。
シャンデリアでなんとかギャルソンなのにかなり多くの大衆が貧困にあえいでいる ときには「おまえらは本当の貧困を知らない」なんですね。電通の宣伝要員 とどこが違うのか?昔は貧乏が可視的でよかったですね。
>>903 >かなり多くの大衆が貧困にあえいでいる
こういう言い草に対しては言下に「嘘つけ!」と言うであろうという意味でなら
吉本は「格差は幻想」派だと思うよ。もちろん俺も。
>>905 些細というより、
>>902 と
>>903 で言う「貧困」とは何の関係もない話だな。
街中を歩いても仕事場にいても、あるいは自分自身の生活を振り返ったって
「かなり多くの大衆が貧困にあえいでいる」という表現に当てはまるような現実なんぞ、
俺は生まれてこのかた見たことがないんでな。日本の外のことは知らないが。
まあ
>>904 はたまたま「明日食うものがない」ような貧困にあえいでいるのかもしれないが、
本当にそうなら、よくもこんな夜中に飽きもせずネットに書き込みなどしていられるもんだと思うね。
わかりました。きちんとデータで出てるのに「オレ様は感じたことないからそんな 問題は存在しない」と。貧乏人はテレビならいいがネットなど言語道断であると。
>>908 俺は
>>905 のデータの真偽や評価については何も言っていない。
>>903 が言うような「かなり多くの大衆が貧困にあえいでいる」という問題は(そもそもそのような現実からして)
存在しないと言っている。
>>905 の「貧困」は、「明日食うものがない」貧困とは別の定義による貧困だということは明らかだ。
この違いを無視して恥じないようなやつが「きちんとしたデータで」などとよく言えるものだ。
また
>>906 の「街中を歩いても…」とは、べつに「オレ様は感じたことないから」という意味ではない。
「誰だろうと同じようにして自分の目で確かめてみれば同じ感想を持つはずのこと」だという意味だ。
そして
>>908 のような、人の言うことを意図的に誤読してデタラメな短絡と断定をやってのけるデマ廃人は
貧困以前の問題で「テレビならいいがネットなど言語道断」だと俺は思う。
>>909 この違いとはどういう違いですかあ?明らかだって何が明らかなんですかあw?
デマ廃人にはよくわからないので説明してください。
貧困の臭いはいたるところにプンプンしてるけどね 知と非知の間を往還するのに忙しくてうっかり見落としてるんだよきっと
>>910 デマ廃人に説明する言葉などないよ。またデマの種にされるだけだからな。
二度とこのスレには書き込むなよ。迷惑だから。
ギャハw 逃げたwwww 貧乏人大勝利wwww 吉本儲遁走wwwwwwwwww
914 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 09:59:45 0
貧乏人くん、おめでとう。 君はたぶん貧困じゃないけど貧乏なんだな。 だから俺が遊んであげた方がよかったかも。 ちなみに俺は「貧乏は幻想派」だがね。
915 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 10:19:20 0
最低限必要な孤独を理解するために国祖を支払う義務なんてあるのかと問いたい。 幻想という稚拙な言葉で気安く表下されても困るんだがねサルトル君。
916 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 10:21:52 0
「重層的な非決定」なんていかにも≪ポモ≫的な詩的センスだわなwwwwwwwwwww
吉本及びその信者公式見解:餓死するまで文句を言うな
オレ様は金があるからシャンデリアでギャルソンである。お前らの貧乏は本当の貧乏でないから我慢しないといけない。 幻想だよ。
919 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 11:40:40 0
>>915 問いたいってw。自分で考えて信念に基づいて行動したらどうだい。
猿取るより
>>916 それは言えるかもな。
>>917 >吉本及びその信者公式見解:餓死するまで文句を言うな
吉本のことはたぶん理解できないだろうから理解しなくてもいいと思う。イヤミじゃなく。
それより「文句を言うな」?って、お前の文句の言いかたが足りないんだよ、質量共に。
だって全然文句なんか言ってないじゃないか。
こんなネットで、それも切断された場所でポツポツと愚痴っていてもしようがないだろ。
そんなに貧困にあえいでいる奴が多いのなら、もっと広範に組織的に有効性のある文句
の言い方を実践的に展開しなよ。文句の言いかたがまったく足りないんだよ。質量共に。
タイや韓国なんかの例を出すまでもないが、もし日本の「貧乏」に本当にリアリティが
あれば、そしてお前さんの憤りが本気なら簡単なことだ。餓死寸前?まできちんと本気
で文句を言わないのはお前たち?の方だろが。
世の中(企業以外)は邪魔はしないぜ。だが、最低他人のせいにはするなよ。
文句はここでも言っているというだけ。組織的ではないけど有効性のある文句の言い方 は既に実践されている。「宅間」か「加藤」で2ch内をスレッド検索してみれば?
921 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 12:44:06 0
ほお、寡聞にして俺の耳には届かないが。まあ、いいか。 じゃあ、その「有効性」のある「実践」にお前さんも「組織的」に参加して がんばってみたらどうだ。陰ながら応援してるぜ。 ただ、「宅間」や「加藤」へのシンパシーだけでは世の中は動かないぜ。 厚生省元幹部の刺殺が、年金制度の改革になんの効力も及ぼさないようにな。 もし日本の「貧乏」に本当にリアリティーがあるとすれば、その憤りは持続 できるし組織できるはずた゛。 本当の「有効性」ってのはそういう中から「方法論」と共に出てくるんだぜ。 「ここでも」文句言ってるんだから「他でも」がんばれよ。奮闘を期待するよ。
バカじゃねえの?組織的でないのが強みに決まってるだろw
テロルは世の中を動かす 大のアメリカが戦争を始めるくらいには動かす
ポルポトはいいことをした
925 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 13:37:03 0
>>922 じゃあ、その組織的でない「強み」を遺憾なく発揮してやったらいいだろ。
お前さんが実践するんだから、どうでも本気でやればいいんだよ。
「有効性」が本当に実現できるように祈ってるぜ。
>>923 なるほど、テロルかい。あっちのテロは確か「組織的」だったと思うが。
けっこう「強み」があったんじゃないか。
アメリカに戦争をおっぱじめさせたんだから。
ただ、はたしてテロの目的を果たすのに「有効性」はあったのかなあ。
アメリカをちょっと困らすのが目的ってならね。
ていうか、大のアメリカが戦争を始める口実になったかもな。
で、テロ、やるつもりなのか?
じゃなきゃいいが、そうなら、一応止めとく。
926 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 13:42:45 0
>>924 ポルポトがいいことをしたとは思わないがメチャ「組織的」だったな。
目的を達成するという意味でも有効性あるやん 世界中にそっぽ向かれてアメリカは没落の一途 メシウマww それはそれとして、何より「そんな問題は存在しない」と主張する豚ども に対するアピールになってる。あ、念のため書いとくとオレ様本人は 法律を遵守いたしますよwただテロルというものがいかにすばらしいか 自由に書いてるだけw
928 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 13:54:10 0
なるほど。お後がよろしいようで。
いいことに気が付いた そんな問題は存在しないと煽れば効果的だな 事を成さしめるうえで
宅間イスト完勝
931 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 17:27:39 0
宅間イスト=負け組=犯罪者=完敗者
933 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 18:11:32 0
いくら煽ったって意味ないよ。 それくらいで十分だ。もういいよ。 宅間イストが世の中の人々の承認を受けるようなことは 逆立ちしたってないんだから。
承認なんか必要ないw 何故承認を求めているという話になるのかわからない 金なら求めている
935 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 18:58:48 O
チンソウゾク
936 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 20:47:22 O
サンドイッチマンじゃないが、「なにいってんだかわかりません」
937 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 21:17:32 0
>>934 あんた、宅間イストなのか?
宅間イストって金求めてるのか?
あんた金無いのか。だから宅間イストになったのか。
馬鹿なことはやめた方がいいよ。
宅間みたいなのを見習うんだったら金でも理念(テロ)でもなく「女」だろうて 「だめな奴は何をやってもだめ」の見本みたいな男があの歳までかろうじて生き延びたのは どうも女にだけは不自由しなかったからのように思えるし おまけに死刑囚になってからも結婚申し出る女がいたっていうしな あればっかりはびっくらこいたね
939 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 22:17:50 0
宅間って嫁さんに逃げられたんじゃね。 復縁を迫ってもイヤがられて頭にきたとか。 そういう報道番組かニュース見たことあるが…。
>>939 そらあれだけ生活無能力者なら逃げもするさ。暴力振るったりもしたんだろうしな
それ以前に、どうしてああいう男にカミさんがいたのかということの方が不思議じゃないか
(似たような実例をいくつか知ってるので本当は不思議ではないんだが、
そういう「男と女」はいつ見てもやっぱ驚く)
しかしまあ、このネタはどっちかいうと「共同幻想論」スレ向きかな
941 :
考える名無しさん :2008/12/03(水) 22:32:05 O
何言ってんの?あんたがた。最近の文章を読んでるとわかりますが、吉本は「格差はあるし困ったことだ」というスタンスですよ。幻想じゃない。 しかし自民党政権が維持されているのだから、 概ね安定しているのも これまた否めないでしょう。
942 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 00:07:52 0
>>941 そりゃ当たり前だよ。吉本だって派遣や日払いの仕事に従事している人口が増えていることや、
ニート、フリーター、ワーキングプアー、ネットカフェ難民などの社会現象は熟知しているよ。
尊属殺人や鬱病の増加も含めて、そういうことを看過していいなんて事は一言も言っていない。
「働いてもプアだということはあるにしても、まだ比喩的な要素が強く、文字通り飢えたという
実感の持つ若い世代はそれほど多くはない。本当の意味で貧しい育ち方をしてきたわけじゃない
から、本当の問題は貧困というより、何か人間の精神的な抵抗力が弱くなってしまったことに
あるかもしれません」
「いまのワーキングプアの人たちは、文字通り飢えてはいないにせよ、正社員にはなかなかなれ
ないし、時間外の給料は払ってもらえない。本来はそれに文句を言うべき労働組合とか、労働者
運動もだめになっている。そのことも今の時代に大きな問題じゃないかなと僕には思えます」
「おそらく精神の薄弱さ、心の病の増加は、社会からの無形の圧迫が強くなってきていることに
起因するんじゃないでしょうか」
断片的な引用で申しわけないが、こういう吉本の物言いに不満を感じる人間もいるだろう。
ただ当然ながら、吉本は現状を肯定しているわけじゃない。しかし現況をすべて「貧困」の問題に
帰しても、根本的なアポリアは解決しないよと言ってるんじゃないかな。
943 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 00:09:07 0
現在の日本の「貧困」が本当にリアリティがあって、病巣がそこにあるならことはむしろ簡単だろう。 宅間だって加藤のことだって、元次官や家族の殺傷だって、多発する親子、親族殺人だって、貧困が 主要な原因だなんて単純に考える奴なんておそらくいないだろう。本当に飢えが問題ならムシロ旗を かかげて押しかけりゃいい。でもそういうことには誰もならない。 「貧困」が貧困問題じゃなく、「貧乏」が貧乏問題じゃないよという言い方はそういうところから出て くるんだと思うよ。 吉本の用語に不案内な人は「幻想」という言葉に反発するだろうが、「幻想」ということは存在しない って意味じゃないんだよ。「共同幻想」だってことも国家が存在しないってことじゃなくて、国家の存 在のありかたを指してるんだから。「貧乏が幻想」ということと、社会問題の解決とは別のことだよ。
944 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 00:29:44 0
マルクス主義の国家論がイマイチだから「共同幻想」って 言い出したんじゃなかったかな
945 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 00:49:27 0
マルクス主義の国家論がイマイチってのはその通りだと思うよ。 でも、吉本はマルクスから相当のことを学んで自分の思想を形成してきていることは確かなんだ。 吉本ほどマルクス主義とマルクスの思想を峻別してきた人間はいないと思う。
学んでというより、自分の都合のいいようにマルクスの名を使っているだけ。
947 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 08:43:22 0
>>946 名前だけ使って書けるわけないだろ。
どっちにしろ学んだに決まってるじゃないか。
何にも書いた経験のない低学力のくせに馬鹿言うんじゃないよ。
948 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 10:26:04 0
自慰サンを含めて、売文家どもってのはテメーの都合のいいように 他人の文章を引用してきたしな。 要はその引用の妙つ〜か、上手さだぜ。 人様から、そいつぁ手前勝手な引用じゃんかよ、ってな茶々を 突っ込まれないようにするテクだよな。
949 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 10:52:52 0
>>948 アンタの言うことはあながち間違ってはいないわな。
というかそれが本当だと思うよ。
どんな仕事でも芸術でも
アンタだって誰だって無からオリジナルなものを創りだすことはできない。
「祖述」っていうか「引用」だね。
もちろん引用ったって書き写しじゃないから
「要はその引用の妙つ〜か、上手さだぜ」まさにそうだと思う。
哲学者だって職人さんだって大工さんだって同じだよ。修練っていうか。
ぶっちゃけいえば人生(生きること)だって引用だろ。
誤解を恐れなければ「模倣」(真似)といってもいいんだが。
ただ言えることは「引用」や「模倣」をナメちゃいけないってことさ。
どんな職業でも一人前になれない奴は
たいていそういう過程をナメている。
ろくな仕事ができない。いい作品が創れない。結果は正直だよ。
950 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 11:05:38 0
951 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 11:12:41 0
2chで人生訓ですか、激藁。
952 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 11:27:14 0
>>950 そのへんは2ちゃんだからいいんじゃないの。
爺さんでも、自慰さんでも、吉本でも。
>>951 人生訓じゃねえよ。仕事論だ。どっちでも一緒かw
お前さんもこれから長〜い人生が残ってるんだろうが
せいぜい負け組にならないようにがんばりな。
やっぱり人生訓w エールだよ。
953 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 12:10:53 O
安藤昌益とか大塩平八郎と吉本を一緒にしてねぇか? 人が貧困に関心をもとうが国家の起源や資本主義に関心を持とうが選択の自由だろ。
954 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 13:09:40 0
「選択の自由」という個人の意思の介在するようなものではなくて、 「不可避の選択」といったようなものではないかと思うが…。 凡人の俺にはわからんけど。
955 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 13:41:12 O
吉本にとって貧困が重大な関心対象なら、戦後すぐに悲惨な状況はいくらでもあったろうがぜんぜん本格的言及はないな。いいじゃねぇか。他人の「腹減ったただの惨めだの」より文学者の悲劇に関心を持って何がおかしい?
956 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 13:51:16 0
ぶっちゃけ、戦後すぐってのは食うものも、着るものも、住むところもなかったし 比喩じゃなくて実際にみんな「飢え」ていたからな。その日常の「飢え」の光景の中で 腹減らしながら詩を書き、批評を書き続けてきた吉本は、やっぱ詩人だし文芸批評家だろ。
957 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 19:14:03 O
ガルブレイスは貧困を無くする方策についてああでもない、こうでもないと一冊書いていたな。これからは政治家はリチャードクーやクルーグマンに、「結局のところ格差問題を直すにはどないすんねん」と聞けばいいんだ。答えられんかったら、アホカ、と言えばいいやん。
958 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 19:20:35 0
貧困についていくら言及してもしょうがないじゃん。所詮言葉だ。 一億円をトランクに積んでカンボジアの貧民窟にでもバラまくのが適当。
959 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 20:18:14 O
いやそれを上野公園で実際にやるべき。炊きだし じゃなく、銭配り。そういう空想こそハニヤ豊のいう四帖半の革命だ。
960 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 20:45:04 0
>>958 >>959 んで結局、そういうことっていったい、具体的にどういう金を使って、誰がやるんですか?
961 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 21:03:52 0
チルチルミチルみたいにキラキラ光る一円玉を道すがら落としながら世界中を練り歩くのもいいな
962 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 21:23:13 0
んで、世界中を練り歩くのに幾らくらいかかるんでしょうか?
963 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 21:25:06 0
なんだかな。
>>957 せっかくガルブレイスのその本について言及するのなら、
ガルブレイスがその本で(社会が大規模な貧困から抜け出す途について)どんな結論を
出していたのかにも言及すべきだろう。いわく「移民(出て行く方)に限る」。
初等教育の普及ということも言っていたけど、もっと手っ取り早いのがそれだと。
書名を書くのを忘れていた。 「大衆的貧困の本質(the nature of mass poverty)」。
966 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 22:50:43 O
>960議会制内共産党系労働組合員の冬のボーナスでどうでしょう。二割でいいや。
967 :
考える名無しさん :2008/12/04(木) 23:00:13 0
↑ 意味が分かりにくいのですが、もって回った言い方でなく、もう少し具体的に書いてください。 んで、どういうふうに誰の責任のもとで決済するのかもわかりません。 それって、実現の可能性は何パーセントくらいあるのでしょうか?
さて
スレ主にあらせられましては、そろそろ次スレを立てていただきたい
この分だと今週末には1000行きそうな気がする
>>1 の文面はこのスレと大体同じでいいと思う
以下テキトーに拾ってみた最近の吉本の著作名リスト(単著のみ。新装刊・文庫化等は含めず)。
ご参考まで。
『芸術言語論への覚書』
『心的現象論 本論』
『「情況への発言」全集成』(全3巻)
『日本語のゆくえ』
『よせやい。』
『吉本隆明 自著を語る』
『真贋』
『生涯現役』
『思想とはなにか』
『老いの超え方』
『詩とはなにか』
『家族のゆくえ』
吉本さんの思想的展望はことごとく外れた。マルクスの情況論がことごとく外れたように。 吉本さんの情況論も真に受けてはいけません。
970 :
考える名無しさん :2008/12/05(金) 01:26:56 0
よ〜く読むと「ハイ・イメージ論」て、 うんげームズカシイわ。まいった。 はじめてこの人にビビった。長生きしてくれえ〜
>>952 そういう話をするなら、こういう「引用」をやろうぜ。
…ひとは、たれでもフォイエルバッハのこの洞察が、
ほとんどマルクスと紙一重であることをしることができるはずだ。
そういった意味では、この紙一重を超えることが思想家の生命であり、
もともとひょうたんから駒がでるような独創性などは、この世にはありえないのである。
(中略)
わたしのかんがえでは、フォイエルバッハが、あたかも光を波動とかんがえたとすれば、
マルクスはそれを粒子という側面でかんがえてみたのである。
それは、マルクスがギリシア〈自然〉哲学の原子説を生かしきったことを意味している。
フォイエルバッハの〈共通の基底〉を、〈疎外〉にまで展開させたおおきな力は、
この紙一重の契機であった。…(マルクス紀行)
吉本は「自分の死は自分では判らない」という方だし、「人生訓」はおろか、
そもそも「(棺を覆って定まるという意味での)人生」という考えがあんまりないような気がする
972 :
考える名無しさん :2008/12/05(金) 07:17:26 O
>971 いい引用したのに。青春出版社で出してるものは人生訓だよ。結婚相手はかならず出会うものです、なんて人生訓だろ。なんであえて「言ってない」というのか。
>>972 あえても何も「言ってない」とは書いてないが?
…まあそう読めなくもないか。少し詳しく書き直してみる
生涯の岐路をどう考えるべきか、という意味での人生訓めいた文句なら吉本は確かに口にする
特に青春出版社の本だと、そういう編集の意向なのか、
見出しの字句を拾うといわゆる「人生訓」の本みたいに読めてしまうところがあるのは確かだな
でもその場合の「人生」に、「棺を覆って定まる」という含みはあまりない
そういう含みがあると倫理的なお説教になりかねないわけだが、
そういうことは実はまったく言われていない。俺はそれを指摘したいわけだ。
例に挙げてる「結婚相手はかならず出会うものです」というのだって
あれは「だからガンバレ」なんて言ってるわけじゃないぜ。仮に字句はそう書いてあったとしてもだ。
「俺に結婚相手なんかいるわけがない」と思い込んで、ある意味安心していそうなワカモノに
「それは考え方として間違っている」と言ってるわけなんだ。
実際、吉本は、町沢静夫との対談その他では
「人生先々までわかりきっている」なんていうのは大間違いだ、というように言っている。
また、古いところでは「情況」でタレント本のいくつかを取り上げ、
そうした本にはたいてい書かれている(著者たるテレビ・タレントの)「人生訓」が
ことごとく「人生の決め打ち」から出てくるものだということを指摘して批判していたと思う。
>>973 をさらに補足
うーむ。「棺を覆って定まる」なんて利いた風な文句を使ったのは我ながらマズかったな
外から見てある人物の「生まれてから死ぬまで」で区切られた時間を価値づけたりするのは
他人が勝手にすることで、生きてる人間にとって重要なのはそんなことではない
と吉本は言う方なのさ
「自分の死は自分では判らない」ということを吉本が強調するのもそういうことだ
自分の死が自分で判らないんだったら、生涯に総決算も何もないことになる(事実ないんだが)し
死から逆算して自分の行為を値踏みするような考え方にも意味はない、
そういう考え方をすれば(その人物は)必ずそこから間違うはずだ、と言っていることになるんだ
975 :
考える名無しさん :2008/12/05(金) 11:41:26 O
ほーう。なかなかおもしろい。もう少しいろいろ言ってみてもいいよ。例えば、「そこから間違う」の意味とか。
976 :
考える名無しさん :2008/12/05(金) 11:47:45 O
生きてる人間にとって重要なのはなんだと吉本は言ってるの? オレは「死は当人には無い」というのはエピクロス的に当たり前としか思ってなかったので。聞いてみたいな。
977 :
考える名無しさん :2008/12/05(金) 12:31:38 0
共同幻想はドイツイデオロギーからきているんだよ
978 :
考える名無しさん :2008/12/05(金) 13:00:15 O
>974 他人が勝手にというのは違うでしょう。自己評価も意味ないというんでしょ?じゃあ重要なのはなんだ?そもそも重要なものなんてない、といいたいのか?
979 :
スレ主 :2008/12/05(金) 18:16:53 O
このスレッドも終わり間近になりました。次スレッドも一応立てておきましたので宜しく! ところで、先日書店に行ったら、スガ秀実の書いた吉本隆明論が山積みになっていました。またあれをネタに書き込みする人が出てくるのだろうな、とも思いますが、さてさてどうなることやら。因みに俺はまだ読んでいません。
980 :
考える名無しさん :2008/12/05(金) 19:14:19 O
スレ主さんと吉本オタさんは同じ人ですか?ちょっと伺いたいんですが、吉本隆明論のなかで、誰か「知の還相」「非知」をどういう意味合いで浄土真宗から援用しているか、かみくだいて書いている論は存在しますか?あったら参考までに教示していただけませんか。
親鸞の思想と<知の還相><非知>の関わりについてでしたら、あの『最後の親鸞』のなかの論文「最後の親鸞」冒頭に吉本本人によって詳しく書かれていると思いますよ。例えば 《どんな自力の計らいをもすてよ、<知>よりも<愚>の方が、<善>よりも<悪>の方が弥陀の本願に近づきやすいのだ、と説いた親鸞にとって、じぶんがかぎりなく<愚>に近づくことは願いであった。 愚者にとって<愚>はそれ自体であるが、知者にとって<愚>は、近づくのが不可能なほど遠くにある最後の課題である。『末燈鈔』は、親鸞の言葉をこう伝えている。》 《頂きを極め、そのまま寂かに<非知>に向かって着地することができればというのが、おおよそ、どんな種類の<知>にとっても最後の課題である。 この「そのまま」というのは、わたしたちには不可能にちかいので、いわば自覚的に<非知>に向かって還流するよりほか仕方ない。しかし最後の親鸞は、この「そのまま」というのをやってのけているようにおもわれる。》 (両方ともに「最後の親鸞」より) また、吉本も援用している親鸞の書簡集『末燈鈔』に、以下のような文面もあります。 《さて他力は如来のお誓いですから、他力においては、義の捨てられていることが義であると、法然聖人は仰せになったことであります。義というのははからうという意味をあらわす言葉です。人の賢(さか)しらなはからいは自力ですから、義というのです。 本願を信じてのうえは、必ず浄土に生まれるのですから、他力においてはさらにその上にはからいを加える必要はない、というのです。》 《阿弥陀仏というのは自然(じねん)ということを知らせようとする手立てであります。この道理がわかれば、この自然のことを常にとやかく言う必要はありません。 いつも自然ということをとやかくいうならば、義の捨てられていることが義であるということさえが、なおはからいとなるでしょう。》 ここで親鸞は、書面のなかでしきりと《自然(じねん)》《義の捨てられていることが義》と諭すわけですが、この理路自体、逆説的な知であるわけで、 してみると、<知‐非知>の弁証、<知と非知との還流>というものは、親鸞思想の中核にいつもあったのではないか、と僕には思えます。
982 :
考える名無しさん :2008/12/05(金) 22:49:17 O
ご親切に要請に応じていただき手間をかけて適切な引用をしていただきました。ところが私もまた糸井氏以上に馬鹿の子らしく、現代文学においてこれがどう活かされる思想なのか、腑に落ちないのです。否定以前に。
983 :
考える名無しさん :2008/12/05(金) 23:12:01 O
例えば柄谷と埴谷はどちらも往相しか知らないと、埴谷論争あたりに言ってますよね。では還相の文学は理念にとどまらずこれだよと示し得るのか今のところ理念なのか、そこがわからん。
>>976 >>978 「生きてる人間にとって何が重要か」そんなこと吉本が(俺もだが)具体的に言うわけないだろ。
そんなの明示したとたん「倫理的なお説教」の「人生訓」にしかならなくなるのは明らかじゃないか。
>>979 乙。次スレでもよろしく
>>980 スレ主と俺(974他)は、もちろんぜんぜんちがう人です。
「非知」その他については
>>981 に同意
>>983 還相の文学という言い方は、吉本はしてないと思う
ただ、昔「70年代の光と影」と題された講演で「反物語」ということを非常に強調していたことがあった
1970年代を通過する間に、いわゆる「物語」というのは成り立たなくなってしまって、今の課題は
本当は「反物語」というところにあるはずなんだが、出てくるのは「ゆるい物語」ばっかりじゃないか、と
なんかそういうことを語っていた
「物語」というのを「社会理念」とかの語に置き換えて聞いていると、その限りでは納得できた
(ちょうどバブル経済真っ盛り、というよりソ連や東欧の社会主義圏が崩壊しつつあるさ中の頃だ)が
本当は物語というくらいだから文学についての話でもあったはずだと思う
しかしどうも、俺は吉本オタのくせにいかんせん文学オンチなんで、
そっちに関して何を言いたかったのかはよくわからなかった
さて
せっかくスレ主が立ててくれた次スレが落ちないうちに、このスレ埋めないか
≧982:ところが私もまた糸井氏以上に馬鹿の子らしく、現代文学においてこれがどう活かされる思想なのか、腑に落ちないのです。否定以前に。 あー、まあ、僕の場合ですけど、吉本による親鸞思想を辿って面白いな、と思うのはどんなとこかというと、やはり逆説だと思います。つまり、親鸞というのは絶対他力なわけじゃないですか。 そうすると、<信>に一番近いのは、吉本も言うところの<愚者>ないし<悪人>と言っていい。 阿弥陀信仰にしたところで、信仰心というのは向こう側からやってくるものだから、そうすると、いってみればこちら側からはからうことはなくなってしまうわけで。 はからいがなくなることは全く悪いことではなく、むしろ良いことだ、となる。そうすると、いったい<不信>と<信>の区別って何なんだ、てとこまで行ってしまわざるをえない。区別はないのじゃないか、となっちゃうと思うわけです。 親鸞思想においては、<不信>よりか、また<悪>よりか、<はからい>ということの方が、阿弥陀信仰からみた否定の対象とされていると思える。 それは<善なるはからい>にしても<悪なるはからい>にしても、<はからい>ということで等しく否定の対象だと思う。 <はからい>というのはその場合、<意識的>ということの別名だと思うのですが、そこでの否定の仕方がすごく面白いな、と。 で、「未来の親鸞」という講演で、吉本はこの論理が現代にどう生きるのか、という点を挙げており、それは例えば慈善だとか、社会的な規模で<善>が押し寄せてきたときに、どう考えれば良いか、その手掛かりになる、と言っている。 本当にそう思うならやればいい、そうでなければやらなければいい、そんな風に考えればいい、と。それはすごく良い考え方だと思えた、というのがあります。 で、問われている、《現代文学においてどう生かされる》ということになると、僕にもよく分からないんですが(笑)
988 :
考える名無しさん :2008/12/06(土) 12:52:17 O
>986 文芸作品には、作者の世界観の無意識の投影「も」あります。で、中島敦「名人伝」中の逸話「不射の射」のように達人の極北をイメージすると弓を持つ事の放棄から弓をわすれるまでに行き、「知の放棄」になります。(続く
989 :
980.988 :2008/12/06(土) 13:43:52 0
>984 なえました。「重要なこと」を明示したからといって、人生訓にはなりませんよ。 だいいち、わたしがこのスレをどこか読み落としているのかもわかりませんが、 人生訓を語ることが俗悪であるような、思想家にあるまじきようなニュアンスで 繰り返される意味がわかりません。「そこでは言ってなかった。」といわれれば、 ああそうなんですか、というまでのことです。 >986 988の続きです。(984さんの意地の悪い茶々が入りそうですが)親鸞のほうは、もうごくわかりやすくいっちゃうと、「国籍法改正について熱心に書きこむ 政治オタクや、「自分は進歩的で遊んでばかりで、労働者意識に自覚的になり、進歩的な政党の応援集会に行かない人たちは愚かだ」という労働組合員は、「往相」 であり、これに対し「還相」は「書くこと」を放棄するというのではなく、「書くこと、考えることが自然過程では往相になるところを、「一丁字のない生活者の意識 を顕現する表出になればいい 、ということになる。(ここで「非知の大衆像」は かつては現実にいたけれども、高度化した現在ではだれもが知的で、立ち返るモデル という意味ではイメージできなくなったということはあるが。) 私の長年来の疑問のひとつには古典から現代文学、社会思想までこの理念を顕現している書物はあるのかないのか、ということもあります。 こんなふうなあいまい模糊たる考えは、実は頭の切れる人たちのなかには、ちゃんと整理して書いている人があるのかもしれないな、という思いで「吉本隆明論でわか りやすい言い方をしている人はいませんか?」と聞いてみたわけです。
990 :
980 :2008/12/06(土) 14:15:48 0
80年の半ばに、柄谷、埴谷、中野重治をならべて「往相」だって、言ってますね。わたしはもう前から、「還相」 は顕現されているのか、どう顕現されているのか、とも思っていたんですよね。 講演のとき、聞きたかったんですが。太宰の一部とか、島尾敏雄のいくつかな、とか 思いもしましたけどね。人生に重要なのはそれじゃない、というのが許されるなら、人生に重要なのは これだ、といってもいいわけですよ。ニーチエは、「これだ」と言ってる人ですよね。キルケゴールも。
>>989 勘違いしなさんな。俺は「人生訓を語ること」が「俗悪」だとは言っていないし、
「思想家にあるまじき」態度だとも言っていない。
そうではなく、吉本が自分の発言を人生訓として語っているというのは、字面がどうあれ、
実際はそんなニュアンスはあまりないんじゃないか、ということを、
吉本の過去の発言に照らして指摘しているだけだ。
もっとも、「人生訓」というのはたいてい「倫理的なお説教」として語られるものだと俺は思っているし、
そうした「お説教」は(善を装って語られるだけに)なまじの「俗悪」よりずっと悪いものだとさえ思っている。
どんな他人からもそんな悪言を聞かされたくはないし、ましてや尊敬する吉本から聞きたいとは思わない。
それは俺の本音だから、書いていることの中にそういうニュアンスが自然と混じってくることは仕方がない。
どうも判られていない気がするからもう一度書く。
>>984 の
>「生きてる人間にとって何が重要か」…を明示したとたん「倫理的なお説教」の「人生訓」にしかならなくなる
この「生きてる人間」というのは、外側(他人)からは決して伺い知ることのできない、固有の心的領域を
持つものという意味で言っている。
(つづく)
(
>>991 の続き)
その固有の心的領域にとって何が重要であるかということも、当然外側からは部分的にしか理解できないから、
そこに触れるようなことを「これが重要だ」と断定的に言うことは、究極的にはできないはずのことだ。
それを無造作にやるというのは、相手を「生きてる人間」だとは見なさないということに等しい、とまでは
言わないにしても、「生まれてから死ぬまで」で区切られた「人生」の中に押し込めて考えることにはなると思う。
それは、どんなにもっともらしい話であったとしても、言われている側の「生きてる人間」の当人にとっては
大なり小なり「余計なお世話だ」と言わざるを得ない領域を含むことになるはずだ。
人生訓が語られるにしても、言われた側がいつでも「余計なお世話だ」と言い返せる雰囲気の中で言われる
ことなら──つまり、せいぜい自分の親父から言われている程度のことなら──まだいいが、赤の他人が
公開された著書の上で、しかも「言い返し難い」善を装って言われた場合、それはただの押しつけになってしまう。
言ってる人間の種類によってはその上に「党派的」とつくかもしれないくらい、まかり間違えば危険なことだ。
危険であってもそれに自覚的な思想家がそうしたことを主張すること自体は自由で、あるまじきことだとまでは
言えない。でも吉本はそうした党派的な思想がえてしてただの倫理的強制に陥りがちだし、ましてやそれが
「社会的に組織」された場合にどんな悲劇をもたらすかということについて、最も自覚的かつ批判的であるような
そういう思想家だと俺は思っている。
>>990 ここに挙げられている文学者や哲学者の誰も「人生訓」などは語っていないと思うけどな。
柄谷ですら、というのも変だが、柄谷ですらもだ。
だいたいこの人達(まだ生きている柄谷を除く)の実人生のどこに「人生訓」などをつらつら語れるような
内容があっただろうか。思想や作品の価値はまったく別問題として、
「生まれてから死ぬまで」ということではただただ悲惨な生涯を送った文学者であり哲学者だった
というだけではないだろうかな。
994 :
考える名無しさん :2008/12/06(土) 16:09:32 0
>>993 まいったな。「人生訓うんぬん」は私にははじめから興味ゼロなんですよ。
いったいどの部分を読めば、私に「この人達の人生のどこに人生訓がなどといえるんですか?
まさか往相と往生を見間違えてるとか?
人生訓なんてくだらん言葉を誰かが出すからこういうわけわからん応答になるんだよ。
還相について自分のことばでしゃべれんなら、989にはスルーしてくれ。
>>994 へ?俺(993)の見間違えなのか?だったら単純に謝る。すまん。
もっとも、それを抜きにして
>>990 を読み返しても
「人生訓」を「人生で大事なこと」に置き換えるだけで
>>993 とほぼ同じことを書くことになりそうだけどな。
まあ、それはもういいや。
で、「還相」なんだが
そもそも「還相」ってのは「顕現」したりしなかったりするようなもんじゃない気がするし、
また仮に顕現するものだとしたって、別にどうだっていうほどのことでもないと思うんだが。
吉本が「書物の解体学」の「ヘンリー・ミラー」の中でヘッセの「シッダルタ」に触れて書いている箇所では
往相と還相ということがもっと相対的に扱われていたと記憶する。
還相にあることが往相よりも相対的に優位だというわけでもなんでもなく、
ただ両者の差異に盲目であることから「シッダルタ」の主人公の悲劇が生じていることを、
吉本はそこでは指摘していたと思う。
また柄谷や埴谷について「往相」という言葉が批判的な文脈で出てきていたとしたら
やはり彼らがそうした差異を理解しようとしないという意味での批判だったのではないだろうか。
柄谷行人はたんに<知>に渇望する<知>が至上とおもっている凡庸な秀才にすぎないよ。
柄谷にかかずらうのなら、西欧やアメリカの現在の文学者や、哲学者や、経済学者に直接
かかずらわっていたほうがいいとおもわせるのは<知>に渇望する<知>にしかすぎないからだ。
<非知>に渇望するがゆえに<知>に渇望するという課題のところにしか「現在」問題なぞ
ありはしないさ。(試行#64)
こんな具合に<知>や<非知>に渇望することの逆立とか弁証法といったことに触れているわけで、
「<知>に渇望すること」つまり往相にあることそれ自体が批判されたり否定されたりしているわけでは
ないわけだ。
(
>>995 の続き)
吉本が「往相にあることそれ自体を批判したり否定しているわけではない」ことを
もうひとつ引用によって示しておく。
蓮実まで巻き込んでしまうのは引用文の生憎ということで容赦してくれ。
蓮見や柄谷がバカなのは、結局は世界の田舎者のイモさ加減に帰着するさ。
都会に憧れて口真似、物真似、マナーまで真似てどうやらそれらしい恰好を
つけたのはいいんだ。それは変形でも歪みでも、向上心にはちがいないからな。
だがイモのイモたるゆえんは、こんどくるりと内側をふりむいて田舎者に向かって
薄っぺらな都会人からうけた侮蔑を内側に移譲することだ。(試行#68)
「向上心」なんて吉本が言うのは珍しいと思った箇所だが、別に皮肉や反語で言ってるわけでは
ないことは、直後に本当の批判が書かれていることからみて確かだと思う。
うわ。
>>996 の「蓮実」「蓮見」は「蓮實」の間違い。訂正。
998 :
考える名無しさん :2008/12/06(土) 18:14:21 0
>995 なるほど。顕現するもの。ではないと。私の言っているのは、これは往相とわかったから、 誰と誰は往相だといったわけで、それも顕現という意味です。で、誰、とかどれなら、還相かな、と。 ヘンリー・ミラーについての文章で 書いているのは、忘れてたんで読んで見ます。ありがとうございます。 往相それ自体を批判しているとは、思ってませんよ。 ただ引用文はこの際の話と違うと思う。まあいいけど。 私は還相をもっと自身に腑に落ちたいだけのことなので。 (往相についてはもう察しはついてるわけで。還相については、正直批判や 肯定以前に、現代的な意義はたいがいの人に、難解でしょう。) しかし、ほんとに「別にどうだってことない」ですか?それはどうですかね。 だって、親鸞の最後に行き着いたところじゃないの?いやわからんですけど。 とにかく書物の解体学読みます。
>>998 >しかし、ほんとに「別にどうだってことない」ですか?それはどうですかね。
行くところまで行き着いてしまった後には誰だって自然と帰り道をたどることになるという意味で
それは特別なことではないと俺は思っているわけで。うちの婆ちゃんだってある意味そうだ、というような。
ただ、そのことに自覚的になれるかどうかと言えば話は別で、それをわが国で最初に宗教的な理念として
括り出してみせたのが親鸞だし、それを現代日本の思想者の観点から再評価したのが吉本だと思う。
これは、もちろん誰にでもできることではない。こうしたことに自覚的になれるということがこれらの思想の
すごいところだ。そこらへんは疑問の余地がないんだが、
思想のすごさ、文学(ないしは作品一般)のすごさ、あるいは普通に人ひとりが生きてあることのすごさは
それぞれまったく別のことだと俺は思っている。で、正直、往相とか還相ということが文学にとって何であるか
ということは、
>>985 でも書いた通り、文学オンチの俺にはよくわからんところがあるわけなんだ。
そこではひょっとすると「どうだってことがある」のかもしれない。そこらへんをうまく説明してもらえたら
黙って耳を傾けたいと思う。
1000 :
考える名無しさん :2008/12/06(土) 20:15:09 0
読解力のない馬鹿を相手にするのも大変だねw
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。